芸大に通う豊洲ママのblog♡♡♡

カテゴリ: 武蔵野美術大学

ここ数日というか先週末あたりから色々色々あった。ざっくり言うと、京都造形芸術大学、豊洲小学校、それからNewsPicks。相変わらずこの三本柱であっちでちょこまかこっちでコソコソと何かしかある。NewsPicksは正直もう管轄外なのだが、色々見聞きするし話題にする人もいるのでなんとなくまだ縁を切れないというところか。でもあのサービスで社会問題に明るくなると思ったら大間違い。日々どんどん流れていくニュース達に翻弄され時間が勿体ないだけ。社会の問題に明るくなりたいなら7時のおはよう日本を毎日観るだけでいいと思う。私は最近テレビみるというとこれだけ、あとはドラマ10の「お母さん、娘をやめていいですか」を観た。私は『娘さん、お母さんやめていいですか』だったらどんな脚本にするか考えていて、そう思う母親が多すぎるので色々社会問題にもなっていると思ったりした。子ども産んだら死ぬまでお母さんするしかない訳。でもうちは夫が半分お母さんみたいなものだからなんとか持っているんだろうなと思う。昨日は夫が家に一日いたので安心して寝込んでしまった。どうもインフルエンザから体調がすっきりしないところに色々やらないといけない事があったり事件勃発で、頭が痺れて体が動かななかった。それぞれの問題はなんとかなったもの、ならないもの、続いているもの、全然納得がいかない。いつもならこれら赤裸々に書くところだけど今日は書かない。もう無料で話題を提供するのにほとほと懲りたしもうここまでくると「ママ友ハラスメント」の話から逸れてしまい、ブログの主旨とは違う方向に行くと思う。

もうハラスメントやイジメは世の中から無くならない。今こうして私がブログを書いていてもあっちでもこっちでもあるだろうし、ボスママに目をつけれて生きた心地がしない人達がたくさんいるだろうし、イジメに堪えて辛い気持ちでいる子ども達が今日死のうか明日にしようかなどと考えているにに違いないのだ。もう私が言えるのは「馬鹿のために死ぬのはMOTTAINAI」ということだけ。学校に行くのが嫌で死にたくなるなら学校に行かなくていいし、親は子どもがさぼりたくて言っているのかそうじゃないのか子どもを毎日見ていたらそのくらいわかるのではないか。全然気が付かなくて死んだ後に日記みて愕然なんて、それはちょっと違うんじゃないかなと思う。きっとみて見ぬふりが愛とか、叩かれることで子どもが強くなるとか、妙な体育会系の馬鹿な根性論はそういう時全く役に立たない。かといって甘やかしになっても困るしやっぱり難しいな。ともかく世間体的に日和るのだけはやめようと思う。

今回の色々はネタ帳的にプールし、あの人については色々役に立ちそうだから何かの時の切り札にすることにする。前に自身が言っていたのでその通りにする。あの人のお得意な「パパにいいつける」ってやつを今してもいいけれど、きっとごめんで終わるしいくばくかのお金ということになるだろう。そんなものいらんわ。ということでちゃんと謝ったのは認めるけど全然反省の念が伝わってこず、これで手打ちとは思わないで欲しい訳。もう本当に助けなければ良かった、泣いて大学辞めるのが本当にお似合いだったのよあなたは問答無用で最低最悪。

といういことで最後まで京都造形芸術大学最悪ということになったが、それでも色々学び多き授業もあり、エキサイティングなイベントありで何も知らない一年目は割と楽しく過ごせたのでイーブンということにしようか。特に私の運が良かったのは主担任副担任が他の誰でもなかったということだろうか。先生達だって大学側の先生だから思うところはたくさんあったと思う、でも主観を抜いて私の卒業制作だけをみてくれたということになるのではないか。他の先生達だったら私、特に「大学というレンズを通してみた私」について評価採点したと思う。

あの顔採用なんかはいい例で、結局成績における疑義書はもう出さないことにした。どれだけ何を書いても「(笑)」というものしか戻って来ないだろうし、「N先生もご存知です」とわざわざ書いてくる恥晒しっぷり。困った時の御旗のご門というか、成績の採点ではないと言っているようなものだと思う。どうしよもないと思うし大学がそれでいいと思うならいいんじゃないでしょうか。次からは大きな声と文字で授業すると書いてあるし、図らずも顔採用を助けたことになってしまいこれ以上奴の役に立ちたくない。クレームって世間ではマイナスイメージだととらえる風潮があるけれど、真っ新に受け止めたらそれは企業や個人をよりよくするメッセージだと思う。

先日藝術学舎の『文章講座』(※寒竹先生の授業は素晴らしいに決まってるので内容やためになった話は割愛。タダで教えるもんかと思う)を受けたせいか、たまたま周りが文芸コースのこれから卒制をするという方々で、卒制の終わった私は余裕ぶっこいて色々アドバイスしたけれど、一番念押ししたのは「先生のアドバイスは金言」ということ。ああでもないこうでもないといちゃもん的に人格攻撃したり書いてくる人はいるだろう。でもそういう人はもう論文研究の担当からも外されたと聞いたし、少なくとも昨年残った先生達というのはおおえか以外は割とまともな先生達ばかり。なので安心して先生のアドバイスをきくように、無理と思ってもやってみると確かにそうだという結果になるからと伝えた。この私だって先生のアドバイスはひとつ残らず採用したなどなど言えば皆納得だろう、私っていい先輩だわ、本当にみんな頑張ってねといいたい。四年生の一年間はいつも卒制が頭から離れず、色々と辛いものなのよ。でもそのお蔭で他の悩みは全部薄くなっていたともいえる。それが消えたものだからまた振り出しに戻っているのかなあという感じ。ともかく「先生のいうことはよく聞いてネ」という実家のママンの訓えはこの場合は正しかったといえる。でも誰が先生でそうじゃないかは大人なんだから決めていいと思った。

しかしよく単位取れたと我ながら感心してしまう。おかげ様で最後の授業『日本美術論』も単位認定されたと葉書が届いた。これで4月末には卒業証書が届き、芸術学の学士ということになる。もうこれで高卒と夫にdisられずに済むのがありがたいと思う。子ども達だって「ママは最短で大学卒業した」というのも通信大学でどれだけ大変なことか、大人になったらわかると思うし、自分の好きなことならどんな境遇になっても頑張れるといういい見本になれると思う。本当に良かった。

そしてここでまた大学にとって嬉しくない事を書かなくてはならず、余計に心証が悪くなると思うけれど、卒業が決まったからこそ思うところをまた赤裸々に書いてみたい。

私はこの大学に入学する時に「東京のキャンパスだけで卒業が可能」と書いてあるフレーズに強く惹かれて入学した。大学の本部は京都だが、東京で必要な授業は全て受けられるというもの。確かに私は二年間東京にある外苑キャンパスの授業だけで単位を取得しこうして卒業のはこびとなった。でも果たして本当にそうだったかと言われれば、私は「そうじゃなかかった」と言いたい。

京都造形芸術大学通信教育部の授業、特に文芸コースは東京も京都も同じ科目の授業が行われ、京都はa東京はbという区別で申し込み、授業を受けることになっている。必修科目については同じような授業が行われるし、内容や担当の先生が違うこともあるがそんなに大した問題ではない。何より「単位を取得する」というだけならありがたい事でもある。文芸コースのイベントはそう多くないが、読書会、懇親会、合評会などあるし、本年度は有志で文芸フリマに参加と言うおまけまであった。通信教育で学ぶということを考えたら、十分にリアルで学べたし学生間の交流もあった。

しかしこと京都の本校との距離はすごく感じてしまった。例えばこの春京都で毎年行われる『都をどり』というイベントがあるが、祇園歌舞練場が履修工事を行うということで、この大学の擁する大ホール『春秋座』で通しで開催されることになった。京都を彩る春の風物詩、こんな大きなイベントが自分の学ぶ本校で開催されるということはとても名誉なことでもあるが、東京にいるばかりに参加はおろかなんとなく蚊帳の外的な印象を受けてしまう。これはもちろん京都に行くことがなかなか叶わない身の上の不甲斐なさでもあるし、そっちに行く対費用を考えたら近くにある歌舞伎座でお弁当をつつきながら海老蔵の助六でも観たいというのが本音でもある。でも大学の機関紙『雲母』などに「学生50名を無料招待」などと書いてあると、東京にいて京都が本校という理不尽について色々と考えてしまう。



他にも『ホームカミングデー』は京都だけだし『卒業制作展』も然り、「東京だけで卒業できる」とあるが、通信教育で学ぶという身の程を考えないと色々寂しくなってしまったりすると思う。特に京都に本部があるということは、東京の学舎、特にそれぞれのコースについては学部コース長の采配に大きく左右されるところが多い。大学との距離が大きくなってしまったのは私の場合距離的なものだけではないが、こういう事態になるまで何もわからなかった知らなかったというのは本校が遠くにあり、それゆえに監督不行き届きだったというところもあるだろう。

それだけでなく、京都でしか受けられない授業もたくさんあったりして、それも距離を感じたひとつ。特に一番話題になったのは『著作権法』の授業、これは皆が受けたいと思っていたものの京都でしか授業が行われなかった。他にも『京都学』とか、学外フィールドワークで寺院や仏像をみてまわるというもの、神社仏閣の多い京都ならではの授業だが東京では全くない。そもそも私は文芸コースなのでそういう日本美術史的なものは必要ないと言われればその通りなのだが、やはりもともと美術史は好きだしせっかくなので受けたいと常々思っていた。余裕とガッツのある学友などは京都まで通ったと聞いてとても羨ましかった。そうではなく、卒業の単位が足りなくて全然コースに関係ない授業を受けるために京都に行ったとかもあり、これは生徒の勘違いで大学のせいではないけれど、こういう事もある。

代わりに東京だからこそ新元先生や千住先生の講演なども聞けて、東京で良かったと思うところもあった。ということで身の程を知るというのは大切だとまた思った。

でもこういう風に思うのは私だけではないと思う。通信教育部は大人が通う大学でもある、多くの人は大人気ない言い分は引っ込め、自分の守備範囲内で学び、単位を取り、イベントを楽しむ。しかし入学する前にこれらわかっていたとしたらどうだろう。一年間に入学した1700名のうち80%の脱落した方々も色々思うところあったに違いないと思うのだ。文芸コース以外の学部は京都で必修の授業もたくさんあり、結局はお金、特に交通費や宿泊費が続かなかったという事になるんだと思う。入学する時はパンフにいい事楽しい事卒業して成果を上げている一部の人達の事をクローズアップして掲載するだろう。でもそんなの本当にピラミッドの頂点の数人。入学するときは「何とかなる」と安易に思うだろう、でもすぐに「なんともならなかった」ということになると思う。
 
他にも「それぞれのコース毎の采配」というのは以前にも書いた「外資系の採用人事と同じくチーム毎」というのと同じだろうと思う。そこの長がいいと言えばいい、問題ないといえばない、そして「生徒に対しても全て自分に決定権がある」という空気、そんなの京都の本校、通学生に適用されたとしたら文部科学省が待ったをかけると思うし、通学生は誰も異を唱えられないだろう。通信生のしかも大人の私ですら訴えたばかりに酷い目にあっているのが現状。でも何かあっても無かった振りで静かに卒業していく生徒が賢いということになるだろう。 そして私は人を見る目がなかったということになる。後から色々な人に様々に聞くにつれ思うのは、「大人でも大人気ないい人は大勢いる」   ということ。まあそれは自身の大学で証明できたからいいが、そもそも「訴える」というのはした方が損するように出来ているのだとまた思った。
   
今思うのは、時が過ぎれば何もかもが思い出に変わるだろう。もし大学やあの先生やそのせいで揉めた学友達となんとなくなあなあで笑って済ませていればよかったかもしれない。でも人の本音やいざという時の対応の仕方、組織の持つ隠蔽力、手のひらを反すような対応。色々と垣間見ることが出来て、普通につるっと卒業するよりは学ぶ事が本当に大きかったと思う。何より「地方と私腹の多い大学には子どもを入学させない」という意志も固まった。出来れば中学も高校も私立はやめて欲しい。例外として武蔵美はいい。もし時を逆戻りさせられるなら高校一年生くらいに戻って武蔵美を受験したいと思う。今の私が高校生になれたら「女に学歴はいらない」というあの頑固親父と対立してでも大学に行ったのに。西原恵理子さんも苦学して卒業されているが、京都造形芸術大学だったら途中で退学していたんじゃないかと思う。

色々思うところはあるが、ともかく卒業出来ることになった。嬉しいような嬉しくないような複雑な心境ではあるが、ともかく子ども達に「ママは辛くても悲しくても苦しくても頑張って卒業した」ということだけは言える。これだけはまごうことなく良かったと思う。通学生は裕福な人ばかりと思っていたが、そうでもないとも聞いた。苦学して卒業に漕ぎついた人もたくさんいるだろうし、様々なハラスメントに堪えて大変な思いをた人も多分いるだろう。

ともかく脱落せずに卒業出来た学生の皆さん、卒業おめでとうございます。様々な壁を乗り越えまずは卒後というコールに辿りつけたこと、本当に素晴らしいと思います。でもこれが終わりではないんですよ、社会に出ればもっと大変なことがたくさんあります。どうぞ今までの苦労が少しでも報われるようにと祈るばかり、お互いこれからも頑張りましょう。
   
などといつものようにブツクサ書いて、更に藝術学舎のレポートとおまけの短編小説習作まで書けてしまった。大学に入学したばかりの頃は、武蔵美のレポートにだいぶ慣れたとはいえやはり課題は様々に苦労した。でもえいやっとやってみれば出来不出来はともかくあっという間に完成した。自分の苦労も少しは報われたように感じた。

2015.12.15write 昨日まで論文研究Ⅱの授業だったが、同時に入学説明会が行われていた。校舎の一階には教科書の見本が並べられ、正面入り口には案内の方が立ってみえた。私は入学説明会というところに一度も行ったことはなく、色々心配していても仕方ないし、入学してしまえばなんとかなるだろうとよくわからずに大学に入学した。


武蔵野美術大学から京都造形大学に編入する時も、通信教育課程だからどこも同じだろうと思い、説明会には参加しなかった。もちろん資料は取り寄せたが細かいところは読まず、システムについては何も予備知識なく入学したところ、戸惑うような違いがいくつかあった。今日は二大学の違いをまとめてみたい。

京都造形大学は京都造形、武蔵野美術大学は武蔵美と表記する。

まず、京都造形は一年に履修する単位の上限がない。可能なら100単位だってとれる。もちろんコース毎の必修授業はあるが、年度の最中にどの科目を履修するかもその時決められる。それに対し武蔵美は、年度の初めに履修登録というものをする必要があり、登録した科目しか履修することができない。しかも登録科目は上限40単位まで。年度の途中にやはりあれを履修したいなどと思っても、履修登録していないと出来ない。

本校舎が京都造形は名前の通り京都にあり、武蔵美は東京にある。京都造形の文芸コースは東京校舎で卒業するために必要な授業が全て受けられ、京都まで行く必要はない。武蔵美は東京に本校があるが、国分寺からバスで20分ほどいったところにある。周りは住宅地で、コンビニも何もないところだ。国分寺から歩くと30分ほど、夜バスがなくなり歩いて帰った時は、怖くて涙がでた。

