今回の京都旅行で気が付いたのは、私は谷崎潤一郎が好きだということ。「好きな作家は?」と聞かれるといつも困る。その作家が本当に好きなのかどうかなんて、正直わからない。その作家が好きというなら、その方の書いたものは全部好きかと言うとそうでもない。例えば村上春樹だって好きだけれど作品全部好きかというと彼のファンタジーっぽい作品はあまり好んで読まないけれどエッセイとかルポルタージュとか河合隼夫小澤征爾の対談集なんかは人選の趣味がいいと感心するし、逆に彼へのインタビュー集なんかは秀逸で読み込むまではいかないけれどいつも手元に置いておきたいと思わせる何かがある。じゃあ村上春樹は好きな作家でいいわね。あとは林真理子さんは鉄板、桐野夏生、辻仁成、川上未映子、山本文緒、窪美澄、えーとそれから。

でもちょっと前、特に昭和初期からそれ以前あたりの文豪となると私の中では「文芸」ではなく「歴史」ととらえる傾向があるので好きも嫌いもない感じ。だって教科書に載っている人ばっかりじゃない。楽しむより「学ぶ」とか「覚える」ものだと認識しているせいかもしれない。国語の教科書に切手の大きさくらいに載っている著者の写真なんかは、全員メイクしてコラージュしたせいか、今更こんな風に大学でまた学ぶというのも申し訳ないような。太宰治はベディちゃんのような髪型が意外に似合ったなんて覚えている。

そんな訳で「太宰が好き」とか「寺山修二サイコウ」などと言われてもピンと来なかった。というか、ほとんど全員同じ立ち位置でこちらを見ているという感じ。近寄ってきて話しかけてくる訳でもない、遠くにいってしまって見えなくなることもない。唯一太宰治が夢枕に立った時は焦ったけれど、わざわざお墓にお参りして「すみませんけど困りますから」と言いにいってから来なくなったのでほっとした。でもまた身近なところで太宰の熱狂的なファンという方が登場し、桜桃祭にいつか行きましょうなんて話が盛り上がり、太宰、一体どこまで私が好きなのと思ったりした。

申し訳ないけどその頃の作家で好きな人いない代わりに苦手三大作家というのが私の中にあって、「太宰治」「三島由紀夫」「村上龍」がその御三家。最後の方は現代作家だけど、同じ昭和の時代ということで入れていいことにする。この方々気持ち悪い作品ばっかりでしょう?亡くなった方たちはちょっと訳アリっぽくて怖いし、出来れば読みたくないという作品ばかり。太宰治なんてメソメソくよくよ死にたい死にたいってあのね、あなたお酒飲みすぎなのよ。すっぱりやめてちょっとその辺ランニングでもしたらいい汗かいてスッキリしたのになんて思ってしまう。

三島由紀夫は『金閣寺』くらいしか知らなかったけど、大学の授業で様々な話を聞いた時は、「いやーこんな授業受けてたら死にたくなる」と、気分が悪くなり途中で30分ぐらい抜けさせてもらったくらい。盛夏っていうのも気持ちが下向いた原因だったかもしれない。

村上龍は『コインロッカーベイビーズ』赤ちゃんをそんなところに。それもそういう事件が実際にあって題材にしたらしくて余計に怖くなってしまった。私の現在の閉所恐怖症はこの作品のトラウマといっても過言ではない。昔村上龍はファンサイトの掲示板で喧嘩になり、それをネタに彼は一作品書いた。その時の色々もまだくすぶっていて余計に苦手なのかも。これ、どこかに書いたなと思ったら、NewsPicksのコメントで詳しく書いた。あそこにはブログ以上に細々と書いたからバンされてほっとした。もう誰にも読まれたくないので二度と私のアカウントを復活させないでください。 

でもあの時、最後は村上龍が折れてくれて騒動が収まったし、なんだいい人じゃないと思った。なのに苦手三代作家なんて言ったりして私ったら。でも彼の書いた『恋はいつも未知なもの』は大大大好きで、100回は読んだしCDいっぱい買ってあの本の目次通りにジャズ聴きまくったし、幻のバーを探してあちらこちらjazz bar に行ったりした。あの頃この本読み込んだせいでジャズが好きで好きで、私が某名古屋の今は消滅したコンビニの会社退職する時は憧れの上司が私がジャズ好きって何故か知っていてくれて、jazz in loveryにみんなと連れていってくれたのよ!そうしたらまたタイミングよくその頃大ファンだったKeiko lee の日でbeautiful love かかって私嬉しくて泣いちゃった。村上龍さんあなたのおかげで素晴らしい青春のメモリーが!ありがとう龍さん!いつか一緒にワイン飲みましょうね。

またいらん事を書き足してしまったが、続き。今回京都に来ることになり、ネットを色々ほじっていて寒竹先生のブログにいきついた。HPがあるのは知っていたけれど、私って基本的に自分にしか興味がない人だから人のHPやblogってほとんどみない。2ch など掲示板なんかも好きじゃない。でも京都に行くなら神社仏閣と思っていて、先生が『神様に会いに行く』という連載をされているのを知り、読んでみたら面白かった。丁度私が行きたいと思っていた平安神宮も紹介されている!やった!その前に京都のフライングカフェでも訪れたようで京都造形芸術大学通信文芸コースのFacebookや 大学のHPでも記事になっていた。これを読んだから余計に行ってみたいと思ったのよ、もう行くしかない!!

