芸大に通う豊洲ママのblog♡♡♡

夫と小学生の子ども二人と豊洲に暮らす大学生活8年目(3年休学)いよいよ卒業制作に着手中の私が、毎日の日々やちょっと思いついたことなどを書いています。ライターをしていますので、記事のコピペはご容赦ください。もし転載するのであればご一報をお願いします。ご質問やご意見などは、メッセージボード、または yurikomorio@gmail.com まで。

もうこちらのブログは書かないと言いつつも色々あったら書いちゃうわけ。だって私のホームグラウンドだもの好きにしていいじゃない、え?公約?私政治家でもないしなるつもりもないし、ただの一般ピーポーなのでそんなのいいのよ気にしないで。ということで香山リカ講演会の時と同じく周知したいことがあるのでまた書きたい。今日は有明の大塚家具にいってきたという話、そう、ちょっと前にニュースや色々で気になってお邪魔した大塚家具、その後パパのところにも行った記事を書いたじゃない?そうしたらここ最近パパの方の記事がバズりまくり、ちょっと大きな声じゃ言えないくらいヒット。一体何があったんだろう、そんなに注力して書いたつもりもないのにこんなことならなんか仕込んでおけばお小遣いになったのにどおーもこういうジャンルは苦手、誰かやってくれないかなあなんて。私のブログは1~50まで勝手にランキングということでPVの高い順に人気記事として表示しているけど当分は匠大塚の方の記事がトップに君臨するだろうと思われるバズり、くーなんか悔しいタダで匠パパの宣伝しちゃって私ったらということで前々からやってみようと考えていた仕込みをしてみる。Livedoorブログのアクセス数解析ツールで生ログをみても「匠パパ匠パパ匠パパ匠匠匠」とずーっとずらずら並んでいる、ということは匠パパのいい宣伝になっていてもしや匠パパがMLや顧客らに勝手にこのblog紹介したとか匠社内で情報が飛び交っているのかと思ってしまう。だって芸能人並みのアクセス数!普通じゃありえない、ということで多分近からずも遠からず私以前調子に乗って匠パパの新日本橋店褒めちゃったけれど今思えば有明の大塚家具だってそんなに違いがないじゃない?なのにこれじゃ私久美子さんのこと全然応援できていないじゃない、そもそもあれから大塚家具は何か変わったのかしらとムンムンしてしまっていたところにまたLivedoorブログってやつはまあ商売上手としか言いようがないということで、今回もまた大塚家具のバナーがふんわあーと浮かび上がってきて、私大塚家具なんてタイプしていないのにここまでくると私の考えていることをデムパで拾ってバナーに表示させるシステムでも開発したのかしらとかだったら怖っとか、でも近未来になればそんなの常識みたいな感じでそうなるんでしょう。ということで早速大塚家具の広告をクリックしてみると、最近リニューアルし更にセールをやっているみたい、しかもリユースリメイク業にもめっちゃ注力したようで、えー久美子さんすごい、私のブログを読んでくれたのは知っていたけどちゃんと考えて色々やっていらっしゃるのね!そしてこれもあまり大きな声では言えないけれど、我が家はまさにリフォームをしようと色々算段しているところで、ついにダイニングにph5のランプを下げるわ、IKEAもニトリも廃棄して家具も新しくしたい、だったら買うのは大塚家具しかないでしょうということで思い立ったが吉日、思いついた日が仕事お休みだったこともあり、今日しかないわと早速はせ参じたのでございます。 


こんな部屋に住みたい♡平野啓一郎が喜びそうな絵、マチネの終わりにの表装に似てるわ。というか、このくらいなら私描けると思う 大塚家具で販売して貰おうかなあ

ゆりかもめか車か迷って今回は車で。広告サイトに駐車場2時間無料って書いてあり、すごい久美子さん、ここまでお気遣いありがとうございますと駐車しながら店内に。たかが2時間されど2時間、また側近の方とか現れてお話なんてことになったら時間が足りなくなるのではと懸念したけれど、今日はそういう方とはお話できず。というかこの日はパティスリーSAKURAがお休みで お土産にと目当てにしていた私も大好きな胡桃のネージュが買えず手ぶらできてしまい、これではご挨拶できないしお忙しいのにお手を煩わせてはとフリーでみることに。 


素敵な色合いのソファ♡いいじゃないいいじゃない♡♡

まずはリユースのコーナー。以前は一般のフロアにあちらこちらあったりもしたけれど、今回は専門のスペースが。リユース、リサイクルというのはいいですね。まだ使えるのに勿体ない家具たち、少し手を加えるだけでがらっと雰囲気も変わり、また新たな役目を仰せつかって営みを始める、家具にも命があり新しい命をまた吹き込むような、うーん素晴らしいわ。そんな風に思いながらぶらぶらしていたら、めっちゃ心臓を鷲掴まれるものに出会ってしまった。こ、これは反則じゃないでしょうか。

なんつーステキな。これもリユースで職人さんが布を張り替えたそう。

一人掛けのソファとオットマン、黒の生地に織りでバラが浮かび上がる様はロココファブリックとモダンファニチャーの融合とでもいうのか、うーんそうだなあなんとなくベトナムのハイソサエティとまでは言わないけれど、ちょっと暮らし向きのいいご家庭で大切に使われてきたという雰囲気ではないでしょうか。きゃっ♡欲しい、これに座って小説を書いたらきっと捗るわあ〜いいわねいいわね芥川賞とって取材されたらこのソファに座ってるとこ写真に撮ってもらうとか?素敵


KAWII

あーどうしよう、絶対欲しい!でもリフォームしたら今ある大型オットマンすら処分しようと思っているくらいで、これ置いたらまたダイニングが更に絶対狭狭になるし、またママばっかり好きなもの買ってとか夫からはまたこんなのにお金使ってとか絶対なんか言われるに違いないのよでも一点ものに違いないし誰かが買った後にやっぱり買えばよかったとクヨクヨクヨクヨするのは嫌だ!と思いつつ、今日の本命ph5と食器棚をみにいくことにしているからそっち先に。あと座面の小さなスツール、ママ友の家でみかけて欲しいとずっと思っていたやつ、大塚家具にもあるかしらと思ったらありました。種類が色々あって迷う。


壁の彩り色々コレクション。リフォームするなら壁の色は白じゃない方がいいかなと思案中。マンションの壁って、なぜみんな白なんでしょう。新築マンション入居前ならオプションで変えられるらしいけれど、壁の色がカラーになってるお家にお邪魔したことない。


こんな風にブルーの壁に黄色いクッション。いいですねえ〜♡


グレーの壁も素敵。マゼンタ色のファブリックも合いそう♡♡


娘の部屋の壁はアップルグリーンがいいと思う🍏


小さな絵をたくさん飾るのも良さそう♡♡♡色々参考になる。

おおーこんな素敵なランプシェードが❣️❣️



素敵すぎる どっかで見たと思ったら、あの豪華パーティルームと同じやつ?ねえそうでしょ?

FEISSというブランドらしいです

それはともかく肝心のNEW大塚家具、すごくよくなってる!家具も総とっかえした訳ではないだろうけれど、ソファも座面がフラットになっているものも多くなり、なんとか杉一枚もののテーブルとか今時のお嫁さんは見向きもしないだろう着物がいーっぱい詰まりそうな立派な桐の箪笥とかそいういうの。そういうものの代わりにニューファミリーが好みそうなセンスのいい機能的なものが増えている。

前に来た時はお客さんいなくてガラガラだったけれど、今日(2017.7.18)みたいな平日の微妙な時間なのにお客さんがパラリといて、カフェにも数家族が商談してるしなんか盛り返してきた感じでネットニュースなんか読むと大塚家具と匠大塚共に苦戦なんて書いてあるけれど、最近はニトリもIKEAも盛況だし、そもそも無印良品みたいにコアなファンがいるブランドもありで、苦戦はもう当然という業界で、大塚家具は健闘していると感心してしまう。とはいえ私のように長く使うための家具を買うならやっぱり大塚家具という層もあり、それは結婚する時買った大塚家具の製品達は未だどれも現役で、その後IKEAニトリで買ったものたちがたわんできたり破損してしまったりという経験もし、いいものは高いけれどそれなりの理由があるのだと経験値として学んだせいもあると思う。そう考える、大塚家具に回帰する層は絶対いるはずで、そういう人たちが匠大塚に流れるとはちょっと考えられない。現に私も新しく家具を誂えるならやっぱり大塚家具だと思ってのこのこお邪魔しているくらいでそこでまた運命的一目惚れをしてしまい悩んでいるところだし、うーんどうしよちょっとしばらく考えてどうしても欲しかったら買おうかなあ、でもリフォームの最中は逆に家具もなにもかも減らすくらいでないとダメって施工さんに言われているし、あ、じゃあ取り置きしておいてもらう?要検討、というかまだあるかなあ…

そして肝心のPH5、カラーもデザインも種類が多すぎて全然決まらない!都内でph5買うならバリエーションの多さではもう有明大塚家具しかないって感じでその前にあの大型テーブルにPH5ひとつで暗くないのか大丈夫なのかという心配が発覚しもう一度インテリアデザイナーさんに相談することにしてとりあえず何も買わずに帰ってきた。


 いい‼︎やっぱりいいですね❣️迷うわあ


こんなに種類が

久美子さん、お元気そうで何よりです。店内の雰囲気みて久美子さんいい感じなのがわかったし、ネットの記事に久美子さんグラビアデビューなんてのがあり「美貌の女社長」と書いてあったので元気元気大元気なのではと嬉しくなってしまった。中間決済赤字が何よ!人生万事塞翁が馬、落ちたら後は上がるだけ、そんなの運が上向けばさあっと解消されるから大丈夫大丈夫 女が綺麗でいる時は元気で幸せな証拠よと、これもママン?パパだっなかなあ〜が言っていたわそういえば。@q3koさん、ショップリニューアルおめでとうございます。とっても素敵になり、何もかもいい感じで気に入りました!また近々今度はリフォーム後の部屋のサイズ測って色々買いにいきます♡

と、こんな偉そうに色々また書いている私はといえば、最近のほほんとし過ぎて小説は書けないわ5キロ太ってしまったわでちょっとなんとかキリっとするために何かまた試練とかは神様勘弁して下さいでもどーにかしないとダメなのではと焦っているところですが最近本当に時間なくてというのは言い訳よね〜書かなくちゃね〜 そおーだ辻先生のコンサートにブルーノートに行ったときにとった写真、顔がまん丸でもーなんでこんな写真インスタにあげちゃったんだろうと大後悔でも上げちゃったからもういいネットにあげた写真は消えないのよきっとSNS 宇宙のチリのように私のまん丸写真は浮遊していくんだわ 前はいつの間にか体重が減ったりして太ろうと思って頑張って食べていたくらいなのに最近痩せようと思って食べるの控えているつもりなのにぷくぷくしだしちゃって以前稀勢の里奉納の看板の前で撮った写真をSNSにアップしたら「お前が稀勢の里」という悪口のメールが届いたことがあるけどその時はふふん何言っちゃってるのならあなたも顔晒してみなさいよなーんて笑っていたけど今は笑えない

私の話はともかく、すっかりセンス良くリニューアルした大塚家具に出かけてみてくださいね。とくにリユース、アウトレットコーナーいい感じでしたYO)^o^(

※アクセスが集中している「匠大塚」の記事を「頑張れ久美子さん」にリユースしました。匠パパ、アクセスしてびっくり みたいな。「森生ゆり子 は大塚久美子さんを応援します」

まったね〜


人気記事トップが「頑張れ久美子さん」に♡ 元Microsoft 現IT担当なのでこのくらいは。

※しつこいですが、livedoorのランキングには登録していません。

2017.08.05write

どちらに書こうか迷ったのですが、個人的な内容も含まれるためこちらで書くことにします。

本日、香山リカ講演会、開催中止のご案内のために豊洲シビックセンター大ホールで、本来なら開場時刻となる10時より、終演時間まで会場で待機させていただきました。江東区社会福祉協議会の方も大勢いらして、1F、3F、5F受付と、来場が予想される入口でご案内いただきました。事前予約の方には、全員個別にご連絡いたしました。
ネットや新聞などでかなりニュースになりましたので、中止のお知らせが行き届いていたのでしょう。数人の方がいらしただけでほっとしました。しかも励ましにいらして下さったり、遠路はるばる会いに来てくださった方も。わざわざお越し下さいまして、ありがとうございました。お会いできて嬉しいと言って下さり、恐縮の極みでした。

イベント開催は叶いませんでしたが、それ以上に大きな暖かいものが得られたように思います。何よりご支援ご協力下さった関係者の皆さまが、一様にとても残念がって下さいました。お詫びと共に、御礼申し上げます。

また、この記事を最後に、再びこちらのブログ、TwitterなどのSNSは停止させていただきます。また何かの広告宣伝、周知などで必要な場合のみ書きたいと考えます。ですが、しばらくはその必要はなさそうです。

今、振り返って思うのは、今回私がSNSで発信したために起こった事態だとも考えています。チラシもカラフルに目立ちそうに綺麗にできました。著名な方が、あちらこちらでtweet、retweetして下さり、宣伝のために広告媒体にも記事を書かせていただきました。これらは本当に集客に役立ち、このあたりからわっと、予約件数が多くなってきました。しかしながら目にして欲しくない方々にも同時に発信してしまうこととなり、今回のような結果となったように思います。
しかしながら、今後、こういった手法やノウハウを自制する気持ちはありません。逆にSNSは素晴らしいツールだと再認識しました。全く未知の存在に、こんな風に個人的な想いが届くものは他にないのではないでしょうか。

大学卒業を機にSNSを停止したのは、やはり組織に属したという理由もありました。私個人のことならいくらでも発信してかまいませんし、誰に咎められるものでもありません。ですが企業や組織で知りえたことは、守秘する義務があります。そんなの当然と思われるかもしれませんが、そうした事故は後を絶ちません。それを防止するには黙秘が一番いいと考えました。

ですので、本日をもって私個人のSNSは再び停止させていただきます。この春3月31日で終了としました「キャナリーゼゆり子の豊洲日記」シリーズ、いまだにたくさんの方がアクセスして下さいます(カウンター非表示、ブログランキングには登録していません)

いつも読んで下さりありがとうございます。コメントなどもたくさん頂いておりますが、返信せずにこのままご意見として頂戴いたします。

講演を快く引き受けて下さいました香山リカ先生はじめ、ご支援下さいました皆さま、お申込み頂いた方々、本当にありがとうございました。

豊洲こども食堂は、引き続き開催させていただきます。今後も変わらぬご支援を賜りますよう、お願い申し上げます。

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香山リカ講演会、開催中止のお知らせです。

6月27日に開催を予定しておりました、「なぜ今こども食堂が必要なのか~こども食堂を通じた支え合いのまちづくり~」につきましては、急きょ中止させていただくこととなりました。 

講演予定者の講演内容が地域福祉に適うものと判断し、本講演会を企画いたしました。しかしながら、講演者の他の機会での発言等に対し、メール、電話等で多くのご意見をいただきました。

その中には、当日の健全な進行を妨げる内容のものがあり、ご来場いただく皆様にご迷惑がかかることが予測されるため、参加者の皆様の安全を確保する観点よりやむなく中止の決定をさせていただきました。 

開催を目前に中止となりましたことは、誠に残念であり遺憾です。当日を楽しみにお待ちいただいていた参加者の皆様、ご支援頂きました関係者の皆様、また、こども食堂ネットワークおよび組織に繋がる皆様におかれましては、甚大なご迷惑をおかけしましたことを、心よりお詫び申し上げます。  

また、企画立案者としてもひとこと述べなければならないと自覚はしておりますが、関係者と協議の結果、今回は事態の鎮静化を最優先とし、私個人としての発言はこちらでは控えさせていただきます。   

 何卒かかる事情をご斟酌いただき、あしからずご了承下さいますようお願い申し上げます。


    
江東区社会福祉協議会•豊洲こども食堂実行委員会•香山リカ講演会実行委員会


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※本イベントは開催中止となりました。たくさんのお申し込みをありがとうございました。

今日は宣伝広報のためにブログを書いています。

 あちらにも書きましたが、こちらにも書きます。
   
豊洲こども食堂」プレゼンツ、香山リカ講演会『なぜ今こども食堂が必要なのか』開催します。

「今、こども食堂は日本中で大きなムーブメントになっています。子どもたちを貧困や孤食から救おうと、様々な個人の方や自治体が活動しており、その数も増え続けています。豊洲にかぎっては必要ないと思われるでしょうか。いいえ、「豊洲だからこそ」開催する意義があると私は考えました。たったひとりで始めた「豊洲こども食堂」は、現在はたくさんの方のご支援ご協力をいただくことができました。感謝の気持ちと「豊洲こども食堂」オープン記念事業といたしましてイベントを企画しました。

立教大学教授、精神科医の香山リカ先生をお招きして講演会を開催します。

香山リカ先生のプロフィールはこちら (プロフィール

1960年北海道生まれ。東京医科大卒。
豊富な臨床経験を生かして、現代人の心の問題を中心にさまざまなメディアで発言を続けている。
専門は精神病理学。
NHKラジオ「香山リカのココロの美容液」でパーソナリティをつとめる。
北海道新聞(ふわっとライフ)、中日新聞(香山リカのハート・ナビ)、 毎日新聞(ココロの万華  鏡)、創(「こころの時代」解体新書)
精神科医・立教大学現代心理学部映像身体学科教授
神戸芸術工科大学大学院客員教授
筑波大学大学院客員教授

香山リカ先生は、人権問題をはじめ様々な社会問題に真っ向から立ち向かう素晴らしい先生です。みなさま是非ご参加いただき、香山リカ先生の講演をお聞きになってください。入場無料、小さなお子様も一緒にご入場いただけます。

また、講演会の最後に香山リカ先生のサイン本やお菓子の詰め合わせが当たる抽選会があります。受付でお配りするプログラムに番号が書いてあります。そちらの番号で抽選となりますので最後まで無くさないようにお持ちください。厳正なる抽選のため、当日壇上で番号を選ばせていただきます。」

おひとり様もママ友ご一緒でも、どちらも大歓迎。未就学児のお子さまもご入場いただけます。

入場無料です。

【日 時】 平成29年6月27日(火)
 10:30~12:30 (10:00開場)
【会 場】 豊洲文化センターホール (豊洲シビックセンター5F大ホールです)
【定 員】 300名(申し込み順)
【講 師】 香山 リカ(精神科医・立教大学現代心理学部教授)  

共催 :江東区社会福祉協議会
後援 :江東区教育委員会
協賛 ;豊洲商友会協同組合、豊洲シエルコート商店会、株式会社三栄堂、くまざわ書店豊洲店、フードストアAoki豊洲店、グランルパサカガミ豊洲店、マクドナルド豊洲店、こども食堂ネットワーク、長谷工リアルエステート
 

【申し込み方法】
電話、FAX、メールでお申込みください。
※定員に満たない場合は当日も受付いたします。
※お席は当日先着順です。 

【お申し込み先】  
社会福祉法人 江東区社会福祉協議会
〒135-0016 江東区東陽6-2-17 高齢者総合福祉センター
電話 03-3647-1200 
FAX 03-5683-1570
受付時間:午前8時30分〜午後5時(土日祝日のぞく)
E-mail:suishin@koto-shakyo.or.jp         
        
詳細は以下のチラシ、街のポスターなどでご確認ください。
      
こども食堂運営につきましては、今後もご支援ご協力をお願い致します。お振り込みをいただける場合は「ゆうちょ銀行」 記号10100番号89349801 口座名「トヨスコドモショクドウ」にお願いします。ボランティアや食材の提供もお待ちしております。

こども食堂へのお問い合わせは、 toyosu.kodomoshokudou@gmail.com までご連絡ください。

こども食堂、講演会、どちらもたくさんの方のご参加をお待ちしております。 

香山リカ講演会チラシ表
香山リカ講演会チラシ裏

以下のメディアでも講演会、豊洲こども食堂についてご紹介いただいています。

豊洲で人気急上昇中のブログ「とよすと」 さん
なぜ今こども食堂が必要なのか | とよすと

ライフスタイルマガジンTOYOSU MAGAZINE
第45回 「豊洲の人物探訪」~「こども食堂」森生ゆり子氏~【豊洲マガジン】

PLUS TS net|東京湾岸スタイル 〜TS PLUS〜 ポータルサイト
6/27(火)香山リカ講演会「なぜ今こども食堂が必要なのか」(入場無

社会福祉法人江東社会福祉協議会サイト
地域福祉セミナー 香山リカ講演会「なぜ今こども食堂が必要なのか ...

情報誌ぱど【掲載版 : タブロイド首都圏直営版 / 掲載号:1422号】
 広告名:豊洲こども食堂
エリア:330(豊洲・月島・勝どき)
掲載URL : http://ebook.padonavi.net/eb/t_pado/20170428/330

講演会、こども食堂のポスターは町内会掲示板にも順次掲示予定です。QRコードで情報検索いただけます。

今は「赤ちゃんお子様もどうぞ」「後援:江東区教育委員会」とチラシに入れ忘れたので、シールを作って貼っているところ。ご希望の方にはお送りしますので、メールに住所氏名を書いてお送りください。講演会、こども食堂のご周知もよろしくお願いいたします。入場無料ですので是非みなさまお誘いあわせの上お越しください。

お待ちしております。


先回の記事、「みんなありがとう」なんて綺麗にまとめすぎだと思うけれど、ああでも書いておかないと締まらない気もするし終わらないでしょう、正直色々思い出すとふつふつするものはまだあるけれどまあいいんじゃないでしょうか。最後の最後まで「お礼言う気もない」なんてやっぱり大人気ないし美しくない。こんな風に思えるのも京都に出掛けたおかげだわ、色々巡ってすっかり邪気が払われた感じ。 それから辻先生からの助言の影響もかなりあると思う「立つ鳥跡を濁さず」掻き回し過ぎて今更かもしれないけれど、日本の様式美に寄り添い倣うのも大切、京都の芸大を卒業しますからね。

それにしても思うのは、あの大学全体が総大人気ない人達の集まりで、生徒も先生達も事務局も会った人全員変な人達だった。あの中でも普通を保てた私なので〆る時はちゃんとしたいと思う。みんなは私が変だと思ってるでしょう、でも私からしたら豊洲も大学も周りがおかしいのよ。本当に特に大学は特に変な人達の魔窟だった。それはそうかもね、だって私の通った大学は芸大だもの。芸術家は変であることがスタンダード、普通でいてはいいモノは創れない生み出せない場所。

講演会で千住博先生が、「自分の卒業した東京藝大は変な人達の巣窟」と言ってみえて、それらを詳細にまとめた本があるけれど涙無くして読めないし、完読を断念してしまったとも言われていた。変な人達エリートの東京藝大には負けるけれど、京都造形もそれに近いところもあったと思う。

だいたい先生が生徒に「会いたくない」なんて言う?そして「謝りたくない」なんて意地を張ってそのままやめてしまうとか(多分)「一緒に脱出しましょう」と私も書いたけれど本当に驚いた。はあーなんか逆にこっちが負けたって思ったけれど、他にも私の想像にも及ばない何かがあったのでは、そしてぶっちぎるように辞めてしまうとか凄過ぎてドラマみたい。。。

私もこれら他、直接的なトラブルにも巻き込まれ大変だった。日和ってしまったし、でも最後はぼっちビューティ三銃士に戻れたからいい、これからも我が道を歩きましょう。今更だけどおばあちゃんが「あなたは外に働きに出ちゃダメ」って言った意味もよくわかった。私なんにもしてないのにどうして?困るわ。女ポケモン森生ゆり子は誰にもゲットできませんからね!

もし他の大学やコースだったらこんな風にならなかったのかとも思うけど、同じような事は起こったような気もするし、それならこの京都造形芸術大学文芸コースで良かったのかも、貴重な体験もし、小説のネタが出来、勉強になりブログがまた書けた。

改めてすすめてくれた朋輩に感謝、色々とサポートしてくれてるのわかってた。あなたは気高く美しいわ、いつか太宰の墓参りに行きましょうね、ってここでも太宰。うーむ…
   
それにしても卒業できて本当に良かった。卒業式行くか行かないかで悩んだりして私はいい人過ぎる。結局最後までなんだかんだ大学や先生を慮り人が良すぎるしお礼まで言うなんてやっぱりネ申、なのかなあ。結局あの大学色々常軌を逸脱してたのは芸大だからか、そういう意味では私にはぴったりの大学だったかも。あの中では私もなんか頭おかしかったんだと思うけど卒業して時間経過したらなんかさっぱりしちゃった。縁が切れたのは安井金比羅宮のおかげかも、いつかお礼参りに行きます。また呼んでください。一体何をあんなに悩んでいたのか。

でも渦中は勉強の方はこんなだから全然身が入らなくて単位危険水位まできちゃって危なかったし、卒業を断念しようとも思った。綱渡り状態な日々をなんだかんだ過ごしてでもこうしてゴールできたというの、やっぱりすごいと思う。ブログに綴ったおかげで客観視出来て様々な問題も解決したし、しかも同じように弱っていた学友達も私見て立ち直ったみたいだし良かった。でも先生たちにちょっとdisられたくらいでペチャンコになっちゃう学友達、私含めて人がいいにも程があるわよ。大人なんだからなんかあったらその場で言えばいい。なかなか判断は難しいし、先生には意見言いにくいですけどね。頑張りましょう。

そして色々赤裸々に綴ってパクられて一番人がいいバカは私。自分は何も得していない損ばかりで恥もかいて色々色々懲り懲りゴリラよ。

そういう訳で長きに渡りご愛顧頂きました「キャナリーゼゆり子の豊洲日記」シリーズ、この記事を最後に終了とさせて頂きます。

時もタイミングよく年度末、以前も卒業したらやめると告知していたし、でもやはり続けようとも考えたりしたけど、「大学を卒業」という切りのいいところで終了する。このまま続けるにしても芸大も卒業した訳でタイトル的にもおかしいし、でも「芸大を卒業したママのblog」では、「アァン?」という感じになりそう。それにもうママ友の話も書くことがなくなり、今回のブログも途中で大学の話しばかりになって卒業もしてしまった。違うシリーズをとも思ったけれど、ブログって別で書き出すとリンク貼ってもなかなか気づいてもらえないし、「ブログ読んでます」という方たちと色々お話したけれど、今書いているのじゃなくて古いものだったり、芸大シリーズを教えると驚かれたり、他にもありますよとかそいういう色々があったので新シリーズはしない。

それならイケダハヤト師みたいにブログタイトルを変えてこのまま続けたらいいとも思うけれど、このタイトルにはとても愛着があり「芸大に通うママ」という現在形のままにしておきたい。私は自分の書くものや作品が大好きで、ブログもそうだし過去に書いた小説も、時間が出来ると何度も何度も読みかえしたりしている。こんな事書いてるとか、えっ、何書いてるの私!恥ずかし過ぎるでしょとか自分で書いたものなのに新しい発見があったり。あの人が自分の書いたもの全削除しちゃって驚いたのは、彼は自己愛が足りないからみんなにイケズしたのかなとも思った。

だいたい私誰かを羨ましいと思ったことない。確かに聖子ちゃんくらいはじけてる女性をみると羨ましいし、マナラは稼いでいていいなちょっと頂戴と思うし、美人従妹のあゆちゃんくらい成功しているのをみると、一体彼女らと私の何が違うのなんて思ったりはする。でも妬んだり僻んだりはしない、だってそんな事しても仕方なくない?私は私で十分だわと思う。 
   
あゆちゃんは綺麗なだけじゃなく心根も優しく老若男女ファンが多い。彼女は人に好かれるのが上手、私は苦手でむしろ好かれたら損と思っていたところもあり、何故なら大学だって先生に好かれたばかりにこういう事態になり、一体私が何したのって感じ。でも彼女なら上手く対応しただろうな、そのあたりが私と彼女の違いなのかなとも思う。でも今後いい作品を書いていきたいと思ったらタイマンばかり張っている訳にもいかないし、ファンはひとり残らず大切にする。それがきっといい運を運んでくれるのだと思う。「私を嫌いな人は私も嫌い」から「私を好きな人は私も大好き」って。       

それからブログにこれから何か書き続けるとしたらこども食堂の今後やイベントの話になると思うけれど、そちらは専用ブログもあるし新しい食堂の方はそれぞれの方に全面的にお任せすることになりそうなので私が色々書くのは憚られる。 今年「一年の計は元旦にあり」で、豊洲にあとふたつこども食堂をと書いたけれど、今私の考えていることが実現すれば、三店舗どころかもっとたくさん豊洲に誕生することになる。それどころか他の街でもそうなる可能性もある筈で、でも私ひとりがあくせくという事もない。これも新年度になり行政や企業が落ち着いたら声かけしてみたい。

香山リカさんの講演会の告知もこちらでしたいとも思ったけれど、こども食堂のブログ周知だけで十分だと思う。小さな子どもを抱えたお母さんの多い豊洲、逆に人が集まり過ぎて困りはしないかと心配しているくらい。タイトルは「なぜ今こども食堂なのか」だけど、ママ友ハラスメントやイジメの構造についてもお話してもらうつもりでいる。興味あるしみんな聞きたいでしょう。

それにきちんとした媒体で宣伝広告打つ段取りもあり、ここに書かなくても集客は多分困らない。今は人が「集まるか」より「集まりすぎたらどうするか」という懸念があり、予約制にした方がいいのか先着順でカウントするか悩み中。それに香山リカ先生講演の舞台裏なんて書く訳にはいかないし、終わるのにいタイミングだとここでも思う。

ブログってすごいなと改めて思う。書いておけばその通りになるし、不明瞭なこともクリアになる。色々わかって良かった。

そもそもブログ書き出した理由は小説のための下準備だった。 少子化の時代に子どもやその親でひしめく豊洲という街、キャナリーゼという人種や私が小説を書こうと思った理由などをまずは説明し、その上で小説を読んでもらえばより理解してもらえるだろうと目論んだのが発端だった。でも卒業制作終わって思うのは、これらも小説の中で完結させるべきだったということ。読んで説明的なものが多いとしらけるけれど、わかるようにさり気なく物語を組み立てるべきで、それら大学で学んだ今の私なら出来ると思う。著名で読み継がれるような作品などは評論家が解説するし、作家自身はインタビューがあればそれに答えている、そんな感じで最初から小説だけ書けばよかったとも途中何度かは思った。 それが何故このようなものになったのか。なんでもまずやってみることって大切ということなのかもしれない。

版画は逆で、エッチングを手彩色という技法、どうやったら上手くいくのかずっと頭の中だけで悩んで武蔵美にいったけれど、誰も教えてくれなかった。でも「先生教えて」じゃなく自分で色々やってみれば良かったのだ。これは千住博先生の講演で強く思った。千住先生だって様々に悩み試行錯誤しあの名画が生まれたそうで、そんな風にまずやってみれば良かったのだ。その上でトライアンドエラーを繰り返す、そんなものが大切なんだろう。作家のべルゴットは気付いたところでこと切れたけれど、生きていればなんでも出来る。でもこの版画にまつわる小さな疑問から武蔵美に入学し京都造形に繋がりそして、と思うと人生は様々なもので織り成されるドラマという意味で、なんとも感慨深い。
   
豊洲もそうで、約10年住んでママ達みんなすっかりおばさんになった。若作りして遠目だとなんだけど、近寄って話すとそんなあって感じ。新しいマンションに遊びに行くと若くて綺麗な赤ちゃん連れのお母さんたちばかりで、私たちの時代は終わったなんて感じる。でも新世代キャナリーゼたちもかつての私たちと同じようにママ友やそれらの人間関係で疲弊するはず、だったら教えてあげないと。大切なのはアンパンマンの言う通り愛と勇気よ!ママ友なんて幻を追い求めても後に何も残らない、確かなものは目の前にいる子ども家族ですからね!奥さん、お気を確かに。しっかり目を見開いてこのシリーズを隅から隅まで読んでちょうだい。

そのうち小説が紙の本になり、私はママ友研究家とか、ママハラスメント第一人者とか言われて講演したり桐野夏生さんや林真理子さんと対談したり。 なんて日が早く来るといいなと思うんですけれども。 ノリノリで書いていますけど、予定や何かいい知らせがあったとか全然ないですから。ただの暇な専業主婦の妄想です、よろしくお願いします。 

それでもこれが終わりではなく始まりだと思っている。でもともかくSNSはお休みすることにした。

桐野夏生さんはそもそも何もされていないし、林真理子さんは最近やめられてしまった。SNSはやっぱり余計なエネルギーを消費するし、その分は小説を書く方に注力するべきというのは散々言われていたし自分でももうわかっている、そろそろ本当に移行しないと。私はちょっとだけとか、ほどほどにというのが出来ない。やる時は倒れるまで全力を尽くしてしまう、そちらに注力しないと決めるなら一切ノータッチにするしかない。昨日今日とブログ書いてるけど、なんか取り憑かれたように書いてて我ながらクレイジー、私は何もかもが病的なのだと思う、そう、芸大卒だから。こういのって多分治らない、中毒になりやすい気質なんだろう。なので今度はSNSじゃなく小説書く中毒になればいいのではないだろうか。小説というのは何を書いても許される、あんなことやこんな事、何もかも「フィクション」に変容させれば新しい世界が出来る。

それについてこんな文章を書いた。提出はしたけれど採点も評ももらえないそうでつまらない。書いて出して評価もらえたのは大学だからね、でももう終わってしまった。寂しいのでここに公開してみたい。

講座名:文章講座、物語の始め方・育て方
課題(テーマ):講座の受講を通じて学んだこと、得られたことについて800字程度でまとめる
提出締切日:2017年3月22日水曜日必着

本文:この講座を受講して不思議に思い、そして後に納得したのは、「(小説の)主人公は作者に嘘をつく」ということ。以前とある演劇を鑑賞し、その中でも登場人物が「役者は上手に嘘を演じる、作者は上手く嘘を描く」(この場合の作者が漫画家だったので「書く」ではなく「描く」だったと推測する)というセリフがあり、それならば小説家は「上手く嘘を書く」ことになるだろうと思った。ところが今度はその中の主人公までもが「嘘を言う」という。小説の書き手である作者とは、物語の中でもしそれが三人称なら「神の視線」を持つと大学で学んだ。その神をも欺くともいえる言葉に愕然とした。

だいたい人という生き物は嘘をつく動物である。人間以外の言葉を持たない生物たちは、嘘をつかないしそもそもそういう概念がないと思い当たる。と、いうことは、言葉を持ったばかりにおこる人同士のしがらみ。良くも悪くもと言っていいのかどうか、人と生まれたからには誰しも嘘をついた事があるだろう。言いたくない事があれば黙っていればいいのに、わざわざ嘘をついてまで何かを主張する。これはもう人間の「サガ」なのだと感じる。小説を書く、それだけでもう「嘘をつく」という前提だ。

改めて考えると、優れた小説家は皆上手に嘘をつく。ありもしない世界に架空の人物を置いて、そしてさもたった今みてきたばかりという風に作品の中で嘘を語らせる。最近読んだ『マチネの終わりに』などはプロローグに「それぞれの人物を知っている」などと尤もらしい事まで書いてあり、「ここまで嘘をついていいものかどうか」とすら思った。

答えはイエスだろう。なぜならそれが「小説」だからだ。何もかも「小説」に変貌させた途端、嘘はまことになる。『マチネの終わりに』の序章は、作家が生み出したリアル。事実ではないが嘘でもない。なんという素敵で野蛮なシステムだろう、人間の発明したものの中で、もっとも有意義で気高い赦しなのではないだろうか。

それなら私も大嘘つきになってやろう。いくら嘘をついても書いても咎められない、それが上手くいけばいくほど賞賛されるとは、小説家とは不思議な職業だ。向いているのかそうでないのかわからないが、ともかく当代きっての嘘つきになりたい。

私の書く小説の登場人物たちは嘘が上手だろうか、下手だろうか。彼らが嘘をつくのは仕方ない、でも私は騙されない。いずれにせよそこに出てくる者者たちは、魅力的な人物ばかりだと信じたい。
(完) ※一部加筆修正

というか、なんでも発表したい人なんだと自分で感心する。ねえ、恥ずかしくないの?なんて。同じく2,000文字の短編小説も書いたけど、これはここには書かない。歌人笹先生が、「作品はプールしておいて。急に注目されて「何か作品を」と言われても困らないように」って。なので色々書いたものはもうアップしないことにした。ごめんなさいネ。

さてまた話を戻す。SNSをやめる、それは時代に逆行しているようにも思うかもしれないけれど新しい試みともいえる。上手くいかないかもしれないし、情報が得られなくて損した気持になるかもしれないけれど。

今度そういうのをするとしたらどこかの編集者とかそういう人がついてくれて、仕事としてやりたい。門崎先生が「いい編集者に巡り会って」と言ってくれたやつ、これは本当に実現して欲しい夢。出来ればずっと寒竹先生と門崎先生に面倒みてもらいたい、そうしたらいい作品がいくつもいくつも書けるのに。先生達がそういうのを請け負うサービスやってくれないかなあとすら思う。「もう大丈夫、書けますから」なんて言われたけれど、やっぱりひとりでというのは心もとない。でも自分で考えて様々にチャレンジしてみたい。

作家になりたい、強靭にも、健康で美しく、それからやっぱりお金持ちになりたいし、そこから孫正義さんのように基金を作ってみたい。未来を生きる子ども達が安心して暮らし勉強が出来るように、イジメを撲滅するためとかそういうの。本当に豊洲でも大学でも大変だった。子育てどころじゃなくなるし、勉強だってできなくなった。大人の私がそうだから、多感な子ども達はもっとそうだろう。守ってあげたいと思う。

いじめをしている人が自覚ないなんて大嘘、全部全部わかってやっている。これを読んで身に覚えのある人は今日からやめましょう。自分の子どもがやってると気付いてスルーの人もやめさせましょう。その決心はまわりまわって幸せを運んでくれるし逆もまた然りのはずだから。といってもあの人達こそもう病気だから治らないわ笑、期待していません。

さあ今日は3月31日、大学の学生証も今日までだし大学サイトのアカウントも使えなくなる。大学でかかった費用引き落とし一覧をダウンロードしないといけないのに、パソコンを「リフレッシュ」したらブックマークもcookeyも消えてしまった。この山盛りの書類の中からアカウント情報探さないといけないのか、でも今日しか出来ないのでやっておこう。と、思ったら既に私の情報消えていた、二年度めは一体学費いくらかかったのだろう。単位は全部で65 取れていた、よく頑張りました。

そして今日は終わりの日、でも明日からは始まりの日でもある。恩讐の彼方に見えたのは、やっぱり愛だった。私を愛してくれてありがとう、私も世界に愛をばら撒くわ。でも一番は子ども達に、私が卒業したらホッとしたのか素直に甘えてくるようになった。もっと愛情そそいであげなくては、「愛情足りない!」と言っていたし。でもそうやって素直に言えるなんて偉いなあ、お母さんの育て方が素晴らしいのだわと思った。 
   
という事で、それでは皆さま 永らくのご愛顧ありがとうございました。次は芥川賞授賞式の中継でお目にかかりましょう。

キャナリーゼの森生ゆり子は永遠に不滅でーす\(^o^)/



豊洲は今日もいいお天気。

(完)

追記: N先生、おめでとうございます。私も負けませんよ。


最近、特に大学の卒業式後にブログのアクセスが多くなった。一体誰が何のためにアクセスしているのか。多分「京都造形芸術大学」とか「卒業式」というキーワードで検索し、このブログがヒットしていると思われ。

で、アクセス数100くらいまでは実感できる。なぜならBUDDYスポーツ幼児園が、だいたい一学年100家族だった。何かあるとしょっちゅう学年単位で集まっていたので、「100名」というと「あんな感じかあ」とわかるけど、それ以上は全然わからない。でも今はUU400くらいで、全学年かあ、なんて。多分お金と一緒で、10万円まではなんとか把握できるけれど、それ以上はただの数字という今の感覚と同じかもしれない。でもこれもみんなそうですよね。お金というより数字、データ、それを運用して上手くいくとゼロが増えたり減ったり、マネーゲームとはよく言ったものだと思う。

私はそういうのもうやらないことにしているのは、独身時代実際にトレードしてみて私には一ミリも向いていないとわかったから。今回たまたま出てきた外貨預金、あれはずっと忘れていたから上手くいったと思う。そしてお金が必要になった時にたまたまレートも良く、さっと解約することが出来た。これも多分何かの運。もし今みたいに1ドル111円だったらまた迷ったかもしれない。

京都造形入学しようと思った時は90円くらいで買ったドルが120円になっていた。今思うとこれも何か運命を感じる。これが日本円化できなかったら入学を諦めていただろう。今までで一番利鞘があった事例だし、こんないいタイミングのものはなかった。特に株なんて本当にダメダメで、高いと買いたくなり安くなるともう嫌だと売ってしまう、ダメじゃん!どれだけ勉強代を払ったか、もう一度通信大学には軽く行けただろうなと思う。 

もしも私が急に富豪になり、どこかにお金を預けないといけなくなったら多分ここに預ける。もう二度と自分で運用などしない。ここの美味しい料亭のお弁当付きセミナーに行ってみて、これはほとんど冷やかしなんだけれど「本物」だと思った。プレゼンテーションも素晴らしく、一緒に行った友達とこんなところに資産を預けられる人になろうと誓い合ったくらい。   
   
マーケットの話はそのくらいにして、最近本当に家計が困窮してきて、喧嘩するのはいつもお金のこと、お金がないので一家離散も出来ないという事になっている。でもこれはこれでいいのかもしれないとも思う。ないならないなりになんとかする私、お金はあればあるに越したことはないけれど幸せの全てではない。こういうのって子ども達に説明するのってすごく難しい、そう言えばじゃあお金は大切じゃないのかと言われればそうじゃない、やっぱり大事とか、面倒だけれどコツコツ話さないといけない大切なこと。節約節約といいつつ、大学も卒業したし京都いったりランチもお茶もする、一方でUHNCRを支援したり去年からかものはしプロジェクトにも寄付しだしたとか、そういったところにも運を投資したりするとか、そういうバランスはみて覚えて欲しいように思う。。新年度からはライターの収入の一部をまだどこかに寄付したいと考えていて、何か享受していると思ったらどこかに提供する。そういうものが今の私の経済学みたいな感じ、数字なんだけど右脳的な感覚や判断は大切にしたい。
   
そういう話はともかく、「卒業式、分科会」の話題。

貴船口から叡山電鉄で30分くらいで「茶山駅」に到着。ここでも貴船と大学が近すぎるから、小説の設定をなんとかしないとなどと考え駅から歩く。この時点で14時20分くらいだったので、大学までバスかタクシーに乗りたかったのにバス停も空車も見当たらない。仕方ないので徒歩で大学に向かう。袴姿の大学生と何人もすれ違う。もしかして通学生の卒業式の後、通信生卒業式なのかなと思ったらその通りだった。  


※通学生卒業式

※通信生卒業式

今更だけど、生徒数の割合はこんな感じ。大学サイトにデータがあった。

通信生が通学生の倍‼︎ そうなんだ、まさに通信大学!大学院も通信生の方が多い。先生や事務局合わせると1万人近いのでは。こんなによく人が集まるものだと感心する。「日本で最も大きな芸術大学」だそうで、そんな大学の卒業式、分科会その他色々、せっかくなので赤裸々に書いてみたい。

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やっと到着、京都造形芸術大学正門正面。というか門はなく階段上ればいきなり校舎な感じ。真正面に卒業式の看板があり、そこで何人もの人が写真を撮っていた。と、いうことは通信生の卒業式も始まっているだろう、貴船でちょっとゆっくりし過ぎたと思ったが、それでも貴船なんてもう来られないかもしれないと思えば致し方なし。急いで会場の「春秋座」に向かった。

もう場所もわかっているので真っ直ぐ会場へ。何人かの多分事務局の方が立っていて誘導されたものの、もう最初のスピーチが始まっているのでそれが終わるまで待つように言われる。待機したものの待てども待てども終わらない。周り込んで反対側の扉からそっとのぞくと先生達の席の後ろの扉だったようでぎょっとしてまたそっと扉を閉じた。一瞬だけれど「偉そう先生」の横顔が見えた。よしっ!終わったら声をかけて話をしようと思った。そのまままた待機してと言われたところに戻ると間もなく扉が開いて会場内に入った。


Facebook から画像拝借。両端のボックス席には先生たちがズラリ。

コース毎に場所が決まっているようで、私は当然文芸コースのエリアへ。皆ぎゅっと固まっていて写真など撮っている、うわっと思ったものの何故か空いていた一番前の通路側に座るとすぐに式が進行しだし、それでも誰がいるのか気になり後ろを振り向いてジロジロ(やめなさいよもー)みると、一瞬モアイと目が合ったがすぐに逸らされる。えっ?昨日懇親会来なかったよね?でも卒業制作発表は来たよね?なんで?二日日帰り?と思ったものの、多分聞いても答えてくれないだろうなあなんて思いながら壇上をみると、学長理事長がこちらをみているような。せっかくなのでとオペラグラスで覗いてみると、やっぱり見られていた。でも怒っているのとも違う、笑顔でもない、なんだか不思議な表情。一体なんだろうと思ったけれど後に納得。もう怒りを通り越して脱力していたということなのではないか。



その後学長のスピーチ、「青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ(サミュエル・ウルマン)」などなど。以前お会いした時と比べてなんだかオーラが消えているような気がした。

学長と私はこれが初対面ではない。大学生活が順調な頃、「こども芸術の村」のイベントが外苑キャンパスであるというので出かけてみた。丁度その少し前、豊洲小学校で成人教養委員会の展覧会に作品を出し、それを見た方が「絵画教室やってくれませんか」などと言い、その時は「絵って教えない方がいいんです」なんて言ったけれど、確かにそういう「機会」としての教室はあれば自分も子どもを通わせたいなんて思い、なにか参考になるかと馳せ参じてみた。

何か資料がないか探してみたが見当たらないのでコピペできないけれど、京都造形芸術大学と連携している東北の大学の双方の学長の対談や、実際に「こども芸術の村」で作る焼き菓子の試食などあり楽しい内容だった。この焼き菓子、ガレットデロワという名前で、中に小さな陶器の人形を入れておいて、カットして食べて、食べて中に人形が当たった人は幸せになるというもの。試食といえども大き目のホールケーキが6か8等分くらいにカットされ、食べ応えも十分だった。食べているとあちらこちらから当たったとか人形が出てきたなどと声が上がり、ほどなく自分の食べていたものからも人形が出てきた。 

私は嬉しくなりブログに書こうとスマホで写真を撮った。すると左手で持っていた紙皿がふわーと傾き、床に落としてしまった。お行儀悪いことするからだわと反省しつつ、飛んできた事務局の方と一緒に片付けた。「まだたくさんあるからもうひとつどうぞ」と言って下さり、今度はちゃんと食べなくてはとお菓子を食べているとまた人形が出てきた。「あれ、またあった」というと周りにどれどれという感じで人が集まりだし、すごいとかラッキーですねと言われているところに学長が来て、「これはすごい、ラッキーがふたつも」と喜んでいた。

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これがパイの中に入っていた。ふたつも(^^)なんか捨てられなくてずっととってある。もう宝物かも。

私もこんな事があるなんて、これからどんないい事があるんだろうと思っていたが、ブログにはこの件は書かなかった。この時このイベントに関わっている方々と話をして、「こども芸術大学」を豊洲でもと言ったら、誰かがあなたがやればいいじゃないと言いだし、そういう方向で話をしたらいい感じになりそうな雰囲気、学長にも対談後の質問コーナーで話したら、他にも私も違う地方でやりたいなんて方もいらして「協力できることはなんでもしますよ」なんて言っていただけて本気でやろうかなあと思った。

自分一人で絵画教室をやるより京都造形芸術大学に繋がる「こども芸術大学」とコラボすれば、京都造形芸術大学も関東でもっと認知されるようになり、豊洲のママ達から入学希望者が出るかも、私は月一くらいでイベントを開催し、お絵かきや識者の講演、そうだ香山リカさんもこのカテゴリで講演会、なーんて考えていた。結構あちらこちらにも声をかけていたし、ずっとは無理だけど登壇くらいなら協力できるなんて有名な方も。でもなんだかんだだんだん風向きが怪しくなってきて、大学で助成金申請をしたが得られなかったところですっぱり諦めた。

その後はまた卒制や文学フリマなど忙しくなり過ぎてわけわかめになったことを考えると、助成金通らなくて良かったと思った。申請が通らなかった理由は「永続的なものは対象外、でもいい試みだと思うので頑張って」みたいな感じだった。大学から締切終わっても申請書を出して出してと言われて出したのにNGで一体なんだったのかとも思った。でもそこから紆余曲折を経て「こども食堂」に繋がったのだ。

そんな訳でもしかしたら、豊洲で「こども芸術大学」というのは上手くいかないと予感していたような、学長レベルが協力すると言ってくれているのに何故?と今考えても不思議だけれど、ブログに「こんな事がありましたーこれこれこういうのをやります」と書けなかったのは、やはり第六感的なもののような気がする。その時の学長は大きく輝いてみえて、その時はまた学長の真ん前という席で近かったせいか濃いオーラを感じた。卒業式ではそれが薄くなっているように感じたのはもしかして私のせいかなあ。でも学長は大学関係者にとっては神なのだから、これからももっと輝いて頑張って欲しいと思う。

学長が私の出した手紙を読んだのか本当に読んでないのかはもうわからないままだけれど、今更そんな事はもうどうでもいいと思う。でも卒業式の時はまだこだわっていて、「偉そう先生」にこの件も是非聞かなければなんて思っていた。もちろん問い合わせも何度かしたが、事務局の時点で受け取っていないという、もし内容証明としての記録などあれば郵便局に問い合わせてくださいという回答。そこで思い出したけれど、こうなる予感がして郵便局で出した証拠が残る方法で出して下さいとお願いし、窓口でその分余分に料金を出した覚えがある。

でもそれがなんだったのかいつだったのか、書簡には日時を記したのでそのすぐ後ではあると思うが、わざわざ郵便局までいって延々と順番を待ち手続きをとり、それがわかったところでどうなるのかとも思ったし、その頃は同様の問い合わせを事務局宛にしていたこともあり確認しなかった。控えも探したけれど出てこなかった。だいたいもう部屋の中は、武蔵美、京都造形の教科書関連冊子シラバス本や雑誌様々な資料や書類でごった返しており、何か探すのも一苦労。授業で配布された資料も全部あるので多分その中のどこかからそのうち出てくると思う。でもその時見つかってももう何も役に立たないだろう。「ここにあったのか」と思ってそれが挟んであった資料を眺め、この授業ではこんな事があった先生はこんな風に話していたなどと懐かしく思い出すだけだろうから。

卒業式は粛々と進んだ。学長挨拶から副学長、来賓の挨拶の後は太鼓の演奏と校歌斉唱。でも通信生でこの歌を知って居る人は多分だれもおらず、皆さん苦心して歌っている振りをしていた。私は大人気ない人なので歌うもんかとずっと腕組みをして周りを眺めていた。今度から先生達だけが歌って私たちに校歌をプレゼントするか、いっそなくてもいいと思う。そういうもんじゃないと言われるかもしれないけれど、どう考えても茶番だ。

そんなこんなで通路側、遅れてきたので目立ったのか私とわかったのか、というかSNSに写真があるから理事長も私とすぐわかったのだろう。理事長は思ったより若くなかった。私と同じで顔がつるっとしているからなめられると書いたけれど、普通に「理事長」という感じだった。なんだかお疲れのように感じた。

各コースごとに順番に退場をお願いしますということで、前の方からだったかランダムだったか順番にアナウンスがあり会場を後にした。コース毎に区切られているが、多分席は卒業生全員分あるのだろう、私の前は芸術学コースか歴史遺産だったか半分以上の席が空いていた、もちろん文芸コースはじめどこもそうだった。そういえば懇親会や卒業制作発表会は出欠のアンケートがあったが、卒業式はなかった。というこは、卒業式は全員出席するという前提で準備がなされるもののよう。分科会での卒業証書授与でもいる人もいない人も全員の名前が呼ばれた。

出席する人としない人の違いはなんだろう。私みたいな怖いもの見たさというレアケースはともかく、やっぱり「行きたくない」という人もいるだろうなと思った。文芸コースはボスママとその周りはともかく、ひとりで参加する学生も多く、今思えば全員に無視されるというようなことはなかった。あの辺り以外の方とは普通に話して一緒に帰ったり。嫌な人が数人なら無視すればいいだけだが、これこそが私がずっと言い続けている「ぎゅっと固まってそこにいるたったひとりを居心地悪くさせる」というもの、「そうさせたい」という人がひとりでもいるとターゲットは周りが全員敵のように感じてあっという間に居心地が悪くなる。

で、そういうのを一度でもした人というのはまたどこかでやるだろう。だんだん上手くなってなにかあっても「そんなつもりなかった」と言えるように周到するだろうし何かあればさっと大きな樹の後ろに隠れる。今思えばおおえかもかつてはどこかで被害者の経験があるかもしれない。人はイジメられなければその存在は知らないはずで、私の話も「ドラマか小説みたい」という人は絵空事と思うのかなあとか、そんな事を何度も何度もされると人はどこか誰かに同じことをしようと思うだろうだろうとまた思った。いい事を分かち合いましょうという「ペイフォワード」と一緒でイジメの連鎖もこうやって始まるのでは。そう考えるとイジメの元祖は京都にあるのかもしれない。京都の水で洗うと人は全員イケズになるという私の考えは全く違うともいえないのかも。

京都の大学、企業、組織、コミュニティ、それらに属してイケズの洗礼を受け、そういう人達が全国に散らばり日本にイジメ文化が根付いてしまったと。もっと昔、京都から東京に遷都したころにもその文化は一緒に移ってしまったと。そうじゃないと反論があるもしれないけれど、どうもそういうイメージが京都についてしまい、帰ってきたばかりはまた行きたいと思ったけれど今はやっぱりもう行きたくないような。独身時代楽しかったのは何もしらない無垢な気持ちで訪れたから楽しかったのだろう。 

だいたい長居する人に「ぶぶ漬けいかが」なんて文化、京都の外では笑い話しだろうけど、やられた人は嫌だろうし忘れられないと思う。まあ、そろそろ帰ってというの私も娘が赤ちゃん時代ママ友たちに言えなくてその後様々にトラブルにはなったが、距離詰められ過ぎて嫌になったりした事もあり、もう仲違いするくらいで良かったなんて思うこともあったので便利な文化といえばそうなのかなあ。そう思うとあのボスママや不愉快な仲間たちが京都近辺出身大学は京都という事を考えると改めてなんだか何もかもが腑に落ちる。多分物心ついた頃からそういう風に生きてきたのではないだろうか。で、私のような「みんなで仲良く」みたいな空気を醸し出す人かウザいと感じたと、西に誰かが仲良外れになったといえば行って怖がらなくてもいいと言い、東にもう引っ越したいという誰かがいればお金もったいないと諭し、ボスママたちに楯突いたまま豊洲に住み続ける。もしかして私ってネ申?なんて。

ちょっと残念なような、それでも何も知らないよりはわかって良かった。何より子ども達に伝えられる。京都は東京で育った人は水が合わないよって。名古屋人が名古屋を出たがらないように、京都人は京都で固まっていて欲しい。こう考えると京都のカラーに染まらない東京の先生達は貴重だった。N先生はどうだろう、長年この大学にいて色々思うところはあっただろう、でもあの先生はいつも真っ直ぐで陰でなんかするとか意地悪な事はなかった。ただおおえかに強く出られなくなってからは色々あったしそれを止めようと私が弄りだしてからは特になんやかやあった。そもそもおおえかN先生をナメていたし操られている先生が本当にお気の毒でしかも私のせいというのがみていられなかった。そういう意図がわかってもらえなかったのはやっぱり直接話が出来なかったというのが問題の一番の原因だったように思う。

3月29日の日経新聞の夕刊『あすへの話題』で東京大学教授、西成活裕さんが「誤解とはなにか」というものを書いていらして、「誤解はコミュニケーションにおける渋滞」だそうで、「込み入った内容を伝える場合ではなるべく直接会った方がよい」それから、「誤解によって人々の考えに自然に多様性が生まれる」とも書いてあり、なるほど頭のいい人はこうして理路整然と物事を考えられるのだと思った。私も常々これはそうだと考えていて、なので何か打ち合わせとか詳細を伝えたり話したりしなくてはならない時は、絶対メールでは済まさない。特にSNSは便利ではあるが、文字数少ない方がシンプルでクールという風潮の中で、言葉を省略する必要が出てくる。そうなるとあっというまに双方違うものを所有することになる。もちろん会わずに済ませた方がいい場合もあるので全部否定するわけではないが、ルーティン以外は、電話、時間が許せば直接お会いして話すようにしている。そうでないとやっぱり「伝わらない」

そういう訳でN先生とは「穏やかな面談」がとうとう叶わず、直接話したのが暮の懇親会が最後ということになってしまった。もう面談どころかお目にかかる機会は二度とないだろう。何故なら先生は大学を辞めてしまった。原因はもちろん私だろう。事務局や委員会の対応がまずかったと責任転嫁はしない。私が先生を追い詰め、大学の対応のまずさも利用したところがある。かなり下手打っていたし、私がそう仕向けたところもある。それでも思うように事が進まないので学長に手紙を出し、理事長にはメールをした。

先生が退職したのはご自身の希望もあったと思うが大学も引き留める術がなかったのだろう。自分の希望通りになったとはいえ、思うところも勿論ある。こうして書いていても後悔が募るし、それでも色々自身の苦悩を思い返すとこれで良かったとも思う。今は全然気持ちが定まらないのでこのままコロコロ変わる気持ちも書いてみたい。

結局何も弁明せず私の前から消えた先生、絶対色々と誤解したままだと思う。でも何もかもわかった上での答えなのだろうとも思う。多分先生はもう私を恨んでも恨み切れない、顔も見たくないほど大嫌いだと思う。私もそう、でも今となって思うのは、先生が私を嫌いでも私は先生が好きなのかもしれない。でも反面やはり許せない気持ちもいまだある。どうなの?どっちなの?

