芸大に通う豊洲ママのblog♡♡♡

カテゴリ: 人間関係

最近、特に大学の卒業式後にブログのアクセスが多くなった。一体誰が何のためにアクセスしているのか。多分「京都造形芸術大学」とか「卒業式」というキーワードで検索し、このブログがヒットしていると思われ。

で、アクセス数100くらいまでは実感できる。なぜならBUDDYスポーツ幼児園が、だいたい一学年100家族だった。何かあるとしょっちゅう学年単位で集まっていたので、「100名」というと「あんな感じかあ」とわかるけど、それ以上は全然わからない。多分お金と一緒で、10万円まではなんとか把握できるけれど、それ以上はただの数字という今の感覚と同じかもしれない。でもこれもみんなそうですよね。お金というより数字、データ、それを運用して上手くいくとゼロが増えたり減ったり、マネーゲームとはよく言ったものだと思う。

私はそういうのもうやらないことにしているのは、独身時代実際にトレードしてみて私には一ミリも向いていないとわかったから。今回たまたま出てきた外貨預金、あれはずっと忘れていたから上手くいったと思う。そしてお金が必要になった時にたまたまレートも良く、さっと解約することが出来た。これも多分何かの運。もし今みたいに1ドル111円だったらまた迷ったかもしれない。

京都造形入学しようと思った時は90円くらいで買ったドルが120円になっていた。今思うとこれも何か運命を感じる。これが日本円化できなかったら入学を諦めていただろう。今までで一番利鞘があった事例だし、こんないいタイミングのものはなかった。特に株なんて本当にダメダメで、高いと買いたくなり安くなるともう嫌だと売ってしまう、ダメじゃん!どれだけ勉強代を払ったか、もう一度通信大学には軽く行けただろうなと思う。 

もしも私が急に富豪になり、どこかにお金を預けないといけなくなったら多分ここに預ける。もう二度と自分で運用などしない。ここの美味しい料亭のお弁当付きセミナーに行ってみて、これはほとんど冷やかしなんだけれど「本物」だと思った。プレゼンテーションも素晴らしく、一緒に行った友達とこんなところに資産を預けられる人になろうと誓い合ったくらい。   
   
マーケットの話はそのくらいにして、最近本当に家計が困窮してきて、喧嘩するのはいつもお金のこと、お金がないので一家離散も出来ないという事になっている。でもこれはこれでいいのかもしれないとも思う。ないならないなりになんとかする私、お金はあればあるに越したことはないけれど幸せの全てではない。こういうのって子ども達に説明するのってすごく難しい、そう言えばじゃあお金は大切じゃないのかと言われればそうじゃない、やっぱり大事とか、面倒だけれどコツコツ話さないといけない大切なこと。節約節約といいつつ、大学も卒業したし京都いったりランチもお茶もする、一方でUHNCRを支援したり去年からかものはしプロジェクトにも寄付しだしたとか、そういったところにも運を投資したりするとか、そういうバランスはみて覚えて欲しいように思う。。新年度からはライターの収入の一部をまだどこかに寄付したいと考えていて、何か享受していると思ったらどこかに提供する。そういうものが今の私の経済学みたいな感じ、数字なんだけど右脳的な感覚や判断は大切にしたい。
   
そういう話はともかく、「卒業式、分科会」の話題。

貴船口から叡山電鉄で30分くらいで「茶山駅」に到着。ここでも貴船と大学が近すぎるから、小説の設定をなんとかしないとなどと考え駅から歩く。この時点で14時20分くらいだったので、大学までバスかタクシーに乗りたかったのにバス停も空車も見当たらない。仕方ないので徒歩で大学に向かう。袴姿の大学生と何人もすれ違う。もしかして通学生の卒業式の後、通信生卒業式なのかなと思ったらその通りだった。  


※通学生卒業式

※通信生卒業式

今更だけど、生徒数の割合はこんな感じ。大学サイトにデータがあった。

通信生が通学生の倍‼︎ そうなんだ、まさに通信大学!大学院も通信生の方が多い。先生や事務局合わせると1万人近いのでは。こんなによく人が集まるものだと感心する。「日本で最も大きな芸術大学」だそうで、そんな大学の卒業式、分科会その他色々、せっかくなので赤裸々に書いてみたい。

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やっと到着、京都造形芸術大学正門正面。というか門はなく階段上ればいきなり校舎な感じ。真正面に卒業式の看板があり、そこで何人もの人が写真を撮っていた。と、いうことは通信生の卒業式も始まっているだろう、貴船でちょっとゆっくりし過ぎたと思ったが、それでも貴船なんてもう来られないかもしれないと思えば致し方なし。急いで会場の「春秋座」に向かった。

もう場所もわかっているので真っ直ぐ会場へ。何人かの多分事務局の方が立っていて誘導されたものの、もう最初のスピーチが始まっているのでそれが終わるまで待つように言われる。待機したものの待てども待てども終わらない。周り込んで反対側の扉からそっとのぞくと先生達の席の後ろの扉だったようでぎょっとしてまたそっと扉を閉じた。一瞬だけれど「偉そう先生」の横顔が見えた。よしっ!終わったら声をかけて話をしようと思った。そのまままた待機してと言われたところに戻ると間もなく扉が開いて会場内に入った。


Facebook から画像拝借。両端のボックス席には先生たちがズラリ。

コース毎に場所が決まっているようで、私は当然文芸コースのエリアへ。皆ぎゅっと固まっていて写真など撮っている、うわっと思ったものの何故か空いていた一番前の通路側に座るとすぐに式が進行しだし、それでも誰がいるのか気になり後ろを振り向いてジロジロ(やめなさいよもー)みると、一瞬モアイと目が合ったがすぐに逸らされる。えっ?昨日懇親会来なかったよね?でも卒業制作発表は来たよね?なんで?二日日帰り?と思ったものの、多分聞いても答えてくれないだろうなあなんて思いながら壇上をみると、学長理事長がこちらをみているような。せっかくなのでとオペラグラスで覗いてみると、やっぱり見られていた。でも怒っているのとも違う、笑顔でもない、なんだか不思議な表情。一体なんだろうと思ったけれど後に納得。もう怒りを通り越して脱力していたということなのではないか。



その後学長のスピーチ、「青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ(サミュエル・ウルマン)」などなど。以前お会いした時と比べてなんだかオーラが消えているような気がした。

学長と私はこれが初対面ではない。大学生活が順調な頃、「こども芸術の村」のイベントが外苑キャンパスであるというので出かけてみた。丁度その少し前、豊洲小学校で成人教養委員会の展覧会に作品を出し、それを見た方が「絵画教室やってくれませんか」などと言い、その時は「絵って教えない方がいいんです」なんて言ったけれど、確かにそういう「機会」としての教室はあれば自分も子どもを通わせたいなんて思い、なにか参考になるかと馳せ参じてみた。

何か資料がないか探してみたが見当たらないのでコピペできないけれど、京都造形芸術大学と連携している東北の大学の双方の学長の対談や、実際に「こども芸術の村」で作る焼き菓子の試食などあり楽しい内容だった。この焼き菓子、ガレットデロワという名前で、中に小さな陶器の人形を入れておいて、カットして食べて、食べて中に人形が当たった人は幸せになるというもの。試食といえども大き目のホールケーキが6か8等分くらいにカットされ、食べ応えも十分だった。食べているとあちらこちらから当たったとか人形が出てきたなどと声が上がり、ほどなく自分の食べていたものからも人形が出てきた。 

私は嬉しくなりブログに書こうとスマホで写真を撮った。すると左手で持っていた紙皿がふわーと傾き、床に落としてしまった。お行儀悪いことするからだわと反省しつつ、飛んできた事務局の方と一緒に片付けた。「まだたくさんあるからもうひとつどうぞ」と言って下さり、今度はちゃんと食べなくてはとお菓子を食べているとまた人形が出てきた。「あれ、またあった」というと周りにどれどれという感じで人が集まりだし、すごいとかラッキーですねと言われているところに学長が来て、「これはすごい、ラッキーがふたつも」と喜んでいた。

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これがパイの中に入っていた。ふたつも(^^)なんか捨てられなくてずっととってある。もう宝物かも。

私もこんな事があるなんて、これからどんないい事があるんだろうと思っていたが、ブログにはこの件は書かなかった。この時このイベントに関わっている方々と話をして、「こども芸術大学」を豊洲でもと言ったら、誰かがあなたがやればいいじゃないと言いだし、そういう方向で話をしたらいい感じになりそうな雰囲気、学長にも対談後の質問コーナーで話したら、他にも私も違う地方でやりたいなんて方もいらして「協力できることはなんでもしますよ」なんて言っていただけて本気でやろうかなあと思った。

自分一人で絵画教室をやるより京都造形芸術大学に繋がる「こども芸術大学」とコラボすれば、京都造形芸術大学も関東でもっと認知されるようになり、豊洲のママ達から入学希望者が出るかも、私は月一くらいでイベントを開催し、お絵かきや識者の講演、そうだ香山リカさんもこのカテゴリで講演会、なーんて考えていた。結構あちらこちらにも声をかけていたし、ずっとは無理だけど登壇くらいなら協力できるなんて有名な方も。でもなんだかんだだんだん風向きが怪しくなってきて、大学で助成金申請をしたが得られなかったところですっぱり諦めた。

その後はまた卒制や文学フリマなど忙しくなり過ぎてわけわかめになったことを考えると、助成金通らなくて良かったと思った。申請が通らなかった理由は「永続的なものは対象外、でもいい試みだと思うので頑張って」みたいな感じだった。大学から締切終わっても申請書を出して出してと言われて出したのにNGで一体なんだったのかとも思った。でもそこから紆余曲折を経て「こども食堂」に繋がったのだ。

そんな訳でもしかしたら、豊洲で「こども芸術大学」というのは上手くいかないと予感していたような、学長レベルが協力すると言ってくれているのに何故?と今考えても不思議だけれど、ブログに「こんな事がありましたーこれこれこういうのをやります」と書けなかったのは、やはり第六感的なもののような気がする。その時の学長は大きく輝いてみえて、その時はまた学長の真ん前という席で近かったせいか濃いオーラを感じた。卒業式ではそれが薄くなっているように感じたのはもしかして私のせいかなあ。でも学長は大学関係者にとっては神なのだから、これからももっと輝いて頑張って欲しいと思う。

学長が私の出した手紙を読んだのか本当に読んでないのかはもうわからないままだけれど、今更そんな事はもうどうでもいいと思う。でも卒業式の時はまだこだわっていて、「偉そう先生」にこの件も是非聞かなければなんて思っていた。もちろん問い合わせも何度かしたが、事務局の時点で受け取っていないという、もし内容証明としての記録などあれば郵便局に問い合わせてくださいという回答。そこで思い出したけれど、こうなる予感がして郵便局で出した証拠が残る方法で出して下さいとお願いし、窓口でその分余分に料金を出した覚えがある。

でもそれがなんだったのかいつだったのか、書簡には日時を記したのでそのすぐ後ではあると思うが、わざわざ郵便局までいって延々と順番を待ち手続きをとり、それがわかったところでどうなるのかとも思ったし、その頃は同様の問い合わせを事務局宛にしていたこともあり確認しなかった。控えも探したけれど出てこなかった。だいたいもう部屋の中は、武蔵美、京都造形の教科書関連冊子シラバス本や雑誌様々な資料や書類でごった返しており、何か探すのも一苦労。授業で配布された資料も全部あるので多分その中のどこかからそのうち出てくると思う。でもその時見つかってももう何も役に立たないだろう。「ここにあったのか」と思ってそれが挟んであった資料を眺め、この授業ではこんな事があった先生はこんな風に話していたなどと懐かしく思い出すだけだろうから。

卒業式は粛々と進んだ。学長挨拶から副学長、来賓の挨拶の後は太鼓の演奏と校歌斉唱。でも通信生でこの歌を知って居る人は多分だれもおらず、皆さん苦心して歌っている振りをしていた。私は大人気ない人なので歌うもんかとずっと腕組みをして周りを眺めていた。今度から先生達だけが歌って私たちに校歌をプレゼントするか、いっそなくてもいいと思う。そういうもんじゃないと言われるかもしれないけれど、どう考えても茶番だ。

そんなこんなで通路側、遅れてきたので目立ったのか私とわかったのか、というかSNSに写真があるから理事長も私とすぐわかったのだろう。理事長は思ったより若くなかった。私と同じで顔がつるっとしているからなめられると書いたけれど、普通に「理事長」という感じだった。なんだかお疲れのように感じた。

各コースごとに順番に退場をお願いしますということで、前の方からだったかランダムだったか順番にアナウンスがあり会場を後にした。コース毎に区切られているが、多分席は卒業生全員分あるのだろう、私の前は芸術学コースか歴史遺産だったか半分以上の席が空いていた、もちろん文芸コースはじめどこもそうだった。そういえば懇親会や卒業制作発表会は出欠のアンケートがあったが、卒業式はなかった。というこは、卒業式は全員出席するという前提で準備がなされるもののよう。分科会での卒業証書授与でもいる人もいない人も全員の名前が呼ばれた。

出席する人としない人の違いはなんだろう。私みたいな怖いもの見たさというレアケースはともかく、やっぱり「行きたくない」という人もいるだろうなと思った。文芸コースはボスママとその周りはともかく、ひとりで参加する学生も多く、今思えば全員に無視されるというようなことはなかった。あの辺り以外の方とは普通に話して一緒に帰ったり。嫌な人が数人なら無視すればいいだけだが、これこそが私がずっと言い続けている「ぎゅっと固まってそこにいるたったひとりを居心地悪くさせる」というもの、「そうさせたい」という人がひとりでもいるとターゲットは周りが全員敵のように感じてあっという間に居心地が悪くなる。

で、そういうのを一度でもした人というのはまたどこかでやるだろう。だんだん上手くなってなにかあっても「そんなつもりなかった」と言えるように周到するだろうし何かあればさっと大きな樹の後ろに隠れる。今思えばおおえかもかつてはどこかで被害者の経験があるかもしれない。人はイジメられなければその存在は知らないはずで、私の話も「ドラマか小説みたい」という人は絵空事と思うのかなあとか、そんな事を何度も何度もされると人はどこか誰かに同じことをしようと思うだろうだろうとまた思った。いい事を分かち合いましょうという「ペイフォワード」と一緒でイジメの連鎖もこうやって始まるのでは。そう考えるとイジメの元祖は京都にあるのかもしれない。京都の水で洗うと人は全員イケズになるという私の考えは全く違うともいえないのかも。

京都の大学、企業、組織、コミュニティ、それらに属してイケズの洗礼を受け、そういう人達が全国に散らばり日本にイジメ文化が根付いてしまったと。もっと昔、京都から東京に遷都したころにもその文化は一緒に移ってしまったと。そうじゃないと反論があるもしれないけれど、どうもそういうイメージが京都についてしまい、帰ってきたばかりはまた行きたいと思ったけれど今はやっぱりもう行きたくないような。独身時代楽しかったのは何もしらない無垢な気持ちで訪れたから楽しかったのだろう。 

だいたい長居する人に「ぶぶ漬けいかが」なんて文化、京都の外では笑い話しだろうけど、やられた人は嫌だろうし忘れられないと思う。まあ、そろそろ帰ってというの私も娘が赤ちゃん時代ママ友たちに言えなくてその後様々にトラブルにはなったが、距離詰められ過ぎて嫌になったりした事もあり、もう仲違いするくらいで良かったなんて思うこともあったので便利な文化といえばそうなのかなあ。そう思うとあのボスママや不愉快な仲間たちも京都という事を考えると改めてなんだか何もかもが腑に落ちる。多分物心ついた頃からそういう風に生きてきたのではないだろうか。で、私のような「みんなで仲良く」みたいな空気を醸し出す人かウザいと感じたと、西に誰かが仲良外れになったといえば行って怖がらなくてもいいと言い、東にもう引っ越したいという誰かがいればお金もったいないと諭し、ボスママたちに楯突いたまま豊洲に住み続ける。もしかして私ってネ申?なんて。

ちょっと残念なような、それでも何も知らないよりはわかって良かった。何より子ども達に伝えられる。京都は東京で育った人は水が合わないよって。名古屋人が名古屋を出たがらないように、京都人は京都で固まっていて欲しい。こう考えると京都のカラーに染まらない東京の先生達は貴重だった。N先生はどうだろう、長年この大学にいて色々思うところはあっただろう、でもあの先生はいつも真っ直ぐで陰でなんかするとか意地悪な事はなかった。ただおおえかに強く出られなくなってからは色々あったしそれを止めようと私が弄りだしてからは特になんやかやあった。そもそもおおえかN先生をナメていたし操られている先生が本当にお気の毒でしかも私のせいというのがみていられなかった。そういう意図がわかってもらえなかったのはやっぱり直接話が出来なかったというのが問題の一番の原因だったように思う。

3月29日の日経新聞の夕刊『あすへの話題』で東京大学教授、西成活裕さんが「誤解とはなにか」というものを書いていらして、「誤解はコミュニケーションにおける渋滞」だそうで、「込み入った内容を伝える場合ではなるべく直接会った方がよい」それから、「誤解によって人々の考えに自然に多様性が生まれる」とも書いてあり、なるほど頭のいい人はこうして理路整然と物事を考えられるのだと思った。私も常々これはそうだと考えていて、なので何か打ち合わせとか詳細を伝えたり話したりしなくてはならない時は、絶対メールでは済まさない。特にSNSは便利ではあるが、文字数少ない方がシンプルでクールという風潮の中で、言葉を省略する必要が出てくる。そうなるとあっというまに双方違うものを所有することになる。もちろん会わずに済ませた方がいい場合もあるので全部否定するわけではないが、ルーティン以外は、電話、時間が許せば直接お会いして話すようにしている。そうでないとやっぱり「伝わらない」

そういう訳でN先生とは「穏やかな面談」がとうとう叶わず、直接話したのが暮の懇親会が最後ということになってしまった。もう面談どころかお目にかかる機会は二度とないだろう。何故なら先生は大学を辞めてしまった。原因はもちろん私だろう。事務局や委員会の対応がまずかったと責任転嫁はしない。私が先生を追い詰め、大学の対応のまずさも利用したところがある。かなり下手打っていたし、私がそう仕向けたところもある。それでも思うように事が進まないので学長に手紙を出し、理事長にはメールをした。

先生が退職したのはご自身の希望もあったと思うが大学も引き留める術がなかったのだろう。自分の希望通りになったとはいえ、思うところも勿論ある。こうして書いていても後悔が募るし、それでも色々自身の苦悩を思い返すとこれで良かったとも思う。今は全然気持ちが定まらないのでこのままコロコロ変わる気持ちも書いてみたい。

結局何も弁明せず私の前から消えた先生、絶対色々と誤解したままだと思う。でも何もかもわかった上での答えなのだろうとも思う。多分先生はもう私を恨んでも恨み切れない、顔も見たくないほど大嫌いだと思う。私もそう、でも今となって思うのは、先生が私を嫌いでも私は先生が好きなのかもしれない。でも反面やはり許せない気持ちもいまだある。どうなの?どっちなの?

人間には様々な要素がある、例えば私はこういうあまり世間には受け入れられないタイプのブログを書いているが、社会問題にアプローチして世の中をよりよくしたいという心根もある。子どもを叱って邪見にしたりするが、誰よりも幸せを願っている。こうした鏡に映したような別の顔は誰もが持っていると思う。そのどちらをみるかは人の勝手だし、それが全てその人の評価にはならない。

N先生も斬ると決めてからは先生の落ち度を追及し続けたが、それすら別の視点で見れば美点でもある。私を叱り過ぎたのだって先生が素直で暖かな人間味に溢れている証拠で激情は一途さの表れ、それをどちら側に視点をあててどう表現するかで全く違う印象になってしまう。特に私はそれらを学ぶために大学に入ったし、文芸コースで言葉について学び文も章も組み立てられるようになった。特にN先生からの並々ならぬ教えにより様々なものを吸収できたが、その成果がN先生を苦しめた皮肉。私の卒業制作はもしかしてこの愛憎物語シリーズかもしれないと思う。書くことで人々を動かし自分の思い通りの結末になった。でも正直ちっとも嬉しくない、でもこうならないことには私は納得できなかっただろう。

先生が大学をやめるというのは、分科会で知った。分科会というのは、卒業式の後各コースに分かれて何処かの教室に集まり、先生たちの話をきいて卒業証書をコース責任者の先生から各人に渡される会、という感じのもの。しかし文芸コースの責任者の先生はおらず、司会の寒竹先生から「N先生はどうしても来られなくて」と説明があり違和感を覚えた。そんな安易な説明あるの?って。普通何々でとか理由があるのでは?と。

その後クルーソー先生から卒業おめでとうございますなどとお話しがあり、「N先生からみなさんにお祝いの言葉を受け取っています」と手紙を読みだした。「卒業おめでとうございます、そこには行けませんが強い思いでお祝いを言います、それから学問の根は苦いが実は甘い、何も収穫するものがないと思っている人がいるかもしれないけれどそれは違う」とかなんとか。そういう話が続いた最後に、「僕は今年度をもってこの大学を後にします」とあった。えっ、ちょっと待って、今のところもう一度!と思ったが話はそのまま終わった。それについて詳しい説明もないし、周りから動揺した空気も感じられなく、それがますます違和感を強めた。 ええー!とか、先生なぜですか?とかあっても良さそうなのに。私はもちろん驚いたが何か聞ける立場にないと判断し黙っていた。

その後はクルーソー先生、他の来賓の先生達からのお話があり、各自に卒業証書が授与され分科会は終わった。私は「何もかもが終わった」と感じた。

その後、集合写真を撮る雰囲気も指示もなく、各自バラバラで写真をとっていた。私は数人の方と卒業証書授与のシーンをとりあっこしたのと、寒竹先生クルーソー先生とそれぞれツーショットを撮っただけ。

ボスママが相変わらず私以外の人達とワイワイと集合写真を撮っていて、彼女はカメラを始めたので本格的なもので撮っている。そこに自分が入り込める訳もなく、「もうこの辺全員敵でいいわ」と思った。最後の最後までこんな有様、というかこれも多分自分の思い通りなのかもしれないと感じる。 

卒業証書授与、クルーソー先生かっこよかった。

最初はたったひとりの嫌がらせだった。そのせいで自分が大切に思っていた人とも対立することになり、ますます許せないと敵対しだしたところから周りが巻き込まれた。原因を作ったおおもとの敵はどこかに隠れて出て来なくなり、何かする時は力のありそうな人を盾にしたので私はその人達とも敵対するこになった。次々と戦っているうちにラスボスが登場しそしてゲームオーバーというかこの場合クリアということになるのか。 豊洲も同じだったから大学では対応できたのかも。なんでも経験しておくものだと思う。

そんな大学や先生たちと敵対している私が学友達と和気藹々と卒業式を迎えるというのは絶対無理だしもし出来るとしたら悪魔、私は心を持った人間なので大学のコミュニティをひとりで抜けなければならなかったのだと思う。様々に集い語らった友愛の学び場、もしも私がこんな風に敵対せずおおえかの事もじっと我慢して何も訴えず、学友達との酒のさかなのままにしておけば違う世界があっただろう。でも何度も言うけれどN先生を利用したことは絶対許せないと思った。そのうちN先生とも敵対することになり先生にも嫌われてしまった。安易な言葉で片付けたくはないが、これも運命だろう。運命には逆らえないという言葉があるが、その通りだとまた思った。

そうして私は大学を後にした。分科会で、懇親会の後はみんなでお茶しにいったと聞いて、今日ももしかしたらそういうのがあるのかもしれないが、当然参加する気はなかった。もしあったとしたら、N先生がいなくなる話と私の話でもちきりだっただろう。「あいつ、やり過ぎなんだよ、ふざけんな」とボスママがいきり立ち、周りもそうだそうだと賛同する。私はそうあって欲しいと思った。みんなで私を非難してよ、あの人のせいでN先生いなくなるなんて冗談じゃないって、もうあの人の顔もみたくないって怒ってよと。でないとN先生浮かばれないし、今後もまだ大学となんらかの形で正しく関わり続けるだろうあの人達、私を吊し上げるための儀式をする必要がある。なので私は行かなかったし行けなかった。

さて、ぼっちはぼっちらしくひとりで帰ろうと思うと、学友のひとりが自分も急ぐのでこのまま帰るという。なんとなく一緒に歩くといつもなんやかや話しかけてくれるFくんもいて三人で大学の校舎を出た。急いで帰る学友とは卒業制作の話をもっともっとしたかったので急いで感想などを話した。メールか電話番号を交換しようかとも思ったけれど、ここではこのまま別れた方がいいような気がしたので何もしなかった。論文研究Ⅰ、Ⅱでたくさん話、様々な共感があった。多分こんな風な話が出来たのは彼女だけだろう、彼女もそう思ってくれているに違いない。くっついてべたべたするよりいい思い出のまま、時々折に触れて取り出して眺めればいいなんて思った。色々ありがとう、あなたと学べて楽しかった。そんな事を言ったら笑顔になり、私もありがとうと言ってくれてそのまま別れた。N先生の話を振ると、衝撃がまだ消えないと言っていて、彼女は私と同じく今日初めて知ったのだとわかった。

でも今これを書いていて、他はどうだろうと。ちょっと思い当たることがある。ボスママとモアイ、それからこの二人と仲のいいぶっちゃけキャラの人、ちょっと尋常ではないわというほど私を完スルーしていた。あるとは予想したが半端ない態度に少々戸惑った。多分N先生がやめること知っていたんだと思う。そしておおえかも。

私が大学とも敵対しだしてからはちょっと分かつ空気はあったし、何よりおおえかとN先生が主担任副担任なので、その二人を非難し続けた私とは相いれないということもわかっていた。あやふやなものが嫌いな私はこれらの学友が向こうにつきやすいようにスッパリ断絶したところもある。この二人はいつも私を励ましてくれて、親切で楽しい学友代表のような人達だった。そういう人達と縁が無くなるということは、勿論とても辛くて悲しいことでもある。でもこうしないと躊躇が生まれて何もかもが上手くいかないと思ってそうした。桐野夏生さんも「躊躇が一番よくない」と言ってみえて、この場合に当て嵌めるのは相応しくないとも思うし桐野さん困ると思うけれどやる時はやる、あちらこちらに気を使っていたら討てないと思っていた。なので学友達とも仲違いしたのも私の希望通りかもしれない。というか、そうだ。私の書いた「ストーリーとシナリオ」はその通りになったということだろう。 何もかもが私の思い描いた通りになった。

最後にFくんとバス停に行く。私はここからホテルに戻って最後の目的地「祇園から清水寺」散策にでかけるつもりだった。Fくんは京都駅に行き、そこからまた別の駅からフェリーに乗るという。私はびっくりした。「だったらこのバス停じゃなくてあっちだよ。このバスだとすごく大回りになるし、間に合わないよ」と、早く早くとせかした。でもこのバスで行こうか向こうで行こうか迷っている風で、もしかしていつも私が所在無さげにひとりでいるので、寄り添ってくれているのかなあとか、発表会で隣に来てくれて前の私だったらわからなかったそういう優しみ、ひとりでいたからわかったのだと思った。

もしあの賑やかしい人達とずっと一緒にいたら、それはそれで楽しかったと思うけれど、ひとりで来ていた人達とも話をしなかったと思うし、何もわからないままだったと思う。やっぱりひとりでいるって時には大切。Fくんに「ね、大学で友達できた?」と聞いたらえーみたいな顔をしたので、「私、ひとりも友達できなかった!」というとにこっと笑った。受けたかなあと私もあははははと笑った。なんかスッキリした。笑うって大事!最近辻先生はSNSで、塞いだ感じのTweet が多い。もしかして「笑い」が足りないのではなんて思った。私が自由の身なら掻き回しにいってあげるのに。変な顔したり後ろからおどかしたり。ってまた違う話しになっちゃう!妄想は小説だけにしよう。

でもずっとぼっちでいいなんて、そんなことは思っていないし、私はこの二日間、ひとりでいたのはひとりで行動している時だけだった。大学や懇親会では誰かしか周りにいたし、話し話され共同体の中にちゃんといた。でも「ひとり」をひしひしと感じてしまったのは、自分を排除したいという空気だけを見つめてしまったからだろう。そういうものを感じない無視する強さは私にはまだないんだと思う。もっともっと強くなりたいなあ、また桐野さんが言った「強靭になってください」という言葉が思い出された。

それにどうしたらなれるのか近づけるのか全然わからない。でも多分だけどもっと自分に素直になることではないかと思う。人に対しても出来事にしても、もっとおおらかな気持ちでいられるようになれば、たいがいのことは静かに過ぎて行くだろう。私は気が強いわりに小さいし、細かいところが気になるし思いこみも激しいし拘りが強い。多分すごく付き合いにくい人、そういう顔を隠しているつもりはないけれど、あちらこちらでパーンという対応をされる。甘い顔をしているので甘くみられるのだ。前はそれが嫌で仕方なかったけれど、今はそうでもない。そういう風に見られるのも私の利点のような気がする。もうこれでいいかあ。

Fくんはせかしたせいか、ちゃんと京都駅行のバスに乗ってくれた。迷っていたのはきっと別れを惜しんでくれたのだろう。ちょっと苦手だったのに、卒業発表会からガラッと印象が変わった。外苑キャンパスで会うので東京の人だと思っていたけれど違った。大変だっただろうなあ、よく卒業できたと感心してしまった。彼も卒業が寂しいだろうな、でなければ遠路はるばる卒業式には来ないだろう。

京都造形芸術大学通信は、本年度は歴代最多の卒業生だったそうで、喜ばしいことだと学長がスピーチしていた。今年の卒業生の人数はメモしていないけれど、学士(卒業生)の総計は6,297名だと言っていた。これも卒業式の動画がアップされているので調べようと思えば調べられるけれど、もう今はそんな気持ちなくなっている。

話を戻してN先生はいつ大学を後にする決心をしたのか。1月末の最終面談で卒業式に行くつもりがないと話していると聞いた。でもその時点では「卒業式に行かない」だけでやめるつもりはなかったのではないか、それを外苑事務局の私に対する温度で推測するなら、フライングカフェ以降、3月の藝術学舎までの間だと思う。フライングカフェでは普通だったが、藝術学舎の時は包み隠す事のできない怒りを感じた。それはN先生のことがあったのではないだろうか。

N先生は誰にも好かれて人気がある、時々熱狂的に好きすぎる人がいて軽く引いたりしていたくらい。なのであの外苑事務局のあの人は、私に怒りをあらわにしたんだろう。色々あったがそんな事は今までなかった。フライングカフェ以前、私は人間関係委員の先生達と様々に話した。N先生はそれらの方々からのいちいちの問い合わせに疲弊し、それからカフェのメンバーから外されたり直球の詰問など積み重なり「もういい」と思われたのではないだろうか。もしそれ以前に決まっていたならカフェ前の面談は実現しなかっただろう。

もちろんこれも私の勝手な想像で、そうかもしれないし違うかもしれない。でも当たらずも遠からずなのではないだろうか。だって来年度の文芸コースシラバスにN先生の名前まだあるから。急に決まったんだなと、決めてしまわれたんだなと思った。おおえかはどうだろう、正式な発表がないのでわからないが、ボスママモアイの態度からしておおえかも出されただろう。でなければN先生「だけ」いなくなるというわたし的に最低最悪の結末ということになるが、それはないだろう。

ボスママとモアイは京都に来る前に知っていたんだと思う。で、親しい周りの人達に周知し、知っているひとは私を完全無視し、知らなかった学友達は普段通り。知ったのは3月11日だと思う。この日おおえかが脚本を書いた演劇が上演された。


上記の感想はかなり以前の作品だけれど、「ちぐはぐ」という感想がつくのは当然かと思った。で、ボスママモアイは自分達の主担任の先生の作品、見に行かない訳がない。私は観にいくつもりだったが、気が付いたら日にちが過ぎていた。彼らはここで会い、話し、大学を去ることをきいた。もちろん連絡先を交換しただろう。大学の先生と生徒が、特に通信生は個人的な付き合いは憚られる、だがもうそこに属さないというのなら何も問題がない。そこで二人はますます私をはっきり拒絶するしかなかった。ここまできたらどちらにもいい顔をして付き合うなんて出来ないだろう。何より私がそれを拒否した。

人の心はなんと単純で愚かで深いんだろう。N先生のことを考えるとこんな呑気な事を言っている場合ではないが、つくづく思ってしまった。もしかしたらこの学友達のことは、もともと好きではなかったのかもしれない。今にして思うのかもしれないが、それよりはいつもひとりでいた朋輩Wさん、論文研究で先生にきっちり意見したOさん、こういう「いつもひとりで行動していた人」にシンパシーを感じていたと思う。この二人は美しかったし自分のスタイルと信念をきっちり持っていた。その他、通信教育のスクーリングでは「ひとり」の人が大勢いて、全然寂しくなかった。孤独を感じてしまうのは、ぎゅっと固まる群れに目がいくからだろう。そうはいっても共同体は必要で、そこに静かに揉め事なく平和に存在しなければ人として幸せにはなれないとも思う。

人が生きていくために必要なものは現代社会としてはまずお金、でもそれだけでは豊かな幸せにはならないというのは全ての人が知るところで、人間が人間らしく生きるために必要なものは、共に生きる人。共同体の中でやっと人は人らしく生きることができるのだと思う。こうしたささやかだけれど大切な、「人はひとりでは生きていけない」ということを、この大学で縁を受けたことでよく理解できた。人や組織との縁、繋がり、そうしたものを断ち切ることなく続けていくこは、新しく繋がるより難しいことでもある。ただし、自分が違うと思ったら飛び出してもいい。私はこの大学にずっと違和感があった。もう嫌だ、出たいと強く思った。何もかも望み通りの結末、嬉しいかと聞かれればそうではないし、後悔しているかというと全く違う。もっともっと先になって、違う感情が出てくるかもしれない。

ホテルに戻って地下のアーケード街でお土産を買った。駅ナカやその周辺は多分どこも混んでいるだろう、ホテルの中のお土産屋は過不足なく欲しいものがあった。普段不義理している方やあの方この方子ども達にと色々買い込む。買った後はコンジェルジュに与謝野晶子ごっこの相談。少々困惑されていたが、多分景観的にこのあたりではということで、清水坂をあがる途中なのではということでタクシーで移動。

途中、五条大橋を通ったので「牛若丸と弁慶が出会った橋なんでしょう」と言うと、ここではないもう少し先の小さな橋がそうだという。そうなの?ずっと五条大橋がそうだと思っていた。だって歌にもあるじゃないですか、京の五条の橋の上って。でも確かに五条大橋とはいってない。その橋の近くに停車してもらって、せっかくなのでと渡って戻ってきた。車が一方通行しかできない割と小さな橋、灯りも少なく人も歩いていなくて寂しい感じ。でもタクシーの人がいうならここで間違いないだろう。弁慶もここで義経に出会ったばかりに、数奇な運命をたどることになった。それでも弁慶は幸せだったに違いない、それまで多分ずっとひとりでいて刀狩などしていたのだから。

たったひとりの人と出会うことで、運命が変わってしまうことがある。私とN先生はどうだろう、良かったのか悪かったのか、今は悪くてもいつか良かったと思うかもしれない。今は私もどっちなのかわからない。偶然は必然なのか、何故こんな事になったのか。渦中は苦しくて辛くてN先生だけじゃなく大学側の人達は全員敵だと思い恨んで憎んで嫌いまくった。でも、もう私も含め誰もいなくなる。

あっけないくらいの衝撃の結末。

クルーソー先生があの手紙を読み上げた時、私は京都の街の摩訶不思議さが怖くなった。安井金毘羅宮で「悪縁を断ち切りたい」と願掛けをした。N先生がどうこうなんて思ってもいなかった。でもこうして考えると、N先生は私にとって心を掴んで離さない悪い人だったのかもしれない。様々に揺すぶられ傷つけられ、こんな風なので色々が疎かになり上手くまわらなかった。逆にだからこそ頑張れたものもある。でもいなくなったというだけで私の気持ちは穏やかになった。安井金毘羅宮に行った話をしたら、お参りした途端自分が悩みから吹っ飛んだという方がいて、ぞーっとしてしまった。安井金毘羅宮恐るべし。 

それから、平安神宮で二回おみくじを引いたと書いたが、最初にひいたのは「末吉」だった。そこに「待ち人来たらず、便りあり」と書いてあり、何も心当りがないのになぜか気持ちが沈んでしまった。なんだろうと思っておみくじを引きなおしたら大吉で気分盛り返せたが、それでもなんだろうなんだろうと引き摺ってしまった。これは多分N先生のことだったのだろう。私は心のどこかで先生を待っていたのかもしれない。いきなり分科会に現れ、「おめでとう」と卒業証書を手渡され、その後「色々と大変な思いをさせてしまい申し訳ありませんでした。卒業してもまた大学に遊びに来てください」なんて。そして「便りあり」便りも確かにあった。

なんだかこじつけの言葉遊びにとられるかもしれないけれど、これら京都に存在し続ける何ものかたちの仕業のように感じた。どこにいってもそういう気配は感じられ、私は励まされ叱咤されながら京都を巡った。私が全く否定しないむしろ敬意を払う人間ということで色々なお目溢しがあったように思う。

それに私、本当に京都来る気も卒業式に出席するつもりも全然なかった。でも日にちが迫ってくるにつれ「ナニカアル」って感じだし、行かないといけないような気持ちになった。一体なんだったのだろう、何が教えてくれたのか。結果、様々な必然偶然が重なり思い出深い旅になってしまった。 

五条の橋から祇園を抜けて、有名どころをあちらこちら教えてもらいながら清水坂の下に到着。タクシーを降りて坂を上がっていく。時間が遅いせいか、道の両端の店は全部閉まっていた。それでも清水寺までいってみようと頑張ってみたが、18時で参拝はクローズ、ロープが張ってあり清水寺には行けなかった。


近くのポスターをみると来週からライトアップされるそう、一週間早かったかー。来週あたりはちょうど桜が見頃で綺麗だろうなと思った。

桜の季節にも京都には来たことがある。渡月橋周辺の桜が薄紅のもやのように満開で、そこから雪のように花びらが川面に降り注いでいた。これを一緒にみた親友は亡くなってしまった。京都は彼女を思い出すから、余計に京都に来たくなかった。彼女が生きていたら今の私をみてなんて言うだろう。「卒業すごいね」って喜んでくれて、「バカねえ」って呆れるか笑うと思う。どちらでもいいから生きていて欲しかった。サクラサク、サクラチル、私は散る桜は嫌い「綺麗ね」って言った友達の笑顔を思い出すから。私はサヨウナラも大嫌い、だから来たくなかった、京都なんか、卒業式なんかに。

この後清水坂の下まで戻るとバスがちょうど来て、京都駅からすぐ東京に戻った。

京都から戻る新幹線でスマホをいじっていると、大学からメールがぽーんと入った。全く知らない先生の名前、内容は、今回のことは委員会としての指導で、大学の処罰や処分とは異なりますとあった。最後の最後まで何が言いたいのかわからなかったし、私の知りたい答えは得られなかった。しかもこんな内容のメール送ってきたりして、大丈夫なのかと逆に心配になる。こういう些細な大学側の失態を細々と指摘、追求し、でも確証がないというので状況証拠を積み上げた。

なんていうか、たかが専業主婦の通信生だと侮られているのも逆手にとったというか。私が手を替え品を替え様々に大学を揺さぶり下手打つように仕向けたというより、やっぱり大学の先生というのはトラブルシュートが下手すぎると感じた。こうした分野、外部の人入れた方がいいんじゃないでしょうか。そういう訳で今回のメールも言葉尻をつかまえて更に追求できそう、でもさすがにこれ以上問い合わせする気もなく返信もしない。 大学の人間関係委員会は人間関係を拗らせややこやしくさせる天才の集団だと感じた。  結局あれから「偉そう先生」には大学で会えなかった。 

東京駅に着いて山の手線に乗り換え、まだ有楽町線が動いていたし、豊洲駅から徒歩で自宅に帰れた。清水寺拝観できなくて良かったかも。11時近いのに子ども達が起きていて、私が帰ってくるのを待ちわびていたのだろう。お土産は明日と言い聞かせてなんとか寝かせる。夫は自分が夜ふかし好きなせいか、子どもたちを夜寝かせつけない。現実に戻ってきてしまった。やれやれ。

こういう不自由さも幸せだと思うけれど、やっぱり気楽さの方を優先してしまう。もう一泊してこれば良かったと思ったし、一泊だけだから濃密な思い出になったとも感じた。

これ、綺麗で美味しかった。

京都造形芸術大学に入学して良かった、何より卒業出来た。武蔵美は通信といえども私は卒業できなかっただろう。やっぱり色々と「卒業させる体制」が京都造形にはあったし、その恩恵は十分に享受した。特例を発動してもらったのにそれを逆手にとって大学を追及したりして、本当に私は恩知らず恥知らず、育ちの悪い田舎娘。というかもうおばさんだけど。気持ちはまだまだ瑞々しいままよ!卒業式で学長が、青春とは年齢ではない思い続ける気持ちだと言っていた。本当にそうねと思った。でもこんな風なので、伝統と仕来りを重んじる京都の大学で浮いたのも致し方ないか。 

金子先生、上村先生、上原先生、ご対応ありがとうございました。     

関係者の皆さま、様々に叱咤激励を頂き感謝いたします。

それからN先生、私は先生のこと今は恨んでいないし憎んでもいません。もうお目にかかることはないと思いますがいつまでもお元気で、そのままの先生でいてください。お世話になりましてありがとうございました。    

平安神宮を13時ちょっと過ぎに出て、そこからバス亭の場所がわからずちょっと迷ってしまった。来た道を戻って同じバスでいいのか、でもgoogle がちょっと違う場所を指している。ああでもないこうでもない、平安神宮のTSUTAYAの前に戻ったり駐車場で案内をしている方に聞いてみたり。もう一回検索しようとぐぐるとやっぱり違う場所が出る。怪しいけれどその通りにまずは行ってみようと行けば、果たしてそこにバス停があった。もうわかりにくいわあ。バス停に立つと何か気温がぐっと下がってきたように感じて、ダウン長い方を着てくれば良かったと後悔したくらい。なんだか雨っぽい雪みたいなのが降って来て、ダウンの黒い袖に落ちたのをみると雪の結晶っぽい形がみえた。寒いわあ嫌だわあとバス停の椅子に座って落ち着いて考えたら、「ああ!これが細雪?」とはいえ、もう少しハラハラと降る目に見える感じだからちょっと違うわねと思いつつ、「『細雪』ごっこをしていたら細雪が降った」などとニマニマしてしまった。

バスに乗って10駅ほどで到着。どこもかしこも割と近い感じに思ったのは、あちらこちら寄ったせいもあるけれど、以前ブログに「京都駅からバスで1時間」と教えてくれた人がいて、そんなに遠いなんて勘弁してくださいなんて思い、なので面倒で益々京都での卒業式なんかに行きたくないと思ったものだった。でもこうして風の向くまま気の向くままあちらこちら見物して楽しみながらの移動なら、そんなに大変ではないということか。計画性がないとか行き当たりばったりとか人生なめてると言われる私だけれど、ちゃんと最短二年で卒業したし予定通りの時間にちゃんと大学に向かっているわ、順風満帆じゃない。そしてバスは京都造形芸術大学の本校舎に到着。バス停の名前は正式には「上終町京都造形芸大前」になってる。

文句ばっかり言って申し訳ないですけれども、バス停の名前を「京都造形芸術大学前」にしてもらってください。でないと乗り換え案内とかで検索するとバス停が出て来なくて困ることがあります。それから京都館で貰った京都の地図には様々な大学が全部書いてあるのに、京都造形芸術大学だけ記載されていないんですよ!これも載せてもらうようにした方がいいと思います。



ということでジャーン!敵の陣地に到着。これもHPでみた通り。威風堂々とした立派な校舎。なんだかパッとみた感じパルテノン神殿にみえるのは神がいるからなのか、私のような紙が入っていいのだろうかと思った。でも今日は「卒業研究発表会」という大義名分があるので誰も咎めまい。思ったよりも普通のところにあったのでちょっと驚いた。なんていうか、地図であたった感じだと山の中にどーんというイメージだった。でも普通にお店もコンビニもあるし、交通量も多い街とはいえないけれど町な感じ。周りに住宅もたくさんあるし、この近くに住んで大学に通ったらあまり「京都に住んだ」とはいえないなあなんて。京都といえばやっぱり四条河原町とか祇園、でもあの辺は家賃高そう。    
   



そうは言っても山の中腹斜めににそびえるせいか階段が長い。転んで怪我しないように昇降しようと気を付けることにした。奥にみえるバス停が京都駅に行く5番のバスが出ます。写真にうつってないけど50mくらい手前のバスが3番「市役所前」とか「三条」に行くバス。うーんだいぶ交通網も覚えた。車じゃないなんて大丈夫かなあと心配したけれど杞憂だった。こうして写真みるだけでもう懐かしいわね。つい一昨日ここからバスに乗ったとか、学友が優しい人がいて嬉しかったとか色々思い出す。   



「人間館」一番中心になる校舎らしい。この建物4階で文芸コースの「卒業研究発表会」があった。   



ロビーにカフェがあり、その周りに色々な学部の作品が展示してあった。文芸コースは一番奥の目立たないところにファイル立があり、その中にクリアファイルに入れて作品が展示、というかおいてあった。写真忘れたけど、文芸コースってやっぱり目立たないのね。「文芸コースただでさえ人が集まらないからブログに色々書かないでね」といった学友の言葉を思い出した。


 日本画、洋画、陶芸コースの作品が展示してあるホール。




ここかあ「春秋座」明日卒業式やるので場所を覚えた。ここで都をどりやるなんて、舞子さん芸子さんたち移動も大変だし、第一着付けやお化粧どこでやるんだろう。やはり置屋でやるのかな、移動はどうするんだろうと気になった。あーみてみたい都をどり。昔京都来た時に「祇園コーナー」で京都の伝統芸能は一通りざっくりとみたけことはあるけれど、やっぱり都をどりは別格だろう。何より誰かに「一年に一度都をどりを観て、一年また頑張るという友達がいる」という話を聞いて、そんなにいいんだーとちょっと悶々としてしまった。京都の先生達はもちろん観るんだろうな、学生さん達も。東京から行く人も当然何人かはいると思う。はあ、どうして私専業主婦なんだろう。もっとバリバリ働いて稼ぐ人になろうと決心。でもここじゃなく観るなら祇園でみたいな。



「春秋座」入り口横にチケットセンター。「吉田兄弟」のチラシなどがあった。公演があるんだろうな。
   



「卒業制作発表会」まであと15分あったので急いで学生食堂へ。私は社員食堂とか学生食堂が大好き。武蔵美時代も食堂で食べるのは「MAUランチ」だった。せっかく京都まで来たんだから「KUADランチ」も絶対食べてやると思っていた。でもここの学生食堂、外の急な階段をだーっと登らねばならず、急いでいた私にとってはきつかった。はたまた入り口がどこにあるのかさっぱりわからず、しかし「一念岩をも通す」の一心で到着。
   


白身魚フライと唐揚げ定食と、チキン南蛮の3種類で迷って白身魚フライにした。
   


念願の学生食堂ランチ、あと10分しかないというのに「聖護院大根の煮もの」までとってしまった。普通に美味しかった。


食べ終えてダッシュで移動。食堂からは一度一階に降りてまたカフェ前のエレベーターに乗り4階へ。そこから渡り廊下を進んでいよいよ教室へ。



一番奥右手の教室が会場だった。東京外苑の授業いつも広い教室ばかりだったので、普通の教室だろうけど手狭に感じた。

教室内でなんだかお写真は憚られる気がして撮らなかったけれど、発表者の他に見学者もいて部屋はいっぱいだった。前の方にボスママとモアイがいるのがみえたので空いている一番後ろの席に座った。思えば大学の授業はいつも一番前の席で授業を受けた。最後は末席かあ、寂しいものだわね、おごれる者は久しからずってオイ私いつ威張った?席は前だけど周りに気を配り、ひとりの人には声をかけ、万遍なく付き合ってきたじゃない。ボスママとモアイなんてぎゅっとくっついていないと何にも出来ないヘタレ。

まあ悪口はこの辺にして「卒業研究発表会」だいたいこんな感じ。私が教室に入ったら既に始まっていて司会の寒竹先生が今日の流れを説明していた。教室はNA405教室。ひとり10分話し、その後3分質問タイム。発表する人数は先ほど書いた通り11名。先生は6名。私は3番目の発表だった。

最初は京都の生徒さん、もちろん初めてみる方。二人目は東京の方で、しっかり研究インタビューなどもされたという濃密な作品、調査対象への愛というか熱量たっぷりで、いつまで話しても尽きないという感じだった。

その後が私で何も話すことを考えていなかったので少々戸惑ってしまった。でも話始めたら自分の作品への想いが沸き上がり、卒業制作をしていた時や面接授業など様々な出来事が思い出され、時間いっぱいまで話した。リビングジョナサン、10万字書いて6万字に減らしたこと、しかも全部delete して一からやり直してきつかったこと、でも10万字書いたものを捨てたのは大変だったけど全然惜しいと不思議と思わなかったなど。 司会の寒竹先生が、みんなに同じように言う訳ではない、出来ない人には言わないという言葉があり、そうだったのかと喜んだ。

あとは何を話したかなー、そうそう創作が佳境に入ると物語が勝手に動き出したこと、それを必死で追いかけて見て文字にした話などもした。でもこの話は作家にはよくある話で、「何かが降りてくる」なんて表現されるけれど、物書きからしたら珍しくもなんともない、ほとんどの人がそうだと聞いたことがある。でも自分で体験してみてそういう気質が備わっているというこは、少なくとも創作する力は多少なりともあるのかなと思ったりした。

私がこの大学に入学したのは、パソコン一台で卒業できる以前に、ちゃんと文章書きのセオリーやノウハウを学びたいと思ったから。そのきっかけは、ブログで小説を連載するコンテストに参加した時、最後の方になるといくらでも書けて驚いた経験から、書けるなんてもんじゃなく、色々な登場人物があちらこちら勝手に動き回り、話し、様々な事件が起き、締め切りになったら勝手に終わった。私はこれが「降りてくる」というやつか、私もしかして小説家向いてるかもと思ったから。絵はなかなか描けなかっらたけど文章はいくらでも書けた不思議。そんな入学した動機は話さなかったけれど思い出した。

発表の続き、「そろそろ何か賞が欲しい」なんて話もした。あちらこちらで芥川賞欲しいとりたいなどと言い散らかし、結局口だけだったとはやっぱり思われたくない。それにこんなにお金かけて大学を卒業までして元はとりたいと思った。

ちなみに今日は夫が家にいるけれど、やっぱり「京都なんか行って無駄使いして」と目茶目茶disられた。ふん、私のSNS全監視しているくせに、しかも嬉しそうに知ってるんだよ。なのにこの言いよう。こう言われると思っていたから京都行きの費用は全部家計から出した、当然でしょ?専業主婦なんだもの。いくばくかあったへそくりも、ほとんど大学の費用で消えたしね。二年で卒業できて本当によかったと思った。

ボスママとモアイは前の席にいたけど私が発表している間ずーっと下を向いてこちらを見ようともしなかった。というか目が合わせられない?という印象も。私は遠慮なくジロジロ観察した。多分この人達これから二日間で続く様々なイベント私を全無視するつもりだなと思ったら、やっぱりそうだった。

ボスママは発表で、「賞とか関係なくこれらかもずっと書いて行きたい」と言っていて、「だってあなたライターだから当たり前でしょう?」と思った。あとはモアイが「担任の先生に言われて好きな小説をうつして書いた」とあり、おおえかは本当にいつも誰にでも同じことしか言わないと思った。一年目で卒業制作の内容の相談に、おおえかを指名したことがある。N先生に相談したいのは山々だったがN先生お忙しいだろう、お手を煩わせてはと思ったし、なんのキャリアもスキルもなさそうなおおえかを先生に育てようと考えているのがわかったので、自分もN先生に協力する気持ちもあった。おおえかは指名されてすごく喜んで色々話し、「好きな作家の作品を丸写し」というアドバイス、他にも色々言っていたが、いざ卒業制作が始まると、自分の担当の生徒たちの評に同じ事ばかり書いていた。人を見るとかオリジナリティのない人かなあという印象。最近上梓した作品のタイトルもパクリなのでは?

話しをボスママに戻す。この人入学して初めて会った時はうつむき加減で自信なさそうにしていたのに、卒業までの間に堂々と話すようになったと感心してしまったけれど、これ多分私のせいだと思う。

ライターを始めるにあたり、色々基本的な話など聞いて、その人を師匠と呼んで持ち上げた。私の悪い癖なんだけど、ちょっとこちらに敵対しそうな人、軽んじられそうな人はちょっと上にすえてあげる癖がある。結構屈折したところのあるその人は、なんていうかいつか私の敵にまわるんじゃないかと思っていて用心した。まさかおおえかのせいでこうなるとは思ってもみなかったけれど、自分の担任をdisられて気分がよくないのはわかっていた。でもなんとか学友としてのスタンスは保ちたいと苦心していたけれど、文芸フリマのために描いたイラストをあんな風にけちょんけちょんに言っているとは思いもしなかった。それが露呈してその時はいいよいいよと言ったけど、思えばあれ以前からわたしを良く思っていなかった。もしかしたら最初からそうだったかもしれない。そういう訳でボスママの発表は色々な意味で内情を知っている私からしたら、「うそつけ」という要素山盛りだったけど、京都の人や見学者には受けていた。 おおえかもボスママも、結局私は保身のために煽て持ち上げ、そのせいで強くなった人たちに軽く見られるようになりイジメられたということか。色々勉強になったなあ。

10分休憩。その時卒論を控えて来年度卒制する人や、いつも誰とも話さないと思っていた人が「発表よかった」とわざわざ隣に来てくれて言ってくれるのでビックリした。この人こんな風に笑うんだ、話すんだという感じ。自分の言葉が人を勇気づけたように感じて嬉しかった。これで何かほっとし、他の参加者や卒制のための来た人と色々話をして気持ちがほぐれた。ボスママモアイ以外の東京の生徒達とも挨拶して話した。

休憩の後は後半に続く。その時教室の入り口すぐ近くに座って居る私に、この二人だけは挨拶どころか目もあわされなかった。完スルー。でも何故なんだろう、なんかあるわと思った。でも私もこの二人に対して最後の方は疑念だったり不満があったのでもう無理だなと感じていたからほっとしたところもある。でもまさかこんな風にあからさまに空気扱いされるとは。「自分が悪いんでしょ」と言われたら、そうかもしれないけれどそうではないと言いたい。本当に腹の立つことがいくつかあり、私は大概のことを我慢して受け入れてきた。そうこうしているうちに、だんだんだんだん彼女は野心を抱くようになったのだと思う。

私が「大学の先生になってください」と言ったjunjunパイセンと同じく彼女にも「大学で先生やったら」と言ったことがある。でも今は全然思わない。こんな大人気ない態度、しかも大学を卒業するという最後の最後にだ。あまり書くとこの人はすぐ泣いて人に同情を買おうとするから始末に悪いのだけれど、ちょっと人としてどうなのということが何度もあった。junjunパイセンはいつも真っ直ぐだった。だから先生になってくれたら東京文芸の奇抜さが薄まるだろうと期待してそう言ったのだ。ボスママが先生なんかしたら、私情で点数をつけたり生徒を叩いたりするだろう。私は大反対ですよ、しかもキャリアもスキルも何もないただのかまってちゃん。junjunパイセンとは雲泥の差がある。

現にボスママというのは私に親切な人とか話している相手をわざわざざあっと巻き込んで「ぎゅっと固まって楽しそうにしてそこにいるたったひとりを居心地悪くさせる」というのをやるわけで、「やっぱりボスママだわ」と思った。以前私がボスママはこういう事をするとブログに書いたら、「私も経験ある」と言っていて、なのにわかっててやるんだと思った。こういう人は大学の人間関係や人の背景をすごく知っている。なので仲違いすると、そういう情報が全く入って来なくなる訳でそれだけは不便だと思う。どうして知ってるのというような事まで事細かに知っていて、その情報網のおかげでブログに色々書けたともいえるが感謝はしない。そして京都で力のありそうなというか押しの強そうな目立つ生徒とさあっとまみえお互いをほめちぎりあっていて、本当にこういうのどこで覚えるんだろう、私ってそういうの全然ダメだなあとか、もうこの年まできたらこのままで生きるしかないとか思った。

ちなみに私の「ボスママ」定義は、最近は子どもがいなくても独身でも「ボスママ」みたいなことをする人はみんなボスママ、「お局」と言い代えてもいいかもね。

ということでまた文句たらたら書いてしまったけれど、卒業制作発表会はそんなに目新しい発見も感動もなく、それぞれの生徒が話したいことを話すという語り場だったように思う。ちょっとーと思ったのが、私が賞とりたいと言えば「賞とか関係なくただただ書き続けたい」とか、「読み返したくなる作品を書きたい」といえば、ボスママと慣れ合う人が「さきほどの方の話にあった読み続けたい作品だと思います」とボスママの作品を比喩られ、もともと言葉に対して敏感で細かいところのある私は、自分の言葉をこういう風に使われるのが一番嫌いで、それがボスママまわりで慣用句のように使われてすっかり気分を害してしまった。本当に文芸の卒業生ですらこの有様、言葉を紡ぐという本質が全然わかってないと思う。もしわかっててわざとやったなら最悪。多分そうかもね、今までもそうだったから。何かというと「そんなつもりなかった」と言うけれど、じゃあどんなつもりだったのよと言えば喧嘩になるので言わなかった。でももう最後の最後に不満が吹き出し自分の感情をどうすることも出来なくなり苦しくなった。

ちなみに私はいつも大らかそうな人に見られ勝ちだが、注力したいことにはこだわりが強く神経が尖る。今は文芸を勉強している身、言葉ひとつひとつが大切。そして私は構われるのが大嫌い!誰かを評する時、特に敵対する人に私の言葉をイジられてムカムカした。無視しながらも気になって気になって仕方ないんだろうか、豊洲のボスママ軍団と同じなんだわ。もおお。

最後に色々な先生が講評をしだした。東京の先生はひとりもおらず、京都の先生達ばかりで京都の生徒の作品の話が多かった。ますます「もういい」と激おこになってしまった。もう大学までこんなことになってしまったが、もとはといえばやっぱりおおえかが原因。あの人が私を攻撃しだし、私は先生なんだしと最初の半年は我慢していた。でもN先生まで巻き込み嫌がらせをしだし、「もうやったる」と思った。そこから様々な生徒達まで巻き込まれ、ある人は大怪我ある人は大やけどあるひとは、、、という大惨事になった。あの人が私の何が気に入らなかったのか今ならよくわかる。そういうの、人間だったら誰しもあると思うけど、先生になったら絶対やっちゃいけない。

大学の先生って、教員免許が必要な訳でも学歴がうんぬんとかもない。でもだからこそ人格がちゃんとした人じゃないと困るんです。大人になっても私たち生徒なんですよ、先生達のいうことは基本ちゃんと聞くという教育がなされている人達ばかり、それを盾にしていいたい放題やりたい放題は如何なものかと思う。まずこんな風に卒業の発表会なんかに、「イジメを率先してやる」というのは全く教える資格なし。今文芸コースに残っている先生達は少なくともそうじゃないと信じたいですね。京都の方は知らないけれど、京都は京都でイケズの御膝元、色々あるのかもしれない。



ということで発表会が終わって大学前のバス停から「三条」まで来て鴨川にかかる橋を渡った。すごく寒いこんな日もカップルが等間隔で座って居て、鴨川の河川敷に並んで座ると愛が深まるというジンクスでもあるのだろうか。いいわね、若いって。この後今度は「豆水楼」という豆腐懐石のお店で懇親会がある、座る席に気を付けないと酷い目に遭いそうだなと考えて、こういう厭な予感って当たるのよねと思ったとおりの展開になった話は次号を待て。      



今日は我が家に約4年鎮座していた「誰も弾かない弾けないピアノ」がドナドナとお嫁に行った。真っ黒でどーんと鎮座するアップライトピアノはもう本当に場所塞ぎでくちを開けばギャーギャーとわめく牝豚のようなモンスターになり果てていて、そうなったのはちゃんと子ども達を叱咤激励してピアノ教室に行かせなかった私のせいもあるし、娘が大好きなピアノの先生がご主人の転勤について地方に行かれてしまったのも原因。

ピアノの先生なんて誰でも一緒やろと思ったら大間違い、先生との相性って本当にピアノだけじゃないどんな学びも場でもそうだと思う。娘の次のピアノの先生も本当にいい方で私も昔から知っていた先生なんだけど、娘はどうもしっくりこなかったみたいで、はるばる自転車を漕いで通っていたのに愚図愚図言い出すようになった。娘もそうだが息子も自分が好きな習い事だと例え火の中水の中というのは大袈裟だが、せっせと通うし私が送迎面倒だと愚図るとさっさと自分で公共交通機関で行ったりする。

そんなこんなで娘はいつの間にか行かなくなってしまい、私も娘産んだ時にピアノと英語とバレエを習わせたいと思っていたが全般的に子どもの教育にそう熱心になれなかったせいで、ピアノもそのままになってしまった。

そうやってやりたいやりたくないが自分でわかるというのは自立の第一歩でもあるし、自分の行きたいところでしか人は生きられないということなのだと思う。昨日もあるお母さんがとある習い事やめようかどうしようか迷っていたので「とっととヤメロ」と助言したばかり。子どもが行きたくない場所へは行かせない方がいいと思う。ママンには言えない色々な事情が子どもにだってあると思う。第一お金が勿体ないやろ!

うちなんてそうやってグズグズ通わせたあのスポーツ幼児園、ふたりで確実に600万はかかったとほうぼうで言っているが、ちょっとまってそんなんで済んだか?もう計算するのも面倒だからしないけど、通帳を全部あたれば送金額がわかると思う。あそこは全部引き落としだったからね。まあそのうち本当にすることがなくて何か攻撃されたり子ども達になにかあったらやると思う。まあ失なわれた時を求めても仕方ないので多分もうこのままだと思うけど、幼児教育とか色々頑張ってるお母さん達将来ちゃんと考えないとあっという間に家計は火の車だから。

ママ友付き合いがうまくいかないとか仲間外れになったとか村八分になったとか泣いて引っ越しする人が後をたたないけど、引っ越ししたらお金なくなるしママ友なんてそのうちチリぢ時バラバラになるその時だけの期間限定ご近所付き合い。まずママ友って友達じゃないからね。お付き合いするなら会社の同僚と思ったほうがいい。

そして幼児教育で財政がすっからかんになった我が家娘が中学受験するというが、私は対費用だけじゃなく私立はもう絶対嫌!幸いはっきり言う娘の同級生のお母さんが「こんなブログ書いてるなんてわかったら絶対合格できないよ」と言ってくれたのでこのまま書き続けることにする。うちみたいなピラリーマンが制服はあるけど私服の子が多いジョシガクエンなんて行ったらメゾピアノだのバーバリーだのデパートの御用聞きなんかから買った全身ブランドでキメキメの同級生とかわんさといる訳、そこで自分の親に頼れないとなると女の子なんてお金のためにパンツ脱いじゃうよ!

そういうのって親が気付いた時は多分手遅れなんじゃない?娘は「またママそんな話、やめてよ」っていうけど子どもなんて言わないとわからないのね。言っておけばそうした局面に遭遇した時「ああ、ママの言ってたやつだ」とわかるかもしれないけど、何も知らなかったら芸能人になれるとか可愛いからお写真だけとか言って食いものにされちゃうでしょう!女の子を東京で育てるって本当に大変な事だと思う。ちゃんとその辺事故なく育てば私は御三家とか東大とか行かなくていいと思ってるくらい。

すごいぶっ飛んだ例えだけど東電OL事件とかああいう人は事件にならないとわからないだけで結構いるんじゃないかと思う訳。物者マニーマニーというのはやはり心が歪んでるからだと思う。私なんて今欲しいもの何もない、強いていえばこの美貌と健康がずっと続きますようにって感じかなあ、背があと5センチ伸びて欲しいけどこればっかりはもうどうしようもないから息子にセノビック飲ませないとあれ結構いいと思う。そのせいか最近またぐーんと伸びた希ガス。息子ちゃんにはココア飲む?なーんてそうだ切らしていたんだ注文しないと。

さてまた前置きが長くなったがここから築地移転の話。

拝啓小池百合子さまと書いたが百合子さんが読まなくてもその周りの方々が読んでお話してくれてもいいと思うので読んだ方は小池百合子さんにゆり子がこんな事書いてましたってお伝えください。

今、豊洲市場をどうするかモメモメにもめてて「プランB」もないなんていう状態だそう、そのままどうするかペンティングでその間にも土壌で悪い物質の数値が出たとかいやそれは正しい情報じゃないとか「千客万来」企業がやるだのやめただのじゃあこちらでなんてやってるでしょう。これ、またちょっとオカルトな事言っちゃうけど、豊洲という街の神様が「もうこれ以上何もいらない」と言っているんだと思う。

こんな小さな街にやれタワマンだビバホームだららぽーとだシビックセンターだの作って、街の中心部にまだ大きなランドマーク的なビルやホテルを作っていてその上築地が移転してきて豊洲市場だなんてもう嫌だと言っておられるのだと思うのです。ただでさえ人が多くて特に子どもの数が増え続け、小学校だってこんな小さな街に3つもある。これで更に何かって無理があるんじゃないでしょうか。江東区役所はじめ自治体の数や職員の数がそう増えた訳でもない、もうそういうところだってパンクしている状態。

待機児童の問題も解決していないのに何が魚卸し市場だと、馬鹿かとアホかと。ええ言いますよだって本当のことでしょう。注:百合子さんにじゃないです。そんな事を思いついたアホに対してです😭

だったらもう豊洲市場やめましょう。このままいつまでもグズグズしていると維持費ばっかりかかって卸を生業にされている方々だってイライラマックスでしょう。現に賛成派も反対派も拮抗したまま力抜けてる状態。移転を延期したのは百合子さんグッジョブだと思うけど、その後減速してしまって、それだけ難しい問題だと思うし問題が大きくなりすぎて百合子さんひとりじゃ決められなくなってしまったのだと思う。なのでわたくしメが提案します。

いったん築地にある市場を全部豊洲に移転しましょう。で、その後築地を綺麗に整備して立て直し、豊洲の失敗を教訓に百年くらい楽勝で使える巨大な築地市場を再建、そしてまた築地に全部お引越しさせたらいいんじゃないかと思うのです。

豊洲市場のあたりはもう害毒の湧く土地とイメージつけられてしまい、多分海外でも有名になってると思う。私も正直あの辺りで卸された魚となるとうーんという感じ。それはそのまま赤ちゃんが多い豊洲ではやはり受け入れられないと思います。だったらいったんは豊洲も仕方ないけど築地に戻した方が安心安全な食というか、そういうイメージを供給できると思う。ただ市場で魚を卸すだけで魚たちがそこで育った訳ではない、でもやはり問題になっているのは「イメージ」という部分だと思う。だったらもう豊洲市場すっぱり諦めたほうがいいと思う。

私はよく銀座で買い物したりぶらぶらしたりカラーのヘアサロンも銀座だし何かというと銀座に行く。すると必ず海外からのツーリストが話しかけてきて「築地はどこだ」と聞く訳です。で、「ここは銀座で築地じゃない、築地はここからこの道を真っ直ぐ歩いて約15分、バスなら5分」と答える。すると、「おー築地はあっちか」みたいにサンキューと別れるが、これが豊洲市場になったらなんて説明したらいいの。

ここから三越前のバス停からなんとか行きのバスに乗りどこどこで降りてとか、築地はもうなくなり今は豊洲市場とか言わないといけない訳。今銀座から出ている豊洲行のバスは、行き先が色々あって豊洲を通るのか新豊洲行なのか日本人の私でもわからないくらい。

豊洲でオリンピックやるとか言っても結局選手以外は豊洲なんて覚えないし、ツーリストたちは日本といったらジャパンで魚は築地TSUKIJIでしょう?それに築地って今や世界中に誇るブランド、築地と全然関係ない地方いっても和食や寿司屋に「築地」と入ってる屋号のお店がなんと多いの。銀だこですら「築地銀だこ」でしょう?「豊洲銀だこ」でいいの?いい訳ないと思う。

もう中央区か江東区かって問題じゃない、日本が世界に誇るブランドを守るという意味でも「築地市場」は存続させるべきだと思う。それに今築地で働いている魚河岸の方たちも「築地で働いている」という気概やプライドがあるはず。それを元工業地帯だった豊洲に市場を移動したからそっちで働けと言われても。私なら余計なことするなと思うし嫌だと思う。

築地→豊洲→また豊洲ってのは、費用や時間などなどリソースはうんとかかる、それでもやる意義はあると思う。それが一番しっくりくるのではないだろうか。

そこでお金がいっぱいまたかかる訳だけれど、ここで森さんとか都議会のドン内田さんを上手に使ってあちらこちらからお金かき集めさせたらどうかと思う。あの人達権力もだけどお金が大好きな守銭奴だから、そういうの任せたらあっという間に兆のお金かき集めるかもよ。もしかしてアメリカからお金引き出したりするやもしれん。敵対していても埒開かないから馬鹿とハサミは使いようっていう諺通り、使いようによっては良い仕事すると思うので都議会から「築地移転委員会」でも作ってそこに放り込んでおけば好き放題やるでしょう。ちゃんと仕事すればもう何も問わないくらいでもいいんじゃないかと思う。どうで糾弾してもすらっと逃げてこそこそするだろうから、もうスケルトンの箱に入れて監視して、でも自由にやらせる。

で、魚市場が築地に戻った後の豊洲市場、ここはマンションやオフィスビルなんて作らない。作ってもまた都会の過疎スポットができるはずで、閉鎖された地域のタワマンなんてまたママ友トラブルがあっちでもこっちでも大発生で私のような可哀そうなお母さんを量産するだけ、ならば何を作ればいいか。私は大きな公園やスポーツの出来る施設を作ればいいと思う。江東区はスポーツ特区という割に、施設は辰巳とかバディの小さなテントとかDOスポーツなど優良しかも利用料は高いし、豊洲の公園は全部球技もスケボーも何もかも禁止、一体子ども達どこで遊べばいいいのという街になっている。で、運動したい子はあっちやこっちのスポーツクラブや教室に高いお金を払って習っているけど、もっと自由に子ども達が集まって勝手に運動する場所が欲しい。ちょっと遠いけどそういう場所を作ればいいんじゃないかと思う。うーんやっぱりちょっと遠いかな。

ともかくもう私はもともと豊洲市場反対だった、今でもそう。特に千客万来なんて絶対作って欲しくない!行けばボスママ軍団やママ友同士キャーキャーと群れて飲んで騒いで子ども達ギャーギャー走り回って「豊洲は民民度低い」なんて外部から来た人達に悪口言われて私みたいなぼっちママが家族だけで行ったりするとポツンママにまた認定されて、ブログにぼっちぼっち書いているの本当だったなんて言われてキーもう嫌!悪かったわねぼっちでなんてムカムカしてまた「ウンガママ達の生態」なんて新しいブログ立ち上げたる!でも書くならここでいいか、あっちこっち書くとみんなリンクわかってくれなくて違うブログがあるなんて気付いてくれないから。

ということでちょっとCM、私の書いた作品を過去から順に紹介。

キャナリーゼゆり子の豊洲日記
これは一番最初に書いたブログ。小説の補足説明で、豊洲やキャナリーゼについて書くつもりだった。閉鎖命令あたりからカラーがガラッと変わっているのでそれも必見!ミラーサイトもある。桜子さん、いつもありがとう。

元キャナリーゼゆり子の豊洲にいた時日記
元のブログを閉鎖して新たに書き始めたブログ。SF超大作でもありフィクションとノンフィクションをミックスさせた斬新な手法が話題にテレ。作品だけ抜粋し2万字にまとめたダイジェストはこちら。物語だけで10万字くらい。

帰ってきたキャナリーゼゆり子の日記
「元キャナ」の連載が終わったのでまた新しいブログを始めた。「どこかに引っ越していたのか」とリアルで聞かれたりしたけどずっと豊洲に住んでいます。ママハラスメント、ママ友戦争が一番ひどかった時。豊洲中が敵だった頃。

そして今ここ→芸大に通うママのblog
息子を幼稚園途中退園させたのはブログのせいだと反省し全部閉鎖していたが、一年後くらいに学友に熱心に誘われてまた再開。今度こそ匿名のほっこりblogのはずがまたしてもこんな事態にみんなごめん。

他に今主催している「豊洲こども食堂blog」、以前息子が参加していた劇団の「みんなのミュージカル『ホンク!』応援blog」もある。小説を掲載している 森生ゆり子作品集 」「Twitter」「Facebook」「instagram

基本2chなどの他サイトには書き込まないことを信条としている。何か書く時はここにしか書かない。というか、ネットの匿名性を信じていないので、最初からオープンにした方が面倒はないだろうという考え。

でもたまに検索にヒットして読むことはあるけれど、あの松嶋菜々子の出演したタワマンの『砂の城』で、「キャナリーゼゆり子の日記に似てる」なんて書いてくれた人がいてそうでしょうそうでしょう、みんな私のブログ読んで勝手にパクッテるのよ。という話を先日NHKの人と話していてきっとこの記事も読んでくれてるはずどうもありがとうございました。嬉しくてあれからずっと食堂にいたんですがやっぱりタモリさんには会えませんでした(*´▽`*)

という訳で話しを戻すと豊洲市場もうやめましょう。世界の築地ブランドは守るだけの意義がある。ということで豊洲市場後はなにを作るかはまた考えるとして、あの辺りシービューが素晴らしいからハウステンボス的なレジャーランドでもいいし、私が昔書いた『元キャナリーゼゆり子の豊洲にいた時日記』では100年後あのあたりに放射能除去装置のついたタワーが出来ることになっているからそういうのを作ってもいいじゃない。

そうそう、ゆりかもめライン沿線に豊洲市場ってのがまず無理。お客さんが千客万来した時にあんな小さな乗り物と駅でどうやってさばくの。絶対事故がおこると思う。

一気に書いたら疲れた。

さあ小池百合子さん、江東区長さま先日は商友会新年会ではありがとうございました。また色々書いてしまいましたけれど、区長がデベを誘致して作った豊洲という街、もうビルドはこのあたりで良しとして、今度は風通しのいい街にチェンジしていく時期にきたのではないでしょうか。江東区には四匹の龍がいます。豊洲には白虎のモニュメントが豊洲シビックセンターに近くにありますが、風水を重んじたものだと書いてあります。風水って本当に大切です。

例えば銀行でいえば三菱東京UFJ本社は風水的に最高の場所に建っていますが、日本興業銀行はダメな場所なんだそう。あんなに邦銀でNO.1の栄誉をほしいままにした興銀、潰れてしまって建て物すらそのままです。あそこは本当に変な場所に変な形の建物で、よくなかったですね。でも社員食堂は最高でしたよ。私はここでも働いたことがあり、名だたる企業ばかり梯子していた。それはも社員食堂が大好きだったのと未来の旦那さん探しのため。おかげ様でよく働くyesマンくんと結婚できました。最近ATMの調子が悪いみたいで困っていますが、そのうちいい塩梅になると信じて私は働いたら負けのプロニートのまま頑張ります。

ということで、もうあの辺にごちゃごちゃ作らないで人を集めないで。でないともっと悪い事が起こるかもしれませんよ。最近朝、ちょっと前は小鳥の泣き声で目が覚めたのに、今はカラスの大群の大合唱で目が覚めます。石原元都知事さんが弱っているのでカラスが元気になってしまったのでしょう。私、石原さん嫌いじゃないし、裕次郎記念館で大感激して『夜霧よ今夜もありがとう』TSUTAYAで借りて観ました。もー古き良き時代のファッション風、そして女性達の美しい事!なのでもう石原さんもいいじゃないですか。石原さんは石原さんで、あの時ベストと思った選択をしただけともいえるのではないでしょうか。まさかこんな事になるとは。わかっていたらハンコなんか突かなかった。うちの駐車場のマンションにもカラスいて怖いんです、なんとかして下さい!