谷崎潤一郎という作家、大学に入る前は正直この人も苦手だった。何よりまずテストに出そうなイメージ「この作家の作品を三つ書け」なんて問題があったら、川端康成と間違えて『雪国』って書くわあ、だって『細雪』と『雪国』字面が極似じゃない?ええと谷崎潤一郎谷崎潤一郎、吉行淳之介とも間違えないようにしないとーなんて思ったり。あとはちょっとエロスというか、ちょっといっちゃってる愛憎劇がなんか苦手というか、拒否したくなるようなねちっこい倒錯的なものは自分の記憶に残したくないと思ったりしていた。

でもよくよく考えたら、谷崎潤一郎の作品は私ほとんど読んでた。とはいえ作者が谷崎潤一郎って気が付いていなかったかも。『痴人の愛』『卍』『吉野葛』『春琴抄』そしてなんといっても『細雪』、これ、京都行くまで真剣に川端康成か谷崎潤一郎か大学で習ったはずなのに混同していた。『細雪』大好き。以前ブログで着物の事を書いた時にも『細雪』の着物の話を書いている。書く時誰が作者だったかネットでいちいち調べたわ♡

読んだのはまだ私が娘っ子の頃だったと思う。自分も三姉妹なので女ばかりの楽しみしがらみ困ることなんかちょっとよく似ているなあなんて思ったような覚えがある。「もう着ない」宣言をした着物、着ないけど好きでよくもまあこんなにという程持っていたくらい。物語の中で着物の話が出るとぱっと気持ちが弾むのがわかる。

そんな『細雪』の聖地は多分船場だろうけど、京都に物語の舞台になった場所があるなんて知らなかった。しかも京都のフライングカフェだとう?行きたくてもいけないじゃない、だから東京にいて京都の大学っていうのは困るのよなどと思っていたけれど、今回卒業式に行くことになり「じゃあ自分も行けばいいじゃない」と。こういう楽しみ思いつかなかったら卒業式なんて行こうと思わなかった、多分。はーイヤ、もーダメ、ぶっちしようかなあなんて愚図愚図考えた。

バスを降りて5分くらい歩いた。正門に到着。



本殿、左右の樹に注目。左が橘で右が桜、ああーだからお雛様の飾りもそうなんだと納得。大発見をしたように思えて嬉しくて興奮してニコニコしてしまった。いつもどっちが桜で橘か、もう何十年も愛でたり飾ったりしているので感覚的に間違えはしないけど、お雛様と言えば京都、そしてここ平安神宮が元なんじゃないかと思った。本当にそうかどうかわからないけど、もうしっかり覚えたし「平安神宮もそうなのよ」と来年お雛様を飾ったら娘に教えてあげよう。

 
近くで撮った。   
   

桜はまだ固い蕾だった。それよりもっと他に写すものがあったでしょうと思うというくらい、右桜に左橘の写真ばっかり撮って、よほど嬉しかったのだろうと他人事のように今は感じる。   

 
さあ、いよいよ『細雪』ごっこの始まりよ!

keidaizu2014
平安神宮境内図

枯れ木ばかりでちょっとガッカリ。その代わりにガラ空きだった。おばさんのグループとか大勢の団体客とかいないからこれはこれで良かったかもしれない。


これかあ!ブログの写真の通りじゃないと嬉しくなった。もちろん渡った。思ったより石と石の間隔が狭くて渡りやすい感じ。



 
   
   
青空文庫になかったので無料のkindleをダウンロードしてスクショ。(旅行行く前はなかったのに今みたらあった!すさまじい勢いてアップされている。作品数がほんの数日で6→21になってる。青空文庫の耕作員って何人くらいいるんだろう?)谷崎潤一郎は亡くなってから今年で50年なので、パブリックドメインの仲間入りを果たして無料で公開されている。今後は彼のほとんどの作品が公開されるかと思うと少し切ない。自分が亡くなってたったの50年で無料になってしまうなんて、諸行無常だ。かといって、よい文学作品をいつでもどこでも読めるというのは「教育」という意味では喜ばしいことである。私もこれからたくさん作品を書くつもりなので、長生きしないとなーなんて思った。



「栖鳳池の東の茶屋で茶を飲んだり」と出てくる茶屋。みたらし団子かおでんが食べたかったのに無かったのでお茶も飲まなかった。でも今ここに座ってお茶くらい飲んでこれば良かったのにと大後悔している。私の馬鹿ー 何しに行ったのよ  とにかく時間がないと焦っていたせいか。



桜は咲いていないけど梅が綺麗だった。いいお天気。



『細雪』の姉妹たちがこの橋の上から鯉に餌をやった「泰平閣(橋殿)」   




さあ、いよいよ鯉に餌やるぞーと思ったらどこにもお麩の販売がない。



ごめんよ、お麩売ってると思ったらなかったんだよ、家にいっぱいあるから持っていけば良かった。今度は絶対。 
 

Tweetしておくと、後で何時くらいに行ったのかがわかって便利。この時13:03かあ。そろそろ大学に移動しなくてはと思った頃ね。実際この後御朱印をいただき御御籤を引いて、それが「末吉」だったので無かったことにしてもう一回引いたら今度は「大吉」だったので、気をよくして絵馬も奉納した。おみくじを何度も引くなんてって思う人がいるかもしれないけど、ひとり一回なんてどこにも書いてないし、大吉が出るまで引くっていうポリシーの人がいてもいいと思う。神社だって儲かって嬉しいに決まってる。しかし最初に引いた「末吉」のおみくじですっごく気になることが書いてあり、一体どういう意味なんだとひっかかってずっとずっと考えてしまった。その答えは旅の最後にわかることになる。

ともかく今度から好きな作家はと聞かれたら「谷崎潤一郎」と答えたい。でもこれはこれ人々のいらぬ誤解を招くことになりそうな気がする。好きなものは好きでいいという気持ちもあるけれど、以前のレポートのこともあるし、今書いている小説の内容的にも「やっぱりそういうの好きなんだ」と思われたら困る気がする。要検討。