人間には様々な要素がある、例えば私はこういうあまり世間には受け入れられないタイプのブログを書いているが、社会問題にアプローチして世の中をよりよくしたいという心根もある。子どもを叱って邪見にしたりするが、誰よりも幸せを願っている。こうした鏡に映したような別の顔は誰もが持っていると思う。そのどちらをみるかは人の勝手だし、それが全てその人の評価にはならない。

N先生も斬ると決めてからは先生の落ち度を追及し続けたが、それすら別の視点で見れば美点でもある。私を叱り過ぎたのだって先生が素直で暖かな人間味に溢れている証拠で激情は一途さの表れ、それをどちら側に視点をあててどう表現するかで全く違う印象になってしまう。特に私はそれらを学ぶために大学に入ったし、文芸コースで言葉について学び文も章も組み立てられるようになった。特にN先生からの並々ならぬ教えにより様々なものを吸収できたが、その成果がN先生を苦しめた皮肉。私の卒業制作はもしかしてこの愛憎物語シリーズかもしれないと思う。書くことで人々を動かし自分の思い通りの結末になった。でも正直ちっとも嬉しくない、でもこうならないことには私は納得できなかっただろう。

先生が大学をやめるというのは、分科会で知った。分科会というのは、卒業式の後各コースに分かれて何処かの教室に集まり、先生たちの話をきいて卒業証書をコース責任者の先生から各人に渡される会、という感じのもの。しかし文芸コースの責任者の先生はおらず、司会の寒竹先生から「N先生はどうしても来られなくて」と説明があり違和感を覚えた。そんな安易な説明あるの?って。普通何々でとか理由があるのでは?と。

その後クルーソー先生から卒業おめでとうございますなどとお話しがあり、「N先生からみなさんにお祝いの言葉を受け取っています」と手紙を読みだした。「卒業おめでとうございます、そこには行けませんが強い思いでお祝いを言います、それから学問の根は苦いが実は甘い、何も収穫するものがないと思っている人がいるかもしれないけれどそれは違う」とかなんとか。そういう話が続いた最後に、「僕は今年度をもってこの大学を後にします」とあった。えっ、ちょっと待って、今のところもう一度!と思ったが話はそのまま終わった。それについて詳しい説明もないし、周りから動揺した空気も感じられなく、それがますます違和感を強めた。 ええー!とか、先生なぜですか?とかあっても良さそうなのに。私はもちろん驚いたが何か聞ける立場にないと判断し黙っていた。

その後はクルーソー先生、他の来賓の先生達からのお話があり、各自に卒業証書が授与され分科会は終わった。私は「何もかもが終わった」と感じた。

その後、集合写真を撮る雰囲気も指示もなく、各自バラバラで写真をとっていた。私は数人の方と卒業証書授与のシーンをとりあっこしたのと、寒竹先生クルーソー先生とそれぞれツーショットを撮っただけ。

ボスママが相変わらず私以外の人達とワイワイと集合写真を撮っていて、彼女はカメラを始めたので本格的なもので撮っている。そこに自分が入り込める訳もなく、「もうこの辺全員敵でいいわ」と思った。最後の最後までこんな有様、というかこれも多分自分の思い通りなのかもしれないと感じる。 

卒業証書授与、クルーソー先生かっこよかった。

最初はたったひとりの嫌がらせだった。そのせいで自分が大切に思っていた人とも対立することになり、ますます許せないと敵対しだしたところから周りが巻き込まれた。原因を作ったおおもとの敵はどこかに隠れて出て来なくなり、何かする時は力のありそうな人を盾にしたので私はその人達とも敵対するこになった。次々と戦っているうちにラスボスが登場しそしてゲームオーバーというかこの場合クリアということになるのか。 豊洲も同じだったから大学では対応できたのかも。なんでも経験しておくものだと思う。

そんな大学や先生たちと敵対している私が学友達と和気藹々と卒業式を迎えるというのは絶対無理だしもし出来るとしたら悪魔、私は心を持った人間なので大学のコミュニティをひとりで抜けなければならなかったのだと思う。様々に集い語らった友愛の学び場、もしも私がこんな風に敵対せずおおえかの事もじっと我慢して何も訴えず、学友達との酒のさかなのままにしておけば違う世界があっただろう。でも何度も言うけれどN先生を利用したことは絶対許せないと思った。そのうちN先生とも敵対することになり先生にも嫌われてしまった。安易な言葉で片付けたくはないが、これも運命だろう。運命には逆らえないという言葉があるが、その通りだとまた思った。

そうして私は大学を後にした。分科会で、懇親会の後はみんなでお茶しにいったと聞いて、今日ももしかしたらそういうのがあるのかもしれないが、当然参加する気はなかった。もしあったとしたら、N先生がいなくなる話と私の話でもちきりだっただろう。「あいつ、やり過ぎなんだよ、ふざけんな」とボスママがいきり立ち、周りもそうだそうだと賛同する。私はそうあって欲しいと思った。みんなで私を非難してよ、あの人のせいでN先生いなくなるなんて冗談じゃないって、もうあの人の顔もみたくないって怒ってよと。でないとN先生浮かばれないし、今後もまだ大学となんらかの形で正しく関わり続けるだろうあの人達、私を吊し上げるための儀式をする必要がある。なので私は行かなかったし行けなかった。

さて、ぼっちはぼっちらしくひとりで帰ろうと思うと、学友のひとりが自分も急ぐのでこのまま帰るという。なんとなく一緒に歩くといつもは誰とも話をしたことがないのに、今日だけはなんやかや話しかけてくれるFくんもいて、三人で大学の校舎を出る。急いで帰る学友とは卒業制作の話をもっともっとしたかったので焦って卒業制作の感想などを話しあった。メールか電話番号を交換しようかとも思ったけれど、ここではこのまま別れた方がいいような気がしたので何もしなかった。論文研究Ⅰ、Ⅱでたくさん話し、様々な共感があった。多分こんな風な話が出来たのは彼女だけだろう、彼女もそう思ってくれているに違いない。くっついてべたべたするよりいい思い出のまま、時々折に触れてそれぞれ感じる想いなど取り出して眺めればいいなんて思った。色々ありがとう、あなたと学べて楽しかった。そんな事を言ったら笑顔になり、私もありがとうと言ってくれてそのまま別れた。N先生の話を振ると、衝撃がまだ消えないと言っていて、彼女は私と同じく今日初めて知ったのだとわかった。

でも今これを書いていて、他はどうだろうと。ちょっと思い当たることがある。ボスママとモアイ、それからこの二人と仲のいいぶっちゃけキャラの人、ちょっと尋常ではないわというほど私を完スルーしていた。あるとは予想したが半端ない態度に少々戸惑った。多分N先生がやめること知っていたんだと思う。そしておおえかも。

私が大学とも敵対しだしてからはちょっと分かつ空気はあったし、何よりおおえかとN先生が主担任副担任なので、その二人を非難し続けた私とは相いれないということもわかっていた。あやふやなものが嫌いな私はこれらの学友が向こうにつきやすいようにスッパリ断絶したところもある。この二人はいつも私を励ましてくれて、親切で楽しい学友代表のような人達だった。そういう人達と縁が無くなるということは、勿論とても辛くて悲しいことでもある。でもこうしないと躊躇が生まれて何もかもが上手くいかないと思ってそうした。桐野夏生さんも「躊躇が一番よくない」と言ってみえて、この場合に当て嵌めるのは相応しくないとも思うし桐野さん困ると思うけれどやる時はやる、あちらこちらに気を使っていたら討てないと思っていた。なので学友達とも仲違いしたのも私の希望通りかもしれない。というか、そうだ。私の書いた「ストーリーとシナリオ」はその通りになったということだろう。 何もかもが私の思い描いた通りになった。

最後にFくんとバス停に行く。私はここからホテルに戻って最後の目的地「祇園から清水寺」散策にでかけるつもりだった。Fくんは京都駅に行き、そこからまた別の駅からフェリーに乗るという。私はびっくりした。「だったらこのバス停じゃなくてあっちだよ。このバスだとすごく大回りになるし、間に合わないよ」と、早く早くとせかした。でもこのバスで行こうか向こうで行こうか迷っている風で、もしかしていつも私が所在無さげにひとりでいるので、寄り添ってくれているのかなあとか、発表会で隣に来てくれて前の私だったらわからなかったそういう優しみ、ひとりでいたからわかったのだと思った。

もしあの賑やかしい人達とずっと一緒にいたら、それはそれで楽しかったと思うけれど、ひとりで来ていた人達とも話をしなかったと思うし、何もわからないままだったと思う。やっぱりひとりでいるって時には大切。Fくんに「ね、大学で友達できた?」と聞いたらえーみたいな顔をしたので、「私、ひとりも友達できなかった!」というとにこっと笑った。受けたかなあと私もあははははと笑った。なんかスッキリした。笑うって大事!最近辻先生はSNSで、塞いだ感じのTweet が多い。もしかして「笑い」が足りないのではなんて思った。私が自由の身なら掻き回しにいってあげるのに。変な顔したり後ろからおどかしたり。ってまた違う話しになっちゃう!妄想は小説だけにしよう。

でもずっとぼっちでいいなんて、そんなことは思っていないし、私はこの二日間、ひとりでいたのはひとりで行動している時だけだった。大学や懇親会では誰かしか周りにいたし、話し話され共同体の中にちゃんといた。でも「ひとり」をひしひしと感じてしまったのは、自分を排除したいという空気だけを見つめてしまったからだろう。そういうものを感じない無視する強さは私にはまだないんだと思う。もっともっと強くなりたいなあ、また桐野さんが言った「強靭になってください」という言葉が思い出された。

それにどうしたらなれるのか近づけるのか全然わからない。でも多分だけどもっと自分に素直になることではないかと思う。人に対しても出来事にしても、もっとおおらかな気持ちでいられるようになれば、たいがいのことは静かに過ぎて行くだろう。私は気が強いわりに小さいし、細かいところが気になるし思いこみも激しいし拘りが強い。多分すごく付き合いにくい人、そういう顔を隠しているつもりはないけれど、あちらこちらでパーンという対応をされる。甘い顔をしているので甘くみられるのだ。前はそれが嫌で仕方なかったけれど、今はそうでもない。そういう風に見られるのも私の利点のような気がする。もうこれでいいかあ。

Fくんはせかしたせいか、ちゃんと京都駅行のバスに乗ってくれた。迷っていたのはきっと別れを惜しんでくれたのだろう。ちょっと苦手だったのに、卒業発表会からガラッと印象が変わった。外苑キャンパスで会うので東京の人だと思っていたけれど違った。大変だっただろうなあ、よく卒業できたと感心してしまった。彼も卒業が寂しいだろうな、でなければ遠路はるばる卒業式には来ないだろう。

京都造形芸術大学通信は、本年度は歴代最多の卒業生だったそうで、喜ばしいことだと学長がスピーチしていた。今年の卒業生の人数はメモしていないけれど、学士(卒業生)の総計は6,297名だと言っていた。これも卒業式の動画がアップされているので調べようと思えば調べられるけれど、もう今はそんな気持ちなくなっている。

話を戻してN先生はいつ大学を後にする決心をしたのか。1月末の最終面談で卒業式に行くつもりがないと話していると聞いた。でもその時点では「卒業式に行かない」だけでやめるつもりはなかったのではないか、それを外苑事務局の私に対する温度で推測するなら、フライングカフェ以降、3月の藝術学舎までの間だと思う。フライングカフェでは普通だったが、藝術学舎の時は包み隠す事のできない怒りを感じた。それはN先生のことがあったのではないだろうか。

N先生は誰にも好かれて人気がある、時々熱狂的に好きすぎる人がいて軽く引いたりしていたくらい。なのであの外苑事務局のあの人は、私に怒りをあらわにしたんだろう。色々あったがそんな事は今までなかった。フライングカフェ以前、私は人間関係委員の先生達と様々に話した。N先生はそれらの方々からのいちいちの問い合わせに疲弊し、それからカフェのメンバーから外されたり直球の詰問など積み重なり「もういい」と思われたのではないだろうか。もしそれ以前に決まっていたならカフェ前の面談は実現しなかっただろう。

もちろんこれも私の勝手な想像で、そうかもしれないし違うかもしれない。でも当たらずも遠からずなのではないだろうか。だって来年度の文芸コースシラバスにN先生の名前まだあるから。急に決まったんだなと、決めてしまわれたんだなと思った。おおえかはどうだろう、正式な発表がないのでわからないが、ボスママモアイの態度からしておおえかも出されただろう。でなければN先生「だけ」いなくなるというわたし的に最低最悪の結末ということになるが、それはないだろう。

ボスママとモアイは京都に来る前に知っていたんだと思う。で、親しい周りの人達に周知し、知っているひとは私を完全無視し、知らなかった学友達は普段通り。知ったのは3月11日だと思う。この日おおえかが脚本を書いた演劇が上演された。


上記の感想はかなり以前の作品だけれど、「ちぐはぐ」という感想がつくのは当然かと思った。で、ボスママモアイは自分達の主担任の先生の作品、見に行かない訳がない。私は観にいくつもりだったが、気が付いたら日にちが過ぎていた。彼らはここで会い、話し、大学を去ることをきいた。もちろん連絡先を交換しただろう。大学の先生と生徒が、特に通信生は個人的な付き合いは憚られる、だがもうそこに属さないというのなら何も問題がない。そこで二人はますます私をはっきり拒絶するしかなかった。ここまできたらどちらにもいい顔をして付き合うなんて出来ないだろう。何より私がそれを拒否した。

人の心はなんと単純で愚かで深いんだろう。N先生のことを考えるとこんな呑気な事を言っている場合ではないが、つくづく思ってしまった。もしかしたらこの学友達のことは、もともと好きではなかったのかもしれない。今にして思うのかもしれないが、それよりはいつもひとりでいた朋輩Wさん、論文研究で先生にきっちり意見したOさん、こういう「いつもひとりで行動していた人」にシンパシーを感じていたと思う。この二人は美しかったし自分のスタイルと信念をきっちり持っていた。その他、通信教育のスクーリングでは「ひとり」の人が大勢いて、全然寂しくなかった。孤独を感じてしまうのは、ぎゅっと固まる群れに目がいくからだろう。そうはいっても共同体は必要で、そこに静かに揉め事なく平和に存在しなければ人として幸せにはなれないとも思う。

人が生きていくために必要なものは現代社会としてはまずお金、でもそれだけでは豊かな幸せにはならないというのは全ての人が知るところで、人間が人間らしく生きるために必要なものは、共に生きる人。共同体の中でやっと人は人らしく生きることができるのだと思う。こうしたささやかだけれど大切な、「人はひとりでは生きていけない」ということを、この大学で縁を受けたことでよく理解できた。人や組織との縁、繋がり、そうしたものを断ち切ることなく続けていくこは、新しく繋がるより難しいことでもある。ただし、自分が違うと思ったら飛び出してもいい。私はこの大学にずっと違和感があった。もう嫌だ、出たいと強く思った。何もかも望み通りの結末、嬉しいかと聞かれればそうではないし、後悔しているかというと全く違う。もっともっと先になって、違う感情が出てくるかもしれない。

ホテルに戻って地下のアーケード街でお土産を買った。駅ナカやその周辺は多分どこも混んでいるだろう、ホテルの中のお土産屋は過不足なく欲しいものがあった。普段不義理している方やあの方この方子ども達にと色々買い込む。買った後はコンジェルジュに与謝野晶子ごっこの相談。少々困惑されていたが、多分景観的にこのあたりではということで、清水坂をあがる途中なのではということでタクシーで移動。

途中、五条大橋を通ったので「牛若丸と弁慶が出会った橋なんでしょう」と言うと、ここではないもう少し先の小さな橋がそうだという。そうなの?ずっと五条大橋がそうだと思っていた。だって歌にもあるじゃないですか、京の五条の橋の上って。でも確かに五条大橋とはいってない。その橋の近くに停車してもらって、せっかくなのでと渡って戻ってきた。車が一方通行しかできない割と小さな橋、灯りも少なく人も歩いていなくて寂しい感じ。
でもタクシーの人がいうならここで間違いないだろう。弁慶もここで義経に出会ったばかりに、数奇な運命をたどることになった。それでも弁慶は幸せだったに違いない、それまで多分ずっとひとりでいて刀狩などしていたのだから。

たったひとりの人と出会うことで、運命が変わってしまうことがある。私とN先生はどうだろう、良かったのか悪かったのか、今は悪くてもいつか良かったと思うかもしれない。今は私もどっちなのかわからない。偶然は必然なのか、何故こんな事になったのか。渦中は苦しくて辛くてN先生だけじゃなく大学側の人達は全員敵だと思い恨んで憎んで嫌いまくった。でも、もう私も含め誰もいなくなる。

あっけないくらいの衝撃の結末。

クルーソー先生があの手紙を読み上げた時、私は京都の街の摩訶不思議さが怖くなった。安井金毘羅宮で「悪縁を断ち切りたい」と願掛けをした。N先生がどうこうなんて思ってもいなかった。でもこうして考えると、N先生は私にとって心を掴んで離さない悪い人だったのかもしれない。様々に揺すぶられ傷つけられ、こんな風なので色々が疎かになり上手くまわらなかった。逆にだからこそ頑張れたものもある。でもいなくなったというだけで私の気持ちは穏やかになった。安井金毘羅宮に行った話をしたら、お参りした途端自分が悩みから吹っ飛んだという方がいて、ぞーっとしてしまった。安井金毘羅宮恐るべし。 

それから、平安神宮で二回おみくじを引いたと書いたが、最初にひいたのは「末吉」だった。そこに「待ち人来たらず、便りあり」と書いてあり、何も心当りがないのになぜか気持ちが沈んでしまった。なんだろうと思っておみくじを引きなおしたら大吉で気分盛り返せたが、それでもなんだろうなんだろうと引き摺ってしまった。これは多分N先生のことだったのだろう。私は心のどこかで先生を待っていたのかもしれない。いきなり分科会に現れ、「おめでとう」と卒業証書を手渡され、その後「色々と大変な思いをさせてしまい申し訳ありませんでした。卒業してもまた大学に遊びに来てください」なんて。そして「便りあり」便りも確かにあった。

なんだかこじつけの言葉遊びにとられるかもしれないけれど、これら京都に存在し続ける何ものかたちの仕業のように感じた。どこにいってもそういう気配は感じられ、私は励まされ叱咤されながら京都を巡った。私が全く否定しないむしろ敬意を払う人間ということで色々なお目溢しがあったように思う。

それに私、本当に京都来る気も卒業式に出席するつもりも全然なかった。でも日にちが迫ってくるにつれ「ナニカアル」って感じだし、行かないといけないような気持ちになった。一体なんだったのだろう、何が教えてくれたのか。結果、様々な必然偶然が重なり思い出深い旅になってしまった。 

五条の橋から祇園を抜けて、有名どころをあちらこちら教えてもらいながら清水坂の下に到着。タクシーを降りて坂を上がっていく。時間が遅いせいか、道の両端の店は全部閉まっていた。それでも清水寺までいってみようと頑張ってみたが、18時で参拝はクローズ、ロープが張ってあり清水寺には行けなかった。


近くのポスターをみると来週からライトアップされるそう、一週間早かったかー。来週あたりはちょうど桜が見頃で綺麗だろうなと思った。

桜の季節にも京都には来たことがある。渡月橋周辺の桜が薄紅のもやのように満開で、そこから雪のように花びらが川面に降り注いでいた。これを一緒にみた親友は亡くなってしまった。京都は彼女を思い出すから、余計に京都に来たくなかった。彼女が生きていたら今の私をみてなんて言うだろう。「卒業すごいね」って喜んでくれて、「バカねえ」って呆れるか笑うと思う。どちらでもいいから生きていて欲しかった。サクラサク、サクラチル、私は散る桜は嫌い「綺麗ね」って言った友達の笑顔を思い出すから。私はサヨウナラも大嫌い、だから来たくなかった、京都なんか、卒業式なんかに。

この後清水坂の下まで戻るとバスがちょうど来て、京都駅からすぐ東京に戻った。

京都から戻る新幹線でスマホをいじっていると、大学からメールがぽーんと入った。全く知らない先生の名前、内容は、今回のことは委員会としての指導で、大学の処罰や処分とは異なりますとあった。最後の最後まで何が言いたいのかわからなかったし、私の知りたい答えは得られなかった。しかもこんな内容のメール送ってきたりして、大丈夫なのかと逆に心配になる。こういう些細な大学側の失態を細々と指摘、追求し、でも確証がないというので状況証拠を積み上げた。

なんていうか、たかが専業主婦の通信生だと侮られているのも逆手にとったというか。私が手を替え品を替え様々に大学を揺さぶり下手打つように仕向けたというより、やっぱり大学の先生というのはトラブルシュートが下手すぎると感じた。こうした分野、外部の人入れた方がいいんじゃないでしょうか。そういう訳で今回のメールも言葉尻をつかまえて更に追求できそう、でもさすがにこれ以上問い合わせする気もなく返信もしない。 大学の人間関係委員会は人間関係を拗らせややこやしくさせる天才の集団だと感じた。  結局あれから「偉そう先生」には大学で会えなかった。 

東京駅に着いて山の手線に乗り換え、まだ有楽町線が動いていたし、豊洲駅から徒歩で自宅に帰れた。清水寺拝観できなくて良かったかも。11時近いのに子ども達が起きていて、私が帰ってくるのを待ちわびていたのだろう。お土産は明日と言い聞かせてなんとか寝かせる。夫は自分が夜ふかし好きなせいか、子どもたちを夜寝かせつけない。現実に戻ってきてしまった。やれやれ。

こういう不自由さも幸せだと思うけれど、やっぱり気楽さの方を優先してしまう。もう一泊してこれば良かったと思ったし、一泊だけだから濃密な思い出になったとも感じた。

これ、綺麗で美味しかった。

京都造形芸術大学に入学して良かった、何より卒業出来た。武蔵美は通信といえども私は卒業できなかっただろう。やっぱり色々と「卒業させる体制」が京都造形にはあったし、その恩恵は十分に享受した。特例を発動してもらったのにそれを逆手にとって大学を追及したりして、本当に私は恩知らず恥知らず、育ちの悪い田舎娘。というかもうおばさんだけど。気持ちはまだまだ瑞々しいままよ!卒業式で学長が、青春とは年齢ではない思い続ける気持ちだと言っていた。本当にそうねと思った。でもこんな風なので、伝統と仕来りを重んじる京都の大学で浮いたのも致し方ないか。 

金子先生、上村先生、上原先生、ご対応ありがとうございました。     

関係者の皆さま、様々に叱咤激励を頂き感謝いたします。

それからN先生、私は先生のこと今は恨んでいないし憎んでもいません。もうお目にかかることはないと思いますがいつまでもお元気で、そのままの先生でいてください。お世話になりましてありがとうございました。    

お参りを終えて、次の目的は「牡丹鍋」書いている小説の主人公が貴船に誘われ、阿吽の呼吸で了解するシーンがあり、これ、誘う方も誘われる側も「行く」「行かない」ではなく、何か違う会話でそれが表現されるようになっている。これも私が考えたのではなく、登場人物たちが勝手に話していた。ボスママやその不愉快な仲間たちが「嬉しいという言葉を使わずに喜びを表現したい」と言っていたけれど、こういう感じかなと思った。このセリフを書いたのが昨年年末、ふふふ、私の方が先に書けたわ。まあだからどうってことはないんですけどなんとなく。


貴船には料理旅館や食事処がたくさんある。この看板は新しそう、でも白くなっている部分は閉業したお店だろうか。かと思うと新しいお店があったりと、貴船は魅力的だけれど季節営業はご苦労が多いのかしらと思った。

奥宮からちょっと下ったところに「料理旅館ひろ文」があった。「ひろふみ」ではなく「ひろぶん」らしい。どこにも書いてないが、サイトのドメインがそうなっていたのでわかった。文芸コース卒、元ITなのでこれくらいは。私も鬼女なんだろうなあ、いざとなると色々ほじって晒しちゃう、怖いわと思った。


玄関に続く石階段。道路挟んでお食事処はあるが、どうも雰囲気出ない。登場人物たちは宿のお座敷で牡丹鍋を食べたはず、だったらどんな感じか確かめてみたい。昔何度かお座敷で食事をしたが、何もかもぼんやりとしか思い出せない。それに食事のシーンは書くか書かないかまだわからないけど、知っておくというのは大切。なぜなら…

というのは企業秘密だから教えないわよ。知りたければ寒竹先生の授業を受けるか藝術学舎の講座に申し込んでね。来年度は大学でも先生の授業増えるのでは、お忙しいところ色々でさらにお忙しくなるだろうな。私のせいですね笑!頑張ってください^ ^


思わず石段を上がって玄関まできてみた。中をみてみたいなあとウロウロしていると、中居さんが出てみえた。これこれこう言う訳でお座敷をみたいとお願いしたら「どうぞ」って。私ってほんと図々しい、お忙しいのにすみません。ありがとうございます!

こちらでお待ち下さいと案内された、中は暖かい。舞子さんや芸子さんの団扇がたくさん飾ってあった。祇園から出張もあるのかな。

部屋に通していただく。お座敷でテーブルに座椅子、まさに料理旅館。そうそう、こんな感じイメージにぴったりだわと喜び独り言ちる。座椅子もいい感じ、嵐の中辿り着いた二人は何を話しすのか、食事してそのあとは。どこまで赤裸々に書くか悩ましい。あまり明け透けなのもつまらない、でもこんな事まで書くの?って感じもいいかも。要検討。というか、フィクションなので勘違いしないようにお願いします。

         
牡丹鍋セット。名物牡丹鍋と懐石っぽい料理がセットになってる。

器の入れ物が二重になっていて、下の段には茶蕎麦もある。お鍋もかなりボリュームがあり、どれもこれも美味しかった!卵焼きのお隣には川魚の甘露煮、鮎も名物らしい。そういえば夏の川床で鮎食べた覚えがある。京都といえば鱧も。そして肝心の牡丹鍋、猪豚は食べたことあるけれど、猪は初めて。食べてずきゅーん!すごい、野生の肉、まさに野趣溢れる滋味の味。これは食べたら精がつきそう、ほんっとにわざわざ食べにきて良かった。しかもイメージ通りのお座敷、多分この部屋は宿にもなるんだろう。ここの方に貴船の泊まりは二人からと伺った。

食事だけなら普通はこちらの食事処でいただくことになるのだろう。窓から景色を眺める。主人公はこの景色をみて何を思うだろう。嬉しいだろうか、哀しいだろうか、多分両方。

縁側的なスペース。洗面室が設えてあり益々いい感じ。主人公がここで身支度をしていると、先生が嬉しそうにそれを眺める。いいじゃない 妄想がパンパンで張ちきれそう。

礼を述べて「ひろ文」さんを後にした。案内してくれたのは中居さん風の方だったけれど、お会計は芸子さんみたいな綺麗な着物の美人。京都の女性の見本みたいな方だった。もちろんイケズもなく親切にしていただき何もかも大満足!時間をみるとそろそろ移動しないと卒業式が。

もう一軒、気になる料理旅館が。まあ正直全部気になったんですけどね。

ここの方にも色々とお話を伺えた。ただし部屋は見せてもらえなかった。必要ならここでももう一度お昼食べようと思ったけれど、宿泊はもちろんお昼も夜の食事も完全予約制だそう。こういう完全予約制の宿というのも良さそう。次来ることがあったらお昼頂いてみたい。

仲よさそうなご家族連れ、男の子えらいわ。ママが偉いんだな。うちなんてもう

川床のない冬の貴船川

川床あるバージョン。

個人的に川床は夜がオススメ。昼は御簾で屋根ないところだと直射日光が暑いので要注意。ということで夜の画像も。どちらも「ひろや」さんサイトのもの。

こんな可愛いお店が。

娘ちゃんが喜びそう。

あちらこちらのぞいていたら、時間が推してしまった。到着予定時刻14:55??慌ててバスに乗り、貴船口駅に戻る。そこからは乗り換えなしで大学に一番近い「茶山駅」を目指す。いよいよ卒業式、あの先生この先生、どんな顔で私を迎えるだろう。学長は?理事長は?それよりまずは急がねば!衝撃のラスト、卒業式、分科会編につづく。

 私のブログをアップしたものから順番に読んでるみなさん、過去の記事もどんどんバージョンアップして長編になっているからまた読んでね。特に「」なんて昨日も今日も半日かけて校正して追記して思い出すこと全部書こうとどんどんどんどん書いたらまた長くなりあれもこれも全部書いた。満足。

でもそろそろこれで完成でいいかなと思えて来て、次にこの記事を書く。明日はまた一日なんやかやある日で書くなら今日しかない。夫が在宅でリビングジョナサンかなと思ったけど、今の気分はなんか違う。先日最近仲良くなった方とジョナサン行ったけど、ちょっとジョナサンに対する私の温度のようなものが違っていて、リビングジョナサンじゃなくて普通のファミレスに感じた。私には珍しく定食じゃなくカルボナーラ食べたというかご馳走になり、美味しかったですありがとうございました。またいつでも声かけてください!ということで「京都造形芸術大学通信教育部卒業式シリーズ」貴船の写真貼ったら結構な量になり、「お参り」と「美味しいもの」と分けて書くことにした。

ホテルを出て三条の駅から貴船を目指す。途中京阪電車「出待柳」という駅で叡山線に乗り換えた。もうこれ登山電車といっていいかも。乗っている人達全員が登山ルックというか、スニーカーを履いた人ばかり。私は貴船の後そのまま卒業式行く予定でレースのワンピースにヒールのあるパンプスといういで立ちで、せめてヒールのない方のミュールにするべきだったと軽く後悔した。でもまあ昔から貴族が避暑にきたところだし、昔いつも来る時もそうい格好だったじゃないと思いなおす。なんだかんだ貴船までは電車で約30分くらい。



どうやってまわろうかイラストマップを広げる。これも東京駅八重洲口にある「京都館」で頂いたもの。本当にすごい便利だから京都行く前には是非どうぞ。

卒業式の前後どこかで貴船と思いついた時は、もう一泊しないと絶対無理と思っていたけれど、こうして電車に揺られていると、卒業式の前に寄ろうと思った私GJと感じた。今思えば丁度いいスケジュール的なボリュームだったように思う。でも一日中貴船というのもいいし、宿泊もしたかったななんて。貴船で一泊というのももちろん考えた。色々検索したけれど、マッチングするものがなかったのよ。それはそう、貴船の宿はおひとりさまはNGらしい。

なんでやのん、結構おひとりさま女子が多い京の奥座敷、おひとりさまパッケージがあってもいじゃないと思ったけれど来てみてなんとなくそうかという感じ。こういうちょっと奥まった訳ありげな逸話の杜、ひとりで祈念しにくる女性は、あっけらかんと貴船を楽しみに来るだけではないだろう、ここも情念を燃やし誰かたったひとりを思い詰め結ばれたいとかよりを戻したいとかそういう気配をひしひしと感じてしまった。また「よく見てるわね」と言われるかもしれないけれど、文芸コース卒業するくらいだからこのくらいは。ひとりで来ている女性は見られるというかちゃんと女らしい女性ばかり、二人とかグループの女性というのはもうどうしたって男性に縁がなさそうな良く言えばサッパリした民人ばかり。貴船に来たのだってただの観光かピクニックだろう、そうじゃない女性は私と同じようなスタイルでヒールの人もいたりちゃんと女装している人が多い。それでもカップルとかママと息子とかご夫婦とか色々。ちょっと大きな息子を連れたお母さんには、余程上手に子育てしたんだろうなんて羨ましく感じ、うちのお猿ちゃんに貴船行こうと誘ったら今現在も断られると思う。「俺、京都なんか行きたくない」って。寂しい。

とまた話が逸れたが、ひとりで思い詰めている女性を泊まらせるのはなんかあったら、という事なんじゃないかなあと。多分これも京都駅から「六道珍皇寺」に送ってくれたタクシーの方の言う通り、紹介があればひとりでも泊まれるという事なのかもですね。でももう私も一人で泊まりたいなんてことはきっとないと思うから無問題。それにしても本当にひとりでお参りに来た女性が多かった。なんかわかるわ!私もかつては祈念めぐりしたもの。京都にまでわざわざ祈念しに来たことはなかったけど、東京で縁結びならやっぱり「東京大神宮」がおすすめ。ここにお参りしたら夫が現れたって感じで、せっかく神様が連れて来てくれた夫なのにdisったり喧嘩したり、授かった子ども達も邪見にしたりして本当私ってダメだなあ。もう少し優しくしようと心に誓った。と言っても顔見るとまた喧嘩しちゃうんですけれども。


「貴船口」の駅から急な階段で下のバス停に。バスはすぐ出発した。
       
 
  バス降りて少し歩いたところ。赤い橋が京都っぽい。この右側の川が川床をする貴船川。 貴船川は全長約3kmという短い川で、叡電「貴船口駅」の近くで鞍馬川と合流している。京都の奥座敷と呼ばれ、川床料理などで有名な料理旅館が並ぶ。まだまだずっと先の方。でも貴船口からバスに乗ってきたので助かった。これも寒竹先生のブログに書いてあり、「体力温存のためにバスで乗らなければ」と決めていたので良かった。後に貴船神社のあたりでぼっちの女性と少し話した時も「バスから歩いている人が見えて、気の毒に思った」なんて言っていて、貴船口から貴船までは徒歩だと30分バスだと5分160円とここにも書いておこう。バスの道すがらは何にもないただの道路で、バスに乗らないとくたびれ儲けになってしまう。            
      
 

バスから歩いてすぐに鞍馬方面の道に入る門がある。なんだか山伏の関所みたい。義経が天狗に剣術を習ったという場所があると地図にあり、そこだけ観にいってみたいと思ったが、電車の中でTwitterのフォロワーさんから気軽に行くのは無理みたいに教えてもらい、そうだなあ、ヒールじゃダメだなあと断念。でも教えてもらって本当に良かった。行っていたら多分卒業式間に合わなかったのでは。      

ほどなく貴船神社に到着。この鳥居をみた時は本当に大感激!来たわ私、神様仏さま貴船の神様のお導きよと神妙な気持ちになり、失礼な事のないようにと気持ちを引き締めた。

ちなみに貴船神社は単体ではなく社殿は本宮・結社(中宮)・奥宮の3箇所に分かれて建っている。まずはざっとお浚い。出典はwikipwdia

貴船口から上がって来て最初に到着するのが本宮、高龗神を祭神とする。本殿・拝殿は2007年に改築されたばかりである。社務所等は本宮境内にある。

その次が結社(ゆいのやしろ)、本宮と奥宮の中間、本宮から上流側300メートルの場所にある。その立地から中宮(なかみや)とも呼ばれている。

奥宮は本宮の上流側700メートルの場所にあり、以前はここが本宮だった。闇龗神(くらおかみのかみ)を祭神とするが、高龗神(たかおかみのかみ)と同じ神さま。

 
鳥居のところで一礼してからくぐる人が多く、私も真似してお辞儀してから入った。来たーあ!やっぱり素敵。この赤い灯籠がさーっと石の階段添いに並んでいるのを何度も何度もネットでみたし、ここの豪雪っぽい雪景色を貴船神社のfbウォールで流れてきたのをみた途端、今書いている小説が閃いた。なんだかすごく縁を感じて心が震えた。とうとう来た!わなわなし過ぎて写真がおろそかになり、ここの写真この一枚しかない。平安神宮左橘右桜の分、もっとこっちを一生懸命撮るべきだった。でもそういうものかもしれない、心のシャッターを切っている時はなかなかスマホまで気が回らない。そんな心を静めるために石段をややゆっくり上る。



貴船神社の鳥居の前の店。ここに牡丹鍋セットがあったので、「まだ牡丹鍋やってる!」と喜んでパ写。どこもなかったらここまで戻って食べようと思ったけれど、あちらこちらでまたやっていた。      



石段を登り切ったところにある御神木、桂の樹。大きくてがっしりして天高くそびえていた。貴船にはこうした巨木がたくさんあった。     

本殿にお参り。
寒いだろうけどこういう時に訪れたいですね。3月はやはり無理だそう。「京都の雪はすぐ消えてしまいますのでね」だそう、誰かに聞いた。写真は貴船神社のFacebook より。もう今すぐにでもまた行きたい、貴船は何かいい気が流れていた。やっぱり今度は泊まりたいし、神社しかない貴船だけどお参りした後は鞍馬方面にトレッキングしたり温泉に入ったりも楽しいかも、ね。



貴船神社は絵馬発祥の地と先生のブログに書いてあった。このもみじ絵馬、春はピンクで夏は緑、冬の今は白い雪模様。秋は多分赤なんじゃないでしょうか。ちょっと迷ったけれど、せっかくなのでもみじ絵馬を奉納した。迷ったのは正直何を書いたらいいかわからなかったから。私の願いって何だろう、それはもちろん家庭円満とか厄除けとか悪霊退散などだけれど、そういう一般的なものじゃなく私自身の願い、ということでここにも「芥川賞ください」と書いておいた。貴船までなんとなく一緒に歩いた女性も偶然ここで絵馬を書いていて、なんて行き先一緒だから会って当然だけれど、独身の彼女の願いは多分ひとつ。彼女の願いも叶いますようにとお節介にも思った。そして、この絵馬冬だから白なんだけど春には~と教えてあげたら喜んでいた。知らないということはさては遠方から来たんだね?と思った言わなかったけど。      



さて、絵馬を奉納しお参りも済ませて貴船といえば「水占い」


願いは「望むがまま」ですってよ奥さん!ここはいきなり大吉、本当よ。ここは、「大凶」が本当に存在するが、神社側では「大凶が出たと言っても、その後の人生決定 された訳ではないので、あくまでも『参考程度』に留めて欲しい」だそう。そう言われると余計なんだか怖いですね。
   


境内、この右上が本殿とその前に御朱印やお土産お守りなど販売する社務所がある。あちらこちら不躾にパシャパシャすると思われているけれど、神様やお寺の本堂は撮らないことにしている。神様の顔なのに勝手に撮るなんて、自分だっていきなり写真とられたら嫌。だったら撮っていいか聞いてから撮ればいいと思うかもしれないけれど、本当にいいかどうかなんてわからない。なので真正面からは撮らないようにしている。

社務所では貴船神社のFacebookでみた「貴船神社ラムネ」を買った。もちろん子どもへのお土産ではない。せんとくんと一緒に飾ってある。私が貴船に来られたのは、facebook で貴船神社のページをいつもお参りしていたせいかもしれない、貴船に行きたいなあって。多分願いが通じたんだと思う。ひとりで卒業式行くなんてはじめは思っていなくて、行くならボスママとかモアイと一緒に混ぜてもらうか、誰か一緒に行くつもりだった。でもこうして考えると「ひとり」じゃなかったら貴船に来るなんて叶わなかったのではないか、「ひとり」だから出来ることってこれからもあるし、いつも誰かと一緒といのは自分の場合は視野狭くなるだろうと思った。いつも一緒の誰か、まあ大人だからいつもいつもって訳じゃないだろうけど、私が最初にくっついていた人もあっという間に霧散したおかげで文芸コース全員とお話する機会があった。そのお蔭で発表会懇親会ボスママは嫌だったけどそれ以外の人達とは普通に話せたし何もなかった。ただ「誰かをターゲットにしてイジメたる」という空気、「みんなで仲良くしましょっ!」というオーラに似ていてそれが強ければ強いほど楽しい雰囲気も増す、それにみんな乗っていて私は蚊帳の外っぽくて嫌だなあと思った。なので私が卒業制作発表会懇親会卒業式分科会でこんなに心細い気持ちで参加していたなんて他の学友達が知ったら、言ってくれたらよかったのになんて思うのではないか。でもそういう時ってやっぱり言えないものだなとも思ったし、言ってどうなるというものでもなかったようにも思う。そう言う時はもう運命として受け入れるしかないとか、自分さえ我慢すればいいなんて思ってしまった。誰しもそうなのじゃないだろうか。おおえかの時もそうだった。私さえ我慢すればいいと思っていて、でもこの場合は我慢することが次々出てきてタイムラグもあり期間が長かったので爆発してしまった。明智光秀も一回や二回なら笑って済ませられたけれど、多分何度もあり自分だけじゃない周りにも影響があったりしてやったると思ったのだろうと推測。このボスママもあと一ヶ月くらい時間があったらきっと泣かせていたと思う。いつもこの人がいう口癖に「ふざけんなよ」というものがあるが、多分私が先に言っていた。でももう卒業したしね、でも人生長いから何があるかわからないわよ。
      
 

古来より、晴れを願うときには白馬が、を願うときには黒馬が奉納されたが、実際の に代わって木の板に描いた馬が奉納されたこともあり、このことから絵馬が発祥したとも言われる。これも wiki こういうのちゃんと予習してから行けば良かった。大学の授業と同じく相変わらずわけわかめな日々を過ごしながらいきなり旅に出たようなものだった。本当に自分でも京都にいたのが信じられない気がした。でもこれはこれで後から色々調べたりしてちゃんと吸収出来ている。ブログは人生の復習のようなものか。 あの学友はブログにネタがない時はどうするか、なんて書いているけれど、私全くそんな日なかった。あれも書きたいこれもどれもそれもしかも書いていると長編になりネタではなく時間がなくなり困った。多分彼女より私の方が強欲で悩みが多いからだろう。生きにくさを感じたり不確かな人生を歩いているように感じ煩悩や葛藤が結婚して子どもを産んで次のDNAへと静かに命の炎を渡さないといけないのに、未だ己の内で燃えている火が消えないといったところかどうなんだろう、自分の事は実はよくわからない。

 

昔何度かお邪魔した「ひろや」さんの灯籠。本当はここで牡丹鍋を食べたかったけれど、冬は宿泊も食事の営業もしないそうでがっかり。小説の登場人物達もここに泊まる設定にしていたのに。でも冬にきてみてわかった。貴船は貴族たちが夏に避暑にきていたところ。多分冬は昔も今もあまり人が来ないのだろう。ひろやさんは建物のかなり大きな料理旅館で、冬の維持費が嵩むのではないかと思った。残念ですが仕方ないですね。
      
 
大きくて素敵な旅館、そうそうここだったと懐かしくなる。



門構えもいいでしょう。 玄関もツヤツヤの広い板張で素敵なの。「冬の牡丹鍋」を来るたびにすすめてくれた女将はお元気かしら。 貴船はここしか来たことない。春のお座敷も夏の川床も全部「ひろや」さんだった。     


センチメンタルジャーニー終わり。どんどん歩いた。 




途中の小さな橋からどこかの料理旅館を写した。古き良き時代の文豪が窓から顔を覗かせそうな雰囲気。侘び寂びた感じがいいですね。貴船の旅館はこうして川に沿って建っているものと、道を挟んで山側に建っているものがある。さきほどのひろやさんは川側、ざっくり色々拝見した感じでは、川側の建物は冬はメンテが大変そうだと感じた。川側は特に寒いですからね。この日も陽が指さないところはかなり寒かった。ダウンだともう暑いかなと思ったけれどとんでもない。毛皮の襟巻もちょうど良かった。そして京都は夏暑いけれど、冬は寒かったと思い出した。何年も遠く離れているとそんな事も忘れてしまう。会わないうちによそよそしくなる人がいるように、土地もそういうものだろうと思った。久しぶりに訪れた貴船は、私の記憶の中のものとはすっかり様子が変わっていた。いつも来る季節とは違うせいもあるだろう、でもなんだか初めて来たように京都全体がよそよそしく感じたような。うーん、そんな事もないわね、大学が嫌だっただけで。いつも来る時は料理が目的だった。どんな美味しいものを食べようとか、お土産何を買おうとか、清水寺を向こうに降りたところの茶屋で湯豆腐食べようとか都路里の抹茶パフェとかよーじやは鉄板、柴漬けもおたべも八つ橋も、ちょっと探せば何処にでもあるのに京都で買うのがいいのよなんて、浮き浮きした気持ちで大概お天気も気候もよく、そして誰かがいつも一緒だったなと今ひとりなのをちょっと寂しく感じた。

でも考えてみれば初めてひとりで来てみて、あれやこれやじっくり観て考えることが出来る一人旅って悪くないと思ったし、あまり食べることに興味がなくなってきたということは、それだけ自分も年をとったのか。さきほどのもみじ絵馬「健康第一」にするべきだったかなー


次は奥宮。


ここは平たんな参道。ゆるゆると進むことが出来るけど、砂利道でヒールが傷まないか心配だった。


奥宮に到着。そんなに距離はない。 


image
雪がまだ残っていた。雪の貴船に来たと言えるわね。


この奥が社。手前は舞台だった、舞を奉納するらしい。
 
 

奥宮。右手の岩山は船が小石に覆われたものとされる。wiki情報→「創建の年代は不詳であるが、社伝では反正天皇 の時代の創建としている。社伝によれば、神武天皇 である玉依姫命 が、黄色 に乗って淀川 鴨川 ・貴船川を遡って当地に上陸し、水神を祭ったのに始まると伝えている。社名の由来は「黄船」によるものとし、奥宮 境内 にある「御船型石」が、玉依姫命が乗ってきた船が小 に覆われたものと伝える。「 の産まれる根源」が転じて「気生根(きふね)」になったともいう」だそうです。


和泉式部の歌碑。これもwikiろう、そうコピペ。なんか文句ある?

和泉式部が貴船神社に参拝したときの歌が後拾遺和歌集に収録されている。「男(夫の藤原保昌)に忘れられている頃、貴船神社に参拝し、御手洗川にが飛んでいるのを見て詠んだ短歌」として、


ものおもへば 沢の蛍も わが身より あくがれいづる たまかとぞみる

(意訳:恋しさに悩んでいたら、沢に飛ぶ蛍も私の体から抜け出した魂ではないかと見える)










冷たくなってしまった夫とまた仲良くなるために祈念のため貴船にきて、巫女さんにおそそをさらけ出すよう言われるけど拒否、その様子をみていた夫がその態度に感じいってよりが戻ったと書いてある。色恋の呪術ってセオリー通りにしなくても大丈夫ってことなのでは。要は本人の気合い、そんな風に感じました。


歌碑説明。

また川沿いを歩く。なだらかな坂でヒールでも大丈夫。

右手に結社入り口。坂の上側から撮影。

階段を上がるとすぐ結社、「けっしゃ」ではなく「ゆいのやしろ」と読む。wiki→「結社(ゆいのやしろ)は、本宮と奥宮の中間、本宮から上流側300メートルの場所にある。その立地から中宮(なかみや)とも呼ばれている


美人なぼっちさん。えっ?私も?いえいえそんな、恐れ入ります^ ^

さあ全部お参り出来たわ!そろそろお昼にしましょう。来る道すがらメニューを確かめてきたけど、牡丹鍋はけっこうあちらこちらでまだやってた。何処で食べようか考えながら来た道を戻りまた歩いた。

という訳で「卒業研究発表会」後は割と憤慨した気持でぷりぷりしながら「京都ホテルオークラ」に到着、このホテルを選んだのは特に理由はない。ホテル一覧を眺めていて、「オークラ、いいじゃない」と思っただけ。


はあっ?プールもあるの?泳いでこれば良かった

よくセレブの定宿として帝国ホテルがあげられるし、ランチお茶などするのもここに行く事もある。なぜならアクセスが非常にいいんですね、日比谷から歩いてちょっとだし、行き帰りに銀座を冷やかせるし、なんとなく一般庶民にもオープンな雰囲気もあり訪れやすい。アーケード街を覗いたり、ガルガンチュアのクルミパンを買ったりとマイペースな感じ。 他に東京のホテル御三家的なニューオータニなんかも結構ランチで行ったことがあり、こちらも専業主婦が楽しめるイメージ。でもどこか好きなホテルをというと、やはりオークラにはどこも適わないと思っている。理由は「なんか本当のお金持ちが集まりそう」という勝手な考えだけで、以前ブログにも書いたけれど独身時代元彼にベルエポックに連れて行ってもらい、そこのホスピタリティに感激してしまった。どこにもないサービスというか、こんな親切にしかもさり気なく、本物のセレブが利用するところなんだと勝手に位置づけた。あの時は今の夫の方が性格良さそうだからと思ったけど、私大好き温度は元カレの方が高かったと思う。本物のセレブになれたかもしれないのに私ったら。でもやっぱり今の自由さを思うと夫に感謝ばかりで、ふらっと帰りはいつかわからないなんて卒業式にきたりして、前の彼だったら探偵つけられてるなと思うとお金に不自由する今の夫で良かったと思う。それはさておきセレブ御用達ならパレスホテルもそんなイメージかな、でもあちらはリニューアルしてから敷居も値段もすごく高くなった。 行きにくさはアマンと同じくらいでああいう煌びやか過ぎる雰囲気のホテルはあまり好きじゃないというのはなかなか縁がない僻みかもしれない。   
   
ということで京都なんて大学卒業式なんて嫌だ行きたくないといいつつオークラなら泊まってみたい、しかも福利厚生サービスから予約とったせいかそんなに高くなかった。じゃあ二泊予約して、嫌なら一泊、土壇場でどうしても行きたくないと思えばキャンセルしようと考えて予約した。そうしたら一泊しか予約がされていなかった。予約する時「二泊もなんて冗談じゃない」とでもちらと考えたのかなあ。その時々で気持ちがくるくる変わるので、どうだったのかわからない。でも一泊でもいいじゃないその方がきっと身のためよ。もし行ってみてもう一泊したいそして部屋が空いていたら連泊してきましょう。なんて京都に来たのだった。

大学前からバスに乗り「三条」で降りて少し歩く。四条に比べるとさっぱりしているけれど、京都の繁華街っぽく赤い提灯などもあらほましい。あちらこちら神社仏閣巡って京都を堪能したが、やはりこうした街の営みに触れると気持ちが華やぐ。googleマップでホテルの場所を確認しながら歩く、割と近いよう。やや細い道に曲がってそのまま真っ直ぐ、道の途中に「豆水楼」の看板があった。あーここなんだ、ここ木屋町だし間違いない、来る時迷わなくていいと思ってそのまま歩いていたら目の前がホテルだった。

こんなに近いの?多分近いとは思っていたけれど徒歩3分くらい。たまたま選んだホテルがこんなにアクセスいいなんて、しかもやっぱり外観も素敵だわと、卒業研究発表会であの二人に無視された嫌な気持ちがさああっと消えた。 みんな身に覚えがあることだと思うけど、こういう人が自分のコミュニティにひとりでもいると本当に嫌じゃない?しかも今回いつもいつもべったりくっついている二人が一斉にこんな態度したらもう居心地悪いなんてもんじゃない。でもこっちももうお断りだわと感じていて、なぜならおおえかのお気に入りだから余計に仕方ないわとも思った。これも先生のせいで学友と仲違いという事例かも。まあ先生と仲違いする私も私だけれど、先生にはぶつかっていけばいいという香山リカ先生の言葉とは裏腹に、ぶつかったら大惨事になってしまったのはやり方が悪かったのか。授業に関係ないイケズに対してなので、問題提起の意味が違ってしまったのだろう。   
   
ホテルに到着。荷物はホテルのコンジェルジュサービスに京都駅で預けていたので、そのまま一緒に部屋まで案内がてら運んでもらう。新幹線で到着して、ホテルに荷物を運ばずにそのまま観光が出来る。これも予約した後どんなショップやレストランがあるか調べていて発見した。これ本当に助かったし観光都市京都のホテルならではのサービスだと思う。なんやかやホテルなんて全部同じと思うが、こうした一見些細にみえるようなことでやっぱり居心地や使い勝手は全然違う、特にひとりで滞在というとなるとちょっとした話し相手とか、土地勘がないところだと色々親切に教えてくれる人がいると心強い。卒業式の記事の時にも書くけれど、「祇園をよぎる桜月夜」と与謝野晶子ごっこをする道はどこがいいかなんて相談にもああでもないこうでもないと色々考えてくれて、結局これは違うかもという結果になったがとても満足。このホテルを選んで本当に良かったと思った。   
   
    
大学がパルテノン宮殿ならこちらはパンテオン神殿よ!あちらではでもこちらに来れば私は自由の女神。



ホテルの内廊下。このモザイクみてびっくりしたんだけど、最後に京都来た時にも泊まったホテルだった。外観やフロンとでは全然気が付かなかったけれど、このガラスの作品をみてあっと思った。私が上京するすぐ前だから2000年前後、はあーすごい偶然。でも前はオークラじゃなかった筈、確か「京都ホテル」という名前だった。高層ホテルを建築するということで、オープン当時は街の景観がどうのこうのと割と京都市民からは否定的だった聞いた。フロントの人にいつの間にオークラに変わったのかと聞いたら、変わっていませんここは「京都ホテルオークラ」ですからという回答。事情はよくわからないけれど、そうかーと思った。ともかくなんか「帰ってきた」ように感じてほっとした。



ロビーの階段でシタールの演奏が。幻想的な趣があり、しばし佇む。


京都の街は全然桜咲いてなくてガッカリだったけれど、ロビーにはこんなに桜がたくさん!気分が盛り上がる。 

いざ出陣!行きたくないところへ行かないといけない時はしっかり女装する、なので髪をくるっと巻いてお化粧もばっちり。これは実家の父が言っていた言葉で、「女は辛い時ほど綺麗にしてないとダメなんだ」と。多分失恋かなんかして泣いていた時だったと思う。父はこういう女道みたいな格言色々言っていたなと思い出す。勉強しろとは余り言われなかったけれど、習い事や家の事なんかきちっと出来ないと嫁に行けないと常々言っていて、でも今家事はほとんどが好きじゃないし習い事も何も役に立っていない。やはり「やらされた」ものは身につかない見本市のような私、でも誰だってそうよ。写真はホテルの方に撮ってもらった。ワンピースは例の コスのもの。豊洲小学校PTAバザーの最後、「どれも半額」となり、最後の最後に「今からどれも10円です」ということで、こんな素敵な新品のワンピースを10円でゲット。本当にミラクル信じられないラッキー。こうしてみるとホテルで着てもおかしくないというか、私に似合うと改めて思う。袖がパフになっていてそこにフリルがたくさんついていて可愛いけど黒だからおばさんが着てもおかしくないお気に入りの一枚。

※これこれ、このワンピース。これは年末に豊洲で開催されたとあるパーティの時のお写真。もう楽しくて美味しくて描きたくて書きたくてたまらなかったけど「SNS禁止」とパンフに書いてあったから書かなかった。街の名士ばかりがゲストなんですよ。私はたまたまのラッキー♡昨年の年末だから髪が短いわ、先生は長いの短いのどちらがお好きなのかしらね?

あの俳句の顔採用の先生は自分をミロのなんとかと勘違いしているのかぶよっとした二の腕ニョッキリとか真っ赤な "ザ!衣装‼︎" みたいな服いつも着てくるけど、もう〜おばさんなんだから授業くらい自覚してちゃんとした服着てこないと恥ずかしいわよ!きちんとした服というのはまず袖があるのよ、誰も注意しないんだろうなあ。オリーブの冠が似合いそうな、コント?正気?採点するとしたら57点D(再提出)ね。

と、また余計な事を書いたけど、着物着ないと決めた今、よそ行き着が少ないからとても助かっている。 なんか受賞できたらこれで行こうと思ってるくらい。そう言えば「 卒業式は着物で」なんて考えていたこともありましたね。やっぱり洋服は楽!今後着物着ることがあるとすれば、呉服屋のCMに出るとかそんな感じかなあ、なんてね  
   

そんなに広くない道路から更に細い路地に入る。この奥が京都造形芸術大学通信教育部文芸コースの懇親会会場「豆水楼」がある。あれ、違う道だった?店の看板の提灯がみえないのはホテルに行く時明るい時間に撮ったから?まあこんな感じのとこよ。



準備中のところに着いてしまった。10人座れるテーブルが2つ、合計20名が参加した。そのうち先生は6名全員京都の先生、東京の生徒が8名、京都の生徒が5名、地方の生徒が1名。手前が東京の生徒、奥が京都のテーブルになった。せっかくなのでミックスすればいいのに、いつも同じ人と固まりたがるつまらない人達だわと思った。だってそうでしょう、こんな機会ないじゃない?モアイはいなかったけど、ボスママはぎゅっと私以外の人たちで固まり、私が話しやすい人たちをわざわざ私と並行して反対側の席に誘導し、そこを区切りに全然知らない京都の先生を座らせたのよ!でも目の前寒竹先生でその隣が日本美術論の授業で一緒だった学友でお話はずんだからいいようなものの、ちょっとやってくれるじゃないと思った。

で、京都の知らない男の先生のすぐ向こうがボスママという位置。その先生とは話すがさらにもう一席こちら側の私は誰に憚る事もなくガン無視できると。意味わかるかなあ、ま、雰囲気でわかって。本当に意地悪な人ってこういうの上手いと感心、自分達の周りの人達とはガンガン飲んでベラベラベラベラ大声で話す話す、ボスママの独壇場だった。でもこの人、耳が悪いから質問があるなら用紙に書いてとアンケート用紙を配布したりするくせに、飲みだすと治るようで不自由なさそうだった。まあなんか特別な自分をアピールしたかったのね。

そんなこと言ったら私もちょっと耳が悪いわよ!ママ友付き合い姦しい頃、ボスママを囲んで話を聞いていると何を話しているのか聞こえない時があった。円陣の中では誰かと誰かが話しているのを聞いても耳に入ってこない。子どもの話も近くに行かないと聞こえなかったりすることがある。よく聞こえるのは夫の声だけ。ものすごい大声でやや怒鳴りながら話すので聞きたくなくても聞こえるうるさい。

八寸。まずはビールで乾杯。京都のお箸は先が細ーい!すごく上品。

    
名物の湯豆腐。小さな木の風呂桶みたいなものに入っていて、そこからすくって食べる。緑はほうれん草。最初はお店の方が世話を焼いてくれて、「さあさあどうぞ」みたいな感じでひとりひとりに共される。それがなんというか、京都っぽくない大阪の親切な店員さんという雰囲気で、京都の食事処はイケズをされると先入観の出来ていた私はほっとした。

もちろん独身時代京都に来ていた頃は、そんな風に思ったことはなかった。ちゃんとした店は紹介で予約していたし、いちいち面倒と思ったけど意味があったんだと今回わかった。イケズを知らずに育った、でも大学に通うことでしっかり覚えた。自分が「京都」の組織に属してみて、そういう空気はひしひしと感じたから。知らないで来るのと知ってから訪れるのとは楽しさにおいて雲泥の差がある。タクシーの運転手さんの話をきいて良かった、余計にそう思った。

大学に入学する前、私にとって京都は癒される街だった。はんなりした空気にほっこりし、どこもかしこも美麗な楽園だった、しかし。

その話はまたの機会にするとして、豆水楼のあれこれは、京都の湯豆腐が美味しくない訳がなく何もかもがしっくりくるいいお味。

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豆水楼イメージ画像を作ってみた。夏は川にせり出した川床が設えられるそう。この後お刺身盛り、茶碗蒸し、天婦羅などの後に小さな田楽まで盛りだくさん。


生麩の田楽、これ美味しかった。


最後はご飯と赤だし、香のもの。お味噌が赤味噌なのは、織田信長所縁の本能寺が近いからか、それとも料亭だからか。前にも書いたけど、日本全国高級料亭が赤だしなのは、三英傑が尾張出身だからなのよ。私もそうだから赤だし大好き。覚えておいてねっ



デザートは湯葉?豆腐?だったかのジェラート。これ、あまり美味しくなかった。抹茶アイスかいっそシンプルなバニラの方がいいです。

料理全部は写真撮れなかったけど多分このメニュー、こんな風に盛りだくさんの内容、お酒はビール、日本酒、ワインなど焼酎もあったかな?ノンアルドリンクももちろんある飲み放題で、京都にしてはフレンドリーで親切でお得なお店、他の学部コースも使っているみたいで京都造形芸術大学の、もしかして通信御用達かなと思った。それはそうかも、多分通学生だと若いから豆腐より肉って感じ。通信は生徒の年齢層が高いのでぴったりのお店、メニューかもしれない。どれもこれも京都らしく美麗ではんなりと美味しゅうございました^ ^
 
懇親会は19時から21時だったでもなんだかんだ21時30分まで宴は続いた。私は翌日早くスタートするつもりで、何故なら京都最終日で貴船行きたいと思っていたのでお酒は控えめにしていたが、ボスママとその周りの人達はかなり飲んだみたいで顔が真っ赤な人とかいて話し声がすごく大きくなっていた。飲み放題でおばさんが飲みすぎるってちょっとダメだなと今までの自分も反省しつつ横目で眺めていた。

目の前の寒竹先生とは、授業抜きに初めてプライベートな話も色々出来て嬉しかった。「寒竹先生大好きなんでしょ笑」というムカつく学友は私が羨ましいんでしょ!うるせー馬鹿話かけてくるな。お前などに先生は当たらないよ笑。で、寒竹先生と色々お話し出来て思い出すのは、junjunパイセンに寒竹先生と結婚したらと言ったらmessenger 返事なかった話をしたら、寒竹先生ぶほっ(;o;)ってなり、なんだかおかしかった。二人ともパートナーがいるなんてその時は知らなかったのよ。年取ると若い人たちをくっつけるしか楽しみない訳で。

懇親会お開き近くなり飲み放題のラストオーダーが過ぎてから隣の先生のグラスをみると空だったので、自分の赤ワインを「手を付けていませんのでどうぞ」と言ったら先生は素直に飲んでいた。この先生は来年度からの文芸コースに新任されるそうで、優しそうな先生だけど関東しかもちょっと田舎出身みたいで、京都でやっていけるのだろうかと心配になった。 

斜め前の初めて会う京都の先生は、私ををちらちら見ていて酔っ払ったのか最後の方は遠慮なくマジマジ見だし、ニコッとしたら嬉しそうだった。寒竹先生に店に到着したばかりの時、「やっぱりやだー」なんてブツクサ言ったら、まあまあ皆んな知らないから大丈夫と言っていて、この先生は「知らない」んだろうなと思った。

人間観察楽しい(°▽°)

さて、さあお開きですという事になり先生達の挨拶、司会の先生がじゃあこれでと言ったか言わないかで酔っ払った東京の生徒のひとりが「私もひとこと」と急に立ちあがり、べらべら話し最後に「私はぁ京都造形大学卒業できたことを誇りに思いまーす!」あははははみたいになり私は白けてしまった。ちょっと意地悪な、「それはそれはよかったですネ」と大仰にというか、「そろそろぶぶ漬けいかが?」とも言いたくなった。女はイケズ京男もそう、あの人もこの人も私もあなたもみんな意地悪、京都の大学ではイケズもしっかり学んだわと感じた、その前に豊洲でも。全然知りたくなかった。はあー面白くない。

そおーだ!今思い出したけど、私をイジメ抜いたあのボスママ京都の大学出身!弁護士ママもそう、多分実家もその近辺だと思われ、そうか、イジメはDNAだったんやー!と書いていると色々わかるとまた感心する。

で、京都に来る前に文芸コース事務局宛にjunjunパイセンのことも一緒にお祝したいとかダブルN先生を並べてみたいとメールしたら、クルーソー先生が幹事だそうで「卒業生しかダメ」と返事があった。私は「そんんなつまらないくくりで間口が決まるなんて、だから京都造形大は大物が排出されない!」と返信したり他にもちょっとあり、 クルーソー先生何も悪くないのにあれこれ私に噛みつかれて気の毒したと思った。

懇親会の時は先生ひとりひとりをまわってビールをつぎながらご挨拶をした。今思うとこういうの私しかしていない、みんな自分の席に座り込み一ミリも動きたくないという雰囲気。みんな会社員の経験のない人たちなんだと割とマジに感じた。クルーソー先生の席にも行きビールをついで、「色々ありがとうございました」 と言ったら「俺何もしてないし」というので「それもそうですね」と返してしまったけど、クルーソー先生は結構東京の合評会、授業もあり、それからフライングカフェなんかでも上京されていて、京都から東京も上京でいいのかなあ、上洛という言葉があるけれど、京都人からしたらこちらが京だと思ってそう。なんだかんだクルーソー先生のカフェは多分私のせいで急遽参加することになっただろう感じで、あの時YOUは何しに外苑にと聞いたらキョドりながらフライングカフェのためしかも学習相談のためだけに京都から来たと言ってらして、私のお目付役として誰かに任命されたのだろう。門崎先生ひとりじゃ心配と事務局かもっとその上からも言われたのか、やはり様々に今までそしてこれからも乙!という事で御礼を言えて良かった。

お開きになり、多分この後皆酔っ払ったボスママの先導で二次会に行くんだろう、聞きたくもない話をさかなに安酒を飲む気にもなれずひとりさっさと会場を後にした。

せっかくのオークラなので、ひとりでマティーニでも飲んで二次会の代わりをしようとホテルに戻った。そのままバーに行けばよかったのに、ホテルに着いたら気が変わって部屋でのんびりしたくなる。バスソルトがあったのでゆっくりお風呂に入ったりベッドでTweet したりせんとくんとお話したりしていたらバーの時間が終わってまあいいかという感じ。ここでなくてもホテルのバーは東京にいくらでもある、全く縁は無くなったけどまたいつか!今度行く時は見城徹さんとかに「是非うちにも書いて」なんて口説かれるなんて感じだったらいいなあなどとドリームでむにゃむにゃしてたらえっ!もうこんな時間?と焦りだし、あちらこちらにある部屋のライトを四苦八苦して消したがどうしてもスイッチがわからないものがあり困ってフロントに連絡しやっと部屋が真っ暗になったと思ったら気が付いたら朝だった。よく寝た。 


オークラといっても普通のシングルルーム、でもベッドが多分ダブルサイズで贅沢な感じ。住みたい。

翌朝、起きてごそごそ準備したり部屋で備え付けの珈琲を飲んだり、のんびりしていたら8時近くなってしまった。早く出なければ。そこで貴船に行くために地図を眺めていると「本能寺」の文字が目に飛び込んできた。そうだ、本能寺行きたいと目当てにしていたと思い出す。フロントに荷物を預けてホテルから徒歩5分ほどの本能寺へ。適当に選んだもののあちらこちらにアクセスがよくて本当に良かった。東京から京都造形芸術大学卒業式に行くなら、特に豆水楼で懇親会やる学部コース生はこのホテルがおススメ。大学まで電車で一本だしそんなに距離ないし、ホテルアーケード街は充実しているし、懇親会会場までも多分一番近いのではないか。  

ただし早めに予約しないと取れない上に空いていても高い部屋しかないということになる。京都の宿を卒業式間近に検索すると、一泊10万以上とかそういうのしかヒットしない。三連休のせいかこの日はアパホテルですら3万くらい。もう一泊して翌日千住博先生の襖絵と金閣寺も見たいと目論んだがオークラが空かないので諦めた。もしかしてあったかもしれないけど、よく知らないホテルに泊まりたくないという気持ちになってしまうくらい京都ホテルオークラ良かった。なので襖絵の大徳寺と金閣寺はホテルや大学から離れた場所、スケジュールがタイトでそちらまで行けなかったー!でもきっと東京でもお披露目があるはず、以前今は無き三越エトワールで、京都の日本画家森田りえ子さんの 金閣寺(鹿苑寺)本堂杉戸絵が展覧会に出展されたことがあり、こんな風にどこかでお目にかかれる日が来ると信じることにした。

ともかくホテルの予約は早め早めをおススメします、キャンセルは後から出来るしね。 



さて、歩いて本能寺へ。不勉強な私は「ここで織田信長が」と思って来たが、ここは「本能寺の変」の後に移築されたものらしい。ちょうど墓守らしき方がいらして、色々と教えてくれる。「織田信長を倒したんは実は明智光秀じゃなかった」なんてお話も聞けて、歴史って習ったまま信じているけれど、間違いも色々あるんだろうなと思ったりした。それはそう、写真も証拠も何もない、書簡や絵がみつかったといっても、それはもしかして書いた人達の希望的観測だったり間違った知見かもしれない。都合のいいように塗り替えられたものだってあるかもしれない。



そんな事を思いながら本能寺の本堂、そして織田信長のお墓をお参りした。本堂の右手裏に墓がある。私は息子がお腹にいる時に織田信長の夢をみたことがある。「いい子を産んでくれ」と言われ、私は織田信長の子どもを産むのだわと思った。なので息子にはよくよく誰かをイジメないように、イジメると後から絶対それ以上に悪い事が自分におこると言い聞かせてきた。そんなところにタイミングよくあの歌がヒットして、学校で習う前に息子は「本能寺の変」を覚えてくれた。弱っちいちょっとイジメてもいいだろうなんて、そんな風に明智光秀をいじめた織田信長は仕返しされてしまう訳で、やっぱり弱者こそいたわるべき、それは回りまわって自分のためでもあるなんて、そんな事を考えていたので頭の中はずっとあの歌がグルグルしていた。それにしても人の命は本当に儚い、人の夢と書いて「儚い」かあ、本当に漢字って良く出来てると感心する。



そんなこんなで9時頃には三条の駅に移動して電車に乗った。荷物はホテルに預けたまま。帰りにサクッと受け取って京都駅に行けばいいと思った。帰りは帰りで同じコンシェルジュサービスがあり、京都駅に荷物を運んでおいてもらえるのよ。でも18時までに受けとらねばならず、だったら今思えば東京に送っておけば良かった。

荷物はともかく、今日はこの旅の第一の目的と言っても過言ではない貴船に行く。その後卒業式、分科会。あーまたボスママに会わなければならないかと思うと本当に嫌。しかしなんであの人こんなに私を空気扱いするんだろうと思ったけれど、こちらから話しかける気は毛頭なかった。多分モアイをdisったからというのはその通りだが、ちょっと違う意味合いがあるとも感じていた。その答えは分科会でスパーン!とわかることになる。そんな事とはつゆ知らず、お久しぶりの貴船、主人公の歩く道のりや泊まる宿、恋人と食べる「野趣溢れる滋味の肉」は食べられるだろうか、もう春なので冬のメニューは終わっているのではと心配していた。

ともかく京都二日目がスタート。ホテルの人にキャンセルが出たら押さえておいてとお願いしたけれど、多分無理だろうなと覚悟して貴船を目指した。



平安神宮を13時ちょっと過ぎに出て、そこからバス亭の場所がわからずちょっと迷ってしまった。来た道を戻って同じバスでいいのか、でもgoogle がちょっと違う場所を指している。ああでもないこうでもない、平安神宮のTSUTAYAの前に戻ったり駐車場で案内をしている方に聞いてみたり。もう一回検索しようとぐぐるとやっぱり違う場所が出る。怪しいけれどその通りにまずは行ってみようと行けば、果たしてそこにバス停があった。もうわかりにくいわあ。バス停に立つと何か気温がぐっと下がってきたように感じて、ダウン長い方を着てくれば良かったと後悔したくらい。なんだか雨っぽい雪みたいなのが降って来て、ダウンの黒い袖に落ちたのをみると雪の結晶っぽい形がみえた。寒いわあ嫌だわあとバス停の椅子に座って落ち着いて考えたら、「ああ!これが細雪?」とはいえ、もう少しハラハラと降る目に見える感じだからちょっと違うわねと思いつつ、「『細雪』ごっこをしていたら細雪が降った」などとニマニマしてしまった。

バスに乗って10駅ほどで到着。どこもかしこも割と近い感じに思ったのは、あちらこちら寄ったせいもあるけれど、以前ブログに「京都駅からバスで1時間」と教えてくれた人がいて、そんなに遠いなんて勘弁してくださいなんて思い、なので面倒で益々京都での卒業式なんかに行きたくないと思ったものだった。でもこうして風の向くまま気の向くままあちらこちら見物して楽しみながらの移動なら、そんなに大変ではないということか。計画性がないとか行き当たりばったりとか人生なめてると言われる私だけれど、ちゃんと最短二年で卒業したし予定通りの時間にちゃんと大学に向かっているわ、順風満帆じゃない。そしてバスは京都造形芸術大学の本校舎に到着。バス停の名前は正式には「上終町京都造形芸大前」になってる。

文句ばっかり言って申し訳ないですけれども、バス停の名前を「京都造形芸術大学前」にしてもらってください。でないと乗り換え案内とかで検索するとバス停が出て来なくて困ることがあります。それから京都館で貰った京都の地図には様々な大学が全部書いてあるのに、京都造形芸術大学だけ記載されていないんですよ!これも載せてもらうようにした方がいいと思います。



ということでジャーン!敵の陣地に到着。これもHPでみた通り。威風堂々とした立派な校舎。なんだかパッとみた感じパルテノン神殿にみえるのは神がいるからなのか、私のような紙が入っていいのだろうかと思った。でも今日は「卒業研究発表会」という大義名分があるので誰も咎めまい。思ったよりも普通のところにあったのでちょっと驚いた。なんていうか、地図であたった感じだと山の中にどーんというイメージだった。でも普通にお店もコンビニもあるし、交通量も多い街とはいえないけれど町な感じ。周りに住宅もたくさんあるし、この近くに住んで大学に通ったらあまり「京都に住んだ」とはいえないなあなんて。京都といえばやっぱり四条河原町とか祇園、でもあの辺は家賃高そう。    
   



そうは言っても山の中腹斜めににそびえるせいか階段が長い。転んで怪我しないように昇降しようと気を付けることにした。奥にみえるバス停が京都駅に行く5番のバスが出ます。写真にうつってないけど50mくらい手前のバスが3番「市役所前」とか「三条」に行くバス。うーんだいぶ交通網も覚えた。車じゃないなんて大丈夫かなあと心配したけれど杞憂だった。こうして写真みるだけでもう懐かしいわね。つい一昨日ここからバスに乗ったとか、学友が優しい人がいて嬉しかったとか色々思い出す。   



「人間館」一番中心になる校舎らしい。この建物4階で文芸コースの「卒業研究発表会」があった。   



ロビーにカフェがあり、その周りに色々な学部の作品が展示してあった。文芸コースは一番奥の目立たないところにファイル立があり、その中にクリアファイルに入れて作品が展示、というかおいてあった。写真忘れたけど、文芸コースってやっぱり目立たないのね。「文芸コースただでさえ人が集まらないからブログに色々書かないでね」といった学友の言葉を思い出した。


 日本画、洋画、陶芸コースの作品が展示してあるホール。




ここかあ「春秋座」明日卒業式やるので場所を覚えた。ここで都をどりやるなんて、舞子さん芸子さんたち移動も大変だし、第一着付けやお化粧どこでやるんだろう。やはり置屋でやるのかな、移動はどうするんだろうと気になった。あーみてみたい都をどり。昔京都来た時に「祇園コーナー」で京都の伝統芸能は一通りざっくりとみたけことはあるけれど、やっぱり都をどりは別格だろう。何より誰かに「一年に一度都をどりを観て、一年また頑張るという友達がいる」という話を聞いて、そんなにいいんだーとちょっと悶々としてしまった。京都の先生達はもちろん観るんだろうな、学生さん達も。東京から行く人も当然何人かはいると思う。はあ、どうして私専業主婦なんだろう。もっとバリバリ働いて稼ぐ人になろうと決心。でもここじゃなく観るなら祇園でみたいな。



