芸大に通う豊洲ママのblog♡♡♡

カテゴリ: 京都造形芸術大学

最近、特に大学の卒業式後にブログのアクセスが多くなった。一体誰が何のためにアクセスしているのか。多分「京都造形芸術大学」とか「卒業式」というキーワードで検索し、このブログがヒットしていると思われ。

で、アクセス数100くらいまでは実感できる。なぜならBUDDYスポーツ幼児園が、だいたい一学年100家族だった。何かあるとしょっちゅう学年単位で集まっていたので、「100名」というと「あんな感じかあ」とわかるけど、それ以上は全然わからない。でも今はUU400くらいで、全学年かあ、なんて。多分お金と一緒で、10万円まではなんとか把握できるけれど、それ以上はただの数字という今の感覚と同じかもしれない。でもこれもみんなそうですよね。お金というより数字、データ、それを運用して上手くいくとゼロが増えたり減ったり、マネーゲームとはよく言ったものだと思う。

私はそういうのもうやらないことにしているのは、独身時代実際にトレードしてみて私には一ミリも向いていないとわかったから。今回たまたま出てきた外貨預金、あれはずっと忘れていたから上手くいったと思う。そしてお金が必要になった時にたまたまレートも良く、さっと解約することが出来た。これも多分何かの運。もし今みたいに1ドル111円だったらまた迷ったかもしれない。

京都造形入学しようと思った時は90円くらいで買ったドルが120円になっていた。今思うとこれも何か運命を感じる。これが日本円化できなかったら入学を諦めていただろう。今までで一番利鞘があった事例だし、こんないいタイミングのものはなかった。特に株なんて本当にダメダメで、高いと買いたくなり安くなるともう嫌だと売ってしまう、ダメじゃん!どれだけ勉強代を払ったか、もう一度通信大学には軽く行けただろうなと思う。 

もしも私が急に富豪になり、どこかにお金を預けないといけなくなったら多分ここに預ける。もう二度と自分で運用などしない。ここの美味しい料亭のお弁当付きセミナーに行ってみて、これはほとんど冷やかしなんだけれど「本物」だと思った。プレゼンテーションも素晴らしく、一緒に行った友達とこんなところに資産を預けられる人になろうと誓い合ったくらい。   
   
マーケットの話はそのくらいにして、最近本当に家計が困窮してきて、喧嘩するのはいつもお金のこと、お金がないので一家離散も出来ないという事になっている。でもこれはこれでいいのかもしれないとも思う。ないならないなりになんとかする私、お金はあればあるに越したことはないけれど幸せの全てではない。こういうのって子ども達に説明するのってすごく難しい、そう言えばじゃあお金は大切じゃないのかと言われればそうじゃない、やっぱり大事とか、面倒だけれどコツコツ話さないといけない大切なこと。節約節約といいつつ、大学も卒業したし京都いったりランチもお茶もする、一方でUHNCRを支援したり去年からかものはしプロジェクトにも寄付しだしたとか、そういったところにも運を投資したりするとか、そういうバランスはみて覚えて欲しいように思う。。新年度からはライターの収入の一部をまだどこかに寄付したいと考えていて、何か享受していると思ったらどこかに提供する。そういうものが今の私の経済学みたいな感じ、数字なんだけど右脳的な感覚や判断は大切にしたい。
   
そういう話はともかく、「卒業式、分科会」の話題。

貴船口から叡山電鉄で30分くらいで「茶山駅」に到着。ここでも貴船と大学が近すぎるから、小説の設定をなんとかしないとなどと考え駅から歩く。この時点で14時20分くらいだったので、大学までバスかタクシーに乗りたかったのにバス停も空車も見当たらない。仕方ないので徒歩で大学に向かう。袴姿の大学生と何人もすれ違う。もしかして通学生の卒業式の後、通信生卒業式なのかなと思ったらその通りだった。  


※通学生卒業式

※通信生卒業式

今更だけど、生徒数の割合はこんな感じ。大学サイトにデータがあった。

通信生が通学生の倍‼︎ そうなんだ、まさに通信大学!大学院も通信生の方が多い。先生や事務局合わせると1万人近いのでは。こんなによく人が集まるものだと感心する。「日本で最も大きな芸術大学」だそうで、そんな大学の卒業式、分科会その他色々、せっかくなので赤裸々に書いてみたい。

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やっと到着、京都造形芸術大学正門正面。というか門はなく階段上ればいきなり校舎な感じ。真正面に卒業式の看板があり、そこで何人もの人が写真を撮っていた。と、いうことは通信生の卒業式も始まっているだろう、貴船でちょっとゆっくりし過ぎたと思ったが、それでも貴船なんてもう来られないかもしれないと思えば致し方なし。急いで会場の「春秋座」に向かった。

もう場所もわかっているので真っ直ぐ会場へ。何人かの多分事務局の方が立っていて誘導されたものの、もう最初のスピーチが始まっているのでそれが終わるまで待つように言われる。待機したものの待てども待てども終わらない。周り込んで反対側の扉からそっとのぞくと先生達の席の後ろの扉だったようでぎょっとしてまたそっと扉を閉じた。一瞬だけれど「偉そう先生」の横顔が見えた。よしっ!終わったら声をかけて話をしようと思った。そのまままた待機してと言われたところに戻ると間もなく扉が開いて会場内に入った。


Facebook から画像拝借。両端のボックス席には先生たちがズラリ。

コース毎に場所が決まっているようで、私は当然文芸コースのエリアへ。皆ぎゅっと固まっていて写真など撮っている、うわっと思ったものの何故か空いていた一番前の通路側に座るとすぐに式が進行しだし、それでも誰がいるのか気になり後ろを振り向いてジロジロ(やめなさいよもー)みると、一瞬モアイと目が合ったがすぐに逸らされる。えっ?昨日懇親会来なかったよね?でも卒業制作発表は来たよね?なんで?二日日帰り?と思ったものの、多分聞いても答えてくれないだろうなあなんて思いながら壇上をみると、学長理事長がこちらをみているような。せっかくなのでとオペラグラスで覗いてみると、やっぱり見られていた。でも怒っているのとも違う、笑顔でもない、なんだか不思議な表情。一体なんだろうと思ったけれど後に納得。もう怒りを通り越して脱力していたということなのではないか。



その後学長のスピーチ、「青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ(サミュエル・ウルマン)」などなど。以前お会いした時と比べてなんだかオーラが消えているような気がした。

学長と私はこれが初対面ではない。大学生活が順調な頃、「こども芸術の村」のイベントが外苑キャンパスであるというので出かけてみた。丁度その少し前、豊洲小学校で成人教養委員会の展覧会に作品を出し、それを見た方が「絵画教室やってくれませんか」などと言い、その時は「絵って教えない方がいいんです」なんて言ったけれど、確かにそういう「機会」としての教室はあれば自分も子どもを通わせたいなんて思い、なにか参考になるかと馳せ参じてみた。

何か資料がないか探してみたが見当たらないのでコピペできないけれど、京都造形芸術大学と連携している東北の大学の双方の学長の対談や、実際に「こども芸術の村」で作る焼き菓子の試食などあり楽しい内容だった。この焼き菓子、ガレットデロワという名前で、中に小さな陶器の人形を入れておいて、カットして食べて、食べて中に人形が当たった人は幸せになるというもの。試食といえども大き目のホールケーキが6か8等分くらいにカットされ、食べ応えも十分だった。食べているとあちらこちらから当たったとか人形が出てきたなどと声が上がり、ほどなく自分の食べていたものからも人形が出てきた。 

私は嬉しくなりブログに書こうとスマホで写真を撮った。すると左手で持っていた紙皿がふわーと傾き、床に落としてしまった。お行儀悪いことするからだわと反省しつつ、飛んできた事務局の方と一緒に片付けた。「まだたくさんあるからもうひとつどうぞ」と言って下さり、今度はちゃんと食べなくてはとお菓子を食べているとまた人形が出てきた。「あれ、またあった」というと周りにどれどれという感じで人が集まりだし、すごいとかラッキーですねと言われているところに学長が来て、「これはすごい、ラッキーがふたつも」と喜んでいた。

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これがパイの中に入っていた。ふたつも(^^)なんか捨てられなくてずっととってある。もう宝物かも。

私もこんな事があるなんて、これからどんないい事があるんだろうと思っていたが、ブログにはこの件は書かなかった。この時このイベントに関わっている方々と話をして、「こども芸術大学」を豊洲でもと言ったら、誰かがあなたがやればいいじゃないと言いだし、そういう方向で話をしたらいい感じになりそうな雰囲気、学長にも対談後の質問コーナーで話したら、他にも私も違う地方でやりたいなんて方もいらして「協力できることはなんでもしますよ」なんて言っていただけて本気でやろうかなあと思った。

自分一人で絵画教室をやるより京都造形芸術大学に繋がる「こども芸術大学」とコラボすれば、京都造形芸術大学も関東でもっと認知されるようになり、豊洲のママ達から入学希望者が出るかも、私は月一くらいでイベントを開催し、お絵かきや識者の講演、そうだ香山リカさんもこのカテゴリで講演会、なーんて考えていた。結構あちらこちらにも声をかけていたし、ずっとは無理だけど登壇くらいなら協力できるなんて有名な方も。でもなんだかんだだんだん風向きが怪しくなってきて、大学で助成金申請をしたが得られなかったところですっぱり諦めた。

その後はまた卒制や文学フリマなど忙しくなり過ぎてわけわかめになったことを考えると、助成金通らなくて良かったと思った。申請が通らなかった理由は「永続的なものは対象外、でもいい試みだと思うので頑張って」みたいな感じだった。大学から締切終わっても申請書を出して出してと言われて出したのにNGで一体なんだったのかとも思った。でもそこから紆余曲折を経て「こども食堂」に繋がったのだ。

そんな訳でもしかしたら、豊洲で「こども芸術大学」というのは上手くいかないと予感していたような、学長レベルが協力すると言ってくれているのに何故?と今考えても不思議だけれど、ブログに「こんな事がありましたーこれこれこういうのをやります」と書けなかったのは、やはり第六感的なもののような気がする。その時の学長は大きく輝いてみえて、その時はまた学長の真ん前という席で近かったせいか濃いオーラを感じた。卒業式ではそれが薄くなっているように感じたのはもしかして私のせいかなあ。でも学長は大学関係者にとっては神なのだから、これからももっと輝いて頑張って欲しいと思う。

学長が私の出した手紙を読んだのか本当に読んでないのかはもうわからないままだけれど、今更そんな事はもうどうでもいいと思う。でも卒業式の時はまだこだわっていて、「偉そう先生」にこの件も是非聞かなければなんて思っていた。もちろん問い合わせも何度かしたが、事務局の時点で受け取っていないという、もし内容証明としての記録などあれば郵便局に問い合わせてくださいという回答。そこで思い出したけれど、こうなる予感がして郵便局で出した証拠が残る方法で出して下さいとお願いし、窓口でその分余分に料金を出した覚えがある。

でもそれがなんだったのかいつだったのか、書簡には日時を記したのでそのすぐ後ではあると思うが、わざわざ郵便局までいって延々と順番を待ち手続きをとり、それがわかったところでどうなるのかとも思ったし、その頃は同様の問い合わせを事務局宛にしていたこともあり確認しなかった。控えも探したけれど出てこなかった。だいたいもう部屋の中は、武蔵美、京都造形の教科書関連冊子シラバス本や雑誌様々な資料や書類でごった返しており、何か探すのも一苦労。授業で配布された資料も全部あるので多分その中のどこかからそのうち出てくると思う。でもその時見つかってももう何も役に立たないだろう。「ここにあったのか」と思ってそれが挟んであった資料を眺め、この授業ではこんな事があった先生はこんな風に話していたなどと懐かしく思い出すだけだろうから。

卒業式は粛々と進んだ。学長挨拶から副学長、来賓の挨拶の後は太鼓の演奏と校歌斉唱。でも通信生でこの歌を知って居る人は多分だれもおらず、皆さん苦心して歌っている振りをしていた。私は大人気ない人なので歌うもんかとずっと腕組みをして周りを眺めていた。今度から先生達だけが歌って私たちに校歌をプレゼントするか、いっそなくてもいいと思う。そういうもんじゃないと言われるかもしれないけれど、どう考えても茶番だ。

そんなこんなで通路側、遅れてきたので目立ったのか私とわかったのか、というかSNSに写真があるから理事長も私とすぐわかったのだろう。理事長は思ったより若くなかった。私と同じで顔がつるっとしているからなめられると書いたけれど、普通に「理事長」という感じだった。なんだかお疲れのように感じた。

各コースごとに順番に退場をお願いしますということで、前の方からだったかランダムだったか順番にアナウンスがあり会場を後にした。コース毎に区切られているが、多分席は卒業生全員分あるのだろう、私の前は芸術学コースか歴史遺産だったか半分以上の席が空いていた、もちろん文芸コースはじめどこもそうだった。そういえば懇親会や卒業制作発表会は出欠のアンケートがあったが、卒業式はなかった。というこは、卒業式は全員出席するという前提で準備がなされるもののよう。分科会での卒業証書授与でもいる人もいない人も全員の名前が呼ばれた。

出席する人としない人の違いはなんだろう。私みたいな怖いもの見たさというレアケースはともかく、やっぱり「行きたくない」という人もいるだろうなと思った。文芸コースはボスママとその周りはともかく、ひとりで参加する学生も多く、今思えば全員に無視されるというようなことはなかった。あの辺り以外の方とは普通に話して一緒に帰ったり。嫌な人が数人なら無視すればいいだけだが、これこそが私がずっと言い続けている「ぎゅっと固まってそこにいるたったひとりを居心地悪くさせる」というもの、「そうさせたい」という人がひとりでもいるとターゲットは周りが全員敵のように感じてあっという間に居心地が悪くなる。

で、そういうのを一度でもした人というのはまたどこかでやるだろう。だんだん上手くなってなにかあっても「そんなつもりなかった」と言えるように周到するだろうし何かあればさっと大きな樹の後ろに隠れる。今思えば大江和希もかつてはどこかで被害者の経験があるかもしれない、だから私を袋のねずみのように追い込み袋叩き的にいじめたんだろう自分の微々たる「教える側」というポジションを利用して、本当にハラスメントの塊、人はイジメられなければその存在は知らないはずで、私の話も「ドラマか小説みたい」という人は絵空事と思うのかなあとか、そんな事を何度も何度もされると人はどこか誰かに同じことをしようと思うだろうだろうとまた思った。いい事を分かち合いましょうという「ペイフォワード」と一緒でイジメの連鎖もこうやって始まるのでは。そう考えるとイジメの元祖は京都にあるのかもしれない。京都の水で洗うと人は全員イケズになるという私の考えは全く違うともいえないのかも。

京都の大学、企業、組織、コミュニティ、それらに属してイケズの洗礼を受け、そういう人達が全国に散らばり日本にイジメ文化が根付いてしまったと。もっと昔、京都から東京に遷都したころにもその文化は一緒に移ってしまったと。そうじゃないと反論があるもしれないけれど、どうもそういうイメージが京都についてしまい、帰ってきたばかりはまた行きたいと思ったけれど今はやっぱりもう行きたくないような。独身時代楽しかったのは何もしらない無垢な気持ちで訪れたから楽しかったのだろう。 

だいたい長居する人に「ぶぶ漬けいかが」なんて文化、京都の外では笑い話しだろうけど、やられた人は嫌だろうし忘れられないと思う。まあ、そろそろ帰ってというの私も娘が赤ちゃん時代ママ友たちに言えなくてその後様々にトラブルにはなったが、距離詰められ過ぎて嫌になったりした事もあり、もう仲違いするくらいで良かったなんて思うこともあったので便利な文化といえばそうなのかなあ。そう思うとあのボスママや不愉快な仲間たちが京都近辺出身大学は京都という事を考えると改めてなんだか何もかもが腑に落ちる。多分物心ついた頃からそういう風に生きてきたのではないだろうか。で、私のような「みんなで仲良く」みたいな空気を醸し出す人かウザいと感じたと、西に誰かが仲良外れになったといえば行って怖がらなくてもいいと言い、東にもう引っ越したいという誰かがいればお金もったいないと諭し、ボスママたちに楯突いたまま豊洲に住み続ける。もしかして私ってネ申?なんて。

ちょっと残念なような、それでも何も知らないよりはわかって良かった。何より子ども達に伝えられる。京都は東京で育った人は水が合わないよって。名古屋人が名古屋を出たがらないように、京都人は京都で固まっていて欲しい。こう考えると京都のカラーに染まらない東京の先生達は貴重だった。N先生はどうだろう、長年この大学にいて色々思うところはあっただろう、でもあの先生はいつも真っ直ぐで陰でなんかするとか意地悪な事はなかった。ただおおえかに強く出られなくなってからは色々あったしそれを止めようと私が弄りだしてからは特になんやかやあった。そもそもおおえかN先生をナメていたし操られている先生が本当にお気の毒でしかも私のせいというのがみていられなかった。そういう意図がわかってもらえなかったのはやっぱり直接話が出来なかったというのが問題の一番の原因だったように思う。

3月29日の日経新聞の夕刊『あすへの話題』で東京大学教授、西成活裕さんが「誤解とはなにか」というものを書いていらして、「誤解はコミュニケーションにおける渋滞」だそうで、「込み入った内容を伝える場合ではなるべく直接会った方がよい」それから、「誤解によって人々の考えに自然に多様性が生まれる」とも書いてあり、なるほど頭のいい人はこうして理路整然と物事を考えられるのだと思った。私も常々これはそうだと考えていて、なので何か打ち合わせとか詳細を伝えたり話したりしなくてはならない時は、絶対メールでは済まさない。特にSNSは便利ではあるが、文字数少ない方がシンプルでクールという風潮の中で、言葉を省略する必要が出てくる。そうなるとあっというまに双方違うものを所有することになる。もちろん会わずに済ませた方がいい場合もあるので全部否定するわけではないが、ルーティン以外は、電話、時間が許せば直接お会いして話すようにしている。そうでないとやっぱり「伝わらない」

そういう訳でN先生とは「穏やかな面談」がとうとう叶わず、直接話したのが暮の懇親会が最後ということになってしまった。もう面談どころかお目にかかる機会は二度とないだろう。何故なら先生は大学を辞めてしまった。原因はもちろん私だろう。事務局や委員会の対応がまずかったと責任転嫁はしない。私が先生を追い詰め、大学の対応のまずさも利用したところがある。かなり下手打っていたし、私がそう仕向けたところもある。それでも思うように事が進まないので学長に手紙を出し、理事長にはメールをした。

先生が退職したのはご自身の希望もあったと思うが大学も引き留める術がなかったのだろう。自分の希望通りになったとはいえ、思うところも勿論ある。こうして書いていても後悔が募るし、それでも色々自身の苦悩を思い返すとこれで良かったとも思う。今は全然気持ちが定まらないのでこのままコロコロ変わる気持ちも書いてみたい。

結局何も弁明せず私の前から消えた先生、絶対色々と誤解したままだと思う。でも何もかもわかった上での答えなのだろうとも思う。多分先生はもう私を恨んでも恨み切れない、顔も見たくないほど大嫌いだと思う。私もそう、でも今となって思うのは、先生が私を嫌いでも私は先生が好きなのかもしれない。でも反面やはり許せない気持ちもいまだある。どうなの?どっちなの?

人間には様々な要素がある、例えば私はこういうあまり世間には受け入れられないタイプのブログを書いているが、社会問題にアプローチして世の中をよりよくしたいという心根もある。子どもを叱って邪見にしたりするが、誰よりも幸せを願っている。こうした鏡に映したような別の顔は誰もが持っていると思う。そのどちらをみるかは人の勝手だし、それが全てその人の評価にはならない。

N先生も斬ると決めてからは先生の落ち度を追及し続けたが、それすら別の視点で見れば美点でもある。私を叱り過ぎたのだって先生が素直で暖かな人間味に溢れている証拠で激情は一途さの表れ、それをどちら側に視点をあててどう表現するかで全く違う印象になってしまう。特に私はそれらを学ぶために大学に入ったし、文芸コースで言葉について学び文も章も組み立てられるようになった。特にN先生からの並々ならぬ教えにより様々なものを吸収できたが、その成果がN先生を苦しめた皮肉。私の卒業制作はもしかしてこの愛憎物語シリーズかもしれないと思う。書くことで人々を動かし自分の思い通りの結末になった。でも正直ちっとも嬉しくない、でもこうならないことには私は納得できなかっただろう。

先生が大学をやめるというのは、分科会で知った。分科会というのは、卒業式の後各コースに分かれて何処かの教室に集まり、先生たちの話をきいて卒業証書をコース責任者の先生から各人に渡される会、という感じのもの。しかし文芸コースの責任者の先生はおらず、司会の寒竹先生から「N先生はどうしても来られなくて」と説明があり違和感を覚えた。そんな安易な説明あるの?って。普通何々でとか理由があるのでは?と。

その後クルーソー先生から卒業おめでとうございますなどとお話しがあり、「N先生からみなさんにお祝いの言葉を受け取っています」と手紙を読みだした。「卒業おめでとうございます、そこには行けませんが強い思いでお祝いを言います、それから学問の根は苦いが実は甘い、何も収穫するものがないと思っている人がいるかもしれないけれどそれは違う」とかなんとか。そういう話が続いた最後に、「僕は今年度をもってこの大学を後にします」とあった。えっ、ちょっと待って、今のところもう一度!と思ったが話はそのまま終わった。それについて詳しい説明もないし、周りから動揺した空気も感じられなく、それがますます違和感を強めた。 ええー!とか、先生なぜですか?とかあっても良さそうなのに。私はもちろん驚いたが何か聞ける立場にないと判断し黙っていた。

その後はクルーソー先生、他の来賓の先生達からのお話があり、各自に卒業証書が授与され分科会は終わった。私は「何もかもが終わった」と感じた。

その後、集合写真を撮る雰囲気も指示もなく、各自バラバラで写真をとっていた。私は数人の方と卒業証書授与のシーンをとりあっこしたのと、寒竹先生クルーソー先生とそれぞれツーショットを撮っただけ。

ボスママが相変わらず私以外の人達とワイワイと集合写真を撮っていて、彼女はカメラを始めたので本格的なもので撮っている。そこに自分が入り込める訳もなく、「もうこの辺全員敵でいいわ」と思った。最後の最後までこんな有様、というかこれも多分自分の思い通りなのかもしれないと感じる。 

卒業証書授与、クルーソー先生かっこよかった。

最初はたったひとりの嫌がらせだった。そのせいで自分が大切に思っていた人とも対立することになり、ますます許せないと敵対しだしたところから周りが巻き込まれた。原因を作ったおおもとの敵はどこかに隠れて出て来なくなり、何かする時は力のありそうな人を盾にしたので私はその人達とも敵対するこになった。次々と戦っているうちにラスボスが登場しそしてゲームオーバーというかこの場合クリアということになるのか。 豊洲も同じだったから大学では対応できたのかも。なんでも経験しておくものだと思う。

そんな大学や先生たちと敵対している私が学友達と和気藹々と卒業式を迎えるというのは絶対無理だしもし出来るとしたら悪魔、私は心を持った人間なので大学のコミュニティをひとりで抜けなければならなかったのだと思う。様々に集い語らった友愛の学び場、もしも私がこんな風に敵対せずおおえかの事もじっと我慢して何も訴えず、学友達との酒のさかなのままにしておけば違う世界があっただろう。でも何度も言うけれどN先生を利用したことは絶対許せないと思った。そのうちN先生とも敵対することになり先生にも嫌われてしまった。安易な言葉で片付けたくはないが、これも運命だろう。運命には逆らえないという言葉があるが、その通りだとまた思った。

そうして私は大学を後にした。分科会で、懇親会の後はみんなでお茶しにいったと聞いて、今日ももしかしたらそういうのがあるのかもしれないが、当然参加する気はなかった。もしあったとしたら、N先生がいなくなる話と私の話でもちきりだっただろう。「あいつ、やり過ぎなんだよ、ふざけんな」とボスママがいきり立ち、周りもそうだそうだと賛同する。私はそうあって欲しいと思った。みんなで私を非難してよ、あの人のせいでN先生いなくなるなんて冗談じゃないって、もうあの人の顔もみたくないって怒ってよと。でないとN先生浮かばれないし、今後もまだ大学となんらかの形で正しく関わり続けるだろうあの人達、私を吊し上げるための儀式をする必要がある。なので私は行かなかったし行けなかった。

さて、ぼっちはぼっちらしくひとりで帰ろうと思うと、学友のひとりが自分も急ぐのでこのまま帰るという。なんとなく一緒に歩くといつもは誰とも話をしたことがないのに、今日だけはなんやかや話しかけてくれるFくんもいて、三人で大学の校舎を出る。急いで帰る学友とは卒業制作の話をもっともっとしたかったので焦って卒業制作の感想などを話しあった。メールか電話番号を交換しようかとも思ったけれど、ここではこのまま別れた方がいいような気がしたので何もしなかった。論文研究Ⅰ、Ⅱでたくさん話し、様々な共感があった。多分こんな風な話が出来たのは彼女だけだろう、彼女もそう思ってくれているに違いない。くっついてべたべたするよりいい思い出のまま、時々折に触れてそれぞれ感じる想いなど取り出して眺めればいいなんて思った。色々ありがとう、あなたと学べて楽しかった。そんな事を言ったら笑顔になり、私もありがとうと言ってくれてそのまま別れた。N先生の話を振ると、衝撃がまだ消えないと言っていて、彼女は私と同じく今日初めて知ったのだとわかった。

でも今これを書いていて、他はどうだろうと。ちょっと思い当たることがある。ボスママとモアイ、それからこの二人と仲のいいぶっちゃけキャラの人、ちょっと尋常ではないわというほど私を完スルーしていた。あるとは予想したが半端ない態度に少々戸惑った。多分N先生がやめること知っていたんだと思う。そしておおえかも。

私が大学とも敵対しだしてからはちょっと分かつ空気はあったし、何よりおおえかとN先生が主担任副担任なので、その二人を非難し続けた私とは相いれないということもわかっていた。あやふやなものが嫌いな私はこれらの学友が向こうにつきやすいようにスッパリ断絶したところもある。この二人はいつも私を励ましてくれて、親切で楽しい学友代表のような人達だった。そういう人達と縁が無くなるということは、勿論とても辛くて悲しいことでもある。でもこうしないと躊躇が生まれて何もかもが上手くいかないと思ってそうした。桐野夏生さんも「躊躇が一番よくない」と言ってみえて、この場合に当て嵌めるのは相応しくないとも思うし桐野さん困ると思うけれどやる時はやる、あちらこちらに気を使っていたら討てないと思っていた。なので学友達とも仲違いしたのも私の希望通りかもしれない。というか、そうだ。私の書いた「ストーリーとシナリオ」はその通りになったということだろう。 何もかもが私の思い描いた通りになった。

