先回の記事、「みんなありがとう」なんて綺麗にまとめすぎだと思うけれど、ああでも書いておかないと締まらない気もするし終わらないでしょう、正直色々思い出すとふつふつするものはまだあるけれどまあいいんじゃないでしょうか。最後の最後まで「お礼言う気もない」なんてやっぱり大人気ないし美しくない。こんな風に思えるのも京都に出掛けたおかげだわ、色々巡ってすっかり邪気が払われた感じ。 それから辻先生からの助言の影響もかなりあると思う「立つ鳥跡を濁さず」掻き回し過ぎて今更かもしれないけれど、日本の様式美に寄り添い倣うのも大切、京都の芸大を卒業しますからね。

それにしても思うのは、あの大学全体が総大人気ない人達の集まりで、生徒も先生達も事務局も会った人全員変な人達だった。あの中でも普通を保てた私なので〆る時はちゃんとしたいと思う。みんなは私が変だと思ってるでしょう、でも私からしたら豊洲も大学も周りがおかしいのよ。本当に特に大学は特に変な人達の魔窟だった。それはそうかもね、だって私の通った大学は芸大だもの。芸術家は変であることがスタンダード、普通でいてはいいモノは創れない生み出せない場所。

講演会で千住博先生が、「自分の卒業した東京藝大は変な人達の巣窟」と言ってみえて、それらを詳細にまとめた本があるけれど涙無くして読めないし、完読を断念してしまったとも言われていた。変な人達エリートの東京藝大には負けるけれど、京都造形もそれに近いところもあったと思う。

だいたい先生が生徒に「会いたくない」なんて言う?そして「謝りたくない」なんて意地を張ってそのままやめてしまうとか(多分)「一緒に脱出しましょう」と私も書いたけれど本当に驚いた。はあーなんか逆にこっちが負けたって思ったけれど、他にも私の想像にも及ばない何かがあったのでは、そしてぶっちぎるように辞めてしまうとか凄過ぎてドラマみたい。。。

私もこれら他、直接的なトラブルにも巻き込まれ大変だった。日和ってしまったし、でも最後はぼっちビューティ三銃士に戻れたからいい、これからも我が道を歩きましょう。今更だけどおばあちゃんが「あなたは外に働きに出ちゃダメ」って言った意味もよくわかった。私なんにもしてないのにどうして?困るわ。女ポケモン森生ゆり子は誰にもゲットできませんからね!

もし他の大学やコースだったらこんな風にならなかったのかとも思うけど、同じような事は起こったような気もするし、それならこの京都造形芸術大学文芸コースで良かったのかも、貴重な体験もし、小説のネタが出来、勉強になりブログがまた書けた。

改めてすすめてくれた朋輩に感謝、色々とサポートしてくれてるのわかってた。あなたは気高く美しいわ、いつか太宰の墓参りに行きましょうね、ってここでも太宰。うーむ…
   
それにしても卒業できて本当に良かった。卒業式行くか行かないかで悩んだりして私はいい人過ぎる。結局最後までなんだかんだ大学や先生を慮り人が良すぎるしお礼まで言うなんてやっぱりネ申、なのかなあ。結局あの大学色々常軌を逸脱してたのは芸大だからか、そういう意味では私にはぴったりの大学だったかも。あの中では私もなんか頭おかしかったんだと思うけど卒業して時間経過したらなんかさっぱりしちゃった。縁が切れたのは安井金比羅宮のおかげかも、いつかお礼参りに行きます。また呼んでください。一体何をあんなに悩んでいたのか。

でも渦中は勉強の方はこんなだから全然身が入らなくて単位危険水位まできちゃって危なかったし、卒業を断念しようとも思った。綱渡り状態な日々をなんだかんだ過ごしてでもこうしてゴールできたというの、やっぱりすごいと思う。ブログに綴ったおかげで客観視出来て様々な問題も解決したし、しかも同じように弱っていた学友達も私見て立ち直ったみたいだし良かった。でも先生たちにちょっとdisられたくらいでペチャンコになっちゃう学友達、私含めて人がいいにも程があるわよ。大人なんだからなんかあったらその場で言えばいい。なかなか判断は難しいし、先生には意見言いにくいですけどね。頑張りましょう。

