私には先生がたくさんいる。それから師匠も。先生も師匠も同じだと思う方がいるかもしれないが、私も違いがよくわからない。先生にはいい先生も悪い先生もいるが、師匠というのは自分がこの人は先生だと決めた人がそうなのではないか。ここでいう先生とは「いい先生」に限定する。悪い先生は私にとっては先生ですらない、そう呼ぶにも値しないと思うからだ。

でもこちらが先生と呼びかければ応えてくれる、何かあればすぐ助けてくれる、そして生徒が困っていたらさり気なくヘルプしてくれるもので、それはとても不思議なありがたい存在。今まで私が困っていて先生や師匠が知らん顔したことがあるだろうか。いやない。いたとしたらそれは先生でも師匠でもないからだ。

というのをいつかブログに書いた事がある。今回もそういえるのではないか。私が今抱えている深海の巨大生物的大問題、これは本当に悩んで悩んで自分が『もののけの姫』の祟り神の大きな猪のようになっているようにも思える。パソコン、スマホでSNSを開けば別の話題を書こうと思うと手が勝手にあの人この方への恨み節を書いてしまう。「愛憎劇に巻き込まれて迷惑」と書くが、嫌なら無視すればいいのに相手をするのは私になんらかの情が湧いているからだと思う。それら多くを占めている感情は、「可哀そう」「お気の毒」という色が濃い。でもその状態はご本人が好んで浸かっているのだから、遠くから私がやいやいいうのはお角違いだろう。

思えばあの時、もっと私がしっかりすれば良かったのだ。いくら恩義のある先生だからといって、やっていい事と悪い事がある。私は生徒だが先生の所属物でも好きにしてい存在でもない。ましてや個人的な感情をぶちまけるというのは如何なものか。でもここでもっと問題なのは、私が嫌じゃなかった事だ。正直嬉しかった、だから事態は捻れてややこやしくなっている。

大学はこれらを「守秘義務」という言葉を使って私の口を封じようとしたが、それも間違いではないのか。私に守秘してもらわないと困るのは大学や先生達で、守秘して欲しいと私にお願いをするものだろう。偉そうでもなんでもない、本当にその通りなのでよく考えて欲しい。

人は「先生」と呼ばれると自分が高みに上がったような気持になり、つい人の上に立ったように思うものだというのもこの大学に入学して知ったひとつ。そして、それでもなお生徒を慮れるというのが「良い先生」で、まんま上からものを見るように偉そうにしてしまうという愚かな人もいる。生徒を自分の付属物のように好き勝手する、それはもう先生以前の問題だと思う。

そんな風に私も情に流されず、もっと大人としての対応をすれば良かったのに、ブログに面白おかしい読み物のように、先生私も慕って居ます誤解です、というものを書いた。それを読んで先生は納得して喜んだだろう。だがそんな必要はなかったのだ。豊洲のボスママ達もそう、私が「元キャナリーゼゆり子の豊洲にいたとき日記」を書いた頃に反省して改心すればよかったのに、そうしないもんだからぶった切った。

大学でも同じことが起こった。同じようにぶった切ればいいが、豊洲のママ友戦争と違うのは、恩情があるからだ。これは非常に困る。私が斬りたいのはたったひとり、それを斬る為にはあの先生や大学を一緒に斬ることになる。やるかやらないか、私はひとつの賭けに出ようとした。親友に相談し、その人が「自分ならこうする」という案を採択しよう考えた。やってもやらなくても私は将来後悔するだろう。だったら運命風任せで、誰かの言葉にすがってもいいと思った。でもやはりそんなのは迷惑だと気付いた。それはその人に責任が発生することにはならないだろうか。あの人が言ったからそうしたのにと。

代わりに近々ランチする予定の友達に相談してみた。相談したいと思っていたところにタイミングよく電話が入り、これこれこうで困っているがあなたならどうするか、と。その人は私を良く知ってくれているしブログも読んでいるので「ああ、そうだったの」みたいな感じで納得してくれて、「どうしても納得できないことってあるよね。やるだけやったらいいと思う、でないと後悔する。でも子どもがいるんだから、事件に巻き込まれないように。窮鼠猫を噛む」と言われた。