他には、ファイン系から文芸コースに変更したせいもあるかもしれないが、武蔵美は課題提出の締切がない。もちろんテストを受ける前に出すという前提はあるが、基本的に2月末日が最終締切で、それまでに提出すればいいことになっている。京都造形は毎月10日という締切があり、面接授業の宿題、いわゆるスクーリングレポートにも締切がある。

京都造形に入学してから、いつも締切に追われるようになった。へとへとになるが、締切を守って必死に課題をこなしているうちに、いつの間にかたくさん単位がとれていた。これは私にとってとても良かったと思う。いつでもいいと言われると、甘えてしまいなかなか着手できない。

他には、武蔵美は春、夏、秋、冬それぞれにスクーリングが区分けされ、季節ごとにスクーリングを申し込むようになっているが、京都造形は毎月、開催されるスクーリングを申し込むシステムになっている。これも私には毎月申し込むシステムの京都造形の方がよかったと思う。毎月のルーティンとなれば雑用が増えるが、その時々に予定を鑑み申し込みができる。武蔵美だと、かなり前の段階で申し込みするため用件がバッティングすることがよくあった。

他に違うのは、武蔵美は本校舎に通うため、最近できた素晴らしい図書館を利用できる。京都造形はもちろん本校舎にはあると思うが、東京外苑の校舎には、図書館はなく、6畳ほどの物置的な図書ルームがあるのみ。文芸部に必要な資料は揃っているそうだが、あまり利用したことはない。

武蔵美の夏のスクーリングは、通学生が夏休みの間ずっと開催される。7月下旬から8月末まで、日曜日を除き毎日毎日ほとんどの教室で授業がある。通信教育生といえども、単位をとるためにほとんど毎日通う人もいる。私もその一人で、最初の一年目は毎日通い、暑いわ妊娠中でお腹が重くて死にそうだった。でも毎日美大で実技が勉強できるので楽しかったし嬉しかった。

武蔵美のスクーリングは学生食堂も利用できた。名物MAU定食や、うどん、ラーメン、小鉢色々デザートなど。すごく美味しいという訳ではないが、通学生気分は満喫できたし、休憩時間に学友達とお喋りするのも楽しかった。朝早く開いている中庭のパン屋さんは本格的な手作りパン屋さんで、朝ご飯に食べるのが楽しみだった。顔を覚えてくれた先生達が声をかけてくれて、友達もたくさんできた。大学ってこんなに楽しいんだと思えたのは、武蔵美だったからだろうと思う。

今は通学時間や勉強する内容を変えて大学も変わった。通学は本当に楽になり、新しい友達もできた。それから今は大学が楽しいというより、勉強が楽しいと思うようになった。これは京都造形の先生方からご指導いただいた賜物だろう。テキストを読み、言葉を選び、注意深く文章を重ねていく作業は、昔の私なら近寄りもしたくなかった作業だろう。それが今はとても楽しい。

それと、たまたま私の周りが、というだけかもしれないが、武蔵美の時は苦学生が多かったが京都造形は余裕のある方が多い。大学が3つめとか5つめとか、大学マニアのような方もみえる。卒業しても次々と新しいジャンルの学部に挑戦されている。それと、私もそうだが武蔵美は単位がとれないという悩みを抱えている人が多かったが、京都造形は単位がとりやすいというより勉強して単位をとって当たり前という空気があるように思う。

よく授業で一緒になるOさんは、お会いするたびに単位取得数を教えてくれる。あまりにもたくさんとってみえるので、それなら私もと奮起した。ブログをすすめてくれたwさんもきっちり何でもするタイプで、それでも必死感はなく楽しんでいるようにみえる。Hさん、Tさん、Yさん、Kさん、本当に文学コースの勉強が楽しくてたまらないという方々ばかりが周りに集まったように思う。良い影響はいくら受けてもいい。私も人にいい影響を与えられるように、日々頑張ろうと思った。

京都造形と武蔵美の違いまとめ

・本校舎が京都造形は京都で武蔵美は東京にある。
・(私の家から)京都造形東京キャンパスまで30分武蔵美は2時間
・武蔵美には版画コースがあり、京都造形にはない
・京都造形には文芸コースがあるが、武蔵美には小説を学ぶ学部はない
・京都造形はスクーリングが土日祝日、武蔵美は土日祝という授業もあるが平日一週間ということもある
・武蔵美は本校が東京で学食や図書館が利用できるが京都造形東京キャンパスにはない
・京都造形は駅から徒歩5分、武蔵美は駅から更にバスに20分乗る徒歩は40分
・スクーリングは武蔵美は季節ごとに申し込み、京都造形は毎月申し込み
・京都造形は何もかも引き落とし、武蔵美は何もかも振り込み(手数料は生徒負担)
・武蔵美は理由によっては授業の1/6休みが認められるが京都造形は遅刻も一切NG
・武蔵美のテストは持ち込み一切禁止、京都造形は電子機器以外は資料持ち込みOK
・武蔵美は学部間の垣根が低いが京都造形は高い、他部署との交流は全くなし
・武蔵美は授業以外の勉強会は生徒主体、京都造形は学校主体で色々ある
・京都造形はネットで勉強できるAirUがあるが、武蔵美はなし
・武蔵美の授業は9時から17時半、京都造形は9時半から17時40分(11時スタートもあり)
・授業の後に飲み会がしょっちゅうあったのは武蔵美で学外の交流もよくあったが、京都造形はほとんどない

同じだと思ったところ

・どちらにも通信教育課程がある
・学生証で学割がきく
・懇親会の規模や内容
・大学が運営するカルチャーセンターがある(ただし武蔵美は単位認定なし、京都造形はある)

今度Excelで表にまとめてみよう。


IMG_3283
※日本画の授業で、色絵の具の素材一部を見せてもらう。鉱物が絵具になる。

IMG_3160
※武蔵美の日本画の授業。写っているのは版画では卒業できないと教えてくれたNさん。

IMG_3317
※日本画Ⅰの授業で描いた百合の花。尾形光琳の「松島屏風図」をリスペクトして描いた。

【編集後記】

区役所にいったついでに教育委員会にいる知り合いに会いにいったが出張中だった。教育委員会というと、何かあれば訴えるとか葵のご紋的イメージだが実は全くそうではない。言い方は悪いが、教育委員会と学校は当然繋がりがあり、機関は違うが同じ立場のようなものだ。ただ無認可の幼稚園や学校は管轄外で、訴えても何も出来ないのだそうだ。何かあって訴えるのは教育委員会ではなく、司法がいいのではないか。教育委員会が役に立たないという訳ではなく、「訴える」ところではないからだ。この方に会いにいったのは、何か訴えたいのではなくプライベートな話し。この方にお祝いごとがあり、皆で一席設けることになっている。電話してから行くべきだった。


アクセスが多いみたいなので卒業について追記、2017.02.11

卒業認定について全然違うので書いてみたい。まずは京都造形芸術大学通信について。



京都造形芸術大学は卒業確定のスケジュールが2パターンあり、卒業式に出席したい場合はAのスケジュールで単位をとる必要がある。私はBのスケジュール、4月上旬に卒業が確定になる。でも成績には関係ないし、既に今の時点で卒業のための単位は取れている。もちろん卒業式にも出席するつもり。

武蔵美については武蔵美に聞いてみて下さい、でもこんな風に分けるなんて聞いたことないかも。


2017.02.15追記

気になって武蔵美の方にも連絡して聞いてみた。調べてもらう間の保留音が昔と変わらず、息子がお腹にいて色々初めてでわからなくて電話した時のことを思い出した。息子はお腹にいる時から元気いっぱいで足をバタバたするのが好きでお腹苦しかったなー。ママと一緒に武蔵美で勉強した事を覚えていてくれるだろうか。

さて武蔵美の卒業認定の話。こちらの場合は卒業年の前期に卒業認定の126単位のうち108単位取得者が当年卒業者としてリストアップされ、本人から申請を受けて卒業生予備軍となる。で、2月末までに必修など含め課題を提出、その成績の結果で126単位取得者が卒業生となり3月中旬の卒業式に出席し卒業証書を授与されるそう。

そういえば2年生の時に2月28日ギリギリに大学までレポートを持って校内で清書してその場で出したことを思い出した。卒業の年までそうなんだとびっくりしたし、このスケジュールでは学生はありがたいが大学の事務局が慌ただしくて大変だろうと思った。

京都造形芸術大学ってやっぱり事務局が怠慢なんじゃないの?なんで二部に分かれてしかもBコースは2月10日に締切なのに4月卒業なんてやってるの。紛らわしいしそもそもこれが変なのよ。カルチャーセンターと間違えてるんじゃないの?

ちなみに昨年度の入学、卒業者数は以下の通り。みんなネットでわーわー言ってないで聞けば教えてくれますよ。私はどちらも入学案内の部署で聞いてみた。

2015年度武蔵野美術大学通信教育学部入学者5~600名卒業生180名【卒業率】約30%
同じく京都造形芸術大学通信教育部入学者1740名卒業生約400名強。【卒業率】約20%

卒業率が高いとみるか低いとみるかは人それぞれ。

京都造形芸術大学通信の卒業生の数は2015年度は不明で2014年度が427名、その前の年が462名だそう。だいたい毎年400名強らしい。こうしてみると通信教育学生というのは約2~3割の生徒しか卒業出来ないものだとわかる。

なのにみよ、私なんてちゃんと卒業して(まだ確定ではないけど単位はとってるからよほどの事がない限り卒業となるはず)しかも編入後は最短2年で卒業となった。これもひとえに真面目に勉強する学友達からの影響のおかげで、大学や先生達は足をひっぱるばかりで最低最悪だった。この環境で頑張れたという自信は、これからの人生の礎になると思うので損ばかりではない。だが今回卒業する京都造形芸術大学にお礼などいうつもりは絶対ないし、逆に謝れという気持ちを抱いたまま卒業することになっている現状を記してこの記事を完成としたい。そもそもハラスメント認定されて処分された先生が、私に謝る必要はないから会いたくないと言っているそうで、それも大学が容認している現状、もう大学がハラスメントを容認しているといっていいと思う。

京都造形か武蔵美か迷ったら100%武蔵美をお勧めする。京都造形芸術大学なんかに入ったら勉強どころじゃなくなります。京都造形芸術大学なんかに入学したら泣いて辞めなくてはいけなくなるからお金が勿体ない。言っておくけどこれら私の経験に基づく率直な感想だから4649。この一年間大学や先生に気を使って馬鹿をみたと今更ながら思った。

武蔵美は先生や大学が生徒が勉強しやすいようにと気配りしてくれる、これ本当。京都造形芸術大学は生徒が先生や大学にへいこら気を使って勉強どころじゃなくなるよ。




ここまで来たらはっきり言わせてもらうけど、あんたなんか先生だから気を使っただけで異性として一ミリも興味ないから勘違いするな本当にいい迷惑。


2017.02.25 土曜日:またしても追記 

 武蔵美は卒業制作作品集が卒業生および在学生にも全員に配布されるが、京都造形芸術大学は、卒業生だけが"購入"するもののよう。先日卒業制作の最終面談でなにやら封筒を渡され、その中に「卒業制作作品集購入申し込み書」というのが入っていた。私はてっきり文芸コースの卒業生全員の卒制を集めた文集が作られたと思ったのよ。そしたらこれが通信教育部全コース卒業生の要約集だったという訳で、またまたビックリしてしまった。

そういえば一年目に卒業制作集貰わなかったと思い出し、京都造形芸術大学は、卒業生だけが買えるものだとわかった。お値段¥3,500-!当然申し込みしないと手に入らない。確かに学生数は多くて用意も配送も大変だと思うけれど、これは全生徒に毎年贈っていいものではないのかと思った。でないと卒業制作どんなものを創ったらいいのか道標もなにもないという事にならないだろうか。


休学している3年分も送られてきたので六年間ぶんある。ここに卒業制作作品は載らなかったけれど、確かに在籍していたという証でもある。武蔵美の卒業式はどんなかなあ。卒業制作作品展には行ってみようか。

しかし、たがが通信大学、されど芸術大学、色々違いがあるものですね。

今日はふと思いついて、武蔵美に行ってみた。なぜ急にと思われるかもしれないが、デッサンの授業で武蔵美を思い出したのと、これからまた京都造形芸術大学で多分勃発するだろう嬉しくない色々を考えると本当に憂鬱で、それ以前にも学校変えるんじゃなかった、武蔵美は良かったなどとクヨクヨすることが多く、本当にそんなに武蔵美は私にとっていい大学だったのかという疑念から、それなら行って確かめてみようと思い立った。朝のドタバタしているところに子ども達が残したオムライスや鯖の塩焼きなど残り物をお弁当箱に詰めていると息子が「ママ今日大学?」と聞いてくれる。「うんそうだよ、帰り遅いかもしれないけどちゃんと習い事行ってね♡」などと言いながら、子どもが先だったか私が先だったか家を出る。先日バックプリントが青い薔薇の刺繍という、もう心臓が飛び出すかもしれないくらい気に行ったデニムジャケットを上着にしなくて良かったと思うくらい蒸し蒸しする道を抜けて豊洲駅へ。ややラッシュが終わった頃なのか席に座り市ヶ谷で下車。市ヶ谷乗り換えで中央線に乗車するが、今日は信濃町駅ではなく国分寺駅を目指すために四谷で中央快速に乗り換えた。


京都造形芸術大学外苑キャンパスは市ヶ谷から普通でそのまま二つ目の信濃町駅で下車。たったこれだけのルートを、ともすると「四谷で乗り換えなくては」と脳が覚えていてdeleteできないでいるせいで、今でも「四谷」と聞くとつい降りてしまう。なので以前時間ギリギリになった時に四谷で降りてオロオロしてしまったのは、焦って武蔵美と京都造形のルートがこんがらがってしまったからだった。ちょっと飲みが入っているともうそのまま四谷を下車してしまう。つい先日も学友と一緒に電車にのり四谷で降りて「あれ、どーしたの」などと不信がられたがそういう訳なので驚かせてすみませんでした。

さあ、快速に乗ればあっという間にとういのは言い過ぎだが、約30分くらいで国分寺。いやー久しぶり!久しぶり過ぎて駅の雰囲気が全然違うのに驚く。南口すぐに大きなビルが建設中だった。こんなところにまた複合施設かなあと思いきや、大きなツインタワーのマンションが建築されるよう。ツインズ国分寺とかなんとか。こんなところにタワマンが出来るなんてと驚きつつ武蔵美行のバス停に向かう。もう変わったなんてもんじゃない、全部お店が変わったんじゃない?なにこの綺麗なテナントビル、なんていうかちょっとぼろい雰囲気が良かったのにどうしてこうなったと思いながら歩いているとバス亭がみえない。なんの事はない、ツインタワー建設のせいで、バスに行く道がわかりにくくなっていて違う道を歩いていた。ああびっくりした。でもこんな道があったんだ初めてかも。

バスはタイミングよく停車していて乗ったらすぐ発車した。国分寺界隈は基本的に大きなビルなどなく、一戸建ての住宅か学校が大学しかないような閑静な街。あーあのお店まだあるんだとか、あの辺りの居酒屋が武蔵美御用達のビリケンさんのお店とか、このうっそうとした杜を通って帰る時に学友がTwitterで怖い話を流してきて死にそうになったとか色々思い出した。通信の学生だし、武蔵美のファイン系の学生数はものすごい数の人で一期一会的な関係といっていい。でもその頃SNSといえばTwitterくらいしかなく、お互いのアカウントを交換したりしたので見に行けばなんとなく近況がわかったりする。でもノーSNSでガラケーという子も結構いて年賀状だけになっったという子などなど。

