世界の日本語が読める皆様こんにちは。今日はまた夫の実家にいて御節を食べている。昨日は本当に散々な目にあい、しかも夕方からノックダウン、そのまま寝込んでしまった。おばあちゃんには言えないが夫の実家が寒いので風邪をひいてしまったのだ。発熱、悪寒、咳も出て、夜中に息苦しくなり起きてしまったくらい。息をするとヒューヒュー肺から変な音がし、息子が肺炎で入院した時、こんな呼吸をしていたことを思い出した。真っ暗な中でじっとしていたが、人が死ぬ時って案外こういう感じで、あれ、あれなんかおかしいなあと思っているうちにどんどん悪くなり意識がもうろうとしてこと切れるのかしら。作家のベルゴットもあの時自分が死ぬなんてこれっぽっちも思わなかっただろうし、そうやっていつの間にか気が付いたら体が浮いて寝ている自分を自分が上からみていて焦る、みたいな感じなのかなとか、でも宮沢賢治は病に倒れた時に自分の死を悟り『雨ニモマケズ』を手帖にかいており、あれはさわやかなポエムでも力強く生きたいという指針的な書きつけでもなんでもなくて、死神の影に怯えながら「こういう人に自分はなりたい」と、命を助けてくれたらこういう人になりますので生きさせて下さいと言う目に見えぬものへの上申書だったと知る人は案外少なくてもちろん私もそうだったけれど、京都造形芸術大学通信教育学部外苑キャンパスの読書会に宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」が題材になってその時に「雨ニモマケズ」が参考資料として扱われ、この詩のような書きつけの後に般若心経がびっしり書いてある資料にショックを受けたのを思い出し、死に方としてはベルゴットと宮沢賢治とどちらが死に方の理想なのかとかだんだん熱があがってきた感じがしてあちらこちら痛いけどこのまま死んでもおかしくないような気がするとかでも私が今死んだらせっかく立ち上げたこども食堂はどうなるとか、あと一年くらいあれば「私がいなくても」こども食堂はみんながやってくれるというか、みんなのこども食堂になる訳で、そうしたらひとりの寂しいぼっちママが自由にひとりを楽しめるんじゃないかとかそれより子ども達私がいなくなったら夫の管理下でぎゅうぎゅうと窮屈な生活を強いられてめちゃめちゃになってしまうとか私がいない方がもしかして豊洲スタンダードの勉強や習い事は頑張るけど自分や自分の属しているグループの人達だけとぎゅっと固まり他の人なんて死のうが生きようがどうでもいいという人に育つ方がこの街では間違いなく生きやすいだろうなとか色々考えた。