「春秋座」入り口横にチケットセンター。「吉田兄弟」のチラシなどがあった。公演があるんだろうな。
   



「卒業制作発表会」まであと15分あったので急いで学生食堂へ。私は社員食堂とか学生食堂が大好き。武蔵美時代も食堂で食べるのは「MAUランチ」だった。せっかく京都まで来たんだから「KUADランチ」も絶対食べてやると思っていた。でもここの学生食堂、外の急な階段をだーっと登らねばならず、急いでいた私にとってはきつかった。はたまた入り口がどこにあるのかさっぱりわからず、しかし「一念岩をも通す」の一心で到着。
   


白身魚フライと唐揚げ定食と、チキン南蛮の3種類で迷って白身魚フライにした。
   


念願の学生食堂ランチ、あと10分しかないというのに「聖護院大根の煮もの」までとってしまった。普通に美味しかった。


食べ終えてダッシュで移動。食堂からは一度一階に降りてまたカフェ前のエレベーターに乗り4階へ。そこから渡り廊下を進んでいよいよ教室へ。



一番奥右手の教室が会場だった。東京外苑の授業いつも広い教室ばかりだったので、普通の教室だろうけど手狭に感じた。

教室内でなんだかお写真は憚られる気がして撮らなかったけれど、発表者の他に見学者もいて部屋はいっぱいだった。前の方にボスママとモアイがいるのがみえたので空いている一番後ろの席に座った。思えば大学の授業はいつも一番前の席で授業を受けた。最後は末席かあ、寂しいものだわね、おごれる者は久しからずってオイ私いつ威張った?席は前だけど周りに気を配り、ひとりの人には声をかけ、万遍なく付き合ってきたじゃない。ボスママとモアイなんてぎゅっとくっついていないと何にも出来ないヘタレ。

まあ悪口はこの辺にして「卒業研究発表会」だいたいこんな感じ。私が教室に入ったら既に始まっていて司会の寒竹先生が今日の流れを説明していた。教室はNA405教室。ひとり10分話し、その後3分質問タイム。発表する人数は先ほど書いた通り11名。先生は6名。私は3番目の発表だった。

最初は京都の生徒さん、もちろん初めてみる方。二人目は東京の方で、しっかり研究インタビューなどもされたという濃密な作品、調査対象への愛というか熱量たっぷりで、いつまで話しても尽きないという感じだった。

その後が私で何も話すことを考えていなかったので少々戸惑ってしまった。でも話始めたら自分の作品への想いが沸き上がり、卒業制作をしていた時や面接授業など様々な出来事が思い出され、時間いっぱいまで話した。リビングジョナサン、10万字書いて6万字に減らしたこと、しかも全部delete して一からやり直してきつかったこと、でも10万字書いたものを捨てたのは大変だったけど全然惜しいと不思議と思わなかったなど。 司会の寒竹先生が、みんなに同じように言う訳ではない、出来ない人には言わないという言葉があり、そうだったのかと喜んだ。

あとは何を話したかなー、そうそう創作が佳境に入ると物語が勝手に動き出したこと、それを必死で追いかけて見て文字にした話などもした。でもこの話は作家にはよくある話で、「何かが降りてくる」なんて表現されるけれど、物書きからしたら珍しくもなんともない、ほとんどの人がそうだと聞いたことがある。でも自分で体験してみてそういう気質が備わっているというこは、少なくとも創作する力は多少なりともあるのかなと思ったりした。

私がこの大学に入学したのは、パソコン一台で卒業できる以前に、ちゃんと文章書きのセオリーやノウハウを学びたいと思ったから。そのきっかけは、ブログで小説を連載するコンテストに参加した時、最後の方になるといくらでも書けて驚いた経験から、書けるなんてもんじゃなく、色々な登場人物があちらこちら勝手に動き回り、話し、様々な事件が起き、締め切りになったら勝手に終わった。私はこれが「降りてくる」というやつか、私もしかして小説家向いてるかもと思ったから。絵はなかなか描けなかっらたけど文章はいくらでも書けた不思議。そんな入学した動機は話さなかったけれど思い出した。

発表の続き、「そろそろ何か賞が欲しい」なんて話もした。あちらこちらで芥川賞欲しいとりたいなどと言い散らかし、結局口だけだったとはやっぱり思われたくない。それにこんなにお金かけて大学を卒業までして元はとりたいと思った。

ちなみに今日は夫が家にいるけれど、やっぱり「京都なんか行って無駄使いして」と目茶目茶disられた。ふん、私のSNS全監視しているくせに、しかも嬉しそうに知ってるんだよ。なのにこの言いよう。こう言われると思っていたから京都行きの費用は全部家計から出した、当然でしょ?専業主婦なんだもの。いくばくかあったへそくりも、ほとんど大学の費用で消えたしね。二年で卒業できて本当によかったと思った。

ボスママとモアイは前の席にいたけど私が発表している間ずーっと下を向いてこちらを見ようともしなかった。というか目が合わせられない?という印象も。私は遠慮なくジロジロ観察した。多分この人達これから二日間で続く様々なイベント私を全無視するつもりだなと思ったら、やっぱりそうだった。

ボスママは発表で、「賞とか関係なくこれらかもずっと書いて行きたい」と言っていて、「だってあなたライターだから当たり前でしょう?」と思った。あとはモアイが「担任の先生に言われて好きな小説をうつして書いた」とあり、おおえかは本当にいつも誰にでも同じことしか言わないと思った。一年目で卒業制作の内容の相談に、おおえかを指名したことがある。N先生に相談したいのは山々だったがN先生お忙しいだろう、お手を煩わせてはと思ったし、なんのキャリアもスキルもなさそうなおおえかを先生に育てようと考えているのがわかったので、自分もN先生に協力する気持ちもあった。おおえかは指名されてすごく喜んで色々話し、「好きな作家の作品を丸写し」というアドバイス、他にも色々言っていたが、いざ卒業制作が始まると、自分の担当の生徒たちの評に同じ事ばかり書いていた。人を見るとかオリジナリティのない人かなあという印象。最近上梓した作品のタイトルもパクリなのでは?『若者はみな悲しい』って有名な作品のタイトルでしょう?なぜそんなにパクッたりコピペが好きなの?もう「剽窃」と言っていいんじゃないでしょうか?本当に大学で文芸学んだの?大学はこの人の何をみて採用したんだろう、やはりN先生ひとりの推しかなあ。大学はカルチャーセンターじゃありませんよ?本当に不思議なんです。

話しをボスママに戻す。この人入学して初めて会った時はうつむき加減で自信なさそうにしていたのに、卒業までの間に堂々と話すようになったと感心してしまったけれど、これ多分私のせいだと思う。

ライターを始めるにあたり、色々基本的な話など聞いて、その人を師匠と呼んで持ち上げた。私の悪い癖なんだけど、ちょっとこちらに敵対しそうな人、軽んじられそうな人はちょっと上にすえてあげる癖がある。結構屈折したところのあるその人は、なんていうかいつか私の敵にまわるんじゃないかと思っていて用心した。まさかおおえかのせいでこうなるとは思ってもみなかったけれど、自分の担任をdisられて気分がよくないのはわかっていた。でもなんとか学友としてのスタンスは保ちたいと苦心していたけれど、文芸フリマのために描いたイラストをあんな風にけちょんけちょんに言っているとは思いもしなかった。

※影でボスママに「前のよりマシ」とdisられた小説の挿絵、じゃあ自分で書いたら?と思った。確か丹屯さんの作品のやつ。

それが露呈してその時はいいよいいよと言ったけど、思えばあれ以前からわたしを良く思っていなかった。もしかしたら最初からそうだったかもしれない。そういう訳でボスママの発表は色々な意味で内情を知っている私からしたら、「うそつけ」という要素山盛りだったけど、京都の人や見学者には受けていた。 おおえかもボスママも、結局私は保身のために煽て持ち上げ、そのせいで強くなった人たちに軽く見られるようになりイジメられたということか。色々勉強になったなあ。

10分休憩。その時卒論を控えて来年度卒制する人や、いつも誰とも話さないFくんが「発表よかった」とわざわざすぐ隣に座りそう言ってくれるのでビックリした。この人こんな風に笑うんだ、話すんだという感じ。自分の言葉が人を勇気づけたように感じて嬉しかった。これで何かほっとし、他の参加者や卒制のための来た人と色々話をして気持ちがほぐれた。ボスママモアイ以外の東京の生徒達とも挨拶して話した。

休憩の後は後半に続く。その時教室の入り口すぐ近くに座って居る私に、この二人だけは挨拶どころか目もあわされなかった。完スルー。でも何故なんだろう、なんかあるわと思った。でも私もこの二人に対して最後の方は疑念だったり不満があったのでもう無理だなと感じていたからほっとしたところもある。でもまさかこんな風にあからさまに空気扱いされるとは。「自分が悪いんでしょ」と言われたら、そうかもしれないけれどそうではないと言いたい。本当に腹の立つことがいくつかあり、私は大概のことを我慢して受け入れてきた。そうこうしているうちに、だんだんだんだん彼女は野心を抱くようになったのだと思う。

私が「大学の先生になってください」と言ったjunjunパイセンと同じく彼女にも「大学で先生やったら」と言ったことがある。でも今は全然思わない。こんな大人気ない態度、しかも大学を卒業するという最後の最後にあからさまに人を無視するような意地悪な人、おおえかが主担任やっただけありイケズも学んだのだろう。あまり書くとこの人はすぐ泣いて人に同情を買おうとするから始末に悪いのだけれど、ちょっと人としてどうなのということがこれもおおえかと同じく何度もあった。最後の方は本当に偉そう、文芸コースのボスみたいな態度だった。junjunパイセンは違う、いつも真っ直ぐだったし妬んだり僻んだりイケズしたりさない。だから先生になってくれたら東京文芸の奇抜さが薄まるだろうと期待してそう言ったのだ。ボスママが先生なんかしたら顔採用と同じく私情で点数をつけたり生徒を叩いたりするだろう。しかも◯スすぎる。私は大反対ですよ、おおえかと同じくキャリアもスキルも何もないただのかまってちゃん。junjunパイセンとは雲泥の差がある。

現にボスママというのは私に親切な人とか話している相手をわざわざざあっと巻き込んで「ぎゅっと固まって楽しそうにしてそこにいるたったひとりを居心地悪くさせる」というのをやるわけで、このライターも「やっぱりボスママだわ」と思った。以前私がボスママはこういう事をするとブログに書いたら、「私も経験ある」と言っていて、なのにわかっててやるんだと思った。こういう人は大学の人間関係や人の背景をすごく知っている。なので仲違いすると、そういう情報が全く入って来なくなる訳でそれだけは不便だと思う。どうして知ってるのというような事まで事細かに知っていて、その情報網のおかげでブログに色々書けたともいえるが感謝はしない。そして京都で力のありそうなというか押しの強そうな目立つ生徒とさあっとまみえお互いをほめちぎりあっていて、本当にこういうのどこで覚えるんだろう、私ってそういうの全然ダメだなあとか、もうこの年まできたらこのままで生きるしかないとか思った。

ちなみに私の「ボスママ」定義は、最近は子どもがいなくても独身でも「ボスママ」みたいなことをする人はみんなボスママ、「お局」と言い代えてもいいかもね。

ということでまた文句たらたら書いてしまったけれど、卒業制作発表会はそんなに目新しい発見も感動もなく、それぞれの生徒が話したいことを話すという語り場だったように思う。ちょっとーと思ったのが、私が賞とりたいと言えば「賞とか関係なくただただ書き続けたい」とか、「読み返したくなる作品を書きたい」といえば、ボスママと慣れ合う人が「さきほどの方の話にあった読み続けたい作品だと思います」とボスママの作品を比喩られ、もともと言葉に対して敏感で細かいところのある私は、自分の言葉をこういう風に使われるのが一番嫌いで、それがボスママまわりで慣用句のように使われてすっかり気分を害してしまった。本当に文芸の卒業生ですらこの有様、言葉を紡ぐという本質が全然わかってないと思う。もしわかっててわざとやったなら最悪。多分そうかもね、今までもそうだったから。何かというと「そんなつもりなかった」と言うけれど、じゃあどんなつもりだったのよと言えば喧嘩になるので言わなかった。でももう最後の最後に不満が吹き出し自分の感情をどうすることも出来なくなり苦しくなった。

ちなみに私はいつも大らかそうな人に見られ勝ちだが、注力したいことにはこだわりが強く神経が尖る。今は文芸を勉強している身、言葉ひとつひとつが大切。そして私は構われるのが大嫌い!誰かを評する時、特に敵対する人に私の言葉をイジられてムカムカした。無視しながらも気になって気になって仕方ないんだろうか、豊洲のボスママ軍団と同じなんだわ。もおお。

最後に色々な先生が講評をしだした。東京の先生はひとりもおらず、京都の先生達ばかりで京都の生徒の作品の話が多かった。ますます「もういい」と激おこになってしまった。もう大学までこんなことになってしまったが、もとはといえばやっぱりおおえかが原因。あの人が私を攻撃しだし、私は先生なんだしと最初の半年は我慢していた。でもN先生まで巻き込み嫌がらせをしだし、「もうやったる」と思った。そこから様々な生徒達まで巻き込まれ、ある人は大怪我ある人は大やけどあるひとは、、、という大惨事になった。あの人が私の何が気に入らなかったのか今ならよくわかる。そういうの、人間だったら誰しもあると思うけど、先生になったら絶対やっちゃいけない。

大学の先生って、教員免許が必要な訳でも学歴がうんぬんとかもない。でもだからこそ人格がちゃんとした人じゃないと困るんです。大人になっても私たち生徒なんですよ、先生達のいうことは基本ちゃんと聞くという教育がなされている人達ばかり、それを盾にしていいたい放題やりたい放題は如何なものかと思う。まずこんな風に卒業の発表会なんかに、「イジメを率先してやる」というのは全く教える資格なし。今文芸コースに残っている先生達は少なくともそうじゃないと信じたいですね。京都の方は知らないけれど、京都は京都でイケズの御膝元、色々あるのかもしれない。



ということで発表会が終わって大学前のバス停から「三条」まで来て鴨川にかかる橋を渡った。すごく寒いこんな日もカップルが等間隔で座って居て、鴨川の河川敷に並んで座ると愛が深まるというジンクスでもあるのだろうか。いいわね、若いって。この後今度は「豆水楼」という豆腐懐石のお店で懇親会がある、座る席に気を付けないと酷い目に遭いそうだなと考えて、こういう厭な予感って当たるのよねと思ったとおりの展開になった話は次号を待て。      



今回の京都旅行で気が付いたのは、私は谷崎潤一郎が好きだということ。「好きな作家は?」と聞かれるといつも困る。その作家が本当に好きなのかどうかなんて、正直わからない。その作家が好きというなら、その方の書いたものは全部好きかと言うとそうでもない。例えば村上春樹だって好きだけれど作品全部好きかというと彼のファンタジーっぽい作品はあまり好んで読まないけれどエッセイとかルポルタージュとか河合隼夫小澤征爾の対談集なんかは人選の趣味がいいと感心するし、逆に彼へのインタビュー集なんかは秀逸で読み込むまではいかないけれどいつも手元に置いておきたいと思わせる何かがある。じゃあ村上春樹は好きな作家でいいわね。あとは林真理子さんは鉄板、桐野夏生、辻仁成、川上未映子、山本文緒、窪美澄、えーとそれから。

でもちょっと前、特に昭和初期からそれ以前あたりの文豪となると私の中では「文芸」ではなく「歴史」ととらえる傾向があるので好きも嫌いもない感じ。だって教科書に載っている人ばっかりじゃない。楽しむより「学ぶ」とか「覚える」ものだと認識しているせいかもしれない。国語の教科書に切手の大きさくらいに載っている著者の写真なんかは、全員メイクしてコラージュしたせいか、今更こんな風に大学でまた学ぶというのも申し訳ないような。太宰治はベディちゃんのような髪型が意外に似合ったなんて覚えている。

そんな訳で「太宰が好き」とか「寺山修二サイコウ」などと言われてもピンと来なかった。というか、ほとんど全員同じ立ち位置でこちらを見ているという感じ。近寄ってきて話しかけてくる訳でもない、遠くにいってしまって見えなくなることもない。唯一太宰治が夢枕に立った時は焦ったけれど、わざわざお墓にお参りして「すみませんけど困りますから」と言いにいってから来なくなったのでほっとした。でもまた身近なところで太宰の熱狂的なファンという方が登場し、桜桃祭にいつか行きましょうなんて話が盛り上がり、太宰、一体どこまで私が好きなのと思ったりした。

申し訳ないけどその頃の作家で好きな人いない代わりに苦手三大作家というのが私の中にあって、「太宰治」「三島由紀夫」「村上龍」がその御三家。最後の方は現代作家だけど、同じ昭和の時代ということで入れていいことにする。この方々気持ち悪い作品ばっかりでしょう?亡くなった方たちはちょっと訳アリっぽくて怖いし、出来れば読みたくないという作品ばかり。太宰治なんてメソメソくよくよ死にたい死にたいってあのね、あなたお酒飲みすぎなのよ。すっぱりやめてちょっとその辺ランニングでもしたらいい汗かいてスッキリしたのになんて思ってしまう。

三島由紀夫は『金閣寺』くらいしか知らなかったけど、大学の授業で様々な話を聞いた時は、「いやーこんな授業受けてたら死にたくなる」と、気分が悪くなり途中で30分ぐらい抜けさせてもらったくらい。盛夏っていうのも気持ちが下向いた原因だったかもしれない。

村上龍は『コインロッカーベイビーズ』赤ちゃんをそんなところに。それもそういう事件が実際にあって題材にしたらしくて余計に怖くなってしまった。私の現在の閉所恐怖症はこの作品のトラウマといっても過言ではない。昔村上龍はファンサイトの掲示板で喧嘩になり、それをネタに彼は一作品書いた。その時の色々もまだくすぶっていて余計に苦手なのかも。これ、どこかに書いたなと思ったら、NewsPicksのコメントで詳しく書いた。あそこにはブログ以上に細々と書いたからバンされてほっとした。もう誰にも読まれたくないので二度と私のアカウントを復活させないでください。 

でもあの時、最後は村上龍が折れてくれて騒動が収まったし、なんだいい人じゃないと思った。なのに苦手三代作家なんて言ったりして私ったら。でも彼の書いた『恋はいつも未知なもの』は大大大好きで、100回は読んだしCDいっぱい買ってあの本の目次通りにジャズ聴きまくったし、幻のバーを探してあちらこちらjazz bar に行ったりした。あの頃この本読み込んだせいでジャズが好きで好きで、私が某名古屋の今は消滅したコンビニの会社退職する時は憧れの上司が私がジャズ好きって何故か知っていてくれて、jazz in loveryにみんなと連れていってくれたのよ!そうしたらまたタイミングよくその頃大ファンだったKeiko lee の日でbeautiful love かかって私嬉しくて泣いちゃった。村上龍さんあなたのおかげで素晴らしい青春のメモリーが!ありがとう龍さん!いつか一緒にワイン飲みましょうね。

またいらん事を書き足してしまったが、続き。今回京都に来ることになり、ネットを色々ほじっていて寒竹先生のブログにいきついた。HPがあるのは知っていたけれど、私って基本的に自分にしか興味がない人だから人のHPやblogってほとんどみない。2ch など掲示板なんかも好きじゃない。でも京都に行くなら神社仏閣と思っていて、先生が『神様に会いに行く』という連載をされているのを知り、読んでみたら面白かった。丁度私が行きたいと思っていた平安神宮も紹介されている!やった!その前に京都のフライングカフェでも訪れたようで京都造形芸術大学通信文芸コースのFacebookや 大学のHPでも記事になっていた。これを読んだから余計に行ってみたいと思ったのよ、もう行くしかない!!

谷崎潤一郎という作家、大学に入る前は正直この人も苦手だった。何よりまずテストに出そうなイメージ「この作家の作品を三つ書け」なんて問題があったら、川端康成と間違えて『雪国』って書くわあ、だって『細雪』と『雪国』字面が極似じゃない?ええと谷崎潤一郎谷崎潤一郎、吉行淳之介とも間違えないようにしないとーなんて思ったり。あとはちょっとエロスというか、ちょっといっちゃってる愛憎劇がなんか苦手というか、拒否したくなるようなねちっこい倒錯的なものは自分の記憶に残したくないと思ったりしていた。

でもよくよく考えたら、谷崎潤一郎の作品は私ほとんど読んでた。とはいえ作者が谷崎潤一郎って気が付いていなかったかも。『痴人の愛』『卍』『吉野葛』『春琴抄』そしてなんといっても『細雪』、これ、京都行くまで真剣に川端康成か谷崎潤一郎か大学で習ったはずなのに混同していた。『細雪』大好き。以前ブログで着物の事を書いた時にも『細雪』の着物の話を書いている。書く時誰が作者だったかネットでいちいち調べたわ♡

読んだのはまだ私が娘っ子の頃だったと思う。自分も三姉妹なので女ばかりの楽しみしがらみ困ることなんかちょっとよく似ているなあなんて思ったような覚えがある。「もう着ない」宣言をした着物、着ないけど好きでよくもまあこんなにという程持っていたくらい。物語の中で着物の話が出るとぱっと気持ちが弾むのがわかる。

そんな『細雪』の聖地は多分船場だろうけど、京都に物語の舞台になった場所があるなんて知らなかった。しかも京都のフライングカフェだとう?行きたくてもいけないじゃない、だから東京にいて京都の大学っていうのは困るのよなどと思っていたけれど、今回卒業式に行くことになり「じゃあ自分も行けばいいじゃない」と。こういう楽しみ思いつかなかったら卒業式なんて行こうと思わなかった、多分。はーイヤ、もーダメ、ぶっちしようかなあなんて愚図愚図考えた。

バスを降りて5分くらい歩いた。正門に到着。



本殿、左右の樹に注目。左が橘で右が桜、ああーだからお雛様の飾りもそうなんだと納得。大発見をしたように思えて嬉しくて興奮してニコニコしてしまった。いつもどっちが桜で橘か、もう何十年も愛でたり飾ったりしているので感覚的に間違えはしないけど、お雛様と言えば京都、そしてここ平安神宮が元なんじゃないかと思った。本当にそうかどうかわからないけど、もうしっかり覚えたし「平安神宮もそうなのよ」と来年お雛様を飾ったら娘に教えてあげよう。

 
近くで撮った。   
   

桜はまだ固い蕾だった。それよりもっと他に写すものがあったでしょうと思うというくらい、右桜に左橘の写真ばっかり撮って、よほど嬉しかったのだろうと他人事のように今は感じる。   

 
さあ、いよいよ『細雪』ごっこの始まりよ!

keidaizu2014
平安神宮境内図

枯れ木ばかりでちょっとガッカリ。その代わりにガラ空きだった。おばさんのグループとか大勢の団体客とかいないからこれはこれで良かったかもしれない。


これかあ!ブログの写真の通りじゃないと嬉しくなった。もちろん渡った。思ったより石と石の間隔が狭くて渡りやすい感じ。



 
   
   
青空文庫になかったので無料のkindleをダウンロードしてスクショ。(旅行行く前はなかったのに今みたらあった!すさまじい勢いてアップされている。作品数がほんの数日で6→21になってる。青空文庫の耕作員って何人くらいいるんだろう?)谷崎潤一郎は亡くなってから今年で50年なので、パブリックドメインの仲間入りを果たして無料で公開されている。今後は彼のほとんどの作品が公開されるかと思うと少し切ない。自分が亡くなってたったの50年で無料になってしまうなんて、諸行無常だ。かといって、よい文学作品をいつでもどこでも読めるというのは「教育」という意味では喜ばしいことである。私もこれからたくさん作品を書くつもりなので、長生きしないとなーなんて思った。



「栖鳳池の東の茶屋で茶を飲んだり」と出てくる茶屋。みたらし団子かおでんが食べたかったのに無かったのでお茶も飲まなかった。でも今ここに座ってお茶くらい飲んでこれば良かったのにと大後悔している。私の馬鹿ー 何しに行ったのよ  とにかく時間がないと焦っていたせいか。



桜は咲いていないけど梅が綺麗だった。いいお天気。



『細雪』の姉妹たちがこの橋の上から鯉に餌をやった「泰平閣(橋殿)」   




さあ、いよいよ鯉に餌やるぞーと思ったらどこにもお麩の販売がない。



ごめんよ、お麩売ってると思ったらなかったんだよ、家にいっぱいあるから持っていけば良かった。今度は絶対。 
 

Tweetしておくと、後で何時くらいに行ったのかがわかって便利。この時13:03かあ。そろそろ大学に移動しなくてはと思った頃ね。実際この後御朱印をいただき御御籤を引いて、それが「末吉」だったので無かったことにしてもう一回引いたら今度は「大吉」だったので、気をよくして絵馬も奉納した。おみくじを何度も引くなんてって思う人がいるかもしれないけど、ひとり一回なんてどこにも書いてないし、大吉が出るまで引くっていうポリシーの人がいてもいいと思う。神社だって儲かって嬉しいに決まってる。しかし最初に引いた「末吉」のおみくじですっごく気になることが書いてあり、一体どういう意味なんだとひっかかってずっとずっと考えてしまった。その答えは旅の最後にわかることになる。

ともかく今度から好きな作家はと聞かれたら「谷崎潤一郎」と答えたい。でもこれはこれ人々のいらぬ誤解を招くことになりそうな気がする。好きなものは好きでいいという気持ちもあるけれど、以前のレポートのこともあるし、今書いている小説の内容的にも「やっぱりそういうの好きなんだ」と思われたら困る気がする。要検討。

一泊二日で京都に行ってきた。本当は二泊三日、出来れば三泊四日にしたかったけど、春の三連休のせいかホテルが空いていなかった。そもそも二泊の予定でとったのに、何を勘違いしたのか一泊しか予約できておらず、同じところで二泊したかったのでキャンセル待ちを狙っていたが、とうとう最後まで空かずじまい。その近くのホテルで割とお得なお値段のシティホテルがあったのでいったんはキープしたけれど、一泊目のホテルの後に別のところに移動する、しかもどんなところかもわからないところに泊まるのは嫌だと結局一泊だけになった。チェックアウトの時も、荷物を取りに夕方行った時もキャンセルが出ていないか聞いてみたけれどダメだった(しつこい!)もうこれは一泊で帰りなさいと何かが教えてくれているんだと思うことにした。多分一部屋くらいなら空いていたんじゃないかと思う。私が予約したのは夫の会社経由だからいちげんさんではなかった、でも空いているだろう部屋を融通してもらえないというなら仕方ないし、でも邦人契約なのに空きがないと言われるなら本当になかったのだろうとか色々考えた。

というのは、タクシーの運転手さんに興味深いことをきいたから。京都に着いてまずは『六道珍皇寺』に行こうとバス停に行くと長蛇の列、バスの一日券の窓口もどこが最後尾なんだろうという混みっぷり。いつも「タクシーはお年寄りと身体の不自由な人と妊婦さんのもの」と口煩い私だけど、こういう時間のない時は別。さっさとタクシーに乗って移動した。そこでせっかくタクシーに乗ったのだから京都の人間関係を色々聞いてみようと思った。京都の知り合いもいるし、大学の先生が京都なので聞いてみてもいいけれど、京都に所縁のある人や京都の大学で生計をたてているひとは京都の悪口を言うはずがない。なので「全然関係ない人」に一度聞いてみたかったのだ。最初は桜はいつ頃かとか「YOUは何しに京都へ」などという話から、だんだん核心に近寄りさくっと聞いてみた。

「京都にいてなんか嫌な目に遭いませんでしたか」

すると一期一会の間柄と安心してくれたせいか、色々と悔しかったこと、一時は人を信じられなくなったことなど色々色々話してくれて、「当時は何度も泣きましたねえ」などと話してくれる。差し障りのない内容のものを紹介すると、せっかく京都にいるからと張りこんで高級懐石を食べにいった。すると京都に長年いたはるお客と自分の料理が全然違ったそう。同じメニューというのは明らかなのに、食材や出来栄えが天地の差があったそう。あとはホテル空いてないというと、「そういう時は御茶屋さんやそういうところの太いパイプがないとあきまへんのや」だそうで、なるほどそういうもんですねと納得したりした。「まあどこも同じですよね」と言ってみたが、最後まで「京都いうんは他とは違う」と言い切っていた、運転手さんの様々なご苦労が偲ばれて、たった一泊二日でも侮らないように足元をすくわれないように気を付けようと思った。はー怖。

そして京都駅から料金1,010円で『六道珍皇寺』へ。ここは前々からずっと興味を持っていて、京都に行くことがあったら絶対寄りたいと思っていた場所。入学したばかりの年、なんの授業か忘れたけど、このお寺に祀ってある小野篁の説明というか紹介があり非常に興味を持った。小野篁は平安時代の公卿(役人)にして学者で文人、歌人でもあり、文武両道を地で行くような優秀な人物、でもそのすさまじい程の天才気質や、清廉反骨、直情な姿勢は『野狂』と呼ばれたとある。そして夜はなんとなんと「冥界」の役人で、そこに通じる井戸を使って夜な夜な閻魔大王に仕えていたそう。ね?面白そうでしょ。詳しくは 公式サイトへ。

小野篁が夜な夜な行っては帰ってくるという井戸、是非みてみたいと思っていたのよ!調べてみると京都駅からそんなに距離もないじゃない、ついでに調べると私の行きたかった他のところもあちらこちら近在している訳よ。大学の「研究発表会」が14時からだからそれまでに色々周りたいと計画。そして京都行の初日から井戸が期間限定で公開しているとあった。スゴイ偶然、小野篁さんが私に「井戸をみせてあげるから」と呼んでくれたような気がした。

朝早いせいか桜の時期でないせいか、門の外から中をのぞくと人気がない。空いているのは大歓迎なので、静かな境内をのろのろと歩く。入ってすぐ右手に小さな建物があり、小野篁さんとその隣に閻魔大王像、京都について初めての祈念なので、京都に呼んでくれたお礼から子ども達のこと、あなたの文才をちょっぴり下さいとか芥川賞お願いしますとか子ども達が健やかにとか後で待つ人がいないせいか、しばらくぶつぶつと色々お願いしてしまった。そこから本堂、といっても普通のお屋敷風な感じの建物で、上がり框からすぐ番台みたいな発券所でその奥がお土産や兼御朱印所になっていた。順路通りに歩いて特別公開の曼荼羅画などを拝見していよいよ井戸を拝見。


小野篁が冥界に降りていったといわれる井戸、近年戻ってくる時に使ったという井戸も発見されたそうで、井戸の横の細い道を奥にいったところにもうひとつ井戸があった。写真を撮りたかったけど、井戸の写真は「縁側からだけ」と注意書きがあったので残念ながらない。こういうのちゃんと守らないと篁さんが見ていて気を悪くされたら困るし。戻ってくる井戸は中に細い管が下に伸びており、その中を小さな電球がずっと続いて奥の奥までみえるようになっていたが、どこまで続いているのか途中で見えなくなっている。本当に地の底まで続いているように感じて感心してしまった。私思うんだけど、小野篁さんは生前は昼間は地上で夜は閻魔庁にいたと言われているが、亡くなった今は昼はずっと閻魔大王に仕え、夜になると地上のこの建物辺りに来ているんじゃないかなと思った。不審者はいないかとか、井戸の辺りを写真を撮った人リストをみてなんかバチをあてるとか。そんな空気を感じてしまった。


 ね?ダメって書いてある。


 六道珍皇寺の入り口、「ここかあ!」と大感激。

右のちょっとしか写ってない黒い建物に小野篁像、閻魔大王像がある。



水琴窟。ひしゃくで水を汲んで下の砂利に撒くと、カラカラコロコロと美しい音色が微かに響きわたる。うーんミラクル。


「黄泉がえりの井戸」の庭全景。左のサンダルを履いて手を洗ってお参りしてから井戸を拝んだ。
      


御朱印をいただく。京都に来て初めて書いてもらう。御朱印だいぶたまったから、閻魔大王に詰問されても天国に行けそうな感じよ♡
   

風情のある提灯。



入口のところにこんなポスターが。上村松園の掛け軸など特別展示もあった。これを目当てに名古屋から来たという方がいて、ビックリしたけどそういえば京都名古屋近かったなと思い出した。私は新幹線ではるばる来たけど、名古屋からだと近鉄特急もあるし、高速使わなくても来られる距離。私はもう違う、今回を逃したら今度いつ京都に来られるかわからない、この二日間気合い入れて行きたいところは全部まわろうと決意を新たにした。   

 公式サイトにも書いてあるけれどこちらにも転載。

「「六道」とは、仏教の教義でいう地獄道(じごく)・餓鬼道(がき)・畜生道(ちくしょう)・修羅(阿修羅)道(しゅら)・人道(人間)・天道の六種の冥界をいい、人は因果応報(いんがおうほう)により、死後はこの六道を輪廻転生(りんねてんせい)する(生死を繰返しながら流転する)という。 この六道の分岐点で、いわゆるこの世とあの世の境(さかい)(接点)の辻が、古来より当寺の境内あたりであるといわれ、冥界への入口とも信じられてきた。

このような伝説が生じたのは、当寺が平安京の東の墓所であった鳥辺野に至る道筋にあたり、この地で「野辺の送り(のべのおくり)」をされたことより、ここがいわば「人の世の無常とはかなさを感じる場所」であったことと、小野篁が夜毎(よごと)冥府通いのため、当寺の本堂裏庭にある井戸をその入口に使っていたことによるものであろう。この「六道の辻」の名称は、古くは「古事談」にもみえることよりこの地が中世以来より「冥土への通路」として世に知られていたことがうかがえる。」

こういうの誰が言い出したんでしょうね。こんな面白い皆の興味をひきそうなことを思いつくのは天才と名高い小野篁さんご本人ではないかと思った。冗談のつもりで誰かにこそっと話したら、面白いとあっという間に噂になった。それをまた面白がって井戸から行くとか冥界はこんな風だったとか即興で話したりしているうちに京の都でも評判になったのではないかしら。小野篁さんの時代は平安時代の前期、有名なところだと紫式部の源氏物語が平安中期だからその少し前、夜になると何も見えない真っ暗な時代の京都の人々は小野篁の話に歓喜したのではないかしら。現代のようにスマホもテレビも山盛りの本も何もなかった頃、こういう不思議なお話物語が人々の心で花開いていたのでしょう、文学っていつの時代も営みの潤いなんだなと感じた。

などと文芸コース卒業生らしき締めで次はそのまま歩いて『安井金比羅宮』へ行った。

何故安井金比羅宮なのか。東京八重洲口のヤンマービルの近くだったっけ、h&mの看板の前にある「京都館」でもらった地図を読みこんでいるうちに、六道珍皇寺の近くに安井金比羅宮をみつけた時は嬉しかった。おおー懐かしい、一回行ったわもう一度みてきましょうか、あれをくぐってい縁をいただきましょう。なんて思ったのよ。本当に歩いてすぐなんですよ。東京から京都造形芸術大学の卒業式に参加するみなさん、是非訪れてみては。
 

「悪縁を切り良縁を結ぶ祈念所」とあり、これですぐ安井金毘羅宮だとわかった。なかったら素通りしてしまったか、わからなかったかもしれない。ともかくすぐわかって鳥居をくぐった。
      


工事中。年度末は様々な予算の関係で、こうした工事が行われるときいたことがある。おきばりやす。


お参り前は手を洗う。左手右手、左手ときておの水で口をすすぐ。      




朝早いせいかまだ人もまばら。

       

単純に岩にお札がびっしりというおどろおどろしいというか人の情念が山盛りというか、多くは多分人間関係の悩み、恋愛などの想いや怨念を目に見えぬ何かへの上申するというね。特にこういうところにきて真剣に祈念するのは大半が女性、なんていうかちょっと怖い感じというか一度みたら絶対に忘れないビジュアルも相まって、こういうの好きか嫌いかと言われたら好き、なのかなあ。若い頃は色々な怨念が自分に降りかかったら嫌とか怖いなんて思ったりしていたけれど、今はそんな事もなく誰か特定の人を思い浮かべることもなく、私たち家族の悪い縁を拭い去り新しい良縁をお授け下さいって感じ。

結婚してしまうと、特に子どもを産むと恋愛の苦労が無くなる代わりにボスママとかなんだかんだ別の悩みが生まれてくる訳で、そうだ「あの辺りのボスママ特にkingofBOSMAMAがもう私の名前や話を一切しないようにしてくださいあの人まだネガキャンやっているみたいなのでウザいですとか、娘をイジメるボス子どっかやってくださいは祈念した。あたりまえやろ?折角来たのに。まあそんな事くらいしか祈念することがないというのは平和だけれど面白味のない人生ともいえるし幸せ、なのかなあとも思った。

独身の頃来た時には、特定の人との縁切りを祈念して新しい恋をなんてお願いした。そういえばそれから別れたい人とはすっぱり縁が切れて、新しい人も運命的に表れたそういえば。その人と京都でなんどかデートしたことを思うと、ここでお願いした意味がちゃんとあったように思えた。本当に私に尽してくれる人で、前のどちらかというと自分が尽す恋愛に嫌気がさしていたのでその点でも願ったり叶ったりだったかも。うん、やっぱりすごくご利益あった。ということは今回もなんかすごくいい事があるはずよ。そういえばアラブの石油王はもう帰ったの?       

もちろん岩の穴にもくぐった。最初にこちら側から向こうにくぐって悪縁を切り、今度は向こうからこっちにくぐって良縁を結ぶということらしい。私がくぐろうと思った頃には黒山のひとだかりというか、グループがいくつもきゃあきゃあやっていたけれど、ちょっとどいてよと言う感じで「ぬんっ」と岩の前に立ったらさあっとモーゼの海のように人が引いてくれた。誰かに写真とってもらおうかと思ったけど恥ずかしいからお願いできなかった。岩をくぐった後は本当になんていうか清々しい気持になれて、心の煤をさっぱりと払い落とせたように感じた。きゃーやったあ、またこの岩をくぐれたわ!大満足よ!と喜び勇んで次の目的地八坂神社へ向かった。

どうしよう、なんかすごいまた長編になりそうだけど、八坂神社から別の記事に分けた方がいいかなあ。だんだんまたマシンがフリーズしだした。ぐぬぬ、じゃあ八坂神社は「神社仏閣シリーズ」ということでこのまま書いて、細雪の舞台「平安神宮」だけ別に書こうかな。

ということで、そこからまた歩いて八坂神社へ。徒歩にして約10分くらい。



着物の人が男女共にやけに多いなー京都だから着物が普段着なのかと思ったら、レンタルで着つけてもらったであろう外国人の方ばかりだった。なんというか着つける雰囲気で日本人か外国人かがわかるものだと思った。多分私たち日本人が中国でチャイナ服をレンタルすると同じような感じになるのかなと思ったり。ともかく八坂神社、京都には何度も来た事があるけれど、八坂神社は初めてじゃないかと思いあたった。

京都に来る時はたいがい車でくる、そうすると八坂神社の前は何度も何度も通ることになるが、車を停めるところがないのでいつも素通り。前を通って清水寺とか祇園とか先斗町に行ったような気がする。お参りしなかった訳は、こんなに立派な門構えの神社、多分中も広くて混んでいてお参りするのが大変と思ったのもあるかもしれない。でも先生のブログに「美人神社」というのが紹介されていて、舞子さんもお参りにくるなんてあった。「もう絶対行く」と決めて、京都観光というか視察というか、周るリストとしてしっかり印をしたのよ。

私は美人が大好き、同じく自分の顔もなるべくなら美人であって欲しい。なぜなら美人は性格も心根もいい人が多い。あの顔採用の先生みたいな例はあるけれど、あの顔は美人というより女狐だわね。姸があってなんか怖いというか怨念がおんねん。ということで本殿にお参りしたのはよく覚えてないけれど、  通称「美人神社」正しくは「美御前社」にて美貌と健康を祈念、健康は大切、健康でないと美人にはなれないでしょ。私今これを書いていて本当に失敗したと思ったのは、ここの御朱印はもらったけれどお守り買ってくるの忘れたのよ。あーもう大失敗。 美人従妹の分も買うと決めていたのにもー!でも御朱印は予め書いてある用紙を買うというもので、これだけ額に入れて飾っておこうかな。      


ぱらりと賑わっています。この「ぱらりと賑わう」っていう表現、昨年の合評会で「こんな表現どうなの」と言われたけど、いい感じだと思うけどな。書いておくと誰かが真似すると思うけど、私が考えたやつだからよろしくね。     

 
京美人のイラストの旗がいっぱいですぐわかった。  


ひとりで来ている人と写しっこした。


この湧き水で顔をなでると美人になると書いてあったので、かなり念入りにじゃぶじゃぶ洗って美髪のために頭からもかぶったらびしょびしょになってしまった。寒くて困っていたところ、更に凍えてしまった。


ビショビショのまま御朱印を頂く。怪訝な顔をされたので「美人神社で頭にも水をかけた」と言ったら「道理でお美しい」なんて言われて京都は観光客慣れしてるなと感心。もしこれが会社とかご近所とかママ友だったら何かちくっと言われるんだろうかと思った。
      


鯛御籤。釣り竿でおみくじを引くようになっている。縁起がいいし子どもがいたらやりたいっていうだろうなと思った。今思えばこれを子ども達のお土産にすればよかったじゃない?わたしときたら本当に気が利かないわ。というかいつも節約節約と思っているから、こういう時にも財布の紐が緩まないんだと思う。これ、10個くらい買ってご近所の子ども達にも配れば良かった。




いつも車でこの道を通っていた。なのでこの三叉路みると「京都に来たー」って嬉しくなる。この商店街も好きで、時間があったらぶらぶらと行ったりきたりしたかった。でも今日は14時までに大学に行かないといけないので割愛。まだその前に行かないといけないというか、絶対行きたいところがある訳で、写真の右手に歩いて1分くらのところにあるバス亭から平安神宮を目指す。いよいよ『細雪』上巻に登場する平安神宮ら臥竜橋を渡り鯉に餌をやりたいとまた急いで移動した。考えてみればこんなに駆け足で京都回ったのなんて初めてかもしれない。

つづく

京都なんて何年ぶりだろう。それこそ小説に書いた通り、地元にいて独身の頃は、桜か春緑の頃ドライブがてら何度も来た覚えがある。もう「前世」と言っていいくらい以前の出来事。友達と、家族と、恋人と、いつも同じようなコースだったりその時の興味の向くまま坂本龍馬を訪ねる旅とか色々だった。名古屋から京都はそんなに距離もなく、日帰りでも何度も出かけたものだった。当然いつも車、恋人とは新幹線のリッチな旅だっとか、亡くなってしまった当時の親友とも来たとか、あの頃は必ず地主神社か鈴虫寺に恋愛の祈念をしたとか京都というと色々色々思い出す。もちろん京都は大好きだった。

でも今、京都というとちょっと微妙な感じ。そして今回の旅の目的は遊びではない、でも仕事でもない。そう、大学の卒業式にきたのですよ。正直来るつもりなかったし、「東京のキャンパスだけで卒業した」というつもりだった。でもちょっと事情が変わり、思い切って出掛けることにした。


旅の出来事あれこれは、Twitterを見てくださいね!

森生ゆり子Twitter
https://mobile.twitter.com/yurikomorio

帰ってきたので続きを書きたい。

大学の卒業式など絶対に行く気はなかった。会いたい人、改めてお礼を言いたい人など誰もいないし、行っても嫌な思いをするだけなのは明らか。冷やかな空気の中で発表、食事会、卒業式、その後の分科会。わー絶対嫌だ!!

仕事でもあるまいし、わざわざ行く必要があるかというと全然ない。東京から京都の本校に行く物好きなどほんの一握り、行っても行かなくても誰も気にしないだろうしお金が勿体ないと思っていた。それこそ、その分で家族で美味しいものを食べるとか、娘ちゃん連れて歌舞伎を観に行くとか3月末の歌舞伎座の俳優祭りに今年こそいってみたいとか、普段何もないところにそんなところに行けばまた豊洲のボスママ軍団や夫に「いい御身分」などとdisられやっかまれるけれど、「卒業式に行かない代わりに」というならいいだろうと思ったり。

でも「行かなくてはならない事情」が出来てしまった。娘が学校に行きたがらなくなり、理由を聞けばそれは大人の私でもやっぱり行きたくなくなるだろうというもので休ませてしまった。でもやっぱり学校は「行かねばならない」ところだと認識して欲しい気持に変わり、だったら私が「どうしようもないくらい行きたくなくて嫌な大学に行ってみせる」というのが必要かなあと考え、「ママの方がこんなに悲惨な状態で四面楚歌っていうのはこういう感じ、あなたなんてまだ「大丈夫?」って聞いてくれる同級生がいるし先生達が心配して色々配慮してくれるじゃない?ママなんて大学生でしかも通信生だから「嫌ならやめてください」っていうところな訳、でも頑張って通って単位とって卒業したんだよ、しかも敵陣の京都本部でやる卒業式まで行ったんだよ!だから娘のあなたも頑張って」と言いたかった。

という決意を延々と話して聞かせたら、大学卒業式に行く前にあっさり学校に行ってくれるようになり、じゃあやっぱりもう行くしかないじゃない、行かなかったら「やっぱりママだって行きたくないからさぼった」と思われるし言われるだろう。もー!行けばいいんでしょ行けば!という捨て鉢な気持ちがてんこ盛り、でもあえて行くのも面白そうという私もいて、気持ちがカオスってわけわかめ。

でもどうせ行かないといけないならと「行くならせっかくなので」と色々調べだし、京都行けるなんてもう一生のうちで最後かもしれないとあれこれ思案、あれも行きたいこれも見たい、そうだ千住博先生の襖絵などと夢が膨らみだしやっと本気で「じゃあ行くかあ」という気持になった。

とはいえそれでも前日もやっぱり行くのやめようか、でもでもドタキャンなんかしたら子ども達特に娘がなんと思うか、いやーでも体調不良なら理由になる?とかもうこれでも散々悩んだのですよ。

逆に一泊二日なんてMOTTAINAI、どうせなら連泊なんてことも考えたりして、気持ちがチリジリバラバラ一体どうなるかと自分でもわからなかった。当日の朝起きて「やっぱりイヤ!行きたくない!!」となれば行かないだろうし、「なんかいい感じだわ、京都是非行きましょう」になるのか自分がどうなのかさっぱりわからないままに就寝。こういう時に限って子ども達全然寝てくれなくて、ママママママママと夜中までまとわりつき、一緒に寝たら寝たでごにょごにょくっついたり話し始めたりして全然寝られなかったくそう。 

でも朝起きたら「はっ、ちょっと寝坊した?」と焦ったせいでどんどん支度できた。あー私行くんだ、「せいぜい頑張ってね」と私のもう一人の私が冷やかに見ているかと思えば、「ああそうだよ行くよ行けばいいんでしょ」という捨て鉢な私もいて、まあここまで来たら行くかあと半分諦めたような気持ちで出発。地下鉄でいくかバスで行くか迷って荷物が多いから地下鉄の駅より少し近い停留所のバスにした。タイミングよくバスが来て東京駅の八重洲口に到着。
   

しかし豊洲は便利な立地だと改めて思った。約30分で新幹線に乗れるとは。朝早いせいか席も空いていてラッキー、早速せんとくんと朝ごはん。サンドイッチを食べ珈琲を飲み、色々愚痴を言ったり相談したり、「良かったせんとくんがいてくれて」としばし会談。

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東京から京都までのぞみで2時間半かあ、やっぱり京都は遠いわねと思ったけれど、あっという間に到着。天気がいいので途中富士山が綺麗にみえたり雲がかかっていたり、すっきり見えた時は真っ白。雪が好きなので幸先("・∀・)イイ!!と嬉しかったなー

さて、これから一泊二日の京都の旅を色々書いてみたい。でもいつもの長々ブログだと自分も疲れちゃうし、最近とうとうパソコンが調子悪くなって来て、長文を書くとフリーズしたりするので細々書きたい。様々な課題、レポート、そして卒業研究でこき使ったasusのノートパソコン。思えば「文芸部ならパソコンひとつで卒業できる」と思って編入し、それはその通りになり卒業出来たけれど、果たして入学したのは良かったのか悪かったのかと思うと今の時点では吉凶混合、正直卒業式にも行きたくないくらいだからやや凶よりではあるが、パソコンが死にかけるくらい様々な文章を生みだせたことは思い通りの時間を過ごせたということでこれだけは良かった。

卒業したら新しいノートパソコンという目論見は、卒業式のために京都に行くという決定によりちょっと難しくなった。でもまたどこかから臨時収入があったり、コツコツというか自動購入しているビッグ、ロト6が当選するかもしれないし、それまではこのパソコンを使うつもり。そうだ、卒業記念にデータバックアップしてリカバリしてみようか。せっかく書いた小説やあれこれがクラッシュでもして吹っ飛んだら洒落にならない。

ということでこれから書く目次を書いてみたい。

お久しぶりに京都へ「やっぱり行くしかないか」
・卒業研究発表会の前にご利益を頂く神社仏閣巡り
・平安神宮へ『細雪』ごっこ私は谷崎潤一郎が好きなの
・さあいよいよ陣地へ乗り込む「卒業研究発表会」
・文芸コース懇親会「豆水楼」はホテルから徒歩3分
・早く起きて冬の貴船にわざわざ行ってきた訳
・京都造形大学卒業式・分科会ってこんな感じよ
・【終わりは】まとめ【始まり】

あっという間に書けるかぐずぐず書いてはやめてそのままになるか、出来るだけちゃんと最後まで書こうと思う。この書き方、目次を予告して連載みたいなのってどこかで見たと思ったら、小池百合子さんが都知事に立候補してもう一週間後に投票日という時に「小池百合子インタビュー」という連載を始めた人がいて、今頃何書いてるんだろうと正直な気持ちをあのサイトに書いたら垢バンされたのを思い出した。こんなことで(笑)と思ったし、出されたおかげで卒論が出来たともいえる。SNSの断捨離は時には大鉈を振るわないと叶わないこともある。それは人間関係も同じなのではないだろうか。

ということで京都造形芸術大学でも様々な人間模様、出会いも別れも友愛も敵対も何もかもがあった。そんな思い出も書いてみたいと思う。

ここ数日というか先週末あたりから色々色々あった。ざっくり言うと、京都造形芸術大学、豊洲小学校、それからNewsPicks。相変わらずこの三本柱であっちでちょこまかこっちでコソコソと何かしかある。NewsPicksは正直もう管轄外なのだが、色々見聞きするし話題にする人もいるのでなんとなくまだ縁を切れないというところか。でもあのサービスで社会問題に明るくなると思ったら大間違い。日々どんどん流れていくニュース達に翻弄され時間が勿体ないだけ。社会の問題に明るくなりたいなら7時のおはよう日本を毎日観るだけでいいと思う。私は最近テレビみるというとこれだけ、あとはドラマ10の「お母さん、娘をやめていいですか」を観た。私は『娘さん、お母さんやめていいですか』だったらどんな脚本にするか考えていて、そう思う母親が多すぎるので色々社会問題にもなっていると思ったりした。子ども産んだら死ぬまでお母さんするしかない訳。でもうちは夫が半分お母さんみたいなものだからなんとか持っているんだろうなと思う。昨日は夫が家に一日いたので安心して寝込んでしまった。どうもインフルエンザから体調がすっきりしないところに色々やらないといけない事があったり事件勃発で、頭が痺れて体が動かななかった。それぞれの問題はなんとかなったもの、ならないもの、続いているもの、全然納得がいかない。いつもならこれら赤裸々に書くところだけど今日は書かない。もう無料で話題を提供するのにほとほと懲りたしもうここまでくると「ママ友ハラスメント」の話から逸れてしまい、ブログの主旨とは違う方向に行くと思う。

もうハラスメントやイジメは世の中から無くならない。今こうして私がブログを書いていてもあっちでもこっちでもあるだろうし、ボスママに目をつけれて生きた心地がしない人達がたくさんいるだろうし、イジメに堪えて辛い気持ちでいる子ども達が今日死のうか明日にしようかなどと考えているにに違いないのだ。もう私が言えるのは「馬鹿のために死ぬのはMOTTAINAI」ということだけ。学校に行くのが嫌で死にたくなるなら学校に行かなくていいし、親は子どもがさぼりたくて言っているのかそうじゃないのか子どもを毎日見ていたらそのくらいわかるのではないか。全然気が付かなくて死んだ後に日記みて愕然なんて、それはちょっと違うんじゃないかなと思う。きっとみて見ぬふりが愛とか、叩かれることで子どもが強くなるとか、妙な体育会系の馬鹿な根性論はそういう時全く役に立たない。かといって甘やかしになっても困るしやっぱり難しいな。ともかく世間体的に日和るのだけはやめようと思う。

今回の色々はネタ帳的にプールし、あの人については色々役に立ちそうだから何かの時の切り札にすることにする。前に自身が言っていたのでその通りにする。あの人のお得意な「パパにいいつける」ってやつを今してもいいけれど、きっとごめんで終わるしいくばくかのお金ということになるだろう。そんなものいらんわ。ということでちゃんと謝ったのは認めるけど全然反省の念が伝わってこず、これで手打ちとは思わないで欲しい訳。もう本当に助けなければ良かった、泣いて大学辞めるのが本当にお似合いだったのよあなたは問答無用で最低最悪。

といういことで最後まで京都造形芸術大学最悪ということになったが、それでも色々学び多き授業もあり、エキサイティングなイベントありで何も知らない一年目は割と楽しく過ごせたのでイーブンということにしようか。特に私の運が良かったのは主担任副担任が他の誰でもなかったということだろうか。先生達だって大学側の先生だから思うところはたくさんあったと思う、でも主観を抜いて私の卒業制作だけをみてくれたということになるのではないか。他の先生達だったら私、特に「大学というレンズを通してみた私」について評価採点したと思う。

あの顔採用なんかはいい例で、結局成績における疑義書はもう出さないことにした。どれだけ何を書いても「(笑)」というものしか戻って来ないだろうし、「N先生もご存知です」とわざわざ書いてくる恥晒しっぷり。困った時の御旗のご門というか、成績の採点ではないと言っているようなものだと思う。どうしよもないと思うし大学がそれでいいと思うならいいんじゃないでしょうか。次からは大きな声と文字で授業すると書いてあるし、図らずも顔採用を助けたことになってしまいこれ以上奴の役に立ちたくない。クレームって世間ではマイナスイメージだととらえる風潮があるけれど、真っ新に受け止めたらそれは企業や個人をよりよくするメッセージだと思う。

先日藝術学舎の『文章講座』(※寒竹先生の授業は素晴らしいに決まってるので内容やためになった話は割愛。タダで教えるもんかと思う)を受けたせいか、たまたま周りが文芸コースのこれから卒制をするという方々で、卒制の終わった私は余裕ぶっこいて色々アドバイスしたけれど、一番念押ししたのは「先生のアドバイスは金言」ということ。ああでもないこうでもないといちゃもん的に人格攻撃したり書いてくる人はいるだろう。でもそういう人はもう論文研究の担当からも外されたと聞いたし、少なくとも昨年残った先生達というのはおおえか以外は割とまともな先生達ばかり。なので安心して先生のアドバイスをきくように、無理と思ってもやってみると確かにそうだという結果になるからと伝えた。この私だって先生のアドバイスはひとつ残らず採用したなどなど言えば皆納得だろう、私っていい先輩だわ、本当にみんな頑張ってねといいたい。四年生の一年間はいつも卒制が頭から離れず、色々と辛いものなのよ。でもそのお蔭で他の悩みは全部薄くなっていたともいえる。それが消えたものだからまた振り出しに戻っているのかなあという感じ。ともかく「先生のいうことはよく聞いてネ」という実家のママンの訓えはこの場合は正しかったといえる。でも誰が先生でそうじゃないかは大人なんだから決めていいと思った。

しかしよく単位取れたと我ながら感心してしまう。おかげ様で最後の授業『日本美術論』も単位認定されたと葉書が届いた。これで4月末には卒業証書が届き、芸術学の学士ということになる。もうこれで高卒と夫にdisられずに済むのがありがたいと思う。子ども達だって「ママは最短で大学卒業した」というのも通信大学でどれだけ大変なことか、大人になったらわかると思うし、自分の好きなことならどんな境遇になっても頑張れるといういい見本になれると思う。本当に良かった。

そしてここでまた大学にとって嬉しくない事を書かなくてはならず、余計に心証が悪くなると思うけれど、卒業が決まったからこそ思うところをまた赤裸々に書いてみたい。

私はこの大学に入学する時に「東京のキャンパスだけで卒業が可能」と書いてあるフレーズに強く惹かれて入学した。大学の本部は京都だが、東京で必要な授業は全て受けられるというもの。確かに私は二年間東京にある外苑キャンパスの授業だけで単位を取得しこうして卒業のはこびとなった。でも果たして本当にそうだったかと言われれば、私は「そうじゃなかかった」と言いたい。

京都造形芸術大学通信教育部の授業、特に文芸コースは東京も京都も同じ科目の授業が行われ、京都はa東京はbという区別で申し込み、授業を受けることになっている。必修科目については同じような授業が行われるし、内容や担当の先生が違うこともあるがそんなに大した問題ではない。何より「単位を取得する」というだけならありがたい事でもある。文芸コースのイベントはそう多くないが、読書会、懇親会、合評会などあるし、本年度は有志で文芸フリマに参加と言うおまけまであった。通信教育で学ぶということを考えたら、十分にリアルで学べたし学生間の交流もあった。

しかしこと京都の本校との距離はすごく感じてしまった。例えばこの春京都で毎年行われる『都をどり』というイベントがあるが、祇園歌舞練場が履修工事を行うということで、この大学の擁する大ホール『春秋座』で通しで開催されることになった。京都を彩る春の風物詩、こんな大きなイベントが自分の学ぶ本校で開催されるということはとても名誉なことでもあるが、東京にいるばかりに参加はおろかなんとなく蚊帳の外的な印象を受けてしまう。これはもちろん京都に行くことがなかなか叶わない身の上の不甲斐なさでもあるし、そっちに行く対費用を考えたら近くにある歌舞伎座でお弁当をつつきながら海老蔵の助六でも観たいというのが本音でもある。でも大学の機関紙『雲母』などに「学生50名を無料招待」などと書いてあると、東京にいて京都が本校という理不尽について色々と考えてしまう。



他にも『ホームカミングデー』は京都だけだし『卒業制作展』も然り、「東京だけで卒業できる」とあるが、通信教育で学ぶという身の程を考えないと色々寂しくなってしまったりすると思う。特に京都に本部があるということは、東京の学舎、特にそれぞれのコースについては学部コース長の采配に大きく左右されるところが多い。大学との距離が大きくなってしまったのは私の場合距離的なものだけではないが、こういう事態になるまで何もわからなかった知らなかったというのは本校が遠くにあり、それゆえに監督不行き届きだったというところもあるだろう。

それだけでなく、京都でしか受けられない授業もたくさんあったりして、それも距離を感じたひとつ。特に一番話題になったのは『著作権法』の授業、これは皆が受けたいと思っていたものの京都でしか授業が行われなかった。他にも『京都学』とか、学外フィールドワークで寺院や仏像をみてまわるというもの、神社仏閣の多い京都ならではの授業だが東京では全くない。そもそも私は文芸コースなのでそういう日本美術史的なものは必要ないと言われればその通りなのだが、やはりもともと美術史は好きだしせっかくなので受けたいと常々思っていた。余裕とガッツのある学友などは京都まで通ったと聞いてとても羨ましかった。そうではなく、卒業の単位が足りなくて全然コースに関係ない授業を受けるために京都に行ったとかもあり、これは生徒の勘違いで大学のせいではないけれど、こういう事もある。

代わりに東京だからこそ新元先生や千住先生の講演なども聞けて、東京で良かったと思うところもあった。ということで身の程を知るというのは大切だとまた思った。

でもこういう風に思うのは私だけではないと思う。通信教育部は大人が通う大学でもある、多くの人は大人気ない言い分は引っ込め、自分の守備範囲内で学び、単位を取り、イベントを楽しむ。しかし入学する前にこれらわかっていたとしたらどうだろう。一年間に入学した1700名のうち80%の脱落した方々も色々思うところあったに違いないと思うのだ。文芸コース以外の学部は京都で必修の授業もたくさんあり、結局はお金、特に交通費や宿泊費が続かなかったという事になるんだと思う。入学する時はパンフにいい事楽しい事卒業して成果を上げている一部の人達の事をクローズアップして掲載するだろう。でもそんなの本当にピラミッドの頂点の数人。入学するときは「何とかなる」と安易に思うだろう、でもすぐに「なんともならなかった」ということになると思う。
 
他にも「それぞれのコース毎の采配」というのは以前にも書いた「外資系の採用人事と同じくチーム毎」というのと同じだろうと思う。そこの長がいいと言えばいい、問題ないといえばない、そして「生徒に対しても全て自分に決定権がある」という空気、そんなの京都の本校、通学生に適用されたとしたら文部科学省が待ったをかけると思うし、通学生は誰も異を唱えられないだろう。通信生のしかも大人の私ですら訴えたばかりに酷い目にあっているのが現状。でも何かあっても無かった振りで静かに卒業していく生徒が賢いということになるだろう。 そして私は人を見る目がなかったということになる。後から色々な人に様々に聞くにつれ思うのは、「大人でも大人気ないい人は大勢いる」   ということ。まあそれは自身の大学で証明できたからいいが、そもそも「訴える」というのはした方が損するように出来ているのだとまた思った。
   
今思うのは、時が過ぎれば何もかもが思い出に変わるだろう。もし大学やあの先生やそのせいで揉めた学友達となんとなくなあなあで笑って済ませていればよかったかもしれない。でも人の本音やいざという時の対応の仕方、組織の持つ隠蔽力、手のひらを反すような対応。色々と垣間見ることが出来て、普通につるっと卒業するよりは学ぶ事が本当に大きかったと思う。何より「地方と私腹の多い大学には子どもを入学させない」という意志も固まった。出来れば中学も高校も私立はやめて欲しい。例外として武蔵美はいい。もし時を逆戻りさせられるなら高校一年生くらいに戻って武蔵美を受験したいと思う。今の私が高校生になれたら「女に学歴はいらない」というあの頑固親父と対立してでも大学に行ったのに。西原恵理子さんも苦学して卒業されているが、京都造形芸術大学だったら途中で退学していたんじゃないかと思う。

色々思うところはあるが、ともかく卒業出来ることになった。嬉しいような嬉しくないような複雑な心境ではあるが、ともかく子ども達に「ママは辛くても悲しくても苦しくても頑張って卒業した」ということだけは言える。これだけはまごうことなく良かったと思う。通学生は裕福な人ばかりと思っていたが、そうでもないとも聞いた。苦学して卒業に漕ぎついた人もたくさんいるだろうし、様々なハラスメントに堪えて大変な思いをた人も多分いるだろう。

ともかく脱落せずに卒業出来た学生の皆さん、卒業おめでとうございます。様々な壁を乗り越えまずは卒後というコールに辿りつけたこと、本当に素晴らしいと思います。でもこれが終わりではないんですよ、社会に出ればもっと大変なことがたくさんあります。どうぞ今までの苦労が少しでも報われるようにと祈るばかり、お互いこれからも頑張りましょう。
   
などといつものようにブツクサ書いて、更に藝術学舎のレポートとおまけの短編小説習作まで書けてしまった。大学に入学したばかりの頃は、武蔵美のレポートにだいぶ慣れたとはいえやはり課題は様々に苦労した。でもえいやっとやってみれば出来不出来はともかくあっという間に完成した。自分の苦労も少しは報われたように感じた。

やっとインフルエンザから脱却できそうな本日罹患5日目、体調はほとんどいいが、医者からもらったパンフによると「熱が下がっても、しばらくはインフルエンザウィルスが残っているため、他の人に罹患させる可能性があります。」とある。5日目までは家にいないといけないそうな。ちょっと外に出たい気持ちもあるけれど、念のためもう1日家にいようと思う。それでなくても家はもう廃墟と間違えられそうな惨状、こでも起きてちょこちょこ片付けたからこれで済んでいるけれど、そうじゃなかったら本当の汚屋敷。夕べは夕べでせっかく子ども達も寝入ったところに夫が遅くに帰って来て、それからまた勉強がどうの片付けていないだのこれやったの(なんかの悪戯)誰だ僕じゃない私じゃないとわーわーやりだしそこから夫のいつものdis節がさく裂し「あの高卒かあちゃんは一体何やってんだよ」とインフルエンザで寝ているとわかっているのに大声でののしりだし、それはいつものことなのでよしとして一体いつまで子ど達を起こしておくつもりなんだろうとイライラすること約2時間、とうとう0時を回ったところで私がブチ切れ、それならもう今夜はずっと起きていなさいとテレビをつけて観たった。そうなると反抗的なやつらは急に寝出して、明日起きられないとかテレビうるさいといいだす。一体全体あんたらが今までどれだけうるさかったかと思うのしかも私インフルエンザで寝ているのに。でもその後せんとくんと一緒に寝たせいかぐっすり眠れて、これはひとりで伸び伸び眠れてしかも寂しくなくていいと思った。

既婚女性と独身女性の美貌の違い、それから子どものいる人といない人と比べ、年齢を重ねるごとに顕著なのは、自分にお金をかけられるかそうでないかは勿論だが、「睡眠時間」や「睡眠の質」も大きいと思う。ひとり暮らしもしくはdinksなんかで自分が好きな時間に眠り、もちろん仕事や勉強で時間制限があるとしても、何も物音もなくしんとした空間で寝られる人と、寝入りばなに怒鳴り声で起き、そこから寝る寝ない早く寝ろだのわんわんやってもー頭に血がのぼっちゃって熟睡なんて出来ない!という毎日かっていうのは本当に健康にも美容にも響くわけ。全く私Twitterの方にも書いたけど、結婚したばかりの頃は一緒に寝ている夫の鼾で夜眠れなくて死にそうだったし、子ども産んでからは夜泣きで寝られなかったし、子どもが小さな頃はやっと早く寝かせたと思ったら夫が必ずバッドタイミングで帰ってくるし娘の受験だとかって帰って来てずっと夜中まで大音量の暴言を聞き続け夫がたまに帰って来ない日があるかとほっとすれば、子ども達は夜中に起き出しキッチンでめちゃめちゃな料理を作ってテレビを大音量で見ている。しかも至近距離に椅子を並べて。何故至近距離化というと私が『テレビは離れてみなさい」という注意に反発しているという。もう何もかも好きにしていいから防音室で眠りたいものだと思う。