そして色々赤裸々に綴ってパクられて一番人がいいバカは私。自分は何も得していない損ばかりで恥もかいて色々色々懲り懲りゴリラよ。

そういう訳で長きに渡りご愛顧頂きました「キャナリーゼゆり子の豊洲日記」シリーズ、この記事を最後に終了とさせて頂きます。

時もタイミングよく年度末、以前も卒業したらやめると告知していたし、でもやはり続けようとも考えたりしたけど、「大学を卒業」という切りのいいところで終了する。このまま続けるにしても芸大も卒業した訳でタイトル的にもおかしいし、でも「芸大を卒業したママのblog」では、「アァン?」という感じになりそう。それにもうママ友の話も書くことがなくなり、今回のブログも途中で大学の話しばかりになって卒業もしてしまった。違うシリーズをとも思ったけれど、ブログって別で書き出すとリンク貼ってもなかなか気づいてもらえないし、「ブログ読んでます」という方たちと色々お話したけれど、今書いているのじゃなくて古いものだったり、芸大シリーズを教えると驚かれたり、他にもありますよとかそいういう色々があったので新シリーズはしない。

それならイケダハヤト師みたいにブログタイトルを変えてこのまま続けたらいいとも思うけれど、このタイトルにはとても愛着があり「芸大に通うママ」という現在形のままにしておきたい。私は自分の書くものや作品が大好きで、ブログもそうだし過去に書いた小説も、時間が出来ると何度も何度も読みかえしたりしている。こんな事書いてるとか、えっ、何書いてるの私!恥ずかし過ぎるでしょとか自分で書いたものなのに新しい発見があったり。あの人が自分の書いたもの全削除しちゃって驚いたのは、彼は自己愛が足りないからみんなにイケズしたのかなとも思った。

だいたい私誰かを羨ましいと思ったことない。確かに聖子ちゃんくらいはじけてる女性をみると羨ましいし、マナラは稼いでいていいなちょっと頂戴と思うし、美人従妹のあゆちゃんくらい成功しているのをみると、一体彼女らと私の何が違うのなんて思ったりはする。でも妬んだり僻んだりはしない、だってそんな事しても仕方なくない?私は私で十分だわと思う。 
   
あゆちゃんは綺麗なだけじゃなく心根も優しく老若男女ファンが多い。彼女は人に好かれるのが上手、私は苦手でむしろ好かれたら損と思っていたところもあり、何故なら大学だって先生に好かれたばかりにこういう事態になり、一体私が何したのって感じ。でも彼女なら上手く対応しただろうな、そのあたりが私と彼女の違いなのかなとも思う。でも今後いい作品を書いていきたいと思ったらタイマンばかり張っている訳にもいかないし、ファンはひとり残らず大切にする。それがきっといい運を運んでくれるのだと思う。「私を嫌いな人は私も嫌い」から「私を好きな人は私も大好き」って。       

それからブログにこれから何か書き続けるとしたらこども食堂の今後やイベントの話になると思うけれど、そちらは専用ブログもあるし新しい食堂の方はそれぞれの方に全面的にお任せすることになりそうなので私が色々書くのは憚られる。 今年「一年の計は元旦にあり」で、豊洲にあとふたつこども食堂をと書いたけれど、今私の考えていることが実現すれば、三店舗どころかもっとたくさん豊洲に誕生することになる。それどころか他の街でもそうなる可能性もある筈で、でも私ひとりがあくせくという事もない。これも新年度になり行政や企業が落ち着いたら声かけしてみたい。

香山リカさんの講演会の告知もこちらでしたいとも思ったけれど、こども食堂のブログ周知だけで十分だと思う。小さな子どもを抱えたお母さんの多い豊洲、逆に人が集まり過ぎて困りはしないかと心配しているくらい。タイトルは「なぜ今こども食堂なのか」だけど、ママ友ハラスメントやイジメの構造についてもお話してもらうつもりでいる。興味あるしみんな聞きたいでしょう。

それにきちんとした媒体で宣伝広告打つ段取りもあり、ここに書かなくても集客は多分困らない。今は人が「集まるか」より「集まりすぎたらどうするか」という懸念があり、予約制にした方がいいのか先着順でカウントするか悩み中。それに香山リカ先生講演の舞台裏なんて書く訳にはいかないし、終わるのにいタイミングだとここでも思う。

ブログってすごいなと改めて思う。書いておけばその通りになるし、不明瞭なこともクリアになる。色々わかって良かった。

そもそもブログ書き出した理由は小説のための下準備だった。 少子化の時代に子どもやその親でひしめく豊洲という街、キャナリーゼという人種や私が小説を書こうと思った理由などをまずは説明し、その上で小説を読んでもらえばより理解してもらえるだろうと目論んだのが発端だった。でも卒業制作終わって思うのは、これらも小説の中で完結させるべきだったということ。読んで説明的なものが多いとしらけるけれど、わかるようにさり気なく物語を組み立てるべきで、それら大学で学んだ今の私なら出来ると思う。著名で読み継がれるような作品などは評論家が解説するし、作家自身はインタビューがあればそれに答えている、そんな感じで最初から小説だけ書けばよかったとも途中何度かは思った。 それが何故このようなものになったのか。なんでもまずやってみることって大切ということなのかもしれない。