考えているうちにどんどん怖くなり、そうしてこういう時にばっかりいつも喧嘩して罵倒するだけの夫にすがることになるいつもと同様夫の所へ行った。N先生がフランスに帰ってしまうという淫夢のせいで涙でぐしょぐしょになりながら、「ねえ私肺炎かもしれない。呼吸が苦しい」と訴えた。その声もひゅーひゅーと肺から変な音が聞こえて来て、医者になりたかったという夫が本当に医者だったらこういう時もっと便利なのにとか医者になっていたら私とは結婚しなかっただろうなとか夢を叶えて苦学の末偉いお医者さんになった幼馴染のSくんはノーベル賞とっても「昔好きだった」と言ってくれるだろうかとかそしたら私は初恋の人としてセンテンススプリングに取材されるかもとかそうだSくんといえば名士の方のSくんに年賀状出さないととかその前に年賀状まだバッグの中だとかポストまでたどり着く前にこと切れたらそのまま喪中になるのだろうかとかモヤモヤと考えたのでございます。夫はそんな私の内面を知る由もなく、「どれ」といっておでこに手をあて、いつもなら「馴れ馴れしく触らないでよ」と怒るところこの時ばかりは大人しくされるがままで、夫は「肺炎てのは熱が出るんだよ、ないから風邪」といってアイスノンなど出してくれてそれを頭にあてて自室のベッドでうつらうつらする頃には、自分の肺炎疑惑も消えてほっとしたのか浅い眠りの中でまどろんだ。その時すごい面白い夢をみてでも内緒。起きてああそうなんだそうなるのかと嬉しくなった夢。私と敵対している(と、自分では思っていないけど向こうはニラニラしているおおえかじゃないあのメディア野郎と言われている人)人と笑って話しているだけという夢で、いつも誰かに喧嘩をふっかけていると思われているけれどそれは間違いで、素朴な疑問を投げかけるとたいがい気を悪くされあっという間に敵対の対象にされてしまうのは私が本当の事を言い過ぎるのかもしれないでもこれ子どもの頃からそうで、小学校一年生の時の女の担任の先生に激怒されたことがあり、大学生になっても同じような感じで人はというか「自分と未来は変えられる」というのはやっぱり間違いだと思ったりもした。このセリフで私を戒めようとしたセレブデブだって昔ヤンキーで銀髪だった頃と全然かわっとらんやんと思うし、セレブデブが変わったと思っているのは住所とステイタスと収入くらいで、中身は物心ついたころと全く変わってないやろ?それで未来だって自分でどうこうしたというより大学やめるとメソメソしていたところに私という救世主が現れて息を吹き返したのだって自分の創った未来やないやん。でもそれにより他人(この場合大学の要人)は変わって過去(大学やめたいとメソメソしていたこと)が変わったでしょう。やっぱり「自分と未来は変えられないが過去と他人は変えられる」といことにならないだろうか。また言ってしまい余計に嫌われたかもしれないけれど私の言いたいことがわからなくて去るならそれで別にかまわないし「頼んでないし自分で何もかも解決したんだから助けたと偉そうに言うのがお門違い」と言うなら言い続ければいいし、どうせ何もなかったふりしていじめっこのおおえかとも上手くやるんでしょうもう本当に飽きれてものがいえないけれどこれが普通の組織人なのかもしれないですねっ!同じく私が「ズベ公」とあだ名をつけた新入生も大学やめたいとメソメソしているもんだから懇親会に誘ったら先生の悪口を言いいや私も言ったけど私はいいけど他の人が先生の悪口を言うのは我慢ならないというか旦那の悪口を愚痴っていたら近所の奥さんが重ねて「そういえばあなたの旦那さんさあ」と色々言い出して「なにようちの旦那の悪口言わないでよ」と怒るようなものかもしれないけれど、懇親会二次会ですっかり元気になり大学続けるとか言ってそれは良かったんだけど後から何も言ってこないしそれは二次会の後であのナースのおっさんとどっか行ったから隠し事が出来たからに違いないのではなんかこんなスベ公先生の元に置いて卒業することになるけれど良かったのだろうかとか先生は絶対相手にしないだろうけれどそういう色々を見るのが嫌で気分を害されたらお気の毒だとか先生はエロはダメだから変なもの書いて課題に出さないでよ!とか自分が先生宛にすごいの書いて提出したら違う先生が採点して返ってきたのを思い出した。スベ公もエロいのを書いたらクルーソー先生が採点してきたといい自分もそうで「エロ担当はクルーソー先生」という風評も生まれたけれど、やっぱり〇ゲは強いのかな?なんてちょっぴりエロトークしたりしてこれはこれで楽しかったのよなのに私ったら変な命名したりして。でもやりまんともビッチとも違うなんか昭和ちっくな感じが彼女はしてスベ公というのがピッタリでさあ。もう私のあだ名は秀逸すぎてこれも人に嫌われる原因のひとつ。京都の「冬彦さん」とか豊洲の「しゃくれバーチ」とか、周りはすごくびっくりでもとても感心してくれて心配もしていると思うでも大丈夫、うーん、大丈夫じゃないなやっぱりごめん子ども達。