などと考えているうちに大学の近くに住んでいる主婦のMちゃんを呼ぼうと思いつく。早速メールを送信、「なんでまた急に、どうしたの復学?」なんて返事が来て、でもお仕事を始めたそうで今日は都合が合わなかった。バスに揺られる事約15分か20分くらいかなあ、大学の正門前に到着。堂々たる正門、ザ・武蔵美という風貌、私は真正面から大学構内を眺めるのが大好き、しばし佇みたかったがバスから降りた多分通学生の方々はどんどん校舎に向かって歩いている。帰りに眺めようと私も人の波に乗るように構内に入った。

まず目指すは焼き立てパンの美味しいカフェ。小さな小屋のような箱のようなお店で、ショップ前に椅子とテーブルが置いてあり外で軽食やコーヒーを楽しむことができる。しかし急に降り出した雨により、私の小さな希望は叶わなかった。ちょっと残念に思いつつ、淹れたてコーヒーとコロッケパン、それから猫の手のひらというのか猫に手はないので前足というのかどうして前か後かわかるのよっと突っ込みながら「ムサビドーナツ」なるものを買う。一個250円もするが、可愛いルックスにひかれるのかどんどん売れていた。

いやだわ私、お弁当持って来ているんだわともチラと思ったが、お弁当食べてパンはおやつにすればよい。



もう食堂に行こうかと思ったが、食堂手前にある武蔵野美術大学の美術館が目に入った。


ここは確か図書館が新しくなったと同時にこちらも建て替えがあり、図書館と共に武蔵美の二大テーマパークのような位置づけになっている。というのは私が勝手に考えたのだが、いつも何かしら美術展をやっていて、内容も美の巨人達が恐ろしいほどの美意識を終結させたような展示ばかり、それを思い出してそっとお邪魔してみた。ちなみに図書館は入り口でセキュリティチェックがあり、IDカード(学生証)がないと入館できない。地下鉄の改札のような仕組みで、カードがひっかかるとバシーンと小さな扉が通せんぼする仕組み。この図書館も多分卒業生の有名な建築家の方が設計したと聞いているがもうー本当に素敵。天井がすごく高くてゆったりし過ぎるくらいの空間は、「本の宇宙空間」とういう有様。武蔵美だけに美術的な本がこれでもかーっというくらいあり、私の好きな蜷川実花さんの写真集を休み時間に来る日も来る日も眺めていたものだった。


北欧ちっくな図書館。中もメチャメチャNICE♡

話を戻して美術館、今日は1Fが彫刻とデッサンの展示、3Fが武蔵美が所蔵している家具の展示があった。いつも校舎から校舎に移動する時に横目で眺めていたガラス張りの倉庫みたいな建物に収納されている椅子や家具の数々。こうしてきちんと展示してキャプションがつくと、素晴らしい美術品だということがわかる。


北欧のモダンファニチャー、アメリカンなテーブルウェア。暮らしの中でこうした芸術的工芸品を普段使いする生活というのは、いいものだろうなとか、私もこういうスタイルを目指していた筈なのになぜだんだんIKEAが幅をきかせだしたのとか、このヤコブソンのテーブルランプ欲しかったのに、新婚の準備をするにあたりいきない大塚家具なんかに行ったものだから、例の営業マンがばっちりついた時代なものだからパチモンとわかってて買ってしまったとか。ともかく武蔵美といえばモダンファニチャーな訳で、久しぶりにスタイリッシュで素敵な家具をたっぷりみて気持ちが柔らかくなった。私は家具や伝統工芸品も大好き。イームズとか天童木工とかイサムノグチとか。あーもっと若かったら家具職人もやりたかった。そのくらい好き。子どもが大きくなったら多摩美の二部で椅子を作りたいと目論んでいたが、なんと二部がなくなってしまった。多摩美には通信がない、作ればいいのに。通信って絶対儲かると思うのに何故多摩美はやらないんだろう。


一階の展示


ミッドセンチュリー


天童木工、柳宗理のバタフライスツールなど


このランプずっと欲しくて見るだけでメチャメチャテンションが上がる  やっぱりイイ

これらの優美な展示物を見るまでは、気持ちがすっごいささくれてヒリヒリしていた。あっちの大学のことご近所の事などイライラと色々考えていて、考えすぎて気分が悪くなってしまった。もう治ったと思って安心していたパニック障害の残骸というのか、閉所恐怖症気味の片鱗というのか、バスの中で急にきてしまいどうしようかと焦った。まさか中退した大学の保健室で横になる訳にもいくまい、どうしようどうしょうと思って降りて大学の正門をくぐったら、あっさりと治ってしまった。なんて言ったらいいのか、武蔵美って空気が穏やかで美味しいからじゃないだろうか。もちろん東京郊外にあり、緑豊かな場所というのもあるだろう。辺鄙なところにあるので建物もあちらこちらに出デーントゆったり作ってあり、お蔭で初年度は迷子になったりしたが、建物もゆったりなら人もゆったり。「良い人製造マシン」のような大学だと思う。先生達もすごくゆとりというか、遊び心というか、スペース大き目な先生達ばかりだったと思う。そんな空気に癒された、のだろうか良くわからないが良かった。

今回は平日通学生の通う日なので、通信教育の先生達は誰もいない筈。でももしかして誰か先生に会えるかなあとちょっぴり期待。以前Mちゃんと図書館で待ち合わせした時、グラデのT先生にばったり会ったことがある。一科目6日間の授業でしか面識はないが、先生はしっかり覚えていて下さり、「おおー何やっとん」みたいな話から近況報告など。この先生は本当に厳しい先生で、描いたラフ案はほぼ全部描きなおしさせられ、リアリティが足りないなどなど全員がけちょんけちょんにされていた。「これは授業と思わないで、今から僕をクライアントと思ってやってください」というのも口癖だったな。でも頑張ったお蔭で蝶課題Aが貰えて本当に嬉しかった。武蔵美の成果物で結果が嬉しかったNO.1ではないだろうか。「必死」にやった事って結構いつまでも覚えているものだなとまた感じた。 今日は日本画のコース主任の先生に会える気がしたが、やっぱりみえなかった。7月の先生たちのグループ展に行けば良かった。でも今年の7月は色々で忙しくてそれどころではなかった😢

さてそろそろ11時なのでと今度こそ食堂に向かう。武蔵美の学食はふたつあり、昔からある食堂棟と新しいビル12号館の地下にある。私は古い方の食堂棟が好きでたいがいここでお昼を食べていた。一緒に食べる学友につきあって12号館のこともあったが、ひとりで食べる時、って今くらいだけれども、絵本から抜け出てきたような不思議なこの食堂が気にいっている。もしかして久しぶりすぎて、ピカピカする味もそっけもないようなビルに建て替わっていたらどうしようと思ったけれど、ちゃんとそのままあり嬉しくなった。


なんだか命が宿っているようなというか、不思議な食堂と感じるのは私だけたろうか。


学食の1Fは世界堂、なんでも揃う

食堂でお弁当とパンを食べよう思ったが、入ってすぐの食品ディスプレイにやられてしまった。「ムサビランチ350円」なつかしー!これこれ、これですよ。今日はコロッケと唐揚げとウインナーと書いてある。それにキャベツの千切りに丸く盛り付けられたポテトサラダ。これにお味噌汁とご飯がつく。くーっ!食べたい!でも待って?今日コロッケパン買ったから、このセットだとコロッケがだぶってしまうわと「Aランチ」にすることに。

Aは洋食でBは中華だったが、ハンバーグとチキン南蛮につられてしまったチキン南蛮大好き。らららー と席に着いて気がつく。ねえ、お弁当どうするつもりなの?と。でもまあどうせすぐお腹空くでしょう、さっき食堂のおばさんは何度も「ご飯普通もりでいいの?小盛りもあるわよ、ほらこっちの小さなお茶碗」と小盛りをすすめていたけれど、なんていうかご飯ちょっとしか食べない人にみえるのかなとちょっとショック。まあ今日の格好は着痩せしてみえるスタイルだし、スリムにみられたという事で喜べばいいのだが、「ご飯ちょっとしか食べない」というのはスタミナがない人という風にみえるのではないか、スタミナがないというのはあまり長生きできないんじゃないだろうかとしょうもない事をクヨクヨしてしまった。結局おばさんの予言通りというか、Aランチ完食したらパンもお弁当も食べられなくなってしまった。



お腹が満たされ満足。これからどうしようと思ったところにテーブルの上に紙で三角柱になっている広告が目に入る。「レシピ展2016」。すっごい面白そう、武蔵美だけに普通の料理の展示ではないだろう、レシピで何か作品を創って展示してあるに違いない、絶対みたいとさっそく移動することにした。場所は12号館地下室とある。夏のスクーリングなどで参考作品(その授業で一番優秀な作品を選出)など一堂に展示したりするあの場所かあ、私は一回だけ採択されたようななかったような、蝶課題がそれだったかしらそれとも。などと行ってみるが、扉に鍵がかかってガラス張りの室内は真っ暗だった。建物を間違えたかと掲示物を確認するため1Fに行くと、果たして大き目のポスターがあった。やっぱり12号棟と書いてある。12号棟ってここじゃないのかなと不安になってしまった。


すると同じポスターを眺めだした学生らしき人があらわれた。ちょうど良いと場所を聞くと、やはりここでいという。「この下ですよ」と言いながらするすると下に降りていく、この人も見たいのかなとついていくと、「ここですよ」とわざわざ教えてくれるではないか。そして本人は役目を終えたかのようにどこかに行ってしまった。もしかして案内してくれたの?なんていい人!!でもやっぱり部屋は真っ暗で誰もいない。おかしいなあとウロウロしていると「僕も見にきたんですけどね」などとまた学生が話しかけてくれる。武蔵美って本当にいい子が多いんだわと感心しながら電話で大学に問い合わせ、今度は1時からのオープンだとわかる。あと1時間かあ、でも早く帰ってお猿ちゃんにおやつあげたいし、塾の宿題がたまってるから今日という今日はやらせなくては!と後ろ髪を引かれながら展示室を後にした。それにしても武蔵美ってイケメンばっかり、あと10年経てば息子もこうなるだろうか。今日出会って親切にしてくれた男の子達みたいにいい子に育って欲しいなと祈った。

そんなこんなで再びバス亭へ。その前に門の前で武蔵美校舎の全体像を堪能。警備員室の隣の猫の木像も健在、でも昔に比べてちょっと古くなったような。雨風吹きっ晒しの屋外なので仕方ないかもしれないが、本体にヒビが入り尻尾が途中で無くなっていた。像の前の小さな缶カンは、武蔵美大学の構内に生息する野良猫たちの餌代などになると聞いた。私も少々カンパした。


サバオは健在でしたよ(^^)

そうだ、ミニ動物園みたいな小屋、あれも見てこればよかったと思いつつ、あそこはメッチャ蚊がいるので刺されるのは必至、虫は苦手ではないが虫に刺されるのが死ぬほど嫌な私は行かなくて良かったかもしれない。バス亭でバスを待ちながら、初年度に「今2年生だけど8年生」といっていた女の人を思い出す。あの人はちゃんと卒業出来たのだろうか、霧散してしまったかつての学友達、途中で辞めてしまった人のなんと多いことか。ちゃんと卒業した人って私の知っているのは4年ストレートで卒業した公務員ママと、版画では卒業できないと教えてくれたNさんだけではないだろうか。とはいえ久しぶりに武蔵美のHPをみると、卒業制作として版画の方の作品が毎年数人掲載されている。ちゃんと卒業する人はするもので、そうでない人は何が足りなかったのだろうと考えた。でも通学生ならいざ知らず、通信生は本人の努力だけではなんともならない事がたくさんある。経済的な、物理的な、本人だけじゃない家族が理由だったり。そうだそうだ、もうひとり卒業した人がいた。この方は家族の介護が始まるからと、最短で卒業を目指しだしその通りになった。校外学習で一緒の班になり、その後レポートのために墨田の切子体験にも行ったなそういえば。そうそう、仲良くなった4人で行ったが、そのうちのひとりは旦那さんの海外転勤で中退したんだった。Eちゃん!もう日本にいるだろうか。赤ちゃん産んだ時病院にみにいったわー私が息子産んだ時も別の学友がお見舞いにきてくれて、それでそれで。

何よ、私メッチャ楽しかったじゃない。そうじゃない事も色々あったのだが全部消えてしまっているというか。と言うか、武蔵美で何か困ったことがあると相談窓口があったし先生達が尽力して下さり大概は解決した。そして武蔵美の先生達って生徒との距離が近かったと思う。色々な先生に恩義を感じているし、感謝尊敬などなど、生徒として普通の感情が普通に出てくる。当たり前だと思っていたこれらの気持ち、一体どこから来るのかわからない。


伸び伸びしすぎやろという桜の木。あの桜もこっちにお引越しさせてあげたい

こんな風に引き合いに出して申し訳ないが、一方京都造形芸術大学の先生達っていうのは、箱に詰められていて授業になると時間割で出されるロボットのように感じる時がある。血が通わずシステマチックに情報だけが詰め込まれた冷たい個体、授業や面談が終わるとまた箱に詰められて次の出番まで仕舞われるのだ。なんかロボットというより、なんだか雛人形?めったな事では生徒の目に触れないように、事務局ががっしり管理して実態は不明「何もかもをプログラム通りにしか遂行出来ず、それ以外のタスクは一切不可」というただのアンドロイドお茶汲みカラクリ人形、将来的に大学の先生というのは、AIに代われるものかもしれないと感じてしまう。特に私は文芸コースしか知らないのでそう思うのかもしれないが、これらのイマジネーションをかきたてる大学の空気は、事務局の意図なのか先生達の意志なのかそれとも大学のポリシーなのか、なんだか残念に思えてならない。今年の芥川賞は「コンビニ人間」だったが、「コンビニ大学」みたいだとも思われ。近くて便利で何でも揃うが、拘りも味もそっけもない。キャンパスの枯れた方の樹は気の毒だからなんとかしてあげてはどうかと問い合わせると、あれは御神木でお前が口に出すのが御門違いみたいに返されたりと、なんか自分達がどんだけ偉いと思ってんのという出来事ばかり。生徒が困ったり悩んだりしていても「嫌ならやめろ」みたいな。何が京都だ気取るなと言いたい。逆に言うと武蔵美の先生達というのはロボットには出来ないだろうなと思う。武蔵美の先生たちというのは、間違いなく全員ある意味「熱血」だったし、色々なものがはみ出し濃い味わいががっしりと染みているような方々ばかりだった。


雨に濡れた緑がイキイキしてる

タラレバを言えば切りがないが、もし最初に入学したのが京都造形芸術大学で、編入したのが武蔵野美術大学だったらどんな感じだっただろう。実は武蔵美に入学する前に、京都造形芸術大学の案内書も取り寄せたことがある。夏のスクーリングで保育があると知ったからだ。子どもが小さかった私にはすっごく魅力的なシステム、でも東京外苑で保育はないと聞いて(問い合わせた)しかも版画を習いたい私は選択の余地なく武蔵美に入学した。武蔵美も京都造形もそうだが、人との繋がりというものに全く期待していなかった。何しろ住んでいる地域の人間関係の嫌さを中和させるために逃避する場所でもあったので、もう好きな絵や版画をたんたんとやり、ついでに大学を卒業すればいいと考えていたのだ。でも結局どちらの大学も人間関係があり、それに喜んだり苦しんだり、アドラー心理学でいうところの「全ての悩みは人間関係にあり」というのは本当なんだとまた思った。悩みではなく喜びもそうなのかもしれない。 生きている間、ずっとこれの繰り返しだろうな。

