さきほど家に持ち帰った卒業研究の要約原稿が完成し、大学のqestionのメールアドレスに送信した。でもこれプリントアウトしたものを、昨日の口頭試問の時に渡されたアンケートと共に郵送もしないといけない。その前に普通は要約原稿はここまでくるとほとんど修正の必要はないのでそのまま面接授業が終わり、ありがとうございましたと主担任、担任の先生達に礼を述べ退室し、あとは卒業式を待つだけという流れが普通。もし修正があったとしても、校正のための部屋が用意されており、そこでちゃちゃっと直して「要約提出箱」というものに渡された封筒に入れてポストインして完了。でも私は昨日は口頭試問の後に色々用事が出来、その後すぐ大学の偉い先生達と面談があったので原稿修正が出来なかった。修正はがっつりやる必要があり、手で修正もむつかしいボリュームで、家でパソコンでやろうと考えた。で、朝からまたNSNで色々書き込み、やっと手も頭もほぐれたところで卒業研究の要約を書き直し、作品概要の文字数を減らし、どういうバランスがいいか四苦八苦してようやく要約が出来た。

この日の大学はまたいつもの如く色々と忙しい一日になった。

最近外苑キャンパスに行けば丸一日拘束され、更に事件が色々起こるような気がする。一日拘束されるのは、私は通信生だから毎日学校に行く訳ではなく、大学に行くとなると色々なアポや面談希望、誰かに会えば情報収集に余念がなく、一日があっというまにぎゅうぎゅうになる。最近は1月13日から15日の「日本美術論」この時も授業以外でも色々あった。「フライングカフェ申し込み事件」とか「フェノロサは天心のフォロワー新知見発表事件」「有名人とご飯行く件聞かれて知らないオババに嫌がらせされた事件」「挨拶したのにおおえかに無視された後目もあわせてもらえずガン無視された事件」などなど。

まーでも最近の「懇親会フィガロ仮面VSN先生事件」とか「ストーリーとシナリオ感想聞いてまわった事件」とか、なんか事件つければいいと思われそうだけれど、私にとっては日々の出来事特に大学で起こる様々な事象は全部事件で、それぞれに名前をつけて脳内コレクションをしている。そしてはみ出た部分をブログに書くことをライフワークにしているが、これが生業になるともっといいのだがなかなか世間が変わってくれない。私は自分を変えるのがイヤだしきっとできない。だとしたら世の中が変わってくれるのをじっと待てばいいと思う。結局それが一番のような気がする。

という訳で昨日の事を時系列で備忘録的に書いてみた。日記みたいと思われるかもしれないが、その通りこれ私の日記だから。一番最初のブログが「キャナリーゼゆり子の豊洲日記」でしたねーえーもう懐かしいですね。今クローズしているけど(※思い切ってまた公開しました)読むと本当に懐かしさで胸がドキドキする。もう最近はムカムカしたりカーッとなったりしない。それもこれも大学がそうなっているのでもうママ友や幼児園の憂鬱は思い出に変わったように思う。そう言う意味でも大学に入ってやはり良かったと思う。

昨日は12時くらいに家を出た。「ママ、今日も大学?」とお猿ちゃんが聞いてくれて、なんとなく寂しそうで色々世話を焼く。すると娘が息子にちょっかいを出して泣かせだす、きっと自分もかまって欲しいのだろう。でもあまり時間がないのでそのまま飛び出す。豊洲から市ヶ谷、JRに乗り換えて二駅目の信濃町駅、もう四谷で間違えて降りたりしない。でも慣れたところでもう卒業、世の中そんなものよねと大学に向かう。

駅すぐのデイリーヤマザキでおやつのパンと淹れたて珈琲をマイボトルにつめ、ついでに店内のポストに「日本美術論」のスクーリングレポートを投函。やった\(^o^)/これで大学にだす課題、単位に必要なものは全て出せた。もうこれで単位数足りたのでここで打ち止めにする。本当はもっとやりたい科目があるのだが、他にとりかかりたいことがたくさんあり、自分のやりたいようにやらせてあげようと思う。