最後にFくんとバス停に行く。私はここからホテルに戻って最後の目的地「祇園から清水寺」散策にでかけるつもりだった。Fくんは京都駅に行き、そこからまた別の駅からフェリーに乗るという。私はびっくりした。「だったらこのバス停じゃなくてあっちだよ。このバスだとすごく大回りになるし、間に合わないよ」と、早く早くとせかした。でもこのバスで行こうか向こうで行こうか迷っている風で、もしかしていつも私が所在無さげにひとりでいるので、寄り添ってくれているのかなあとか、発表会で隣に来てくれて前の私だったらわからなかったそういう優しみ、ひとりでいたからわかったのだと思った。

もしあの賑やかしい人達とずっと一緒にいたら、それはそれで楽しかったと思うけれど、ひとりで来ていた人達とも話をしなかったと思うし、何もわからないままだったと思う。やっぱりひとりでいるって時には大切。Fくんに「ね、大学で友達できた?」と聞いたらえーみたいな顔をしたので、「私、ひとりも友達できなかった!」というとにこっと笑った。受けたかなあと私もあははははと笑った。なんかスッキリした。笑うって大事!最近辻先生はSNSで、塞いだ感じのTweet が多い。もしかして「笑い」が足りないのではなんて思った。私が自由の身なら掻き回しにいってあげるのに。変な顔したり後ろからおどかしたり。ってまた違う話しになっちゃう!妄想は小説だけにしよう。

でもずっとぼっちでいいなんて、そんなことは思っていないし、私はこの二日間、ひとりでいたのはひとりで行動している時だけだった。大学や懇親会では誰かしか周りにいたし、話し話され共同体の中にちゃんといた。でも「ひとり」をひしひしと感じてしまったのは、自分を排除したいという空気だけを見つめてしまったからだろう。そういうものを感じない無視する強さは私にはまだないんだと思う。もっともっと強くなりたいなあ、また桐野さんが言った「強靭になってください」という言葉が思い出された。

それにどうしたらなれるのか近づけるのか全然わからない。でも多分だけどもっと自分に素直になることではないかと思う。人に対しても出来事にしても、もっとおおらかな気持ちでいられるようになれば、たいがいのことは静かに過ぎて行くだろう。私は気が強いわりに小さいし、細かいところが気になるし思いこみも激しいし拘りが強い。多分すごく付き合いにくい人、そういう顔を隠しているつもりはないけれど、あちらこちらでパーンという対応をされる。甘い顔をしているので甘くみられるのだ。前はそれが嫌で仕方なかったけれど、今はそうでもない。そういう風に見られるのも私の利点のような気がする。もうこれでいいかあ。

Fくんはせかしたせいか、ちゃんと京都駅行のバスに乗ってくれた。迷っていたのはきっと別れを惜しんでくれたのだろう。ちょっと苦手だったのに、卒業発表会からガラッと印象が変わった。外苑キャンパスで会うので東京の人だと思っていたけれど違った。大変だっただろうなあ、よく卒業できたと感心してしまった。彼も卒業が寂しいだろうな、でなければ遠路はるばる卒業式には来ないだろう。

京都造形芸術大学通信は、本年度は歴代最多の卒業生だったそうで、喜ばしいことだと学長がスピーチしていた。今年の卒業生の人数はメモしていないけれど、学士(卒業生)の総計は6,297名だと言っていた。これも卒業式の動画がアップされているので調べようと思えば調べられるけれど、もう今はそんな気持ちなくなっている。

話を戻してN先生はいつ大学を後にする決心をしたのか。1月末の最終面談で卒業式に行くつもりがないと話していると聞いた。でもその時点では「卒業式に行かない」だけでやめるつもりはなかったのではないか、それを外苑事務局の私に対する温度で推測するなら、フライングカフェ以降、3月の藝術学舎までの間だと思う。フライングカフェでは普通だったが、藝術学舎の時は包み隠す事のできない怒りを感じた。それはN先生のことがあったのではないだろうか。

N先生は誰にも好かれて人気がある、時々熱狂的に好きすぎる人がいて軽く引いたりしていたくらい。なのであの外苑事務局のあの人は、私に怒りをあらわにしたんだろう。色々あったがそんな事は今までなかった。フライングカフェ以前、私は人間関係委員の先生達と様々に話した。N先生はそれらの方々からのいちいちの問い合わせに疲弊し、それからカフェのメンバーから外されたり直球の詰問など積み重なり「もういい」と思われたのではないだろうか。もしそれ以前に決まっていたならカフェ前の面談は実現しなかっただろう。

もちろんこれも私の勝手な想像で、そうかもしれないし違うかもしれない。でも当たらずも遠からずなのではないだろうか。だって来年度の文芸コースシラバスにN先生の名前まだあるから。急に決まったんだなと、決めてしまわれたんだなと思った。おおえかはどうだろう、正式な発表がないのでわからないが、ボスママモアイの態度からしておおえかも出されただろう。でなければN先生「だけ」いなくなるというわたし的に最低最悪の結末ということになるが、それはないだろう。

ボスママとモアイは京都に来る前に知っていたんだと思う。で、親しい周りの人達に周知し、知っているひとは私を完全無視し、知らなかった学友達は普段通り。知ったのは3月11日だと思う。この日おおえかが脚本を書いた演劇が上演された。


上記の感想はかなり以前の作品だけれど、「ちぐはぐ」という感想がつくのは当然かと思った。で、ボスママモアイは自分達の主担任の先生の作品、見に行かない訳がない。私は観にいくつもりだったが、気が付いたら日にちが過ぎていた。彼らはここで会い、話し、大学を去ることをきいた。もちろん連絡先を交換しただろう。大学の先生と生徒が、特に通信生は個人的な付き合いは憚られる、だがもうそこに属さないというのなら何も問題がない。そこで二人はますます私をはっきり拒絶するしかなかった。ここまできたらどちらにもいい顔をして付き合うなんて出来ないだろう。何より私がそれを拒否した。

人の心はなんと単純で愚かで深いんだろう。N先生のことを考えるとこんな呑気な事を言っている場合ではないが、つくづく思ってしまった。もしかしたらこの学友達のことは、もともと好きではなかったのかもしれない。今にして思うのかもしれないが、それよりはいつもひとりでいた朋輩Wさん、論文研究で先生にきっちり意見したOさん、こういう「いつもひとりで行動していた人」にシンパシーを感じていたと思う。この二人は美しかったし自分のスタイルと信念をきっちり持っていた。その他、通信教育のスクーリングでは「ひとり」の人が大勢いて、全然寂しくなかった。孤独を感じてしまうのは、ぎゅっと固まる群れに目がいくからだろう。そうはいっても共同体は必要で、そこに静かに揉め事なく平和に存在しなければ人として幸せにはなれないとも思う。

人が生きていくために必要なものは現代社会としてはまずお金、でもそれだけでは豊かな幸せにはならないというのは全ての人が知るところで、人間が人間らしく生きるために必要なものは、共に生きる人。共同体の中でやっと人は人らしく生きることができるのだと思う。こうしたささやかだけれど大切な、「人はひとりでは生きていけない」ということを、この大学で縁を受けたことでよく理解できた。人や組織との縁、繋がり、そうしたものを断ち切ることなく続けていくこは、新しく繋がるより難しいことでもある。ただし、自分が違うと思ったら飛び出してもいい。私はこの大学にずっと違和感があった。もう嫌だ、出たいと強く思った。何もかも望み通りの結末、嬉しいかと聞かれればそうではないし、後悔しているかというと全く違う。もっともっと先になって、違う感情が出てくるかもしれない。

ホテルに戻って地下のアーケード街でお土産を買った。駅ナカやその周辺は多分どこも混んでいるだろう、ホテルの中のお土産屋は過不足なく欲しいものがあった。普段不義理している方やあの方この方子ども達にと色々買い込む。買った後はコンジェルジュに与謝野晶子ごっこの相談。少々困惑されていたが、多分景観的にこのあたりではということで、清水坂をあがる途中なのではということでタクシーで移動。

途中、五条大橋を通ったので「牛若丸と弁慶が出会った橋なんでしょう」と言うと、ここではないもう少し先の小さな橋がそうだという。そうなの?ずっと五条大橋がそうだと思っていた。だって歌にもあるじゃないですか、京の五条の橋の上って。でも確かに五条大橋とはいってない。その橋の近くに停車してもらって、せっかくなのでと渡って戻ってきた。車が一方通行しかできない割と小さな橋、灯りも少なく人も歩いていなくて寂しい感じ。
でもタクシーの人がいうならここで間違いないだろう。弁慶もここで義経に出会ったばかりに、数奇な運命をたどることになった。それでも弁慶は幸せだったに違いない、それまで多分ずっとひとりでいて刀狩などしていたのだから。

たったひとりの人と出会うことで、運命が変わってしまうことがある。私とN先生はどうだろう、良かったのか悪かったのか、今は悪くてもいつか良かったと思うかもしれない。今は私もどっちなのかわからない。偶然は必然なのか、何故こんな事になったのか。渦中は苦しくて辛くてN先生だけじゃなく大学側の人達は全員敵だと思い恨んで憎んで嫌いまくった。でも、もう私も含め誰もいなくなる。

あっけないくらいの衝撃の結末。

クルーソー先生があの手紙を読み上げた時、私は京都の街の摩訶不思議さが怖くなった。安井金毘羅宮で「悪縁を断ち切りたい」と願掛けをした。N先生がどうこうなんて思ってもいなかった。でもこうして考えると、N先生は私にとって心を掴んで離さない悪い人だったのかもしれない。様々に揺すぶられ傷つけられ、こんな風なので色々が疎かになり上手くまわらなかった。逆にだからこそ頑張れたものもある。でもいなくなったというだけで私の気持ちは穏やかになった。安井金毘羅宮に行った話をしたら、お参りした途端自分が悩みから吹っ飛んだという方がいて、ぞーっとしてしまった。安井金毘羅宮恐るべし。 

それから、平安神宮で二回おみくじを引いたと書いたが、最初にひいたのは「末吉」だった。そこに「待ち人来たらず、便りあり」と書いてあり、何も心当りがないのになぜか気持ちが沈んでしまった。なんだろうと思っておみくじを引きなおしたら大吉で気分盛り返せたが、それでもなんだろうなんだろうと引き摺ってしまった。これは多分N先生のことだったのだろう。私は心のどこかで先生を待っていたのかもしれない。いきなり分科会に現れ、「おめでとう」と卒業証書を手渡され、その後「色々と大変な思いをさせてしまい申し訳ありませんでした。卒業してもまた大学に遊びに来てください」なんて。そして「便りあり」便りも確かにあった。

なんだかこじつけの言葉遊びにとられるかもしれないけれど、これら京都に存在し続ける何ものかたちの仕業のように感じた。どこにいってもそういう気配は感じられ、私は励まされ叱咤されながら京都を巡った。私が全く否定しないむしろ敬意を払う人間ということで色々なお目溢しがあったように思う。

それに私、本当に京都来る気も卒業式に出席するつもりも全然なかった。でも日にちが迫ってくるにつれ「ナニカアル」って感じだし、行かないといけないような気持ちになった。一体なんだったのだろう、何が教えてくれたのか。結果、様々な必然偶然が重なり思い出深い旅になってしまった。 

五条の橋から祇園を抜けて、有名どころをあちらこちら教えてもらいながら清水坂の下に到着。タクシーを降りて坂を上がっていく。時間が遅いせいか、道の両端の店は全部閉まっていた。それでも清水寺までいってみようと頑張ってみたが、18時で参拝はクローズ、ロープが張ってあり清水寺には行けなかった。


近くのポスターをみると来週からライトアップされるそう、一週間早かったかー。来週あたりはちょうど桜が見頃で綺麗だろうなと思った。

桜の季節にも京都には来たことがある。渡月橋周辺の桜が薄紅のもやのように満開で、そこから雪のように花びらが川面に降り注いでいた。これを一緒にみた親友は亡くなってしまった。京都は彼女を思い出すから、余計に京都に来たくなかった。彼女が生きていたら今の私をみてなんて言うだろう。「卒業すごいね」って喜んでくれて、「バカねえ」って呆れるか笑うと思う。どちらでもいいから生きていて欲しかった。サクラサク、サクラチル、私は散る桜は嫌い「綺麗ね」って言った友達の笑顔を思い出すから。私はサヨウナラも大嫌い、だから来たくなかった、京都なんか、卒業式なんかに。

この後清水坂の下まで戻るとバスがちょうど来て、京都駅からすぐ東京に戻った。

京都から戻る新幹線でスマホをいじっていると、大学からメールがぽーんと入った。全く知らない先生の名前、内容は、今回のことは委員会としての指導で、大学の処罰や処分とは異なりますとあった。最後の最後まで何が言いたいのかわからなかったし、私の知りたい答えは得られなかった。しかもこんな内容のメール送ってきたりして、大丈夫なのかと逆に心配になる。こういう些細な大学側の失態を細々と指摘、追求し、でも確証がないというので状況証拠を積み上げた。

なんていうか、たかが専業主婦の通信生だと侮られているのも逆手にとったというか。私が手を替え品を替え様々に大学を揺さぶり下手打つように仕向けたというより、やっぱり大学の先生というのはトラブルシュートが下手すぎると感じた。こうした分野、外部の人入れた方がいいんじゃないでしょうか。そういう訳で今回のメールも言葉尻をつかまえて更に追求できそう、でもさすがにこれ以上問い合わせする気もなく返信もしない。 大学の人間関係委員会は人間関係を拗らせややこやしくさせる天才の集団だと感じた。  結局あれから「偉そう先生」には大学で会えなかった。 

東京駅に着いて山の手線に乗り換え、まだ有楽町線が動いていたし、豊洲駅から徒歩で自宅に帰れた。清水寺拝観できなくて良かったかも。11時近いのに子ども達が起きていて、私が帰ってくるのを待ちわびていたのだろう。お土産は明日と言い聞かせてなんとか寝かせる。夫は自分が夜ふかし好きなせいか、子どもたちを夜寝かせつけない。現実に戻ってきてしまった。やれやれ。

こういう不自由さも幸せだと思うけれど、やっぱり気楽さの方を優先してしまう。もう一泊してこれば良かったと思ったし、一泊だけだから濃密な思い出になったとも感じた。

これ、綺麗で美味しかった。

京都造形芸術大学に入学して良かった、何より卒業出来た。武蔵美は通信といえども私は卒業できなかっただろう。やっぱり色々と「卒業させる体制」が京都造形にはあったし、その恩恵は十分に享受した。特例を発動してもらったのにそれを逆手にとって大学を追及したりして、本当に私は恩知らず恥知らず、育ちの悪い田舎娘。というかもうおばさんだけど。気持ちはまだまだ瑞々しいままよ!卒業式で学長が、青春とは年齢ではない思い続ける気持ちだと言っていた。本当にそうねと思った。でもこんな風なので、伝統と仕来りを重んじる京都の大学で浮いたのも致し方ないか。 

金子先生、上村先生、上原先生、ご対応ありがとうございました。     

関係者の皆さま、様々に叱咤激励を頂き感謝いたします。

それからN先生、私は先生のこと今は恨んでいないし憎んでもいません。もうお目にかかることはないと思いますがいつまでもお元気で、そのままの先生でいてください。お世話になりましてありがとうございました。    

という訳で「卒業研究発表会」後は割と憤慨した気持でぷりぷりしながら「京都ホテルオークラ」に到着、このホテルを選んだのは特に理由はない。ホテル一覧を眺めていて、「オークラ、いいじゃない」と思っただけ。


はあっ?プールもあるの?泳いでこれば良かった

よくセレブの定宿として帝国ホテルがあげられるし、ランチお茶などするのもここに行く事もある。なぜならアクセスが非常にいいんですね、日比谷から歩いてちょっとだし、行き帰りに銀座を冷やかせるし、なんとなく一般庶民にもオープンな雰囲気もあり訪れやすい。アーケード街を覗いたり、ガルガンチュアのクルミパンを買ったりとマイペースな感じ。 他に東京のホテル御三家的なニューオータニなんかも結構ランチで行ったことがあり、こちらも専業主婦が楽しめるイメージ。でもどこか好きなホテルをというと、やはりオークラにはどこも適わないと思っている。理由は「なんか本当のお金持ちが集まりそう」という勝手な考えだけで、以前ブログにも書いたけれど独身時代元彼にベルエポックに連れて行ってもらい、そこのホスピタリティに感激してしまった。どこにもないサービスというか、こんな親切にしかもさり気なく、本物のセレブが利用するところなんだと勝手に位置づけた。あの時は今の夫の方が性格良さそうだからと思ったけど、私大好き温度は元カレの方が高かったと思う。本物のセレブになれたかもしれないのに私ったら。でもやっぱり今の自由さを思うと夫に感謝ばかりで、ふらっと帰りはいつかわからないなんて卒業式にきたりして、前の彼だったら探偵つけられてるなと思うとお金に不自由する今の夫で良かったと思う。それはさておきセレブ御用達ならパレスホテルもそんなイメージかな、でもあちらはリニューアルしてから敷居も値段もすごく高くなった。 行きにくさはアマンと同じくらいでああいう煌びやか過ぎる雰囲気のホテルはあまり好きじゃないというのはなかなか縁がない僻みかもしれない。   
   
ということで京都なんて大学卒業式なんて嫌だ行きたくないといいつつオークラなら泊まってみたい、しかも福利厚生サービスから予約とったせいかそんなに高くなかった。じゃあ二泊予約して、嫌なら一泊、土壇場でどうしても行きたくないと思えばキャンセルしようと考えて予約した。そうしたら一泊しか予約がされていなかった。予約する時「二泊もなんて冗談じゃない」とでもちらと考えたのかなあ。その時々で気持ちがくるくる変わるので、どうだったのかわからない。でも一泊でもいいじゃないその方がきっと身のためよ。もし行ってみてもう一泊したいそして部屋が空いていたら連泊してきましょう。なんて京都に来たのだった。

大学前からバスに乗り「三条」で降りて少し歩く。四条に比べるとさっぱりしているけれど、京都の繁華街っぽく赤い提灯などもあらほましい。あちらこちら神社仏閣巡って京都を堪能したが、やはりこうした街の営みに触れると気持ちが華やぐ。googleマップでホテルの場所を確認しながら歩く、割と近いよう。やや細い道に曲がってそのまま真っ直ぐ、道の途中に「豆水楼」の看板があった。あーここなんだ、ここ木屋町だし間違いない、来る時迷わなくていいと思ってそのまま歩いていたら目の前がホテルだった。

こんなに近いの?多分近いとは思っていたけれど徒歩3分くらい。たまたま選んだホテルがこんなにアクセスいいなんて、しかもやっぱり外観も素敵だわと、卒業研究発表会であの二人に無視された嫌な気持ちがさああっと消えた。 みんな身に覚えがあることだと思うけど、こういう人が自分のコミュニティにひとりでもいると本当に嫌じゃない?しかも今回いつもいつもべったりくっついている二人が一斉にこんな態度したらもう居心地悪いなんてもんじゃない。でもこっちももうお断りだわと感じていて、なぜならおおえかのお気に入りだから余計に仕方ないわとも思った。これも先生のせいで学友と仲違いという事例かも。まあ先生と仲違いする私も私だけれど、先生にはぶつかっていけばいいという香山リカ先生の言葉とは裏腹に、ぶつかったら大惨事になってしまったのはやり方が悪かったのか。授業に関係ないイケズに対してなので、問題提起の意味が違ってしまったのだろう。   
   
ホテルに到着。荷物はホテルのコンジェルジュサービスに京都駅で預けていたので、そのまま一緒に部屋まで案内がてら運んでもらう。新幹線で到着して、ホテルに荷物を運ばずにそのまま観光が出来る。これも予約した後どんなショップやレストランがあるか調べていて発見した。これ本当に助かったし観光都市京都のホテルならではのサービスだと思う。なんやかやホテルなんて全部同じと思うが、こうした一見些細にみえるようなことでやっぱり居心地や使い勝手は全然違う、特にひとりで滞在というとなるとちょっとした話し相手とか、土地勘がないところだと色々親切に教えてくれる人がいると心強い。卒業式の記事の時にも書くけれど、「祇園をよぎる桜月夜」と与謝野晶子ごっこをする道はどこがいいかなんて相談にもああでもないこうでもないと色々考えてくれて、結局これは違うかもという結果になったがとても満足。このホテルを選んで本当に良かったと思った。   
   
    
大学がパルテノン宮殿ならこちらはパンテオン神殿よ!あちらではでもこちらに来れば私は自由の女神。



ホテルの内廊下。このモザイクみてびっくりしたんだけど、最後に京都来た時にも泊まったホテルだった。外観やフロンとでは全然気が付かなかったけれど、このガラスの作品をみてあっと思った。私が上京するすぐ前だから2000年前後、はあーすごい偶然。でも前はオークラじゃなかった筈、確か「京都ホテル」という名前だった。高層ホテルを建築するということで、オープン当時は街の景観がどうのこうのと割と京都市民からは否定的だった聞いた。フロントの人にいつの間にオークラに変わったのかと聞いたら、変わっていませんここは「京都ホテルオークラ」ですからという回答。事情はよくわからないけれど、そうかーと思った。ともかくなんか「帰ってきた」ように感じてほっとした。



ロビーの階段でシタールの演奏が。幻想的な趣があり、しばし佇む。


京都の街は全然桜咲いてなくてガッカリだったけれど、ロビーにはこんなに桜がたくさん!気分が盛り上がる。 

いざ出陣!行きたくないところへ行かないといけない時はしっかり女装する、なので髪をくるっと巻いてお化粧もばっちり。これは実家の父が言っていた言葉で、「女は辛い時ほど綺麗にしてないとダメなんだ」と。多分失恋かなんかして泣いていた時だったと思う。父はこういう女道みたいな格言色々言っていたなと思い出す。勉強しろとは余り言われなかったけれど、習い事や家の事なんかきちっと出来ないと嫁に行けないと常々言っていて、でも今家事はほとんどが好きじゃないし習い事も何も役に立っていない。やはり「やらされた」ものは身につかない見本市のような私、でも誰だってそうよ。写真はホテルの方に撮ってもらった。ワンピースは例の コスのもの。豊洲小学校PTAバザーの最後、「どれも半額」となり、最後の最後に「今からどれも10円です」ということで、こんな素敵な新品のワンピースを10円でゲット。本当にミラクル信じられないラッキー。こうしてみるとホテルで着てもおかしくないというか、私に似合うと改めて思う。袖がパフになっていてそこにフリルがたくさんついていて可愛いけど黒だからおばさんが着てもおかしくないお気に入りの一枚。

※これこれ、このワンピース。これは年末に豊洲で開催されたとあるパーティの時のお写真。もう楽しくて美味しくて描きたくて書きたくてたまらなかったけど「SNS禁止」とパンフに書いてあったから書かなかった。街の名士ばかりがゲストなんですよ。私はたまたまのラッキー♡昨年の年末だから髪が短いわ、先生は長いの短いのどちらがお好きなのかしらね?