私は人の言うことはきかないが、本当に私のためを思ってくれている言葉を嗅ぎ分ける能力はある。なのでナースコスのIさんの言葉も納得できたし、今回もそうだし、よく喧嘩はしたけれどあの弁護士の先生の言葉も訓えも私に染み込んでいる。今回の件で相談したり話したりして「私のことを慮」ってくれたのはこの三人だけだ。あとは自分の保身、身分的役割、職務、そんなところから最も穏便に、大学の不利益にならないようにというものだけだったと思う。でもそれはそれでいいと思う。組織の機関というものはそうあるべきだから。

そして、もうそろそろブログにギャーギャー書き散らかすのは終わりにしないといけないとも思う。何故ならこんな事に時間をとられていては、他の事ができなくなるからだ。今は様々な組織はお休みで、そちらの仕事も出来ないからいい。でもこの連休が終わったらまたやらないことが山盛りある。そうしたものへの悪い影響は極力ないように留意し、新たな活動新しい作品も書きたいと思う。大学にいる間に様々に書きかけては途中の長編小説がふたつ、ノンフィクション小説がひとつ、暮に書いた一万字小説は3万字程度にして何処に出してみたい。

こんな風に気持ちが切り替わったのは、この先生の言葉がある。



そしてその先にリンクが貼ってある言葉を読んで、私は驚いた。これ、多分私へのメッセージでもあると感じたからだ。私の辻先生ラブは昨日今日始まったものではない。辻先生もずっと以前から私の存在はご存知だったはずで、もしかしたら私が抱えて困っているものも当事者か誰かに聞いて知っているかもしれない。

その上で様々に私を、そして辻先生もかつてはいらした組織を心配してメッセージを書いてくれたわけです。ありがたいことです、本当にそう思います。でも大学側に対しても書いてみて欲しいと願うのは欲張りでしょうか。生徒がそうならないように、そういう感情と共に去らずに済むように采配するのも先生の仕事、大人なんだから言われなくてもわかれというなら、だったらそういう態度が必要だと思う。

それ以前に、人と人が争う時、どちらか一方が悪いというのはほとんどないとわかっています。イジメとか嫌がらせというのは、その人が妬ましいという気持ちから発生することも熟知しているつもり、なのでそれら一切無視して、自分の幸運をただただ感謝する機会にしたらいいとも思う。でもそうしていたら、私の子どもや大切な学友達まで狼藉する馬鹿がいて、それを叩くのは私は致し方なかったとも思う。喧嘩したり無視しあったりというのも何度もあったが、一緒の学び舎で学んだ人達は私の大事な学友で、その人達が酷い目に遭うのは我慢できなかった。 

でも辻先生がここまで言って下さるなら、私は「我慢」します。そして大人になります。あの人達は本当に大人になりきれない大人もどき先生もどき、そういう人達をまともに相手にする自分は同じレベルなのだとわかっています。大人には大人のやり方があり、私は裁判も経験しており、この問題をどう転がしたら相手にダメージも与えられるかお金になるかもよくわかっている。そして私は勝ったとしてもちっとも嬉しくないと思う。「お金目当てだった」などと的外れな悪評をまた拡散され、新たな争いが起こるだけだろう。

なので私はもう一度学長に手紙を書いて出す。それが届いたか届かなかったかは「コナン」に監視させる。自分が監視する役割になればあの人は握りつぶす事も出来ず、それは今度は必ず届き返事がくるだろう。その返事についてはどんなものでもかまわない。謝って欲しい訳でもないし、労わりが欲しい訳でもない、非難の言葉でもかまわないと思っている。ただ、それがその人の本心であって欲しいと願う。私がコンビニ大学ロボット先生達の集団と非難した京都造形芸術大学のトップが「そうじゃなかった」と思えるなら、私は何もかもに感謝と共に大学を卒業出来る気がするのだ。 