今までの書き方からすると、今回も面談の他に呼び出されてなんか叱られたんだろうイイ気味と思うかもしれないが、冗談じゃない、私は怒られるようなことを何もしていない。色々ブログに書いたことは認めるが、でもある意味致し方なかったと思っている。やっぱり今回も大学は刑法など説明に折り込み私を揺さぶろうとするが、ブログを修正しろとか削除とかヤメロとかは言わない。やっぱり色々思うところはあるが、社会的に意味があると思ってくれているよう。今後書く時は「セレブデブ」と「馬鹿」などは控えるようにとは言われのでそうする。私は注意されて突っ走るような躾の悪い女ではない。清楚でつつましく、夫の後を三歩下がったらそのままどこかに行ってしまう女。

まあそんな訳で昨日も口頭試問だけではなくその後にもぎゅうぎゅうとスケジュールが組み込まれた。

肝心の口頭試問、直接対面が初となる主担任の先生とお会い出来て感無量だった。「やっと会えたね」って喉まで出かかったけれど、なんだかこの大学の空気がそれを許さないというか何というか。そうだ、「最後の最後までweb 授業だったらコナン訴えてやる!」と事務局に怒りのメールを送ったら、即東京に来てもらえることになり拍子抜けした。最初から私も「不満です」と言えばよかったのに色々遠慮していたのがやはり良くなかったとも思う。「私手のひら芸大に入った覚えありませんから」と言えたのが11月ごろ、もうね、春辺りに大学と喧嘩になっても言えばよかった。私は中途半端に我慢するたちで、いったん堪えるものだから内部圧が強くなり最後にバーン!と爆発してしまう。「小出し」とか「空気を抜く」というのが全くできない。

そういう訳で主担任、副担任の先生二人と私とで最後の面接授業が始まった。

ここでひとつ書いておきたいのが、私たち2016年卒業生たちは、最終面談は論文研究にかかわった、卒業制作に関係する先生達全員の前で何か質問されるのだと勘違いしていた。なので誰かと話すたびに、大勢の先生達の前だと緊張するかもなんて話ていたくらい。でもいつだったかそうだ、主担任の先生にイレギュラーで学習相談をお願いした時に、事務の方がwebのセッティングをしに部屋にきた。主担任の先生は京都の先生なのでこの日もweb 面談だった。まあでもこれはこちらが急にお願いしたのでいいのだが、その時に事務局の人に色々聞いたら、「最終も主担任副担任の先生だけだよ」と教えてくれた。

なんですってええええ!と思って会う学友に話したり、fbに書いたりした。そんな訳で大学はそういう情報もっと出してよと思った。先生達は毎年だから手慣れて訳がわかっているけれど、私たち生徒は何もかも初めてのことだらけ。子どもを初めて産んでお母さんになるのと似ていると思った。なので私はブログに細々と色々書いている。きっと読んで色々解決したことがたくさんあるんじゃないだろうか。そうだ、最近「武蔵美と京都造形の違い」という記事がずっとトップに君臨しているが、みな違いがわからずにここに辿りつくのかもしれない。今は「警察は役立たず、もう二度とくるな」がトップを奪った。あれ、本当にすごいアクセスで一体何が面白いんだろうと思う。何か役に立つのだろうか。そのうち続き書くから待ってて。もう本当に色々忙しくてさあー

口頭試問は主担任の先生のリードで始まった。この授業での受け答えも成績に関係するから頑張って、でも緊張しなくていいなどと言われる。ちょっとドキドキしたが、普通に考えてることを赤裸々に話せばいいだろうとそうした。主担任の先生からは、良かったポイントを3つくらい上げられ、その後苦労したことは何かとか、工夫した点、あとはずーっと手放しという表現がピッタリなほど褒められっぱなしだった。それまで卒業制作の授業はダメだしばかりで添削の方に「ここはいい」とかちらっとあっただけ、この日はこのままでいいとか完成度が高いとか、先生も大喜びのようにみえた。

でも先生からしたら自分が指導した生徒がいい作品が出来れば評価も上がる訳で、私も「誰も担当をしたがらない」という噂の中で主担任を引き受けてくれた先生に恩返しするつもりでも頑張ったところがある。winwin 的ないい着地点に作品をもっていけてよかった、完成した時は本当に歓声が出てしまったくらい。

なぜこの作品を書こうと思いましたか?という質問には次のようなことを答えた。

私は大人になって、しかも子どもを産んでからヘビーなイジメに遭った。こどもの頃だったら堪えられなかったと思うが、大人だったので我慢できたし辛いながらも観察することができた。世の中イジメはだめとかなくそうとみんなが言うけどイジメがなくならないのは何故だろう、しかも子どもにイジメはダメと教える立場のお母さん達が全員でやっている。とても不思議に感じたので小説に書いてみようと思った。