あの俳句の顔採用の先生は自分をミロのなんとかと勘違いしているのかぶよっとした二の腕ニョッキリとか真っ赤な "ザ!衣装‼︎" みたいな服いつも着てくるけど、もう〜おばさんなんだから授業くらい自覚してちゃんとした服着てこないと恥ずかしいわよ!きちんとした服というのはまず袖があるのよ、誰も注意しないんだろうなあ。オリーブの冠が似合いそうな、コント?正気?採点するとしたら57点D(再提出)ね。

と、また余計な事を書いたけど、着物着ないと決めた今、よそ行き着が少ないからとても助かっている。 なんか受賞できたらこれで行こうと思ってるくらい。そう言えば「 卒業式は着物で」なんて考えていたこともありましたね。やっぱり洋服は楽!今後着物着ることがあるとすれば、呉服屋のCMに出るとかそんな感じかなあ、なんてね  
   

そんなに広くない道路から更に細い路地に入る。この奥が京都造形芸術大学通信教育部文芸コースの懇親会会場「豆水楼」がある。あれ、違う道だった?店の看板の提灯がみえないのはホテルに行く時明るい時間に撮ったから?まあこんな感じのとこよ。



準備中のところに着いてしまった。10人座れるテーブルが2つ、合計20名が参加した。そのうち先生は6名全員京都の先生、東京の生徒が8名、京都の生徒が5名、地方の生徒が1名。手前が東京の生徒、奥が京都のテーブルになった。せっかくなのでミックスすればいいのに、いつも同じ人と固まりたがるつまらない人達だわと思った。だってそうでしょう、こんな機会ないじゃない?モアイはいなかったけど、ボスママはぎゅっと私以外の人たちで固まり、私が話しやすい人たちをわざわざ私と並行して反対側の席に誘導し、そこを区切りに全然知らない京都の先生を座らせたのよ!でも目の前寒竹先生でその隣が日本美術論の授業で一緒だった学友でお話はずんだからいいようなものの、ちょっとやってくれるじゃないと思った。

で、京都の知らない男の先生のすぐ向こうがボスママという位置。その先生とは話すがさらにもう一席こちら側の私は誰に憚る事もなくガン無視できると。意味わかるかなあ、ま、雰囲気でわかって。本当に意地悪な人ってこういうの上手いと感心、自分達の周りの人達とはガンガン飲んでベラベラベラベラ大声で話す話す、ボスママの独壇場だった。でもこの人、耳が悪いから質問があるなら用紙に書いてとアンケート用紙を配布したりするくせに、飲みだすと治るようで不自由なさそうだった。まあなんか特別な自分をアピールしたかったのね。

そんなこと言ったら私もちょっと耳が悪いわよ!ママ友付き合い姦しい頃、ボスママを囲んで話を聞いていると何を話しているのか聞こえない時があった。円陣の中では誰かと誰かが話しているのを聞いても耳に入ってこない。子どもの話も近くに行かないと聞こえなかったりすることがある。よく聞こえるのは夫の声だけ。ものすごい大声でやや怒鳴りながら話すので聞きたくなくても聞こえるうるさい。

八寸。まずはビールで乾杯。京都のお箸は先が細ーい!すごく上品。

    
名物の湯豆腐。小さな木の風呂桶みたいなものに入っていて、そこからすくって食べる。緑はほうれん草。最初はお店の方が世話を焼いてくれて、「さあさあどうぞ」みたいな感じでひとりひとりに共される。それがなんというか、京都っぽくない大阪の親切な店員さんという雰囲気で、京都の食事処はイケズをされると先入観の出来ていた私はほっとした。

もちろん独身時代京都に来ていた頃は、そんな風に思ったことはなかった。ちゃんとした店は紹介で予約していたし、いちいち面倒と思ったけど意味があったんだと今回わかった。イケズを知らずに育った、でも大学に通うことでしっかり覚えた。自分が「京都」の組織に属してみて、そういう空気はひしひしと感じたから。知らないで来るのと知ってから訪れるのとは楽しさにおいて雲泥の差がある。タクシーの運転手さんの話をきいて良かった、余計にそう思った。

大学に入学する前、私にとって京都は癒される街だった。はんなりした空気にほっこりし、どこもかしこも美麗な楽園だった、しかし。

その話はまたの機会にするとして、豆水楼のあれこれは、京都の湯豆腐が美味しくない訳がなく何もかもがしっくりくるいいお味。

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豆水楼イメージ画像を作ってみた。夏は川にせり出した川床が設えられるそう。この後お刺身盛り、茶碗蒸し、天婦羅などの後に小さな田楽まで盛りだくさん。


生麩の田楽、これ美味しかった。


最後はご飯と赤だし、香のもの。お味噌が赤味噌なのは、織田信長所縁の本能寺が近いからか、それとも料亭だからか。前にも書いたけど、日本全国高級料亭が赤だしなのは、三英傑が尾張出身だからなのよ。私もそうだから赤だし大好き。覚えておいてねっ



デザートは湯葉?豆腐?だったかのジェラート。これ、あまり美味しくなかった。抹茶アイスかいっそシンプルなバニラの方がいいです。

料理全部は写真撮れなかったけど多分このメニュー、こんな風に盛りだくさんの内容、お酒はビール、日本酒、ワインなど焼酎もあったかな?ノンアルドリンクももちろんある飲み放題で、京都にしてはフレンドリーで親切でお得なお店、他の学部コースも使っているみたいで京都造形芸術大学の、もしかして通信御用達かなと思った。それはそうかも、多分通学生だと若いから豆腐より肉って感じ。通信は生徒の年齢層が高いのでぴったりのお店、メニューかもしれない。どれもこれも京都らしく美麗ではんなりと美味しゅうございました^ ^
 
懇親会は19時から21時だったでもなんだかんだ21時30分まで宴は続いた。私は翌日早くスタートするつもりで、何故なら京都最終日で貴船行きたいと思っていたのでお酒は控えめにしていたが、ボスママとその周りの人達はかなり飲んだみたいで顔が真っ赤な人とかいて話し声がすごく大きくなっていた。飲み放題でおばさんが飲みすぎるってちょっとダメだなと今までの自分も反省しつつ横目で眺めていた。

目の前の寒竹先生とは、授業抜きに初めてプライベートな話も色々出来て嬉しかった。「寒竹先生大好きなんでしょ笑」というムカつく学友は私が羨ましいんでしょ!うるせー馬鹿話かけてくるな。お前などに先生は当たらないよ笑。で、寒竹先生と色々お話し出来て思い出すのは、junjunパイセンに寒竹先生と結婚したらと言ったらmessenger 返事なかった話をしたら、寒竹先生ぶほっ(;o;)ってなり、なんだかおかしかった。二人ともパートナーがいるなんてその時は知らなかったのよ。年取ると若い人たちをくっつけるしか楽しみない訳で。

懇親会お開き近くなり飲み放題のラストオーダーが過ぎてから隣の先生のグラスをみると空だったので、自分の赤ワインを「手を付けていませんのでどうぞ」と言ったら先生は素直に飲んでいた。この先生は来年度からの文芸コースに新任されるそうで、優しそうな先生だけど関東しかもちょっと田舎出身みたいで、京都でやっていけるのだろうかと心配になった。 

斜め前の初めて会う京都の先生は、私ををちらちら見ていて酔っ払ったのか最後の方は遠慮なくマジマジ見だし、ニコッとしたら嬉しそうだった。寒竹先生に店に到着したばかりの時、「やっぱりやだー」なんてブツクサ言ったら、まあまあ皆んな知らないから大丈夫と言っていて、この先生は「知らない」んだろうなと思った。

人間観察楽しい(°▽°)

さて、さあお開きですという事になり先生達の挨拶、司会の先生がじゃあこれでと言ったか言わないかで酔っ払った東京の生徒のひとりが「私もひとこと」と急に立ちあがり、べらべら話し最後に「私はぁ京都造形大学卒業できたことを誇りに思いまーす!」あははははみたいになり私は白けてしまった。ちょっと意地悪な、「それはそれはよかったですネ」と大仰にというか、「そろそろぶぶ漬けいかが?」とも言いたくなった。女はイケズ京男もそう、あの人もこの人も私もあなたもみんな意地悪、京都の大学ではイケズもしっかり学んだわと感じた、その前に豊洲でも。全然知りたくなかった。はあー面白くない。

そおーだ!今思い出したけど、私をイジメ抜いたあのボスママ京都の大学出身!弁護士ママもそう、多分実家もその近辺だと思われ、そうか、イジメはDNAだったんやー!と書いていると色々わかるとまた感心する。

で、京都に来る前に文芸コース事務局宛にjunjunパイセンのことも一緒にお祝したいとかダブルN先生を並べてみたいとメールしたら、クルーソー先生が幹事だそうで「卒業生しかダメ」と返事があった。私は「そんんなつまらないくくりで間口が決まるなんて、だから京都造形大は大物が排出されない!」と返信したり他にもちょっとあり、 クルーソー先生何も悪くないのにあれこれ私に噛みつかれて気の毒したと思った。

懇親会の時は先生ひとりひとりをまわってビールをつぎながらご挨拶をした。今思うとこういうの私しかしていない、みんな自分の席に座り込み一ミリも動きたくないという雰囲気。みんな会社員の経験のない人たちなんだと割とマジに感じた。クルーソー先生の席にも行きビールをついで、「色々ありがとうございました」 と言ったら「俺何もしてないし」というので「それもそうですね」と返してしまったけど、クルーソー先生は結構東京の合評会、授業もあり、それからフライングカフェなんかでも上京されていて、京都から東京も上京でいいのかなあ、上洛という言葉があるけれど、京都人からしたらこちらが京だと思ってそう。なんだかんだクルーソー先生のカフェは多分私のせいで急遽参加することになっただろう感じで、あの時YOUは何しに外苑にと聞いたらキョドりながらフライングカフェのためしかも学習相談のためだけに京都から来たと言ってらして、私のお目付役として誰かに任命されたのだろう。門崎先生ひとりじゃ心配と事務局かもっとその上からも言われたのか、やはり様々に今までそしてこれからも乙!という事で御礼を言えて良かった。

お開きになり、多分この後皆酔っ払ったボスママの先導で二次会に行くんだろう、聞きたくもない話をさかなに安酒を飲む気にもなれずひとりさっさと会場を後にした。

せっかくのオークラなので、ひとりでマティーニでも飲んで二次会の代わりをしようとホテルに戻った。そのままバーに行けばよかったのに、ホテルに着いたら気が変わって部屋でのんびりしたくなる。バスソルトがあったのでゆっくりお風呂に入ったりベッドでTweet したりせんとくんとお話したりしていたらバーの時間が終わってまあいいかという感じ。ここでなくてもホテルのバーは東京にいくらでもある、全く縁は無くなったけどまたいつか!今度行く時は見城徹さんとかに「是非うちにも書いて」なんて口説かれるなんて感じだったらいいなあなどとドリームでむにゃむにゃしてたらえっ!もうこんな時間?と焦りだし、あちらこちらにある部屋のライトを四苦八苦して消したがどうしてもスイッチがわからないものがあり困ってフロントに連絡しやっと部屋が真っ暗になったと思ったら気が付いたら朝だった。よく寝た。 


オークラといっても普通のシングルルーム、でもベッドが多分ダブルサイズで贅沢な感じ。住みたい。

翌朝、起きてごそごそ準備したり部屋で備え付けの珈琲を飲んだり、のんびりしていたら8時近くなってしまった。早く出なければ。そこで貴船に行くために地図を眺めていると「本能寺」の文字が目に飛び込んできた。そうだ、本能寺行きたいと目当てにしていたと思い出す。フロントに荷物を預けてホテルから徒歩5分ほどの本能寺へ。適当に選んだもののあちらこちらにアクセスがよくて本当に良かった。東京から京都造形芸術大学卒業式に行くなら、特に豆水楼で懇親会やる学部コース生はこのホテルがおススメ。大学まで電車で一本だしそんなに距離ないし、ホテルアーケード街は充実しているし、懇親会会場までも多分一番近いのではないか。  

ただし早めに予約しないと取れない上に空いていても高い部屋しかないということになる。京都の宿を卒業式間近に検索すると、一泊10万以上とかそういうのしかヒットしない。三連休のせいかこの日はアパホテルですら3万くらい。もう一泊して翌日千住博先生の襖絵と金閣寺も見たいと目論んだがオークラが空かないので諦めた。もしかしてあったかもしれないけど、よく知らないホテルに泊まりたくないという気持ちになってしまうくらい京都ホテルオークラ良かった。なので襖絵の大徳寺と金閣寺はホテルや大学から離れた場所、スケジュールがタイトでそちらまで行けなかったー!でもきっと東京でもお披露目があるはず、以前今は無き三越エトワールで、京都の日本画家森田りえ子さんの 金閣寺(鹿苑寺)本堂杉戸絵が展覧会に出展されたことがあり、こんな風にどこかでお目にかかれる日が来ると信じることにした。

ともかくホテルの予約は早め早めをおススメします、キャンセルは後から出来るしね。 



さて、歩いて本能寺へ。不勉強な私は「ここで織田信長が」と思って来たが、ここは「本能寺の変」の後に移築されたものらしい。ちょうど墓守らしき方がいらして、色々と教えてくれる。「織田信長を倒したんは実は明智光秀じゃなかった」なんてお話も聞けて、歴史って習ったまま信じているけれど、間違いも色々あるんだろうなと思ったりした。それはそう、写真も証拠も何もない、書簡や絵がみつかったといっても、それはもしかして書いた人達の希望的観測だったり間違った知見かもしれない。都合のいいように塗り替えられたものだってあるかもしれない。



そんな事を思いながら本能寺の本堂、そして織田信長のお墓をお参りした。本堂の右手裏に墓がある。私は息子がお腹にいる時に織田信長の夢をみたことがある。「いい子を産んでくれ」と言われ、私は織田信長の子どもを産むのだわと思った。なので息子にはよくよく誰かをイジメないように、イジメると後から絶対それ以上に悪い事が自分におこると言い聞かせてきた。そんなところにタイミングよくあの歌がヒットして、学校で習う前に息子は「本能寺の変」を覚えてくれた。弱っちいちょっとイジメてもいいだろうなんて、そんな風に明智光秀をいじめた織田信長は仕返しされてしまう訳で、やっぱり弱者こそいたわるべき、それは回りまわって自分のためでもあるなんて、そんな事を考えていたので頭の中はずっとあの歌がグルグルしていた。それにしても人の命は本当に儚い、人の夢と書いて「儚い」かあ、本当に漢字って良く出来てると感心する。



そんなこんなで9時頃には三条の駅に移動して電車に乗った。荷物はホテルに預けたまま。帰りにサクッと受け取って京都駅に行けばいいと思った。帰りは帰りで同じコンシェルジュサービスがあり、京都駅に荷物を運んでおいてもらえるのよ。でも18時までに受けとらねばならず、だったら今思えば東京に送っておけば良かった。

荷物はともかく、今日はこの旅の第一の目的と言っても過言ではない貴船に行く。その後卒業式、分科会。あーまたボスママに会わなければならないかと思うと本当に嫌。しかしなんであの人こんなに私を空気扱いするんだろうと思ったけれど、こちらから話しかける気は毛頭なかった。多分モアイをdisったからというのはその通りだが、ちょっと違う意味合いがあるとも感じていた。その答えは分科会でスパーン!とわかることになる。そんな事とはつゆ知らず、お久しぶりの貴船、主人公の歩く道のりや泊まる宿、恋人と食べる「野趣溢れる滋味の肉」は食べられるだろうか、もう春なので冬のメニューは終わっているのではと心配していた。

ともかく京都二日目がスタート。ホテルの人にキャンセルが出たら押さえておいてとお願いしたけれど、多分無理だろうなと覚悟して貴船を目指した。



平安神宮を13時ちょっと過ぎに出て、そこからバス亭の場所がわからずちょっと迷ってしまった。来た道を戻って同じバスでいいのか、でもgoogle がちょっと違う場所を指している。ああでもないこうでもない、平安神宮のTSUTAYAの前に戻ったり駐車場で案内をしている方に聞いてみたり。もう一回検索しようとぐぐるとやっぱり違う場所が出る。怪しいけれどその通りにまずは行ってみようと行けば、果たしてそこにバス停があった。もうわかりにくいわあ。バス停に立つと何か気温がぐっと下がってきたように感じて、ダウン長い方を着てくれば良かったと後悔したくらい。なんだか雨っぽい雪みたいなのが降って来て、ダウンの黒い袖に落ちたのをみると雪の結晶っぽい形がみえた。寒いわあ嫌だわあとバス停の椅子に座って落ち着いて考えたら、「ああ!これが細雪?」とはいえ、もう少しハラハラと降る目に見える感じだからちょっと違うわねと思いつつ、「『細雪』ごっこをしていたら細雪が降った」などとニマニマしてしまった。

バスに乗って10駅ほどで到着。どこもかしこも割と近い感じに思ったのは、あちらこちら寄ったせいもあるけれど、以前ブログに「京都駅からバスで1時間」と教えてくれた人がいて、そんなに遠いなんて勘弁してくださいなんて思い、なので面倒で益々京都での卒業式なんかに行きたくないと思ったものだった。でもこうして風の向くまま気の向くままあちらこちら見物して楽しみながらの移動なら、そんなに大変ではないということか。計画性がないとか行き当たりばったりとか人生なめてると言われる私だけれど、ちゃんと最短二年で卒業したし予定通りの時間にちゃんと大学に向かっているわ、順風満帆じゃない。そしてバスは京都造形芸術大学の本校舎に到着。バス停の名前は正式には「上終町京都造形芸大前」になってる。

文句ばっかり言って申し訳ないですけれども、バス停の名前を「京都造形芸術大学前」にしてもらってください。でないと乗り換え案内とかで検索するとバス停が出て来なくて困ることがあります。それから京都館で貰った京都の地図には様々な大学が全部書いてあるのに、京都造形芸術大学だけ記載されていないんですよ!これも載せてもらうようにした方がいいと思います。



ということでジャーン!敵の陣地に到着。これもHPでみた通り。威風堂々とした立派な校舎。なんだかパッとみた感じパルテノン神殿にみえるのは神がいるからなのか、私のような紙が入っていいのだろうかと思った。でも今日は「卒業研究発表会」という大義名分があるので誰も咎めまい。思ったよりも普通のところにあったのでちょっと驚いた。なんていうか、地図であたった感じだと山の中にどーんというイメージだった。でも普通にお店もコンビニもあるし、交通量も多い街とはいえないけれど町な感じ。周りに住宅もたくさんあるし、この近くに住んで大学に通ったらあまり「京都に住んだ」とはいえないなあなんて。京都といえばやっぱり四条河原町とか祇園、でもあの辺は家賃高そう。    
   



そうは言っても山の中腹斜めににそびえるせいか階段が長い。転んで怪我しないように昇降しようと気を付けることにした。奥にみえるバス停が京都駅に行く5番のバスが出ます。写真にうつってないけど50mくらい手前のバスが3番「市役所前」とか「三条」に行くバス。うーんだいぶ交通網も覚えた。車じゃないなんて大丈夫かなあと心配したけれど杞憂だった。こうして写真みるだけでもう懐かしいわね。つい一昨日ここからバスに乗ったとか、学友が優しい人がいて嬉しかったとか色々思い出す。   



「人間館」一番中心になる校舎らしい。この建物4階で文芸コースの「卒業研究発表会」があった。   



ロビーにカフェがあり、その周りに色々な学部の作品が展示してあった。文芸コースは一番奥の目立たないところにファイル立があり、その中にクリアファイルに入れて作品が展示、というかおいてあった。写真忘れたけど、文芸コースってやっぱり目立たないのね。「文芸コースただでさえ人が集まらないからブログに色々書かないでね」といった学友の言葉を思い出した。


 日本画、洋画、陶芸コースの作品が展示してあるホール。




ここかあ「春秋座」明日卒業式やるので場所を覚えた。ここで都をどりやるなんて、舞子さん芸子さんたち移動も大変だし、第一着付けやお化粧どこでやるんだろう。やはり置屋でやるのかな、移動はどうするんだろうと気になった。あーみてみたい都をどり。昔京都来た時に「祇園コーナー」で京都の伝統芸能は一通りざっくりとみたけことはあるけれど、やっぱり都をどりは別格だろう。何より誰かに「一年に一度都をどりを観て、一年また頑張るという友達がいる」という話を聞いて、そんなにいいんだーとちょっと悶々としてしまった。京都の先生達はもちろん観るんだろうな、学生さん達も。東京から行く人も当然何人かはいると思う。はあ、どうして私専業主婦なんだろう。もっとバリバリ働いて稼ぐ人になろうと決心。でもここじゃなく観るなら祇園でみたいな。



「春秋座」入り口横にチケットセンター。「吉田兄弟」のチラシなどがあった。公演があるんだろうな。
   



「卒業制作発表会」まであと15分あったので急いで学生食堂へ。私は社員食堂とか学生食堂が大好き。武蔵美時代も食堂で食べるのは「MAUランチ」だった。せっかく京都まで来たんだから「KUADランチ」も絶対食べてやると思っていた。でもここの学生食堂、外の急な階段をだーっと登らねばならず、急いでいた私にとってはきつかった。はたまた入り口がどこにあるのかさっぱりわからず、しかし「一念岩をも通す」の一心で到着。
   


白身魚フライと唐揚げ定食と、チキン南蛮の3種類で迷って白身魚フライにした。
   


念願の学生食堂ランチ、あと10分しかないというのに「聖護院大根の煮もの」までとってしまった。普通に美味しかった。


食べ終えてダッシュで移動。食堂からは一度一階に降りてまたカフェ前のエレベーターに乗り4階へ。そこから渡り廊下を進んでいよいよ教室へ。



一番奥右手の教室が会場だった。東京外苑の授業いつも広い教室ばかりだったので、普通の教室だろうけど手狭に感じた。

教室内でなんだかお写真は憚られる気がして撮らなかったけれど、発表者の他に見学者もいて部屋はいっぱいだった。前の方にボスママとモアイがいるのがみえたので空いている一番後ろの席に座った。思えば大学の授業はいつも一番前の席で授業を受けた。最後は末席かあ、寂しいものだわね、おごれる者は久しからずってオイ私いつ威張った?席は前だけど周りに気を配り、ひとりの人には声をかけ、万遍なく付き合ってきたじゃない。ボスママとモアイなんてぎゅっとくっついていないと何にも出来ないヘタレ。

まあ悪口はこの辺にして「卒業研究発表会」だいたいこんな感じ。私が教室に入ったら既に始まっていて司会の寒竹先生が今日の流れを説明していた。教室はNA405教室。ひとり10分話し、その後3分質問タイム。発表する人数は先ほど書いた通り11名。先生は6名。私は3番目の発表だった。

最初は京都の生徒さん、もちろん初めてみる方。二人目は東京の方で、しっかり研究インタビューなどもされたという濃密な作品、調査対象への愛というか熱量たっぷりで、いつまで話しても尽きないという感じだった。

その後が私で何も話すことを考えていなかったので少々戸惑ってしまった。でも話始めたら自分の作品への想いが沸き上がり、卒業制作をしていた時や面接授業など様々な出来事が思い出され、時間いっぱいまで話した。リビングジョナサン、10万字書いて6万字に減らしたこと、しかも全部delete して一からやり直してきつかったこと、でも10万字書いたものを捨てたのは大変だったけど全然惜しいと不思議と思わなかったなど。 司会の寒竹先生が、みんなに同じように言う訳ではない、出来ない人には言わないという言葉があり、そうだったのかと喜んだ。

あとは何を話したかなー、そうそう創作が佳境に入ると物語が勝手に動き出したこと、それを必死で追いかけて見て文字にした話などもした。でもこの話は作家にはよくある話で、「何かが降りてくる」なんて表現されるけれど、物書きからしたら珍しくもなんともない、ほとんどの人がそうだと聞いたことがある。でも自分で体験してみてそういう気質が備わっているというこは、少なくとも創作する力は多少なりともあるのかなと思ったりした。

私がこの大学に入学したのは、パソコン一台で卒業できる以前に、ちゃんと文章書きのセオリーやノウハウを学びたいと思ったから。そのきっかけは、ブログで小説を連載するコンテストに参加した時、最後の方になるといくらでも書けて驚いた経験から、書けるなんてもんじゃなく、色々な登場人物があちらこちら勝手に動き回り、話し、様々な事件が起き、締め切りになったら勝手に終わった。私はこれが「降りてくる」というやつか、私もしかして小説家向いてるかもと思ったから。絵はなかなか描けなかっらたけど文章はいくらでも書けた不思議。そんな入学した動機は話さなかったけれど思い出した。

発表の続き、「そろそろ何か賞が欲しい」なんて話もした。あちらこちらで芥川賞欲しいとりたいなどと言い散らかし、結局口だけだったとはやっぱり思われたくない。それにこんなにお金かけて大学を卒業までして元はとりたいと思った。

ちなみに今日は夫が家にいるけれど、やっぱり「京都なんか行って無駄使いして」と目茶目茶disられた。ふん、私のSNS全監視しているくせに、しかも嬉しそうに知ってるんだよ。なのにこの言いよう。こう言われると思っていたから京都行きの費用は全部家計から出した、当然でしょ?専業主婦なんだもの。いくばくかあったへそくりも、ほとんど大学の費用で消えたしね。二年で卒業できて本当によかったと思った。

ボスママとモアイは前の席にいたけど私が発表している間ずーっと下を向いてこちらを見ようともしなかった。というか目が合わせられない?という印象も。私は遠慮なくジロジロ観察した。多分この人達これから二日間で続く様々なイベント私を全無視するつもりだなと思ったら、やっぱりそうだった。

ボスママは発表で、「賞とか関係なくこれらかもずっと書いて行きたい」と言っていて、「だってあなたライターだから当たり前でしょう?」と思った。あとはモアイが「担任の先生に言われて好きな小説をうつして書いた」とあり、おおえかは本当にいつも誰にでも同じことしか言わないと思った。一年目で卒業制作の内容の相談に、おおえかを指名したことがある。N先生に相談したいのは山々だったがN先生お忙しいだろう、お手を煩わせてはと思ったし、なんのキャリアもスキルもなさそうなおおえかを先生に育てようと考えているのがわかったので、自分もN先生に協力する気持ちもあった。おおえかは指名されてすごく喜んで色々話し、「好きな作家の作品を丸写し」というアドバイス、他にも色々言っていたが、いざ卒業制作が始まると、自分の担当の生徒たちの評に同じ事ばかり書いていた。人を見るとかオリジナリティのない人かなあという印象。最近上梓した作品のタイトルもパクリなのでは?『若者はみな悲しい』って有名な作品のタイトルでしょう?なぜそんなにパクッたりコピペが好きなの?もう「剽窃」と言っていいんじゃないでしょうか?本当に大学で文芸学んだの?大学はこの人の何をみて採用したんだろう、やはりN先生ひとりの推しかなあ。大学はカルチャーセンターじゃありませんよ?本当に不思議なんです。

話しをボスママに戻す。この人入学して初めて会った時はうつむき加減で自信なさそうにしていたのに、卒業までの間に堂々と話すようになったと感心してしまったけれど、これ多分私のせいだと思う。

ライターを始めるにあたり、色々基本的な話など聞いて、その人を師匠と呼んで持ち上げた。私の悪い癖なんだけど、ちょっとこちらに敵対しそうな人、軽んじられそうな人はちょっと上にすえてあげる癖がある。結構屈折したところのあるその人は、なんていうかいつか私の敵にまわるんじゃないかと思っていて用心した。まさかおおえかのせいでこうなるとは思ってもみなかったけれど、自分の担任をdisられて気分がよくないのはわかっていた。でもなんとか学友としてのスタンスは保ちたいと苦心していたけれど、文芸フリマのために描いたイラストをあんな風にけちょんけちょんに言っているとは思いもしなかった。

※影でボスママに「前のよりマシ」とdisられた小説の挿絵、じゃあ自分で書いたら?と思った。確か丹屯さんの作品のやつ。

それが露呈してその時はいいよいいよと言ったけど、思えばあれ以前からわたしを良く思っていなかった。もしかしたら最初からそうだったかもしれない。そういう訳でボスママの発表は色々な意味で内情を知っている私からしたら、「うそつけ」という要素山盛りだったけど、京都の人や見学者には受けていた。 おおえかもボスママも、結局私は保身のために煽て持ち上げ、そのせいで強くなった人たちに軽く見られるようになりイジメられたということか。色々勉強になったなあ。

10分休憩。その時卒論を控えて来年度卒制する人や、いつも誰とも話さないFくんが「発表よかった」とわざわざすぐ隣に座りそう言ってくれるのでビックリした。この人こんな風に笑うんだ、話すんだという感じ。自分の言葉が人を勇気づけたように感じて嬉しかった。これで何かほっとし、他の参加者や卒制のための来た人と色々話をして気持ちがほぐれた。ボスママモアイ以外の東京の生徒達とも挨拶して話した。

休憩の後は後半に続く。その時教室の入り口すぐ近くに座って居る私に、この二人だけは挨拶どころか目もあわされなかった。完スルー。でも何故なんだろう、なんかあるわと思った。でも私もこの二人に対して最後の方は疑念だったり不満があったのでもう無理だなと感じていたからほっとしたところもある。でもまさかこんな風にあからさまに空気扱いされるとは。「自分が悪いんでしょ」と言われたら、そうかもしれないけれどそうではないと言いたい。本当に腹の立つことがいくつかあり、私は大概のことを我慢して受け入れてきた。そうこうしているうちに、だんだんだんだん彼女は野心を抱くようになったのだと思う。

私が「大学の先生になってください」と言ったjunjunパイセンと同じく彼女にも「大学で先生やったら」と言ったことがある。でも今は全然思わない。こんな大人気ない態度、しかも大学を卒業するという最後の最後にあからさまに人を無視するような意地悪な人、おおえかが主担任やっただけありイケズも学んだのだろう。あまり書くとこの人はすぐ泣いて人に同情を買おうとするから始末に悪いのだけれど、ちょっと人としてどうなのということがこれもおおえかと同じく何度もあった。最後の方は本当に偉そう、文芸コースのボスみたいな態度だった。junjunパイセンは違う、いつも真っ直ぐだったし妬んだり僻んだりイケズしたりさない。だから先生になってくれたら東京文芸の奇抜さが薄まるだろうと期待してそう言ったのだ。ボスママが先生なんかしたら顔採用と同じく私情で点数をつけたり生徒を叩いたりするだろう。しかも◯スすぎる。私は大反対ですよ、おおえかと同じくキャリアもスキルも何もないただのかまってちゃん。junjunパイセンとは雲泥の差がある。