ということで色々書いたけれど、やっぱり政治家として今最も輝いているのは小池百合子さんだと思う。私小池百合子さん大好き!小池百合子さんが都知事選ひとりで頑張ってる姿に勇気もらったし、みんなそうだと思う。私も豊洲という小さな街だけれどたったひとりで色々やってきたし、百合子さんもそうだったらからすごくシンパシー勝手に感じて都知事選大大応援した。あんなに選挙で熱くなったのは初めてだと思う。今はもう出されてしまって書いたもの全部消えちゃったけど、NewsPicks に猪瀬さんと一緒に文字制限ギリギリまでめいっぱい毎日毎日応援コメント書いて世論にも多少は貢献できたと自負してる。でもまあそんなの全然及ばないほどの圧勝で、さすがやわと感心してしまった。

もう豊洲市場問題なんてさっさと片付けて、待機児童だとか高齢化問題とか色々頑張ってください。

そうだ、豊洲市場跡地、巨大保育園作って待機児童問題解消した後は、何年か後には豊洲も少子高齢化の波がくるでしょう。もう保育園幼稚園なんて必要なくなるからそこをそのまま老人施設にしたらどうでしょう。私も将来入りたいわ。でもそこにもボスママ軍団がいて、打倒森生ゆり子って村八分にされたらどうしよう。でももう先のことは心配しない。その頃は私もみんなもボケちゃって誰が誰で何がなんだかわからなくなっているから大丈夫だと思われ(*´▽`*)

市場は銀座の近くがいいと思います。


※小池百合子さんが読んで下さるそうで、ブログの紹介と、読みやすいように改行を多くしました♡

京都造形芸術大学のハラスメント相談については、以下の通り。(パンフレットの内容を転載)

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【相談方法連絡先】
※連絡の際には、「ハラスメントの相談です」と伝えてください。

●Eメール:harassumennto@office.kyoto-art.ac.jp
(harasumento ではなく、harassmento なので間違えないでね)

●電話:075-791-9343
京都造形大学 保健センター 直通ダイヤル)
電話受付時間:月曜日から金曜日の9:00-18:00
※長期休暇中、通常の授業期間以外は9:00-17:00になる場合があります。
※状況により、折り返し電話をすることがあります。

●手紙宛先:
〒606-8271 (京都府)京都市左京区北白川瓜生山2-116
京都造形芸術大学 ハラスメント相談窓口

※パンフレットはこちら↓↓↓(資料提供「偉そう先生」)
harasumennto1

harasumento2

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で、これら訴えは、「保健センター」というところから、「人間関係委員会」というところに繋がり、委員会にかけられ受理されれば対象者が処分されることになる。

「人間関係委員会」とはよくいったもので、「全ての悩みは人間関係にある」と説いたアルフレッド・アドラーの言う通り、全てのハラスメントは人間関係の中でおこる。すごい、また名言が飛び出したところで本題。

京都造形芸術大学だけでない、他の大学でもハラスメントはあるだろう。私はここの大学だけでなく、武蔵野美術大学でもハラスメント相談をしたことがある。武蔵美の時は面倒なこと一切なく、メールで出したらすぐ回答がきた。「これだけではアカデミックハラスメントとは認定できませんが、問題がなかったとはいえないので改善するようにします。すんませんでした」と返信が来て、私が問題だと思っていることは全部解決した。なので誰も処罰されず恨みも残らず、全てがまるく収まったという神対応だった。

私が問題と思っている先生は、クビにならない代わりに監視役の先生をつけられて、その科目は先生二人になった。それまでずっと独占してその先生だけが受け持っていた科目、美術大学でそんなに重要と思われる科目じゃなかったので履修する人は単位目的の生徒ばかり。だからといって先生がそんな適当に採点していいものかと思った。私は皆が「日本語が書いてあれば合格する」と言っていた科目で4回も不合格再提出を求められた。さすがに怒って学友に言うと、いつも「あなたが大概にしなさいよ」という学友達まで「それ絶対おかしいから大学にハラスメントで訴えな」と言ってくれて、訴えたらすぐに解決して、もっと早く申し出れば良かったと思った。

時間を無駄にしたし、やはりここでも学びのモチベーションががくっと減った。解決はしたが、そこからもうあまりやる気もなくなり単位も全然とれなくなった。そのままぐずぐずと年月だけが過ぎ、もうお金がもったいないから退学しようかなんて思ったりもした。何度出しても「不可」だったレポートは何もしなくてもA評価に変わった。あたりまえやろ。

なぜそんな風にひとりの先生から嫌がらせをされたか。それは私は大学で書いたレポートで評価のいいものを「みんなのキャンパス」というところで販売したせい。それを見つけた先生が「私は如何なものかと思います」とレポートの採点に書いてきて不可をつけた。なので「課題の講評に書くのは不適切」だと返信したら、そこから再提出のバトルが始まった。先生からしたら「おのれよくも私に逆らったな」と思ったかもしれないが、もしそういう事を注意するなら大学の事務局からなりなんなりから通達すべきなんじゃないの。「大学の先生っていうのは浮世離れしている人が多い」なんてだから言われるの。

という話は置いておいて、なんか今思い出すと京都造形芸術大学の今回のことと似てるわと思った。場所や時代が変わっても、ハラスメントっていつもどこでもおこる。もうどうしようもない人間のサガなのだろう。

※お猿ちゃんがカスタードのたい焼きが食べたいそうでちょっと中断します。今日はちゃんと最後まで書くよ。学友の大ピンチだからね!事務局いい加減にしなよ。今度こそコナンチェンジ!!!




と、いうことで無事カスタードのたい焼きを作り熱々を食べさせてまたブログを書いている。本当に私は何もないところから何かを生みだす天才だとまた思った。夫なら絶対に出来なかっただろう、というかもう何年も前に仕舞いっぱなしなたい焼き器のありかを覚えているなんで、人の名前が覚えられなくてママ友付き合いで苦労しボスママにいじめられそのせいでママ友界から追放豊洲から村八分にされたとは思えない。自分の好きなことならなんでもすぐ覚えられるし忘れないものだとまた思った。

さて本題。おおえかの言いなりになっているN先生のお陰で、おおえかが初めて受けもてた大学の授業、なんのキャリアもスキルもないただ一回脚本が舞台に使われでもそれ関係者以外からは酷評の嵐でそのせいでその劇団が潰れた疑惑という経歴のおおえかのデビュー授業「ストーリーとシナリオ」三日間で21,000円‼️高というのを、受講を拒否されて文芸コースの身で受けられなかったというのは前に書いた。

そこでもうひとつの事件が起こっていたことを思い出した。私のマブダチにKさんという学友がいる。以前、西洋美術史の時に席がぎゅうぎゅうだったので、ひとつのテーブルに二人座るという事態になったことがある。会議室なんかによくある長いテーブル、あれがずらっと横に並べられ、受講生の少ない授業なんかだとひとつのテーブルに一人が座る。Kさんとはマブダチなのでくっついて授業受けても無問題だった。

「ストーリーとシナリオ」はがら空きで、ひとりひとつのテーブルは当然、荷物置き場的テーブルもあったくらい。



私は受講させてもらえなかったけど同じ日程で違う科目を受講していたので休憩時間には何度も「ストーリーとシナリオ」の教室にいったのでなんでもみてよく知っている。おおえかはそんな私をみて、挨拶するでもなく視線を合わせもせず、しらーっと無視した。普通自分も担当している文芸コースの生徒が受けられずに教室にきたら、「どうしたの?」とか色々聞くのが先生なんだよ、これだけで先生の資格ないっつーの。

そこで生徒達にこの授業はどうだとか、おおえかが依怙贔屓している生徒以外には高飛車に威張っていて不愉快などという人達の証言などを得た。でもこれ上の先生達全員そうだからおおえかだけを責められない、「偉そう先生」なんて本当に最初は偉そう、でも話が進むにつれ、だんだん火が消えるように大人しくなったのはよろしい。でも「偉そう先生」は「ハラスメント」はしてない、おおえかはここ間違えたんだなあ。言葉での喧嘩はいいけど「暴力」になると刑事事件になり告訴されるというのと同じだと思う。

そして「ストーリーとシナリオ」の出席者が27名というのはまた全然関係ない学友に頼んで数えてもらった。その時の授業の資料や内容なんかも詳細に聞いたけど、これで21,000円?冗談でしょ!依怙贔屓されている数人は面白いと思ったかもしれない。でも正直「この大学間違ってる、私たちが紙だからっていい加減にして!」と思ったでしょう。でも言えないよね、生徒だもんね。先生に逆らったら、私iみたいに悪い点数つけられたり大学に来にくくなったりモチベーション下がって単位ギリギリになったりしたら困る、下手したら留年だし卒業できないよ。

でも今日はそれじゃない。別の話。まず最初に晒した「ハラスメントを受けたら」というパンフを見て欲しい。一応webにも載ってるけど適当すぎてわけわかめだと思うのでパンフを掲載した。

ここに色々なハラスメントの例が載っていますね。

例えば、

②アカデミックハラスメントの欄はハラスメントの具体例として、
・不当に低い評価をつけられた

というものがある。これは私の今日書いた武蔵美のとある科目(科目名を晒さないのは前の学長に恩義を感じているから)もそうだし、「連歌と俳句」で顔採用の先生に75点つけられたのもそうだし、「・みんなの前で、研究上のミスや問題について大声で叱責された」というのはN先生が懇親会という公衆の面前で私を大声で叱責したのもこれに当たるだろう。これ、訴えたらと言ってくれた人もいるけど、これ以上あの人を晒したら本当に今度は何をされるかわからないのでしない。

というか事務局が「あなたのためだから」とN先生と私を会わせないのはそういう理由もあるそう。うん、ちゃんと聞いたのよ。あ、だから懇親会も卒業式も事務局に言われて出席できないのだろうか。でもそんなのあるか?コース主任なんだよ?自分の可愛い生徒達の旅立ちを見送らななくていいんだ?へえーふうーん。というかもしかしてクビになったのかなあ。それはないよね!

で、今回は私のマブダチの話。そしておおえかが「良い先生面だけで全く生徒の事何も考えてないいつも自分自分自分自分」という証明にもなる話。

私が拒否られて単位のために仕方なく受けた「文化史特論」これが大当たりでめっちゃいい授業だった。3日間のうち毎日色々なジャンルの先生が授業をする。内容は歴史遺産コースの生徒達が卒論をするにあたり、研究の仕方論文について、それから自分達がいかに苦労して日々研究研鑽をしているかという内容だった。文芸を卑下するつもりじゃなく、本当にどの先生も研究熱心で自分の研究ジャンルを愛し、毎日毎日コツコツと色々勉強されているのがわかった。先生の先生について習ったり授業を受けたり新知見(研究上の未知の発見、論文に書いて学会で発表するそう)を求めて四苦八苦されている様子は、人間いつまでたっても学びの姿勢がないとダメなのだとわかった。「俺もう先生になったから暇で困ってポケモンでもしてダラダラするかあ」なんてTweetは間違ってもしないだろうと思われた。

で、私が第一日目の一時間目の授業を受けていると、学友のKさんが慌てた様子で教室に飛び込んできた。私は一時間目の前、「ストーリーとシナリオ」の授業誰が出席してるんだろう、入りはどうだろう、本当に定員でいっぱいなんだろうかとリサーチに行った。その時にKさんがいて「今日は教室別々」というと驚き、事情を話すと「ああー」みたいにがっかりした顔をしてくれて、他にも学友が来て「酷い話」「それおかしいやろ」と言ってくれたりして溜飲を下げた。で、おおえかが来てちょっと「うわっ」という顔を私に見せた後はツーンと知らん顔で他の依怙贔屓っ子に話しかけて何か後ろめたいのか顔を真っ赤にしてきょどっていた。おおえかは後ろめたいことがあるとすぐ顔が赤くなる。赤面症なのかもしれないと思った。

で、Kさん「文化史特論」の教室で私をみつけると同じテーブルの隣にきてくれて、というかこの科目はそう狭くない教室なのに受講生でいっぱいで、私の隣くらいしか空いてなかった。「どうしたの?」と小さな声できくと、「教室間違えた」と言う。

「こっち申し込んでたのを間違えてあっちにいってしまった。あっちで点呼がなかったのでこんな時間まで間違えたのに気が付かなかった。みんなが持ってる資料がないので先生に言ったら「事前に郵送して余分はない」っていう。うちに届かなかったと言ったらやっと名簿を確かめられて、私の名前がないから間違えたと気付いた」

というような事を休憩中に改めて話してくれた。

「どっち受けようか迷ってこっちにしたんだった。でも覚えてないわあ」

と、あははっと笑っていた。でも今現在、彼女に「あはは」で済まないことが発生している。なんとこの時一時間目に遅刻したということで、三日間真面目に授業を受けてスクーリングレポートを出したにも関わらず「単位認定できません」と大学から通知がきたそう。彼女が真面目に三日間授業を受けていたのは私が証明する。メモをちゃんととりレポートも書いたと言っていた。彼女は目立つタイプではないが、陰日なたなくコツコツ勉強している。それから彼女も貴族とまでは言わないけどご主人偉いひとなんだよ、そっちからクレームが来たら誰か責任取らないといけなくなるよ藁

で、この授業は三人の先生によるオムニバス形式の授業だったので、この中の先生誰かの申告でそうなったとは思えない。また事務局コナン馬鹿やったと思った。訴えられていいから本名を晒す、コナンは小南。最初私が読み間違えたのをそのままあだ名にしている。名前晒すのは最初で最後だからよく覚えておいてね。

私はこの時Kさんが「単位認定されなかったらどうしよう」というので、そんな事絶対ないと思うけど、もしそうなったら私に連絡して。認定を覆すネタを持ってるからと彼女にかくかくしかじかその出来事を話した。それは何かというと、京都造形芸術大学のシラバスにも書いてあるし、大学の事務局はテストやガイダンスでいつもいつも偉そうに(誇張ではなく本当に偉そうに話す時は顎が上がってる)「遅刻や早退や欠席は厳禁!1分でも時間に遅れたらテストは不合格、単位認定もできない」と常々ことあるごとに言っている。

でもそんな事絶対ない。

まず、「連歌と俳句」の顔採用の先生は、授業の最後「レポート書けた人から帰っていい」とつい言ってしまい、後から慌てて「でもなるべく授業終了時間までいて下さい。どうしても急ぐ人はいですけど」とこれまたちーさい声でぼそぼそ言っていた。いつもの自分のカルチャーセンターなどの時と間違えてつい言ってしまった、でも大学事務局から滾々と言われていた「時間ピッタリに終わって」というのを思い出したのだと思う。そしたらさあ、「すみませんいつもの癖で言ってしまいましたが、大学というか文部科学省の決まりで時間間でいて下さい」って言いなおせばいいんだよ。

で、私お猿ちゃんが待ってるからこの日は早く帰りたかった。「ままどこ?」「だいがくよ」なーんてメールしたばかりだったし。で、一番早く書き上げて提出して帰ろうとすると、明らかに顔がムッとして怒っていた。なんかすごい怨念というか「おいっ、空気よめよ」とでもいうような感じで睨みつけられた。うんでもさあ、いいって言ったし特に急ぐならオケって自分で言ったんじゃん、と持ってさっさと帰った。そしたら75点。短歌なんて笹先生絶賛してくれたし、その後「匿名で点数をいれる」句会でも高得点で顔先生が自分で私の作品を「特選」に選んだんだよ、なのに「最後のレポートで点数をつけたので75点です」と返ってきた。これ、

②アカデミックハラスメントの欄はハラスメントの具体例として、
・不当に低い評価をつけられた

に当たるんじゃない?ハラスメントする先生はクビだと新しく京都造形芸術大学で決まりましたのでそのようにされてください。なまず学長に泣きつく?ああ、そうしたらあなたらしいですね笑

あ、今見たら「連歌と俳句」じゃなくて、「俳句と連句」だった。これもう「短歌と俳句」にチェンジして、笹公人先生と『サラダ記念日』の俵真智先生にして下さい。こんな自分勝手な点数つける女帝きどりの先生信用できません。

文芸コースのシラバス55ページが「俳句と連歌」のページなんだけど、成績評価方法についてこう書いてある。
「1.受講姿勢 2.内容の理解度 3.独自の視点 "本科目は、授業への取り組み、および授業中に提出する課題を総合的に判断して成績評価を行います」とある。そして「成績再審請求書」を出してもどってきた内容が「最後に書いたレポートで成績をつけました」とある。事務局にコピーがあるはずだから自分でも確かめてみなよ、晒すと著作権に抵触とかうるさいだろうからしないけど。N先生も知らないとは言わせない。事務局→N先生→顔採用の俳句の女先生の流れのはずだから。N先生は生徒の真摯な訴えを無視してまたもや顔採用の女の先生の肩をもったことになる。

この大学こんなんばっかり!


ね?書いてあるでしょう?


ここ、ここです!

ということで、もう一度再審請求書を出した。もういちいち書類を郵送なんてしなかった、現代にはFAXという便利なものがある。FAXでだだだっと送ったった。メールは添付書類はセキュリティ対策の関係で受け付けられないそうで今回は断念。でも以前大学の研究助成金申請出さなかったら「メールでいいから出して」と言われて添付書類で出したことがある。自分の都合で色々決まり事を勝手にチェンジする京都造形芸術大学らしいと思った。これ以外にもおかしい変だと思った事全部「偉そう先生」と「住職先生」に文書でたくしてあるからちゃんと回答して下さいね。隠し事するともっとほじくるぞゴルァ( ゚Д゚)

ということで、京都造形芸術大学本当にルールがマイルールもいいとこでいい加減というのがよくわかったと思う。

マブダチKさんは、わざと遅刻した訳ではない。むしろ点呼しなかった馬鹿が悪くない?文芸コース以外の授業は全部点呼による出欠の確認があったのにないのが悪いんだよ。だからKさんは一時間目かなり経ってから別の教室に移動することになった。これも遅刻になり単位認められないってお前ら馬鹿なんだよ。「馬鹿って書くな」って大学に言われたけどこれ以外にどう表せばいいの?

私が「俳句と連句」早退したのはいいんだ。でもこれ顔採用が認めたやつだ。しかも文芸コースで遅刻してきた人が何度もいたのに単位認定されたと聞いた。これは2015年秋の「外国文学」のN先生の授業だった。三日間毎日遅刻してくる人がいて、N先生最後の日はさすがに怒っていたけど単位はもらえたらしい。なんなら本人に証言してもらう。

それから2015年の論文研究、この記事の前の「拝啓徳山豊理事長さまへ」でも書いたけど、今は朋輩になったoさんも課題の評価に異論があり怒りまくって授業をボイコットしたし二日目はもうお昼やろというギリギリのところに到着したけど単位認定された。でなければ今年卒業制作なんて出来なかったし卒業式に出席なんて話が出なかっただろう。これら、何もかもN先生が「特例」として認めたんだろう。N先生は一年目のガイダンスで様々な事例を出し、「卒業出来るように特例でバックアップしますから安心して勉強して下さい」と言っていた。

私はいい先生だなと思いつつ、こういうの最初にぶっちゃけて大丈夫だろうか。多分ずーっとこれで先生をやってきたんだろうな、きっといつかこれで痛い目にあうだろうな、でも先生にそんな事言ったら嫌われるから聞かなかったことにしようと思った筈なのに私の脳みそは結局忘れてくれなかった。

今回Kさんが単位を認められなかったのはN先生ではなくおおえかのせい。この時事務所のカウンターでKさんが私とまごまごしていると、おおえかがさあっと現れて私をガン無視しながらKさんにだけ「どうしたんですか?」と、さもいい人ぶって聞いてきた。私はあーあ、いい人演じさせたら天下一品だわと思いながら生暖かく眺めていた。するとおおえかはKさんの肩を抱いて、さあ私に何もかもまかせなさいねというふうに事務局カウンターに誘導し、「すごく偉そうだったけど最近は火が消えたように大人しくなった事務局の女ボス」を呼び、「これこれこういう訳で本来の授業に遅刻しちゃったんですよー」と説明していた。

外苑事務局の女ボスはつい最近私から「あの人力ある人にはニコニコべたべたして私みたいな依怙贔屓しない生徒にはぞんざいな態度」と言付けていたせいか、私に対する態度もみていてくれて、その流れで自分にニコニコしているおおえかに笑顔もみせず目もあわわずKさんにだけ対応していた。女ボスぐっじょぶ。この人何度も電話連絡してくれて取次してくれて思ったのは、事務局だから色々私に対応できないところはあるけど、ちゃんと正しい事とか悪い人は容赦しないとかいう真っ当な人間像がみえる気がした。威張るのだって多分そうしないと暴走した生徒とか多分いたんだろうと思う。ニコニコハイハイしていたら学校って成り立ちませんからね。

そして私は横で聞いていて思った。こんな言い方したら事務局は単位くれなくなるじゃん。おおえかは自分が最初に点呼しなかったミスを申告もせず、おっちょこちょいな生徒仕方ないなあみたいに笑っていた。そこで笑っているのはおおえかだけだった。どうしようもないと思った。私なら「文化史特論」の先生に会いにいって、これこれこういう訳で遅刻させせすみませんでしたって言って遅刻じゃなくなる措置をしてもらう。事務局に後から叱られたとしても、真っ当な生徒を守ってなにが悪いんだと言えばいい。そんな気これっぽっちもなく自分の保身ばっかりで反吐が出る。事務局だってそう言われたら単位認定する訳にもいかないだろう。

これは全部おおえかが悪いよ。大っぴらにして「こっちの授業に間違えてきたのであちらの授業に彼女は遅刻しました」ってさあ、生徒売ってまた自分が点数稼いだんだよもーやだやだ。

ということで大学はもしKさんの「文化史特論」単位認定しないというなら、これら全部文部科学省に訴えて単位どころか大学の認定も取り下げて貰ったらどうなの。大学も事務局も先生も全部「もどき」大学ごっこもいいけどこっちはお金払ってるのね。通信だけじゃない、多分通学生の中でもこういう理不尽ばかりだと思う。特におおえかと同級だった学友のみなさん、奴に嫌がらせされたり足を引っ張られた人が絶対いるでしょう。京都造形芸術大学なんてお金持ちのゆとりある生徒が集まっていて、そういう人達は得てしてみんな性格がいいし、イジメられてもすぐにこれがイジメだと気付かない人が多い。

私も最初豊洲のボスママにやられた時は「自分が悪いんだ」「空気読めなかったから」とか「お土産なごやんじゃダメだったんだ」などと自分を責め続けた。でも大学でおおえかにやられた時は散々やられた後なのですぐにわかった。セレブウもといあの貴族のご子息がおおえかにやられて弱っていた時も「それはあなたに嫉妬している」とすぐに論拠と証拠を呈示しながら理路整然と説明でき、すぐにセレブウは元気を取り戻せた。「頼まれていない」というのはまあいいよいいよ、あなたも一生そうやって雲の上で暮らせばいいから。

さあ京都造形芸術大学事務局、これでもKさんの単位認定しないの?おかしくない?それなら私が卒業認定されるのもおかしいでしょう。「俳句と連句」早退したんですよ?どんな回答があるかこれも楽しみですね。だいたいいつも人をみるしそれでいう事が違うのがおかしい。

学長が顔採用の女性と「藝術学舎」の授業だからと旅行するのがまず変!第一弾のカニ食べる旅というの、なかなか人が集まらなかったせいで何度も「催行人数に達しない場合は連絡します」って何度もアナウンスがあったくらい人気不安定な企画。学長に気を使って関係者かき集めて決行したんじゃないかと推測する。「カニ美味しいですよね、でも今度はハワイがいいい」「いいですね、行きましょう」なーんてね。

また春コースで今度は房総ですってよ。暴走もいいとこじゃないでしょうか。まだネットにはあがってないけどあるんですよそういうのがまた。



最小催行人数が減ってる!笑、しかも見開き巻頭2ページ笑笑

それなら「千住博大先生といくウォーターフォールのビッグバンを探して」の旅行の方が絶対受けるのに!私もこれなら行きたい❣️千住博大先生が「ここ、ここなんです、ここでホラ滝に目線を合わせてみて」「本当❣️先生、私も滝の息吹がみえました😭」なんてね。素敵💖💕✨もう本当に企画するの誰だろう一歩前に出ろというか千住博大先生企画なら絶対with森生ゆり子じゃない?顔だけなら顔採用にも負けてないと思うけど。 でも専業主婦じゃなあ〜やっぱり芥川賞いるなと思った。

そうだ、「連句と俳句」の授業の時、笹先生も顔採用の先生もどきの顔を褒めてた。「本当にお美しい」とかってまあ顔褒めとけばいいやろって棒読みだったお。顔採用は「いいえ、そんなあ」と大喜びしていた。この先生の笑顔ってこの時しか見られなかったそういえば。私なら大学の授業で顔なんか褒められたら怒ると思う。「授業や学問に容姿関係ないですから」って。でも顔採用は自分が顔しか取り得ないとわかっているのかニコニコして。これがタモリ倶楽部とかでタモリさんが言うなら別、タモリさんは何を言ってもいいことになっている。あー笹先生タモリ倶楽部に出てくれないかな。アシスタントはもちろん私じゃー! やっぱりここでも芥川賞いる。

でも早速テレビ朝日に企画書送ってみようと思う。


【まとめ】

②アカデミックハラスメントの具体例にある、 

・不当に低い評価をつけられた

ということで、Kさんも私もOさんも大学マニアでN先生に叱られた人も、よくも悪くも全員事務局および大学を訴えられると思った。高い評価も不当なものなら異議を唱えられると思う。パンフレット「不当に低い評価をつけられた」じゃなく、「不当な評価をつけられた」に修正をお願いします。 

※一部不適切な表現があると注意を受けましたのでその箇所は削除しました。       
        
   

そう言えばN先生に私は様々な新知見の資料を事務局経由で送ったけれど、お礼もなく自分の感情を優先させて激怒したり失言したりっていうのは良くないと思います。特にプルーストで出てくる「黄色い壁のマチエール」が『デルフトの眺望』のどの部分かっていうの、先生授業で間違って指してたから私が「違うんじゃないですか?」と言ってそのまま「どれがそうかわかりませんね」となったやつ、「西洋美術史」の授業受けた時に先生が私の指摘の方が正しいって教えてくれて次の日資料までもってきて下さった。そういう内容とか色々書きたかったけどそれみて事務局が「特定の教師へのレターは受け付けない」ってまた拒否されて手紙と共に返却されるといけないから資料だけ送った。

先生は間違いを指摘してきた狼藉ものとまた思ったかもしれない、でもそうじゃない。知り得た情報を伝えたいと思っただけ、プライドなんて捨てて考えてみたらいい。人がどう思うかじゃなくて、事実は事実なんだから素直に納得する。それから西洋美術史の先生に先生からももお礼言うべき。それにしても西洋美術史の授業、本当に定員オーバーもいいところで追加募集も毎年でない大人気の授業。私は追加募集ないけど「去年も抽選はずれたし、卒業したら受けられないので受けたい」と事務局に言ったら受けさせてもらえた。なのに定員80名で参加者27名の「ストーリーとシナリオ」は、拒否られた。これ、絶対おかしいでしょう。しかも授業の資料は各個人に予め郵送で送るという徹底ぶり。普通はどの授業も教室の前か後あたりのテーブルに並べられ、各自がそれを一部つづとるというスタイル。私にどうしても何も見せたくないということなんでしょう。おおえかって本当に小知恵働かせて墓穴掘るタイプ。こんなことして私に突かれるに決まってるのに。N先生もわからなかったんだろうか。偉い先生達に話したら「考えすぎ」と笑っていたけれど、このブログ全部というか「京都造形芸術大学」というタグのものだけでも読んだら「なるほど」って思うと思う。 こういう事が細々色々あった。「わからないだろう」なんて何故考えるんだろう、本当に不思議なんです。

そういう訳でまだ大学とのイザコザ全然解決の糸口すらみえていないが、私は超元気。今日は夜息子ちゃんの英語教室に付き添うだけで他に用事なし。夫は今日から平常運転で会社に出かけていった。それが今月からちょっと遠いところに異動になり、朝早くでかけていったもんだから朝が本当に平和だった。息子はさっさと行ったのはいつもの通りだけど、娘も夫がいないと私のいうことをよくきく。今朝はバトルもキャットファイトもなくたんたんと学校に行きました。夫は家庭的だけど典型的な「毒親」ママみたいだから「毒母」といっていいと思う。あんなんが母親だったら私なら家出する。まあ本当に家出したのは前に書いたから端折るけど、夫のママンは私好きだけど嫁と姑という距離感がいい感じに影響していると思う。あの人に育てられるかと思うと、うーん、多分家出してるな。結局誰も私を育てられないという結論になるのか。

今8時25分、9時まで好きなことしていいことにしてブログを書いている。色々書きたいことはまだだまあるが、日々忙しくままならない状態。そうだ、猪瀬さんに「豊洲市場どうしたらいいか」ブログに書くから読んでネっていう約束もあった。もうNewsPicksでちゃったけどFacebookで繋がりはあるし、あの時猪瀬さんの文春胞的告発を否定する人も大勢いたけど、私の長文砲で蹴散らしたことを覚えていてくれていると思う。今は蜷川なんとかさんという綺麗な元女優さんとラブラブでまあーご馳走さま♡良かったですね猪瀬さん。このお、うらやまけしからん。いくつになっても素敵な恋が訪れるということで、壮年男子の希望になったと思う。私もいくつになっても選ばれる瑞々しい女でいたいわと思った。

で、今日の主題。タイトルの通り大学がアホなせいで学友同士がぎくしゃくすることが本当にたくさんあるという話。また引き合いに出して申し訳ないけど、武蔵美は全くなかった。学生同士諍うこともありましたよ人間対人間だもの。でも「大学および大学の先生が原因で仲違い」というのは無かった。それが京都造形芸術大学の場合はしょっちゅうあった。今回私が名指しで怒った「モアイ刑事」、この人はおおえか派の第一人者、昔「結婚したら?」と聞いたらやぶさかでない様子で、えっそんなに好きなんだと驚いた。

元売れない舞台俳優、今底辺ライター、しかも大学の先生職だって風前の灯、あなただって今フリーターみたいな立場でしょう。どうやって食べていくの。でもモアイ刑事はそういうの全然関係ない幸せを築ける人だからいいかもしれない。

ということで、私がおおえかと敵対しているせいで、このモアイ刑事とも断絶してしまった。昨日の学友は今日の敵、他にもおおえかが主担任だった人は何人もいるが、他の人は関係ないと思ってくれているよう。それもとっくにリサーチ済みというか、授業で会っり色々でわかる。ざまあ、おおえか。お前を慕う生徒がひとりだけでもいて良かったね。私がブログでdisったせいでコピペ添削やめたそうじゃない。ホワイトボードに「〇〇さん改造計画」なんてのを書いてプレゼンしたんだって?まあ~いい先生を演じさせたら上手上手。でも中身がないとネ。でもモアイ刑事にもがっかりした。自分だけ依怙贔屓されれば他の生徒はどうなってもいいんかと、正義感の強い人だと思ったら違ったと、本当にがっかりしたけどそうじゃないかと思っていたから大丈夫よ。

その反対に敵だと思っていたというか、向こうがそう思っているだろうなと思う人達が意外な反応を見せてくれて嬉しかった。今日はこちらが主題。口頭試問の授業の時にばったりOさんに会ったという話。大学のトラブルと口頭試問の話を分けようと分割したら、Oさんの話を消しちゃったみたい。ちょうどいいので改めて書いてみたい。

口頭試問があったのは1月27日、私の時間は13時40分からだった。学友達からの情報によると、N先生とおおえかは全28日というスケジューリングだったよう。本当に用意周到というか、私とN先生が遭遇すると怖いと言った事務局の方の言うとおりになってる。2月18日の「フライングカフェ」という芸術学部の各コースから先生がひとりづつ参加し、美術館を見学し大学に戻って茶話会、その後学習相談と言う流れのイベントがあるけどこれ私どうしても参加したかったので申し込んだけどN先生も参加するけどいいのかなと偉い先生に言ったら「なんとかする」というので多分N先生外されて、そういうい時はあと一人しかいない外苑の先生と言うことでおおえかが来るんだけど言語道断でしょう?なので門崎先生かなあという感じ。

そしてN先生コース主任のくせに卒業式も懇親会(この大学の最後の晩餐的イベント、ちゃんとした店でプチ懐石を食べてお酒を飲む)というのにも来ないらしい。私はコナンの陰謀だと思ったら、本人がシレッと「私と大江先生は行きませんから藁」なんて言っていたそう。これ、本人がまた逃げたと言っていいと思う。普通何があっても出るでしょう。自分がコース主任やってる生徒達の旅立ちの日なんだよ、それをまあ自分が傷つくのが怖いだのまた書かれたら嫌だとかヘタレで責任感ゼロもいいとこでもう今度こそ本当にがっかりしてしまった。私の悪いところでもあり、情に流されてしまうという。先生おひとりでお気の毒とか、老後どうするんだろうとか、ちゃんちゃんこ誰が準備してくれるんだろうもしかしておおえかのママンかなあとか余計なことまで気になる。

そういう話をあの人にする機会があり、私は何もかもぶっちゃけた。この人は私と同じ2015年度入学、親しく話したことはそうないが、背がスラッとして綺麗だなと思っていたらモデルとかコンパニオンをする人だった。 すごい美人なのにN先生のお気に入りではなかったのは、先生達に意見したせい。

私はこの日、口頭試問には絶対遅刻しないと決めていて予定時刻の30分くらい早く到着した。もっと早くいって他の学友達をつかまえてリサーチしようと思ったが、お猿ちゃんが寂しそうでなんか後ろ髪ひかれちゃってさあ。で、その30分で事務局にちょっかい出したりふらふらしたり教室を確かめたり色々していると、Oさんがふわーっと現れ目の前を横切っていくではないの!私はOさんの消息が知りたくて連絡とりたくてあちらこちらに聞いてみたが全然わからなかった。事務局に「用事があるので電話くださいと伝えて」とお願いしたけどコールバッグはなし、それならとOさんの職場はネットで調べて知っていたのでそこに手紙を書いた。「心配している、文芸フリマで本を出すから一緒にやろう」。それから私たちはあなたの味方だから、と。そしたら開封されずに大学宛に差し戻された。そこには大学からの文書で「迷惑だそうですから手紙を職場に出すのはやめてください」と書いてあった。でも私、大学のそういうのにもう慣れっこで傷つきもしないし何があったのか確かめもせず通りポイッて返却したりして、一辺倒なサラリーマン事務局紙対応でいいんだと。

Oさんがこうなったのには理由があり、これも大学のせいなんだけど、論文研究の授業はⅠとⅡがあり、どちらも卒業制作を翌年に控えた学生たちが集まり作品の下書きを講評しあう合評会のようなものか。ひとり30分持ち時間があり、まず本人が作品について述べ、その後先生達から意見や感想、最後に学生たちからの質問など。作品はまとめられて各自に事前に配送されて、全て読んでから参加が条件となっている。ここで私はOさんと一緒になり、席も割と近かったので様子がよくわかった。そして初夏に論文研究Ⅰの授業があり、ここで彼女はエッセイ的な短編をいくつも書いてきた。

それを担当になった先生がとてもいいと絶賛していた。彼女はとても喜び、このままページ数を増やしますと言って、先生達も楽しみにしていますと口々に言っていた。内容は彼女の現在過去未来に出会った人々や出来事を書いたもの、卒業制作作品に相応しいさわやかなものだった。それが次の秋、論文研究Ⅱでページ数が増えたそれを担任は酷評した。ありきたりで何が言いたいのかわからないとか色々。今思えば彼女が怒るのは無理もない。先生のアドバイス通りに書いたのに、今度はダメ出しをされたのだ。彼女は誰もがわかるように憤り異論を唱えた。

「これでいいっていうからその通りにしたのに、今度はダメってどういう事ですか?」

あの時の私に出会ったら、自分で自分を叱りたい。私は憤慨して怒りをあらわにする彼女ではないく、さっと先生側についた。ずっと不満げな様子で怒った顔で腕組み足を組み、授業なんてもう聞かないとばかりに空を見据えていた。そのうち馬鹿らしいと思ったのか休憩を挟んで彼女は教室に来なかった。夕方近くなりやっと姿を現したが、まだ怒っている。私はそれをみて、面白いと思って隣のwさんとメモをまわして笑い合った。「すごいね」とか「先生達の顔面白い」とか「大人気ないよね」などと。

でも今思えば彼女が真っ当だったのだ。そして、

「先生、Oさんが怒るのは無理もありません、私もそんな風に評価が変わるなんておかしいと思います」

と、はっきりというべきだったのだ。それなのに自分が蚊帳の外のような態度で面白がったりして。私はこの時のバチが当たって今こんな風に大学と大もめになっているのだと思った。あの時おおえかもいたので、そういう私たちの態度、何かあれば大学側に日和るというのを目の当たりにして、先生のいうことは絶対なんだ、「だったら俺もやっていいんじゃね?」と思ったに違いないのだ。この時もN先生はOさんをニラニラと様子見するだけで、ⅠとⅡでいうことの違う先生を注意もしなかったし彼女を異端児扱いした。

彼女は二日目大幅に遅刻したがそれでも授業には来た。ムカつくけど授業は出て卒業だけはしてやると思ったに違いない、私も最近までそうだったからよくわかるのだ。論文研究の授業がⅠ、Ⅱと終われば通信生はほとんどバラバラになる。だがfacebookや色々え繋がり文芸フリマや懇親会などで一緒になり、大学とは別の場所で楽しいことが色々あった。私も彼女と同じくもう大学なんて行きたくないと思っていたし、学友たちとの繋がりももう嫌だと思った。私がそうだったように学友達も事情もよくわからぬまま大学側についたと思ったから。

でも思い切って文芸フリマのミーティングにいったらKちゃんというモロ性格のいい子が大歓迎してくれて、なんとなく場が温まり難を逃れた感じ。これがモアイ刑事みたいな人ばっかりだったらもうさっさと抜けていたと思う。そこからスクーリングの単位を数え間違えていることが発覚し、大学にまたせっせと通うことになり、なんだみんな全然気にしていないじゃないじゃあ懇親会もイベントもいっちゃうわと油断したら、N先生VSフィガロ仮面という恐ろしい惨事が起き、そして偉い先生に訴えてなんだなんだとあちらこちらに尋問されて今ここって感じだけど、彼女も事務局に色々言ったけれど全部スルーされて、もう何もかも諦めて坦々と卒業することにしたのだと言っていた。 彼女に「私たち紙(集金袋)だから」というと納得して笑っていた。

そう、あの時彼女がすうーっと通り過ぎ、普通手紙突き返されたり電話くれなかったりしたら怯むでしょう。私全然そんな風に思わなかった。むしろ朋輩だと思っていて、話せば何もかも分かり合えると確信していた。「oさん、oさんでしょう、久しぶり、ねえ話したいんだけどっ」っと突撃した。Oさんはそう驚くでもなく、私もう大学の人とあまり話をしたくないんだよねなどと言う。そうでしょうそうでしょう、なので私は単刀直入に謝った。あの時笑ってごめん、でも今大反省している、あの時の生徒達全員そう思ってるよ、本当にごめんなさいって手をとって頭を下げた。Oさんは口頭試問が終わったばかりで帰りたいというが、お願いだから待っててと言って自分は口頭試問に行き、またダッシュでoさんのところに戻った。oさん帰っちゃうのではと心配したがちゃんと待っててくれて、校正用の部屋に移動して色々色々話した。

あれからあんな事が次々起こり、大学に対して不信感を持ち始めた人がたくさんいるとか、文芸コースはおおえかが諸悪の根源とか、今はN先生ますますひどくなりおおえかのハラスメントの嵐を注意するどころか自分もやるようになったとか、oさんの最初に担当になった先生は2016年度の論文研究の授業から外されてそらそうだよねあれは本当にひどかったとか、外された先生は私たちの年度の学友の担当はまだやっていて、当たった人はいい加減過ぎる評に最後まで怒っていたから、oさんは違う先生になり良かったんだよとか。これは文芸評論家を名乗るi という先生で、入学案内のパンフにちらっと切手くらいの大きさで顔写真がいつも出てる人。この人も何かの時に「僕、新幹線暇だから嫌いなんですよ」とか言って、暇な時間があれば本を読んだり勉強したりすればいいのに誰のお金で新幹線に乗っているんだとまた思った。もう先生達の移動は特急券なしにしたらどうだろう。東京から東北くらい普通列車でいけばいい。時刻表を眺めたり忙しく乗り換えたり「暇」なんて言ってられなくなるから。それからOさんの担任は朋輩wさんの担任でもあり、私の副担任。外苑キャンパスの一匹オオカミばかりの担任で、ぼっち専門の先生なのじゃないかとか笑って色々色々話した。

私の今の現状と問題について話すと、「大丈夫?辛くない?誰かに相談できてる?」と心配してくれて、今まで誰にもそんなこと言って貰わなかったと気付き、彼女の優しみが染み込んできてジーンとして涙がこぼれそうになった。笑って話すから笑い話になっているけれど、本当は真面目に話して学友みんなで共有して問題解決する類いものじゃないだろうか。自分がoさんの時に笑ったように、皆が私をそらみたことか、ブログなんか書いて目立って先生にも褒められていい気になるからこうなるのよと笑われているのだと思った。でもそうやって私を笑っているうちに、ひとりふたり三人とだんだん同じ目に遭う人が量産され、外苑の文芸コースは「もうやめたい」「入学なんかするんじゃなかった」「休学して考えたい」なんて人ばかり。

こういう事態を軽んじて大学は馬鹿なんだよ。頭でっかちなプライドばっかり高い先生ばかり揃えて「お前らからっぽの頭に知識を詰め込んだる」という大学が馬鹿なら先生も馬鹿、事務局はそれらを上手くコントロールしてるといい気になっている最低最悪の組織。もうね、どうしようもないと私もわかってる。私がこんな風にまとめあげて告発したとして、私が卒業すれば「やれやれ五月蠅いのが出ていった」とばかりに元の木阿弥、というか今も何も変わっていないN先生がコース主任の責任を放棄して卒業式と懇親会欠席すると堂々と言っているだけ。

言わされてるのかそうするように言われたのか自分の意志か知らないけれど、どうせ誰かのせいにして「私の意志でない」なんて言ってるんだろう。自分の教え子たちの旅立ちの日に知らぬ存ぜぬでいいと思ってる人なんて、もう先生じゃない訳。もし事務局が言ったとしても「私は先生として最後まで見届ける義務があります」などと大見得切るなんて出来ないヘタレ。あーあ、素敵な先生に巡り会って良かったと思った一年目はなんだったのか。Oさんはすぐ見破っていて、感情を隠そうともしないヤヴァイ人とわかっていたそうな。何かちょっと異論をいうと、顔色がさっと変わって傷ついたというアピールがあったそう。それって私が顔採用の俳句の先生に思ったことだった。

やっぱり下の先生達ってコース主任とか学長とか上の人に倣うんだと思った。そこへいくと笹先生なんて私がオモシロ短歌をぶつけても暖簾に腕押し、さあもっと来い!みたいな感じで頼もしかったなあ。最近太ったからダイエットしなきゃとつぶやいてみえたけれど、先生外なんてどうでもいいです、笹先生はとっても素敵な先生、私はもう短歌熱覚めましたけど丹屯さんがすっごくやりたがっているので弟子にしてあげてください。彼女は短歌と俳句のセンスがあります。先生に謹呈した文芸フリマの本の、あの海苔巻きの話を書いた人です。

ということでまた話が逸れたが、彼女と最後の最後に会えて話が出来、そして分かり合えて良かったと思った。もう今の大学で心残りといえばこれだけだったが、本当に神様の采配というか、今までどんなに努力しても彼女とコンタクトできなかったのにこんな風に。人生ちゃんと真面目に正しいと思う道にすすんでいけば、そういう風に着地点があるものだと思った。彼女に携帯教えてよというと、「私本当に一匹オオカミでそういうのダメなのよ」言われたが、これもなんか一貫していてOさんらしいと思った。

卒業式には日帰りで行くかもしれないという、もしかしてもう一回会えるかもしれないし、もう会えないかもしれない。でもこうして分かり合えてもう友達だと思った。きっとまだまだ長い人生で辛い事悲しいこともたくさんあるだろう。そういう時に今日彼女と話せた事は、私を勇気づける思い出となった。きっと彼女もそうだろう。

こんな風に学友の間でも大学や先生達のせいですったもんだがある。oさんとは奇跡的にわかり合えたが、もしあの日会えなければずっと仲違いしたままだっただろう。他にもセレブウだって今仲違いしたままなのは、もとはといえば大学、N先生とおおえかが原因だ。他の人も色々ある。もう私は大学関係者学友も含めて全員嫌いで信用できない。担任副担任の先生達だって感謝はしているが、結局は大学の先生、こうして対立している私を困った人だと思っているだろう。でも授業は人関係ないからきっちりやってくれたのだからこれは感謝、でも別の方向からみると敵の陣地にいる人。何もかも油断できないと感じる。

大学でトラブった人って大概声を上げられずに消えていくのだと思う。先生と対立する、それは大学と喧嘩するということだから。通信生なんて紙だから神や貴族に勝ち目はない。

でもたまに例外もいる。あのセレブウは出る所に出れば学長なんかよりはるか上の人達と繋がりのあるご子息なわけ。そんなセレブの事情も知らないでおおえかは「お前なんかにこれが書けるのか」みたいにぱぱーんと八つ当たりなんかして、大学は理事長レベルが後に平謝りしないといけない事態にも発展したかもしれない。こういう上流階級の繋がりも知らないでおおえかみたいな底辺の人を大学に入れると後々困るのに。女帝気取りの事務局レベルじゃわからないわね笑 

徳山理事長が亡くなりその息子さんが跡をついだのが2014年、ただのゆるふわ大学は馬鹿大学に変わり果てた。それはまだ徳山豊さんが若くてつるっとした顔立ちだから周りになめられているせいだろうと想像する。私もいい年だけど顔がつるっとしているからどこに行ってもなめれるからわかる。

「俺様が大学運営のイロハを教えたる」という魑魅魍魎の業突く張りどもに食い散らかされれているのでは。徳山豊さん、もっとしっかりして下さい。学長が怖いの?あんなのただのお飾り人寄せにもならないおじいちゃんパンダだから「こら、大学のお金を勝手に使うな」くらい言ってください。学長はしょっちゅう東京に来るそうで、その割に見ないけど何をしているんだろう。私の卒業制作の主担任の先生は京都の先生だったのでずっとweb授業だった。これ変だと思いませんか。

私の尊敬するビルゲイツさんは、日本法人に着た時に帰りのチケットを渡され、それがファーストクラスだったから「お前らいつもこんな無駄使いしてるのか」と怒ったそう。そうして余ったお金を今は慈善事業につぎ込んでいる。奥さんがまたいい人で、メリンダさんも私は大好き。

徳山豊さん、是非こういう経営者になって下さい。それにはまず強くならないと、せっかく藝術立国とか作ったパパが泣きますよ。それに未だに徳山祥直理事長のの書いた冊子が入学案内に入ってるけど、自分の言葉をもっと出して下さい。パパが興したこの大学を自分がどうしたいのか、何を目指すのか。変なゆるふわキャラと話してる場合じゃないから。卒業式の前に懇親会あり、そこに私も参加します。是非理事長来て下さい。私お話してみたいです。クルーソー先生が幹事らしいけど理事長ならノーパスで席が作られると思います。

クルーソー先生と言えば、新N先生の参加について返事が全然こないけど何やっとんどうせ事務局が私が言い出したことだからノーとか言ってるんでしょう。そんな事も先生って決定権ないんだ、何もかも事務局事務局コナンコナン。コナンもうチェンジしたら、もしかして大学の上の方の人となんかあって女帝きどってるんじゃない?顔採用の女の俳人先生は学長とN先生の贔屓があるから天下とったような気持ちでいるのだろう。

徳山豊理事長さま、京都造形芸術大学は今こんな大学になっています。私は今年卒業しますが本当に勉強以外で大変なことがたくさんありました、正直勉強どころではなかったです。もう自分の代は諦めました、でもこのままじゃ瓜生山学園自体も存続の危機、早くなんとかして下さい。アホはクビでいいです、ハラスメントするやつも全員大学から追い出してください。

フランスの偉大な哲学者サルトルは教育につてこう言っています。 

「教育とは炎を燃え上がらせることであり、入れ物を埋めることではない」

この大学は知識を詰め込むだけの偉そうな先生が多すぎます。私も学びの炎を水をじゃかすかかけられて一時は消えかかりました。でも主担任の寒竹先生のお蔭で九死に一生を得ました。いい先生がたくさんいるのに、顔がいいだけの依怙贔屓されて女帝気取りとかいい先生を演じるだけの俳優くずれとか酷い人が大きな顔をしてひどいと思います。まず学長がやっていますからね、そういうの。

京都造形芸術大学の関係者の皆さん、ハラスメントを受けたと思ったら人間関係委員会の前にまず私に連絡ください。色々アドバイスします。yurikomorio@giamil.com までご遠慮なく。先生や学長なんて怖くないんですよただのスケベだから。怖いと思うあなたの気持ちが怖い人を生みだすんです。みんな変だと思っているし、あなたの味方だから心配しないで悩まなくて大丈夫だから。


もうすぐバレンタインですね。みんな私には期待しないでね。

徳山豊さん、是非通信文芸コースの懇親会にいらしてください。私是非お話してみたいです。私は怖い人じゃありません、ただの引きこもりの専業主婦、ブログを通してでないと何も言えない小心なネット弁慶です。

※徳山豊理事長に読んで頂けることになったので一部表記を上品にしています。

昨日タレこみというか、色々大学内部のことを教えてくれる人が現れて、自分がすごく勘違いしていたことを知った。私ってこういうピンチの時になると、さあっとホワイトナイトが現れて窮地を脱するということがよくある。そういう時って多分自分のためじゃない、誰かや何かのために尽力している時で、もうここまでと脱力しそうになると目に見えない何かが助けてくれるんだと思う。それが一体何か説明できないが、そういう力が働いているのをなんとなく感じる。人生初の裁判の時も、それからVS東京姉妹の時もちえの過去を知っているという方から写真やプロフ年齢など様々な情報が届き、ちえにぶつけたらびっくりするくらい大人しくなったし、他のVSの時もそうだった。これら自分が勝ちたいというものもあったが、「こんな人世の中にのさばらせておいたら子ども達の未来があかん」という一心だった。もしこれらが自分の私利私欲だったら絶対こういうのはなかったと思う。こども食堂だって自分が目立ちたいとかファッションでという気持ちだったら誰も助けてくれなかっただろうと容易に想像がつく。豊洲というまだ小学校に入学したばかりの子どもの街、ちゃんと弱者を助けるとか正しい共同体について学ばせてあげなければという、自分もこども食堂を始めてわかったのだがそういう訳で大学の方も色々通報があった。大した情報ではないと言われればその通りかもしれないが、もしすんごい内部情報があったら逆に困る。でも是非お願いしたいと思うのでよろしくお願いします。「おおえかに通院歴あり」ってそんなの薬飲んでる時点でわかるから。普通に考えて入院歴はないと思う、あの人そういう病気もファッションだと思ってるから。辛いは辛いけど辛いけど頑張ってる俺を周りにアピールする材料にしている。前にも書いたけど、そういう病気で本当に辛い時ってそんな風に自分を語れないはず、私がそうだったからよくわかる。話せるということは大したことではないし、もう回復したといえるだろう入院なんてさせてもらえないよ。でも大学はちゃんとそういうの調べたのだろうか。今10万円払うとかなり詳細に調べてくれるから、誰かを採用する時はちゃんと調べないと。入れるのは簡単だけど出すのは大変だよ。あ、だから季節労働者的採用なんだなるほど。まーでも大学の先生達事務局全員騙されちゃってというか、もうどうしようもない人ということがわかっているけれどノーベル文学賞の訳者という鳴り物入りで大学にきたスター文学者N先生の推薦ということで、皆手を出せずにいるだけ、それをいことにやりたい放題。そういえばあの顔採用の先生もN先生のお気に入りらしい。なので今年から授業をいきなりふたつも受け持つことになったと聞いた。なまず学長もお気に入りで、でも顔だけの性悪美人代表選手権のチャンピオンで、目元に険があって確かに意地悪が透けてみえるし授業も全然ダメ、声は小さい板書の字もありんこみたいで、生徒がそう助言すると不貞腐れてムッとするような人、そして自分の感情で採点する、私はこの人も先生と呼びたくない。私がこの大学で先生と呼べるのは千住博大先生と辻先生と日本美術論の先生とと古典芸能の先生と日本文学の先生と宮沢賢治の先生とアメリカいっちゃった先生、それからデッサンの先生とえーとそれから。なんだちゃんといい先生に巡り会ったじゃない。そうだ、卒制の主担任副担任の先生達は本物の先生だった。副担任の先生とはぶつかり合ったけれど、香山リカさんが生徒と先生はぶつかり合っていいと言ってみえたからこれで良かったと思う。それぞれの考えをお互い一歩も譲らない、でも多分お互いがお互いの意見も認めてはいるんだよ、でもサシで議論となったら論破の道を探索し合う。正しい師弟の関係ということなんでしょう。

それから卒業制作の学友の出来が気になったので、朋輩のブログをみにいく。読むとああ私のブログも読んでいるんだなとすぐわかる。あの人はあからさまにそういう事は書いていないけれど、なんとなくシンクロするような話題を書いてくれている。そして今回は卒業制作口頭試問どんな感じだったのか気になったのでいってみた。彼女の主担任は私の副担任。主担任副担任つっても作品を読んで講評しコメントをつけるのは主も副も同じ、ただその割合がちょっと違うということだろうか。面接授業は一緒にやる。私の場合三人で面接授業をすると、副担任の先生は主担任の先生より話すということが多かった。この人にどう言ったらよい小説を書いてもらえるだろうかという期待がすごく透けてみえた。特に二回目の面接授業の時は副担任の先生がずっと喋っていた。熱心に指導して下さったのだと今更ながら思った。主担任の先生は授業以外でサシで面談授業をしてくれて、この時の指導であの不屈の金字塔的な傑作が仕上げられたのだ。ふふふ、みんな卒制のために面談なんか申し込みしなかったでしょう。だめだなあ。それから私は面接授業の時は先生の話す言葉の意味をあまり考えない。いちいち深く考えていると次の話が入って来なくなるので必死にメモだけとるという感じ。で、後で書いたメモを眺めながら面談を思い出すと色々な言葉の意味がわかってくる、それを作品に反映させるだけということになるのではないか。

私は彼女の口頭試問の記事を読んで、卒制に限っては彼女に勝ったと思った。彼女はどこかの文学賞に出したいと言ったら先生たちはもう少し書き込んで校正をしっかりと言ったらしい。私は完成度が高くこのままどこかに出したらと言われた。細かく書けなどともなく、ここはどうしてこんな事を思いついたのかとか、何か変わるきっかけがあったのかとか、ここの部分すごくいい何故ならとか、今思えば、まるで熱狂的なファンが作家にインタビューするというような質問ばかりだった。どこかに出したらというのは先生達が生徒達に言うリップサービスだとばかり思っていた。最後の最後にそんな風に言われたらみんな喜んで頑張るだろう、好きこそもののでいつかスターが生まれるかもしれない、もしそうなったらコンビニ大学ダメダメコースも世間から見直されて、ここの先生と名乗っても「ああ、あの芥川賞の人の」と思ってもらえるのではないかという目論見もあるだろうと思っていた。

でもあの人に言わなかったということは、他の人にも言っていないと思う。彼女は卒制を自画自賛しながらノリノリでやっていて、彼女は頭もいいしテクニックを取り込むのも上手いし多分面白いものが書けたと思う。自分でも面白いものが書けたと書いていたし。でも私は自分で読んで面白いどころか感動してしまったし、何度読んでもまた読み返したくなるものが書けたと思った。先生達も書き足すとか減らせとかもう少し丁寧にとか全然言われなかったし、むしろ千住博大先生のいう「筆を置く」状態だからもうかまうなとやつだったのではないかとまた思った。先生達は私自身の評価を全くしなかった、ブログも「読んでます」と言ってくれたが、それをどう作品に反映させるかという話だけだった。

こう考えるとN先生素敵な先生ではあるが、人を見て顔先生や使いやすいおおえかを尊重し依怙贔屓、自分が興味ない生徒は講評で全否定したり自分の感情だけでフィガロ仮面に突撃してくる。いつも生徒じゃなく、自分が傷ついたとか侮辱されはしないかばかり心配している。with不愉快な仲間達とつるんで生徒の作品を酒の肴にしたりして、文学者として優秀でも先生としてはどうかなとまた思った。なのでおおえかが一年目はまあマシだったのが二年目であんなんになったのではないか。悪い影響を与えているのはもしかしてN先生の方なんじゃないかと思った。おおえかは口頭試問、また偉そうに色々言っただろう。あの人は人によく思われるためなら足の裏でも舐める人だから。嫌われる勇気が一ミリもない、そのくせ力のある人に好かれるためなら紙を蹴散らしその亡骸を重ねて自分が上に上がってかさ高く見せたい人、そのうちツルツルの紙にあたって滑ってひっくり返んなよ。

とまあまた余計な事を言ったがそういうことで、私もどこかに出してみようと思う。私の作品のタイトルは副担任の先生がつけてくれた。本当は違うタイトルのつもりだったが、いくつかの案の中で先生がこのモチーフが絶対いいといって譲らなかったと言っても過言ではない評があり、私はここだけは自分の意志を貫いてもいいような気がしたが、書き上がってまた考えようと先生の意見を取り入れたまま書いたらあんれまあそれがピッタリとはまり、作品もイキイキしだした。ラストなんて我ながらびっくりの展開だものね。これら卒業制作作品は一般公開されないそうだが、私たちは文集を買うことで全ての卒業制作作品が読めるそう。これ、もしかして今年からなのかなあ。だって先生達そんな事だれも言わなかったしそういう存在も無かった。もしこれが出来れば外苑キャンパスの8畳くらいの小部屋的図書ルームにも一冊置かれることになり、誰でも好きな時に閲覧できるようになるだろう。今までは先輩たちの卒業制作作品というと、事務局に閲覧依頼を出し、日時を指定してそれを受け取にいく、そして大学の構内でしか読めない。大作を書く方だと読むのに時間がかかり、最初に閲覧した『フルホンヤラストディズ』は約6万字弱、読み終わるのに2時間強かかった。junjun先輩のやつは二回読んだ、同じくらい時間がかかったが、もう一回読みたい。パイセンに卒業祝いにデータ欲しいとお願いしてみよう。

多分文集を作るというのは今年からで、私たちが作った文学フリマの作品集をN先生が読んで何か思うところがあったと思われ。一度論文研究の授業の後先生をつかまえてクラスで「卒業制作作品集を作って」と言ったことがある。私だけじゃないモアイ刑事とかナースコスとか色々な人がいた。それを販売してみたいとも言ったが、「著作権もあるし難しい」とか言われたが、難しいんじゃない面倒なんだろうと思った。でもこうして文集も出来、それそれの生徒が購入と言う形になるが良かったと思った。でも作るなら外部に販売もすればいいのに。そしてその売り上げの一部を次の代の文学フリマのブース代金にすればいい。通信といえどもせっかく大学に入ったのだから、学友が集まって喧々囂々ミーティングをしたりイベント会場で販売したり、打ち上げしたりすればいい。

文学フリマ参加は本当に楽しかった。自分の作品が売れていく喜び、一致団結した思い出。これ文芸コースの代々の伝統にすればいいのにと思う。論文研究という卒業予定の生徒が一同に集まる授業が二回あり、その時に希望者を募ればいい。大学がからむとややこしくなってしまうので生徒が自発的にというスタンスにする。そしてその資金の一部は先輩たちの本の売り上げからという。うーん、いいじゃない、Pay Fowaordと伝統がリミックスしそうないい感じのものになりそう。来年度はセレブデブから平六あらためセレブウがやってくれるそうで、卒業生はなしで今在学している人達でやって欲しいと思う。だいたい今も大学の様々なイベントに卒業生が参加するが、私たち在校生はどうしても先輩たちということで遠慮してしまう。もういっそ文芸コースのイベントは在学生のみということにしたらどうか。で、外苑キャンパスでもホームカミングデーやってその時は来ていいことにしたらいいと思う。

こうして書いておけば大学関係者は間違いなく読んで色々考えてくれると思う。最近の面談の時も住職先生が『あの鐘をならずのは事務局』は良かった、ああいうのは大歓迎だと褒めてくれて、先生達もやっぱりチャイムなくて困っていたんだなとわかった。特に京都は通学生用のチャイムが鳴り響いているそうで、通信生が東京よりも紙扱いということがわかり、あっちの先生達も生徒も大変だっただろうなと思った。

それもこれもこの大学の通信教育部の事務局長というのが、実務をほったらかしてあちらこちらで講演をして「先生」と呼ばれていい気になっているということがわかった。事務局長はコナンじゃなかった、コナンは事務局長補佐、NO.2の地位だが立場はNO.1だろう。事務局長の吉田大作があっちへこっちへと「先生、先生」と呼ばれて講演をしていい気になっている間に影のボスになったのだろう。それは吉田大作としても願ったりかなったりで、「事務局長」という肩書のまま好きなようにやれる。ちょっと吉田大作、あんたが講演にいってる間、大学がどうなってるかわかってんの?ちゃんと大学の仕事もしなよ。まずチャイムを通信生通学生とわけてちゃんと設定すること!外苑キャンパスにもチャイムくらいつけろ!生徒も先生もみんな困ってるんだよ。どっか講演行くなとはいわん、その半分の時間を通信の授業がある日に実際にみてまわれ。仕事は書類やネットの情報じゃ出来ない、現場に足を運ばないとわからないことがたくさんあるんだよ。私をみてみろ、おおえかの実態をつかむために小屋のお芝居を観に行き、関係者と話し、今はもうコネクションもちゃんと出来ていて様々な情報収集もさらにもたらされるようになった。皆おおえかの悪口は言わないが色々空気で察している。ああ、あの人場所がない人だったんだ、だから大学に執着しすぎて暴走しだしたんだなとか、N先生の寂しい心の内を弄んでるとか、もう先生もどきじゃない人間もどきなんだとかこれ誹謗中傷じゃなく事実だから。でも弁護士の先生が「事実だからこそ名誉棄損」と言っていたし、やっぱりネットに書くのはほどほどにしよう。

そういう事で京都造形大学通信教育部の事務局長はちゃんと自分の仕事しなさいね。私だってこども食堂とか大学とか友達と東京観光とか色々するけれど、本分はお母さんという仕事だとちゃんとわかってる。あんたわかってるの?まあ学長が顔採用の先生と俳句を名目に旅行なんか企画しちゃうあんな人だしね。大学関係者に話を向けると皆苦笑いしていた。顔採用の俳句の先生をやってるあの女性、N先生もぞっこんで色々仕事をまわしているよう、だって去年までエッセイのスクーリングって本を作るのあの女の先生だったでしょう。おばさんから若い美女にチェンジしたおかげで授業がわかりにくいものになったのではないか。あーあ、年をとればとるほど女性が輝くと言われているフランスに四半世紀いても日本に帰って来ればこのザマ。

やっぱりこの大学、何もかもおかしいよ。学科も漫画だのイラストレーションだの俳優だの、最高学府で教えることか?息子ちゃんがギター習いに行きたいというけれど、私はそういうジャンルはもっと大きくなって友達同士切磋琢磨して楽しむことで覚えるようなものだと思っている。最近ヒップホップも習い事として確立しているけれど、クラシックバレエと同じように学びに行くものではない、たまたま出会ったストリートで踊る上手い人を見よう見まねで踊るうちに「ねえ、いいじゃん」と声をかけられいつしか仲間になっていくって感じのもんじゃない?なーんかこの大学だけじゃない世の中が平和ボケしてしょうもない事にお金と時間を使い出した気がする。

それからこれもタレこみだけど、住職先生とN先生、もちろん偉そう先生もみんなグルだから油断するな、特にN先生とおおえかはもう悪縁でしっかり繋がっているのでぶった斬って国外追放するならペアでないとダメというものがあった。卒業式の前にあるコースの懇親会も、おおえかが来られないのでN先生も「じゃあ私も行きません」と日和ったという情報もあった。うーん、わたし本当に色々全然わかってなかった。以前セレブウに「毎日気持ちがかわって言うことが違うから何もアドバイスできない」と言われたことがある。でも私だって自分の気持ちがわからないし、どうしたらいいかも何も見えない。N先生だって恩師ではあるが妖怪おおえかを庇う腑抜け貴族でもある。陰陽師的にはその後ろの妖怪だけ消して、目を覚ましたN先生とめでたしめでたしだったら一番いい。でも妖怪おおえかが消えた後、N先生がまた孤独な日々になると思うとどうしよう。N先生のような気難しい人うまく付き合えるのはおおえかだけじゃないだろうか。あいつはカメレオンのように人に色々な顔を見せられるから、「僕しか先生の味方いませんよ」と信じ込ませるのはお手の物、そういう人だとわかっていても人は寂しいとつい懐に入ってしまう。

私は違うよ、豊洲で村八分になりそれが有名になってくると「辛いでしょう、仲良くしましょう」と、マルチや宗教やそういう感じの団体がこぞって手を差し伸べてきたけど全部断った。寂しくて誰かと話したくて自分をわかってもらいたい気持ちにもなったが、他者に救いを求めても何もならないとわかっていた。だったらひとりで自分や周りをニラニラと見つめて真実を探る方がいいと思った。家族がいるから寂しくなかったと言われるかもしれないが、家族なんて他人だし子どもは守らないといけない人達で辛い時は幸せにしてあげなくてはならないという責任感で重荷にすらなる。夫なんていざとなれば敵だと裁判の時から思ってもうあれから気を許したりしない。寂しい人と思われるかもしれないが、こう考えだして逆にひとりが寂しくなくなった。仲のいい人だって意味もなく会ったりお茶だのランチだのしないし、昨日も「香山リカさん講演会」のランチミーティングだったが電話で事足りたので中止にした。 そうだ〜香山リカ先生にも連絡しないといけなかった。香山リカさんは私の先生だから先生と呼ぶ。

そう考えると京都造形芸術大学の組織が大きめのママ友グループだと思った。ボスに気に入られるとやりたい放題やっても誰も文句言えないというのがそっくり。そして何か正しい意見をするとボスに睨まれ村八分になる。それがピラミッドのカースト制のようになり、ひとつ上の人がすぐ下にする、その下の人はまた下にと、なのでおおえかは私たち紙に対して好き勝手やる。もしかしておおえかもN先生の事を持ち余りしているかもしれない。最近ご飯食べた有名人の人もすごく寂しいって気持ちが伝わってきた。奥さんは地方で創作活動をして「私たち自由な夫婦」と言っているけれど、夫婦ってそうなったらそれでいいと思いこまないといけなくなったら終わりなのではないか。奥さんは逃げたんじゃないかなとちらと思った。甘えさせてくれる女性と一緒になった方がこの人は幸せになれるのに、私の朋輩を紹介したいと思った。彼女は年いってるけど美人だし頭がいいし優しいし、何よりピュアで専業主婦を希望している。結婚したらスパっと仕事やめて尽してくれる女性だと思う。ファッションや芸術のセンスはいまいちだけれど、料理も家事も丁寧にやるし食と健康に拘りがあるし、私のように夫の後ろを三歩下がればそのままどこかに行ってしまったりしない、ずっと静々とついて来てくれるタイプ。いつまでも自分を表現したいとか芸術家というのは奥さんに向かない。私の場合は夫が奥さんみたいな感じなので上手くいっているのだと思う。夫は家事育児にすっごく喜びを見出している。この一週間の休暇は全てお母さん業で終わった。なので私は好きなようにいつまでも銀座で買い物したり遅くまで代官山書店とかできた訳。家に帰れば美味しくて暖かいご飯、家事も全部夫がやった。なので色々な用事があってもブログもこのようにバンバン書ける。あーこの生活がずっと続けばいいのに。

夫が家にいると朝からご飯も豪華✨しかも赤出汁!今夫は隣の部屋で洗濯物を畳んでる。「テレビでみた洗濯物を一瞬で畳む方法が上手くいった」と喜んでいて、いい奥さんになりそうだと思った。#朝ごはん #奥さん #海老フライ #赤出汁 #味噌汁 #洗濯物


【結論】
・通信生用のチャイムを用意しろ(今京都の校舎では通学生のスクーリング内も通学生用のチャイムが鳴り響き、「このチャイムは通学生用のチャイムなので間違えないで」とアナウンスがあるそう。おかしいやろ?
・顔採用の先生は私情を持ち込み採点する授業もダメダメなのでクビにして代わりに笹公人先生を採用してください。笹先生は声も字も人間も最近は横にも大きく授業が楽しくてみんな目を輝かせて聞いていた。
・もう言うまでもないチンピラもどきは即刻大学から追い出してください、場合によってはN先生と共に国外追放でいいと思います、みんなの迷惑してます。
・卒業生の文集を作るなら一般販売もすべき、欲しいという方が私の周りにもいました。
・その売り上げのうち1万二千円は次の卒業生が文学フリマする資金にする伝統を作ってください
・吉田大作は事務局長の仕事何もしていないから、講演部を作ってそこの部長にしたらいい。誰のお金で好き勝手やっとるんや
・もっとみんな大学や事務局や先生に意見しよう。嫌われるとか成績悪くされるとかあるよそら、私なんてそのせいで特選で高得点でも75点。だけどそれがなんだ、いい生徒の顔みせて90点もらったとして嬉しいか?だとしたらもう終わってるからそのまま路傍の石になればいい
・「偉そう先生」「住職先生」N先生おおえか、全員サラリーマンだから日和ってカスタマーの意見なんて全部クレーム扱いでスルー。組織をもっとクリーンで風通し良くしないとダメやろ。
•学長は雇われ社長のくせにやりたい放題、理事長がもっと強気になるべき。
・京都造形芸術大学はコンビニ大学どころか〇ソ大学だった



こういうセンス好きじゃない、というか「京都」が聞いてあきれる。これを芸術と認める先生が馬鹿なのよ。卒業制作だよ?この人の履歴に一生残るんだよ?お気の毒だわ。先生はそういう事まで生徒に教えてあげないといけないのに。まるで芸能界デビューだと勘違いさせて右も左もわかならい田舎から出てきたばかりのおねーちゃんとAVに出しちゃうのと一緒よ。私なんて◯ソ大学◯ネとか書いて要約何度書き直しさせられたか、でも今は先生に感謝してる。

大学で卒業研究を完成させた後に、「要約」というものを提出する。これは、卒業制作作品集にのせるもので、内容はこの作品についての説明と、作品概要を2千字以内に書くというもの。作品集はページ数もひとりあたりのスペースも限りがあるので、きっちり枠内に収める必要がある。いつもはみ出し気味に文字数が多めになってしまう人も、この時ばかりは文字数内に納めなければならない。これ、私のことじゃないからね。文芸フリマの時に単価が変わるから1万字以内と皆で決めたのに、「この文字数でないと話が繋がらない」と1万字を優に超えるものを書いた学友がいて、私を常識が無いなどと言いた気だが自分はどうなのよと思った。でもそれについて私は文句はなかったし言わなかった。こういう人に「ちゃんとしなさいよ」と言ったら恨まれるだけだもん。それにコアメンバーだったからスルーだろうと思ったらその通りで、でもその人がいない集まりではっきり文句言う人もいて、私がお金に関わる事だからちゃんとこういう事があったと表明した方がいいと言ったので「どう思いますか」というクエスチョンが投げられたことがある。PTAもそうだけどちゃんと公開しないからいらぬ不満が出るのだと思う。そういう訳で私はまた嫌われた訳だが、ちゃんとなってやっぱり良かったと思う。ちなみに文字数がぶっきり超えた人はおおえかが主担任でおおえかの大のお気に入り。私は密かに「モアイ警部」と呼んでいる。かつては仲が良かったが、フィガロ仮面事件の後から私のFBにイイねを全くしなくなった。多分「私はおおえかの味方」と言いたいのだろう。多分この人大学にも「おおえかは悪くない、悪いのは好き勝手にブログに色々書いているあの人でみんなが迷惑してます」とメールしただろう。もう敵でいいのね、こちらこそあんたなんか最初から友達と思ってないしなりたいとも思わなかった。一万字は一万字、ちゃんとルール守りなさいよ。

ということでまた敵を作ってしまったが、授業の卒業制作面談口頭試問と、大学のいざこざを別記事にする。

繰り返しになるが、今年大学で21単位しかとれなかった。去年は41単位とれた。この差って一体なんだと思いますか?それは大学で@kyoku_hoku (おおえか)からイジメを受けていたせい。(おおえかの唯一書いて上演されたものについての記事があったので貼る。ちぐはぐだそうです。でも一応まだ大学の講師ですからね!)そのせいで学びのモチベーションはゼロになり、勉強どころじゃなくなってしまった。学校という学びの場からハラスメントを撲滅しなければならない理由はここにある、学生の本分である勉強どころではなくなってしまっては学校に通う意味がない。豊洲内でいえば、ママハラを撲滅しないといけない理由は「子育てどころじゃなくなるから」だろう。お母さんは子どもを慈しみ育てるのが大切な仕事、なのにママ友なんかでトラブルっていたらストレスでおっぱいは出なくなるし不安で子どもの世話もできない、そのうち子どもに八つ当たりするようになり虐待に発展してしまう。私をみてご覧よ!