そんな感じだったと思う。そうしたら主担任の先生が、その言葉を要約に入れてみてはと言っていただき、提出済みのものを修正追加することになった。先生があらかじめ原稿に赤を入れてくれていたものを受け取り、これはパソコンでやらないと出来ないなと持ちかえることにした。

副担任の先生も、FBのバナー事件でおおえかとバトルしたせいで先生を前日ぶった切ってしまったばかりだったが、なんの拘りもなく授業がすすみ、なんかあのあたりの先生達と違って肝の据わった方なんだなと思った。副担任の先生も今日は褒めて下さる以外、ダメ出しはなんにもなかった。ここはどうやって思いついたのとか、最終原稿でガラッと変わったのは何かあったのかとか、本物の文芸編集者は本当に厳しいので頑張って下さいとか、デビューの決まった人に言うようなことを言われていて、ああ私もしかしてそういう流れに乗っているのかも、なんて勘違いして思い上がってしまった。最後の晩餐はご馳走が出るというのと同じで、最後なので褒めるという事なのかなと思ったが、自分でもよく出来ていると思うことばかりピンポイントで褒めて頂けたので本当にそうなんだろうと思った。

それから要約、というのは卒業制作を載せる冊子に出す原稿のことで、これをちょっと変えたらどうかとまた提案があり、多分他の先生だったら「要約なんてもういいか」と思うところ、最後の最後まできっちりみて下さる方にあたって私は本当に運がいいとまた思った。私は運だけじゃない、顔も頭も性格もいいということはそろそろほとんどの方がわかってくれはじめたと思うが、この先生に巡り会えたのは元はといえばおおえかが私にした意地悪が発端、そう思うとここだけは感謝しなくてはならない。人生とか運って、どうなるかなんて最後までわからないものだとまた思った。もしあの時不貞腐れた気持ちになり大学を飛び出したりしていたら、こういう未来は来なかっただろう。そう思うとどんなに辛い時でも腐らず自分のやるべきことをキチンとするというのは大切ということだろう。人生万事塞翁が馬、どん底の豊洲ママハラライフもこんないい作品、って自分で言っちゃいますよおーだって面白いんだもん。そのうち世に出ますようにと祈念。

そういえばおおえか、4~5人の主担任やっているみたいだけれど、ちゃんとコピペじゃなくひとりひとりに対応出来ているんだろうか、でももれなく副担任はN先生だから、大学病院でいえば研修医に治験されるようなものじゃないだろうか。一年目の終わりごろはN先生と一瞬直接話す機会があり、担任して欲しいとお願いしたことがある。その時はやぶさかでない風味だったのでもし何事もなく過ぎていればそうなっただろう。でも結果的には今の先生達が担当して下さったおかげで切磋琢磨ものすごく勉強になったし書く力も相当あがったと思う。それにN先生だったら一緒におおえかも担当になっただろう。うーん、本当にどんな運命のいたずらなんだろうとまた思った。

おおえかが担当になった生徒達は依怙贔屓されている人達、何かあっても意見が言いにくいのじゃないだろうかと心配になった。私、当たらなくて本当に良かった。もし主担任だったら耳障りのいい話や、検討違いの厳しい指導というのに翻弄されていたかもしれない。

私を受け持って下さった主担任の先生は、私が初めての担当だそう。最初に返ってきた卒制の添削に「私は小説家なのでアドバイスがきっちりできます」と書いてあり、多分自分の作品や才能に自信がある方なんだろうと思った。添削を読んでもそう思ったし、数回の面接授業でもそれは感じた。そういうブレない自信のある情熱を持った熱血先生は厳しくて優しく理想の先生だったように思う。こんな大学の文芸コースには勿体無い!