現にボスママというのは私に親切な人とか話している相手をわざわざざあっと巻き込んで「ぎゅっと固まって楽しそうにしてそこにいるたったひとりを居心地悪くさせる」というのをやるわけで、このライターも「やっぱりボスママだわ」と思った。以前私がボスママはこういう事をするとブログに書いたら、「私も経験ある」と言っていて、なのにわかっててやるんだと思った。こういう人は大学の人間関係や人の背景をすごく知っている。なので仲違いすると、そういう情報が全く入って来なくなる訳でそれだけは不便だと思う。どうして知ってるのというような事まで事細かに知っていて、その情報網のおかげでブログに色々書けたともいえるが感謝はしない。そして京都で力のありそうなというか押しの強そうな目立つ生徒とさあっとまみえお互いをほめちぎりあっていて、本当にこういうのどこで覚えるんだろう、私ってそういうの全然ダメだなあとか、もうこの年まできたらこのままで生きるしかないとか思った。

ちなみに私の「ボスママ」定義は、最近は子どもがいなくても独身でも「ボスママ」みたいなことをする人はみんなボスママ、「お局」と言い代えてもいいかもね。

ということでまた文句たらたら書いてしまったけれど、卒業制作発表会はそんなに目新しい発見も感動もなく、それぞれの生徒が話したいことを話すという語り場だったように思う。ちょっとーと思ったのが、私が賞とりたいと言えば「賞とか関係なくただただ書き続けたい」とか、「読み返したくなる作品を書きたい」といえば、ボスママと慣れ合う人が「さきほどの方の話にあった読み続けたい作品だと思います」とボスママの作品を比喩られ、もともと言葉に対して敏感で細かいところのある私は、自分の言葉をこういう風に使われるのが一番嫌いで、それがボスママまわりで慣用句のように使われてすっかり気分を害してしまった。本当に文芸の卒業生ですらこの有様、言葉を紡ぐという本質が全然わかってないと思う。もしわかっててわざとやったなら最悪。多分そうかもね、今までもそうだったから。何かというと「そんなつもりなかった」と言うけれど、じゃあどんなつもりだったのよと言えば喧嘩になるので言わなかった。でももう最後の最後に不満が吹き出し自分の感情をどうすることも出来なくなり苦しくなった。

ちなみに私はいつも大らかそうな人に見られ勝ちだが、注力したいことにはこだわりが強く神経が尖る。今は文芸を勉強している身、言葉ひとつひとつが大切。そして私は構われるのが大嫌い!誰かを評する時、特に敵対する人に私の言葉をイジられてムカムカした。無視しながらも気になって気になって仕方ないんだろうか、豊洲のボスママ軍団と同じなんだわ。もおお。

最後に色々な先生が講評をしだした。東京の先生はひとりもおらず、京都の先生達ばかりで京都の生徒の作品の話が多かった。ますます「もういい」と激おこになってしまった。もう大学までこんなことになってしまったが、もとはといえばやっぱりおおえかが原因。あの人が私を攻撃しだし、私は先生なんだしと最初の半年は我慢していた。でもN先生まで巻き込み嫌がらせをしだし、「もうやったる」と思った。そこから様々な生徒達まで巻き込まれ、ある人は大怪我ある人は大やけどあるひとは、、、という大惨事になった。あの人が私の何が気に入らなかったのか今ならよくわかる。そういうの、人間だったら誰しもあると思うけど、先生になったら絶対やっちゃいけない。

大学の先生って、教員免許が必要な訳でも学歴がうんぬんとかもない。でもだからこそ人格がちゃんとした人じゃないと困るんです。大人になっても私たち生徒なんですよ、先生達のいうことは基本ちゃんと聞くという教育がなされている人達ばかり、それを盾にしていいたい放題やりたい放題は如何なものかと思う。まずこんな風に卒業の発表会なんかに、「イジメを率先してやる」というのは全く教える資格なし。今文芸コースに残っている先生達は少なくともそうじゃないと信じたいですね。京都の方は知らないけれど、京都は京都でイケズの御膝元、色々あるのかもしれない。



ということで発表会が終わって大学前のバス停から「三条」まで来て鴨川にかかる橋を渡った。すごく寒いこんな日もカップルが等間隔で座って居て、鴨川の河川敷に並んで座ると愛が深まるというジンクスでもあるのだろうか。いいわね、若いって。この後今度は「豆水楼」という豆腐懐石のお店で懇親会がある、座る席に気を付けないと酷い目に遭いそうだなと考えて、こういう厭な予感って当たるのよねと思ったとおりの展開になった話は次号を待て。      



京都なんて何年ぶりだろう。それこそ小説に書いた通り、地元にいて独身の頃は、桜か春緑の頃ドライブがてら何度も来た覚えがある。もう「前世」と言っていいくらい以前の出来事。友達と、家族と、恋人と、いつも同じようなコースだったりその時の興味の向くまま坂本龍馬を訪ねる旅とか色々だった。名古屋から京都はそんなに距離もなく、日帰りでも何度も出かけたものだった。当然いつも車、恋人とは新幹線のリッチな旅だっとか、亡くなってしまった当時の親友とも来たとか、あの頃は必ず地主神社か鈴虫寺に恋愛の祈念をしたとか京都というと色々色々思い出す。もちろん京都は大好きだった。

でも今、京都というとちょっと微妙な感じ。そして今回の旅の目的は遊びではない、でも仕事でもない。そう、大学の卒業式にきたのですよ。正直来るつもりなかったし、「東京のキャンパスだけで卒業した」というつもりだった。でもちょっと事情が変わり、思い切って出掛けることにした。


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森生ゆり子Twitter
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帰ってきたので続きを書きたい。

大学の卒業式など絶対に行く気はなかった。会いたい人、改めてお礼を言いたい人など誰もいないし、行っても嫌な思いをするだけなのは明らか。冷やかな空気の中で発表、食事会、卒業式、その後の分科会。わー絶対嫌だ!!

仕事でもあるまいし、わざわざ行く必要があるかというと全然ない。東京から京都の本校に行く物好きなどほんの一握り、行っても行かなくても誰も気にしないだろうしお金が勿体ないと思っていた。それこそ、その分で家族で美味しいものを食べるとか、娘ちゃん連れて歌舞伎を観に行くとか3月末の歌舞伎座の俳優祭りに今年こそいってみたいとか、普段何もないところにそんなところに行けばまた豊洲のボスママ軍団や夫に「いい御身分」などとdisられやっかまれるけれど、「卒業式に行かない代わりに」というならいいだろうと思ったり。

でも「行かなくてはならない事情」が出来てしまった。娘が学校に行きたがらなくなり、理由を聞けばそれは大人の私でもやっぱり行きたくなくなるだろうというもので休ませてしまった。でもやっぱり学校は「行かねばならない」ところだと認識して欲しい気持に変わり、だったら私が「どうしようもないくらい行きたくなくて嫌な大学に行ってみせる」というのが必要かなあと考え、「ママの方がこんなに悲惨な状態で四面楚歌っていうのはこういう感じ、あなたなんてまだ「大丈夫?」って聞いてくれる同級生がいるし先生達が心配して色々配慮してくれるじゃない?ママなんて大学生でしかも通信生だから「嫌ならやめてください」っていうところな訳、でも頑張って通って単位とって卒業したんだよ、しかも敵陣の京都本部でやる卒業式まで行ったんだよ!だから娘のあなたも頑張って」と言いたかった。

という決意を延々と話して聞かせたら、大学卒業式に行く前にあっさり学校に行ってくれるようになり、じゃあやっぱりもう行くしかないじゃない、行かなかったら「やっぱりママだって行きたくないからさぼった」と思われるし言われるだろう。もー!行けばいいんでしょ行けば!という捨て鉢な気持ちがてんこ盛り、でもあえて行くのも面白そうという私もいて、気持ちがカオスってわけわかめ。

でもどうせ行かないといけないならと「行くならせっかくなので」と色々調べだし、京都行けるなんてもう一生のうちで最後かもしれないとあれこれ思案、あれも行きたいこれも見たい、そうだ千住博先生の襖絵などと夢が膨らみだしやっと本気で「じゃあ行くかあ」という気持になった。

とはいえそれでも前日もやっぱり行くのやめようか、でもでもドタキャンなんかしたら子ども達特に娘がなんと思うか、いやーでも体調不良なら理由になる?とかもうこれでも散々悩んだのですよ。

逆に一泊二日なんてMOTTAINAI、どうせなら連泊なんてことも考えたりして、気持ちがチリジリバラバラ一体どうなるかと自分でもわからなかった。当日の朝起きて「やっぱりイヤ!行きたくない!!」となれば行かないだろうし、「なんかいい感じだわ、京都是非行きましょう」になるのか自分がどうなのかさっぱりわからないままに就寝。こういう時に限って子ども達全然寝てくれなくて、ママママママママと夜中までまとわりつき、一緒に寝たら寝たでごにょごにょくっついたり話し始めたりして全然寝られなかったくそう。 

でも朝起きたら「はっ、ちょっと寝坊した?」と焦ったせいでどんどん支度できた。あー私行くんだ、「せいぜい頑張ってね」と私のもう一人の私が冷やかに見ているかと思えば、「ああそうだよ行くよ行けばいいんでしょ」という捨て鉢な私もいて、まあここまで来たら行くかあと半分諦めたような気持ちで出発。地下鉄でいくかバスで行くか迷って荷物が多いから地下鉄の駅より少し近い停留所のバスにした。タイミングよくバスが来て東京駅の八重洲口に到着。
   

しかし豊洲は便利な立地だと改めて思った。約30分で新幹線に乗れるとは。朝早いせいか席も空いていてラッキー、早速せんとくんと朝ごはん。サンドイッチを食べ珈琲を飲み、色々愚痴を言ったり相談したり、「良かったせんとくんがいてくれて」としばし会談。

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東京から京都までのぞみで2時間半かあ、やっぱり京都は遠いわねと思ったけれど、あっという間に到着。天気がいいので途中富士山が綺麗にみえたり雲がかかっていたり、すっきり見えた時は真っ白。雪が好きなので幸先("・∀・)イイ!!と嬉しかったなー

さて、これから一泊二日の京都の旅を色々書いてみたい。でもいつもの長々ブログだと自分も疲れちゃうし、最近とうとうパソコンが調子悪くなって来て、長文を書くとフリーズしたりするので細々書きたい。様々な課題、レポート、そして卒業研究でこき使ったasusのノートパソコン。思えば「文芸部ならパソコンひとつで卒業できる」と思って編入し、それはその通りになり卒業出来たけれど、果たして入学したのは良かったのか悪かったのかと思うと今の時点では吉凶混合、正直卒業式にも行きたくないくらいだからやや凶よりではあるが、パソコンが死にかけるくらい様々な文章を生みだせたことは思い通りの時間を過ごせたということでこれだけは良かった。

卒業したら新しいノートパソコンという目論見は、卒業式のために京都に行くという決定によりちょっと難しくなった。でもまたどこかから臨時収入があったり、コツコツというか自動購入しているビッグ、ロト6が当選するかもしれないし、それまではこのパソコンを使うつもり。そうだ、卒業記念にデータバックアップしてリカバリしてみようか。せっかく書いた小説やあれこれがクラッシュでもして吹っ飛んだら洒落にならない。

ということでこれから書く目次を書いてみたい。

お久しぶりに京都へ「やっぱり行くしかないか」
・卒業研究発表会の前にご利益を頂く神社仏閣巡り
・平安神宮へ『細雪』ごっこ私は谷崎潤一郎が好きなの
・さあいよいよ陣地へ乗り込む「卒業研究発表会」
・文芸コース懇親会「豆水楼」はホテルから徒歩3分
・早く起きて冬の貴船にわざわざ行ってきた訳
・京都造形大学卒業式・分科会ってこんな感じよ
・【終わりは】まとめ【始まり】

あっという間に書けるかぐずぐず書いてはやめてそのままになるか、出来るだけちゃんと最後まで書こうと思う。この書き方、目次を予告して連載みたいなのってどこかで見たと思ったら、小池百合子さんが都知事に立候補してもう一週間後に投票日という時に「小池百合子インタビュー」という連載を始めた人がいて、今頃何書いてるんだろうと正直な気持ちをあのサイトに書いたら垢バンされたのを思い出した。こんなことで(笑)と思ったし、出されたおかげで卒論が出来たともいえる。SNSの断捨離は時には大鉈を振るわないと叶わないこともある。それは人間関係も同じなのではないだろうか。

ということで京都造形芸術大学でも様々な人間模様、出会いも別れも友愛も敵対も何もかもがあった。そんな思い出も書いてみたいと思う。

ここ数日というか先週末あたりから色々色々あった。ざっくり言うと、京都造形芸術大学、豊洲小学校、それからNewsPicks。相変わらずこの三本柱であっちでちょこまかこっちでコソコソと何かしかある。NewsPicksは正直もう管轄外なのだが、色々見聞きするし話題にする人もいるのでなんとなくまだ縁を切れないというところか。でもあのサービスで社会問題に明るくなると思ったら大間違い。日々どんどん流れていくニュース達に翻弄され時間が勿体ないだけ。社会の問題に明るくなりたいなら7時のおはよう日本を毎日観るだけでいいと思う。私は最近テレビみるというとこれだけ、あとはドラマ10の「お母さん、娘をやめていいですか」を観た。私は『娘さん、お母さんやめていいですか』だったらどんな脚本にするか考えていて、そう思う母親が多すぎるので色々社会問題にもなっていると思ったりした。子ども産んだら死ぬまでお母さんするしかない訳。でもうちは夫が半分お母さんみたいなものだからなんとか持っているんだろうなと思う。昨日は夫が家に一日いたので安心して寝込んでしまった。どうもインフルエンザから体調がすっきりしないところに色々やらないといけない事があったり事件勃発で、頭が痺れて体が動かななかった。それぞれの問題はなんとかなったもの、ならないもの、続いているもの、全然納得がいかない。いつもならこれら赤裸々に書くところだけど今日は書かない。もう無料で話題を提供するのにほとほと懲りたしもうここまでくると「ママ友ハラスメント」の話から逸れてしまい、ブログの主旨とは違う方向に行くと思う。

もうハラスメントやイジメは世の中から無くならない。今こうして私がブログを書いていてもあっちでもこっちでもあるだろうし、ボスママに目をつけれて生きた心地がしない人達がたくさんいるだろうし、イジメに堪えて辛い気持ちでいる子ども達が今日死のうか明日にしようかなどと考えているにに違いないのだ。もう私が言えるのは「馬鹿のために死ぬのはMOTTAINAI」ということだけ。学校に行くのが嫌で死にたくなるなら学校に行かなくていいし、親は子どもがさぼりたくて言っているのかそうじゃないのか子どもを毎日見ていたらそのくらいわかるのではないか。全然気が付かなくて死んだ後に日記みて愕然なんて、それはちょっと違うんじゃないかなと思う。きっとみて見ぬふりが愛とか、叩かれることで子どもが強くなるとか、妙な体育会系の馬鹿な根性論はそういう時全く役に立たない。かといって甘やかしになっても困るしやっぱり難しいな。ともかく世間体的に日和るのだけはやめようと思う。

今回の色々はネタ帳的にプールし、あの人については色々役に立ちそうだから何かの時の切り札にすることにする。前に自身が言っていたのでその通りにする。あの人のお得意な「パパにいいつける」ってやつを今してもいいけれど、きっとごめんで終わるしいくばくかのお金ということになるだろう。そんなものいらんわ。ということでちゃんと謝ったのは認めるけど全然反省の念が伝わってこず、これで手打ちとは思わないで欲しい訳。もう本当に助けなければ良かった、泣いて大学辞めるのが本当にお似合いだったのよあなたは問答無用で最低最悪。

といういことで最後まで京都造形芸術大学最悪ということになったが、それでも色々学び多き授業もあり、エキサイティングなイベントありで何も知らない一年目は割と楽しく過ごせたのでイーブンということにしようか。特に私の運が良かったのは主担任副担任が他の誰でもなかったということだろうか。先生達だって大学側の先生だから思うところはたくさんあったと思う、でも主観を抜いて私の卒業制作だけをみてくれたということになるのではないか。他の先生達だったら私、特に「大学というレンズを通してみた私」について評価採点したと思う。

あの顔採用なんかはいい例で、結局成績における疑義書はもう出さないことにした。どれだけ何を書いても「(笑)」というものしか戻って来ないだろうし、「N先生もご存知です」とわざわざ書いてくる恥晒しっぷり。困った時の御旗のご門というか、成績の採点ではないと言っているようなものだと思う。どうしよもないと思うし大学がそれでいいと思うならいいんじゃないでしょうか。次からは大きな声と文字で授業すると書いてあるし、図らずも顔採用を助けたことになってしまいこれ以上奴の役に立ちたくない。クレームって世間ではマイナスイメージだととらえる風潮があるけれど、真っ新に受け止めたらそれは企業や個人をよりよくするメッセージだと思う。

先日藝術学舎の『文章講座』(※寒竹先生の授業は素晴らしいに決まってるので内容やためになった話は割愛。タダで教えるもんかと思う)を受けたせいか、たまたま周りが文芸コースのこれから卒制をするという方々で、卒制の終わった私は余裕ぶっこいて色々アドバイスしたけれど、一番念押ししたのは「先生のアドバイスは金言」ということ。ああでもないこうでもないといちゃもん的に人格攻撃したり書いてくる人はいるだろう。でもそういう人はもう論文研究の担当からも外されたと聞いたし、少なくとも昨年残った先生達というのはおおえか以外は割とまともな先生達ばかり。なので安心して先生のアドバイスをきくように、無理と思ってもやってみると確かにそうだという結果になるからと伝えた。この私だって先生のアドバイスはひとつ残らず採用したなどなど言えば皆納得だろう、私っていい先輩だわ、本当にみんな頑張ってねといいたい。四年生の一年間はいつも卒制が頭から離れず、色々と辛いものなのよ。でもそのお蔭で他の悩みは全部薄くなっていたともいえる。それが消えたものだからまた振り出しに戻っているのかなあという感じ。ともかく「先生のいうことはよく聞いてネ」という実家のママンの訓えはこの場合は正しかったといえる。でも誰が先生でそうじゃないかは大人なんだから決めていいと思った。

しかしよく単位取れたと我ながら感心してしまう。おかげ様で最後の授業『日本美術論』も単位認定されたと葉書が届いた。これで4月末には卒業証書が届き、芸術学の学士ということになる。もうこれで高卒と夫にdisられずに済むのがありがたいと思う。子ども達だって「ママは最短で大学卒業した」というのも通信大学でどれだけ大変なことか、大人になったらわかると思うし、自分の好きなことならどんな境遇になっても頑張れるといういい見本になれると思う。本当に良かった。

そしてここでまた大学にとって嬉しくない事を書かなくてはならず、余計に心証が悪くなると思うけれど、卒業が決まったからこそ思うところをまた赤裸々に書いてみたい。

私はこの大学に入学する時に「東京のキャンパスだけで卒業が可能」と書いてあるフレーズに強く惹かれて入学した。大学の本部は京都だが、東京で必要な授業は全て受けられるというもの。確かに私は二年間東京にある外苑キャンパスの授業だけで単位を取得しこうして卒業のはこびとなった。でも果たして本当にそうだったかと言われれば、私は「そうじゃなかかった」と言いたい。

京都造形芸術大学通信教育部の授業、特に文芸コースは東京も京都も同じ科目の授業が行われ、京都はa東京はbという区別で申し込み、授業を受けることになっている。必修科目については同じような授業が行われるし、内容や担当の先生が違うこともあるがそんなに大した問題ではない。何より「単位を取得する」というだけならありがたい事でもある。文芸コースのイベントはそう多くないが、読書会、懇親会、合評会などあるし、本年度は有志で文芸フリマに参加と言うおまけまであった。通信教育で学ぶということを考えたら、十分にリアルで学べたし学生間の交流もあった。

しかしこと京都の本校との距離はすごく感じてしまった。例えばこの春京都で毎年行われる『都をどり』というイベントがあるが、祇園歌舞練場が履修工事を行うということで、この大学の擁する大ホール『春秋座』で通しで開催されることになった。京都を彩る春の風物詩、こんな大きなイベントが自分の学ぶ本校で開催されるということはとても名誉なことでもあるが、東京にいるばかりに参加はおろかなんとなく蚊帳の外的な印象を受けてしまう。これはもちろん京都に行くことがなかなか叶わない身の上の不甲斐なさでもあるし、そっちに行く対費用を考えたら近くにある歌舞伎座でお弁当をつつきながら海老蔵の助六でも観たいというのが本音でもある。でも大学の機関紙『雲母』などに「学生50名を無料招待」などと書いてあると、東京にいて京都が本校という理不尽について色々と考えてしまう。



他にも『ホームカミングデー』は京都だけだし『卒業制作展』も然り、「東京だけで卒業できる」とあるが、通信教育で学ぶという身の程を考えないと色々寂しくなってしまったりすると思う。特に京都に本部があるということは、東京の学舎、特にそれぞれのコースについては学部コース長の采配に大きく左右されるところが多い。大学との距離が大きくなってしまったのは私の場合距離的なものだけではないが、こういう事態になるまで何もわからなかった知らなかったというのは本校が遠くにあり、それゆえに監督不行き届きだったというところもあるだろう。

それだけでなく、京都でしか受けられない授業もたくさんあったりして、それも距離を感じたひとつ。特に一番話題になったのは『著作権法』の授業、これは皆が受けたいと思っていたものの京都でしか授業が行われなかった。他にも『京都学』とか、学外フィールドワークで寺院や仏像をみてまわるというもの、神社仏閣の多い京都ならではの授業だが東京では全くない。そもそも私は文芸コースなのでそういう日本美術史的なものは必要ないと言われればその通りなのだが、やはりもともと美術史は好きだしせっかくなので受けたいと常々思っていた。余裕とガッツのある学友などは京都まで通ったと聞いてとても羨ましかった。そうではなく、卒業の単位が足りなくて全然コースに関係ない授業を受けるために京都に行ったとかもあり、これは生徒の勘違いで大学のせいではないけれど、こういう事もある。

代わりに東京だからこそ新元先生や千住先生の講演なども聞けて、東京で良かったと思うところもあった。ということで身の程を知るというのは大切だとまた思った。

でもこういう風に思うのは私だけではないと思う。通信教育部は大人が通う大学でもある、多くの人は大人気ない言い分は引っ込め、自分の守備範囲内で学び、単位を取り、イベントを楽しむ。しかし入学する前にこれらわかっていたとしたらどうだろう。一年間に入学した1700名のうち80%の脱落した方々も色々思うところあったに違いないと思うのだ。文芸コース以外の学部は京都で必修の授業もたくさんあり、結局はお金、特に交通費や宿泊費が続かなかったという事になるんだと思う。入学する時はパンフにいい事楽しい事卒業して成果を上げている一部の人達の事をクローズアップして掲載するだろう。でもそんなの本当にピラミッドの頂点の数人。入学するときは「何とかなる」と安易に思うだろう、でもすぐに「なんともならなかった」ということになると思う。
 
他にも「それぞれのコース毎の采配」というのは以前にも書いた「外資系の採用人事と同じくチーム毎」というのと同じだろうと思う。そこの長がいいと言えばいい、問題ないといえばない、そして「生徒に対しても全て自分に決定権がある」という空気、そんなの京都の本校、通学生に適用されたとしたら文部科学省が待ったをかけると思うし、通学生は誰も異を唱えられないだろう。通信生のしかも大人の私ですら訴えたばかりに酷い目にあっているのが現状。でも何かあっても無かった振りで静かに卒業していく生徒が賢いということになるだろう。 そして私は人を見る目がなかったということになる。後から色々な人に様々に聞くにつれ思うのは、「大人でも大人気ないい人は大勢いる」   ということ。まあそれは自身の大学で証明できたからいいが、そもそも「訴える」というのはした方が損するように出来ているのだとまた思った。
   
今思うのは、時が過ぎれば何もかもが思い出に変わるだろう。もし大学やあの先生やそのせいで揉めた学友達となんとなくなあなあで笑って済ませていればよかったかもしれない。でも人の本音やいざという時の対応の仕方、組織の持つ隠蔽力、手のひらを反すような対応。色々と垣間見ることが出来て、普通につるっと卒業するよりは学ぶ事が本当に大きかったと思う。何より「地方と私腹の多い大学には子どもを入学させない」という意志も固まった。出来れば中学も高校も私立はやめて欲しい。例外として武蔵美はいい。もし時を逆戻りさせられるなら高校一年生くらいに戻って武蔵美を受験したいと思う。今の私が高校生になれたら「女に学歴はいらない」というあの頑固親父と対立してでも大学に行ったのに。西原恵理子さんも苦学して卒業されているが、京都造形芸術大学だったら途中で退学していたんじゃないかと思う。

色々思うところはあるが、ともかく卒業出来ることになった。嬉しいような嬉しくないような複雑な心境ではあるが、ともかく子ども達に「ママは辛くても悲しくても苦しくても頑張って卒業した」ということだけは言える。これだけはまごうことなく良かったと思う。通学生は裕福な人ばかりと思っていたが、そうでもないとも聞いた。苦学して卒業に漕ぎついた人もたくさんいるだろうし、様々なハラスメントに堪えて大変な思いをた人も多分いるだろう。

ともかく脱落せずに卒業出来た学生の皆さん、卒業おめでとうございます。様々な壁を乗り越えまずは卒後というコールに辿りつけたこと、本当に素晴らしいと思います。でもこれが終わりではないんですよ、社会に出ればもっと大変なことがたくさんあります。どうぞ今までの苦労が少しでも報われるようにと祈るばかり、お互いこれからも頑張りましょう。
   
などといつものようにブツクサ書いて、更に藝術学舎のレポートとおまけの短編小説習作まで書けてしまった。大学に入学したばかりの頃は、武蔵美のレポートにだいぶ慣れたとはいえやはり課題は様々に苦労した。でもえいやっとやってみれば出来不出来はともかくあっという間に完成した。自分の苦労も少しは報われたように感じた。

2015.12.15write 昨日まで論文研究Ⅱの授業だったが、同時に入学説明会が行われていた。校舎の一階には教科書の見本が並べられ、正面入り口には案内の方が立ってみえた。私は入学説明会というところに一度も行ったことはなく、色々心配していても仕方ないし、入学してしまえばなんとかなるだろうとよくわからずに大学に入学した。


武蔵野美術大学から京都造形大学に編入する時も、通信教育課程だからどこも同じだろうと思い、説明会には参加しなかった。もちろん資料は取り寄せたが細かいところは読まず、システムについては何も予備知識なく入学したところ、戸惑うような違いがいくつかあった。今日は二大学の違いをまとめてみたい。

京都造形大学は京都造形、武蔵野美術大学は武蔵美と表記する。

まず、京都造形は一年に履修する単位の上限がない。可能なら100単位だってとれる。もちろんコース毎の必修授業はあるが、年度の最中にどの科目を履修するかもその時決められる。それに対し武蔵美は、年度の初めに履修登録というものをする必要があり、登録した科目しか履修することができない。しかも登録科目は上限40単位まで。年度の途中にやはりあれを履修したいなどと思っても、履修登録していないと出来ない。