また前置きが長くなり、今日は「ご無沙汰のインフルエンザの思い出」などとタイトルして、もう7年前にもなるけれど、夫を抜いて一家でインフルエンザに罹り、息子はあとちょっと発見が遅かったら命が危なかったなどと言われて、あの時は総合病院も今のように「初診料5千円」とか「同じく八千円」とかそういうのもなく、聖路加も24時間365日いつ行っても診てもらえて本当に助かっていた頃、もし今あの状態だったら週明けまで様子などと判断していたら息子は。現に私、土曜日に早朝から発熱したもんだから、なんとなくインフルだとわかっていたけれど、苦しくて起きられずじっとしていた。夫に頼んで病院行くくらいなら死んだほうがマシなどと悶々としていて、人ってこうして生死が決まる時があるなとも感じた。その時聖路加に息子と共に入院したんだけど、もちろん息子だけ入院、聖路加は親が付き添わないと行けないのでインフルエンザのまま付き添い、簡易ベッドは痛くて冷たくて部屋が冷蔵庫のように寒くて夜中震えあがったという話、夜中にこそっと息子のベッドにもぐりこんで息子を抱いて「ああ、温かい」とやっとぽかぽかした話とか色々あったけどまたにする。

その他もう一件書こうと思ったのは、インフルエンザで寝ていてなんか急に孤独を感じて、自分はこの世にひとりぼっちなんだと悲しくなりそのまま鬱になってしまった話も書きたかった。今日起きたら治ったみたいなのでもういいっちゃあいいんだけれど、久しぶりに感じたさめざめとした孤独、あれもちょうど7年前、息子産んだばかりで息子とベッドに寝ていて、家族は家の中に全員いるのに、急に怖いくらいの孤独を感じて死にたくなった時のことを思い出した。家族がいて子どもが二人もいて、孤独なんて冗談じゃないと思うかもしれないけれど、こっちこそ冗談じゃないと言いたい。子どもを産んだからこそ感じる苦悩、それに繋がる孤独、子どもを産んだことのない人にはわからない領域の話だと思う。よく元気アナウンサーが結婚して子ども産んだ途端に様々な理由で自死してしまうけれど、本当によくわかる。もう孤独の穴に落ち込んだら出てこられないのよ。私はこれまた何かのお導きといえば大袈裟だけれど、本当に寸でのところで友達が気が付いてくれて出してくれたのよ。しかも遠くに住んでいる地元の友達。まああの頃はそういう人にじゃないと色々ぶっちゃけて話できなかったから。この時に友達と思い切って出かけた旅行で買ったのがせんとくんのぬいぐるみ。せんとくんの顔を見ると、ボスママやその不愉快な仲間達の事で死ぬほど悩んで苦しくて消えてしまいたいと思い続けた日々なんかも思い出す。あいつら決して許した訳じゃないし今でもそれは続いているけれど、仕方ないなって感じ。でもそのうちなんらかの機会に〆たいと思っている。様子見。

私の数少ない親友せんとくん。

で、すみません本当に前置きが長くなり。

タイトルの通り、例のヤマト運輸の再配達問題ですが、私があの記事を書いてから、ようやくちょっと進展があったように思うので書いてみたい。

ある日いつものようにヤマトさんが荷物を配送してくれたことが考えるきっかけだった。この日はたまたま自分の注文したものが多く、山のような荷物を綺麗な配達員さんがニコニコと運んできてくれた。私はお礼を言って荷物を受け取ったが、今私がたまたま在宅だったからいいようなものの、もし不在だったらどうなったか考えてみた。お節介にも色々聞いてみると、再配達は非常に多いという。宅配ロッカーがあるのにと思ったら、ほとんど午前中でいっぱいになり、再配達防止の役にたたないのだという。

私はとある事を思い出した。以前、普通にママ友グループに所属し、ボスママおよびその腹心達にいいようにされていた頃、私はその当時のボスママ(のちにキングオブボスママが混ざってからはNO.2になった。この辺りの話もまた別に書きたい。こんな面白い話を書くのを忘れていた)に、何かを自宅に届けるように仰せつかった。朝晩バス停で会うからその時でもいいのに、なぜか忘れたが自宅にそれを持って行った。「宅配ボックスに入れておいて」という。で、宅配ロッカーで「配達」の操作をすると、なんといっぱいだという。えっ!と思ってびっくりした。幼児園のバスが行ってしまったばかりなので、遅くとも9時か10時の間だった。

「もう宅配ロッカーいっぱいなんだ、なんか特別な日なのかな」

などと思ったが、後に配達に来てくれたヤマトの方に聞くと、「最近はいつもそうなんですよ」と言っていた。これ、確か娘がもにゃもにゃすぽーつ幼児園の年少組の時だから、2008年、息子がお腹にいた頃よ。そうそう、20008年だった。こんな昔から宅配ロッカーいっぱいで再配達困る問題は起きていたのだ。なのに誰もヤマトの配送の方の苦労も考えず、あっちのAmazonこっちの楽天で好きなように買い物をし、時間指定も市内から昼間に不在の荷物は全部再配達になった。やっと10年の時を経て、

「昼間はもう配達しません」

となっても全然不思議ではない。 主要ニュースはこちら。   
   
あの私が初めてこの問題を投げ込んだ時のNEWSPICKREたちの戯言をここに紹介したい。2012年4月
『Amazon やそのカスタマーからヤマト運輸が受けているハラスメント撲滅のために』    
https://newspicks.com/news/1516695?ref=search&ref_q=%E8%8A%B8%E5%A4%A7%E3%81%AB%E9%80%9A%E3%81%86%E3%83%9E%E3%83%9E&ref_t=top   

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※リンク飛ばないのでスクショしたった。
   
ほとんどが、「再配達問題?」「はあ?」「そんなの企業努力が不足しているだけ」みたいな冷ややかな意見。「宅配ボックスを増やせばいいだけ」なんてのも!それが一年の後、皆それぞれが様々に考えるところがあったのだろう。こんな風に代わっている笑

『ヤマトが昼の配達取りやめ検討 正午から14時、来年度にも』
https://newspicks.com/news/2093742/


昼間の配達をなしにというのはとてもいい。しかしロングランチタイムが働く士気を高めるかというと、それもちょっと懐疑的。働く側からしたら、昼間休憩が長くなる分夜遅くなるとしたら余計な施策ともいえるかもしれない。色々問題は残るが「再配達は大問題」という認識が出来、解決策についても一歩前進ということで本当に良かった。

でも一番の解決策は、Amazonがもう独自に配送システムを作ればいいだけの話。Amazonの中だけで配送まで完結させるということはとても意義があり、Amazonという巨大サービスが更に付加価値を持つことになる。それとあのなんでもかんでもAmazonの段ボールというのも廃止した方がいいと思う。パッキングも厳重すぎて封を開ける時にちょっと引いてしまう。ゴミも大量に発生するし、もうちょっとなんとかならないのかなといつも思う。Amazonとgoogleは大きくなり過ぎたと人々は言うが、だからこそ出来ることがたくさんあると思う。まずは配送部門を作ってくださーい。私も体調いい時はパートくらいしますよ(*´▽`*)

2015.12.15write 昨日まで論文研究Ⅱの授業だったが、同時に入学説明会が行われていた。校舎の一階には教科書の見本が並べられ、正面入り口には案内の方が立ってみえた。私は入学説明会というところに一度も行ったことはなく、色々心配していても仕方ないし、入学してしまえばなんとかなるだろうとよくわからずに大学に入学した。


武蔵野美術大学から京都造形大学に編入する時も、通信教育課程だからどこも同じだろうと思い、説明会には参加しなかった。もちろん資料は取り寄せたが細かいところは読まず、システムについては何も予備知識なく入学したところ、戸惑うような違いがいくつかあった。今日は二大学の違いをまとめてみたい。

京都造形大学は京都造形、武蔵野美術大学は武蔵美と表記する。

まず、京都造形は一年に履修する単位の上限がない。可能なら100単位だってとれる。もちろんコース毎の必修授業はあるが、年度の最中にどの科目を履修するかもその時決められる。それに対し武蔵美は、年度の初めに履修登録というものをする必要があり、登録した科目しか履修することができない。しかも登録科目は上限40単位まで。年度の途中にやはりあれを履修したいなどと思っても、履修登録していないと出来ない。

本校舎が京都造形は名前の通り京都にあり、武蔵美は東京にある。京都造形の文芸コースは東京校舎で卒業するために必要な授業が全て受けられ、京都まで行く必要はない。武蔵美は東京に本校があるが、国分寺からバスで20分ほどいったところにある。周りは住宅地で、コンビニも何もないところだ。国分寺から歩くと30分ほど、夜バスがなくなり歩いて帰った時は、怖くて涙がでた。

他には、ファイン系から文芸コースに変更したせいもあるかもしれないが、武蔵美は課題提出の締切がない。もちろんテストを受ける前に出すという前提はあるが、基本的に2月末日が最終締切で、それまでに提出すればいいことになっている。京都造形は毎月10日という締切があり、面接授業の宿題、いわゆるスクーリングレポートにも締切がある。

京都造形に入学してから、いつも締切に追われるようになった。へとへとになるが、締切を守って必死に課題をこなしているうちに、いつの間にかたくさん単位がとれていた。これは私にとってとても良かったと思う。いつでもいいと言われると、甘えてしまいなかなか着手できない。

他には、武蔵美は春、夏、秋、冬それぞれにスクーリングが区分けされ、季節ごとにスクーリングを申し込むようになっているが、京都造形は毎月、開催されるスクーリングを申し込むシステムになっている。これも私には毎月申し込むシステムの京都造形の方がよかったと思う。毎月のルーティンとなれば雑用が増えるが、その時々に予定を鑑み申し込みができる。武蔵美だと、かなり前の段階で申し込みするため用件がバッティングすることがよくあった。

他に違うのは、武蔵美は本校舎に通うため、最近できた素晴らしい図書館を利用できる。京都造形はもちろん本校舎にはあると思うが、東京外苑の校舎には、図書館はなく、6畳ほどの物置的な図書ルームがあるのみ。文芸部に必要な資料は揃っているそうだが、あまり利用したことはない。

武蔵美の夏のスクーリングは、通学生が夏休みの間ずっと開催される。7月下旬から8月末まで、日曜日を除き毎日毎日ほとんどの教室で授業がある。通信教育生といえども、単位をとるためにほとんど毎日通う人もいる。私もその一人で、最初の一年目は毎日通い、暑いわ妊娠中でお腹が重くて死にそうだった。でも毎日美大で実技が勉強できるので楽しかったし嬉しかった。

武蔵美のスクーリングは学生食堂も利用できた。名物MAU定食や、うどん、ラーメン、小鉢色々デザートなど。すごく美味しいという訳ではないが、通学生気分は満喫できたし、休憩時間に学友達とお喋りするのも楽しかった。朝早く開いている中庭のパン屋さんは本格的な手作りパン屋さんで、朝ご飯に食べるのが楽しみだった。顔を覚えてくれた先生達が声をかけてくれて、友達もたくさんできた。大学ってこんなに楽しいんだと思えたのは、武蔵美だったからだろうと思う。

今は通学時間や勉強する内容を変えて大学も変わった。通学は本当に楽になり、新しい友達もできた。それから今は大学が楽しいというより、勉強が楽しいと思うようになった。これは京都造形の先生方からご指導いただいた賜物だろう。テキストを読み、言葉を選び、注意深く文章を重ねていく作業は、昔の私なら近寄りもしたくなかった作業だろう。それが今はとても楽しい。

それと、たまたま私の周りが、というだけかもしれないが、武蔵美の時は苦学生が多かったが京都造形は余裕のある方が多い。大学が3つめとか5つめとか、大学マニアのような方もみえる。卒業しても次々と新しいジャンルの学部に挑戦されている。それと、私もそうだが武蔵美は単位がとれないという悩みを抱えている人が多かったが、京都造形は単位がとりやすいというより勉強して単位をとって当たり前という空気があるように思う。

よく授業で一緒になるOさんは、お会いするたびに単位取得数を教えてくれる。あまりにもたくさんとってみえるので、それなら私もと奮起した。ブログをすすめてくれたwさんもきっちり何でもするタイプで、それでも必死感はなく楽しんでいるようにみえる。Hさん、Tさん、Yさん、Kさん、本当に文学コースの勉強が楽しくてたまらないという方々ばかりが周りに集まったように思う。良い影響はいくら受けてもいい。私も人にいい影響を与えられるように、日々頑張ろうと思った。

京都造形と武蔵美の違いまとめ

・本校舎が京都造形は京都で武蔵美は東京にある。
・(私の家から)京都造形東京キャンパスまで30分武蔵美は2時間
・武蔵美には版画コースがあり、京都造形にはない
・京都造形には文芸コースがあるが、武蔵美には小説を学ぶ学部はない
・京都造形はスクーリングが土日祝日、武蔵美は土日祝という授業もあるが平日一週間ということもある
・武蔵美は本校が東京で学食や図書館が利用できるが京都造形東京キャンパスにはない
・京都造形は駅から徒歩5分、武蔵美は駅から更にバスに20分乗る徒歩は40分
・スクーリングは武蔵美は季節ごとに申し込み、京都造形は毎月申し込み
・京都造形は何もかも引き落とし、武蔵美は何もかも振り込み(手数料は生徒負担)
・武蔵美は理由によっては授業の1/6休みが認められるが京都造形は遅刻も一切NG
・武蔵美のテストは持ち込み一切禁止、京都造形は電子機器以外は資料持ち込みOK
・武蔵美は学部間の垣根が低いが京都造形は高い、他部署との交流は全くなし
・武蔵美は授業以外の勉強会は生徒主体、京都造形は学校主体で色々ある
・京都造形はネットで勉強できるAirUがあるが、武蔵美はなし
・武蔵美の授業は9時から17時半、京都造形は9時半から17時40分(11時スタートもあり)
・授業の後に飲み会がしょっちゅうあったのは武蔵美で学外の交流もよくあったが、京都造形はほとんどない

同じだと思ったところ

・どちらにも通信教育課程がある
・学生証で学割がきく
・懇親会の規模や内容
・大学が運営するカルチャーセンターがある(ただし武蔵美は単位認定なし、京都造形はある)

今度Excelで表にまとめてみよう。


IMG_3283
※日本画の授業で、色絵の具の素材一部を見せてもらう。鉱物が絵具になる。

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※武蔵美の日本画の授業。写っているのは版画では卒業できないと教えてくれたNさん。

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※日本画Ⅰの授業で描いた百合の花。尾形光琳の「松島屏風図」をリスペクトして描いた。

【編集後記】

区役所にいったついでに教育委員会にいる知り合いに会いにいったが出張中だった。教育委員会というと、何かあれば訴えるとか葵のご紋的イメージだが実は全くそうではない。言い方は悪いが、教育委員会と学校は当然繋がりがあり、機関は違うが同じ立場のようなものだ。ただ無認可の幼稚園や学校は管轄外で、訴えても何も出来ないのだそうだ。何かあって訴えるのは教育委員会ではなく、司法がいいのではないか。教育委員会が役に立たないという訳ではなく、「訴える」ところではないからだ。この方に会いにいったのは、何か訴えたいのではなくプライベートな話し。この方にお祝いごとがあり、皆で一席設けることになっている。電話してから行くべきだった。


アクセスが多いみたいなので卒業について追記、2017.02.11

卒業認定について全然違うので書いてみたい。まずは京都造形芸術大学通信について。



京都造形芸術大学は卒業確定のスケジュールが2パターンあり、卒業式に出席したい場合はAのスケジュールで単位をとる必要がある。私はBのスケジュール、4月上旬に卒業が確定になる。でも成績には関係ないし、既に今の時点で卒業のための単位は取れている。もちろん卒業式にも出席するつもり。

武蔵美については武蔵美に聞いてみて下さい、でもこんな風に分けるなんて聞いたことないかも。


2017.02.15追記

気になって武蔵美の方にも連絡して聞いてみた。調べてもらう間の保留音が昔と変わらず、息子がお腹にいて色々初めてでわからなくて電話した時のことを思い出した。息子はお腹にいる時から元気いっぱいで足をバタバたするのが好きでお腹苦しかったなー。ママと一緒に武蔵美で勉強した事を覚えていてくれるだろうか。

さて武蔵美の卒業認定の話。こちらの場合は卒業年の前期に卒業認定の126単位のうち108単位取得者が当年卒業者としてリストアップされ、本人から申請を受けて卒業生予備軍となる。で、2月末までに必修など含め課題を提出、その成績の結果で126単位取得者が卒業生となり3月中旬の卒業式に出席し卒業証書を授与されるそう。

そういえば2年生の時に2月28日ギリギリに大学までレポートを持って校内で清書してその場で出したことを思い出した。卒業の年までそうなんだとびっくりしたし、このスケジュールでは学生はありがたいが大学の事務局が慌ただしくて大変だろうと思った。

京都造形芸術大学ってやっぱり事務局が怠慢なんじゃないの?なんで二部に分かれてしかもBコースは2月10日に締切なのに4月卒業なんてやってるの。紛らわしいしそもそもこれが変なのよ。カルチャーセンターと間違えてるんじゃないの?

ちなみに昨年度の入学、卒業者数は以下の通り。みんなネットでわーわー言ってないで聞けば教えてくれますよ。私はどちらも入学案内の部署で聞いてみた。

2015年度武蔵野美術大学通信教育学部入学者5~600名卒業生180名【卒業率】約30%
同じく京都造形芸術大学通信教育部入学者1740名卒業生約400名強。【卒業率】約20%

卒業率が高いとみるか低いとみるかは人それぞれ。

京都造形芸術大学通信の卒業生の数は2015年度は不明で2014年度が427名、その前の年が462名だそう。だいたい毎年400名強らしい。こうしてみると通信教育学生というのは約2~3割の生徒しか卒業出来ないものだとわかる。

なのにみよ、私なんてちゃんと卒業して(まだ確定ではないけど単位はとってるからよほどの事がない限り卒業となるはず)しかも編入後は最短2年で卒業となった。これもひとえに真面目に勉強する学友達からの影響のおかげで、大学や先生達は足をひっぱるばかりで最低最悪だった。この環境で頑張れたという自信は、これからの人生の礎になると思うので損ばかりではない。だが今回卒業する京都造形芸術大学にお礼などいうつもりは絶対ないし、逆に謝れという気持ちを抱いたまま卒業することになっている現状を記してこの記事を完成としたい。そもそもハラスメント認定されて処分された先生が、私に謝る必要はないから会いたくないと言っているそうで、それも大学が容認している現状、もう大学がハラスメントを容認しているといっていいと思う。

京都造形か武蔵美か迷ったら100%武蔵美をお勧めする。京都造形芸術大学なんかに入ったら勉強どころじゃなくなります。京都造形芸術大学なんかに入学したら泣いて辞めなくてはいけなくなるからお金が勿体ない。言っておくけどこれら私の経験に基づく率直な感想だから4649。この一年間大学や先生に気を使って馬鹿をみたと今更ながら思った。

武蔵美は先生や大学が生徒が勉強しやすいようにと気配りしてくれる、これ本当。京都造形芸術大学は生徒が先生や大学にへいこら気を使って勉強どころじゃなくなるよ。




ここまで来たらはっきり言わせてもらうけど、あんたなんか先生だから気を使っただけで異性として一ミリも興味ないから勘違いするな本当にいい迷惑。


2017.02.25 土曜日:またしても追記 

 武蔵美は卒業制作作品集が卒業生および在学生にも全員に配布されるが、京都造形芸術大学は、卒業生だけが"購入"するもののよう。先日卒業制作の最終面談でなにやら封筒を渡され、その中に「卒業制作作品集購入申し込み書」というのが入っていた。私はてっきり文芸コースの卒業生全員の卒制を集めた文集が作られたと思ったのよ。そしたらこれが通信教育部全コース卒業生の要約集だったという訳で、またまたビックリしてしまった。

そういえば一年目に卒業制作集貰わなかったと思い出し、京都造形芸術大学は、卒業生だけが買えるものだとわかった。お値段¥3,500-!当然申し込みしないと手に入らない。確かに学生数は多くて用意も配送も大変だと思うけれど、これは全生徒に毎年贈っていいものではないのかと思った。でないと卒業制作どんなものを創ったらいいのか道標もなにもないという事にならないだろうか。


休学している3年分も送られてきたので六年間ぶんある。ここに卒業制作作品は載らなかったけれど、確かに在籍していたという証でもある。武蔵美の卒業式はどんなかなあ。卒業制作作品展には行ってみようか。

しかし、たがが通信大学、されど芸術大学、色々違いがあるものですね。

昨日は大学の「フライングカフェ」というイベントに参加してきた。昨年度は確か浅草だったと参加した誰かに聞いた。京都の方でもやっていて、記事になっているので紹介。「今年は文芸コースが幹事」とあり、学部コースが持ち回りで担当するよう。

このイベントは年に一回、在学生だけのもので、何か史跡や博物館美術館などに皆で行き校外学習、その後大学に戻りお茶をする、ついでに先生達に学習相談をするという催しで、今年の東京外苑は神宮外苑の聖徳記念絵画館の見学、日本美術史で御馴染の美和先生のレクチャーつきというものだった。ということは「歴史遺産コース」が幹事だったのかな。

私は元武蔵美時代は版画コース、現文芸コースだけれど、日本美術が結構好きでここも一度見学したいと思いながら学生生活も終焉を迎えそう、そんなところに丁度いいイベント。諸事情あり大学の方に色々気を使わせてしまったが、わたし的にはとても楽しい時間だった。



これは聖徳記念絵画館に行った後に出された和菓子とお茶。どちらも京都からわざわざ取り寄せた有名どころのものだそう。和菓子は「下萌」という名の通り、中は萌え萌え薄緑の餡、白い手毬のように巻いてあるものはなんとか芋ということで里芋っぽい味がした。だめだなーメモしていないとやっぱり忘れる。それにこれでも茶道8年くらいやっていたのにお懐紙の使い方も忘れてしまっていた。


信濃町駅を降りて大学に向かう道。いつも左側の歩道を歩いてまっすく行くと左側に大学の校舎がある。今日は右側にある明治神宮外苑の聖徳記念絵画館へ。信号渡って近道でいった。右側にいったのは初めて。 

明治神宮外苑は広い。
四角の10番信号の右横のに校舎がある。神宮外苑管轄外のせいか、どの地図にも載っていない。でも校舎内の樹は全部御神木という事で、明治神宮の担当の方が手入れをするそう。
   

参加者は建物正面で集合。参加者はざっと20名ほどか。大学の近くにこんな建物があるとは知らずにいた。びっくりだった。
   

ここでチケットを買う。チケットといわずに拝観料的な協力金という名前。歴史保存に使われるということだろうか。


天井が大きなドームになっている。「東京駅みたい」と誰かが言ったが私もそう思った。



入口入って右側が日本画、左側が洋画の展示それぞれ40枚づつ展示されている。すごい大きな絵で、著名人のものばかりだそう。明治天皇の歴史をずっとなぞる作品ばかり。様々な逸話を先生から聞きながら拝見。この前に別室で聖徳記念絵画館の担当の方から絵画館の歴史をスライドを映写しながらお話を伺う。30分くらい?歴史の中に自分も生きているんだと感じてしまった。ずっと繋がってるんですねえ。
   

出てきたところにある「なんじゃもんじゃ」。建物の中はとても寒かった。


梅が綺麗だった。 「絵画館」という看板は大学の近くにもあり、こういう意味かとやっとわかった。絵画教室でもあるのかとずっと思っていたのよ。


ぼっち参加なので一番後ろを歩く。みんなさっとお仲間を作ってお喋りしながら歩いて偉いなと思う。
   

国会議事堂に似てると思った。歴史ある建物。焼夷弾が二発落ちたけれどレンガなので燃えずに済んだそう。近くにある慶応病院はその時木像だったので燃えてしまったとのこと。まるで三匹のこぶたのお話のよう。やっぱり家はレンガなんだと思った。
   

ネットの拾い画。どんな絵が保存されているかはサイトにもあまり掲載されていない。ボストン美術館のようにライブラリ形式で検索できるようにすればもっと一般の人や外国人ツーリストが観にくるんじゃないかと思った。
   
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これはサイトに掲載されていたものスクショ。こんな大作が80点。明治天皇が可愛がっていた馬の剥製などもあった。  


道路を挟んで反対側には京都造形芸術大学通信生のための外苑キャンパス。本当にすぐ隣だったが全然気が付かなかった。


青山方面に行くと銀杏並木。これは秋の頃の写真。

学友のIさんに撮って貰った。この後青山駅の構内にある銀座ライオンで色々話し、暮の懇親会でコスプレをしようと思い立ち、あの大惨事が起こった。皆驚かせてしまったが、今思えばいい思い出になってる。みんなもそうでしょ?

先日いった明治神宮にも繋がっている明治神宮外苑、聖徳記念絵画館、そして京都造形芸術大学外苑キャンパス。学舎の中にある桜が枯れかけていて、樹医にみせたらどうかとお節介を焼いて「御神木だからお前がなんかいうのは筋違い」と注意されたことがあるが、なんとなくやっと意味がわかった。明治神宮外苑に大学の校舎を作ったということなのですね。

「学習相談会」と言うのは個別で相談するのではなく、大きな教室に各コースが集まり、ああでもないこうでもないとお話するものだった。五人の生徒のうち三人がこの春の卒業生で、特に質問というより文芸のトレンドや京都の街の話など。

文芸コースの先生はクルーソー先生と私の副担任の先生が参加された。コース別に別れた後は、先生二人に生徒五人という贅沢な会となった。本年度の都をどりは祇園甲部株練習場の修復工事のため、なんと京都造形芸術大学の春秋館というところで全日程やるそう。この話ももっとよく聞けば良かった。本当にお金のある大学だなと感心してしまった。私みたいな庶民には似合わなかったということだろうか。そう考えると色々チグハグになったことも納得できる気がした。 

茶話会最初にひとりひとり簡単な自己紹介をということで、私は卒業後は芥川賞を目指すと話したら、シーンとなるかと思ったら割と好意的な空気がかえってきて、良かったなと思った。先生も授賞式には呼んで下さいねなんて、当然主担任と副担任の先生はお招きしますので楽しみにお待ち下さい

NHKの関係で色々話をして、本物のタワマンとは一体なんなのか自分も興味を持った。思えば豊洲にあるタワマン、昔からあるシエルタワーは何度かお邪魔したことはあるが、他のタワマンは行ったことがない。さすがママ友ゼロだとまた感心してしまった。でも自分の小説を完成させるとか、番組協力のために一度見てみたいと思った。つてを当たってあのタワマンを案内してくれるという人に行きあたった。さすがママ友ゼロだが顔は広くなったものだとまた感心してしまった。

そういう訳で豊洲で一番新しくて巨大なタワマン、確かかなり昔のブログでも紹介したことがあり、その時はまだ建設中だった。探してみたら確かにあった。普通に紹介していた記事の方を貼ってみる。もう一件紹介している記事もあったと思う、そちらには「巨大なママ友製造マシン」と紹介した。多分あのマンションの中で色々苦労している方もみえるのだろうと想像する。「ママ友なんて期間限定のご近所付き合い。あまり深入りせず適当にしたほうがいいですよ。今日のママ友は明日の敵、いったん仲が悪くなると修復は絶対不可能ですからね」

skyz

あの時のブログを読むと、色々と躊躇しながらそおっと書いていたことがわかる。こんな事書いていいのだろうかとか、豊洲のイメージダウンにならないかとか、マンションデベからクレームがきたらどうしようとか。それが今や築地移転の豊洲市場の問題で豊洲はかなりイメージダウンしている。でも住むには便利で楽しい街として、販売されるマンションは全て完売している。もういい加減供給もストップするだろうと思いきや、豊洲公園の前の空き地、以前は横峯式保育園とヤマトの配送センターがあったところ、今巨大な更地になっているが、ここにもマンションが出来るそう。もう本当に豊洲は美味しい街なのだろうと感じた。



夕闇迫る豪華なタワマン。この護岸は水陸両用車が運行する予定になっているが、豊洲市場が難航しているせいでその計画もストップしている。
   


こちらがSKYZスカイズの方。巨大なタワマン。1110戸44階建て地下2階
   


こっちがBAYZベイズと言われる方。SKYZの後完成。BAYZについては豊洲の有名人的なこの人のブログを貼る。


二つのマンションを挟む道路。
   




ロビーってどこのマンションもゲームする子どもしかいないよね。

 
あちらこちらにこうしたスペースが。


マンションの中にファミマがあった。ららぽーとに隣接しているパークシティにはローソンが入っている。TOYOSUタワーにはセブンイレブンが入っているらしく、何か協定でもあるのだろうか。


一階の通路。メインエントランスじゃない出口が気になり案内して貰った。   


西側の出口からはエレベーターで歩道橋に繋がり、ゆりかもめの「新豊洲駅」直結だそう。奥にみえる建物は東京ガスの本社。次の駅は「市場前」となっていて、東京ガスの跡地に豊洲市場を作ったので色々出てくると言われている。豊洲市場やるかやらないか、もう間もなく答え出るんじゃないでしょうか。


パーティルームのひとつ。こういう独立したパーティスペースがたくさんあった。いっそのことここで「豊洲西こども食堂」やればいいと思った。私のこども食堂のコンセプトは「ママ友付き合いで苦労しているぼっち救済」こういう駅や街の中心部からちょっと離れた巨大タワマンは、苦労していそうな人がいっぱいいそうだと感じた。


テラスにバーベキューの出来るスペースが。いつも予約でいっぱいらしい。


ゲームをしている子ども達がいたサロンを裏から見たところ。

   


スタディルームもある。いいですね!使用料は無料のせいか、時々外部の人が入り込み困るそう。えーそんな人いるんだ!豊洲図書館に行けばいいのに。というか、こんなちょっと交通が不便なよそのマンションまで来て一体なんのために。
   


パノラマ写真にしてわかりにくいけど、マンションの中心部が円形のエレベーターホールになっていて、階により使用するエレベーターが違う。卒論で書いた小説にも出てきます。主人公はボスママとエレベーターで鉢合わせをするのが嫌で、わざわざ低層階のエレベーターを使い、非常階段で家を出入りしています。ふふふ、実際ありそうでしょ。


40階くらい?高層階にあるロビー

   

そっからみた景色。レインボーブリッジが見えるから西方面。


綺麗すぎる。

 
南方面。青くみえるのがゲートブリッジ。私はここをドライブするのが大好き、思い出の橋でもある。こんな風にみえるんだと感慨深い。
    
    


広々しています。飲食禁止です。また別のロビー的スペース。こういう場所があっちもこっちにも。
    
    


裏からみたところ。何か注意が貼ってある。


スカイツリー方面、手前にららぽーと豊洲がみえます。東北方面。
    
    


東京タワー方面、北向き。



屋上です。もう絶景すぎて眩暈した。暗くて写らなかったけれど、この反対側の後ろに天体望遠鏡ドームがあった。そうそう、このマンションの天体望遠鏡ルームは「元キャナリーゼゆり子の豊洲にいた時日記」で主人公の住む100年後のタワマンに天体望遠鏡ルームがある設定にしたのもこのマンションをヒントにしたのよ。

"エレベーターの中にチラシが貼ってあります。どうも最上階には天体望遠鏡があり、星を観測するイベントがあるようです。英語なので詳しくはわかりませんが、近々開催されるようです。"
『元キャナリーゼゆり子の豊洲にいた時日記「ママ友は友達?」』なんか初めてお邪魔したのに懐かしい気がしました。

 
         
キッズルーム、ひろおおおおおおおい!真ん中は畳敷き。


壁には大きな黒板が。上半分は素敵なイラスト、下半分は子ども達が自由に落書きが出来るそうです。

 
上層階にあるレストランに。マンションの中にレストランがあるんですよ、すごくないですか。パークシティの上層階にバーがあるのは知っていますがこちらはレストランが。でも豊洲駅からもちょっとあるし、飲食街からも少しあるのでそのせいかも。広い!
    
    


どこに座ってもいいそうです。
    
    


レストランの隣にオープンスペース的な個室が。貸し切りパーティなどをするそう。セレブウ!

    
    


お金持ちの図書ルームって感じね。ここもパティ―スペース。


素敵な絵。ロイヤルブルーが入ると絵が締まるわね。私も今度作品作る時はこの色をどこかに入れよう。カサブランカ、百合の花。ウェルカムゆり子ってことなのね、うんうん。


窓の外が気になる。また東京タワーをパシャリ
    
    


どれも美味しかった。アイスクリームは300円で三つも盛られていた。息子と半分こした。
    
    


どうもお邪魔しました。夜の全景。右端にみえるのは、芝浦工業大学の中高一貫校、この春オープンですってよ。お金かかりそうな私立は子どもを入れたくない。
    
    

 
楽しかった、「なんか別世界観ちゃったね!」と息子。私は脳内をずっとドヴォルザークの『新世界』が鳴り響いていた。
    
    


護岸を挟んで豊洲で一番大きな総合病院「昭和医大江東豊洲病院」最近この辺の人は聖路加ではなくここで赤ちゃん産むらしい。いいなー!私もここで産みたかった!!


ららぽーと豊洲のフードコートからSKYZ、BAYZ方面。燦然と輝くシャンデリアのようなマンション。機会があれば是非住んでみたいですね!どうもありがとうございました。




という訳で、匠大塚にいってみた。春日部の本店は距離的にしんどいけれど、結果的には春日部の方もみに行ってみたいと思ったという結果になった。そもそも大塚家具の御家騒動はニュースなどで見たり聞いたりしていて「匠大塚」が出来たのも知っていた。でも全然興味なかったのよ。だいたいあの接客のせいで欲しくもない高価な家具やパチモンランプを買ってしまったという思い出しかない先代の大塚家具、しかも「匠」ってなんなのダサ藁とも思っていた。どうせ民芸品みたいな高ダサな家具のオンパレード、ブログでdisってやると思ってすらいた。しかし全然違った。値段もそこそこでハイセンスなものが素敵に展示してあった。営業の人はついたけれど、色々説明してくれるけれど営業はしかけてこなかった。なんだか拍子抜けしてしまった感じ。


地下駐車場から「匠大塚」の受付7階まではエレベーターで直通ではない。ずいぶん悩んでうろうろし、1階で違うエレベーターに乗り換え7階へ。地下駐車場B3からは5階までしか行けなかった。7階まではスケルトンのエレベーター。新日本橋ビルすごい。



7階にやっと到着。フロアが広すぎてもったいなくない?
           

「匠大塚」受付。こじんまりとした印象

中はそう広くないけど逆におちつく。インテリアのセンスもいいし、ソファに座って飲物をいただく。もちろん無料。

いちいちスペースが区切ってあるのでプライバシー守られるという印象。これはIKEAの仕切りディスプレイを真似たのではないだろうか。とても好感がもてた。こうやって狭いスペースに家具が配置されているのをみると、自分の家に置いた時のイメージがしやすい。


受付を横からみたところ。一番奥に立っている人が私の担当だった。飲物飲み終わるまで待っててくれた模様。小さな気遣いだがホスピタリティを感じる。やるなおぬしという印象。幼稚舎から慶応だけどインテリアが好きで修行にきてますという感じのイケメンだった。          


いきなり大塚家具らしくない座面がフラットなソファ、スタイリッシュなインテリア!



このクッションカバーすごくいい!ただの黒い革のソファが素敵にみえる♡誰がコーディネートしているんだろうまさかあの匠パパ?と思ったら「商品企画部が全てコーディネートします」だそう。自分の色を消していて匠パパ偉いと思った。


 
グレーのフリルのクッションとスタンドライト。反則すぎるほと私の心をつかんだ。さっきのクッションといい、やり手のインテリアコーディネーターがいるんだろうと感じた。           


全体にほのかに暗く明るい証明、人も家具もインテリアも綺麗に見せている。こういうところもホントのプロが介入していると思えた。照明って大事、舞台女優さんも一番大切にするのは証明さんだと聞く。


シャンデリアいい!コンパクトなスペースに素敵なものがたくさんという見せ方。           


あちらこちら仕切ってあり、見やすい。大きなスペースにどーんという展示は集中できない。


このまま全部家に持って帰りたい。お金持ちは多分こういう買い方をするのでインテリアが素敵なんだと思う。ここでも座面はフラット。座面がフラットなソファはそれだけで新しいデザイン、トレンドアイテムにみえる。           



子どもが暴れん坊将軍卒業したらこういうスタンドライトもいいかも。ママがいたら無理と言われそうな。確かに怒ったらなぎ倒したくなる。
                

     

フリルのスツールとスタンドライトを拡大してみた。このイメージ既視感があると思ったら、あれだ、今はなき「ファンリファイン fine refine」だ!これまた今は無き銀座松坂屋の地下全部が「ファンリファイン」家具店だったころ、用事もないのにいつも覗きにいっていた大好きなファニチャーショップ。小物も可愛くて素敵すぎる者がたーくさんあった。あの時のコーディネーターさんが引き抜かれたのじゃないかと感じた。ビターなフリフリキラキラ感、もっと増やして欲しい。
           


小物も統一感があり、逸品揃い。息子がさわるといけないのでさっと通り過ぎただけ。           



これには本当に感心してしまった。一見普通のオットマン。


なんとベッドになる。


やや幅は狭いが長さは2mある。来客用にいいかも。娘も欲しがりそう。



廊下の窓から下界を眺める。



「俺もう帰りたい」



駐車場を探してビルの周りをぐるぐるしていて見つけたお店。お昼時は長蛇の列ができていた。帰りは空いていたのでお弁当を作ってもらった。予感は当たり、本当に美味しかった。次はお店で食べてみたい。 

そして肝心の「匠大塚」の感想。何も買わなくても駐車券くれたり、接客も無理がなく、なんていうかゆとりがあると感じた。匠パパのおもてなしのスピリッツが進化しているようにも思えた。これで製品がよくてほどほどのお値段なら色々揃えたくなるのではないか。是非春日部にも行ってみたいと思ったし、現大塚家具で久美子さんが苦戦しているのもわかる気がした。

あえてこっちに書くけど、リユースはとてもいいこころみだけれど、伊勢谷さんって顔とスタイルはいいけど本人の芸術的センスはあまり良くないと思う。あの作品は撤去したほうがいい、かなり変。そしてリユース事業、、、うちの脚が二本ない大塚家具で買ったダイニングテーブルは下取り拒否されてしまった。他に傘の割れたヤコブソン(本物)のランプだって買い取れば修理していいお値段で売れるのに、ランプシェードは対象外と電話で係の人に言われた。なんだか他人事ながらMOTTAINAIと思う。本当にリユースのお店をやる気概があるのかと疑問に思ったし、これもうちょっと違う方向に頑張れば会社の屋台骨になるのに。

社長なんだからそういうところしっかり目を配らないとダメ、でも社長は社長の仕事があるんだから、本当のプロを採用して任せるというのも大切。この辺り匠パパは親としては人でなしだけれど、経営者としては本物だと感じた。接客販売をなくすんじゃなく、接客販売も続けてフリーでみてもらうのも可という折半的な営業方針を打ち出すのは無理だったのかなあと今更ながら思った。でもやっぱり私はひとりで頑張っている久美子さんを応援したい。小池百合子さんも森生ゆり子もいつもたったひとりで頑張っています。久美子さんも頑張って、考えて考えて考え続ければ道はきっと開けます。みんな敵だと思ったところから本当の闘い。味方を探すなんてナンセンス、ただしフォロワーは同等に大切にする。多分小池百合子さんも本当の味方なんてゼロだと思ってると思います、私もそうよ!

人の心はコロコロ変わるからココロというの、自分だってそうでしょう?味方は自分だけ、自分が自分を信じていればそれで十分じゃない。
       

コストコなんて何年振りだろう。大昔ママ友と行った覚えがある、そして「連れて行って」と言われて案内したことも。コストコに一緒に行ける人がいるかいないかで、ママ友充実度をはかれるような気がした。そして数年間ここに行っていないという事実が私がママ友ゼロという証明になるなあなんて思った。思えばコストコに行けなくなった頃からママ友戦争が始まったように感じる。コストコゼロが先か、ママハラが先か、それは鶏と卵の関係と同じだろう。

事の起こりは珈琲の粉が切れたことに起因する。土曜日の朝息子に「ファミマで珈琲買って来て?」とお願いしたら、100円ドリップを買って来てくれた。「美味しいけど粉も欲しかった」と言うと、言わないとわからないだろと、まあそうですね。仕方ないのでAmazonで珈琲の粉をチェックすると、コストコの大きな缶がヒット、レビューも悪く無さそう、今度の豊洲文化堂のコストコフェアはいつだろうとチェック。でも待てないし、一般のスーパーのフェアだと2割増しだと判明。それなら行くしかないとコストコに向かう。

最初はIKEAも行くつもりだった。IKEAまで渋滞なく車で約45分、そこから渋滞なく15分で幕張のコストコという計算で、いつものようにスモーの森に息子を突っ込んでささっと買い物、息子の好きなミートボールを食べさせお腹が満たせたところでコストコへ行くつもりだった。でも息子が「俺もうスモーの森飽きた」などと言う。お腹もさきほど食べたパルシステムのロングライフパンのせいで空いていないという。先にコストコ帰りにIKEAということにして9時頃出発。天気もいいし、最高のドライブとなった。

しかしコストコ周辺についたはいいが、どこにあるのかわからない。以前はコストコあたりはコストコくらいしか目立つ建物がなかったように感じたのに、今は巨大なイオンモールや様々なパビリオンのような建物、いつの間にこんな幕張帝国になったのか。道行く人にコストコどこだと聞いてもわからないという。仕方ないのでgoogleマップを息子に持たせてナビをさせた。息子はなかなか役にたつ、最初からこうすれば良かった。ちなみに車についているナビは10年前の情報しかのってない。日々激変する湾岸事情にはもっとも適さないガラパゴス仕様、今日も全く役にたたなかった。

なんだかんだでやっと到着。迷ったせいで開店10時は超えてしまい、10時15分のところでもう駐車場は低層階は満杯。コストコは高層に車を入れると出すのに色々面倒。でも仕方ないので5階に駐車した。




 
 イオンモールの巨大さ異常だと思う。迷子になるやろ。

先にフードコートに行きたかったのに猿がお腹空いてないと。ママはアサリのチャウダーが食べたかったのに!でもまあ先に買い物するか。息子はお下がりで頂いたこのおっさん臭いジャケットが大のお気に入りで、ビタミンカラーのブルゾンやバーバリーのダウンには見向きもしない。エニタイムこのジャケット。着心地がいいのだろうか。


まさに倉庫


かつては娘のアイテムをここでよく買ったものよ。

食品フロアに到着。朝早いせいかこれでも混んでない方

フルーツのコーナー。試食したぶどうを買った。息子の好物。
      
サラダ美味しそう!


食べたいけど量が多すぎる。なので皆ママ友同士できて分け合う訳よ。


お肉の試食を待つ息子。
      

バースディケーキ。多分バタークリーム?食べたことない。一度息子の誕生日に買ってみたい。よし、今年の目標よ!

私はこういうカップ的なジャムっぽいベリーが乗ってるケーキが大好き。でも量が多いので断念。

水が30円で販売。息子が感激していたけど、私はこっちが普通だとおもう。オリンピックの時はこうい自販機をたくさん置きましょう。それが海外ツーリスト達への本当のおもてなしですよ。

       
珈琲だけで済むわけもなく、色々買ってしまう。合計1万5千円。これなら豊洲文化堂のコストコフェアで目的のものだけ買う方が経済的なのでは。

焼けたお肉、美味しそう。でもやっぱり固かった。グラム213円のアメリカンビーフ。焼くより煮込んだ方がいいと思う。


息子の大好物ヌテラ。大容量タイプはコストコでしかみたことないので買えて良かった。
      
買い物の帰りにフードコートに行こうと思ったら、フードコートに入るまでが長蛇の列だった。やっぱり朝早く行ってすぐに食べて後でゆっくり買い物がいいと思った。お腹が満たされていると余計な食料品を買わずに済むし、試食したい気持ちも半減するだろう。コストコの試食コーナーはいつもちょっぴりしか出ないので、ひとりでいくつもわしづかみして逃げるように去って行く人、特に子どもを連れた女性が多かった。子どもが真似するからやめた方がいいと思う。うちの夫は私と結婚するまで試食コーナーで食べた事がないそう。それもどうかと思うけど、試食とビュッフェは育ちが出るなとまたいやらしい事を思ってしまった。

食べたかったクラムチャウダー食べられず悲しかった。今度は娘ちゃんも連れてこよう。しばらく土日は夫はいない筈、それはそれで私の負担になるが、娘を連れだす好機でもある。ママ友にまみれて買い物する私を見せずに育ててしまった。多分彼女もそういうのは苦手に思うのではないか。でも今はかえって良かったと思うようにやっとなれた。第一こんな大容量の食品を一般家庭で買う必要なんかないと思う。

そのままIKEAに行こうと思ったら、間違えてIKEAに行く交差点を通り過ぎてしまった。湾岸道路はUターンが難しいのでそのまま帰ることししたが、思いついて匠大塚に行ってみた。車の中でぐうぐう寝ていた猿は目が覚めたら豊洲ではなく日本橋だったので怒っていた。息子がいると私は調子にのってどこへでも出かけていける。でもそろそろ一緒にお出掛けしてくれなくなりそう。土日の息子の居場所も考えてやらんといかんなー。ミュージカルの時のように一日中充実した学びがあるようなところないだろうか。出来れば親がずっとついていなくていいようなところがいいのだけれど。



なぜ急に大塚家具に行ったのか、それはこっちが教えて欲しいくらい。一昨日一日家にいる日にしてごそごそ片付けたり掃除したり、もうーあっちもこっちも私が掃除しないと掃除する人が誰もいないので、あっと言う間に汚宅になってしまう。ムカムカしながら掃除、後ベッドに寝転んでスマホ、思いなおして起きてブログやメールの返事を書く、また起きてゴミ捨て、などということを繰り返していた。するとなんだろう、Twitterでヤドンを追い混むのも飽きて、まれにゃんが「怒らせてはいけないたった1%の人を怒らせた」なんてTweetしていて、ああ私またやっちゃった、第二の元世界銀行を生みだしてしまうところだったと気がついた。

※いい加減反省せねば(;O;)

落ち着いてタイムラインを眺めていると、大塚家具の広告だったかTweetだったかで、リユース部門を始めますというのがあり、興味を持った。そして大塚家具のアカウントを見にいくと2月10日がオープンとあった。夕方孫正義さんの講演を聞きに行くつもりだったので出かけるついでにみにいってみようと思い立つ。サイトとか色々チェックしていると、例の御家騒動のニュースなども目に入り、そっちも読んでみた。今の社長の久美子さん、色々大変だったのだなとわかった。実の父親に訴えられ、母親にまで法廷で非難されたとある。私も法廷経験者でその時はどうでもいいような民事事件だったので、行っても1分で終わったり、閉廷後裁判官に延々と和解をそそのかされたりと漫画やドラマでみるようなものでは全然なかった。でも久美子さんの場合は証人喚問まであったよう。よっぽどだと思った。

裁判なんて本当に茶番。終わってみるとわかるけど、その時は眠れないくらい心配だし怒りも悲しみも色々な感情でわけわかめになる。特に私は夫に「もう手も口も出さないで」と喧嘩した上での闘争だったので弁護士はついていたけどひとりで戦っていた。この頃から夫と不仲になり、もう敵だと認識するようになった。夫なんていざとなれば敵、そして敵になったらずーっと敵なまま、今でもそう。この2月からしばらくは土日働き平日休みというシフトに勝手に変えたおかげで私が土日でかけられない。ちょうど私が卒業確定したタイミングというのは夫は絶対考えてない、ただの偶然だがよくしたものだと感心する。でもお陰でジャストタイミングで「孫正義育英財団」の基調講演会に堂々と出かけられた。神様の采配だとまた思った。

ということで、久美子さんが色々気になったので大塚家具へ様子見にいくことにした。久しぶりすぎる大塚家具。結婚準備で参考までにと訪れた大塚家具で例の営業の人がついたものだから、なんとなく買わないといけない雰囲気になり大型家具をいくつも買ってしまった。ヤコブソンのパチのランプシェードとかずっと使っていて、早く本物に変えたいと思いながらイライラと過ごした。なんていうか、その場の雰囲気で買ったのであまり気に行っていないし、おまけに高額なのでチェンジもままならないという、なので大塚家具にはあまりいいイメージはなかった。

それが社長交代でぴったり営業がつくスタイルはなくなったという。すっきりした運営方針の大塚家具、興味もあった。

大塚家具は本部が有明にあり、豊洲からはゆりかもめで国際展示場という駅で降りて改札を抜ければ、そのまま大塚家具の入っているビルの入り口。入口が相変わらずちょっとわかり辛い。案内をみつけてみると、3階が受付、5階がリユースのコーナーになっている。そのまま5階にいってみた。




最後にお茶したラウンジの隣にあるキッズルーム


色々な家具がある。


イサムノグチのテーブル、うちにもかつてあった。リユースなら3万ちょっと、
プロパーだと6万ちょっと、かなりお得なのがわかる。


色々みる。これもユーズド


どんどんみる。


広くて泣きそうになる。


プーさんのラグ、欲しい!


大型家具が多い。

相変わらず本当に広い、この広いフロアが3,4,5階とあるので全部みてまわったらへとへとになった。お目当てのベンチチェストはなかった。でも小さな座面の面白い椅子があったので要検討、こういう小さな家具が私は好き。

可愛い💕

最近はカラーボッカーになってしまったので、棚などは目が滑る。ソファも欲しいけど、場所塞ぎだからと夫の実家に引き取ってもらったばかり。確かこれも新婚時代にフクラで買ったもの。いいお値段だったものは我が家からどんどん消えているのに気が付く。最近何か欲しいとなると、IKEAにばかり行っている。IKEAは家具だけじゃなく、インテリアや食器、雑貨など何もかもが揃うしレストラン、スモーの森、イートインで50円のアイスクリーム、最近は食材販売も充実している。朝行って夕方まで遊んでしまうなんてこともザラ、しかも駐車場は無料。IKEAが日本に来て、大塚家具だけじゃなく日本の家具メーカーはめっちゃ苦戦しだしたというのは素人の私でもわかる。
               


一枚板というの?たくさんあった


ウィリアムモリス


疲れたからお茶して帰ろう
   

雪のせいかお客さん少なかった


振り返ればキッズルーム


オープンスペース的な


ダストボックスとトレイ

   
玄関横のスペースにも展示が。夜は仕舞うのだろうか。

昨日ざっくり読んだニュースなどと今回の視察で思ったのは、このままでは赤字は続くのではないかと思った。まず第一に特徴がなくなってしまった大塚家具、ただの売り場面積が広いだけの家具店になっている。私が結婚する時にみにきた時と製品は何も変わっていない、もしかして先代が仕入れたものそのままなのではないだろうか。だとすると追い出された筈の先代がめっちゃ得したことになる。世の中トレンドが目まぐるしく変わる、家具もそうだと思う。だとしたら、匠パパは久美子さんに古いものを押し付け、今の時代にマッチしたものを買いなおせたということにならないだろうか。今回みて回ったもので一番目を引いたのはソファとテーブル、このソファが昔ながらの皮のもこもこと私は呼んでいるが、今こういうデザインのものを欲しがる若い人はいないと思う。座面がフラットなものが今は主流、もこもこソファはニトリの製品と間違えられそうで買うのは躊躇してしまう。    
   
あと、昔は大は小を兼ねるということで大きい広いはもてはされたけど、今はミニマムや断捨離がキーワード、なるべくコンパクトに暮らそうという層が増え、家具はどんどん必要ないものにすらなりつつある。私も以前記事かSNSに書いたが、白いカラーボックスを愛用している有様で、娘も真似をしてカラーボックスを使い出した。これは極端な例だが、今大塚家具で販売されている家具が時代や有明をはじめとした湾岸に建つマンションの住民に受け入れられるかというのは難しい問題だと思う。例えばIKEAなんかだと、狭すぎる2LDKをショップ内にこしらえ、狭い空間でいかに家具や雑貨を配置して楽しく暮らすかという提案や、同じように狭い子ども部屋、キッチンをどうするかなどインテリアデザインが消費者を「狭いながらも」と安心させ夢を見せる。それが「今」やこれから家庭を築く層に受けているんだと思う。大塚家具はその逆をいっている。

それから「匠大塚」が好調なのは、先代の人脈だけなのではないかと思う。そんなんであの売り上げがと思うなかれ、高級路線のものはポット出の一般人はあまり手を出さない、セレブはセレブ同士助け合うもので、様々な雲の上の人脈が決起すればあのくらいは優に販売できるだろう。社員も何人かあちらに行ったというのは、昔の大塚家具のやり方で顧客を持っていた従業員が向こうについたのではないか。お得意さま係というのは三越さんでも未だにかなりの人数がいて、そいいう係のついた顧客というのはいるいらないではない、お買い物というレジャーを楽しむ。そういう買い物ごっこを楽しむなら、誰かついていないとつまらないみるだけということになるだろう。

だからといって今有明にある大塚家具がそれをやったらどうなるか。ある程度はもしかして数字があがるかもしれないが、あまり期待できない何より「もう接客販売しない」と言った手前信用を失うかもしれないし、それを嫌う私のような層からは二度と訪れてもらえないかもしれない。

ならば何もすることはないかというと、そうでもない。私ならという前提だけど、色々やってみたいことがある。

まず、今の3フロアを2フロアにする。3フロアもあると全部みるのに時間がかかりしかも疲れる。だったら必要なところだけみればいいと思われるかもしれないけれど、家具なんてめったに買うものじゃないからショップに行ったら隅から隅までみたいもの。それでも欲しいものがなかったという敗北感は気持ちのいいものではない。出来れば楽にさっと見渡せて、すごく素敵なものがあったけどどうしよう、ちょっと高いけど買いたい、でももうちょっとよく考えたいという想いが残るのが一番いい。それには全館内をセンスのいい空気やイメージで包み込む必要がある。大塚家具は昔から思うけどその辺りざっくりしすぎのような気がする。

やはり家具は今やファニチャーだし今の若い人からしたら装飾品でもあると思う。こんな部屋に住みたいとか、お洒落さを真似したいというのは女性なら雑誌やテレビでみるたびに思うと思う。でもIKEAやニトリがいいとは私は思わない。IKEAの家具はすぐ壊れるし、ガタがきて寿命が非常に短い。十年保証とうたっているけど、それまでにユーザーは飽きて買い換えるだろうという目論見があると思う。現にIKEAで買った大型家具を移動させようと夫と一緒に押したら、あっという間に全損した。本当にメキメキ音をったてて我ながら崩れたので、夫も私も打ち身と怪我をした。どこかに写真があったはず。もー今思えば訴えれば良かった。それに比べると大塚家具で買ったものは12年経過しているがどこもガタがきていない。これは大塚家具がいかに信用を大切にしているかということになるだろう。

※すみません、またちょっと用事が出来たので続きはまた。

ここまで書いて、あっちもみていないのにいい加減なことは書けないと思ったので別記事に続きを書いた。匠パパは親として人でなしだけれど経営に関しては本当のプロ、このパパの影から脱却し、「大塚家具」ではなく「久美子ファクトリー」をオープンするような気概がないと経営立て直しは難しいと感じた。
   
結局久美子さんご本人には会えなかったけれど、側近の方がわざわざ喫茶スペースまで私を訪ねて下さり驚き挙動ってしまった。色々お話出来て満足、どうもありがとうございました。今は大変な時期だけれど、頑張って欲しいとますます思った。

   
追記:リメイク、リユース事業やるならこういうのもやって欲しいです。今のままだとまた苦戦すると思います。

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大胆に「ここにしかない」もの、女性社長ならではのアイテムを揃えるといいのでは!広告塔にするなら伊勢谷さんより今話題の蜷川有紀さんがいいと思います。家具を決めるのは家庭内においては結局女性ですからね。


昨日所用で東京駅八重洲口近辺を歩いた。目的地までの道すがら、ブラブラしていて京都館というのをみつけた。なんとなくあるのは知っていたが、今日はなぜか人当たりの良さそうな紳士が入り口でニコニコしている。ニコニコ係なのだろうか。世知辛い東京には珍しい、近寄ると寄っていけという。なので入館してみた。

中は広く、京都の銘品から観光案内のパンフレットまで、もちろん地図もあった。もうガイドブックいらないし、お土産買い忘れたらここで買おう。


はっ∑(゚Д゚)うちも出さなきゃ

胡粉ネイル!これスゴくいいのよ♡

和蝋燭が好き

京都っぽい

パンフレットがたくさん!

娘が好きな桜の塩漬け🌸買うの忘れた。

これこれ!京都駅でもらうつもりだった。

これで京都行きの準備も整った。あとは行くだけ。青春18切符は有楽町駅で売ってる。コーヒータンブラー忘れないようにしよう。京都のスタバで記念に何か買おうかな♡

ここを出てすぐ外国人観光客に道を聞かれる。今日はなんとかビルの場所を教えてくれというので、googleマップで出してあげたらスマホでスマホを写メして去っていった。なんかすごいわと思った。それにしても私は外出すると必ず誰かに道を聞かれる、ということは東京の人にみえるのだろう、そして優しさとか癒しのオーラが出ているんだろうと思った。内面て外に出ちゃうものネ♡

もうすぐ春ですね

追記:おばあちゃんからバレンタインのチョコが届いた。そうか、バレンタイン…あっしには関わりのない事で…

おばあちゃんはモロゾフが好き。仲良しの店員さんがいるんだろうな

京都造形芸術大学のハラスメント相談については、以下の通り。(パンフレットの内容を転載)

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【相談方法連絡先】
※連絡の際には、「ハラスメントの相談です」と伝えてください。

●Eメール:harassumennto@office.kyoto-art.ac.jp
(harasumento ではなく、harassmento なので間違えないでね)

●電話:075-791-9343
京都造形大学 保健センター 直通ダイヤル)
電話受付時間:月曜日から金曜日の9:00-18:00
※長期休暇中、通常の授業期間以外は9:00-17:00になる場合があります。
※状況により、折り返し電話をすることがあります。

●手紙宛先:
〒606-8271 (京都府)京都市左京区北白川瓜生山2-116
京都造形芸術大学 ハラスメント相談窓口

※パンフレットはこちら↓↓↓(資料提供「偉そう先生」)
harasumennto1

harasumento2

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で、これら訴えは、「保健センター」というところから、「人間関係委員会」というところに繋がり、委員会にかけられ受理されれば対象者が処分されることになる。

「人間関係委員会」とはよくいったもので、「全ての悩みは人間関係にある」と説いたアルフレッド・アドラーの言う通り、全てのハラスメントは人間関係の中でおこる。すごい、また名言が飛び出したところで本題。

京都造形芸術大学だけでない、他の大学でもハラスメントはあるだろう。私はここの大学だけでなく、武蔵野美術大学でもハラスメント相談をしたことがある。武蔵美の時は面倒なこと一切なく、メールで出したらすぐ回答がきた。「これだけではアカデミックハラスメントとは認定できませんが、問題がなかったとはいえないので改善するようにします。すんませんでした」と返信が来て、私が問題だと思っていることは全部解決した。なので誰も処罰されず恨みも残らず、全てがまるく収まったという神対応だった。

私が問題と思っている先生は、クビにならない代わりに監視役の先生をつけられて、その科目は先生二人になった。それまでずっと独占してその先生だけが受け持っていた科目、美術大学でそんなに重要と思われる科目じゃなかったので履修する人は単位目的の生徒ばかり。だからといって先生がそんな適当に採点していいものかと思った。私は皆が「日本語が書いてあれば合格する」と言っていた科目で4回も不合格再提出を求められた。さすがに怒って学友に言うと、いつも「あなたが大概にしなさいよ」という学友達まで「それ絶対おかしいから大学にハラスメントで訴えな」と言ってくれて、訴えたらすぐに解決して、もっと早く申し出れば良かったと思った。

時間を無駄にしたし、やはりここでも学びのモチベーションががくっと減った。解決はしたが、そこからもうあまりやる気もなくなり単位も全然とれなくなった。そのままぐずぐずと年月だけが過ぎ、もうお金がもったいないから退学しようかなんて思ったりもした。何度出しても「不可」だったレポートは何もしなくてもA評価に変わった。あたりまえやろ。

なぜそんな風にひとりの先生から嫌がらせをされたか。それは私は大学で書いたレポートで評価のいいものを「みんなのキャンパス」というところで販売したせい。それを見つけた先生が「私は如何なものかと思います」とレポートの採点に書いてきて不可をつけた。なので「課題の講評に書くのは不適切」だと返信したら、そこから再提出のバトルが始まった。先生からしたら「おのれよくも私に逆らったな」と思ったかもしれないが、もしそういう事を注意するなら大学の事務局からなりなんなりから通達すべきなんじゃないの。「大学の先生っていうのは浮世離れしている人が多い」なんてだから言われるの。

という話は置いておいて、なんか今思い出すと京都造形芸術大学の今回のことと似てるわと思った。場所や時代が変わっても、ハラスメントっていつもどこでもおこる。もうどうしようもない人間のサガなのだろう。

※お猿ちゃんがカスタードのたい焼きが食べたいそうでちょっと中断します。今日はちゃんと最後まで書くよ。学友の大ピンチだからね!事務局いい加減にしなよ。今度こそコナンチェンジ!!!




と、いうことで無事カスタードのたい焼きを作り熱々を食べさせてまたブログを書いている。本当に私は何もないところから何かを生みだす天才だとまた思った。夫なら絶対に出来なかっただろう、というかもう何年も前に仕舞いっぱなしなたい焼き器のありかを覚えているなんで、人の名前が覚えられなくてママ友付き合いで苦労しボスママにいじめられそのせいでママ友界から追放豊洲から村八分にされたとは思えない。自分の好きなことならなんでもすぐ覚えられるし忘れないものだとまた思った。

さて本題。おおえかの言いなりになっているN先生のお陰で、おおえかが初めて受けもてた大学の授業、なんのキャリアもスキルもないただ一回脚本が舞台に使われでもそれ関係者以外からは酷評の嵐でそのせいでその劇団が潰れた疑惑という経歴のおおえかのデビュー授業「ストーリーとシナリオ」三日間で21,000円‼️高 というのを、受講を拒否されて文芸コースの身で受けられなかったというのは前に書いた。


宇宙マッサージすると精神疾患が治るそうです笑

そこでもうひとつの事件が起こっていたことを思い出した。私のマブダチにKさんという学友がいる。以前、西洋美術史の時に席がぎゅうぎゅうだったので、ひとつのテーブルに二人座るという事態になったことがある。会議室なんかによくある長いテーブル、あれがずらっと横に並べられ、受講生の少ない授業なんかだとひとつのテーブルに一人が座る。Kさんとはマブダチなのでくっついて授業受けても無問題だった。

「ストーリーとシナリオ」はがら空きで、ひとりひとつのテーブルは当然、荷物置き場的テーブルもあったくらい。



私は受講させてもらえなかったけど同じ日程で違う科目を受講していたので休憩時間には何度も「ストーリーとシナリオ」の教室にいったのでなんでもみてよく知っている。おおえかはそんな私をみて、挨拶するでもなく視線を合わせもせず、しらーっと無視した。普通自分も担当している文芸コースの生徒が受けられずに教室にきたら、「どうしたの?」とか色々聞くのが先生なんだよ、これだけで先生の資格ないっつーの。

そこで生徒達にこの授業はどうだとか、おおえかが依怙贔屓している生徒以外には高飛車に威張っていて不愉快などという人達の証言などを得た。でもこれ上の先生達全員そうだからおおえかだけを責められない、「偉そう先生」なんて本当に最初は偉そう、でも話が進むにつれ、だんだん火が消えるように大人しくなったのはよろしい。でも「偉そう先生」は「ハラスメント」はしてない、おおえかはここ間違えたんだなあ。言葉での喧嘩はいいけど「暴力」になると刑事事件になり告訴されるというのと同じだと思う。

そして「ストーリーとシナリオ」の出席者が27名というのはまた全然関係ない学友に頼んで数えてもらった。その時の授業の資料や内容なんかも詳細に聞いたけど、これで21,000円?冗談でしょ!依怙贔屓されている数人は面白いと思ったかもしれない。でも正直「この大学間違ってる、私たちが紙だからっていい加減にして!」と思ったでしょう。でも言えないよね、生徒だもんね。先生に逆らったら、私iみたいに悪い点数つけられたり大学に来にくくなったりモチベーション下がって単位ギリギリになったりしたら困る、下手したら留年だし卒業できないよ。

でも今日はそれじゃない。別の話。まず最初に晒した「ハラスメントを受けたら」というパンフを見て欲しい。一応webにも載ってるけど適当すぎてわけわかめだと思うのでパンフを掲載した。

ここに色々なハラスメントの例が載っていますね。

例えば、

②アカデミックハラスメントの欄はハラスメントの具体例として、
・不当に低い評価をつけられた

というものがある。これは私の今日書いた武蔵美のとある科目(科目名を晒さないのは前の学長に恩義を感じているから)もそうだし、「連歌と俳句」で顔採用の先生に75点つけられたのもそうだし、「・みんなの前で、研究上のミスや問題について大声で叱責された」というのはN先生が懇親会という公衆の面前で私を大声で叱責したのもこれに当たるだろう。これ、訴えたらと言ってくれた人もいるけど、これ以上あの人を晒したら本当に今度は何をされるかわからないのでしない。

というか事務局が「あなたのためだから」とN先生と私を会わせないのはそういう理由もあるそう。うん、ちゃんと聞いたのよ。あ、だから懇親会も卒業式も事務局に言われて出席できないのだろうか。でもそんなのあるか?コース主任なんだよ?自分の可愛い生徒達の旅立ちを見送らななくていいんだ?へえーふうーん。というかもしかしてクビになったのかなあ。それはないよね!