などと色々書くと「守秘義務」というやつに抵触するというので書かないけれど、でもこの「守秘義務」って私の義務じゃない、大学側の義務、そして私にそうして欲しいなら「お願い」をするものですからね。どうも大学の事務局とか機関とか先生達って勘違いしているんじゃないかと思う。そもそも司法がよくわかっていないんだろうと感じる。創業者の徳山さんは警察にしょっぴかれたことがあるとwikiに書いてあった。多分肝の据わった大らかな人だったのだろう。まあそれは別に書くとして、今回大学に私が提訴している件、拡散されても私は全然困らない、困るのは大学でしょう。でも私は言いませんよ。おおえかはN先生の部下、そしてN先生が採用した季節労働者。おおえかが何か仕出かしたことが露呈すれば、それはそのままN先生の責任になってしまう。そういう私の怜悧さ計算の速さ、優しみがわかっているのであの新任の教師は影にかくれてやりたい放題だし、何かあるとさっとその背に隠れるばかり。なので私は何度も大学にメールをしたし電話も面談もし、向こうも色々話したい聞きたいこともあるようで呼ばれたという訳だった。

今までの書き方からすると、今回もなんか叱られたんだろうイイ気味と思うかもしれないが、冗談じゃない、私は怒られるようなことを何もしていない。色々書いたことは認めるが、でもある意味致し方なかったと思っている。やっぱり今回も大学は刑法など説明に折り込み私を揺さぶろうとするが、ブログを修正しろとか削除とかヤメロとかは言わない。やっぱり色々思うところはあるが、社会的に意味があると思ってくれているよう。今後書く時は「セレブデブ」と「馬鹿」などは控えるようにとは言われのでそうする。私は注意されて突っ走るような躾の悪い女ではない。清楚でつつましく、夫の後を三歩下がったらそのままどこかに行ってしまう女。

それはいいとして、この日は面接授業の他に、大学の偉い先生という人と事務局の人と面談。というか、今日は私が呼びつけたという形になる。

最初に出てきた初対面の先生、この人がまあ最初は本当に偉そうにしゃべる人で、べらべらべらべら大学の組織図のような話から自分の役職仕事、大学にどれだけ貢献しているかという自慢。そんな話で15分くらい経過するので「ちょっとあのう」と口を挟んだら、「人の話は最後まで聞いて」とぱーんと返され、もうぷっちーんと切れてしまった。でもだからと言って席を立つとか暴言を吐くとかそのままバトルのは素人の喧嘩、私は言いたいだけ言わせた後、じゃあみたいに向こうが言うから「私そんな話聞きにきたんじゃありません。問題の解決策のために来たんですよ」と言う。向こうははん、何が紙のくせにと思ったのか、尊大な上から口調が加速、多分スカイツリーの中間展望台くらいには登っているつもりなんだろうと感じた。色々な偉いと自分が思っている先生達の名前をバンバン出すが、全然知らないしだからなんだという。ともかくやっぱり何にも解決しないまま決裂しそうなので最後に「あなたの態度はとっても不愉快です」と言うと、ああそうなのごめんなさいネと抜かす。「そういう時は申し訳ありませんっていうんですよ」と教えてあげると驚いて申し訳ありませんでしたと二度言っていた。

そこから第二部ということで、勝手に一部二部分けないでと思っていたが言わずに任せた。また違う先生、今後は威張りもせず自分を卑下もせず、雰囲気的にな寺の住職みたいな先生だった。じーっと黙って聞いていて、時々質問を挟む。一番手ごわいタイプがきたと思った。ラスボス?そこから私は自分の発言に用心した。ブログの話になって、セレブデブとかっていうのは良くないですねと言われても返事をせず、おおえかさんは傷ついたと方々で言っていますと言われれば、彼は傷ついていないと思いますそれは彼の切り札で彼の唯一のアイディンティティですから強調して言うに決まってる、などとは言ったが、もしここで、申し訳ありませんとかそうかもしれませんなどと言えば、誰かを故意に傷つけていたという認識や事実になり、処罰されても文句は言えなくなる。でもこちらがそういう意図がない意志をみせればそれらは受け取る側の責任となる。

なのでもうずーっと黙っていましたね。さきほどの偉そうな先生VSの時とは我ながら大違い。するとだんだん隣に座っている最初に偉そうだった「偉そう先生」が急に私に気を使いだし、慮るような事を色々言い出す。「あなたが課題で出したあの小説、N先生と飲んだ時に困ったと言っていてねえ」などとまで言い出すではないか。多分あまりにも想定外の話が色々繰り出るので処理能力が追い付けず、公式なこうした場で言っていいことと悪いことの判断がつかなくなってきたのではないかと思った。

でもああ、あれ、N先生読んでくれたんだとか、採点に困ってクルーソー先生にまわしたんだとかわった。あの時はN先生があまりにも自分の感情を曝け出すのでびっくりしてその理由を解き明かしたら、元にあるのは憎ではなく愛だと知り慄いてしまった。見てはいけないものに触れてしまった驚き。そのまま課題をやったらあのような作品が出来た。あれもあっという間に書いてしまい、出していいのかダメなのかわからず、でも何事も経験と思って投函した。「N先生への反省文なのでN先生が採点して下さい」と。するとクルーソー先生からの評がつけられて戻ってきた。事務局からのプリントも一緒に貼ってあり、「特定の教師に採点を求めるのは非常識」とあった。今ならわかる、あれ、コナンが書かせたよね。そこからN先生と私は引き裂かれ、正式に教員面談を申し込んでも会えなくなった。何もかもコナンの陰謀、コナンを後ろで糸引いているのはおおえかだった。もう昨日の面談も終えて今考えるとそうだったのかと尚更よくわかる。

ちなみにもう一度説明すると、大学というのは一番偉いのは創立者一族、最近大学を創立した方が亡くなり、そのご子息が後を継いだ、ちょっとタイムラグはあるが、もう実験はご子息というそのあたりのタイミングで千住博大先生が学長をやめられ、顔採用の女の先生が大好きななまず先生が学長についたのがどちらも2014年、あーこれ別の記事にしようかな。ま、いいや。なので創始者が亡くなった時に大学の色はがらっと変わったのではないかと思われ。

今年の豊洲小学校のPTAは新しいPTA会長になった。元の金髪先生の子どもが卒業したのでそれによる会長チェンジだったと思われ。多分新しいPTA会長は元のPTA会長金髪先生が推薦したと思う。ちゃんとやる人かどうか私は知らないがでも新任だから様子もわからないし、普通にサラリーマンをしている方なのでほとんど平日はPTAの仕事はできない。なので何がおこっているかというと、PTA副会長の女性達が好き勝手しだした。副会長というのは今女性ばかり8人いるが、そのうちの1人がボス、その腹心が2人で、この3人が人事も物品も会計についての采配を思うがままのよう。小学校の中で大問題と皆がわかっているが、今の豊洲小学校PTAというのは全然オープンになっておらず、外部者はシャットアウトされ何か言えばPTAメンバーで構成されたLINEグループで「森生ゆり子が何か言って来ても無視してください」とボスかもしくは腹心からお達しがまわることになっている。あーやっぱりこれ別記事にも書こう。もうー仕事増える一方。

で、多分大学も同じことが起きている。いいボスだったと思われる徳山 詳直(とくやま しょうちょく、1930年 5月13日 -2014年 10月20日)が亡くなり、その息子が継いだもののまだ実業者教育者としては立場が弱く、それになまず学長や事務局長コナンがやりたい放題。なのでおおえかのような妖怪の侵入を許し、今文芸コースはめちゃめちゃになっている。おおえかだけじゃない、やつを庇うN先生まで評判が悪くなり、そして卒業式の懇親会出席教員一覧にN先生の名前がなかった。大学の入学パンフレットにもN先生の写真や名前が消えている。通信教育部文芸コースがが発足して今年8年め、こんな事態初めてといっていいだろう。これずべておおえかが文芸コースにきたせいで起こったことばかり。私がブログに色々書くからだと奴はあちらこちらにまた吹聴するだろう。でも大学内で起こったことは外部に出せないものはあってはならないのではないか。豊洲小学校のPTAと同じ、「知られたくないことがあるから知られたくない書かれたくないつつかれたくない」のだ。

話を大学の話合いに戻す。「あれ、大傑作でしょう?」と自分の書いた官能小説を自画自賛しながら「偉そう先生」の言葉尻をつかまえて、「プライベートでそんな話するなら、じゃあ私が面談申し込んだのに事務所に弾かれる話もして下さい」などと言うと、しまったという顔をしながら他にも色々請け負ってくれた。住職先生はそれを聞いて、どうして面談が出来なくなっているの?などと聞いてくる。「先日事務所の女の人が、もうあなたとN先生は会わせられないと言ったくらいなので、大学全体がそういう方向になっているのだと思います。直接話が出来ないので余計にややこしくなってトラブルも発生しています」などと先日のフィガロ仮面VSN先生の話をするとにわかには信じられないようで驚いてみえた。部屋のすみに「あなたと先生を合わせられない」と言った事務員の方がみえて、「ねえそうですよね」と振ったがじっと机をみて顔をあげなかったし、以前の時は色々喋ってくれたのにこの日は微動だにせずずっとメモをとるという感じ。多分この女性事務員もコナンから「もう絶対余計なこというな」と厳命されているのだろう。そういう話が話し合いの最初にちらとあったから。その他色々話して「偉そう先生」も「住職先生」も、私が抱えている疑問点をあちらこちらで調べてくれると約束してくれた。

「京都方式はやめて下さいね。京都の人達って奥歯にものが挟まった言い方をするので全然私理解できませんから」というと、笑いもせずわかりましたと言ってくれたので今度こそ信用してもいいんだろうか、でも今まで何度こんな面談をして「あなたのためだから合わせられない」とか事務局や大学は、私とN先生を引き離しているのが問題を大きくしている原因だとなぜわからないのだろうかとか、絶対コナンの陰謀とか、コナンの糸を引いているのがおおえかだとか、そもそもおおもとを辿ればおおえかとか、最後の方はだんだん空気も温まり、私の悪い癖で「もしかして信用していいかも」なんて気を許しだし、言いたいことをべらべらべらべら喋りまくった。住職の先生はあっけにとられていたが、言いたいことはわかってくれたように思う。ただ大学として出来ることは一存えは決められないという感じ。私の希望はおおえかは大学および関連施設からも永久追放、もうこの人は誰かにものを教える立場になっていい人ではない。自分より秀でているとか恵まれている人をみつけると、用意周到に叩きまくって己の出自や平凡さへの憂さを晴らすのが楽しくて楽しくて仕方ない人。豊洲のあのボスママと一緒、自分の会社の中でやると人事査定が悪くなるから組織に関係ないママ友の中でイジメをした。おおえかもそう、対生徒ならひとりやふたり潰してもいいだろう、だって俺先生さまだもんと。自分が生徒の時、そして今やっている 唯一まともそうなライターの仕事も叩かれまくって悔しい思いをしてきたのだろう。だってあんなのすぐ他に変えられても文句いえないような立場と仕事内容、CDジャーナル読んだけどおもんないわよ。私に書かせてくれたらもっといいもの書くのに。   

「偉そう先生」と「住職先生」達にも話したが、私は奴の正体を見極めるため、奴と繋がりのある劇団の上演する公演をわざわざ観に行ったことがある。小さな箱の名もない劇団、さぞかしつまらないだろうと思っって行ったが、本当に面白くて驚いた。多分脚本家がいんだろう、俳優さんも女優も、主催者の方の挨拶も正直が剥き出しのようなもので好感をもった。でもその劇の中のセリフで「俳優は嘘をつく、作家は嘘を書くのが仕事」というのがあり、ああ、ああ、あの人元俳優だから嘘が上手いんだと超納得した。みよ、この私の現場主義的なリサーチ力と状況を読み解く力、いつもいつも妄想でパンパンでにやにやしているだけじゃない。ちゃんと論拠も証拠も出典もある。これN先生の授業で初めに厳しく指導されたものだ。こんなところでも先生の言うことをちゃんと守って本当に私は真面目な素晴らしい生徒なのにあんな先生もどきの方を信じてこの大学本当に終わって。。。じゃない、何も生み出さないのも無理はないわけよ。(「終わった」人、組織もNGワード」だそうです)

それからこれはN先生に是非読んで欲しい、心して読んで。

N先生に私のブログを悪い言い方でチクったのはおおえかですよね。だってあの頃私がブログ書いているの知ってる大学関係者はおおえかしかいなかった。私はブログを書き始めてから約一ヶ月くらい経過したあたりで早々におおえかに「私、ブログはじめたのでよかったら読んでください。そして何か書きずぎとかNGなんかあったら注意して下さいね」と、青い鹿の名刺を私ながら言った。その時は授業以外で私の作品を読んでくれて感想を貰った時だったと思う。おおえかは「わかった、ありがとう」と名刺を受け取った。多分私のブログや渡した作品の熱量に圧倒されて何事か思ったはずだ。上手い下手じゃない、このままだとコイツ伸びちゃうかもしれない、N先生にすごく気に入られてるし、自分の立場があやういかもないて。思ったとしても不思議ではない、そういう人だから。なのでN先生に「あの人はN先生を侮辱するブログを書いています」とチクった。N先生は中身フランス人だから、教えられたとおりの意味でブログを読んだ、そして誤解した。そうでしょう!    
   
で、ここからが肝心。大学の偉い先生に、私のブログで傷ついているとメソメソぶって同情引きながら、私のブログを「N先生から教えてもらった」と言っていたそうなんですよ。

もうこれ聞いて呆れてものがいえなかった。どこまで自分に有利に話を捏造する人なんだろうと思った。メンヘラぶって薬が合わないとか切れたとかnoteに書いてたけど、こんな人がいくら私立大学の通信だからって先生やってていいの?先生だからいつもキチンと隙が無く真面目一辺倒というN先生のようにあれとは言わない、先生だって飲みに行くし時には馬鹿やっていいし、だらしないところもあっていいし、部屋が目茶目茶でもかまわないと思う。でも生徒を陥れるために嘘つくなんて言語道断!今回面談した大学の自称偉い先生達も私のことをぶーぶー言うくせに、おおえかがつい最近Twitterインスタblog(note)を全削除したのをご存知なかった。これ、証拠隠滅でしょう。もし何も後ろめたい事がないなら復活させてみなさいよ。note、インスタは削除したら復旧は無理だけど、Twitterは一ヶ月以内なら元に戻せるから。あーあ、自分の書いたものを大切に出来ないような人が文芸の先生だってよ!これ、傷つけるも誹謗中傷もなにも真実だから。

さあ、もう後は大学からの返事を待つだけ、それから「練歌と俳句」の授業が75点だったのはおかしいともう一度疑義書を顔採用の先生に出す、あとは卒業制作の要約をプリントアウトして卒業のお祝の会出るかでないかのアンケート用紙と一緒に出す、それから2月のフライングカフェに行くのと3月の藝術学舎「小説を書く」という2日間の授業に出るのと、卒業式前日の卒業制作発表会と懇親会、もしかしてその後の二時間、そして卒業式私は卒業証書貰えないけどみんながコースごとで貰う時までずっといるつもり。だって最後までみないとあの後どうなっただろうと考え続けるのが嫌だし、その後絶対学友達集まって私の悪口大会するだろうから監視してやる!

これだけではなんなので、卒業式の次の日から連休だからゆっくり京都観光をしようと思う。もちろんぼっち。一緒に京都まわりたい人なんて誰もいないわよっ!世間のしがらみを断ち切りひとりで思う存分あちらこちらぐるぐるみてまわりたい。名古屋に住んでいた時はあっという間だった京都、もう東京に住んでいる今は全然縁がなくなってしまった。しかも今は全京都と敵対している状態、冬彦どうしているだろう。あの人あの時絶対大学にちくったよね、だって学長が急に私への温度が低くなったもの。そして顔採用に流れたと。そして私に75点、冗談じゃないわよ!断固抗議する。成績や単位が確定するのが私の場合2月末だそう。それまで頑張りたいと思う。

あとは大覚寺の千住博大先生の襖絵を是非みたい。3月26日までの公開で卒業式の後の連休なんてすごく混むだろう。でも私お得意の朝いちばんで行くというやつで行けば大丈夫、こういう時旅のお供がいると、「ごめんね、私どうしてもみたくて朝早く眠いでしょう」なんて言わないといけないけれど、ひとりなら自由自在。女性も高齢になるとわらわらと温泉だの観光だのすると思うが、私は絶対したくない。いつもひとり、もしくはwith家族の誰かを引き連れて。だいたい家族揃ってどっか行くのも私は苦手。二人ならいいけど四人になると色々な思惑が渦を巻きマウンティングが始まる。もう懲り懲りゴリラよ。

あらまあ丁度いい時間。三越行く時間がなくなっちゃったけど明日また行きましょう。ではそろそろ出かけることにする。   

大学の帰りに三越に寄った。素敵なものはたくさんあったが、私が欲しいものはなかった。
       
そういえば偉い先生達が「SNSに顔写真あげない方がいい」と心配していた。しかも本人の写真じゃないと思っていたようで、同じ顔がきたと驚いたそう。もしかして私に惚れちゃった?身の破滅だからやめておいた方がいいわよ!

やっとライターの方が片付いたのでブログを書いている。ブログとライター、どちらも文章を書くのだけれど、当然ながらライターの方がうんと気力も体力も気も使う。言葉ひとつも色々様々に変えてみて、一番しっくりくるものを採用、セオリーの通りに言葉が流れるか、ひっかかるところはないか気を付けて文章を組み立てる。大学のレポートを書くのに似ているかもしれないが、大学はお金をこちらが払って採点してもらうもの、ライターはそれで報酬をいただくものなのでやはりこちらの方が大変ではある。でもどちらも「終わった」という開放感、最近ではやはり卒業制作が終わった時一番感激しましたね。いつまでも推敲したかったが、期限があるのでえいやっと送ってみた。完成を楽しみにしてくれている方に何部かコピーしてお渡ししてみた。もしこれで芥川賞とったら初稿をゲットしたということになるのではないか。なんてね。

大学でも最優秀賞が選ばれ金一封、中身は一万円らしいけど、これは全然期待していない。これだけSNSで大学を非難している現状、くれたら京都造形芸術大学すごい見直すけど、残念ながらそんな大学ではない。京都にある大学らしく、閉鎖的で伝統的なものしか受け入れないという校風、しかも学長は神で、その下の先生達は貴族、事務局は官民、通学生は民人(たみびと)、私たち通信生は紙という結論に至った。紙というのは「集金袋」という意味で、お金を徴収する手段、いれものでしかないのだ。なので事務局は偉そうに犬を蹴散らすかのような態度で私たちに接する。懇親会で会場が開く前にロビーで立っていたら、そんなところに立ってると人が通れないという事務局の人がいた。えっと思って道をあけるとN先生が私たちに挨拶もなく、前を素通りして知らん顔で事務室に消えた。ほら、私たち通信生って紙だから、人が通る時はさあっと風に吹かれるように飛ばされる訳です。大学生活って一時が万事全部こんな風だった。

例外もあり、あのおおえかは依怙贔屓がひどく、贔屓している生徒とは授業中でもキャッキャと話ていた。多分学生気分でお喋りしていたつもりなのだろう。いつもいつもそうだった。そうじゃない人には真面目な変な顔で、ああそうですかみたいな。おおえかより年齢の高い人ってほとんどだけど、そういう生徒達は「ちょっと失礼な態度」と認識していた。私は『地獄変』からいつかおおえかを倒しに出ようとずっとコツコツ証拠を集めてまわった。そうしたら出るわ出るわ色々な醜聞が。そして紙の中に貴族がいて、その御方に謀反を起こした。そこまで先生って偉そうにしていいんだ、自分が気に入らない人を徹底的に憂さ晴らし的に叩くというやりかた。証拠をつかんだ私はおおえかのSNSをほじくりだした。というかずっと以前から認識していたが野放しにしていた。全てスクショをとったのでいつか公開したい。このSNSの大量のデータをみると、本当にいつまでも学生気分でダラダラしていて、でも大学の先生になったナイスな俺、というのが透けてみえる。 



よくこんなん大学は採用したなと感心するが、多分大学って外資系企業と同じでチームごとの採用なのだと思う。マイクロソフトも外資証券もそうだった。チームで人が欲しいとなると、チームの中の人が人を連れてくる。で、そのチームのボスがうんと言えば即戦力となる。まあ正式な採用となれば社長やceoの版がいるけどそんなの面接だって茶話会みたいな感じで終わるわけ。そう考えると外資ってやりたい放題で、かつての上司が「外人っていうのは好き勝手して困ると本国に逃げちゃうから、色々気を付けてね」と言ってくれて、あの上司は本当に私を親身に思ってくれた数少ない人。あの時もちょっと事件があって色々ご迷惑をおかけしたけしました。あのあとバンビと後に付き合うことになり、でも結婚はやめて別の人と結婚しました。その人はバンビの学校の先輩だったというすごい偶然で、あーこれは私の履歴書で赤裸々に書きたいけれど、うちの夫も私の履歴書に書くのが夢とかいってるので先に書かれたら嫌だな仕方ないか。でも私本当にバンビじゃなくて夫と結婚して良かった♡今とても幸せに暮らしています♡♡そんな訳でおおえかは多分クルーソー先生かN先生の推薦だけで採用されたのだろう。いい生徒は演じられてもいい先生は演技力不足。◯ネ!

という訳で、私たち通信生は紙(集金袋)だという残念な概念がわかった。でもこれをみて、大学関係者全員が納得するのではないか。またしつこく言うが武蔵美もそいういう噂はいくつかあった。通学生は通信生に教室を使って欲しくないと思っているとか、あの先生はや〇まんだとか、色々色々。でも今回のようにこんなにダイレクトな事件や確証をみたのは初めてで、逆に本当に驚いてしまったくらい。最近なんだか大学がゴタゴタしてきたと聞くが、通信教育部の文芸コースが台風の目になっているように感じる。私からみて色々問題があると思うので、大学側からみたらもっとよく見渡せると思う。一刻も早い救済策をと願う。
そしてまた名言が飛び出した訳で、Twitterは金言を生みだすドラえもん的不思議ボックスだと感じた。

そして大学の事務局って偏差値は高いが頭のいい人があまりいないのではないかと思った。というのはN先生のことで大学に何度も呼び出しされ、そこで質問したいことはメールにまとめて送って下さいと言ってくれた先生がいた。でも私こんな風なので全然出せずにいて、先日「日本美術論」の授業の時に事務局の人にまだ出せてないが出した方がいいかと聞くと、多分待ってみえると思うので出してと言われた。で、「先生って(苗字)先生でしたよね、下のお名前なんでしたっけ」と聞くと、その方は目が泳ぎ、「えええと、(苗字)先生だけで大丈夫ですから。(苗字)先生ひとりしかいませんからね」と言う。もう私に隠し事がいっぱいあるのがこれだけでまるわかりじゃない?先生の名前なんて経歴ごと京都造形芸術大学のホームページに書いてあるから調べようと思えばわかる。なのに教えられないという態度、もうまた怪しい!この人達絶対信用しちゃだめと決意を新たにした。

私大学の関係者を全員信用していない。今は学友達もそう。だっておおえかとかN先生に担当してもらっている人達からしたら私は敵じゃん?私の見方したら豊洲でボスママにつかないと自分がイジメられるのと同じで、こちらの味方は出来ないししない。ただでさえ以前は先生達のみこもよく、何かと目立ってほめられていた私を面白く思っていない人達もいたはず。なので今度の京都で行われる卒業式前の懇親会、豊洲で村八分になった時のように参加者全員が私を空気扱いして無視するかもしれない。でも逆にだったら行ってみようかと思った。地獄を何度もみているのでもう怖くもなんともないわけ。でもそれではなんなので助っ人をお願いしてみた。でもどーせ決まりがどうとかで却下されるのよ。あっそうだ、せっかくなので主担任の先生と副担任の先生の間の席にしてもうらおう。お話したいことがたくさんあるから♡

という訳でまだまだまだまだ色々あるわけで、どうして私の周りにはこういう事件や濃いキャラが集まってくるのだろう。モブキャラの中にも主役を張りたい人達がいるはずで、そういう人達との最後のバトルもあらほましい。なんというエキサイティングでワンダホ、アメージングな学生生活だったのだろうか。普通に入学してたんたんと学び、そして卒業するはずだった。なのに。

なのであの方にこの大学に入学してはどうかとおススメしてみた。ものすごいパワーを持った方なので、文芸コース今度こそ吹っ飛ぶんじゃないだろうか。私は全然そんなじゃないのでチラッと掻き回すだけで終わった。でも良かった♡

それから(苗字)先生にこれからメールを出そうと思うけれど、一番気になっているのは学長に出した手紙、コナンが握りつぶしたのかそれとも読んだのに返信くれていないのか。もし前者ならコナンくびになって当然だし、後者なら一学生の進言を無視した至らぬ御屋形様ということでチェンジが必要になる。 ここにお手紙全文を掲載してみたいと思う。

と、思ったけどやめた。恥ずかしいー私ちゃんとまともなこと書いてる。ともかくこの手紙がどこにいったのか、追及して頂きたいと思う。それからあの80名定員で27名しか生徒が集まらなかったのに「定員オーバー」という理由は一体なんだったのか。「追加募集されなかったから申し込み不可」という理由は通用しない。なぜなら同時期に開催された「西洋美術史」は、本当に定員オーバーだったが、卒業年で来年受けられないからとお願いしたら事務局コナンからオーケーが出た。この違いは一体なんなのか。

あと他にもN先生にピンチを知らせようと何度も「教員相談」というのを申し込みしたが、全部シャットアウトされた。それ、当のN先生がご存知なのかも知りたい。もし本人が拒絶しているなら大問題だし、事務局がN先生に知らせていなかったとしたらこれもコナンがチェンジの必要がある。でもあの懇親会のN先生VSフィガロ仮面で思ったのは、先生は全然知らされていなかったのではないか、私が先生を無視して好き勝手やっていると思われていたのだろうと思った。何れにせよこれは大問題だと思う。学費を滞りなく払って授業態度も問題なく、二年で卒業という真面目な生徒の士気をそぐようなことをしたという事にならないか。まあ「私たち人じゃなく紙(集金袋)だから」と思えば納得だが、それでも紙には紙の言い分がある。

N先生は授業の中で、京都に本部のある大学だからこそヘイト的な表現は気を付けなくてはならないと言ってみえた。なのに人を区別どころか差別していることに他ならないのではないだろうか。

こうしてブログを書いていて、文章が以前よりまとまって読みやすいものに変容したように感じる。それは他でもないN先生のお蔭でもある。なのにこうして先生を窮地に追いやるような真似をしている自分は礼儀知らずで恥知らず、恩知らずだと思う。でも先生が全然反省していない懇親会の態度、しかも先生としての尊厳を忘れてしまうよな失態。大好きで尊敬していたからこそショックでもあった。なのでフライングカフェ、出来れば先生が遠慮してください。日本美術は先生管轄外でしょう?外苑の文芸コースというとN先生かおおえかしかおらず、他の先生達は外部から授業の時だけちらっと来るだけの方ばかりで、この二人が実権を握り運営している。もっと京都の先生をこっちに投入するかまともな先生を採用してください。もう色々遠慮しながら大学に通い、私は私で本当に大変だった。

今の文芸だとセレブデブも先生やりたいそうだけれど私は大反対。あんな風に偉そうな事いって自分の立場が悪くなると私をブロックするような人は先生なんて全然無理。まだナースコスのIさんの方が色々問題あるけどまだいい。だったら私のライターの師匠が適任かと、お金かかるけど頑張って欲しい。そしたら大学で先生やってくれたらいいのに。※通信の大学院出たら先生って冗談じゃありませんよ!この人もっとも先生になってはいけない人でした。おおえかの手下で奴の代わりに私に嫌がらせするようになったもう敵!

調子のいい人からちょちょっとおだてられるとそれがそのままその人の評価になる京都造形芸術大学文化、でもまあ世の中そんなものかもしれませんね。あの学長と顔採用の女の先生観てると特に思う。「世の中ね顔かお金かなのよ」(回文)二宮さん元気かなあ。おおえかは竹中さんの笑顔を思い出すと書いてある。みんな騙されたんだろう。私は誰もだましてないけどハートは奪っちゃったかな。あの小説もどこかに出してみよう。

京都造形芸術大学通信教育部FB

これ、京都造形芸術大学通信教育部のFacebookの背景。なぜこの図書館の写真をはるの?なんか関係あるの?自分とこの図書館の写真貼ればいいのにスタイリッシュさをパクりたい見栄張り大学。一体なんのために。著作権侵害も甚だしい。中の人はもしかしておおえかなのでは、多分そう。


ほらね。


返事はまだない。

追記:門崎先生が撮影したのかーどうも失礼しました。でもページのタイトルバックに貼り付けたのはおおえかに違いない。あっちにぺこぺここっちにペコペコそして私たちには偉そう。それが京都造形芸術大学通信教育部文芸外苑のスタンダード。門崎先生の名前出したら私がビビると思うなよ!それにおおえかものすごい勢いで私のSNSチェックしてるのね、どうもごくろーさまストーカーさん藁

もっと言うと門崎先生ならちゃんと返信か回答があります。こうやって強い人の背中に逃げ込んでドヤ顔するのは大江しかいない。あんたいつまで居座る気?さっさと出ていかないと焼き払うわよ!

こんな事してる。おおえかはわからないつもりでやっているんだろう。いつも何もかもまるわかりなのに、恥ずかしくないのかな・・・



2017.01.23追記

今度こそ京都造形芸術大学が馬鹿大学だと証明されました。あの馬鹿が大学のFBで内部テロ起こしたので晒したい。別記事にもするのでお待ちください。


私には先生がたくさんいる。それから師匠も。先生も師匠も同じだと思う方がいるかもしれないが、私も違いがよくわからない。先生にはいい先生も悪い先生もいるが、師匠というのは自分がこの人は先生だと決めた人がそうなのではないか。ここでいう先生とは「いい先生」に限定する。悪い先生は私にとっては先生ですらない、そう呼ぶにも値しないと思うからだ。

でもこちらが先生と呼びかければ応えてくれる、何かあればすぐ助けてくれる、そして生徒が困っていたらさり気なくヘルプしてくれるもので、それはとても不思議なありがたい存在。今まで私が困っていて先生や師匠が知らん顔したことがあるだろうか。いやない。いたとしたらそれは先生でも師匠でもないからだ。

というのをいつかブログに書いた事がある。今回もそういえるのではないか。私が今抱えている深海の巨大生物的大問題、これは本当に悩んで悩んで自分が『もののけの姫』の祟り神の大きな猪のようになっているようにも思える。パソコン、スマホでSNSを開けば別の話題を書こうと思うと手が勝手にあの人この方への恨み節を書いてしまう。「愛憎劇に巻き込まれて迷惑」と書くが、嫌なら無視すればいいのに相手をするのは私になんらかの情が湧いているからだと思う。それら多くを占めている感情は、「可哀そう」「お気の毒」という色が濃い。でもその状態はご本人が好んで浸かっているのだから、遠くから私がやいやいいうのはお角違いだろう。

思えばあの時、もっと私がしっかりすれば良かったのだ。いくら恩義のある先生だからといって、やっていい事と悪い事がある。私は生徒だが先生の所属物でも好きにしてい存在でもない。ましてや個人的な感情をぶちまけるというのは如何なものか。でもここでもっと問題なのは、私が嫌じゃなかった事だ。正直嬉しかった、だから事態は捻れてややこやしくなっている。

大学はこれらを「守秘義務」という言葉を使って私の口を封じようとしたが、それも間違いではないのか。私に守秘してもらわないと困るのは大学や先生達で、守秘して欲しいと私にお願いをするものだろう。偉そうでもなんでもない、本当にその通りなのでよく考えて欲しい。

人は「先生」と呼ばれると自分が高みに上がったような気持になり、つい人の上に立ったように思うものだというのもこの大学に入学して知ったひとつ。そして、それでもなお生徒を慮れるというのが「良い先生」で、まんま上からものを見るように偉そうにしてしまうという愚かな人もいる。生徒を自分の付属物のように好き勝手する、それはもう先生以前の問題だと思う。

そんな風に私も情に流されず、もっと大人としての対応をすれば良かったのに、ブログに面白おかしい読み物のように、先生私も慕って居ます誤解です、というものを書いた。それを読んで先生は納得して喜んだだろう。だがそんな必要はなかったのだ。豊洲のボスママ達もそう、私が「元キャナリーゼゆり子の豊洲にいたとき日記」を書いた頃に反省して改心すればよかったのに、そうしないもんだからぶった切った。

大学でも同じことが起こった。同じようにぶった切ればいいが、豊洲のママ友戦争と違うのは、恩情があるからだ。これは非常に困る。私が斬りたいのはたったひとり、それを斬る為にはあの先生や大学を一緒に斬ることになる。やるかやらないか、私はひとつの賭けに出ようとした。親友に相談し、その人が「自分ならこうする」という案を採択しよう考えた。やってもやらなくても私は将来後悔するだろう。だったら運命風任せで、誰かの言葉にすがってもいいと思った。でもやはりそんなのは迷惑だと気付いた。それはその人に責任が発生することにはならないだろうか。あの人が言ったからそうしたのにと。

代わりに近々ランチする予定の友達に相談してみた。相談したいと思っていたところにタイミングよく電話が入り、これこれこうで困っているがあなたならどうするか、と。その人は私を良く知ってくれているしブログも読んでいるので「ああ、そうだったの」みたいな感じで納得してくれて、「どうしても納得できないことってあるよね。やるだけやったらいいと思う、でないと後悔する。でも子どもがいるんだから、事件に巻き込まれないように。窮鼠猫を噛む」と言われた。

私は人の言うことはきかないが、本当に私のためを思ってくれている言葉を嗅ぎ分ける能力はある。なのでナースコスのIさんの言葉も納得できたし、今回もそうだし、よく喧嘩はしたけれどあの弁護士の先生の言葉も訓えも私に染み込んでいる。今回の件で相談したり話したりして「私のことを慮」ってくれたのはこの三人だけだ。あとは自分の保身、身分的役割、職務、そんなところから最も穏便に、大学の不利益にならないようにというものだけだったと思う。でもそれはそれでいいと思う。組織の機関というものはそうあるべきだから。

そして、もうそろそろブログにギャーギャー書き散らかすのは終わりにしないといけないとも思う。何故ならこんな事に時間をとられていては、他の事ができなくなるからだ。今は様々な組織はお休みで、そちらの仕事も出来ないからいい。でもこの連休が終わったらまたやらないことが山盛りある。そうしたものへの悪い影響は極力ないように留意し、新たな活動新しい作品も書きたいと思う。大学にいる間に様々に書きかけては途中の長編小説がふたつ、ノンフィクション小説がひとつ、暮に書いた一万字小説は3万字程度にして何処に出してみたい。

こんな風に気持ちが切り替わったのは、この先生の言葉がある。



そしてその先にリンクが貼ってある言葉を読んで、私は驚いた。これ、多分私へのメッセージでもあると感じたからだ。私の辻先生ラブは昨日今日始まったものではない。辻先生もずっと以前から私の存在はご存知だったはずで、もしかしたら私が抱えて困っているものも当事者か誰かに聞いて知っているかもしれない。

その上で様々に私を、そして辻先生もかつてはいらした組織を心配してメッセージを書いてくれたわけです。ありがたいことです、本当にそう思います。でも大学側に対しても書いてみて欲しいと願うのは欲張りでしょうか。生徒がそうならないように、そういう感情と共に去らずに済むように采配するのも先生の仕事、大人なんだから言われなくてもわかれというなら、だったらそういう態度が必要だと思う。

それ以前に、人と人が争う時、どちらか一方が悪いというのはほとんどないとわかっています。イジメとか嫌がらせというのは、その人が妬ましいという気持ちから発生することも熟知しているつもり、なのでそれら一切無視して、自分の幸運をただただ感謝する機会にしたらいいとも思う。でもそうしていたら、私の子どもや大切な学友達まで狼藉する馬鹿がいて、それを叩くのは私は致し方なかったとも思う。喧嘩したり無視しあったりというのも何度もあったが、一緒の学び舎で学んだ人達は私の大事な学友で、その人達が酷い目に遭うのは我慢できなかった。 

でも辻先生がここまで言って下さるなら、私は「我慢」します。そして大人になります。あの人達は本当に大人になりきれない大人もどき先生もどき、そういう人達をまともに相手にする自分は同じレベルなのだとわかっています。大人には大人のやり方があり、私は裁判も経験しており、この問題をどう転がしたら相手にダメージも与えられるかお金になるかもよくわかっている。そして私は勝ったとしてもちっとも嬉しくないと思う。「お金目当てだった」などと的外れな悪評をまた拡散され、新たな争いが起こるだけだろう。

なので私はもう一度学長に手紙を書いて出す。それが届いたか届かなかったかは「コナン」に監視させる。自分が監視する役割になればあの人は握りつぶす事も出来ず、それは今度は必ず届き返事がくるだろう。その返事についてはどんなものでもかまわない。謝って欲しい訳でもないし、労わりが欲しい訳でもない、非難の言葉でもかまわないと思っている。ただ、それがその人の本心であって欲しいと願う。私がコンビニ大学ロボット先生達の集団と非難した京都造形芸術大学のトップが「そうじゃなかった」と思えるなら、私は何もかもに感謝と共に大学を卒業出来る気がするのだ。 

一生徒が偉そうにと思うなら思えばいい、雲の上にいて、蜘蛛の糸をつたって昇ってくる者者を眺めるような気持ちでいるならいつまでもそう思えばいい。でもあなた達の乗っている雲は、私たち学生という「カスタマー」が造り上げたものでもあるということを忘れないで欲しい。

私たちは高校を卒業したばかりのティーンではない。人生の酸いも甘いも噛み分けた大人ばかりだ。「目上の人」たちもたくさんいる。そうした人達に敬意も示せず「俺の生徒だから」と馴れ馴れしく扱い偉そうにする。非常に不愉快と思っている通信学生もたくさんいるようです。私はこの一年間憤怒と共になるべくたくさんの生徒からこれらインタビューしてきました。プラス数々の問題発生。私の件は氷山の一角だ。

「人間として大事なことは、そこを離れるときに、揉めないことですね。相手を汚さないこと。
この世界に唾を吐きかけないことです。簡単そうですけど、意外と難しい。
なぜなら、自分は常に正しいと誰もが思うわけです。相手の立場なんか何も考えないで。」

辻先生から本当に難しい課題を頂きました。でも本当にそうです。今回の件では大学も私も学友達も、誰もが「自分は正しい」と思っているから起こったことでしょう。

「 敵なんかいないんですよ。
もしいたとしてもそれはたいした敵じゃないです。」

わかっているんです、私のような一生徒を妬んで先生を使って嫌がらせをしてくるような人、相手にしなければ良かったんです。でも、N先生が本当にお気の毒に思ったんです。先生は日本でお寂しい、なので同じように寂しい気の毒な境遇の部下と共鳴してしまった。だってあの人友達が誰もいないみたいで。Twitter、note、togetterをみるとそれがよくわかる(私も人のことは言えない笑)

朱に交われば赤くなるというとおり、N先生は部下のハラスメントを抑止できなくなってしまった。止めたらまた一人になると思ったから。N先生、ひとりって寂しいですか、結構楽しいですよと言えるのは私には家族がいるからなのかもしれない。私の身体が五体くらいあったら一体派遣させるのに。私は楽しくてcuteで寂しくなる暇なんてなくなります、代わりに噛んで振り回されて夫のようになります。あらじゃあ幸せじゃない。それから友達は選ばないと、あなたの人生に黒い染みが出来てしまうことになりますよ。もうそうなりかけたでしょう、あなたの悪い友達のせいです。

「急がないことがまずは一つの得策ですな。
もし、不満があっても結論だけを追い求めないこと。結論とは無理やりに結んだ論でしかないのですから。
そのような決着はよろしくないわけです。答えなんか、そもそも、ないのかもしれませんよ。」

大学を卒業するまでに決着したいと思っていました。本当に無理やり答えを出そうと考えていました。でも先生の言う通り正しい答えなんてないのでしょう。急がないこと、それから多分「許す」ことが必要なのでしょう。でも今は無理です。でもそのうち誰かが現れるとか時間が解決してくれるのかもしれない。待ってみることにします。

それから私だけじゃない今大学にいる今回様々に問題を起こした先生達も反省してください。これも偉そうと思うなら、もうあなた達は先生の資格はありません。静かに大学を出ていって下さい。この学び舎はあなた達が好き勝手していい場所ではありません、私たち生徒達のものでもあります。ともかくまずはブログに何もかもをぶちまけるのはやめることにしました。この点は約束します。代わりに大学側はきちんと対応してください。

以上です。

懇親会の日の学舎、悲しいほどお天気でした。

私は辻仁成先生に教えて貰えると期待してこの大学に入学した。直接は叶わなかったが、最後の最後、私のピンチに手を差し伸べてくれたという奇跡。やっぱりこの大学に入学して良かったです。辻先生は、やっぱり私の師匠だった。 先生、私の最新作読んでみて下さい。 私もフランス行ってみたいなあ。ソルボンヌキャンパスが出来たら辻先生はまた先生になって下さるだろうか。

最近この「ヨカタ」という表記を文章の後ろにつけるのが好きだ。SNSではどこでも大概こういう表記をする。「よかった」というのとか「良かった」というのとも違う「ヨカッタ」じゃなんだか間抜けではないでしょうか。それを短くきゅっとコンパクトに「ヨカタ」と書くと、ああ、ちらっと良かったんだな、でもいいことだけじゃなく何かいろいろあったけれど、イイことにだけ目を向けている健気なキャナリーゼという雰囲気が出ると思う。 私は最近こういう風に、日本語の風紀や風俗についての説明を細々と書いている。それはひとえにあの先生のため、「プルースト厨」という比喩を「あの人は先生を馬鹿にしているんですよ」と告げ口したおおえかの言葉に私の先生愛を疑ったN先生。でも違うんです「厨」というのはネットスラングですが、「こんなに夢中になって可愛い人」という愛撫の意味もあるんです、胸にぎゅっと頭を抱いていいこいいこみたいな。N先生は青春時代から壮年期をフランスで過ごされ、日本語の風紀にまるでうとい。ネガティヴ2chネラーのおおえかにかかればまるっきり違う日本語をレクチャーされてしまう訳で、だから二人を離せと大学に忠告していたのに事務局が無視するのでこのような大惨事になった。

そういう訳で今日は娘ちゃんは悪名高きSAPIXの冬期講習、息子は何も用事がないので朝からDSをやっている。怒って取り上げて色々手伝わせようと思ったら児童館へ逃げて行ってしまった。まあいいかあ、あの人は猿だものね、織田信長が子どもの頃「うつけ」と呼ばれていたらしいけれど、あの人将来織田信長になるのではないかしらん。なぜなら私、息子がお腹にいるときに織田信長の夢をみたんですよ。お殿様の寝室で私が寝ていて、その横に織田信長、そして私の横に添い寝して「良き子を産んでくれ」と言ったんです。私は「ああ、私は織田信長の子どもを産むんだわ」と思った夢。本当なんですって、妄想じゃないんですって。なので私は息子に常々言い聞かせている。部下を持ったら絶対にいじめたりしちゃダメ、威張ってもだめ。でも同等に扱うのではない御屋形様として家臣を慈しみ育てみんなが幸せになるような世界を目指さないと。でないと あの禿に責められて殺されちゃうわよと。いじめられた人っていうのは虐めた人を殺したくなるほど恨んで恨んで恨みぬくわけよ。そう、ママのようにねえ~~~きゃーっ怖い!というのはまあ置いておいて、そういう訳で「豊洲をいじめゼロの街に」というスローガンを掲げて始めた豊洲こども食堂。次なるリーダーの育成が私の仕事だと気づき、豊洲こども食堂のブログに色々書いた。「あのう書類はどうなりましたか?」とずっと言われていて書いてないけれど「もう出来上がっていて届けるだけ!」と言っていたけれど結局社協にお邪魔してカウンターで書類を書いてちょっと恥ずかしかったけれど、「 ブログみましたよ」と感心していただけて良かった。書類ができていないのなんてどうでもいい頑張ってという空気が生まれていたヨカタ。お土産に玄米30キロもいただいてしまって、「豊洲こども食堂」の宣伝広報活動に使うことで了承をいただく。さっそくBUDDYスポーツ幼児園に行き、「食品ロスリボーンセンター」でいただいた五目御飯50人分ひとパックというのと一緒に20キロほどおいてきた。それがね、都合のいいことに園長先生はスキーキャンプで不在だったのですよ。くくく。なので勝手に置いてきた。バディの先生たちというのは、安い給料で激務、いつもお腹がペコペコで娘に言わせると、「いつもお昼はコンビニのおにぎりとか食べてた」と言う。じゃあもう消費に困ったときはバディに寄付したら喜ばれるじゃないのと思った。現に前に豊洲バディに大きな缶入りクッキーを差し入れした時も、先生たちは喜んで早速あけて食べて下さった。この時も丁度園長が不在の時でね。くくく。あー私って本当に運がいい。いたらなんだかんだ本部に確認をとってからとかいろいろ言われて受け取ってもらえなかったかもしれない。また更に運のいいことに、事務の人が辞めて新しい人に代わっていて、一緒に受け取ってくれた先生までもが新しい人で私の顔も名前も知らないという。くくく、もう食べちゃったでしょう。おいしかったでしょう。さあこれでバディは私の思うがまま。そのうち「豊洲、豊洲北、豊洲西こども食堂三か所オープン記念イベント香山リカさん講演会「今なぜこども食堂なのか」という催し物を豊洲シビックセンターで開催するときはもぎりやお土産係でお手伝いをお願いしたいのでよろしくお願いします。 

※ちょっと用事が出来たので続きはまた。

2016.12.28続き


夕べ色々書いていると窓から何やら声が聞こえた。カンカンという音も。私は子ども達を呼びつけダッシュで外に出た。子ども達に「火の用心」を見せたかったのだ。拍子木を打って「火のー用ー心」と声をあげて周って下さるのは豊洲町内会のみなさん。小雨の中を傘なしで突撃してきた私たちに驚かれながらも子ども達に拍子木を打たせてくれる。お邪魔してはとワンクールずつやらせて頂いて自分は我慢して礼を述べて帰ってきた。風呂に入っていた夫はまた「せっかく勉強していたのにまた邪魔をして」とガミガミ言い出すあーうるさ。風呂に入ってなければ行かせてもらえなかったかもしれない。くくく。

そう言う訳で中断したが、この日は娘ちゃんとららぽーと豊洲に行きぜビオで娘ちゃんのスノボウェアやら帽子やらスパッツなどの小物を買った。前のブログで書いた通り私の京都行きの費用でいいやつを買えた。いつもならヨーカドーの吊るしてある安いセットなど買うのだが、ちゃんとした大人用のSサイズで揃えたものだからドキドキして具合が悪くなった。私は貧乏性なのか高いものを買うのが苦手。なのに独身時代は歴代の彼にブルガリやロレックスなどプレゼントされて喜んでいたので人は変われば変わるものだと思う。今は夫が私に高いものを買おうとすると激怒するMOTTAINAIじゃないって。ワインだって誕生日だからとちょっといいのを買ってきたのまで怒っただってMOTTAINAIじゃない。そういうのは大勢での集まりとか栄子先生のオープニングパーティとかに持って行きたい。幸せはみんなでシェアしたいじゃないの私って本当にいい人で性格だけじゃない運も頭も顔もいいのだが、世間がなかなかわかってくれない。まあ自分がわかっていればいいのだとってこれもだんだん定型文化してきたのでそろそろやめよう。

そういえば先日近所の方と話していて「ブログ?へえそうなんですか」なんて言ってたのに会話が盛り上がってきて最後の方に「本当はずっと読んでいて更新が滞っているとすごくがっかりで何度もチェックしにいっちゃう」というまさかのカミングアウト。ギャーうれしいこんな近くに私のファンが!と勝手に喜んだ。なので書いた分はもう途中でもバンバンアップしようと思った。途中で中断というのは本当に様々な理由があり、火の用心見学ツアーから書いている途中で他のSNSが気になるとかメッセージが飛んできて色々話し足り相談しているうちにブログを忘れて寝てしまうとかで、そういえば家族のことで中断って息子がお腹痛いって言い出した一回だけかもしれない。これも「なにもしない愛」のおかげだと思う。

娘は本当に大きくなり、そしてママが大好きなんだと二人で出かけるといつも思う。家族の中にいるとそれぞれの愛情を推しはかり自分の立場を想いママの愛情が分散されていることに憤る。そして私に構って欲しいものだから信じられないような悪戯をしたり弟をイジメたりする。でも外でふたりきりだとそういう異分子がないせいか、素直に甘え学校のあれこれを話してくれたりする。なんと学校が楽しくて休みが嫌だと言っていた。本当!?ママの前だからって虚勢はってない?だってあなた私のせいでぼっちなのではというと違うという。それが誰なのか聞いても全然名前が覚えられないし最近は弟の友達とかとごっちゃになり話しかけられてもモジモジしているので「弟君の方の」とかちゃんと言ってくれる人が多くなり助かっている。こういうの病気だと思うが今の時代は個性だと考える風潮もあり、本当にいい世の中になったと思う。

で、ユニクロに行って自分の夏用のブラウスが超スペシャル価格になっているのを買い、「いいものをたくさんみたからこんな雑多なザ庶民をだまくらかしてお金を巻き上げるブラックユニクロでもいい買い物がママは出来るわけ。ほらこれは綿100%でしょうそれに白だしシンプルだからなんにでも合うし大切にお洗濯すれば永久に着られるのよ」などと娘に偉そうに言いながら他に夫にもちょっといいスキーのアンダーを買う。行と帰りの車の中ではクルミドコーヒーの影山さんの話をする。お金のためじゃない人のための経済学という概念を知り、学歴史上主義の夫へどう対抗したらいいのかわからなかったのだが、この「人間のための経済学」という新自由主義や市場原理主義と対極の考え方、これ私本当にびっくりしてまるで自分がヘレンケラーのようだと感じた。サリバン先生が根気強く野生の猿のようなヘレンを躾け、ノーベル賞までとってしまう貴婦人に仕立て上げた功績は本当にすばらしい。映画でみたヘレンがぐちゃぐちゃの格好で水を手にすくって「うぉーーたあああー」と叫ぶシーン、あれですよ、あのシーンのヘレンのようだと私は思った。サリバン先生はもちろん景山さん。サリバンと言うより現代の坂本龍馬ではないだろうか。新選組に切られないようにちゃんと用心してくださいね!そうなると私の夫は西郷隆盛、うちの娘は乙女ねえちゃんそして私は寺田屋の女将かなあってなんでうちの家族が影山さんのフィクサーになるの。それにあなたはお龍さんじゃないのって?いやいやいやいや私そこまで図々しくありませんから。でもあのお龍さんて人調べれば調べる程私にそっくりで、アル中気味なところとか素っ頓狂な感じとかヤクザとタイマン張るところとかなんかちょっと痛い感じも、そうそう結婚した時に家はいらない船が欲しいというところも同じで、私が夫と結婚したのは転勤が多いだろうあちらこちら行けるだろうもしかして海外にも住めるかもしれないという見込みもあった。なのにずーっと東京でしかも豊洲みたいなピカピカ軽薄な情緒もなにもない街に子どもという重しでくくりつけられてしまい、本当に死にそうになったりした。もう嫌だ本当に死にたいと何度も思ったし、死ぬもんか生き延びてやる豊洲が死ねばいいなんて思った。でも豊洲のミュージカルや英語クラスや豊洲商友会の方々と繋がりが出来て、豊洲にもこんな世界があったんだと驚いた。そこからだんだん立ち直って大学で先生達との出会いから色々考えるようになり豊洲こども食堂を実現することが出来て今ここみたいな。まだまだこれからぶっちぎりの変貌があります!なんてどうなるかなんて私もまだわかりませんけれども。

そして今日書きたいのはこれだけではない。実はこの日、私は息子を連れて全マンションのポストにチラシを入れた。こども食堂関係じゃない、こども食堂にはもうあまり人来なくていいくらいに思っていて、ポスティングするなら豊洲四丁目都営住宅だと思っているけれどこれ年内に出来なかったなあ。代わりに食品ロスリボーンセンターさまよりの物資で「豊洲こども食堂気前がいい」という認識のお蔭で良い方向に認知されたように感じるのでもうチラシは来年でいいだろう。そうだ今日は菅谷精米店さんにのしもちを受け取りにいかなくては。こうした地元で古くからやっているお店と言うのは本当に美味しいものがあると思う。のしもちが美味しいと教えてくれたのはこども食堂にボランティアに来て下さった方で、私もパルシステムの前はヨーカドーのネットスーパーか菅谷精米店でお米を買っていた。本当に美味しいし宅配もして下さる(かもしれない)ので是非どうぞ。また話が飛ぶが私はこういうお店に資本や物資の提供はお願いしないなぜなら(そんなの言うまでもないので割愛)

それでポスティングしたものはちょっと頼まれたというか「そんなの私がやるわ」と申し出たもの(ちょっとチラシ足りなかったよ)なのだが私は気が付いたことがあった。ポスティングしていると表からなので内容はわからないが、ポストに入っているものの量はわかる。ちょっと多めだとチラシが入りにくいし、すっからかんだとストンと入る。そこに一件ぎゅうぎゅうに郵便物が詰まってチラシ一枚の隙間もない家があった。私はそこに入れるは諦めてもう疲れたとゴネル息子を『最後までやるっていうのは意義があるんだよ、ホンクだって最後までやったからあの千秋楽があった」と諭すとそれもそうだと思ったのか最後まで手伝ってくれてああでもないこうでもないとここでも影山さんの話しなどし、

※疲れた、消えるといけないので一回「更新する」ボタンを押す

どんどんどんどんポスティングをしているが、どうもあのパンパンの郵便受けが気になった。そして終わった後に息子と防犯センターに行った。これこれこういう理由で今日は全マンションにポスティングをしたが、一件だけパンパンで入らない家があった、何か事故か事件かもしれないので様子をみて欲しいと。去年の夏ごろ自転車盗難事件でバトルった防犯センターの責任者の方ともすっかり仲良くなりこういうお願いもスムーズに出来るのは、やっぱり日和るだけじゃなく本音でぶつかり合うのって時には大切だと思った。年末の挨拶をして家に帰って娘にもこういう事があり、そう言う風にお互い干渉しないけれど気にし合うというのがご近所付き合いでは大切で、こういう時に直接ピンポンして聞きにいくのはダメだと教える。どうよこの教育、夫のいう事を子ども達は全然きかないが、私のいう事はよくきくようになった。夫が話し出すとみんな無視するけれど私が話すとじーっと聞いている。もうクルミドコーヒーの影山さんは道で会えばわかるし色々質問攻めにするだろう。その時はどうぞよろしくお願いします私はちゃんと遠慮しますので。ポスティングしていると色々な発見があるなあと感心してしまった。ああこの人この部屋なんだとか、ぐぬぬよくも娘ちゃんをいじめて仲間外れにしたなとか、この方には子どもをよく預かって頂いてお元気でいらっしゃるかしらとか思えば悟るのが上手い息子が「ねえ、Aさん最近会ってないね」などと言う!ビックリ!やっぱり私と息子ちゃんは一心同体運命共同体なのだわと嬉しくなった。ねえ、森茉莉、あんた幸せな人生だったわね、私も幸せよ!