本校舎が京都造形は名前の通り京都にあり、武蔵美は東京にある。京都造形の文芸コースは東京校舎で卒業するために必要な授業が全て受けられ、京都まで行く必要はない。武蔵美は東京に本校があるが、国分寺からバスで20分ほどいったところにある。周りは住宅地で、コンビニも何もないところだ。国分寺から歩くと30分ほど、夜バスがなくなり歩いて帰った時は、怖くて涙がでた。

他には、ファイン系から文芸コースに変更したせいもあるかもしれないが、武蔵美は課題提出の締切がない。もちろんテストを受ける前に出すという前提はあるが、基本的に2月末日が最終締切で、それまでに提出すればいいことになっている。京都造形は毎月10日という締切があり、面接授業の宿題、いわゆるスクーリングレポートにも締切がある。

京都造形に入学してから、いつも締切に追われるようになった。へとへとになるが、締切を守って必死に課題をこなしているうちに、いつの間にかたくさん単位がとれていた。これは私にとってとても良かったと思う。いつでもいいと言われると、甘えてしまいなかなか着手できない。

他には、武蔵美は春、夏、秋、冬それぞれにスクーリングが区分けされ、季節ごとにスクーリングを申し込むようになっているが、京都造形は毎月、開催されるスクーリングを申し込むシステムになっている。これも私には毎月申し込むシステムの京都造形の方がよかったと思う。毎月のルーティンとなれば雑用が増えるが、その時々に予定を鑑み申し込みができる。武蔵美だと、かなり前の段階で申し込みするため用件がバッティングすることがよくあった。

他に違うのは、武蔵美は本校舎に通うため、最近できた素晴らしい図書館を利用できる。京都造形はもちろん本校舎にはあると思うが、東京外苑の校舎には、図書館はなく、6畳ほどの物置的な図書ルームがあるのみ。文芸部に必要な資料は揃っているそうだが、あまり利用したことはない。

武蔵美の夏のスクーリングは、通学生が夏休みの間ずっと開催される。7月下旬から8月末まで、日曜日を除き毎日毎日ほとんどの教室で授業がある。通信教育生といえども、単位をとるためにほとんど毎日通う人もいる。私もその一人で、最初の一年目は毎日通い、暑いわ妊娠中でお腹が重くて死にそうだった。でも毎日美大で実技が勉強できるので楽しかったし嬉しかった。

武蔵美のスクーリングは学生食堂も利用できた。名物MAU定食や、うどん、ラーメン、小鉢色々デザートなど。すごく美味しいという訳ではないが、通学生気分は満喫できたし、休憩時間に学友達とお喋りするのも楽しかった。朝早く開いている中庭のパン屋さんは本格的な手作りパン屋さんで、朝ご飯に食べるのが楽しみだった。顔を覚えてくれた先生達が声をかけてくれて、友達もたくさんできた。大学ってこんなに楽しいんだと思えたのは、武蔵美だったからだろうと思う。

今は通学時間や勉強する内容を変えて大学も変わった。通学は本当に楽になり、新しい友達もできた。それから今は大学が楽しいというより、勉強が楽しいと思うようになった。これは京都造形の先生方からご指導いただいた賜物だろう。テキストを読み、言葉を選び、注意深く文章を重ねていく作業は、昔の私なら近寄りもしたくなかった作業だろう。それが今はとても楽しい。

それと、たまたま私の周りが、というだけかもしれないが、武蔵美の時は苦学生が多かったが京都造形は余裕のある方が多い。大学が3つめとか5つめとか、大学マニアのような方もみえる。卒業しても次々と新しいジャンルの学部に挑戦されている。それと、私もそうだが武蔵美は単位がとれないという悩みを抱えている人が多かったが、京都造形は単位がとりやすいというより勉強して単位をとって当たり前という空気があるように思う。

よく授業で一緒になるOさんは、お会いするたびに単位取得数を教えてくれる。あまりにもたくさんとってみえるので、それなら私もと奮起した。ブログをすすめてくれたwさんもきっちり何でもするタイプで、それでも必死感はなく楽しんでいるようにみえる。Hさん、Tさん、Yさん、Kさん、本当に文学コースの勉強が楽しくてたまらないという方々ばかりが周りに集まったように思う。良い影響はいくら受けてもいい。私も人にいい影響を与えられるように、日々頑張ろうと思った。

京都造形と武蔵美の違いまとめ

・本校舎が京都造形は京都で武蔵美は東京にある。
・(私の家から)京都造形東京キャンパスまで30分武蔵美は2時間
・武蔵美には版画コースがあり、京都造形にはない
・京都造形には文芸コースがあるが、武蔵美には小説を学ぶ学部はない
・京都造形はスクーリングが土日祝日、武蔵美は土日祝という授業もあるが平日一週間ということもある
・武蔵美は本校が東京で学食や図書館が利用できるが京都造形東京キャンパスにはない
・京都造形は駅から徒歩5分、武蔵美は駅から更にバスに20分乗る徒歩は40分
・スクーリングは武蔵美は季節ごとに申し込み、京都造形は毎月申し込み
・京都造形は何もかも引き落とし、武蔵美は何もかも振り込み(手数料は生徒負担)
・武蔵美は理由によっては授業の1/6休みが認められるが京都造形は遅刻も一切NG
・武蔵美のテストは持ち込み一切禁止、京都造形は電子機器以外は資料持ち込みOK
・武蔵美は学部間の垣根が低いが京都造形は高い、他部署との交流は全くなし
・武蔵美は授業以外の勉強会は生徒主体、京都造形は学校主体で色々ある
・京都造形はネットで勉強できるAirUがあるが、武蔵美はなし
・武蔵美の授業は9時から17時半、京都造形は9時半から17時40分(11時スタートもあり)
・授業の後に飲み会がしょっちゅうあったのは武蔵美で学外の交流もよくあったが、京都造形はほとんどない

同じだと思ったところ

・どちらにも通信教育課程がある
・学生証で学割がきく
・懇親会の規模や内容
・大学が運営するカルチャーセンターがある(ただし武蔵美は単位認定なし、京都造形はある)

今度Excelで表にまとめてみよう。


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※日本画の授業で、色絵の具の素材一部を見せてもらう。鉱物が絵具になる。

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※武蔵美の日本画の授業。写っているのは版画では卒業できないと教えてくれたNさん。

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※日本画Ⅰの授業で描いた百合の花。尾形光琳の「松島屏風図」をリスペクトして描いた。

【編集後記】

区役所にいったついでに教育委員会にいる知り合いに会いにいったが出張中だった。教育委員会というと、何かあれば訴えるとか葵のご紋的イメージだが実は全くそうではない。言い方は悪いが、教育委員会と学校は当然繋がりがあり、機関は違うが同じ立場のようなものだ。ただ無認可の幼稚園や学校は管轄外で、訴えても何も出来ないのだそうだ。何かあって訴えるのは教育委員会ではなく、司法がいいのではないか。教育委員会が役に立たないという訳ではなく、「訴える」ところではないからだ。この方に会いにいったのは、何か訴えたいのではなくプライベートな話し。この方にお祝いごとがあり、皆で一席設けることになっている。電話してから行くべきだった。


アクセスが多いみたいなので卒業について追記、2017.02.11

卒業認定について全然違うので書いてみたい。まずは京都造形芸術大学通信について。



京都造形芸術大学は卒業確定のスケジュールが2パターンあり、卒業式に出席したい場合はAのスケジュールで単位をとる必要がある。私はBのスケジュール、4月上旬に卒業が確定になる。でも成績には関係ないし、既に今の時点で卒業のための単位は取れている。もちろん卒業式にも出席するつもり。

武蔵美については武蔵美に聞いてみて下さい、でもこんな風に分けるなんて聞いたことないかも。


2017.02.15追記

気になって武蔵美の方にも連絡して聞いてみた。調べてもらう間の保留音が昔と変わらず、息子がお腹にいて色々初めてでわからなくて電話した時のことを思い出した。息子はお腹にいる時から元気いっぱいで足をバタバたするのが好きでお腹苦しかったなー。ママと一緒に武蔵美で勉強した事を覚えていてくれるだろうか。

さて武蔵美の卒業認定の話。こちらの場合は卒業年の前期に卒業認定の126単位のうち108単位取得者が当年卒業者としてリストアップされ、本人から申請を受けて卒業生予備軍となる。で、2月末までに必修など含め課題を提出、その成績の結果で126単位取得者が卒業生となり3月中旬の卒業式に出席し卒業証書を授与されるそう。

そういえば2年生の時に2月28日ギリギリに大学までレポートを持って校内で清書してその場で出したことを思い出した。卒業の年までそうなんだとびっくりしたし、このスケジュールでは学生はありがたいが大学の事務局が慌ただしくて大変だろうと思った。

京都造形芸術大学ってやっぱり事務局が怠慢なんじゃないの?なんで二部に分かれてしかもBコースは2月10日に締切なのに4月卒業なんてやってるの。紛らわしいしそもそもこれが変なのよ。カルチャーセンターと間違えてるんじゃないの?

ちなみに昨年度の入学、卒業者数は以下の通り。みんなネットでわーわー言ってないで聞けば教えてくれますよ。私はどちらも入学案内の部署で聞いてみた。

2015年度武蔵野美術大学通信教育学部入学者5~600名卒業生180名【卒業率】約30%
同じく京都造形芸術大学通信教育部入学者1740名卒業生約400名強。【卒業率】約20%

卒業率が高いとみるか低いとみるかは人それぞれ。

京都造形芸術大学通信の卒業生の数は2015年度は不明で2014年度が427名、その前の年が462名だそう。だいたい毎年400名強らしい。こうしてみると通信教育学生というのは約2~3割の生徒しか卒業出来ないものだとわかる。

なのにみよ、私なんてちゃんと卒業して(まだ確定ではないけど単位はとってるからよほどの事がない限り卒業となるはず)しかも編入後は最短2年で卒業となった。これもひとえに真面目に勉強する学友達からの影響のおかげで、大学や先生達は足をひっぱるばかりで最低最悪だった。この環境で頑張れたという自信は、これからの人生の礎になると思うので損ばかりではない。だが今回卒業する京都造形芸術大学にお礼などいうつもりは絶対ないし、逆に謝れという気持ちを抱いたまま卒業することになっている現状を記してこの記事を完成としたい。そもそもハラスメント認定されて処分された先生が、私に謝る必要はないから会いたくないと言っているそうで、それも大学が容認している現状、もう大学がハラスメントを容認しているといっていいと思う。

京都造形か武蔵美か迷ったら100%武蔵美をお勧めする。京都造形芸術大学なんかに入ったら勉強どころじゃなくなります。京都造形芸術大学なんかに入学したら泣いて辞めなくてはいけなくなるからお金が勿体ない。言っておくけどこれら私の経験に基づく率直な感想だから4649。この一年間大学や先生に気を使って馬鹿をみたと今更ながら思った。

武蔵美は先生や大学が生徒が勉強しやすいようにと気配りしてくれる、これ本当。京都造形芸術大学は生徒が先生や大学にへいこら気を使って勉強どころじゃなくなるよ。




ここまで来たらはっきり言わせてもらうけど、あんたなんか先生だから気を使っただけで異性として一ミリも興味ないから勘違いするな本当にいい迷惑。


2017.02.25 土曜日:またしても追記 

 武蔵美は卒業制作作品集が卒業生および在学生にも全員に配布されるが、京都造形芸術大学は、卒業生だけが"購入"するもののよう。先日卒業制作の最終面談でなにやら封筒を渡され、その中に「卒業制作作品集購入申し込み書」というのが入っていた。私はてっきり文芸コースの卒業生全員の卒制を集めた文集が作られたと思ったのよ。そしたらこれが通信教育部全コース卒業生の要約集だったという訳で、またまたビックリしてしまった。

そういえば一年目に卒業制作集貰わなかったと思い出し、京都造形芸術大学は、卒業生だけが買えるものだとわかった。お値段¥3,500-!当然申し込みしないと手に入らない。確かに学生数は多くて用意も配送も大変だと思うけれど、これは全生徒に毎年贈っていいものではないのかと思った。でないと卒業制作どんなものを創ったらいいのか道標もなにもないという事にならないだろうか。


休学している3年分も送られてきたので六年間ぶんある。ここに卒業制作作品は載らなかったけれど、確かに在籍していたという証でもある。武蔵美の卒業式はどんなかなあ。卒業制作作品展には行ってみようか。

しかし、たがが通信大学、されど芸術大学、色々違いがあるものですね。

昨日は大学の「フライングカフェ」というイベントに参加してきた。昨年度は確か浅草だったと参加した誰かに聞いた。京都の方でもやっていて、記事になっているので紹介。「今年は文芸コースが幹事」とあり、学部コースが持ち回りで担当するよう。

このイベントは年に一回、在学生だけのもので、何か史跡や博物館美術館などに皆で行き校外学習、その後大学に戻りお茶をする、ついでに先生達に学習相談をするという催しで、今年の東京外苑は神宮外苑の聖徳記念絵画館の見学、日本美術史で御馴染の美和先生のレクチャーつきというものだった。ということは「歴史遺産コース」が幹事だったのかな。

私は元武蔵美時代は版画コース、現文芸コースだけれど、日本美術が結構好きでここも一度見学したいと思いながら学生生活も終焉を迎えそう、そんなところに丁度いいイベント。諸事情あり大学の方に色々気を使わせてしまったが、わたし的にはとても楽しい時間だった。



これは聖徳記念絵画館に行った後に出された和菓子とお茶。どちらも京都からわざわざ取り寄せた有名どころのものだそう。和菓子は「下萌」という名の通り、中は萌え萌え薄緑の餡、白い手毬のように巻いてあるものはなんとか芋ということで里芋っぽい味がした。だめだなーメモしていないとやっぱり忘れる。それにこれでも茶道8年くらいやっていたのにお懐紙の使い方も忘れてしまっていた。


信濃町駅を降りて大学に向かう道。いつも左側の歩道を歩いてまっすく行くと左側に大学の校舎がある。今日は右側にある明治神宮外苑の聖徳記念絵画館へ。信号渡って近道でいった。右側にいったのは初めて。 

明治神宮外苑は広い。
四角の10番信号の右横のに校舎がある。神宮外苑管轄外のせいか、どの地図にも載っていない。でも校舎内の樹は全部御神木という事で、明治神宮の担当の方が手入れをするそう。
   

参加者は建物正面で集合。参加者はざっと20名ほどか。大学の近くにこんな建物があるとは知らずにいた。びっくりだった。
   

ここでチケットを買う。チケットといわずに拝観料的な協力金という名前。歴史保存に使われるということだろうか。


天井が大きなドームになっている。「東京駅みたい」と誰かが言ったが私もそう思った。



入口入って右側が日本画、左側が洋画の展示それぞれ40枚づつ展示されている。すごい大きな絵で、著名人のものばかりだそう。明治天皇の歴史をずっとなぞる作品ばかり。様々な逸話を先生から聞きながら拝見。この前に別室で聖徳記念絵画館の担当の方から絵画館の歴史をスライドを映写しながらお話を伺う。30分くらい?歴史の中に自分も生きているんだと感じてしまった。ずっと繋がってるんですねえ。
   

出てきたところにある「なんじゃもんじゃ」。建物の中はとても寒かった。


梅が綺麗だった。 「絵画館」という看板は大学の近くにもあり、こういう意味かとやっとわかった。絵画教室でもあるのかとずっと思っていたのよ。


ぼっち参加なので一番後ろを歩く。みんなさっとお仲間を作ってお喋りしながら歩いて偉いなと思う。
   

国会議事堂に似てると思った。歴史ある建物。焼夷弾が二発落ちたけれどレンガなので燃えずに済んだそう。近くにある慶応病院はその時木像だったので燃えてしまったとのこと。まるで三匹のこぶたのお話のよう。やっぱり家はレンガなんだと思った。
   

ネットの拾い画。どんな絵が保存されているかはサイトにもあまり掲載されていない。ボストン美術館のようにライブラリ形式で検索できるようにすればもっと一般の人や外国人ツーリストが観にくるんじゃないかと思った。
   
     image
これはサイトに掲載されていたものスクショ。こんな大作が80点。明治天皇が可愛がっていた馬の剥製などもあった。  


道路を挟んで反対側には京都造形芸術大学通信生のための外苑キャンパス。本当にすぐ隣だったが全然気が付かなかった。


青山方面に行くと銀杏並木。これは秋の頃の写真。

学友のIさんに撮って貰った。この後青山駅の構内にある銀座ライオンで色々話し、暮の懇親会でコスプレをしようと思い立ち、あの大惨事が起こった。皆驚かせてしまったが、今思えばいい思い出になってる。みんなもそうでしょ?

先日いった明治神宮にも繋がっている明治神宮外苑、聖徳記念絵画館、そして京都造形芸術大学外苑キャンパス。学舎の中にある桜が枯れかけていて、樹医にみせたらどうかとお節介を焼いて「御神木だからお前がなんかいうのは筋違い」と注意されたことがあるが、なんとなくやっと意味がわかった。明治神宮外苑に大学の校舎を作ったということなのですね。

「学習相談会」と言うのは個別で相談するのではなく、大きな教室に各コースが集まり、ああでもないこうでもないとお話するものだった。五人の生徒のうち三人がこの春の卒業生で、特に質問というより文芸のトレンドや京都の街の話など。

文芸コースの先生はクルーソー先生と私の副担任の先生が参加された。コース別に別れた後は、先生二人に生徒五人という贅沢な会となった。本年度の都をどりは祇園甲部株練習場の修復工事のため、なんと京都造形芸術大学の春秋館というところで全日程やるそう。この話ももっとよく聞けば良かった。本当にお金のある大学だなと感心してしまった。私みたいな庶民には似合わなかったということだろうか。そう考えると色々チグハグになったことも納得できる気がした。 

茶話会最初にひとりひとり簡単な自己紹介をということで、私は卒業後は芥川賞を目指すと話したら、シーンとなるかと思ったら割と好意的な空気がかえってきて、良かったなと思った。先生も授賞式には呼んで下さいねなんて、当然主担任と副担任の先生はお招きしますので楽しみにお待ち下さい

京都造形芸術大学のハラスメント相談については、以下の通り。(パンフレットの内容を転載)

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【相談方法連絡先】
※連絡の際には、「ハラスメントの相談です」と伝えてください。

●Eメール:harassumennto@office.kyoto-art.ac.jp
(harasumento ではなく、harassmento なので間違えないでね)

●電話:075-791-9343
京都造形大学 保健センター 直通ダイヤル)
電話受付時間:月曜日から金曜日の9:00-18:00
※長期休暇中、通常の授業期間以外は9:00-17:00になる場合があります。
※状況により、折り返し電話をすることがあります。

●手紙宛先:
〒606-8271 (京都府)京都市左京区北白川瓜生山2-116
京都造形芸術大学 ハラスメント相談窓口

※パンフレットはこちら↓↓↓(資料提供「偉そう先生」)
harasumennto1

harasumento2

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で、これら訴えは、「保健センター」というところから、「人間関係委員会」というところに繋がり、委員会にかけられ受理されれば対象者が処分されることになる。

「人間関係委員会」とはよくいったもので、「全ての悩みは人間関係にある」と説いたアルフレッド・アドラーの言う通り、全てのハラスメントは人間関係の中でおこる。すごい、また名言が飛び出したところで本題。

京都造形芸術大学だけでない、他の大学でもハラスメントはあるだろう。私はここの大学だけでなく、武蔵野美術大学でもハラスメント相談をしたことがある。武蔵美の時は面倒なこと一切なく、メールで出したらすぐ回答がきた。「これだけではアカデミックハラスメントとは認定できませんが、問題がなかったとはいえないので改善するようにします。すんませんでした」と返信が来て、私が問題だと思っていることは全部解決した。なので誰も処罰されず恨みも残らず、全てがまるく収まったという神対応だった。

私が問題と思っている先生は、クビにならない代わりに監視役の先生をつけられて、その科目は先生二人になった。それまでずっと独占してその先生だけが受け持っていた科目、美術大学でそんなに重要と思われる科目じゃなかったので履修する人は単位目的の生徒ばかり。だからといって先生がそんな適当に採点していいものかと思った。私は皆が「日本語が書いてあれば合格する」と言っていた科目で4回も不合格再提出を求められた。さすがに怒って学友に言うと、いつも「あなたが大概にしなさいよ」という学友達まで「それ絶対おかしいから大学にハラスメントで訴えな」と言ってくれて、訴えたらすぐに解決して、もっと早く申し出れば良かったと思った。

時間を無駄にしたし、やはりここでも学びのモチベーションががくっと減った。解決はしたが、そこからもうあまりやる気もなくなり単位も全然とれなくなった。そのままぐずぐずと年月だけが過ぎ、もうお金がもったいないから退学しようかなんて思ったりもした。何度出しても「不可」だったレポートは何もしなくてもA評価に変わった。あたりまえやろ。

なぜそんな風にひとりの先生から嫌がらせをされたか。それは私は大学で書いたレポートで評価のいいものを「みんなのキャンパス」というところで販売したせい。それを見つけた先生が「私は如何なものかと思います」とレポートの採点に書いてきて不可をつけた。なので「課題の講評に書くのは不適切」だと返信したら、そこから再提出のバトルが始まった。先生からしたら「おのれよくも私に逆らったな」と思ったかもしれないが、もしそういう事を注意するなら大学の事務局からなりなんなりから通達すべきなんじゃないの。「大学の先生っていうのは浮世離れしている人が多い」なんてだから言われるの。

という話は置いておいて、なんか今思い出すと京都造形芸術大学の今回のことと似てるわと思った。場所や時代が変わっても、ハラスメントっていつもどこでもおこる。もうどうしようもない人間のサガなのだろう。

※お猿ちゃんがカスタードのたい焼きが食べたいそうでちょっと中断します。今日はちゃんと最後まで書くよ。学友の大ピンチだからね!事務局いい加減にしなよ。今度こそコナンチェンジ!!!




と、いうことで無事カスタードのたい焼きを作り熱々を食べさせてまたブログを書いている。本当に私は何もないところから何かを生みだす天才だとまた思った。夫なら絶対に出来なかっただろう、というかもう何年も前に仕舞いっぱなしなたい焼き器のありかを覚えているなんで、人の名前が覚えられなくてママ友付き合いで苦労しボスママにいじめられそのせいでママ友界から追放豊洲から村八分にされたとは思えない。自分の好きなことならなんでもすぐ覚えられるし忘れないものだとまた思った。

さて本題。おおえかの言いなりになっているN先生のお陰で、おおえかが初めて受けもてた大学の授業、なんのキャリアもスキルもないただ一回脚本が舞台に使われでもそれ関係者以外からは酷評の嵐でそのせいでその劇団が潰れた疑惑という経歴のおおえかのデビュー授業「ストーリーとシナリオ」三日間で21,000円‼️高 というのを、受講を拒否されて文芸コースの身で受けられなかったというのは前に書いた。


宇宙マッサージすると精神疾患が治るそうです笑

そこでもうひとつの事件が起こっていたことを思い出した。私のマブダチにKさんという学友がいる。以前、西洋美術史の時に席がぎゅうぎゅうだったので、ひとつのテーブルに二人座るという事態になったことがある。会議室なんかによくある長いテーブル、あれがずらっと横に並べられ、受講生の少ない授業なんかだとひとつのテーブルに一人が座る。Kさんとはマブダチなのでくっついて授業受けても無問題だった。

「ストーリーとシナリオ」はがら空きで、ひとりひとつのテーブルは当然、荷物置き場的テーブルもあったくらい。



私は受講させてもらえなかったけど同じ日程で違う科目を受講していたので休憩時間には何度も「ストーリーとシナリオ」の教室にいったのでなんでもみてよく知っている。おおえかはそんな私をみて、挨拶するでもなく視線を合わせもせず、しらーっと無視した。普通自分も担当している文芸コースの生徒が受けられずに教室にきたら、「どうしたの?」とか色々聞くのが先生なんだよ、これだけで先生の資格ないっつーの。

そこで生徒達にこの授業はどうだとか、おおえかが依怙贔屓している生徒以外には高飛車に威張っていて不愉快などという人達の証言などを得た。でもこれ上の先生達全員そうだからおおえかだけを責められない、「偉そう先生」なんて本当に最初は偉そう、でも話が進むにつれ、だんだん火が消えるように大人しくなったのはよろしい。でも「偉そう先生」は「ハラスメント」はしてない、おおえかはここ間違えたんだなあ。言葉での喧嘩はいいけど「暴力」になると刑事事件になり告訴されるというのと同じだと思う。

そして「ストーリーとシナリオ」の出席者が27名というのはまた全然関係ない学友に頼んで数えてもらった。その時の授業の資料や内容なんかも詳細に聞いたけど、これで21,000円?冗談でしょ!依怙贔屓されている数人は面白いと思ったかもしれない。でも正直「この大学間違ってる、私たちが紙だからっていい加減にして!」と思ったでしょう。でも言えないよね、生徒だもんね。先生に逆らったら、私iみたいに悪い点数つけられたり大学に来にくくなったりモチベーション下がって単位ギリギリになったりしたら困る、下手したら留年だし卒業できないよ。

でも今日はそれじゃない。別の話。まず最初に晒した「ハラスメントを受けたら」というパンフを見て欲しい。一応webにも載ってるけど適当すぎてわけわかめだと思うのでパンフを掲載した。

ここに色々なハラスメントの例が載っていますね。

例えば、

②アカデミックハラスメントの欄はハラスメントの具体例として、
・不当に低い評価をつけられた

というものがある。これは私の今日書いた武蔵美のとある科目(科目名を晒さないのは前の学長に恩義を感じているから)もそうだし、「連歌と俳句」で顔採用の先生に75点つけられたのもそうだし、「・みんなの前で、研究上のミスや問題について大声で叱責された」というのはN先生が懇親会という公衆の面前で私を大声で叱責したのもこれに当たるだろう。これ、訴えたらと言ってくれた人もいるけど、これ以上あの人を晒したら本当に今度は何をされるかわからないのでしない。

というか事務局が「あなたのためだから」とN先生と私を会わせないのはそういう理由もあるそう。うん、ちゃんと聞いたのよ。あ、だから懇親会も卒業式も事務局に言われて出席できないのだろうか。でもそんなのあるか?コース主任なんだよ?自分の可愛い生徒達の旅立ちを見送らななくていいんだ?へえーふうーん。というかもしかしてクビになったのかなあ。それはないよね!