つらつらと37.4度の熱にうなされながら色々考えていたらすっかり元気になり、諸事情で一日延期になったおばあちゃんちへの年賀に出掛けたら年末年始にあんなに親愛の情をみせてくれていたおばあちゃんがカンカンに怒っていてそれもまた私への誤解なのだけれど私は今年も色々な人に叱られるのかと思った。でもあの懇親会のN先生の怒りを超えるものはないのではないだろうか、だったらどんなものが来ても大抵平気だろうという自信もある。それに先生が怒ったのだって色々調べたり考えたりしているうちにこれも双方の認識違いというか完全なる誤解が生みだしたものだとわかった。それもこれも第一の原因は「おおえか」次に事務局長の「コナン」それからもしかして全然関係ない全く関与していない疑惑も残るが監督不行き届きということでは学長の「なまず先生」この三人を吊し上げたいと思う。もうひとり通信教育学部部長も同罪に等しいと思うけれど、全く部外者なので上澄みしかわからずたんたんと仕事をしたという意味では色々とありがとうございましたと言いたいけれど、懇親会に出席することにした私が多分N先生と私は普通に生徒と先生として話せないのではないかという予感があり、会の前に10分でもいいから話をする機会をつくれといったら「あなたのためにもそれはしない方がいい」という訳のわからない理由でまたしても拒絶され、そのお蔭でN先生VSフィガロ仮面という京都造形芸術大学通信外苑キャンパス懇親会史上最強の伝説が誕生してしまった。ちょっと会って話せば誤解は解ける、なのにそれが出来ないものだからどんどんどんどんお互いの誤解や妄想でパンパンに膨らんでしまいそれが大爆発してしまった。この原因は通信教育学部部長にあると言っていいのでこれはちょっとやっぱり恨む。でもお蔭で「事務局がふたりを引き裂いていた」という事実がわかってよかったと思う。もしN先生自身が面会を拒否していたならあんな事態には絶対ならなかったと思ったし、今までも多分そうだったのじゃないかと悟った。ああそうだったのかと。多分N先生もそうだったのかと驚いてみえると思う。もう事務局が最低。変に誤解したのか色眼鏡でみたのか私をズベ公認定していたのかやっぱり通信教育学部部長をも操っていたのは「コナン」そして「コナン」に色々私の悪口を言ったのは「おおえか」ということなんですよねー。こうなると学長に送った手紙も「コナン」が握りつぶした疑惑が濃厚になってくる。これら「組織ではよくあること」と普通は流れていってしまうけれど私はそんなの我慢できなかったというか今もそうでこれから卒業までに、場合によっては卒業してからも追及してみたいと思う。というかそんな暇あるかなあ。「豊洲こども食堂」を自分の手から巣立つように豊洲という街全体の共有財産にしていくという取り組み、私が飽きたとか面倒だからじゃない。これだけ注目が集まってきたのだから、私ひとりクローズアップされるのではなく「街のみんな」で運営した方が絶対いいと思う。それは古き良き豊洲ではずっとやってきたこと。私は昨年豊洲商友会の手伝いをめっちゃしたし、そこの勉強会にも足スタントで参加させてもらったりしたけれど、きちんと「共同体」が育まれていてなによぴらぴらで底の浅い街だと思っていたのにこんなにも暖かい暮らしの息吹もあるんじゃないのと感じて驚いた。この古き良き時代の豊洲を復活させる救世主に「こども食堂」がなれるんじゃないだろうか。誰かがいじめられて孤独を感じていても、かばえば自分がそうなってしまうとか自分達の小さなテリトリーだけなんとかうまくやって行けばそれでいいとか、そういうみみっちい流れを作ってしまった悪しきボスママの創り上げた「ママ友グループ」という習慣を「そんなもの百害あって一利なし」とまではいわないけれど、みんなでちゃんと考えるきっかけになるのではないかしら。