追記: 

豊洲で「こども食堂」「ぼっちママ」と子どものセーフティネットに
2016年12月26日
http://koto.keizai.biz/phone/headline.php?id=513

江東経済新聞社に取材して頂きました。わかりやすくまとめて下さり、ありがとうございました。

とても励みになります!今度は是非食べにいらして下さい。

 

今日はまた恥ずかしい記事を書いた後「なんで俺が」という息子を連れて由梨香さんちにお邪魔してきた。私が押しかけたり行きたいと無理言ったんじゃない、由梨香さんが随分前から「どうぞ」と声をかけて下さっていたのたが、色々お互いのスケジュール上このような年末ギリギのスケジューリングになってしまった。

息子は文句を言っていたのも忘れ、大喜びで娘さんと公園へ行ったりゲームをしたり楽しそうにしていて、私も由梨香さんの熱い思いを聞いたり私も色々話したり、今日もマサイの戦士の決起集会みたいになり、こうやって色々な人に会いに行って話を聞くというのは本当にステキな事だと感じた。特に最近は自分がそう思っているせいか、「世の中を変えたい」という方とお話をさせていただく機会がとても多い。

皇后美智子さまの話で以前ブログにも書いたけれど、同じ炎を胸の内に持っている同士は会った瞬間にわかり、そしてにっこりと微笑み合うというものがある。今日もそんな風に思った。調子に乗ってお菓子をばくばく食べたりこども食堂で持ち帰ったコーンフレークや災害対策食品などお土産にしたりしたが、「コーンフレーク大好き」と嫌な顔もせず喜んでくれて、一体全体由梨香さんは本当に懐の大きな女性だと今日も思った。

初めて会ったのは豊洲商友会の福引を手伝っていた時。商友会の方と話をしている女性、どこかで見たわあと思ったら由梨香さんだった。すらっと横入りして「私、森生ゆり子です」って声をかけると「ああ!」みたいな。他にも街のあちらこちらで偶然会ってお話する機会があったりした。昔ご主人の音喜多さんとはネットでニラニラしあったこともあるけれど、小池百合子応援演説の時にこれもまた偶然ご挨拶してからはすっかり百合友(小池百合子を応援する同士の友達)となり、なんていうか小池百合子さんが友達を運んでくれたように感じた。

由梨香さんは私がこども食堂を立ち上げる前からじっくり話を聞いてくれて、一回目二回目とママ友とではなく「ひとりで」参加してくれたのだ。相談しても適当にあしらわれる事も多く、それは個人の自由なので書いたりしないけれど、私は政治家にまで嫌われて子ども食堂なんて絶対できないだろうと凹んだこともあった。由梨香さんはいつも寄り添ってくれていた。クルミドコーヒーの影山さんのTweet に大きく頷きたい気持ちだった。

こうして書いていると勝手に友達宣言してやーねぼっちはと思われるかもしれないが、由梨香さんと私は信じられないような共通点がたくさんあった。女同士の秘密。もう私たち友達だわと思った。森茉莉はもう亡くなっていて本当に残念だけれど由梨香さんは生きているので友達になれる。生きているって素晴らしいなと思った。

赤ちゃんは本当に可愛くて、子ども達が小さい頃を思い出してしまった。小さくて幼気で私のおっぱいをいっぱい飲んでくれた娘、途中ママ友ストレスでおっばいかで無くなってしまった息子。息子には色々苦労かけたなあ。でもあの時致し方ないとはいえ、今のような心境だったらもっと園にもボスママにも意見が言えたような気がする。こういう世界おかしいと思いませんかって。そしてそういう声をあげられる人というのは絶対いじめられないし、訴求力もあるから同士が集まったかもしれない。タラレバを言っても仕方ないし、その反省は次に生かしていけばいいと思う。

由梨香さんもご主人の音喜多さんも大きな夢がある。多分それはいつか叶うだろう。いつも引き合いに出して申し訳ないのですけれどもクルミドコーヒーの影山さんも大きな夢がある。私はこれを聞いて本当に嬉しかったのよ、きっと未来は素敵なものになるしいつか叶うと信じていればきっとすぐに叶うと思う。

本当の友達って多分お互いを意識しながらそれぞれが切磋琢磨する関係で、いつもくっついてお茶したりランチしたりするものではないと思う。良かった、私にもたくさん友達がいるわ。友達になった由梨香さんが主催する ママフェス「今度3月3日にららぽーと豊洲でやるから来たら?」と言ってくれる。でも「リア充ママの集まるところは怖いから行きたくない」と断ってしまった。お互いに無理をしないのも友達。 みなさん、楽しそうですよ!3月3日は是非行きましょう

そんな素敵な気持ちでるんるんと家に帰ったら家は相かわらずめちゃめちゃだった。由梨香さんが「散らかってますけど」なんて言ってたけれど、私の家を見たら驚くのではないだろうか。ロマンスを書いたり友情を語ったりするならもうちょっと家を綺麗に。さあ年内の予定はこれで全て終わった。後は家族の新しい下着と娘ちゃんのスキーウェアと息子のゴーグル、そしてスノーブーツを買いにららぽーとへいく。このスノーブーツというやつ、本当に年に数回しか履かないのにスキーをするならマストアイテムでちょっと勿体ない気がする。でもレインブーツと兼用はできないし、ちゃんと暖かいのを履かせてあげたい。

そういえばバディのスキーキャンプは豪雪地帯で合宿するので、息子を送っていった私は寒くて凍えてしまった。合宿の民宿からのバスが終わってしまい、私が困って「乗せて行ってください」というのに幼稚園の先生全員が私を拒否して豪雪の中に捨てられて、本当に遭難するところだった。そして子ども達、すごい薄いスキーウェアで送り出してしまい、寒くなかったかと聞いたらめっちゃ寒かったという。本当にほんとうにごめんなさい。子ども達はそのせいかスキーが大嫌いになり、今は勝手にふたりともスノーボードをやっている。ものすごく上手に滑るようになり、多分大人になったら行くんだろうな。罪滅ぼしで今年の娘のウェアはROXYにしようと思う。私が好きなブランドだからたまに借りれるかも♡

由梨香さんありがとうございました。夢、叶えましょう

家の中も赤ちゃんもポカポカで温泉に入ったよう。汗をいっぱいかいてツルツルのお饅頭ちゃんみたいになってしまった。由梨香さんは素顔なんですよ❣️  由梨香さーんありがとうございました😭

卒業制作が終わったら行きたい事やりたい事が山盛りで、卒制が辛ければ辛いほどそれらは馬のにんじんになった。終わったら、済んだらこれが待っているから!という希望。馬は最後はにんじんを食べられたのだろうか。それとも馬主の晩ご飯のシチューなどになり、馬は結局飼い葉などで誤魔化されたのだろうか。私の場合はにんじんが食べられた。そしてとても甘くて美味しかったという話をしたい。私の「卒制終わったらシリーズ」のひとつに、「佐々木俊尚氏『そして、暮らしは共同体になる。』トークイベントに行きたい」というものがあった。前のブログで佐々木俊尚さんにお誘い頂いたというのは本当だけれどちょっとニュアンスが違って、佐々木さんの奥様松尾さんのイラストがもともと好きで、個展のオープニングイベントがあると知り、たまたま大学の授業があり、大学は青山ギャラリーは代官山。いつも好き勝手にあちらこちらに行くと思われているが、やはり子どものいる主婦が夜出かけるというのはどうなのという戒めはいつも持っているけれど、「大学の帰りママは大概どっか寄って帰ってくる」という家族に浸透した風評のおかげで「今日は行ける!」とお邪魔してみた。でも場所も会場もセレブリティ感山盛りで、ガラス張りで場内が見えるものだかから後ずさりしたくなった。私が来るところじゃないわと帰ろうと思ったが、ただの野次馬じゃないファンだから大丈夫とガラスの扉を押した。本当に一度駅まで戻り、そこから勇気を出して戻ったのだ。今考えると戻った私を褒めてあげたいと思う。今年一番の勇気だったように思うマジで。

というのはまた別の記事に書くとして、そこで「一般ピーポーは私だけ、どうしよう」と、モジモジしている私と松尾さんを引き合わせて下さったセレブの方のおかげで松尾さんとお話が出来、ご主人の佐々木さんともお話をしている間に今度イベントがありますと教えて頂いただけなのだ。私は佐々木俊尚さんのファンでもある。佐々木さんはジャーナリストで色々難しい問題を扱ったり記事にされるが、私は佐々木さんの作る「家メシ」のファンと言った方がいいかもしれない。佐々木さんの作るものは滋味と愛情に溢れ、様々な工夫もある。でもシンプルでミニマム、しかも美味しそう!野菜をさっとゆでてお浸しに、さっと炙って、ざっと焼いてなど、時間はそんなにかからない、でも手間と機能美で「毎日のご飯」が出来上がる。ハレのご馳走ではない、いつも食卓で食べるご飯というものをちゃんと作ってみえて、食べる側の松尾さんもしっかりと想いを受け止めてみえる。だからあんなに松尾さん綺麗なのかなと、やはり人間って食べるもので決まると思う。例えばたくさん食べたい、こってりしたものが好きという人は太るし健康ではない。逆もまた然り。そいういう風に食べるもの口にしたもので外見も内面も考え方も決まるというのが私の信条でもあり、佐々木さんはすごくその辺りわかってみえるとネットや本の料理の数々を読んで思っていた。家の夫を引き合いに出してまた叱られるかもしれないが、夫の作る料理は「ハレの」ものばかり。味の濃いご馳走はボリュームもカロリーもあり、材料もわざわざそのために買ってくる高額食材を使うせいで本当に美味しい。でも子ども達がそういうものばかりを求めるようになり、私の作る滋味飯を食べてくれなくなってしまった。もう少し工夫すればいいかもしれないが、卒論やら色々で子どもが食べてくれるものをとカレーやシチュードリアなど子どもに媚びたメニューばかり。卒業したら「食」をもう一度見直したいとも思う。佐々木さん松尾さんのご夫婦の在り方も常々素敵だなあと憧れもあったし、オープニングにお邪魔できてトークイベントにも参加できるなんて本当に感激。

イベントのある当日は締切過ぎてもまだ卒論をしていた。いったん提出したがその後見直すと様々に誤字脱字があり、文脈の繋がりや表現がオカシイところがいくつも見えてきて翌日も直しをしていた。あれですね、多分期日までに出さないと卒業できないという緊張で目が曇っていたのだと思う。もう完成したのでリビンクジョナサンに行く必要もなく家で直して再送付した。大学から何も言ってこないところをみると、そのまま翌日出したものも受理された模様。卒制の最終面談では先生達が校閲した箇所を自分で直してその場で提出、とある。まだまだ卒制は終わっていないのだと思った。

また話が逸れたが、そこまでやってもう消耗しきって倒れていた。滅茶苦茶になった部屋のベッドに横たわり、しばらくはまた鬱で引き籠りになるのかなあと思った。私は時々エネルギーがすっからかんになる時があり、パワーは小出しにしようといつも思うがなかなか自分ではコントロールできない。卒業制作でもう本当に気力も体力もゼロだった。でもあのトークイベントにだけは行かないと絶対後で後悔するとわかっていた。最後の力を振り絞って家を出るつもりが考えただけでなんだか力が出てきて驚いた。この日の家族は娘が塾で夫は娘を迎えに行って夜遅く一緒に帰ってくる。息子はちょっと遅い時間の英会話教室があり、いつもは私も参加するのだが欠席することにして、「ひとりで行って」と言い渡した。多分ご近所さんと一緒に帰ってくるだろうと勝手に解釈してその方に「お願いします」とメールしようと思っていて忘れたが、ちゃんとそうなった様子。どうもありがとうございました。

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このトークイベントは対談する相手方がクルミドコーヒーの景山知明さん。私は実は、景山知明さんの存在をこのイベントで初めて知った。なんていうか、クルミドコーヒーは昔から大ファンだったけれど、誰がどのような想いで運営されているかとか店主の方については知識はゼロ、この方は多分オーナーみたいな感じで、店を運営されている方々や店長さんは昔クルミドコーヒーにいらした古〇さんみたいな人で、そういうクルミドコーヒーという共同体に興味があり胸をときめかせて時々武蔵美に行く用事があると立ち寄ったりしていた。文学フリマでクルミドコーヒーが出店すると知り、スタッフの方に最近のクルミド事情を聞いてみたいと楽しみにしていた、もちろんコーヒーも。「ううん、クルミドコーヒーが飲める」と楽しみ過ぎてお邪魔した。そこで話の切り口として「今日は影山さんいらしてないですよね?」などと、いない前提で話しかけてみたらご本人だったという。なんと!影山さんご本人が珈琲の販売をしていてびっくりした。エプロンをして普通に立ってらして、私はスタッフのひとりだと勘違いした。少し挙動ってしまったが、トークイベントに行きますと挨拶をしてコーヒーを買った。近くにいた他のスタッフの方に古〇さんの近況を聞くと、故郷に帰られて活躍されれいると聞いて嬉しくなった。初めて行ったクルミドコーヒーで胡桃割を買った時、ああでもないこうでもないと一緒に悩んで下さり、スタッフのホスピタリティの温度が人気の秘密でもあるのかななんて思ったものだった。そんな店を創った方から直接コーヒーを買ってしまったあああ!嬉。早速ネットで色々な記事を読んでしまった。

そんな私的にはL'Arc〜en〜Ciel のhydeさんと並んでもおかしくない二大スターとなった方々のトークイベント。倒れている場合ではないと気付き、速攻で晩ご飯を作って支度をして家を出た。最近大学の授業や小学校の面談なんかに遅刻してしまう、もう絶対今日は遅刻しないと早めに行ったら本当に早く着きすぎてしまった。会場の準備もまだ出来ておらず、スタッフのひとりと間違えられて色々な方に挨拶をされてしまった。なんだかおかしいなと確かめると、イベント開演の一時間も前だった。丁度影山さんもいらして、ご挨拶をさせていただく。この「させていただく」という言い方、へりくだり過ぎのビジネス慣用句のようで私は好きではないが、今日はまさにそんな感じに思った。文芸フリマでご挨拶させて頂いたせいか覚えていて下さったよう。一時間もあるので今日販売の書籍を買って読むことにした。佐々木さんの本の他に、影山さんの本も販売していて二冊購入。私は「自分にご褒美」という言葉も好きじゃなくて、こう言う人を見ると「あなたは犬ですか?」と聞きたくなるし自分は犬じゃないからご褒美などいらんと思っているが、この二冊の本は私にとっての人参だったのかもと思った。こうしてちゃんとこの場で手に出来て、卒業制作のゴールにやっと到達したように感慨深いものがあった。

※今日はこれからご招待頂いた演劇を観にいくので続きはまた後で。

2016.12.22続き

時間になり開場し、私は三番目くらいに会場に入った。一番早く来たものの本を読んでいるうちに受付が始まっていた。私は来てすぐ本を購入がてら受付を終えたので、そのまま場内に入る。すでに5~6人の方がどの席にしようか考えながらゆらゆらとしているところで、私もまさか一番前は恥ずかしいのでちょっと後ろにしようとか、でもせっかくなのでと前から二番目の席に座った。すると私の周りとかすぐ後ろ辺りにどんどん人が詰まってきた。最前列はなかなか人が来ない。これで最後に来た人が一番前、なんてことになったらなんだか私も含めて早く到着した参加者が「ああ、前が埋まってしまった。どうして勇気を出して前に座らなかったのか」という微妙な距離の未来の後悔が、あっという間に透けて見えた私は勇気を出し最前列に移動した。しかもお二人の間に座るようなVIP席!最近の私は何かが憑いているのではないかと勘違いしてしまった。そしてその幸せの御すそ分けとして、「みなさん、せっかくなのに勿体なくないですか。前空いてますよ」と誰ともなく声をかける。すると、それもそうだと思ったのかさあっと最前列に何人かが座りだした。幸せの福音的声をかけたせいか隣に座った女性の方に色々お話をさせたいただく。そのまたすぐ隣の方とお知り合いのようで、お二人は佐々木俊尚さんのサロンのようなグループに入っていらっしゃるよう。一度遊びに来て下さいとお声かけを頂いく。せっかくなのでと蒼い鹿の名刺をお渡ししたけれど、大丈夫だったかしらん。

そして待つこと数分、佐々木さんが登壇されて講演が始まった。『そして、暮らしは共同体になる。』の内容から、プロジェクターで様々な地方都市や古びた町を写しながら様々な取り組みの事例、ご自分が住んでみえる街のお話、町全体をリビングとして活用している稲垣えみ子さんの紹介など。あっという間に時間が過ぎて、次は影山知明さんとのトーク。クルミドコーヒーだけでなくシェアハウスも運営されているそうで、カフェは共同体と繋がるための手段のようなもので、家(内)でもあり外でもありレイヤー化するような世界を目指しているなどと様々にお話されていた。私の悪いところは物忘れの激しいところだが、いいところはメモする習慣があるところ。お二人の金言をずっとメモしながら聞いていたのでそれをみるとスイッチが入るようにその時のお話や情景がありありと浮かぶ。でもこれらは全てその時に買った本に書いてある。内容が知りたい人は是非本を買って読んでください。ちょっと気持ちが弱った時に読んだり眺めたりすると、小さくなってしまった勇気が膨らむ話がたくさん詰まっていると思う。特に佐々木さんはこの本を書くにあたり、16万字を3回くらい2年半かけて文体まで変えながらまるっと書き直しながら完成させたのだそうだ。作家というかジャーナリストって大変そう、出典や論証、様々な配慮を鑑みながら紙の本になるまでにどんなに努力されただろうかと考え、いつもこういうちょっと難しそうな分厚い本は半分くらい読んで積んでおかれてそういうものの山で今部屋がパンパンな状況だが、この本はしっかり噛締めながら読みたいと思う。最後に影山さんから佐々木さんへ三四点ほど質問があり、最後に私たち聴講者の質問タイム。いつもこういう時には手をあげる私だが、この日は手をあげなかった。佐々木さんと影山さんのお話は興味深いものばかりだったか、初めて聞く内容ばかりで自分に取り入れるのに精いっぱい、咀嚼して理解して質問を出すまでには至らなかったということだと思う。でも一点だけお二人に聞いてみたい事があったが、なんだか失礼にあたる気がして言えなかった。それは最初に司会の方が「今日お二人は初対面で」と言ったひとこと。私はてっきりずっとお知り合いでなんやかやいつも今日のトークのようなお話をされているものばかりに思っていた。影山さんが質問の中で「なかなか佐々木さんに(カフェに)来て頂けない」と話していらして、そうなんだ、私はてっきり佐々木さんはよくクルミドコーヒーに行かれているものとばかり。でもそうだなあ、佐々木さんはクルミドコーヒーというよりどこかのホテルのロビーで要職の人にインタビューとか代官山蔦屋でノマドとかそういう感じかなあと代官山蔦屋は行ったことないけれどそんな風にも思った。それで「今日トークイベントは誰の希望でこのマッチングが実現したんでしょうか」と聞いてみたかったのだけれど、会場の空気感がそういう個人的な疑問を受け入れるムードではなく遠慮することにした。こういう疑問は持ち続けていると何かのタイミングでふとわかる事がある、その時を待つのだと思ったらすぐに解決した。終了後司会の方が近くにいらしたので聞いてみた。なんの事はない、出版社がアレンジしたということだった。

講演の後は佐々木さんにサインして欲しい聴講者で列が出来ていた。私はちゃっかり一番に並び、写真まで一緒に撮ってもらう。その後影山さんにもサインして貰いたいと思ったら、影山さんの方は列でなく黒山の人だかりのようになっていた。誰かが話し終わったところに切り込んでサインだけ貰おうと思ったがなかなか隙間が出来ない。じっと待つが影山さんはひとりひとりに丁寧に話していらしてこのままでは一番最初に来て一番最後に帰る人になると思った。時間をみるともう21時近い。お猿ちゃんが私を待っているような気がして帰ることにした。無理に今日サインもらわなくても、疑問がすぐに解決しなくても、実が熟してコロンと落ちてくるように、いつかまたそういう機会も私の手のひらに現れたりするかもしれないと思ったのだ。

外に出るとすごく寒くて「おおさぶっ」と使い古された慣用句のようなセリフが口から出た。街はすっかりクリスマスの輝きで彩られ、「クリスマスどうしよう、どうしようもないからまたおばあちゃんに頼んだのだそういえば、じゃあ何かお土産、何がいいだろう」などとすぐに日常のあれこれが頭を過る。後ろを振り返るとビルの中でまだ影山さんに人が集まっている。その隣の看板をみると、「日仏文化会館」とあり、また大学の事を思い出した。仏ということはフランス、先生まだ怒っているかなあと思い出し、いつもの如くガッツリ叱られてしまった地獄と叱ってもらえたという天国へと気持ちが上がったり下がったり右往左往行ったり来たりてした。すごく忙しい。私が暇なのか忙しいのかわからないのは、外見はぼおーっとしていて頭の中は色々なものでフル回転しているせいだと思う。外と中のギャップが凄すぎて、一般人には拒否されてしまうのかもしれないと思った。やはり私にぴったりの大学は武蔵美なのだと思う。いつか自分のアトリエがある家に住み、武蔵美を卒業したいと思う。武蔵美では誰も私を叱らなかったわよ。ともかく今の大学のあの件も卒業も、豊洲こども食堂も年内に目途がついて良かった。年明けは落ち着いたものになる予感。きっと来年はいい事がたくさん待っているに違いない、今日こんなにいい事がたくさんあったのだもの。やっぱり行動してみないと世界は変わらないのだと思った。久しぶりに好きな事が出来てとてもいい一日だった。

そして実はもうひとつ疑問があり、『そして、暮らしは共同体になる。』の「。」の意味を聞いてみたかった。普通、本のタイトルって「。」つかないじゃないですか?わざわざつけるのはどういう意味なのかなあと。ちなみに佐々木さんの本でもう一冊「。」のついているものがあるが、口語文的タイトルだと「。」なのか、でもそうみえるものでついていないものもあり、何故なのか余計に気になった。聞いてみたい!でもきっとこれもいつかふとした拍子に手のひらにコロンと落ちてきて解決するかもしれない。このblogを佐々木さんが目にしてどこかに書いて下さって読めるかもしれないと期待したい。そうだ、何かもう書いていらっしゃるかもしれない。早速ぐぐってみよう。(完)

昨日までの3日間のスクーリングが終わり、その合間にも色々があり今日はちょっとくたっとしている。でも卒論の締切があと一ヶ月に迫り、スクーリングのレポート、課題、テスト、仕事の締切は明日まで、子ども食堂の準備や各機関への周知、お礼などなどする事はてんこ盛りで、「11月になったら余裕できるから連絡する」などとあちらこちらに言っていた自分を叱りたい。でも12月14日過ぎれば今度こそ時間が出来、あれもこれもそれも全部大丈夫だと思うのでよろしくお願いします。

最近ブログ書く時間がなくなってしてしまった。スクーリングに参加している方々にも「ブログ相変わらずすごいね、いつ書くの」などと褒めて頂いたが、ブログを書いていた時はブログだけ書いていたから出来たのだ。だいたい朝から書いて、半日くらい校閲し修正加筆、なので本当にやらないといけない方は「なんとかやっている」状態で全然思うように出来なかった。

ブログ書く前は大学の勉強もしっかりやっていて、一年で41単位とれた。我ながらすごい。それがブログを書き出してから全然勉強が疎かになり、あの事件もありでモチベーションがガックリ無くなってしまい、今年はやっと21単位(そのうち8単位は未修得)で卒業要件62単位ギリギリ。ブログを書いていなければ大学でも様々な騒動に巻き込まれることもなかったし、成績優秀で表彰も得られたかもしれない。その前にもっと単位がとれただろう。

でもやっぱりブログは書いて良かったとも思う。でも悪かったとも感じる。トータルすると自分的には損をしていると思うけれど、こども食堂という活動に繋がったり「私もそう」と実際に声をかけてく゚ださる方もみえて、なんにもなしで知らん顔して暮らすよりは自分らしく生きられたように思う。これから一ヶ月の間、こども食堂のブログは更新するけれど、こちらはしばらくまたお休みになると思う。

毎日毎日色々なことがあり、じっくり書きたいけれど時間がないのが本当に残念。過ぎてしまって思い出しながら書くというのは性に合わないので多分もうこのままだけれど、FBやTwitter、インスタグラムの方ではざくざくやりたい。でもSNSの特性の中で、私はやっぱり事件や出来事を一覧で観られるblogやインスタが好きなのだと思う。TwitterやFacebookって情報が流れて下の方にいってしまう、それはなんとなく勿体ない気がするのだ。ということで今からまた最後の追い込みで色々やりたい。

と、意気込んでいるところにおめでたいニュースが。我らが小池百合子さんのフィクサー音喜多駿さんと三次由梨香さんにお子さんが誕生したと記事が流れてきた。昨日TOYOSUマラソンで挨拶されると聞いていたのに、他の方の記事をみると三次さんがみえないのでもしやと思ったらまさかの。今朝早く可愛い女の子が産まれたそう、おめでとうございます。タイムラインが祝福のメッセージでいっぱいになっていた。今日は68年に一度のスーパームーンの日、そんな日にご出産なんて由梨香さんらしいなと思った。本当におめでとうございます。ゆっくり休んでまたみんなを明るく照らしてください。

そして偶然今日はうちの息子の誕生日でもある。8歳になる彼は、私のせいで物心ついた頃から様々なものに巻き込まれ大変な目に遭ったが、今はそんな気配すら感じられない程逞しく成長してくれた。それもこれも私ではなく、やっぱり周りの暖かい目や救いの手のお蔭だったと思う。人間関係で傷ついた者は、人間関係でしかそれを癒せないという心理学的学説があるが、本当にそうだと思う。本当にありがとうございました。私も大学なんかもう嫌い!とか言うけれど、やっぱりこっちの大学に入学して学友に恵まれたのは良かったと思うし、傷を癒せたように思う。

話変わって私は大学の卒業式には出席しない。しないのではなく参加出来ないのだ。この夏にもう一日も大学に通わず通信科目だけで卒業すると決めて、その通りにしていた。理由は、Oが原因でトラブルが起こり、もう大学に行きたくなんかないと思い詰めたのだ。実際にそのO私がそうなることを見越して策を立てたのだと思う。(Oは新任の講師、私は先生とは呼びたくない、先生じゃないから)

組織のハラスメントを防止しなくてはならない理由は正にここにあり、学びや勤労意欲などのモチベーションがあっという間に消えてしまうからだ。自分がそうなって本当にわかった。もう一ミリも大学の勉強などしたくない、出来ればもうこのままやめたいとも思った。京都造形芸術大学通学なんかに編入した自分を呪った。学友達は心配して何があったのかと聞いてくれたり、聞いてこないけれど察して慮ってくれている空気はひしひしと感じた。なので学友達にも申し訳なく、余計大学を遠ざけていたのだ。

実は私も、僕もと、大学が嫌になりやめたい休学しようかと言う学生が、文芸コースには割といる。「私だけじゃないんだ」というメッセージがあちらこちらから届いた。神様はいるというのかいないというのか、そのあたりからのものではないだろうか。

また通信と通学の単位を数え間違えて、まだまだせっせとキャンパスに通わないといけない事態となった。そんなあたりから学友ともまた交流出来て話してほっとし、少し立ち直った。そこから様々なTODOが流れ込み、悩む暇がなくなったのも良かったかもしれない。やっぱり人に傷つけられた私は、人により癒されて立ち直れたのだ。

そんなこんなで事務局の方のご支援により単位もなんとかなりそう。だが卒業要件と卒業式の要件は違う。京都造形芸術大学通学の卒業は3月末と4月末があり、卒業式は3月末。4月末に卒業要件が整うものは卒業式に出られない。来週滋賀と京都を周る授業があり、これに出席すれば卒業式には出られるが、私はこの授業をキャンセルした。忙しくなったのもあるし、指を三針も縫うけがをしたというのを理由にしたが、本当の理由はちょっと違うところにある。二年前武蔵美で編入するための単位のために頑張っていた私なら行っただろう。

でも今の私、どうしても京都というか、関ケ原を超えて向こう側に行く気にならない。大学本部のある京都に行きたくないのは前提だか、ひとりで旅行する気持にならないというのもある。そんな風に未知の土地を訪ねるならひとりじゃなくて誰かといきたい。そして今は心身ともに消耗して弱っているところ、夫の背中にくっつくか子どもを抱えて暖かい寝床でうつらうつらして体力を温存したい。ただの怠慢ではない「今はそんな気持にとてもなれない」のだ。

その授業の代わりに、翌年1月の「日本美術史」の授業を受けることにした。琳派、狩野派、伊藤若冲。武蔵美から始まり足掛け8年の長い美大生活で、すっかり日本美術が好きになった。

昨日は私が大学嫌いになったきっかけとなったOの授業は出席を拒否られ、追加募集のあった同じ日程の、歴史学のコースの授業を受けることになった。コース外の授業はあまり気がすすまなかったが、結果的には受けてよかった!本当に素晴らしい講義だった。

論文を書くためには何をどうしたらいいのか、各分野の第一人者の先生がオムニバス形式で講義された。 先生たちは古典芸能を調査するために鼓などの古典芸能を自らも学ぶとか、古文書(こもんじょ)を探して発見した時の喜び。それらを実際に拝見したり、先生達がどんなに苦労をして調査分析しているか、でもそれらが本当に楽しくて仕方ないというのもよくわかった。京都の大学ならではだろうか、歴史遺産コースが人気の理由もわる。なんていうか、浪漫に満ち溢れている。



この授業は三年次から受けられるとシラバスに書いてあるが、入学したての一年生から受けるべき授業ではないだろうか。自分の学ぶジャンルの未来や到達点についてイメージしやすい。また、学生の論文というと先行資料をまとめるものが多いが、こうしたもう一歩踏み込んだアプローチの仕方で、新知見(しんちけん:全く新しい発見)が得られるかもしれないというロマンは、学びモチベーションを高みに誘うだろう。私ももし、武蔵美でも京都造形でも初年度にこういった授業を受けていたら、卒業制作は全く違うものになったと思うし、もしかして違うジャンルに進んだかもしれない。

それに、何かひとつの事に興味が湧くと、徹底的に調べないと気が済まない粘着質な私のこの性格は、こうした研究分野にもしかして向いていたかもしれない。私って本当にしつこいから。 今、卒業制作をギリギリになり四苦八苦しているが、作品を何度も一から書き直しているせいで、研究がすすまないといった類ではない。もしもう一度大学生が出来るなら、今度は「研究論文」を書いてみたいと思った。 

と、話が逸れたが本当に意義のある素晴らしい授業だった。科目名は「文化史特論」。歴史遺産コースの必修だそうで、定員オーバーで受けられない場合もあるが、是非受けることをお勧めします。

という事で、次回大学生活最後の授業は東京で、外苑キャンパスで授業を受けることにした。そもそも私は「東京のキャンパスだけで卒業出来るから」という前提でここに入学したのだ。卒業式だって最初から出席するつもりはなく、卒業証書だって事務所にさらっと取に行く感じで全然かまわないと思っていた。

でも卒業式に出たいと考えだしたのも、学友が楽しみにしている人が多く、それなら私もと思い出したのだ。でも今は大学に対する感情や想いは「みんな」とは全然違うものになっている。それでもみんな違ってみんないいと分かつことなく仲良くしてくれて、感謝せねばなるまい。 卒業式に出席出来ないのは残念だけれど、みんなと縁が切れる訳ではない。自分がアサインしていない文芸コースの授業でも、私が行くとなんだかんだ学友達が代わる代わる話しかけて構ってくれて嬉しかった。

女子達が群れ群れてお喋りしてるのはまさに女子大生という感じ。年齢は関係ない、みんな女子に戻って学び群れてお喋りして姦しい。あとちょっとでこうした雰囲気とお別れかと思うと、寂しく感じられた。今日で文芸コースのみんなとは、実質お別れの日なのだから。 そのせいもあり、休憩時間は何度も教室をのぞきに行ってしまった。       

さて、私が武蔵美に入学して初めて書いたレポートは「日本美術史」だったというのを最近思い出した。なぜなら最後に書くだろう課題は、京都造形芸術大学の「日本美術史」になりそうだからだ。なんというか、面白い偶然だなと思う。それにしても、通信生とは思えないくらいなんか色々あった、でももうあとちょっとだねえ!

徒然に書いていたらこんな時間になってしまった。今日は幸い出かける用事がないので夕飯は冷蔵庫にあるもので工夫して一日篭らなくては。全部終わったら映画みて展覧会にいって買い物にいって美味しいものを食べに行きたい。そう思いながら年をとっていくのだろうか。

最近いつの間にか息子の背が伸びた気がしていた。ぎゅっと抱っこすると頭が私の鼻のあたりまでくるのだ。この前まであごのずっと下だったのに。そうか、もう8歳かあ。あれから8年も経ったのか。息子が生まれた今日を思い出す。娘は誰に教えられるでもなく「ハッピィバースディツーユー」とずうっと生まれたばかりの息子に向かって歌っていた。私と夫ははっとして、そうだ、今日はゼロ歳の誕生日なんだと思ったものだった。娘をうんと褒めたいい思い出。

うちで食べたパティスリーSAKURAのケーキ

おばあちゃんちで食べたケーキ

大学卒業したら今度は何しようと考えて、美術史だの版画だの大学院だの心理学だのパートだの色々思うところはあるが、まずはお母さんを一年くらいはちゃんとやろうと思った。

息子の誕生日と気付いて慌てて作った。


昨日は午前中はライターの仕事、午後はこども食堂のイベントに出掛け、夜は子どもの英語教室参加となかなかにハードな一日だった。その合間に娘の好きなもつの煮込みを作る。いつもは適当な味付けだが、昨日はもつのパッケージに書いてある通りに作ったらなかなかに美味しく出来た。といってもシンプルに「①大根、ニンジン、蒟蒻、をひと口大に切る②出汁1リットル(5カップと表記してあった)で野菜を煮る③もつを入れて味噌大さじ5醤油大さじ2酒(もしくはみりん)少々で味付け」ただこれだけだが、美味しいもつ煮が出来た。大根半分、人参一本、蒟蒻は大き目一枚、それからネギがあったのでこれも適当にカット、半分使いかけの玉葱も入れたら甘味が出て美味しくなった。大なべ一杯作ったのにほとんど売れてしまった。もつは茹でてパックにしてありすぐ食べられるやつを使ったせいで、臭みもなく美味しかった。娘に作り方を教えて作ってもらおう。なんだかんだ自分で料理を作る、料理が好きというのは健康で美しく生きる為に不可欠で、女の子ならやはり料理を覚えて貰いたいと思う。

また前置きが長くなったが、ライターの仕事が終わったのが12時頃。チェッカーにかけてクライアントに送信。今は一ヶ月一本しかやっていないが、単価でいうと始めた頃の10倍になっている。これもひとえにライターの師匠が「締切は必ず守る」とか「信頼を積み上げろ」と教えてくれた賜物だと思う。師匠と出会っていなかったら、もしかしてバックレとか締切守れなかったりがあったかもしれない。そして多分一回でもそう言う事があると、もうお仕事は貰えなくなったりしたのではないだろうか。webライターは星の数いるし、クライアントも同様、でもやはり自分に合った媒体で仕事をしたいと思った時、信用がものをいうのではないかと思った。当たり前だけれれど大切な事って、私も含めみんなわかっているのに出来ないのはなぜだろう。

ということで上手く前振りが出来たところで午後からは「広がれ!こども食堂の輪!全国ツアー」というイベントにお邪魔してきた。


イベントというよりも最近全国に広がってきてムーブメントにもなりつつある「こども食堂」について、実際に運営している方や支援している団体などの決起集会だった。14時受付14時半スタート17時終了。おさるちゃんの英語教室は直接行ってもらうようにお願いした。行きに小学校の前を通りかかったら首尾よく捕まえることが出来「ママは出かけるから直接行って」と告げると目がキラーん☆と光った嫌な予感。まだまだ目が離せないが、もう大きくなってしまったし、心理学の師匠によると「6歳まではたっぷり愛して、7歳からは見守って」ということらしいので、7歳になった現在はもう見守るしかないのだ。それでも色々あったが元気いっぱいに育ってくれて、本当に良かったと思う。

そんなこんなでイベント会場に到着。場所は早稲田奉仕園スコットホールというところだった。有楽町線で飯田橋で東西線に乗り換え二駅目。早稲田で降り2番出口から地上に上がるとそこにビッグイシューを販売されている方がいて、一冊買って写真を撮らせていただく。顔がうつってしまうので足元だけ撮りましょうかというと、もうテレビや雑誌に何度も出ているから大丈夫だと言われる。以前神保町の方もそう言われていたなと思い出す。写真をとってインスタにあげて、それを見て貰ってスコットホールの場所を聞いて後にした。ビッグイシューも素晴らしいシステムだと思う。豊洲駅前には色々な議員さんが演説をしているが、その隣で販売してもらえばいい感じに豊洲にも浸透すると思うのだが如何だろうか。議員さんの中にも私の顔をみてスラーとする方と、ニコニコと声をかけて下さる方がいる。スラーの方はボスママ系列になっているのかもしれない。ニコニコの議員さんにお願いしてみようかなどとチラと思った。 

こんな風に販売されています。

さて本題、スコットホールに入り受付をする。

みれば以前別のこども食堂イベントでお会いした方が会場案内をされていた。以前のイベントの方がいらしているとか、次のこども食堂開催の時にお邪魔させて下さいなどと話す。その方達とお会いしたのは夏の初めごろだった。やりたいやりますと言いながら、「豊洲こども食堂」はまだ実現していない。まず第一に場所がない。これについては方々から情報を頂くのだが、だいがい「豊洲」ではない。大島とか北砂とか枝川などで、私の拘りはやはりここ「豊洲」でスタートしたいと考えている。その理由は以前にも書いたが、「居場所がない」というお母さんが結構いるのではないかと思うからだ。もちろん豊洲に住むくらいだから経済的にそんなに困窮しているという訳でもない、住むところは分譲マンション、子どもはうじゃうじゃいてそれに伴いママ友達もじゃかすかいる。でもそういう場所だからこそ孤独になってしまう人がいるのだと知った。その孤独の頂点にいるのが私なんじゃないかと思う。「ブログ観てると忙しそうで友達も多くて」などと言われるが、全然そんなことない。未だに「ママ友」の世界ではやっぱりつまはじきで村八分だし、ボスママ軍団の一味にはシラーとされるしその人達とつながる人達は、今まで普通に話していたと思ったら次の日はシラーの人に変わる。こんなブログ書くからなどと言って「くれる」人、今まで普通に接していたけれどもうあなた側と思われるのは心外、豊洲のお母さんたちと仲良くするためには仕方ないと思ったからだと思う。「私が」嫌いなのではない「誰か」の目が気になるだけなのだ。でももうずっとそんな事ばかりだったので「またか」と思うし、「やっぱり」と感じる。でも「好きにすればよい」と思えるようになったのは自分も好きなようにすると思えたからではないだろうか。ブログだって誰になんと言われようと事実は事実で、それに反対する人達がいたとしたら後ろめたいものがあるからだろう。

そもそも私はブログを書き出してからひとつの夢があった。それは豊洲にママが気軽に集えるカフェがあれば、それを自分が作ってみたいと考えたのだ。もちろんこんな地価の高騰している場所にカフェなんて出来るはずもないしツテもノウハウも資金も知識も資格全くないので本当にただの夢なのだが。お茶やコーヒージュースなどの飲み物や軽食が出され、100円とか200円とか時にはフリーディなどつくり、気軽に誰でも立ち寄れて、あちらこちらに置いてあるフライヤーで情報提供などできて、口コミの情報交換が出来るようにボードなども張り出し、そこに来た人に色々書いてもらったりする。ただし、ここからが重要。来る人は単体が条件。誰かと連れ立ったり、ママ友同士では参加できない。ひとりで、もしくは子どもと一緒に来る。待ち合わせも禁止。巧妙に素知らぬ顔で「あらあ偶然」などと待ち合わせたりしたら私の隻眼で見破ることになっていて、何度も繰り返す人達は出禁にもする。ひとりでふらっときて一人を楽しみ、そこに来たボッチ同士で色々悩みを話し合う。もちろん私のブログについて疑問点などは受け付けるし、こういう話を書いてなどと言われれば差し障りのないようにしかし赤裸々に書いてみたりするのだ。こども食堂を知ってから、ああカフェでなくとも食堂をすればいいのだ、しかも「こども食堂」という名前は最早「社会的ボッチ」の支援のための仕組みと名が知れている。これをそのままやればいいじゃないと。どこやらのNPOやボスママ軍団達がやり始めても、そういうギラギラした人達がこぞって集まるだけで本来の意味は全くなくなるだろう。そんなの「こども食堂」じゃない「ママ友食堂」だろう。うへえ、絶対近寄りたくない。そうではなく、行けば誰か自分と同じように傷ついたりそういう経験をしてへたっている人たちがいると思えば、社会的ママ友界弱者は集まりやすいのではないだろうか。などと考えたのだ。

私にこども食堂を教えてくれたのは、葛飾区でレインボーリボンという活動をされている方。最近はまた大学やら色々の用事がバッティングして行けていないが、その前はその方主催、もしくはパネリストなどで登壇される際はお邪魔したりした。もともとは学校内のイジメをゼロにという運動をされていて、そこに外国人ママのために学校のお知らせを翻訳したり通訳したりする活動、さらにこども食堂と広げていかれたそうだ。その方も言ってみえたが、最初はそんな余計な事をするなという反対派、何よ目立ちたがりというやっかみ、面倒だから協力したくないというのらりくらりしたものに囲まれてなかなか想いは実現しなかったそう。でもずっとコツコツ続けていたら、だんだん波が出来てきたり協力者が現れたりと形になってきたそう。丁度こども食堂やら香山リカさんの講演会やらやりたいとあれもこれもと気持ちが焦るばかりで何も出来ないとがっかりしていたところ、それを聞いてそういうものか、私もいつかはなんとかなるかしらなどと勇気付けられたりした。

話を戻してイベントのお話。スコットホールは「奉仕園」という名の通り、キリスト教教会に繋がる施設だった。建物は歴史のありそうなレンガ造りのチャペルだった。

趣のある煉瓦造りのチャーチ

あちらこちらの看板や張り紙でスコットホールの役割などを知る。いいですね、こういう施設。新しい街豊洲にはこういう施設は全くない。豊洲みずべだの児童館だのは揃っているが、悩み多き人達の憩いの場と言うのは全くない状況ではないだろうか。

※今日もまた色々あるので続きはまた明日にでも。詳しくはこちらをご参照ください。

ニュースはこちら。





 
会場では書籍販売も。もちろん買ってきた。


2016.09.30続き。

などと余計な事をまた書いてしまった気もするが、キックオフ大会は大盛況で、大勢の方が次々と熱くこども食堂の今までこれからなどを語ってみえた。その他「フードバンク」のお話など。ポイントとしては社会的孤立のひろがりや、だからこそ「誰をも排除しないまちづくり」が大切ということ「協働」の意義とポイントなど、地域福祉実践の難しさ大切さなど学べたように思う。社会的孤立というと、ほんの一部特殊な人のように感じるが、自分達にも可能性のあるすぐ近くにある未来だろう。例えば2030年には全世帯の3分の1が単独世帯に、7世帯にのういち1世帯が単身高齢者世帯に、10世帯に1世帯がひとり親と子どものだけの家族となるらしい。(日本の世帯数の将来推計2014年4月国立社会保障人口問題研究所資料より)

2030年といったら東京オリンピックが終わってすぐ10年後、今年からカウントしてもたった14年後だ。今からしっかりママ友付き合いご近所付き合いというのも大切だと思うが、目に見えない孤独を抱えている人達を気遣い寄り添うという練習も必要なのではないか。例えばどこかのご主人が亡くなり子どもも独立してひとり暮らしだとする。いつも仲良くしていた元ママ友なんとかさんは病気がちで子どもが引き取ってどこかへいってしまった。ひとりで孤独をどうしたらいいのか、などという際に、自分が何か活動をしたりそうでなくとも気配りなど出来るようにしたおけば、逆になっても支援も受けやすいのではないだろうか。

ともかく「孤立した生活」というのが今後はますます一般化するらしい。私だってひとりになりたい夢は独立などというが、わざわざそうしなくても子ども達が独立し夫が先立つのは(自分が先に死ぬという未来はない)そう遠くもないのだと知る。2030年といったら自分も初老だし子ども達が自宅にまだいるとも考えにくい。だとしたらあっという間に独居老人になってしまう。そんな時に「こども食堂」のようなところがあれば、例え月に1回か2回でも誰かと共に夕飯を囲めるところがあれば、嬉しいのではないかと思うのだ。

そんなこんなでとても刺激になった。その後お猿ちゃんと英語教室。いつも微妙な時間なので彼はうとうとうることが多いのだが、今日はさすがに私も船を漕いでしまった。

昨日月曜日は小学校運動会の代休だった。特に予定も入れず、映画でも観に行って秋の準備など一緒に買い物をしたり豊洲スウィーツを楽しもうと目論んでいたが、映画は娘が行きたくないと断られた。それならせめてと豊洲ビバホームに出掛けてついでにランチをしたが、プロシュートに目をつけた娘に散在させられ、サイゼリアランチ二人で3,000円という豪遊をしてしまった。まあ私がワインデカンタとグラスビールを頼んだせいもあるんですけれどもね。ワンコインランチにドリンクバーで1,220円で済むところがまさかの。

娘はサイゼリアに来たのは初めてらしく、「ふうん、なんか面白いね」などとご機嫌だった。多分次は夫を誘い最初からプロシュートダブルを頼むだろう、連れて行ってよかったのか悪かったのか。これもママ友付き合いをしていない弊害なんだと思った。普通お母さん同士でサイゼリアに来ると、そんなに高いもの珍しいメニューなど頼まない。だいたい同じ相場の値段のものを頼み、子どもはキッズメニュープラスフリードリンクでジュースを楽しむという事になっている。昼からアルコール飲んでるママさん達もいるけどね。 ともかくそういうファミレスにきた時のセオリーを知らずに娘は育った、まあ今更仕方ない。

食事をしながら色々話す。子どもが学校の話をするので私も流れで大学の友達とサイゼリアに行って楽しかった話などをすると羨ましがっていた。飲み文化を否定する人もいるけれど、やっぱり飲みながらだど色々ぶっちゃけられて楽しいとか、最近は大学行きたくなくて困るけど単位取らないと卒業できないから我慢して行ってるなどとここでも娘にぶっちゃける。「授業料払ったら何がなんでも卒業しないと損じゃない?」と、将来娘が大学嫌になって中退したいなどと言いだしたら思い出してもらって「あのママだって我慢してたくらいだから」と卒業を目指して貰えるようにと少々熱心に話した。

先生とか親とか尊敬出来て好きになれればそれは幸運だと思うけれど、ある程度大人にならないと選べないもの(子どもの担任の先生のことではないです)だし仮に将来そういうことがあっても気にしなくてもよい。ママだって大学に大嫌いな先生がいるけど仕方ないと思ってるとか、一番大事なのは一心不乱に勉強することなど。無事に学業に専念するとか卒業するとか休まずに行くということが大切などと、最近友達に諭された内容をまるっとそのまま伝えてみる。娘は聞いているのかいないのか、プロシュートお代わりなどと神を冒涜するような事をほざくが、飲んで気が大きくなった私は「まあいいか」と追加してやった。「だから太るんだよ」とピリッとスパイスも効かせてやりつつ。食べる前に色々な買い物を済ませておいて良かった。でなければ娘の言いなりにあれこれ買ってしまったかもしれない。



その後帰って私は疲れて昼寝をしてしまい、娘は多分買ってやったばかりの毛糸でマフラーを作っただろう、寝てたので知らん。クリスマスにおじいちゃんおばあちゃんに贈るのだと張り切って毛糸を選んでいた。ちょっと寝て夕方起きて夕飯の支度をした。

秋刀魚の塩焼き、サツマイモご飯、きのこ汁、入り豆腐、キャベツと胡瓜の塩もみという、安定の和食。facebookでみかけた秋刀魚に切込みを入れて焼くと身がはがれやすくて食べ易いというやつを試してみた。いい感じだった。帰ってきた夫は娘が勉強していないのでまたギャーギャー怒り出した。「なんで勉強させないんだ」と私にまでとばっちりが来て嫌な感じ。サイゼで飲んだなんて知れたら余計にdisられるだろう。内密にしなければ。

ということでワープして今やっとひとり。専業主婦になってから土日祝日が本当に苦手になった。自分が用事があり大学や勉強会などに行く日はいいが、そうでない時は家族と、特に夫と一つ屋根の下にいなければならない。私が家にいるとなると最近はずーっと文句を言っている、もしくは他の家族を大声で怒鳴りつけている。うるさいのでなるべく離れた場所にいると、よく聞こえるように更に大きな声で放言し出すので本当にたまらない。私が何もしないというのは定番の罵詈雑言になっており、たままたコンサートで帰宅時に不在などという日があれば「もう君がいなくてもみんな大丈夫だから出て行ってくれればいいのに」とか「あの時の喧嘩でこれを投げて壊したから弁償してください」とか「全く家のこと何にもしなくて昼間何やってるんだ」と、私が作った手作りの食事をもくもくと食べながらそれはないんじゃないの。こんな風に同じ文句を毎回毎回ループさせてずらずらと並べてならが更にコピペされながらバージョンアップしている。

でもこれら「何もしていない」というのは本当だが実はそうではない。何もしないのは、もう夫や家族の前で何もしたくないからしないのだ。例えば新婚時代は夫の前で甲斐甲斐しく働くのが嫌ではなかった。もともと家事は嫌いでない。料理はもちろんだが、後片付けをして食器やシンクがピカピカになると嬉しいし、洗濯物がパーンと陽に晒されているのをみると気分がいい。床はチリひとつなくつるっと輝き、あちらこちらの棚は綺麗に整頓され、何もかもが整列してそこにある。時にはケーキを焼いて美味しいお茶と共にふるまい、最近の世界情勢や経済のトレンドなどについて語り合う。小さく囁くように流れるのは厳選された名盤のクラシック。そんな時もありましたね、今は片鱗もありません。子どもが産まれたせいもあるし、歳月が人を変えたというのもあるし、色々あり過ぎて余裕がなくなったともいえる。

ともかく家族の前で働くのが私は嫌なのだ。私があくせくしていても誰も手伝わないし、当然のように散らかし続けるちびっ子とデブ夫。「お母さんがやるのが当然」という空気、よそではどうなっているのだろうと時々思ったりする。私以外の家族がのうのうと散らかし続け、私はそれを片づけ続けるって何か罰ゲームか自分が奴隷になったように感じるのだ。なのでもう絶対奴らがいる時は私は働かない。いない時に何もかもする。うちの実家は家事は母の仕事だった、父は本当になんにもしない人で、今でもそうだと思われる。夫の実家もそう、でも今は義父は色々手伝っているよう。ともかく家の中の事は何もかもお母さんがやるという大前提、私は一切受け入れられなくなっている。

先日運動会があり、私は24、25と大学の授業があり参観できなかった。それだけならまだしも、委員会で仕事があり担当が出来なくなった。なので夫に頼んだ。夫は大袈裟に子ども達に「これこれママの代わりにこういう仕事をする」と吹聴していた。でも今年の委員会は娘の学年で担当している。むしろいつも私が夫の代役をしていて、たまたま今回は夫が従事出来たという事になるのではないか。しかし私はそんな意地悪な事は言わない。子どもが意地悪を覚えると気の毒だからだ。

さらに夫は当日の弁当まで作る気満々で、「ママのお弁当がいい人~!パパのお弁当がいい人~!!」などと子ども達に向けて採決などしだし、そう言われてどっちでもいいと言う人はいない、張り切って作りたいという意志を子ども達は尊重していた。私は私でお弁当についてメニューを考えていたのだが、作ってくれるというなら異論はない。なのでほっておいたら当日思った通り早起きをして嬉々として夫は弁当を作っていた。出汁巻き卵を作るからと前の晩から出汁をとる気合いの入れよう。大学に行くから私にも詰めてよというと、「ええー信じられない、普通自分で作るよね」などと憎たらしい事を言いながらニコニコと私の分も詰めていた。話しかけて貰えてかまってもらい、しかも弁当を所望したので嬉しくてたまらないのだろう。私は夫の中ではつれない片思いの相手なのかもしれない。なんだかんだ「かまうな」と言われるので構わない振りをしているが、私が気になって気になって仕方ないのだ。ご近所で私の噂話ばかりするボスママ軍団とそのしもべ達と一緒なのではないかと感じる。 


苦しゅうない

そんなこんな準備していると教育委員会から「今日の運動会は中止」とメールがきて夫はがっかりしていた。「明日も作らないと、ま、いいか」などとそこはかとなく嬉しそうだった。明日もお弁当が作れる!と思ったに違いない。夫は料理が好きで好きでたまらなくなってしまったのだ。材料を吟味し、自分の好きな食材で好きな料理を好きな味つけで作る。こんなに楽しい事ってあるだろうか。私も料理だけは大好きで、料理しているとストレスも消える。夫も同じ楽しみをみつけたようだ。なので夫が作る弁当は美味しい。自分も美味しいと思うが「美味しかった」と言ってもらえる喜び、楽しみ。私が料理を好きになったのも、妹たちが美味しい美味しいと私の料理を食べてくれたからだった。実家の母は洋風の料理が苦手で、カタカナメニューはほとんど私が今も母が愛読している『暮らしの手帖』で読んで作ったものだった。特にグラタンが大うけで「お姉ちゃんのグラタンは世界一美味しい」なんて言われてしょっちゅう作ったものだった。

そのまま大人になり、ひとり暮らしをしている時も基本は自炊だった。あるものでささっと美味しいものが出来ると、私って天才だとか、家族が出来たらもっと美味しいものを食べさせようと楽しんで作っていた。いつまでも結婚しないので独身主義者と思われていたようだが、私にしてみれば「いつか結婚して家族が増えて忙しくなり自分の時間など無くなるに違いない。なので今のうちにせいぜいゆっくりと一人の時間を楽しんでいるのだ」と考えていて、自分に結婚しない人生とか、生涯独身などある筈がないと一ミリも疑わずに暮らしていた。果たして現在その通りになったが、結婚した時に何も出来なかった夫が甲斐甲斐しいママみたいになるとは思わなかった。これは嬉しい誤算でもあり、うっとうしい現実でもある。

だいたい「夫が弁当を作った」というと驚かれるが、それがそもそも男尊女卑の根源なのではないだろうか。確かに受けるだろうなとFacebookやインスタにアップしたりして関心を誘うが、これも「珍しいだろう」という自分のそういう考えも根底にあるからだろう。女は家の仕事をする生き物、男は外でマンモスを狩る性なのだと。芥川賞を受賞した『コンビニ人間』にも同じフレーズが出て来て、人は考えることは皆同じなのだと思ったりした。

でも私だって色々やってるよ!専業主婦だからイチイチやった事を言わないだけで、今日は朝から冷蔵庫の中を掃除した。棚を外し洗剤で綺麗にして、チルド室のボックスも外して丸洗い。うちの冷蔵庫は大型なので大変だった。しかもソースや何かの食品がべとべとに貼りついていたりしてこすってもとれない。やっと終われば更にキッチンの壁や棚の開き戸が汚れているのが気になり出す、それが終われば今度は床が、洗面所がと切りがない。腕がいたくなってきたところで今日はもう止めようとブログを書いている。この後だって食材調達にいったり洗濯物を干したり、夫が干してくれたものを干しなおしたり。厭味じゃなくて夫は適当に干すのでしわになったり洗濯物同士がくっついて乾かなかったりすることがある。トイレなんて数日何もしないと匂うわトイレットペーパーの屑や芯が散らかり放題で場末のご不浄みたいになる。そういうのを人知れず黙ってもくもくと綺麗にしている存在、お母さん以外の家族は「家のことは全部小人さんがいつの間にかやってくれている」くらいに思っているのではと疑念ばかりだ。

逆に夫は何かする時は自分を大絶賛しながらする。「僕って偉いよなあ」「こんなお父さんいる?」「ほらっこんな事までやった」などなど。私のいない時に何かやると後で必ず「これこれこんな事をしてあげた」と申告される。昔はいちいち「ありがとう」とか「助かる」などと言っていたが、もう最近は言われると「ねえ、それ私の仕事なの?」とイライラしてしまう。私は見えないところでやってる。家族がいない昼間、あっちを綺麗にしこっちを片づけ、ゴミを集めて大物を洗濯する。それでも余った時間で課題やったりブログを書いたり時々はランチやイベントに出掛けているといえばその通りなのだが、家庭の中で女の立場は理不尽過ぎるように思えて仕方ない時がある。働いているお母さんなどはどうしているだろうかとか考えると、なるほど専業主婦でのうのうとしているように見える私など顔をみただけでムカついて挨拶無視されても仕方ないかなと思ったりもする。つい最近「こんなブログ書いてるから子どもに友達が出来ない」などと非難されたが、私がブログを書いているのは昨日今日の話ではなく、私ではなく言った方に何かがあり八つ当たられたのだと思われ。もし本当に心配しているのなら私に寄り添うとか子どもを慮るとかするはず。私も子どももいきなりガン無視されるとは一体。ここでも私が羨ましいのだと思えばなんとなく納得。本当に色々大変そう。

そんなこんなで女って面倒くさいしわけわかめで損な生き物だとつくづく思う。考えてみれば近所に男の子の友達ばかりでつるんで遊んでいた時代が一番人間関係シンプルだったような気がする。あの頃女の子の友達もいたが、お人形ごっこが面倒でいつも避けていた。もしあの時熱心にお人形ごっことかおままごととかしていたら、私の人格もももう少しスムーズなものに形成されたのではないかと思ったりする。私はどちらかというと、お母さんよりお父さんがしたい。家でずっと大人しくするより外の世界でバリバリ仕事をして疲れて家には寝に帰るだけ。家にはしっかりした奥さんがいて子どもの教育など何もかも奥さん任せ。時々は色々相談されるが、まあ子どもの意志を尊重してあげようなどと尤もらしいことを言うがその実よくわからないがまあ悪いようにはならないだろうという安心感。いいですね、お父さん。私がお金を稼げるようになったら夫を主夫にしてあげたいと思う。そうすれば我が家は何もかもスムーズで辻褄が合うのではないだろうか。

とはいえ、次に生まれてくるとしたらやっぱり男より女に生まれたいと思う。男って大変で気の毒で可哀そうな生き物だ。カマキリの雄なんて交尾が済んだ瞬間牝に食べられてしまうのだ。それがカマキリの雄の幸せといえば自分が貴重な蛋白源になれる喜びだろうけれども、なんだか残酷な運命だなと思ってしまう。女は愛し合ったばかりの男を情け容赦なくバリバリと頭から食べてしまえる側という弱肉強食の世界で強いポジション。それになんだかんだやっぱり女装は楽しいし、娘を色々可愛くしたりするのも嬉しい。もし私が男でこれらをしていたらだたの変態になってしまう。意識は男側にあり色々考えたりするが、思考回路と性は女で女性を楽しめるということは良かったと思える。複雑に子細に考えるのは得意ではないが、自分の心の襞を読み解くと様々に納得できて良かった。 

今日は更に仕事終わらせて御飯作ってから塾の付き添い、お母さんやりたくないといいつつやるしかない。でもだんだん自分の分担は少なくなってきた、娘がちょっとやってくれるようになったのだ😍嬉しい💖ありがとう🎉こういう時は普通に大絶賛する。


【今回のまとめ】
・私だって家事はちゃんとやってる!
・次に生まれ変わるならまた女がいい。
・あなた方が不幸なのは私のせいではない八つ当たらないで。



8月11日は山の日祝日って今年から出来たみたいなのだが知らなかった。だがカレンダーをチラチラ眺めていて、この日が赤くなっているのには気付いていた。まさか今年から新設された祝日とは。海の日があるなら山の日という安易なお役所的発想で、普段はdisるところだがわたし的にとてもいいタイミング。いい日に祝日を作ってくれたものだと嬉しくなった。

ホンク!公演が7日日曜日に終わり、なんかするならこの日しかないだろうとずっと狙っていたのだ。「なんか」とは、そう!飲んでお母さん達でダラダラお喋り、、ではなく!子ども達にお疲れさま会をしてあげたいと考えていた。こういう時、バス亭グループとか金持ち幼稚園(ああっ、先生達が観に来てくれたのにわたしったら。でももうぜめて名前は出さないように気を付けますので)だったりしたら、ボスママが「みなさん」などとメールやLINEで周知し、ついでにNO.2とか3とか腹心なんかがガサガサと準備をして呼ぶ人呼ばない人を選定、プランが練られ「なんとか会」だのが執り行われる。

でもこのミュージカル集団はボスママ不在、主役のお母さんがえばる訳でも、チケットを多くさばいた父兄がマウントする訳でもなく、本当にフラットな群れだったと思う。これもひとえに芝居馬鹿(スワン!いい意味ですよ!!)のピュア―マリーのお父さん鈴木先生が、ガッツリと稽古して「誰にも口を挟ませないよ!!」という熱意にみんなが焼かれたのだと思う。

そんなボスママ不在の群れの中で私は割と伸び伸びとやらせて貰い、あちらこちらで顰蹙を買ったが最後は「まあ良かった」という感じになりホッとした。BCCにしないといけないのに宛先で送って大惨事になったり、ブログを巡って文化センターの偉い人と面談したり、区長室に「観に来てください」と突撃しようとして止められたり、街のあちらこちらに特大ポスターを配ったり、自分のマンションのフロントに勝手に貼って叱られたり、色々あった。最後は議員さん全員にFB経由でお誘いしたりもした。

「息子のためならお母さんってなんでもするんですね?」

と、息子命の母親を冷やかに静観していた筈が、自分がそうなっていたと。でも本当に息子、一年頑張ってくれて舞台でも堂々と凛々しくて私、私、、、もう大満足。ほんっ当に作品も素晴らしく、終演時は皆さん感動の涙、涙、涙。観に来なかった人は本当に人生損してると思う。このステージを観たという一体感、もう死ぬまで私は忘れないと思う。もう一度言いますが、息子が本当に可愛くて。目を瞑れば君がいるって感じ。息子!ありがとう。いつもいつも「俺、ママのためにやってるんだからな!」と言っていたけれど、最後はノリノリで「セリフあわせがあるから」なんて早く出かけていたけれどあなたセリフなんて「ガン!」の一言しかなかったじゃない。あー可愛い、本当に感動。

観に来てくださったみなさん!本当にありがとうございました!

と、書いても書いてもこういう話になってしまう程まだホンクロスな日々なのだが、そういう訳で公演が終わってすぐの祝日8月11日にマンションのパーティルームで打ち上げ会をやった。

最初は男子だけ6家族6人プラス姉弟くらいでやる予定だったのだが、一家族帰省のために来られない、そして直前くらいにもう一家族も帰省の準備があるということで参加出来ないことになった。何よ何よ折角なのに寂しいじゃない、少ない人数でしょぼしょぼやっているとボスママさん達にみられたら「景気が悪いのね」などと思われたら心外。ホンクファミリーはね、こんなもんじゃないのよ!熱いメンバーをみせたる!!と、他のご家族も声をかけてみることにした。

私はとある理由で全員のメアドを知っているが、全員にメールするのは一回だけと決めていたのでもうこの手は使えず、奥の手でブログに周知してみることにした。一度ホンクに参加している父兄全員に周知もしてあり、多分みてくれるだろうと期待して。

そんなのメアド知ってる人達だけでやればいいじゃないと思われるかもしれないが、私はこういうところ非常に気になってしまうたち。「知らなかった」とか「私誘われなかった」と思う人がいたらやっぱり悲しいんじゃないかと思う。せっかく「みんな」で盛り上がって終わった第一回目のホンク公演の後で、誰かがクヨクヨするような事はあってはならないと。私は娘の時も息子の時も、同じグル―プに所属しながら、同じクラスの会ですらボスママの一存でさっくりと仲間外れにされた事が何度かあった。直接話したことも存在さえ知らないような人からも当然のように村八分にされ、私はいいけど子どもがどう思うか、などということで悩んで悩んで死にそうになったのだ。

そんな思いをホンクに関わった人達にさせたらいけないでしょう。もうファミリーでしょう。ということで、「プロの方も大人メンバーもよかったらどうぞ」と書いたのだが、当然のようにそちらからはレスがなく、子どもを持つお母さん達から連絡をいただき開催した。思ったよりたくさん集まり椅子の数を心配したが、子どもが座っていられる筈もなく、大人だけ着席、子どもは元気にあちらこちらで思い思いに遊んでいた。うちのマンションにはパーテールームの他にカラオケルームもあり、そちらを予約したら子ども達はほとんどそこで歌っていた。

私は大人がカラオケ、子どもはきっずルームのつもりだったのだがまあ喜んで貰えてよかった。せっかくなのでとL'Arc〜en〜Cielの新しめのアニメ曲を歌ったが誰も知らなかったしょぼん。子ども達はドリカムとか渋い歌を歌っていて、お母さん達がママ友会なんかで子どもを連れて行ったりするのかなとちょっと僻んだりした。

あーでも本当に楽しかった!!大人10人子ども20人、子どもだけで来てくれた子もいて、これはたままた道やプールで偶然会った子達を誘ったからなのだが、なんか周知も上手くいって良かった。「あの打ち上げじゃ不完全燃焼」「ホンクロスで寂しくてたまらなかったので今日会えて嬉しい」とか、もうみんな同じ気持ちだったのだなとしみじみしてしまった。


頑張って作ってみた♡

食べきれない程ご馳走が♡♡


子ども達はカラオケに夢中。大人は大人で楽しめて良かった♡♡♡

持参して下さった大量のご馳走をずらっとテーブルに並べ、家の子ども達がテキヤをやってくれて、たこ焼き、カキ氷、綿あめ、大人はビール、スパークしたのしてないののワイン、公演の時に私にと差し入れて下さったのでみんなで飲もうと思ったものの結局飲んでしまった残り少ないチンザノ(スワン!)など、食べ飲み喋り倒して時間があっという間に過ぎてしまった。

予約したタイミングが遅くて昼間しか空いていなかったのだが、約5時間だったら丁度良かったかもしれない。あの時はこうだったとかこの時にこんな事があったとか、色々打ち明け話をしたり、次のオーディションはどうしようとか、いくら話しても話足りない感じ。今日一日じゃ絶対足りない!また集まりましょう!!とメラメラと燃えたままお開きになった。 



この打ち上げもそうだけれど、楽しみにして楽しんだ楽しかった事、全部過ぎると思い出になってしまうのですよね。近頃は楽しくて幸せな思い出ばかりで人生がひっくり返ってしまったように感じているが、こういうキラキラした思い出というのも、以前の苦しくて悲しくてのた打ち回った記憶と同じ、もう二度と戻れない時代なのだと思った。過ぎ去ったもの達を呼びよせるのは、どんなに頑張っても無理な訳で、何もかも時の彼方に置いて来なければならないのだと気付いた。時はどんどん流れていってしまう。

楽しい思い出もだが、苦しかった記憶の時代ですらもう一度戻って欲しいなんて思うようになった。子ども達は小さく幼気で、私も若くて体力もあった。些細、と今だから思えるのだが、色々に翻弄された日々、それすらも愛おしいと感じる。何よりあの奇跡のような千秋楽、出来ればもう一度観たい!時を戻せるタイムマシンがあれば、あの公演をエンドレスで観ていたい。そのくらい幸せと感動に包まれてしまった計らずも。なんだか切ないなあ…(T_T)

そんな気持ちで家に戻り、息子が熱いからとさっと上着を脱いだ。あんれまあ、あなたいつの間にそんなにおっきくなってた?「日曜日のご馳走さんに」と言う大きさ♡私の胸のあたりの身長だったのに、いつの間にか肩まできている。そんな訳ないのに!一瞬のうちに大きくなったように感じてしまった。娘はとみれば私と同じくらいの身長になっている。いつの間に、いつ、いつよ?いつの間に時が過ぎたの。

今日の打ち上げ会に参加してくれたのは、ホンクで息子繋がりで知り合った「ママ友」ということになる。ずっとママ友ゼロと言っていたし実際そうだったけれど、いつの間にかこんなにたくさんのママ友が出来ていた。そしてこんな風に何もしがらみのない楽しいお付き合い。息子だってそう、みんなに可愛がって貰って仲良く出来て、お母さんたちの群れがもう怖くなくなっただろうと思う。あの人はワークショップの初日に「俺、嫌だ!!」と怒って帰ってしまったのは、お母さん達がぎっしりひしめいている会場が怖かったのだと思う。そのくらいあの幼児園ではいつもいつもお母さん達がひしめいていて、その群れ達は全員息子を怖い顔で無視していた筈だ。

でもホンク!のお母さん達は顔を見れば話しかけてくれて、先生達も一番小さいからと特に可愛がって励ましてくれたのだ。人の群れが怖いなんて悲しい気持ちのままで大きくさせてしまうところだった。ほんの気まぐれで参加させたワークショップから本格的レッスン、本稽古、舞台稽古に進むうちに、そんなショボクレた気持ちは吹っ飛んだのだろうと思う。パーティールームではしゃぐ息子はみんなにまみれて本当に楽しそうだった。良かった。

息子と仲良くしてくれて、可愛がって下さり本当にありがとうございました。特にまお先生、私全然気づかなかったのだけど、最後の先生達に花束贈呈で、どうしてうちの息子がまお先生に渡す役なんだろうと不思議だったのだ。まお先生が特に可愛がってくれていたなんて、最後の最後で気が付いた。まお先生って、あのまお先生ですよ?先生、恐れ多いです!最後にかけて頂いた言葉、本当に嬉しかったです。こんな素晴らしい先生に可愛がって頂いたなんて知れたら、また嫉妬されて豊洲で村八分になりそう。他の父兄の方はちゃんと知っていたようで、二度びっくり。皆さん見て下さり、お気遣いありがとうございました。時々レッスンをみにいくと先生の近くに息子がいるから、息子がつきまとっているとばかり思ってハラハラしていたくらい。そうだったの!?息子、良かったね!