で、今回は私のマブダチの話。そしておおえかが「良い先生面だけで全く生徒の事何も考えてないいつも自分自分自分自分」という証明にもなる話。

私が拒否られて単位のために仕方なく受けた「文化史特論」これが大当たりでめっちゃいい授業だった。3日間のうち毎日色々なジャンルの先生が授業をする。内容は歴史遺産コースの生徒達が卒論をするにあたり、研究の仕方論文について、それから自分達がいかに苦労して日々研究研鑽をしているかという内容だった。文芸を卑下するつもりじゃなく、本当にどの先生も研究熱心で自分の研究ジャンルを愛し、毎日毎日コツコツと色々勉強されているのがわかった。先生の先生について習ったり授業を受けたり新知見(研究上の未知の発見、論文に書いて学会で発表するそう)を求めて四苦八苦されている様子は、人間いつまでたっても学びの姿勢がないとダメなのだとわかった。「俺もう先生になったから暇で困ってポケモンでもしてダラダラするかあ」なんてTweetは間違ってもしないだろうと思われた。

で、私が第一日目の一時間目の授業を受けていると、学友のKさんが慌てた様子で教室に飛び込んできた。私は一時間目の前、「ストーリーとシナリオ」の授業誰が出席してるんだろう、入りはどうだろう、本当に定員でいっぱいなんだろうかとリサーチに行った。その時にKさんがいて「今日は教室別々」というと驚き、事情を話すと「ああー」みたいにがっかりした顔をしてくれて、他にも学友が来て「酷い話」「それおかしいやろ」と言ってくれたりして溜飲を下げた。で、おおえかが来てちょっと「うわっ」という顔を私に見せた後はツーンと知らん顔で他の依怙贔屓っ子に話しかけて何か後ろめたいのか顔を真っ赤にしてきょどっていた。おおえかは後ろめたいことがあるとすぐ顔が赤くなる。赤面症なのかもしれないと思った。

で、Kさん「文化史特論」の教室で私をみつけると同じテーブルの隣にきてくれて、というかこの科目はそう狭くない教室なのに受講生でいっぱいで、私の隣くらいしか空いてなかった。「どうしたの?」と小さな声できくと、「教室間違えた」と言う。

「こっち申し込んでたのを間違えてあっちにいってしまった。あっちで点呼がなかったのでこんな時間まで間違えたのに気が付かなかった。みんなが持ってる資料がないので先生に言ったら「事前に郵送して余分はない」っていう。うちに届かなかったと言ったらやっと名簿を確かめられて、私の名前がないから間違えたと気付いた」

というような事を休憩中に改めて話してくれた。

「どっち受けようか迷ってこっちにしたんだった。でも覚えてないわあ」

と、あははっと笑っていた。でも今現在、彼女に「あはは」で済まないことが発生している。なんとこの時一時間目に遅刻したということで、三日間真面目に授業を受けてスクーリングレポートを出したにも関わらず「単位認定できません」と大学から通知がきたそう。彼女が真面目に三日間授業を受けていたのは私が証明する。メモをちゃんととりレポートも書いたと言っていた。彼女は目立つタイプではないが、陰日なたなくコツコツ勉強している。それから彼女も貴族とまでは言わないけどご主人偉いひとなんだよ、そっちからクレームが来たら誰か責任取らないといけなくなるよ藁

で、この授業は三人の先生によるオムニバス形式の授業だったので、この中の先生誰かの申告でそうなったとは思えない。また事務局コナン馬鹿やったと思った。訴えられていいから本名を晒す、コナンは小南。最初私が読み間違えたのをそのままあだ名にしている。名前晒すのは最初で最後だからよく覚えておいてね。

私はこの時Kさんが「単位認定されなかったらどうしよう」というので、そんな事絶対ないと思うけど、もしそうなったら私に連絡して。認定を覆すネタを持ってるからと彼女にかくかくしかじかその出来事を話した。それは何かというと、京都造形芸術大学のシラバスにも書いてあるし、大学の事務局はテストやガイダンスでいつもいつも偉そうに(誇張ではなく本当に偉そうに話す時は顎が上がってる)「遅刻や早退や欠席は厳禁!1分でも時間に遅れたらテストは不合格、単位認定もできない」と常々ことあるごとに言っている。

でもそんな事絶対ない。

まず、「連歌と俳句」の顔採用の先生は、授業の最後「レポート書けた人から帰っていい」とつい言ってしまい、後から慌てて「でもなるべく授業終了時間までいて下さい。どうしても急ぐ人はいですけど」とこれまたちーさい声でぼそぼそ言っていた。いつもの自分のカルチャーセンターなどの時と間違えてつい言ってしまった、でも大学事務局から滾々と言われていた「時間ピッタリに終わって」というのを思い出したのだと思う。そしたらさあ、「すみませんいつもの癖で言ってしまいましたが、大学というか文部科学省の決まりで時間間でいて下さい」って言いなおせばいいんだよ。

で、私お猿ちゃんが待ってるからこの日は早く帰りたかった。「ままどこ?」「だいがくよ」なーんてメールしたばかりだったし。で、一番早く書き上げて提出して帰ろうとすると、明らかに顔がムッとして怒っていた。なんかすごい怨念というか「おいっ、空気よめよ」とでもいうような感じで睨みつけられた。うんでもさあ、いいって言ったし特に急ぐならオケって自分で言ったんじゃん、と持ってさっさと帰った。そしたら75点。短歌なんて笹先生絶賛してくれたし、その後「匿名で点数をいれる」句会でも高得点で顔先生が自分で私の作品を「特選」に選んだんだよ、なのに「最後のレポートで点数をつけたので75点です」と返ってきた。これ、

②アカデミックハラスメントの欄はハラスメントの具体例として、
・不当に低い評価をつけられた

に当たるんじゃない?ハラスメントする先生はクビだと新しく京都造形芸術大学で決まりましたのでそのようにされてください。なまず学長に泣きつく?ああ、そうしたらあなたらしいですね笑

あ、今見たら「連歌と俳句」じゃなくて、「俳句と連句」だった。これもう「短歌と俳句」にチェンジして、笹公人先生と『サラダ記念日』の俵真智先生にして下さい。こんな自分勝手な点数つける女帝きどりの先生信用できません。

文芸コースのシラバス55ページが「俳句と連歌」のページなんだけど、成績評価方法についてこう書いてある。
「1.受講姿勢 2.内容の理解度 3.独自の視点 "本科目は、授業への取り組み、および授業中に提出する課題を総合的に判断して成績評価を行います」とある。そして「成績再審請求書」を出してもどってきた内容が「最後に書いたレポートで成績をつけました」とある。事務局にコピーがあるはずだから自分でも確かめてみなよ、晒すと著作権に抵触とかうるさいだろうからしないけど。N先生も知らないとは言わせない。事務局→N先生→顔採用の俳句の女先生の流れのはずだから。N先生は生徒の真摯な訴えを無視してまたもや顔採用の女の先生の肩をもったことになる。

この大学こんなんばっかり!


ね?書いてあるでしょう?


ここ、ここです!

ということで、もう一度再審請求書を出した。もういちいち書類を郵送なんてしなかった、現代にはFAXという便利なものがある。FAXでだだだっと送ったった。メールは添付書類はセキュリティ対策の関係で受け付けられないそうで今回は断念。でも以前大学の研究助成金申請出さなかったら「メールでいいから出して」と言われて添付書類で出したことがある。自分の都合で色々決まり事を勝手にチェンジする京都造形芸術大学らしいと思った。これ以外にもおかしい変だと思った事全部「偉そう先生」と「住職先生」に文書でたくしてあるからちゃんと回答して下さいね。隠し事するともっとほじくるぞゴルァ( ゚Д゚)

ということで、京都造形芸術大学本当にルールがマイルールもいいとこでいい加減というのがよくわかったと思う。

マブダチKさんは、わざと遅刻した訳ではない。むしろ点呼しなかった馬鹿が悪くない?文芸コース以外の授業は全部点呼による出欠の確認があったのにないのが悪いんだよ。だからKさんは一時間目かなり経ってから別の教室に移動することになった。これも遅刻になり単位認められないってお前ら馬鹿なんだよ。「馬鹿って書くな」って大学に言われたけどこれ以外にどう表せばいいの?

私が「俳句と連句」早退したのはいいんだ。でもこれ顔採用が認めたやつだ。しかも文芸コースで遅刻してきた人が何度もいたのに単位認定されたと聞いた。これは2015年秋の「外国文学」のN先生の授業だった。三日間毎日遅刻してくる人がいて、N先生最後の日はさすがに怒っていたけど単位はもらえたらしい。なんなら本人に証言してもらう。

それから2015年の論文研究、この記事の前の「拝啓徳山豊理事長さまへ」でも書いたけど、今は朋輩になったoさんも課題の評価に異論があり怒りまくって授業をボイコットしたし二日目はもうお昼やろというギリギリのところに到着したけど単位認定された。でなければ今年卒業制作なんて出来なかったし卒業式に出席なんて話が出なかっただろう。これら、何もかもN先生が「特例」として認めたんだろう。N先生は一年目のガイダンスで様々な事例を出し、「卒業出来るように特例でバックアップしますから安心して勉強して下さい」と言っていた。

私はいい先生だなと思いつつ、こういうの最初にぶっちゃけて大丈夫だろうか。多分ずーっとこれで先生をやってきたんだろうな、きっといつかこれで痛い目にあうだろうな、でも先生にそんな事言ったら嫌われるから聞かなかったことにしようと思った筈なのに私の脳みそは結局忘れてくれなかった。

今回Kさんが単位を認められなかったのはN先生ではなくおおえかのせい。この時事務所のカウンターでKさんが私とまごまごしていると、おおえかがさあっと現れて私をガン無視しながらKさんにだけ「どうしたんですか?」と、さもいい人ぶって聞いてきた。私はあーあ、いい人演じさせたら天下一品だわと思いながら生暖かく眺めていた。するとおおえかはKさんの肩を抱いて、さあ私に何もかもまかせなさいねというふうに事務局カウンターに誘導し、「すごく偉そうだったけど最近は火が消えたように大人しくなった事務局の女ボス」を呼び、「これこれこういう訳で本来の授業に遅刻しちゃったんですよー」と説明していた。

外苑事務局の女ボスはつい最近私から「あの人力ある人にはニコニコべたべたして私みたいな依怙贔屓しない生徒にはぞんざいな態度」と言付けていたせいか、私に対する態度もみていてくれて、その流れで自分にニコニコしているおおえかに笑顔もみせず目もあわわずKさんにだけ対応していた。女ボスぐっじょぶ。この人何度も電話連絡してくれて取次してくれて思ったのは、事務局だから色々私に対応できないところはあるけど、ちゃんと正しい事とか悪い人は容赦しないとかいう真っ当な人間像がみえる気がした。威張るのだって多分そうしないと暴走した生徒とか多分いたんだろうと思う。ニコニコハイハイしていたら学校って成り立ちませんからね。

そして私は横で聞いていて思った。こんな言い方したら事務局は単位くれなくなるじゃん。おおえかは自分が最初に点呼しなかったミスを申告もせず、おっちょこちょいな生徒仕方ないなあみたいに笑っていた。そこで笑っているのはおおえかだけだった。どうしようもないと思った。私なら「文化史特論」の先生に会いにいって、これこれこういう訳で遅刻させせすみませんでしたって言って遅刻じゃなくなる措置をしてもらう。事務局に後から叱られたとしても、真っ当な生徒を守ってなにが悪いんだと言えばいい。そんな気これっぽっちもなく自分の保身ばっかりで反吐が出る。事務局だってそう言われたら単位認定する訳にもいかないだろう。

これは全部おおえかが悪いよ。大っぴらにして「こっちの授業に間違えてきたのであちらの授業に彼女は遅刻しました」ってさあ、生徒売ってまた自分が点数稼いだんだよもーやだやだ。

ということで大学はもしKさんの「文化史特論」単位認定しないというなら、これら全部文部科学省に訴えて単位どころか大学の認定も取り下げて貰ったらどうなの。大学も事務局も先生も全部「もどき」大学ごっこもいいけどこっちはお金払ってるのね。通信だけじゃない、多分通学生の中でもこういう理不尽ばかりだと思う。特におおえかと同級だった学友のみなさん、奴に嫌がらせされたり足を引っ張られた人が絶対いるでしょう。京都造形芸術大学なんてお金持ちのゆとりある生徒が集まっていて、そういう人達は得てしてみんな性格がいいし、イジメられてもすぐにこれがイジメだと気付かない人が多い。

私も最初豊洲のボスママにやられた時は「自分が悪いんだ」「空気読めなかったから」とか「お土産なごやんじゃダメだったんだ」などと自分を責め続けた。でも大学でおおえかにやられた時は散々やられた後なのですぐにわかった。セレブウもといあの貴族のご子息がおおえかにやられて弱っていた時も「それはあなたに嫉妬している」とすぐに論拠と証拠を呈示しながら理路整然と説明でき、すぐにセレブウは元気を取り戻せた。「頼まれていない」というのはまあいいよいいよ、あなたも一生そうやって雲の上で暮らせばいいから。

さあ京都造形芸術大学事務局、これでもKさんの単位認定しないの?おかしくない?それなら私が卒業認定されるのもおかしいでしょう。「俳句と連句」早退したんですよ?どんな回答があるかこれも楽しみですね。だいたいいつも人をみるしそれでいう事が違うのがおかしい。

学長が顔採用の女性と「藝術学舎」の授業だからと旅行するのがまず変!第一弾のカニ食べる旅というの、なかなか人が集まらなかったせいで何度も「催行人数に達しない場合は連絡します」って何度もアナウンスがあったくらい人気不安定な企画。学長に気を使って関係者かき集めて決行したんじゃないかと推測する。「カニ美味しいですよね、でも今度はハワイがいいい」「いいですね、行きましょう」なーんてね。

また春コースで今度は房総ですってよ。暴走もいいとこじゃないでしょうか。まだネットにはあがってないけどあるんですよそういうのがまた。



最小催行人数が減ってる!笑、しかも見開き巻頭2ページ笑笑

それなら「千住博大先生といくウォーターフォールのビッグバンを探して」の旅行の方が絶対受けるのに!私もこれなら行きたい❣️千住博大先生が「ここ、ここなんです、ここでホラ滝に目線を合わせてみて」「本当❣️先生、私も滝の息吹がみえました😭」なんてね。素敵💖💕✨もう本当に企画するの誰だろう一歩前に出ろというか千住博大先生企画なら絶対with森生ゆり子じゃない?顔だけなら顔採用にも負けてないと思うけど。 でも専業主婦じゃなあ〜やっぱり芥川賞いるなと思った。

そうだ、「連句と俳句」の授業の時、笹先生も顔採用の先生もどきの顔を褒めてた。「本当にお美しい」とかってまあ顔褒めとけばいいやろって棒読みだったお。顔採用は「いいえ、そんなあ」と大喜びしていた。この先生の笑顔ってこの時しか見られなかったそういえば。私なら大学の授業で顔なんか褒められたら怒ると思う。「授業や学問に容姿関係ないですから」って。でも顔採用は自分が顔しか取り得ないとわかっているのかニコニコして。これがタモリ倶楽部とかでタモリさんが言うなら別、タモリさんは何を言ってもいいことになっている。あー笹先生タモリ倶楽部に出てくれないかな。アシスタントはもちろん私じゃー! やっぱりここでも芥川賞いる。

でも早速テレビ朝日に企画書送ってみようと思う。


【まとめ】

②アカデミックハラスメントの具体例にある、 

・不当に低い評価をつけられた

ということで、Kさんも私もOさんも大学マニアでN先生に叱られた人も、よくも悪くも全員事務局および大学を訴えられると思った。高い評価も不当なものなら異議を唱えられると思う。パンフレット「不当に低い評価をつけられた」じゃなく、「不当な評価をつけられた」に修正をお願いします。 

※一部不適切な表現があると大学から注意を受けましたのでその箇所は訂正しました。       
        
   

そう言えばN先生に私は様々な新知見の資料を事務局経由で送ったけれど、お礼もなく自分の感情を優先させて激怒したり失言したりっていうのは良くないと思います。特に、プルースト作『失われた時を求めて』に出てくる「黄色い壁のマチエール」が『デルフトの眺望』のどの部分かっていうの、先生授業で間違って指してたから私が「違うんじゃないですか?」と言ってそのまま「どれがそうかわかりませんね」となったやつ、「西洋美術史」の授業受けた時に先生が私の指摘の方が正しいって教えてくれて次の日資料までもってきて下さった。そういう内容とか色々書きたかったけどそれみて事務局が「特定の教師へのレターは受け付けない」ってまた拒否されて手紙と共に返却されるといけないから資料だけ送った。

先生は間違いを指摘してきた狼藉ものとまた思ったかもしれない、でもそうじゃない。知り得た情報を伝えたいと思っただけ、プライドなんて捨てて考えてみたらいい。人がどう思うかじゃなくて、事実は事実なんだから素直に納得する。それから西洋美術史の先生に先生からももお礼言うべき。それにしても西洋美術史の授業、本当に定員オーバーもいいところで追加募集も毎年でない大人気の授業。私は追加募集ないけど「去年も抽選はずれたし、卒業したら受けられないので受けたい」と事務局に言ったら受けさせてもらえた。なのに定員80名で参加者27名の「大江和希担当ストーリーとシナリオ」は、拒否られた。これ、絶対おかしいでしょう。しかも授業の資料は各個人に予め郵送で送るという徹底ぶり。普通はどの授業も教室の前か後あたりのテーブルに並べられ、各自がそれを一部つづとるというスタイル。私にどうしても何も見せたくないということなんでしょう。おおえかって本当に小知恵働かせて墓穴掘るタイプ。こんなことして私に突かれるに決まってるのに。N先生も結託したりしてわからなかったんだろうか。偉い先生達に話したら「考えすぎ」と笑っていたけれど、このブログ全部というか「京都造形芸術大学」というタグのものだけでも読んだら「なるほど」って思うと思う。 こういう事が細々色々あった。「わからないだろう」なんて何故考えるんだろう、本当に不思議なんです。 それより大御所の先生と、こんな学生気分抜けてない勢いだけの「いえーい!」「うぇーい」だけで授業すすめるおおえか@kyoku_hoku の授業が同じ値段なんて生徒を馬鹿にしてるの?まあ通信生は紙(集金袋)だからですよね。

そういう訳でまだ大学とのイザコザ全然解決の糸口すらみえていないが、私は超元気。今日は夜息子ちゃんの英語教室に付き添うだけで他に用事なし。夫は今日から平常運転で会社に出かけていった。それが今月からちょっと遠いところに異動になり、朝早くでかけていったもんだから朝が本当に平和だった。息子はさっさと行ったのはいつもの通りだけど、娘も夫がいないと私のいうことをよくきく。今朝はバトルもキャットファイトもなくたんたんと学校に行きました。夫は家庭的だけど典型的な「毒親」ママみたいだから「毒母」といっていいと思う。あんなんが母親だったら私なら家出する。まあ本当に家出したのは前に書いたから端折るけど、夫のママンは私好きだけど嫁と姑という距離感がいい感じに影響していると思う。あの人に育てられるかと思うと、うーん、多分家出してるな。結局誰も私を育てられないという結論になるのか。

今8時25分、9時まで好きなことしていいことにしてブログを書いている。色々書きたいことはまだだまあるが、日々忙しくままならない状態。そうだ、猪瀬さんに「豊洲市場どうしたらいいか」ブログに書くから読んでネっていう約束もあった。もうNewsPicksでちゃったけどFacebookで繋がりはあるし、あの時猪瀬さんの文春胞的告発を否定する人も大勢いたけど、私の長文砲で蹴散らしたことを覚えていてくれていると思う。今は蜷川なんとかさんという綺麗な元女優さんとラブラブでまあーご馳走さま♡良かったですね猪瀬さん。このお、うらやまけしからん。いくつになっても素敵な恋が訪れるということで、壮年男子の希望になったと思う。私もいくつになっても選ばれる瑞々しい女でいたいわと思った。

で、今日の主題。タイトルの通り大学がアホなせいで学友同士がぎくしゃくすることが本当にたくさんあるという話。また引き合いに出して申し訳ないけど、武蔵美は全くなかった。学生同士諍うこともありましたよ人間対人間だもの。でも「大学および大学の先生が原因で仲違い」というのは無かった。それが京都造形芸術大学の場合はしょっちゅうあった。今回私が名指しで怒った「モアイ刑事」、この人はおおえか派の第一人者、昔「結婚したら?」と聞いたらやぶさかでない様子で、えっそんなに好きなんだと驚いた。

元売れない舞台俳優、今底辺ライター、しかも大学の先生職だって風前の灯、あなただって今フリーターみたいな立場でしょう。どうやって食べていくの。でもモアイ刑事はそういうの全然関係ない幸せを築ける人だからいいかもしれない。

ということで、私がおおえか(というのは大江和希という京都造形大学卒業したばかりのなんの業績もないただ使い易いというだけで助手から講師になりあがった通信生徒達からあんた何様と忌み嫌われている馬鹿で先日偶然会ったおおえかの同級生から「あの人!ああ、あいつ?」みたいな、やっぱりという笑)が敵対しているせいで、このモアイ刑事とも断絶してしまった。昨日の学友は今日の敵、他にもおおえかが主担任だった人は何人もいるが、他の人は関係ないと思ってくれているよう。それもとっくにリサーチ済みというか、授業で会っり色々でわかる。ざまあ、おおえか。お前を慕う生徒がひとりだけでもいて良かったね。私がブログでdisったせいでコピペ添削やめたそうじゃない。ホワイトボードに「〇〇さん改造計画」なんてのを書いてプレゼンしたんだって?まあ~いい先生を演じさせたら上手上手。でも中身がないとネ。でもモアイ刑事にもがっかりした。自分だけ依怙贔屓されれば他の生徒はどうなってもいいんかと、正義感の強い人だと思ったら違ったと、本当にがっかりしたけどそうじゃないかと思っていたから大丈夫よ。

その反対に敵だと思っていたというか、向こうがそう思っているだろうなと思う人達が意外な反応を見せてくれて嬉しかった。今日はこちらが主題。口頭試問の授業の時にばったりOさんに会ったという話。大学のトラブルと口頭試問の話を分けようと分割したら、Oさんの話を消しちゃったみたい。ちょうどいいので改めて書いてみたい。

口頭試問があったのは1月27日、私の時間は13時40分からだった。学友達からの情報によると、N先生とおおえかは全28日というスケジューリングだったよう。本当に用意周到というか、私とN先生が遭遇すると怖いと言った事務局の方の言うとおりになってる。2月18日の「フライングカフェ」という芸術学部の各コースから先生がひとりづつ参加し、美術館を見学し大学に戻って茶話会、その後学習相談と言う流れのイベントがあるけどこれ私どうしても参加したかったので申し込んだけどN先生も参加するけどいいのかなと偉い先生に言ったら「なんとかする」というので多分N先生外されて、そういうい時はあと一人しかいない外苑の先生と言うことでおおえかが来るんだけど言語道断でしょう?なので門崎先生かなあという感じ。

そしてN先生コース主任のくせに卒業式も懇親会(この大学の最後の晩餐的イベント、ちゃんとした店でプチ懐石を食べてお酒を飲む)というのにも来ないらしい。私はコナンの陰謀だと思ったら、本人がシレッと「私と大江先生は行きませんから藁」なんて言っていたそう。これ、本人がまた逃げたと言っていいと思う。普通何があっても出るでしょう。自分がコース主任やってる生徒達の旅立ちの日なんだよ、それをまあ自分が傷つくのが怖いだのまた書かれたら嫌だとかヘタレで責任感ゼロもいいとこでもう今度こそ本当にがっかりしてしまった。私の悪いところでもあり、情に流されてしまうという。先生おひとりでお気の毒とか、老後どうするんだろうとか、ちゃんちゃんこ誰が準備してくれるんだろうもしかしておおえかのママンかなあとか余計なことまで気になる。

そういう話をあの人にする機会があり、私は何もかもぶっちゃけた。この人は私と同じ2015年度入学、親しく話したことはそうないが、背がスラッとして綺麗だなと思っていたらモデルとかコンパニオンをする人だった。 すごい美人なのにN先生のお気に入りではなかったのは、先生達に意見したせい。

私はこの日、口頭試問には絶対遅刻しないと決めていて予定時刻の30分くらい早く到着した。もっと早くいって他の学友達をつかまえてリサーチしようと思ったが、お猿ちゃんが寂しそうでなんか後ろ髪ひかれちゃってさあ。で、その30分で事務局にちょっかい出したりふらふらしたり教室を確かめたり色々していると、Oさんがふわーっと現れ目の前を横切っていくではないの!私はOさんの消息が知りたくて連絡とりたくてあちらこちらに聞いてみたが全然わからなかった。事務局に「用事があるので電話くださいと伝えて」とお願いしたけどコールバッグはなし、それならとOさんの職場はネットで調べて知っていたのでそこに手紙を書いた。「心配している、文芸フリマで本を出すから一緒にやろう」。それから私たちはあなたの味方だから、と。そしたら開封されずに大学宛に差し戻された。そこには大学からの文書で「迷惑だそうですから手紙を職場に出すのはやめてください」と書いてあった。でも私、大学のそういうのにもう慣れっこで傷つきもしないし何があったのか確かめもせず通りポイッて返却したりして、一辺倒なサラリーマン事務局紙対応でいいんだと。

Oさんがこうなったのには理由があり、これも大学のせいなんだけど、論文研究の授業はⅠとⅡがあり、どちらも卒業制作を翌年に控えた学生たちが集まり作品の下書きを講評しあう合評会のようなものか。ひとり30分持ち時間があり、まず本人が作品について述べ、その後先生達から意見や感想、最後に学生たちからの質問など。作品はまとめられて各自に事前に配送されて、全て読んでから参加が条件となっている。ここで私はOさんと一緒になり、席も割と近かったので様子がよくわかった。そして初夏に論文研究Ⅰの授業があり、ここで彼女はエッセイ的な短編をいくつも書いてきた。

それを担当になった先生がとてもいいと絶賛していた。彼女はとても喜び、このままページ数を増やしますと言って、先生達も楽しみにしていますと口々に言っていた。内容は彼女の現在過去未来に出会った人々や出来事を書いたもの、卒業制作作品に相応しいさわやかなものだった。それが次の秋、論文研究Ⅱでページ数が増えたそれを担任は酷評した。ありきたりで何が言いたいのかわからないとか色々。今思えば彼女が怒るのは無理もない。先生のアドバイス通りに書いたのに、今度はダメ出しをされたのだ。彼女は誰もがわかるように憤り異論を唱えた。

「これでいいっていうからその通りにしたのに、今度はダメってどういう事ですか?」

あの時の私に出会ったら、自分で自分を叱りたい。私は憤慨して怒りをあらわにする彼女ではないく、さっと先生側についた。ずっと不満げな様子で怒った顔で腕組み足を組み、授業なんてもう聞かないとばかりに空を見据えていた。そのうち馬鹿らしいと思ったのか休憩を挟んで彼女は教室に来なかった。夕方近くなりやっと姿を現したが、まだ怒っている。私はそれをみて、面白いと思って隣のwさんとメモをまわして笑い合った。「すごいね」とか「先生達の顔面白い」とか「大人気ないよね」などと。