で、今回は私のマブダチの話。そしておおえかが「良い先生面だけで全く生徒の事何も考えてないいつも自分自分自分自分」という証明にもなる話。

私が拒否られて単位のために仕方なく受けた「文化史特論」これが大当たりでめっちゃいい授業だった。3日間のうち毎日色々なジャンルの先生が授業をする。内容は歴史遺産コースの生徒達が卒論をするにあたり、研究の仕方論文について、それから自分達がいかに苦労して日々研究研鑽をしているかという内容だった。文芸を卑下するつもりじゃなく、本当にどの先生も研究熱心で自分の研究ジャンルを愛し、毎日毎日コツコツと色々勉強されているのがわかった。先生の先生について習ったり授業を受けたり新知見(研究上の未知の発見、論文に書いて学会で発表するそう)を求めて四苦八苦されている様子は、人間いつまでたっても学びの姿勢がないとダメなのだとわかった。「俺もう先生になったから暇で困ってポケモンでもしてダラダラするかあ」なんてTweetは間違ってもしないだろうと思われた。

で、私が第一日目の一時間目の授業を受けていると、学友のKさんが慌てた様子で教室に飛び込んできた。私は一時間目の前、「ストーリーとシナリオ」の授業誰が出席してるんだろう、入りはどうだろう、本当に定員でいっぱいなんだろうかとリサーチに行った。その時にKさんがいて「今日は教室別々」というと驚き、事情を話すと「ああー」みたいにがっかりした顔をしてくれて、他にも学友が来て「酷い話」「それおかしいやろ」と言ってくれたりして溜飲を下げた。で、おおえかが来てちょっと「うわっ」という顔を私に見せた後はツーンと知らん顔で他の依怙贔屓っ子に話しかけて何か後ろめたいのか顔を真っ赤にしてきょどっていた。おおえかは後ろめたいことがあるとすぐ顔が赤くなる。赤面症なのかもしれないと思った。

で、Kさん「文化史特論」の教室で私をみつけると同じテーブルの隣にきてくれて、というかこの科目はそう狭くない教室なのに受講生でいっぱいで、私の隣くらいしか空いてなかった。「どうしたの?」と小さな声できくと、「教室間違えた」と言う。

「こっち申し込んでたのを間違えてあっちにいってしまった。あっちで点呼がなかったのでこんな時間まで間違えたのに気が付かなかった。みんなが持ってる資料がないので先生に言ったら「事前に郵送して余分はない」っていう。うちに届かなかったと言ったらやっと名簿を確かめられて、私の名前がないから間違えたと気付いた」

というような事を休憩中に改めて話してくれた。

「どっち受けようか迷ってこっちにしたんだった。でも覚えてないわあ」

と、あははっと笑っていた。でも今現在、彼女に「あはは」で済まないことが発生している。なんとこの時一時間目に遅刻したということで、三日間真面目に授業を受けてスクーリングレポートを出したにも関わらず「単位認定できません」と大学から通知がきたそう。彼女が真面目に三日間授業を受けていたのは私が証明する。メモをちゃんととりレポートも書いたと言っていた。彼女は目立つタイプではないが、陰日なたなくコツコツ勉強している。それから彼女も貴族とまでは言わないけどご主人偉いひとなんだよ、そっちからクレームが来たら誰か責任取らないといけなくなるよ藁

で、この授業は三人の先生によるオムニバス形式の授業だったので、この中の先生誰かの申告でそうなったとは思えない。また事務局コナン馬鹿やったと思った。訴えられていいから本名を晒す、コナンは小南。最初私が読み間違えたのをそのままあだ名にしている。名前晒すのは最初で最後だからよく覚えておいてね。

私はこの時Kさんが「単位認定されなかったらどうしよう」というので、そんな事絶対ないと思うけど、もしそうなったら私に連絡して。認定を覆すネタを持ってるからと彼女にかくかくしかじかその出来事を話した。それは何かというと、京都造形芸術大学のシラバスにも書いてあるし、大学の事務局はテストやガイダンスでいつもいつも偉そうに(誇張ではなく本当に偉そうに話す時は顎が上がってる)「遅刻や早退や欠席は厳禁!1分でも時間に遅れたらテストは不合格、単位認定もできない」と常々ことあるごとに言っている。

でもそんな事絶対ない。

まず、「連歌と俳句」の顔採用の先生は、授業の最後「レポート書けた人から帰っていい」とつい言ってしまい、後から慌てて「でもなるべく授業終了時間までいて下さい。どうしても急ぐ人はいですけど」とこれまたちーさい声でぼそぼそ言っていた。いつもの自分のカルチャーセンターなどの時と間違えてつい言ってしまった、でも大学事務局から滾々と言われていた「時間ピッタリに終わって」というのを思い出したのだと思う。そしたらさあ、「すみませんいつもの癖で言ってしまいましたが、大学というか文部科学省の決まりで時間間でいて下さい」って言いなおせばいいんだよ。

で、私お猿ちゃんが待ってるからこの日は早く帰りたかった。「ままどこ?」「だいがくよ」なーんてメールしたばかりだったし。で、一番早く書き上げて提出して帰ろうとすると、明らかに顔がムッとして怒っていた。なんかすごい怨念というか「おいっ、空気よめよ」とでもいうような感じで睨みつけられた。うんでもさあ、いいって言ったし特に急ぐならオケって自分で言ったんじゃん、と持ってさっさと帰った。そしたら75点。短歌なんて笹先生絶賛してくれたし、その後「匿名で点数をいれる」句会でも高得点で顔先生が自分で私の作品を「特選」に選んだんだよ、なのに「最後のレポートで点数をつけたので75点です」と返ってきた。これ、

②アカデミックハラスメントの欄はハラスメントの具体例として、
・不当に低い評価をつけられた

に当たるんじゃない?ハラスメントする先生はクビだと新しく京都造形芸術大学で決まりましたのでそのようにされてください。なまず学長に泣きつく?ああ、そうしたらあなたらしいですね笑

あ、今見たら「連歌と俳句」じゃなくて、「俳句と連句」だった。これもう「短歌と俳句」にチェンジして、笹公人先生と『サラダ記念日』の俵真智先生にして下さい。こんな自分勝手な点数つける女帝きどりの先生信用できません。

文芸コースのシラバス55ページが「俳句と連歌」のページなんだけど、成績評価方法についてこう書いてある。
「1.受講姿勢 2.内容の理解度 3.独自の視点 "本科目は、授業への取り組み、および授業中に提出する課題を総合的に判断して成績評価を行います」とある。そして「成績再審請求書」を出してもどってきた内容が「最後に書いたレポートで成績をつけました」とある。事務局にコピーがあるはずだから自分でも確かめてみなよ、晒すと著作権に抵触とかうるさいだろうからしないけど。N先生も知らないとは言わせない。事務局→N先生→顔採用の俳句の女先生の流れのはずだから。N先生は生徒の真摯な訴えを無視してまたもや顔採用の女の先生の肩をもったことになる。

この大学こんなんばっかり!


ね?書いてあるでしょう?


ここ、ここです!

ということで、もう一度再審請求書を出した。もういちいち書類を郵送なんてしなかった、現代にはFAXという便利なものがある。FAXでだだだっと送ったった。メールは添付書類はセキュリティ対策の関係で受け付けられないそうで今回は断念。でも以前大学の研究助成金申請出さなかったら「メールでいいから出して」と言われて添付書類で出したことがある。自分の都合で色々決まり事を勝手にチェンジする京都造形芸術大学らしいと思った。これ以外にもおかしい変だと思った事全部「偉そう先生」と「住職先生」に文書でたくしてあるからちゃんと回答して下さいね。隠し事するともっとほじくるぞゴルァ( ゚Д゚)

ということで、京都造形芸術大学本当にルールがマイルールもいいとこでいい加減というのがよくわかったと思う。

マブダチKさんは、わざと遅刻した訳ではない。むしろ点呼しなかった馬鹿が悪くない?文芸コース以外の授業は全部点呼による出欠の確認があったのにないのが悪いんだよ。だからKさんは一時間目かなり経ってから別の教室に移動することになった。これも遅刻になり単位認められないってお前ら馬鹿なんだよ。「馬鹿って書くな」って大学に言われたけどこれ以外にどう表せばいいの?

私が「俳句と連句」早退したのはいいんだ。でもこれ顔採用が認めたやつだ。しかも文芸コースで遅刻してきた人が何度もいたのに単位認定されたと聞いた。これは2015年秋の「外国文学」のN先生の授業だった。三日間毎日遅刻してくる人がいて、N先生最後の日はさすがに怒っていたけど単位はもらえたらしい。なんなら本人に証言してもらう。

それから2015年の論文研究、この記事の前の「拝啓徳山豊理事長さまへ」でも書いたけど、今は朋輩になったoさんも課題の評価に異論があり怒りまくって授業をボイコットしたし二日目はもうお昼やろというギリギリのところに到着したけど単位認定された。でなければ今年卒業制作なんて出来なかったし卒業式に出席なんて話が出なかっただろう。これら、何もかもN先生が「特例」として認めたんだろう。N先生は一年目のガイダンスで様々な事例を出し、「卒業出来るように特例でバックアップしますから安心して勉強して下さい」と言っていた。

私はいい先生だなと思いつつ、こういうの最初にぶっちゃけて大丈夫だろうか。多分ずーっとこれで先生をやってきたんだろうな、きっといつかこれで痛い目にあうだろうな、でも先生にそんな事言ったら嫌われるから聞かなかったことにしようと思った筈なのに私の脳みそは結局忘れてくれなかった。

今回Kさんが単位を認められなかったのはN先生ではなくおおえかのせい。この時事務所のカウンターでKさんが私とまごまごしていると、おおえかがさあっと現れて私をガン無視しながらKさんにだけ「どうしたんですか?」と、さもいい人ぶって聞いてきた。私はあーあ、いい人演じさせたら天下一品だわと思いながら生暖かく眺めていた。するとおおえかはKさんの肩を抱いて、さあ私に何もかもまかせなさいねというふうに事務局カウンターに誘導し、「すごく偉そうだったけど最近は火が消えたように大人しくなった事務局の女ボス」を呼び、「これこれこういう訳で本来の授業に遅刻しちゃったんですよー」と説明していた。

外苑事務局の女ボスはつい最近私から「あの人力ある人にはニコニコべたべたして私みたいな依怙贔屓しない生徒にはぞんざいな態度」と言付けていたせいか、私に対する態度もみていてくれて、その流れで自分にニコニコしているおおえかに笑顔もみせず目もあわわずKさんにだけ対応していた。女ボスぐっじょぶ。この人何度も電話連絡してくれて取次してくれて思ったのは、事務局だから色々私に対応できないところはあるけど、ちゃんと正しい事とか悪い人は容赦しないとかいう真っ当な人間像がみえる気がした。威張るのだって多分そうしないと暴走した生徒とか多分いたんだろうと思う。ニコニコハイハイしていたら学校って成り立ちませんからね。

そして私は横で聞いていて思った。こんな言い方したら事務局は単位くれなくなるじゃん。おおえかは自分が最初に点呼しなかったミスを申告もせず、おっちょこちょいな生徒仕方ないなあみたいに笑っていた。そこで笑っているのはおおえかだけだった。どうしようもないと思った。私なら「文化史特論」の先生に会いにいって、これこれこういう訳で遅刻させせすみませんでしたって言って遅刻じゃなくなる措置をしてもらう。事務局に後から叱られたとしても、真っ当な生徒を守ってなにが悪いんだと言えばいい。そんな気これっぽっちもなく自分の保身ばっかりで反吐が出る。事務局だってそう言われたら単位認定する訳にもいかないだろう。

これは全部おおえかが悪いよ。大っぴらにして「こっちの授業に間違えてきたのであちらの授業に彼女は遅刻しました」ってさあ、生徒売ってまた自分が点数稼いだんだよもーやだやだ。

ということで大学はもしKさんの「文化史特論」単位認定しないというなら、これら全部文部科学省に訴えて単位どころか大学の認定も取り下げて貰ったらどうなの。大学も事務局も先生も全部「もどき」大学ごっこもいいけどこっちはお金払ってるのね。通信だけじゃない、多分通学生の中でもこういう理不尽ばかりだと思う。特におおえかと同級だった学友のみなさん、奴に嫌がらせされたり足を引っ張られた人が絶対いるでしょう。京都造形芸術大学なんてお金持ちのゆとりある生徒が集まっていて、そういう人達は得てしてみんな性格がいいし、イジメられてもすぐにこれがイジメだと気付かない人が多い。

私も最初豊洲のボスママにやられた時は「自分が悪いんだ」「空気読めなかったから」とか「お土産なごやんじゃダメだったんだ」などと自分を責め続けた。でも大学でおおえかにやられた時は散々やられた後なのですぐにわかった。セレブウもといあの貴族のご子息がおおえかにやられて弱っていた時も「それはあなたに嫉妬している」とすぐに論拠と証拠を呈示しながら理路整然と説明でき、すぐにセレブウは元気を取り戻せた。「頼まれていない」というのはまあいいよいいよ、あなたも一生そうやって雲の上で暮らせばいいから。

さあ京都造形芸術大学事務局、これでもKさんの単位認定しないの?おかしくない?それなら私が卒業認定されるのもおかしいでしょう。「俳句と連句」早退したんですよ?どんな回答があるかこれも楽しみですね。だいたいいつも人をみるしそれでいう事が違うのがおかしい。

学長が顔採用の女性と「藝術学舎」の授業だからと旅行するのがまず変!第一弾のカニ食べる旅というの、なかなか人が集まらなかったせいで何度も「催行人数に達しない場合は連絡します」って何度もアナウンスがあったくらい人気不安定な企画。学長に気を使って関係者かき集めて決行したんじゃないかと推測する。「カニ美味しいですよね、でも今度はハワイがいいい」「いいですね、行きましょう」なーんてね。

また春コースで今度は房総ですってよ。暴走もいいとこじゃないでしょうか。まだネットにはあがってないけどあるんですよそういうのがまた。



最小催行人数が減ってる!笑、しかも見開き巻頭2ページ笑笑

それなら「千住博大先生といくウォーターフォールのビッグバンを探して」の旅行の方が絶対受けるのに!私もこれなら行きたい❣️千住博大先生が「ここ、ここなんです、ここでホラ滝に目線を合わせてみて」「本当❣️先生、私も滝の息吹がみえました😭」なんてね。素敵💖💕✨もう本当に企画するの誰だろう一歩前に出ろというか千住博大先生企画なら絶対with森生ゆり子じゃない?顔だけなら顔採用にも負けてないと思うけど。 でも専業主婦じゃなあ〜やっぱり芥川賞いるなと思った。

そうだ、「連句と俳句」の授業の時、笹先生も顔採用の先生もどきの顔を褒めてた。「本当にお美しい」とかってまあ顔褒めとけばいいやろって棒読みだったお。顔採用は「いいえ、そんなあ」と大喜びしていた。この先生の笑顔ってこの時しか見られなかったそういえば。私なら大学の授業で顔なんか褒められたら怒ると思う。「授業や学問に容姿関係ないですから」って。でも顔採用は自分が顔しか取り得ないとわかっているのかニコニコして。これがタモリ倶楽部とかでタモリさんが言うなら別、タモリさんは何を言ってもいいことになっている。あー笹先生タモリ倶楽部に出てくれないかな。アシスタントはもちろん私じゃー! やっぱりここでも芥川賞いる。

でも早速テレビ朝日に企画書送ってみようと思う。


【まとめ】

②アカデミックハラスメントの具体例にある、 

・不当に低い評価をつけられた

ということで、Kさんも私もOさんも大学マニアでN先生に叱られた人も、よくも悪くも全員事務局および大学を訴えられると思った。高い評価も不当なものなら異議を唱えられると思う。パンフレット「不当に低い評価をつけられた」じゃなく、「不当な評価をつけられた」に修正をお願いします。 

※一部不適切な表現があると大学から注意を受けましたのでその箇所は訂正しました。       
        
   

そう言えばN先生に私は様々な新知見の資料を事務局経由で送ったけれど、お礼もなく自分の感情を優先させて激怒したり失言したりっていうのは良くないと思います。特に、プルースト作『失われた時を求めて』に出てくる「黄色い壁のマチエール」が『デルフトの眺望』のどの部分かっていうの、先生授業で間違って指してたから私が「違うんじゃないですか?」と言ってそのまま「どれがそうかわかりませんね」となったやつ、「西洋美術史」の授業受けた時に先生が私の指摘の方が正しいって教えてくれて次の日資料までもってきて下さった。そういう内容とか色々書きたかったけどそれみて事務局が「特定の教師へのレターは受け付けない」ってまた拒否されて手紙と共に返却されるといけないから資料だけ送った。

先生は間違いを指摘してきた狼藉ものとまた思ったかもしれない、でもそうじゃない。知り得た情報を伝えたいと思っただけ、プライドなんて捨てて考えてみたらいい。人がどう思うかじゃなくて、事実は事実なんだから素直に納得する。それから西洋美術史の先生に先生からももお礼言うべき。それにしても西洋美術史の授業、本当に定員オーバーもいいところで追加募集も毎年でない大人気の授業。私は追加募集ないけど「去年も抽選はずれたし、卒業したら受けられないので受けたい」と事務局に言ったら受けさせてもらえた。なのに定員80名で参加者27名の「ストーリーとシナリオ」は、拒否られた。これ、絶対おかしいでしょう。しかも授業の資料は各個人に予め郵送で送るという徹底ぶり。普通はどの授業も教室の前か後あたりのテーブルに並べられ、各自がそれを一部つづとるというスタイル。私にどうしても何も見せたくないということなんでしょう。おおえかって本当に小知恵働かせて墓穴掘るタイプ。こんなことして私に突かれるに決まってるのに。N先生もわからなかったんだろうか。偉い先生達に話したら「考えすぎ」と笑っていたけれど、このブログ全部というか「京都造形芸術大学」というタグのものだけでも読んだら「なるほど」って思うと思う。 こういう事が細々色々あった。「わからないだろう」なんて何故考えるんだろう、本当に不思議なんです。

そういう訳でまだ大学とのイザコザ全然解決の糸口すらみえていないが、私は超元気。今日は夜息子ちゃんの英語教室に付き添うだけで他に用事なし。夫は今日から平常運転で会社に出かけていった。それが今月からちょっと遠いところに異動になり、朝早くでかけていったもんだから朝が本当に平和だった。息子はさっさと行ったのはいつもの通りだけど、娘も夫がいないと私のいうことをよくきく。今朝はバトルもキャットファイトもなくたんたんと学校に行きました。夫は家庭的だけど典型的な「毒親」ママみたいだから「毒母」といっていいと思う。あんなんが母親だったら私なら家出する。まあ本当に家出したのは前に書いたから端折るけど、夫のママンは私好きだけど嫁と姑という距離感がいい感じに影響していると思う。あの人に育てられるかと思うと、うーん、多分家出してるな。結局誰も私を育てられないという結論になるのか。

今8時25分、9時まで好きなことしていいことにしてブログを書いている。色々書きたいことはまだだまあるが、日々忙しくままならない状態。そうだ、猪瀬さんに「豊洲市場どうしたらいいか」ブログに書くから読んでネっていう約束もあった。もうNewsPicksでちゃったけどFacebookで繋がりはあるし、あの時猪瀬さんの文春胞的告発を否定する人も大勢いたけど、私の長文砲で蹴散らしたことを覚えていてくれていると思う。今は蜷川なんとかさんという綺麗な元女優さんとラブラブでまあーご馳走さま♡良かったですね猪瀬さん。このお、うらやまけしからん。いくつになっても素敵な恋が訪れるということで、壮年男子の希望になったと思う。私もいくつになっても選ばれる瑞々しい女でいたいわと思った。

で、今日の主題。タイトルの通り大学がアホなせいで学友同士がぎくしゃくすることが本当にたくさんあるという話。また引き合いに出して申し訳ないけど、武蔵美は全くなかった。学生同士諍うこともありましたよ人間対人間だもの。でも「大学および大学の先生が原因で仲違い」というのは無かった。それが京都造形芸術大学の場合はしょっちゅうあった。今回私が名指しで怒った「モアイ刑事」、この人はおおえか派の第一人者、昔「結婚したら?」と聞いたらやぶさかでない様子で、えっそんなに好きなんだと驚いた。

元売れない舞台俳優、今底辺ライター、しかも大学の先生職だって風前の灯、あなただって今フリーターみたいな立場でしょう。どうやって食べていくの。でもモアイ刑事はそういうの全然関係ない幸せを築ける人だからいいかもしれない。

ということで、私がおおえかと敵対しているせいで、このモアイ刑事とも断絶してしまった。昨日の学友は今日の敵、他にもおおえかが主担任だった人は何人もいるが、他の人は関係ないと思ってくれているよう。それもとっくにリサーチ済みというか、授業で会っり色々でわかる。ざまあ、おおえか。お前を慕う生徒がひとりだけでもいて良かったね。私がブログでdisったせいでコピペ添削やめたそうじゃない。ホワイトボードに「〇〇さん改造計画」なんてのを書いてプレゼンしたんだって?まあ~いい先生を演じさせたら上手上手。でも中身がないとネ。でもモアイ刑事にもがっかりした。自分だけ依怙贔屓されれば他の生徒はどうなってもいいんかと、正義感の強い人だと思ったら違ったと、本当にがっかりしたけどそうじゃないかと思っていたから大丈夫よ。

その反対に敵だと思っていたというか、向こうがそう思っているだろうなと思う人達が意外な反応を見せてくれて嬉しかった。今日はこちらが主題。口頭試問の授業の時にばったりOさんに会ったという話。大学のトラブルと口頭試問の話を分けようと分割したら、Oさんの話を消しちゃったみたい。ちょうどいいので改めて書いてみたい。

口頭試問があったのは1月27日、私の時間は13時40分からだった。学友達からの情報によると、N先生とおおえかは全28日というスケジューリングだったよう。本当に用意周到というか、私とN先生が遭遇すると怖いと言った事務局の方の言うとおりになってる。2月18日の「フライングカフェ」という芸術学部の各コースから先生がひとりづつ参加し、美術館を見学し大学に戻って茶話会、その後学習相談と言う流れのイベントがあるけどこれ私どうしても参加したかったので申し込んだけどN先生も参加するけどいいのかなと偉い先生に言ったら「なんとかする」というので多分N先生外されて、そういうい時はあと一人しかいない外苑の先生と言うことでおおえかが来るんだけど言語道断でしょう?なので門崎先生かなあという感じ。

そしてN先生コース主任のくせに卒業式も懇親会(この大学の最後の晩餐的イベント、ちゃんとした店でプチ懐石を食べてお酒を飲む)というのにも来ないらしい。私はコナンの陰謀だと思ったら、本人がシレッと「私と大江先生は行きませんから藁」なんて言っていたそう。これ、本人がまた逃げたと言っていいと思う。普通何があっても出るでしょう。自分がコース主任やってる生徒達の旅立ちの日なんだよ、それをまあ自分が傷つくのが怖いだのまた書かれたら嫌だとかヘタレで責任感ゼロもいいとこでもう今度こそ本当にがっかりしてしまった。私の悪いところでもあり、情に流されてしまうという。先生おひとりでお気の毒とか、老後どうするんだろうとか、ちゃんちゃんこ誰が準備してくれるんだろうもしかしておおえかのママンかなあとか余計なことまで気になる。

そういう話をあの人にする機会があり、私は何もかもぶっちゃけた。この人は私と同じ2015年度入学、親しく話したことはそうないが、背がスラッとして綺麗だなと思っていたらモデルとかコンパニオンをする人だった。 すごい美人なのにN先生のお気に入りではなかったのは、先生達に意見したせい。

私はこの日、口頭試問には絶対遅刻しないと決めていて予定時刻の30分くらい早く到着した。もっと早くいって他の学友達をつかまえてリサーチしようと思ったが、お猿ちゃんが寂しそうでなんか後ろ髪ひかれちゃってさあ。で、その30分で事務局にちょっかい出したりふらふらしたり教室を確かめたり色々していると、Oさんがふわーっと現れ目の前を横切っていくではないの!私はOさんの消息が知りたくて連絡とりたくてあちらこちらに聞いてみたが全然わからなかった。事務局に「用事があるので電話くださいと伝えて」とお願いしたけどコールバッグはなし、それならとOさんの職場はネットで調べて知っていたのでそこに手紙を書いた。「心配している、文芸フリマで本を出すから一緒にやろう」。それから私たちはあなたの味方だから、と。そしたら開封されずに大学宛に差し戻された。そこには大学からの文書で「迷惑だそうですから手紙を職場に出すのはやめてください」と書いてあった。でも私、大学のそういうのにもう慣れっこで傷つきもしないし何があったのか確かめもせず通りポイッて返却したりして、一辺倒なサラリーマン事務局紙対応でいいんだと。

Oさんがこうなったのには理由があり、これも大学のせいなんだけど、論文研究の授業はⅠとⅡがあり、どちらも卒業制作を翌年に控えた学生たちが集まり作品の下書きを講評しあう合評会のようなものか。ひとり30分持ち時間があり、まず本人が作品について述べ、その後先生達から意見や感想、最後に学生たちからの質問など。作品はまとめられて各自に事前に配送されて、全て読んでから参加が条件となっている。ここで私はOさんと一緒になり、席も割と近かったので様子がよくわかった。そして初夏に論文研究Ⅰの授業があり、ここで彼女はエッセイ的な短編をいくつも書いてきた。

それを担当になった先生がとてもいいと絶賛していた。彼女はとても喜び、このままページ数を増やしますと言って、先生達も楽しみにしていますと口々に言っていた。内容は彼女の現在過去未来に出会った人々や出来事を書いたもの、卒業制作作品に相応しいさわやかなものだった。それが次の秋、論文研究Ⅱでページ数が増えたそれを担任は酷評した。ありきたりで何が言いたいのかわからないとか色々。今思えば彼女が怒るのは無理もない。先生のアドバイス通りに書いたのに、今度はダメ出しをされたのだ。彼女は誰もがわかるように憤り異論を唱えた。

「これでいいっていうからその通りにしたのに、今度はダメってどういう事ですか?」

あの時の私に出会ったら、自分で自分を叱りたい。私は憤慨して怒りをあらわにする彼女ではないく、さっと先生側についた。ずっと不満げな様子で怒った顔で腕組み足を組み、授業なんてもう聞かないとばかりに空を見据えていた。そのうち馬鹿らしいと思ったのか休憩を挟んで彼女は教室に来なかった。夕方近くなりやっと姿を現したが、まだ怒っている。私はそれをみて、面白いと思って隣のwさんとメモをまわして笑い合った。「すごいね」とか「先生達の顔面白い」とか「大人気ないよね」などと。

でも今思えば彼女が真っ当だったのだ。そして、

「先生、Oさんが怒るのは無理もありません、私もそんな風に評価が変わるなんておかしいと思います」

と、はっきりというべきだったのだ。それなのに自分が蚊帳の外のような態度で面白がったりして。私はこの時のバチが当たって今こんな風に大学と大もめになっているのだと思った。あの時おおえかもいたので、そういう私たちの態度、何かあれば大学側に日和るというのを目の当たりにして、先生のいうことは絶対なんだ、「だったら俺もやっていいんじゃね?」と思ったに違いないのだ。この時もN先生はOさんをニラニラと様子見するだけで、ⅠとⅡでいうことの違う先生を注意もしなかったし彼女を異端児扱いした。

彼女は二日目大幅に遅刻したがそれでも授業には来た。ムカつくけど授業は出て卒業だけはしてやると思ったに違いない、私も最近までそうだったからよくわかるのだ。論文研究の授業がⅠ、Ⅱと終われば通信生はほとんどバラバラになる。だがfacebookや色々え繋がり文芸フリマや懇親会などで一緒になり、大学とは別の場所で楽しいことが色々あった。私も彼女と同じくもう大学なんて行きたくないと思っていたし、学友たちとの繋がりももう嫌だと思った。私がそうだったように学友達も事情もよくわからぬまま大学側についたと思ったから。

でも思い切って文芸フリマのミーティングにいったらKちゃんというモロ性格のいい子が大歓迎してくれて、なんとなく場が温まり難を逃れた感じ。これがモアイ刑事みたいな人ばっかりだったらもうさっさと抜けていたと思う。そこからスクーリングの単位を数え間違えていることが発覚し、大学にまたせっせと通うことになり、なんだみんな全然気にしていないじゃないじゃあ懇親会もイベントもいっちゃうわと油断したら、N先生VSフィガロ仮面という恐ろしい惨事が起き、そして偉い先生に訴えてなんだなんだとあちらこちらに尋問されて今ここって感じだけど、彼女も事務局に色々言ったけれど全部スルーされて、もう何もかも諦めて坦々と卒業することにしたのだと言っていた。 彼女に「私たち紙(集金袋)だから」というと納得して笑っていた。

そう、あの時彼女がすうーっと通り過ぎ、普通手紙突き返されたり電話くれなかったりしたら怯むでしょう。私全然そんな風に思わなかった。むしろ朋輩だと思っていて、話せば何もかも分かり合えると確信していた。「oさん、oさんでしょう、久しぶり、ねえ話したいんだけどっ」っと突撃した。Oさんはそう驚くでもなく、私もう大学の人とあまり話をしたくないんだよねなどと言う。そうでしょうそうでしょう、なので私は単刀直入に謝った。あの時笑ってごめん、でも今大反省している、あの時の生徒達全員そう思ってるよ、本当にごめんなさいって手をとって頭を下げた。Oさんは口頭試問が終わったばかりで帰りたいというが、お願いだから待っててと言って自分は口頭試問に行き、またダッシュでoさんのところに戻った。oさん帰っちゃうのではと心配したがちゃんと待っててくれて、校正用の部屋に移動して色々色々話した。

あれからあんな事が次々起こり、大学に対して不信感を持ち始めた人がたくさんいるとか、文芸コースはおおえかが諸悪の根源とか、今はN先生ますますひどくなりおおえかのハラスメントの嵐を注意するどころか自分もやるようになったとか、oさんの最初に担当になった先生は2016年度の論文研究の授業から外されてそらそうだよねあれは本当にひどかったとか、外された先生は私たちの年度の学友の担当はまだやっていて、当たった人はいい加減過ぎる評に最後まで怒っていたから、oさんは違う先生になり良かったんだよとか。これは文芸評論家を名乗るi という先生で、入学案内のパンフにちらっと切手くらいの大きさで顔写真がいつも出てる人。この人も何かの時に「僕、新幹線暇だから嫌いなんですよ」とか言って、暇な時間があれば本を読んだり勉強したりすればいいのに誰のお金で新幹線に乗っているんだとまた思った。もう先生達の移動は特急券なしにしたらどうだろう。東京から東北くらい普通列車でいけばいい。時刻表を眺めたり忙しく乗り換えたり「暇」なんて言ってられなくなるから。それからOさんの担任は朋輩wさんの担任でもあり、私の副担任。外苑キャンパスの一匹オオカミばかりの担任で、ぼっち専門の先生なのじゃないかとか笑って色々色々話した。

私の今の現状と問題について話すと、「大丈夫?辛くない?誰かに相談できてる?」と心配してくれて、今まで誰にもそんなこと言って貰わなかったと気付き、彼女の優しみが染み込んできてジーンとして涙がこぼれそうになった。笑って話すから笑い話になっているけれど、本当は真面目に話して学友みんなで共有して問題解決する類いものじゃないだろうか。自分がoさんの時に笑ったように、皆が私をそらみたことか、ブログなんか書いて目立って先生にも褒められていい気になるからこうなるのよと笑われているのだと思った。でもそうやって私を笑っているうちに、ひとりふたり三人とだんだん同じ目に遭う人が量産され、外苑の文芸コースは「もうやめたい」「入学なんかするんじゃなかった」「休学して考えたい」なんて人ばかり。

こういう事態を軽んじて大学は馬鹿なんだよ。頭でっかちなプライドばっかり高い先生ばかり揃えて「お前らからっぽの頭に知識を詰め込んだる」という大学が馬鹿なら先生も馬鹿、事務局はそれらを上手くコントロールしてるといい気になっている最低最悪の組織。もうね、どうしようもないと私もわかってる。私がこんな風にまとめあげて告発したとして、私が卒業すれば「やれやれ五月蠅いのが出ていった」とばかりに元の木阿弥、というか今も何も変わっていないN先生がコース主任の責任を放棄して卒業式と懇親会欠席すると堂々と言っているだけ。

言わされてるのかそうするように言われたのか自分の意志か知らないけれど、どうせ誰かのせいにして「私の意志でない」なんて言ってるんだろう。自分の教え子たちの旅立ちの日に知らぬ存ぜぬでいいと思ってる人なんて、もう先生じゃない訳。もし事務局が言ったとしても「私は先生として最後まで見届ける義務があります」などと大見得切るなんて出来ないヘタレ。あーあ、素敵な先生に巡り会って良かったと思った一年目はなんだったのか。Oさんはすぐ見破っていて、感情を隠そうともしないヤヴァイ人とわかっていたそうな。何かちょっと異論をいうと、顔色がさっと変わって傷ついたというアピールがあったそう。それって私が顔採用の俳句の先生に思ったことだった。

やっぱり下の先生達ってコース主任とか学長とか上の人に倣うんだと思った。そこへいくと笹先生なんて私がオモシロ短歌をぶつけても暖簾に腕押し、さあもっと来い!みたいな感じで頼もしかったなあ。最近太ったからダイエットしなきゃとつぶやいてみえたけれど、先生外なんてどうでもいいです、笹先生はとっても素敵な先生、私はもう短歌熱覚めましたけど丹屯さんがすっごくやりたがっているので弟子にしてあげてください。彼女は短歌と俳句のセンスがあります。先生に謹呈した文芸フリマの本の、あの海苔巻きの話を書いた人です。

ということでまた話が逸れたが、彼女と最後の最後に会えて話が出来、そして分かり合えて良かったと思った。もう今の大学で心残りといえばこれだけだったが、本当に神様の采配というか、今までどんなに努力しても彼女とコンタクトできなかったのにこんな風に。人生ちゃんと真面目に正しいと思う道にすすんでいけば、そういう風に着地点があるものだと思った。彼女に携帯教えてよというと、「私本当に一匹オオカミでそういうのダメなのよ」言われたが、これもなんか一貫していてOさんらしいと思った。

卒業式には日帰りで行くかもしれないという、もしかしてもう一回会えるかもしれないし、もう会えないかもしれない。でもこうして分かり合えてもう友達だと思った。きっとまだまだ長い人生で辛い事悲しいこともたくさんあるだろう。そういう時に今日彼女と話せた事は、私を勇気づける思い出となった。きっと彼女もそうだろう。

こんな風に学友の間でも大学や先生達のせいですったもんだがある。oさんとは奇跡的にわかり合えたが、もしあの日会えなければずっと仲違いしたままだっただろう。他にもセレブウだって今仲違いしたままなのは、もとはといえば大学、N先生とおおえかが原因だ。他の人も色々ある。もう私は大学関係者学友も含めて全員嫌いで信用できない。担任副担任の先生達だって感謝はしているが、結局は大学の先生、こうして対立している私を困った人だと思っているだろう。でも授業は人関係ないからきっちりやってくれたのだからこれは感謝、でも別の方向からみると敵の陣地にいる人。何もかも油断できないと感じる。

大学でトラブった人って大概声を上げられずに消えていくのだと思う。先生と対立する、それは大学と喧嘩するということだから。通信生なんて紙だから神や貴族に勝ち目はない。

でもたまに例外もいる。あのセレブウは出る所に出れば学長なんかよりはるか上の人達と繋がりのあるご子息なわけ。そんなセレブの事情も知らないでおおえかは「お前なんかにこれが書けるのか」みたいにぱぱーんと八つ当たりなんかして、大学は理事長レベルが後に平謝りしないといけない事態にも発展したかもしれない。こういう上流階級の繋がりも知らないでおおえかみたいな底辺の人を大学に入れると後々困るのに。女帝気取りの事務局レベルじゃわからないわね笑 

徳山理事長が亡くなりその息子さんが跡をついだのが2014年、ただのゆるふわ大学は馬鹿大学に変わり果てた。それはまだ徳山豊さんが若くてつるっとした顔立ちだから周りになめられているせいだろうと想像する。私もいい年だけど顔がつるっとしているからどこに行ってもなめれるからわかる。

「俺様が大学運営のイロハを教えたる」という魑魅魍魎の業突く張りどもに食い散らかされれているのでは。徳山豊さん、もっとしっかりして下さい。学長が怖いの?あんなのただのお飾り人寄せにもならないおじいちゃんパンダだから「こら、大学のお金を勝手に使うな」くらい言ってください。学長はしょっちゅう東京に来るそうで、その割に見ないけど何をしているんだろう。私の卒業制作の主担任の先生は京都の先生だったのでずっとweb授業だった。これ変だと思いませんか。

私の尊敬するビルゲイツさんは、日本法人に着た時に帰りのチケットを渡され、それがファーストクラスだったから「お前らいつもこんな無駄使いしてるのか」と怒ったそう。そうして余ったお金を今は慈善事業につぎ込んでいる。奥さんがまたいい人で、メリンダさんも私は大好き。

徳山豊さん、是非こういう経営者になって下さい。それにはまず強くならないと、せっかく藝術立国とか作ったパパが泣きますよ。それに未だに徳山祥直理事長のの書いた冊子が入学案内に入ってるけど、自分の言葉をもっと出して下さい。パパが興したこの大学を自分がどうしたいのか、何を目指すのか。変なゆるふわキャラと話してる場合じゃないから。卒業式の前に懇親会あり、そこに私も参加します。是非理事長来て下さい。私お話してみたいです。クルーソー先生が幹事らしいけど理事長ならノーパスで席が作られると思います。

クルーソー先生と言えば、新N先生の参加について返事が全然こないけど何やっとんどうせ事務局が私が言い出したことだからノーとか言ってるんでしょう。そんな事も先生って決定権ないんだ、何もかも事務局事務局コナンコナン。コナンもうチェンジしたら、もしかして大学の上の方の人となんかあって女帝きどってるんじゃない?顔採用の女の俳人先生は学長とN先生の贔屓があるから天下とったような気持ちでいるのだろう。

徳山豊理事長さま、京都造形芸術大学は今こんな大学になっています。私は今年卒業しますが本当に勉強以外で大変なことがたくさんありました、正直勉強どころではなかったです。もう自分の代は諦めました、でもこのままじゃ瓜生山学園自体も存続の危機、早くなんとかして下さい。アホはクビでいいです、ハラスメントするやつも全員大学から追い出してください。

フランスの偉大な哲学者サルトルは教育につてこう言っています。 

「教育とは炎を燃え上がらせることであり、入れ物を埋めることではない」

この大学は知識を詰め込むだけの偉そうな先生が多すぎます。私も学びの炎を水をじゃかすかかけられて一時は消えかかりました。でも主担任の寒竹先生のお蔭で九死に一生を得ました。いい先生がたくさんいるのに、顔がいいだけの依怙贔屓されて女帝気取りとかいい先生を演じるだけの俳優くずれとか酷い人が大きな顔をしてひどいと思います。まず学長がやっていますからね、そういうの。

京都造形芸術大学の関係者の皆さん、ハラスメントを受けたと思ったら人間関係委員会の前にまず私に連絡ください。色々アドバイスします。yurikomorio@giamil.com までご遠慮なく。先生や学長なんて怖くないんですよただのスケベだから。怖いと思うあなたの気持ちが怖い人を生みだすんです。みんな変だと思っているし、あなたの味方だから心配しないで悩まなくて大丈夫だから。


もうすぐバレンタインですね。みんな私には期待しないでね。

徳山豊さん、是非通信文芸コースの懇親会にいらしてください。私是非お話してみたいです。私は怖い人じゃありません、ただの引きこもりの専業主婦、ブログを通してでないと何も言えない小心なネット弁慶です。

※徳山豊理事長に読んで頂けることになったので一部表記を上品にしています。

昨日タレこみというか、色々大学内部のことを教えてくれる人が現れて、自分がすごく勘違いしていたことを知った。私ってこういうピンチの時になると、さあっとホワイトナイトが現れて窮地を脱するということがよくある。そういう時って多分自分のためじゃない、誰かや何かのために尽力している時で、もうここまでと脱力しそうになると目に見えない何かが助けてくれるんだと思う。それが一体何か説明できないが、そういう力が働いているのをなんとなく感じる。人生初の裁判の時も、それからVS東京姉妹の時もちえの過去を知っているという方から写真やプロフ年齢など様々な情報が届き、ちえにぶつけたらびっくりするくらい大人しくなったし、他のVSの時もそうだった。これら自分が勝ちたいというものもあったが、「こんな人世の中にのさばらせておいたら子ども達の未来があかん」という一心だった。もしこれらが自分の私利私欲だったら絶対こういうのはなかったと思う。こども食堂だって自分が目立ちたいとかファッションでという気持ちだったら誰も助けてくれなかっただろうと容易に想像がつく。豊洲というまだ小学校に入学したばかりの子どもの街、ちゃんと弱者を助けるとか正しい共同体について学ばせてあげなければという、自分もこども食堂を始めてわかったのだがそういう訳で大学の方も色々通報があった。大した情報ではないと言われればその通りかもしれないが、もしすんごい内部情報があったら逆に困る。でも是非お願いしたいと思うのでよろしくお願いします。「おおえかに通院歴あり」ってそんなの薬飲んでる時点でわかるから。普通に考えて入院歴はないと思う、あの人そういう病気もファッションだと思ってるから。辛いは辛いけど辛いけど頑張ってる俺を周りにアピールする材料にしている。前にも書いたけど、そういう病気で本当に辛い時ってそんな風に自分を語れないはず、私がそうだったからよくわかる。話せるということは大したことではないし、もう回復したといえるだろう入院なんてさせてもらえないよ。でも大学はちゃんとそういうの調べたのだろうか。今10万円払うとかなり詳細に調べてくれるから、誰かを採用する時はちゃんと調べないと。入れるのは簡単だけど出すのは大変だよ。あ、だから季節労働者的採用なんだなるほど。まーでも大学の先生達事務局全員騙されちゃってというか、もうどうしようもない人ということがわかっているけれどノーベル文学賞の訳者という鳴り物入りで大学にきたスター文学者N先生の推薦ということで、皆手を出せずにいるだけ、それをいことにやりたい放題。そういえばあの顔採用の先生もN先生のお気に入りらしい。なので今年から授業をいきなりふたつも受け持つことになったと聞いた。なまず学長もお気に入りで、でも顔だけの性悪美人代表選手権のチャンピオンで、目元に険があって確かに意地悪が透けてみえるし授業も全然ダメ、声は小さい板書の字もありんこみたいで、生徒がそう助言すると不貞腐れてムッとするような人、そして自分の感情で採点する、私はこの人も先生と呼びたくない。私がこの大学で先生と呼べるのは千住博大先生と辻先生と日本美術論の先生とと古典芸能の先生と日本文学の先生と宮沢賢治の先生とアメリカいっちゃった先生、それからデッサンの先生とえーとそれから。なんだちゃんといい先生に巡り会ったじゃない。そうだ、卒制の主担任副担任の先生達は本物の先生だった。副担任の先生とはぶつかり合ったけれど、香山リカさんが生徒と先生はぶつかり合っていいと言ってみえたからこれで良かったと思う。それぞれの考えをお互い一歩も譲らない、でも多分お互いがお互いの意見も認めてはいるんだよ、でもサシで議論となったら論破の道を探索し合う。正しい師弟の関係ということなんでしょう。

それから卒業制作の学友の出来が気になったので、朋輩のブログをみにいく。読むとああ私のブログも読んでいるんだなとすぐわかる。あの人はあからさまにそういう事は書いていないけれど、なんとなくシンクロするような話題を書いてくれている。そして今回は卒業制作口頭試問どんな感じだったのか気になったのでいってみた。彼女の主担任は私の副担任。主担任副担任つっても作品を読んで講評しコメントをつけるのは主も副も同じ、ただその割合がちょっと違うということだろうか。面接授業は一緒にやる。私の場合三人で面接授業をすると、副担任の先生は主担任の先生より話すということが多かった。この人にどう言ったらよい小説を書いてもらえるだろうかという期待がすごく透けてみえた。特に二回目の面接授業の時は副担任の先生がずっと喋っていた。熱心に指導して下さったのだと今更ながら思った。主担任の先生は授業以外でサシで面談授業をしてくれて、この時の指導であの不屈の金字塔的な傑作が仕上げられたのだ。ふふふ、みんな卒制のために面談なんか申し込みしなかったでしょう。だめだなあ。それから私は面接授業の時は先生の話す言葉の意味をあまり考えない。いちいち深く考えていると次の話が入って来なくなるので必死にメモだけとるという感じ。で、後で書いたメモを眺めながら面談を思い出すと色々な言葉の意味がわかってくる、それを作品に反映させるだけということになるのではないか。

私は彼女の口頭試問の記事を読んで、卒制に限っては彼女に勝ったと思った。彼女はどこかの文学賞に出したいと言ったら先生たちはもう少し書き込んで校正をしっかりと言ったらしい。私は完成度が高くこのままどこかに出したらと言われた。細かく書けなどともなく、ここはどうしてこんな事を思いついたのかとか、何か変わるきっかけがあったのかとか、ここの部分すごくいい何故ならとか、今思えば、まるで熱狂的なファンが作家にインタビューするというような質問ばかりだった。どこかに出したらというのは先生達が生徒達に言うリップサービスだとばかり思っていた。最後の最後にそんな風に言われたらみんな喜んで頑張るだろう、好きこそもののでいつかスターが生まれるかもしれない、もしそうなったらコンビニ大学ダメダメコースも世間から見直されて、ここの先生と名乗っても「ああ、あの芥川賞の人の」と思ってもらえるのではないかという目論見もあるだろうと思っていた。

でもあの人に言わなかったということは、他の人にも言っていないと思う。彼女は卒制を自画自賛しながらノリノリでやっていて、彼女は頭もいいしテクニックを取り込むのも上手いし多分面白いものが書けたと思う。自分でも面白いものが書けたと書いていたし。でも私は自分で読んで面白いどころか感動してしまったし、何度読んでもまた読み返したくなるものが書けたと思った。先生達も書き足すとか減らせとかもう少し丁寧にとか全然言われなかったし、むしろ千住博大先生のいう「筆を置く」状態だからもうかまうなとやつだったのではないかとまた思った。先生達は私自身の評価を全くしなかった、ブログも「読んでます」と言ってくれたが、それをどう作品に反映させるかという話だけだった。

こう考えるとN先生素敵な先生ではあるが、人を見て顔先生や使いやすいおおえかを尊重し依怙贔屓、自分が興味ない生徒は講評で全否定したり自分の感情だけでフィガロ仮面に突撃してくる。いつも生徒じゃなく、自分が傷ついたとか侮辱されはしないかばかり心配している。with不愉快な仲間達とつるんで生徒の作品を酒の肴にしたりして、文学者として優秀でも先生としてはどうかなとまた思った。なのでおおえかが一年目はまあマシだったのが二年目であんなんになったのではないか。悪い影響を与えているのはもしかしてN先生の方なんじゃないかと思った。おおえかは口頭試問、また偉そうに色々言っただろう。あの人は人によく思われるためなら足の裏でも舐める人だから。嫌われる勇気が一ミリもない、そのくせ力のある人に好かれるためなら紙を蹴散らしその亡骸を重ねて自分が上に上がってかさ高く見せたい人、そのうちツルツルの紙にあたって滑ってひっくり返んなよ。

とまあまた余計な事を言ったがそういうことで、私もどこかに出してみようと思う。私の作品のタイトルは副担任の先生がつけてくれた。本当は違うタイトルのつもりだったが、いくつかの案の中で先生がこのモチーフが絶対いいといって譲らなかったと言っても過言ではない評があり、私はここだけは自分の意志を貫いてもいいような気がしたが、書き上がってまた考えようと先生の意見を取り入れたまま書いたらあんれまあそれがピッタリとはまり、作品もイキイキしだした。ラストなんて我ながらびっくりの展開だものね。これら卒業制作作品は一般公開されないそうだが、私たちは文集を買うことで全ての卒業制作作品が読めるそう。これ、もしかして今年からなのかなあ。だって先生達そんな事だれも言わなかったしそういう存在も無かった。もしこれが出来れば外苑キャンパスの8畳くらいの小部屋的図書ルームにも一冊置かれることになり、誰でも好きな時に閲覧できるようになるだろう。今までは先輩たちの卒業制作作品というと、事務局に閲覧依頼を出し、日時を指定してそれを受け取にいく、そして大学の構内でしか読めない。大作を書く方だと読むのに時間がかかり、最初に閲覧した『フルホンヤラストディズ』は約6万字弱、読み終わるのに2時間強かかった。junjun先輩のやつは二回読んだ、同じくらい時間がかかったが、もう一回読みたい。パイセンに卒業祝いにデータ欲しいとお願いしてみよう。

多分文集を作るというのは今年からで、私たちが作った文学フリマの作品集をN先生が読んで何か思うところがあったと思われ。一度論文研究の授業の後先生をつかまえてクラスで「卒業制作作品集を作って」と言ったことがある。私だけじゃないモアイ刑事とかナースコスとか色々な人がいた。それを販売してみたいとも言ったが、「著作権もあるし難しい」とか言われたが、難しいんじゃない面倒なんだろうと思った。でもこうして文集も出来、それそれの生徒が購入と言う形になるが良かったと思った。でも作るなら外部に販売もすればいいのに。そしてその売り上げの一部を次の代の文学フリマのブース代金にすればいい。通信といえどもせっかく大学に入ったのだから、学友が集まって喧々囂々ミーティングをしたりイベント会場で販売したり、打ち上げしたりすればいい。

文学フリマ参加は本当に楽しかった。自分の作品が売れていく喜び、一致団結した思い出。これ文芸コースの代々の伝統にすればいいのにと思う。論文研究という卒業予定の生徒が一同に集まる授業が二回あり、その時に希望者を募ればいい。大学がからむとややこしくなってしまうので生徒が自発的にというスタンスにする。そしてその資金の一部は先輩たちの本の売り上げからという。うーん、いいじゃない、Pay Fowaordと伝統がリミックスしそうないい感じのものになりそう。来年度はセレブデブから平六あらためセレブウがやってくれるそうで、卒業生はなしで今在学している人達でやって欲しいと思う。だいたい今も大学の様々なイベントに卒業生が参加するが、私たち在校生はどうしても先輩たちということで遠慮してしまう。もういっそ文芸コースのイベントは在学生のみということにしたらどうか。で、外苑キャンパスでもホームカミングデーやってその時は来ていいことにしたらいいと思う。

こうして書いておけば大学関係者は間違いなく読んで色々考えてくれると思う。最近の面談の時も住職先生が『あの鐘をならずのは事務局』は良かった、ああいうのは大歓迎だと褒めてくれて、先生達もやっぱりチャイムなくて困っていたんだなとわかった。特に京都は通学生用のチャイムが鳴り響いているそうで、通信生が東京よりも紙扱いということがわかり、あっちの先生達も生徒も大変だっただろうなと思った。

それもこれもこの大学の通信教育部の事務局長というのが、実務をほったらかしてあちらこちらで講演をして「先生」と呼ばれていい気になっているということがわかった。事務局長はコナンじゃなかった、コナンは事務局長補佐、NO.2の地位だが立場はNO.1だろう。事務局長の吉田大作があっちへこっちへと「先生、先生」と呼ばれて講演をしていい気になっている間に影のボスになったのだろう。それは吉田大作としても願ったりかなったりで、「事務局長」という肩書のまま好きなようにやれる。ちょっと吉田大作、あんたが講演にいってる間、大学がどうなってるかわかってんの?ちゃんと大学の仕事もしなよ。まずチャイムを通信生通学生とわけてちゃんと設定すること!外苑キャンパスにもチャイムくらいつけろ!生徒も先生もみんな困ってるんだよ。どっか講演行くなとはいわん、その半分の時間を通信の授業がある日に実際にみてまわれ。仕事は書類やネットの情報じゃ出来ない、現場に足を運ばないとわからないことがたくさんあるんだよ。私をみてみろ、おおえかの実態をつかむために小屋のお芝居を観に行き、関係者と話し、今はもうコネクションもちゃんと出来ていて様々な情報収集もさらにもたらされるようになった。皆おおえかの悪口は言わないが色々空気で察している。ああ、あの人場所がない人だったんだ、だから大学に執着しすぎて暴走しだしたんだなとか、N先生の寂しい心の内を弄んでるとか、もう先生もどきじゃない人間もどきなんだとかこれ誹謗中傷じゃなく事実だから。でも弁護士の先生が「事実だからこそ名誉棄損」と言っていたし、やっぱりネットに書くのはほどほどにしよう。

そういう事で京都造形大学通信教育部の事務局長はちゃんと自分の仕事しなさいね。私だってこども食堂とか大学とか友達と東京観光とか色々するけれど、本分はお母さんという仕事だとちゃんとわかってる。あんたわかってるの?まあ学長が顔採用の先生と俳句を名目に旅行なんか企画しちゃうあんな人だしね。大学関係者に話を向けると皆苦笑いしていた。顔採用の俳句の先生をやってるあの女性、N先生もぞっこんで色々仕事をまわしているよう、だって去年までエッセイのスクーリングって本を作るのあの女の先生だったでしょう。おばさんから若い美女にチェンジしたおかげで授業がわかりにくいものになったのではないか。あーあ、年をとればとるほど女性が輝くと言われているフランスに四半世紀いても日本に帰って来ればこのザマ。

やっぱりこの大学、何もかもおかしいよ。学科も漫画だのイラストレーションだの俳優だの、最高学府で教えることか?息子ちゃんがギター習いに行きたいというけれど、私はそういうジャンルはもっと大きくなって友達同士切磋琢磨して楽しむことで覚えるようなものだと思っている。最近ヒップホップも習い事として確立しているけれど、クラシックバレエと同じように学びに行くものではない、たまたま出会ったストリートで踊る上手い人を見よう見まねで踊るうちに「ねえ、いいじゃん」と声をかけられいつしか仲間になっていくって感じのもんじゃない?なーんかこの大学だけじゃない世の中が平和ボケしてしょうもない事にお金と時間を使い出した気がする。

それからこれもタレこみだけど、住職先生とN先生、もちろん偉そう先生もみんなグルだから油断するな、特にN先生とおおえかはもう悪縁でしっかり繋がっているのでぶった斬って国外追放するならペアでないとダメというものがあった。卒業式の前にあるコースの懇親会も、おおえかが来られないのでN先生も「じゃあ私も行きません」と日和ったという情報もあった。うーん、わたし本当に色々全然わかってなかった。以前セレブウに「毎日気持ちがかわって言うことが違うから何もアドバイスできない」と言われたことがある。でも私だって自分の気持ちがわからないし、どうしたらいいかも何も見えない。N先生だって恩師ではあるが妖怪おおえかを庇う腑抜け貴族でもある。陰陽師的にはその後ろの妖怪だけ消して、目を覚ましたN先生とめでたしめでたしだったら一番いい。でも妖怪おおえかが消えた後、N先生がまた孤独な日々になると思うとどうしよう。N先生のような気難しい人うまく付き合えるのはおおえかだけじゃないだろうか。あいつはカメレオンのように人に色々な顔を見せられるから、「僕しか先生の味方いませんよ」と信じ込ませるのはお手の物、そういう人だとわかっていても人は寂しいとつい懐に入ってしまう。

私は違うよ、豊洲で村八分になりそれが有名になってくると「辛いでしょう、仲良くしましょう」と、マルチや宗教やそういう感じの団体がこぞって手を差し伸べてきたけど全部断った。寂しくて誰かと話したくて自分をわかってもらいたい気持ちにもなったが、他者に救いを求めても何もならないとわかっていた。だったらひとりで自分や周りをニラニラと見つめて真実を探る方がいいと思った。家族がいるから寂しくなかったと言われるかもしれないが、家族なんて他人だし子どもは守らないといけない人達で辛い時は幸せにしてあげなくてはならないという責任感で重荷にすらなる。夫なんていざとなれば敵だと裁判の時から思ってもうあれから気を許したりしない。寂しい人と思われるかもしれないが、こう考えだして逆にひとりが寂しくなくなった。仲のいい人だって意味もなく会ったりお茶だのランチだのしないし、昨日も「香山リカさん講演会」のランチミーティングだったが電話で事足りたので中止にした。 そうだ〜香山リカ先生にも連絡しないといけなかった。香山リカさんは私の先生だから先生と呼ぶ。

そう考えると京都造形芸術大学の組織が大きめのママ友グループだと思った。ボスに気に入られるとやりたい放題やっても誰も文句言えないというのがそっくり。そして何か正しい意見をするとボスに睨まれ村八分になる。それがピラミッドのカースト制のようになり、ひとつ上の人がすぐ下にする、その下の人はまた下にと、なのでおおえかは私たち紙に対して好き勝手やる。もしかしておおえかもN先生の事を持ち余りしているかもしれない。最近ご飯食べた有名人の人もすごく寂しいって気持ちが伝わってきた。奥さんは地方で創作活動をして「私たち自由な夫婦」と言っているけれど、夫婦ってそうなったらそれでいいと思いこまないといけなくなったら終わりなのではないか。奥さんは逃げたんじゃないかなとちらと思った。甘えさせてくれる女性と一緒になった方がこの人は幸せになれるのに、私の朋輩を紹介したいと思った。彼女は年いってるけど美人だし頭がいいし優しいし、何よりピュアで専業主婦を希望している。結婚したらスパっと仕事やめて尽してくれる女性だと思う。ファッションや芸術のセンスはいまいちだけれど、料理も家事も丁寧にやるし食と健康に拘りがあるし、私のように夫の後ろを三歩下がればそのままどこかに行ってしまったりしない、ずっと静々とついて来てくれるタイプ。いつまでも自分を表現したいとか芸術家というのは奥さんに向かない。私の場合は夫が奥さんみたいな感じなので上手くいっているのだと思う。夫は家事育児にすっごく喜びを見出している。この一週間の休暇は全てお母さん業で終わった。なので私は好きなようにいつまでも銀座で買い物したり遅くまで代官山書店とかできた訳。家に帰れば美味しくて暖かいご飯、家事も全部夫がやった。なので色々な用事があってもブログもこのようにバンバン書ける。あーこの生活がずっと続けばいいのに。

夫が家にいると朝からご飯も豪華✨しかも赤出汁!今夫は隣の部屋で洗濯物を畳んでる。「テレビでみた洗濯物を一瞬で畳む方法が上手くいった」と喜んでいて、いい奥さんになりそうだと思った。#朝ごはん #奥さん #海老フライ #赤出汁 #味噌汁 #洗濯物


【結論】
・通信生用のチャイムを用意しろ(今京都の校舎では通学生のスクーリング内も通学生用のチャイムが鳴り響き、「このチャイムは通学生用のチャイムなので間違えないで」とアナウンスがあるそう。おかしいやろ?
・顔採用の先生は私情を持ち込み採点する授業もダメダメなのでクビにして代わりに笹公人先生を採用してください。笹先生は声も字も人間も最近は横にも大きく授業が楽しくてみんな目を輝かせて聞いていた。
・もう言うまでもないチンピラもどきは即刻大学から追い出してください、場合によってはN先生と共に国外追放でいいと思います、みんなの迷惑してます。
・卒業生の文集を作るなら一般販売もすべき、欲しいという方が私の周りにもいました。
・その売り上げのうち1万二千円は次の卒業生が文学フリマする資金にする伝統を作ってください
・吉田大作は事務局長の仕事何もしていないから、講演部を作ってそこの部長にしたらいい。誰のお金で好き勝手やっとるんや
・もっとみんな大学や事務局や先生に意見しよう。嫌われるとか成績悪くされるとかあるよそら、私なんてそのせいで特選で高得点でも75点。だけどそれがなんだ、いい生徒の顔みせて90点もらったとして嬉しいか?だとしたらもう終わってるからそのまま路傍の石になればいい
・「偉そう先生」「住職先生」N先生おおえか、全員サラリーマンだから日和ってカスタマーの意見なんて全部クレーム扱いでスルー。組織をもっとクリーンで風通し良くしないとダメやろ。
•学長は雇われ社長のくせにやりたい放題、理事長がもっと強気になるべき。
・京都造形芸術大学はコンビニ大学どころか〇ソ大学だった



こういうセンス好きじゃない、というか「京都」が聞いてあきれる。これを芸術と認める先生が馬鹿なのよ。卒業制作だよ?この人の履歴に一生残るんだよ?お気の毒だわ。先生はそういう事まで生徒に教えてあげないといけないのに。まるで芸能界デビューだと勘違いさせて右も左もわかならい田舎から出てきたばかりのおねーちゃんとAVに出しちゃうのと一緒よ。私なんて◯ソ大学◯ネとか書いて要約何度書き直しさせられたか、でも今は先生に感謝してる。

ある日いつものようにダラダラしながらFacebookを眺めていると、青木かのさんの記事がタイムラインに流れてきた。なんでも新年会を月島スペインクラブでやりますというものだった。私は青木かのさんとFacebookで友達になったのは昨年の7月頃だったと思う。以前の記事にも書いたが、息子が出演する『みんなのミュージカル ホンク!』というのの広告宣伝係を誰にも頼まれていないけど勝手にしていたので、あちらこちらにポスターを貼ったりチラシを置いてきたり、江東区区議会の議員さん全員に「観に来てください」とDMを打った。それらは本当に様々な反応だった。返事も何もなしスルー、用事があり行けないというもの、でも応援しているからとホンクの記事をリツイートしてくれた方、自分のブログに記事を書いてくれた人、当日観に来てくれた方々、同じマンションで何度も顔を合わせているのに全スルーの議員さんもいて、トヨスアモーレは観に行くのにこっちはスルーかと、まあいいけど。私は人の名前は覚えられないが、こういうのはしっかり覚えていて、もう今私の中では応援する議員さんスルー議員しっかり分けている。でも選挙ってそういうものだと思う。何かの拍子に向かい合うことが出来た、それをおざなりにされたら投票なんかしないし労わってもらえたと感じたなら票を入れるでしょう。

上記のうちで用事があっていけないけれど協力しますといってご自分のブログにホンクの記事を書いてくれたのは青木かのさんだけだった。音喜多駿さんはお知らせしたけど無反応だった。小池百合子さんで忙しくなったのはわかるが、豊洲の一大事なのに冷たすぎるなあと思った。奥さんの方はみにきてくれたからそれに免じてこのくらいにする。それはいいけれどちゃんと記事にしてくれたのに私は大感激して、そこからFacebookでフォロワーになり色々読むようになった。

青木かのさん、本当にパワフルで逞しい方。あの細い体のどこにそんなエネルギーを蓄えるんだろうと感心してしまう。毎日街頭にたち、あちらこちらの勉強会政調会イベントに参加してSNSにアップしている。「ブログすごいねえ」などと感心してもらう私だけれど、私はただの引きこもりのネット弁慶。ずっと部屋の隅でパソコンに向かい指を動かしているだけなのでそんなにエネルギーは必要ない。それに比べて。

そしてある日、「月島スペインクラブかあーパエリア美味しそう。一度行ってみたいと思っているのよね」とかのさんのFBをニラニラ眺めていると、ぽーんとMessengerが届き「よかったらいらしてください」とかのさんからメッセージが!クルミドコーヒーのイベントといい、私がその時一番興味のある食べ物とセットでやってくる福音、クルミドコーヒーの夕べは煮込みハンバーグ、かのさんの新年会はパエリアだった。行きますとも!

そういう訳で馳せ参じた月島スペインクラブでの新年会。美味しくて楽しくて時間があっという間に流れた。最初自己紹介があった時のためにとスピーチを考えていたが、こういう時はマイク周って来ないというマーフィーの法則。せっかくなのでここに貼り付けてみたいと思う。

「こんにちは、キャナリーゼの森生ゆり子です。月島のお隣工業地帯にタワマンが立ち並んだもんだから自分達をセレブと勘違いする馬鹿の集合地帯豊洲からきました。ボスママやその不愉快な仲間達に村八分にされてそれを小説にするために大学で勉強していますがこの春卒業します。今はプロニートの星専業主婦ですが、卒業後は芥川賞をとるので扶養家族抜けます。どうぞよろしくお願いします」 

私までリア充みたい♡

叶姉妹ならぬ「かの姉妹」です(=´∀`)人(´∀`=)

うん、間違いなくスピーチしなくて良かったかもですね!