そういえば卒業制作の添削で主担任の先生が面白いコメントを残してくれた。「この主人公はどちらなんでしょう。①ママ友という人間関係にとことん疲弊して何も出来ない人②こんな世界馬鹿らしいとさっさと外の世界を手に入れる人」とあり、正直どちらも主人(私)公なんだけどなと困った。そして「せっかく娑婆に出てきてデッサン会を楽しんでいるのに、ママ友の電話で現実に引き戻され「チッ」と思うくらいの人ではないのか」などと書いてあり、どうして先生わかるんだろうとも思った。ヌードデッサンをしている時にお節介なママ友から電話があり、ヌードデッサンだから電源を切る必要があり~などと後に丁寧すぎるくらい弁解したが、正直「もうほっといてくれないかしらネ。私には私の世界があるのだから」と思ったのも正直な気持ちだった。しかも休日だったので余計に「休みの日ぐらいママ友お休みさせてよ」とも。だってそうでしょう、本当に人の事が気になって気になって何か言わないといられない人達ばかりの世界から、芸術とか美とかいう世界にダイブして伸び伸びしていたところにさあ。

まあこの話は散々書いたのでもう割愛、でも先生のコメントで、私はもしかして②のタイプなのではと思った。どうなんだろう、自分の事はよくわからない。

それはまたの機会に考えるとして続き。武蔵美からの帰り更に逆方向の電車に乗り、一駅隣の西国分寺まで行ってみた。ここは私の大大大好きな「クルミドコーヒー」というカフェがあり、本当に久しぶりに訪ねてみたいと朝国分寺で降りた時から目論んでいた。なんていうか、メルヘンチックなのだが甘すぎないビタースィートな夢の国とでもいうのか。どうして逆方向のこのカフェを知ったのかもう覚えていないが、最初ひとりで行って次に学友の誰かに自慢しつつ行った事から、多分ネットか何かで知ったと思われる。コーヒーも食べ物も美味しいし雰囲気は最高、このカフェに頻繁に通うために国分寺界隈にお引越しもいいなあなんて考えた時期もあった。通信大学といえどもファイン系は面接授業がたくさんある。卒業制作になったらもっともっと通わなければならない、駅にある女学生会館に一ヶ月だけでも住めないだろうかなどと夢想したこともあった。 



クルミドコーヒーは木曜日が定休日です


話を戻してクルミドコーヒー。お店が見えてきた時のワクワク感。もう「ただいまー!」という気持ち全開だった。だが木曜定休日ということでお見せの前に「CLOSD」の木札があった。これまた可愛らしく小さな幼稚園の椅子の上に札が置いてある。素敵だけど悲しい!どうして?がっかりしながら駅に戻ると、駅ビルの前でワゴンセールやポールに吊るした洋服がたくさん。見ればほとんどが中高年用の婦人服ばかりだった。気付いて見渡せば、杖をついたりカートを押しているお年寄りが多いのに気付く。国分寺がしっとりと落ち着いた感じに思うのは、年齢層が高いせいかもしれない。TwitterかFacebookのタイムラインでみたと思うが「お年寄りのいない街は信用できない」と書いた人がいて、その通りだなと思った。 

それはともかく真っ直ぐ家に帰ることにして、ちゃんと四谷で乗り換え市ヶ谷から有楽町線に乗る。家について30分ほどで息子が帰ってきた。「あれ、ママ大学は?今から?」というので、「なんでこんな時間から大学。帰ってきたところ」などと話しながら、「さあ、プールまであと一時間あるから宿題やっちゃおう」というが、ちょっと待ってとか、喉乾いたなどと一向に机に向かおうとしない。あとちょっとしたらとッ捕まえて椅子に座らせてやると思いながら、ランドセルからお便り連絡帳などを引っ張り出し、「漢字テストなおし」と書いてあるのでプリントをみると、あああーもう全然ダメだわとクラクラ。このっ!まずはこれからやらせようと息子を呼ぶが返事がない。無視しないでよと探しに行くと、なんとプールの支度を持って既に出かけてしまっていた。「逃げたなぁ~」とホンクの猟師さんの声が頭の中で響いた。

そんなこんなで久しぶりの武蔵美はメッチャ楽しくて癒された~♡そうだ、卒業しましたと報告したい先生がちらほらいるのだった。結局色々疑念は山盛りだが、もう「無」になってただただ卒業だけを目指そう。聞いたってどうせ本当の事なんか言わないに決まってるし、訳のわからない理由をさも納得した振りをするのはもう疲れるししたくない。NewsPick の運営がよく似た対応をまれにゃんにして呆れてものが言えないが、まああちらは弁護士さんついたみたいで何かしか結論は出るだろう。私は今のままなんでも「大学のルール」みたいに言われてもハイハイどうもすみませんでしたー(棒)とやるしかない。まれにゃんは運営、私は大学と、お互い色々大変だけど頑張りましょう。

そうそう、前と前の前に書いた「卒業の単位が足りない」という件も、スクーリング追加募集が何件かあり、それに申し込みすることで単位要件は満たされるようだ。もういいじゃない、あと面接授業8単位。坦々と授業を受けて、単位をとって、さっさと卒業すればもう関係なくなるのだ。もう資金がないのでどこかまた大学とか大学院という選択肢は考えられないが、今度こそやりたかったあれもこれも時間をかけてじっくりやれると考えれば、それはそれで楽しみのひとつとなる。

でも武蔵美行ったら余計こっちの色々がやる気無くなってしまった。多分武蔵美は終わった事なので美しくみえるのだろう。過ぎてしまえば皆美しいと言うのは本当だと思う。文芸コースの授業はもう受けないと決めたものの、気になっていた「短歌と俳句」の授業は単位のために受けなければならないことになり、これは良かったと思う。でもこの授業が追加募集かかったとか、あっちは絶対fullのはずないのにかからなかったとか、全部5人とか変すぎる募集というのにも色々疑念があり手放しで良かったとは言い難い。でも短歌と俳句はやりたかったので、これだけは文句ない。なんてこれらすっかり大学でもイジメられキャラになっているいつもの私の妄想と思われるかもしれないが、ブログに書いた内容は全てリアルだということいい加減に覚えて欲しいと思う。勝手な憶測でいい加減にベラベラベラベラ書いている訳ではない。ぜーんぶ真実だから間違えないで。ともかくもし次に大学行くなら東京の学校に行くし、子ども達が京都の大学に行きたいなんて言っても大反対する。京都の水で洗うとなんでも洗練されるように感じるが、間違いなくイケズな風味も加味されるし、京都で生活したり勉強できるのは京都人だけだと思う。もし子ども達が芸大に行きたいと言いだしたら、武蔵美が一番いいとママは思います。そして国分寺に一緒に住んで、子どもは武蔵美、ママはムサビ学園に版画勉強しにいきたい。そうだ、大学卒業したらムサビ学園に版画やりに行こうかな。あっ、ちょっと気持ちまた上向いてきた。ともかく何も考えず目をぎゅっと瞑ったままでいいから、今の大学は必ず卒業だけはしようと思う(今日何回目のフレーズだろう)


お弁当は結局家に帰ってから食べた。


武蔵美ドーナツは息子のおやつになった。良かった♡

「やっぱり俺、パパと行く」と息子が言った。「ええ?レゴランド行こうよ、パスの期限が切れたらもう行かないよ」それでもパパと某所に行くという。息子はレゴランドが嫌なのではない、私と出かけるのが嫌なのだと思った。レゴランドに行きたくないという息子に、「バディは来ないと思うよ、普通の日曜日だし。ママがいるから大丈夫」と余計な事を言ったのでその分もっと嫌になったに違いない。私の脳内アドラー先生に聞くと、いやとか行きたくないと言われたら言葉を重ねず「わかった」と言ってその通りにしてあげればよいそう。すぐに原因を追究したり聞きだすのが尤も愚かなのだと。頭ではわかっているのだが、咄嗟にはなかなかできない。ブログに繰り返し書くことで目で確かめ、いつかできるようになるかもしれないと期待する。

そんな訳でまたひとりな訳でブログを書いているが、今日は半日で帰って来てお昼はうちで食べるという。夫が何を食べようかというので、ハンバーグの種があると言うが、自分で作りたい夫は難色を示す。ちゃんとあなたのレシピ通りに作ったからというと、それなら焼こうと言って出かけていった。私のハンバーグの種は、混ぜ物が多すぎて我ながら美味しくない。人参をすりおろしたものや、おから、時には炊いてあるご飯もいれる。ご飯は北斗晶さんが節約レシピでやっていて、番組の出演者が試食をして「全然ご飯が入ってるなんて思わない」と絶賛していた。でも家で作ったところすぐ見破られて、食べたくないと言われて喧嘩になった。実家の母の煮込みハンバーグは本当に美味しかった、作り方を聴こうと思っているがなかなか出来ないでいる。

それは置いておいて、今日は武蔵美の思い出を再び書きたい。今朝起きて色々思い出したらすごく楽しかった。なのでそのまま書いてみる。

2008年、娘が幼稚園に入園したタイミングで武蔵野美術大学通信課程油絵学科版画コースに入学した。大学に通う前に健康診断や卒業証明書などを取り寄せるのに時間がかかったせいで、京都造形の時と同じように締切目前の4月30日に入学した。もうバンバン版画を作ると張り切っていたが、蓋を開けると一年次二年次は総合科目ばかりだった。大学は総合科目と専門科目がある。専門科目は版画コースだから版画だ。なので3年生にならないと版画漬けの日々は送れない。私は愕然とした。こんなことなら違うカルチャーセンターか、専門学校に行けばよかったと思った。当時は知らなかったが武蔵美にも京都造形でいう「藝術学舎」のような「武蔵野美術学園」というものがあり、こちらに行けば版画まみれの日々を送れるのだが、存在を知らなかった。それでも版画作家になる日を夢見てせっせと課題をこなした。今思えば良かったのか悪かったのか、「武蔵野美術学園」を知っていたら京都造形に編入もしなかったし、ブログも書いていない。とっくに版画作家になっていただろうと思う。というか、今でも「版画作家」と言う名刺を作れば作家なのだと思う。もうたくさん版画は作ったし売る程ある。

そんなこんな、なかなか版画が出来ない大学生活だったが、授業のことはその分しっかりと色々覚えている。脳が忘れてくれない。一番印象に残り楽しかった授業は星先生の「日本画 」の授業。前にも書いた版画コース卒の N さんが後ろの席で、星先生とバトルを繰り返す私をとても面白がってくれて、教室全体が笑いに包まれた日々だった。といっても私も星先生もわざとやっている訳ではなく、本人たちは至極真面目だったのだが、何というか、ボタンがうまくかけ合わされないというのか、歯車がひとつずれているというのか、その噛みあわなさが絶妙な温度で教室を温めたというのか。


その日教室の外で私は膠を溶かしいた。小さなコンロで湯を沸かし、膠を砕いて溶かすのだ。これを糊にして日本絵の具を和紙に置く。日本絵の具の素材はほとんどが鉱物、何かしっかりした接着剤で貼りつけなくてはならない。日本の伝統品、膠は、本当に理にかなった絵の具を貼り付けるものなのだ。歴史は古く、琳派の祖から狩野派一派までもちろんこれを使った。でもこの「膠」作る人がいなくなったか素がなくなったかで、消えゆく運命にあるらしい。違うもので代用しなければならないが、ピッタリくるものがないと先生が嘆いていた。

その膠だが、ねっとりと濃く溶いてから使う時は薄めて使うと授業で習った。だが、それなら最初から薄めてとかしておけば、再度溶かす必要がないのではないかと考えて勝手にそうしていた。すると隣で同じように作業をしていた人が「なんか薄くなっちゃった、どうしよう」というので、「大丈夫大丈夫、あとでどうせ薄めるじゃない。手間が省けていいよ、私もそうしてる」と言った。すると教室の中まで聞こえたようで、星先生が「このっ・・・あいつめ」とつぶやきながら廊下に飛んでいったらしい。また教室内が笑いの渦に包まれたのだそう。私は後から聞いた。星先生は私を「あいつ」と言った素振りも見せず、たまたま通りかかったようにわたしの膠を見て「それ、緩すぎない?」と聞く。私はあーみつかってしまったと思い、「いえ、これからもっと膠を足すんです」などと言い訳をした。星先生はぐぬぬという顔をして教室に戻った。それがまた聞こえていたようでまた笑われてしまったそう。全然知らなかったが後に聞いて自分も笑ってしまった。

他にも、日本画は最初に色を乗せる前に「胡粉」という真っ白な粉を溶いて和紙全体に塗る作業がある。塗る前にすり鉢で細かい粒子になるまで擦る必要がある。星先生がお手本として擦っているが、もともとパウダーのような粒子がそれ以上細かくなるとは思えなかった。それで作業をしている先生に「それ、そのまま塗ってはなぜダメなんですか」というと、先生は言葉に詰まった。多分そんな質問をされた事がなかったのだろう。しばらく黙っていたがついに先生が言葉を振り絞った。「調べておきます」と。見ていた全員がどっと笑った。先生も一緒に笑って、「実はそのまま塗った事があるけれど絵の表紙がひび割れちゃうんだよね」「これ、面倒な作業だから僕もやりたくない」などと言って余計に笑いを誘っていた。

普通こういう質問をしたら、気を悪くされるのではないかと後に思った。実際質問して、気を悪くされたり叱られたことが大学以外で何度もあった。でも私のこういう癖は治らなかった。でも星先生は都度都度きちんと回答をくれて、わからないことはわからないといい、一緒に笑う。なかなか大した先生だと偉そうだが思う。実際に星先生は本当に人気のある先生だった。また機会があればお話ししてみたいと思う。また日本画の飲み会にいってみようか。私を嫌う女の先生もいるが、コース主任の先生は『よく来た、久しぶり」と言って喜んでくれると思う。ボスがいいといえば何でもありなのはママ友の世界だけではないのだ。二年経ったが多分まだ学生をしている人もたくさんいると思う。ファイン系での卒業はなかなかに、本当に難しくて大変なのだ。

日本画は置いておいて、肝心の版画の授業の話。「版画 」と「版画 」の授業を二年連続で受けた。どこもそうだと思うが、二年生から三年生に進級するのが一番大変だと思う。なので私は延々と二年生をしていた。すごい強者は8年二年生をしていると言っていた。すごい人がいるものだと当時二年目の私は思ったが、まさか自分がそうなるとは、そしてついに三年生の進級を諦め編入というウルトラCで三年生になるとは。そういうジャンクな知恵というか思いつくところ、誰に似たんだろうと思ったりする。そういう訳で一年目の「版画 」は、木版画かシルクスクリーンのどちらかの授業を受けられた。小井田由貴さんに傾倒していた私は当然のように木版画を選んだ。小さな可愛い作品をたくさん作って、それを何度も刷って販売しようと思った。だが教室に行くと、すっごく大きな木の板が積んであった。これを好きな大きさにカットすると授業が始まるまで信じていた。だが授業が始まると先生は言った。はい、これで版画を作ります。多色だから何枚使ってもいいですよ。と太っ腹そうに言った。私は本当にすっごくびっくりした。