一生徒が偉そうにと思うなら思えばいい、雲の上にいて、蜘蛛の糸をつたって昇ってくる者者を眺めるような気持ちでいるならいつまでもそう思えばいい。でもあなた達の乗っている雲は、私たち学生という「カスタマー」が造り上げたものでもあるということを忘れないで欲しい。

私たちは高校を卒業したばかりのティーンではない。人生の酸いも甘いも噛み分けた大人ばかりだ。「目上の人」たちもたくさんいる。そうした人達に敬意も示せず「俺の生徒だから」と馴れ馴れしく扱い偉そうにする。非常に不愉快と思っている通信学生もたくさんいるようです。私はこの一年間憤怒と共になるべくたくさんの生徒からこれらインタビューしてきました。プラス数々の問題発生。私の件は氷山の一角だ。

「人間として大事なことは、そこを離れるときに、揉めないことですね。相手を汚さないこと。
この世界に唾を吐きかけないことです。簡単そうですけど、意外と難しい。
なぜなら、自分は常に正しいと誰もが思うわけです。相手の立場なんか何も考えないで。」

辻先生から本当に難しい課題を頂きました。でも本当にそうです。今回の件では大学も私も学友達も、誰もが「自分は正しい」と思っているから起こったことでしょう。

「 敵なんかいないんですよ。
もしいたとしてもそれはたいした敵じゃないです。」

わかっているんです、私のような一生徒を妬んで先生を使って嫌がらせをしてくるような人、相手にしなければ良かったんです。でも、N先生が本当にお気の毒に思ったんです。先生は日本でお寂しい、なので同じように寂しい気の毒な境遇の部下と共鳴してしまった。だってあの人友達が誰もいないみたいで。Twitter、note、togetterをみるとそれがよくわかる(私も人のことは言えない笑)

朱に交われば赤くなるというとおり、N先生は部下のハラスメントを抑止できなくなってしまった。止めたらまた一人になると思ったから。N先生、ひとりって寂しいですか、結構楽しいですよと言えるのは私には家族がいるからなのかもしれない。私の身体が五体くらいあったら一体派遣させるのに。私は楽しくてcuteで寂しくなる暇なんてなくなります、代わりに噛んで振り回されて夫のようになります。あらじゃあ幸せじゃない。それから友達は選ばないと、あなたの人生に黒い染みが出来てしまうことになりますよ。もうそうなりかけたでしょう、あなたの悪い友達のせいです。

「急がないことがまずは一つの得策ですな。
もし、不満があっても結論だけを追い求めないこと。結論とは無理やりに結んだ論でしかないのですから。
そのような決着はよろしくないわけです。答えなんか、そもそも、ないのかもしれませんよ。」

大学を卒業するまでに決着したいと思っていました。本当に無理やり答えを出そうと考えていました。でも先生の言う通り正しい答えなんてないのでしょう。急がないこと、それから多分「許す」ことが必要なのでしょう。でも今は無理です。でもそのうち誰かが現れるとか時間が解決してくれるのかもしれない。待ってみることにします。

それから私だけじゃない今大学にいる今回様々に問題を起こした先生達も反省してください。これも偉そうと思うなら、もうあなた達は先生の資格はありません。静かに大学を出ていって下さい。この学び舎はあなた達が好き勝手していい場所ではありません、私たち生徒達のものでもあります。ともかくまずはブログに何もかもをぶちまけるのはやめることにしました。この点は約束します。代わりに大学側はきちんと対応してください。

以上です。

懇親会の日の学舎、悲しいほどお天気でした。

私は辻仁成先生に教えて貰えると期待してこの大学に入学した。直接は叶わなかったが、最後の最後、私のピンチに手を差し伸べてくれたという奇跡。やっぱりこの大学に入学して良かったです。辻先生は、やっぱり私の師匠だった。 先生、私の最新作読んでみて下さい。 私もフランス行ってみたいなあ。ソルボンヌキャンパスが出来たら辻先生はまた先生になって下さるだろうか。