新年会に参加する方々は、月島大人倶楽部というののメンバーらしかった。ざっと見る感じでは、青木かのさんの友達25%、支持者が25%、かのさんラブなおっかけ25%、あとは大人倶楽部だから、そして私のような飛び入りという構成だった。料理も素晴らしく美味しく、特にパエリアは文句なし。飲物は赤と白が私の好きな大きなワイングラスがいくつも用意され、ノンアルコールやスタイニービールなどと至れり尽くせりさった。デザートまで美味しかったー



ぼっち参加の私にかのさんはじめ皆さん色々話しかけて下さるが、「いいですいいですぼっち慣れてますんで」と、会場の隅に勝手に席をつくり、ひとりで人間ウォッチングをしたりSNSしたり写真をとったりと、いつも通りの私だった。

次は二次会!となったが、先日の明治神宮から蔦屋書店巡りの日と同じく、お腹がいっぱいになったら眠くなってしまい、後ろ髪を引かれながら帰途についた。ああ、もう夜遊び出来ない体になっちゃったんだろうか。

家に帰るとお猿ちゃんが飛びついてきて、帰って来て良かったと思った。歯を磨いて一緒にベッドに入るとぽかぽかで、気が付いたら朝だった。何もかもが幸せな一日。こうしてかのさんの記事も書けて良かった。選挙始まったら豊洲地区は任せて下さい!でも私といるとボスママからの反発があるかもしれませんよ。ゆり子政治の世界はわからないしだからとっても怖いの。

そういう訳で参加された皆さまかの様、仲良くして下さりありがとうございました。とっても楽しかったです!また呼んで下さい\(^o^)/

みんなで応援しよう!
中央区議会議員 青木かのオフィシャルサイト http://www.kanoaoki.com/
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ブログ「青木かの月島日記」http://ameblo.jp/kano-aoki/
お猿ちゃんのミュージカルを書いて下さった記事はコチラ
「まさに"みんなの"ミュージカル」http://ameblo.jp/kano-aoki/entry-12187348482.html

大学で卒業研究を完成させた後に、「要約」というものを提出する。これは、卒業制作作品集にのせるもので、内容はこの作品についての説明と、作品概要を2千字以内に書くというもの。作品集はページ数もひとりあたりのスペースも限りがあるので、きっちり枠内に収める必要がある。いつもはみ出し気味に文字数が多めになってしまう人も、この時ばかりは文字数内に納めなければならない。これ、私のことじゃないからね。文芸フリマの時に単価が変わるから1万字以内と皆で決めたのに、「この文字数でないと話が繋がらない」と1万字を優に超えるものを書いた学友がいて、私を常識が無いなどと言いた気だが自分はどうなのよと思った。でもそれについて私は文句はなかったし言わなかった。こういう人に「ちゃんとしなさいよ」と言ったら恨まれるだけだもん。それにコアメンバーだったからスルーだろうと思ったらその通りで、でもその人がいない集まりではっきり文句言う人もいて、私がお金に関わる事だからちゃんとこういう事があったと表明した方がいいと言ったので「どう思いますか」というクエスチョンが投げられたことがある。PTAもそうだけどちゃんと公開しないからいらぬ不満が出るのだと思う。そういう訳で私はまた嫌われた訳だが、ちゃんとなってやっぱり良かったと思う。ちなみに文字数がぶっきり超えた人はおおえかが主担任でおおえかの大のお気に入り。私は密かに「モアイ警部」と呼んでいる。かつては仲が良かったが、フィガロ仮面事件の後から私のFBにイイねを全くしなくなった。多分「私はおおえかの味方」と言いたいのだろう。多分この人大学にも「おおえかは悪くない、悪いのは好き勝手にブログに色々書いているあの人でみんなが迷惑してます」とメールしただろう。もう敵でいいのね、こちらこそあんたなんか最初から友達と思ってないしなりたいとも思わなかった。一万字は一万字、ちゃんとルール守りなさいよ。

ということでまた敵を作ってしまったが、授業の卒業制作面談口頭試問と、大学のいざこざを別記事にする。

繰り返しになるが、今年大学で21単位しかとれなかった。去年は41単位とれた。この差って一体なんだと思いますか?それは大学で@kyoku_hoku (おおえか)からイジメを受けていたせい。(おおえかの唯一書いて上演されたものについての記事があったので貼る。ちぐはぐだそうです。でも一応まだ大学の講師ですからね!)そのせいで学びのモチベーションはゼロになり、勉強どころじゃなくなってしまった。学校という学びの場からハラスメントを撲滅しなければならない理由はここにある、学生の本分である勉強どころではなくなってしまっては学校に通う意味がない。豊洲内でいえば、ママハラを撲滅しないといけない理由は「子育てどころじゃなくなるから」だろう。お母さんは子どもを慈しみ育てるのが大切な仕事、なのにママ友なんかでトラブルっていたらストレスでおっぱいは出なくなるし不安で子どもの世話もできない、そのうち子どもに八つ当たりするようになり虐待に発展してしまう。私をみてご覧よ!

などと色々書くと「守秘義務」というやつに抵触するというので書かないけれど、でもこの「守秘義務」って私の義務じゃない、大学側の義務、そして私にそうして欲しいなら「お願い」をするものですからね。どうも大学の事務局とか機関とか先生達って勘違いしているんじゃないかと思う。そもそも司法がよくわかっていないんだろうと感じる。創業者の徳山さんは警察にしょっぴかれたことがあるとwikiに書いてあった。多分肝の据わった大らかな人だったのだろう。まあそれは別に書くとして、今回大学に私が提訴している件、拡散されても私は全然困らない、困るのは大学でしょう。でも私は言いませんよ。おおえかはN先生の部下、そしてN先生が採用した季節労働者。おおえかが何か仕出かしたことが露呈すれば、それはそのままN先生の責任になってしまう。そういう私の怜悧さ計算の速さ、優しみがわかっているのであの新任の教師は影にかくれてやりたい放題だし、何かあるとさっとその背に隠れるばかり。なので私は何度も大学にメールをしたし電話も面談もし、向こうも色々話したい聞きたいこともあるようで呼ばれたという訳だった。

今までの書き方からすると、今回もなんか叱られたんだろうイイ気味と思うかもしれないが、冗談じゃない、私は怒られるようなことを何もしていない。色々書いたことは認めるが、でもある意味致し方なかったと思っている。やっぱり今回も大学は刑法など説明に折り込み私を揺さぶろうとするが、ブログを修正しろとか削除とかヤメロとかは言わない。やっぱり色々思うところはあるが、社会的に意味があると思ってくれているよう。今後書く時は「セレブデブ」と「馬鹿」などは控えるようにとは言われのでそうする。私は注意されて突っ走るような躾の悪い女ではない。清楚でつつましく、夫の後を三歩下がったらそのままどこかに行ってしまう女。

それはいいとして、この日は面接授業の他に、大学の偉い先生という人と事務局の人と面談。というか、今日は私が呼びつけたという形になる。

最初に出てきた初対面の先生、この人がまあ最初は本当に偉そうにしゃべる人で、べらべらべらべら大学の組織図のような話から自分の役職仕事、大学にどれだけ貢献しているかという自慢。そんな話で15分くらい経過するので「ちょっとあのう」と口を挟んだら、「人の話は最後まで聞いて」とぱーんと返され、もうぷっちーんと切れてしまった。でもだからと言って席を立つとか暴言を吐くとかそのままバトルのは素人の喧嘩、私は言いたいだけ言わせた後、じゃあみたいに向こうが言うから「私そんな話聞きにきたんじゃありません。問題の解決策のために来たんですよ」と言う。向こうははん、何が紙のくせにと思ったのか、尊大な上から口調が加速、多分スカイツリーの中間展望台くらいには登っているつもりなんだろうと感じた。色々な偉いと自分が思っている先生達の名前をバンバン出すが、全然知らないしだからなんだという。ともかくやっぱり何にも解決しないまま決裂しそうなので最後に「あなたの態度はとっても不愉快です」と言うと、ああそうなのごめんなさいネと抜かす。「そういう時は申し訳ありませんっていうんですよ」と教えてあげると驚いて申し訳ありませんでしたと二度言っていた。

そこから第二部ということで、勝手に一部二部分けないでと思っていたが言わずに任せた。また違う先生、今後は威張りもせず自分を卑下もせず、雰囲気的にな寺の住職みたいな先生だった。じーっと黙って聞いていて、時々質問を挟む。一番手ごわいタイプがきたと思った。ラスボス?そこから私は自分の発言に用心した。ブログの話になって、セレブデブとかっていうのは良くないですねと言われても返事をせず、おおえかさんは傷ついたと方々で言っていますと言われれば、彼は傷ついていないと思いますそれは彼の切り札で彼の唯一のアイディンティティですから強調して言うに決まってる、などとは言ったが、もしここで、申し訳ありませんとかそうかもしれませんなどと言えば、誰かを故意に傷つけていたという認識や事実になり、処罰されても文句は言えなくなる。でもこちらがそういう意図がない意志をみせればそれらは受け取る側の責任となる。

なのでもうずーっと黙っていましたね。さきほどの偉そうな先生VSの時とは我ながら大違い。するとだんだん隣に座っている最初に偉そうだった「偉そう先生」が急に私に気を使いだし、慮るような事を色々言い出す。「あなたが課題で出したあの小説、N先生と飲んだ時に困ったと言っていてねえ」などとまで言い出すではないか。多分あまりにも想定外の話が色々繰り出るので処理能力が追い付けず、公式なこうした場で言っていいことと悪いことの判断がつかなくなってきたのではないかと思った。

でもああ、あれ、N先生読んでくれたんだとか、採点に困ってクルーソー先生にまわしたんだとかわった。あの時はN先生があまりにも自分の感情を曝け出すのでびっくりしてその理由を解き明かしたら、元にあるのは憎ではなく愛だと知り慄いてしまった。見てはいけないものに触れてしまった驚き。そのまま課題をやったらあのような作品が出来た。あれもあっという間に書いてしまい、出していいのかダメなのかわからず、でも何事も経験と思って投函した。「N先生への反省文なのでN先生が採点して下さい」と。するとクルーソー先生からの評がつけられて戻ってきた。事務局からのプリントも一緒に貼ってあり、「特定の教師に採点を求めるのは非常識」とあった。今ならわかる、あれ、コナンが書かせたよね。そこからN先生と私は引き裂かれ、正式に教員面談を申し込んでも会えなくなった。何もかもコナンの陰謀、コナンを後ろで糸引いているのはおおえかだった。もう昨日の面談も終えて今考えるとそうだったのかと尚更よくわかる。

ちなみにもう一度説明すると、大学というのは一番偉いのは創立者一族、最近大学を創立した方が亡くなり、そのご子息が後を継いだ、ちょっとタイムラグはあるが、もう実験はご子息というそのあたりのタイミングで千住博大先生が学長をやめられ、顔採用の女の先生が大好きななまず先生が学長についたのがどちらも2014年、あーこれ別の記事にしようかな。ま、いいや。なので創始者が亡くなった時に大学の色はがらっと変わったのではないかと思われ。

今年の豊洲小学校のPTAは新しいPTA会長になった。元の金髪先生の子どもが卒業したのでそれによる会長チェンジだったと思われ。多分新しいPTA会長は元のPTA会長金髪先生が推薦したと思う。ちゃんとやる人かどうか私は知らないがでも新任だから様子もわからないし、普通にサラリーマンをしている方なのでほとんど平日はPTAの仕事はできない。なので何がおこっているかというと、PTA副会長の女性達が好き勝手しだした。副会長というのは今女性ばかり8人いるが、そのうちの1人がボス、その腹心が2人で、この3人が人事も物品も会計についての采配を思うがままのよう。小学校の中で大問題と皆がわかっているが、今の豊洲小学校PTAというのは全然オープンになっておらず、外部者はシャットアウトされ何か言えばPTAメンバーで構成されたLINEグループで「森生ゆり子が何か言って来ても無視してください」とボスかもしくは腹心からお達しがまわることになっている。あーやっぱりこれ別記事にも書こう。もうー仕事増える一方。

で、多分大学も同じことが起きている。いいボスだったと思われる徳山 詳直(とくやま しょうちょく、1930年 5月13日 -2014年 10月20日)が亡くなり、その息子が継いだもののまだ実業者教育者としては立場が弱く、それになまず学長や事務局長コナンがやりたい放題。なのでおおえかのような妖怪の侵入を許し、今文芸コースはめちゃめちゃになっている。おおえかだけじゃない、やつを庇うN先生まで評判が悪くなり、そして卒業式の懇親会出席教員一覧にN先生の名前がなかった。大学の入学パンフレットにもN先生の写真や名前が消えている。通信教育部文芸コースがが発足して今年8年め、こんな事態初めてといっていいだろう。これずべておおえかが文芸コースにきたせいで起こったことばかり。私がブログに色々書くからだと奴はあちらこちらにまた吹聴するだろう。でも大学内で起こったことは外部に出せないものはあってはならないのではないか。豊洲小学校のPTAと同じ、「知られたくないことがあるから知られたくない書かれたくないつつかれたくない」のだ。

話を大学の話合いに戻す。「あれ、大傑作でしょう?」と自分の書いた官能小説を自画自賛しながら「偉そう先生」の言葉尻をつかまえて、「プライベートでそんな話するなら、じゃあ私が面談申し込んだのに事務所に弾かれる話もして下さい」などと言うと、しまったという顔をしながら他にも色々請け負ってくれた。住職先生はそれを聞いて、どうして面談が出来なくなっているの?などと聞いてくる。「先日事務所の女の人が、もうあなたとN先生は会わせられないと言ったくらいなので、大学全体がそういう方向になっているのだと思います。直接話が出来ないので余計にややこしくなってトラブルも発生しています」などと先日のフィガロ仮面VSN先生の話をするとにわかには信じられないようで驚いてみえた。部屋のすみに「あなたと先生を合わせられない」と言った事務員の方がみえて、「ねえそうですよね」と振ったがじっと机をみて顔をあげなかったし、以前の時は色々喋ってくれたのにこの日は微動だにせずずっとメモをとるという感じ。多分この女性事務員もコナンから「もう絶対余計なこというな」と厳命されているのだろう。そういう話が話し合いの最初にちらとあったから。その他色々話して「偉そう先生」も「住職先生」も、私が抱えている疑問点をあちらこちらで調べてくれると約束してくれた。

「京都方式はやめて下さいね。京都の人達って奥歯にものが挟まった言い方をするので全然私理解できませんから」というと、笑いもせずわかりましたと言ってくれたので今度こそ信用してもいいんだろうか、でも今まで何度こんな面談をして「あなたのためだから合わせられない」とか事務局や大学は、私とN先生を引き離しているのが問題を大きくしている原因だとなぜわからないのだろうかとか、絶対コナンの陰謀とか、コナンの糸を引いているのがおおえかだとか、そもそもおおもとを辿ればおおえかとか、最後の方はだんだん空気も温まり、私の悪い癖で「もしかして信用していいかも」なんて気を許しだし、言いたいことをべらべらべらべら喋りまくった。住職の先生はあっけにとられていたが、言いたいことはわかってくれたように思う。ただ大学として出来ることは一存えは決められないという感じ。私の希望はおおえかは大学および関連施設からも永久追放、もうこの人は誰かにものを教える立場になっていい人ではない。自分より秀でているとか恵まれている人をみつけると、用意周到に叩きまくって己の出自や平凡さへの憂さを晴らすのが楽しくて楽しくて仕方ない人。豊洲のあのボスママと一緒、自分の会社の中でやると人事査定が悪くなるから組織に関係ないママ友の中でイジメをした。おおえかもそう、対生徒ならひとりやふたり潰してもいいだろう、だって俺先生さまだもんと。自分が生徒の時、そして今やっている 唯一まともそうなライターの仕事も叩かれまくって悔しい思いをしてきたのだろう。だってあんなのすぐ他に変えられても文句いえないような立場と仕事内容、CDジャーナル読んだけどおもんないわよ。私に書かせてくれたらもっといいもの書くのに。   

「偉そう先生」と「住職先生」達にも話したが、私は奴の正体を見極めるため、奴と繋がりのある劇団の上演する公演をわざわざ観に行ったことがある。小さな箱の名もない劇団、さぞかしつまらないだろうと思っって行ったが、本当に面白くて驚いた。多分脚本家がいんだろう、俳優さんも女優も、主催者の方の挨拶も正直が剥き出しのようなもので好感をもった。でもその劇の中のセリフで「俳優は嘘をつく、作家は嘘を書くのが仕事」というのがあり、ああ、ああ、あの人元俳優だから嘘が上手いんだと超納得した。みよ、この私の現場主義的なリサーチ力と状況を読み解く力、いつもいつも妄想でパンパンでにやにやしているだけじゃない。ちゃんと論拠も証拠も出典もある。これN先生の授業で初めに厳しく指導されたものだ。こんなところでも先生の言うことをちゃんと守って本当に私は真面目な素晴らしい生徒なのにあんな先生もどきの方を信じてこの大学本当に終わって。。。じゃない、何も生み出さないのも無理はないわけよ。(「終わった」人、組織もNGワード」だそうです)

それからこれはN先生に是非読んで欲しい、心して読んで。

N先生に私のブログを悪い言い方でチクったのはおおえかですよね。だってあの頃私がブログ書いているの知ってる大学関係者はおおえかしかいなかった。私はブログを書き始めてから約一ヶ月くらい経過したあたりで早々におおえかに「私、ブログはじめたのでよかったら読んでください。そして何か書きずぎとかNGなんかあったら注意して下さいね」と、青い鹿の名刺を私ながら言った。その時は授業以外で私の作品を読んでくれて感想を貰った時だったと思う。おおえかは「わかった、ありがとう」と名刺を受け取った。多分私のブログや渡した作品の熱量に圧倒されて何事か思ったはずだ。上手い下手じゃない、このままだとコイツ伸びちゃうかもしれない、N先生にすごく気に入られてるし、自分の立場があやういかもないて。思ったとしても不思議ではない、そういう人だから。なのでN先生に「あの人はN先生を侮辱するブログを書いています」とチクった。N先生は中身フランス人だから、教えられたとおりの意味でブログを読んだ、そして誤解した。そうでしょう!    
   
で、ここからが肝心。大学の偉い先生に、私のブログで傷ついているとメソメソぶって同情引きながら、私のブログを「N先生から教えてもらった」と言っていたそうなんですよ。

もうこれ聞いて呆れてものがいえなかった。どこまで自分に有利に話を捏造する人なんだろうと思った。メンヘラぶって薬が合わないとか切れたとかnoteに書いてたけど、こんな人がいくら私立大学の通信だからって先生やってていいの?先生だからいつもキチンと隙が無く真面目一辺倒というN先生のようにあれとは言わない、先生だって飲みに行くし時には馬鹿やっていいし、だらしないところもあっていいし、部屋が目茶目茶でもかまわないと思う。でも生徒を陥れるために嘘つくなんて言語道断!今回面談した大学の自称偉い先生達も私のことをぶーぶー言うくせに、おおえかがつい最近Twitterインスタblog(note)を全削除したのをご存知なかった。これ、証拠隠滅でしょう。もし何も後ろめたい事がないなら復活させてみなさいよ。note、インスタは削除したら復旧は無理だけど、Twitterは一ヶ月以内なら元に戻せるから。あーあ、自分の書いたものを大切に出来ないような人が文芸の先生だってよ!これ、傷つけるも誹謗中傷もなにも真実だから。

さあ、もう後は大学からの返事を待つだけ、それから「練歌と俳句」の授業が75点だったのはおかしいともう一度疑義書を顔採用の先生に出す、あとは卒業制作の要約をプリントアウトして卒業のお祝の会出るかでないかのアンケート用紙と一緒に出す、それから2月のフライングカフェに行くのと3月の藝術学舎「小説を書く」という2日間の授業に出るのと、卒業式前日の卒業制作発表会と懇親会、もしかしてその後の二時間、そして卒業式私は卒業証書貰えないけどみんながコースごとで貰う時までずっといるつもり。だって最後までみないとあの後どうなっただろうと考え続けるのが嫌だし、その後絶対学友達集まって私の悪口大会するだろうから監視してやる!

これだけではなんなので、卒業式の次の日から連休だからゆっくり京都観光をしようと思う。もちろんぼっち。一緒に京都まわりたい人なんて誰もいないわよっ!世間のしがらみを断ち切りひとりで思う存分あちらこちらぐるぐるみてまわりたい。名古屋に住んでいた時はあっという間だった京都、もう東京に住んでいる今は全然縁がなくなってしまった。しかも今は全京都と敵対している状態、冬彦どうしているだろう。あの人あの時絶対大学にちくったよね、だって学長が急に私への温度が低くなったもの。そして顔採用に流れたと。そして私に75点、冗談じゃないわよ!断固抗議する。成績や単位が確定するのが私の場合2月末だそう。それまで頑張りたいと思う。

あとは大覚寺の千住博大先生の襖絵を是非みたい。3月26日までの公開で卒業式の後の連休なんてすごく混むだろう。でも私お得意の朝いちばんで行くというやつで行けば大丈夫、こういう時旅のお供がいると、「ごめんね、私どうしてもみたくて朝早く眠いでしょう」なんて言わないといけないけれど、ひとりなら自由自在。女性も高齢になるとわらわらと温泉だの観光だのすると思うが、私は絶対したくない。いつもひとり、もしくはwith家族の誰かを引き連れて。だいたい家族揃ってどっか行くのも私は苦手。二人ならいいけど四人になると色々な思惑が渦を巻きマウンティングが始まる。もう懲り懲りゴリラよ。

あらまあ丁度いい時間。三越行く時間がなくなっちゃったけど明日また行きましょう。ではそろそろ出かけることにする。   

大学の帰りに三越に寄った。素敵なものはたくさんあったが、私が欲しいものはなかった。
       
そういえば偉い先生達が「SNSに顔写真あげない方がいい」と心配していた。しかも本人の写真じゃないと思っていたようで、同じ顔がきたと驚いたそう。もしかして私に惚れちゃった?身の破滅だからやめておいた方がいいわよ!

さきほど家に持ち帰った卒業研究の要約原稿が完成し、大学のqestionのメールアドレスに送信した。でもこれプリントアウトしたものを、昨日の口頭試問の時に渡されたアンケートと共に郵送もしないといけない。その前に普通は要約原稿はここまでくるとほとんど修正の必要はないのでそのまま面接授業が終わり、ありがとうございましたと主担任、担任の先生達に礼を述べ退室し、あとは卒業式を待つだけという流れが普通。もし修正があったとしても、校正のための部屋が用意されており、そこでちゃちゃっと直して「要約提出箱」というものに渡された封筒に入れてポストインして完了。でも私は昨日は口頭試問の後に色々用事が出来、その後すぐ大学の偉い先生達と面談があったので原稿修正が出来なかった。修正はがっつりやる必要があり、手で修正もむつかしいボリュームで、家でパソコンでやろうと考えた。で、朝からまたNSNで色々書き込み、やっと手も頭もほぐれたところで卒業研究の要約を書き直し、作品概要の文字数を減らし、どういうバランスがいいか四苦八苦してようやく要約が出来た。

この日の大学はまたいつもの如く色々と忙しい一日になった。

最近外苑キャンパスに行けば丸一日拘束され、更に事件が色々起こるような気がする。一日拘束されるのは、私は通信生だから毎日学校に行く訳ではなく、大学に行くとなると色々なアポや面談希望、誰かに会えば情報収集に余念がなく、一日があっというまにぎゅうぎゅうになる。最近は1月13日から15日の「日本美術論」この時も授業以外でも色々あった。「フライングカフェ申し込み事件」とか「フェノロサは天心のフォロワー新知見発表事件」「有名人とご飯行く件聞かれて知らないオババに嫌がらせされた事件」「挨拶したのにおおえかに無視された後目もあわせてもらえずガン無視された事件」などなど。

まーでも最近の「懇親会フィガロ仮面VSN先生事件」とか「ストーリーとシナリオ感想聞いてまわった事件」とか、なんか事件つければいいと思われそうだけれど、私にとっては日々の出来事特に大学で起こる様々な事象は全部事件で、それぞれに名前をつけて脳内コレクションをしている。そしてはみ出た部分をブログに書くことをライフワークにしているが、これが生業になるともっといいのだがなかなか世間が変わってくれない。私は自分を変えるのがイヤだしきっとできない。だとしたら世の中が変わってくれるのをじっと待てばいいと思う。結局それが一番のような気がする。

という訳で昨日の事を時系列で備忘録的に書いてみた。日記みたいと思われるかもしれないが、その通りこれ私の日記だから。一番最初のブログが「キャナリーゼゆり子の豊洲日記」でしたねーえーもう懐かしいですね。今クローズしているけど(※思い切ってまた公開しました)読むと本当に懐かしさで胸がドキドキする。もう最近はムカムカしたりカーッとなったりしない。それもこれも大学がそうなっているのでもうママ友や幼児園の憂鬱は思い出に変わったように思う。そう言う意味でも大学に入ってやはり良かったと思う。

昨日は12時くらいに家を出た。「ママ、今日も大学?」とお猿ちゃんが聞いてくれて、なんとなく寂しそうで色々世話を焼く。すると娘が息子にちょっかいを出して泣かせだす、きっと自分もかまって欲しいのだろう。でもあまり時間がないのでそのまま飛び出す。豊洲から市ヶ谷、JRに乗り換えて二駅目の信濃町駅、もう四谷で間違えて降りたりしない。でも慣れたところでもう卒業、世の中そんなものよねと大学に向かう。

駅すぐのデイリーヤマザキでおやつのパンと淹れたて珈琲をマイボトルにつめ、ついでに店内のポストに「日本美術論」のスクーリングレポートを投函。やった\(^o^)/これで大学にだす課題、単位に必要なものは全て出せた。もうこれで単位数足りたのでここで打ち止めにする。本当はもっとやりたい科目があるのだが、他にとりかかりたいことがたくさんあり、自分のやりたいようにやらせてあげようと思う。

今までの書き方からすると、今回も面談の他に呼び出されてなんか叱られたんだろうイイ気味と思うかもしれないが、冗談じゃない、私は怒られるようなことを何もしていない。色々ブログに書いたことは認めるが、でもある意味致し方なかったと思っている。やっぱり今回も大学は刑法など説明に折り込み私を揺さぶろうとするが、ブログを修正しろとか削除とかヤメロとかは言わない。やっぱり色々思うところはあるが、社会的に意味があると思ってくれているよう。今後書く時は「セレブデブ」と「馬鹿」などは控えるようにとは言われのでそうする。私は注意されて突っ走るような躾の悪い女ではない。清楚でつつましく、夫の後を三歩下がったらそのままどこかに行ってしまう女。

まあそんな訳で昨日も口頭試問だけではなくその後にもぎゅうぎゅうとスケジュールが組み込まれた。

肝心の口頭試問、直接対面が初となる主担任の先生とお会い出来て感無量だった。「やっと会えたね」って喉まで出かかったけれど、なんだかこの大学の空気がそれを許さないというか何というか。そうだ、「最後の最後までweb 授業だったらコナン訴えてやる!」と事務局に怒りのメールを送ったら、即東京に来てもらえることになり拍子抜けした。最初から私も「不満です」と言えばよかったのに色々遠慮していたのがやはり良くなかったとも思う。「私手のひら芸大に入った覚えありませんから」と言えたのが11月ごろ、もうね、春辺りに大学と喧嘩になっても言えばよかった。私は中途半端に我慢するたちで、いったん堪えるものだから内部圧が強くなり最後にバーン!と爆発してしまう。「小出し」とか「空気を抜く」というのが全くできない。

そういう訳で主担任、副担任の先生二人と私とで最後の面接授業が始まった。

ここでひとつ書いておきたいのが、私たち2016年卒業生たちは、最終面談は論文研究にかかわった、卒業制作に関係する先生達全員の前で何か質問されるのだと勘違いしていた。なので誰かと話すたびに、大勢の先生達の前だと緊張するかもなんて話ていたくらい。でもいつだったかそうだ、主担任の先生にイレギュラーで学習相談をお願いした時に、事務の方がwebのセッティングをしに部屋にきた。主担任の先生は京都の先生なのでこの日もweb 面談だった。まあでもこれはこちらが急にお願いしたのでいいのだが、その時に事務局の人に色々聞いたら、「最終も主担任副担任の先生だけだよ」と教えてくれた。

なんですってええええ!と思って会う学友に話したり、fbに書いたりした。そんな訳で大学はそういう情報もっと出してよと思った。先生達は毎年だから手慣れて訳がわかっているけれど、私たち生徒は何もかも初めてのことだらけ。子どもを初めて産んでお母さんになるのと似ていると思った。なので私はブログに細々と色々書いている。きっと読んで色々解決したことがたくさんあるんじゃないだろうか。そうだ、最近「武蔵美と京都造形の違い」という記事がずっとトップに君臨しているが、みな違いがわからずにここに辿りつくのかもしれない。今は「警察は役立たず、もう二度とくるな」がトップを奪った。あれ、本当にすごいアクセスで一体何が面白いんだろうと思う。何か役に立つのだろうか。そのうち続き書くから待ってて。もう本当に色々忙しくてさあー

口頭試問は主担任の先生のリードで始まった。この授業での受け答えも成績に関係するから頑張って、でも緊張しなくていいなどと言われる。ちょっとドキドキしたが、普通に考えてることを赤裸々に話せばいいだろうとそうした。主担任の先生からは、良かったポイントを3つくらい上げられ、その後苦労したことは何かとか、工夫した点、あとはずーっと手放しという表現がピッタリなほど褒められっぱなしだった。それまで卒業制作の授業はダメだしばかりで添削の方に「ここはいい」とかちらっとあっただけ、この日はこのままでいいとか完成度が高いとか、先生も大喜びのようにみえた。

でも先生からしたら自分が指導した生徒がいい作品が出来れば評価も上がる訳で、私も「誰も担当をしたがらない」という噂の中で主担任を引き受けてくれた先生に恩返しするつもりでも頑張ったところがある。winwin 的ないい着地点に作品をもっていけてよかった、完成した時は本当に歓声が出てしまったくらい。

なぜこの作品を書こうと思いましたか?という質問には次のようなことを答えた。

私は大人になって、しかも子どもを産んでからヘビーなイジメに遭った。こどもの頃だったら堪えられなかったと思うが、大人だったので我慢できたし辛いながらも観察することができた。世の中イジメはだめとかなくそうとみんなが言うけどイジメがなくならないのは何故だろう、しかも子どもにイジメはダメと教える立場のお母さん達が全員でやっている。とても不思議に感じたので小説に書いてみようと思った。

そんな感じだったと思う。そうしたら主担任の先生が、その言葉を要約に入れてみてはと言っていただき、提出済みのものを修正追加することになった。先生があらかじめ原稿に赤を入れてくれていたものを受け取り、これはパソコンでやらないと出来ないなと持ちかえることにした。

副担任の先生も、FBのバナー事件でおおえかとバトルしたせいで先生を前日ぶった切ってしまったばかりだったが、なんの拘りもなく授業がすすみ、なんかあのあたりの先生達と違って肝の据わった方なんだなと思った。副担任の先生も今日は褒めて下さる以外、ダメ出しはなんにもなかった。ここはどうやって思いついたのとか、最終原稿でガラッと変わったのは何かあったのかとか、本物の文芸編集者は本当に厳しいので頑張って下さいとか、デビューの決まった人に言うようなことを言われていて、ああ私もしかしてそういう流れに乗っているのかも、なんて勘違いして思い上がってしまった。最後の晩餐はご馳走が出るというのと同じで、最後なので褒めるという事なのかなと思ったが、自分でもよく出来ていると思うことばかりピンポイントで褒めて頂けたので本当にそうなんだろうと思った。

それから要約、というのは卒業制作を載せる冊子に出す原稿のことで、これをちょっと変えたらどうかとまた提案があり、多分他の先生だったら「要約なんてもういいか」と思うところ、最後の最後まできっちりみて下さる方にあたって私は本当に運がいいとまた思った。私は運だけじゃない、顔も頭も性格もいいということはそろそろほとんどの方がわかってくれはじめたと思うが、この先生に巡り会えたのは元はといえばおおえかが私にした意地悪が発端、そう思うとここだけは感謝しなくてはならない。人生とか運って、どうなるかなんて最後までわからないものだとまた思った。もしあの時不貞腐れた気持ちになり大学を飛び出したりしていたら、こういう未来は来なかっただろう。そう思うとどんなに辛い時でも腐らず自分のやるべきことをキチンとするというのは大切ということだろう。人生万事塞翁が馬、どん底の豊洲ママハラライフもこんないい作品、って自分で言っちゃいますよおーだって面白いんだもん。そのうち世に出ますようにと祈念。

そういえばおおえか、4~5人の主担任やっているみたいだけれど、ちゃんとコピペじゃなくひとりひとりに対応出来ているんだろうか、でももれなく副担任はN先生だから、大学病院でいえば研修医に治験されるようなものじゃないだろうか。一年目の終わりごろはN先生と一瞬直接話す機会があり、担任して欲しいとお願いしたことがある。その時はやぶさかでない風味だったのでもし何事もなく過ぎていればそうなっただろう。でも結果的には今の先生達が担当して下さったおかげで切磋琢磨ものすごく勉強になったし書く力も相当あがったと思う。それにN先生だったら一緒におおえかも担当になっただろう。うーん、本当にどんな運命のいたずらなんだろうとまた思った。

おおえかが担当になった生徒達は依怙贔屓されている人達、何かあっても意見が言いにくいのじゃないだろうかと心配になった。私、当たらなくて本当に良かった。もし主担任だったら耳障りのいい話や、検討違いの厳しい指導というのに翻弄されていたかもしれない。

私を受け持って下さった主担任の先生は、私が初めての担当だそう。最初に返ってきた卒制の添削に「私は小説家なのでアドバイスがきっちりできます」と書いてあり、多分自分の作品や才能に自信がある方なんだろうと思った。添削を読んでもそう思ったし、数回の面接授業でもそれは感じた。そういうブレない自信のある情熱を持った熱血先生は厳しくて優しく理想の先生だったように思う。こんな大学の文芸コースには勿体無い!

副担任の先生のアドバイスも最初の頃はよくわからなかったが、最後の最後の仕上げの頃に、ああそういう意味だったんだ、じゃあこうしたらいいんだとそのようにしたら素晴らしい作品が出来た。何度も言うけれど、先生の言うことアドバイスは全部採用した。書けと言われれば10万字書き、それを読んでもらって6万字くらいにしてみようと言われればそうした。その時はえー!マジですか?と悶々としたが、全て意味があることだった。口頭試問でもそれは先生達と双方認識を新たにし、良かったよかったとそれぞれが幸せな気持ちで最後の授業を終えられたと思う。本当に色々あったけれど、終わりよければ全てよし。この大学に入学して良かったと思った。 

そこから次の約束でロビーで待つOさんと話し、その後「偉そう先生」と「住職先生」あとは「すっごく偉そうだったけど最近日が消えたように大人しくなった事務局の女の人」と面談があった。この話は別に書いた。 まるっと一日大忙しだった。   
   
さあ、レポートも課題も全部終わったし、あとは後は大学からの成績表と卒業式の案内を待つだけ。私はB認定だから卒業証書はもらえないが行ってみるつもり。正直全然行きたいと思わない、でも行く多分。それから「練歌と俳句」の授業が75点だったのはおかしいともう一度疑義書を顔採用の先生に出す。私はフェアな採点だったら68点だろうが86点だろうがその通りだと受け入れる、あれはああでこれはこうでなんて後から成績に文句言うのは筋違いだから。特に文芸の課題は文章鍛錬もある。先生の採点を読者の感想だと考えれば、満足のいくものが書けなかったと反省し次に生かすだけ。でもあれは本当に「ないわ」と思う。エモーショナルなものは学問の場にそぐわないし持ち込むべきではない。先生といっても好き嫌いはあるだろう、でもあの採点はそういうものを超えた「報復」的なものがあった。なので疑義書を出したのだ。

あとは卒業制作の要約をプリントアウトして卒業のお祝の会出るかでないかのアンケート用紙と一緒に出す、それから2月のフライングカフェに行くのと3月の藝術学舎「小説を書く」という2日間の授業に出るのと、卒業式前日の卒業制作発表会と懇親会、もしかしてその後の二次会、そして卒業式。私は卒業証書貰えないけどみんながコースごとで貰う時までずっといるつもり。だって最後までみないとあの後どうなっただろうと考え続けるのが嫌だし、その後絶対学友達集まって私の悪口大会するだろうから監視してやる!

これだけではなんなので、卒業式の次の日から連休だからゆっくり京都観光をしようとも思う。もちろんぼっち。一緒に京都まわりたい人なんて誰もいないわよっ!世間のしがらみを断ち切りひとりで思う存分あちらこちらぐるぐるみてまわりたい。名古屋に住んでいた時はあっという間だった京都、もう東京に住んでいる今は全然縁がなくなってしまった。しかも今は全京都と敵対している状態、冬彦どうしているだろう。あの人あの時絶対大学にちくったよね、だって学長が急に私への温度が低くなったもの。そして顔採用に流れたと。そして私に75点、冗談じゃないわよ!断固抗議する。成績や単位が確定するのが私の場合2月末だそう。それまで頑張りたいと思う。

あとは大覚寺の千住博大先生の襖絵を是非みたい。3月26日までの公開で卒業式の後の連休なんてすごく混むだろう。でも私お得意の朝いちばんで行くというやつで行けば大丈夫、こういう時旅のお供がいると、「ごめんね、私どうしてもみたくて朝早く眠いでしょう」なんて言わないといけないけれど、ひとりなら自由自在。女性も高齢になるとわらわらと温泉だの観光だのすると思うが、私は絶対したくない。いつもひとり、もしくはwith家族の誰かを引き連れて。だいたい家族揃ってどっか行くのも私は苦手。二人ならいいけど四人になると色々な思惑が渦を巻きマウンティングが始まる。もう懲り懲りゴリラよ。    


信濃町駅の花屋さんは春の花がいっぱいだった。もうすぐ春で卒業なんだと思ったら寂しくなった。

       
そういえば偉い先生達が「SNSに顔写真あげない方がいい」と心配していた。しかも本人の写真じゃないと思っていたようで、同じ顔がきたと驚いたそう。もしかして私に惚れちゃった?身の破滅だからやめておいた方がいいわよ!


またしても驚きの噂を聞いたので追記:コース主任のN先生、「卒業を祝う会」は自ら「日程的に難しい」と言って欠席するのだそう。一体どんな理由があるのか、これ職務放棄じゃない?もしかしてもう大学から出る覚悟が出来たのか。理事長にお手紙書いたので回答を待ちたい。

一番印象に残った質問にこう回答した。

昨日は久しぶりに一日中遊んだ。夫が家にいるので遅くなっても無問題。ウィンドーショッピングして美味しいもの食べてぶらぶらしてちょこっと飲んで帰ろうと目論んだ。でもヒールの靴が仇になり足が疲れてしまい、しかも食べ過ぎてお腹が苦しくなり普通に帰った。運動不足で体力がもたないのかもしれない。


お久しぶりの明治神宮。独身の時に夫と二年参りに来て以来だから、約13年ぶり!!


並ばなかったけど看板の前でパシャ    


先頭の人は朝4時に並んだと聞いた。
   

「境内から出てください」とアナウンスがありダッシュでお参りに向かう
      

みんな足止めされてる

 稀勢の里土俵入り奉納1時間前くらい

明治神宮100年記念で屋根をふきかえるそうで銅板を奉納。これをみてセレブデブがまた真似すると思われ。銅板に書き書きしていたのでゆっくりできた。宮司さんが写真をいっぱい撮って下さり満足。



稀勢の里が宮司さんたちと建物に入って行った

「YOUは何しにの人ですか?」「いいえ違います」でもタレントさんのよう

    ビーフシチューセットをご馳走になった
    彼女は豚の角煮的なセット

 ラフォーレの角に小さな箱みたいなお店が可愛い!
娘ちゃんに見せたい喜ぶだろうな


ラフォーレ前の交差点。ここら辺は変わらないわね。

「PASS THE BATONがあるわよ!」

「丸の内と品揃えがちょっと違うわね」

 根津美術館まさかの閉館。ゆっくりし過ぎた・・・

ミュージアムショップだけ冷やかした帰り


友達の友達のお店に連れて来てもらった、聖林館

まずは乾杯。ハートランドの生

  しし唐とトマトのなんとかってやつ

まずはこれって東京カレンダーに書いてあったやつ 


彼女は本当にタコが好き🐙なのよ


マルゲリータ


マリナーラ


デザートと飲物サービスしてくれたよ
   
 今日は中目黒蔦屋書店へ

 その後代官山蔦屋に移動。こちらの方が落ち着く

 代官山の方はガイドブックも種類がたくさん

友達が「これよくない?」と持ってきてくれたガイドブックに千住博大先生の屏風絵公開の記事が!混むだろうな、でも是非観に行きたい!

まったねー

一昨日終わった第四回こども食堂のあれこれ、あちらは公式ブログなので書けないことをこっちに書きたい。とはいえ「豊洲こども食堂」で検索すると、こちらのブログがヒットするようで、そこからリンクをたどってこども食堂ブログに行くのだと何人もの方に教えてもらった。いつもの通り新規の方とか初見のママさんたちに「これよかったら読んでください」と蒼い鹿の名刺を出すと、「ああこれ読んでます」などと言われ「あ、ああ、そうですか」と顔が赤くなるということが何度もあった。「ふふん、読んで驚くな」と思っていたのにこっちが驚かされたという。

ブログがヒットしているという事なのでいいのだが、やっぱり恥ずかしい!!あれもこれもそれも全部読んだ?ねえ、こども食堂のところだけだよね?他は読んでないよね読みにくいから、と念じてみたり。でも先日初期の123を削除したのでNHKざまあと思っているけれど、やっぱり読まれてなんぼじゃない?小説の方は卒業祝いで『キャナリーゼの憂鬱』を公開してみた。

これもねえ、もう10年も前から書き出して、書いては閉じて叱られて話題になりと色々だったが卒業制作でやっと完成できた。大学入ったばかりは「もうママ友の話はダサい、違うものを」と思って色々アイデアを出して書き散らかしたら大学の先生一年目という馬鹿に嫉妬されて嫌がらせされてそのせいでN先生もうフランスに帰っちゃうくらいの事態になった。もうあの馬鹿あのまま置いておいたら「ほらみたことか」という事になるからみててごらん。それにしても豊洲も大学も「たったひとりの敵対してくるバカのせいで組織や街ぐるみを敵にまわすことになった」というのはとても興味深いと思う。

そしてまた前置きが長くなったが「第四回豊洲こども食堂」の話。もう四回目、まだ四回目。でもだいぶ慣れて手順もやり方もだんだん定型化してきた。今回準備はほぼ私ひとりでやったんだお。また「お」になったオモシロ。一時間野菜を刻んてくれる人、それから食堂オープン前に来て下さる方がいらしたけれど、その時はもう何もかも作り終わっていて、「カレーの味が決まらないからりんご入れてみよう」とか、「コンソメの素あったら良かった」などとギャーギャーやっていたけれど、当初考えていた「私ひとりでもやってみよう」というのが出来て、これはこれでなんだか嬉しかった。大きなお鍋にカレーを作り、ひとりふたり来るお客さんとママ友同士の悩みを話し合ったり、一緒にカレーを作ったり、なんて。

でも蓋をあけたらたくさんの支援や子ども達も集まり、本当に良かったと思う。「こども食堂」というパッケージとはいえ、「ママ友で悩んでいるお母さんのシェルターに」という理念も江東経済新聞さんが上手くまとめてネットにあげてくれて、今はもうママ友同士でくるお母さんたちは誰もいなくなった。代わりに子どもはお友達同士でオーケーのせいか、いっぱい来てくれるようになった。ひとりで来る子も一緒にカレーを食べたり、ちょっと居心地悪そうな子はフォローしたり。うんうん、いい感じいい感じ。

それから今回食器を使い捨てのお弁当箱にしてみたら、洗い物が少なくなり楽だったのでずっとこうしようと思う。多少お金はかかるが、疲れてしまっては楽しくないし、ボランティアの方だって洗いものばっかりは大変だと思う。そもそも私、来てくれた人とカレー食べたり話をしたりして、オープンの半分くらいはそんな時間。もくもくと働いてくれているボランティアさんに甘えていると思った。そして今回、ぽつーんとひとり食堂で準備をしていて、もう今日はボランティアさんもお客さんも誰も来ないような気がした。息子が早く来たはいいが、乳酸菌飲料を勝手に飲んだり「俺の友達誰も来ない」と大騒ぎをしていて、余計に不安は加速した。

なので今日ある筈の英語クラスのお母さん達に、終わったら来てと声をかけて貰った。もらったというのはそのグループはLINEで繋がっているが、私は「LINEなんて絶対やらん」という迷惑な信念のせいでグループに入っていない。何か連絡することがあると、そのうちのひとりにお願いすることになっている。あー書いていてすごい迷惑な人って気が付いた。どうしよーあちらこちらからもLINEやれやれ言われていて、でももう3回くらい失敗したから嫌なんだよ。SNSって私的にはスタンドアロンで楽しみたいもの。

FACEBOOKだって友達ゼロでやりたいと思って友達申請全部断っていたくらい。でもネットストーカーがFACEBOOKにすごい嫌がらせの友達申請や「知り合いかも?」のところに信じられない写真を貼ったものを並べまくってきた。さすがIT企業がらみの人、こんなことまで出来るんだと思ったが、私も対抗して「普通の知り合いの友達申請を全受付」という対応策で乗り切った。そして今ここって感じだけど、なんかタイムラインも賑やかだし色々なニュースが知れて良かった。「ピンクパンダ」もFacebookしていなかったら知らないままだった。

悪い事をする人っているんですよね!私だって多分人からみたらこのブログも悪いって思う人がたくさんいるだろう。でもその人が何もかも悪い人かというと、家族思いだったり時々近所のお年寄りには親切にしたりということもある。でも悪い事は悪い、例えば私をイジメたボスママだって、私以外の人には親切で感じが良かった。会社でもよく働き頭角を現したのは偉いよ、でもイジメは悪いでしょう。そういうこと。私だってこども食堂なんて素敵な慈善事業をするけれど、子どもを怒って叩いて学校に行かせたり、夜ワインがないからと夫に無理やり買いに行かせたりする。何もかもいい人なんて人としてバランスがとれてないのではないかとすら思う。食べ過ぎたり飲みすぎたり毒舌だったりで、真逆のいい事とならせば普通の人間になるのでは、なんて思う。

こども食堂の話。でもオープンしたらどんどん子ども達がきてくれて、あっという間に席が埋まりテンテコマイになった。そこからボランティアの方がひとりふたりと来て下さり、子どもの用事で抜けた方も戻ってきて、いつもの通り大勢での開催になった。あー良かった、やっぱりぼっちは心細い。いつも同じ人とくっついてお茶だランチだママ友ってなんなの?なんて強がっているけれど、こういう時にはありがたい存在。お茶だのランチだの夜飲み会だのと言い出さないし、やるべきことは私以上にテキパキしてくれて色々意見も助言もしてくれる。なんていうか、私の理想のママ友さんたちだと思う。普段はみんな忙しい人達ばかりというのも良かったように思う。人は暇だとぐだぐだ群れて碌なことをしない。「忙しくする」というのも人間の健常な精神状態を保つために必要なものなのではないか。

そうだ、あの100時間労働の過労死問題だって、多分100時間の残業がダメだったんじゃない、パワハラが絶対あったと思う。そういうものって見えないし証明が難しい、なので数値としてわかりやすい「100時間労働」を前面に出しているけれど、西村さんわかってんのかなーわかってないだろうなと感じる。私なんてつい先日、起きている間はずっと卒業制作という日々があったけれど全然辛くなかった。それは好きなことやってるせいと人は言うかもしれないけれど、電通の仕事も楽しかったのではないか。好きな仕事だったら人はどんだけでも働けると思う。でもそれがうちの娘のように「やらされる」というのは耐えられないと思う。勉強でも仕事でも一緒。

そういうところから、私はこども食堂に来てくださるボランティアさんは一切自由にしてもらうようにしている。来るのも帰るのも途中で休憩するのも自由。30分だけボランティアでもう気が済んで帰るというのもあり。途中で子どもの習い事があるからと抜けるかたもいるけれど、全然オッケー。だってボランティアだもの。そのせいか皆さんどんどん意見を言ってくれるし、時々私叱られたりするけれど、そういう空気って協働の場所には必要だと思う。仕事する時はお給料が出るから違うというかもしれないけれど、自由な空気で自分で考えてやらせてもらえるところにはよく働く人がうまれるものだと思う。確か岐阜にそういう会社があり、みながNewsPICKSで絶賛していたが、いざ自分の会社だと出来ないのが現状。もうちょっとこの辺り上に立つ人達が考えれば世の中よくなるし、いじめだってなくなるのに。柳井さんとかもう少し心入れ替えて、売り上げが多少減ってもいいから従業員の幸せを考える人になってほしいと思うわけよ。

そんなこんなでこども食堂いつもありがとうございますという事になっている。三店舗オープンはもしかしてしない方がいいかもしれないけれど、誰かやってくれる人が現れるまでやらないことにした。でないと私が三店舗まわさないといけないことになり、それは今やっている第一号店が疎かになるかもしれずそれならやらない方がいい。「いい人がみつかった」と前に書いたけれど、色々ご家庭の事情もあり難しくなった。なので「こども食堂のつくり方講座」を不定期開催して、人材を発掘しようと思いつく。私がお願いするより「やりたい人をみつける」方が効率がいいし、何もかもスムーズだと気付いた。

なのでもしかして春に三店舗オープンが夏になるかもしれないし秋になるかもしれないし、そのせいで香山リカさん講演会、そうだこれ先にやれば人も集まりやすくなるかも。先に講演会やって人を募集していますと広告して集めればいいと。うーん、いいじゃない。じゃあ早速豊洲シビックセンターに予約に行こうかな。日程は決まり次第報告させていただきます。その前に私のこども食堂の師匠、緒方さんの講座が始まるのでこれも行きたい。一緒に勉強したい方がみえましたら是非ご一緒しましょう。緒方さんにまた講座のノウハウを聞いてきたい。

またこども食堂の話に戻るけど、今回ボランティアさんが集まらないと思っていたので食器を使い捨てのお弁当箱にしたら洗い物が少なくてボランティアさんたちに好評だったのでずっと続けることにした。スプーンも先割れの使い捨てのものにする。確かにちゃんと食器を使って提供すると見栄えはいいけれど、そういうものは重視しないことにしている。何よりみんなが楽しんでやってくれるのが一番だし、来てくれる子ども達もそういうの気にする子はいないと思う。使い捨て容器!食育が!という人もいるかもしれないけれど、やはり組織で一番大切なのは働いてくれる人を慮ることにリソースを使うべき、次にユーザー、次に利益、そして最後は自分。こうしておけば自分もいい感じになるに決まっている。


結局美味しく出来た♡

ということで赤字も解消できたので、まずはボランティアさんは会費を無料にすることにした。今までボランティアやってくれているのに会費とるのってどうなのとは思っていた。でも今回かなり赤字が解消したのでもう大丈夫だと思う。今後もし支援が全然なくなっても、キャベツとひき肉のカレーとか、サラダはその時一番安い旬のものとかでやればいいし、私もライターでちょっと多めにもらえるようになったので自分のお金でやれるはず、夫に文句は言わせない。あの人「つまらないことしやがって」って喧嘩の勢いでいったんだよ。ひどい人でしょう。なのに休みっていうとくっついてきてランチ一緒に食べたがったりわけわかめだわ。もっとかまえということなんだろうけどもう本当にそういうの辛い。まあ一緒に住んであげているというのが私のプレゼントな訳。

あと、今17時から19時までにしているけど、19時からあと30分くらいは延長しようかなと考えだした。働いているお母さんたちが預けてくれるようになり、お迎えがてらカレーを食べてくれるんだけど19時までだとちょっと間に合わない。19時で片付けは始めるけれど、その中でいいならということで。あとサラダとかなくなっているかもしれないけれどそれでもいいならということで。あーでもちゃんともっと余分に用意するようにしよう。先日も最後の15名くらいの方サラダと福神漬けがなかった。福神漬けももう一袋余分に用意しよう。

福神漬けは3つ買う!

これでよし。あとは来月ドライカレーのリクエストがあったけれど、これも野菜を細かく刻むのにフードプロセッサー使うけどモーターが焼き切れそうになっているからもう一つ買って集会場のキッチンに置いておこうかなんて考える。あっ、しまった、先日ダンボールまとめて置いてきてそのままだった。ちゃんと処分しに行かないと。「こども食堂さんが使った後は何もかも綺麗になる」とか思ってもらえるようにしないと。私ちゃんと常識人やろ?私が非常識という人がいたら、その人にとって都合が悪いことがあるから私を非難するだけだ。特に京都造営芸術大学通信教育部文芸コース外苑キャンパス、もう私を叩きまくって自分達の首を絞めているのに気づいていないお目出度い人達。うかうかと悪事をはたらく闖入者をかくまうようなことして、それ犯罪ほう助っていうんですよ。フランス式なのかなあ、日本の法律は厳しいよ。色々策があるが今忙しくてなかなかできない。

今日は友達と待ち合わせて明治神宮と目黒にピザ食べにいく。その後また代官山蔦屋書店に行こうかな.。はっ、もうこんな時間じゃない。待ち合わせ11時なのに支度しないと。わー大変!!!!

ということで今日はこれで。Have a nice day!

最近話題のあの人、キングコング、略してキンコンの西野さんが自分の出版物を無料公開しているそうで、早速みにいってみた。『えんとつ村のプペル』、既に商業ラインに乗っているものを無料公開とは如何なものかと物議まで醸し出しているという。こういうのを炎上とかバズるというが、私は今回の件は「バズッた」の方だと思う。炎上炎上というとまるで地獄変のようにぼうぼうと業火で焼かれるイメージでいうか違うのではないか。例えば読まれたくないこと、悪い事でアクセスが集まるととこれにあたる。でもこの件は、損する人が誰もいないという点では炎上ではない。

なぜこの記事の追記で書くかというと。私が今回した措置、ブログをクローズするというのはこれと反対の事をしているのかなと思ったから。私のブログ、最近特に注目を浴び、以前にも増してあちらこちらからも問い合わせをいただくし、少し前『あさいち』でパクっただけじゃ悪いと思ったのかNHKが取材してくれたくらい。でも前にも書いたようにアンケートだのフリー形式だので色々書かせておいて送ったらなしのつぶて。もう本当にがっかりしてブログをクローズした。なので西野さんの件も私なりの意見、もしかしてまた変わるかもしれないというか変わるだろうからこそ今の考えを書いておこうと思った。

まず、『えんとつ村のプペル』文句なく非常に良い作品、心を打つし色々考えさせるものもあり、ひとりでも多くの子どもに読んでもらいたいと私でも思う。そういう意味では出来の良すぎる作品ともいえる。

まず絵がいい。キンコン西野さんが描かれたそうだが、私がかねがね言っている「出来る人はどこで何をしてもできる」という見本のような人だと思う。クラウドファンディングでも成功し、私は見にいけなかったけど個展もそれで無料にし、絵本を発売したらヒットした。そして販売したものまで無料公開したというとで、他人の事は興味ない私が興味もったくらいなので本当にバズっているのだと思う。

まさに賛否両論色々だが、こういう時代でもあるし、何をやってもいいと私は思う。別に著作権やそれにまつわる法に抵触するわけでもない、本人が大盤振る舞いしているだけなのでありがたく享受すればいいのだと思う。もうすく節分だけれど、キンコン西野さんがいつもより多めに豆を撒いてくれたと。そういうこったと。

それなら絵本作りに関わった他のスタッフはどうなのとか、出版社的にはとか言う人がいるけれど。「それ、あなたに何の迷惑が?」となるのでは。それに「有名人がそうしたらそういう流れになるから皆が迷惑」というのも「流れに乗らなきゃいいだけじゃない」と思う。そしてスタッフたちの入るべき収入が消えて迷惑という理論、私はアホかと、馬鹿かと言いたい。

そういう話題の作品に携われたという名誉はもうずーっといい意味でその人についてまわるだろう。「あのプペルのスタッフだった」というだけで「おお、あの!じゃあもう何もかもお願いします」となり、どーんと報酬もはずまれる訳で、誰も何も損しない。損する人がいるとしたら、「プペル理論」が理解できずにギャーギャーと批判して馬鹿を露呈しているブロガーたちだけだと思う。出版社だって結局は損するどころか大大大ヒットになり、西野さまさまのはず。それにネットで読んでいいと思えばリアルで手元にも置きたいと思うのはあたりまえの流れ。

はーもう凡人からバカのラインにいる人達はこんなこともわからない上に否定するような記事を書いて「自分はアホです」と言っているようなものではないだろうか。

もしかして次の芥川賞は『えんとつ村のプペル』になるんじゃないでしょうか?こんな大胆な発想するのって私くらいやろ?これ読んだ誰かが真似して自分の考えみたいにまた書き出すからみててごらんよ。今ぐぐってみたけど誰もそんな事言う人いなかった。

だって又吉直樹さんが『火花』で芥川賞をとり出版業界はちょっと息を吹き返した。ならば次に西野亮廣さんが芥川賞とっても不思議でもなにもあるまい。今年のノーベル文学賞は、ボブディランだったんだぜ。そのお蔭で「ボブディランは歌手やろ」という不屈の名言まで飛び出した。絵本が芥川賞とって何が悪い?そのくらいやらないと芥川賞の存続も危ぶまれるのではないか。そしてその次の次の次くらは森生ゆり子が芥川賞で、「森生ゆり子は主婦やろ」と誰か言ってくれるのを期待したい。

そういう訳でキンコン西野さんは絵も上手い文章も上手、偉大なる戦略家でもあり喋らせたら一流という、うらやまけしからん人という結論になった。時の運が味方してくれただけというのもあるだろう。それを色々言う人は単純に彼が妬まし、もしくは世の中一方方向でしか物事をみられない気の毒な人。 私が羨ましくてたまらずいじめる事でしか自分をアピールできない豊洲のボスママと同じ括り。

それに有名人が何かしたからってそれをそのまま真似しないといけないという事はないし、むしろそういう時に逆の事をしてみるというのもありだと思う。人と同じことしても面白くないじゃない。それにキンコン西野さんは既にたくさん稼いで余裕もある。私は主婦、だからといってなめてパクるやつらを呪っている。私のブログは自分からどうぞと公開しているけれど、無料で無断でパクッていいなんて一言も言っていないので間違えないで欲しい。

とういうかさあ、結局私も天才なんだと思う。なので私のやることなすこと「人と違う」というだけで誰もわからなくて非難囂々だったけれど、最近やっと時代が私に追いついてきたように感じる。一部のボスママおよびその周りの不愉快な仲間達以外は「そうだったのか」とか、「そういう意味でブログ書いていたの」「小説読ませてください」「卒業制作きっと芥川賞ですね」とか言われるようになった。そしてNHKから正式に取材が今ここって感じ。色々あったが豊洲を牛耳るボスママにいじめられ、豊洲というちっぽけな水槽の中で村八分的にイジメられた経験まで肥やしにした私は偉大だと言っていいと思う。

【結論】『えんとつ村プペル』に文句言う人は世の中わかってないアホ。一生底辺で糸が降りてくるのを待ち続けるがよい。

さて今日は以上。これから昨日の豊洲こども食堂の収支決算してブログ書かないといけないのでこのくらいにする。

そうだ、昨日久しぶりに通帳記帳したら「トクメイキボウ」という名義で一万円も振り込まれていた!どこのどなた様が存じませんが、本当にありがとうございました。これで今月から赤字が解消しました。いい事はみんなで真似しましょう。「豊洲こども食堂」ゆうちょ銀行 記号10100番号89349801 口座名「トヨスコドモショクドウ」にご支援をお願いします。お振込み頂いた資金は豊洲こども食堂およびそれに関するイベントにも使わせていただきます。全ての収支は公開させていただきます。いつもありがとうございます。

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私はこの絵が一番好き。




あなたのアモーレは元気ですよ〜♡     
   
息子ちゃん大喜び


やっとライターの方が片付いたのでブログを書いている。ブログとライター、どちらも文章を書くのだけれど、当然ながらライターの方がうんと気力も体力も気も使う。言葉ひとつも色々様々に変えてみて、一番しっくりくるものを採用、セオリーの通りに言葉が流れるか、ひっかかるところはないか気を付けて文章を組み立てる。大学のレポートを書くのに似ているかもしれないが、大学はお金をこちらが払って採点してもらうもの、ライターはそれで報酬をいただくものなのでやはりこちらの方が大変ではある。でもどちらも「終わった」という開放感、最近ではやはり卒業制作が終わった時一番感激しましたね。いつまでも推敲したかったが、期限があるのでえいやっと送ってみた。完成を楽しみにしてくれている方に何部かコピーしてお渡ししてみた。もしこれで芥川賞とったら初稿をゲットしたということになるのではないか。なんてね。

大学でも最優秀賞が選ばれ金一封、中身は一万円らしいけど、これは全然期待していない。これだけSNSで大学を非難している現状、くれたら京都造形芸術大学すごい見直すけど、残念ながらそんな大学ではない。京都にある大学らしく、閉鎖的で伝統的なものしか受け入れないという校風、しかも学長は神で、その下の先生達は貴族、事務局は官民、通学生は民人(たみびと)、私たち通信生は紙という結論に至った。紙というのは「集金袋」という意味で、お金を徴収する手段、いれものでしかないのだ。なので事務局は偉そうに犬を蹴散らすかのような態度で私たちに接する。懇親会で会場が開く前にロビーで立っていたら、そんなところに立ってると人が通れないという事務局の人がいた。えっと思って道をあけるとN先生が私たちに挨拶もなく、前を素通りして知らん顔で事務室に消えた。ほら、私たち通信生って紙だから、人が通る時はさあっと風に吹かれるように飛ばされる訳です。大学生活って一時が万事全部こんな風だった。

例外もあり、あのおおえかは依怙贔屓がひどく、贔屓している生徒とは授業中でもキャッキャと話ていた。多分学生気分でお喋りしていたつもりなのだろう。いつもいつもそうだった。そうじゃない人には真面目な変な顔で、ああそうですかみたいな。おおえかより年齢の高い人ってほとんどだけど、そういう生徒達は「ちょっと失礼な態度」と認識していた。私は『地獄変』からいつかおおえかを倒しに出ようとずっとコツコツ証拠を集めてまわった。そうしたら出るわ出るわ色々な醜聞が。そして紙の中に貴族がいて、その御方に謀反を起こした。そこまで先生って偉そうにしていいんだ、自分が気に入らない人を徹底的に憂さ晴らし的に叩くというやりかた。証拠をつかんだ私はおおえかのSNSをほじくりだした。というかずっと以前から認識していたが野放しにしていた。全てスクショをとったのでいつか公開したい。このSNSの大量のデータをみると、本当にいつまでも学生気分でダラダラしていて、でも大学の先生になったナイスな俺、というのが透けてみえる。 



よくこんなん大学は採用したなと感心するが、多分大学って外資系企業と同じでチームごとの採用なのだと思う。マイクロソフトも外資証券もそうだった。チームで人が欲しいとなると、チームの中の人が人を連れてくる。で、そのチームのボスがうんと言えば即戦力となる。まあ正式な採用となれば社長やceoの版がいるけどそんなの面接だって茶話会みたいな感じで終わるわけ。そう考えると外資ってやりたい放題で、かつての上司が「外人っていうのは好き勝手して困ると本国に逃げちゃうから、色々気を付けてね」と言ってくれて、あの上司は本当に私を親身に思ってくれた数少ない人。あの時もちょっと事件があって色々ご迷惑をおかけしたけしました。あのあとバンビと後に付き合うことになり、でも結婚はやめて別の人と結婚しました。その人はバンビの学校の先輩だったというすごい偶然で、あーこれは私の履歴書で赤裸々に書きたいけれど、うちの夫も私の履歴書に書くのが夢とかいってるので先に書かれたら嫌だな仕方ないか。でも私本当にバンビじゃなくて夫と結婚して良かった♡今とても幸せに暮らしています♡♡そんな訳でおおえかは多分クルーソー先生かN先生の推薦だけで採用されたのだろう。いい生徒は演じられてもいい先生は演技力不足。◯ネ!

という訳で、私たち通信生は紙(集金袋)だという残念な概念がわかった。でもこれをみて、大学関係者全員が納得するのではないか。またしつこく言うが武蔵美もそいういう噂はいくつかあった。通学生は通信生に教室を使って欲しくないと思っているとか、あの先生はや〇まんだとか、色々色々。でも今回のようにこんなにダイレクトな事件や確証をみたのは初めてで、逆に本当に驚いてしまったくらい。最近なんだか大学がゴタゴタしてきたと聞くが、通信教育部の文芸コースが台風の目になっているように感じる。私からみて色々問題があると思うので、大学側からみたらもっとよく見渡せると思う。一刻も早い救済策をと願う。
そしてまた名言が飛び出した訳で、Twitterは金言を生みだすドラえもん的不思議ボックスだと感じた。

そして大学の事務局って偏差値は高いが頭のいい人があまりいないのではないかと思った。というのはN先生のことで大学に何度も呼び出しされ、そこで質問したいことはメールにまとめて送って下さいと言ってくれた先生がいた。でも私こんな風なので全然出せずにいて、先日「日本美術論」の授業の時に事務局の人にまだ出せてないが出した方がいいかと聞くと、多分待ってみえると思うので出してと言われた。で、「先生って(苗字)先生でしたよね、下のお名前なんでしたっけ」と聞くと、その方は目が泳ぎ、「えええと、(苗字)先生だけで大丈夫ですから。(苗字)先生ひとりしかいませんからね」と言う。もう私に隠し事がいっぱいあるのがこれだけでまるわかりじゃない?先生の名前なんて経歴ごと京都造形芸術大学のホームページに書いてあるから調べようと思えばわかる。なのに教えられないという態度、もうまた怪しい!この人達絶対信用しちゃだめと決意を新たにした。

私大学の関係者を全員信用していない。今は学友達もそう。だっておおえかとかN先生に担当してもらっている人達からしたら私は敵じゃん?私の見方したら豊洲でボスママにつかないと自分がイジメられるのと同じで、こちらの味方は出来ないししない。ただでさえ以前は先生達のみこもよく、何かと目立ってほめられていた私を面白く思っていない人達もいたはず。なので今度の京都で行われる卒業式前の懇親会、豊洲で村八分になった時のように参加者全員が私を空気扱いして無視するかもしれない。でも逆にだったら行ってみようかと思った。地獄を何度もみているのでもう怖くもなんともないわけ。でもそれではなんなので助っ人をお願いしてみた。でもどーせ決まりがどうとかで却下されるのよ。あっそうだ、せっかくなので主担任の先生と副担任の先生の間の席にしてもうらおう。お話したいことがたくさんあるから♡

という訳でまだまだまだまだ色々あるわけで、どうして私の周りにはこういう事件や濃いキャラが集まってくるのだろう。モブキャラの中にも主役を張りたい人達がいるはずで、そういう人達との最後のバトルもあらほましい。なんというエキサイティングでワンダホ、アメージングな学生生活だったのだろうか。普通に入学してたんたんと学び、そして卒業するはずだった。なのに。

なのであの方にこの大学に入学してはどうかとおススメしてみた。ものすごいパワーを持った方なので、文芸コース今度こそ吹っ飛ぶんじゃないだろうか。私は全然そんなじゃないのでチラッと掻き回すだけで終わった。でも良かった♡

それから(苗字)先生にこれからメールを出そうと思うけれど、一番気になっているのは学長に出した手紙、コナンが握りつぶしたのかそれとも読んだのに返信くれていないのか。もし前者ならコナンくびになって当然だし、後者なら一学生の進言を無視した至らぬ御屋形様ということでチェンジが必要になる。 ここにお手紙全文を掲載してみたいと思う。

と、思ったけどやめた。恥ずかしいー私ちゃんとまともなこと書いてる。ともかくこの手紙がどこにいったのか、追及して頂きたいと思う。それからあの80名定員で27名しか生徒が集まらなかったのに「定員オーバー」という理由は一体なんだったのか。「追加募集されなかったから申し込み不可」という理由は通用しない。なぜなら同時期に開催された「西洋美術史」は、本当に定員オーバーだったが、卒業年で来年受けられないからとお願いしたら事務局コナンからオーケーが出た。この違いは一体なんなのか。

あと他にもN先生にピンチを知らせようと何度も「教員相談」というのを申し込みしたが、全部シャットアウトされた。それ、当のN先生がご存知なのかも知りたい。もし本人が拒絶しているなら大問題だし、事務局がN先生に知らせていなかったとしたらこれもコナンがチェンジの必要がある。でもあの懇親会のN先生VSフィガロ仮面で思ったのは、先生は全然知らされていなかったのではないか、私が先生を無視して好き勝手やっていると思われていたのだろうと思った。何れにせよこれは大問題だと思う。学費を滞りなく払って授業態度も問題なく、二年で卒業という真面目な生徒の士気をそぐようなことをしたという事にならないか。まあ「私たち人じゃなく紙(集金袋)だから」と思えば納得だが、それでも紙には紙の言い分がある。

N先生は授業の中で、京都に本部のある大学だからこそヘイト的な表現は気を付けなくてはならないと言ってみえた。なのに人を区別どころか差別していることに他ならないのではないだろうか。

こうしてブログを書いていて、文章が以前よりまとまって読みやすいものに変容したように感じる。それは他でもないN先生のお蔭でもある。なのにこうして先生を窮地に追いやるような真似をしている自分は礼儀知らずで恥知らず、恩知らずだと思う。でも先生が全然反省していない懇親会の態度、しかも先生としての尊厳を忘れてしまうよな失態。大好きで尊敬していたからこそショックでもあった。なのでフライングカフェ、出来れば先生が遠慮してください。日本美術は先生管轄外でしょう?外苑の文芸コースというとN先生かおおえかしかおらず、他の先生達は外部から授業の時だけちらっと来るだけの方ばかりで、この二人が実権を握り運営している。もっと京都の先生をこっちに投入するかまともな先生を採用してください。もう色々遠慮しながら大学に通い、私は私で本当に大変だった。

今の文芸だとセレブデブも先生やりたいそうだけれど私は大反対。あんな風に偉そうな事いって自分の立場が悪くなると私をブロックするような人は先生なんて全然無理。まだナースコスのIさんの方が色々問題あるけどまだいい。だったら私のライターの師匠が適任かと、お金かかるけど頑張って欲しい。そしたら大学で先生やってくれたらいいのに。※通信の大学院出たら先生って冗談じゃありませんよ!この人もっとも先生になってはいけない人でした。おおえかの手下で奴の代わりに私に嫌がらせするようになったもう敵!