最後の最後まで私は息子にハラハラさせられたのだが、スタッフ周りは私にハラハラしたのではと思う反省。色々とどうもすみませんでした。でも楽しかったからいいですよね!掻き回しましたが、宣伝にはなりましたよね?豊洲ホンク!第一期は大成功に終わり、これも本当に良かった。

色々で悩む子どももお母さんもホンクで揉まれるといいのでは。小さい事など吹っ飛ぶくらいの大きな感動に包まれましょうよ。なんか私も初心にかえって頑張ろうと思える。飲んで食べて喋りたおしてわーわー言ったら、ようやくホンクロスも軽減されたよう。頭の中でずっと上演されていたホンク公演も108回繰り返されやっと昨日の夜カーテンコールがかかりました。幕が降りてくれて自分の言葉が頭の中を駆け巡りだし、ブログもこうして書けて良かった。

そうだ、お母さんたちとホンクで何か演らないといけないとしたら何がいいかと話あった。私は絶対キャットがいい。ひとり気ままに獲物を追ってあちらこちら、可愛い雌猫との恋、キチガイじみたゲーム、最高ではないですか。一番やりたくないのはアイーダ。現実でこんなにお母さんで苦しいのに、何故また舞台でお母さんを。そういう事で私はミュージカルには出演しませんのでスワン!文化センター本部の偉い人にも「ミュージカルもいいけどちゃんと子ども見なさい」と言われ、それもそうかなと。

ミュージカルのお蔭で色々な出会いもあったなぁとシミジミ。そうだ、都議会のおときた駿さん、結局来られなかったみたいで上演の最中は都知事室などに詰めてみえたよう。応援していた小池百合子さんが勝利したことでホンクを観に来て貰えなかったという事になったのかもしれないが、これはこれで応援していたおときたさんにイイ風が吹いたということで喜ばしいことでもある。本当に良かった。来年、再来年と続くので是非次回はご家族全員で観にいらしてください!!小池百合子さんも若狭先生も、「みんな」で是非観に来てください、お待ちしていますね!区長さんも是非♡

明日からいよいよ息子が参加する劇団のミュージカルが上演される。素敵に出来上がり、チケットも売れていい感じになってきた。でも先生達やプロの方々は「まだまだ!もっと、もっと」と最後の最後まですごい情熱。よく体壊さないなと心配になってしまうくらい。4日間8公演是非頑張って頂きたいと思います。

さて、本日練習最終日は、ゲネプロという衣装つきの舞台稽古。舞台用語も色々覚え、そして今日も10時から10時までの稽古。私は開演中は受付、会場案内、楽屋、全部それぞれAチームで担当するが、楽屋担当は練習にもずっとつきっきりですごく大変!昨日も10時から10時まで豊洲シビックセンターにいた。ゆりかもめのセブンイレブンさま、もっとおにぎり追加してください(:_;)

これ、すごく遣り甲斐ある役目だと思う。衣装や出待ちの子ども達の面倒をみたり、昨日は突然「早替え」の役を指名され、もうどっきどき。「早替え」とは、役から役に一瞬で替わる俳優の着替えという意味。それをお手伝いするのだ。それから昨日はあまりにも騒がしいので子ども達を怒ってしまった。「ゴルア!観客席でウロウロごそごそするな!気が散る」「先生の前を横切らない!!」「プロとお前らは違うんやで( ゚Д゚)!!!」などなど。すっかり「叱り担当のオカン」になっているが、本当の私はか弱いキャナリーゼなのでお忘れなきよう。

右脳英語教室先生の「褒めて、抱きしめて、叱らない、教える」は、どこへやら。でももう本当に何もかも必死。子ども達もわかってくれたようで、そこからは静かになり可愛いもの。うんうん、教えればわかってくれる。

それから楽屋なので「舞台裏」も見れてしまう訳だが、その言葉の通りプロの俳優さん達の厳しい表情やプロ魂に触れることができて、驚きと共に感動。総合プロデューサーの厳しい叱咤に聞いているこちらがへばってしまいそう、でもみんな必死にくらいついて高みを目指してすごいなと。こんな世界知らなかったよ|д゚)


そしていよいよ明日から上演「みんなのミュージカル ホンク!」のこけら落し(初日の舞台)!自分が出る訳でもないのにすごく緊張。チケット買って下さった皆さまありがとうございました。そうでない方は日によっては当日券ありますので是非観に来てください。http://honk2016.blog.jp/ メディアからの取材も受け付けていますので豊洲文化センター担当早川までご連絡ください。

豊洲文化センターTEL03-3536-5061

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タイトルのセリフは観に来て下さればわかります。是非どっきんこ♡しにきてください。

 

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俳優が開演前会場でご挨拶。きゃーキャットさま素敵

(※こちらが本記事です)

以前からもう辞めたいやめたいとブツクサ言っていたNewsPicks、いっそ垢バン(アカウント停止)してくれればと思っていたら、図らずも願い通りになってしまった。不名誉な事といえばまあそうだが、もう本当に縁を切りたいと思っていたので私的には良かった。丁度「ポケモンGO」が日本でもスタートしたということで、NewsPicksの中では大熱狂するPickerで溢れていて、「みんながやるから僕も私も」という右へならえで日和ってばかりのこのSNSの体質にも嫌気がさしたところだった。先にアメリカで先行してスタートし、あまりの熱狂振りに大きな社会問題になっているというが、その辺りは無視して煽るようなコメントばかり。あそこでピカチュウを見つけただの新宿御苑周辺では夜中までモンスターを探す人でごった返すとか、うちの子ども達がいい年齢になってそんなところに行ったと聞いたら、うんまあそれは勝手だと思うのでやりたければやればいいと思うが、私は嫌だな。特にNewsPicksは経済に精通しているという触れ込みのPROといわれる方々もいるが、その人達まで振り回されちゃってまあ。

バカみたい♡

というこで、いつまでもいつまでも私の噂を流し、弱い者いじめしか生きがいのない豊洲のボスママ集団と同じくくりで離れたいと思っていたのだ。中の人で仲良くなりたいと思っていた人達とはFBなどで繋がりも出来、そうでないストーカーチックな人は離れてくれたようで非常に満足。私の承認欲求は卒論だけに注力できることになりそう。私も馬鹿だなと思うのは、大学の課題や卒論のためにブログをやめたらSNSに走ってしまったことだと思う。しかもNewsPicksだなんて、一度完璧に辞められたものをまたぶり返したりして本当に意志が弱くて嫌になります。今回の件、何かに似てると思ったら、独身時代の恋愛によく似ていると思った。こちらから別れると言えばきっとストーカーチックに付きまとわれるだろう、なので相手から別れの言葉を言わせねばという策略。とはいえ、ずっと以前の時代から運営には煙たく思われていただろう私の存在。そもそも世界銀行VSの頃から微妙な空気になっていましたものね。スターピッカーを潰してしまったと思われただろうと。でもあの方もここから距離を置けてよかったと思う。SNSは本当に時間泥棒、時間は有限。もっと有意義なことに時間を使わなければと本当に思ってしまう。

ということで「さようならNewsPicks」記念として、今回何故私が垢バンされたのか、一体誰がそれをしたのか。私の隻眼と妄想をフル回転させて追及した真実を書いてみたい。

私はもともと2014年頃に約一ヶ月ここにログインしてコメントを書いていた。最初は運営からも生暖かく見守られていたが、世界銀行VSからガラッと空気が変わったように思う。大切に育ててきたスターPickerをぶった切ってしまった自称専業主婦、「何様だ」と思っただろう。その後、すららもぶった切り、元都知事候補ともすったもんだあり離婚させてしまったし、世界銀行は世界銀行でなくなってしまった。ちょっとやりすぎたかと反省し、もう離れることにしたのだ。みんな引き留めてくれたが、運営はノーコメントだった。

そこから2年後、ヤマトの件で記事を投げ込みたちまち皆がコメントをつけてくれて、そこからまた嵌ってしまった。でも何度も言うが「宅配の再配達問題はみんなで考えないといけない問題」という事に気が付いてくれた人もいたようで、書いて良かった記事。でもその後は卒論の締切やら色々抱えていてブログをお休みしようと考えていて、なのにまたドンドン書きだしてしまった。結局卒論を未完成で提出しなければならなかったのはNewsPicksのせい、人のせいにするなと言われればそれまでだが、もう今度こそやめたい、離れたい、いっそ垢バンしてくれないだろうかと考えた時に目を付けたのが「まれにゃん」だった。

まれにゃんはここが大好きで、垢バンされる前は運営批判がすごかったとWebのあれこれで読んだ。そもそも運営批判をして何もいい事はないのは明らかなのに、言わずにはいられなかった何かがあるのだろうと思った。この燃え上がるような憎悪の元はなんだろうと考えていて、多分愛憎は表裏一体なのだと思い当たった。まれにゃんもNewsPicksが好き過ぎて憎むまでにいってしまったのではないだろうか。多分運営もそう。愛するまれにゃんがいうことをきかなくなったので、可愛さ余って、なのではないだろうか。なんだか切ないですね。

可愛そうなまれにゃん、私がBANされて代わりに復帰すればいいのに、一緒に運営に行って頼んでみようなどと真剣に考えていたのだ。今思えばそんな事を運営が「はい、わかりました」なんて言う訳はないと今になって思えばわかるのだが、その時は上手く行くような気がした。そこでまれにゃんと会って話したいとオフin豊洲を開催、そこで提案すると驚く事実を聞いて、びっくりの余りすごすごと引き下がった。あーまれにゃん、どうしてそんな風になる前に私に相談してくれなかったの。でも私味方になるから大丈夫よと、こんな事をまたブログに赤裸々に書いてNPに投げ込んだところ、またすごい反響があった。そして多分、運営からは更に敵認定されたんだと思う。

それにしてもまれにゃんとこんな風に同じ垢バン同士になるとは全然思わなかった。私がBANでまれにゃんが復帰して、めでたしめでたしそして伝説へ。というストーリーになるはずだったのに全然違った。そもそもまれにゃんは私の中では全然興味ない(ごめん、今は違うよ)伝説の動物。存在すら未確認だった訳で、生身の人間として現れてそしてそしてとんでもない事件の全容を知る。バンで終わったものの、こんな形でNewsPicksにこれからも関わっていくことになるとは。それに運営と対立するということは、全ユーザー100万人を敵にまわすことに( ゚Д゚)すごいわあ、神様は私にまたこんな試練を。もう豊洲のボスママ軍団なんて、どうということもなくなったかも。逆にこの100万人が全員私に100円くれたら一億円になるよね。バンのお見舞いでくれないかな(^^)/何か仕組みを考えてみよう。


※ログインするとこんなエラーが出る。自分のIDを初めて知った。

話を戻してまれにゃんオフin豊洲から私の垢バンは早かった。日にちを振り返って出来事を書いてみたい。

2016.0715バビロン東京姉妹(粘着質で自分のボキャブラリーに自信のない妹知恵の方。NPでもコメント2行以上書いてるのみたこと無い。本当にライター?お姉ちゃんが全部書いてるんでしょう。だってTwitterだって私に絡む以外は全部bot臭。IQどうみても二桁なビッチ)に通報され※バンされる。調べたところ、東京姉妹に通報されて※バンされた人多数。これはTwitterで「東京姉妹」で検索をかけると、バンされたPicker達の怒りコメントが読める。なんだ私だけじゃなかったのか。ランキング常連の西和子さんまでも怒っていた。これは運営から来たメールを晒す。一体何がBAN対象なのか。

「山田 聖裕 (株式会社ニューズピックス)
7月15日 13:26 JST

森生様

ニューズピックスの山田と申します。
いつもNewsPicksをご利用いただきありがとうございます。
お返事が遅くなり大変申し訳ございません。

削除したコメントは以下となります。
お手数ですがご確認いただければと思います。

===
この人達私から言わせればバビロンと同じカテゴリ。一回disってやりたいが(東京姉妹好きな近所のあの人が)怖いからやめておきます。

つうか恋愛のプロなんて噴飯もいいトコ。こんなの信じるアホはいないと思うけれど敢えて言うならその場限りのヤ◯マン的な思考回路。幸せな結婚をしたい真っ当な女性は相手にしないで。というか釣りですよね?
===
https://newspicks.com/news/1423334

よろしくお願いいたします。

(株)ニューズピックス 山田」

東京姉妹は自分がコメントでdisられると速攻通報している模様。こんな通報で※バンする運営も運営だと思う。通報されたら速攻バンするルールなのだろうか。だったら来るなと。東京姉妹は荘司先生にも絡んでいて、NewsPicksは権力者にちょっかいを出す場所と認識している模様。既婚なのに合コンってのも痛いなあ、なんでこんなのが好きなのかあのLINEの人に聞いてみたい。でもまあ男の人って「ゆるそう」な人は好きっていうより興味あるというかただの慰み者で私からみても中身からっぽの近くに来て欲しくない人。その後この東京姉妹とはTwitterでVSるが、私のdisりTweetに♡ボタンを押すという相手の白旗で終戦した。よろしい。今度何か困ったことがあれば私に言いなさいね。

※節子、集結やない終結や(;´Д`A

2016.07.16
タイ在住の主婦Hからdisられ通報されこれも※バンされる。多分これもX2くらいか。もうこの人は本当にしつこくてうっとうしい。私に反論コメントするとイイネがつくとパブロフの犬的に覚えてしまったもんだから、イイネ欲しさに私につきまとって必ずdisってくるようになった。それしかイイネがつかない人で本当に人気がないんだと気の毒になる。もっと気の毒なのは男子校NPで女の色を出してきゃっきゃやってること。男社会で女色を出すのはみっともないのになんか浮かれすぎて見ていて痛々しい。you me さんを見習えと言いたい。あの人は突拍子もなくてちょっと勢いがあり過ぎるが少なくとも媚びないし自立して発言してる男前。ふるまいさんもそう。それに引き換えこのHはちょっと前のコメントに「〜なのは、私だけぇ?ねっ、ねっ」と書いてありゾゾゾ〜っとした。こんな所で男に媚び売って気持ちわるいわ!しかもシャバダバダ長女?人の尻馬に乗っかってバカみたい、セルフブランディング大失敗、みんな薄ら笑ってるはず笑。あっごめん笑ってませんよ。多分この記事のコメントにもどや顔でなんか書いてそう。私がそんなに憎い訳でもない、ただタイにいてやる事も友達もいなく旦那には相手されず暇なんだろう。 
 
もうこのHからの通報の内容はすごかったですねえ。そもそも通報を運営にすると、「誰誰からの通報であなたのコメントをバンしました」と運営からその人にメールが行くのでご注意。誰から通報があったか、該当のコメントはどれか、どんな風に通報されたのか運営は細かく教えてくれます。こんな風に赤裸々に情報開示して、またいらぬ諍いや騒動の元だと思うんですが運営ってバカなの?Hがノリノリで私をdisった後に削除したコメントまでわざわざつけてくれて、面白いのでこのメールは保存している。Hに何かあったら晒してやりたい。あー楽しい。

2016.07.19早朝の豊洲でまれにゃんに会い、垢バンについて聞いてみる。オフmeetingの記事を書いて投稿。 同記事のコメントに運営が依怙贔屓しているあの人を「冬彦」と書いて※バン。再投稿してまた※バン。結局バンX2 NPには沸点の低い人しかいない。

2016.07.25例のストーカーが私を通報。名前を出したのがBANの対象だそうで該当のコメントをバンされる。名前を出さずに画像だけ貼り付け再投稿でまたバン。えーなんで?おかしくない?結局バンX3。運営さん、ストーカーの方ををバンしないとダメじゃない?結構本気で怖かったのですよ。以前からメッセンジャーで何度も俺様メッセージ。このおっさんに私は何を勘違いさせてしまったのだろう。多分、まれにゃんと会ったと書いたので、余計に自分もイケルと思われたのだろうか。エスカレートしてきて困り、名古屋人Gに入れるんじゃなかったと後悔したら、私が垢バンの後自分から出ていった。よかった。あなたには1ミリも興味ないのでよろしくお願いします。shinee  ※インスタに貼ってあります。 https://www.instagram.com/yurikomorio/


※この後、何を書いてもバンbanばん

同日その後、運営の佐々木編集長の書いた記事に対してコメント。すぐ直後、今度はついに垢バン

この記事なんですけどね。
https://newspicks.com/news/1683226/

「コメントページ 768PICKs
 
tokyo_ban.001

東京はどうすれば世界一になれるか?

【新】都知事選で問うべき「5つのイシュー」

(内容は略)
 
でもこれ、佐々木さんを否定したのではなく、心配して忠告しただけなのに。「投票日までに間に合うのでしょうか」と書いたので気に障った模様。だって7月25日に都知事選の連載を始めますみたいな第一回がアップされ、これから主要三候補のインタビューもしますって、あと6日で投票が終わり、結果がわかるのに?そして連載は全7回と書いてある。

『小池氏、鳥越氏、増田氏の3候補へ取材を申し込んでおり、取材が実現した場合は、随時インタビューを掲載していく予定だ。

*目次
【第1回】都知事選で問うべき「5つのイシュー」
【第2回】橋下・大阪改革のブレーンが語る「東京改革プラン」
【第3回】もしホリエモンが東京都知事になったら
【第4回】スライドストーリーで見る「東京の過去・今・未来」
【第5回】田原総一朗、江川紹子が考える「都知事選の論点」
【第6回】30代都議会議員が見た「都議会という"超村社会"」
【第7回】スライドストーリーで見る「候補者比較」』

なので「一日一記事書いても終わったら都知事選も終わっていて、間抜けるんじゃないでしょうか」と書いたところ、速攻同日垢バン。

でも私は記事をコピペしてこんなコメントもしたので、これもダメだったか。 太字が私のコメント。

『小池氏、鳥越氏、増田氏の3候補へ取材を申し込んでおり、取材が実現した場合は、随時インタビューを掲載していく予定だ。→この選挙戦の大忙しの終盤にインタビューなんて、ご迷惑では。

*目次
【第1回】都知事選で問うべき「5つのイシュー」→7/25今ここ
【第2回】橋下・大阪改革のブレーンが語る「東京改革プラン」7/26
【第3回】もしホリエモンが東京都知事になったら」7/27
【第4回】スライドストーリーで見る「東京の過去・今・未来」7/28
【第5回】田原総一朗、江川紹子が考える「都知事選の論点」7/29
【第6回】30代都議会議員が見た「都議会という"超村社会"」7/30
【第7回】スライドストーリーで見る「候補者比較」』7/31にアップ?投票日ですよお父さん!一日二記事アップしないと間に合わないくらいなのでは?大丈夫なんですか?

これで垢バン。。。佐々木さんという方は本当にプライドが高くて社内でも恐怖政治をしているんじゃないかと思う。だってこれ、私が言わなくても社内で誰かが指摘してあげれば済んだ話ではないかと。本当のところ、一体この記事を今公開する必要があるのかと。もう散々識者や一般ブロガーも書いて終わってる話なのでは。私が編集長なら「今頃何書いとんじゃボケェ」ぐらい言うだろうなと思った。

それを誰も(指摘)出来ないということは、常日頃何か意見を言う人に対して粛清ばかりしているんじゃないの?なので誰も怖くて言えなかったのですよね。社長は梅田さんという方なんですけど、多分佐々木さん頼みで様々な編集が行われているのが実情ではないかなと、なので梅田さんも突っ込めなかった。それを私があっけらかんと指摘したので、佐々木さんは激怒したのでしょうね。高卒の自称専業が俺様に何を言うんだと。僕ちんの学歴をみてみろお前なんかより百段上だわ思い知れとでも言いたいのでしょう。で、垢バン。そんなに怒ることかなあ。もう本当に笑える、すみません笑って。でもなんかこんな事で怒って垢バンなんて面白い人。 ちょっと可愛いかも。

そもそもここは運営が作ったちっぽけな箱、だったら運営が好きにしていいと基本は思ってるし今回の垢バンもどうぞどうぞ。箱の外に出てみれば、あんな狭いところでぎゅうぎゅうと芋を洗うような惨状でいい大人がぽけもんGO、馬鹿かと、アホかと。もう頼まれてもやりたくない。

運営からの最後通達はこちら。

「NewsPicks サポート <newspicks.support@uzabase.com>
 

森生 ゆり子 様

いつもNewsPicksをご利用いただきありがとうございます。

ご投稿いただいた内容を弊社にて精査し協議しました結果、NewsPicks利用規約違反を繰り返され、当サービスではこれ以上お客様にご満足いただけるサービスをご提供できないため、本日、アカウントを削除させていただきました。

大変恐れ入りますが、ご理解いただきますようお願い申し上げます。

また今後アカウントを再登録いただいた場合も、同利用規約第3条(本サービスの利用)にもとづき、アカウント削除となる可能性があることをあらかじめご了承ください。

なお、今後本件につきましてお問い合わせいただきましても、回答は一切いたしかねます。

よろしくお願いいたします。」

でもこの後、相変わらずNewsPicksからの記事紹介メールが毎日飛んで来るのはどうして?試しにアプリから覗いてみたら、タイムライン以外は普通に全部読めるのね、フォロー関係ないから全部みえるログインしなくても。なんだか筒井康隆の『エディプスの恋人』に出てくる神様になったお母さんの気分。そして今度こそすっごく馬鹿バカしくなり、そっとアプリをdeleteした。

一話完結『さようならNewsPicks』 (以前のものをリメイク)byキャナル•グレイ

NewsPicks のOFF会でこれらの騒動をみんながわいわい談笑しながらコメントをつけている。私が発表した。 

「NewsPicksからのアクセスはまた約10,0000アクセス。以前のヤマトの記事の時は1,834でしたから、今回も反響の大きさがわかりました」 

すると、おおっという声があがり、色々質問が飛んでくる。

「専業主婦というのは本当ですか」
「復帰する気持ちはないんですか」
「次のオフの予定は?」

するとそのうちの一人、とっつあん坊やみたいな中年男性が手をあげた。おでこに青く「S」 と書いてある。どうみてもリアルでいい事が何もないので、ネットの仮想世界で承認欲求を求め続けるタイプ。あの私が書いたコメントに青筋をたてて怒り、浮き上がった血管がそのままSの字のようになったのだろう。運営になって記事に初めて意見されて憤慨したのだろうか、怒りで真っ青になりながら聞いてきた。
「ご主人に言いつけてNewsPicksを吹っ飛ばすと言うのは何の冗談だ!」
私は(ええっ?何怖い)ストーカーされたら困ると相手をなだめる事にした。
「そんな書き込みしましたか?」
慌てて聞く。すると小さなメモを見せられ、「夫に言いつけてNP消す」と私の字で書いてある。いつ書いた?うちの夫にそんな力はない。私は慌てて言った。
「死ね!と書いたのは本当に消えろという意味ではないです。私が消えますから心配しないで」

するとわいわいしていたうちの一人がおもむろに立ち上がった。梅田さんだった。いたの?

「お見せしますよ」

Sの視線を遮るように私を別室に連れていく。そこはNewspicksのデータセンターだった。 梅田さんが言った。
 
「みて下さい。運営は全部AIなんです。コントロールも全てAI、incになった時点で全員AIになります。名前を借りているだけ、実在しない人もいますよ。まれにゃんもAIが作りましたそしてSも。今回の垢バンも実はあなたが掻き回すようにAIがコントロールしたんです。あなたの思考回路を計算してあれを書き込むように」
私は黙って聞いていた。彼は続ける。
「今はあなた一人が敵となり、NewsPicksは今までにない程結束が強くなっています。これもAIのはじき出した世界。なんであれ盛況であればNewsPicksは注目を浴び、課金ユーザーも増えるという仕組み。AIに不可能はないんです」
驚き言葉もない私に、彼は更に言った。
「垢バンが悔しいなら、そろそろあなたの名前も貸して貰いましょうか。incになれますよ。一ヶ月1,400円お支払します、家計が苦しいのでしょう、払うより少しでも入った方がいいのでは。代わりにコメントは全てあなたの名前でこちらがします」
これについては私は素早く考えた。
(incはAIだからわざと面白味のないコメントをしていたのか。確かにそうなら自分の方が面白いコメントが書けるとユーザーは安心し、そして張り切って書けるだろう。だが森生ゆり子がつまらなくなったと思われるのは心外)
なので私はきっぱりと言った。

「お断りします。私の言葉は私が作ります」

彼はふっと笑いながら言った。

「そうですか、でもそういうと思っていましたよ。それならこれはどうですか」

という言葉と共にふっと目の前で彼は消えた。(今度はなんなん?)と思うが早いか、データセンターの別のドアが音もなく開く。今度こそ私は腰を抜かしそうに驚く。現れたのは夫だった。

「NewsPicks楽しかった?君はお祭りが好きだものね、でももう潰して違うもの作るよ。今度は君を女王様にしてあげるから」 


夫の知らないところで暴れ回っていたと思ったのは、実は全て夫の作った仮想世界だったのだ。 
やっぱり夫には敵わないわと私は思った。夫は私の肩を抱きながら、めまぐるしく画像が切り替わるモニターを眺めて言った。
「このボタンを押してごらん」

私は言われた通りに光るボタンを押す。夫の代わりにAIが言った。
「NewsPicksは本日をもちましてサービスをバンします。ご利用まことにありがとうございました」
システムが全停止後消滅したのを見届けてから夫が言った。

「さあ、家に帰ろう」

(完)

ところで、一回だけ支払った会費返してくれませんか?特売のお米買いますから。あーあ、こんなんにお金払うなんで、一番のバカは私。子供たちに無駄遣いするなってもう言えない。・゜・(ノД`)・゜・。梅田さん、本当に返して。運営まで行くと交通費がかかるから、振り込みしてください。

振込先は、

ゆうちょ記号10010番号51618091
名義 モリオ ユリコ

よろしくお願いします。

c2dec783 

追記:この騒動をずっと見ていてくれた人、って結構大勢なんですけど、とある方から「あのストーカー記事が原因なのでは」というご指摘もあり。そう言われてみれば、あのストーカーのコメントの※バンの時はなんにも通知なしでバンでした。しかも3回くらいあったかな。やっぱりそうなの?確かに自社サービスでストーカーが出現したなんて書かれたら女性Pickerこなくなりますものね、会社としては赤裸々に暴露されたくない事実。だったらやっぱりストーカーの方をバンすればいいのにこんなか弱い被害者女性の口をつぐませるために垢バンするなんて、社会的にどうなの?二年前のストーカーはスタートアップ企業の社長さんとか元都知事候補とかも絡んでいたし、NewsPicksは同じ括りなもんだからあの時も私を見捨てていましたよね。なんか最低な男子校だと、ますます思います。

でももうよい、書きたいだけ書いたので満足。えぬぺえ卒業祝いにプールに行って夜はママ友と飲みに行ってきます。ママ友、結構増えてきたような気が。。。みんないつもありがと(^^♪


追記:こんなメールも出てきたので晒す。

「【NewsPicks】(重要)利用規約違反行為につきまして
2016年7月20日10:23

森生 ゆり子 様

NewsPicksサポート窓口です。
いつもNewsPicksをご利用いただきありがとうございます。

以下のコメントを投稿いただきましたが、ご本人(まれにゃんではない冬彦)からの報告に基づき、コメントを削除いたしました。

また利用規約違反を繰り返されたため、本日、森生様のアカウントに制限措置を適用いたしました。フォロワー以外にコメントが表示されなくなる等、サービス利用に制限がかかっておりますのでご了承ください。

なお今後も利用規約違反が続く場合は、アカウント停止の可能性がございます。
ご理解いただいた上でサービスをご利用いただけますと幸いです。

▽ 削除したコメントURL


▽ 削除したコメント内容

みなさま、いつもNewsPicksをご愛顧下さりありがとうございます。尚かつ「小池百合子を東京都知事」に運動もご支援本当に感謝しております。猪瀬砲もいい塩梅に効いてきました。やはり正義というのは誰かが提起しないとダメなんです、悪は炙り出して祓わなければ。ありがとうNewsPicks、もうdisりませんと誓ったばかりの私に、思いもよらないビッグニュースが飛び込んできました。 NewsPicks界ではいつもお騒がせな私、でもそれはわざとではありません。いつもいつも事件が勝手に私のところに飛び込んでくるのです。今回もそうです。 「もうNewsPicks今度こそ距離を置きたい」そんな私の強い願いは、またしても反対の目が揃うことになってしまいました。それはひとりのPickerとの出会いでした。この方と私、全く接点も活動期間もかぶっていません。なので存在すら幻ではないかと思っていたくらい。でも物語は遥か昔から始まっていました。 森生ゆり子writeまれにゃん劇場、今回はかなりのロングランになりそう。どうぞ今後ともお付き合いのほどよろしくお願いします。とはいえ、NPのコメント書きはもう本当に時間がないので自制しなければ。見かけたら「卒論と課題やりなよ」と声をかけてやってください。よろしくお願いします。  追記:zetumu.さん、 (タイガースツアー京都の冬彦が「お前は来るな」と言ったのです。佐山さんが向こうの味方みたいに 静観していて頭にきたので一緒にdisっちゃった。大阪オフ(いつか 行きたいです(^^)/

NewsPicks サポート窓口

ソーシャル経済ニュース NewsPicks

あっちのコピー記事には貼らないよ、記事バンされるからね((((;゚Д゚)))))))あ〜ママ友に検事や弁護士がいるなんて豊洲は確かにセレブな街だわ♡

※ふるまいさんに褒められた。めっちゃ嬉しい

newspicksで私をいいねしてくれる女性は、ふるまいよしこさん西和子さんか、you me佐藤麗子さんだけ。あとは全員男と仲良くしたがる人ばかりでNP妙齢女子、大丈夫なんだろうか。他は私と敵対することで人気を得ようとする人ばかりだった。例えばタイから絡んでくるこの人とかメディアビッチのこの人とかこの人は突然Twitter上で私に絡んできて敵対することで東京姉妹と仲良くなりたがったビッチ。深川出身で女神輿を毎年担ぎなんとか連の総代にLINEアカウントを聞いて断られ先日の深川五中のお祭りにもきていて、男の子をひとり連れてどっかの社長と子連れ再婚してから女の子をひとり産んで私立小学校に通わせお酒大好きやや酒乱しかも彼がいてそれでも尚合コンして夜な夜なエロTweet している方 なんですが、何故私が敵なの?私なんて家事育児しか能のないただの専業主婦なのに。※と、書いたらちゃんとこの@maiko_dayly もイイねで敗北宣言した模様。あなたも今後何か困ったことがあったら私に相談しなさいね。



女の敵は女、されど女の味方も女。ちなみに私は女友達はいますが男友達はいません(ただし学友はいる)。

追記5:そういえば、佐々木編集長を心配したコメントの後に、「NewsPicksはストーカーにも出会ってしまう怖い出会い系サイト」と書いて※バンされたのだった。確かこれが最後の※バン!でも連絡もなにもなかったわ。これが垢バンの決め手だったのかガクブル。人は本当の事を言われると一番腹が立つのよ、だから冬彦も冬彦って言われて怒ったのね。運営もそうだったのかも。何か最近のオフで恋愛のいざござがあったのかもしれませんね。おっさんおばさん、みんな暇だなー。。。

(10,633字)

先日買ったIKEAの10人用ダイニングに、元々使っていたテーブルをドッキングさせたら面白い形になった。新しいのが来たら古いのは処分するつもりでいたが、これはこれでいいのかも。段差をIKEAのテーブルがちょっと乗るくらいの高さに調節(のこぎりでカット)、同じ高さにしようとも思ったが、そうするとずれて隙間が空いたりするだろう。私はこういう「用の美」的デザインに非常にうるさいというか、気になるたち。「ずれてる!」「もうーぴったりくっつけておいて」とイライラする自分が目に浮かび、回避策としてこのような形にした。

もうこれ15人くらい座れそうなのでは。息子の公演が終わったら、息子の友達メンバーを呼んでたこ焼きパーティーをしたい。冷たいビールでも片手に色々あったねと語らいながら。ちなみにこれ完璧自慢なのだが、我が家にはイワタニカセットコンロのたこ焼き器がある。電気でじとーっと焼くなんて私の性に合わない。ぼぼぼっと火を起こしてガーッと焼くと、中はトロトロ外はカリカリのすごく美味しいのが出来る。明石焼きだってお手の物。美味しく作る秘訣は、たこ焼き用の粉を使うこと。おたふくだと尚GOOD。早く食べたいでしょう。

というか、まだ終わっていないというか、今からが本当に大変になる。明日から公演日までずっと朝から晩まで稽古、前日二日は舞台で通し稽古。私達親も交代で何日かはすっと詰めるし、公演当日は楽屋だ受付だ会場案内で役がずっと続く。主役の子が痩せてきたから「たくさん食べて体力つけ」てと先生が言っていたけれど、本当にそうだと思った。今日は豚骨を買ってきたのでカレーにする予定だが、もっと体力のつくものをプラスしようと思う。やっぱりお肉か鰻だろうか。ここは節約している場合ではない。

そう言う訳で、テーブルが完成sたらブログにアップしてと言われているので画像を乗せてみた。しばらくまた忙しいのでブログはお休みになると思う。本当に良かった卒論とかぶらなくて。秋になったらまた何もかも再開したい。さっ、鰻買いに行くぞ。今日も櫃まぶしだ。子どもだけじゃない、親も体力勝負。昨日の最後の説明会、みんな必死でちょっと怖かったといいつつ、質問が一番多かったのは私ではないだろうか。息子のためなら頑張るわ!ファイアー!ぼぼぼぼぼ


insta2
※インスタよりhttps://www.instagram.com/p/BIQ8oXxAH3u/?taken-by=yurikomorio
小さくみえるけど横幅3メートル近くある。今度うちで同窓会やる?(^^♪

朝起きてスマホをチェックすると、NewsPicksの運営からメールが届いていた。なんだろうと思ったら内容は以下の通り。

森生ゆり子様

NewsPicksサポート窓口です。 
いつもNewsPicksをご利用いただきありがとうございます。

一部のユーザー様から、森生様から連続してLikeをされ、通知欄が埋まるため困惑しているという問い合わせがございました。

ユーザー様によっては不快に感じられる方がおられることもご考慮いただき、今後はLike機能をお使いいただけますと幸いです。

何卒、よろしくお願いいたします。

NewsPicks サポート窓口

ソーシャル経済ニュース NewsPicks

なんだこっち?あ、ああ、そうなんですか。子どもっぽい事を言わせて貰えば、みんなやってるのに何故私だけ叱られるの。

それから某ブログにこんなAAが。ありがとうございます(^^)というか、嫌がらせ記事なので貼りません。※この記事を受けて名古屋オフ主催の幹事から「炎上芸人は好きじゃない」とわざわざコメントが入りました。せっかく気を使ったのに馬鹿みたい。私がまれにゃんについたから、自分は運営につくとでも言いたいのでしょう、うんうん世の中こんなものですよね。

It’a small world.



運営からのメールコピペ。

※通報されるのは児相と警察と大学だけではなかった。

CM

11月23日水祝は、文芸フリマで本を買おう!「京都造形芸術大学2015」ブースにお越しください。儚げな白い百合みたいな人が私です。

http://bunfree.net/?tokyo_bun23


結論:連打王者はタンクトッパーさんと判明しました。この問題はシステムがへぼいのだと思います。


その後もう一件きました。

「 【NewsPicks】(重要)利用規約違反行為につきまして
2016.07.20 10:23

森生 ゆり子 様

NewsPicksサポート窓口です。
いつもNewsPicksをご利用いただきありがとうございます。

以下のコメントを投稿いただきましたが、ご本人(※注意:まれにゃんではない、あの人ですよ。運営さん、書き方おかしいですよ)からの報告に基づき、コメントを削除いたしました。

また利用規約違反を繰り返されたため、本日、森生様のアカウントに制限措置を適用いたしました。フォロワー以外にコメントが表示されなくなる等、サービス利用に制限がかかっておりますのでご了承ください。

なお今後も利用規約違反が続く場合は、アカウント停止の可能性がございます。

ご理解いただいた上でサービスをご利用いただけますと幸いです。

▽ 削除したコメントURL

https://newspicks.com/news/1672887?ref=user_148125

これはですね、まれにゃんにも説明したのですが、追記にとある方についてチラッと書いたのです。が、そこに書いたあだ名がはまりぎて、その「ご本人」の逆鱗に触れたようです。私は時々つけるあだ名が秀逸過ぎて人に恨まれます。反省

#冬彦
#京都
#インテグラル
#タイガース応援
#ツアー

今朝は起きたというより昨晩23時頃からずっと起きていた。早寝の私は家族より一足先に寝る。するといつも夜中23時頃に夫が娘を教育虐待する怒声で起きる。この時間が夫のファイアーピークと言うより、私のノンレム睡眠のバイオリズムが一番浅くなる頃なのだろう。で、起きてしまうともう眠れない。一度本当にこんこんと叱って「夜早く寝せる」と約束したのだが、すぐにそれは破られる。だいたい夫は夜更かしが大好きなのだ。私は夜はさっさと寝て朝早く起きるほう。新婚時代は付き合って遅くまで起きていたりしたが、子どもを産んでからはさっさと自分時間に戻した。子育ては体力気力勝負。自分のペースでやらないとやっていられない。そして夕べは娘への教育虐待の声ではなく、夫と娘がこぞって息子をイジメる声、息子の泣き声で目が覚めた。

夫は本当に息子に冷たい。「違うよ一緒だよ」と口にしていたりするが、ミュージカルの父兄懇親会で「私は娘担当なので息子が何をしているかわからない」などというくらいでもう本当に頭が痛い。すぐさま現場のリビングに駆けつけ夫に回し蹴りをくらわし息子を奪還、私のベッドにつれてきて暗くしてやるとすぐ寝てしまった。だったら息子を早く寝かせてあげたらと言われるかもしれないが、息子は早い夜ははっちゃけたいらしく、「パパと寝る」といってきかない。強引に連れてくると逃げ出すのでもうほっておく。

あーでもこれがいけないのかな。色々思うところはあるが、高知にも行きたくない、夏休みは友達とサマー公文のお楽しみ会に行くと言っているので豊洲脱出ももう期待できない。実家は夏は亜熱帯になる名古屋(近郊)なので行く予定もなく、大学も行く用事がなくなり涼めない、夏のバカンスの予定もゼロ、もうずっと豊洲にいるしかないようだ。でも夏休み半分はミュージカルで終わるし、半分は宿題やらせたり、日記用にどこかに連れて行ったりしたら終わるだろう。それよりもう本当に毎日睡眠不足、ひとりでぐっすり眠りたいものだとつくづく思う。こんな環境で美肌を守れている私ってなんかの広告塔になったら化粧品がバンバン売れそう。澤井先生ありがとうございます今後ともよろしくお願いしますビタミン剤が切れたので近々お邪魔します。


ということで、また前置きが長くなったが、眠れない夜を過ごしたまま私は朝早く豊洲のジョナサンへ行った。 NewsPicks の超大物ピッカー「まれにゃん」さんに会ったのだ。これ読んでいる NewsPicks Picker さんも運営もみんな超びっくり\ ( o ) /!だと思う。それはそうでしょう、自分でも驚いているのだから。どうしてこうなったか説明したい。


ことの起こりは私の悩みが発端だった。「もう今度こそ本当に根こそぎ NewsPicks から距離を置きたい」と考えていたのだ。「もう退部します」宣言から約2年、ほんとうに NewsPicks からは一線を画していた。コメントどころか全くログインしていなかった、離脱はうまくいったように思われた。それがヤマト運輸の再配達問題でブログを書き、それを NewsPicks に投げ込んでみようと考えたのが運のつき。でもあの記事にはコメントがたくさんついて、「再配達」というものはみんなが考えなければならない問題だと提起できたので満足、だが私の NewsPicks 熱もまた再燃してしまったのだ。その後については皆さんご存知の通り。   

私は今、やりたい事、やらないといけない事がたくさんある。まず「豊洲こども食堂」これは今一番やらないとダメだろうと感じている、それから「豊洲に将棋教室を」。秋に「3月のライオン」が放送される、舞台は月島、そのすぐ隣の豊洲に将棋教室ゼロと言うのは切ないではないかと勝手に考えたのだ。息子にも習わせてやりたいし、自分も覚えてひとつのボードゲームとして楽しみたい。将棋は「どうぶつ将棋」しか出来ない。将棋は脳と心に本当にいいものだと思う、囲碁もいいが将棋も是非身近なものになって欲しい。 他にも色々ある!学友とミニコミ誌を作る話も!これは流通センターで11月に販売されるそうで、もし私の作品も載ることになったら告知します。よろしくお願いします。  


それから一番やらないといけないのは「卒業制作」。第二回の締切に公約じゃない、個人の場合はなんというのだろう、また調べるとして「10万字書く」というのは実行できたが章を追加したりプロットを変えたりしたのでまごつき、「完成させたものを出す」というまでには至らなかった。これは猛反省。でもあらすじをガッツリ書いたので内容はわかるようにしてある。これ、多分12万字いくのではないだろうか。

書いてみて思ったが、長編小説ってすごく大変。ノンフィクションなら資料や事実、思い出したことを忠実に書けばいいのだが、自分で登場人物やストーリーを妄想しながらだと、あちらこちらで辻褄が合わなくなったリ同じシーンが何度も出てきたりと、整合性を持たせるのに一苦労。しかも1ファイルに12万字なので、だんだんソフトがフリーズしたり、何度も落ちたりする。2
MB メモリのこのマシンではちょっと大変になってきた。でも新しくパソコンを買うなら今一眼レフカメラが欲しいし、娘がリュックの紐が嫌だからと切ってしまい台無しになったものを買いなおす費用もいる。全くお金には羽がはえているというのは本当だと思った。


また話が逸れたが、そういう訳で NewsPicks 是非辞めたいのだ。もうログインしたくない!ヤマト運輸の記事投稿からまたやめられなくなったのはあれですよ、あれ。よくドラッグとか麻薬中毒の人が、一回でも再開するとまたずるずるとやってしまうというのと同じなのだと思う。特に中毒性の高いものは中高年になると止めるのが難しいと聞く。

あー私本当に
NP中毒なんだ、もうすっごい事件でも起こり「もう懲り懲りだわ」と思わないとダメだと考え色々やらかしたが全然懲りなかった。まれにゃんにもぶっちゃけ色々話しをしたのだが、「デブス」「〇ね」を連発して反発した Picker の半分以上からミュートされても、京都の冬彦さんから「お前はもうオフ来るな!」という怒りメールが届いても、インテグラル佐山さんを dis って本人からもしばらくミュートされたり、他にも運営批判して運営からオフを潰されるという意地悪をされても。全然懲りなかった。


もうこうなったらアカウント停止、通称「垢バン」というやつを運営に下してもらわないとダメなのではないだろうか、一体「垢 BAN 」して貰うにはどうしたらいいか考えていた。するとタイムリーにまれにゃんからコメントが届いた。すごくびっくりした。私は一度もみたことがないし、噂もわずかな記事でしかわからない。なのでもしかして皆が「こういう Picker がいたらいいな」という空想の Picker で、ツチノコや河童みたいなイメージをしていた。なのに実在の生物だったとは。発見!みたいな。


※祈念すべきファーストコンタクト。 


ちょうど「 NewsPicks 東京にいる名古屋人オフ」をやろうと計画をしていたので、そこにまれにゃんも誘ってみたら色よい返事を貰えた。メンバーも心よく賛成してくれてオフを待つだけだったのだが、なんと本家名古屋の大規模オフが、運営がぶつけてきた大阪オフのせいで中止となってしまった。名古屋と大阪って結構近いのですよ、新幹線の他に近鉄特急というのがあり、それでふらっと行けてしまうくらい。運営はわかっててやったのだと思う。しかもいつもの「抽選」ではなく誰でもウエルカム会、値段も手ごろだしこれはみんな行くでしょう。

つい最近までは遠慮して意見していたが、今日ははっきり言う。こういうやり方ないんじゃないの。当然「東京の名古屋人オフ」も中止にした。本家が出来ないのにこっちだけやるなんて、やっても良かったのだがなんだか申し訳ない。こんな運営の悪だくみオフ、みんな行くんだ!? ※この記事を受けて、名古屋の幹事から「炎上芸人は好きじゃない」とわざわざコメントが入りました。せっかく気を使ったのに馬鹿みたい。世の中こんなものですよね。

という訳でまれにゃんに中止のお知らせをするとすごく残念がってくれたが、残念なのはこっちだった。「垢バン」の秘密が聞きたかったのに。そこでまれにゃんに「お話ききたい」とお願いしたら、「いいですよ」と。そして場所や時間も色々悩んだが、「早朝」とお願いしてみた。何故ならこの辺り豊洲はご存知の通り、サメが泳ぎ続けないと死ぬように、人の悪口や噂をし続けないと死ぬというデブスボスママ軍団の坩堝、そしてそれに倣わない者はすぐさま村八分になるという恐ろしい魔境、そんなところにのこのこと二人でランチしたり夜オフなんかしたらたちまち噂になるだろう。「やっぱりあの人」って。

まれにゃんはもしかしたら女の人かもとも思ったが、男子校
NewsPicksにおいてその確率は5%くらいだろう。なので「早朝」にしたのだ。朝ならデブス達は自分の子どもや夫の世話で忙しく、私が何をしているか詮索する余地もあるまいと。するとまれにゃん、豊洲に来てくれるというではないか。場所まで指定してくれた。さすがサイゼオフの好きなまれにゃん、豊洲のジョナサンだった。24時間やってるなんて初めて知った。すっごい遥か彼方、一度だけママ友ランチできたことがあるそういえば。


まれにゃんと一度も会ったこともないし、危険じゃないかとちらと思ったが、オフに何度も顔を出しているようであちらこちら「まれにゃんラブ」の書き込みをみたりして人柄を推しはかった。あの大阪のまれにゃんオフも伝説ですね。逆にいえば向こうの方がすごく不安なのではないかと思ったり。でも私、「佐藤麗子」みたいなネカマでもないし正真正銘普通の専業主婦。沸点は低いが理由もなくいちゃもんを付けたりはしない。いつも弱い人の味方だし、そのせいでよく叩かれるけどもう性分だから仕方ないと思っている。


さて、そんなこんなでまれにゃんと早朝の5時半に豊洲駅で待ち合わせ。時間通りに行くと、まれにゃんがいた。もうどこから見ても「まれにゃん」という感じだった。というのは冗談で、そんな朝早く人待ちをしている人はまれにゃんしかいなかった。


豊洲のジョナサン。なんか普段縁がないので異国に来たように感じた。朝なのでモーニングセットを頼もうとすると、6時からだという。じゃあドリンクだけ頼んで後からモーニング頼むから代金相殺してくださいというとダメだという。運営みたいな一方的な事言わないでよと、「じゃあ6時まで水でいいです」というとまれにゃんが慌てて、「モーニングじゃなくてもいいじゃないですか」とメニューをくれる。

なんというリベラルで真っ当な人。なのになぜ運営から「垢バン」されたのだろう。そして私がこんな風でも「垢バン」されない理由は一体なんだろう。「朝だからと言ってご飯やパンを食べないといけない理由はない」と、私がプリンアラモードを頼むと、まれにゃんも「それもそう」とチョコレートパフェを発注。私が「期間限定メロンパフェにしたら」といったら一瞬ぐらついた風、でも「やっぱりチョコで」と意志の強さを垣間見せてくれる。 
 

  ※美味しかった。


そんなこんなで私の初オフ「 NewsPicks まれにゃんオフ in 豊洲」は開催された。


私はこう考えていた。 Twitter や「今日のまれにゃん」などの記事を読むと、まれにゃんはどうも NewsPicks を愛していて復帰したいと考えているのではないか。なので私と一緒に運営本部に行き梅田さんでも呼んで「私のアカウントをバンし代わりにまれにゃんを復帰させてあげてください」とお願いしに行くつもりだった。私はまれにゃんと違い、もう離れたくて仕方なかったのだ。ダメってわかっているのに寂しいだけで繋がっているだめんずみたいな関係、もう本当に断ち切らないと自分の未来が潰されるくらいに思っていた。早速まれにゃんに提案すると、驚きの答えが返ってきたのだ。


もうびっくり!

そうなの?

ちょっと本当に??


まれにゃんとpicker選手交代して、「普通の専業主婦に戻ります」と歌い終えたらマイクをステージに置くというラストまで考えていたのに、、私のことが嫌いな運営は助かり、まれにゃん大好きなpickerも大喜び、私は安心して卒論ができる。一石二鳥どころか三鳥。でもまれにゃんが、こんな状況でそんな風に考えているなら、私味方になってあげたい。 NP 愛にあふれたまれにゃんをそんな風に扱うなんて、運営ひどすぎる。どうせ誰かのついやらかした失敗なんじゃない。なのにまれにゃんのせいにして、責任を押し付けて。


という訳で、 NP 離脱を目論んでいた私はどうやらまだ残留しないといけない事態となった。しかも今まで半分冗談でからかっていた運営側と、本当に敵対することになりそう。でも小池百合子だってたった一人で頑張っているし、もともと私は豊洲でも大学でもどこにいってもひとりぼっち。別に運営に本当に嫌われたとしてもなんともない。

そしてこうも思った。運営って今、二億五千万も赤字決済して大変な時じゃない?なのでその八つ当たりにまれにゃんを垢バンして憂さを晴らし、まれにゃんがいなくなったものだから今度は私をターゲットにしていたぶろうという魂胆なのでは。まれにゃんの前はコアラさんと言う人がイジメられていたそう。なんなの
NewsPicks、ハラスメントの温床じゃない?社内でやるとチームワークが壊れるからって課金ユーザーをこんな目にあわせて。

NewsPicks
だけじゃない、今までもずっとそうだった、私が誰かを庇うと必ず次にターゲットにされたし、その周りの人達は全員イジメる側についたのよ。いつもいつもそうだった。同じことですよね。ちょうどまれにゃんと Twitter で出会ってから運営の態度がもっと冷やかになった気がする。西さんが怒っていた東京姉妹のコメBAN、名古屋のオフ潰し。


今回なくなった8月6日の名古屋オフ、いつもは40人くらい集まる大規模オフらしい。そこに私が「東京でも合同開催します」なんて書いたもんだから、運営から本家のオフを潰したのだと思う。ここで「運営」と書いているけれど、多分たったひとりだけだと思う。まれにゃんが「梅田さんはいい人」と何度も言っていたけれど、もしそうなら梅田さんじゃない他の誰か。私なんて課金したこともある優良 Picker なのに、何故こんな目にあうのよ。1,500円返して、生協に出ていた特売の1,480円のお米買いますから。私って本物の PRO には敵わないけど、一応コメントにはいくつも liked もつくし、こまめにログインして盛り上げて、全部無償奉仕ですよ。

もう本当にあほらしい、こんな事ならもっとビックイシューにも注力したい。そんなこんなで今度こそ辞めると思ったところにまれにゃんのびっくり話。さらにNewsPicksの深みにはまらないといけなくなった。一体どうしてこうなるの?

これらについては本人からそのうち発表があると思うので、これ以上書くのは控えます。が、これ、明るみになったら
NewsPicks自体が社会的に揺さぶられる大変な事になるのでは。猪瀬さんの告発に等しいくらいの惨事になるのでは。これで逆にまたユーザーが集まるなどと思っているなら、運営は本当にただの利益重視の鬼だと思う。もっと社会的に意義のある集団だと思っていたのに違うの?私、色々揶揄したりブログに〇ネと書いたのは本心じゃなかったのに。

運営が匿名アカウントを徹底的に排除したいという気持ちもわからなくもない。実名ユーザーというのはやはり安心だし、一昨年の私のネットストーカー事件のことを考えたら、わたし的には感謝しないといけないくらいだと思ってた。今回のまれにゃんオフだって、NewsPicksが安心な箱だから実現した訳で、わけのわからないSNSとは一線を画すと思っていたせい。日和るincもPROも平和の象徴と思えば納得。でもここまでやってはダメじゃない?見せしめだとしたら余計問題だと思う。猪瀬さんの記事の件で見直したと思っていたけれど、見込み違いだった?


ともかく「たったひとりの Picker に嫌がらせをして仲間外れにすることで結束を強くする」というイジメをするのは豊洲のボスママだけではなかった。猪瀬さんが告発した樺山さんが自殺した件もそうだったし、うちの娘も豊洲のいじめっ子たち(もう何人もいていい加減にしろ知らん顔している親が悪いよ!)から同じように意地悪されていて、一体この世はどうなっているのと思う


ところでまれにゃんと話して驚いたのは、これだけではない。まれにゃん、私が初期に参加していた時の「 NewsPicks ストーカー事件」を知っていて驚いた。「静かに存在していました、あの頃からファンでした」なんて嬉しいことを。こんな大物 Picker さんに、こちらこそ光栄です。世界銀行VS専業主婦や、すらら VS 専業主婦は知らなかったみたいなので説明。それから「今回の猪瀬さんのインタビュー記事で NP が電波少年になったら怖いね」というと、なんとまれにゃん電波背少年を知らないという。えええ ( ゚Д゚ ) 一体どれだけ世代が違うの??少々焦りつつ、家族のご飯が心配なので7時少し過ぎにお開きに。色々わかって満足。

お人形や吉高由里子や上沼恵美子のアイコンでお騒がせしている私の素顔、まれにゃんだけが知っていると思うと感慨深いわ。こんな風にリアルにNewsPicksの話をしたのは初めてで楽しかった。しかもこんな大大大ニュース。どうして私の行くところには大騒動が待ち受けているのか、もう何か引き付ける運としか言いようがない。だったらいつも買ってる宝くじの一等がそろそろ来てもいいのに。



※ランキングにもイン。だから?って、ユーザー100万人よ。しかもlikedが無条件につくproでもincでもない。


帰ったら「あれ、ママ大学いったんじゃないの」と家族が普通に食卓を囲んでいた。なんで大学。「( Newspicks についての)勉強会が豊洲であったのよ、もう終わった」というと、色々朝の支度に不備があると急に全員がぎゃーぎゃー言い出す。はあうるさい。ママがいないとそれだけで不安なのだろうか、本当に面倒だがあれこれ世話を焼いて送り出す。昨日祝日だったせいか新聞が届かないのまで私のせいにされて朝は終わった。


そんなこんなで朝からプリンアラモード美味しかった。パンやご飯を食べると具合が悪くなるけれど、スイーツなら平気みたい。それよりまれにゃんのために、書きかけのあのノンフィクション仕上げなくては。今月末に〆切の公募もあり、8月10日締切の課題も2つくらいやらなくては。他にも色々ある、どうしろと (T_T) ということでもう本当に NewsPicks やめられないなら、冗談抜きで自制しなければ。


そしてれこだけは告知!ちょっと、ううん、だいぶ先になると思いますが「まれにゃんオフ」やることになると思います。幹事は多分私じゃない、いなければ私がやってもいいけどまれにゃんと愉快な仲間たちの誰かがやるのでは。それよりまれにゃん、みんないなくなっても私だけは最後まで味方だから頑張って。仲間外れにされて村八分になった寂しさ哀しさ悔しさ、私は嫌というほど豊洲で体験しました。でもそんなものずっと後になれば笑い話になるものよ私はまだなっていませんけれども。そのうち PRO の誰かが若狭弁護士や音喜多議員みたいに、味方してくれる人が現れるかもよ。 Picker さん達の良心に期待しましょう。でもproってみんな何かあると「中立こそ正義」みたいなコメントするからダメかもね。


ところで、


「運営さん、何故こんな私を垢バンしないの?私もう NewsPicks 抜けたいんですけど」


結論:まれにゃんは女の子(^^)♡

先日告知した、「NewsPicks東京にいる名古屋人オフ」は、開催を見送ることにした。なんと本家名古屋でのオフが中止になってしまった。なんでも近い日に大阪で大規模な公式オフが開催されることになり、そちらに人が流れてしまったそう。参加人数も制限はなく誰でもウエルカム方式、内容も楽しそうで「NewsPicks祭り」といった様相。これは流れるよねと、名古屋の主催者の方に同情してしまった。

ということで、本家が出来ないのに東京だけやるというのもなんなので、こちらも中止にした。思ったより東京にいる名古屋人が本当に少なく人もそんなに集まらなかったせいもある。大物Pickerさんにも声をかけていて残念がってくれたが、この方はあちらこちらで引っ張りだこの方。軽く了承下さりほっとする。それにしてもユーザーベース(NewsPicksの会社)は大丈夫なのだろうか。

猪瀬さんのカミングアウトを大々的にインタビュー記事にしたりしてすごいが、猪瀬さん自身がサイトに書き込むのと、本流がインタビューして記事にするのとは意味合いが違う。確かに閲覧数は上がるし英断だと思うしわかってやっているのだと思うが、いつかの電波少年のようにならないだろうか。

もちろん猪瀬さんの勇気ある告発は支援するし今後にも期待する。こういうのって、本当に声にしないとわからない問題。みんな暴露してしまえばいいと思う。黙ってやられっぱなしだから、いじめっ子はつけあがるのだ。あの気の毒なpickerさんも気になるし、一度運営とも話をしにいきたいと思う。

ということで、今日は一日家にいてたまっていた家事をすることにした。最近用事が多すぎてテンパり気味。先日は朝早く江東区役所に行き二か所で面談、そのまま大宮のヘアサロン、叔父の様子を見に、豊洲に戻って小学校に行く、そこから息子の英語クラス、文化センターに。というわけわかめな日々を過ごしていた。どうしてこんなに詰め込むのよ私。かと思うと全部勘違いでアポが別の日だったり。本当にスケジュール組むのが下手で嫌になる。なのでこうやってあえて家に籠る日も作ってみた。

さて、今日やるたまっている家事とは以下の通り。
・布団の厚物を洗濯して仕舞う、薄物に代える。
・洗濯物を自分のとタオル類と息子のものだけ畳んで仕舞う。
・衣類を点検。古くなったもの着ない者は処分。
・本を断捨離。特に絵本、おもちゃを処分。

まあこれだけなのだがやり出すと切りがなくなり、たいがい「どうして私が」とブチ切れて途中で終わる。特に夫はなんでもとっておきたがる田舎のおばさんのような性格がたたり、何もかも捨てないでというためこみ星人。なので脂肪もたまりすぎて縦横もわからないくらい太るのだよ。もう、これは一番最後に余力が余ったらと思うので、たいがい未着手で終わりまた宿題となる。

だが寝具類は今日絶対せねばなるまい。シーツも全部代えるとなると一日仕事。でも私がしないといつまでも同じ寝具で寝続ける夫と子ども。一昨日は薄手だけれど毛布にくるまって寝ていて、驚いてはがした。熱中症になるでしょう!もう自分達でなんでもやってくれないだろうか。特に夫。だいぶ生活能力は向上したけれど、こういうところは言ってもわからないようで絶対やらない。あまり言うと喧嘩になるし、もう無駄な衝突は避けたいと思う。

とはいえ、相変わらず夫の教育虐待は続いていて、毎朝毎晩「勉強しろーーー!!!さぴぃーっくすうううーー!!」と祝詞の叫びは続いている。最近は娘まで嫌だと絶叫している。ご近所迷惑も甚だしい、本当にすみません。今日は今日で半休までとってSAPIX説明会に行った。こういうの私がやらないといけないそうだが、そもそも私はSAPIXすら反対。受検はいいと思うけど、どう考えても娘の負担になってる。娘がついていけないという意味ではなく、夫の期待値がSAPIXにより高くなりすぎて過剰な要求を娘にしていると思われ。

娘はすっかり勉強が嫌いになり、それはママが高卒のせいだと夫は言うが、確かにそうかもしれないが言われてハイハイやる子どもがいたら異常だと思ってる。娘が息抜きにクッキーを焼いたり編み物をしたりするのを私は止めない。そいういう自分の好きな遊びで心を膨らませないと、勉強といういわば苦役の入るスペースはないと思う。夫はまたそれが面白くないらしく、何故遊ばせるんだと文句を言う。遊ばせているんじゃない、好きにさせているだけ。私まで勉強しろなんて言い出したら娘は終わるだろう。

逆に息子は、私が何にも言わないものだからいい気になって、玄関にランドセルを放り投げ遊びにいってしまう。そして暗くなるまで帰ってこない。暗くなると寂しくなるのか自動的に帰ってくる。遊ぶ友達というのがいつも違う子と約束をしてくるので、聞いても全然覚えられない。でも道すがら挨拶してくれる小学校二年生くらいの男の子がそうだと思う。それにマンションのロビーや渡り廊下で集まってゲーム機をしている訳でもない、児童館や公園でワーワー遊んでいるようでこれならよい。そもそも家の子ども達には、あんな風に集まってゲーム機なんかで遊んでいたりしたら承知しないよと言い聞かせている。ゲームって私自身がしないせいか、何が面白いのか全然わからない。自分の知らない世界に子どもが夢中になるのが嫌なのかなと思ったりもする。だがゲームよりは公園で遊んでくれた方が私は嬉しい。

話は代わって間もなく都知事選が始まる。もう既に街頭演説が始まっていて、FBで追うと各候補者の方があちらこちら、あの手この手で有権者を囲もうと戦略を練っている。すごいなーこれ現代の戦争ですね。そして私は小池百合子さん推しであちらこちらで応援コメントを書いていたが、気になることが出てきた。それは江東区議会の方々が鳥越さん推しなのだ。考えるまでもなく、小池百合子さんの「都議会潰し」に反対表明をしている現れなのでしょう。そこでまた考えたのは、都議会が潰れると区議会もなくなるという事なの?だから反対しているの?ひとりおときた駿さんが小池百合子さんについて応援しているが、こういう人がもっと現れても良さそうなのに、一体この総勢で小池百合子叩きのような様相はなんなのか。

かといって私が小池百合子さんを推したイコール区議会に反発ということでもない。最近あちらこちらで区議会議員の方とお話をするが、政治というより自分の出身地をよりよくしたいという気持でやっている方が多く、こういうのはよそから来た私でも応援したいと思うわけです。何より江東区はもう子ども達の故郷でもある。街がよくなるためなら頑張って貰わねばならない。「ビジネスでは政治と野球と宗教の話はご法度」というが、その通りだと思った。

ということで私も今年の豊洲の盆踊りではかき氷販売のお手伝いをすることにした。良かった、焼きそばじゃなくて。焼きそばは暑そう。焼きそばだったらやらなかったと思う。焼きそば係の方ありがとうございます。そのうちまわってくる気がする焼きそば。そうしたら頑張ろうと思う焼きそば好きだからいいんです。

話を戻して鳥越さんは都知事としてどうなのか、私はまた猪瀬さんや舛添さんの二の舞になるような気がしてならない。彼らに悪気があったのか、なかったかというより、政治のからくりや諸事情がよくわかっておらず、それであんな風に途中で退任という事態になったように感じている。政治の世界は魑魅魍魎とした世界でもあると思う。迂闊に素人が入り込むと、担ぎ上げられ何かあるとさあっと担ぎ手が手を放してしまう。そんな風に落とされる危険もある訳で、共同会見の鳥越さんのキョどり振りに余計な心配をしてしまった。

小池百合子さんは本当に度胸がありますね、感心してしまった。都議会どうとかより、間もなくオリンピックも控えており、世界に都知事として紹介するならやはり押しもいい小池百合子さんがいいのでは。女性都知事だとさらに絵になるのにと思う。小池百合子さんほど美人な政治家はいないだろう。

それから私は今度こそSNSを卒業するために、ひとつの策を練った。「卒業します」宣言ではやめられない。嫌われてlikesがつかなくなっても運営に色々妨害されてもまだやっている。SNSを断捨離するためにはもっと大鉈を振り下ろさねばなるまい。それにしてもネットのない世界に戻れたら世界はもっと平和になるのではないだろうか。これからポケモンGOが日本にもやってくる。ますますスマホ依存が増え、GDPは下降し、人々の学習能力も、周りを思いやる心も確実に減少すると思われる。

これ、もしかして既に人間はコンピューターに操られているということなのではないだろうか。どこかにAIの総本山みたいな組織がAIにより作られ、ロボット化、オートメーション、新しいコンテンツなどで人間を楽な方へ楽な方へ追いやり、意欲をdelete しながら新しい世界を作り上げようとしているのでは。でも私は家事ロボット欲しいな。特に洗濯物を畳んで自動的に各クローゼットに収納してくれるものくらいすぐ出来そうなのに。そんな事を言っているからAIにつけ込まれるのだ。何もかも便利な世界には気を付けなくては。

便利な世界に感覚が麻痺し五感や本能が薄れたら、戦争やテロはなくなるかもしれない。でも逆に人を好きになったり愛する心まで消えてしまうのではないだろうか。好きな人がたくさんいる今の自分はまだ大丈夫そう。一番に家族、特に娘をもっと気遣ってやらねばと思うがなかなか上くいかない。朝からキャットファイトになるので、あまり構わないようにしている。ダメなお母さん。しょんぼり。今度はリュックが欲しいと言っていた。また一緒に見に行こうかな。


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画像はこちらのもの。仲睦まじいお二人。

天皇の「生前退位」はどうなるのだろうか。私は実現するといいと思う。そもそも天皇皇后両陛下のような激務を死ぬまでやって下さいという無茶ぶり、労働基準監督署は何を放置しているのか。定年があっていいし、年間稼働日を法律で決めるべき。退位が叶い、写真のような穏やかな日々が訪れますように祈念。雅子さまも皇后になれば病気も治るのでは。

追記:写真に感化され夫にハグしたら喜んでいたが、朝なのにもう汗でべしょべしょ、「うわっ」と飛びのいてしまった。もうちょっと痩せようよ。天皇はスマートでインテリジェンスでふさふさで素敵、美智子さまもいつまでも美人、日本の奇跡だと思う

相変わらず卒論に奮闘中なのですが、まだ出来ていません。今日はもう8日。あと2日ある、頑張ろう。そして終わったらプールに行きたい。文字数は現在ちょうど10万字まで書けました。でも章を追加したせいで、まだ完成していません。構成というかプロットもここから少し変えたいし、10万字は書けたのでともかく締切になったら提出することにします。最終的には12月に完成させればいいし、先生達にこの辺りでどうしたら物語が面白くなるのか聞いてみたい。

なんて、私がプール絶ちまでしてこんなに頑張っているのに学友のひとりはグアムに行っている。中国に行っている人も。どうも京都造形芸術大学通信教育学部というのはセレブが多いように思う。みんな色々な意味で余裕あるなーと感心しきり。私なら卒論締切終わったらでないと旅行になんていけま千円。

ということで前置きはこのくらいにして、今日は目出度いことがあったので報告したい。NewsPicksの総合ランキングで一瞬だが1位になったこのニュース、一位も嬉しいが、NewsPicks にこんなに名古屋人(愛知県民)がいたことに驚いた。なんだかあちらこちらからワラワラ沸いてきたような感じ。Pick は現在636、私が最初に書き込んだ時はほんの数人だったのに、一体全体どうしたのという感じ。でも名古屋愛嬉しいですね!名古屋はブスが多いとか書いているアホもいますが自分の顔面偏差値晒してから言いなさいよって感じ。とはいえ、私も実は「名古屋(近郊)出身」というのはちょっと恥ずかしいなと思った時も過去にあり。

公園で出会った顔がなすみたいに長いお洒落番長みたいなママに言ったら「名古屋笑、なんか食べ物が塩辛いよね。仕事でいったら矢場とんとか言うところに連れて行かれたけどなにあれ」みたいな事を言われたしもう10年前くらいかなしつこいな私とか、先日免許の書き換えに行ったら講師みたいな人がいきなり「ここに名古屋出身の人はいませんか」っていうからどうしようか迷ってなんかあると思って手をあげなかったら、「名古屋走りっていうマナーの悪い車の運転する地方がありましてね、あそこは本当にひどいらしいんですよ。だいたいねえ」とか名古屋をdisりだし、このーもうこいつの話聞かねえと思ってスマホいじってたら「おいっ、そこっ、スマホいじるな話を聞け」とか怒り出し、「なんだとこのー名古屋出身で悪いか」と言い返してやろうと思ったけれど免許貰えないと嫌だから我慢したけど、まあこういう感じでなんだかんだ肩身の狭い思いをすることがありました。

そう言いながら名古屋めしは美味しいらしく、なんだかんだ世界のやまちゃんとか味噌カツとか食べているじゃない。美味しいでしょう。名古屋の味は塩辛いんじゃない、「濃い」のよ。名古屋のいい出汁がぎゅっと詰まっているのよ。名古屋のいい出汁っていうのは、友愛だとか親切だとか、ちょっとお節介なところもあるけれど、人間味がたっぷりなのね。もう豊洲の薄っぺらい人間関係なんて吹けば飛ぶような温かさがあるんだわ。顔知っているのに挨拶どころか会釈もしない、「私に関係ない人」みたいな感じでつーんとしちゃって馬鹿みたいな人ばっかりなのよ。

昔若いママンが「顔知ってると思ったらとにかく挨拶だけしなさい」って私を育てたもんだから、ずーっとそれやってて全然返ってこないから消耗した時期もあったけど、まあ郷には郷に入れで私も無視するひとは無視していたんだけど、やっぱりこれおかしくない?子どもがみてどう思う?自分のママ友グループじゃない人はどうでもいい、その子どもなんかもっとどうでもいいとかいって子どもまでイジメて無視してあんたら最低の人間。

まただんだん怒りがふつふつとしてきてもうこれ以上怒ったら血圧計振り切りそうだからこれで今日は勘弁するけれども。

ともかくNewsPicks名古屋人OFF!やりますので東京在住でNewsPicksやってる方は是非いらしてください。最初は味仙がいいかなと思ったのですが、あそこコースあるけど若干集まるにはちょっと難しいところもあり、そもそも味仙って二件目三件目とか締めってカテゴリの店なので、最初は「世界のやまちゃん」でやります。

日にちは名古屋NewsPicksオフの開催される8月6日土曜日にやりたいのですが、私息子がミュージカルに出る関係でずっと詰めたり色々役目もありで、私幹事できないし行けないかも。なので今名古屋オフの方の西村さんと調整していますのでお待ちください。

ともかく総合ランキング一位ありがとうございました。

記事はこちら。

nagoya


「名古屋が「魅力に欠ける街」1位 市民にショック…(2016/07/06 18:49)」
https://newspicks.com/news/1650876?ref=user_337703

ニュース本文はこちら。
「名古屋市にショックが広がっています。全国の主要8都市のなかで、最も魅力に欠ける街に選ばれてしまいました。これを受けて、市は対策会議を開きました。」

たった二行のこのニュース、普通に考えたら一位になんかなりませんよ。私の名古屋愛は偉大だった。名古屋(近郊)のみなさん、もっと名古屋を誇りましょう、三英傑を輩出し、シバ神柴山さん(一部ではキャバ山と呼ばれているそうNPでは絶大な人気を誇る元PROPickerさんです)出身の名古屋、威張っていいと思う。

私のコメントはこちら。京都造形大学で文芸学んだだけあるかも。この「書く」パワーで総合一位!

祝🌻すごい!この記事がNP総合ランキングトップ!皆様名古屋愛のコメントをありがとうございました。


元のコメント:名古屋は日本じゃないです。入国にはビザが必要ですよ。インドにはインド人しかいないように、名古屋は名古屋人しかいない、私のように豊洲に住んで苦労している馬鹿はいません。名古屋の良さは凡人にはわからないでしょうね。コメダのモーニングに衝撃を受けて行列を作る東京人(田舎者)には逆に驚きました。


名古屋の人は気前がよく親切、三英傑を排出したあたりに土地の持つパワーを感じて下さい。そうだ、イチローも名古屋近郊よ。


Hayasiさん、瀬戸朝香も川島なお美も名古屋近郊出身です✨


追記: 木村さんちょっと直しました。これならいい?


追記2:シバ神柴山さんも?やはり三英傑を生み出しただけある。ちなみに柴山さんの「いい街だわ」というのはオカマじゃないです語尾が跳ねるのではなく落ちるのです。だ↑わ↓Repeat this sentences after me.だ↑わ↓名古屋の標準語です。


追記3:寿がきやは名古屋発祥じゃボケぇ。


追記4:名古屋行くとこないとはどういう了見。朝は栄地下のベルヘラルドのモーニングから始まり、テレビ塔→名古屋城→大須商店街は一日じゃもの足りない→その中にある信長所縁の万松寺詣で→もつ焼きのお店→味仙本店で締め、ふらふらとプリンセス通りを流す頃には夜は終わる。名古屋の夜は早じまい。なので朝のお楽しみモーニング文化が発達したというのは私が今勝手に考えました。


追記5:toru それから全てのアンチ名古屋に告ぐ。https://www.youtube.com/watch?v=nwxxtYCVOR4


追記6:西村さんやりましょう!


追記7:三上、Mine、佐山、MINOWA、Watanabe、sasaki、遠藤、砂田、D評価再提出。shinoharaは名古屋愛がちょっと足りないC評価。keisukeお前先輩に対してなんだぶっkoro


追記8:美紀、住んでないやん!


追記9:王さん、私が案内すると楽しいですよ。


追記10:清田、thanks(^^)/


追記11:大倉私も同じ道を通った


追記12:こらー!shinji!!スタンダードじゃない。


結論:NewsPicks名古屋人OFFが決定しました。


と、書いているうちに名古屋オフ幹事西村さんから「定期的にやっているからまた次回合同オフしましょう」とメッセージが。早!ということで、日にちどうしましょう。伊藤富朗さんと、大倉裕樹さんと私の3人で幹事しますので詳細についてはお待ちください。8月4、5、6、7日以外。それから7月30日は花火でごった返すのでやめましょう、はぐれたり怪我してもいけないし。

やったー\(^o^)/初のNewsPicksオフ!
名古屋人のみなさん、集まりましょう。よろしくお願いします。

追記:なんてやっていて、夕べの小学校の見回りの役すっかり忘れてしまいました。午後くらいまで覚えていて「忘れちゃいけない」と緊張していたのですが、夕方娘と浴衣買にいって、ああでもないこうでもないとやっていて帰ってきたらスコーンと抜けてしまいました。一昨日は子どもの個人面談忘れて先生から電話かかってくるし。わざとじゃないんです、本当にすみませんでした( TДT)

追記:名古屋地区NewsPicks会と合同開催します。名古屋人の皆さん某月某日某曜日空けておいてくださいね!場所は「世界のやまちゃんのどこかの店」二次会か三次会か締めで名古屋の聖地あの店に行きましょう。

FBグループ作りました。詳細はグループ内でご確認ください。

「NewsPicks東京にいる名古屋人の会」
https://www.facebook.com/groups/569739993210087/ 

上記fbに申請いただくか、Twitter、もしくはyurikomorio@gmail.com まで。

NewsPicks のOFF会でこれらの騒動をみんなでわいわい談笑しながらコメントをつけている。私が発表した。
「NewsPicksからのアクセスは2,880アクセス、翌日が7,606。以前のヤマトの記事の時は1,834でした」


※NewsPicks胞すごすぎ。一体どれだけ私が好きなのよ。

すると、おおっという声があがり、色々質問が飛んでくる。

「専業主婦というのは本当ですか」
「前にもこういうのありましたよね」
「沸点低いのはいつからですか」

などなど。そのうちの一人、もっさりした中年女性が手をあげた。おでこに赤く「H」 と書いてある。どうみてもリアルでいい事が何もないので、ネットの仮想世界で承認欲求を求め続けるタイプ。あの私のPickにコメントをつけて、生まれて初めて世に認められたのが嬉しいのだろう、頬を上気させ鼻息荒く聞いてくる。
「ご主人に言いつけるとNewsPicksが吹っ飛ぶといのは本当ですか?」
私は(ええっ?)と思い、
「そんな書き込みしましたか?」
と慌てて聞く。すると小さなメモを見せられ、「夫に言いつけてNP消す」と私の字で書いてある。いつ書いた?うちの夫にそんな力はない。私は慌てて言った。
「死ね!と書いたのは本当に消えろという意味ではないです」
するとわいわいしていたうちの一人がおもむろに立ち上がった。梅田さんだった。いたの?
「お見せしますよ」
と私を別室に連れていく。そこはNewspicksのデータセンターだった。
梅田さんが言った。
「みて下さい。運営は全部AIなんです。コントロールも全てAI、incになった時点で全員AIになります。名前を借りているだけ、実在しない人もいますよ。まれにゃんもAIが作りました。今回のことも実はあなたが掻き回すようにAIがコントロールしたんです。あなたの沸点を計算してあれを書き込むように」
私は黙って聞いていた。彼は続ける。
「今はあなた一人が敵となり、NewsPicksは今までにない程結束が強くなっています。これもAIのはじき出した世界。なんであれ盛況であればNewsPicksは注目を浴び、課金ユーザーも増えるという仕組み。AIに不可能はないんです」
驚き言葉もない私に、彼は更に言った。
「そろそろあなたの名前も貸して貰いましょうか。incになれますよ。一ヶ月1,400円お支払します、家計が苦しいのでしょう、払うより少しでも入った方がいいのでは。代わりにコメントは全てあなたの名前でこちらがします」
これについては私は素早く考えた。
(incはAIだからわざと面白味のないコメントをしていたのか。確かにそうなら自分の方が面白いコメントが書けるとユーザーは安心し、そして張り切って書けるだろう。だが森生ゆり子がつまらなくなったと思われるのは心外)
なので私はきっぱりと言った。

「お断りします。私の言葉は私が作ります」

彼はふっと笑いながら言った。
「そうですか、でもそういうと思っていましたよ。それならこれはどうですか」
という言葉と共に梅田さんがふっと目の前で消えた。今度はなんなんと思うが早いか、データセンターの別のドアが音もなく横にすっと開く。今度こそ私は腰を抜かしそうに驚く。現れたのは夫だった。
「NewsPicks楽しかった?君はお祭りが好きだものね、でももう潰して違うもの作るよ。今度は君を女王様にしてあげるから」 
夫の知らないところで暴れ回っていたと思ったのは、実は全て夫の作った仮想世界だったのだ。 やっぱり夫には敵わないわと私は思った。
夫は私の肩を抱きながら、めまぐるしく画像が切り替わるモニターを眺めて言った。
「このボタンを押してごらん」
私は言われた通りに光るボタンを押す。夫の代わりにAIが言った。
「NewsPicksは本日をもちましてサービスを終了します。ご利用まことにありがとうございました」
システムが全停止したのを見届けて夫が言った。

「さあ、家に帰ろう」

(完)

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という訳でまた不思議な夢をみた訳だが、タイムリーなのでブログに書いてみた。1年半ぶりに復帰して約1カ月。以前も1カ月で世界銀行との騒動で辞めたっけ。どうも1カ月くらいで色々あるのだと思った。あの時あの人も私も痛手を負った。なのであの人は暴力的な発言は消えたし私はNewsPicksから消えた。あの人はあの頃は飛ぶ取り落とす勢いでNPもスターピッカー扱いで記事にしたりしていた。なのに私とやりあったせいで。

そして今度は運営批判をしたらブログをいつも読んでいるという見ず知らずのおばさんがしゃしゃり出てきて(以下略)

うん、でもみんな思っている事でしょう。確かに江角さんの私立学校や私の私立園と同じ、明確なボスが存在する訳で、その人の作ったルールに添って、もっといえば持ち上げてハイハイ言っていれば目をかけてもらえる。一体誰が作った世界なのそれはあの人だと言えるけれど、もうこうやって皆が愛する箱になったのだから、もっと公明正大なルールでそろそろやるべきでは。

あの画像出ない件、アルゴリズムとかシステムフローとか言っているけれど、チマチマとした手作業というのは一目瞭然です。でもまた思うのは、ここまでしないと制御できないと思われているというのは逆に言えば光栄なのかもしれない。そしてあのボスママ軍団に構われすぎて死にそうになっていたあの頃の私ではない、「だったら何なのよ」とタイマン張れるようになった自分を褒めたいと思う。こういう私の資質を見抜いていたので、地元のヤンキーたちが私を慮ってくれたのかなとチラと思った。そのうちの一人はもう事故で亡くなったと聞いた。もっと色々で頑張って欲しかったのに残念に思った。

またしても「好き」と「嫌い」両極端な評価となってしまったよう。それは割とNP勝ち組と言われる層からはNGを突きつけられ、そうでない者からはWELCOMEだったよう。私はどうも金持ちに嫌われる、でもセレブには好かれるからいいかとも思う。いつの間にかyoko onoさんがフォローしてくれていた。私の志をわかってくれたのかと嬉しくなった。いつかお会いして世界平和についてお話してみたい。

それから、また色々なところから「お前が死ね」とかメッセージがきている。晒してやりたいが、それは人としてどうかと思うのでやらない。匿名もいるし、「死ね」であって「殺す」ではない。もし後者なら警察に行くが、もうこういうのも本当に慣れてきたと思う。一瞬えっと思うがあとは何とも思わない。

そして本当によかった、これでしばらくはNewsPicks 依存から脱却できると思う。今度こそ卒論頑張りたい。第二回締切まであと二週間弱。現在本文37,319字、成果報告書が18,318字、卒業制作日記が11,671字。プロットは出来ているが、やっぱりああでもないこうでもないと弄っているとなかなか本文に着手できない。でも絶対本文10万字書いて送りたい。

「やる」と言ったからには先生との約束が発生している訳で、「できませんでした」とか「代わりに成果報告書と日記を書きました」では逃げになると思う。だからやらねば。学友達は5万字書いたという人が多い。まだまだ書くのだそう。一体本年度の卒業研究はどうなるのだろう。先生達大変だな。これら多分私の「10万字書く」宣言をしたブログのせいだろう。諸先生方よろしくお願いします。

私はブログをやめた代わりにwordで日記を書き始めた。よっぽど何か書くのが好きなのだと我ながら呆れる。外出してもテキストが書きたくて仕方ない、スマホはすぐ電源が切れるのでメモを持ち歩くようになった。色々書いているので恥ずかしい、紛失しないように気を付けたい。

I'm shy.