大きさ的に言えばA3 か、それより少し大きめくらいだろうか。これを彫って版画を作る、しかも多色だから何枚も。版画天国じゃなく地獄に来ちゃったのかなあなんて一瞬思った。彫るのは基本小さな彫刻刀、でもざあっと彫りたい時はミノのようなものでガツガツやる。時々力が入りすぎて、繊細な部分を削ってしまったり。そこは接着剤で貼りなおすのだが、そうなると刷った時に綺麗に写し取れない。私が選んだモチーフは人物、一体どうやったら多色作品になるのかわからなくて、見よう見まねで板を掘り続けた。版が完成したが、何度刷っても刷ってもうまくいかない。先生に手伝って貰うのだが、見当が違うとか、ここやり直しなどとまた言われて聞かすに適当にやればよかったなどと思ったりした。

できたものはあまり気に入らず、ずっと押し入れに仕舞ったままだった。版木は大きいので、押し入れのプラスチックボックスの間に挟んだした。詰め込み過ぎて膨らむので、その木で押さえたのだ。そんな乱暴に扱われた版木と作品だが、ブログにアップしたところ、市民展に出してみたらと言われた。改めてみるとそんなに酷くないように思えた。消したい過去というか作品だったのだが、日の目をみさせてあげられたようで良かったと思った。娘はお嫁に行く時に額に入れて、オリジナルを持っていくだろう。昔、紀子さまが秋篠宮に嫁に行く時、大お婆様の描いた大きな日本画を嫁入り道具に入れられていて、なんて文化的で素敵なご家庭、などとうっとりしたが、娘も孫も出来たら私が描いて持たせてやろうと思う。文化的な家庭で育ったと勘違いして貰えるかもしれない。芸大に入って良かった。


話を戻して版画の授業の話。なのでへとへとだったり上手くいかなかったりで、楽しかったというより版画の実態を知った授業だった。印象に残っているのが身体の小さなおじいさんが四苦八苦して作り上げたのが、大きな版木にすごく小さく描いた人の絵。自分を棚に上げて、この人大学で何か作るよりカルチャーセンターの方がいいんじゃないかと思っていたら先生が「ここはカルチャーセンターじゃないんですよ」と評価をされていた。後から言われちゃいましたねと振ると、気も悪くせずに「やっぱりカルチャーセンターに行こうかな」などと言われていた。あれからあのおじいさんはどうなっただろう。武蔵美のスクーリングは体力がないと絶対無理。あのおじいさんには悪いがやめてよかったと思う。やめたならという前提でだが、どうなったかは知らん。

真夏の炎天下、エアコンもない工場みたいなところで彫刻とか石膏で彫像を作るとかテニスやゴルをしたり、あちらこちら駆け足で社会見学、工場見学。今より若かったから出来たのだと思う。今ならこれらの理由でリタイアしていたと思う。でも春や秋に同じ授業があって選べるので、そうしても良かったかもしれない。私はやる時は全部やると、8月中一日も休まず大学に通った。それも妊娠8か月。もうあの頃の自分を見たらすっごい勢いで叱ると思う。何かあったらどうするのだ。時々具合が悪くなり保健室で休んだ。でも言い訳だが、他にも妊婦さんは何人もいた。お母さんが自由になれる時って妊娠中だけじゃないだろうか。周りが気を使って、休みなさい好きなことをしなさいと言って貰えるのは。なので大学に行くのも
OKだったのだと思う。子どもを抱えてだったら「何を考えている」と却下されたと思う。

8月に集中してスクーリングというのは、翌年もやったしその次の年休んで次の年もやった。今なら分散して一年通して受けると思うのだが、そんな知恵は持ち合わせていなかった。年間スクーリング日程を入手すると、カレンダーに書きだして子ども達の夏休みやスケジュールを書き出し空いたところに大学の予定を入れた。そんな事をしているうちに、イジメ会議や息子の途中退園。保育園に入れたりお受験をしたり。でも大学は続けようと思ったのは、あの松本先生の「絶対卒業してね」という励ましだったと思う。辞めようと思うと先生の顔が浮かび、あのセリフが聞こえた。私の想い込みの激しさはこういうところでは役に立つ。京都造形は土日のスクーリングばかりなので、子どもの予定を考える必要はあまりない。武蔵美は本当に何もかも大変だった。特に版画Ⅰは大変だった授業NO.1だった。

そんな訳でへとへとの「版画 」だが、収穫は勿論あった。先生の言う通りに下絵から彫りからデザインまでした人の作品は、見事なものだった。大きな板に大きな犬の顔をばーんと描いただけ。でも犬や背景の色や質感がちょっと変わったもので構成されており、高邁な作家の現代美術という風貌。一枚欲しいと思った。先生も一枚くれと言っていたが、「家に飾りたいからダメ」と持ち帰っていた。武蔵美の授業は講評の後、そのクラスの NO.1が選出され、その作品は「参考作品」として大学に納められる。そして夏か春に「参考作品展」が開催されるのだ。私もなんだったか一回だけ選ばれたような気がする。でも NO.1ではなく、良かったもののいくつかのうちのひとつというものだったと思う。先生のいうことは聞くものだと強く思った。

それから、プロの版画作家の方も授業を受けていた。小さくて可愛らしくてアイドルみたいな女の子だったが、彫りだすと流石プロ、さっさと分厚い板を彫り上げていた。彫刻刀も見事なものばかりで、天然の白樺をそのまま柄にした彫刻刀もあった。先生達がこぞって見に来て羨ましがっていた。その方の作品に先生がダメだしされていた。青空の野原に女の子が遊ぶ絵だったと思う。先生がこの青空の色を変えたらなどと言っている。私がみた感じでは、プロの方の選んだ青の方がしっくりくるし、作品も綺麗だと思う。そのプロは先生のいう通り、青をくすんだ色に変えていた。「前の方がよくないですか。いいの?」などと聞くと、「ここは教室だから先生の言う通りにすればいいと思う。仕事で好きなようにしてるから、人の意見は貴重」などと言う。私はすごいプロ魂をみたというのか、理に叶った考え方に納得した。それから「先生」という人のいうことをよく聞くようになったのだと思う。

先生のいう事をよくきく生徒を先生は可愛がる。私はどの先生にも可愛がられ、大学の授業は楽しかった。それでも時々は暴走したりした。とある「絵画 」の授業、油か水彩かを選び、デッサンに彩色という授業があった。確かこれも一週間の授業だったと思う。武蔵美の授業はほとんどが一週間続くものだった。まずはトルソーを画用紙かケント紙だったかにクロッキー。そこから手を加え、デッサンしていく。2日くらいで完成したものに彩色をするのだが、私は手軽な水彩にした。油絵の具は臭いし洋服についたらなかなか落ちない。

最初は透明感を重視して色を重ねていた。でもだんだんとさらっとしたシンプルな作品がつまらなく思えてきた。なのですごく大きな画用紙から絵がだんだんはみ出して描いた。どういう事かというと、薄い大きな紙を売店で買ってきて水で湿らせて貼り付け盛り上げ、絵を立体化させたのだ。それをどんどん大きくしたので指定用紙からはみ出してしまったのだ。それに色を重ねていく。トルソーが巻いているのは赤と紫の布だが、こんな色大嫌いと、綺麗なブルーとグリーン、そして白のグラデーションで描いた。


普通なら再提出か「もう帰れ」と言われそうだが、その時の先生、確か伊藤先生という若い髭の先生だったが、「おーいいねえ」などと褒めてくださった。それを聞いて私はほっとしたが、教室全体が「それなら僕も私もやったる!」という空気につつまれた。そこからはめちゃめちゃだった。紙を縦に10枚くらい繋げて、描くのはもうトルソーじゃない抽象の何がなんだかわからないものだったり、トルソーが爆発したものを描く人がいたり、もっと繋げて絨毯みたいにして床に広げて描く人とか。それでも先生はニコニコとみていた。他の教室から何人も先生達が見学にきたが、それぞれの範疇にはノータッチが武蔵美文化なのか、偉い先生が来ても何も言わなかった。私のところにも何人も先生がきて、「これは何で盛り上げたの?」とか「ほおお」などと言われた。

そこで「参考作品」に選ばれたのは、縦に何枚も繋げた作品だった。確かにインパクト的に大成功だし、何が描いてあるかわからなかったがよく見るとなかなかいい。他の教室は大人しい、そのまま「静物画」という作品ばかりで、先生によって教室のカラーが全然違うと思った。私がすごく上手いと思っていたあだ名が「天才」という生徒も、確かに上手いが隣の教室で静かでつまらないものを描いていた。「調子悪そうだね」などと言うと、乗らなかったなどと言っていた。それにしても私ってどこに行っても失礼だな。伊藤先生はまだ武蔵美にいらして、新宿のデッサンなども教えてみえるよう。行ってみたいがかき混ぜても申し訳ないし、デッサンだけというのは懲り懲りなので多分もう行かない。新宿にも大学の教室があり、ここは主にコンピューター関係の科目の授業が開かれた。そういう仕事をしていた私はかなりこれで単位をとったが、授業はプロラムなどもあり難しかった。お年寄りの初心者のような失態を色々してしまったりした。

情報システムの授業でお世話になった松本先生は、何故か私を気にいって下さり何かとその後も声をかけてくれた。毎年行われる夏の「懇親会」ではわざわざ探して声をかけてくれた。そして必ず「絶対ちゃんと卒業してね」と。連絡する術がないのでそのまま退学、編入してしまったが、今も多分「情報システム 」の授業をされていると思う。私を見かけなくなりガッカリされているだろうか。京都造形大学を卒業したら連絡をとってみたい。きっと喜んで下さると思う。先生は男の子をひとり持つシングルマザー。生活を考えた時に、大学で講師をしようと武蔵美通信で学んだ後に講師になったそう。あっけらかんと話していたが、色々ご苦労もあったと思う。でも決心したことをキチンと遂行し、すごいと思った。

そして二年生になって「版画 」の授業。I先生という方が担当についた。この先生絶対B型だとB型の私は思った。気分がころころ変わっているようで、こちらの生徒に「その絵はなんだ!書き直し」と怒ったかと思えば、別のところでは「うーん、いいじゃない」などと言っており、先生には先生のポリシーや審美眼があると思うのだが、私にはよくわからなかった。絵を描きなおしと言われた人は、すっごく写実的な絵を描く人で、ぶっきらぼうで感じは悪いが絵は天才的だった。嫌そうに見せてくれたスケッチブックは、本当に上手い人ってこういう絵を描くのだと思い知らされた。なのに叱られて、褒められた人の絵は全然幼稚でいたずら描きというか、ヘタウマにもなれない下手なものだった。私は叱られもせず褒められもせず、先生に「銅板何枚使っていいですか」とか、二日でひとつペースで作品を作るので「ちゃんと課題として出すものも作ってネ」などと言われていた。あまり目をかけて貰えなかったともいえる。それを良いことにやりたいようにやった。版画天国だった、住みたいと思った。先生の名前は忘れてしまった。

そこから翌年は版画の授業は全くなかった。大学からしたら総合科目と一年生二年生の版画で十分と思っていたのかもしれないが、高い学費を払って肝心の版画が出来ないのは如何なものかと思った。さっさと単位をとって進級すれば済んだものを、版画の授業が少ないとか、「版画 」の課題の板が探せないから出来ないなどと文句を言ったりした。それが伝わったのか受け入れられたというのか、版画は専門科目以外でも授業が出来ることになり、スクーリングの授業が少し増えた。でも増えた時にはもう版画熱はやや冷め、京都造形大学に編入することしか頭になかった。それでも単位が足りなくてどうしようかとウジウジ悩んでいたところにあのマナラ事件。こんなオーラゼロのしもべママが会社の社長?何かの間違いじゃない?でもそうなら私もやれば出来る、やってみようと何かを勘違いして課題をガシガシやった。最終提出日ぎりぎりまでやって全部合格した。一度は必ず再提出になると噂の「情報システム 」も単位がとれた。もしかして松本先生かと思ったが違う先生だった。「情報システム」の第一課題を出したのが2008年、そこから継続履修をして第二課題を提出したのは2014年だった。休学もあったがどういう心臓なのかと我ながら呆れる。

そして晴れて京都造形芸術大学の文芸コースに編入して、その後のことはもうご存知の通り。酷評されたり叱られたり、時にはちょっとだけ褒められてそれだけをずっと覚えていて自分には才能があると勘違いしたままだったり。楽しい大学ライフが続いている。武蔵美を退学した時は、もうこれでファイン系とは縁が切れた、ほっとした。もう二度と絵も描かないし版画もやらないと思っていたが、今はまたやりたくなっている。何かうんざりするような事があったらちょっと間を開けてみるといいかもしれない。それは人でも勉強でも仕事でもそうなのではないだろうか。


それにしてもこれだけベラベラベラベラよく書けるものだと感心する。今日はついに一万文字突破した。こんな読みにくいブログなのに、アクセスが集まるのは嬉しいけれどちょっと不思議。何より書いてアップしてはいるが、あまり読まれたくないものばかりだ。なので「読みにくい」ブログを目指していたりする。改行を多くしろとかコンパクトにまとめろと言われてもそのままにしてしまっている。そろそろ読みやすいシンプルブログを心がけてみようか。さあ今日は
10,180字。この情熱を早く小説書きの方にシフトさせたいと思う。

【今日の小確幸】

シナールとトランサミン酸を思い出せたこと。近々貰いにいこう。


image
※無料で公開していたせいで売れなかった小説 






今日も版画の話。版画版画と書いたり古い作品をアップしたりしているうちに、色々なことを思い出した。初めて版画を制作したのは2002年だった。山本容子さんの作品に感動し、作品集を読んだり展示会にお邪魔したりした。モノ創りの好きな私は自分でも作ってみたくなった。恵比寿に銅版画を教えてくれる教室があり、隔週くらいで通って作品を作った。

そこには、銅版画を作るのが好きというより、買うのはもったいないから自分で作りたいという私みたいな人、プロのイラストレーターで趣味は好きなものを作りたいという方、いつまでもいつまでも同じ板で何度も刷る人、細密画のようなすごい作品を週一ペースで仕上げる強者、色々な人がいた。最初の頃は楽しくやっていたが、先生の言動が気になりだし辞めてしまった。前にも書いたが私は独身の頃は、「先生運」が全くなかった。どの先生もほとんど全員嫌いという、反抗期真っ最中の不良中学生のような状態だった。なので教室を3ヶ月1回クールでさっぱりやめてしまった。

だがそこからも版画熱は消えることもなく、いつかどこかで版画をしっかり習いたいなどと考えていた。働きながら専門学校が大学に通うことも考えたが、学費が続くかどうかが心配だった。不安定な派遣をやめて正社員になればいいとも思ったが、正社員になれそうな会社は給与が低い、支払いのいい仕事はブラック企業なみに働く必要があり両立は難しい。実家なら家賃生活費はなんとかなる、一度実家に戻り学校に行こうとも考えた。でも一度戻ったらもう上京できないかもしれない。

私は東京にいたいと思ったし、好きな仕事を希望する会社で出来る派遣という立場でいたかった。それにあの頃の派遣は今でいう不正規雇用などという不安定なものではなく、スペリャリストなものだった筈だ。年収一千万という派遣エンジニアもいたし、時給3万円という方もいた。もちろん私はそんなではなかったが、好きで派遣をしていた。でもお局に当たりクビになったり、やる気がなくなりインドにいったり、蓄え額は常に乱高下していた。仕事が不安定ではなく、自分が不安定だったのだろう。そうだそうだ、そうでした。