そんな風に考えながらうつらうつらしたら大分よくなってきてそれを考えたのが1月2日ということで良い初夢もみたし、この一年は今度こそ本当にいい一年になる気がした。

それはさておき、あの小説、もうN先生もそうだけれど、寒竹先生や門崎先生も読んでくれたかしら。あれをたったの3時間ぽっちで書き上げたという事態、自分でもちょっと驚いている。素材もテーマもモチーフもさることながら、中身は大学で習った集大成のようなものになっていて、あちらこちら全部授業で学んだこと、それから寒竹先生門崎先生が色々卒業制作で講評で書いたり話したりして下さったものがぎゅっと詰まっている。自分ではその時その時になんとなく聞いたり学んだりしていたように感じていたけれど、私の中にみっしりこれらが詰まっているのだとわかる。卒業制作傑作すぎて自分で怖いと思うし読んだ先生方驚くのではないだろうか。思えば卒業制作、本当に悩んで頑張った。リビングジョナサンでまず最初にローズヒップ&ハイビスカスティーを淹れて飲みながらおもむろにしたのはまず先生達の講評文を隅から隅まで読むことだった。書きながら都度読み返すのでは効率が悪いし、なんかこういうのあったなまあいいかで進んでしまってはどうでもいいものが出来てしまうのではないかと懸念した。先生達の書いてくれたものを多分100回は読み返したと思う。それはひとえに「いい先生を演じて書いた」ものではない、素の先生から生まれた私だけへのメッセージだとわかったからだった。私の卒業制作の担任副担任、本当は主担任おおえか、副担任N先生の予定だったはずだ。それが土壇場でひっくりかえったのはおおえかの差し金なのだが、これがまあ私がいつも言う、私は運がいいというやつで、頭も顔も性格もいいというのは置いておいて、本当にいい先生にあたったと思う。何度も言ってそろそろ申し訳なく感じているが、もし主担任がおおえかだったら絶対にあれは書けなかったと思う。世の中のトレンドを意識した万人受けを狙う上手い小説もどきが出来上がったのではないか。あの大問題の「ストーリーとシナリオ」の授業は寒竹先生が担当すべきというのは何も意地悪でもなんでもない。自分の幸せはみんなに分けてあげたいという私の良心、生徒の中から私のような芥川賞作家がさらに生まれるかもしれない。だいたいあのおおえかの授業本当にひとかったみたいで、私がだからモテないとdisった学友もブログで何度もそれを言及しているくらい。あの人は私が大学で唯一友達になりたいと思った人で、自分を厳しく律して仕事して合間に勉強自分磨きをしているせいか物事や人を見る目も確かでいつも本当の事しかいわない。色々あり私とは袂を分かつことになったが、こうしてそれぞれの道で生きるのが私たちに相応しい間柄ともいえる。このように阿吽の呼吸で同じように批判するのは彼女は私のことなど一ミリも慮っていない同じ眼でものごとをみている証だろう。そういうことで大学もまだ決心がつかないならもう一度ちゃんと学びの場に相応しいものを学舎に引き入れるように、そうでないものはきちんと排除するようにと願うばかりだ。という訳で私が寒竹先生に巡り会えたのは本当に奇跡だと思うし神様の采配、普通は絶対ないマッチングだった。あの私の卒業制作、もうどこに出しても恥ずかしくない驚くくらいいいものが出来た。でもあれが書けたのは私の力というより寒竹先生門崎先生が帆走して下さったおかげが80%くらい。謙虚でもなく本当にそう、私ひとりだったら絶対かけなかった。あの小説は私のブログと一緒で、一部のボスママたちには反感を買うと思うが悩めるお母さん達が読んだら勇気づけられるのではないかと思う。世界平和のためにこの作品が日の目を見る日が来るようにと祈念したい。