【死ね!という言葉について】

確かに使ってはいけない、人に言ってNGな言葉NO.1だと思う。でも免疫ないまま誰かにいきなりこの言葉をぶつけられたら死にたくなると思うので、まあまあ慣れておくのもいいと思う。それほどインパクトのある言葉で、遣えばイメージも悪くなるし言われた方もたまらない。私は家族から言われたことはないが、中学の同級生に言われたことがあり、その時は本当に死ぬほど悩んだ。言う方は軽い気持ちでも言われた方は本当に死にたくなるし、死なないといけないのかと思ってしまうだろう。

もし言われて悩んでいる人がいたら、頑張ってこう言って欲しい。「お前が死ね」と。同じ土俵に立ちたくない、そんな言葉言いたくないと思うかもしれない。でも死んだらおしまいで、「死んだら驚いた」じゃ遅いでしょう。大勢に囲まれて言われるような事があったら、どうしたらいいか。もし中学生とかで親がシングルで社会的弱者だったら、助けてくれる人は周りにいないに等しい。まずは先生、児童相談所、警察、それから弁護士団体、教育委員会などなど。

最初はちゃんとやってくれるいい人に巡り会えないかもしれない、でも諦めないで頑張れば助けてくれる人はきっといる。私がそうだったから。だから諦めないで。その前に私のように暴れまくるのもいいかもしれない。面倒臭い人と思ってもらえたら多分もうイジメられないでしょう。全校生徒会でいきなり壇上にあがってマイク奪ってスピーチするのも面白そう。「お前らイジメが楽しいのかよ、死ねばいい!」なんて。一度しかない人生だから色々やってみるといいと思う。頑張れ!

追伸:幹事の厳命でスカイマークエアライン9月17日土曜日11時5分羽田発神戸行のチケットはキャンセルせざるを得なくなった。行きたかったがちょっと尻込みするような気持ちもあり、よかったかもしれない。ずっと「何着ていったらいいか。帰りはどうしよう、お土産は」などと頭の中がぐるぐるしていた。自分から遠慮するのは無理だっただろうし、「来るな」と言われて行かないなら何も問題はない。大学と一緒。浮いたお金は「豊洲子ども食堂」の資金にまわそうと思う。

豊洲子ども食堂」場所が見つからなくて困っている。月に一度でもいいので、キッチンのついた場所をを定期的にご提供ください。もちろん支払はします。これら情報提供お待ちしています。もちろんこちらからもコンタクトしますので、驚かずにご対応ください。 ママ友はゼロだがブログのおかげで顔だけは広くなった私、色々な方が一緒に考えてくれているがいい案がなかなか出てこない。いつもご支援ありがとうございます。

・豊洲内であること
・オートロックはない方が好ましいです
・月に一度でも結構です、時間は16時から22時くらい。時間は厳守します。
・食材などのご支援もお願いします。
・ご飯が食べられない子どもというより、イジメに悩む方々への支援の場とする。
などなどいずれきちんと記事にします。

logo
※こども食堂ネットワークのロゴ 

追伸:今回の件でブログとか色々無料で読まれて本当に損している気分になった。もうイケダハヤトみたいにnote で書いて一件300円にしようかしら。「これは豊洲子ども食堂の一食分300円に充当します」とか。いいじゃなーい♡豊洲だから資金調達等は問題ないと思うけど、人口密集地ゆえ場所が見つからないのだ。要支援。

もう本当に自分が可哀想で仕方なくなった。

「もう辞めます」「控えます」「1日5picksまで」などと依存症患者のように節制しながらpickしていたNewsPicks。とうとう私を全否定体制に入ったようです。
事の起こりはつい2時間前。「マークザッカーバーグさんのおすすめの書籍23選」という記事に、私はこんなコメントをしました。

いい写真ですね。賢い人は賢い顔、目をしているものだとつくづく感じました。やっぱり顔って大切。」

するとたちまち27Likesになり、その記事のトップpickerになりました。まあそういう事はたまにあります。PROの方が登場すると、さあっとLikesの嵐になり、トップに躍り出ます。

まあそれは仕方ないです。PRoの方々はやはり識者らしくじっくりと読ませるコメントを書きますし、有名人のコメントは読んで嬉しいもの。

でもそうでない人たちと同列に並ばされた時、いつもNewsPicks運営から「お前はお呼びじゃない、一歩下がれ」と言われるような扱いを受けます。

たとえばこの記事、先ほどこんなことがありました。書いたコメントを転載します。

いい写真ですね。賢い人は賢い顔、目をしているものだとつくづく感じました。やっぱり顔って大切。

追伸:ちょっと運営さん?私が26likesでLeeさんは16Likes 、何故記事のトップ画が私じゃないの?冷遇されていると思うのはこういう時。ちなみに森生ゆり子=まれにゃん?という説は違います。でも見事にちょうど被りませんでしたね。祭に参加出来なくて残念でした。まれにゃんさん、いつかOFFで飲みましょう。私は有料会員なので削除はされないはず。将来絶対PROpickerになると言ったけど絶対しないわ馬鹿馬鹿しい。

やまもといちろうさんかアカウントあってもコメントしないのは、タダで書くのが馬鹿らしいからですよね。私は素人だから書くけどプロになったら書かないわよ。by まれ子より


画像も貼りましょうか。

 
この「追伸」を書いてアップした途端、きのこちゃんの位置に表示されていた私は跡形もなく消えました。運営ってお休みないんですね。ご苦労様です。
 



私は27Likes。ええ、自分でもLikesしますよ、だっていい記事書けたら嬉しいでしょう。自分likesしない時もあります。

そして現在、再ピックした記事が、タイムラインに載らなくなりました。タイムラインとは、誰かが記事をpickしてコメントを書くと順番に並ぶんですね。ここに載らないというのは、やはり運営の悪意があると言って間違いないです。

あー馬鹿馬鹿しい。今度こそ卒論に注力出来そう。

とにかくこんなしょうもないハラスメントの温床豊洲死ね、東京死ねの次はこれですか。私って本当に小さな人間、こんな小さな水槽の中でまたアップアップしてしまいました。

NewsPicks ◯ね!


ご清聴ありがとうございました。

しかしマークザッカーバークさん、本当にいいお顔、素晴らしい目をしています。さかなクンの書いた小さな水槽ようなNewsPicksなんて吹き飛ばしてやって下さい。

1

そうだ、お手紙書いてみようかしら。
 

sakanakunn

最近まとめが書けていない。全部がーっと書いた後にまとめを書こうと思うのだが、書き終わるとぐったりしてしまい余力がない。おまけに今はclose したまま書いているせいか、まとめを読む人もいないだろうという気安さもある。なぜclose したままなのかというと先生に感謝の意を表明するためで、言われてその後いつものようにブログをアップし続けたら先生の叱咤が台無しだろう。反省しているかといえば「先生に深傷を負わせた」という一点は反省しているが、その他は必ないと考えている。大学がユダを支持するなら組織は腐敗している。もしそれらが問題になり退学になるなら、別になってもいいと思っている。

それはともかく時間と余裕がない。「何か書く」という体力と時間のほとんどは、ブログ、それから最近は様々なと会うため話すめに注力しているせいで、課題も卒論も小説書きもできていない。多分これからもっと違う方向にもともとは微々たるしかないリソースは注がれてしまうことになるだろう。単位を出来る限りとるために卒業を4月にというのは却下。「無事卒業できれば」が前提となるが、やはり3月の本校の卒業式にでることにした。大学の授業はもう私の先生の授業は全て受けたので、後のものは時間があえば受けるがプライオリティは低くてよいと、気にしないことにした。思えば昨年度は授業最優先、何もかもを犠牲にしてきた。でも今年最優先したいのはやはり卒論、私の持てる何もかもはこちらに注ぎたい。

仕事は色々に差し障るといけないというか締切を落としてしまう懸念があり、卒業までいったんお休みとさせてもらった。私は所属するエージェントと相性が良かったのか、さらりと了解を得ていったん終了となった。一度ちょっとあったが「これまでのお仕事ぶりに大変感謝しております」などと私側について下さり、引き続き仕事を続けることが出来た。うん、やっぱりなんかあるんだな私。でもこの件は私も感激してしまい、もうライターのお仕事はここでしかやらないと思ったくらい。メールや書類だけのやりとりでお会いしたことは一度もないが、こうして信頼関係が築けたいうことに安堵した。それと共にネットで繋がる人間関係もリアルも同じなのだと思った。

さて本題、今日は以前銀座へ火鍋を食べに連れて行って貰った方に、もっと本格的な火鍋の店に案内してもらった。一緒に行ったのは私の友達と、火鍋に連れて行ってくれたママ友の友達。ママ友4人の楽しいランチ会。「ママ友ランチの火鍋で大噴火」の火鍋も本当に美味しかったが、今日はそれプラスゴージャスなお店だった。自分が富豪になった気になってしまいそうなハイソサエティな雰囲気。普通のビルのワンフロアじゃない、目隠しされて連れて来られて「ここ、ペニンシュラホテルのVIPフロア」などと言われたら信じてしまいそう。



以前聞いていた通り、自分で調味料をブレンドしてタレを作る。でも種類が多すぎて何をどうしたらいいのかわからない。でも私の友達はすごく食に拘りがあり、彼女の手にかかりたちまち素晴らしい配合のタレが何種類も出来た。様々な副菜も、ちょっとした調味料の配合やワンプラスのトッピングでどれも美味しくなってしまう。ううん、さすが。私は火鍋の店を紹介してくれたママ友に「彼女はすごいでしょう」などと、延々と友達自慢をしてしまった。



でも火鍋の店を教えてくれたママもその友達も只ものではなかった。ただの自称専業主婦なのは私だけ、それぞれ心にすごく熱いものを持っている方々が集結したテーブルは、4種類の味の鍋のように話が煮えたぎってた。私はまた今日も大噴火してしまうだろうか。しかもこんな何故池袋に宮殿を作ったのというような素晴らしい店内、これから逞しく生きるためにたくさん食べよう。



そういう期待は一切裏切られず、もう様々に色々なものが運ばれてくる。ランチセットは好きな食材を選べるようになっていてシェアが可能。肉類6種類野菜8種類選び、山盛り盛り盛りテーブルはすごいことになった。特に海老がすごくきれいに盛り付けられ薔薇まであしらわれ、サイドメニューの箸休めは食べ放題。あー神様仏さま最近の私のこれらのラッキーは一体なんなのでしょうか。友達は「きてるんじゃない」などと言何が来ているんですか、訴状でしょうかそれとももっと大きくて強い愛情溢れるお叱りなのでしょうかそれとも大学からまでも村八分に?ドキドキしながら火鍋をつついた。



突きながら思った。この人達普通のお母さんの顔をしているけれども、まるでマサイの戦士達だわと。マサイの戦士がいったいどういう人達なのかわからないけれどもなんとなく感じた。マサイの戦士たちはものすごく意識高い話をしていた。当然私も世の中で一番どうでもいい、しかしとても大切な問題ママハラスメントについても色々お話したり?

どうしてこの世からイジメがなくならないのか、それはお母さんがイジメをして子どもに見せているから。なのでお母さん達が全員イジメをしなくなればこの世の中からイジメは消える。それからひとりでいる事をカッコ悪いと思う風潮、これこそが子どもを産んで赤ちゃんを連れたお母さんたちの強迫観念となり、群れることイコール常識的なものという概念を作りだしている。ひとりでいるのは恰好悪くない、むしろカッコイイのだと熱弁をふるってしまった。

マサイの戦士たちは「本当にそうだと」賛同してくれて、色々身の回りの話をしてくれる。もう本当にどうしようもない世の中、でも何もせずに手をこまねいているだけではやっぱり駄目なのだ。誰でもいい、そう声をあげる人がいなければ。私がこういうブログを書きだしたころ、たったひとりでやっていたせいか、変態仮面をみるような目でたくさんの方に見られたし思われただろう。ぼっちが何を粋がってやっているの。ひとりぼっちが寂しくて頭おかしくなったんじゃないの、と噂になっただろう。

でも石の上にも三年とはよく言ったもので、馬鹿を3年続けていたらちょっと風向きが変わってきたように思う。私のこのバカバカ日記、息子はバカバカニュースというが、これを「難しい問題に取り組んでおられて、頑張って欲しいと思う」と言ってくれたのはあの先生。でも先生達について面白可笑しく書いてしまったのは、こっぴどく叱られてしまったが、その他については先生的にノープロブレムだそうで本当に嬉しかった。

それから「意識高い系」といって志を高く努力するという者を嗤うという風潮があるが、それはおかしいなどと。意識を高く持たなくて一体何が人間を成長させるのと。現状に満足するというのも勿論大切だが、今をよりよくしたい世の中をもっと風通しのよいものにしたいという信念は、誰もが持った方がいいと思う。ちょっと違うわと思う違和感を大切にするというか、なんでもかんでも温度や空気を読んでそれに同調するという思想、とっても危険なものだと思う。動物界には「保護色」というものがあり、周りと自分の色調を合わせれば敵に見つかりにくい。でも私たちは人間、豊かな思想と無償の愛で他人を慮れるという特権がある。動物に倣ってどうするのと思わないのだろうか。

そんなこんなで様々な話をした。火鍋をつつきながらさながら「マサイの戦士白熱教室」のような様相になった。すっごくエキサイティングで楽しかった。調味料をとりに行くたび「ねえ、なんか楽しいね」「旅行に来たみたいじゃない」「今日なんかすごいね」と口々に言い合った。洋食にはワイン、日本食には日本酒、中華には紹興酒というように、何もかもの辻褄がピッタリ合ったように思う。この勢いのまま台湾にでも旅行に飛べそうな気持になった。

そのうち豊洲のママ友の友達がぽつぽつと話出す内容に、私は耳が釘付けになった。えっそうなの?そんな事があったの?すごい、そうなんだと。私はハラスメントの問題をブログや最近は現実問題として取り組んでいるうちに、もうひとつ解決したいものが出来た。その糸口になりそうな気がした。すごい有名人、でも色々大変なことがあったようで、でもそれはたったひとりの英雄により解決したのだそう。この話、どこかで当事者から話して貰えないだろうかと思った。多分普通にお願いしたのでは絶対実現しないだろう、でもママ友ネットワークにかかればあっという間に叶うと思う。

お会いした時に只ものではないと感じた。それは私が見込んだママ友の友達だからというだけではない、やはり同士は繫がっていくものだと思った。

話ながら同時に色々なアイデアがわーっと沸いてしまい、溺れるかと思った。天啓というのはこういう事なのかなと。豊洲やママ友トラブルのあれもこれもがーっと書き散らかし、不満を何も抑止せずマグマのごとく噴火するままの私のブログ、見苦しいバカみたいと思う人がほとんどだと思う。自分もそう思うから。でも何かいつもこれでいいのだともう一人の私が言った。いつも誰も彼もがやめろ恥の上塗り自分を傷つける行為だと非難した。でもやめるつもりは全くなく、馬鹿になりきればいいと何故か思った。

それがどうしてなのか、最近だんだんわかってきたと思う。そのきっかけはあの先生に叱られたこと。何故あの先生がわざわざ読んでそれについての話をして下さったのか。しかも私は通信教育生、普通ならいくつかの授業とテキスト課題で単位をとって卒業するだけなのだ。それがこんなに魂がぶつかり合うような面談を経て、私は開眼出来たように思う。そもそも京都造形大学は、通学が便利そうで都心にあるので選択した。国文学なら日大もあり、そちらの方がネームバリューもあり乗り換えもない。でも私はプログラムの多彩さ、それから「芸大」がやっぱりいいのだとここを選んだ。

その選択は間違ってなかった。芸術はやはり私を癒し、助けてくれるものだった。それは昨日今日だけでない、物心ついた頃からそうだった。私の周りにはいつもいつも様々な芸術があり、私はそれを愛し心の支えにしてきた。ママ友という不確かなものにしがみつき疲弊するお母さん達も芸術で癒してあげたい。その馬鹿の先頭に立つのはボスママ軍団ではない多分私。私自身も芸術で癒されたい、一番癒しが欲しいのは、私なのではないだろうか。

そんな話を少し前、講演をお願いする方としていると、「あなたはいつも人に囲まれて忙しそうにしているのに、何故ブログではひとりぼっちなどと書くの」と聞かれた。そんな風に見えるのかとびっくりした。以前誰かに聞かれた時、こう答えたことがある。ブログにママ友ゼロと書いて、実はリアルでそういう人達ときゃっきゃしているとリアルとバーチャルの整合性がとれない。なのでママ友ゼロにしているなどと偉そうに答えたことがある。でも事実私は友達が出来たが相かわらずママ友はゼロだ。もちろん子ども繋がりで知り合った人達ばかりだが、友達になる人は付き合いを子ども軸にしない。

きっかけは子どもでも、お互い同士で繋がり友達になった。子ども同士は仲が良かったり知らん顔だったり、当人にまかせっきりだ。それは私の理想像そのままで豊洲事情のそれとは全く異なると思う。なので私は異端児にみえるのかもしれない。でもこうしてアンテナを張り巡らせていると、こういう繋がりも出来るのだと思った。多分この4人はまたいつか集うだろう。火鍋かもしれないし、別の用事かもしれない。でもただのママ友ランチではない、決起の場になるだろう。今日は大噴火ではない、静かにマグマを胸のうちに滾らせた形になった。

今日の記念にと店員に集合写真をとってもらった。それをみて驚く。私、なんだか丸くない?トップが白のせいか、なんだかゆで卵みたいにみえる。まるっとして福々しい自分がそこにいた。私はゆで卵はない、健気にでも凛と咲く可憐な白百合のはずだ。今日も食べ過ぎてしまった。同士を得た喜びと、少々のショックで店を後にする。こんなところにこんな素敵なお店があるなんて、みんな知らないだろうな、ブログに書いたらあっという間に店がもっと流行るだろう、ブログもアクセスが多くなるだろう。でも自分達が行く時予約がとれないと嫌だから書かない。でも写真はアップしておく。こんなに食べて小旅行気分まで楽しんでお会計はひとり2千円だった。大大大満足。

池袋といえば中国街だそうで、ついでに本格的中華食材の店に立ち寄る。もう異国情緒満載、美味しそうなものがふんだんで、私と友達は大喜びしてしまった。あれもこれもと買い込み店を後にする。

そういえば葛西にインド料理の食材のお店をみつけ、大喜びで色々買い込んだことを思い出した。日本には絶対売っていないだろうという本格的スパイスに咽そうなカレー粉でカレーを作ったら、娘がすごく美味しいとお代わりをした。うちの子ども達は日本食カレーが好きではない。普通にご飯を乗せてカレーをかけると食べないが、スパイスをきかせてプッリなど添えるともりもり食べる。よしよし、そのうちいつかインドに連れて行ってやる。ただしバックパックのお金を使わない旅だよ。青春18切符の旅も真っ青だと思う。

さあ、夜は開けた。マサイの大地に朝日が昇った。もう何も怖いものはないと聖子ちゃんが私の脳内で歌っている。そりゃ聖子ちゃんは無敵でしょう、あんな素敵な先生を易々とゲットし、あの先生の奥様はお気の毒だと思うけれど、聖子ちゃんに目をつけられてしまったらしょうがないという気もする。私もこの世で敵なし最強のボスママとその愉快でない仲間たちに目を付けられ、豊洲のダークスターとして祭りあげられてしまった。

でもそこから何もかもが始まった気がする。自分がこんなに人だとは思わなかった。ちょっとつつかれるとぺしゃんとなり、そしていつまでもクヨクヨとひきずてしまう。でも今は違う。あの天災ともいえるママ友戦争から変われたと思う。協定を結ぶつもりは全くない。もうずっとこのまま戦いつづけたいと思う。私が平和的友好条約を結んだら、あいつら安心してまた別のところでイジメをするだろう。もう私ひとり叩かせておけば気が済むならそうしなさいと思っている。

そんな事を思いながら帰り、夕飯の支度、ブログの下書きなどして、夜から子どもの通う小学校の体育館に行く。この春からPTAのスポーツクラブに入会して運動不足を解消しようと目論んだのだ。久しぶりのスポーツは体が思った通りに動かない。でも爽快でいい汗がかけた。「明日腕が痛いですよ」と言われたが、起きたらなんのことはなかっ全然大丈夫。普段ブログや小説書きは、腕の筋肉だけは強くしてくれているのかもしれないと思った。今日ももうひとつのクラブに体験入会する。昼は子どもの英語の先生が出演するクラシックコンサート。

暇な時代は何もなく伽藍洞だった私のスケジュールは、忙しく彩られ始めてから更に様々な予定が飛び込んでくるようになった。これはどういう意味なのだろうか、なにかの法則かなと思う。派手ではないが、ともかく充実していることは確かだ。凹んだり浮き上がったり、これからも様々な曲線が描かれるだろう私の人生。それは自分の采配だけではない、運とか縁とか他人の目論見などでもカーブが違ってきたりするだろう。でも何があってもめげないように、そこに綺麗な色を塗ろうと思う。カラーは自由意志、好きな色を好きなように選びたい。

その前に体のデザイニング。若い時のようにボンキュッボンは難しいしはしたない、やはりここは柳のようにしなやかな体躯を目指したいと思う。しなってもしなっても、決して折れないたおやかな心と身体。そう、これだ。森生ゆり子やめて、柳生ゆり子に変えようかしら。でも柳生といえば博だろう。娘と勘違いされたら困る?もしかして得だろうか。あ、本当だ、いいかも。などとあざとい事を考えてしまった。

さあ、あさっての卒論の面談のために、添削された課題を読みなおそうか。あの先生はどうしていらっしゃるだろうか。叱りすぎたと後悔、それとももっと叱った方が良かったとキリキリとお考えだろうか。先生、もっともっと叱って下さい。先生に叱られると私は元気になれます。


【今日の小確幸】

久しぶりに書きたいだけ書けた。火鍋を食べると元気が出る。

豊洲や京都造形大学、そして地球上の日本語が読める皆さんこんにちは。いつもブログを読んで下さりありがとうございます。最近の記事を読んで、豊洲だけでない自分の通っている大学でも暴れまわっていると思われているでしょう。ですがそれは意図的でない何故かこうなってしまうという事態、私をよく知る方々ならお分かり頂けると思います。私は掻き回そうと思って掻き回しているのではない、いつの間にか掻き回してしまっているのです。本当にいつもいつも後悔します、なぜこうなったのだろうと。でもどうやったら掻き回さずにいられるのかがわからないのです。

私は話してみればどこにでもいる普通のお母さん、いつもぼっちでふらっと現れたかと思うといつの間にかいない。それは私が忍者なのではない、用事が済んだらさっさと帰るためです。 本当に邪気も何もない、健常で素直な私。何故私が豊洲で不名誉な立場として有名になってしまったのか、それは私のせいではないあの辺りのボスママ軍団とその流派にある一門どものせいなのです。が、大学でもそうでした。私を排除したい人というのはどこにでもいて、それはいつも嫉妬とか八つ当たりというわけわかめな理由。

好き勝手に妄想してニヤニヤしているのを、ほやほやっと幸せそうにしているオーラだと勘違いして勝手に気に障っている人もいるだろう。そんなくだらない邪心の存在を、結婚して子どもを産んで初めて知った。でも大学の方はいい、私個人の事だしあの先生の誤解さえ解ければノープロブレム。うーむ、大丈夫だろうか。このあたりは努力したい。

それにしても田中慎弥とうちの夫の男らしい事といったら。私がこんなにブログで好き勝手いじっても何も文句言わないのはすごいと思う。全く動じず普段通りのペースで生活していて、多分私のブログなんて女子どもの手習い、あれこれ口を出すと男が廃るくらい思ってそう。

私の目は本当に何もかもが見えてしまうと我ながら感心する。特に人を見る目というのは、一体全体どうしてこうなったというくらい精巧に出来ていると思う。見誤ったことってあるだろうか。最初のインスピレーションは全く私を裏切らない。それはやはり両親の育て方のお蔭なのではないか。 

私の父と母の教育方針ときたら時代錯誤もいいところで、女に学歴はいらないなるべく早くいい旦那をつかまえて速やかに子どもをたくさん産めというもの。それ以外は女は料理と茶華道を習い、家事に精通し男の後ろを三歩下がって歩けというようなものばかり。「妻を娶らば才長けて」という事をしょっちゅう言っていた。

当然門限もあるし、勉強以外のことは本当によく叱られていた。靴を揃えてとかお客さまには三つ指ついてとか最初のお茶はぬるめにとか礼儀作法とか。あれ、それでどうしてこうなっているんだろう。よくわからないが、ともかく自分で考えるということだけは覚えた。多分こういうよく言えば古風、悪く言えば時代錯誤な人達に自分の人生は任せられないと思ったのではないか。そうだそうだ、そうでした。なので自分で色々考えるようになった。

そういう目で選んだ夫は、やはり間違いなかったといえるだろう。夫以外の人と結婚していたら、多分ブログが原因で離婚していたと思う。それほど破壊力のあるものだと今回の件でやっとわかったように思う。なのに田中慎弥と夫は微動だにせず、本当にすごいなと思ったりする。もうひとり、書かれても黙秘している人がいる。そう、あの先生だ。でもあの先生はもう一人ではない訳で、そちらに色々影響が出るのでもう書かない事にする。先生、今までありがとうございました。本当にこの先生には足を向けて寝られないというか、やっぱり私は人を見る目があるというか。N先生の偉大さも、私は一目みてわかった。今回の N先生は私の邪気にグラグラしてしまわれた訳だか、もう今後はないだろうと思われる。そもそも先生を傷つけようと思う生徒など存在しない。先生はがっしりと師弟愛を享受だけして欲しいと思う。

でもその眼が一点見誤ったのは、夫がこんなに大人気ない人だとは思わなかった。大人気ないのは私だけで十分。家の中は子どもだらけになっている。そして夫と結婚したら普通に何不自由ない生活が出来ると思っていたのに、なんとなくその辺りは当てが外れたなと思っている。何不自由ないというのは今の生活で本当に十分とは思っているが、色々あるとあれこれ考えてしまうこともある。それは夫のせいではない、やはり子ども二人バディに入れてしまったというのもあるし、そもそもこんなに子どもにお金がかかるとは思っていなかった。

今小さな赤ちゃんを抱えて大変な若いお母さん達に言いたい、今の苦労も大変だけれど、近い未来お金が大変になってくるからちゃんと色々考えてと言ってあげたい。私が当事者の時もよく先輩ママに言われ続けてきた言葉だが、やはり自分がそうなってみないとピンと来ない。でも今渦中にいるのに、まだ事態がわかっていないのかもしれない。そのうち宝くじが当たるかもとか、夫がいきなり孫さんか北尾さんにスカウトされてNO.2になり高額な報奨が約束されるとか、勝手な夢をみてほんわかしている。

苦労が身につかないというより、苦労に慣れているのかもしれない。最近の村八分も我ながらすごいと思うが、一人暮らしではすごい貧乏も体験した。家賃が払えず追い出されそうになったり、ストッキングはたった一足を毎晩洗手洗いして履いていたとか、ディナーに招待されて古着屋で買った500円のドレスで出かけたとか、節約のため自炊お弁当の日々とか、裏の公園で食べられそうな野草を探したりとか、なんだかすごくそういうのが楽しくて面白かったのだ。雨風凌げる鍵のかけられる家があれば十分だと思っていて、今でも本音はそのあたりにある。

そうだ、今度卒業制作の面接授業にあの500円のドレスを着て行こうか。ドレスと言っても普通のワンピースともいえる。でも生地がツルツルしたサテンで形も綺麗、これにボレロと小さくてキラキラしたパーティーバッグを合わせればどこにでも行けると思う。大学には普段着のカーディガンを合わせればカジュアルがプラスされてよい。うーん、いいじゃない♡久しぶりにというかいつもだけれど、早めに行ってお弁当を食べたり、学友の誰かと話をしたり、書き物をしたり本を読んだりしたい。売店も新しくなっているので見に行きたい。

そんな幸せな毎日を過ごしている筈の私。今朝、夫に小澤征爾のコンサートに連れて行けと言ってすっごく叱られた。夫には叱られてもなんとも感じない。喜怒哀楽何もなくただふーんという感じ。「うちにそんな余裕があると思っているの?僕が毎月どれだけ苦労して決算していると思っているの」我が家の家計管理は最初は夫だった。でもある時会計を見せてもらうと、無駄が多すぎで眩暈がした。そこから私が管理するようになり、貯蓄がぐんぐん増えていった。夫はいい奥さんを貰ったと喜び、私も嬉しかった。

でも子どもが産まれてから、正確に言うと子ども達がバディに行きだしたあたりから一変してしまった。お金がどんどん飛んでいき、ママ友ストレスから家事育児がうまく回らなくなった。そのせいかどうか、夫は娘に執着し、彼女にどんどん大金をつぎ込むようになった。それは私にとって自由になったように感じて嬉しい気持ちもあったが、娘でも夫が私以外の女にお金を使うということは受け入れられなかったのではないか。学費や必要なものではない、どうでもいいものばかり。その辺りが娘と私の不仲の原因ではないかと思い当たったのが、今日の小澤征爾コンサート事件だ。

夫はそんなお金はないという。確かにお金はない、でも全くない訳ではない。小澤征爾コンサートに夫婦で行く金額は、この夏の家族旅行が一回消えるくらいの金額だ。そもそも夫はこの夏は旅行に行かない宣言をしている。それは娘を勉強漬けにするためで、経済的な理由はそれほどでもないように思う。なのに小澤征爾にNOをつきつけた。それは私に使うお金はないと言うのも同然なのではないか。

昔はこうではなかった。何か欲しいなと眺めたり言ったりすると、すくさま「欲しかったら買えば、100万も200万もするものじゃなし」などと言ってくれたのだ。私はもちろん言葉遊びがしたかっただけで、ただの物欲でジュエリーやドレスなど買ったりしない。倹約節約こそが健康と美しさのための嗜みだと思っている。私には500円の素敵なドレスがあるし、着物もたくさんある。

でも小澤征爾は別。小澤征爾のコンサートに勝る宝石がこの世にあるだろうか。私はそれ程クラシックに対して深い造詣がある訳でもない。でもやはり小澤征爾だけは別物だと思うのだ。私たちは去年結婚10周年を迎えた。記念に何か買おうかと思っていたが、ちょっと無理して欲しくもないダイヤを買うよりもっと家族の象徴のようなお金の使い方をしたいと考えていた。 

そうそう、結婚記念日がちょうど大学のスクーリングの日だったので、帰りに家族を呼び寄せて隣のパークでバーべキューを食べた。今年は何もないので息子が食べたいと言っていた豊洲の焼き肉屋に行こうと思う。話が逸れたが、結婚の周年記念に小澤征爾コンサートというのは本当に何もかも素晴らしい選択ではないだろうか。サントリーホールのコンサートは正装がドレスコードらしい。500円ドレスや若い人達がぴらぴらと友人の結婚式で着るようなものではダメで、洋装ならイヴニングドレスと本気ジュエリーが必要だろう。

私は着物で行きたい。日本人の正装といえばやはり着物。ちょっと着てみたい着物があり、久しぶりに装ってみたいのだ。姑に言ってイヴニングドレスその他を借りてもいいかもしれない。あの人は本物のお嬢様だったので、隠し部屋の桐たんすの中にそういうものがたくさんありそう。でも色々言うと欲しそうに思われても嫌だし、やはり着物で行くことにする。着慣れないドレスより、やはり自分の着物は落ち着く。それになんだかんだ色々失敗もするが、私は着物が好きなのだ。

夫と喧嘩した時に私は言った。「結婚という仕切りがなかったら、もうとっくに誰かに小澤征爾連れていってもらうのに」半分冗談だが半分本気だった。もうかなり年喰ってはいるが、女ポケモンとしてまだなんとかなる気がする。女ポケモンとはなんとかフレンドでも恋人でも愛人でもない、ただ連れ歩いて見せびらかすだけのアイテム的女。夫とのスタートだって女ポケモンから始まり、友達になり恋人になり夫婦になった。女ポケモン、自立の象徴でもあり決して悪い立場ではないと思う。しかしながら結婚してしまうと、これはあっという間に非難の対象になる。

夫が言った。「うん、いいじゃない。そうしなよ」と。売り言葉に買い言葉ではない、本当に心から言ったのだと思う。傍からみたら夫に蔑ろにされている気の毒な奥さんと思われるかもしれない。でも私はまたしても自由を手にしたように感じ、ちょっと嬉しかった。

なので、どなたか私を小澤征爾のコンサートに連れて行ってください。よろしくお願いします。と、以前の私なら書くが、そういうので妙な噂をされて村八分になったし、見ず知らずの方に期待を持たせてはいけないと思うのでやめておく。特にこんな豊洲みたいなピラッピラな街に住んで「キャナリーマン」などとパパトモ作ったりするエセレブが勘違いしてコメントよこすといけないし。そういう訳で結婚して生活が続いている現状、やはり「女ポケモン」は卒業せねばなるまい。なので夫にお願いしておこう。「いつか連れて行ってね、あ・な・た♡」


【今日の小確幸】

なんか可愛い奥さんぽくていい感じかも。

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※ただのイメージ画像。ジュエリーにはもうあまり興味がない。

つい最近のブログの記事に、香山リカさんの講演会を企画した話を書いたせいか、今香山さんがどんな活動をされているのか興味を持った。google で検索してヒットしたのがタイトルの講演会、以前私が香山さんに講演をお願いした内容と通じるものがあり、早速出かけることにした。 



主催は「香山リカさんと子育てを語る会」とある。どんなお話が聞けるかとすごく楽しみにお邪魔した。そもそも私、自分が企画した講演会では香山リカさんのお話を全然聞けていなかったのだ。会場運営、司会、香山リカさんのご接待、講演会中の見回りというか、0歳児からウエルカムにしたので泣いていたり飛び出してくる子どもの対応にハラハラし、録音を忘れ後で確認もできなかった。

でも参加してくれたお母さん達が「来て良かった」「気持ちが軽くなった」など、アンケートに喜びの声がたくさん集まり、開催して良かった、大成功だと本当に嬉しくなった。席はほとんと満杯で、後から聞くとら300名以上来場されたそうで、満員御礼とはこのことだわと思った。豊洲シビックセンターの大ホールならみっしり満員ということか。 

その時のテーマは「ストップ!児童虐待」私自身、なぜ自分の子どもを必要以上に強く叱ったり、手を上げてしまうのかわからず、悩むうちに香山リカさんの新聞記事に行き当たった。母親の孤独こそが子どもへの虐待の原因だという友達の持ってきた毎日新聞の記事を読み、思い当たることがありすぎてはっとしてしまった。その小さな新聞記事を手掛かりに、香山リカさんに講演をお願いしようと思いついたのだ。スケジュール等その他全然合わなくて諦めようと何度も。。。不思議と全然思わなかった。そしてやっぱり実現した。

その新聞記事と、講演会のチラシは今もある。なんでもとっておくものだと思う。小さな子どもを持つお母さんがすごく多くて、私を含め、新興都市の闇に悩む母親が本当に多いのだと感じた。

つい最近見かけた若いお母さんの姿を思い出した。すごく綺麗で若いお母さんがエルゴで赤ちゃんをお腹に抱えていた。そのお母さんはうつろな目で地面辺りに視線を落としていた。赤ちゃんはそんな顔のお母さんを必死にみあげ、何か言いたそうにじっと心配そうに目線をあてていた。あんな小さな赤ちゃんが、本当に心配そうに。私は何かすごくショックなものをみたような気がした。いつも持ち歩く鹿の小さなチラシを切らしていたが、ただ普通に声をかければよかったと後悔した。「どうしたの、大丈夫?」って。特にこんな小さな水槽のような街、色々色々あるに違いない。

そんな事を思い出しながら聴講した講演会。その時の私は久しぶりに重いものを抱えていた。『地獄変』ショックが薄らいだ後に残ったのは、やはりあの先生に叱られたことだった。どう対応していいのかという悩み。確かに先生の言う事は尤もだが、それを「先生が言ったから」という理由で何もかも受け入れていいのかどうか、先生のいうことをよく聞く生徒でありたいと思うものの、それをしたら後々先生がそれをがっかりされるような気がした。もっと先生とぶつかってみたい。私らしい着地点、先生も周りもみんな納得するものが何かないだろうか。

香山リカさんの話の中に、「生きづらい時代」に世の中の人々から、生きる力が欠落しまった理由は、「躊躇」が原因ではないかという説があった。これは偶然、桐野夏生さん講演でも「躊躇が一番よくない」と言ってみえて偶然に驚く。そうだ、アジアフォーラム、アジアの女性は皆悲しいと。それから、いつも誰かに寄り添い、ひとりでいられない一人は恰好悪いという誤った価値観が、特に女性の生き辛さを生み出しているのではないかというもの。そうでしたそうでした。色々勇気付けられる。

以前私にこんな事を聞いてきた人がいた。「ねえ、友達いらないの」と。私は何を聴かれているのかわからないけれど、ともかく「うん、あまり欲しいと思わない」と言った。友達とは欲しいとか増やしたいと思って出来るものではないし、この辺のママ友コミュニティのように無理にいつも誰かとくっついていないと行動出来ないような間柄ならいらないという意味で言ったのだ。するとその人は感心したようにやや呆れたように「強いんだね」と言った。その後色々話したと思うが、多分相手からしたら「友達いらない」私だけがクローズアップされただろうと思う。

そこから何がどう伝わったのか今ならなんとなくわかる。あのボスママの耳にも入っただろう。「じゃあ私たちあの人と友達になるのやめましょうよ」というニュアンスの事も多分言われただろう。何を言っても曲解され、尾ひれがつき拡散されるのだ。でも例えそうであっても、多分本当の意味は誰もが知っていただろう。でも知らないふりをした方がここでは生きやすいし何かと都合がいい。「あの人そんな意味で言ったんじゃないと思うよ」などとひとこと発言しようものなら、私と同じ目に合うのは明らかだ。

なんでもかんでも思ったことを言ってしまう自分を馬鹿だとは思う、でも「あんた嫌い」などとテロ行為発言をした訳でもなく、ただ自分の友達の概念を語っただけだ。これが変だという人がいたら、そちらの方が変ではないだろうか。こんな小さな問題意識もぎゅっと丸めてゴミとして処分しなくてはならない世界、やっぱりおかしいと思う。みんなそれぞれが意志を持っていて、例えば「友達」というものについてどう考えているか、悩んだことはないのか、自由闊達に話合える関係というのが友達なのではないか。

香山リカさんは何度も「他者に対する慈しみ」の大切さを語ってみえた。現代にある問題のひとつ、想像力の欠如という意味だろう。私はこんな風にブログを書いているが、弱者に対してはしていない。誰もがその圧倒的権力にひれ伏す具象に刃を向けている。それゆえ自分も切られて痛い思いもするが、もう絶対手を緩めたり降伏してはならないと思っている。私ひとりが犠牲になればといい格好するつもりもないが、もうここまで来たら最後まで見届けたい。

誰もかれもが自分の事、自分の子どものことしか考えていない。なのであんなボスママ達なぞに日和ってぎゅっと固まって誰もかれもが口を閉ざす。どこに行くにも誰かと一緒、学校の会合や行事にすら「団体」でやってくるのだ。でもバディに比べて小学校になると、そういう比率はぐっと少ないと思う。ひとりでさらっと来ているお母さんたちをみると私はほっとするのだ。 それは何も自分のぼっちが目立たないからではない、ひとりで行動出来るということはひとりで考えられる人ということだ。香山さんの言葉で印象的だったのは、人間関係を構築してそこを自分の支えにするのももちろん大切だが、自分で自分を支える力を持つことが大切だと説いていた。これが自立なのだと。本当にそうだと思った。

女性のサガとして、いつも誰かとくっつきたがるという性質がある。これは太古の昔、ひとりでいると命の危険が及ぶという時代の名残なのだろう。だがそれは今や男性までもが持つようになった。それは男性性の「仲間」ではない、イクメンだのイケダンだののカタカナになった途端、弱々しい群れになってしまったと思う。パパトモとは、なんとみっともない言葉だろうと思う。「固まっていないと不安」、こういう気持ちわからなくはないが、自分の子ども達には出来れば克服して欲しい誤った概念だと思う。そうして伸び伸びと思考の羽を伸ばし、本当の友達をたくさん作って欲しいと思う。

そんなこんなで香山リカさんの講演を聞いた後には、肩の荷が全部下りたような清々しい気持になっていた。本当に来て良かったと思った。年賀状のお礼を述べると笑顔がかえってきて益々嬉しくなってしまった。図々しくも「豊洲小学校でもお話お願いします」とお伝えした。本当にもう胸のつかえがさあーっと消えてしまう素晴らしいお話だったのだ。色々と虐げられて気の毒な目にあっている、シモベ子やシモベママ達にも聞かせてあげたいと思った。私って本当にいい人だなと思う。あの彼女達はボスママやボス子が自分を守ってくれると信じてくっついているが、自分達が消耗され、している事には気が付いていないと思う。もうわからない人はわからないままで仕方ないが、少なくとも私や娘の近くにはそういう大人はいて欲しくない。

司会をされていた方も元気いっぱいのお母さんで、同士のような気がして話しかけてしまった。原発問題にも取り組んでみえるそうで、いつかまたゆっくり話してみたいと思った。吉祥寺は成熟した街で、そういう大人が多いと思った。豊洲は生まれたばかりの街なので、自分も含めまだまだ大人が少ないのだろう。いつか豊洲も大人の街になるだろうか。少なくともオリンピックや築地移転のお祭り騒ぎが終わるまでは難しいと思う。

私は豊洲のママ友戦争の渦中は、すごく嫌なところに越してきてしまったと後悔した。でも今ひとりになってみて、こんな過ごしやすい便利なところはないと思うようになった。生きづらい時代を生き抜く力を、少しだけ持てたということではないだろうか。 でも未だ色々思い悩むことばかり、夜明けはなかなかやってこない。夜は本当に明けるのだろうかと心配になったりする。

それから香山さんの話の中ですごく印象深くかったのが「大学は内申書がないので何でも先生に言って」というもの。香山さん自身大学の教授をしていらして、生徒が何も発言しない事を憂いてみえた。かと思うと卒業間際の最後の最後に恨み辛みを書いたレポートを寄越されたりすることもあるそう。何故在学中に先生に立ち向かってこないのかと嘆いてみえて、私も生徒の立場で同じことを考えていた。 
       
それから原発のようなものを作ってコントロール出来ると思う浅はかさを、私たち人間はそろそろ反省すべきだと思う。他にも若者の貧困、食事もままならない子ども達が日本にも存在するという事実に驚く私は、本当に不勉強なのだと思った。「子ども食堂」という取り組みの存在を全く知らずにいたが、豊洲にも必要なのではないだろうか。逆にこういう「ただの金持ち」が多い街にこそ必要なのではないだろうか。自分達が如何に安寧とした不確かなものの上で生きているという事実を私も含めよく知った方がいいのだ。

なんだかんだママ友やママハラなどというどうでもいい事にどうこう言っている自分が、すごく幸せで恵まれていてそして馬鹿な人なのではないだろうか。それと同時に本当の馬鹿の集まりの中で、割とまともな種類なのだと我ながら思う。やっぱり私が変なのじゃない、今の世の中がおかしいのだ。


【昨日の小確幸】

久しぶりの吉祥寺はやはりいい。すぐ帰って来てしまったが今度またゆっくり。

以前、怪我をした後風邪をひいた叔父を見舞った時、「もう訳がわからないようになった」と言っていたのを思い出した。今自分がそういう心境になってみて、初めて叔父の気持ちがわかるような気がする。青木ヶ原の樹海をさまよっているような大きな森の中に入り込んんでしまったような、出口のみえない迷路で焦っているような。 朝夫の蒲団に潜り込み、もう大学辞めたいなどと愚図愚図してしまった。理由は何と聞くので、「芥川龍之介の『地獄変』を読んで、本当に怖くて神経が衰弱してしまった。それから自分が文章を書くのも怖くなった」と正直に言うと、「ああ中学の頃に読んだかなあ」などと眠そうに言う。読んでなんとも思わなかったのだろうか、色々考えて消耗したりしなかったのだろうかと疑問に思った。そして、そうだ、夫はこういう人なのだと思いつく。理系能なせいか、非現実的なことはきっぱりと受け入れない。

私の場合は、もう本当に読後すぐ「あっ」と思った。しまった読み終えてしまったと。多分、自分はこの物語をしばらくは引き摺って、立ち直れないというような嫌な予感がした。予感は当たってしまったように思う。豊洲図書館で借りた文庫本の中には、『藪の中』『地獄変』『羅生門』『蜘蛛の糸』が収録されている。『羅生門』は多分私も中学で読んだのではないか、『蜘蛛の糸』は絵本にもなっており、子どもにも読んで聞かせたことがある。『地獄変』は中学高校の指定図書にもなっているそうで、多感な青少年の頃に読ませていいのだろうかと心配になったりした。 読んでその後の読書会で色々言い合ううちに、気持ちが奥に奥に入り込んでしまうような感覚に陥ってしまった。

昔の文豪は自死した者が多い。芥川龍之介、太宰治、三島由紀夫、川端康成は三島由紀夫の死にショックを受けて死を選択したとの説もある。だが直接の理由が何かというより、複合的なももののひとつなのだと思う。芥川龍之介の自死の理由は厭世と言われるものから、才能の限界、「僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」というセリフは有名だ。鬱に罹患し、様々なことが重なり「もう訳がわからなくなった」という事なのではないかと思った。 様々な物語を書いていくうちに、その物語の世界観に憑りつかれたのではないだろうか。魑魅魍魎としたものが跋扈する世界観を創り上げ、平常な精神でいられる訳がない。『地獄変』の絵師が、絵を描き上げた後に自死するシーンがある。地獄を見てみたいと希望して叶ったそれは、絵師には到底受け入れ難いものだった筈だった。芥川龍之介はそんな世界を作りだしてしまった罪に、時と共にじわじわと取り込まれてしまったのではないか。太宰治も同じように感じた。

 太宰治は、昨年の夏に私を苦しめた作家のひとり。授業で連日太宰太宰とやっていたら、夢枕に太宰治が立つようになった。太宰治は「津島修治」だと名乗り、さっぱりとした顔で笑っている。私は恐ろしくなった。そんな日が続いたある日、もうこれ以上関わっていたら私はあの世に連れていかれるのではないかと思い、太宰治の墓に行き「私はまだまだ生きるつもりなのですみません」とお参りをした。するとその日からぷっつりと太宰治は現れなくなった。ほっとした。 その辺りからなんとなく元気が出て、課題も仕事もやり出した頃だと思う。その後すぐブログを書きだし、毎日更新した。こういう独自のスタイルのものは、普通のキラキラブログとは様相が違うというのは承知で書いている。非難もあるが、その逆もたくさんあった。

お礼や自分の心境を綴ったもの、それからクローズしていた頃は「再開してください」なんていうものも。なのでこれを読んで苦しみや悲しみから一時でも慰められ、勇気づけられた人がいるとしたら、やはり書いて良かったと思う。 先生からも賛否両論の指摘があり、書くことで傷つく人がいる事を慮り、難しい問題に取り組んで欲しいというものだった。もちろん自分でもそのつもりだが、『地獄変』の世界観にすっかりやられてしまい、書く事が本当に怖くなってしまった。私の書く言葉に傷つくのは、敵側だけではない、愛すべき人たちもだったという事実に慄いた。同時に小説を読むのも怖い、特に文豪の作品は何もかもに神経が圧倒されてしまう。なるほど「芥川賞」が文芸賞の最高峰のように言われるのも、致し方ないなどと思う。

 「小説は完成した時からリアルになる」と、以前論文研究の授業で発言したことがあるが、その通りだと今でも思っている。脳内上映の得意な私は、様々なシーンが脳裏に焼きついてしまった。『地獄変』は私のリアルな思い出のように変容してしまったのだ。このまま夏を超えられる自信がないし、もう大学に行くのも怖くなってしまった。次は卒業研究の個別指導、それからテストもある。行かなければ卒業認定はされず、留年、そのまま辞めてしまえば中途退学ということになる。 それもいいかもしれない。

そもそも武蔵美に入学したことから色々も始まったのだ。お金もすごくかかったし、家族の負担も大きかった。始めたのは気まぐれに近い感情だったが、今は自分の生活の中心のようになっている。これでいいのだろうか。そして、ここで踏ん張って卒業しなくてはという気持ちが、逆方向に私を揺さぶる。 多くのものを抱え過ぎてしまい、パンクしたといえるかもしれない。それでなくとも今年は特に子ども絡みの用件も多い、こちらが立ち行かねば大変なことになる。取り急ぎ急を要さない外せるものは外し余裕を持たねば。何もかも中途半端で、特に課題が本当に出来ていないのだ。全くブレのない夫の存在が、今日はありがたいと思った。今さらだが家族にもっと時間を使いたいし、逆に応援してくれている家族のためにも卒業研究や課題をやらねばと焦る。 

張りぼてのお化けを怖がる子どものように、メソメソしたりして本当に自分は甘ちゃんだと思う。酸いも甘いも文豪の作品、様々な出来事をバリバリと咀嚼し飲み込み、新しい世界を生み出すのが作家の仕事。だが、もうこんなものたちを乗り越えねばなれないとしたら、私は小説家になれなくてもいいと弱気になっている。物書きの心構え以前に、生きるためのそれが足りないのではないか。私はこんなに小さな人間なのかと残念に感じた。


【今日の小確幸】

雨の翌日は涼しい。さようならと言いたくなるくらい気持ちがいい。


自分がお母さんなのに「お母さんがいない」と焦る夢をみた。でもこういう夢をみるのは私だけではないみたいで、自分も経験があるというママ友さんも何人かいた。何故こんな夢をみたかというと、夫と娘の諍いを夢ううつで聞いていたせい。彼らはSAPIX病がピークに差し掛かり、命の心配をしなくてはならない事態になっているよう。

こういう時にお母さんが止めるべきなのだが、もう別々の船に乗っている娘に手が届かなくなっている。家庭はお母さんがしっかりしないと船が沈没する。家庭の羅針盤はまず食べる事、生活すること。夫が土日食事を作ってくれるというのはありがたいが不満もある。

以上、まとめ。
以下、長い方今日は眠い。

「こんな夢をみた」で始まる夏目漱石の「夢十夜」という小説があるが、この小説は夏目漱石の夢なのか現実に創造して書いたものなのかどちらだろう。「こんな夢をみた」で始まるのは最初の数編で、途中からはそのセリフなしでいきなり物語が始まるのも唐突な感じ、それがまた夢なのか現実なのかという疑問が泡のように浮き出て、奇妙な印象にもなっている。

そんな事を朝ふと考えたのは、多分夕べみた夢のせいなのは間違いない。夕べは一晩中夢を見続けていたように思う。色々な人が次から次へと出てきて色々な事を言っていた。本当はこうやって夢について色々書き留めたりしてはいけないそうなのだが、どうしても書いてみたいと思った。

それはこんな夢。リビングで私の父が妹を怒り続けていた。なぜ勉強しないんだ、どうしてやる気を出さないんだ、もうすぐ受験なんだぞわかっているのかと延々と。妹は怒鳴られ続けるのに限界がきたのかか細い悲鳴を上げ出した。ひぃーっという声がそのうちわーっという大声になり、すると父までがヒートアップして怒鳴りだした。そのうちお互いを罵倒し合う喧嘩のような状態になり、父が妹に手を上げ出した。「痛い、痛い」と大声で泣く妹。止めにいってあげれば良いが、頭と体が痺れたようになって私は起きられなかった。

同時に、一体母は知らん顔で何をしているのだろうと思った。母が止めてあげればいいのに。早寝の母はもう寝てしまったに違いない。それで時々眠りの浅くなった時に声を聞いているが、もう彼女もばっちりが来るのに嫌気が挿しているのだろう。でも母はどこで眠っているのだろう、我が家は3LDK、和室だろうか、それとも夫と娘の部屋?この家に母の部屋は存在しない。お母さんがいない。お母さん、どこに行ったの?私、お母さんがいないと困るよ。

と、思ったところで眼が覚めた。そしてしばらく「お母さんがいない」と考えていて、ああこの家のお母さんは私なのだとやっと思い出した。夫と私と子ども二人、私はもうお母さんなのだから、お母さんという仕事をしなくてはならないのだ。夕べ父と妹が諍っていたと思っていたのは、夫と娘だったのだろう。

一度「火鍋で大噴火」のブログを読んだのか、あの頃やや勉強熱は下がり、SAPIX病気もよくなったかにみえた。でもしばらくするとまた元の通り。夕べのような夫と娘の対立で、去年か一昨日児童相談所が来たのを思い出した。そろそろ夏になり窓を開けてやったらまた来るかもしれない。その前に警察や児童相談所に先に相談にいってみようかと思う。ああいう所は事故もしくは事件性がないと本当に動いてくれないところなので、いっても仕方ないかもしれないが気休めにはなる。

気の毒な娘、こんな風に夫と顔を突き合わせると野獣を檻に入れて戦わせているような惨状になるが、また違う場合もある。夫から昼間家の電話の方にcallがくる。すると娘は嬉しそうにさっと出て、「ううん、大丈夫よ。うん、うん」などといつまでもやっている。なんていいうか、一姫二太郎の悲劇というのか、馬鹿な夫婦なのは間違いないだろう。そして大元の原因は私なのだろうと自覚している。もう夫の決めた家族のルールに従うのが嫌になったのだ。夫という人種が家族の在り方やルール、子育ての方針にしゃしゃり出ると、その家族はたいがい崩壊するものだと思う。夫は一家の大黒柱だが、羅針盤になってはいけないのではないか。うちの家族はお互いが方向を決めたくて諍っているうちに、決裂して別々の船に乗ってしまったように感じる。私は快適だが、夫は不満そうだし子育て的にはよくないだろう。

これらに拍車をかけたのが、近所付き合いのトラブルあれこれだろう。そこからバディまで続き、私は精神が破綻するほどの大ダメージを受けた。その頃からもう神様も誰も、夫も信用しなくなった。そして誰かの作ったルールを守るなんて、馬鹿馬鹿しいと思ったのだ。それは国家権力や国の法律ではなく、ボスママと呼ばれる人達が勝手に作ったものだ。目に見えるものもあるし、見えない暗黙的なものもあった。本当に嫌だと思った。

そんな事を考えているうちに、夕べ夢に登場した色々な人を思い出した。そのひとりにウォーレンバフェットがいた。彼は一代にして財を築きあげたファンドスター。その彼が「もう誰かのためにファンドを創るのはやめた。もう誰のアドバイスもいらない、好きなようにHFの割合を決めてファンドを創る」と宣言していた。それから鬼平犯科帳を書いた池波正太郎も「あんな鬼平本当は違う、僕は僕が書きたい鬼平を書く」と清々しく話していた。あんなに自由闊達に成功したと思われる彼らも、見えないルールに縛られて嫌だと思った事があるのだろうか。多分あったに違いない。成功したからそれらが無くなったのだろうか、でもそこからまた色々あったのだろう。

「この家にはお母さんがいない」と気が付いて焦るというやつ、今日が初めてではなく時々そういう事がある。不思議に思ってママ友達に話したりすると、自分もあるという人がいて驚いた。母としての自覚が足りないのはその通りだが、一体どうやって気持ちを固めたら良いのか検討もつかない。でも毎日家にいて子どもの帰りを待ち、帰ってきたらあれこれ世話を焼いて夕食を作って食べさせる。テレビみていいかと言われれば、ロボットのように「ご飯の時はだめ」と同じセリフを飽きもせず毎日毎日続けている。これはお母さんの仕事ではないのだろうか、もっと大事な仕事があるとしたらなんだろう。

最近朝眠くて5時6時まで眠った後もぼーっとしたりしている。もしかして血圧が低くなったのだろうか。後で測りに行こう。聖路加の人間ドックの先生のアドバイス通り、あの頃血圧計を買った。手首に巻くだけのタイプで、姑にもプレゼントしたらとても喜ばれた。姑は毎日血圧を測りグラフにしているのだ。さすがゴッドマザー。姑は私のように「お母さんがいない」という夢を見たことがあるだろうか。今度会ったら聞いてみよう。


【昨日の小確幸】

コンサートのお誘いがあったこと。息子のお蔭でクラシック三昧なのが嬉しい。あの人は本当に社交的で人付き合いが上手い。誰に似たんだろう本当に。

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※最近息子とはまっているピアニスト金子三勇士さん。「三勇士シート」があり、親子で1,000円で観賞できる。子どもにもも本物の芸術をという素晴らしい試み。チケットまだあるかな

山本容子の作品展とUBS証券のプライベートバンキングセミナーにお邪魔してきた。どちらも素晴らしく非常に満足。特にUBSでは熱血プレゼンテーションで気付いたあれこれ、友達と人生の指針にしよう、お金持ちになったらこのサービスを利用しようと誓い合った。

帰りにパスザバトンと喫茶で一保堂に立ち寄る。そこで友人に様々な幸運があり、それを見た私は色々考えた。気付きばかりの二人にとってラッキーな一日だった。

以上、まとめ。
以下、今日は長め。

スイス銀行に行くと言ってもスイス銀行の日本支社は存在しない訳で、私がお邪魔したのはスイスに本社があるUBS証券のプライベートバンキングセミナー。ちょうどその日友達と山本容子展に行く予定があったので、そのついでにお邪魔した。 

今日の展覧会は銀座和光、次の用事もあるので待ち合わせをオープン時間にした。その後すぐ大手町に移動するつもりだったのだが、私が遅刻してワタワタしてしまった。それでも山本容子の作品はどれも素敵でじっくりみてしまった。今回は昔の作品が半分以上あり、それをアクリル絵画にしたものがメインの展。夢のある私の大好きな作品たちに癒された。

ずっと山本容子の展覧会に足を運んでいるせいか、どの作品もあれもこれも懐かしく思えた。これはあそこでみたとか、これはあの本のカバーだとか。観た当時の時代を思い出したり。珍しいコラージュ作品などもあり、私の派手派手しいものと違う、シックでセンスのあるものでさすがと感心してしまった。

そうか、こうやればいいのかと、早速真似してみようと考えた。これを見てから作品を作れば良かったと思った。私の造るもの書くもの、本当に子供が上手にかいたというものばかりだと思う。これはかなり以前から気にしていて、自分の作品が嫌で仕方ない時があった。今も色々考える。

その後大手町へ。ついでに寄ったというのが申し訳ない程、素敵なオフィスとパリッとした営業マンが着いてくれる。セミナーは新しい金融商品を紹介するものだった。差し障りのない程度に書きたい。ざっと日本経済の四方山話、新しい商品の案内、それからお弁当が出て、プレゼンを聞いた後はコーヒーまで。至れり尽くせりでまさに「接待」。こんな世界があるのかと友達と感心してしまった。


※色とりどりの美味しいさ

セミナー内のプレゼン係のプレゼンテーションが非常に素晴らしく、金融経済だけではない、人生の指針を示すかのような意味威厳のあるものだった。こんなに迫力のある本気度300%のプレゼンをみたのは初めてだった。ほんっとたまげた。帰り道、友達とそれについていつまでもいつまでも話していた。一見複雑そうにみえた金融商品だが、説明を受けると私でもちゃんとわかり、誰が何をどうやったらこうなるのか成程、一流の人というのは難しいことを誰にでもわかるように話すというのは本当なんだわと思った。

USB投資一任運用サービスというのは本当によく出来ていて、私も是非利用してみたい。外資は日本人をちょろまかすという概念を払拭したいと思った。でも申し込み最低金額が高すぎてちょっと無理。マンションを売却したら出来るかなというところか。「いつか、ね!」などと友達と話して会社を後にした。

お金持ちはこうしたサービスでどんどんお金を増やすのだろう。顧客の利益が守られなければクライアントは別なところに行ってしまう。そのために最高のサービスを提供するのだ。仕事をして報償を得る仕組みもよくわかった気がした。来て良かった。

※スターウォーズキャップのために毎朝ここでペプシを買った。懐かしい!

UBSはスイス銀行とは全く別の組織だったが、もしかしてすごい顧客になればそちらも紹介して貰えるということなのかもしれない。世の中全部繫がっているということ、豊洲の人間関係で初めて実感した私はそう結論付けた。あそこもここも全部そうだったではないか。こんな誰でもわかりそうな事を、私は最近になりやっとわかったのだ。苦労もしてみるものだとつくづく思ったりした。ちらとあの人を思い出し検索したら、アナリストではなくresearcher とあった。なるほとこういう金融商品を運用するために色々調べる業務なのだろう。「アナリストなんて私にでもできる」と書いてごめん出来ないよ!でもresearcherなら出来るかも、なんて♡

その帰りにお馴染みパス・ザ・バトンとお茶の一保堂に立ち寄る。友達はパスザバトンにくると、必ずいい目利きで素敵なものを買う。まるで商品が彼女を待っていたかのようなのだ。いつも感心してしまう。私はなかなかコレというものが見つからず、いつもマゴマゴ見るだけ。

でも今日はひとつだけいいものを見つけた。目黒区のアクセサリー美術館の館長が保存していたというシルバーアクセサリーのチャームが量り売りしており、廉価で小さな可愛い品々がずらりと並んでいた。早速友人はいいものを見つけ、私も気にいったものがあった。

最後は京都が本店の一保堂さんでお茶をした。私が大きな茶の缶が欲しくて寄ったのだか、二種類あり迷って買えなかった。代わりに休憩を兼ねて店舗で喫茶、彼女は抹茶、私は焙じ茶のセットを注文した。運ばれてきたセットをみて、私はハッとした。同じような値段だが、彼女の方が断然上等品という感じがする。私の方は簡素で侘びたもの。それぞれの立場に相応しいものが運ばれてきたと思った。


※ほうじ茶セット、とても美味しかった!