副担任の先生のアドバイスも最初の頃はよくわからなかったが、最後の最後の仕上げの頃に、ああそういう意味だったんだ、じゃあこうしたらいいんだとそのようにしたら素晴らしい作品が出来た。何度も言うけれど、先生の言うことアドバイスは全部採用した。書けと言われれば10万字書き、それを読んでもらって6万字くらいにしてみようと言われればそうした。その時はえー!マジですか?と悶々としたが、全て意味があることだった。口頭試問でもそれは先生達と双方認識を新たにし、良かったよかったとそれぞれが幸せな気持ちで最後の授業を終えられたと思う。本当に色々あったけれど、終わりよければ全てよし。この大学に入学して良かったと思った。 

そこから次の約束でロビーで待つOさんと話し、その後「偉そう先生」と「住職先生」あとは「すっごく偉そうだったけど最近日が消えたように大人しくなった事務局の女の人」と面談があった。この話は別に書いた。 まるっと一日大忙しだった。   
   
さあ、レポートも課題も全部終わったし、あとは後は大学からの成績表と卒業式の案内を待つだけ。私はB認定だから卒業証書はもらえないが行ってみるつもり。正直全然行きたいと思わない、でも行く多分。それから「練歌と俳句」の授業が75点だったのはおかしいともう一度疑義書を顔採用の先生に出す。私はフェアな採点だったら68点だろうが86点だろうがその通りだと受け入れる、あれはああでこれはこうでなんて後から成績に文句言うのは筋違いだから。特に文芸の課題は文章鍛錬もある。先生の採点を読者の感想だと考えれば、満足のいくものが書けなかったと反省し次に生かすだけ。でもあれは本当に「ないわ」と思う。エモーショナルなものは学問の場にそぐわないし持ち込むべきではない。先生といっても好き嫌いはあるだろう、でもあの採点はそういうものを超えた「報復」的なものがあった。なので疑義書を出したのだ。

あとは卒業制作の要約をプリントアウトして卒業のお祝の会出るかでないかのアンケート用紙と一緒に出す、それから2月のフライングカフェに行くのと3月の藝術学舎「小説を書く」という2日間の授業に出るのと、卒業式前日の卒業制作発表会と懇親会、もしかしてその後の二次会、そして卒業式。私は卒業証書貰えないけどみんながコースごとで貰う時までずっといるつもり。だって最後までみないとあの後どうなっただろうと考え続けるのが嫌だし、その後絶対学友達集まって私の悪口大会するだろうから監視してやる!

これだけではなんなので、卒業式の次の日から連休だからゆっくり京都観光をしようとも思う。もちろんぼっち。一緒に京都まわりたい人なんて誰もいないわよっ!世間のしがらみを断ち切りひとりで思う存分あちらこちらぐるぐるみてまわりたい。名古屋に住んでいた時はあっという間だった京都、もう東京に住んでいる今は全然縁がなくなってしまった。しかも今は全京都と敵対している状態、冬彦どうしているだろう。あの人あの時絶対大学にちくったよね、だって学長が急に私への温度が低くなったもの。そして顔採用に流れたと。そして私に75点、冗談じゃないわよ!断固抗議する。成績や単位が確定するのが私の場合2月末だそう。それまで頑張りたいと思う。

あとは大覚寺の千住博大先生の襖絵を是非みたい。3月26日までの公開で卒業式の後の連休なんてすごく混むだろう。でも私お得意の朝いちばんで行くというやつで行けば大丈夫、こういう時旅のお供がいると、「ごめんね、私どうしてもみたくて朝早く眠いでしょう」なんて言わないといけないけれど、ひとりなら自由自在。女性も高齢になるとわらわらと温泉だの観光だのすると思うが、私は絶対したくない。いつもひとり、もしくはwith家族の誰かを引き連れて。だいたい家族揃ってどっか行くのも私は苦手。二人ならいいけど四人になると色々な思惑が渦を巻きマウンティングが始まる。もう懲り懲りゴリラよ。    


信濃町駅の花屋さんは春の花がいっぱいだった。もうすぐ春で卒業なんだと思ったら寂しくなった。

       
そういえば偉い先生達が「SNSに顔写真あげない方がいい」と心配していた。しかも本人の写真じゃないと思っていたようで、同じ顔がきたと驚いたそう。もしかして私に惚れちゃった?身の破滅だからやめておいた方がいいわよ!


またしても驚きの噂を聞いたので追記:コース主任のN先生、「卒業を祝う会」は自ら「日程的に難しい」と言って欠席するのだそう。一体どんな理由があるのか、これ職務放棄じゃない?もしかしてもう大学から出る覚悟が出来たのか。理事長にお手紙書いたので回答を待ちたい。

一番印象に残った質問にこう回答した。