なんか風邪をひいたという記事を書こうと思ったらまた全然違うものになってしまったけれど、書きたいことが書けて満足。こういうのってあれですよね、L'Arc〜en〜Cielのhydeさんがデビューからずっと事務所を変わっていないのは自由を尊重する大石さんに感謝しているからで、winwinだけじゃないちゃんと信頼関係もあるのだと感じる。私が私を好きになれたのはある時期を境に自分を縛るのをやめたからだと思う。ボスママに嫌われないように、目立たないように、子どものために息を殺すように生きる。そんな事をしていたら自分が壊れてしまった。もうこんな事を続けていては死んでしまうと思ったママ友の世界を飛び出し、そのせいで子ども達が酷い目にあったけれど、私的にはよかったように思う。自分で自分を縛る自分が大嫌いだった、でもやめたら好きになったそんな感じ。そんな時にラルクのdriver'shightに出会いそうだ人生なんてあっという間に終わってしまう自分の思うように生きようと考えだした。こうして考えると私の人生を変えたのはまずビルゲイツ、それからハイドさん、最後にN先生と三大巨頭が揃った。そうだ、他にもイケダハヤト尊師とか心理学の師匠、弁護士の先生、栄子先生、松本先生、こども食堂の師匠、ライターの師匠、製本の第一人者S先生などなどいい先生達に恵まれて幸せだと感じる。製本のS先生は初めてお邪魔した時に私を気に入り、話し足りないから泊まっていけといってくれたくらい。大学の「本をつくる」という授業は受けられなかったけど、S先生に教えてもらおうと思う。「本をつくる」という授業は武蔵美にもあり、この時もスケジューリング的に叶わず受けられなかった。それは置いておいてこうして考えると直接色々教えてくれるのは女性の先生ばかりで、男の先生は遠くから色々メッセージをくれるとい選択をしていることがわかる。

あのナースコスのおっさんが文学フリマの打ち上げで新N先生に「この人は女を張って生きてるから要注意」みたいな事を言ってムカついたものの場を白けさせたくなくて「ああそうなのよ年をとればとるほどそういうのは上手くなってね」などと言って受けていたけれど冗談じゃないわよ!私は女売ってのしあがったことなんて一度もありませんからね。だいたいこのおっさんは入学したては私が好きでちょっかい出してきて最初の飲み会でエロトークばかりするので私が怒っていいつけて叱られたもんだから逆恨みしているわけよ。それでも飲むたびに「外に彼氏つくればいいのに」とかそんな事ばっかりいって、でも「おおえかがあのブログをどう感じようがそれは向こうの自由じゃない?あんただって自由に書いているんだろ?」とか言ってくれてこの時は伊達に女たらしじゃないよくわかった人じゃない、でもキモイから思うようにたらせないこれでルックスが西島秀俊だったら私も危なかったなとか、こういうのを心配して今でもおばあちゃんが「外に働きにでちゃだめ」とか言ってるんだろうなとか世の中結構不倫って多いんだろうなとか去年ランチ友達とめずらしく夜飲みに行ったことがあって案の定変な人達がちょっかいかけてきて「もう奥さんには立たない」とか気持ち悪い事言い出しあっちいって欲しいなあと思ったけれどしつこくからんできたからぶった切ったらすごい怒りだして友達と逃げてきたけど「豊洲のタワマンに住んでる」って言ってたからどっかで会うかもとか子どもがあの保育園とか言っててああ茹で太郎の近くの保育園なのか世の中狭いなとか私は人の名前は覚えられないけど顔はしっかりおぼえちゃったから会ったらすぐわかるとか世の中どういう風に繋がっているかわからないから自分も気を付けようとか色々考えた。

 

 ※あの3時間で書いた一万字の短編小説がぶっちぎりのランキングトップになったというのが、本当の卒業制作だと感じた。

ちなみにタイトルの「風邪をひいちゃいました」というのは、昔森高千里が『渡良瀬橋』という歌の中に書いた一節、昔の恋人なのか想い人だかに渡良瀬橋からの景色と共に心の中で語りかけるという作品、ここに「風邪をひいちゃいました」とあった。風邪をひくと私はこの歌のこの歌詞の部分をつい思いうかべ「風邪をひいちゃいました」とつぶやく。いいですね、森高千里。あの人も小説を書いたらいいのにと思う。こうして考えるとボブディランがノーベル文学賞とったのも不思議でもなんでもない、歌でも小説でも同じこと、もっといえば何かを表現するのに絵でも文章でも音楽でもなんでもいい、自分の好きなもので形を創ればいいのだと感じた。私も芥川賞よりノーベル文学賞、もしくは平和賞を目指そうかなあなんて思った。いいものを書いたらN先生がフランス語訳してくれるかもしれない。