版画は逆で、エッチングを手彩色という技法、どうやったら上手くいくのかずっと頭の中だけで悩んで武蔵美にいったけれど、誰も教えてくれなかった。でも「先生教えて」じゃなく自分で色々やってみれば良かったのだ。これは千住博先生の講演で強く思った。千住先生だって様々に悩み試行錯誤しあの名画が生まれたそうで、そんな風にまずやってみれば良かったのだ。その上でトライアンドエラーを繰り返す、そんなものが大切なんだろう。作家のべルゴットは気付いたところでこと切れたけれど、生きていればなんでも出来る。でもこの版画にまつわる小さな疑問から武蔵美に入学し京都造形に繋がりそして、と思うと人生は様々なもので織り成されるドラマという意味で、なんとも感慨深い。
   
豊洲もそうで、約10年住んでママ達みんなすっかりおばさんになった。若作りして遠目だとなんだけど、近寄って話すとそんなあって感じ。新しいマンションに遊びに行くと若くて綺麗な赤ちゃん連れのお母さんたちばかりで、私たちの時代は終わったなんて感じる。でも新世代キャナリーゼたちもかつての私たちと同じようにママ友やそれらの人間関係で疲弊するはず、だったら教えてあげないと。大切なのはアンパンマンの言う通り愛と勇気よ!ママ友なんて幻を追い求めても後に何も残らない、確かなものは目の前にいる子ども家族ですからね!奥さん、お気を確かに。しっかり目を見開いてこのシリーズを隅から隅まで読んでちょうだい。

そのうち小説が紙の本になり、私はママ友研究家とか、ママハラスメント第一人者とか言われて講演したり桐野夏生さんや林真理子さんと対談したり。 なんて日が早く来るといいなと思うんですけれども。 ノリノリで書いていますけど、予定や何かいい知らせがあったとか全然ないですから。ただの暇な専業主婦の妄想です、よろしくお願いします。 

それでもこれが終わりではなく始まりだと思っている。でもともかくSNSはお休みすることにした。

桐野夏生さんはそもそも何もされていないし、林真理子さんは最近やめられてしまった。SNSはやっぱり余計なエネルギーを消費するし、その分は小説を書く方に注力するべきというのは散々言われていたし自分でももうわかっている、そろそろ本当に移行しないと。私はちょっとだけとか、ほどほどにというのが出来ない。やる時は倒れるまで全力を尽くしてしまう、そちらに注力しないと決めるなら一切ノータッチにするしかない。昨日今日とブログ書いてるけど、なんか取り憑かれたように書いてて我ながらクレイジー、私は何もかもが病的なのだと思う、そう、芸大卒だから。こういのって多分治らない、中毒になりやすい気質なんだろう。なので今度はSNSじゃなく小説書く中毒になればいいのではないだろうか。小説というのは何を書いても許される、あんなことやこんな事、何もかも「フィクション」に変容させれば新しい世界が出来る。

それについてこんな文章を書いた。提出はしたけれど採点も評ももらえないそうでつまらない。書いて出して評価もらえたのは大学だからね、でももう終わってしまった。寂しいのでここに公開してみたい。

講座名:文章講座、物語の始め方・育て方
課題(テーマ):講座の受講を通じて学んだこと、得られたことについて800字程度でまとめる
提出締切日:2017年3月22日水曜日必着

本文:この講座を受講して不思議に思い、そして後に納得したのは、「(小説の)主人公は作者に嘘をつく」ということ。以前とある演劇を鑑賞し、その中でも登場人物が「役者は上手に嘘を演じる、作者は上手く嘘を描く」(この場合の作者が漫画家だったので「書く」ではなく「描く」だったと推測する)というセリフがあり、それならば小説家は「上手く嘘を書く」ことになるだろうと思った。ところが今度はその中の主人公までもが「嘘を言う」という。小説の書き手である作者とは、物語の中でもしそれが三人称なら「神の視線」を持つと大学で学んだ。その神をも欺くともいえる言葉に愕然とした。

だいたい人という生き物は嘘をつく動物である。人間以外の言葉を持たない生物たちは、嘘をつかないしそもそもそういう概念がないと思い当たる。と、いうことは、言葉を持ったばかりにおこる人同士のしがらみ。良くも悪くもと言っていいのかどうか、人と生まれたからには誰しも嘘をついた事があるだろう。言いたくない事があれば黙っていればいいのに、わざわざ嘘をついてまで何かを主張する。これはもう人間の「サガ」なのだと感じる。小説を書く、それだけでもう「嘘をつく」という前提だ。