そんなところから色々あり夫と結婚し、子どもが生まれた。近所付き合いママ友付き合いという、人生上一番日和らなくてはならない付き合いに疲れて辟易していた。ボスママも何人も登場し、子どもが幼稚園に入ったところでどのボスママも面白いように私を邪見にし、仲間外れにしだした。もうこれは何か自分のライフワークをみつけてそちらに注視した方が精神衛生上よいと思い出した。夫に相談すると快諾してくれる。渡りに船という言い方は変かもしれないが、何もかもがピッタリにすすんだ。

その後の大学生活の話は色々に書いたのでここでは割愛するが、その少し前、子どもが生まれたばかりのクリスマス。私は娘に何か記念になるものをプレゼントしたいと思った。ネットやママ友の話を聞くと、高価なおもちゃとか絵本、奮発して旅行に行くなどという。記念になるプレゼントといえば、翌年になると一歳の誕生日がくるのでそこで用意すればいいのかもしれない。でも今目の前にいる、言葉もまだ持たない幼気(いたいけ)で可愛らしい天使に何かを遺したいと思った。それは大人になってもいつもそばに置いて、見る度に私たちを思い出し、その思い出に勇気づけられるものでないとダメだと思った。

どこで知ったのか覚えていないが小井田由貴の作品を知り、その可愛らしさにたちまちファンになった。「木版画」というのは浮世絵やよくても風景画などが一般的で、こんなに可愛らしい木版画を創る小井田由貴は天才だと思った。山本容子もそうで、銅版画というと宗教画のような重々しいものや、悪とエロティズムの融合的妙なものばかりだと思っていたが、あんなに明るく楽しくお洒落な銅版画があるなんてと感動した。小井田由貴の作品にも同じものを感じたのだ。ちょうどその頃の私は北欧がブームで、池袋にある大きな北欧百貨店ILMUSが大好きだった。そこでよく見かけるのが小井田由貴の作品だった。何か機会があったら買いたいと思っていたので娘に一枚買うことにした。

小井田由貴
※伊勢丹のサイトから転載。小井田由貴作品

たくさん種類があって迷った。どれを選んでも相応しいが、何を買っても後悔する気がした。何しろ娘への初めてのプレゼントだ。気合いが入りすぎていたのだろう。この「娘に初めて何かする時の気合い」は、何かあるごとにその後延々と続き、そのせいで姑ともしばらく諍う日が続いたりした。余計な話は置いておいて、毎週のように池袋に通いやっと一枚選び抜いたのが、あの赤い栗鼠の版画だ。ちょうどそのころ前歯が二本だけ生えており、リスちゃんリスちゃんと呼んだりしていたのでピッタリだと思ったのだ。最後の最後に迷った青い鹿のものは、次に男の子が生まれたら買えばいいと思ったりした。男の子が生まれたらというのは当たったが、蒼い鹿は自分で創った。大学に行き、スクーリングで夫と娘の版画をつくり、その頃お腹にいる息子を思って家で鹿の版画をつくった。

小井田由貴鹿版画
※「小井田由貴鹿版画」で検索するとblogの画像が並ぶ、どうして?google先生

息子がお腹にいるとき、私はずっとバンビのような男の子を想像していた。元気に跳ね回る可愛らしい小鹿、そのイメージで版画を作り、岩を砕いでモザイク画も創った。あの頃何かを描くというと、モチーフは小鹿のバンビだった。でも生んでみたら猿だったので驚いた。でも小さなお猿さんに夢中になってしまい、版画熱はちょっと冷めてしまった。猿はモチーフにしにくいと、作品もあまり作らなくなってしまった。大学に通い出し、レポートを書く必要が出てきて色々悩んだりした。文章を書くのがすごく苦手だったのだ。それでもなんとか書いて出すと成績がよかったりした。思えば武蔵美の時の方がレポートの点数が良かった気がする。

そして京都造形芸術大学に編入し、レポートを書きブログを書て版画の画像をアップしたりしている。版画の記事の中でジクレーを思い出し、昔の作品を複写して額装などした。思いもよらず上手くいって、私って天才などと自己満足したり。するとムクムクとまた版画がやりたくなってしまった。今度作る時は葉書サイズの銅版画や、小井田由紀さんのような真四角の作品を創りたいと思う。それらを観た人々が、幸せになるようなものを作りたい。以前、ららぽーとにギャラリーがありそういうのを販売していた。小さなお地蔵さんが並び、幸せになる絵などとコメントがあったが、豊洲では売れないだろうなと思ったらその通りで、ラッセンや名もない油絵作家の作品と共に店はすぐに撤退してしまった。

将来作家になりたいと思っていたけれど、やっぱり版画作家にもなりたい。元々はこちらになりたくて大学に通いだしたのだ。京都造形に編入した時、夫がこういうだろうと思っていたらやはり言われた。「版画作家になるというのはどうなったの」そんな夢は何処かに忘れたといったが、また出てきてしまった。大人になってから、東京に出てきてから持ちはじめた二つの夢は、どちらもまだ叶っていない。でもいつか、いつかはという気持ちが私に勇気をくれる。京都造形芸術大学の学長も「子どもに夢を持てもてと言うのはおかしい。それにどんどん変わってもいい、僕もそうだった」と堂々と言ってみえて、感動してしまった。素敵な先生だと思った。

私は結婚してから「友達運」が綺麗さっぱり無くなり、代わりに「先生運」があがったと思っていた。友達というよりママ友だが、どの人もどの人もしっくりしない。それどころか集団で私をイジメだし、平気な振りをすると今度は子ども達を攻撃しだした。代わりにそれらで相談した先生達は、どの人も滅多なことでは知り合いになれないと思うような人格者たちばかりだった。学長もそうだし大学の先生達もそうだ。武蔵美は変な先生が多いと前に書いたが、芸術に対しては真っ直に向き合い、私が多少とんでもない作品を作ってもすごく評価してくれたりした。先生に恵まれるということ、こんな幸せが他にあるだろうか。

どうでもいいという訳ではないが、ママ友とかご近所の人というのは、適度にうまくやればいいものだと思う。何より友達では決してない。急にいなくなったり、親しくしていたかと思えば突然他人のような空気になったり。そういう不確かなものが一番大切だと思っていたあの頃の私、結局何も見えていなかっただけなのだろう。一番大切なのは家族だけなのだ。書いていて、「えっ?そう?ああ、そうかも」などと思っている。書いているのは私であり私でないような。思わぬ名言も飛び出し驚いたりする。なので時々妙な記事を書いたりするが、そういう訳なので驚かないで欲しい。誰より自分が一番驚いたりする。あまり私をびっくりさせないでと、未来の自分に念を送ろう。


【昨日の小確幸】

名士の方のSくんから先日の会の礼状が届いた。流石偉い人は違う。というか、私のために開いてくれた会なのだから、私が送らないといけないのに!でも誰も期待していないと思う。

記事で版画版画と書いていたら、版画をしたくなった。ただし、木版画や銅版画などの面倒なものは今はちょっとする気が起きない。出来れば何か手軽で「刷った」と言えそうなものはないかと考えてみた。版画には色々な種類のものがある。私がもともとやりたかったのは、山本容子さんの銅版画プラス手彩色というもの。でも、作った作品の中で一番気に入っているのが『幸せをよぶ碧い鹿』というタイトルの木版画だ。版画というのは色々な種類がある。下絵を描いてから作品が出来るまでの様々な手法により、違う顔をみせてくれることがある。以下に 武蔵美のサイトの版画基礎的内容を、参考に貼ってみた。

【木版】 
凸版の代表的な技法で、板に彫刻刀などで凹凸をつくり、凸の上部に絵具やインクをのせ、紙に摺ります。板目木版と輪切りにした木の断面を使う木口木版があります。浮世絵など日本人に最も馴染みのある技法といえます。

【リトグラフ(石版画)】
平版の技法で、石版石やアルミ版などに脂肪性の描画材で絵を描き、水と油が反発する性質を利用して絵の部分のみにインクをのせ、プレス機によって紙に刷る技法。版面に凹凸をつけることなく、絵を描くだけで版を作ります。

【銅版】
 凹版の代表的な技法で、銅版に凹凸をつくり、凹にインクをつめ、強い圧力をかけて紙に刷ります。ドライポイントなど銅版に直接彫刻する方法と、エッチングなど腐食によって凹部をつくる方法があり、それぞれ違った効果を得ることができます。

【スクリーンプリント】
孔版とも呼ばれる技法で、版となる膜(スクリーン)にインクが通る部分と通らない部分をつくり、紙などに刷る方法です。他の版形式と異なり、図像が反転しないという大きな特徴があります。※新孔版画ともいう、プリントゴッコと同じ手法。

他には今もっとも多いのではないかという、「ジクレー」という版画がある。これがなかなかに曲者で、版画なのだから高いという概念を持つと間違ってしまったりする。「版画です」「ジクレーです」と販売員に言われても、本物の版画が欲しいならちょっと考えた方がいいかもしれない。「ジクレー」とは、インクジェットプリンターで印刷された版画作品で、「ジークレー」や「Giclee」などと表現されることもある。でもこれ、何も手作業がなされておらず、刷るのは高性能なインクジェットプリンター。家や会社や学校、はたまたコンビニやキンコーズにあるものと同じなのだ。「版画」というより「ポスター」だともいえる。

版画版画と記事に書いている間に、ボストン美術館にある浮世絵を思い出した。中でも有名なもの、しかも滅多にお目にかかれない秘蔵作品は、ボストンの大富豪「スポルディング兄弟」が寄贈した約6500枚の浮世絵版画の数々。これは一般的に「ポルディングスコレクション」と呼ばれ、それらを寄贈する条件として、公開や展示は一切しないでというものがあったのだ。それにはこんな理由がある。

絵もそうだが、特に版画は光に晒されると色がどんどん抜けてしまう。 昔のカラー写真が時を経てセピア色になったりするが、同じように版画作品も同じように色を失ってしまうのだ。なので収集した作品達を愛するスポルディング兄弟は、公開を一切しないという条件を提示したのだ。以前、NHKスペシャルで特集された番組で実物をみたが、たった今刷り上がったような鮮明なものばかりだった。日本の浮世絵の展覧は、よく見えるように明るい光の元に展示されるのが一般的。時々色あせた作品を目にすると、勿体ないと思ってしまう。日本はコレクションの保存については割と無頓着だと思う。代わってボストン。スポルディングコレクションの浮世絵達は、世界で最も無傷で美しい色鮮やかな浮世絵コレクションと評価されている。 

それを思い出し、自分の版画作品、特にたった一枚しかない鹿の版画をなんとかしたいと思った。時々額に入れて飾ったりするが、色がどんどん劣化しているのだ。しかもあちらの額こちらの額と入れ替えたりしたせいで、隅に亀裂が入ったりもしている。もう原本はスポルディングコレクションのように厳重に仕舞っておいて、印刷したものを飾っておけばよいと考えた。幸いにもマンションの売店に、カラーコピー機が導入されたばかり。早速コピーしてみた。すると思った以上に綺麗にプリントが出来た。

木版の板目や絵の具の濃淡、ものすごく忠実に再現された。でもそれはそう、だってカラーコピーだもの。家にあった版画用の和紙をカットしてコピー機にセットした。詰まるかと思ったがするすると複写したものが現れた。なにこれ!すごい綺麗。本当に版画で刷ったものみたい。もうこれでいいと思った。欲しがっていたあの人この人に、額装してプレゼントしようと思った。カラーコピーしたというより、ジクレーと言えば喜んでもらえると思う。うちに飾るものもこれを飾っておこう。いっそ販売してもいいかもしれない。作品の山を整理したり額装したりと本当にくたくたになってしまったが、これで一安心。子ども達が独立する時に、それぞれ持っていってくれるだろうか。


【今日の小確幸】

ジクレーで保存すると閃いたこと。


パパと凛咲2_1 
※もっとも時間がかったが背景が気にいらない多色木版。すごく大きな作品。いつか切り張りなどコラージュで新しく何か作ってみたい。作品名は『パパと娘』


※本物と遜色ない仕上がり



栗鼠_1
※これは作家小井田由紀さんの作品。娘の初めてのクリスマスプレゼントに買った。 『栗鼠』

文房具2_2jpg
※こんなのが出てきた、大きな作品銅版画『STATIONARY』

幸せを呼ぶ碧い鹿2_1_1
※A3サイズにプリントすると実物大になる『幸せをよぶ碧い鹿』  

また整理したら色々アップしてみよう。小さな作品達はどこにいったのだろう。

昨日「造形基礎演習2」コラージュをデッサンを仕上げて再提出、投函した。これは毎月の締切ではあるが、必修でもないしテストがある訳でもない。なので慌てなくていい課題なのだが、昨日ブログに「やっつける!」と書いたせいか気になってしまい早速片付けた。先回の採点や修正項目を読んでいると、なるほど確かにチェックされた通りなのだが、武蔵美だから、なのではないだろうか。

武蔵美、ムサビというけれど、武蔵美出身にはあの西原恵理子がいる。最近はすごくきれいなタッチの漫画を描くけれど、デビューした頃はめちゃめちゃな絵だった。後に自分が武蔵美に入学し、西原恵理子が武蔵美卒と知って驚いた。デッサンの授業とか大丈夫だったのかなと自分を棚に上げて心配したりした。でも卒業したのだから大丈夫だったのだろう。武蔵美というのは様々なものが寛容され、昇華出来る場所だったと思う。例えばヘタウマというジャンル、あれは武蔵美から流れ出た系統のような気がする。

東京藝大や多摩美などは多分全く受け入れられない遺伝子なのではないか。なので私のコラージュやデッサンはNOを突きつけられた。もう一度自分をよく見つめて武蔵美という概念を綺麗さっぱり忘れ、京都造形大学の芸術という情緒をこころで感じて作品を創ってみなさい。さすれば道は開かれる。と言われている気がした。だが、諭されれば諭されるほど気持ちは明後日の方向に流れてしまった。

以前にも書いたが進級できなければ留年ということになり、もう一年余分に大学生をするということだ。2単位のために231,000円、ありえなくはないが、あったらものすごく困る。通信大学としては単位がとれずにもう一年ということは普通にあることだし、私はこのせいで武蔵美で延々と学生をしていたくらい。でもこれもブログに書いたが、家の経済事情でストレートに卒業出来ないと今は困るような状況で、夫どころか最近は娘にまで「いつまで大学に通っているの」などと言われるようになった。早く卒業証書を見せたいと思う。

そんなところに再提出、3年生から4年生に進級するには、「学部共通専門科目」を8単位とる必要がある。私は昨年度10単位分課題を提出した。本当は8単位ギリギリ受けて4年生になるつもりでいた。でも何かがあるような予感がして念のためにと10単位受けたのだ。すると2単位分の課題が差し戻され、それは課題の最終提出日が終わった3月だったのだ。もうほんっとに冷や汗が出てしまった。いつものうっかりで8単位だけでいいと思っていたら、文芸コースに全く関係ない課題で進級できないところだったのだ。

そんな事を思いながら完成させた課題だが、再提出のための書類が見当たらない。シラバスをみると、再提出の場合は「再提出評価書」というものを添付する必要があるようだ。この春に届いた書類一式を検めるが見当たらない。大学の事務室に電話をすると、返却された作品と一緒に同封されるものだという。ならばと封筒の中をみるがやはり無い。おかしいおかしいと電話で言い合うが、事務の方がいつ返却されたものだというので昨年度の3月というと、それは無くて当たり前のようなことをいう。京都造形大学は、年度をまたいだ継続履修が認められないのだ。