私は夫掛りで生活している専業主婦、彼女は家族の生活も支える会社員。それも彼女はすっごい努力で足場を固めたのだ。それを運が良かっただけなどと、様々なものにいつも感謝している。この日もずっと嬉しいありがとう良かった運がいいとニコニコしていた。私は夫、家族、周りの色々をdisり倒す日々で、豊洲なんかに縁があり運が悪かったなどと思っていて実際言っている。もうなんていうか、よくもこんな素敵な友達がいつも付きあってくれるものだと思った。お茶は自分達が頼んだもの、でもなんだかそれだけではないそういう何かがそれぞれに運んできた気がした。

彼女の抹茶には、ご丁寧にアフターティーとして焙じ茶がついてきた。それも彼女の好きなちょっと変わった銘柄のものだった。もうちょっと色々考えてみようとまた思った。私はいつも真面目に考えてはいるが、それはたいがい明後日の方向にいく。でも友達達は努力した分真っ直ぐ進んでいる。私は確かにたくさんタスクは抱えるようになったが、一番しなくてはならない事がお座なりになっているのではないか。それに何より感謝の気持ちが全然足りない。

抹茶が飲みたいという訳ではなく、焙じ茶もとても美味しかった。次は抹茶を飲みたいという訳でもない。それについて色々考えてみたいと思う。


【昨日の小確幸】

PASS THE BATONで初めていいものを見つけたこと。何かを渡されたって事かなあと嬉しく感じた。

※拾ったわらしべなどまとめてパ写☆チェーンは前からのもの。


※こんなのもご参考にどうぞ

コメント1いいねが4で終わったと思っていたNewsPicks 、ちょっと出かけている間にコメント40いいねが24になっていた。なんだそれで終わり?と思うなかれ、私のAmazonの記事はUU742 というアクセス数になっていた。UUとはブログを見たユーザーの数。いつもは100ちょっと、あの「拝啓校長先生バディの会長」という記事の時ですらUU200くらいだった。すごい。こういうのは炎上とはいわない、バズるという。

版画友達の版画展は素晴らしかった。新国立美術館で開催された「春陽展」という展覧会で、春陽会という団体が開催する作品展。かなり大きな団体のようで出品数が半端なかった。版画部門と絵画部門があったが版画部門を熱心に観て、自分はやはり版画が好きなんだと思った。観るのも作るのも評するのも好き。「今回はいいのが出来なかった」という友人の作品はお世辞ではなく本当に綺麗で素敵な作品だった。もしかして自分の作品も人がみればいいものなのかもと思った

以上、まとめ
以下、長い方

まとめを書くのをすっかり忘れていたが今日は書いた。でもそろそろまとめが必要ない長さにシフトしていこうと思う。今度こそ。あんなに長く書けるのは才能の一種と版画友達は褒めてくれたが、長いから読んでいないという。やはりもうちょっとコンパクトにしたいと思った。それから私の精神状態を心配してくれて、「山が高いと谷は低い」という言葉を教えてもらった。あまり高いところに登るとすこーんと落ちた時に辛いという。確かにちょっとテンションが高くなり過ぎてやばいかなあと思い出していたところ。昔ウツで休職していた友達が「人間はやや欝っぽいくらいの状態が一番健常」と言っていたのも思い出した。

でもどうやったらテンション下がるのかと考えていたところに学友からブログについて文句のメールが入った。それは丁寧な言葉で書かれていたがその分怒り心頭という感じで、さっとテンションが落ちた。目の前の版画友達にこれこれこういうメールが入ったどうしようと相談すると、話をさっさと整理してくれて、「顔を潰したと思うからそこは謝る。あなたを友達だと思って本音で話してくれたものをブログに書かれたらそりゃ怒るわ」と言われ、それもそうかと思った。

帰って落ち着いて考えて対応しようと思ったが、帰り道 になんてメールを書こうかと色々考えているうちに学友のお人よし加減に腹が立ってきた。いいように操られてるんじゃないわよ、もう今日こそ言ったると思ってがーっと長い長いメールを書いた。すぐ返信がきてまた私も返信をしてなどとガンガンやっているうちに気が済んだ。学友は呆れたと思うが色々考えてくれた筈。友人に書いた「私は高卒でなんの取り柄もないむき出しの女だけど」というフレーズに自分で笑ってしまった。はあーオモシロ。

※上の方のレストランでランチ

※はあー幸せ♡

その前に展覧会の話。私はてっきり友人が版画友達と小さな個展を開き、それに誘われたのだと思って行ったら大きな展覧会だった。素敵な版画作品がいくつもいくつも並び、それは本当に大きな作品ばかりだった。友人の作品はシブいピンクと薄いグレーのグラデーションが綺麗な作品で、写真をアップしても友人はいいと言ってくれたがやはり著作権問題もあるし、控えようと思った。私の版画の下手さが目立っても嫌だし。

ほんっとにすごい作品ばかりで感激した。今後友人の家にお邪魔して作品を見せてもらう約束になっているのでとても楽しみ。私も色々片付けてまた版画をやりたいと思ってしまった。やるならやっぱり多色木版かなあと思った。武蔵美の先生達の版画展でやらかした大失敗の話やまた星先生の話などして、ずーっとお喋りして楽しかった。もうすっごい人の話を聞いて、私なんてまだまだ大人しい方だなと思ったり。自分が出合った強烈な人の話もして「それはただの変わり者だわねえ」などと言われすっとした。

ボスママ達の話をまたして「でもそんな風にずっとあなたに目をつけるなんて、あなたが才能に溢れているからだわ」なあんて言われて嬉しくなってしまった。そうか、そうだったのか、なんて。でも逆に考えてみたらというアドバイスもあった。友人はすごく苦手な人がいて、怖いと思っていたそう。それでその人に会うと避けたり逃げたりしていたそう。それをその友人の怖い人というのは、避けられていると気に病んでいたそう。それを知った友人は一方的に考えるものではないと反省したそう。私も確かにあの育休が怖くて仕方なかったので、逢うとキリキリと緊張していたが、あちらにすれば「冷たい変な人」と思ったのではないか。

でもそこから育休は私に八つ当たり的嫌がらせの数々、接点が無くなっても人を操り相かわらず私を家族をサンドバッグにして喜んでいた。もしこれを何かの使命とか悪い人だからやっつけてしまおうと思ったなら心外以外の何ものでもない。死ねと書いて本当に死んだらシャレにならないが、あんな奴の事を悩み続けて10年もの時間を泥棒されたかと思うと本当に腹が立つ。 今でも悩んでいるのでまだまだ続くかもしれない。

そう考えるとNewsPicks は約1カ月の時間泥棒で可愛いものだった。それにしても「豊洲と武蔵野美術大学に謝れ」というコメントにはムカムカした。あんたさあ、ちゃんと読んでる?私は「京都造形芸術大学通信教育学部文芸コース学生」、武蔵美時代の課題で思いついて書いたが、今は所属が違うわけよ。ということで京都造形芸術大学に迷惑がかかるといけないのでプロフィールを「自称専業主婦」に戻しておいた。ふん、私の志の高さにおののいてしょうもないコメントしてきてあほか。もうNewsPicksもこんなカスタマーがいるようじゃ全然ダメだわね。枯れ木も山の賑わいとかいっても酷すぎる。

というのはあまり書くと私のイメージダウンになると思うのでもうこの辺で。そうだNewsPicks の「いいね」ボタンは「Liked 」ボタンだった。同じように「death 」ボタンも付けたらいいのではないか。そしたら「謝れ」と書いた奴とジャイアンのコメントに押してやる。「don't like 」なんかじゃ生ぬるい、でもこれ押されたら本当に死にたくなるかもなどと思った。

※NewsPicksは大したものだと思う

そんな訳で久しぶりのNews Picks と版画展は楽しかった。友人とも色々と話せてよかった。版画友達は本当に友達が多くて毎日が充実ている人。急遽もうひとり友人の友人が来たが、どこから見ても性格がいいでしょうという佇まいで嬉しくなった。性格のいい人には性格のいい友達が出来るものだ。私も友達でいてもらい続けるために、ボスママですら「許すわ」という人になりたいと思った。でもずっとずっと何万光年も先。

それから、友人との話から人生は短いと改めて思った。やりたい事は全部やってから死にたい。そして夫ともう少し仲良くしなくてはとも思ったが、まあこれでうちはうまくバランスが取れているのかもしれない。これも友人が言ってくれた言葉。私は人に言われるとすぐその気になる「単純星人」でもある。「適当星人」「ダメ元星人」など、色々な星のエッセンスがまじりあって私が存在しているのだわ。素敵。


【昨日の小確幸】

あの記事がたくさんの人に読んで貰えてよかった。「不在時の宅配は玄関前」ムーブメントが起きるだろう。

「今日はおとなしく課題をやる」と書いたが急遽書かないとけないことが出来たので今日はもうひとつ記事を書く。それはヤマト運輸が受けているハラスメント解決のための話題。


Amazon は送料無料をうたうことで圧倒的なカスタマーの支持を得て規模を拡大してきた大企業。そして私たちは送料無料を当然のように享受しながら生活しているが、それを支えているのはヤマト運輸で実際には毎日配達をしている人々。見ていてかなりな負担ではないかと思っていた。


以前News Picks で「地域の主婦をパートに採用して配達してもらう」というスレッドで、「近所の主婦なんて噂するから配達して欲しくない」というすららの女相談役と、「暇な主婦は噂するけれどヤマトの一員になれば教育されるからしない」という自称専業主婦の私とサイト内でバトルになったことがある。まあどっちもそうだという結論になったが、結局は近所の主婦に配ってもらうというのは実現していないようだ。

今さらAmazon は全品送料無料をやめてプライム会員だけ今まで通り送料無料などと言い出したが、それだってプライム会員が増えてAmazon がウハウハなだけで、ヤマト運輸の配送の方々の負担は全然なくならないと思う。


負担の原因はAmazon だけではない、家に誰もいないところに配送するという都会ならではの致し方ない事情もあると思う。暇な自称専業主婦は最近家でブログや課題をやるためいるが、時には煮詰まりマックや図書館でパソコンを開くし、ママ友と火鍋を食べにいったりする。そういう訳で誰かがいつもいつも家にいるという訳ではない。

在宅者がいないと宅配ボックスに入れることになっているが、これがまあ本当にささやかにしか機能していないのだ。何度かママ友に荷物を渡すために利用したが、午後になればもうBOXはいっぱいでポストに入らない。荷物を持ち帰るのが嫌で、オートロックを解く住民の後ろについて入り込み玄関前に置いたりした。それがボスママなので後で「勝手に入ってきた」などと噂されたのかちょっとその時も空気がおかしかったことがある。もう何をやってもダメな時はダメというか、この人はダメというのかそういうもので、宅配ボックスは役にたたない。

再配達票で再配達をお願いするからいいじゃないと言うかもしれないが、この巨大マンションの立ち並ぶ豊洲にいったい再配達票が何枚必要かということ。Amazonだけでない、再配達ももんのすごい負担になっている筈で、これが解決したらAmazonなんかどうでもいいのではないか。うちのお金がないお金がないとわめいている夫の元にですら毎日のようにAmazon から荷物が届くし、クリスタルガイザーを愛用している私は水は重いからと必ず通販で買う。そうすると最近担当が変わったのか、あの可憐などこかでキャンペーンガールでもしたらいいのにと思うくらい可愛い乙女がニコニコと運んでくれるのだ。すごく申し訳ない気持ちでいっぱい! 重いのに!

なので私のアイデアを無償で公開することにした。本当はお金になりそうと弁理士とごそごそ話したりしていたが、もう色々忙しくなってきたしお金は後からついてくるかもしれないと考えてぶっちゃけることにした。これなら宅配ボックスなどいらないし、再配達はゼロになる。もうヤマト運輸は採用するならお金下さいといいたい。それからAmazon のきつい要求から逃げた西濃運輸も真似するなら対価を要求する。そのお金はそのまま私が高知で「高知こども芸術の村」を普及させ、本当は豊洲が嫌で苛めで弱っている息子の魂を浄化させるための「疎開」の費用にしたいのだ。

暮らすということはお金がいる。芸術にはもっとお金がいるのでパトロンが必要。でも私はどっかのおっさんとか金持ちからお金を貰うつもりはない。そうなるとこの美貌に狂うあほは体とか時間を要求するしブログを閉鎖せよと言うだろう。そんなの嫌だと思う。なので企業がお金をください。

お前の要求はいいから早く策を教えろと言いたいだろうからさっさと言う。それは宅配ボックス以外にどこになら配達していいか、前以てカスタマーに聞けいておけばいいと思う。それをヤマト運輸はカスタマーに義務化すればいい。

例えば貴重品などはどうするか、ならば必ず手渡しか宅配ボックスという項目を伝票にチェックでも入れる欄を作ったらどうか。それでそれ以外のものはアンケートで配達場所を指定してもらう。うちは「いない時は全部玄関前に置いていい」と言っている。でも律儀なヤマトさんは必ずピンポンしてくる。なので居る時は出るのだが、その都度「いなかったら玄関前でいい」と言う。定期購入しているファンケルの青汁などは必ず手で再配達してくれるが、そういう常識を持っている人しかヤマトさんになれないのだろう。私もやっと覚えて毎月1日は予定を入れないようにしている。 

というかそういう小さな心がけをカスタマー全員がすれば再配達問題は解決する筈で、「置いていい場所」を宅配ボックス以外に住民たちがそれぞれ考えるべきだと思う。自治会がお金持ちなマンションだったら一軒に一個宅配ボックスを設置すればいい。勝手にオートロックをすり抜けて入るなと言われればそうかもしれないが、重い荷物をただで運んでくれる人達にそれを言うのは鬼ではないか、ただのイジメ、ハラスメントだと思う。

自分に関係ないから、自分の得にならない事はガン無視というのは豊洲だけでない日本どころか世界中の人達のほとんどがそうで、それが様々なハラスメントの要因にもなっていると思う。Amazon だってわかってやっているが、それは全ての人の便利を提供するという隠れ蓑でそのために苦労して大変な思いをしている人達を見捨てているのではないか。過労がたたって鬱になったり自死したりする人も多いというのはそういう事だろう。なのであの可愛いヤマトさんのために記事を書くことにした。

これは以前武蔵野美術大学の情報システムⅠの第二課題でレポートに書いたもので、以前からずっと考えていた。でもレポートに書いたのは、宅配ボックスのシステムをちょっといじくり、ボックスがいっぱいなら部屋番号を押すと、例えば「ゲンカンマエ」とか「トランクルーム」とか、置いていい場所が表示され、ヤマトさんは荷物をそこに置く。そうすれば再配達の必要もないし、負担は減るわけだ。でも全部それをやるとまた悪用する不届き者が出るかもしれないし、システムを変えるのもいいがそれならいっそ事前に全家庭に聞けばいいと思う。

防犯上どうかなどと言っている場合ではないと思う。外資は日本企業をハラスメントで弱らせる天才、あのスマホの部品がどうとかで日本の小さな町工場が巨大企業Apple を提訴したというニュースと同じ、日本人なら日本人同士助け合わなくては。それにどうせ盗まれたりしても保険があるし、箱の中身は本一冊とか小さなモバイルバッテリーだとかそんなものだろう。その辺に置いておいて全然かまわないものばかりではないか。今日は可愛いヤマトさんが箱が一部へこんだのでと恐縮していたが、中身はペットボトルのクリスタルガイザー、箱なんてどうなっても全然かまわない。

そんなこんなで「不在時の宅配は玄関前」運動をしたらいいのではないか。あの辺りの意地の悪いボスママ軍団はまた変な事言ってとニラニラするかもしれないし、その辺に置いていいなんて信じられないと言い放つ頭おかしいわけわかめな人種もいる筈で、それらはそのままでいいと思う。


でも少しでも「いいよ」という人が現れれて増えていけば再配達は減るはずで、負担も減少する。宅配ボックスのシステムを変える、ボックスの数を増やすということ、再配達を減らさなくてはならないという意味を、もう少しカスタマー側が考えないといけないのではないか。

そろそろハラスメントの本当の原因とか解決策をみんながみんな、考えないといけないのではないか。ヤマトさんの負担が減れば、その分の労力を被災地支援などに流用も出来ると思う。リソースというものは人でもお金でも時間でも有限で、無限と思うところに無理が出来るのだと思う。それは今考えることなのかと言われればじゃあいつなら考えるのかと聞きたい。それは自分の関係ないこと得にならないかもしれないが、周りまわって自分の所に何かいい事が起こるかもしれないし、自分ではなく子どもにラッキーがくるかもしれない情けは人のためならずという奴をこういう意味で発揮させたい。なので出来ることは地域でやろう。

ヤマトさんが苦労して重い荷物を何度も運んでいるのに知らん顔しているカスタマーというのは、イジメを見過ごす豊洲ママ達と一緒だと思う。困っている人がいたら「どうしたの」と聞いて一緒に考える、イジメられている人がいたら「やめなさいよ」と言ってあげる。それが普通の健常な世界だと思うのだがみんなは違うという。変な世界だわあという私を「違う星から来た」などと表現したり。そうだマリさんママ会じゃなく飲み会しようよ。

まあまたあのあたありのマリさん以外の全員の悪口になるので今日はこの辺で。課題も卒論も仕事もちっとも捗りやしない。困った。そう言いつつ今日は息子とIKEAに行こうと思っている。もう半年前から行きたいというか、用事があるのだが行けないでいる。今日こそ行かないと色々間に合わない。わー思い出したそうだったもう今日行くしかない。本当に毎日綱渡りでわけわかめになっている。 


そういう訳でまた長くなったがまとめ。

宅配を無料と思わないでカスタマーが考える。宅配ボックスを増やすかシステムのプログラムをひとつ増やす。部屋番号でどこなら置いていいか表示させる仕組みを作る。でもそれはすぐには無理なので、全戸に「どこに置いていいかアンケート」を実施する。これならプリント一枚で出来る。ネットにそういうページを作ってもいい。でもこれも悪用する人が現れると思うので、やはりプリントを配布する。ヤマトさんは毎日荷物を運ぶので、それと一緒に渡せばいい。説明は不要、説明もプリントに書く。

アンケートの回収は大変だが、新聞と同じで毎日のようにする配達のついでにすればいい。そうだ、新聞配達は勝手に入っていいのに配達員はだめというのはこれもおかしいのではないか。 まずはイジメの温床の街豊洲でテストしてうまくいけば全国でやるというのはどうだろう。イジメの街でうまくいけば他でも上手くいくだろう。本当に意地の悪い人ばかりの街なのだ。

まとめまで長くなったが、そういうことでやればいいと思う。ヤマトさんいつも配達ありがとうございます。うちのは玄関前でいいのでこれからもよろしくお願いします。実現したら報酬もよろしくお願いします。


【今日の小確幸】

いつか書こうと思っていた記事が書けて満足。ヤマトさんに「小さな鹿のチラシ」を渡しておいたので読んでくれると思う。


※これを再配達しろと言うのは最早イジメ意外の何ものでもないと思う。今日はたまたま荷物が多かった、しかもAmazonじゃない私の買ったものばかり。中身は水と食材と子ども達の衣類。左の私の23cmのパンプスが小人の靴のよう。これをいつも運んでくれるヤマトさんに改めて大感謝。

昨日は火鍋を豊洲のママ友と食べにいってきた。彼女は大人しくみえるがバイタリティに溢れた賢人だと思っていたが話してやっぱりそうだと思った。私は男性だけでない女性も見る目があるというか、色々あって養われたのだと思った。もうボスママがいくら楽しそうなイベントを企画して私や子ども達をのけものにして羨ましがらせようとしても無駄と思った。しょうもない人達とは一分一秒でも付き合う気がないガン無視する。それは学友の師匠の学友に対する態度でも学んだ。

それはさておきランチは楽しかった。以前から一度食べてみたかった火鍋。想像以上にエキサイティングでダイナミックなそれは、なかなか食べる機会がなかった。台湾好きな友達が美味しい大好きといっていて、でもその子と食べるランチは大抵違うもの。今度その子もその店に連れていってあげようと思った。そうしたらそのママ友の友達と4人で食べに行こうと思いつく。友達は多い方がいいというママ友はすごく喜んでいて、同じマンションの知り合いも紹介できてよかった。なんだちゃんと近所付き合いしてるじゃない、でもあのボスママの邪魔がまた入りそうで心配。

以上、まとめ。
以下、長い方。

今日こそさらっと書く。もうこの「文章を書く」情熱はそろそろ小説を書く方にシフトさせたい。書いても書いてもお金になる可能性の少ないブログなんて、そして読んだ人に「またこんな事書いて頭大丈夫」など思われているだろうあれこれ、もしかしてお金になるかもしれない小説とか、いつも締切ギリギリになっているライター業の記事を書く方に注力したい。ライターの仕事の報酬は微々たるものだがちゃんとお金になっている。本来ならそちらを頑張り報酬の高い仕事にどんどんシフトすべきなのだ。でもこんなただで恥を晒すような赤裸々暴露ブログ、もう本当はやめたいのくらいだ。

前置きはこのくらいにして本題。昨日は豊洲のママ友とランチをした。彼女とはまだ1年くらいの付き合いだが、いつの間にか仲良くなって買い物やランチにほんの時たま行ったりした。お茶だのランチだのあまりガツガツしないのにも好感を持っていたし、すごく静かで大人しい女性なのだが、時々話す言葉の数々にものすごい情熱を感じてはいた。それを言葉にしないだけで心の中はマグマがぼこぼこしているタイプなのだろう、私のようにしょっちゅう噴火するタイプとは違うのだと思っていた。何故昨日ランチすることになったかはメールの履歴を確かめればわかるが面倒なのでしない。でもなんらかの理由で約束したのだろう、しかも火鍋を食べに行こうというので火鍋を食べてみたいと思っていた私は飛びついた。ランチで火鍋をしているところがあるなんて知らなかった嬉しい。

銀座にある「小肥羊」といういかにもぷりぷりと太った子羊が美味しそうな名前のお店で、店内にはあちらこちらモンゴルの風景や羊の写真がびっしりでもスタイリッシュという綺麗なお店だった。火鍋の好きな友達は台湾が大好きというマリナちゃんのような人で、私はてっきり火鍋は台湾が元祖だと思っていたがモンゴルのよう。でもこれ、どうなのだろう。中村先生がレポートの出展としては認めないが素晴らしい記事もあるというWikipedia ちゃんに聞いたところこんな回答が。


※まさに食べる漢方薬色々入ってる感激

※本格的マンゴープリン

※スタイリッシュな店内、写真はモンゴルの風景、人、羊など

「火鍋の起源は、内モンゴルの羊肉料理として発祥したものであるとか[2]、磁器口の船乗りが牛・豚の内臓に塩・山椒を振りかけて完成した事により広まった「 重慶 火鍋」、「四川火鍋」などの名称で火鍋料理が知られるように、中国四川省を発祥としているとも言われるが、はっきりとはわかっていない。」出典:wikipedia「火鍋」

なによ、「はっきりとはわかっていない」なんて書き方どうなの。「諸説あり」くらいに書きなさいよと思うがそういう訳でモンゴルか四川かどちらかのようだ。でもどちらも陸続きで繋がる国、だいたいあのあたりの民族の食べ物ということで良さそうだ。そして元々繫がっていた日本の私たちもアジア大陸の食べ物は大好きという訳だ。

火鍋は想像以上にワンダフルでグレイトな料理だった。真ん中に勾玉の形に仕切ってある鍋は想像通り、でもどちらも同じスープというのは知らなかった。それの片方に唐辛子のざくぎりをごま油に漬けたものを足して辛くするスープが火鍋といわれる所以なのか。羊肉と豚肉をスライスしたものをしゃぶしゃぶにして食べる。野菜やキノコを合間にこれはじっくり煮込んで食べる。最後は麺で締める。

火鍋をつつきながら色々な話をした。どうして勉強することが大切なのか、仕事の話、友達の話、子どもがイジメを受けたらどうするかなどなど。私の考えと似ていて嬉しくなった。でも子どもがイジメられたらという話には私は忠告をした。それは彼女はまだ子どもが深刻ないじめを受けたことがないせいで、私が色々やらかして失敗した事をすると考えているよう。それは「直接言いに行く」ということ。それはやめた方がいいと忠告したのだ。

私は子どもがいじめれたら、都度都度直接本人もしくはその親に談判にいった。バス停だったり電話だったりしたが、そうすると余計にややこしくなった。相手は絶対認めず私がどうでもいい事でいちゃもんをつけたと言いふらされ、私や子どもが余計に孤立する結果となった。普通に考えればイジメられた方が「やめてよ」というのは当然の権利で、日本国憲法にも「人権を守る権利」というものが一番にある。でもそれは建て前憲法の最もたるもので、ママ友の世界でもそうだった。「うちの子はイジメなんてしていません」という堅牢な嘘の壁で自分の子どもをガードするのだ。いつもいつもそうだった。

逆にそう訴えてきた人もいた。先生の仲介でそれを知ったが、私は真相も確かめずにケーキを持って謝りにいった。うちの子はしていないと言っているが、お宅の子どもがそう訴えるのには事実かそう言いたくなる何かがあったはず、なのでごめんなさいねこれからもよろしくと。相手は直接的な謝罪ではないにせよ、色々思うところもあったと思うがケーキを受け取りありがとうと言った。娘はそれを知って「違うのにママは向こうの言う事を信じた」と泣いて怒ったが、そういうものではない、グレイにして治まるならそうすればいい時があるなどと諭した。でも本当は豊洲の一般的な対応のように「うちはやってません」とガンと撥ね付けた方が良かったのだろうか。このあたりまだ正解がわからなくてもにょもにょしている。それに本当はどうだったのかなんて、本人たちしかわからない。でも「うちはやってない」とガン無視することが正解だとは思わない。色々大変だし不愉快なことがあるとわかっていても、やはり双方で話し合うべきなのだと思う。ただ直接というのはやはり揉めやすいので、第三者を入れるのは正しいと思う。だがそれを学校で起きたことだからと先生の介入を入れるというのは如何なことかと思う。

PTA会長に「父兄間で仲裁する機関をつくりましょう」と言ったけれど、これもやはりどうかと我ながら思った。父兄とかPTAで「いじめ撲滅委員会」をするなら、そういうイベントを企画するのが相応しいと思う。さかなクンを呼んで講演会をしたり、弁護士によるイジメられたら人権を侵害されたらまずやること出来る事、などという勉強会をしたりすればいい。仲裁する人はそういう人を国が育成したらいいのではないか。現に今「仲裁センター」というような機関もあり、弁護士に相談する前に和解を求めて相談にくる人達のための組織がある。こういうのを地区ごとに設けたらいいのではないか。

学校の講演会で「保護司」という仕事があるのを知った。喧嘩やイジメを解決させる「和解士」というような人がいてもいいのではないか。それを暇でランチだお茶だのやっている専業主婦にやってもらえばいい。面倒は避けたいママ友も、役目を与えるとイキイキとやりだす。小学校の役員でもバディの卒業対策委員もそうだったではないか。人は使命を与えられると喜んで仕事をする、だが誰かに無理やりされせられるものはガンとして受け付けないものだ。仕事も勉強も。夫はまだ娘の本心に気付かずガツガツと怒鳴りつけている。もーやだ。というのはまたの機会に一度がっつりと書いてやるとして、そういう「和解させる」人というのは必要だと思う。そうして先生達は本来の仕事である「勉強を教える」をしっかりやってもらう。子どもはイジメに悩むことなくどんどん勉強して貰う、先生も余裕が出来ていい感じに授業がすすむ。いいことだらけではないか。

※朝ごはんを作って食べさせ送り出すのでいったん中断

やれやれ、今朝も息子を泣かせてしまった。そして夫には木製サラダボウルを投げつけた。もう本当に児相も警察も毎日見回りに来て欲しいと思った。息子は集合時間になったので出なさいというと、宿題が終わっていないと泣きだし、ママが朝起こしてくれないからだと八つ当たりしだした。自分の責任じゃないママは夕べ今やらないとあなたは夕飯を食べた後テレビだなんだと遊んでしまってそのまま朝を迎える、そして朝ぼーっと起きて「やってない」とメソメソ泣いて私に当たり散らさないでよといったら大丈夫だと言ったが私の言う通りになった。これは予言でもなんでもない日常のリアルだと言ったら「うるさいケツデカばばあ!」と暴言を吐いて泣きながら出ていった。だからクレヨンしんちゃんは見せたくないのだ。

それから夫はもう今日という今日は、というかもう既に何度か爆発して大地震的喧嘩を繰り返しているが、今日はもうほんっとに怒って絞め殺してやろうかと思った。娘に勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しろ勉強しSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXSAPIXと煩い!

おはようからおやすみまでずっっっと言っている。言っているだけじゃない暴言で罵倒しながら繰り返してずっと言い続けている。もう本当に私が奴を絞殺したとして娘を守るためで致し方ないと署名運動で無罪を勝ち取れるくらいだ。もう本当にいい加減にしろと言いたい。娘はすっかり勉強嫌いになり、いつも手芸や読書、料理などをしている。喜んでするようにしてあげなければだめなのだ。

とういことで私はそのうちどこかからすごいお灸をすえられると思うがまあその時はまずブログねたにして対策はその時考えるとして、やはりそういう「和解士」みたいな役は必要だし早急に自治体で組織化するべきだと思う。そうやって街が平和になれば犯罪も減るし学力も向上する。

また話が逸れたがそういう訳でランチは美味しくて楽しかった。 子どもが早く帰って来てしまうので銀座にしたが、今度は万障繰り合わせて池袋の本格的なお店に連れていってもらうことになっている。そこは本格的調味料の数々を自分でブレンドして鍋のスープを調味できるのだそうだ。すごく美味しそう。絶対行きたい。彼女は友達は多いが同士が欲しいそうで、心当りのある私は早速同じマンションの知り合いを紹介した。同じマンションの人も喜んでくれて、いい事をしたと嬉しくなった。そしてその二人と私の台湾と火鍋大好きな友達4人で今度は行こうということになった。きゃー私ったら社交上手のあのボスママみたいと喜んだが、気になる事がひとつある。

私がママ友に紹介した同じマンションの人は、以前はママ友で家を行き来したりもあったがある時から急に私によそよそしい態度をとるようになった。そう、あのボスママの近くのエリアに住んでいるからだ。何か色々あの人この人に聞いたのだろう。なので同じように私に確認もせずに無視するようになった。多勢に無勢なら多勢につかなければ損、しかも圧倒的な権力を振りかざす側につかねば子どもが仲間外れになると思ったのだろう。

しかもあのボスママ軍団と同じ北小学校というなら無理もない話しかもしれない。北小学校には育休も金八もいる。金髪じゃないので間違えないでほしい。金髪先生は豊洲小学校の元PTA会長で、この人は私の苦労話を自分の経験などもざっくばらんに話して聞いてくれたいい先生、金八先生というのはバディから北小学校にステージを変えて今も誰かをイジメているだろう父兄のひとりで今も下の息子がバディにいる関係でそこでもやってるママで、べたっとした武田鉄矢のような髪型とイジメの数々から私に女金八とあだ名をつけられたゲス子。こうやって考えると金八というのは金髪とまちがえやすいのでやめようと思う。ねずみ男に似ているからねずみ女にしようか。育休もだがこのねずみ女もも本当にイジメが大好きで、呼吸をするようにイジメをしていた。鮫が泳ぎ続けないと死んでしまうというように、イジメをやめたら死ぬと思っているのだろう。

なので最近仲良くなり一緒に仲良く火鍋をつついているママ友が、ある日突然私を無視する人になる危険もあると思った。でもそうならそうで仕方ないと思った。それにそうなったらママ友に友達が増えるということになり、人の幸せは自分の幸せという清く正しい私は何も考えず策もとらずさっさと紹介した。

でも黙ってするのはやはり違う、何より子どもにまた迷惑がかかったら悪いと思って紹介するメールにブログのURL、しかかも「ドラッグでトリップ」の記事のURLを貼っておいた。ブログって本当に便利。読んだか読まないかは知らないが、ともかく4人で本格的な方の火鍋を食べにいくことになった。その時にまた色々ざっくばらんに話せばいいと思う。

はー楽しみ。でも今朝体重計に乗ったら、自分のベスト体重から5キロも太っていた。あの年末年始で忙しくてキリキリしていた時は食事もままならず5キロ痩せて驚いたが、今回も驚いた。肩こりも酷いし私も水泳でもしたい。でも私、運動神経には割と自信があるが、水泳はちょっとどころかだいぶ苦手。まず水が怖いのだ。そうだ、娘がついに「もうプールなんて行きたくない」と言い出した。そうだ、我慢しなくていい、嫌なものは嫌だと言えばいい。我慢していいことなんか何もない。我慢しなくていいように、自分から進んで行けるようにしなければ子どもなら親がしてあげなければ。

京都造形芸術大学の尾池学長が言っていた「環境を整えてあげる」というやつだ。プールというか水泳は最高の美活健活だと思う。出来れば吉永小百合のようにずっと続けて欲しい。このプールバスの娘を仲間外れにする子豚どもをなんとかせねば、多分親は関係ないもうどうしようもないから。先日その親ひとりにバッタリ会ったので話そうと声をかけたら「忙しいから」とさあーっと逃げられてしまった。普通知ってるなら「なんだった?」くらいメールしてこいよと腹が立った。もう私をガン無視すると決めているのだろうあのあたり全員で。

あのね?ブスはね、寄り集まるとブスが目立つんだわ。美人は連れ立つと本当に綺麗で場が華やぐ。だから森三中は受けるし叶姉妹は人気がある。そういうことなんだよブスども、散らばれ。そしてひとりになって私にかかってこい。裁判だってなんだって受けて立ってやる。その代りお前ら白州の元に晒されるし懲戒処分を申請してやる。資生堂やマナラだってもっと企業イメージが悪くなる。なので寄って集ってコソコソちらちらニヤニヤしている。本当に卑怯な奴ら。そんな奴らか関わっている会社の化粧品なんかで綺麗になれないよ。あいつらの育休だの福利厚生にお金払うなんって本当に馬鹿馬鹿しい。

火鍋を一緒に食べたママ友がブルガリ本店を一緒に冷やかしながら言っていた。セレブと金持ちは違うと。そうだ、あいつらセレブじゃない、ただのいじめ好きなダサい金持ち。「美」という文字から最も遠い顔と行いをしながら美の元だと嘘ついて化粧品販売という熊手システムでお金をむしり取る詐欺師だ。もー本当どうしようもないブスブス軍団。緒方貞子、美智子妃、アウンサンスーチーを見習え、ホンモノのセレブはイジメなんかしない人々を救うことに喜びを見出している。 私はあの人にもあだ名をつけている。「金持ちホクロ」だ。私って本当にあだ名をつける天才というかなんというか、有吉なんかに負けないよ。それにしても本当にそろそろ吊し上げられそうな気がする。なんだかまた面白い展開になりそうな。

そういう訳でいつもの長さになりしかもまた大噴火してしまった。今日は家でおとなしく課題やります。


【今日の小確幸】

息子や娘に「人生はチョコレートボックス」だと力説してわかってもらえたのではないかと思ったこと。何が出てくるかわからないから面白いのだ。

優雅にホテルランチしながら「キャナリーゼの恋愛指南」をしている相手は今日は叔父。叔父は地元名古屋からひとり暮らしを案じる息子に関東に連れてこられた。そこが文化溢れる豊かな街ならいいが、そうではなかった。土地も人も全く見ず知らずの街で、叔父は孤独に疲弊していた。

見かねた私が叔父や従兄の双方の意見を伝えたところ、引っ越しが叶いそうになった。そこは従兄の家からは遠くなるが、うちからは同じくらいの距離。きっと叔父はまた元気になるだろう。そして私は安心して高知に行ける。その頃にはもう叔父は私の訪問など必要ないくらいに充実しているだろう。叔父が元気になって私も嬉しい。  安倍は馬鹿。

以上まとめ終わり。

根気のある人は次から長くなるいつものブログを読めばいい。このアイデアはPTA会長こと金髪先生から伝授されたもの。最初に短く要約を書いて、長い文章は後ろに書く。こうすれば何が書いてあるか読みやすいし、何が言いたいか伝わりやすいという。なっるほどぉ~と感心した私は早速そうすることにした。そしてあだ名を「PTA会長」から「金髪先生」にした。教員免許がなくても教えてくれる人は先生だと思っている。金髪先生からブログ以外に様々なものを教えられた。その話は次にして、今日は叔父の話。

ここから長い方はじまり。

「ティーセットはヘレンドくらいのものをきっちり銀器まで揃えないとダメだよ、白鳥の砂糖壺は必ず。ウエッジウッドやノリタケなんてダメだめ、それからチマチマ自分で紅茶を煎れるなんてのもダメで専門店の人を呼んでやってもらう。それから呼ぶ時はひとりだけ呼んじゃだめ、仲良しさんとかグループの人達を一緒に呼ぶ、最初はね」などというお節介から、「美人は警戒心が強いし誘われ慣れているから滅多なことじゃ誘いになんて乗らないよ、向こうがよ向こうから話しかけてきたら話す。こちらからべたべたするとあっという間に嫌われるよ、あの人は賢いから出さないけど何よこの田舎侍なんて思われちゃうよ、嫌でしょう」などという恋愛指南から、「有馬稲子は賢いから、賢い人が住み続けているのには何か訳がある筈よ。きっと素晴らしいコミュニティと街の色があるんだわ。土地というのは性格があって、叔父さんと今住んでいるところと性格の不一致というやつが起きているのよ。悪い結婚は人をダメにするじゃない、住む場所も一緒なの」などという現実的な解析から、「土地の性格というのはなかなか直らないのよ、出光美術館から左手に霞が関が見えるんだけど、いつも霞がかかっているのよ。だから霞が関なのね。検察庁とか弁護士会館なんていうビルがぼんぼん建っても変わらないのはすごいよねもう性格なんだわ、変わらないんだわ」という勝手だけれど多分合ってる見解から、「そこで「あらこれ素敵」と有馬稲子が言う訳よ、そうしたら「良かったらお持ちください」って軽く言うんだよ。さらっとその辺に銘品を置いたり飾ったりするとチラッと見ちゃうわけ。で、女はそういうのが好きだから忽ち心奪われる訳よ、そういうものに心奪われ続けると叔父さんにも心奪われると。ほんとだって、そういうもんなんだって」などという私の妄想から、「昨日日本橋三越でカメオの実演やってて本当に綺麗で可愛くて心奪われちゃった、小さいのから大きいのまでほんっと素敵で全部欲しいと思ったくらい。有馬稲子にプレゼントするならこういうものじゃなくっちゃ。安いのは勿論ダメだけど、高すぎるものもダサいよ。ささやかに高価な感じ、このセンスが難しいんだなあ」などという妄想すぎる妄想などべらべらべらべらとずっと私が話し続けていた。

こういう時叔父は聞きたい時は黙って聞いている。聞きたくない時は「もうごじゃごじゃとヤカマシイ」と話を遮る。昨日の話はずっと聞いていて、間に思い出したようにいつものyoko の話をしたりする。耳障りの良い話題だったようだ。私が来年高知に行くから叔父さんのところに行けなくなるなどと言うと、「そういえばyoko は桂浜をすごく喜んでいたなあ。何にもない海岸なのに素敵だとか言って大喜びだった」とニコニコしていた。これでもう決まった、引っ越しする叔父の決意が固まったと思った。もうここまで言うからには多分大丈夫、なので聞いた。「ねえいつ引っ越す?年度末だと引っ越し屋探すの大変だけれど今なら大丈夫。暑くなると大変だよ。それにあの辺りも豊洲みたいにバンバンマンションが建つようになったから、中古でも住みたい人がいるかもね、きっとすぐ売れるよよかったねえ」などというと、Rにでもやるから売らなくていいなどという。Rというのは叔父の孫息子で、もう一人叔父の生前贈与などを足して自力でマンションを買った孫娘もいる。はあーセレブというのは持ってるもんだなと感心した。

その叔父に色々恩恵を受けている孫や嫁はちっとも叔父の家に来ない訳だ。本当なら周りに家族が住んでいるならワイワイと楽しく行き来すればいいのにと思う。従兄が最近はリハビリのために週一くらいのペースできているようだが、他は何やっとんじゃと思ったりしていた。でもそれぞれ日常に忙しく、余裕のある時間などそんなにないだろう。私は叔母のファンということで叔父に叔母の話を聞きだすという意味でも、美味しいものを食べたいということで、はたまたママ友ゼロでランチの相手がいないので慰みのために叔父のところに来ていた。叔父の面倒をみるといいつつ、自分の私利私欲といってもいい。だが最近、特に京都造形芸術大学に入学してからは、締切に追われるようになり時間が無くなってしまった。仕事をしている人からしたらなんでもない時間節約術がなかなかうまく行かない。叔父の家に行く頻度がぐんと減り、一ヶ月もご無沙汰しているうちに叔父は大怪我をしてしまった。もうあのままあそこには置いておけないと思うようになった。 でも私は姪でお金もない。何かいい方法はないかとずっと考えていた。

叔父に誰か友達が出来ればいいと思った。今さら男同士の友情と言うのは難しい、ならば憧れて会うだけで、もっといえば見かけるだけで「可愛いなあ、綺麗だなあ」と元気もりもり勇気100倍になるような人が近くに見つかればいいと思った。これはノーベル賞のSくんも言っていて、昔の友達とか好きだった人の存在が老いを溌剌とした楽しいものにすると。Sくんの研究の分野というのが、説明を受けたけれどよくわからなかったが、抗加齢というかそういう国立のなんとかという機関で実際に治験というか治療というか診療をしながら研究をしていると言っていた。webで調べれば出てくると思うが面倒なのでいい。そういう訳で叔父を元気にするには美人だ、それもそんじょそこらの美人ではなく本物の高級な、でもフレンドリーで頭のいい美人でないとダメだと思った。そんな人は有馬稲子くらいしかいない。私はあの『私の履歴書』を読んで、衝撃を受けた。こんなすごい人が女優だなんてしかもまだ綺麗、いつか美容談義したいなんて思っていた。それで叔父の孤独とSくんの話と有馬稲子がリンクしだしたのだ。なので叔父がそこに入居すればいいと思うようになった。     

私は思いついたらすぐやらないと気が済まない。なので従兄にアポをとり、各施設から資料を取り寄せた。まずは聖路加レジデンスのパンフレットで度肝を抜いて、そこから有馬稲子のマンションの数字を見せれば首を縦にふるだろうといじましい作戦を立てていた。そして私の女装をぶつければ上手くいかない筈がないと。だがそれはOSを10にするかそのままかという答えと同じで、各自の事情や思惑があり、それは経済的な事では全くなかった。従兄はそういう事も考えていたが、そいういう話はホームに姥捨てならぬ爺捨てのようにとられたら困るので言えなかった、でもそれを父が希望するなら僕はなんでもいいと思っているなどとハートウォーミングなことをいう、叔父は叔父でもうお迎えを待つだけだからここでいい、楽しいことなんてもうあるはずない、何よりyokoがもういないのだからなどとイジケて「ここでいい」と思っていたらしい。双方の話をまとめる私は、それぞれの考えや行き違いと訂正しながら私の妄想も織り交ぜぶつけたのだ。

「あのネコがそんな事を書いたのか、はあー偉いやっちゃな」と、『私の履歴書』の話を言うと感心していた。そこからどんどん私の話に引き込まれ、気が付けば「あのマンションはRにやるか。あいつもいつまでもママにくっつくていて結婚もしないで」などと、前のようなイキイキとした叔父に戻っていた。昨日の話だが、ランチをしたのは池袋にあるメトロポリタンホテルのフレンチの名店「エスト」だった。上京してきたばかりの叔父は、田舎都市と馬鹿にしながらも新天地を満喫すべく張り切っていた。「フレンチでも食べるか」などとカトラリーがいちいち変わるコースを食べに連れて行ってくれたりした。ワインが飲みたいというと、グラスで飲めるものの種類が少ないと言えば、「ボトルで頼んだらどうだ、残したっていいじゃないか」などと言う。ランチでそんな事を言われたことがない私は嬉しくてずっと覚えている。考えたらもうあれから3年も経っていた。そんな叔父がどんどん干からびていくのを見るのは哀しかったが、みよこの復活劇。


※デザートの後の小菓子は好きなだけ、でももうお腹いっぱい

今日は叔父の送迎までした。「もう足元がおぼつかないから電車に乗りたくない」というので家まで迎えにいったのだ、そして飲んだので心配で送っていった。迎えのついでに叔母の遺影に「おばさん、そういう事なのでよろしく。ヤキモチ焼かないでね」とお参りした、そしてあの時のような叔父を取り戻してと「エスト」に行った。この為に行った訳ではなく、たまたま「久しぶりに連れて行ってよ」とおねだりをしていたのだ。ほんのたまにだが持ち出している私は、叔父と対等だと思っている。これがいつも奢ってもらってばかりや何か買って貰ったり、おこずかいだったり借金があったりならこういう話は出来ないし。たまにはあそこに連れていけと堂々と言えるのも対等だと思えるせい。とは言っても私が持ち出すのは叔父の100分の1くらいだろう。それでも何も出さないよりはうんといいと思う。それにお金やその金額の問題ではないのだ。要はキモチということではないか図々しいけれども。


※お気に入りのレストラン

そんな私の目論見は今回はうまくいったよう。でもこの先また様々な問題が出てきて実現しなくなるかもしれないし、私が高知へ行けなくなるかもしれない。でもやはり「いつか」とか「こうしたい」「やりたい」という気持ちが人を元気にするのだと思う。ネコこと有馬稲子と叔父は仲良くなれるだろうか。それにしても咄嗟に「ネコ」なんて出てくるところをみると叔父もなんだかんだ言いながらファンだったのでは。

私は叔父にこうも言った。「もう酸いも甘いも知り尽くした年齢になったら、恋愛だの結婚だのごちゃごちゃしちゃダメだよ。恋人じゃなくてトモダチ、それも親友になればいいのよ。よく怪しい男女が「私たち友達ですから」なんていうでしょう。あれ絶対怪しい感じで厭らしいよね。ちゃんと友達なら「親友ですから」とか言えばいいのに。だからほんとに親友になれたらそこで満足しなさいね、それが大人の恋心というやつだよ」などと言うと、「まったくお前ってやつはまあ」などといつも通りぶつくさ言いながら、本当に嬉しそうに笑っていた。いい笑顔だなあ、見たのはいつ以来だろうと私も嬉しくなった。そうやっていつまでも私の方をみて笑っているので、レストランの店員が写真をとるのに困っていた。結局レストランが色紙に入れてくれた誕生日記念の写真は、叔父が私をニコニコみているというものになった。まあこれも記念ということでいいか。誕生日は叔父も私も全然違う日だが、私の誕生日会をしていないので昨日やってもらった。叔父の新しい人生、新しく生まれ変わったということでもいい誕生日会になった。食事は本当に美味しかった。フォアグラはやっぱり美味しいし、赤ワインが合うんだなあ。

昨日の朝娘が「学校休む!」と怒っていたので「あら、丁度いいわ。叔父さんとフレンチ食べに行くけど、行く?」と聞くと、即座に行きたいと言った。「パパに聞いてみて」という声を夫が聞いていて、「行ってもいいけど君班長だろう。責任はいいのか」などとさらっというと、娘は黙って学校の支度を始めた。「つまらない人ねえ、フレンチ食べたくないの」と言う声を無視して玄関を出ていった。娘は叔父と私で3人旅をしたことがある。老舗ホテルのフレンチレストランでフォアグラを食べ、その美味しさが忘れられず時々どこで食べられるのか、売っているのかと聞くことがある。aoki に行けばあるだろうし、娘命の夫に言えば週一で食べられるだろう。でも言わない。そういうものは大人になってから、そして自分が努力をしてから。第一子どもがフォアグラなんて体に悪いし神への冒涜だ。でもこういうことならそっと許す。なのにそれを振り切って学校に行くなんて、すごいというか馬鹿正直というのかなんだろう損な人。

ワゴンサービスで好きなだけ食べられるスウィーツの山はここにもあった。娘がみたら狂喜するだろうな、そうだ今度は娘を連れてきてやろう。ライターのお金もそのくらい貯まっただろう。そういう話をしながらアルコール抜きで食事をするのだ。レストランはアルコールを飲まないと決めればそんなに高くない。 「小学生のマナー教室というけれど、来て食べて店員さんとお喋りすればいいんですよね」というと、スラリとした店員さんが「是非いらしてください」などと和かに言う。こういうホスピタリティに溢れた言葉遣いというのは、ネットやテレビでなぞる事は出来ても本質は見えない。やはりリアルに体感するのが一番わかるのだと思う。よし、叔父が横浜に行ったら今度はホテルニューグランドで娘共々フレンチをご馳走になろう。叔父は娘に会うとデレデレしている。男は若い女が好きなんだなと思った。あのオーセンティックバーでyoko の話を聞いてやる。でもその頃は友達がたくさん出来て私などもう呼んで貰えないかもしれない。それでもいじゃないかと思う。

今日はまた素敵なレストランに連れてきて貰って美味しいものを食べ、様々に蘊蓄を語りいいとこの奥様ごっこをした。でもこうやって模倣を続けていればいつかはそうなるかもしれない。栗田貫一はそうやっていつの間にか本当のルパンの声優になった。なので人々に慕われ仲良しのママ友山盛りで、本当の友達もたくさん、いつも人に囲まれてお金も愛も仕事も思いのまま。子ども達はすくすくと真っ直ぐに育ち、それぞれの夢も叶えた。私はいつまでも若くて美しくて、ちやほやしてくれる編集者を軽くいなして同窓会に出掛ける。今日は私の別荘でパーティーをする。近くに住むビルゲイツや孫正義もちらっと顔を出してくれて、さすがママなどと息子が感心する、というイメージでフリを続ければ実現する日が来るかも。

実現して富と名声を手に入れた私は、軽井沢の別荘の他に高知に村をひとつ作った。それは「ママ友戦争で傷ついたママ達の村」そこでは一般的なママ友会合やランチお茶は禁止、それぞれが安心して助け合う心豊かなコミュニティで、傷が癒えるまでいつまでいてもいい。男は子ども以外は入村禁止、男にはわからない傷があり、男がいては傷は癒えない。私も私もそうというママで溢れて、始めは一軒の家だったのだが、二軒三軒と増えて本当に村のようになってしまった。私は村長だったがイケダハヤトの奥さんに託し、そしてまた今は違う人がやっているという。私は初代村長として時々訪れては自分の体験を話したり、一緒に畑を耕したりする。そのムーブメントが全国に広がり、ついにママハラスメントは終焉を迎えた。ママがイジメをしなくなれば子どもだってやらない。悪い見本がなければ子ども達だって悪いことはしないのだ。何もかものハラスメントは消えて、世界は平和になった。これが本当の世界制服なわけ。うーん、この夢もいいわね。

他には児童相談所をもっと増やし、虐待で傷ついた子ども達をもっとケアする仕組みを作るという夢。愛され守られて生きるはずが親に虐待を受けるということ、子どもにとって本当に地獄のような日々だと思う。そうした子ども達が安心して豊かに生活できるように、例えば塾にいったり習い事をしたり、そういう先生達を派遣する仕組みを作ればいいと思う。何か夢中になれることがあれば、人間は傷が癒えたり立ち直ったりするものだと思う。でもそれにはお金がかかる訳よ。でも一番そういうものが必要な子ども達に税金がいかないなんて、ちょっとダメだなあ。それに学力向上というけれど、だったら小学校中学校の時限をもうひとつづつ増やせばいいと思う。そこの授業は先生ではない、塾とか音楽教室の講師などが勉強や楽器を教える。そう、学校と塾をくっつけるのだ。そうすれば経済格差による学力格差はかなり減るだろう。勉強したくてもお金がない子ども達だって塾のノウハウが学べれば、高校大学進学率もあがるし成績もあがる。お金のない子どもに勉強の大切さを教えるだけではない、道の歩き方もちゃんと用意する。経済に関係なく誰もが勉強を必死にするようになるだろう。それが日本の総一億なんとかというものではないか。なのに安倍は、だから安倍はダメなのだとついでに悪口。

そうだよ安倍、あんたが勝手にいじくり回した法案のせいで息子が戦場に行くことになったりしたら、あんた許さないよ。嫁も勝手な事ばっかりしてるんじゃないよ、しっかり旦那を教育し直せ。勝手な事していい専業主婦は私だけだから。安倍の馬鹿!「安倍の馬鹿って本人に言えたら尊敬してやる」と娘が言っていた。小学生は無邪気だわあ。でも本当に会ったら言おう。「あなたは本当に頭の悪い馬鹿ですね早く治しなさい」と。子どもの尊敬を勝ち取るなんて楽勝。そうだ、昨日届いたマンションのパンフレットを叔父に届けなければ。でもブログなんて書いている場合ではないやらなきゃいけないことが山盛りもう今日こそ全部片付ける、本当に。


【今日の小確幸】

最初に短くまとめられて満足。

今日は叔父とリッチなランチの後、子ども達の通う小学校のPTA会長と長々と話しをした。どちらも思った通りのすったもんだはエキサイティングな濃い時間だった。明日ゆっくり色々書こうと思う。

とりあえず今日のメトロポリタンホテルのランチ。美味しかった。続きは明日。





【今日の小確幸】

美味しかった!

女装が決まったせいか話は割とうまく行った。従兄のTくんも最初は「はあ、またその話ですか」などという雰囲気だったが、諦めないと決めた私は話の流れがサラサラするまで様々な方向からTくんを責めた。するとだんだん明るい顔になり、「うん、参考にするよ」と聖路加国際病院レジデンスのパンフレットを持ち帰っていった。話しというのは叔父を、いわゆる富裕層向け老人専用マンションに入居させたらどうだと打診したのだ。私が初めておずおずと従兄に言った時、「順番待ちでなかなか空かない」というので、何処もそういうものかと思っていた。でも色々なところに電話して聞いたところそれは健保などを使える安い施設で、一般的なもの、保険のきかない有料な聖路加のようなところは2~3年待ちになり、でも地方のそういう所は、今もすぐ空いているというところもあった。なんだかんだ、世の中最後までお金なんだなと思った。 

※鯛のカルパッチョサラダ

老後のための蓄えというのは本当に必要なのだとひしひしと感じてしまった。夫などは自分がどうなっても例えのたれ死んでも子ども達を大学院に行かせてやりたい理系は大学院まで行かなければというが、私はちょっと違う考えでいる。確かに勉強は大切だが、最後はどう生きるかということで、いつまでも親罹りで何かしていては自立が遅れると思っている。なので大学に入学したら四年間分のお金くらいはあれば出すが、これ以上もうお金出せないから、あとは結婚も何もかも自分でやってと言うつもりでいる。あの僕ちゃんをどう説得しようかと悩んでいるが、少しずつ慣らせていけばいいような気もする。そんな訳でまた脱線したが、従兄とのランチの話。従兄にお金が惜しくて叔父をあんな風にマンション住まわせているんじゃないのとぶっちゃけた。マンションは売ればお金になるが、施設に入居させれば家賃ならお金はかえってこない。もしそんな不埒な考えを従兄が持っているなら、叔父に世話になった恩で違うところに住ませてあげてと従兄に凄むつもりでいた。でも違った。 

※レジデンスのお値段

従兄はあははと笑い、「お金は親父も僕も困っていないからそのくらいはあるよ。でも親父に話したらここでいいなんて言うからさ」なんて言っていた。余裕のある人は違うわと嬉しくなった。それにやっぱり叔父の息子だけある、なんていうか本当の心のゆとりが何かとか人間の本質を大切にするDNAの末裔だと思った。でもさすがに聖路加レジデンスの一番狭い部屋で2臆というのを見るとぎょっとしていた。聖路加の人間ドッグにお金持ちそうな夫婦を何組か見かけたと以前書いたが、やっぱりレジデンスの居住者だと思った。入居前に聖路加人間ドックで検診を受ける必要があるのだそうだ。そうして自立できる健康な年よりでないと入れないのだという。そういう事前検診の方々もいらしたかもしれない。

※美味しそ

「そしたら入居して一ヶ月くらいで立てなくなったらどうなりますか」というと、怪我などは仕方ないですが、検診で2~3年以上健康でいられないと判断すれば入居はお断りします。ということだった。介護施設や老人施設との違いがやっとわかった。順番待ちは健保の老人ホームでしょう、私が言っているのはそうじゃない、叔父が借金など求められない富裕層の中で老いを楽しむべきなのだと言うと、従兄はフムという顔をした。

※もっと高い品々もあった。三越の価格設定は私的にはわけわかめだか、ちゃんと適正な値段ばかりだと思う。

それに比べて有馬稲子さんのところは割と高くない。これなら今のマンションを売ればお釣りがくるだろう。「叔父さん、寂しい寂しいっていつも言っているよ。こんな所に越してこなければ良かった、yokoのところに早く行きたいもう生きたくないって」というと、「僕にはそんな事言わないよ」と信じられないという風に言う。息子に弱音を見せたくないんだろう、私は関係ない姪だから言えるのではなどと、そこから私は結構叔父にお金を使っている、正月もしゃぶしゃぶで豪勢に食べた時はご馳走になったが、あとは食べる者から飲むもの様々細々したものは全部私もちだったという話をした。Tくんの嫁がいきなり来て「何上がり込んでるのよ、なんかねだりに来たんじゃない」という目でジロジロ見られた時は腹が立った。なのでその時の経緯をTくんに話したのだ。私は何か買ってやろうと言われても買って貰わないよ、でないと叔父さん可愛そうじゃない。俺にじゃなくてお金が欲しくて来たと思ったら楽しくないじゃない、だから時々はランチも私が出すと。

※どれも全部お代わり下さい

するとTくんは明後日の方向から私を叱りだした。だいたい年末年始という家族揃わないといけない大切な時に叔父さんの家で年越ししかも専業主婦ふたりというのは何をやっているの。しかもお金まで持ち出してくれたなんて困るよ、僕の面子も立たないし親父は何をしているんだと渡鬼のえなりくんが言いそうなセリフをいうので、違う違う叔父さんは帰りに分厚い封筒をくれようとしたけれど、私が断っただけだからと言った。

そんなこんなああでもない、こうでもないと話しながら食べるランチは美味しくて楽しかった。Tくん、本当は名前の後ろに子どもの頃の癖でちゃんを付けて呼ぶのだが、紛らわしいのでブログではくんと書いている。場所はコレド室町、最初コレド日本橋だと勘違いして朝、焦ったが、約束の1分前にはなんとかたどり着いた。女はデートには決して遅刻してはいけない。今日は従兄弟なのでデートではないが、叔父を有馬稲子さんのホームにいれてくれとねだるのである意味おねだりデートといえよう。なんか遅れて来れば価値が上がると勘違いしているブスが多いが、そんなんで上玉はゲット出来ないよ。

今日のランチは「ざくろ」というしゃぶしゃぶの店で、ランチはプリフィクスでメインを6品のうちから3品も選べ、今日は筍ご飯がありそれと共に頂く。ランチでも予約できるからここにしたと言われ、さすがだわと偉そうに感心した。汁ものは赤だし味噌汁。何故高級和食店は赤だしなのかというと、尾張三英傑が名古屋出身だったので、江戸でも料理人は英傑の故郷の赤みそで料理を作っていたらしい。その名残で寿司とか天ぷらとか懐石料理には必ず赤だしが出るのだ。エビフライばかり食べるとかみゃーみゃー言うというのはタモリの言う通りかもしれないが、天下人を生み出した尾張名古屋は城だけじゃないよ。

私が実家にいて弁当が必要な高校生の頃、朝ごはんには2日に1回くらいの割合でエビフライが出ていた。それを朝ごはんにも食べ、弁当にも詰め、しょっちゅうエビフライを食べていた。だって好きなんだものありがとうママン。また話が飛んだが、ざくろのランチは本当に本当に本当に美味しかった。筍ご飯はお代わりした。おかずが美味しそうだから白いご飯にしようと思ったが、筍にして正解だった。私だけグラスビールを頂いて、ほんわかしたところで従兄は仕事に戻っていった。帰りに「三越寄るんでしょ」などと笑われたので「うん、ちょっとだけお買い物しようかな、なんて」と答えておいた。私は値段の高いデパートなどで買い物などしない。三越に行くのは綺麗なものを見るためと、無料でお茶が飲めるお得意様サロンに行くためだ。でも従兄に「いい所にお嫁にいって、相変わらず可愛くて女の子らしいなあ。今日はやっぱり買い物のついでか」などと思って貰いたいと思ったのだ。本当は違うけれど。最近はお金で苦労しだした。でもお金がないならないで、あるもので暮らせばいいだけ。家族が足るを知るいい機会だと思う。

※お得意様サロンでお茶。今日は卯月会のせいでお菓子も簡素

男は自分が想像した通りの答えが返ってくると嬉しい生き物、でもたまにはチラッと違うところを見せるともっと喜ぶのだ。男心がわかるようになった頃には現役引退とは寂しいが、まあ私にはお猿ちゃんもいるし私の子悪魔スキルを伝授する娘もいる。娘はあまり美人ではないが、スタイルがとてもいい。背は私より低いがもう同じサイズのデニムを履いている。足の長さは私と同じようなのだ。ちょいブスでスタイルがいい女の人が一番モテると思う、しかも頭が良くて気が強いなんて、何処かのツンデレ漫画の主人公みたいだ。

※今日は会のため相すみません珈琲は自販機でと言われた全部無料。マイクロソフトみたい、でもMicrosoft の自販機にあったコーンスープがない。

でも私、「男はチョロイ」などと偉そうに書いたが、男が私に向けてくれる恋心というのはさっぱりわからない。天然ぶっこいてんじゃねーよババアと思われるかもしれないが、本当にそうなのだ。なのであれもこれもどれも今更そんな事を言われても、などと思ってしまう。だけどそれはそれでよかったのではないかと思う。三越に行ったら今日は卯月会だった。4月だから卯月会、来月は5月だから皐月会、三越は毎月一回こういう会を設けている。何をするかというと、お得意様というかお帳場会員に向けて記念品を配るのだ。毎月何かしらの名店の小菓子を三越の小さな手提げに入れて恭しく渡す。そうすると忽ちお帳場担当の店員が登場し、何々様いつもお世話になりましてなどとぺこぺこして何かを買わせるのだ。こんなセレブごっこをさせて貰えるのは夫と結婚したからで、やはり夫で良かったとここに来るたび思う。子ども達のランドセルはここで買った。無駄遣いの具象みたいな姑にお帳場担当者がふたりとか三人くらいわらわらと来て、何々様、いつもいつも本当にありがとうございますなどと挨拶をし、子ども達にまで恭しき扱いだった。豊洲では私のせいで無視されイジメられ仲間はずれにされるが、ここではプリンスとプリンセスのように恭しく挨拶される。もちろん日ごろの姑の散財のせいだが、三越さんというのは本当に大したものだと思う。

私は三越で買い物をしないが、没落貴族の姑はここで買い物をするのが大好き。夫の実家に行けばこういう会で買った品々をたまに見かける。三越ほど買い物の楽しいところがあるだろうか。今日は催事場でイタリアフェアをやっていた。オリーブやチーズサラミなど様々な店が並び、食べろ食べろと全部の店がつまようじで刺したものを差し出す。つまみになりそうなものを順番に食べて美味しい美味しいと言うだけだが、誰も嫌な顔をしないしこれもどうだとまた差し出されたりする。一体三越の社員教育の素晴らしさといったら、こうした出店者にまで教育が行き届いているのだろうとか。買わない人がいても変な顔をしないで、いつも笑顔で丁寧に。ディズニーのすごい接客10とかサイトでみるが、三越は特に日本橋はもっとすごいよ。全くそれに比べて豊洲ときたら、誰も彼もが変な怒った顔で私を見る。全員三越で再教育された方がいいんじゃないかと思う。チョコレートやケーキなどは好きじゃないのでスル―してエレベータに急ぐ。

※一体何年かかったのか

早く帰らないとお猿ちゃんが帰って来てしまう。げんきっずに行きたがらないといっても息子だけでない、誰に聞いてもうちも行ってくれないなどと嘆いているのでまあいいだろう。多分自由に遊びたいだけだろう。そんな事を考えていると、カメオ職人がカメオを彫っている。大ぶりの大きなカメオが小さくみえるくらい大きな男の人で、小さなノミで丁寧にこれまた小さなモチーフを彫っている。

※手も大きかった

初めてみたので感激して「ワンダフル」とか「ビューティフル」などと知っている限りの英語の褒め言葉を並べると、イタリア語だが色々説明してくれてあれもこれもと見せてくれる。すると眼鏡の女性店員が現れ、日本語で色々説明してくれた。カメオは貝を拍子木のような木に張り付けて、それをぐっと握りしめて先の貝を小さな彫刻刀のようなノミで丁寧に模様を彫っていく。貝を木に接着するのは松ヤニなどの天然なもの。私は日本画の膠(にかわ)を思い出して、やはり伝統工芸品は自然の力を利用したものばかりと嬉しくなった。もうもう本当に綺麗で可愛らしい作品ばかりで、心臓を貫かれてしまった。店員さんは小さめの作品をいくつもいくつも取りだしてすすめてくる。

※バシャバシャ撮っても誰も怒らない。何故なら何も買わないが一応お帳場会員だから。

女装用に小奇麗でシックな三越、それも日本橋三越にピッタリな有閑マダムルックで来たので押せば何か買うと思ったのだろう。でもごめんなさい私お金持ちじゃないからと思いつつ、いくつもいくつも観賞させてもらった。みているうちに値段も一番低いランクの小さな作品がすごく気に行ってしまった。

※欲しいけど我慢

小さな天使が彫られた丸いカメオの作品で、四隅にささやかそうに小さなパールがついている。ペンダントトップらしくトップにチェーンを通すリングがついているが、ブローチや帯留めに加工しても良さそう。夫にねだれば買ってくれそうな手が届きそうな値段。でも現実的に考えると、カメオのネックレスなどしないと思うし、ブローチならするかもしれないがそんなもの付けて行くところもない。それに買うなら左手の薬指のリングだろう。色々迷ってしまいまだ買えないでいる。カメオは見るだけで嬉しいかもしれないが、高知のためにお金を残さないといけない。はっと気付くと時間が30分も経っているのに気が付き。また来ますからとエレベーターに飛び乗り今度こそ地下鉄に乗った。

※このフロアが一番好き

半蔵門線から永田町経由で豊洲に戻ると、「永田町にいた?似た人をみた」とママ友からメールが入った。「いたよ、コレド室町でランチの帰り」というと、「すごーい、声かければ良かった」と返ってくるので、「ブログのアクセス数みてたから下向いていた。久々にランチ行こう」といえば「行こう行こう」と返事がきて、ママ友ゼロという割によく色々なママ友と出かけているじゃないのと思ったりした。手帳をみて、来週は既にランチの予定が入っていて、「ランチは一週間2日に1回まで」と戒めていたママ友界にデビューしたばかりの鉄の掟を思い出した。※昔のカレンダーをみたら2日に1回までと書いてあった。NOと言えないのもいい加減にしてと昔の私を叱った。

娘がバディに入る前のあの頃、いつもいつも誰かと連れ立ってランチだの公園だのに行っていた。あまりに誘われるので節約と美容と健康のためにランチは週に一回までと決めていた。外食ばかりでは健康を損なうし美貌にも影響が出る、それにお金が勿体ないと思ったのだ。なんだかんだ出かけたりして、いつの間にか寂しい気持ちはさっぱり消えてしまった。小さな赤ちゃんを連れている若いお母さんを見ると、色々大変だけれど大丈夫だよ、きっとすぐまた自由な時がくるから、だから頑張ってと声をかけたくなる。まあその話は置いておいて今日の話。今日は女装がすごく上手くいっていい予感もしていたのだ。

従兄とも仲違いすることなく話が出来て良かった。女装が上手く行った時の私はちょっとすごいと我ながら思う。だいたい美人に変身する時に施す化粧からして、美大生としての力を発揮する。美人に変身するのは顔に美人の絵を描けばいいのだ。実家にいたころ私が化粧O始めると、すごいわあ、お姉ちゃんって絵が上手いもんねと母や妹たちが集まって来て、私の化粧をしげしげと眺めていた。元のパーツを無視して描くのが肝心、ちょっと目を大きくとか、唇を厚くみせるようにとか全く関係ない、ただ思い描く美人を顔の上に描いていく、すると美人が出来上がる。

そうして先日同窓会に来ていったスタイル一式で出かけた。あの時はGUの2480円のホワイトデニムが990円、トレンドのシックなミントグリーンロングカーディガンこれも2480円が1990円の限定価格のものを買った。ストールは某ファミリーセールで買った10,000円くらいが2,000円になったもの、靴は実家の近くにあると友達が教えてくれたなんとかOFFというブックオフの衣料版みたいな店で買った800円のパンプス。履いていったものは砂丘でボロボロになってしまい困っていたのだ、助かったわあ。そんな出で立ちですらりと玄関を出れば、あんなぐちゃぐちゃな部屋から出てきたとは思えない淑女。掃き溜めに鶴というけれど、掃き溜めから鶴という新しい諺を流行らせたらどうかと思ったり。でも受験で子ども達が間違えるといけないから言うのはやめよう。

エレベーターで乗り合わせた近所の人ははっという顔で上から下までジロジロ私をみた。誰かと思った、何処に行くのよと言いたげだったし、道のおっさんは唖然とした顔で私をみて、自転車のママ友はいつまでもいつまでも私をみるので電柱にぶつかりそうになっていた。女装が決まる、こんな嬉しいことはない。みよ、この完璧さ。銀座で奥さん怪しいものじゃないのでお茶しませんかとか、部屋を借りるので通いに来てくださいとか、トロフィーの数々を見せたいから部屋に来てよというブラジル帰りのサッカー小僧とか色々が声をかけたくなるはずだわと思う。自分で言うのもなんだが私はそんなに美人ではない、でもなんとなく美人でちょっとなんかすれば手が届きそうな感じが受けるのではないかと思う。なので娘はきっと将来モテるだろうと思う。女装のやり方とかノウハウは、また別の記事に書いてみたいと思う。

「ゆり子の女装の秘密」とか「キャナリーゼの婚活指南」なんて本を出してみたいものだと思う。きっと売れるよ。それで高知での生活の資金にしたいと思う。「来年から高知に行くから叔父さんをみてあげられなくなる」とも従兄に言ったら、転勤だと勘違いされ、私と息子だけと言っても全然信用てくれなかった。普通は二年か三年じゃないとか、学校は休学するのとか妙なことばかり言っていた。最後までわからなかったようだけれど、まあいなくなるということはわかってくれたからいいだろう。今日も楽しい一日だった。息子の帰りにも間に合い、ゲームで喧嘩になったが私は折れなかった。こういうもので時間を潰して欲しくない。子どもの頃の時間はほんの少し、大人になってからの人生は長く果てしない。その長く果てしない時間を充実させるためには、もっと違う何かを感じたり考えたりして欲しいのだ。

そういう意味でも高知は最高なのだと思う。だいたいあの青春18切符もそう、長いたいくつな列車の中で、息子は様々な遊びを自分で考え楽しんでいた。ゆっくり流れる富士山をみて感激したり、大きな仏像に驚いたり海に喜んだり川沿いのブルーシートのテントに驚いたり。ゲームをみていたら全部見られなかっただろう。なので私はゲームは好きじゃないのだ。やらないと仲間外れになるんじゃないとママ友は心配していたが、そういうグループには仲間外れにして貰った方がいいくらいだ。でも息子は逞しく友達を作り、様々な話を楽しそうにしていた。学校から帰る息子達がいたので、そっと様子を伺ったのだ。5人くらいのグループでわいわいと楽しそうに帰る息子をみて安心した。

でも油断は禁物だよ。あいつら絶対また何か仕掛けてくるに決まっている、もう既に新たな噂流して私を村八分にまたさせよう警報発令をしているかもしれない。もう絶対に油断しないあの人もこの人もこの子達も。娘はお腹が痛くてプールに行きたくないというので休ませた。学校にちゃんと行ってくれるだけで御の字と思っているので習い事などどうでもよい。嫌なところは行かなくてもいいのだ例えそれが学校でも。また子どもの話になってしまった。今日はこれまで明日またランチに出掛ける予定があり、明日分の記事をアップしたい。これで6,756字。今朝の分と合わせると1万字以上になる。高知に行ったらどこかとタイアップして「キャナリーゼだけれど高地日記」というのを書かせてくれないだろうか。

毎日5千字書いて画像は5枚以上、求められれば10枚くらいは載せられる。高地にはジャパネットタカタのコールセンターはなかった。もうブログで稼ぐしかないと思っている。まだ8ヶ月あるから何処か探してみようと思う。月に20万円、家賃抜きなら10万円くらいで生活できるのではないだろうか、車も軽でいいからやはり必要、これは尊師イケダハヤト氏が言っていた。家は公団にしようと思っている。一軒家も沢山余っているようだが防犯上どうかと思う。この話はまたよく考えたい。今日の女装のイメージは往年の美人女優、有馬稲子でと変身した。従兄にも有馬稲子、有馬稲子と100回は言っただろう。大事なことは何度でも言う。叔父は有馬稲子と友達になれるだろうか。有馬稲子のホームの話をしたら、結構興味がありそうな感じだった。何回も繰り返し話したらいけるかも。何回も話せば実現するというやつ、これもボスママがやっていたので倣ってみた。イジメられていただけではないというか、転んでもタダでは起きたくないと思っている。見とけよ。


【今日の小確幸】

女装が上手く行った。従兄のT樹ちゃんにはこのブログの存在は内緒。教えたら叩くよ。

多分このまま日本橋になると思うが今日は豊洲を飛び出しランチに行く、相手は男性で昔私の憧れだった人だ。とは言ってもお忍びでイチャイチャするためではない、私が話があるから何処かで時間を作ってくれとお願いしたのだ。彼は日本橋のちょっといい、でもランチはリーズナブルに食べられる店を指定してきた。もしかしたら大手町のアマンあたりに案内して貰えるかも、急に「やはり本社から近いこちらにして」などと連絡が入るかと思ったが結局なかった。今も待っているが多分変更はないだろうなあ。彼は世界を股にかける商社マン、ロンドン、ニューヨーク、ブラジルなどにいつもどこかに行っているホンモノのキラリーマン、キラリーマンとはキラキラした経歴とスキルを持つサラリーマンのことで、夫と喧嘩すると「なによこのピラリーマン」と怒っていうリーマンとは対極にある。ピラリーマンとは平たいポジションにいるぱっとしないサラリーマン。でも夫だって大企業の中でハムスターのようにくるくる滑車を回しているのでただのピラリーマンではない。まあそんな事はどうでもいいが、ちょっと銀座でランチして「たまには豊洲を脱出しないとね」などとママ友と話してボスママに対して溜飲を下げた気になっている私とはスケールが違うのだ。この彼の母が私の敬愛する叔母で、もう亡くなったが存命中は本当にエレガントで嫋やかで、もしかして意味が一緒だろうか。とにかく私も実家の母も会う度に「綺麗ねえ」「エレガントだわねえ」「皇室みたい」などと美智子妃に会えたようにきゃっきゃしていた。でも叔父の仕事が東京だったせいで、実家にいた私は滅多に会えなかった。
でも病気をして叔父と叔母が地元に戻ってきたころ今度は私が上京した。叔父も退職後のどこかの取締役も退任し、叔母の介護をしていた。それでも娘を産んだ頃はまだ元気で、見せに帰省すると、「可愛いわ、良かったわね」などと言って貰え、叔母に褒められたわあ子ども産んで良かったなどと無邪気に思ったりした。その時叔母はこうも言った。「もう一人産みなさい、どうしても」と。私はもうひとりで十分だろうと思っていた。産んでみて育児がこんなに大変だとは思わなかった。さっさと育ててそれから早く自分の好きなことをしたいと思っていた。なので、「もうひとりでいいよ、叔母さんだって息子ひとりじゃない」と返すと、「だめよ、どうしてももうひとり産んでおきなさい」などと、もう一枚スカーフを買えとすすめる気の強い店員のようなことを言う。私はもじもじして、叔母の真意がわからず困った。だが今ならよくわかる。私の人生を豊かなものにするために、嫌われてもいい言っておくわ、そして言うことを聞かなかったらただじゃおかないと思ったのだろう。