でも今思えば彼女が真っ当だったのだ。そして、

「先生、Oさんが怒るのは無理もありません、私もそんな風に評価が変わるなんておかしいと思います」

と、はっきりというべきだったのだ。それなのに自分が蚊帳の外のような態度で面白がったりして。私はこの時のバチが当たって今こんな風に大学と大もめになっているのだと思った。あの時おおえかもいたので、そういう私たちの態度、何かあれば大学側に日和るというのを目の当たりにして、先生のいうことは絶対なんだ、「だったら俺もやっていいんじゃね?」と思ったに違いないのだ。この時もN先生はOさんをニラニラと様子見するだけで、ⅠとⅡでいうことの違う先生を注意もしなかったし彼女を異端児扱いした。

彼女は二日目大幅に遅刻したがそれでも授業には来た。ムカつくけど授業は出て卒業だけはしてやると思ったに違いない、私も最近までそうだったからよくわかるのだ。論文研究の授業がⅠ、Ⅱと終われば通信生はほとんどバラバラになる。だがfacebookや色々え繋がり文芸フリマや懇親会などで一緒になり、大学とは別の場所で楽しいことが色々あった。私も彼女と同じくもう大学なんて行きたくないと思っていたし、学友たちとの繋がりももう嫌だと思った。私がそうだったように学友達も事情もよくわからぬまま大学側についたと思ったから。

でも思い切って文芸フリマのミーティングにいったらKちゃんというモロ性格のいい子が大歓迎してくれて、なんとなく場が温まり難を逃れた感じ。これがモアイ刑事みたいな人ばっかりだったらもうさっさと抜けていたと思う。そこからスクーリングの単位を数え間違えていることが発覚し、大学にまたせっせと通うことになり、なんだみんな全然気にしていないじゃないじゃあ懇親会もイベントもいっちゃうわと油断したら、N先生VSフィガロ仮面という恐ろしい惨事が起き、そして偉い先生に訴えてなんだなんだとあちらこちらに尋問されて今ここって感じだけど、彼女も事務局に色々言ったけれど全部スルーされて、もう何もかも諦めて坦々と卒業することにしたのだと言っていた。 彼女に「私たち紙(集金袋)だから」というと納得して笑っていた。

そう、あの時彼女がすうーっと通り過ぎ、普通手紙突き返されたり電話くれなかったりしたら怯むでしょう。私全然そんな風に思わなかった。むしろ朋輩だと思っていて、話せば何もかも分かり合えると確信していた。「oさん、oさんでしょう、久しぶり、ねえ話したいんだけどっ」っと突撃した。Oさんはそう驚くでもなく、私もう大学の人とあまり話をしたくないんだよねなどと言う。そうでしょうそうでしょう、なので私は単刀直入に謝った。あの時笑ってごめん、でも今大反省している、あの時の生徒達全員そう思ってるよ、本当にごめんなさいって手をとって頭を下げた。Oさんは口頭試問が終わったばかりで帰りたいというが、お願いだから待っててと言って自分は口頭試問に行き、またダッシュでoさんのところに戻った。oさん帰っちゃうのではと心配したがちゃんと待っててくれて、校正用の部屋に移動して色々色々話した。

あれからあんな事が次々起こり、大学に対して不信感を持ち始めた人がたくさんいるとか、文芸コースはおおえかが諸悪の根源とか、今はN先生ますますひどくなりおおえかのハラスメントの嵐を注意するどころか自分もやるようになったとか、oさんの最初に担当になった先生は2016年度の論文研究の授業から外されてそらそうだよねあれは本当にひどかったとか、外された先生は私たちの年度の学友の担当はまだやっていて、当たった人はいい加減過ぎる評に最後まで怒っていたから、oさんは違う先生になり良かったんだよとか。これは文芸評論家を名乗るi という先生で、入学案内のパンフにちらっと切手くらいの大きさで顔写真がいつも出てる人。この人も何かの時に「僕、新幹線暇だから嫌いなんですよ」とか言って、暇な時間があれば本を読んだり勉強したりすればいいのに誰のお金で新幹線に乗っているんだとまた思った。もう先生達の移動は特急券なしにしたらどうだろう。東京から東北くらい普通列車でいけばいい。時刻表を眺めたり忙しく乗り換えたり「暇」なんて言ってられなくなるから。それからOさんの担任は朋輩wさんの担任でもあり、私の副担任。外苑キャンパスの一匹オオカミばかりの担任で、ぼっち専門の先生なのじゃないかとか笑って色々色々話した。

私の今の現状と問題について話すと、「大丈夫?辛くない?誰かに相談できてる?」と心配してくれて、今まで誰にもそんなこと言って貰わなかったと気付き、彼女の優しみが染み込んできてジーンとして涙がこぼれそうになった。笑って話すから笑い話になっているけれど、本当は真面目に話して学友みんなで共有して問題解決する類いものじゃないだろうか。自分がoさんの時に笑ったように、皆が私をそらみたことか、ブログなんか書いて目立って先生にも褒められていい気になるからこうなるのよと笑われているのだと思った。でもそうやって私を笑っているうちに、ひとりふたり三人とだんだん同じ目に遭う人が量産され、外苑の文芸コースは「もうやめたい」「入学なんかするんじゃなかった」「休学して考えたい」なんて人ばかり。

こういう事態を軽んじて大学は馬鹿なんだよ。頭でっかちなプライドばっかり高い先生ばかり揃えて「お前らからっぽの頭に知識を詰め込んだる」という大学が馬鹿なら先生も馬鹿、事務局はそれらを上手くコントロールしてるといい気になっている最低最悪の組織。もうね、どうしようもないと私もわかってる。私がこんな風にまとめあげて告発したとして、私が卒業すれば「やれやれ五月蠅いのが出ていった」とばかりに元の木阿弥、というか今も何も変わっていないN先生がコース主任の責任を放棄して卒業式と懇親会欠席すると堂々と言っているだけ。

言わされてるのかそうするように言われたのか自分の意志か知らないけれど、どうせ誰かのせいにして「私の意志でない」なんて言ってるんだろう。自分の教え子たちの旅立ちの日に知らぬ存ぜぬでいいと思ってる人なんて、もう先生じゃない訳。もし事務局が言ったとしても「私は先生として最後まで見届ける義務があります」などと大見得切るなんて出来ないヘタレ。あーあ、素敵な先生に巡り会って良かったと思った一年目はなんだったのか。Oさんはすぐ見破っていて、感情を隠そうともしないヤヴァイ人とわかっていたそうな。何かちょっと異論をいうと、顔色がさっと変わって傷ついたというアピールがあったそう。それって私が顔採用の俳句の先生に思ったことだった。

やっぱり下の先生達ってコース主任とか学長とか上の人に倣うんだと思った。そこへいくと笹先生なんて私がオモシロ短歌をぶつけても暖簾に腕押し、さあもっと来い!みたいな感じで頼もしかったなあ。最近太ったからダイエットしなきゃとつぶやいてみえたけれど、先生外なんてどうでもいいです、笹先生はとっても素敵な先生、私はもう短歌熱覚めましたけど丹屯さんがすっごくやりたがっているので弟子にしてあげてください。彼女は短歌と俳句のセンスがあります。先生に謹呈した文芸フリマの本の、あの海苔巻きの話を書いた人です。

ということでまた話が逸れたが、彼女と最後の最後に会えて話が出来、そして分かり合えて良かったと思った。もう今の大学で心残りといえばこれだけだったが、本当に神様の采配というか、今までどんなに努力しても彼女とコンタクトできなかったのにこんな風に。人生ちゃんと真面目に正しいと思う道にすすんでいけば、そういう風に着地点があるものだと思った。彼女に携帯教えてよというと、「私本当に一匹オオカミでそういうのダメなのよ」言われたが、これもなんか一貫していてOさんらしいと思った。

卒業式には日帰りで行くかもしれないという、もしかしてもう一回会えるかもしれないし、もう会えないかもしれない。でもこうして分かり合えてもう友達だと思った。きっとまだまだ長い人生で辛い事悲しいこともたくさんあるだろう。そういう時に今日彼女と話せた事は、私を勇気づける思い出となった。きっと彼女もそうだろう。

こんな風に学友の間でも大学や先生達のせいですったもんだがある。oさんとは奇跡的にわかり合えたが、もしあの日会えなければずっと仲違いしたままだっただろう。他にもセレブウだって今仲違いしたままなのは、もとはといえば大学、N先生とおおえかが原因だ。他の人も色々ある。もう私は大学関係者学友も含めて全員嫌いで信用できない。担任副担任の先生達だって感謝はしているが、結局は大学の先生、こうして対立している私を困った人だと思っているだろう。でも授業は人関係ないからきっちりやってくれたのだからこれは感謝、でも別の方向からみると敵の陣地にいる人。何もかも油断できないと感じる。

大学でトラブった人って大概声を上げられずに消えていくのだと思う。先生と対立する、それは大学と喧嘩するということだから。通信生なんて紙だから神や貴族に勝ち目はない。

でもたまに例外もいる。あのセレブウは出る所に出れば学長なんかよりはるか上の人達と繋がりのあるご子息なわけ。そんなセレブの事情も知らないでおおえかは「お前なんかにこれが書けるのか」みたいにぱぱーんと八つ当たりなんかして、大学は理事長レベルが後に平謝りしないといけない事態にも発展したかもしれない。こういう上流階級の繋がりも知らないでおおえかみたいな底辺の人を大学に入れると後々困るのに。女帝気取りの事務局レベルじゃわからないわね笑 

徳山理事長が亡くなりその息子さんが跡をついだのが2014年、ただのゆるふわ大学は馬鹿大学に変わり果てた。それはまだ徳山豊さんが若くてつるっとした顔立ちだから周りになめられているせいだろうと想像する。私もいい年だけど顔がつるっとしているからどこに行ってもなめれるからわかる。

「俺様が大学運営のイロハを教えたる」という魑魅魍魎の業突く張りどもに食い散らかされれているのでは。徳山豊さん、もっとしっかりして下さい。学長が怖いの?あんなのただのお飾り人寄せにもならないおじいちゃんパンダだから「こら、大学のお金を勝手に使うな」くらい言ってください。学長はしょっちゅう東京に来るそうで、その割に見ないけど何をしているんだろう。私の卒業制作の主担任の先生は京都の先生だったのでずっとweb授業だった。これ変だと思いませんか。

私の尊敬するビルゲイツさんは、日本法人に着た時に帰りのチケットを渡され、それがファーストクラスだったから「お前らいつもこんな無駄使いしてるのか」と怒ったそう。そうして余ったお金を今は慈善事業につぎ込んでいる。奥さんがまたいい人で、メリンダさんも私は大好き。

徳山豊さん、是非こういう経営者になって下さい。それにはまず強くならないと、せっかく藝術立国とか作ったパパが泣きますよ。それに未だに徳山祥直理事長のの書いた冊子が入学案内に入ってるけど、自分の言葉をもっと出して下さい。パパが興したこの大学を自分がどうしたいのか、何を目指すのか。変なゆるふわキャラと話してる場合じゃないから。卒業式の前に懇親会あり、そこに私も参加します。是非理事長来て下さい。私お話してみたいです。クルーソー先生が幹事らしいけど理事長ならノーパスで席が作られると思います。

クルーソー先生と言えば、新N先生の参加について返事が全然こないけど何やっとんどうせ事務局が私が言い出したことだからノーとか言ってるんでしょう。そんな事も先生って決定権ないんだ、何もかも事務局事務局コナンコナン。コナンもうチェンジしたら、もしかして大学の上の方の人となんかあって女帝きどってるんじゃない?顔採用の女の俳人先生は学長とN先生の贔屓があるから天下とったような気持ちでいるのだろう。

徳山豊理事長さま、京都造形芸術大学は今こんな大学になっています。私は今年卒業しますが本当に勉強以外で大変なことがたくさんありました、正直勉強どころではなかったです。もう自分の代は諦めました、でもこのままじゃ瓜生山学園自体も存続の危機、早くなんとかして下さい。アホはクビでいいです、ハラスメントするやつも全員大学から追い出してください。

フランスの偉大な哲学者サルトルは教育につてこう言っています。 

「教育とは炎を燃え上がらせることであり、入れ物を埋めることではない」

この大学は知識を詰め込むだけの偉そうな先生が多すぎます。私も学びの炎を水をじゃかすかかけられて一時は消えかかりました。でも主担任の寒竹先生のお蔭で九死に一生を得ました。いい先生がたくさんいるのに、顔がいいだけの依怙贔屓されて女帝気取りとかいい先生を演じるだけの俳優くずれとか酷い人が大きな顔をしてひどいと思います。まず学長がやっていますからね、そういうの。

京都造形芸術大学の関係者の皆さん、ハラスメントを受けたと思ったら人間関係委員会の前にまず私に連絡ください。色々アドバイスします。yurikomorio@giamil.com までご遠慮なく。先生や学長なんて怖くないんですよただのスケベだから。怖いと思うあなたの気持ちが怖い人を生みだすんです。みんな変だと思っているし、あなたの味方だから心配しないで悩まなくて大丈夫だから。


もうすぐバレンタインですね。みんな私には期待しないでね。

徳山豊さん、是非通信文芸コースの懇親会にいらしてください。私是非お話してみたいです。私は怖い人じゃありません、ただの引きこもりの専業主婦、ブログを通してでないと何も言えない小心なネット弁慶です。

※徳山豊理事長に読んで頂けることになったので一部表記を上品にしています。

昨日タレこみというか、色々大学内部のことを教えてくれる人が現れて、自分がすごく勘違いしていたことを知った。私ってこういうピンチの時になると、さあっとホワイトナイトが現れて窮地を脱するということがよくある。そういう時って多分自分のためじゃない、誰かや何かのために尽力している時で、もうここまでと脱力しそうになると目に見えない何かが助けてくれるんだと思う。それが一体何か説明できないが、そういう力が働いているのをなんとなく感じる。人生初の裁判の時も、それからVS東京姉妹の時もちえの過去を知っているという方から写真やプロフ年齢など様々な情報が届き、ちえにぶつけたらびっくりするくらい大人しくなったし、他のVSの時もそうだった。これら自分が勝ちたいというものもあったが、「こんな人世の中にのさばらせておいたら子ども達の未来があかん」という一心だった。もしこれらが自分の私利私欲だったら絶対こういうのはなかったと思う。こども食堂だって自分が目立ちたいとかファッションでという気持ちだったら誰も助けてくれなかっただろうと容易に想像がつく。豊洲というまだ小学校に入学したばかりの子どもの街、ちゃんと弱者を助けるとか正しい共同体について学ばせてあげなければという、自分もこども食堂を始めてわかったのだがそういう訳で大学の方も色々通報があった。大した情報ではないと言われればその通りかもしれないが、もしすんごい内部情報があったら逆に困る。でも是非お願いしたいと思うのでよろしくお願いします。「おおえかに通院歴あり」ってそんなの薬飲んでる時点でわかるから。普通に考えて入院歴はないと思う、あの人そういう病気もファッションだと思ってるから。辛いは辛いけど辛いけど頑張ってる俺を周りにアピールする材料にしている。前にも書いたけど、そういう病気で本当に辛い時ってそんな風に自分を語れないはず、私がそうだったからよくわかる。話せるということは大したことではないし、もう回復したといえるだろう入院なんてさせてもらえないよ。でも大学はちゃんとそういうの調べたのだろうか。今10万円払うとかなり詳細に調べてくれるから、誰かを採用する時はちゃんと調べないと。入れるのは簡単だけど出すのは大変だよ。あ、だから季節労働者的採用なんだなるほど。まーでも大学の先生達事務局全員騙されちゃってというか、もうどうしようもない人ということがわかっているけれどノーベル文学賞の訳者という鳴り物入りで大学にきたスター文学者N先生の推薦ということで、皆手を出せずにいるだけ、それをいことにやりたい放題。そういえばあの顔採用の先生もN先生のお気に入りらしい。なので今年から授業をいきなりふたつも受け持つことになったと聞いた。なまず学長もお気に入りで、でも顔だけの性悪美人代表選手権のチャンピオンで、目元に険があって確かに意地悪が透けてみえるし授業も全然ダメ、声は小さい板書の字もありんこみたいで、生徒がそう助言すると不貞腐れてムッとするような人、そして自分の感情で採点する、私はこの人も先生と呼びたくない。私がこの大学で先生と呼べるのは千住博大先生と辻先生と日本美術論の先生とと古典芸能の先生と日本文学の先生と宮沢賢治の先生とアメリカいっちゃった先生、それからデッサンの先生とえーとそれから。なんだちゃんといい先生に巡り会ったじゃない。そうだ、卒制の主担任副担任の先生達は本物の先生だった。副担任の先生とはぶつかり合ったけれど、香山リカさんが生徒と先生はぶつかり合っていいと言ってみえたからこれで良かったと思う。それぞれの考えをお互い一歩も譲らない、でも多分お互いがお互いの意見も認めてはいるんだよ、でもサシで議論となったら論破の道を探索し合う。正しい師弟の関係ということなんでしょう。

それから卒業制作の学友の出来が気になったので、朋輩のブログをみにいく。読むとああ私のブログも読んでいるんだなとすぐわかる。あの人はあからさまにそういう事は書いていないけれど、なんとなくシンクロするような話題を書いてくれている。そして今回は卒業制作口頭試問どんな感じだったのか気になったのでいってみた。彼女の主担任は私の副担任。主担任副担任つっても作品を読んで講評しコメントをつけるのは主も副も同じ、ただその割合がちょっと違うということだろうか。面接授業は一緒にやる。私の場合三人で面接授業をすると、副担任の先生は主担任の先生より話すということが多かった。この人にどう言ったらよい小説を書いてもらえるだろうかという期待がすごく透けてみえた。特に二回目の面接授業の時は副担任の先生がずっと喋っていた。熱心に指導して下さったのだと今更ながら思った。主担任の先生は授業以外でサシで面談授業をしてくれて、この時の指導であの不屈の金字塔的な傑作が仕上げられたのだ。ふふふ、みんな卒制のために面談なんか申し込みしなかったでしょう。だめだなあ。それから私は面接授業の時は先生の話す言葉の意味をあまり考えない。いちいち深く考えていると次の話が入って来なくなるので必死にメモだけとるという感じ。で、後で書いたメモを眺めながら面談を思い出すと色々な言葉の意味がわかってくる、それを作品に反映させるだけということになるのではないか。

私は彼女の口頭試問の記事を読んで、卒制に限っては彼女に勝ったと思った。彼女はどこかの文学賞に出したいと言ったら先生たちはもう少し書き込んで校正をしっかりと言ったらしい。私は完成度が高くこのままどこかに出したらと言われた。細かく書けなどともなく、ここはどうしてこんな事を思いついたのかとか、何か変わるきっかけがあったのかとか、ここの部分すごくいい何故ならとか、今思えば、まるで熱狂的なファンが作家にインタビューするというような質問ばかりだった。どこかに出したらというのは先生達が生徒達に言うリップサービスだとばかり思っていた。最後の最後にそんな風に言われたらみんな喜んで頑張るだろう、好きこそもののでいつかスターが生まれるかもしれない、もしそうなったらコンビニ大学ダメダメコースも世間から見直されて、ここの先生と名乗っても「ああ、あの芥川賞の人の」と思ってもらえるのではないかという目論見もあるだろうと思っていた。

でもあの人に言わなかったということは、他の人にも言っていないと思う。彼女は卒制を自画自賛しながらノリノリでやっていて、彼女は頭もいいしテクニックを取り込むのも上手いし多分面白いものが書けたと思う。自分でも面白いものが書けたと書いていたし。でも私は自分で読んで面白いどころか感動してしまったし、何度読んでもまた読み返したくなるものが書けたと思った。先生達も書き足すとか減らせとかもう少し丁寧にとか全然言われなかったし、むしろ千住博大先生のいう「筆を置く」状態だからもうかまうなとやつだったのではないかとまた思った。先生達は私自身の評価を全くしなかった、ブログも「読んでます」と言ってくれたが、それをどう作品に反映させるかという話だけだった。

こう考えるとN先生素敵な先生ではあるが、人を見て顔先生や使いやすいおおえかを尊重し依怙贔屓、自分が興味ない生徒は講評で全否定したり自分の感情だけでフィガロ仮面に突撃してくる。いつも生徒じゃなく、自分が傷ついたとか侮辱されはしないかばかり心配している。with不愉快な仲間達とつるんで生徒の作品を酒の肴にしたりして、文学者として優秀でも先生としてはどうかなとまた思った。なのでおおえかが一年目はまあマシだったのが二年目であんなんになったのではないか。悪い影響を与えているのはもしかしてN先生の方なんじゃないかと思った。おおえかは口頭試問、また偉そうに色々言っただろう。あの人は人によく思われるためなら足の裏でも舐める人だから。嫌われる勇気が一ミリもない、そのくせ力のある人に好かれるためなら紙を蹴散らしその亡骸を重ねて自分が上に上がってかさ高く見せたい人、そのうちツルツルの紙にあたって滑ってひっくり返んなよ。

とまあまた余計な事を言ったがそういうことで、私もどこかに出してみようと思う。私の作品のタイトルは副担任の先生がつけてくれた。本当は違うタイトルのつもりだったが、いくつかの案の中で先生がこのモチーフが絶対いいといって譲らなかったと言っても過言ではない評があり、私はここだけは自分の意志を貫いてもいいような気がしたが、書き上がってまた考えようと先生の意見を取り入れたまま書いたらあんれまあそれがピッタリとはまり、作品もイキイキしだした。ラストなんて我ながらびっくりの展開だものね。これら卒業制作作品は一般公開されないそうだが、私たちは文集を買うことで全ての卒業制作作品が読めるそう。これ、もしかして今年からなのかなあ。だって先生達そんな事だれも言わなかったしそういう存在も無かった。もしこれが出来れば外苑キャンパスの8畳くらいの小部屋的図書ルームにも一冊置かれることになり、誰でも好きな時に閲覧できるようになるだろう。今までは先輩たちの卒業制作作品というと、事務局に閲覧依頼を出し、日時を指定してそれを受け取にいく、そして大学の構内でしか読めない。大作を書く方だと読むのに時間がかかり、最初に閲覧した『フルホンヤラストディズ』は約6万字弱、読み終わるのに2時間強かかった。junjun先輩のやつは二回読んだ、同じくらい時間がかかったが、もう一回読みたい。パイセンに卒業祝いにデータ欲しいとお願いしてみよう。

多分文集を作るというのは今年からで、私たちが作った文学フリマの作品集をN先生が読んで何か思うところがあったと思われ。一度論文研究の授業の後先生をつかまえてクラスで「卒業制作作品集を作って」と言ったことがある。私だけじゃないモアイ刑事とかナースコスとか色々な人がいた。それを販売してみたいとも言ったが、「著作権もあるし難しい」とか言われたが、難しいんじゃない面倒なんだろうと思った。でもこうして文集も出来、それそれの生徒が購入と言う形になるが良かったと思った。でも作るなら外部に販売もすればいいのに。そしてその売り上げの一部を次の代の文学フリマのブース代金にすればいい。通信といえどもせっかく大学に入ったのだから、学友が集まって喧々囂々ミーティングをしたりイベント会場で販売したり、打ち上げしたりすればいい。

文学フリマ参加は本当に楽しかった。自分の作品が売れていく喜び、一致団結した思い出。これ文芸コースの代々の伝統にすればいいのにと思う。論文研究という卒業予定の生徒が一同に集まる授業が二回あり、その時に希望者を募ればいい。大学がからむとややこしくなってしまうので生徒が自発的にというスタンスにする。そしてその資金の一部は先輩たちの本の売り上げからという。うーん、いいじゃない、Pay Fowaordと伝統がリミックスしそうないい感じのものになりそう。来年度はセレブデブから平六あらためセレブウがやってくれるそうで、卒業生はなしで今在学している人達でやって欲しいと思う。だいたい今も大学の様々なイベントに卒業生が参加するが、私たち在校生はどうしても先輩たちということで遠慮してしまう。もういっそ文芸コースのイベントは在学生のみということにしたらどうか。で、外苑キャンパスでもホームカミングデーやってその時は来ていいことにしたらいいと思う。

こうして書いておけば大学関係者は間違いなく読んで色々考えてくれると思う。最近の面談の時も住職先生が『あの鐘をならずのは事務局』は良かった、ああいうのは大歓迎だと褒めてくれて、先生達もやっぱりチャイムなくて困っていたんだなとわかった。特に京都は通学生用のチャイムが鳴り響いているそうで、通信生が東京よりも紙扱いということがわかり、あっちの先生達も生徒も大変だっただろうなと思った。

それもこれもこの大学の通信教育部の事務局長というのが、実務をほったらかしてあちらこちらで講演をして「先生」と呼ばれていい気になっているということがわかった。事務局長はコナンじゃなかった、コナンは事務局長補佐、NO.2の地位だが立場はNO.1だろう。事務局長の吉田大作があっちへこっちへと「先生、先生」と呼ばれて講演をしていい気になっている間に影のボスになったのだろう。それは吉田大作としても願ったりかなったりで、「事務局長」という肩書のまま好きなようにやれる。ちょっと吉田大作、あんたが講演にいってる間、大学がどうなってるかわかってんの?ちゃんと大学の仕事もしなよ。まずチャイムを通信生通学生とわけてちゃんと設定すること!外苑キャンパスにもチャイムくらいつけろ!生徒も先生もみんな困ってるんだよ。どっか講演行くなとはいわん、その半分の時間を通信の授業がある日に実際にみてまわれ。仕事は書類やネットの情報じゃ出来ない、現場に足を運ばないとわからないことがたくさんあるんだよ。私をみてみろ、おおえかの実態をつかむために小屋のお芝居を観に行き、関係者と話し、今はもうコネクションもちゃんと出来ていて様々な情報収集もさらにもたらされるようになった。皆おおえかの悪口は言わないが色々空気で察している。ああ、あの人場所がない人だったんだ、だから大学に執着しすぎて暴走しだしたんだなとか、N先生の寂しい心の内を弄んでるとか、もう先生もどきじゃない人間もどきなんだとかこれ誹謗中傷じゃなく事実だから。でも弁護士の先生が「事実だからこそ名誉棄損」と言っていたし、やっぱりネットに書くのはほどほどにしよう。

そういう事で京都造形大学通信教育部の事務局長はちゃんと自分の仕事しなさいね。私だってこども食堂とか大学とか友達と東京観光とか色々するけれど、本分はお母さんという仕事だとちゃんとわかってる。あんたわかってるの?まあ学長が顔採用の先生と俳句を名目に旅行なんか企画しちゃうあんな人だしね。大学関係者に話を向けると皆苦笑いしていた。顔採用の俳句の先生をやってるあの女性、N先生もぞっこんで色々仕事をまわしているよう、だって去年までエッセイのスクーリングって本を作るのあの女の先生だったでしょう。おばさんから若い美女にチェンジしたおかげで授業がわかりにくいものになったのではないか。あーあ、年をとればとるほど女性が輝くと言われているフランスに四半世紀いても日本に帰って来ればこのザマ。