改めて考えると、優れた小説家は皆上手に嘘をつく。ありもしない世界に架空の人物を置いて、そしてさもたった今みてきたばかりという風に作品の中で嘘を語らせる。最近読んだ『マチネの終わりに』などはプロローグに「それぞれの人物を知っている」などと尤もらしい事まで書いてあり、「ここまで嘘をついていいものかどうか」とすら思った。

答えはイエスだろう。なぜならそれが「小説」だからだ。何もかも「小説」に変貌させた途端、嘘はまことになる。『マチネの終わりに』の序章は、作家が生み出したリアル。事実ではないが嘘でもない。なんという素敵で野蛮なシステムだろう、人間の発明したものの中で、もっとも有意義で気高い赦しなのではないだろうか。

それなら私も大嘘つきになってやろう。いくら嘘をついても書いても咎められない、それが上手くいけばいくほど賞賛されるとは、小説家とは不思議な職業だ。向いているのかそうでないのかわからないが、ともかく当代きっての嘘つきになりたい。

私の書く小説の登場人物たちは嘘が上手だろうか、下手だろうか。彼らが嘘をつくのは仕方ない、でも私は騙されない。いずれにせよそこに出てくる者者たちは、魅力的な人物ばかりだと信じたい。
(完) ※一部加筆修正

というか、なんでも発表したい人なんだと自分で感心する。ねえ、恥ずかしくないの?なんて。同じく2,000文字の短編小説も書いたけど、これはここには書かない。歌人笹先生が、「作品はプールしておいて。急に注目されて「何か作品を」と言われても困らないように」って。なので色々書いたものはもうアップしないことにした。ごめんなさいネ。

さてまた話を戻す。SNSをやめる、それは時代に逆行しているようにも思うかもしれないけれど新しい試みともいえる。上手くいかないかもしれないし、情報が得られなくて損した気持になるかもしれないけれど。

今度そういうのをするとしたらどこかの編集者とかそういう人がついてくれて、仕事としてやりたい。門崎先生が「いい編集者に巡り会って」と言ってくれたやつ、これは本当に実現して欲しい夢。出来ればずっと寒竹先生と門崎先生に面倒みてもらいたい、そうしたらいい作品がいくつもいくつも書けるのに。先生達がそういうのを請け負うサービスやってくれないかなあとすら思う。「もう大丈夫、書けますから」なんて言われたけれど、やっぱりひとりでというのは心もとない。でも自分で考えて様々にチャレンジしてみたい。

作家になりたい、強靭にも、健康で美しく、それからやっぱりお金持ちになりたいし、そこから孫正義さんのように基金を作ってみたい。未来を生きる子ども達が安心して暮らし勉強が出来るように、イジメを撲滅するためとかそういうの。本当に豊洲でも大学でも大変だった。子育てどころじゃなくなるし、勉強だってできなくなった。大人の私がそうだから、多感な子ども達はもっとそうだろう。守ってあげたいと思う。

いじめをしている人が自覚ないなんて大嘘、全部全部わかってやっている。これを読んで身に覚えのある人は今日からやめましょう。自分の子どもがやってると気付いてスルーの人もやめさせましょう。その決心はまわりまわって幸せを運んでくれるし逆もまた然りのはずだから。といってもあの人達こそもう病気だから治らないわ笑、期待していません。

さあ今日は3月31日、大学の学生証も今日までだし大学サイトのアカウントも使えなくなる。大学でかかった費用引き落とし一覧をダウンロードしないといけないのに、パソコンを「リフレッシュ」したらブックマークもcookeyも消えてしまった。この山盛りの書類の中からアカウント情報探さないといけないのか、でも今日しか出来ないのでやっておこう。と、思ったら既に私の情報消えていた、二年度めは一体学費いくらかかったのだろう。単位は全部で65 取れていた、よく頑張りました。

そして今日は終わりの日、でも明日からは始まりの日でもある。恩讐の彼方に見えたのは、やっぱり愛だった。私を愛してくれてありがとう、私も世界に愛をばら撒くわ。でも一番は子ども達に、私が卒業したらホッとしたのか素直に甘えてくるようになった。もっと愛情そそいであげなくては、「愛情足りない!」と言っていたし。でもそうやって素直に言えるなんて偉いなあ、お母さんの育て方が素晴らしいのだわと思った。 
   
という事で、それでは皆さま 永らくのご愛顧ありがとうございました。次は芥川賞授賞式の中継でお目にかかりましょう。

キャナリーゼの森生ゆり子は永遠に不滅でーす\(^o^)/



豊洲は今日もいいお天気。

(完)

追記: N先生、おめでとうございます。私も負けませんよ。