なので年度をまたいだ再提出は、新規扱いの提出になる。私はやりなおしたデッサンを、新年度の「提出評価書」を添付して出した。

武蔵野美術大学は継続履修が認められるため、何年もかかってひとつの課題をするということがざらにある。武蔵美は4単位の課題がすごく多い。例えば版画なら、一年生の時には「版画1」という科目が必修であり、一週間の面接授業(スクーリング)と、提出課題は第一課題、第二課題とふたつあり、その中でも第一課題1、第一課2と分けられ、版画作品を4つ出すということになっている。なので第一課題だけ出して第二は次年度またやる、などということが発生していた。私は二年生の必修「版画2」の第二課題が出来なくて、それで何年も留年していたのだ。単位が足りなかったというのも勿論あるが、多色木版画の課題をやろうと思ったものの、指定サイズの木版用の板がみつからず四苦八苦していた。

ネットで探しても銀座のITOYAにも、神保町の文房堂にもなかった。担当教員に電話で聞くと、とあるネットの通販を紹介され、ここでサイズを指定してカットしてもらえばよいと言われた。ならばネットでなくてもビバホームに行き、版画に必要な板を探してカットして貰えばよいと考えた。でもいざ行くと「版画に適した木材板」というものがどれなのか、板の厚さはどうしよう、そもそも板にこんなに苦労する課題ってあっていいの?でもプロになるとしたらクライアントのニーズは受け入れるべきだけれど、でもまだ私学生だし。などという思いがぐるぐるしてなかなか買えないでいた。

他の人はどうしているのか学友がいればメールでさくっと聞けばいいと思うのだが、なぜか版画コースの学友というのか、メアドを知っている人はいなかった。と、ここまで書いていたことに気が付く。でも気軽に何かを聞ける感じではなかったし、今親しくしている版画コース卒業生のNさんはその頃は連絡をとりあっていなかった。そもそも版画コースは仲良くなっても辞めてしまう人が多い。Nさんの時は、卒業生は5人だけだった。

などと色々言い訳をしてるが、ただ単に多色木版画をするのが面倒だったのだ。やりだせば楽しいと思うのだが、準備が面倒、しかもやりだしたらやりだしたでダイニングに広げで彫ったり刷ったりして、子ども達が帰ってこれば何をしている自分にもやらせろなどと言うに決まっている。小さな子どもに彫刻刀はまだちょっと危ない。それに食事の時間にはいちいち片付けないといけないし、大量の木くずはいつまでもいつまでもあちらこちらからチクチクと出てきて掃除が大変なのだ。

それに版画というもの、何が難しいといって一番は「刷る」ことだと思う。版画なんて板に色を乗せてプリントするだけじゃないと思われるかもしれないが、板に糊を多すぎず少な過ぎず塗り、いいタイミングのところにいい感じに溶いた絵具を乗せていく。多色というのは一枚一枚色を分けて刷るので一枚分失敗すると全てがダメになる。刷るのは和紙で、満遍なくスプレーで湿らせ、乾くギリギリの感じになったら色を重ねて刷りはじめる。板の角に「 見当」という印をつけそれを頼りに紙を乗せるのだが、これがまた自分が適当星人のせいなのか授業をしっかり聞いていなかったせいなのか、なかなかきちっと当たってくれない。

ちなみに普段使う「見当をつける」というのはこれが語源である。上手くいかなくて、ああでもないこうでもないと色々試すが綺麗に出来ない。一度上手くいかないと何度やってもだめで、やっと出来た時は「もう二度とやりたくない」などと思った。あちらこちらに配っている名刺代わりの蒼い鹿の版画作品は、唯一うまくいった版画のたった1枚なのだ。玄関に飾っておいたら近所の方がすごく褒めてくれて、差し上げたかったが出来なかった。小学校の大人の作品展に出した時も、色々にお世話になった方がいて差し上げたかったのだがここでもできなかった。

そもそも版はあるので刷ればいいのだが、板が劣化しているしもう絵具が上手く乗らないと思う。版画は生き物だと思う。下絵から彫って刷るまで、一気にというか作品を創る情熱を持ち続けないといいものは出来ない。昔は下絵師、彫り師、摺師と担当が別れていたそうだが、それは今でいうマスコミという役目を担っていたせいで、今の版画というものとは全く違うものだと思う。版画の話をすると止まらなくなってしまうので今日はこのあたりでお終いにするが、次はボストン美術館に秘蔵された浮世絵の話をしたい。

今日は晴れ後曇りのようで明るい太陽がみえるかと思ったら、昨日の憂鬱はすっかり消えてしまった。昨日夕方買い物に出て帰ってきたら、パソコンのキーの上にメモと可愛い毛糸のモチーフが置いてあった。「時間前はチャイムを鳴らさないで」と怒ったが、娘はわざとではなく本当に気が付かなかったらしい。学校から帰ってきた娘に「あなたは私に似てリーダーの資質はない」などと言ったら喧嘩になったが、私が買い者にいっている間に色々思うところがあったのかもしれない。私もメモをみて、自分の沸点の低さを反省したりした。

「お互い反省しようよ」と、夕飯を作る私のところに来て娘が言った。なんだが娘の精神年齢の方が高い気がしてもにょもにょしてしまった。大人はもうなかなか成長しないが、子どもは成長するものだと思った。実家に帰って息子をみたら、母がいう通りいつの間にか大きくなっているのに驚いてしまった。いつもいつもそばにいるのでわからないが、だんだん大きくなっているんだなと思った。

子どもが成長してくれるから、自分はもうこのままでいいのではないか。色々思うところはあるし、直そうと思った部分もあるが直らなかった。もう大人になってしまったので「私」というものが形状記憶されているのだろう。昔から私を知る友人たちは、私が何をしてももう驚かないと思う。豊洲の人達も早く私に慣れて欲しいと思った。


【昨日の小確幸】

娘の成長をみたこと。そうそう、素直が一番よ。


※可愛い奴め

今週末2月6日土曜日、7日の日曜日はテストがある。私は6日に申し込みをした。しかも当然のように1時限目と2時限目で申し込みをした。しかし2時限目の科目は切手の貼り忘れと料金不足という二度の失態により、レポートが大学に届かず受験の資格は失効してしまった。これにより1時限目のみテストを受けるということになっている。

当日は16時半から、作家の新元良一先生による特別講義『長編小説の魅力』がある。これにも参加する予定で、テストを3時限目にすればよかったと思った。11時からのテストは12時に終わる。約四時間講義を待つことになってしまう。だが色々書き仕事もあるし、どこかスタバにでも行って原稿を書くことにする。なんて、一人前の作家のようだがなんの事はない、大学に提出する作品がまだ出来ていないのだ。この日に書き上げることにして、本日はテスト勉強をすることにする。


※文芸コースのシラバスはもうボロボロ

思えば武蔵美の単位修得試験というのは、範囲も出題の内容も何も知らされず、当日問題用紙をめくって初めて問題がわかるというものだった。参考資料どころか辞書も何も机には乗せられず、大きな教室が当日は生徒控室となり、そこでギリギリまで勉強している生徒の姿があった。私も勿論ここで何度か勉強をした。必死に勉強していたら試験の時間が過ぎてしまい、試験を受けられなかったこともあった。

ならば武蔵美の試験の出題傾向は何もわからないかといえばそうでもなく、mixi に当日試験を受けた学生たちが覚えている限りの試験問題を書き込んでいた。「ITは相手にしない」私だが、こういう時は別で、自分も書き込み、情報をチェックした。

日本美術史は年6回のテストで、年代を追って出題されるというのもお約束だった。 縄文弥生から始まり、飛鳥奈良、平安鎌倉、室町、安土江戸、そして最後は現代美術について。なので試験を受ける回数でカウントしてその時代を勉強した。

しかしこれらの傾向がわかってもなんともならないのが東洋美術史で、先生の採点も厳しく、内容も複雑で範囲が広すぎるともっぱらの噂だった。これは確か学芸員や教員免許を取得するための必修科目で、第一回から最後の六回まで受けたが単位をとれなかったなどという話も聞いた。


※美術史を勉強する時は武蔵美時代の教科書を使い回す

これはこれで問題ありと学長が考えたのか訴える人がいたのかどうか知らないが、私が退学する前の年度くらいに先生が二人になり、採点もやや甘くなったと聞いた。とはいえ今でも難攻不落の城的科目として君臨しているらしい。そういう科目の内情などもmixiで確認したり、スクーリングや何かの集まり、その他イベントなどで情報交換をしたりした。これらは本当に助かった。

京都造形大学に編入し一番驚いたのが、シラバスや教材に交じって「単位修得試験のしおり」というものが入っていたことだ。地味な黒に近い藍色で存在感が薄いこの冊子に全く気が付かなかった。気が付いたのは、初めて試験を受けた後、テストを受けていた同じコースの方が、これこれこういうものがあると教えてくれた。全く覚えがなく、大学の事務室の方が私に入れ忘れたのだと思っていたが、家で探したら出てきて二度驚いた。

他にもテスト開始前の前説で、「参考資料以外はしまってください」などというので、「参考資料ってなんですか」と聞いていらぬ恥をかいた。京都造形大学のテストは、教科書や資料、辞書など、電子機器以外はみても良い。これも本当に驚いた。

いつも隣で授業を受けるHさんには後々までからかわれたが、笑われたお蔭で名前を憶えて貰ったりしたので悪いことばかりではない。それに丸腰で受けたこのテストは点数がよかった。

それでも、「辰濃和夫の『文章のみがき方』の「Ⅰ 基本的なことをいくつか」の章を読んで論点をまとめる」などという問題を読んだ時は青くなった。この本を読んでもいないし、何が書いてあるか全くわからなかった。仕方ないのでいつもの妄想力を発揮することにした。何が書いてあるか想像し、それを読んだ気持ちになって文章をまとめた。とにかく解答用紙いっぱいに書き込んだ。もし不合格でもまだあと2回あると安心出来たのもよかったかもしれない。結果は83点、合格だった。文芸コースの星Kさんに「天才現る」と言って頂けて嬉しかった。

そんなこんなで、今回もしおりを読んでだいたい書くことをまとめることにした。だが今回受ける文芸演習Ⅱー1は、「〇〇の小説を書けるようにしておいてください」という問題だ。その〇〇は五択あり、一人称、恋愛、風景などが入るようだが何が出題されるのかわからない。これはもしかしたら当日考えてぱっと思いついたことを書く方が私には向いているかもしれないし、いいものが書けるかもしれない。 


※しおりの内容。問題が書いてある。

それに小説をひとつ書くなら、優先順位的に書かないと締切が過ぎてしまいそうなものもある。結局しおりを開いただけでブログを書き、他の課題と書き仕事をすることにする。今日はまだ9時25分。これから「造形基礎演習2」と、教員相談でみて頂く予定のプロットを書く。卒業研究のテーマをまた変更したいと言ったら怒られるだろうか。これについては色々と迷いがある、というより書きたいテーマが色々浮かんでしまって決められない。多分叱られるだろうが、ありがたくしっかり受け止めたいと思う。


※コース主任の中村亮二先生


【編集後記】

昨晩のライブ講義は楽しかった。たまたま早く帰れる夫にお迎えだけお願いできた。来週からは録画をみることになりそう。

武蔵美を中退してからずっと、どうされているか気になっていた方がいた。前にも記事で書いたが「版画では卒業できないよ」と教えて下さったNさん。Nさんが卒業され、同年の版画の卒業生全5人とグループ展をされたのを大学の機関紙で知った。学生時代にメアドを交換しなかったことを悔やんでいた。

その後京都造形大学に編入し冬近くなったあたり、進級の目途がついてほっとしたからだろうか、またNさんが気になりだした。どうされているだろうか、版画の制作はされているだろうか。その前に私を覚えていらっしゃるだろうか。悶々としていていも仕方ないので大学に電話して、Nさんが私を覚えていたら連絡を下さるようにと伝言をお願いした。

大学に電話した30分後にNさんから連絡が入った。もちろん私を覚えていて、Nさんも気になっていたと言って下さった。懐かしくて会話は尽きなかったが、近々会って話そうということになった。ご自宅で版画の制作をしているそうで、私がお邪魔してみせて頂くことになった。

ところがその後、課題やスクーリングレポート、ライターや子どもの用事などがモリモリと沸き上がり、にっちもさっちもいかなくなってしまった。年末年始も来客などあり、終わったらすぐ子どもの用事や大学の授業、そして体調不良で寝込んだりしているうちに月日はあっという間に過ぎた。

「また電話します」と言って何カ月もそのままというのは、相手に失礼というよりもせっかく繋がった縁がまた切れてしまうように感じた。今度はショートメールを送った。色々あってまた身動きできないけれど、2月20日過ぎには体が空くので会いましょうというような内容だ。

すると「今週そちらに行く用事があるから寄りますよ」とのお返事。お言葉に甘えることにして、来ていただくことにした。この辺りで食事やお茶に便利といえば、やはりららぽーと豊洲だ。そこで待ち合わせをした。

何年ぶりだろうか。授業でご一緒したのは、いじめ会議の前あたりなので、2011、2年くらいだろうか。だとしたら4、5年ぶりということになるが、全くそんな感じはなかった。昨日まで一緒に授業を受けていたかのような気持ちで、ふたりで手を取り合って再会を喜んだ。

ブログをお知らせしてあったので読んで下さったのだろう、「頑張っているのね」とすごく褒めていただいた。Nさんは子育てはもう終わった方で、当時の自分を思い出すのか色々なお話も聞けてよかった。そして、「自由になったらというのもあるけれど、待てないこともある」とも言っていだだけて嬉しかった。そしてなんと、ららぽーとはたまにいらっしゃるそうで驚いた。豊洲からはかなり離れたところにお住まいなのに、なんとアクティブな。 
Nさんは、私が日本画コースに転向したと思ってみえたそうだ。確かにあの頃、そんな事も考えていた。サクサク卒業するには油絵しかないなどと考えたり、美術論の課題で評価が良かったのでそちらも考えた。でも色々あり別の大学に編入した。訳を話すと納得して下さった。通信教育課程、特に芸術大学というか美大は色々と大変なのだ。

ランチの後は一緒に買い物をして、その後はスタバで珈琲とケーキを頂いた。こんなにたくさん食べたのも久しぶりだし、本当に楽しいひと時だった。思い切って連絡をしてよかった。そして、「そちらに行きますよ」と言って頂いた時に、「またいつか」とか「次の機会に」などと思わず、パッと動けた自分にも感心した。体が空いたらなどと言って延期し、家で仕事などしていても「やはり行けば良かった」などと気になってしまっただろう。
「また」「いつか」があるとは限らない。オーバーかもしれないが、チャンスは一度きりかもしれないではないか。何もかもがラッキーな楽しい一日だった。 

 
※Nさんはコンボランチ

 
※私はトムヤムクンが食べたかったので、ガパオ&トムヤムランチ

お土産までいただいて、しかも全部ご馳走になってしまった。「頑張っているあなたを見たらご馳走したくなった」などと言っていただいて恐縮してしまった。申し訳ないので次回は私が。それにNさんこそ卒業してからもバリバリ作品を制作し、あちらこちらで入賞されていてスゴイのひとことだ。見習わなければ。私も卒業したら、ガシガシ小説を書いて入賞を目指そうと思った。