調子のいい人からちょちょっとおだてられるとそれがそのままその人の評価になる京都造形芸術大学文化、でもまあ世の中そんなものかもしれませんね。あの学長と顔採用の女の先生観てると特に思う。「世の中ね顔かお金かなのよ」(回文)二宮さん元気かなあ。おおえかは竹中さんの笑顔を思い出すと書いてある。みんな騙されたんだろう。私は誰もだましてないけどハートは奪っちゃったかな。あの小説もどこかに出してみよう。

京都造形芸術大学通信教育部FB

これ、京都造形芸術大学通信教育部のFacebookの背景。なぜこの図書館の写真をはるの?なんか関係あるの?自分とこの図書館の写真貼ればいいのにスタイリッシュさをパクりたい見栄張り大学。一体なんのために。著作権侵害も甚だしい。中の人はもしかしておおえかなのでは、多分そう。


ほらね。


返事はまだない。

追記:門崎先生が撮影したのかーどうも失礼しました。でもページのタイトルバックに貼り付けたのはおおえかに違いない。あっちにぺこぺここっちにペコペコそして私たちには偉そう。それが京都造形芸術大学通信教育部文芸外苑のスタンダード。門崎先生の名前出したら私がビビると思うなよ!それにおおえかものすごい勢いで私のSNSチェックしてるのね、どうもごくろーさまストーカーさん藁

もっと言うと門崎先生ならちゃんと返信か回答があります。こうやって強い人の背中に逃げ込んでドヤ顔するのは大江しかいない。あんたいつまで居座る気?さっさと出ていかないと焼き払うわよ!

こんな事してる。おおえかはわからないつもりでやっているんだろう。いつも何もかもまるわかりなのに、恥ずかしくないのかな・・・



2017.01.23追記

今度こそ京都造形芸術大学が馬鹿大学だと証明されました。あの馬鹿が大学のFBで内部テロ起こしたので晒したい。別記事にもするのでお待ちください。


昨日事務局に文句を言った内容を書いてみたい。私は一昨日13日から今日の15日まで大学で授業を受けている。そして案の定「アレ」が起こった。あれとは「先生、もう休憩時間です」というやつ。先生は「あ、すみません。じゃあ今から十分間休憩にします」これが授業の度に毎回毎回毎回毎回あった。去年編入して今年卒業だけれど授業のたびにずーっとそうだった。そうじゃなかったことは一度もなかった。なかったのは歴史遺産コースの「文化史特論」だけだった。歴史遺産コースは何故かチャイムを持ち込むことになっており、時間になるとチャイムが鳴るので授業の終了がわかる。

京都造形芸術大学はチャイムがないので先生達は授業が終わるタイミングに気が付かない。そして生徒は時計がみえるので「もう終わりなのに」とハラハラすることになる。ずーっとそうだった、ずーっと。これ、先生の責任?ただの事務局の怠慢だと思う。

私は13日第一日目は先生に「もう終わりです」と言った。でも昨日14日は言わなかった。毎回毎回私がいうのって変じゃない、それにせっかく好きな科目なのに先生に嫌われたら嫌だと思った。すると別の方が「先生、もう時間過ぎています」という。先生はまた慌てて「すみません、今から休憩にします」と言われた。私はそのまま事務局に行き、文句を言った。「チャイムを鳴らして下さい」と。生徒に遅刻厳禁とか単位やらないとか言う割に、自分達はなんなのよ。もう一度言う、私たち生徒の前にカスタマーでもあるから。偉そうに聞こえるかもしれないけれど、あなたたちの方が本当に偉そう。

人が話していると高飛車に割り込んで来るし、指図命令してくる。これ、京都の事務局のカラーをそのまま写しているんだと思う。武蔵美は絶対こんな冷やかな空気なかった。京都のぶぶ漬けたべていきんしゃいみたいな温度、なんでしょうね。今受けている日本美術論のワークショップで、東京と京都の温度が違うから、それぞれの常識がそれぞれで通用しないことがあると言った人がいたけれど本当にそう、武蔵美と京都造形って全然違う。そして京都の大学なのに東京にキャンパスがあるもんだから学内がカオスっているんじゃないだろうか。

生徒は一番位が低い民人、おれら官民でトップは貴族だから好き放題していい。みたいな空気。なんか違うんじゃない?ここは東京だし、今は平成だし、民主主義の国にもう生まれ変わった訳。つい昨日天保の大火がーみたいなネジゆるんだこと言ってるからダメなのよ。そういえばセレブデブもそう、京都人じゃなくても京都の水で洗うと全員イケズになる。先生は貴族生徒は民人、それがザ京都造形芸術大学、なのではないだろうか。今までのあれこれを思い出してもそうだとしか思えない。

だいたい京都造形芸術大学外苑キャンパスは、生徒によくみえるようにという配慮なのか先生の後ろに時計がある。先生は話していると時間がわからなくなる。それは当然、先生が時計を気にしてチラチラみながら話すことってないんじゃないだろうか。一年目は文芸コースの授業ばかり受けていたが、やはり同じことばかりが起こった。N先生はついにスマホのタイマーをセットしていたが、なかなかタイミングよく鳴らないので四苦八苦されていたのを思い出す。「あれ、おかしいですね。どうしたんだろう」などと。みんなでクスクス笑って楽しかった。

でもこれ、学校にチャイムがあればいい話なのではないの?なので事務局にそう言ったら、チャイムはないとぬかす。そこで歴史遺産コースはチャイムを持ち込むので~という話があり、だったら全コースにチャイムを用意したらいいと意見した。すると、外苑キャンパスはないが、京都の本校にはあるにはあるが、通学生の時間割で鳴るので通信生の方はチャイム無視してくださいとアナウンスしているという回答まであった。これ、なんか通信生に対して失礼な感じすると思った。「だったら切っておけば?」

雷とかなんかの自然災害ならともかく、チャイムって人間が作ったものだ。だったら人がコントロールできないというのは大学の、もっといえば事務局の、更にいうと事務局コナンの怠慢じゃないの?あんなのが事務局長なんかやってるもんだからN先生と私がややこやしい事になっている。私無実だから、何もしていないから!コスはしたけど。でもこの「事務局のせいで先生とコンタクトできないから余計ややこやしくなった」というのは、現代のスマホ社会ネットワーク時代にとても興味深いと思ったのでストーリーを思いつき小説を書いている。現代版ロミオとジュリエット。

そこに先生好きとか書いているけれど、小説を書いていてやはり違和感があった。やっぱり違うかもしれない。誰かとジェットコースターに一緒に乗ると、その相手を好きになってしまうことがあるそう。心理学でいうこところの吊り橋理論とか錯誤帰属がこれにあたる。スリルでドキドキしているのか好きでドキドキしているのか、人間の脳は判断が出来ないのだそうだ。あの「あなたのその態度が私を傷つけるのがわからないんですか」という爆発するような怒りとセリフにびっくりしてすごくドキドキした。なので好きと勘違いしているのだと気付いた。そして「 何もしないという愛」が爆生したけれど、あれはあれでその時の気持ちというか思い出なのでそのままにする。

話が逸れたが、なのでチャイムをちゃんと鳴らすようにして欲しい。

このチャイムが鳴らないおかげで私は酷い目にあったことがある。そう、あの「連句と俳句」の授業、全然授業が終わらないので私は一句詠んだ。

「先生へ時間になったら終わってネ、私朝ごはん食べてないから」

これを先生が読んだ時、ちょうど授業の終了時間だったと後に学友のひとりが教えてくれたけれど、これ本当にお腹が空き過ぎてぐうぐう鳴ってしまい、困って詠んだのだ。なのに先生からはふざけすぎやろと授業の評価は75点だった。これ、絶対あの顔採用の女の先生が気を悪くしたんだと思った。他にもこの先生には、板書の文字が小さすぎてみえにくいとか、声がぼそぼそして小さいので聞こえないとか色々意見した。特に板書、全然みえないので他の学友も「事務局に言おうか」なんて言っていた。でも私は本人に直接言ったほうがよかろうと思って言ったらムッとしてにらまれてしまった。しかもチャイムが鳴らないものだからいちいち教えてあげたので余計に恨まれたのかもしれない。そして75点。

ああそうだ、授業の最後5時間目にレポートを書く時間があり、書いたら帰っていいというので一番最初に書けた私は教室を後にした。その時に「出来れば授業が終わる最後までいて欲しいけれど、急ぐなら止めない」とかなんとか言われたが、だったらすみませんがお猿ちゃんが待っていますのでと教室を後にした。その時も「てめー察しろよ、授業ちゃんと最後までいないと私が事務局に怒られるやろ」という怖い視線を投げかけてきた。そうして欲しいならちゃんと言えばいいのに。私別に無理に帰ったわけじゃないでしょう。なのに75点。

レポートがまずかったんじゃないと思うかもしれないけれど、こういうブログ調ではなくきっちりと答案用紙や普通のレポートのように書きましたよ。単位や報酬のかかっているものはきっちり書く、当たり前でしょう?なのに75点。学友達に言うと、「あれ?特選だったし点数も良かったのにね。私85点だったよ」と言われた。

特選とは。

授業の最後、レポートを書く前に「句会」なるものをした。これは短冊に匿名で俳句を書き、集め、順番に読んで皆で点数をつけていく。更に特にいいものを先生が選び、入選とか特選とかを選んでいく。もちろん特選が一番いい、私はそれだった。匿名じゃなかったら先生は私の作品を選ばなかったように思う。学友達も私の作品に点をたくさん入れてくれて、最後に「この作品を作った人はだれですか」と司会に言われて私が手を挙げたら全員が驚いていた。先生はぐぬぬという顔。そんなこんなで75点というのはおかしいやろと、大学に再評価調査票を出してみたら、ご本人の先生から「最後のレポートでこの点をつけた」とかえってきた。それもっとおかしいやろ、そもそもあのレポートが75点というのもそうだけれど、授業全体で成績をつけるものではないの?それに採点した本人がまた再考して再評価を下すシステムがおかしい。点数の付け方がそもそもおかしいと思う。

俳句の先生をもうひとり増やしましょう。それはあのゾンビ先生がいいと思います。あの先生は私が色々言っても全然ぶれないし、ご飯食べに行こうとか言わないし結社に誘ってきたりしない。私が学友とそれからタイタンの太田社長を誘いたいので呼んで欲しいと言ってもなかなか空きがないらしく未だ実現せず。そんな風に無心で依怙贔屓もしないしいつもフラット。大正大学の先生らしいけれど、顔採用の女の先生とチェンジして欲しい。もしくはゾンビ先生を監査役にしてもらえないでしょうか。顔採用の女の先生は、私ずっといると思っていたけど実は昨年あたりから急に京都造形に先生として採用されたらしい。初大学の先生デビューみたいだけどおおえかと一緒で誰が引っ張ってきたんだろう。ともかく新しい先生で成功したのは私の主担任の先生だけだと思う。別に自分の担任の先生だから気を使って言ってる訳じゃないのはブログ読んでる人ならわかるやろ。何度も言うけど私の主担任の先生にストーリーとシナリオ担当してもらうべき。

顔採用の女の先生だけじゃない、自分の感情で採点したり生徒への対応を変える先生というのが京都造形芸術大学通信教育部文芸コースには多い。特に「文芸コース」って、芸術大学としては別物(絵を描かない学部)なので、大学とは一線を画すと思われるのかやりたい放題な先生が多い気がする。なので大学やめたいとか休学したいという生徒が後をたたないのだ。

とある人にこういう話をしたら、「まあ大学の先生っていうのは浮世離れしている人が多いから」と言われ、本当にそうだと膝を打ちたくなった。私の事を常識知らずとかなんだとか言うけれど、自分達はどうなのよ。そうだ、事務局に「フライングカフェに申し込みたいけどN先生が行くから参加しにくい」と言ったら、「明治記念館なんてすぐそこだからひとりで行ったら」と言われ、「日本美術史の先生と一緒に観に行きたいんです」と言ったら、「あなたとN先生が顔を合わせる所を想像すると怖い(からやめて)」とも言われた。どーして生徒の私が遠慮しないといけないのよ。私をみて自分が保てないと思うならN先生が遠慮するべき。私行きたいのでN先生は来ないで。懇親会の件、事務局ですっごく噂になってるって外苑のボスが言っていましたよお~、あれは先生としての態度ではないわねとも言っていました私もそう思います反省してくださいマジで。

私こんなところでよくやってきたなと、あとちょっとで卒業だけれど本当に自分で自分を褒めたい。

ちなみにこの顔採用の女の先生、藝術学舎の方で「学長と行く俳句の旅」という授業?イベント?よくわからないけれど二泊三日で行くそうだけれど(あっ!今日みたらアシの牛蒡先生がひとり増えてる!よく旦那さん何も言いませんね、うちなら怒られるわこんな組み合わせで二泊三日なんて)こういう強い人によしよししてもらっているから「私は女王」なんて思うんじゃないかと感じる。例えがちょっとあれで申し訳ないけれど、中小企業なんかで社長の愛人している事務員が自分がボスのような顔をしてやりたい放題というのにちょっと似ているなと思った。これに参加する人は一定数いると思うけれど、それなら「千住博とウォーターフォールのビックバンを探して」という企画の方が人気あるんじゃないだろうか。千住博先生とあの滝をみにいくという二泊三日の旅。これなら多分十万円でも参加者は抽選になるのでは私も行きます先生!こういう人気の人を使わずナマズ先生と顔採用の女の先生の旅行を企画するゆるふわ大学、ぼけっとしていてもお金が集まる大学はいいなと羨ましくなる。 

そういう訳でコナンさん、そんなお金があるならちゃんとチャイムが鳴るようにして下さい。それか先生の正面の壁、私たちの後ろにも同じように時計つけたら?京都造形芸術大学ってこういうところは本当にケチ。懇親会の食べ物と飲物なんて10分で終わった。こんなことなら日高屋でラーメン食べてから参加すれば良かったとまた思った。娘にパーティーに行く時はちょっとお腹に何か入れてからいくものよ、でないとお腹空いてがっついたりしたらみっともないでしょうとつい先日言ったばかりそういいえば。自分が一番出来ていないのは事務局と一緒かもしれない。

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今年は紅白出ませんでしたね。私ピコ太郎しかみてないけど。

ただの備忘録的記録です。やっぱり日本美術史は面白い!昨日今日で一番印象に残ったのが、岡倉天心、この人本当に人に好かれる人で、帝国大学政経学の教授だったフェノロサを日本美術贔屓にしちゃうわ、大金持ちの孫娘と結婚させてもらって日本美術の貢献のためにお金をバンバン使わせて貰ったり、最後は原三渓にもお金出して貰うように。多分天心は何もしなくても周りが勝手に手を出してしまう、そう、L'Arc〜en〜Cielアンシエルのhydeさんみたいに同業者をも虜にしちゃう人だったのではないかと思ったわけです。

また、「歴史学は時の流れ、芸術学は色彩に注目する方が多くて印象的です」と先生が言われて、ああ、確かにそう。私ともうひとり文芸コースの学友がいたけれど、私たちは「人の心の動き」が気になった。もの書きだからでしょうか。そういえば小説って「人間関係」の塊だもの。私が人の心の動きがわかりすぎて逆に嫌だと思うことがあり、心理学なんか勉強しなければ良かったと思うことがあるけれど、これもしかして文芸コースだから、なのかなとチラと感じました。だとしたらちゃんと色々吸収できていることになり、非常に満足。

でもまた余計な一言たけど、N先生のことはサッパリわからない。激怒したりニコニコしたり、先生の態度は私を傷つける。お互い様だ。

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フェノロサ、天心、原山三渓の年表をまとめてみた。おおーう、原山渓なんて買いちゃったじゃない、全くMSIMEは「原三渓」くらい一発変換してください。ちなみに一番下の「天」の文字は「三」の間違い。上から順に、フェノロサ、天心、原三渓の年代表。フェノロサは1880年に天心が卒業論文で書いた『美学論』を読んだ二年後1882年に「美術真説」という講演をしている。政経の先生なのに。晩年はボストン美術館東洋部の主査になるが、ここになんと天心も何度も行ったり来たりしている。原三渓は、1899年に天心と出会った記録がある。そこから膨大な資産を天心というか日本美術に注ぎ込み貢献している。それからこれはwiki情報だけれどこんなのがあった。

「1888年(明治21年)、明治を代表する文部官僚で男爵の九鬼隆一は岡倉のパトロンであったが、その妊娠中の妻 波津子 と恋に落ちる。波津子は隆一と別居し、のち離縁する。離縁後に生まれた子が、有名な哲学者九鬼周造である。彼は、子供の頃訪ねてくる天心を父親と考えたこともあったと記している。」

天心もてたんだ。でもきっと勝手に相手が好き好きになっちゃって困るタイプじゃないのだろうか私のように。天心が亡くなったのは1931年50歳没。ファンたちからしたら夭折といっていいのではないか。日本美術界がどれだけ嘆き悲しんだか。私も天心に会ってみたいと思った。

そこで天心ってL'Arc〜en〜Cielのhydeさんみたいじゃないと言ったら年配の人からは「わからない」と言われ、だったら孫正義さんあたりが生まれ変わりなのではと言ったら「そうか」と納得された。そこから「天才が生まれると時代が変わる」という名言がグループワークで同じ班の方から飛び出し、本当にそうだと感心してしまった。

逸話[編集]wikipwdiaより

  • 1903年(明治36年)、天心はアメリカのボストン美術館からの招聘を受け、 横山大観 菱田春草らの弟子を伴って渡米した。羽織・袴で一行が街の中を闊歩していた際に1人の若いアメリカ人から冷やかし半分の声をかけられた。「おまえたちは何ニーズ? チャイニーズ? ジャパニーズ? それともジャワニーズ?」。そう言われた天心は「我々は日本の紳士だ、あんたこそ何キーか? ヤンキーか? ドンキーか? モンキーか?」と流暢な英語で言い返した。
<原文>
"What sort of nese are you people? Are you Chinese, or Japanese, or Javanese?"
"We are Japanese gentlemen. But what kind of key are you? Are you a Yankee, or a donkey, or a monkey?" [19]
  • 天心の残したメモの中に「第一・四十歳にて九鬼内閣の文部大臣となる、第二・五十にして貨殖に志す、第三・五十五にして寂す」と将来設計を記したものがあり、当時文部官僚だった九鬼隆一との蜜月が偲ばれる。 [20]

  • 当初は天心を引き立てた上司である文部官僚の九鬼隆一男爵の妻・ 波津子 九鬼周造の母)との接近について彼の更迭との関連も噂され、一部で好奇の対象となった。( 美術学校騒動
  • 天心は、1892年5月東京専門学校(後の早稲田大学)に特別科外講師(東洋美術史)として参加しており、そこで大隈重信と知り合い、 日本美術院 の後援者となってもらった。

美術学校騒動ってそんな事があったのか。

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関東大震災は1923年、原三渓は震災後の横浜の復興に尽力。三渓園を市民に無料公開。この辺り妄想だけれど、原三渓の人柄もあると思うけれど、天心の影響もあったような気がする。

三渓園。「yokohama sankeien garden」とあるけどおかしくない?「sankei garden」なのではないだろうかまあどっちでもいいけど。いつか行ってみたい。いい感じ!帰りに中華街かなあ♡

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ねえ山ピーさん、あの人樹木希林に似てない?だけどそれだとまんまなので「此処コアラ」と命名した。なんの事がわからないって?いーのいーの学友だけにわかれば。これ読んでお腹よじれる程笑ってると思う。

私の弱点は「歯」だと思う。知覚過敏なのでシュミテクトじゃないと歯磨き出来ないし、昨日今日は固いものを噛むと奥歯も痛い。いつも右側を下にして寝ているせいか、夕べ右の奥歯が急に上下当たるようになり痛みがだんだん増してきた。気になって眠れないので爪やすりで奥歯をスリスリして削ってみた。本当なら歯医者に行ってちょっとやってもらえばいいし、そういう痛くて耐えられないとか緊急の時は順番を抜かしてでもやってくれるので歯医者にいくべきだったのだ。でもなかなかそういう時間がなくて、というか永利でランチする時間があるならそうすればよかったのだが私はせっかちで、思い立ったらすぐやらないと気が済まない。控えめにと注意したのがよかったのか、歯がカチカチしなくなりいい感じで一日過ごせた。あーでも近々クリーニング兼ねて行かなくては。子ども達の歯科検診も多分半年くらい行かせていない。そうだ、来週はもう絶対行かせよう。予約さえいれてカレンダーに書いて「この日この時間にいってね」と言えば、私が忘れていても子どもたちは勝手に行ってくれるようになった。「何もしない愛」は偉大だとまた思った。

今日は近所の方々とこども食堂のミーティングと思ったけれどちょっと違う話に流れ、でも私の言いたいことがわかってもらえて満足。そこで次の選挙なになにさんに入れてという人がいて、品川と調布方面で知り合いいないかと聞かれたのでいるけど教えられないと断った。選挙ってそういうものじゃなく、自分が決めた人に入れるのが大切と私は思っていて、まず小池百合子というのは譲れなくて、その部下になる人なんかは適当に決められない。私は高橋恵海さんに入れたいからと言うとがっかりされていたけれど、そうやってお願いするとみんなハイハイ言うけど本当に入れているかどうかなんてわからない、でも自分の意見はちゃんと言った方がいいと思う。

その後解散して今日はお猿ちゃんのお友達がおやつ食べに来るから食材調達でスーパーたつみに行き、イチゴ、バナナ、チョコレートなどを買い込む。ホットプレートでチョコフォンデュをしてあげようと目論んだのだ。きっとみんな大喜びだわとにこにこ買い物をしていると、急に、本当に急にお腹が減って苦しくなった。何か食べたい、たつみでお弁当買って家でたべようか、でも何か間に合わない感じがして外に出る。ちょうどランチの時間なのかマイフェイバリットレストラン安庵はいつもの如く列ができていて、それなら太陽のトマト麺かなあでもそっちも人がいっぱい、そうだこういうガッツりしたいときは永利だと思ってNTTDATAに向かうが、あーでもあそこもあんなに広いお店なのに昼時の待ち人ったらきっとなかなか順番こないわと思ったところで最近永利の三号店が出来たのを思い出した。これはFacebookで「とよすと」さんが発信していた記事で知った。でもあそこは実は「永利三号店」じゃなくて、「永利豊洲三号店」なんです。東雲にもう一店あるらしい。で、店に行くとやっぱり「豊洲三号店」と看板に書いてある。そうでしょそうでしょとなんか嬉しくなって店の扉を押した。早速今日のランチセットを頼む。日替わりで毎日メニューが変わって700円。どれを食べてもいつも外れなしなので、今日もそうした。今日の日替わりランチは鶏肉とカシューナッツ炒めという安定の美味しいやつ。そして到着、でもあれれ、なんか違う。間違い探しのように脳内の永利メニューを引っ張り出してくると、いつもの杏仁豆腐がない。メニューは本店とほぼ同じ、使っている食材ももしかしたら一括発注で同じかもしれない。でも料理人が違うとこうなるという見本のようだと思った。美味しいには美味しい、でもなんか違うという感じ。

そしてここ、永利が出来る前は京料理のおばんざい居酒屋だったけれどつぶれてしまった。私はここを出禁になっていて潰れろなんて思っていたらそうなってしまいびっくり。結構お客さん入っていたみたいだったのに。そして自分についている祟り神の恐ろしさを知った。あまり何かを恨まないように気を付けようと思った。でも京料理のお店を出禁になったのは自分が迷惑をかけたからで自分が悪いのだ。でもなんていうか懐の狭さというか、なんか嫌な感じがしてもう行きたくないとも思っていた。そういう感じに思う人が結構いたのかもしれないと思った。

そしてこども食堂にも思いをはせた。今、三店舗の店長候補を探していて、多分みつかるし私の人を見る目はいい人をピックできると思う。でもその人たちに任せたら、繁盛させたいばかりにママ友同士できた人とか入れたり、お年寄りをないがしろにしたり、何より「何よあそこママ友同士お断りなんてうそ、いついってもグループママがきてる」なんて絶対思われないように気を付けようなんて思った。シェフとか店長ってそういう意味では本当に大切で、誰がやっても同じなんてことは絶対ない。

そんなこんなで息子のお友達にホットプレートチョコフォンデュは大好評で、一人一枚チョコレートを使ったのにちょっと足りかなった。でもこのくらいの方がいいのかなとも思う。お腹いっぱいでもうチョコなんてみたくないなんて思ったらお気の毒。案の定、次に遊びにくるときもまたチョコフォンデュがいいなんて言われて、早速日程を決めた。みんなが帰る時にきゅっとハグして「ありがとう、息子と仲良くしてくれてありがとうね」と感謝の意を表したけれど、これ言い方によっては「息子のママに抱きしめられた」なんて言われたらすわ性的虐待?いやーあかんは気を付けようなんて今思っているけれど、みんな本当に嬉しそうに名残惜しそうに帰って行った。

卒業制作だなんだかんだで10月くらいから家の事が回らなくなり、息子のお友達がきてくれても上がってもらえるような状態ではなかった。それでもいいなんて息子には言われたけど、大きくなって「あの子のうち目茶目茶だった」なんて言われたら気の毒。子どもって本当に記憶力がよくて、私もいまだに幼い頃にみた色々は脳がなかなか忘れてくれないこともある。でもやっと家も片付き昨日今日と連続でお友達を読んであげることができた。いつもいつもお邪魔しているばかりで申し訳なく思っていたのだ。でもみんなブログのおかげもあり、本当に忙しいってわかってるよなんて言ってくれたり、ちゃんと色々回ってるの?なんて呆れられたりで事情は理解してくれていて、本当にありがたいななんて思った。



こうしてチョコフォンデュを囲んでいる子どもたちをみていて、一緒にこうして楽しく何かを食べるということは、命をつなぐだけじゃなく共同体をも育むのだと感じた。今日一緒にランチ偶然同席したご近所さんも普段は挨拶だけだけれど、一緒に食べながら豊洲事情を様々にお話して、もう今度からは違う温度で挨拶ができるように思った。こども食堂の話をしていたご近所さんが私の様々な武勇伝を聞いて笑いながら「あなたは人が好きなのね」と言った。ちょっとびっくりしたけど、ああそうなんだと思った。なので豊洲のボスママ軍団に村八分にされたのだってきついと思ったし、なんとかしないとなと奮闘した。そこでまたこども食堂から様々に豊洲の人たちと繋がりだし、共同体という街の命運を司るものに触れられたように思う。まだまだ色々問題は山盛りで、あっちもこっちもどっちも揉め揉めで今日大学に打ったメールも「ええええ!なんでそうなるの????」と事務局がガクブルしていると思う。でも誰かを陥れるとか文句を言うとかそういうのじゃなくて、新N先生のためにちょっと頑張ってみた。新N先生のことが心配で、それは余計なお世話とまた言われるかもしれないけれど、彼の書いた卒業研究を読んで、わたしと同じ傷跡がある人だとわかったから。私は共同体のおかげで息を吹き返し、何かN先生にもそういう光がさしてほしいと、それにはやっぱり大学で先生になってもらうのがいいだろうなんて勝手に考えていた。思い通りになって非常に満足。ついでといっては失礼だけれど、元都知事候補の家入一真さんも大学院の先生をこの春からするそうで、「私の学友が同じく先生になるのでよろしくお願いしますとTweetしておいた。SNSはこういう時非常に便利。ご存知の方もけっこういると思うが、家入さんと私は敵対の関係だった。でも約二年の時を経て、そういう色々は風化したように思う。何より私が家入さんに嚙みついたのが発端で、それに拮抗した彼が様々に策を練った。でもつい最近わかったのだが、家入さんと私が対立しなければならない理由はそもそも何もなかったのだとわかった。なので私からごめんねと謝った。家入さん、素晴らしい人だと私は前から思っていた。でも敵対していたのでdisるしかなかった。でもこれからは仲良くしたいと思う。CAMPFIREにもお世話になる日がくるかもしれない、いえ、私はやらないけれど知り合いが多分なんかする時があるんじゃないかな。クラウドファンディングで一番人気なのは仕組みがわかりやすくて全員参加型なので楽しみもある。影山さんもこっちでやればよかったのに。



そんなこんなで『そして、暮らしは共同体になる。』のパクリになってしまうが『そしてまた、食も共同体をつくる。』なーんて思ったりした。

※人生がガラッと変わり、自分の普通がただの思い込みだと気付く本。

自分が真似しておいてなんなんですけど、最近一番古いブログとか、『元キャナリーゼゆり子』とかがすごいアクセス数になることがあって、またどっかのマスゴミが私の作品をパクろうとしているんだわとがっかりしてしまった。フジテレビ、TBS、そして『あさいち』なんかもママ友の話題なんかで「私のブログみたでしょう」というようなものがある。web記事とかちょっと前に出た幼稚園バスの小説なんかもそう。もうなんかブログ書いてアップするのが嫌になってしまった。ブログやめて小説書いてと桐野夏生さんが言われたのはこういう事なんだとまた思った。

あーうるさいのが帰ってきたから今日はここまで。 

私には先生がたくさんいる。それから師匠も。先生も師匠も同じだと思う方がいるかもしれないが、私も違いがよくわからない。先生にはいい先生も悪い先生もいるが、師匠というのは自分がこの人は先生だと決めた人がそうなのではないか。ここでいう先生とは「いい先生」に限定する。悪い先生は私にとっては先生ですらない、そう呼ぶにも値しないと思うからだ。

でもこちらが先生と呼びかければ応えてくれる、何かあればすぐ助けてくれる、そして生徒が困っていたらさり気なくヘルプしてくれるもので、それはとても不思議なありがたい存在。今まで私が困っていて先生や師匠が知らん顔したことがあるだろうか。いやない。いたとしたらそれは先生でも師匠でもないからだ。

というのをいつかブログに書いた事がある。今回もそういえるのではないか。私が今抱えている深海の巨大生物的大問題、これは本当に悩んで悩んで自分が『もののけの姫』の祟り神の大きな猪のようになっているようにも思える。パソコン、スマホでSNSを開けば別の話題を書こうと思うと手が勝手にあの人この方への恨み節を書いてしまう。「愛憎劇に巻き込まれて迷惑」と書くが、嫌なら無視すればいいのに相手をするのは私になんらかの情が湧いているからだと思う。それら多くを占めている感情は、「可哀そう」「お気の毒」という色が濃い。でもその状態はご本人が好んで浸かっているのだから、遠くから私がやいやいいうのはお角違いだろう。

思えばあの時、もっと私がしっかりすれば良かったのだ。いくら恩義のある先生だからといって、やっていい事と悪い事がある。私は生徒だが先生の所属物でも好きにしてい存在でもない。ましてや個人的な感情をぶちまけるというのは如何なものか。でもここでもっと問題なのは、私が嫌じゃなかった事だ。正直嬉しかった、だから事態は捻れてややこやしくなっている。

大学はこれらを「守秘義務」という言葉を使って私の口を封じようとしたが、それも間違いではないのか。私に守秘してもらわないと困るのは大学や先生達で、守秘して欲しいと私にお願いをするものだろう。偉そうでもなんでもない、本当にその通りなのでよく考えて欲しい。

人は「先生」と呼ばれると自分が高みに上がったような気持になり、つい人の上に立ったように思うものだというのもこの大学に入学して知ったひとつ。そして、それでもなお生徒を慮れるというのが「良い先生」で、まんま上からものを見るように偉そうにしてしまうという愚かな人もいる。生徒を自分の付属物のように好き勝手する、それはもう先生以前の問題だと思う。

そんな風に私も情に流されず、もっと大人としての対応をすれば良かったのに、ブログに面白おかしい読み物のように、先生私も慕って居ます誤解です、というものを書いた。それを読んで先生は納得して喜んだだろう。だがそんな必要はなかったのだ。豊洲のボスママ達もそう、私が「元キャナリーゼゆり子の豊洲にいたとき日記」を書いた頃に反省して改心すればよかったのに、そうしないもんだからぶった切った。

大学でも同じことが起こった。同じようにぶった切ればいいが、豊洲のママ友戦争と違うのは、恩情があるからだ。これは非常に困る。私が斬りたいのはたったひとり、それを斬る為にはあの先生や大学を一緒に斬ることになる。やるかやらないか、私はひとつの賭けに出ようとした。親友に相談し、その人が「自分ならこうする」という案を採択しよう考えた。やってもやらなくても私は将来後悔するだろう。だったら運命風任せで、誰かの言葉にすがってもいいと思った。でもやはりそんなのは迷惑だと気付いた。それはその人に責任が発生することにはならないだろうか。あの人が言ったからそうしたのにと。

代わりに近々ランチする予定の友達に相談してみた。相談したいと思っていたところにタイミングよく電話が入り、これこれこうで困っているがあなたならどうするか、と。その人は私を良く知ってくれているしブログも読んでいるので「ああ、そうだったの」みたいな感じで納得してくれて、「どうしても納得できないことってあるよね。やるだけやったらいいと思う、でないと後悔する。でも子どもがいるんだから、事件に巻き込まれないように。窮鼠猫を噛む」と言われた。

私は人の言うことはきかないが、本当に私のためを思ってくれている言葉を嗅ぎ分ける能力はある。なのでナースコスのIさんの言葉も納得できたし、今回もそうだし、よく喧嘩はしたけれどあの弁護士の先生の言葉も訓えも私に染み込んでいる。今回の件で相談したり話したりして「私のことを慮」ってくれたのはこの三人だけだ。あとは自分の保身、身分的役割、職務、そんなところから最も穏便に、大学の不利益にならないようにというものだけだったと思う。でもそれはそれでいいと思う。組織の機関というものはそうあるべきだから。

そして、もうそろそろブログにギャーギャー書き散らかすのは終わりにしないといけないとも思う。何故ならこんな事に時間をとられていては、他の事ができなくなるからだ。今は様々な組織はお休みで、そちらの仕事も出来ないからいい。でもこの連休が終わったらまたやらないことが山盛りある。そうしたものへの悪い影響は極力ないように留意し、新たな活動新しい作品も書きたいと思う。大学にいる間に様々に書きかけては途中の長編小説がふたつ、ノンフィクション小説がひとつ、暮に書いた一万字小説は3万字程度にして何処に出してみたい。

こんな風に気持ちが切り替わったのは、この先生の言葉がある。



そしてその先にリンクが貼ってある言葉を読んで、私は驚いた。これ、多分私へのメッセージでもあると感じたからだ。私の辻先生ラブは昨日今日始まったものではない。辻先生もずっと以前から私の存在はご存知だったはずで、もしかしたら私が抱えて困っているものも当事者か誰かに聞いて知っているかもしれない。

その上で様々に私を、そして辻先生もかつてはいらした組織を心配してメッセージを書いてくれたわけです。ありがたいことです、本当にそう思います。でも大学側に対しても書いてみて欲しいと願うのは欲張りでしょうか。生徒がそうならないように、そういう感情と共に去らずに済むように采配するのも先生の仕事、大人なんだから言われなくてもわかれというなら、だったらそういう態度が必要だと思う。

それ以前に、人と人が争う時、どちらか一方が悪いというのはほとんどないとわかっています。イジメとか嫌がらせというのは、その人が妬ましいという気持ちから発生することも熟知しているつもり、なのでそれら一切無視して、自分の幸運をただただ感謝する機会にしたらいいとも思う。でもそうしていたら、私の子どもや大切な学友達まで狼藉する馬鹿がいて、それを叩くのは私は致し方なかったとも思う。喧嘩したり無視しあったりというのも何度もあったが、一緒の学び舎で学んだ人達は私の大事な学友で、その人達が酷い目に遭うのは我慢できなかった。 

でも辻先生がここまで言って下さるなら、私は「我慢」します。そして大人になります。あの人達は本当に大人になりきれない大人もどき先生もどき、そういう人達をまともに相手にする自分は同じレベルなのだとわかっています。大人には大人のやり方があり、私は裁判も経験しており、この問題をどう転がしたら相手にダメージも与えられるかお金になるかもよくわかっている。そして私は勝ったとしてもちっとも嬉しくないと思う。「お金目当てだった」などと的外れな悪評をまた拡散され、新たな争いが起こるだけだろう。

なので私はもう一度学長に手紙を書いて出す。それが届いたか届かなかったかは「コナン」に監視させる。自分が監視する役割になればあの人は握りつぶす事も出来ず、それは今度は必ず届き返事がくるだろう。その返事についてはどんなものでもかまわない。謝って欲しい訳でもないし、労わりが欲しい訳でもない、非難の言葉でもかまわないと思っている。ただ、それがその人の本心であって欲しいと願う。私がコンビニ大学ロボット先生達の集団と非難した京都造形芸術大学のトップが「そうじゃなかった」と思えるなら、私は何もかもに感謝と共に大学を卒業出来る気がするのだ。 

一生徒が偉そうにと思うなら思えばいい、雲の上にいて、蜘蛛の糸をつたって昇ってくる者者を眺めるような気持ちでいるならいつまでもそう思えばいい。でもあなた達の乗っている雲は、私たち学生という「カスタマー」が造り上げたものでもあるということを忘れないで欲しい。

私たちは高校を卒業したばかりのティーンではない。人生の酸いも甘いも噛み分けた大人ばかりだ。「目上の人」たちもたくさんいる。そうした人達に敬意も示せず「俺の生徒だから」と馴れ馴れしく扱い偉そうにする。非常に不愉快と思っている通信学生もたくさんいるようです。私はこの一年間憤怒と共になるべくたくさんの生徒からこれらインタビューしてきました。プラス数々の問題発生。私の件は氷山の一角だ。

「人間として大事なことは、そこを離れるときに、揉めないことですね。相手を汚さないこと。
この世界に唾を吐きかけないことです。簡単そうですけど、意外と難しい。
なぜなら、自分は常に正しいと誰もが思うわけです。相手の立場なんか何も考えないで。」

辻先生から本当に難しい課題を頂きました。でも本当にそうです。今回の件では大学も私も学友達も、誰もが「自分は正しい」と思っているから起こったことでしょう。

「 敵なんかいないんですよ。
もしいたとしてもそれはたいした敵じゃないです。」

わかっているんです、私のような一生徒を妬んで先生を使って嫌がらせをしてくるような人、相手にしなければ良かったんです。でも、N先生が本当にお気の毒に思ったんです。先生は日本でお寂しい、なので同じように寂しい気の毒な境遇の部下と共鳴してしまった。だってあの人友達が誰もいないみたいで。Twitter、note、togetterをみるとそれがよくわかる(私も人のことは言えない笑)

朱に交われば赤くなるというとおり、N先生は部下のハラスメントを抑止できなくなってしまった。止めたらまた一人になると思ったから。N先生、ひとりって寂しいですか、結構楽しいですよと言えるのは私には家族がいるからなのかもしれない。私の身体が五体くらいあったら一体派遣させるのに。私は楽しくてcuteで寂しくなる暇なんてなくなります、代わりに噛んで振り回されて夫のようになります。あらじゃあ幸せじゃない。それから友達は選ばないと、あなたの人生に黒い染みが出来てしまうことになりますよ。もうそうなりかけたでしょう、あなたの悪い友達のせいです。

「急がないことがまずは一つの得策ですな。
もし、不満があっても結論だけを追い求めないこと。結論とは無理やりに結んだ論でしかないのですから。
そのような決着はよろしくないわけです。答えなんか、そもそも、ないのかもしれませんよ。」

大学を卒業するまでに決着したいと思っていました。本当に無理やり答えを出そうと考えていました。でも先生の言う通り正しい答えなんてないのでしょう。急がないこと、それから多分「許す」ことが必要なのでしょう。でも今は無理です。でもそのうち誰かが現れるとか時間が解決してくれるのかもしれない。待ってみることにします。

それから私だけじゃない今大学にいる今回様々に問題を起こした先生達も反省してください。これも偉そうと思うなら、もうあなた達は先生の資格はありません。静かに大学を出ていって下さい。この学び舎はあなた達が好き勝手していい場所ではありません、私たち生徒達のものでもあります。ともかくまずはブログに何もかもをぶちまけるのはやめることにしました。この点は約束します。代わりに大学側はきちんと対応してください。

以上です。

懇親会の日の学舎、悲しいほどお天気でした。

私は辻仁成先生に教えて貰えると期待してこの大学に入学した。直接は叶わなかったが、最後の最後、私のピンチに手を差し伸べてくれたという奇跡。やっぱりこの大学に入学して良かったです。辻先生は、やっぱり私の師匠だった。 先生、私の最新作読んでみて下さい。 私もフランス行ってみたいなあ。ソルボンヌキャンパスが出来たら辻先生はまた先生になって下さるだろうか。

「どうしてあの人は変わったことが好きなんだろうねえ、寝袋で寝るとかさあ」と朝からブツブツ夫が言っている。娘がすることなすこと理解出来ないと夫は時々嘆いているが、私は全然そう思わない。子どもってそんなもんじゃない?それにきっと「私に似たんだよ」。児童心理学的にいうと、子どもの性格は6歳くらいにほぼ決まりずっと多分かわらない。多分と書いたのは時々様々に気が付いて変わることもあるからだ。それは大きな難問を本当に自分の力で乗り越えた時とか、本当に変わらないと命があやういとかそういう事が起こると「自分で変えよう」と思うこともあるそうで、あと大病すると変わることもある。自分の命が消えかかったショックで、ということなんじゃないだろうか。

私はこれに充てはまるかなあと自己分析している。本当に豊洲のママ友戦争で死にかけたし頭の病気にもなった。鬱とかパニック障害って心の病といわれるけどあれは脳の病気でそれに気が付いた博士とか頭のいい人がそういう脳にプロ―チする治療法を考えてすごく効果があがってるそう。そのうち日本にも入って来て悩める人達が治癒されていくし私も飛行機に乗れるようになると思う。でも日本って遅れてるからなあまあ役人が遅れてるから仕方ないけれども。話を戻してでもそんな風に大人になり性格が変わるなんての何万人にひとりくらいだろう。大人になって変わったという人がいるかもしれないが、それはもともと持っていた気質を表面に出したというだけで、変わったのではないこともある。私も先生のお蔭で変わったと前に書いたがそれはやっぱり小さな頃からもともと持っていたものだったとも思うし病気のせいでもあるし運命が掴んで辺りを変えたとも感じる。

なので夫は娘のことを色々心配するけれど私は全然心配じゃない。きっと娘は私のように生きると思う、だったら大概のことは大丈夫だろう。それにもうひとつ興味深いことがあり、子どもの性格は子どもの意志で決まることもある。例えば両親をみていて「どっちが得か」と考えて利己的な方の性格をみにつける。色々なケースがあるが十人十色で様々な要因が重なり性格はできる。でも出来たら変わらないものと思った方がいい。悪い人は永遠に悪い事をするしいい人は善行を積み重ねる。それぞれ好きな事をしているともいえる。なので娘は私に似て、私は実家の父に似ている。あの人は本当に気まぐれで自分の好きなように生きた人。仕事だって浮き沈みが激しくてママンは苦労していたが、私はこどもなのでこういうもんだと思っていたが、夫みたいな人と結婚したのはいろいろ自分なりに思うところはあったのだろうと感じる。非常に満足。

いつもの如く前置きが長くなったが今日はここでちゃんと改行。またいい事を思いついたのでまだまだ夢の段階だけれど書いてみる。

三店舗に増やして信頼できる人に託すことにした「豊洲こども食堂」、これはまあ一年くらいかけてぼつぼつやるので置いておいて、というかいい感じに空気が温まってきた。私の人を見る目は間違いない、というか三店舗のうち西地区は若い人にお願いすることにした。北はいい人がいたん、この人にゆくゆくは三店舗のとりまとめもお願いしようと思っている。今やっている豊洲小学校エリアはもう何もかもベースができているから誰にお願いしてもいいけど、やっぱり豊洲商友会に繋がる方がいいと思う。そうすれば豊洲商友会の財産ということにもなり更に豊洲のイメージアップに繋がるし、微々たる感じだけれど色々な意味でご恩返しが出来るのではないかと思う。

そういう訳で「豊洲こども食堂プロジェクト」は店舗経営だけでなく様々な試みをやりたいと書いたが、まず何度も言うが「豊洲こども食堂プレゼンツ香山リカ講演会「今なぜこども食堂なのか」」というのはまだ日程もご本人に承諾も頂いていないが今年の年賀状にその旨書いたのでなんとなくそうなんだと思って頂いているように思う。何故香山リカ先生なのか、私にとって香山リカさんはただの有名人ではない。様々な教えを賜った先生でもある。もう5年くらい前にも「香山リカ講演会」を企画してそれは大成功だったと書いたけれど、それからも様々に教えてもらったことがあり、香山リカさんがいなかったらこども食堂だってやってなかった。そして香山リカさんの講演会をいつかもう一度やりたいと思っていて豊洲小学校PTAにもちかけたけれど却下されて、それなら自分でやるからいいと思っていたらこども食堂をやることになり、ここ繋がりでやればいいと思いついた。正直その前は京都造形芸術大学の「こども芸術大学」をベースにやるつもりだったのにあの時活動費の申請出してとせっつかれた割に結局採択されなくてお金がもらえなくなり、「もう自分で営業かけてやるからいい」と言った通りになった。あの時の講演会の資料だってしっかりとってあるのでこれもいつか公開したい。そう、講演会の日程や処々決まり広告宣伝をする時に「前はこんな風にやりました」と公開すればいい宣伝になる。今はやる事多くて手が回らないから勘弁してください。そうだ豊洲シビックセンターに会場の件も聴いておこう。

で、それをまずやるでしょう、その時は来場者がびっくりするくらいたくさんのお土産を持ち帰ってもらう予定。お土産の中身はカレールーなどの食材から文房具化粧品、そうだマナラにもなんか出させよう。えみりちゃんなんか広告塔にしてもう私えみりちゃん見損なった。でも会場の受付とかやってくれるなら許す。店がもうからないからってさあ呆れる。あそこのユーザー顔がブルドック化するんでは あんな固いジェル で顔こするお金があるなら こちら に支援して心磨いたら?ってジェルの宣伝しちゃったじゃないのこども食堂のイベントの時はジェルでいいから300個頂戴。だって豊洲シビックセンターホールの座席300席あるから。

それは置いておいて、つい最近「豊洲こども食堂は食品ロス問題あにも取り組む」って書いたでしょう。あれちょっと進展があって、UHNCRに電話してみた結果を書きたい。「いつも募金や支援金を募っているけれど物資はいらないのか」と聞いたところ、あの私がいつもdisってるブラックユニクロが店舗で古着を回収したものを支援国に送っているというじゃない。ああ、ああ、確かになんかユニクロの店舗でそういうのみたことがあるわあと思って色々聞いてみたのよ。どこにどれだけ送っているのかとか、輸送費は誰もちなのかとかどのくらい費用がかかっているのかとか。そして私は閃いた。そしたら古着と一緒に日本で余っている、特に今私のところにコンタクトしてくれて大量の食品をくれる日本食品ロスリボーンセンターさんの災害支援物資をついでに一緒に持って行ってもらえばいいじゃない。ユニクロがブラックブラック言ってるけれど私はららぽーと豊洲に行くとユニクロかGAPかアースでしか服を買わない。しかも50%以下にならないと買わない。でもこの三店舗の製品は100枚に1枚くらいすごくいいものがあり、私の定番のデニムはいつも990円になったら買うキッズの150サイズしかもBOYSの方がラインが綺麗でダメージ具合も色々あるしというすごいユニクロ愛用者でもある。

ブラックブラックというのは従業員をこき使うだけ使って恨んでやめてく人達への手当てがなっとらんと思うだけで、こうしたいい活動もしているし、以前は地球の緑を守るとかやっていてあれもとても良かったと思うけれど今回の古着を支援国というのもいいと思う。なので一緒に食品を送ってYOと柳井さんにお願いしてみようと目論んでいる。日本食品ロス・リボーンセンターさんにもちかけたらまず私とお会って話したいと言ってくれて、でも今月のこども食堂終わってからだなあと思っていたら先方もその方がいいらしく、こちらもいい感じに空気が温まってきた。会うってただ会って食品貰うだけじゃない、「難民キャン部に食料品を送る」という壮大なプロジェクトを発足させる足掛かり的なものにしたい。

なぜまだ終わっても成功するか失敗するかわからない事をいちいちブログに書くのか。それはみんなに見てもらいたいからで、これを読んだ人が「そうか、そうすればいのか」と思って代わりにやってくれてもいいし似たようなプロジェクトを発動してくれてもいいし、まんまアイデアは使って貰っていいと考えている。

でも私のママ友戦争について書いているこれらブログとか作品とかをパクるのはやめて欲しい。もう本当にあっちでもこっちでもどこでもあの小説(桐野夏生大先生じゃないちょっと前に出たあの幼稚園バスがモチーフの小説よっ!)なんかまんまじゃない。本当に腹が立つわけ。でもまあ見るひとがみればあああそこのパクリとわかるでしょうし、そのうち私の方になんか話して欲しいとか書いてとか小説もヒットしてテレビ映画化とかする訳で、そうしたら色々賞がもらえて園遊会とかそのうちノーベル賞とかそうなると『私の履歴書』からお声がかかり有馬稲子も真っ青なセキララ事変を書いてみたい。

話が逸れたけれどこれをUNHCRとか日本食品ロスリボーンセンターさんとかユニクロ柳井さんが読んでくれて、私がもちかけたら「あああのブログの件ね」と思ってくれたら話がスムーズだし、現に香山リカさん講演会だってご本人や豊洲シビックセンターの職員の方々はもう心づもりしてくれていて、当日はシビックセンターの職員の方は手伝ってくれるだろうと思う。いつもこども食堂手伝ってくれている方々、これから他の店舗を立ち上げるために声をかけているみなさんも「ああ、そういう役もやることになるわけね」とわかってもらえる。香山リカさん講演の前座は私の小話とこども食堂の店長やってくれる三人を紹介する予定。

「今豊洲に三店舗のこども食堂がオープンしています。興味本位でママ友同士でつるんでくるのはやめてください。悩みがあったり困ったことがあったらひとりでもしくはお子さんを連れてきてください。こどもはお友達と来ていいけれどグループだけで固まらないでひとりで来ているお友達と仲良くそれは食堂以外でもちゃんと考えること」

という内容など。それで他の店長さんにもその想いや運営が大変だから副店長を募集することやボランティアをお願いしますなどと言っていただく。私の見込んだ人達だからあっという間に手伝いたいという人が大勢集まりそれはもしかしてバディや小学校でうちの子ども達を虐めた奴らかもしれないがそれはいいん、こういうブロジェクトに参加するってことは反省したってことだから。

そういう訳で今温まっている色々を経過報告として書いてみた。おおーあの人から年賀状が。なになに、まだファミマになってないですって?そうかー去年実は私サークルケイ本社に行ってきたなんだか懐かしくて。目当ての元上司的な人は偉い人になっていてでもせっかく偉い人になれたのにファミマに飲みこまれちゃってってdisるつもりだったけど、今忙しいから来年もう今年か飲もうって言われているけどうちに呼んでみようかなと思っている。そしたらマリさんもSさんも呼ぶよ当たり前じゃない。マリさん一度店でこども食堂やらせて?それから昨日メルカリの話のついでにカレーの話になり夫の友達がカレーメーカーで偉い人になってるって教えてあげたら夫は知らなかったみたいでびっくりしてて、近々お祝いで飲みにいくことになったとかいうから連れて来いって言ったら嫌だとぬかす。でもねえ、あの人あなたより私の方が気が合うし楽しいと思ってるよ。なのでこども食堂の時にこの人にカレールー頂戴と言おうかなと思ったけれど、夫の土俵でなんかするみたいで絶対嫌だと思って声かけなかった。でも考えて見ればもう私の友達でもあるし、今度会ったらお願いしてみようかなあ。

こうして考えると私繋がりの人って「食」に関係ある人が多い、しかもどんどん偉くなっている。なのであの元ママ友今は子ども全然関係なくなってる彼女が私を神さまみたいに時々言うのかなと思う。やっぱり「食神」が二人もついているだけあるのかもしれない。ちなみに人には三体神様が憑いていて、そのうち全部が食神だとよくないらしい。そのせいか私が家事で唯一ちゃんとやるのがご飯作る事、今朝もちゃんと七草粥を作って家族に食べさせた。でもこれ家事の中で一番大切なことなんだよ。服がよれよれでも家が散らかっていても人は死なないけど、ご飯が食べられないと死んでしまう。柳井さんにもそういう切り口で口説いてみようと思う。でも私じゃ失礼だから柳井さんへのお願いは偉い人にお願いするつもり。

このように京都造形芸術大学通信で培ったストーリーとシナリオを生みだす力はおおえかじゃない寒竹先生と門崎先生から学んだ。それから物事は一心不乱にやらないとダメとというのは千住先生と森田先生から学んだ。他にも様々に素晴らしい先生に巡り会えた。大学で勉強した事はこうして様々に役立っている。反面教師は言って申し訳ないけどN先生とおおえか。この二人ペアは本当にもうどうしようもないと思う。N先生は恩師だから嫌いじゃないけど近くにいるからこそ色々見えてしまって幻滅している部分もある。おおえかなんて最低最悪で同情の余地全くなし、だけどおおえかをぶった切るにはN先生、そして大学までも斬ることになってしまい、千住博先生辻仁成先生、色々教えてくれた先生達にも傷がつくことになりはしないか。もう散々斬ってるだろうって全然こんなものじゃないNHKでやってたみたいな深海の巨大生物みたいなすごいのがあって、私はこの巨大な問題誰に相談していいかわからず困っていてTwitterには夫に相談するのが一番いいだろうと書いたけれど、夫がなんていうか夫婦だからわかっている。でもそれは「ぬるく」ない?なのでここは親友に相談しようかなと思う。ちょうど親友も別のトラブルで、でも同じ温度で様々に悩んでいたけれど、「そんな人同情の余地なしだから」と言ったらわかってくれたみたいで解決はまだしていないが道は開けたようで本当に良かった。親友がどんな回答をくれるかわからないけれど、ひとまず相談だけしてみよう。また豊洲に来てもらえるだろうか。

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こういうの他人事と思える人が多いのが私は逆に不思議なのよ。小さな赤ちゃんもいて、多分この中では一番先に命を亡くすだろう。お母さんが食べられないとおっぱいが出ない訳で、飢えて死ぬことになるからだ。私はママ友トラブルで自分のおっぱいが出なくなったのに気が付かず、息子の体重が減ってしまったことがある。まだ言葉を持たぬ小さな息子がどんなにひもじかったかと思うと今でも気が狂いそうになる。なので今でもひとたび息子が「お腹空いた」というと死に物狂いでご飯を作って食べさせるし、そう言われる前にちゃんと用意しておく。私がこんな風なのに自分のおっぱいが出なくて目の前で自分の赤ちゃんが死んだらお母さんは狂って死んでしまうのではないか。少しでもそういう悲しい思いをするお母さんが減るようにと願うばかりだ。こうして赤裸々に書き殴っているように見えるブログにもちゃんと新たなお母さん達が私のようなママ友ショックを受けないように、あなただけじゃない私もそうだった、そしてブログを読んでママ友付き合いとかボスママの生態について勉強してねという意味がある。それを教えてくれたのはN先生でそういう恩もあるからぶった斬れない。本当に困った。

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柳井さん、やっぱり服も必要みたいね。もうブラックって言わないからご協力お願いします。服と一緒に災害支援物資食料を運んでください。水を注ぐだけで食べられるご飯やお粥、頑丈な缶に入ったクラッカーなどたくさんあります。今後はもっと何tという単位で発生すると思われるそうです。


なんとかだったお話シリーズの最終回。これも昨年暮れのお話で、書きたい書きたいと思いつつ今日になった。今日はもう3つも書いたので明日はお休み。明日は息子がスケートに行きたいというので連れて行く予定。急にどうしたんだろう、私がブログで外苑外苑と書いたのでまた何かデムパをキャッチしたのだと思う。スケートといえばバディで行った神宮外苑。あの時もう私を村八分にしたいボスママ軍団の勢力が最高潮の時で、あんなにお母さん達でひしめいていたスケート場で私に挨拶する人は誰もいなかった。そしてボスママ達がわざわざ私のすぐ近くにきて「ああん、こんにちわあ」とか「こないだは楽しかった」とか「アルバム委員があ」とかギャーギャー騒いでるわけよ。私はぽつねんと息子を参観して動画などをとるが、学年一上手かった息子より上手な子どもがたくさん出てきて、きっと打倒森生ゆり子それには息子に勝たなくてはと思う奴らがこっそり練習させたからだろうと思った。あのバディは本当にそういう「絶対誰誰に勝つ」という闘志を燃やして子どもを教育する母親が多かった。それがバディが終わった今は勉強勉強とうちの夫のようにガミガミ言ってやらせているのだろう。ふふん、ばーか、そんな事して子どもが勉強嫌いになるのがわからないのか。うちの息子なんて二年生なのに漢字テストピー 点だったよ?ちょっとこれはやっぱり問題があるので何か考えないとなあ。というところに娘が今日の晩ご飯を作っていい?というので「喜んで!」というところだが「ええー? うーん、まあ今日はいいか」とちょっと残念そうに言ったら大喜びでキッチンでガチャガチャやっている。これが「本当!やったー作って作って」というと、途端に「やっぱりいいや」となる。夫は娘のこういうのがよくわかっていないので、未だに勉強しろしろと押しの一手、独身時代もそうだったねあなた。 


まあそれはいいとして、昨年私は「トヨスアモーレ」というイベントにお手伝いとして参加した。最初は観に来てと言われていただけなのだが、私はこの時は来年、今はもう今年か、「豊洲こども食堂プレゼンツ香山リカ講演会「なぜ今こども食堂なのか」」というイベントをやりたいと考えていて、豊洲シビックセンターでミュージカルのお手伝いはしたけれど、演劇とイベントは違うだろうと考え、何か自分がやる時に指針になるだろうと考えお手伝いを申し出た。図々しいお願いだがお揃いのTシャツまでいただき、豊洲のドンのアテンドという大役まで頂いてしまい私でいいのだろうかとモジモジしてしまったが、なんとか失礼のないようにアテンドれたように思う。ドンは私を覚えていて下さり、キッザニア東京のゴージャスなセレブパーティでお会いした時も「こども食堂頑張ってね」と言っていただけて本当に嬉しかった。このドンさん何故かうちの息子が昔から「あの人すげーんだよママ」とか言っていて何がどうすごいのか全然わからなかったのだがやっぱりすごかった。そんな事がわかる息子ってすごいなとまたまた感心した。

そしてその話もおいておいて、その「トヨスアモーレ」繋がりで年末の「NTTDATAゴルペルナイト」に繋がりまたお邪魔してみた。これは参加費無料で誰でもみられる。NTTDATAアネックスという新しい方のビル、正面からみて右側の建物ね、そこの1Fでやるという。私はちょっとびっくりした。確かに広々としているけれど、コンサートをやるには狭くないかなあと心配して行ったらエレベーターを挟んで反対側が大きなロビーになっていて、そこで開催されるという。私はほっとして椅子に座るがどうもおかしい。よくよくパンフをみると、また時間を間違えて1時間半も早く到着してしまった。本当になんだか最近ゆとりがない。こういうブログを書くのもそうなる原因だろう。他にもやることが色々あり、卒業認定にかかわるとかやらないと誰かに迷惑がかかるとか期日ががっしりとか、もう家族や家のことが二の次になるのは致し方ない訳で、「今年から家事の一部を外注する」と言ったら「もう家から出てってよ」と夫が怒っていた。
   
時間を間違えたというと案の定息子も怒ってもう帰ると言い出す。まあまあららぽーとにでもあのドーナツ食べに行こうと誘うと「やぶさかでない」という雰囲気になり自転車の後ろに息子を乗せてららぽーとに行った。丁度卒論でららぽーとのドーナツショップを登場させたところで、「ああ、ここで主人公の梨花が息子にドーナツを食べさせた後に事件は起こるのだわ」と感慨深いものがあった。もちろん小説だけではなくて、ららぽーとのフードコートではいろいろな事があった。それでも今誰が来てもボスママ軍団が寄って集ってニラニラこっちをみても誰も挨拶しなくても平気になっているというのにも思うところあり、私が強くなったのではない全てが思い出に変わったからだと感じた。

息子は小説の主人公の子どもと同じようにドーナツを二つ食べ満足そう、その後隣のBEN&JERRYでサンプリングをやっているのを食べたらアイスも食べたくなったといいだし、いつもなら「一日一個まで」というのだが、このBEN&JERRYもフリーコーンディというイベントで並んだり息子と夢を語った思い出などがあり、今日はもうひとつ特別に食べてよいことにした。私にまで味見をさせてくれた店員さんは外国の方だった。なので「味見させて下さいって英語でなんて言うんですか?」と聞いてもう忘れたけどその時は英語で息子とお願いしたりして、いい感じだった。息子はもちろんチョコファッジ、私はチェリーガルシアが大好きで、私は歯にしみるからアイスクリームは好きじゃないけれど、ここのチェリーガルシアは別物でよく食べる本当に美味しい奇跡のような味だと思う。

そしてほどよく満足した息子と再びNTTDATAに出掛けた。行ったら開始時間になりすぐに始まった。

「俺コンサートなんか行きたくない」とゴネていた息子もだんだん調子が出てきて、目をキラキラさせて大人しく聴いている。次々と曲が演奏され、そのうちにスペシャルゲストとしてサンタが登場した。「わーサンタだサンタ!」と私も思わず大はしゃぎしてしまい、会場の三分の一の子ども達も含めて騒然となった。サンタはひとりひとり子ども達にお菓子の包みを渡してくれて、数があるのか私も頂いてしまい嬉しかった。だって大人になってサンタからお菓子貰えるなんてないでしょう。あーなんかいい事があるわあと感じた。

そのサンタが登場する少し前に、プロジェクターで「もしも世界が100人の村なら」が朗読された。これ、もう本当に久しぶりに観たけれど、自分がこども食堂やっているせいもあり、ご飯が食べられない子ども達、屋根のないところで生活している子ども達、それから災害や戦争で辛い思いをしている子どもたち、同じ地球の上に住んでいるのに君は屋根のある家に住んでご飯もお腹いっぱいだべ、そして学校に毎日通っている。どれだけ幸せがちゃんと考えなさいと息子に言ったけれど、よく考えれば専業主婦の身で大学に通わせて貰って家のことは外注するとか年末の掃除は結局娘が部屋を綺麗にしてくれて終わったとか、まあこういう人なので妬まれて色々意地悪言われたりされたりしても仕方ないのかなと思った。

ラストはゴスペルといえばこの曲。『オーハッピーディ』。『天使にラブソングを』でウーピーゴールドバーグが映画の中で歌った曲。観客と一体となり、何度も色々なパートを練習して最後は会場全員で歌う。もう~めっちゃ楽しかった!息子なんて行きたくないとかぶーぶー言っていたくせに、コンサート終わって家に帰るまでもずっと歌っていたし、おばあちゃんちのクリスマスパーティでも披露していた。本当に楽しくていい思い出になったと思う。きっと息子は大きくなって地球上のどこにいても、『OH!Happy Day』を聞けばこの日のことを思い出してくれると思う。ドーナツを食べてアイスを食べてそれからコンサート、100人の村の話を聞いてサンタが来て最後にみんなで歌ったと。

私はママ友ゼロのキングオブぼっちなので、クリスマスといってもママ友パーティとは全く縁がなくなってしまった。でもこうして街のイベントなどに参加して子どもも大満足私も嬉しいという聖なる夜、最高である。よく小さな頃に集団行動させないと大人になって困るという話を聞くが、私はそうとも言えるがそうでもないと思う。うちの実家はすごく人が集まる家だった。いつも誰かが来てご飯を食べ、「ひとり」を感じたことがない。なので逆に「ひとりになりたい」ともいつも思っていて、それは図らずも叶ったことになるのではないだろうか。社交性をつけさせようと実家のママンは様々に私を躾けた。それは役に立っているともいえるし、全然そうでないともいえる。こういうのも何かの采配、決められた役がぞれぞれにあり、「自分は変えられない」のではないだろうか。

コンサート会場は親子連れも多く、ママ友同士な方もいれば私のように単体のご家族というのもあった。でも本当に感激のクリスマスナイト。来年は是非参加してみては。というと豊洲はばーっと人が集まっちゃうんですよね。でもきっと大勢の方が楽しいからいいのではないでしょうか。息子も来年は誘えば喜んでいってくれると思う。ちょうど一年後くらい、どんな年末になっているだろう。ぼっちママは来年NTTDATAゴスペルナイトに集合ね♡   





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早く着きすぎてリハーサルをコンサートと勘違いして聴いているところ。道理で人がいないわけよ。

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本番は人がぎっしり。何もかも楽しかった!


