ただの備忘録的記録です。やっぱり日本美術史は面白い!昨日今日で一番印象に残ったのが、岡倉天心、この人本当に人に好かれる人で、帝国大学政経学の教授だったフェノロサを日本美術贔屓にしちゃうわ、大金持ちの孫娘と結婚させてもらって日本美術の貢献のためにお金をバンバン使わせて貰ったり、最後は原三渓にもお金出して貰うように。多分天心は何もしなくても周りが勝手に手を出してしまう、そう、L'Arc〜en〜Cielアンシエルのhydeさんみたいに同業者をも虜にしちゃう人だったのではないかと思ったわけです。

また、「歴史学は時の流れ、芸術学は色彩に注目する方が多くて印象的です」と先生が言われて、ああ、確かにそう。私ともうひとり文芸コースの学友がいたけれど、私たちは「人の心の動き」が気になった。もの書きだからでしょうか。そういえば小説って「人間関係」の塊だもの。私が人の心の動きがわかりすぎて逆に嫌だと思うことがあり、心理学なんか勉強しなければ良かったと思うことがあるけれど、これもしかして文芸コースだから、なのかなとチラと感じました。だとしたらちゃんと色々吸収できていることになり、非常に満足。

でもまた余計な一言たけど、N先生のことはサッパリわからない。激怒したりニコニコしたり、先生の態度は私を傷つける。お互い様だ。

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フェノロサ、天心、原山三渓の年表をまとめてみた。おおーう、原山渓なんて買いちゃったじゃない、全くMSIMEは「原三渓」くらい一発変換してください。ちなみに一番下の「天」の文字は「三」の間違い。上から順に、フェノロサ、天心、原三渓の年代表。フェノロサは1880年に天心が卒業論文で書いた『美学論』を読んだ二年後1882年に「美術真説」という講演をしている。政経の先生なのに。晩年はボストン美術館東洋部の主査になるが、ここになんと天心も何度も行ったり来たりしている。原三渓は、1899年に天心と出会った記録がある。そこから膨大な資産を天心というか日本美術に注ぎ込み貢献している。それからこれはwiki情報だけれどこんなのがあった。

「1888年(明治21年)、明治を代表する文部官僚で男爵の九鬼隆一は岡倉のパトロンであったが、その妊娠中の妻 波津子 と恋に落ちる。波津子は隆一と別居し、のち離縁する。離縁後に生まれた子が、有名な哲学者九鬼周造である。彼は、子供の頃訪ねてくる天心を父親と考えたこともあったと記している。」

天心もてたんだ。でもきっと勝手に相手が好き好きになっちゃって困るタイプじゃないのだろうか私のように。天心が亡くなったのは1931年50歳没。ファンたちからしたら夭折といっていいのではないか。日本美術界がどれだけ嘆き悲しんだか。私も天心に会ってみたいと思った。

そこで天心ってL'Arc〜en〜Cielのhydeさんみたいじゃないと言ったら年配の人からは「わからない」と言われ、だったら孫正義さんあたりが生まれ変わりなのではと言ったら「そうか」と納得された。そこから「天才が生まれると時代が変わる」という名言がグループワークで同じ班の方から飛び出し、本当にそうだと感心してしまった。

逸話[編集]wikipwdiaより

  • 1903年(明治36年)、天心はアメリカのボストン美術館からの招聘を受け、 横山大観 菱田春草らの弟子を伴って渡米した。羽織・袴で一行が街の中を闊歩していた際に1人の若いアメリカ人から冷やかし半分の声をかけられた。「おまえたちは何ニーズ? チャイニーズ? ジャパニーズ? それともジャワニーズ?」。そう言われた天心は「我々は日本の紳士だ、あんたこそ何キーか? ヤンキーか? ドンキーか? モンキーか?」と流暢な英語で言い返した。
<原文>
"What sort of nese are you people? Are you Chinese, or Japanese, or Javanese?"
"We are Japanese gentlemen. But what kind of key are you? Are you a Yankee, or a donkey, or a monkey?" [19]
  • 天心の残したメモの中に「第一・四十歳にて九鬼内閣の文部大臣となる、第二・五十にして貨殖に志す、第三・五十五にして寂す」と将来設計を記したものがあり、当時文部官僚だった九鬼隆一との蜜月が偲ばれる。 [20]

  • 当初は天心を引き立てた上司である文部官僚の九鬼隆一男爵の妻・ 波津子 九鬼周造の母)との接近について彼の更迭との関連も噂され、一部で好奇の対象となった。( 美術学校騒動
  • 天心は、1892年5月東京専門学校(後の早稲田大学)に特別科外講師(東洋美術史)として参加しており、そこで大隈重信と知り合い、 日本美術院 の後援者となってもらった。

美術学校騒動ってそんな事があったのか。

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関東大震災は1923年、原三渓は震災後の横浜の復興に尽力。三渓園を市民に無料公開。この辺り妄想だけれど、原三渓の人柄もあると思うけれど、天心の影響もあったような気がする。

三渓園。「yokohama sankeien garden」とあるけどおかしくない?「sankei garden」なのではないだろうかまあどっちでもいいけど。いつか行ってみたい。いい感じ!帰りに中華街かなあ♡

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ねえ山ピーさん、あの人樹木希林に似てない?だけどそれだとまんまなので「此処コアラ」と命名した。なんの事がわからないって?いーのいーの学友だけにわかれば。これ読んでお腹よじれる程笑ってると思う。