※ジャムの乗ったケーキやお菓子が好き

「版画では卒業できないよ」とNさんが言ってくれなかったら、私は今でも武蔵美でぐずぐずしていたか、中退してダラダラしていたと思う。Nさんは私の恩人でもある。

それだけでなく、最初に会った時から会話もスムーズでお喋りするのが楽しかったのだ。すぐ後ろの席で何かと私を面白がってくれて、その時のクラス全体もまとまりがあり穏やかで楽しかった記憶がある。武蔵美で受けた授業の中で、一番楽しかった。

前日に「造形基礎演習1」で久しぶりにデッサンをしたせいか、やはりファイン系もいいなと思ってしまった。京都造形を卒業したらまた美術系も再開したい。せっかくなので、「造形基礎演習」は2も履修しようと思う。

どの科目でも履修したい時に学習できる京都造形大学のシステムは素晴らしいと思った。武蔵美は年度の最初に、上限40単位履修登録をし、登録をした科目以外は学習できない。途中であれを学びたいと思っても出来ない仕組みになっている。京都造形大学では、一年で200単位とった方もいると聞いたことがある。私も頑張らねば。

今の大学は授業も毎回楽しいし、学友も皆フレンドリーで親切だ。 大学を変えたのは人生が変わったようにも思えている。そのきっかけの最初は、Nさんの一言だった。何もかもが正解だったと改めて思う。

次にお会いする時は、今度こそ私がお邪魔しようと思う。お土産とプレゼントはもう決めているが、Nさんがブログを読んだらわかってしまうのでここには書かない。予定を楽しみに課題や仕事を頑張りたいと思う。

 
※タイムセールでなんと500円で娘に2着買った、自分のは我慢。


【編集後記】

人のいうことはあまり気にしないが、ハッとする言葉は大切にしている。第六感的な感覚は大切だとつくづく思った。

昨日仕上げた京都造形大学通信教育過程、文芸コースのスクーリングレポート略してスクレポだが、到着日が不安で速達で投函した。通信教育過程での郵便物は、第4種で出すことが出来、定形外が100gまで15円で出せる。それを超えると100g加算するごとにプラス10円。速達はそれにプラス280円。280円の切手がないので300円切手をプラスで貼った。 


今思えば300円切手で事足りたと思うと、15円分の切手が勿体なかった。最近どうも算数が出来ない。

以前、文芸演習2-3の課題を出した時、一度は切手を貼り忘れて戻ってきて、慌てて貼って再投函したら、10円切手が剥がれてしまったのか、料金不足でまた戻ってきてしまったことがある。

二度目に戻ってきた時は既に10日過ぎており、年度最終の2月5,6日のテストに間に合わなかった。課題を出さないとテストは受けられない。2月10日までに提出すればいいが、単位が得られないなら来年ゆっくり書いて出すことにした。

必修科目でなかったのでまた来年という事で済むが、これか必修科目だったら来年また三年生をしないといけなくなるところだった。

また引き合いに出して申し訳ないが、武蔵野美術大学では郵便物が料金不足の場合は、「料金が不足していたので別途送って下さい」と通知がきた。わざと料金不足で送る人はいないだろう、払っておくので後で下さいという事だ。

京都造形大学は何故生徒の送った課題やスクレポなどの成果物を料金不足で差し戻したりするのだろう。料金不足といっても、大概は今回のように10円とか20円くらいだろう。多分だか、私のように締め切り間際に送ってくる生徒が多いと思う。

郵便物が到着しないばかりに留年とか、テストが受けられないなどの事態も発生するだろう。規則といえばそれまでだが、なかなかに厳しすぎるような気する。前以て、郵便料金を納める制度があればいいのにと思った。

京都造形大学は、学費や面接授業などは引き落としとなっていて、引き落とし口座を登録している。ここから不足分を引き落としというのでもいいだろう。手数料が千円だとしても、不足分10円を払って欲しかったと思った。

そんなこんなあり、今回は切手をしっかりセロテープで留めて昨日ポストに投函した。最終集荷時刻は18時10分、投函したのが16時30分、速達で出したので今日には到着する筈だ。

これで本年度の必修科目は全て終了したことになる。あとはairUかテストのない芸術学部の科目で2単位とればよい。念のため6単位ほど履修しようと思う。もし1科目のみ受けて不可になったら留年してしまう。今までなかったが、今回も大丈夫かはわからない。念には念を入れたいと思う。

私は今まで人生何かと上手く過ごしてきたので迂闊なところがある。人に対してもそうだ。世の中本当に悪い人なんている訳がないとも思ってきた。そんな風だからあんな馬鹿ママ軍団にいいようにされ、子ども達に気の毒な目に遭わせてしまった。

だいたい自分が前に書いたブログはなんだ。キツイボスママに翻弄されるちょっと天然なふわふわ可愛いママみたいなストーリー、しかもフィクションですなどと甘っちょろ過ぎる。悪い奴らは寄って集って永遠に悪い事ばかりする。何もかもが実在するリアルだ。

話を戻すと、切手が剥がれて戻ってきた課題が必修科目でなかったのは、たまたま運が良かっただけだと思う。学問の神様がいるとしたら感謝したい。思えばいつもピンチの時は閃きというか、何かが助けてくれて難を逃れてきた。背後霊とかそういうのだろうか。その辺りについては詳しくないのでよくわからないが、その辺りにも感謝しておくことにする。


【編集後記】

今日は予定通り昭和医大豊洲病院に行けそうだ。

【追伸】(2016.01.26 17:54)

郵便差し戻しの件、京都造形大学事務局から回答があり、大学で指し戻すということはないそう。郵便局で判断するのではということだった。一度郵便局に問い合わせたい。

今年大学に通いだして7年目と書いたが、6年間は武蔵野美術大学の通信教育課程に在籍していた。絵を描くのが元々好きで、細々ともの造りも大好きで、カルチャーセンターで習った銅版画を極めたいと思った。

カルチャーセンターの先生が結構いい加減な人で、自分の友達を勝手に教室に連れてきて版画を刷らせたり、何か聞くと「もう前に教えたでしょ」と取り合ってくれなかったりした。

バカバカしくなり更新の手続きをせずにそのまま辞めてしまったが、銅版画熱は冷めないままで、どこかでもっときちんと学びたくて大学に入ることにした。版画を学べる通信大学といえば武蔵野美術大学だけだったので、当然のようにそこに入学した。

だが、大学の版画の先生達も強者揃いというのか、アーティストというのはそういうものかもしれないが、ちょっと変わった感じの人が多く、全員愛想はないし変なところに拘るし、何より先生たちの作品展で私の感性に合うものが何もなかったのでとてもショックだった。

山本容子さんとまではいわないが、もっとホットでチャーミングな作品を作ればいいのに、などと失礼なことを思ったりしていた。

一年目は多色刷り木版画、A3サイズの板を5枚彫った。ぜんぜん上手くいかず、作品は完成したが納得できなかった。

次の年は待ちかねた銅版画。サイズはA4。銅板画は銅版一枚に、先が針になっているペンのようなもの(ニードル)で細い線を引きながら世界観を重ねていく。これもぜんぜん上手くいかなかった。思った通りの作品にならない。

一年次入学なので総合課程の授業ばかりでそもそも版画が出来ない。大学をやめようか、日本画とか油彩にコースを変更しようか、この頃すごく悩んでいた。

版画コースで仲よくなった人達は、別の道をみつけて辞める人が多かった。ある人は英語の授業で英語に目覚め外国語学校に入学しなおしたし、文章を書くのが好きだと気がつきファインではなく美術論のコースに代わった人、版画は彫るのが体力的に辛いと油彩に変わったひと、それから家庭の事情などで退学した人、色々な人が版画コースからいなくなった。

その頃、日本画の授業で星先生に出会った。その頃は知らなかったが、星先生はすごく人気のある先生だ。先生が私に声をかけた第一声は「鉛筆、ないの?」だった。私は初日に鉛筆を忘れ、シャープペンシルでクロッキーをしていた。一番前の席なので目立ったのだろう。星先生は鉛筆を貸してくれたし、不思議となんでも言えた。日本画の授業が終わった後大学の懇親会があり、そこで日本画コースの親睦会に誘われ星先生のいる日本画もいいなと思うようになった。

武蔵野美術大学はファイン系の大学らしく、個展やコンサートに合わせた展示会、ライブペイントなどのイベントがしょっちゅうあった。そういうところにはなるべく顔をだすようにした。見に来る人はひとりでも多い方がいいに決まっているし、自分が企画した時の集客にも繋がるだろう。中には画廊をオープンする人もいて、通信生とはいえ芸術にまみれた楽しい日々だった。

結局版画でもなく、日本画でもなく、油彩でもなく、美術論でもなく、中退して別の大学で文学を学んでいる。

どうしてこうなったのかはまた別の機会に書くとして、結果的に大満足で大学はとても楽しいし、学ぶことが面白いと思うようになった。これを書くと前の先生方に顰蹙かもしれないが、新しい大学の先生達がアカデミックでノーブルなのでほっとしている。

武蔵美では色々なことがあり、もちろん嫌なこともあったけれど、今となってはいい思い出になっている。まだ中退して一年も経っていないのに、遥か彼方の昔のように思える。そしてやはりファイン系で卒業は出来なかっただろうなと、改めて思う。卒業制作は、版画はA3サイズが5作品、日本画、油彩は100号のものが2点。専用の部屋でもないと出来ない代物だ。

武蔵美についてはまた色々書いてみたい。


※グラフィックデザインを学ぶ者必須の「蝶課題」蝶で何か別のものを表現する授業。私のはタイトル「ルパン三世」で、右から次元、ルパン、五右衛門を表している。厳しいので有名なT先生がA評価をくれた。T先生も私と同じ時期に大学を変わられたようだ。

【編集後記】

作品展に出せばよかったと書いた陶器の入れものは、準備の時にもっていってみたらどうぞと言って下さったので出品してみた。出したのは版画2点陶器1点ということになる。今日探し物であちらこちら片付けていたら、色々な作品が出てきて驚いた。子どもが卒業するまでに全部出せるだろうか。ここでも少し紹介するからいいかとも思う。版画の話を書いていたら、また版画をやりたくなった。今の大学を卒業して時間が出来たらまた習ってみたい。大学を卒業して版画制作をしている方がみえるので、教えてもらうのもいいかもしれない。私に「版画じゃ卒業できない」といったNさん。来年個展をされるそうで、お邪魔する予定でいる。私も頑張らなくては。

ずっと大学に通っていることを誰にも言わなかった。実家にも友達にも。つい最近カミングアウトすることにした。大学に通っているというと、「一体何を勉強しているんですか?」と聞かれるだろう、それと「いつから通っているんですか」、最後に「卒業したら何をするんですか」と。

なので書いてみたい。知りたい人はこのブログを読んでくれたらいい。

最初に大学に通い始めたのは、息子がお腹にいて上の娘が幼稚園に入園した2008年の春からだ。以前カルチャーセンターに通って習っていた銅版画を極めたいと思ったのが動機で、丁度、銅版画家の山本容子さんに心酔しており、あんな素敵な版画を自分も制作できたらと考えたのだ。(そうでした、そうでした)

  IMG_3754
※武蔵野美術大学の門を入ってすぐの景色

もちろん卒業後は版画家になるつもりだった。夢は、今はなき三越エトワールで個展を開くこと。夢は他にもたくさんあるがそのひとつだ。

こんな事をいっては失礼だが、子どもを持つ専業主婦達のパワーゲームやグルーピング、諍いなどにほとほと疲れ、娘が幼稚園に入園するとまた色々あるだろう、自分の世界を持っていないと辛いのではないか、などと考えたのも大きい。人間関係で何かあったとしても、自分の世界があるならばそれを頼りにすればいいと思ったのだ。

その予想はほぼ的中したが、自分の世界を持つがゆえに何かと忙しくなり、付き合いが悪い人と思われたのか、だんだん疎外されるようにもなった。あの頃「忙しい」とよく言っていた記憶がある。理由を言わなかったので余計に距離が出来るようにも感じたが、大学に通っているとは言えなかった。

その頃、後に長年に渡る悩みの種となるこの界隈のママ友界の大ボスさんは、上の学年のグループに所属しており、特に実害もなく単位も坦々と取得できた。 

大学一年目と二年目の日々は順調に過ぎた。版画を通して様々な人脈が出来、蔵書票のグループにも参加でき、フィンランドに作品を出品する機会もあったりした。でも、なんというのか、この頃からだんだん迷うようになった。スランプだ。


やってもやっても上手くいかない。それに大学で版画を習うのは年に一週間のみ。他は通信課題として二作品ほど提出するが、それ以外は関係ない科目で単位を山程取得する必要がある。 最初の年は8月は日曜日を除いた全日学校に詰め、往復4時間の通学で大変だった。妊娠6ヶ月の頃で、安定期とはいえ体力的に辛く、医務室で時々休んだ。

版画で忙しくそうなるならいいが、版画の面接授業は一週間のみ、あとは別のファイン系の実技だ。8月の他にも必修があれば授業を受けないといけないし、芸大は通信教育課程でも卒業要件に必要な面接授業の単位が思ったより多い。

3年編入した今の大学も、大学と学部を変えたことで必修の面接授業が多く、週末はほとんど大学という月もあるが、専門課程でそうなっているので納得だ。それでブログのタイトルも「芸大に通う」にしたのだ。「通信教育大学に通う」ではちょっとおかしい。

話を戻して、版画をしたくて芸大に入ったのに、版画のための時間がとれない。また、家で課題の版画を彫ったり擦ったりすると、家族が色々言うので集中できない。以前はカルチャーセンターで全て完結したのに、通信課題では自分で何もかもしなければならないが専用のスペースもない。

朝と夕方には制作途中でもダイニングを片づけて食事、後片付け、また出してまた彫る刷る。大学の課題というとサイズが大きく、へとへとになった。大学に入学後しばらくして生まれた乳児の世話もある。
 

悩みながら忙しく時は過ぎ、三年生になるための単位数を得られないまま三年目に休学した。目的を見失いかけたのと、育児に専念したいというより、しないとダメだろうという理由の他、とある事件に巻き込まれ司法の判断を仰ぐ必要が出てきたのだ。大学どころではなく、子どもの面倒も充分でない日々が続いた。

法律の勉強や、裁判に向けた資料を作成するため、未就学の子どもを預けられるところには預けまくった。その頃、年長の子ども達が退園し、スライドするように大ボスさんが私たちの学年のグループに混ざりだしたのもこの頃だ。同じ学年の子どももいるのだ。

本当に毎日毎日何かしら嫌な目にあった。私以前にその大ボスさんのグループで仲間はずれになっていた人がいた。その方が辛い気持ちでいたのを、自分が当事者となりやっと理解した。その方が途中退園して引っ越していかれた後、次は私が標的になった。

嫌がらせはそんな昔から今の今まで続いている。幼稚園も終わり子どもの小学校も後半になり、別々の小学校になってもだ。そんな事が出来るのかと思うあなたは幸せな人だ。この話はまた改めて。

【編集後記】

大学の話を淡々とするつもりが、やはりこういう話になってしまう。大学生活=この人からの攻撃という思い出になってしまっている。この人だけが悪いのかと言われればそうでもないと言ってあげたいが、やはりこの人が何もかもの発端だろう。そういう人がこの世には存在するのだ。だが、出会ったことのない人にはわからない種類の人だと思う。ともかく、あの頃内緒で大学に通っていたのは正解だった。言えばまた余計に嫌がらせをされたし、続けられなかっただろう。

このページのトップヘ