でも息子を産んで電話をしたら、「そうなの」それから誰も産後の面倒をみてくれないと愚痴ったら「お気の毒ねえ」と他人事のように言った。叔母はパーキンソン病に罹患しており、多分もう病状がかなりすすんでいたのだと思う。その一年後に亡くなってしまった。でもその頃は「適当に人の人生変えないで」などとぷりぷりしていたが、今になって思えば叔母は自分ももう一人くらい子どもを産んでおけばよかったと思っていたに違いない。それで私にも同じ後悔をしないようにと言ってくれたのではないだろうか。現に私は今はもうしぶしぶ産んだ息子に夢中になっている。もう彼のいない人生など考えられない。娘の時も色々あったバディスポーツ幼児園、娘がイジメられたり仲間外れになった事もあるが、「まあ女の子ってそうやって強くなるのよ」などと鷹揚にしていられたが、息子の時は全然違った。「このお!息子をいじめる奴は絶対に許さない、絶対に‼︎」と内心、気炎をぼうぼうと上げていた。それであちらのボスママこちらのボスママと、こちらは何もしていないといいつつやはり心の中ではタイマン張っていたのだと思う。それでブログにも色々書いた。それらを快く思わないボスママ達にスクラムを組まれ、そして上手いこと私を村八分にするムーブメントを作り、息子にまで魔の手を伸ばしたのだ。くそう、書いているだけでわなわなわなわなと手が震えて血圧が多分150はいっているかもしれない。そういう訳で「息子」というと尋常ではいられないのだ。産まなかったらこれら苦労は何もない訳で、産まなければよかった叔母の口車に乗せられたばかりにとは何度も思ったが、それでも顔を見るとへにょへにょとなってしまう。彼が「俺、もうバディやめます」と言えば、「殿!その通りにございます。こんな小童やっつけてしまいましょう」などとブログに書いたり、ダークサイドの帝国に退園届をコピーしろと突撃したりする。「よく行けたわねえ」などと 

※夫が激怒しだしたので続きはやつが会社に行ってから。面倒だがご飯を作る。

やれやれ全員行った。今8:05。今日も娘はチャイムを53分に鳴らした。それは「学校で貰った紙をみたら、50分集合55分出発と書いてあったのよ。私が正しいの」と正論を説いた。みたら確かにそうだったが、弟を置いていくというのは如何なものか。それにしても学校の先生達というのは生徒をちゃんと見ているものだと感心する。娘は去年までは集団登校をガン無視して遅い時間にひとりで行っていた。早く行ってとか集団行動の大切さ、慣れておかないと当然のように溶け込む癖をつけておかないとママみたいになるわよと何を言っても叩いてもだめだった。なのに班長になった途端に時間をキリキリと守り、来るのが遅いとピンポンピンポンチャイムを鳴らす。多分先生達は娘の気質を私より理解して、娘をリーダーにしたのだろう。そうすれば張り切って団をまとめあげて学校に来るだろうと思ったのではないか。それは見事にばっちり決まって、1分1秒を気にして朝の支度をする。弟は弟で昨日置いて行かれたからと大好きな朝のココアを途中で切り上げ、遅れてはならぬと急いで出て言った。娘の戦略に乗るものかと、「息子ちゃん、いい?集団登校はまだ学校に慣れない一年生のためにあるの、あなたはもう二年生だから大丈夫。忘れ物をしたら集団を気にせず戻ってらっしゃい。傘を忘れたら取にくるの。集団も大事だけれど、まずは自分だよ。足軽が先に行っちゃっても気にしないで奴らは小童。殿には殿の人生があるから。そうやって生きて下さい。殿、ご無事で」などと送りだしたら傘を取りに戻ってきた。もう一度「殿、ご武運を祈ります」と送ってやった。


※この人にはいつも振り回されっぱなし。何をしているのでしょう。

それにしても男って本当に単純でちょろいと今日も思った。息子ではない今度は夫のこと。多分お腹が空いてMAXだったのだろう、娘を「漢字やれよ」「やれえっ!」と罵倒し、その火の手がだんだんこちらにも来た。「ご飯くらい作れよお母さんのくせに」と大声で怒鳴っている。はあ、もうこのお馬鹿ちゃんはどうしようもないわね、ちょっと一発かましてやるかと息子をおんぶしてダイニングに行く。息子はいつも朝はママ電車で部屋をでる。「ママ電車、ママ電車が発車しまーす。最終電車です、お乗り忘れのないよう願いまーす。トゥルルルルルルルルルルル」と言えば、眠っていた猿ががばっと背中に来る、そのままダイニングの椅子まで運べば彼の朝が来るのだ。もう何年やってるかと思えば、バディの初日からだったと思う。いつまで出来るだろう、彼がもういいと言う日が来るかもしれないし、私が腰にきて出来なくなるかもしれない。そうやって息子を椅子に座らせてぷりぷりとしている夫に近づく。「今日はもう卵掛けご飯でいい」などと冷蔵庫の前で怒っているので、「チャーハン作るけど、いる?」と聞くと、ぽっと頬を赤らめ「いいの?」などと言う。ふん、ちょろい奴と思いつつ、「いいに決まってるじゃない、座ってて」といえばもうガラッと人格まで代わり、子ども達にもニコニコと映画を観に行こうなどと穏やかに話し出す。娘に怒った漢字も「学校から帰ってやるんだよ?自分のためだからね」などと言う。そして子どもも夫もドタバタと出ていた。はあやれやれ、もうちょっと静かな生活がしたいものだと思う。決して楽しい事ばかりではないし、もううんざりすることの方がうんとうんとうんと多い。一人暮らしというより、息子とちょっとだけ暮らしてみたい。森鴎外の娘、森茉莉は、成人した息子類となんらかの事情により一時期一緒に住んでいたそうだ。「彼女と息子の蜜月な訳ですね」と、どの先生だか忘れてしまったが説明していて、わかるわ森茉莉もうあんた友達よとぱあああと胸が躍った。あれを私もやってみたい。だから、高知。なのだ。私の世界の中心は息子なのだと思う。そのちょっと隣ぎりぎりにいて中心に片足を無理やり突っ込んでいるのが娘、遥か彼方に点にしか見えないのが夫、その周辺を賑わしているのが愉快な仲間たち、そしてちょっと離れた所の籠というか檻にぎゅうぎゅうに詰められて「ごめんなさい」とか「もうしません」などと泣き叫んでいるのがボスママ軍団とその取り巻き達。というのが私の世界なのだ。なので世界征服などと言っている奴らがちゃんちゃらおかしいと思う。こうして自分の希望や夢をきちんと把握して世界を構築すればすぐ征服など叶う。それは上手くいかないことが多いけれど、好きな色に塗り、重ね、そこで伸び伸びすればいい、というのは多分誰もわかってくれない私の世界観だろう。でもいい、自分が楽しければ。

そういう訳であと数時間したら日本橋に行くのだ。大手町のアマンはまた次に連れて行って貰おう。多分今日の話で叔父が違うところに引っ越すことになるかもしれない。そのための資料は半分出来ている。従兄がなんというか、どういう対応をするかは全くわからない。以前ちらと話した時は、「一応色々考えているけれど、どこもいっぱいで」などと言っていた。その理由も色々な方の話を聞いて理解した、順番なんて待っている場合ではないのだ。それにもうあまり時間もない。わかってくれるだろうか、それとも日和って終わりだろうか。私が熱心に説得すると彼はもう二度と連絡しないなんてことになるかもしれない、でもそれは避けたいと思う。せっかく叔父の縁でまた繋がりが出来たのに、それを断ち切るような事はしたくない。関東に住んでいる親戚は結構いるが、普段はあまり関わらずに生きている。でもそれは誰がどうという訳でもなく、もしくっついてワーワーやっていたらトラブルが起こり絶縁みたいなものになるかもしれない。なのでこれで丁度いいのだ。でも従兄は別、私の憧れの叔母の息子だし、お世話になっている叔父の一粒種、ピカピカに大切にされて育った従兄もエレガントで何よりエリートでちょっと素敵な感じ。私の安ワインを夜飲むなら開けて寝かせなくてはなどとサラッと言ったり、L'Arc〜en〜CielのNY公演の時はNY勤務で「駐在の奥さん達が騒いでいたなあそういえば」などと言って私を喜ばせる。こんな格好いい人手放したくない。彼は勿論奥さんがいるし、イチャイチャするとかそういうのではないが、時々はちらっとランチをしたりして昔話などをしたりしたい。従兄達の中にはすごいイケメンのMくんというのがいて、幼い頃私はどっちと結婚しようかなどと考えてTくんに決めた。Tくんは東京の人、結婚すれば私も東京の人になれるとその頃から他力本願的思考で色々考えていたなそういえば。Mくんは働き盛りの年齢の頃逝ってしまった。そしてTくんは生き残り、叔父のなんだかんだで時々話ができるようになった。これも叔母の采配なのではないかと思う。「もうひとり産みなさい絶対」と言ったことを生前は忘れたが、あの世で生気を取り戻し「私が言ったせいで子どもを産んで、色々大変で気の毒させたわ」などと思ってくれたのかもしれない。なので叔父を名古屋から関東に連れてきてくれたのではないか、そして今再び叔父のピンチに私を出動させたいのではないだろうか。名古屋には叔父の世話をなにかと焼く従妹がいて、純金などとスラングで呼ばれる大学をトップで卒業した才媛で人の面倒見もいいのだが、彼女とも色々話したりしているうちに叔母が自分の亡き後私の近くに寄越したのも成程と思った。私は叔父に何も期待していない。会いたいから会うだけだ。大学の学費が無くてどうしよう、退学してしまおうかと思った時は借りようかとチラッと考えたが、やっぱりと思いなおし一年くらいパートで稼いで再入学しようと思った。すると私名義の全く心当たりのない外貨貯金が出来て驚いた。これももしかしたら叔母からのプレゼントじゃないかと思う。だって外貨預金はしたが、積み立てはした覚えがない。ひとり暮らしでお金に困ったこともあるので、知っていたら使っていた筈だ。ひとり暮らしの私の貧乏ぶりは大したもので、「もう誰かと結婚しなさいよ、貰ってくれる人探しなさい」などとマイクロソフトの同僚に何度も言われていた。彼女は遊びに来てくれて、部屋になにもないのに驚いたのだろう。でも私は全然平気だったし、貧乏を辛いと思わなかった。その話はまたどこかで書くとして、今日は出かけるのでブログはこれまで。といいつつ、家にじっとしていた事なんて課題締切とライターの仕事、他にもなんかあったと思うけれど、あの頃くらいじゃないだろうか。なので私がほわんと歩いていると思っても中はそうじゃない、いつも何かに焦って移動しているのだ。だからお茶だのランチだのに気軽に誘わないで欲しい。前以て誘って貰うのはウエルカムだし時々ママ友ランチをするが楽しい。でもあのバディの時のように、送った帰りにお茶に誘われ、また帰る途中でまた違うグループからランチに誘われ、やれやれと思って今度こそ家にと思えばまた違う人から相談があるとカフェに誘われ、などと一日に何件も誘われて一日が終わるというのはもう出来ないと思うのでよろしくお願いします。あの頃は武蔵美の課題に追われ、コース変更するかしないかで悩み頭の中はパンパンで忙しくてたまらなかったのだ。でも誰にも言わなかったので、暇な自称専業主婦に思われていたんだろう今もそうだけど。

色々懐かしいわね。さて女装するか。


【今日の小確幸】

朝女優になれたこと。男なんてチョロイ。

(5,599字)

「やっぱり俺、パパと行く」と息子が言った。「ええ?レゴランド行こうよ、パスの期限が切れたらもう行かないよ」それでもパパと某所に行くという。息子はレゴランドが嫌なのではない、私と出かけるのが嫌なのだと思った。レゴランドに行きたくないという息子に、「バディは来ないと思うよ、普通の日曜日だし。ママがいるから大丈夫」と余計な事を言ったのでその分もっと嫌になったに違いない。私の脳内アドラー先生に聞くと、いやとか行きたくないと言われたら言葉を重ねず「わかった」と言ってその通りにしてあげればよいそう。すぐに原因を追究したり聞きだすのが尤も愚かなのだと。頭ではわかっているのだが、咄嗟にはなかなかできない。ブログに繰り返し書くことで目で確かめ、いつかできるようになるかもしれないと期待する。

そんな訳でまたひとりな訳でブログを書いているが、今日は半日で帰って来てお昼はうちで食べるという。夫が何を食べようかというので、ハンバーグの種があると言うが、自分で作りたい夫は難色を示す。ちゃんとあなたのレシピ通りに作ったからというと、それなら焼こうと言って出かけていった。私のハンバーグの種は、混ぜ物が多すぎて我ながら美味しくない。人参をすりおろしたものや、おから、時には炊いてあるご飯もいれる。ご飯は北斗晶さんが節約レシピでやっていて、番組の出演者が試食をして「全然ご飯が入ってるなんて思わない」と絶賛していた。でも家で作ったところすぐ見破られて、食べたくないと言われて喧嘩になった。実家の母の煮込みハンバーグは本当に美味しかった、作り方を聴こうと思っているがなかなか出来ないでいる。

それは置いておいて、今日は武蔵美の思い出を再び書きたい。今朝起きて色々思い出したらすごく楽しかった。なのでそのまま書いてみる。

2008年、娘が幼稚園に入園したタイミングで武蔵野美術大学通信課程油絵学科版画コースに入学した。大学に通う前に健康診断や卒業証明書などを取り寄せるのに時間がかかったせいで、京都造形の時と同じように締切目前の4月30日に入学した。もうバンバン版画を作ると張り切っていたが、蓋を開けると一年次二年次は総合科目ばかりだった。大学は総合科目と専門科目がある。専門科目は版画コースだから版画だ。なので3年生にならないと版画漬けの日々は送れない。私は愕然とした。こんなことなら違うカルチャーセンターか、専門学校に行けばよかったと思った。当時は知らなかったが武蔵美にも京都造形でいう「藝術学舎」のような「武蔵野美術学園」というものがあり、こちらに行けば版画まみれの日々を送れるのだが、存在を知らなかった。それでも版画作家になる日を夢見てせっせと課題をこなした。今思えば良かったのか悪かったのか、「武蔵野美術学園」を知っていたら京都造形に編入もしなかったし、ブログも書いていない。とっくに版画作家になっていただろうと思う。というか、今でも「版画作家」と言う名刺を作れば作家なのだと思う。もうたくさん版画は作ったし売る程ある。

そんなこんな、なかなか版画が出来ない大学生活だったが、授業のことはその分しっかりと色々覚えている。脳が忘れてくれない。一番印象に残り楽しかった授業は星先生の「日本画 」の授業。前にも書いた版画コース卒の N さんが後ろの席で、星先生とバトルを繰り返す私をとても面白がってくれて、教室全体が笑いに包まれた日々だった。といっても私も星先生もわざとやっている訳ではなく、本人たちは至極真面目だったのだが、何というか、ボタンがうまくかけ合わされないというのか、歯車がひとつずれているというのか、その噛みあわなさが絶妙な温度で教室を温めたというのか。


その日教室の外で私は膠を溶かしいた。小さなコンロで湯を沸かし、膠を砕いて溶かすのだ。これを糊にして日本絵の具を和紙に置く。日本絵の具の素材はほとんどが鉱物、何かしっかりした接着剤で貼りつけなくてはならない。日本の伝統品、膠は、本当に理にかなった絵の具を貼り付けるものなのだ。歴史は古く、琳派の祖から狩野派一派までもちろんこれを使った。でもこの「膠」作る人がいなくなったか素がなくなったかで、消えゆく運命にあるらしい。違うもので代用しなければならないが、ピッタリくるものがないと先生が嘆いていた。

その膠だが、ねっとりと濃く溶いてから使う時は薄めて使うと授業で習った。だが、それなら最初から薄めてとかしておけば、再度溶かす必要がないのではないかと考えて勝手にそうしていた。すると隣で同じように作業をしていた人が「なんか薄くなっちゃった、どうしよう」というので、「大丈夫大丈夫、あとでどうせ薄めるじゃない。手間が省けていいよ、私もそうしてる」と言った。すると教室の中まで聞こえたようで、星先生が「このっ・・・あいつめ」とつぶやきながら廊下に飛んでいったらしい。また教室内が笑いの渦に包まれたのだそう。私は後から聞いた。星先生は私を「あいつ」と言った素振りも見せず、たまたま通りかかったようにわたしの膠を見て「それ、緩すぎない?」と聞く。私はあーみつかってしまったと思い、「いえ、これからもっと膠を足すんです」などと言い訳をした。星先生はぐぬぬという顔をして教室に戻った。それがまた聞こえていたようでまた笑われてしまったそう。全然知らなかったが後に聞いて自分も笑ってしまった。

他にも、日本画は最初に色を乗せる前に「胡粉」という真っ白な粉を溶いて和紙全体に塗る作業がある。塗る前にすり鉢で細かい粒子になるまで擦る必要がある。星先生がお手本として擦っているが、もともとパウダーのような粒子がそれ以上細かくなるとは思えなかった。それで作業をしている先生に「それ、そのまま塗ってはなぜダメなんですか」というと、先生は言葉に詰まった。多分そんな質問をされた事がなかったのだろう。しばらく黙っていたがついに先生が言葉を振り絞った。「調べておきます」と。見ていた全員がどっと笑った。先生も一緒に笑って、「実はそのまま塗った事があるけれど絵の表紙がひび割れちゃうんだよね」「これ、面倒な作業だから僕もやりたくない」などと言って余計に笑いを誘っていた。

普通こういう質問をしたら、気を悪くされるのではないかと後に思った。実際質問して、気を悪くされたり叱られたことが大学以外で何度もあった。でも私のこういう癖は治らなかった。でも星先生は都度都度きちんと回答をくれて、わからないことはわからないといい、一緒に笑う。なかなか大した先生だと偉そうだが思う。実際に星先生は本当に人気のある先生だった。また機会があればお話ししてみたいと思う。また日本画の飲み会にいってみようか。私を嫌う女の先生もいるが、コース主任の先生は『よく来た、久しぶり」と言って喜んでくれると思う。ボスがいいといえば何でもありなのはママ友の世界だけではないのだ。二年経ったが多分まだ学生をしている人もたくさんいると思う。ファイン系での卒業はなかなかに、本当に難しくて大変なのだ。

日本画は置いておいて、肝心の版画の授業の話。「版画 」と「版画 」の授業を二年連続で受けた。どこもそうだと思うが、二年生から三年生に進級するのが一番大変だと思う。なので私は延々と二年生をしていた。すごい強者は8年二年生をしていると言っていた。すごい人がいるものだと当時二年目の私は思ったが、まさか自分がそうなるとは、そしてついに三年生の進級を諦め編入というウルトラCで三年生になるとは。そういうジャンクな知恵というか思いつくところ、誰に似たんだろうと思ったりする。そういう訳で一年目の「版画 」は、木版画かシルクスクリーンのどちらかの授業を受けられた。小井田由貴さんに傾倒していた私は当然のように木版画を選んだ。小さな可愛い作品をたくさん作って、それを何度も刷って販売しようと思った。だが教室に行くと、すっごく大きな木の板が積んであった。これを好きな大きさにカットすると授業が始まるまで信じていた。だが授業が始まると先生は言った。はい、これで版画を作ります。多色だから何枚使ってもいいですよ。と太っ腹そうに言った。私は本当にすっごくびっくりした。

大きさ的に言えばA3 か、それより少し大きめくらいだろうか。これを彫って版画を作る、しかも多色だから何枚も。版画天国じゃなく地獄に来ちゃったのかなあなんて一瞬思った。彫るのは基本小さな彫刻刀、でもざあっと彫りたい時はミノのようなものでガツガツやる。時々力が入りすぎて、繊細な部分を削ってしまったり。そこは接着剤で貼りなおすのだが、そうなると刷った時に綺麗に写し取れない。私が選んだモチーフは人物、一体どうやったら多色作品になるのかわからなくて、見よう見まねで板を掘り続けた。版が完成したが、何度刷っても刷ってもうまくいかない。先生に手伝って貰うのだが、見当が違うとか、ここやり直しなどとまた言われて聞かすに適当にやればよかったなどと思ったりした。

できたものはあまり気に入らず、ずっと押し入れに仕舞ったままだった。版木は大きいので、押し入れのプラスチックボックスの間に挟んだした。詰め込み過ぎて膨らむので、その木で押さえたのだ。そんな乱暴に扱われた版木と作品だが、ブログにアップしたところ、市民展に出してみたらと言われた。改めてみるとそんなに酷くないように思えた。消したい過去というか作品だったのだが、日の目をみさせてあげられたようで良かったと思った。娘はお嫁に行く時に額に入れて、オリジナルを持っていくだろう。昔、紀子さまが秋篠宮に嫁に行く時、大お婆様の描いた大きな日本画を嫁入り道具に入れられていて、なんて文化的で素敵なご家庭、などとうっとりしたが、娘も孫も出来たら私が描いて持たせてやろうと思う。文化的な家庭で育ったと勘違いして貰えるかもしれない。芸大に入って良かった。


話を戻して版画の授業の話。なのでへとへとだったり上手くいかなかったりで、楽しかったというより版画の実態を知った授業だった。印象に残っているのが身体の小さなおじいさんが四苦八苦して作り上げたのが、大きな版木にすごく小さく描いた人の絵。自分を棚に上げて、この人大学で何か作るよりカルチャーセンターの方がいいんじゃないかと思っていたら先生が「ここはカルチャーセンターじゃないんですよ」と評価をされていた。後から言われちゃいましたねと振ると、気も悪くせずに「やっぱりカルチャーセンターに行こうかな」などと言われていた。あれからあのおじいさんはどうなっただろう。武蔵美のスクーリングは体力がないと絶対無理。あのおじいさんには悪いがやめてよかったと思う。やめたならという前提でだが、どうなったかは知らん。

真夏の炎天下、エアコンもない工場みたいなところで彫刻とか石膏で彫像を作るとかテニスやゴルをしたり、あちらこちら駆け足で社会見学、工場見学。今より若かったから出来たのだと思う。今ならこれらの理由でリタイアしていたと思う。でも春や秋に同じ授業があって選べるので、そうしても良かったかもしれない。私はやる時は全部やると、8月中一日も休まず大学に通った。それも妊娠8か月。もうあの頃の自分を見たらすっごい勢いで叱ると思う。何かあったらどうするのだ。時々具合が悪くなり保健室で休んだ。でも言い訳だが、他にも妊婦さんは何人もいた。お母さんが自由になれる時って妊娠中だけじゃないだろうか。周りが気を使って、休みなさい好きなことをしなさいと言って貰えるのは。なので大学に行くのも
OKだったのだと思う。子どもを抱えてだったら「何を考えている」と却下されたと思う。

8月に集中してスクーリングというのは、翌年もやったしその次の年休んで次の年もやった。今なら分散して一年通して受けると思うのだが、そんな知恵は持ち合わせていなかった。年間スクーリング日程を入手すると、カレンダーに書きだして子ども達の夏休みやスケジュールを書き出し空いたところに大学の予定を入れた。そんな事をしているうちに、イジメ会議や息子の途中退園。保育園に入れたりお受験をしたり。でも大学は続けようと思ったのは、あの松本先生の「絶対卒業してね」という励ましだったと思う。辞めようと思うと先生の顔が浮かび、あのセリフが聞こえた。私の想い込みの激しさはこういうところでは役に立つ。京都造形は土日のスクーリングばかりなので、子どもの予定を考える必要はあまりない。武蔵美は本当に何もかも大変だった。特に版画Ⅰは大変だった授業NO.1だった。

そんな訳でへとへとの「版画 」だが、収穫は勿論あった。先生の言う通りに下絵から彫りからデザインまでした人の作品は、見事なものだった。大きな板に大きな犬の顔をばーんと描いただけ。でも犬や背景の色や質感がちょっと変わったもので構成されており、高邁な作家の現代美術という風貌。一枚欲しいと思った。先生も一枚くれと言っていたが、「家に飾りたいからダメ」と持ち帰っていた。武蔵美の授業は講評の後、そのクラスの NO.1が選出され、その作品は「参考作品」として大学に納められる。そして夏か春に「参考作品展」が開催されるのだ。私もなんだったか一回だけ選ばれたような気がする。でも NO.1ではなく、良かったもののいくつかのうちのひとつというものだったと思う。先生のいうことは聞くものだと強く思った。

それから、プロの版画作家の方も授業を受けていた。小さくて可愛らしくてアイドルみたいな女の子だったが、彫りだすと流石プロ、さっさと分厚い板を彫り上げていた。彫刻刀も見事なものばかりで、天然の白樺をそのまま柄にした彫刻刀もあった。先生達がこぞって見に来て羨ましがっていた。その方の作品に先生がダメだしされていた。青空の野原に女の子が遊ぶ絵だったと思う。先生がこの青空の色を変えたらなどと言っている。私がみた感じでは、プロの方の選んだ青の方がしっくりくるし、作品も綺麗だと思う。そのプロは先生のいう通り、青をくすんだ色に変えていた。「前の方がよくないですか。いいの?」などと聞くと、「ここは教室だから先生の言う通りにすればいいと思う。仕事で好きなようにしてるから、人の意見は貴重」などと言う。私はすごいプロ魂をみたというのか、理に叶った考え方に納得した。それから「先生」という人のいうことをよく聞くようになったのだと思う。

先生のいう事をよくきく生徒を先生は可愛がる。私はどの先生にも可愛がられ、大学の授業は楽しかった。それでも時々は暴走したりした。とある「絵画 」の授業、油か水彩かを選び、デッサンに彩色という授業があった。確かこれも一週間の授業だったと思う。武蔵美の授業はほとんどが一週間続くものだった。まずはトルソーを画用紙かケント紙だったかにクロッキー。そこから手を加え、デッサンしていく。2日くらいで完成したものに彩色をするのだが、私は手軽な水彩にした。油絵の具は臭いし洋服についたらなかなか落ちない。

最初は透明感を重視して色を重ねていた。でもだんだんとさらっとしたシンプルな作品がつまらなく思えてきた。なのですごく大きな画用紙から絵がだんだんはみ出して描いた。どういう事かというと、薄い大きな紙を売店で買ってきて水で湿らせて貼り付け盛り上げ、絵を立体化させたのだ。それをどんどん大きくしたので指定用紙からはみ出してしまったのだ。それに色を重ねていく。トルソーが巻いているのは赤と紫の布だが、こんな色大嫌いと、綺麗なブルーとグリーン、そして白のグラデーションで描いた。


普通なら再提出か「もう帰れ」と言われそうだが、その時の先生、確か伊藤先生という若い髭の先生だったが、「おーいいねえ」などと褒めてくださった。それを聞いて私はほっとしたが、教室全体が「それなら僕も私もやったる!」という空気につつまれた。そこからはめちゃめちゃだった。紙を縦に10枚くらい繋げて、描くのはもうトルソーじゃない抽象の何がなんだかわからないものだったり、トルソーが爆発したものを描く人がいたり、もっと繋げて絨毯みたいにして床に広げて描く人とか。それでも先生はニコニコとみていた。他の教室から何人も先生達が見学にきたが、それぞれの範疇にはノータッチが武蔵美文化なのか、偉い先生が来ても何も言わなかった。私のところにも何人も先生がきて、「これは何で盛り上げたの?」とか「ほおお」などと言われた。

そこで「参考作品」に選ばれたのは、縦に何枚も繋げた作品だった。確かにインパクト的に大成功だし、何が描いてあるかわからなかったがよく見るとなかなかいい。他の教室は大人しい、そのまま「静物画」という作品ばかりで、先生によって教室のカラーが全然違うと思った。私がすごく上手いと思っていたあだ名が「天才」という生徒も、確かに上手いが隣の教室で静かでつまらないものを描いていた。「調子悪そうだね」などと言うと、乗らなかったなどと言っていた。それにしても私ってどこに行っても失礼だな。伊藤先生はまだ武蔵美にいらして、新宿のデッサンなども教えてみえるよう。行ってみたいがかき混ぜても申し訳ないし、デッサンだけというのは懲り懲りなので多分もう行かない。新宿にも大学の教室があり、ここは主にコンピューター関係の科目の授業が開かれた。そういう仕事をしていた私はかなりこれで単位をとったが、授業はプロラムなどもあり難しかった。お年寄りの初心者のような失態を色々してしまったりした。

情報システムの授業でお世話になった松本先生は、何故か私を気にいって下さり何かとその後も声をかけてくれた。毎年行われる夏の「懇親会」ではわざわざ探して声をかけてくれた。そして必ず「絶対ちゃんと卒業してね」と。連絡する術がないのでそのまま退学、編入してしまったが、今も多分「情報システム 」の授業をされていると思う。私を見かけなくなりガッカリされているだろうか。京都造形大学を卒業したら連絡をとってみたい。きっと喜んで下さると思う。先生は男の子をひとり持つシングルマザー。生活を考えた時に、大学で講師をしようと武蔵美通信で学んだ後に講師になったそう。あっけらかんと話していたが、色々ご苦労もあったと思う。でも決心したことをキチンと遂行し、すごいと思った。

そして二年生になって「版画 」の授業。I先生という方が担当についた。この先生絶対B型だとB型の私は思った。気分がころころ変わっているようで、こちらの生徒に「その絵はなんだ!書き直し」と怒ったかと思えば、別のところでは「うーん、いいじゃない」などと言っており、先生には先生のポリシーや審美眼があると思うのだが、私にはよくわからなかった。絵を描きなおしと言われた人は、すっごく写実的な絵を描く人で、ぶっきらぼうで感じは悪いが絵は天才的だった。嫌そうに見せてくれたスケッチブックは、本当に上手い人ってこういう絵を描くのだと思い知らされた。なのに叱られて、褒められた人の絵は全然幼稚でいたずら描きというか、ヘタウマにもなれない下手なものだった。私は叱られもせず褒められもせず、先生に「銅板何枚使っていいですか」とか、二日でひとつペースで作品を作るので「ちゃんと課題として出すものも作ってネ」などと言われていた。あまり目をかけて貰えなかったともいえる。それを良いことにやりたいようにやった。版画天国だった、住みたいと思った。先生の名前は忘れてしまった。

そこから翌年は版画の授業は全くなかった。大学からしたら総合科目と一年生二年生の版画で十分と思っていたのかもしれないが、高い学費を払って肝心の版画が出来ないのは如何なものかと思った。さっさと単位をとって進級すれば済んだものを、版画の授業が少ないとか、「版画 」の課題の板が探せないから出来ないなどと文句を言ったりした。それが伝わったのか受け入れられたというのか、版画は専門科目以外でも授業が出来ることになり、スクーリングの授業が少し増えた。でも増えた時にはもう版画熱はやや冷め、京都造形大学に編入することしか頭になかった。それでも単位が足りなくてどうしようかとウジウジ悩んでいたところにあのマナラ事件。こんなオーラゼロのしもべママが会社の社長?何かの間違いじゃない?でもそうなら私もやれば出来る、やってみようと何かを勘違いして課題をガシガシやった。最終提出日ぎりぎりまでやって全部合格した。一度は必ず再提出になると噂の「情報システム 」も単位がとれた。もしかして松本先生かと思ったが違う先生だった。「情報システム」の第一課題を出したのが2008年、そこから継続履修をして第二課題を提出したのは2014年だった。休学もあったがどういう心臓なのかと我ながら呆れる。

そして晴れて京都造形芸術大学の文芸コースに編入して、その後のことはもうご存知の通り。酷評されたり叱られたり、時にはちょっとだけ褒められてそれだけをずっと覚えていて自分には才能があると勘違いしたままだったり。楽しい大学ライフが続いている。武蔵美を退学した時は、もうこれでファイン系とは縁が切れた、ほっとした。もう二度と絵も描かないし版画もやらないと思っていたが、今はまたやりたくなっている。何かうんざりするような事があったらちょっと間を開けてみるといいかもしれない。それは人でも勉強でも仕事でもそうなのではないだろうか。


それにしてもこれだけベラベラベラベラよく書けるものだと感心する。今日はついに一万文字突破した。こんな読みにくいブログなのに、アクセスが集まるのは嬉しいけれどちょっと不思議。何より書いてアップしてはいるが、あまり読まれたくないものばかりだ。なので「読みにくい」ブログを目指していたりする。改行を多くしろとかコンパクトにまとめろと言われてもそのままにしてしまっている。そろそろ読みやすいシンプルブログを心がけてみようか。さあ今日は
10,180字。この情熱を早く小説書きの方にシフトさせたいと思う。

【今日の小確幸】

シナールとトランサミン酸を思い出せたこと。近々貰いにいこう。


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※無料で公開していたせいで売れなかった小説 






夕べの夜から今日の朝までまた色々あった。赤裸々に書くと今度こそ顰蹙だろう、ダメだろうと思いながらブログを書いている。それならもう止めればいいと思うのだが、止めたらやめたで内部圧が肥大し、限界を超えたら爆発してしまう気がする。それはもしかしたら子どもにいってしまうかもしれないし、何か別のところに行くかもしれない。朝から夫はまた大声で子ども達を起こしていた。夕べは大声で寝かしつけ、というか「もう寝ろ!」という大爆撃のような声でまた目が覚めてしまった。学校から帰った息子は私が卒制をしている間、寝てしまったよう。ちょっと昼寝してしまうと息子は何がなんでも寝ない。なので絶対昼寝はさせないように気を付けているのだが、昨日はうっかりしてしまった。寝ているのをいいことに郵便局まで行けたのでそれはそれでいいのだが、また可愛そうな目に遭わせてしまった。夫はすぐ息子を怒鳴る。もちろん私もあるが、夫が怒鳴っているのを聞くとすごく腹が立つ。娘に勉強勉強と強要しているのをみてもすっごく頭にくる。確かに勉強は大事だが、そんなに血眼にならなくてもいいのにと思うのだ。

今朝もまた息子に気の毒をしてしまった。支度をさせて送りだしたら、家のチャイムが何度も何度もしつこいくらいに鳴る。今は学校の登校班で通っているので、その班のリーダーが息子が来ていないと鳴らしているのだ。時間を見ると52分、集合は55分の筈、なので無視した。すると夫が出て息子はもう行ったと返事していた。時計をみると53分。何か叱ったり注意したりする時は、その時でないとダメと犬のブリーダーが言っていたのを思い出し、サンダルを履いてエレベーターホールに急ぐ。チャイムを鳴らしていいのは集合時間を過ぎてからと言いに行こうと思ったのだ。外をみると雨が降っている。息子が傘を持たずに出かけたのを思い出し、息子の傘を持ちエレベーターに乗る。正面玄関のホールは大勢の子ども達と一年生の父兄でごった返していた。新一年生はたいがい親が最初はついてくる。私も去年はそうだったと懐かしい気持ちになるが、息子の班がみあたらない。息子のママ、と声をかけてくれる子に挨拶をしたりして、ぐるぐると探した。顔見知りの人がいて聞こうと思ったが、この人達はあちら側の人だからと聞かずに息子を探した。教えてくれるだろうが微妙に嫌な対応をされるに決まっている。この辺り最近やっと気が付いた、自分で探せばいいのだ。でもいない。もしかしてもう行ったのだろうかと玄関を飛び出す。ずーっと走って信号まできてやっと息子の班に追いつく。果たして息子は8人くらいの班でひとりだけびしょびしょになりながら歩いていた。私はむかむかした。傘をとりに戻らせる時間は十分にあったはず、なぜ傘もなしの子どもがいるのに出発するのか。傘に一緒に入るという知恵はないのか。しかもすごく早い時間にピンポンピンポン鳴らして人を集めたりして。自分が早く出発して早く学校に行きたいだけだろう、そういう承認欲求だけだろう。息子の近くにいき、肩をつついて傘を渡す。顔までびしょぬれになっていて、手で滴を拭いて帽子の雨も払う。その二人前にいた班長の女の子に「55分集合でしょう、チャイム鳴らしたの52分だよ。それに傘を忘れた子がいたら取りに行かせるくらいできなくてどうするの」と叱った。公衆の面前で叱られた女の子はぽかーんとしいた。親の顔がみたいと思った。帰る途中に夫とすれ違う。傘もなしでどうしたのとへらりとしていた。「あなたの娘はどうしようもないね、叱っておいてあげました」と言った。もうもう最悪の朝だった。

夕べも息子が夫に怒鳴られたのは私のせい。息子に歯を磨かせて寝ようというが、昼寝をした息子はパパを待つという。時々夫はトランプやゲームを少しして寝かしつけてくれることがある。そういう夜を期待して私は先に寝た。そして夫の怒鳴り声で目が覚め、そのイライラを引きずったまま朝を迎え、また怒鳴り声で目が覚めた。一昨日も眠りが浅かったので余計にイライラした。静かな実家に戻りたいと思った。でも実家だって私が小さな頃は同じようなシーンが何度もあった。時が過ぎ、子ども達は全員巣立ち、夫婦ふたりになったので、もう諍うことも何もない。ただただ静かに暮らすしかもうない訳で、両親が望んだものかどうかは私にはわからない。うちもそのうち静かな朝がくるだろうか。娘はちゃんと色々な事がわかるようになるだろうか。いや、ならないと思う。夫がそうだからだ。夫が手塩にかけた娘は、木をみて森を見ずなところがある。そうしてしまったのは私だろう。そういう事を考える時、特にこういう雨の日は気持ちが沈んでそのままになってしまう。自分が好きだなんてとても思えない。

冬が長い北欧や北米は、年間の日照時間が短いせいで自死してしまう人が多いと聞く。天気に影響を受けやすい私はそれがよくわかる。私が北欧か北米に住んでいたら、きっともう死んでいると思う。そういえば北欧には日焼けマシーンのような日照マシーンがあるそう。そこにしばらく入ると人々は輝く笑顔になって出てくるそうだ。最近北欧に旅行するという人に話したかったが、もう帰ってきたそうだ。今度学友と集まれる日はいつだろうか。もう全員集合的授業はそんなに多くない。あと一年で卒業したら、私は何をしよう。一年疎開したいと書いたが、経済的な理由で無理かもしれない。それより息子が田舎には住めないなどと言う。でも今色々考えていてもその通りにならないだろう。いい方に物事が運ぶように祈って努力しようと思う。


※植物にとっては恵みの雨


こんな現状をなんとかしたい。もっともっとというつもりはないが、もう少し穏やかで静かな日々が欲しいと思う。そういう思いがピークになると、人は死にたくなり自死したりするのだろう。でも私、どんなに大変でも絶対長生きしたいと思っている。子ども達の子どももみたいし、なるべくなら世話をしてあげたいと思うのだ。でもなかなか思うように体が動かなくなったりして、自分が母に言ったように、十分に手伝いに来てくれないと文句を言われる気もする。育児とまではいわないが、早く 家事代行くらい出来るロボットができないものかと思う。そしてそれらは行政が子どもを持つ家庭に無償で貸し出されるのだ。子どもを持って初めて、子どもの面倒を見ながら家事や仕事をする大変さがわかった。それらは大災害のように人生を蝕んだ。本当に子どもを産むまで全くわからないし見えなかったのだ。そういう家事時々留守番程度の育児をしてくれるヒューマノイドロボットが現れたら、母親は子どもを虐待しないだろうし、ママ友戦争とかママハラスメントなどのイジメもないのではないか。やっぱり私はドラえもんと結婚したかったと思う。

そんなこんなを暗い部屋でブログに書いていると、スマホのケーブルを貸して欲しいと近所のキラキラママがきた。その輝くような笑顔に気持ちがぱあーっと明るくなった。太陽のような人というのは、どこにでもいるものだと思う。そういう家庭は家族も幸せそうだ。やっぱりうちの家庭が暗いのは私のせいだと思ったら、また気持ちがブルーになる。早く天気にならないかな。今日は締切迫る仕事と10日締めの課題をやる。「コラージュでデッサン」もやっつけてやる!


【今日の小確幸】

息子に傘が渡せた、びしょ濡れですごく可愛かった。

(2016.04.08)4月1日土曜日中学の時の同級生がプチ同窓会をしてくれた話を、盛って書いたら書き過ぎだと叱られてしまった。誰に何を言われても気にならなかったが、さすがに言われてダメだなと思った。どうもすみません。今後は清く正しいブログを目指します。それから今度こそあまり人を非難したりしないようにも気を付けたい。そもそも年末までと決めていたのに、こういうのはなかなか自律できないものだと思った。そろそろ息子の習い事の発表会的イベントの告知もしたいので、ブログの内容も順次精査して整理していきたい。


【今日の小確幸】

版画など作品を整理したらクローゼットが綺麗になった。でも疲れた。

※もう買う気がしない、採りたい

昨日は朝は冷え込んだが昼からいいお天気過ぎて暑くなり、一日外にいたので日に焼けてしまった。こんなに晴天になるとわかっていたら帽子や日傘を用意していくのだった。 

豊洲公園でお花見をした。心当りのある方何人かに声をかけて、数組の親子とお昼を楽しんだ。NHKおはよう日本の開花予想のニュースでは、3月26日がお花見に一番いい日だとアナウンサーが言っていた。27日だと雨になり、その翌週の土日だともう散っているでしょうと。でもこれが大外れで、豊洲公園の桜は1分も咲いていなかった。しかも芝生の真ん中あたり大きなオレンジの囲いがしてあり、聞けば芝の養生をしているという。これ、いつまでなのだろう、桜のシーズン後で良かったのじゃないの?と、またしても江東区役所方面から邪念を送られそうな事を思ってしまった。その横の、かすかに咲いている気の下にコールマンのレジャーシートを敷き、銘々の持ってきたものを広げ、しばし談笑。予定があり早く帰る人、用事で遅く来た人、私のようにやや遅れながらずっと居る人、様々だった。

豊洲公園に花見に来たのは2年振りだ。よく覚えている。なぜよく覚えているかというと、丁度二年前に昭和大学江東豊洲病院がオープンし、ブログの記事に書いた。その日に花見をしたからだ。ママ友さんふたりでレジャーシートに座り、お茶したり話をしていると、隣に大きな円陣が出来ていた。みるとその頃はまだ所属していたバディのお母さん達だった。私は誘われていなくて、花見の会があることを知らなかった。別の幼稚園に通うママ友に人望の無さを露呈する結果になってしまい、その日公園にきたことを後悔した。息子にも嫌な思いをさせてしまった。そして今日の豊洲公園も息子にやや気の毒な目に遭わせてしまったが、色々なこと、息子の学校の様子などがわかり良かったと思った。他のお母さん達も色々あるんだなとか、私って誰といてもグループになるとやや浮いた存在になるのは運命なのかとか、色々思ったが楽しかった。ひとりの方がサングリアを持ってきて下さり、場がぱっと浮き立った。私は呼びかけたもののほぼ手ぶらでぶらっと来てしまい、慌ててららぽーとに色々買いにいったりした。

私はNHKの言う間違った"花見ベストディ" は、豊洲中の人がこぞって豊洲公園に集まると思っていた。なのでもしかして、私のようにオープンではなく密かにママ友ゼロの人がいて、花見に行きたいが大きな円陣を想像して怯んでいる人がいるかもしれないと思った。子どもを外に連れていきたいが、そういう意味で出かけられない人も多いとクロ現だったかニュースでみたことがある。なので自分の子どものクラスの父兄全員を呼び掛けてみようかと思ったのだ。今回一緒に花見を企画した方たちに振ると、いいわねなどと言って下さった。本当は前々から考えていて、私ではなくクラス代表係の方にお願いして企画して貰うつもりだったが、いつもの如くあれこれしているうちに日にちが迫ってしまった。もう有志一同ということで自分でチラシを作成し、息子経由で先生に託そうと。配布して貰うつもりでランドセルに付箋メモをつけて入れた。 

 
※なかなかいい出来では?


何人くらい集まるかと考えていると、一緒するママ友さんから今日は何時に行くかとメールが入った。チラシに書いたと返信すると、貰っていないという。おかしいと思って息子のランドセルをみると封筒に入ったチラシの束がそのままあった。連絡帳にも何も記載されていないということは、息子が渡してくれなかったらしい。そういえば「先生に渡してね」と言わなかったような気もする。昨日が終業日で今日は当日、もう配布は出来ない。「こう来たか」と思った。 

 
※来週が見頃でしょうね


最近私は自分が誰かの書く小説の主人公のような気がする。書き手の勝手な考えで、私はあっちへ転がりこっちへ倒れ、また起きたりしているのだ。それは自分が書いている訳ではないので予想は不可能、だが時々その世界にチューニングが合うのか夢で先の物語をみたり予知したりするのではないか。それは小説の書き手なのではないだろうか。一人称では私だが、書き手は三人称のつもりなのではないか。そして今回の誰かが書いた話のオチは、「手の付けられていないチラシを眺め、「こんなチラシ配ろうとしたりして、私ってボスママみたい」と思った。」などと書いてあるのではないだろうか。私の考えるラストは、「チラシありがとう、今日あたり来たいと思ったのよ」何組かのクラスの親子が来てくれて、チラシを配って良かったと思った。」という筈だったのだ。だが蓋を開ければチラシは配られていないわ、桜は全く咲いていないわ、花見している物好きはうちともう一組、子ども達はボールを貸す貸さないで揉め、息子は友達に邪見にされてもう帰りたいと愚図りだす。思うようになかなかいかないものだなと思ったが、それでも久しぶりのピクニックは楽しかった。


※お洒落で気が効いている差し入れ

この豊洲公園で昔知り合ったママ友達は、ほとんどが豊洲からいなくなってしまった。娘がヨチヨチ歩きのあの頃、色々あったけれどあの頃が一番平和だったかもしれない。子どもの可能性も素質も素養もみなフラットで、それぞれが子育ての夢を語り、明るい未来を思い描いていた。時々子どもがおもちゃの取り合いをしたりすると、「貸してって言おうね」とか、「嫌ならいやって、言おうね」などと子どもに言ってそれで親の役目を果たした気持になり、ベビーカー軍団でお昼を食べたりした。あの頃はグループだったけれど誰がとかここまでという線引きはなかったように思う。だいたいこの時間にいる人達、お昼はこの辺りで食べるということで、行きたければ行き、遊び、なので何日も会えないかと思えば続けて遊んだり、時には誰かの家に集まったり。私はこれがずっと続くものだと思っていたが、それは今回の桜予想と同じく大外れだった。

作ったチラシをアップ。チラシに誘われ来たら私が作ったチラシだと知ったらビックリされただろうか。寒くて桜も咲いていなくて顰蹙だったかもしれない。来年は学代(学級代表)さんに相談して企画もお願いしよう。学年の終わりと始まりの春休みに花見を兼ねて懇親会というのはとてもいいアイデアだと思うが如何なものか。また、何処かのボスママからではなく、有志という事なら気楽なのではないか。行かないと次に呼んで貰えないとか、忠誠心が足りないと思われないかと心配しなくてよい。ボスママ肝いりのどこか店を予約するとか何を食べるとか集金などもなく、好きな時に来て好きなものを食べ自由に帰れる。雨が降れば近くにがすてなーにもある。がすてなーにはお弁当を食べる広めの部屋があり、昔はここもよくお世話になったものだ。

そんな訳で私の思惑は全く外れてしまった。これはこれで面白い落ちというのか、私らしいとも思った。「来週またやれば」と言われたが、来週の土日は予定があり出来ない。それに時間があれば今度は九段の桜を観に行きたい。我が家の恒例の筈が、一昨年くらいから行けていないのだ。久しぶりにあのボートにも乗りたい。

家に帰ると娘が熱を出していた。夫は母親のように甲斐甲斐しく面倒をみて食事を食べさせている。夕飯は夫が握った寿司となめこの赤だし、それからきゅうりとキャベツの塩もみ。もう渡鬼の大吉にでもなったらと思いながら食べていると、「今日は野菜の一品も作ったよ」と夫がニコニコしていた。昨日のブログを読んだのかと思ったら、最近すぐ痛くなる胃がきゅっとなった。 読まないでよ!


【昨日の小確幸】

ランニング一緒にやる人出現。DOスイミングも考えていたが、無料で出来るこちらからにする。

こんな夢をみた。あのおとなしい子がこちらをじっと見ている。何も言わずにただただじっと。なんだろうと思って考えてはっとして目が覚めた。そして、ああそうだったと思い出した。悪い事をしたかもしれないとも思った。夢は色々な事を私に教えてくれる。未来も自分の気持ちも人の心も。やはり夢というのは人が寝ている間にみるエンターテイメントショーではないのだ。きっとどこかの世界と繫がっていて、その世界とチューニングしているのではないか。もしかしたらそれはあの世も含まれているのではないか、異次元というような所にも。

今、息子を習い事に送って練習風景を撮影してきた。朝練の時間だけレッスン復習用に撮影が可能で、今の今までずっと行かなかったが、とうとう来週役のオーディションという今になって撮ってきた。それまで大学がずっと忙しかったし、息子は来ないでビデオいらないという。他にもチケットが高すぎるのでなんとか安くなるように談判したり、そんな事を大学の合間に約3か月もやっていた。息子はちゃんとみなくてもちゃんとやる子、などと思っていたが、そうではなかった。足があがってないよだの、声が出てないなどチクチク言えば、もう帰ってなどという。

帰ってブログを書いているが、14時から合評会で大学に行く。大急ぎで早いお昼を食べたところだ。昨日姑にもらった高菜の塩漬けを巻いたおにぎり。「こうやって繊維のある部分は刻んで頂いて、葉はお味噌をつけてご飯に巻いてちょっと焼くの」などと言っていたのでその通りにする。味噌をつけると塩分過多になるのでそのまま巻いた。朝夫にも作ってあげたら嬉しそうに噛り付いていた。ママの味だとでも思ったのではないだろうか。どうやったらこんな美味しく出来るのかといつも思う。塩だけというが、私が同じにやっても味が違う。糠漬けもそうだ。手の先から何かが出て、それが美味しさの素なのではないだろうか。

※じゃがいもと玉ねぎの味噌汁

息子のミュージカル、最初の頃大人の出演者がいないのか「お母さんも是非」などと満更冗談でも無さそうにプロデューサーの方に何度か誘われたが、「ママがやるなら俺はやめる」と息子に言われたので参加しなかった。でもよかった、私がこんなシビアなこと続けられるわけがない。そんな事を思うが、目の前の参加者たちは全員がすごく楽しそう、アドリブに笑ったりつつき合ったり、大人も子どももいい感じだ。 

息子は伸び伸び楽しそう。バディの時は「大丈夫かなと思うくらい真面目に色々やってる」といわれていたが、イジメられないようにと必死で先生のいうことをこなしていたのだろう。今は先生は厳しいが、イジメっ子がいないので本来のうつけが出て伸び伸びし過ぎているような気もする。

昔、魯山人が鮎を生きて運ぶために、鮎の桶の中に猛魚を一匹入れて運んだそう。鮎は生き抜こうと必死になり、すごく新鮮な状態で運ばれたという。今は猛魚がいないので安心しきっている。英語の先生がいつもいう、「褒めて抱きしめる叱らない教える」というやつを徹底してみようか。ダメだしせずに、全部褒めてみようか。褒め褒めママスイッチを入れてみようと思った。

そんな訳で、あのプールバスの憂鬱は、色々思うところが出てきた。もちろん仲間はずれはよくないが、あの子たちもダメとわかってやっていたのだろう。子どもは本当に純粋で、いいことを見せれば教えればその通りに育つ。私の演説に真っ直ぐな目をみせてくれたあの子、「もう少し時間が欲しかった」という別な子のお母さんの言葉も、違う意味があったのではないか。夢に出てきたあの子がじっと黙って見ているので色々考えた。起きて、ああそうだったと思った。この子のお母さんに会ったら話しかけてみよう。そもそもこの子のお母さんはすれ違う時、変な顔で私を無視したりしなかった。

私はLINEはやっていないし、メールもしない。ここ豊洲のお母さん達とさんざんメールやLINEを楽し気に、親し気に大量に交換したが、結局何も残らなかった。文字数にしたら、多分天文学的数字になると思う。それほど毎日返信したり、書いてある内容に右往左往した。なんだかワインみたいだと思った。美味しくて楽しいが、栄養もなにもなく依存する心配もある。ほどほどに、ほどほどなら害はない。

そういえば、夢ではスマホやLINEが出てきたことは一度もない。あの世や異次元にはないもので、生きるために必要ないものんおだろう。持っていない人とは心が繋がっているので必要ないと思う。いつも担当してくれるヘアサロンの美容師は「スマホは人間が生み出した最悪の麻薬」と言った。そうかもしれない。みよこの依存度。夢をみてまた色々思った。夢って不っ思議だなあとも。今日出席する合評会の作品も、実は夢でみたのだ。それに様々なエピソードや場面を繋げて話を作った。前に提出したものも、あれもこれもそうだった。作家の人が「なんか降りてきて書いた」というのはこういう事だろうか。もう書けくなったとかいうのは、夢が乾固してみなくなったのか。それで書けなくなり、自死してしまう作家が何人かいたと授業で習った。そういうことなのか、違うのか、どうなのか。

2015年度に提出した課題の中で、「夢」について、以下のようなレポートを書いた。科目は「文芸Ⅲ-2テーマで読む文学」で、授業後のスクーリングレポートで書いた。点数はどうだったかとみると、68点とあった。私こんな点とったのだとビックリした。ともかく掲載してみよう。

文芸Ⅲー2「テーマで読む文学」
タイトル:『夢と現実』

こんな夢を見た。


私は夢の中で、ああ、今わたしは夢の世界にいるのだなと思った。なので、この世界の人々に、「今、あなた達がいるこの世界は、私が見ている夢の世界なのですよ」と説明した。夢の中の人たちは誰も驚かず、にやにや笑って、へえ、だの、うそだ、などと言った。どうにかして上手く話したいと思ったころで、目が覚めてしまった。


 どのテーマを選択しようかとテキストを眺め順番に検討しているうちに、昔みた夢を思い出した。何歳の時か忘れてしまったが、かなり幼い頃だったと記憶している。夜眠ると見る夢というものをとても不思議に思い、その世界と現実の世界はどう違うのか考えたのがきっかけで、こんな不思議な夢をみたのだろうか。今でも時々あの夢を思い出す。


 テーマは「夢と現実」とした。比較検討する作品は、夏目漱石の『夢十夜』と、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を選んだ。この二つの作品は、人間が持つ希望や願望という意味の「夢」ではなく、眠りについた時に見る「夢」の話であり、「夢と現実の境目」が曖昧だという共通点がある。


宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』は、貧しい家の少年ジョバンニが、ひとりで訪れた草原から銀河ステーションにたどり着き、カムパネラと共に銀河鉄道に乗る物語である。ジョバンニが草原でひとり訪れてそこで眠ってしまい、その際に見た夢の中でカムパネラと銀河を旅したのだ。話の終盤で、実はカムパネラは水に落ちて行方不明になっており、草原で目を覚ましたジョバンニはそれを知るというラストだ。となれば、ジョバンニとカムパネラの乗った鉄道は、この世とあの世を結ぶ境目を旅する列車だと解釈できる。宮沢賢治はどのようにして、このような物語を構築できたのだろう。

 宮沢賢治の生まれた岩手県花巻市は、今でも人口の少ない自然豊かな場所である。更に賢治が存命の時代には、夜になると明かりが一切なくなり、漆黒の闇だったことが容易に推測できる。そんな中で見上げた星空は、怪しいまでに美しく輝いていたに違いない。また、賢治が尋常小学校の頃、同級生が川に流され亡くなる事件が起こったのも創作の原点だろう。賢治なりの、亡くなった同級生へのレクイエムではないか。
また、宮沢賢治が輪廻転生を含め宗教を信仰していたことも興味深い。『銀河鉄道の夜』における世界観は、死にゆく人々へのオマージュであり、輪廻の前提がなくては辻褄が合わない印象を受ける。作中、登場人物が語る台詞も宗教家としての賢治を垣間見ることができる。

「ほんたうの神様はもちろんたった一人です」
「けれどもほんたうのさいはひは一体なんだらう」


 作中でジョバンニの見た夢は、賢治の見た夢なのだ。対するカムパネラのモデルは様々な名前があがっているが、川に流された同級生や、賢治のよき理解者で同じく亡くなった妹トシ、その他花巻高校時代に親交のあった同級生、このうちの誰か特定の人物をモデルにしたのではないか。空を見上げ、亡き者達へ思いを馳せ、ジョバンニとカムパネラが生まれたのだろう。出来事や人物、目の前の自然などの現実が賢治の中で攪拌され、夢物語として発酵したものなのだ。



次に、夏目漱石の『夢十夜』について述べたい。


「こんな夢を見た」で始まる全十篇の夢物語だ。ただし、この文章で始まるのは第一、二、三、五章のみ。夏目漱石は、新聞社のお抱え作家だったそうだ。新聞に掲載されている自分の作品を読み、「こんな夢を見た」で始まる夢物語が滑稽に思えたのではないだろうか。摩訶不思議なお話を最初から夢ですと種明かししては、犯人を知りながら読む推理小説のようなものではないだろうか。タイトルも同じく、夢物語に「夢」というタイトルはつけない方がいいような気がするが、夏目漱石に進言すれば気を悪くするだろう。漱石は胃弱で神経衰弱だったそうで、私がいうまでもなく様々に悩んだのではないか。


 それらを鑑みても、十篇全て、少しだけ辻褄が合わなかったり突拍子のない展開だったりで、普通の小説としたら多くの赤が入りそうなストーリーだが、夢でなら成程見そうな展開だ。そのふわりとしたギリギリのバランス感覚は見事という他ない。まるで夏目漱石が実際に見た夢を、起きてすぐにノートに書き写したのかと思うばかりである。中には漱石が実際に見た夢に、インスピレーションを受けたものもあるのではないか。


 特に印象深いのは「第九夜」のラストだ。夢物語の筈が、夢の中でまた夢をみたという設定になっている。「こんな悲い話を、夢の中で母から聞た」とある。夢の中でみる夢は、一体どんなものだろう。またここで思うのは、「第十夜」と「第九夜」を入れ替えたら夢物語の不思議なイメージが強く残ったのではないか。「第十夜」のあっけらかんとしたラストが少々残念に思えた。これも夏目漱石は後に後悔の種になったのではないか。なんでも思い煩うイメージから想像した。


「夢」と「現実」の境界線は、どこにあるのだろう。宮沢賢治は夢の世界を冥途への道として描き、夏目漱石は異界として書いた。日本には古来から、夢見がいいだの悪いだの、誰それが夢枕に立った、などという言葉がある。夢とは一体何なのだろう。そういう私は時々正夢をみることがある。夢のお告げ、というものか。夢は、リアルにあの世とこの世の境目なのかもしれないと、ふと思った。


 私が夢の中でこれは夢なのだと説いた人たちは、突然私が消えて驚いただろうか、それとも何とも思わなかっただろうか。あの人たちはあの後どうなっただろう、まだあの世界にいるのだろうか。久しぶりにまた考えてしまった。(完)


【今日の小確幸】

夢のおかげで自分が色々間違った認識だったかもと気付いた。


 


 


 

大宮にヘアカットに行ったついでに叔父の家に寄った。ランチをしようと約束をしていたが、風邪で具合が悪く出かけられないと言う。夫と娘は出かけてしまい、残った息子を連れて行ったので、ふたりで簡単に昼を済ませることにする。息子は新幹線のお寿司がいいと言う。叔父の家の近くにあるが、残り少ない人生、寿司は美味しいものを食べたいと叔父はそこで食べるのを嫌がる。息子とふたりで行けて丁度良かったかもしれない。あれこれサクッと食べて満足。

ちなみにあの先生が気に入っていた寿司屋はド派手な看板の中華の店になり、その後まぐろ問屋西川の立ち飲みの店になった。まぐろ問屋西川は家の裏にも販売専門の店があるがとても美味しい柵が買える。ちなみに寿司屋は親父が頑固すぎて客足が遠のいたという噂を聞いたことがある。なんて書くと、私の知らない夫を知っているとでもいうのかと「内子」に勘ぐられても困るが一緒に出かけたことは一度もない。事務所で珈琲を淹れてくれたことはあるが、あの時は色々大変で何も気にならなかった。でも今思い出すと、事件や裁判だけでないその他の細々とした無駄話しなども思い出す不思議。
 
※春だなあ

※春のばくだん小鉢

話しを戻して叔父の家に行くと、ダイニングに座りテレビもつけずぼんやりしていた。「大丈夫?」と声をかけると、目をショボショボさせて、「もう訳がわからなくなった」と言う。背中をさすると、叔父の孤独がじんわりと伝わってくるようだった。独居というのは本当に寂しいのだと思う。思うが私は姪で、時々こうやって顔を見にくるくらいしか出来ない。従兄弟はブラジルに出張中だった。叔父の家でワイン飲もうと誘ったが、しばらく戻れないという。この連休にざっくばらんと色々言うつもりでいたが、部外者は何も言わない方がいいだろうか。彼も色々考えているだろう、心配だけれど仕方ないのか。

手早くうどんなどを作るが、ほとんど残してしまう。あまり食欲もないというので、そういう時は何も食べない方がいい、空腹だとサーチュイン遺伝子が体を回復するなどと励ます。夜は湯豆腐を食べてと支度しておいたが、食べてくれただろうか。こざっぱりした格好だったので出かけるつもりでいたのかもしれない。

奥さんを亡くして早5年目、ひとりは心配だからと呼び寄せられたが、結局はいつもひとりじゃないかと言うようになったが、最近はもうその愚痴すらも出ないようだった。男が残ると可哀想というが、その通りだと思う。あちらこちら掃除していると息子がか床暖房のカーペットで寝てしまった。慌てて起こして叔父の家を出た。

次に姑の家に向かう。どんな采配なのか、叔父の家と姑の家が近い、というか、鉄道一本で行けることに気がついたた。今日は息子もいるので、顔を見せに行くことにした。急に思いついて行くとわかるせいか、息子はちゃんと連絡したのか、急に行っていいのかと心配している。何この気配り。おばあちゃんはあなたの顔がみたくてたまらないから喜ぶよと言ってもピンと来てなさそう。

ちなみに私の中ではあそこは舅姑の家であって、夫の実家ではない。子ども達のおばあちゃんの家で、私たちは付き添いのような気がする。夫が野放図に伸び伸びしていると、遠慮しなさいよなんて思うが余計なお世話だろう。息子は可愛いに決まっている。私が図々しいのた。

果たして姑は突然の幸運に狂喜していた。血圧を測っていたところで数値が高いと嘆いていたが、息子の登場に興奮したせいに違いない。息子も興味津々測って貰っていた。息子は上が80、若いな。私が測って貰うと、何度やっても空気を送る管がばーんと外れてしまう。やはり血圧が高すぎだと結論付けられ、塩分を控えてなどという。あなた達の息子が味付けの濃いものが好きだから私の血圧が上がったと反論。喧々囂々と夕食をいただく。泊まっていくかと言われ、もうこのまま寝たい気持ちを振り切り帰ってきた。明日は朝が早いのだ。

血圧を測りながら姑がまたせっせと話し出す。もう体のどこもかしこもポンコツで、そろそろ上手に死ぬことを考えないといけないわと。叔父のことも考えて、そうかもなんて思った。叔父に私は「ちゃんとした死に方をしないとダメだよ」なんて言ったことがある。お風呂で寝たまま亡くなるとか、残る家族が後悔するような、もっと頻繁に見に行けば良かったなんて思われるのは、ダメだよ。なんて。元気な頃の叔父は黙って笑っていたが、どうしろと言うのだと思っただろう。私も後から、なんか違うなあと感じた。

ともかく有馬稲子さんのような美人がいるホームに入居させてあげたいと思った。従兄弟は探しているとか、順番がなかなかこないなどと言う。もっと強く言うべきかなとか、いやいや身内に任せるべきとか迷う。今目の前にいる人は、つい最近まで溌剌とお洒落して食事に連れていってくれた叔父ではなくなってしまった。いつかの私の誕生日にはランチでホテルのフルコースを食べた。ワイン飲みたいというと、美味しいのをボトルで頼みなさい、残したっていいじゃないかと言う。なんだか格好いい。奥さんの教育の賜物だと思い、叔母に感謝して飲んだ。あんな日はもう来ないかもしれない、仕方ないのかもしれない。

忙しい忙しいと言っているが、もっとコンパクトにぎゅっと用事を足せば余裕もできるような気がしする。でも息子が授業が終わると真っ直ぐ帰ってきてしまうようになった。いっそ息子を連れて午後から見にいくとか、何かいい方法はないだろうか。その前に私が顔を出す回数が増えたとして、多少はいいが根本的な解決にはならないのではないか、だれかひとりでも寄り添ってくれる人がいないとダメな気がする。

私も叔父が上京した頃は孤独を抱えていて、お互いの寂しさがシンクロしているように感じていた。なので会えばほっとして色々な話しをした。親戚や私の両親が若かった時の話し、聞いていたのと認識していたのと違う、なんて事もあり、話は尽きず楽しかった。そんな話しをするうちに、叔父の小学校の頃の話しになった。担任だった先生からイジメを受けた事があるという。その頃の話しをする時は、本当に哀しそうな険しい顔になった。こんなに順風満帆の人生でも、あんなに時間が経っているのに、人は虐められた記憶を消せないのだろうかと思った。私もそうなるだろうか。

叔父の家、舅姑の家は年寄りだらけ。でも舅姑の家にはサラリーマンの義兄がいる。義兄が私の叔父の家に暮らせば丁度いいのに、なんてトランプのカードのように配り直したい気持ちになった。舅姑はまだ子どもや誰かがいなくてもそれ程困らないだろう。

義兄は今日は出かけており、帰ってきていきなり、息子にいくらを買ってきて貰いたかったのに電話に出ない、すぐ出なさいなどと叱られていた。いい大人が子どものように頭ごなしに言われている。いつもこんな感じで気の毒に思う、いっそ他人と暮らした方が幸せなのじゃないだろうか。私は勿論かばったが、息子は電話はすぐでるなんて舅についていからかっていた。息子もついでに叱った。世の中ままならないことばかり。

車じゃないから持てない、いらないと言っても持たされたお土産を持ち、ヨロヨロしながら帰途につく。「来たい時に来て、でも電話してね」と姑が言う。マナーとかどうこうではなく、息子にいくらを食べさせられなかったのが悔しかったのだろう。私が近くのスーパーに買いに行く言うと、「デパートか懇意にしている魚屋」のしかダメだそう。義理兄は電話に出ず、魚屋は入院中。セレブババアは息子に「今度こそいくらを、きっとね」などと最後まで愚図愚図言っていた。そんな息子はいくらいくらと言われて食べたくなったのか、コンビニでいくらお握りを買えと言う。食べて満足したのか、地下鉄に乗った途端にポカポカになってしまった。起きたらオンブオンブというだろう。今日は世界一周をしたような気持ち、足が疲れた、帰って早くお風呂に入りたい。それからおばあちゃん、息子はもうそんなにいくら好きじゃないよ。私が食べさせ過ぎたみたい。


【今日の小確幸】

姑が喜んでくれて良かった。

夫の実家でテレビを観ていた。正確には私はテレビの前で新聞を読んでいた。夫の実家は毎日新聞、日経新聞をいつも読んでいる目からすると、カラフルで字面も大き目で楽しい読み物が多い。行くと必ず新聞を読む。何か手伝うこともあるが、「いいから座っていなさい。なんなら隣の和室でお昼寝なさい。ママは疲れているんでしょう、ここに来たらゆっくり休んで、全部肩の荷物を下ろして。そうそう、頂いたお菓子があるのよ、お茶煎れましょうか?珈琲?だったらお義父さんにお願いしましょうね、お父さーん!お父さーん!」と姑は騒々しい。時々だから面白がっていられるが、一緒に暮らしたらうるさいだろうなと思う。夫にそっくりだ。

新聞をみていると急に姑が言った。「こんなおんな死ねばいいのに」と苦々し気にテレビをにらみつけている。どうしたんだろうとテレビをみると、幼児虐待で子どもが亡くなったニュースだった。どの事件だか覚えていないほど、日常茶飯事となったニュースではないだろうか。どうも実の母親による事件だったようだ。姑は憤懣やるかたないという体で小さな体に怒りを漲らせていた。裁判員裁判にでもなって姑が担当したならば、「即刻死刑!」と言うだろう。

こんな姑にいじめで息子を幼児園を辞めさせたとバレた時には泣かれてしまった。それはそうだろう、脚の悪い姑があの夢の島競技場のトラックまで歩いてきたのだ。駐車場から運動会トラックまでかなり距離があり、段差や階段も多い。まだ暗い朝早く起きて弁当を作り、おやつや飲物など大量に抱え、会長への手土産を持参し、えっちらおっちらと。私と夫は、「手土産なんてやめて」と言ったが、「こういう時にご挨拶しなければ」と言ってきかなかった。そんな事までしたのにと、思ったのだろう。

めそめそさめざめと泣いた後、私をきっと睨みつけて姑が言った。「誰か相談する人はいなかったの?」と。「だーれもいなかった。一人もね」と答えると、何か思うところあったのか、「そう」と言ってその話は終わった。あんなに園児が、園長はじめ先生たちが、その父兄が山盛りのコミュニティで誰にも相談できなかったということ、非常事態だったと思ったのか思わなかったのか。その話は二度とされなかった。私は理由を聞かれなかったことにほっとした。聞かれてもその時の私にだって、何が起こっていたのかわからなかったので説明のしようがなかったのだ。

姑はこうも聞いた。「息子がお腹にいた時に、あなたお酒飲まなかったで