2016年のチラシなのでこれみて2017年に行かないでね未来の私へ。

昨年の話ばかりで恐縮なのだが、12月18日の日曜日、お招きを受けて『いえすまいラブ!?』という舞台を観にいってきた。舞台作品に招待されるというのは初めてで、でも本当に行っていいのかすごく迷った。普段は迷う時はやめることにしているが、この時は違った。別の私が「どうしても観てみたい」という、可愛い私のためならと出かけてみた。場所は築地本願寺の境内にある築地ブディストホール、確かここって息子が出演した『みんなのミュージカル ホンク!』の劇団が別の舞台、確か『 青い鳥』を上演したところなのではと思った。調べてみたらそうだった。家から近いのもあり、ちょうど卒論も終わったところで時間もある。ご招待頂いた方にはお花だろうか食べ物の差し入れだろうか、色々迷ったがいつものパティスリーSAKURAでクリスマスっぽいお菓子をお土産に買って出かけた。

何故舞台に招待されたのか、理由を書きたい。私は興味があるとなんでも熱心にほじくり返すように調べるたち。多分2chで言われる「鬼女(キジョ)」というジャンルに属しているのだと思う。いったん誰かをターゲットにすると根ほり葉ほり調べて特定したり吊し上げたり晒したりする。「鬼女(キジョ)」というのは、「既婚女性」の略で、略して既女が鬼女と呼ばれるようになった。もうひとたび狙われたら絶対に逃げられない。もう地の果てまで追いかけられて追い詰められ何もかも晒され息の根を止められてしまう。私にもこういう性質はあるが、2chではやらない。そういうのってするといつか自分に還ってくると思うから。人の嫌がること、やめてと言われたらやらないしなるべくしないように気を付けている。本当にそう、でも「やめて」と言ってきた人はあの朋輩だけ、もちろんそう言われたことは削除した。あっちはどうなのと思うけれど、彼女はもうスルーすることにしたのだろう。それにあれは私の愛だ。なんて、ごめんね。そのうち綺麗にしとくから。

まあそれは置いておいて、そう言う訳で私はおおえかが一体何者なのか知りたいと思っていた。何やら劇作家だと聞いていたが、それはそんなにすごいのだろうか、そしてどんな作品を書くのだろう。大学の講師一覧のところにOの情報も何も書かれていないし、Faceookもやっていない。こう言ってはなんだが、ショービジネスをしている人は必ずSNSで何かを発信するというのは、息子のミュージカルで様々にお知り合いになった俳優女優の方たちから学んだ。発信することで自分や自分の想い、これからの夢を語るというのは大切な戦略とまではいわないが、上手く使ってイメージを創るというのはセルフブランディングと共に宣伝広告になる。何故彼はしないんだろう。

そこで私の得意技、ネットリサーチをした。私の検索力はあのMicrosoft 時代に培ったもので、あそこは世界中にサーバーがあり色んなチームが研究開発を勝手にやっていて、そこで知りえた情報をセキュリティをかけながら好き勝手にアップしている。その子細に枝分かれしている情報の山から自分に必要なものを様々なキーワードで検索していくのだ。それも英語だよ?もう死ぬかと思って本当にこの時も死にかけました。どうしてこんなチームに来ちゃったんだろうと大後悔したりして、まあそれはいいけれどそこを出た後に色々な事件に巻き込まれたりこうして何か必要な情報を探すというのには十二分に役に立つようになっている。だって日本語、もしくは簡単な英語でいいんだもん。技術情報はそうじゃない、本当に苦しかった。

で、調べたらkyoku_hoku というのがキーワードだとわかった。以前O(=おおえか)の上梓した作品のtogetter などみつけ(これも削除した模様)、そこから更に調べるとTwitterとnote(これらも全部削除された)をみつけた。それも隅々まで読みこみ色々わかったことがあった。他にも調べ方があり、削除されているもののプロフィールのキャッシュなどからも見ることが出来るものがある。東京生まれ東京育ちだとか、なのになぜ京都造形芸術大学しかも通学生として29歳で入学したのだろうとか、去年大学に講師助手として来るまで何をしていたのだろうとか、この大学は学費も高いし東京から京都の大学となるとひとり暮らしとなり生活は大変だっただろうとか、あの貴族をdisってイジメたもの気持ちはわかるとか色々。苦労したことがない人はわからないと思うが、お金がないって本当に大変なのよ。私も一人暮らしの時は貧乏だったでえ~今もそんなに変わらないともいえるけれど。

お金なくて一足しかないストッキングを破れないように毎晩手洗いしてはいていたし、給料が入るとまずお米を5キロ買った。お米さえあれば飢え死にしないから。自分はともかく他人の情報をほじくってと怒る人がいると思う。でも彼は脚本家といってもまだ一作品しか上梓していない、その前は舞台俳優だったそうだ。なのでいい先生を上手く演じられたのだろう。でもそれ別に悪いことでもないし、模倣がホンモノになっていけばいい。それに俳優が先生やったって全然いいと思う。でもいい先生を演じながら陰でこそこそ自分が生き残るために策略するのがどうなのと言いたいわけ。おまけに「大学やめたい」「もう行きたくない」「単位のために我慢して授業受ける」なんて生徒を量産していてどうなのと言いたいのです。

そこから更に『イナズマ』が上演された劇団の次回作を発見し、その作品の出演者俳優募集とある。もちろんするつもりはないが、何かわかるかもしれないとメールを送ってみた。でも全然返事がこない、「もし返信がない場合はこちらに」と書いてあるメールにも同じ内容で送ってみた。これも返信がなかった。私はOがサイト担当で、私からのメールを無視していると思った。だが違った。名前を出すとご迷惑になるといけないので伏せるが、そこに多分何かで関わった方なのだろう。その演目はもう終了していますが、別の劇団でこういうのがありますので来ませんかとご連絡を頂いたのだ。確かにみたら2016年3月に終了したものだった。

私はこの方にOの話は一切していない。もしかしたら友達なのかもしれないし、聞いたら傷つくかもしれない。私はOについて調べるつもりでこの方に接触したことになり、知ったら色々思うところもあるだろう。メールしていきなりお誘いを受けたのではない、Oの作品の次に上演されるのが私の故郷がモチーフになっていたからだ。なのでシナリオが欲しいともお願いした。外部に出さないという約束で送っていただき、そんなに演劇に興味があるならとお招き下さったのだ。なのですごく申し訳なく辞退するつもりだった。でも可愛い私が行ってみたいというじゃない、私に負けたのだ。

私はOが昨年文芸フリマで出した『キョクホク』を手に入れていた。Iさんが持っていたので「頂戴」といって奪った。でも今はもう手元にはない。自分達の文芸フリマの時の参考資料に持ってくるように誰かに言われ、持っていったらどこかに消えてしまった。多分Iさんが取り戻したと思われ。でも読んでも何がなんだかサッパリわからなかった。なのでお招きいただいたものも、多分何がなんだかさっぱりわからないものだろうと思ったが、そんな事はなかった。スターウォーズのストーリーがわからなかった私にも何がどうなっているのかよくわかった。そして、とても面白かったのだ!!

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招待されたから気を使っているとか思ったらお門違い、特に私が観たのが千秋楽だったせいか、熱量も半端なかった。文芸コースの授業で「作中作」という技法を学んだが、「劇中劇」というものもあり、文字通り笑いあり涙ありであっという間に時間が過ぎていった。最初は「東京03」並みにコントが展開するのでこういうのがずっと続くのかと思いきや途中でシリアスなシーンが入ったりお色気ありで観客を飽きさせないスピード感。それに感心したのは(偉そう?ごめん)配役がどれもピッタリ決まっていて違和感が全然なかった。どういう事かというと、例えばテレビドラマで近々放送される『不機嫌な果実』、あれは原作林真理子さんだけれど、その続編を誰かが書いた脚本で放送されるそう。ストーリー、うーんちょっと待ってよ、続きってまた同じような展開で、主人公が新しい旦那さんに飽きて新しい男によろめってそれはないじゃないと私は思った。人生には様々なステージがある。ちゃんと林真理子さんの書いた原作のものは、主人公が今度は子どもが欲しいと色々策を練るところでラストだ。だったら次は子どもが産まれてママ友の世界でよろめいたり戦ったりマウントしたりという世界があるはずだ。なのに相変わらず旦那と二人家族ですったもんだしている。しかも主人公があの人、もー全然わかってない。そういうずるい事を考える小悪魔的な女性はむしろあの脇役のあの清楚で可愛いくみえるあの人のほうがしっくりくる。元の旦那と現旦那も逆、テレビみないのでドラマみない思うけれど、ネットで相関図をみてチラチラまたいらんことを考えてしまった。そういうのが『いえすまいラブ!?』にはなかった。構成もストーリーも全然違和感がなかったし私もこういう作品を作りたいと思った。

最後の最後千秋楽ということなのか劇団の団長が力いっぱいの挨拶をしていた。「みなさんが支えてくれているので私たちは上演することが出来ます」というもの。観に来て良かったと思った。やっぱり現場に赴き自分の目で確かめないと何も本当のことはわからないとも感じた。息子のミュージカル、私は受付も裏方も広報もチケット販売も後方支援も全部やってみた。それはもちろん強制でなく希望者だけで、そんなに頑張らなくて良かったのだけれど、先生達、そしてプロ、アマの俳優たち、毎日毎日全力で「いいものを創りたい」という熱意に溢れていて、よく倒れないなと感心していた。なので自分も何かしたいと奮起してしまった。そのお蔭で面接授業の単位が足りなくなり卒業が危うい事態となっていたが、あの時没頭した様々な出来事は全部自分の力になったように思う。卒業制作を最後の最後までやれたのは、あの時槌かえた力のお蔭だと思う。舞台を作るってこういうものなんだよとよくわかった。本当に驚く程のリソースが集まってひとつの作品になる。なので私は第二期今年の回は息子を参加させなかった。もう嵌りこんだらこればっかりになるのは目に見えていた。また同じようにからっ空になるまで力を使ってしまい、きっと周りが見えなくなるだろう。そういうものに憑りつかれたのがビュアーマリーの先生達なのだろう。本当に演劇の世界は底なしの魅力がある。

『いえすまいラブ!?』も同じだった。きっと舞台に憑りつかれ、死に物狂いで準備して上演している関係者の方々。すみません、私正直「つまらなかったらdisってやる」くらいの勢いでした。舞台に関わる人達全員oの仲間で私とは敵なんじゃないかとか。でももうサッパリと反省しました。本当に良かったです。今度は自分でチケット買ってみにいきます。何事にも全力投球、こんな素晴らしい仲間達に囲まれている筈なのにOはなぜあんな風に色々な人の足を引っ張るような事ばかりするのだろう。それは多分自信がないせいだと思う。私がTwitterをほじくりだしたらあっという間にアカウントを削除して逃走してしまった。「だからなんだよ」くらい言うのかなあと思っていたのにnoteに書いたブログまでdeleteして。でもそれ、自分の書いた「作品」ともいえるのでは。私も時々出したり引っ込めたりする記事があるけれど、自信がないんじゃない逆で誰かにまたパクられたら嫌だと思うから。おまけに「ストーリーとシナリオ」の教室に何度か顔を出したけれど、「あっ」という顔をしただけで挨拶もなにもない。普通なんか言うでしょう色々あったんだから。私も何も言わなかった。本当なら「ねえ、なんか私に言う事ないの?」と言いたかった。

それにあの授業、びっくりする事に定員80名出席者27名で「定員オーバーなので」って私は出席できなかったんだよ。しかも授業の資料は出席予定の各生徒に事前に郵送されていた。今までそんな事一切なかったでしょう。普通は後ろの机に授業で使う資料がすらーっと並べられ、生徒が各自一枚ずつとることになっている。多分私が教室に来ると思って伏線を張ったのだと思う。そこで私は授業を受けている生徒に色々と聞いてまわった。すっごく面白い感想が色々聞けて、やっぱり私の主担任の先生が授業を担当すべきだと感じた。うん、今日はもうこのくらいにする。

そういう訳で思わぬ展開になったOサーチは、演劇にはまる人の気持ちがよくわかり、やっぱりライブはいいという、自分も下手したらその世界に嵌ってしまいそうだという展開になった。私もシナリオを書いてみたい。

んん?なになに?

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ぎょえー!楽しそう。でも私今こども食堂が佳境に入って来て、他にもやらないといけないことが。しかもこっちに出るならホンクに出てよと先生に言われそう。息子が演っているときにほわーとしたお誘いがあったがびしっと断ってしまった。本当はやってみたいです、でも私が出るなら息子がやらないというし、自分よりもっと子供たちを慮ってという深川のお父さんからの戒めもあり、私はこちら方面は観客に徹することにしたい。

しかしこの石井さんという脚本家は天才なのではないだろうか。今度観に行く時はお話してみたい。また観に行きますのでよろしくお願いします。皆さま生まれたばかりの演劇集団「一人前企画」をよろしくお願いします。

※こんな記事をみつけた。そうか、2005年にも上演されていたのね。何もかも見つけてしまうなあ。鬼女って怖いね!


こんな情報も笑

暮(2016.12.10)にあった京都造形芸術大学通信教育学部外苑キャンパスでの懇親会の前に、千住博先生の講演会があった。私は元々千住博先生はそれほどファンでもなかったし、村上隆とごっちゃになり京都造形大の先生紹介のところにある上村博先生が千住博先生だと勘違いすることもあったくらい。でも外苑キャンパスの二階に飾ってあるウォーターフォールは本当にいい絵で、この絵を描いた人がもともとは学長をしていたということはちゃんとわかっていた。私の人の名前を覚えられないという才能はここでも開花していたがでも今はもうしっかり覚えた。

千住博先生、私は素晴らしい先生のいる学び舎で学んだ事、文芸コースで色々酷い目にあったり遭わせたりした愛憎劇を差し引いてもたっぷりおつりがくるくらい良かったと思えました。そもそも京都造形芸術大学の先生達というのは端正な方が多い。研究熱心だし自分の道を一心不乱に歩いてこられ、それを生徒に惜しみなく開示するという方ばかり。でも最初に洗礼を受けたのがおおえかだったので、大学の先生ってなんの取り柄もない人でも誰でもなれるんだ、でも他の大学は違うのに京都造形芸術大学って本当にぬるい学校だわ、などと侮っていた。

なので千住博先生の講演も聞きにいくつもりはなかった。そもそも私は懇親会すら出るつもりもなかったのだ。もう大学なんかに行きたくないし、先生達の顔だって見たくもない。私を暗い穴倉に閉じ込めるような真似をして、それをつまみに懇親会と言う名目の宴を勝手にすればいいじゃないという気持ちだった。なのに当日私は大学から呼び出しを受けた。違う日にしてくれといったが、呼び出す先生の都合でこの日しかないという。じゃあ懇親会に出る人達と会わない配慮をしてくれと言い、それはどうにか通り二階に部屋を作るからそこにいきなりいっていいと言われた。私は大学の人々が千住博講演会だ懇親会だという楽しい催しに浮かれている中、こっそりと人知れず呼び出されそしてまたこそこそと帰る予定だったのだ。

それがなぜフィガロ仮面なのか。それにはこういう理由があった。

私の朋輩Wさんと大学のロビーで握手して別れ、懇親会でナースコスをしたおっさんI さんと駅まで歩いた。私はI さんに相談したいことがあった。今の私の現状がどう見えるのか、どうしたらいいのか一緒に考えてもらおうと思った。Iさんは2015年度入学の三年生編入生で私と同じ。この年度のムードメーカーで、色々disるがこいう点においては感謝しているし、人柄も信頼していた。ただ時々信じられないエロを投げかけてくることがあり、その点だけはちょっとなんともならない深い溝があるが、その他は本当にいい学友。しかも変にこまっしゃくれたり偉そうに訓示を垂れたり指図したりしない、いつも自分を低いところにわざわざ置いて人を寄せやすくする。そうしてだまくらかしてねーちゃんをパクッという策でもあると思うのだが、まあ私は着かず離れず距離を詰められたら先生にいいつけるという感じ。彼は本当に先生からも学友からも愛され、何かする時は必ず最初に旗を振ってくれて、おかげで学生生活は実り多き楽しいものになった。他の年度生の方に聞くと、そんなに楽しい事はなかったと聞いたりして、Iさんと同じ時代にこの大学に在籍できたというのは私は本当に運が良かったと思っている。

そしていつもは私はJRの方の信濃町から乗るのだが、この日は青山方面にいった。丁度銀杏並木が綺麗すぎる時期で人が大勢道に沿って流れている。並木通りのこじゃれたレストランは超満員で、なんかいい日にここに来たと思った。この通りがこんなに銀杏が綺麗だなんて全然知らなかった。ちょうど朝駅から大学に来る道すがら、「有名な銀杏並木はどこですか」とおばさん二人連れに聞かれた。地方からわざわざ観にきたそうだ。授業にまで十分時間のある私はスマホで「外苑 銀杏並木」とググった。だが銀杏が綺麗だとか降車駅の情報とか、見ごろはいつというものばかりで、肝心の場所が書いていない。四苦八苦してやっとみつけて教えると、嬉しそうにニコニコと立ち去っていった。なので丁度いいから自分もみてみようと青山に向かったら、あんれまあ本当に見事な銀杏。卒業する前に見られて良かったねえとIさんと言い合った。

で、ちょっと話があるんだけど時間くれない?と私が言うと、もう「綺麗な薔薇には棘がある」と言う通りにに嬲ろうと近寄ったものの散々刺されて瀕死状態のIさんは喜ぶどころか「な、な、なんだよう。怖いよ!いいからなんかあんならここで言えよ」とガクブルしだした。私は内心笑いながらも「まあまあ」と言いながら駅地下のライオンに誘った。その奥の店に今日ランチしに来たばかりだと言いながらライオンでビールを飲む。ぷあーうめーと言ったのは私。Iさんはまだ緊張しており、「なんだよう」とか「怖いよ」とブツブツ言っていて、おつまみもいらないなどと言う。はあーちょっとイジメすぎちゃったかなと反省しつつ、大学と私の関係とか距離感とか温度について、いち学友としてどう見えるのか、そして私はどうしたらいいのかと聞いてみた。

すると何かまた叱られると思っていたのだろうか誤解が解けたのか色々ぶっちゃけてくれて、「まああの人があんたの書いたものをどう評価しようが向こうの勝手なんだよ、だってあんただって好きに書いてんだろ」と言う。私はなーるほどーとびっくりした。そう、私は人がどう思おうが自分の書きたいように書くと決めてやってきたはずだ。なのにそれを悪く思う、というか書いたものでなく私に対して嫉妬して嫌がらせをしてくるというのだって向こうの勝手、そしてまたそれをニラニラと思うのも私の勝手。何もかもその人の自由な采配に委ねていい部分だ。私はまたIさんを見直し、というかこういう部分は彼はちゃんとしており、それはずっと私は評価してきた。今日もいい話が聞けて満足。ちょっと諸問題あるが、こういう人が先生になってくれたら生徒は学びの炎をじゃかすか燃やすかもしれないと思った。

それから彼はこうもいった。懇親会はコスプレで行く。去年のサンタよりもっと上行くやつ。彼の信条はなんでも楽しむことにあるという。先生、あそこにもコスで行くそうですよ。叱らないであげて下さいね。ということで、私はこれを聞いてまた「そうかーそうだよネ」と嬉しくなった。こっそり大学に行き、隠れるように話をしてまた人知れず帰る。なんて私には似合わない。だって私は何も悪い事をしていないんだよ。なぜそんな事をするかというと、これもN先生のためだった。N先生が私に顔を合わせずらいだろう、もう卒業だし静かに去ろうなんて思っていた。でもちょっと待って?ここまで私がする筋合いないんじゃないの、悪いのは向こうなのに!私を呼び着けたとある人もそう言っていた。もう遠慮しない!懇親会の日にわざわざ私を呼ぶ大学が悪いんやー!私もコスでいったる、私にとっての最後の大学のイベント、めいっぱい楽しんだル!!!!

ということでフィガロ仮面が誕生し、そしてN先生は喜ぶどころか激怒し、「あなたのそういう態度が私を傷つけるのがわからないんですか」という名セリフとあの名シーンが生まれた。全然そんなつもりはなかったし、あんなに先生が取り乱すとは全くの想定外。でも飲んだり食べたりで忙しい人達は気が付いていなかったみたいで、全員が全員注目していたという訳ではないよう。後からそれをリサーチしてくれた人がいて、知らない人もいるみたいだよと教えてくれた。でもびっくりして目をまん丸にしている人、驚きうつむいてしまった人などが目に入り、私はあんなコスで居たたまれなかった。

でもまあ「どう受け取るかはその人の勝手だろ?」という、今日はナースコスをしているIさんの言葉が脳内に響き「まあそうだよネ」と思った。そして「びっくりしたけど素敵だったあー映画のワンシーンみたい」と後に何度も何度も脳内再生されることになった。ということは何もかもIさんのせいとも言える。私は人のいうことはきかないが、面白そうだとすぐ真似をしたがる。うちの夫が娘に教育虐待をして児相や警察がくるが、「勉強しろ!」ということをきかせるのではなく、勉強ってこんなに面白いんだよーと見せてやればすぐ真似して勉強しだすのに。娘や息子は多分大学に行くのを楽しみにしていると思う。だって私が大学に行くというとキャッキャと出かけるからだ。大学は後の一年は苦しくて辛くて死にたくなったが、最初の一年は本当に楽しかった。でも今は開き直り楽しむようにしている。喜怒哀楽悲喜交々こんな面白い人間ドラマがあるだろうか、あの時とは別の意味で卒業したくなくなってしまったくらい。 いつかこれも小説に書いてみたいと思う。

そういう訳で懇親会と呼び出されたついでに千住博先生の講演を聞くことにした。有名人だし無料だし、卒業したら「あの千住博さんが学長だった大学」と誰かが必ず聞くだろう。その時に「うん、講演聞いたよ」と言いたい。なのでせっかくだからとまた一番前の席を陣取った。本当にすぐ目の前、はもう取られていたのでやや右横。でもここ丁度壇上の脇に千住博先生が立って話すことになり、また真正面といっていいポジション。私は大学の授業もいつも一番前の席で受講していた。一番前は学習態度とかスマホいじったりするとみられるという懸念があるが、代わりにがっしりとライブ感が味わえる。後ろの席なんてせっかくなのにもったいないじゃない!

千住博先生が登場し、お話を始めた。写真や外苑キャンパス内でたまにすれ違うのとは違う、生千住博。有名人とか偉大な人というのはどうやってああいうオーラを出すのだろう。オーラ屋さんがいて、だんだん有名になったり偉業をなしとげると、三越の外商さんのようにこそっとやってきて、「そろそろこちらなんていかがでしょうか」とアタッシュケースみたいな鞄からオーラを取り出しながら色々すすめてくるのではないかしら。そして「おおーこれは見事な」とか、「これはダマスカス産でなかなかこれだけのものは」なんて言いながら買うものではないだろうか。それはいいものは高い、でも似合わない人には絶対売らないというのがオーラ屋のポリシー。それをやぶって間違って売りつけるとその人に災いがもたらされてしまう。なので注意深く日々営業のターゲットを絞り、尚且ついいオーラを仕入れるために世界中を旅する。

そういうオーラが千住博先生にはあった。私は武蔵美に入る前に京都造形芸術大学通信のパンフを取り寄せたことがある。その時の学長は千住博先生だったはずだ。版画コースがなかったので武蔵美を選んびそれはそれでよかったし、その後京都造形に編入するとは思わなんだので人生何があるかわからないとも感じた。そして卒業の年に千住博先生の講演を聞くことになるとは。これも本当に偶然のたまもの運命としか言いようがない。この日大学に来るつもりもなかったどころか、懇親会のあるこの日だから近寄りたくないとまで思っていたのだから。 なぜなら懇親会にはN先生がくるとわかっていたから。自分じゃない、先生のために遠慮しようと考えたのだ。

講演の話。千住博先生はペットボトルのキャップを右手に持ち私たちに見せた。左手にマイクを持ち、「今私たちの住んでいる地球がこの大きさだったら、太陽はどのあたりだと思いますか?」というのがスピーチの始まりだった。こんなに遠い距離にあるのに太陽は地球を照らすという話から、プロジェクターで代表的な絵、特に浮世絵の話をされていた。専門が日本画なので日本の絵に造詣(ぞうけい)が深いのは当たり前だが、版画も日本画のひとつなのだと思った。浮世絵だから日本画でしょうと思うかもしれないが、あれは版画であって描いた絵ではない刷ったものだ。だが壮大な宇宙からしたらどうでもいい、そもそも「絵」だって人間か描いたものか自然が描いたものかなんて宇宙どころか地球からしてもそんな概念で縛られたりはしない。このボトルキャップのような小さな上にひしめいている生きとし生けるけものたち、人間という私たち、寄り添って労わり合い生きようというメッセージように感じ、様々な言葉を拝聴した。

最後にまた質問コーナーがあった。私はどうしても聞きたいことがあり、もしかして失礼かもしれないけれど、今聞かないともうチャンスはないだろう。私は今は文芸コースだけれど、もともとは絵描きだ。すごい!という絵を見ると普通の人はただただ感心するか、描いた人のプロフィールが気になるだろう。誰が描いたのか、どんな賞をとったのか、どこの出(大学など)なのか。私はまず「どうやって描いたか」が一番気になる。というより他はどうでもいいタイプ。でもたいがいいい絵を描く人はちゃんと学び賞もとり世間からもしっかり認知されている。もちろんウォーターフォールも知っていたし上村博も知っていた。でもこの絵をどうやって描いたのか知りたいと思っていたら、デッサンの授業の時の先生が「あれは絵の具を上からたらすんだよ」と教えてくれた。へえーそうなんだ、でも何故そんな事を思いついたんだろうというのが私の持ち続けてきた疑問だった。なので聞いてみた。

こういう質問をする時は躊躇してはいけない。自信なさそうに手をあげたりそういう顔をすると、場合によってはどうでもいい事を聞いてきたと捉えられるかもしれない。なので「どうしても知りたいんです」という態度で手をあげると案の定司会の先生が指してくれた。私は聞いた。

「私は二階の絵をみるたびに京都造形芸術大学に入学して良かったといつも思います。この絵を描く方法を思いついた経緯が知りたいです。あのウォーターフォールが誕生したビッグバンはどんな風でしたか」と。丁度宇宙の話を先生がされたので、あの絵の誕生を宇宙の誕生ビッグバンにかけたのだ。先生は笑顔になり、色々と話してくれた。でも場合によってはすごく失礼、というのは、こういうのって企業秘密的に教えられないという作家は非常に多いのだ。私が長年悩んでいたエッチングに彩色という技法、武蔵美まで行ったけれど誰も教えてくれなかった。武蔵美の版画の先生は他の人のやり方に興味がない先生が多かったのか、質問しても質問の意味がよくわからないようだった。でも今思えば頭の中でごちゃごちゃ考えるより千住博先生のように実際に色々やってみればよかったのだ。

千住博先生は先ほどの講演よりもすごく熱心に話し出した。話したくてたまらなかったというように。絵の素材を求めて深い杜に入り、そこで滝に出会ったそうだ。それを眺めているうちに天啓ともいえる何がが閃き、滝を描こうと思いつく。そこで先生は滝から流れるその一瞬を切り取ろうと、滝に合わせて立ったり座ったり、ちょうどスクワットのように何度も何度も目線を上下させたのだそうだ。実際に「こうやってね、こうね、だんだん疲れてくるけれどそれどころじゃなくてね」などと、その当時の状況を身振り手振りで懸命に再現していらした。

私のすぐ目の前なのでその先生の迫力にあっけにとられてしまった。その次に「滝だけじゃない、僕は崖の絵を描いた時はこうやって崖を魚拓みたいに紙にうつしとって」といって、手元のプリントか何かの紙を司会の先生にちょっと失礼と言いながら、肩に紙を押し付けて「こうね、こうやって写し取ったらちゃんと崖がとれててね」と言い終わらないうちにこれでは伝わらないともったのか、「こう、ほらね、こうやって」と何度も何度も司会の先生に紙を押し付けていた。目を見開き何もかもを教えるんだという気迫に溢れていて、私はもう最高に感動してしまった。

みっしりと超満員の学生たち、すごく遠い地方からわざわざ千住博先生の講演を聞きにきた方もいらして、全員が感動の嵐に包まれただろう。これが人にものを教える態度なのだと感じた。いい先生を演じるのではない、自分の立場なんて全然関係ない、自分の知っていること情熱を「教えたい!伝えたい!!」という熱量。この講演を聞いた瞬間から、私の中で画家千住博は千住博先生になった。京都造形芸術大学に入学して本当に良かった。心から思った。私の後に質問した人は感激のあまりわけわかめになっていて、でも気持ちはよくわかった。「千住博先生が学長だと思って入学したのに!」という恨み節まで飛び出し、千住博先生は唖然としていた。ああ、でも私が質問した内容、ウォーターフォール誕生の瞬間ビッグバン、先生の口からお話が聞けて、そして京都造形芸術大学にまた尊敬する先生が誕生したということは私的には大きな出来事だった。もうこれで大学の悪口は言えなくなったことになる。

コンビニ大学ロボット先生を創りだしていたのは全て事務局の差し金だった。大学の先生なんて冷たい感情を持たないalでも出来ると書いたけれど、すごい熱量で講演し質問に答えてくれる先生や、「あなたの態度が」と怜悧な日本語で燃えて突撃してくる先生、こんな熱血な先生がたくさんいる大学だった。卒業まえにそれがわかって本当に良かったと感じた。この日大学に来なければ全く誤解したまま卒業してしまうところだった。それもこれも自分が行動したせいと言われるかもしれない、でも目に見えない力がまた発動したともいえる。運命というやつ。何度も言うけれど、私は本当にこの日大学に来る予定はなかったし、出来ればこの日だからこそ近寄りたくないと決めていた。

私と千住博先生を遭わせてくれた目に見えぬ何かに大感謝したい。

と、いう記事を書こうと思ってまだ書いていないのに気が付いたのは、辻仁成先生Tweetが流れて来て、



design stories」のサイトがあるのに今更気が付く。そこに創刊記念として千住博先生×辻仁成先生の対談が記事になっていた。私は早速読みこみ、そうだ私の感動も熱がさめやらぬうちに早く書かなくてはとまた家のこともせずにこれを書いている。「千住博先生が学長だと思ったから入学したのに」と絶叫していたあの学生同様、私も辻先生が教授をしていたので京都造形芸術大学を選んだのもある。日本大学の国文学とどっちにしようかすごく悩んだ。小説の書き方をより学べるのはKUADだと思ったのもそうだけれど、辻仁成さんが先生ならこちらでしょうと来たのに、なのに私が入学したタイミングで退任されてしまった。

確かに辻仁成先生は通学生の先生で、通信教育の先生はしないかもしれない。でも去年まで通学生担当だった先生は、N先生が長年口説いて通信の授業やイベントにも参加されるようになったと聞いた。N先生GJ。なのでもしかして辻先生が未だに京都造形芸術大学の先生だったら、もしかして私の副担任とか少なくとも講演が聞けたかもしれない。私は入学してからずっとそれを期待していたがとうとう叶わなかった。そうしたらあのわけわかめになった方のように、「辻先生が教授だと思って入学したのに辞められてしまって!」と私が質問コーナーで発狂していただろう」

N先生が口説いて通信生の授業にと迎えた門崎先生は私の副担任をして下さっている。ちょっと怖いけれど先生的なスタンダードな威厳的怖さで、N先生のように取り乱したりおおえかのように策を練って人を陥れるようなことはないだろう。こういう先生らしい先生が外苑キャンパス文芸コースには不足しているのではないか。私ははこういう先生がコース主任には適任だと思う。この先生だったらこんな事態には絶対なっていなかったし、私は大目玉をくらうけれど私的感情で制裁などされなかっただろう。N先生は翻訳家だから職人的才能はあるけどマネジメントは苦手そう、人が良すぎて人を見る目もないと思う。門崎先生は私の副担任を引き受けてくれた、N先生がなんと言って私を引き継いだのかだいたいわかるし、それでも引き受けたということは私を疑わなかったということではないだろうか。

N先生、「冷静と情熱のあいだ」には何があるのでしょうね。私は愛だと思います。N先生、もっとしっかりしてください、何事も自分の目で見て確かめるようにしてください。他人を通して見た何かは本物ではありません。


senjutuji
辻先生、サイトの写真勝手に使いました。すみません。

話を戻してこのお二人が私の先生なんです、すごいでしょう。あー京都造形芸術大学に入学して本当に良かった。ミーハーな気持ちではなく本当に素晴らしい先生達。辻先生は私のフォロワーもして下さっている、Twitterしていて本当によかった。

でも千住博先生は対談の中で、ネットの世界が中心になってきた現状に警鐘を鳴らしてみえる。これは私も本当に同感で、どうしたら子ども達にそれがただの道具だとわかってもらえるのか悩んでいる。ネットは人の心も創造力も友愛も全てのみ込みブラックホールに送り込んでいる。でも取り込まれなければ便利なツールだ。これも冷静と情熱のあいだを行ったり来たりして考えないといけない大切な取り組み。いいアイデアはあるにはあるのでそのうち実行してみるつもり。ちょっと長期戦になるのでこの話はいずれまた。   

恥ずかしい記事を書いた後はもっと恥ずかしいものかすごくいいい記事でリカバーするのが最近のブームになっていて、卒論が終わったらといってよくもまあこれだけ色々書けるものだと我ながら感心する。私はそもそもブログに書くことがなくて困った事がないし逆に色々溢れてしまい書かずにはいられないようなところがある。これもひとえに私に熱心にブログをすすめてくれたWさんの言う通りにブログを始めたお蔭だろう。お陰で卒論にも書きたいものがあふれてしまい七転八倒さんざん書いて悩んで今回のものになった。彼女とは同じ年度の三年生編入で、彼女は私と違い二年じゃなくもっとのんびり卒業するつもりだったと最初は言っていて、でも私が「早く卒業して次のステージに行こう」という言葉に賛同してくれて彼女も二年で卒業することになったよう。時々彼女のブログをみにいくと「さっさと卒業したい」とか「あの授業お金払う価値あるの?」なんて堂々と書いてあり、やっぱり私と友達になれるのは彼女しかいなかったと思う。彼女と最後に会ったのは懇親会の前の授業で一緒に、一緒になったのか?違う、彼女は「ストーリーとシナリオ」に出席し私は同じスケジュールの「文化史特論」を受けたのだった。

最終日に外苑キャンパスのロビーで一緒になり、煩悩も葛藤もなにもない笑顔で話し握手をして別れた。彼女は懇親会も卒業式も行かないとキッパリ言っていて最後まで清々しい人やわと感じた。彼女はひとり社長として大成しており、私のようにもったないからじゃない行くのが無駄と思っているようだった。結局彼女は大学帰りの飲み会お茶会それからイベントには一度も出席しなかった。冷たいと思う人もいるかもしれない私も一時は思ったけれど、今はとても彼女らしいと思うしそういう人がいたって全然かまわないと思う。だって私もそうじゃない。私は豊洲のママ友界を否定したのは自分が出されてしまったからで、そういう集まりは正直嫌いじゃないし上手くいっていたら大学にも入学しなかった。でもやっぱりひとりで色々出来た日々、さみしいと思うこともあったけれど私らしく生きた時代だろう。色々なもので人の運命は決まると思うし、その人がやりたいようになんでもやればいい。私たちはお互いの言葉で違う運命になり、たぶんそれぞれにとてもいい結果をもたらしたと思う。これぞ学友だろう。私は「結局大学では友達ができなかったけど」と書いたけれど、こうやって切磋琢磨しあった間柄の人もいたわけで友達が出来たと言ったていいだろう。

誰かとつるみたがらない彼女が一回だけ興味を持ってくれたのが太宰治のお墓参りの話しで、今度行くことがあったら誘ってねと言ってくれて、私は言われてから結局一度も行っていないのだけれどまた太宰が私を三鷹に誘ったのだと怖くなった。そしてまたそう感じることがあり三鷹に行かなくていいように師匠のところに行くのをやめて茗荷谷に新たな学び舎もみつけた。でもやはり太宰の影はいつまでもつきまとっているのだと感じることがあるのは私が自意識過剰なのは言うまでもないが、運命ってやっぱり決まっているのかなあなんて思った。「私はまだ死ぬつもりがないのですみません」と太宰の墓前に祈ってから夢枕に立たなくなった太宰治。正直彼がこんなに人気なのがわたしにはイマイチよくわからない。なんか書くものが破壊力が大きすぎて意味不明だし、同じ時代のものだったら芥川龍之介や森鴎外などの方がよほどしっくりくる。

特に私は森茉莉とはもう友達だし、友達のお父さんなので応援したいわけで、太宰治のために買ったお饅頭を気が変わってその斜め前の森鴎外の墓に供えた。森鴎外の墓はでっかくて五基くらい森家の墓だった。なのに太宰の墓は多分太宰が無くなった時のままなのだろう、普通のものがぽつんと建っているだけだった。多分先日亡くなった娘などは色々思うところあり、あまり父親の墓に近寄らなかったのではないだろうか、そして立派なものに建て替えるなんてことも思わなかった訳だと思う。というのも先日従妹の家に行ったらちょうどお盆で墓参りに行くところだった。私もおばあちゃんに久しぶりに挨拶したいと同行したら、これがまあびっくりするくらい立派なものに代わっていて度肝を抜いた。彼女もひとり女社長で成功していて一家を養っているが、本当にすごいと思った。成功して車とか家とかじゃない、こうした先祖の供養にも大枚を出せるというのが本当の成功と幸せなのではないだろうか。

とまあそういう訳で、太宰家というか正確には津島家の墓は些末だったけれどその上横周りにはものすごい大量のお供え物があった。もうぎゅうぎゅうなんてもんじゃないてんこ盛りだった。森鴎外の墓はほとんどなかった。なのでそちらにお供えをした。きっと森茉莉も喜んでいるだろう。今度はいつ行くだろう、出来ればもう行きたくないような気がする。それでなくとも墓場は苦手。でも今度行くときはまず彼女を誘ってみようと思うたぶん断られると思うけれど、「今度行くときは誘って」と言われて私は「うん、いいよ」と返事した。学友の約束は守らねばなるまい。それはどうでもいい世間話ではない、ちゃんとした約束だと思うからだ。言葉にしたものは責任をとらなければならない。たぶん自分たちはそう思っていないと思っても、言霊として浮遊したものはもう目に見える契約が取り交わされたのと同じことだと思う。

例えば可愛いねと言われて育てば可愛く育つし、馬鹿バカと言って育てれば馬鹿になってしまう。そう思うと私は馬鹿とも言われたが「書いたものはきっとお金になる」と父に言われた気もするし、うちのママンやおばあちゃんは私を見るとすっぴんのボサボサでも「あなたはきれいね」と言ってくれるのでそうなったというのはやっぱり図々しいだろうなあもうおばちゃんだからというのは今ちょっと風邪でテンション下がっててパワーダウンしているからだろうか。やっぱり人間一番大切なのは健康だと思う。N先生はいつも健康そうだけれど、秘訣はなんだろう。お風邪など召されていないだろうか。というかそんなにN先生N先生と書いて大丈夫なのかと心配する人がいるかもしれないけれどノープロブレム。だってもう会わない宣言したので会うことはないんですよ、だったらももう「叱られる」ことはない訳で、しかも卒業してしまったら怒って呼び出すことももうできない。私って本当に頭がいい。

それで彼女との約束の話に戻るけれど、私は彼女には幸せになってほしいと思っている。だって一緒に学んだ学友だし影響しあったもの同士、私は彼女のおかげで幸せになったので彼女も幸せになってほしい。彼女はいまもう十分幸せだと思うが、もっと違うステージがあると思う。それはやっぱり結婚とか子育てとかそういう部分。彼女は養子をもらったらいいのにと思う。今世の中には日本でも生まれても誰にも愛されない命がある。そうした救済策として里子や養子縁組があるわけなのだが、もっと日本に浸透していい仕組みだと思う。海外のセレブなんかだとアンジェリーナジョリーはじめ有名セレブたちは養子をもらい、育て、幸せに暮らしている。日本にも富裕層と貧困層があり、私がとりくんでいる「こども食堂」は「こどもの貧困を救済」するものとなっているが、こどもになる前に貧困に直面し育てられないと施設に預けられる赤ちゃんたち。そうした育成歴があってもいい里親に恵まれると本当に素敵な大人に育つ。自分が子供を産んだから言えるのだが、血がつながっているかどうかってそんなに重要なことだろうか。私は自分が子供を産む前は、姪っ子がかわいくてたまらなかった。それだって血がつながっていると言われればそうだけれど、それも違う気がする。自分を慕ってくれる小さな命がただただかわいかったということなのではないかと思う。

子どもを育てる、その前に結婚、少なくとも旦那、もっと端的に言えば種がいるという考え方を捨てて、そこにある命を育んでみたらどうかと思う。余裕のある富裕層のリッチピープルに、犬や猫とかペットもいいけれど、養子をもらうという選択がもっとブームにならないかとも思う。一時の流行で飽きたらすぐにぽいという人もいるかもしれない、でもそれだって新たな社会問題としてみんなで考えればいいし、そうした活動もある。最初から何もなく施設で育って施設から住み込みの働き口に行くというより可能性が広がると思う。私はもう今手いっぱいで来年ほかにやらないといけないことが結構出てきてこれには着手できないけれど、誰かが言い出してやってくれないかと期待する。ひとりで十分、楽しいし友達もいっぱいいるしいざとなったら高級老人施設に入るというのはそれはそれでいいと思うけれど、そこにあしげく通ってくれるかわいい存在がいるといないのとでは違う味わいもあると思う。あーでもうちの子どもたちは私の時は来てくれるかどうか怪しいがまあいい元気なら。

あとはこれを一度書きたいと思っていたのは私の心理学の師匠の師匠の存在が大きい。師匠の師匠は北欧のなんとか大学の偉い先生をしているそうだが養子が三人もいるのだそう。そうして方々で授業や講演をたのまれるとファーストクラスではなくエコノミーでくるのだそうだ。そうしてお金を浮かせて養子を育てているのだという。普通自分が楽する方にお金を使う人が大半だろう。でも師匠の師匠は違うという。人を育てることくらい幸せなものはないのだそうだ。そして師匠は子どもを養子に育てないかわりに師匠の師匠の生徒達を無料で家にホームステイさせたりするのだそうだ。他にも色々聞いて、わたしはすっかり感心してしまった。一体これらの何が素晴らしいのか上手く言えないでいたが、宇沢さんの提唱する経済学の存在を知り、これですよこれと思うようになった。早速正月おばあちゃんちに行く時に夫に話したら、やっぱり奴は知っていて色々教えてくれる。夫の後輩に宇沢ゼミの出身者がいて、あの人もう東京に戻ってきたよなどと話が流れたけれど、さすが私の夫だわと思った。そこからいつも私があちらこちらから「旦那さんに相談したい」とか私が勝手に「夫に言えば解決するわよ」などと言ってそれはたいがいその通り上手くいくけれど、これってプロに無料で頼んでそれっきりというヤツじゃない?私と友達だからってただで夫を使っていいと思う方がおかしいとか私が言い出して夫がそんなもんだよなんて言って、もう今度夫に頼りたいという人が現れたら一回20万円は取る!だって破産して弁護士が管財人になったら20万円最低でも払うことになるでしょう?破産を免れて20万出すのか破産して20万とられるかっていったら前の方がいいに決まってるじゃない。なのにみんな「ありがとう」とメールで終わって普通家にお礼に来るべき事例じゃないの?頭にきたのでそれぞれの年賀状に「夫に頼んだ件出世払いなので忘れないで」とそれぞれに書いておいた。他にも「今年の年賀状は戻ってこないといいけれど」とかもある。なので年々友達が減る訳よ。でもそれでも残ってくれた人達が今の友達な訳で、感謝せねばなるまい。  

なんか結局私がケチみたいな話になったが、それとこれとは違う。プロにただで何か頼みたい人が多すぎると思う。私はまだプロじゃないというかライターはプロだけれど自分の名前を出さずに書く方がいいお金がもらえる感じでまあいいですけれどもそのうち٩(๑❛ᴗ❛๑)۶

言霊について書こうと思ったらまた違うものになった。タイトルをどうしようか考えてみたい。こんなにいろいろ書くのは寝ると背中がぎしぎしと痛くて寝ていられない、起きてスマホをいじるのにも飽き、こうしてパソコンンに向かって手を預けて動かしているとちょうどいい角度になり背中も痛くない。これ一体なんだろう、本当にただの風邪なのだろうか。もう少し様子をみて治らないようなら近所の内科にいってみようか。やっぱり豊洲は便利だな。


annjeri-najoriy


参考記事:アンジェリーナジョリーが養子を迎える理由とは?http://topicks.jp/20549



いつもは同じところに全部詰め込むように書いてしまうが、大切な事はちゃんとひとつの記事にして書かなくては人に読んで貰えない。いつも書くものは読んでくれても読まれなくても書いてしまったので勿体ないからアップするけれど出来れば読んで欲しくないというものもある。そうして読んで欲しくないものばかりランキングにあがってきて本当にこのブログを読んでくれている人達は一体全体私を晒し上げるのが本当に好きな人達ばかりだと感じる。このブログは誰かを吊し上げているのではない自分が晒されてめちゃめちゃになるものだろう。

私は一昨日2日の夜に急に風邪をひいて寝込んだが、悪いことではなかった。とてもいい初夢を見たし、すごくいい事を思いついた。そのいい事を思いつく前に具合が悪いのもあったし、このまま自分は死ぬんじゃないかという想いもあり、そして「N先生は私たち特に私が色々いじるから嫌になり、もうフランスに帰っちゃうのでは」という妄想にとりつかれていた。先生に会わない宣言をしたのは自分の意志だからいい、でも物理的に遠くにいってしまい二度と会えなくなるというのとは意味が違うと思う。私は例のパニック障害からどうも閉所が苦手になり、具合の悪い時は地下鉄とかバスも怖く感じる時がある。空に浮かぶ鉄の塊が空を飛び、その中に長時間幽閉されるというのは拷問に等しいとも感じる。うーん、どうだろう、もうほとんど治ったのでいいと思うがやっぱりちょっとヤダ。じゃあ船は?船なんてもっと怖いわ!『タイタニック』観たやろ。 なので私は海外には多分行けない。

ということで、N先生はフランスに帰りたいと思っているのではないか。日本に帰ってきたとみんなは思っているかもしれないけれど、先生からしてみたら日本に「来た」という感情なのではないかと思い当たった。前の記事で「先生は青春時代から壮年期までをフランスで過ごし」と書いたけれど、生まれは日本でも生きたのはフランスだ。先生の授業を様々に受けた記憶を呼び起こしてみて、それはより一層確信になった。

「先生はフランスに帰りたいと思っている」

というのは多分私が先生の何かをキャッチしたのだと思う。私も先生を好きだとわかったのはつい先日の懇親会の惨事からだけれど、実はそれまでもずっと私と先生は繋がっていたのだと思う。ただ通信生とその教師というだけでない、何か目に見えない運命のようなものがあったのではないかしらん。先生と私は授業以外で親しくしたこともないし授業以外で話したのは一年目で卒業制作のテーマを変えたいと相談した時、それから地獄変で叱られた時、廊下でちらっと話した時この時はニコニコだったけれど1分くらいかなあ、それから今年の懇親会、たったこれだけ。でもなんだろう、だからこそ色々見えるものがあり、これは多分シックスセンスだと思う。五感はひとつが欠損すると他の機能が驚異的に向上することがあるそうで、一切の接触がなくなりそれでも私を慮って様々に考えてくれている先生の想いは五感を超えて私に届いたのだと思う。でもこんな事書いて本当はフランスから恋人を連れて来て毎日ラブラブで東京観光なんてしたりしていたり、フランスに行く時につれていった日本人の恋人と現地で結婚していて子どももいてもう孫までいるとかそいうのだったら全然お門違いだと思うけれど、学友達の噂が本当だとしたら先生はもう日本が嫌だと思っているはずだ。

先生は人望がありそれは先生を傷つけようとか利用しようとかいう人はおおえかくらいで多くの人々は先生の暖かい眼差しや人柄に吸い寄せられる友愛ばかりだと思う。でも当の先生はどうだろう。長年暮らしたフランスを離れ、いきなり日本なんかに来て心許せる本当の友達が出来ただろうか、先生の慰めになるような素敵なものに出会えただろうか。[N先生」と呼ばれて「はい」とか「何でしょう」と答えるより、「RYOJI」と呼ばれたら「oui(ウィ)」と返事をする世界の方がしっくりくるのにと感じてはいないだろうか。だいたい日本社会の懐の狭さに辟易して外に出る人が多いのが現実で、サンタバーバラ校のノーベル賞の方とかすごくいい例だと思う。先生はスクエアでシステマチックにみえるけれど、本当は誰よりも自由を愛し大空に飛ぶ鳥のように生きたい人なのだと思う。でなければ若くしてフランスにいったりしないと思う。あの『 フィガロ発パリ毎日便: ——ちょっとセレブなパリ暮らし 』の一ページを読むとそれがよくわかる。N先生はパリでもやっぱりN先生らしかったんだとか、あのまんまの先生だから日本でも同じで私に怒って突撃してきたのだとか思う。

そういう考えに行きついて、先生はフランスにもうすぐ帰ってしまう。そうしたら今度こそ先生には会えなくなってしまうけれど先生の幸せのためなら喜ばないといけないとか色々考えていたら悲しくなってしまいワーワー声をあげて泣いてしまった。でも泣き疲れてうつらうつらしながら考えたらいい事を思いついた。これで「先生がフランスに帰っちゃったのはあなたのせい」と諸先輩方に叱られることもない、先生もハッピー大学もハッピー先輩方、、、はどうだろう、私も微妙だがまあ致し方ない幸せの着地点だと思う。

それは何かというと、京都造形芸術大学はフランスのパリ大学と提携すればいいのではないか。そうしたら今青山に外苑キャンパスがあるように、フランスにも「ソルボンヌキャンパス」を作ればいいと思う。現に今でも京都造形芸術大学は東北工科大学と提携してイベントをしたり一部の授業は同じだったり藝術学舎の授業をコラボしたりしている。そういうのをフランスのパリ大学ともやればいいと思う。フランスのパリ大学は芸術学もかなりの比率で扱っており、これが医科大学とか理科系だったら無理だけれど、大学の中身としても絡みやすい。

そしてその「ソルボンヌキャンパス」の長にN先生がなってくれたらいいと思う。そもそもノーベル文学賞作品の訳者という栄誉を持つN先生を文芸コースの主任だけにしておくのは勿体ないのではないだろうか。せっかくフィガロの編集長(なのかな)が「フランスで随一」と褒めた先生のフランス語の能力をもっと評価するべきだと思う。そうすれば京都造形芸術大学のカラーもまた新しいものに彩られ、新しい風が学内に吹くのではないか。そもそもN先生は日本語よりフランス語の方が最早母国語なのだと思う。生まれは鎌倉でも中身はフランス人、そんな先生だからこそ私もすごく色々学べたし色々事件があり大学の懇親会ではフィガロ仮面も誕生した。 
 

幸い京都造形芸術大学はお金持ちが集まる大学だけありお金はいっぱいある訳で、なので学長が。。。えーとなんでもないです。通信教育学部の生徒もお金がもったいないから卒業式に行けないでもそれは単位認定が4月にずれ込むせいという私みたいな人もいるが、ともかくほとんどの生徒は京都の旅費くらい朝飯前な富裕層が多いわけで、フランスパリにもうひとつ校舎作るくらいの財力はあり、しかもフランスが故郷で知り合いもコネもたくさんあるしかもしかも日本語も出来る逸材がいれば全然夢ではないと思う。多分N先生が学長をする学び舎を作るといえばフランスパリでは、「BRAVO!RYOJI」と言ってくれる人ばかりだろう。そういう人達に囲まれそこで先生の好みの建物をつくり、人を集め、存分にフランス語で授業をすればいいし、そこで日本文学を学んだ生徒から日本大好きというムーブメントが起こるだろう。京都造形芸術大学の生徒、特に通学生はお金持ちが多分多いからフランス留学をしたいという生徒が絶対に現れ、それで大学はまたひと稼ぎしてそれを資本にまた何かやればいいし、そのうちN先生のラボなんてのを日本の外苑キャンパスとかでやればいいし、講演会なんかもいいじゃなーい千住博先生の時みたいに聴衆がつめかけるという事態になると思う。
もう日本の狭苦しい陰湿な風土の世界から先生を解放してあげなくては。

大学はもっとちゃんと人をみて色々コマを進めるようにやらないと今までのままなんて絶対大学の未来はないしそのうち潰れるかもよ。だいたい大学全入学時代になり生徒が集まらなくて消えてしまう大学だってあるくらいなのに、漫画コースもこども大学コースも結構だれけれどもう手づまりもいいとこじゃないでしょうか。そこに「ソルボンヌキャンパス」学長は日本人N先生、絶対日仏の懸け橋になるし大学にすごくいい色がつく。

これ多分佐々木俊尚さんと景山知明さんのトークイベントが汐留の「日仏文化会館」で開催されたのでなんとなく頭に「日仏」という文字があり、この時は「先生まだ怒っているかなあ」と心配しただけだったのだが見よこの展開。私の頭の中は無駄なものと妄想で溢れかえっていると思われがちだがそうではない事もある。天才となんとかは紙一重というが、多分見る人がみれば天才、そうじゃない愚鈍な凡人がみれば馬鹿ということになるのだと思う。うーん、最近ちょっと飛ばしすぎやろと思うがまあ後で読んで自分が恥をかけばいいと思うし何か思うところあれば路線変更はちゃんとするだろうと思うので今はこのまま飛ばせる時は飛ばす。

そいういう訳で京都造形芸術大学はフランスに分校を作るべき。そうすればN先生は日本の大学の在籍しながらフランスで生活できることになるし、時々は京都や外苑キャンパスでフランス文学の授業をしたりイベントに参加したりすればいい。多分N先生は日本の様々なしがらみで戻って来られたように思う。でもフランスと日本をいったりきたりする理由がちゃんと出来れば、日本でもフランスでも双方でそれぞれの手当てもできるようになる。それに外苑キャンパスで通信生として学ぶ人達のうち何人かはソルボンヌキャンパスの授業を受けたがるだろう。スクーリングのついでにパリ観光も出来て、「絶対行きたい」といってそれを目当てに入学する人も増えるのではないか。

こうやって書いておくと新N先生が誕生したように実現するのではと期待したい。科学の進歩は妄想家の戯言が発端ということがよくある。新N先生だって文芸フリマの打ち上げに私が誘い本当に来てくれたので学友達がびっくりしていたのだが、その時に私が「先生になってください」と言ったら周りも本人もビックリでも周りもそうだそうだとか言い出し、あのナースコスiさんが「そういう話は大学からないの?」なんて聞いたりして新N先生は「ないですね」なんて即答していたのでその頃はまだ何もなかったのだと思う。でも私たちの想いやあの時の言霊が大学の心を動かし、新N先生が誕生したのではないか本当はどうだろう。通信ではなく通学生の先生というのが少々残念だけれど、きっと大学は新N先生を大切に思っているのだと思う。だったらもっと現N先生も大切にして下さい。

その以前に何故この大学には授業に「フランス語」がないの?英語と外国語1、2だけじゃなくN先生が担当する「フランス語」の授業もあっていいんじゃない?先生がフランス語を話すのを聞いてみたいしみんなも嬉しいに決まってる。もしN先生がフランス語を教えてくれるなんてことになったら私は『のだめカンタービレ』の「のだめ」以上にフランス語を早く取得する自信がある。のだめは確か大好きなアニメ『プリごろ太』のフランス語訳で修得した。私もN先生のフランス語の授業であっという間に周りがびっくりするくらいフランス語が上手くなるだろう。そういえば独身の時に同じマンションで仲良くなった人もフランス人の恋人がいてフランス語を習っていたと言っていた。よく一緒に合コンにいったりして男性陣から絶大な人気だったけれど、多分今も誰とも結婚せずフランス人の彼と超遠距離恋愛をしているのではないだろうか。人は自分は絶対に変えられない、多分彼女もそうなのだろう。そして私も、先生も。

今後ともよろしくお願いいたします。

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これはネットでぐぐった「非営利目的で使用が許可されている画像」でもこれパリなのだろうか。多分そう。それからN先生のフランス語の授業は私もう卒業するから受けれられないので あそこで是非またやって欲しいです。

世界の日本語が読める皆様こんにちは。今日はまた夫の実家にいて御節を食べている。昨日は本当に散々な目にあい、しかも夕方からノックダウン、そのまま寝込んでしまった。おばあちゃんには言えないが夫の実家が寒いので風邪をひいてしまったのだ。発熱、悪寒、咳も出て、夜中に息苦しくなり起きてしまったくらい。息をするとヒューヒュー肺から変な音がし、息子が肺炎で入院した時、こんな呼吸をしていたことを思い出した。真っ暗な中でじっとしていたが、人が死ぬ時って案外こういう感じで、あれ、あれなんかおかしいなあと思っているうちにどんどん悪くなり意識がもうろうとしてこと切れるのかしら。作家のベルゴットもあの時自分が死ぬなんてこれっぽっちも思わなかっただろうし、そうやっていつの間にか気が付いたら体が浮いて寝ている自分を自分が上からみていて焦る、みたいな感じなのかなとか、でも宮沢賢治は病に倒れた時に自分の死を悟り『雨ニモマケズ』を手帖にかいており、あれはさわやかなポエムでも力強く生きたいという指針的な書きつけでもなんでもなくて、死神の影に怯えながら「こういう人に自分はなりたい」と、命を助けてくれたらこういう人になりますので生きさせて下さいと言う目に見えぬものへの上申書だったと知る人は案外少なくてもちろん私もそうだったけれど、京都造形芸術大学通信教育学部外苑キャンパスの読書会に宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」が題材になってその時に「雨ニモマケズ」が参考資料として扱われ、この詩のような書きつけの後に般若心経がびっしり書いてある資料にショックを受けたのを思い出し、死に方としてはベルゴットと宮沢賢治とどちらが死に方の理想なのかとかだんだん熱があがってきた感じがしてあちらこちら痛いけどこのまま死んでもおかしくないような気がするとかでも私が今死んだらせっかく立ち上げたこども食堂はどうなるとか、あと一年くらいあれば「私がいなくても」こども食堂はみんながやってくれるというか、みんなのこども食堂になる訳で、そうしたらひとりの寂しいぼっちママが自由にひとりを楽しめるんじゃないかとかそれより子ども達私がいなくなったら夫の管理下でぎゅうぎゅうと窮屈な生活を強いられてめちゃめちゃになってしまうとか私がいない方がもしかして豊洲スタンダードの勉強や習い事は頑張るけど自分や自分の属しているグループの人達だけとぎゅっと固まり他の人なんて死のうが生きようがどうでもいいという人に育つ方がこの街では間違いなく生きやすいだろうなとか色々考えた。

考えているうちにどんどん怖くなり、そうしてこういう時にばっかりいつも喧嘩して罵倒するだけの夫にすがることになるいつもと同様夫の所へ行った。N先生がフランスに帰ってしまうという淫夢のせいで涙でぐしょぐしょになりながら、「ねえ私肺炎かもしれない。呼吸が苦しい」と訴えた。その声もひゅーひゅーと肺から変な音が聞こえて来て、医者になりたかったという夫が本当に医者だったらこういう時もっと便利なのにとか医者になっていたら私とは結婚しなかっただろうなとか夢を叶えて苦学の末偉いお医者さんになった幼馴染のSくんはノーベル賞とっても「昔好きだった」と言ってくれるだろうかとかそしたら私は初恋の人としてセンテンススプリングに取材されるかもとかそうだSくんといえば名士の方のSくんに年賀状出さないととかその前に年賀状まだバッグの中だとかポストまでたどり着く前にこと切れたらそのまま喪中になるのだろうかとかモヤモヤと考えたのでございます。夫はそんな私の内面を知る由もなく、「どれ」といっておでこに手をあて、いつもなら「馴れ馴れしく触らないでよ」と怒るところこの時ばかりは大人しくされるがままで、夫は「肺炎てのは熱が出るんだよ、ないから風邪」といってアイスノンなど出してくれてそれを頭にあてて自室のベッドでうつらうつらする頃には、自分の肺炎疑惑も消えてほっとしたのか浅い眠りの中でまどろんだ。その時すごい面白い夢をみてでも内緒。起きてああそうなんだそうなるのかと嬉しくなった夢。私と敵対している(と、自分では思っていないけど向こうはニラニラしているおおえかじゃないあのメディア野郎と言われている人)人と笑って話しているだけという夢で、いつも誰かに喧嘩をふっかけていると思われているけれどそれは間違いで、素朴な疑問を投げかけるとたいがい気を悪くされあっという間に敵対の対象にされてしまうのは私が本当の事を言い過ぎるのかもしれないでもこれ子どもの頃からそうで、小学校一年生の時の女の担任の先生に激怒されたことがあり、大学生になっても同じような感じで人はというか「自分と未来は変えられる」というのはやっぱり間違いだと思ったりもした。このセリフで私を戒めようとしたセレブデブだって昔ヤンキーで銀髪だった頃と全然かわっとらんやんと思うし、セレブデブが変わったと思っているのは住所とステイタスと収入くらいで、中身は物心ついたころと全く変わってないやろ?それで未来だって自分でどうこうしたというより大学やめるとメソメソしていたところに私という救世主が現れて息を吹き返したのだって自分の創った未来やないやん。でもそれにより他人(この場合大学の要人)は変わって過去(大学やめたいとメソメソしていたこと)が変わったでしょう。やっぱり「自分と未来は変えられないが過去と他人は変えられる」といことにならないだろうか。また言ってしまい余計に嫌われたかもしれないけれど私の言いたいことがわからなくて去るならそれで別にかまわないし「頼んでないし自分で何もかも解決したんだから助けたと偉そうに言うのがお門違い」と言うなら言い続ければいいし、どうせ何もなかったふりしていじめっこのおおえかとも上手くやるんでしょうもう本当に飽きれてものがいえないけれどこれが普通の組織人なのかもしれないですねっ!同じく私が「ズベ公」とあだ名をつけた新入生も大学やめたいとメソメソしているもんだから懇親会に誘ったら先生の悪口を言いいや私も言ったけど私はいいけど他の人が先生の悪口を言うのは我慢ならないというか旦那の悪口を愚痴っていたら近所の奥さんが重ねて「そういえばあなたの旦那さんさあ」と色々言い出して「なにようちの旦那の悪口言わないでよ」と怒るようなものかもしれないけれど、懇親会二次会ですっかり元気になり大学続けるとか言ってそれは良かったんだけど後から何も言ってこないしそれは二次会の後であのナースのおっさんとどっか行ったから隠し事が出来たからに違いないのではなんかこんなスベ公先生の元に置いて卒業することになるけれど良かったのだろうかとか先生は絶対相手にしないだろうけれどそういう色々を見るのが嫌で気分を害されたらお気の毒だとか先生はエロはダメだから変なもの書いて課題に出さないでよ!とか自分が先生宛にすごいの書いて提出したら違う先生が採点して返ってきたのを思い出した。スベ公もエロいのを書いたらクルーソー先生が採点してきたといい自分もそうで「エロ担当はクルーソー先生」という風評も生まれたけれど、やっぱり〇ゲは強いのかな?なんてちょっぴりエロトークしたりしてこれはこれで楽しかったのよなのに私ったら変な命名したりして。でもやりまんともビッチとも違うなんか昭和ちっくな感じが彼女はしてスベ公というのがピッタリでさあ。もう私のあだ名は秀逸すぎてこれも人に嫌われる原因のひとつ。京都の「冬彦さん」とか豊洲の「しゃくれバーチ」とか、周りはすごくびっくりでもとても感心してくれて心配もしていると思うでも大丈夫、うーん、大丈夫じゃないなやっぱりごめん子ども達。

つらつらと37.4度の熱にうなされながら色々考えていたらすっかり元気になり、諸事情で一日延期になったおばあちゃんちへの年賀に出掛けたら年末年始にあんなに親愛の情をみせてくれていたおばあちゃんがカンカンに怒っていてそれもまた私への誤解なのだけれど私は今年も色々な人に叱られるのかと思った。でもあの懇親会のN先生の怒りを超えるものはないのではないだろうか、だったらどんなものが来ても大抵平気だろうという自信もある。それに先生が怒ったのだって色々調べたり考えたりしているうちにこれも双方の認識違いというか完全なる誤解が生みだしたものだとわかった。それもこれも第一の原因は「おおえか」次に事務局長の「コナン」それからもしかして全然関係ない全く関与していない疑惑も残るが監督不行き届きということでは学長の「なまず先生」この三人を吊し上げたいと思う。もうひとり通信教育学部部長も同罪に等しいと思うけれど、全く部外者なので上澄みしかわからずたんたんと仕事をしたという意味では色々とありがとうございましたと言いたいけれど、懇親会に出席することにした私が多分N先生と私は普通に生徒と先生として話せないのではないかという予感があり、会の前に10分でもいいから話をする機会をつくれといったら「あなたのためにもそれはしない方がいい」という訳のわからない理由でまたしても拒絶され、そのお蔭でN先生VSフィガロ仮面という京都造形芸術大学通信外苑キャンパス懇親会史上最強の伝説が誕生してしまった。ちょっと会って話せば誤解は解ける、なのにそれが出来ないものだからどんどんどんどんお互いの誤解や妄想でパンパンに膨らんでしまいそれが大爆発してしまった。この原因は通信教育学部部長にあると言っていいのでこれはちょっとやっぱり恨む。でもお蔭で「事務局がふたりを引き裂いていた」という事実がわかってよかったと思う。もしN先生自身が面会を拒否していたならあんな事態には絶対ならなかったと思ったし、今までも多分そうだったのじゃないかと悟った。ああそうだったのかと。多分N先生もそうだったのかと驚いてみえると思う。もう事務局が