やっぱりこの大学、何もかもおかしいよ。学科も漫画だのイラストレーションだの俳優だの、最高学府で教えることか?息子ちゃんがギター習いに行きたいというけれど、私はそういうジャンルはもっと大きくなって友達同士切磋琢磨して楽しむことで覚えるようなものだと思っている。最近ヒップホップも習い事として確立しているけれど、クラシックバレエと同じように学びに行くものではない、たまたま出会ったストリートで踊る上手い人を見よう見まねで踊るうちに「ねえ、いいじゃん」と声をかけられいつしか仲間になっていくって感じのもんじゃない?なーんかこの大学だけじゃない世の中が平和ボケしてしょうもない事にお金と時間を使い出した気がする。

それからこれもタレこみだけど、住職先生とN先生、もちろん偉そう先生もみんなグルだから油断するな、特にN先生とおおえかはもう悪縁でしっかり繋がっているのでぶった斬って国外追放するならペアでないとダメというものがあった。卒業式の前にあるコースの懇親会も、おおえかが来られないのでN先生も「じゃあ私も行きません」と日和ったという情報もあった。うーん、わたし本当に色々全然わかってなかった。以前セレブウに「毎日気持ちがかわって言うことが違うから何もアドバイスできない」と言われたことがある。でも私だって自分の気持ちがわからないし、どうしたらいいかも何も見えない。N先生だって恩師ではあるが妖怪おおえかを庇う腑抜け貴族でもある。陰陽師的にはその後ろの妖怪だけ消して、目を覚ましたN先生とめでたしめでたしだったら一番いい。でも妖怪おおえかが消えた後、N先生がまた孤独な日々になると思うとどうしよう。N先生のような気難しい人うまく付き合えるのはおおえかだけじゃないだろうか。あいつはカメレオンのように人に色々な顔を見せられるから、「僕しか先生の味方いませんよ」と信じ込ませるのはお手の物、そういう人だとわかっていても人は寂しいとつい懐に入ってしまう。

私は違うよ、豊洲で村八分になりそれが有名になってくると「辛いでしょう、仲良くしましょう」と、マルチや宗教やそういう感じの団体がこぞって手を差し伸べてきたけど全部断った。寂しくて誰かと話したくて自分をわかってもらいたい気持ちにもなったが、他者に救いを求めても何もならないとわかっていた。だったらひとりで自分や周りをニラニラと見つめて真実を探る方がいいと思った。家族がいるから寂しくなかったと言われるかもしれないが、家族なんて他人だし子どもは守らないといけない人達で辛い時は幸せにしてあげなくてはならないという責任感で重荷にすらなる。夫なんていざとなれば敵だと裁判の時から思ってもうあれから気を許したりしない。寂しい人と思われるかもしれないが、こう考えだして逆にひとりが寂しくなくなった。仲のいい人だって意味もなく会ったりお茶だのランチだのしないし、昨日も「香山リカさん講演会」のランチミーティングだったが電話で事足りたので中止にした。 そうだ〜香山リカ先生にも連絡しないといけなかった。香山リカさんは私の先生だから先生と呼ぶ。

そう考えると京都造形芸術大学の組織が大きめのママ友グループだと思った。ボスに気に入られるとやりたい放題やっても誰も文句言えないというのがそっくり。そして何か正しい意見をするとボスに睨まれ村八分になる。それがピラミッドのカースト制のようになり、ひとつ上の人がすぐ下にする、その下の人はまた下にと、なのでおおえかは私たち紙に対して好き勝手やる。もしかしておおえかもN先生の事を持ち余りしているかもしれない。最近ご飯食べた有名人の人もすごく寂しいって気持ちが伝わってきた。奥さんは地方で創作活動をして「私たち自由な夫婦」と言っているけれど、夫婦ってそうなったらそれでいいと思いこまないといけなくなったら終わりなのではないか。奥さんは逃げたんじゃないかなとちらと思った。甘えさせてくれる女性と一緒になった方がこの人は幸せになれるのに、私の朋輩を紹介したいと思った。彼女は年いってるけど美人だし頭がいいし優しいし、何よりピュアで専業主婦を希望している。結婚したらスパっと仕事やめて尽してくれる女性だと思う。ファッションや芸術のセンスはいまいちだけれど、料理も家事も丁寧にやるし食と健康に拘りがあるし、私のように夫の後ろを三歩下がればそのままどこかに行ってしまったりしない、ずっと静々とついて来てくれるタイプ。いつまでも自分を表現したいとか芸術家というのは奥さんに向かない。私の場合は夫が奥さんみたいな感じなので上手くいっているのだと思う。夫は家事育児にすっごく喜びを見出している。この一週間の休暇は全てお母さん業で終わった。なので私は好きなようにいつまでも銀座で買い物したり遅くまで代官山書店とかできた訳。家に帰れば美味しくて暖かいご飯、家事も全部夫がやった。なので色々な用事があってもブログもこのようにバンバン書ける。あーこの生活がずっと続けばいいのに。

夫が家にいると朝からご飯も豪華✨しかも赤出汁!今夫は隣の部屋で洗濯物を畳んでる。「テレビでみた洗濯物を一瞬で畳む方法が上手くいった」と喜んでいて、いい奥さんになりそうだと思った。#朝ごはん #奥さん #海老フライ #赤出汁 #味噌汁 #洗濯物


【結論】
・通信生用のチャイムを用意しろ(今京都の校舎では通学生のスクーリング内も通学生用のチャイムが鳴り響き、「このチャイムは通学生用のチャイムなので間違えないで」とアナウンスがあるそう。おかしいやろ?
・顔採用の先生は私情を持ち込み採点する授業もダメダメなのでクビにして代わりに笹公人先生を採用してください。笹先生は声も字も人間も最近は横にも大きく授業が楽しくてみんな目を輝かせて聞いていた。
・もう言うまでもないチンピラもどきは即刻大学から追い出してください、場合によってはN先生と共に国外追放でいいと思います、みんなの迷惑してます。
・卒業生の文集を作るなら一般販売もすべき、欲しいという方が私の周りにもいました。
・その売り上げのうち1万二千円は次の卒業生が文学フリマする資金にする伝統を作ってください
・吉田大作は事務局長の仕事何もしていないから、講演部を作ってそこの部長にしたらいい。誰のお金で好き勝手やっとるんや
・もっとみんな大学や事務局や先生に意見しよう。嫌われるとか成績悪くされるとかあるよそら、私なんてそのせいで特選で高得点でも75点。だけどそれがなんだ、いい生徒の顔みせて90点もらったとして嬉しいか?だとしたらもう終わってるからそのまま路傍の石になればいい
・「偉そう先生」「住職先生」N先生おおえか、全員サラリーマンだから日和ってカスタマーの意見なんて全部クレーム扱いでスルー。組織をもっとクリーンで風通し良くしないとダメやろ。
•学長は雇われ社長のくせにやりたい放題、理事長がもっと強気になるべき。
・京都造形芸術大学はコンビニ大学どころか〇ソ大学だった



こういうセンス好きじゃない、というか「京都」が聞いてあきれる。これを芸術と認める先生が馬鹿なのよ。卒業制作だよ?この人の履歴に一生残るんだよ?お気の毒だわ。先生はそういう事まで生徒に教えてあげないといけないのに。まるで芸能界デビューだと勘違いさせて右も左もわかならい田舎から出てきたばかりのおねーちゃんとAVに出しちゃうのと一緒よ。私なんて◯ソ大学◯ネとか書いて要約何度書き直しさせられたか、でも今は先生に感謝してる。

大学で卒業研究を完成させた後に、「要約」というものを提出する。これは、卒業制作作品集にのせるもので、内容はこの作品についての説明と、作品概要を2千字以内に書くというもの。作品集はページ数もひとりあたりのスペースも限りがあるので、きっちり枠内に収める必要がある。いつもはみ出し気味に文字数が多めになってしまう人も、この時ばかりは文字数内に納めなければならない。これ、私のことじゃないからね。文芸フリマの時に単価が変わるから1万字以内と皆で決めたのに、「この文字数でないと話が繋がらない」と1万字を優に超えるものを書いた学友がいて、私を常識が無いなどと言いた気だが自分はどうなのよと思った。でもそれについて私は文句はなかったし言わなかった。こういう人に「ちゃんとしなさいよ」と言ったら恨まれるだけだもん。それにコアメンバーだったからスルーだろうと思ったらその通りで、でもその人がいない集まりではっきり文句言う人もいて、私がお金に関わる事だからちゃんとこういう事があったと表明した方がいいと言ったので「どう思いますか」というクエスチョンが投げられたことがある。PTAもそうだけどちゃんと公開しないからいらぬ不満が出るのだと思う。そういう訳で私はまた嫌われた訳だが、ちゃんとなってやっぱり良かったと思う。ちなみに文字数がぶっきり超えた人はおおえかが主担任でおおえかの大のお気に入り。私は密かに「モアイ警部」と呼んでいる。かつては仲が良かったが、フィガロ仮面事件の後から私のFBにイイねを全くしなくなった。多分「私はおおえかの味方」と言いたいのだろう。多分この人大学にも「おおえかは悪くない、悪いのは好き勝手にブログに色々書いているあの人でみんなが迷惑してます」とメールしただろう。もう敵でいいのね、こちらこそあんたなんか最初から友達と思ってないしなりたいとも思わなかった。一万字は一万字、ちゃんとルール守りなさいよ。

ということでまた敵を作ってしまったが、授業の卒業制作面談口頭試問と、大学のいざこざを別記事にする。

繰り返しになるが、今年大学で21単位しかとれなかった。去年は41単位とれた。この差って一体なんだと思いますか?それは大学で@kyoku_hoku (おおえか)からイジメを受けていたせい。(おおえかの唯一書いて上演されたものについての記事があったので貼る。ちぐはぐだそうです。でも一応まだ大学の講師ですからね!)そのせいで学びのモチベーションはゼロになり、勉強どころじゃなくなってしまった。学校という学びの場からハラスメントを撲滅しなければならない理由はここにある、学生の本分である勉強どころではなくなってしまっては学校に通う意味がない。豊洲内でいえば、ママハラを撲滅しないといけない理由は「子育てどころじゃなくなるから」だろう。お母さんは子どもを慈しみ育てるのが大切な仕事、なのにママ友なんかでトラブルっていたらストレスでおっぱいは出なくなるし不安で子どもの世話もできない、そのうち子どもに八つ当たりするようになり虐待に発展してしまう。私をみてご覧よ!

などと色々書くと「守秘義務」というやつに抵触するというので書かないけれど、でもこの「守秘義務」って私の義務じゃない、大学側の義務、そして私にそうして欲しいなら「お願い」をするものですからね。どうも大学の事務局とか機関とか先生達って勘違いしているんじゃないかと思う。そもそも司法がよくわかっていないんだろうと感じる。創業者の徳山さんは警察にしょっぴかれたことがあるとwikiに書いてあった。多分肝の据わった大らかな人だったのだろう。まあそれは別に書くとして、今回大学に私が提訴している件、拡散されても私は全然困らない、困るのは大学でしょう。でも私は言いませんよ。おおえかはN先生の部下、そしてN先生が採用した季節労働者。おおえかが何か仕出かしたことが露呈すれば、それはそのままN先生の責任になってしまう。そういう私の怜悧さ計算の速さ、優しみがわかっているのであの新任の教師は影にかくれてやりたい放題だし、何かあるとさっとその背に隠れるばかり。なので私は何度も大学にメールをしたし電話も面談もし、向こうも色々話したい聞きたいこともあるようで呼ばれたという訳だった。

今までの書き方からすると、今回もなんか叱られたんだろうイイ気味と思うかもしれないが、冗談じゃない、私は怒られるようなことを何もしていない。色々書いたことは認めるが、でもある意味致し方なかったと思っている。やっぱり今回も大学は刑法など説明に折り込み私を揺さぶろうとするが、ブログを修正しろとか削除とかヤメロとかは言わない。やっぱり色々思うところはあるが、社会的に意味があると思ってくれているよう。今後書く時は「セレブデブ」と「馬鹿」などは控えるようにとは言われのでそうする。私は注意されて突っ走るような躾の悪い女ではない。清楚でつつましく、夫の後を三歩下がったらそのままどこかに行ってしまう女。

それはいいとして、この日は面接授業の他に、大学の偉い先生という人と事務局の人と面談。というか、今日は私が呼びつけたという形になる。

最初に出てきた初対面の先生、この人がまあ最初は本当に偉そうにしゃべる人で、べらべらべらべら大学の組織図のような話から自分の役職仕事、大学にどれだけ貢献しているかという自慢。そんな話で15分くらい経過するので「ちょっとあのう」と口を挟んだら、「人の話は最後まで聞いて」とぱーんと返され、もうぷっちーんと切れてしまった。でもだからと言って席を立つとか暴言を吐くとかそのままバトルのは素人の喧嘩、私は言いたいだけ言わせた後、じゃあみたいに向こうが言うから「私そんな話聞きにきたんじゃありません。問題の解決策のために来たんですよ」と言う。向こうははん、何が紙のくせにと思ったのか、尊大な上から口調が加速、多分スカイツリーの中間展望台くらいには登っているつもりなんだろうと感じた。色々な偉いと自分が思っている先生達の名前をバンバン出すが、全然知らないしだからなんだという。ともかくやっぱり何にも解決しないまま決裂しそうなので最後に「あなたの態度はとっても不愉快です」と言うと、ああそうなのごめんなさいネと抜かす。「そういう時は申し訳ありませんっていうんですよ」と教えてあげると驚いて申し訳ありませんでしたと二度言っていた。

そこから第二部ということで、勝手に一部二部分けないでと思っていたが言わずに任せた。また違う先生、今後は威張りもせず自分を卑下もせず、雰囲気的にな寺の住職みたいな先生だった。じーっと黙って聞いていて、時々質問を挟む。一番手ごわいタイプがきたと思った。ラスボス?そこから私は自分の発言に用心した。ブログの話になって、セレブデブとかっていうのは良くないですねと言われても返事をせず、おおえかさんは傷ついたと方々で言っていますと言われれば、彼は傷ついていないと思いますそれは彼の切り札で彼の唯一のアイディンティティですから強調して言うに決まってる、などとは言ったが、もしここで、申し訳ありませんとかそうかもしれませんなどと言えば、誰かを故意に傷つけていたという認識や事実になり、処罰されても文句は言えなくなる。でもこちらがそういう意図がない意志をみせればそれらは受け取る側の責任となる。

なのでもうずーっと黙っていましたね。さきほどの偉そうな先生VSの時とは我ながら大違い。するとだんだん隣に座っている最初に偉そうだった「偉そう先生」が急に私に気を使いだし、慮るような事を色々言い出す。「あなたが課題で出したあの小説、N先生と飲んだ時に困ったと言っていてねえ」などとまで言い出すではないか。多分あまりにも想定外の話が色々繰り出るので処理能力が追い付けず、公式なこうした場で言っていいことと悪いことの判断がつかなくなってきたのではないかと思った。

でもああ、あれ、N先生読んでくれたんだとか、採点に困ってクルーソー先生にまわしたんだとかわった。あの時はN先生があまりにも自分の感情を曝け出すのでびっくりしてその理由を解き明かしたら、元にあるのは憎ではなく愛だと知り慄いてしまった。見てはいけないものに触れてしまった驚き。そのまま課題をやったらあのような作品が出来た。あれもあっという間に書いてしまい、出していいのかダメなのかわからず、でも何事も経験と思って投函した。「N先生への反省文なのでN先生が採点して下さい」と。するとクルーソー先生からの評がつけられて戻ってきた。事務局からのプリントも一緒に貼ってあり、「特定の教師に採点を求めるのは非常識」とあった。今ならわかる、あれ、コナンが書かせたよね。そこからN先生と私は引き裂かれ、正式に教員面談を申し込んでも会えなくなった。何もかもコナンの陰謀、コナンを後ろで糸引いているのはおおえかだった。もう昨日の面談も終えて今考えるとそうだったのかと尚更よくわかる。

ちなみにもう一度説明すると、大学というのは一番偉いのは創立者一族、最近大学を創立した方が亡くなり、そのご子息が後を継いだ、ちょっとタイムラグはあるが、もう実験はご子息というそのあたりのタイミングで千住博大先生が学長をやめられ、顔採用の女の先生が大好きななまず先生が学長についたのがどちらも2014年、あーこれ別の記事にしようかな。ま、いいや。なので創始者が亡くなった時に大学の色はがらっと変わったのではないかと思われ。

今年の豊洲小学校のPTAは新しいPTA会長になった。元の金髪先生の子どもが卒業したのでそれによる会長チェンジだったと思われ。多分新しいPTA会長は元のPTA会長金髪先生が推薦したと思う。ちゃんとやる人かどうか私は知らないがでも新任だから様子もわからないし、普通にサラリーマンをしている方なのでほとんど平日はPTAの仕事はできない。なので何がおこっているかというと、PTA副会長の女性達が好き勝手しだした。副会長というのは今女性ばかり8人いるが、そのうちの1人がボス、その腹心が2人で、この3人が人事も物品も会計についての采配を思うがままのよう。小学校の中で大問題と皆がわかっているが、今の豊洲小学校PTAというのは全然オープンになっておらず、外部者はシャットアウトされ何か言えばPTAメンバーで構成されたLINEグループで「森生ゆり子が何か言って来ても無視してください」とボスかもしくは腹心からお達しがまわることになっている。あーやっぱりこれ別記事にも書こう。もうー仕事増える一方。

で、多分大学も同じことが起きている。いいボスだったと思われる徳山 詳直(とくやま しょうちょく、1930年 5月13日 -2014年 10月20日)が亡くなり、その息子が継いだもののまだ実業者教育者としては立場が弱く、それになまず学長や事務局長コナンがやりたい放題。なのでおおえかのような妖怪の侵入を許し、今文芸コースはめちゃめちゃになっている。おおえかだけじゃない、やつを庇うN先生まで評判が悪くなり、そして卒業式の懇親会出席教員一覧にN先生の名前がなかった。大学の入学パンフレットにもN先生の写真や名前が消えている。通信教育部文芸コースがが発足して今年8年め、こんな事態初めてといっていいだろう。これずべておおえかが文芸コースにきたせいで起こったことばかり。私がブログに色々書くからだと奴はあちらこちらにまた吹聴するだろう。でも大学内で起こったことは外部に出せないものはあってはならないのではないか。豊洲小学校のPTAと同じ、「知られたくないことがあるから知られたくない書かれたくないつつかれたくない」のだ。

話を大学の話合いに戻す。「あれ、大傑作でしょう?」と自分の書いた官能小説を自画自賛しながら「偉そう先生」の言葉尻をつかまえて、「プライベートでそんな話するなら、じゃあ私が面談申し込んだのに事務所に弾かれる話もして下さい」などと言うと、しまったという顔をしながら他にも色々請け負ってくれた。住職先生はそれを聞いて、どうして面談が出来なくなっているの?などと聞いてくる。「先日事務所の女の人が、もうあなたとN先生は会わせられないと言ったくらいなので、大学全体がそういう方向になっているのだと思います。直接話が出来ないので余計にややこしくなってトラブルも発生しています」などと先日のフィガロ仮面VSN先生の話をするとにわかには信じられないようで驚いてみえた。部屋のすみに「あなたと先生を合わせられない」と言った事務員の方がみえて、「ねえそうですよね」と振ったがじっと机をみて顔をあげなかったし、以前の時は色々喋ってくれたのにこの日は微動だにせずずっとメモをとるという感じ。多分この女性事務員もコナンから「もう絶対余計なこというな」と厳命されているのだろう。そういう話が話し合いの最初にちらとあったから。その他色々話して「偉そう先生」も「住職先生」も、私が抱えている疑問点をあちらこちらで調べてくれると約束してくれた。

「京都方式はやめて下さいね。京都の人達って奥歯にものが挟まった言い方をするので全然私理解できませんから」というと、笑いもせずわかりましたと言ってくれたので今度こそ信用してもいいんだろうか、でも今まで何度こんな面談をして「あなたのためだから合わせられない」とか事務局や大学は、私とN先生を引き離しているのが問題を大きくしている原因だとなぜわからないのだろうかとか、絶対コナンの陰謀とか、コナンの糸を引いているのがおおえかだとか、そもそもおおもとを辿ればおおえかとか、最後の方はだんだん空気も温まり、私の悪い癖で「もしかして信用していいかも」なんて気を許しだし、言いたいことをべらべらべらべら喋りまくった。住職の先生はあっけにとられていたが、言いたいことはわかってくれたように思う。ただ大学として出来ることは一存えは決められないという感じ。私の希望はおおえかは大学および関連施設からも永久追放、もうこの人は誰かにものを教える立場になっていい人ではない。自分より秀でているとか恵まれている人をみつけると、用意周到に叩きまくって己の出自や平凡さへの憂さを晴らすのが楽しくて楽しくて仕方ない人。豊洲のあのボスママと一緒、自分の会社の中でやると人事査定が悪くなるから組織に関係ないママ友の中でイジメをした。おおえかもそう、対生徒ならひとりやふたり潰してもいいだろう、だって俺先生さまだもんと。自分が生徒の時、そして今やっている 唯一まともそうなライターの仕事も叩かれまくって悔しい思いをしてきたのだろう。だってあんなのすぐ他に変えられても文句いえないような立場と仕事内容、CDジャーナル読んだけどおもんないわよ。私に書かせてくれたらもっといいもの書くのに。   

「偉そう先生」と「住職先生」達にも話したが、私は奴の正体を見極めるため、奴と繋がりのある劇団の上演する公演をわざわざ観に行ったことがある。小さな箱の名もない劇団、さぞかしつまらないだろうと思っって行ったが、本当に面白くて驚いた。多分脚本家がいんだろう、俳優さんも女優も、主催者の方の挨拶も正直が剥き出しのようなもので好感をもった。でもその劇の中のセリフで「俳優は嘘をつく、作家は嘘を書くのが仕事」というのがあり、ああ、ああ、あの人元俳優だから嘘が上手いんだと超納得した。みよ、この私の現場主義的なリサーチ力と状況を読み解く力、いつもいつも妄想でパンパンでにやにやしているだけじゃない。ちゃんと論拠も証拠も出典もある。これN先生の授業で初めに厳しく指導されたものだ。こんなところでも先生の言うことをちゃんと守って本当に私は真面目な素晴らしい生徒なのにあんな先生もどきの方を信じてこの大学本当に終わって。。。じゃない、何も生み出さないのも無理はないわけよ。(「終わった」人、組織もNGワード」だそうです)

それからこれはN先生に是非読んで欲しい、心して読んで。

N先生に私のブログを悪い言い方でチクったのはおおえかですよね。だってあの頃私がブログ書いているの知ってる大学関係者はおおえかしかいなかった。私はブログを書き始めてから約一ヶ月くらい経過したあたりで早々におおえかに「私、ブログはじめたのでよかったら読んでください。そして何か書きずぎとかNGなんかあったら注意して下さいね」と、青い鹿の名刺を私ながら言った。その時は授業以外で私の作品を読んでくれて感想を貰った時だったと思う。おおえかは「わかった、ありがとう」と名刺を受け取った。多分私のブログや渡した作品の熱量に圧倒されて何事か思ったはずだ。上手い下手じゃない、このままだとコイツ伸びちゃうかもしれない、N先生にすごく気に入られてるし、自分の立場があやういかもないて。思ったとしても不思議ではない、そういう人だから。なのでN先生に「あの人はN先生を侮辱するブログを書いています」とチクった。N先生は中身フランス人だから、教えられたとおりの意味でブログを読んだ、そして誤解した。そうでしょう!    
   
で、ここからが肝心。大学の偉い先生に、私のブログで傷ついているとメソメソぶって同情引きながら、私のブログを「N先生から教えてもらった」と言っていたそうなんですよ。

もうこれ聞いて呆れてものがいえなかった。どこまで自分に有利に話を捏造する人なんだろうと思った。メンヘラぶって薬が合わないとか切れたとかnoteに書いてたけど、こんな人がいくら私立大学の通信だからって先生やってていいの?先生だからいつもキチンと隙が無く真面目一辺倒というN先生のようにあれとは言わない、先生だって飲みに行くし時には馬鹿やっていいし、だらしないところもあっていいし、部屋が目茶目茶でもかまわないと思う。でも生徒を陥れるために嘘つくなんて言語道断!今回面談した大学の自称偉い先生達も私のことをぶーぶー言うくせに、おおえかがつい最近Twitterインスタblog(note)を全削除したのをご存知なかった。これ、証拠隠滅でしょう。もし何も後ろめたい事がないなら復活させてみなさいよ。note、インスタは削除したら復旧は無理だけど、Twitterは一ヶ月以内なら元に戻せるから。あーあ、自分の書いたものを大切に出来ないような人が文芸の先生だってよ!これ、傷つけるも誹謗中傷もなにも真実だから。

さあ、もう後は大学からの返事を待つだけ、それから「練歌と俳句」の授業が75点だったのはおかしいともう一度疑義書を顔採用の先生に出す、あとは卒業制作の要約をプリントアウトして卒業のお祝の会出るかでないかのアンケート用紙と一緒に出す、それから2月のフライングカフェに行くのと3月の藝術学舎「小説を書く」という2日間の授業に出るのと、卒業式前日の卒業制作発表会と懇親会、もしかしてその後の二時間、そして卒業式私は卒業証書貰えないけどみんながコースごとで貰う時までずっといるつもり。だって最後までみないとあの後どうなっただろうと考え続けるのが嫌だし、その後絶対学友達集まって私の悪口大会するだろうから監視してやる!

これだけではなんなので、卒業式の次の日から連休だからゆっくり京都観光をしようと思う。もちろんぼっち。一緒に京都まわりたい人なんて誰もいないわよっ!世間のしがらみを断ち切りひとりで思う存分あちらこちらぐるぐるみてまわりたい。名古屋に住んでいた時はあっという間だった京都、もう東京に住んでいる今は全然縁がなくなってしまった。しかも今は全京都と敵対している状態、冬彦どうしているだろう。あの人あの時絶対大学にちくったよね、だって学長が急に私への温度が低くなったもの。そして顔採用に流れたと。そして私に75点、冗談じゃないわよ!断固抗議する。成績や単位が確定するのが私の場合2月末だそう。それまで頑張りたいと思う。

あとは大覚寺の千住博大先生の襖絵を是非みたい。3月26日までの公開で卒業式の後の連休なんてすごく混むだろう。でも私お得意の朝いちばんで行くというやつで行けば大丈夫、こういう時旅のお供がいると、「ごめんね、私どうしてもみたくて朝早く眠いでしょう」なんて言わないといけないけれど、ひとりなら自由自在。女性も高齢になるとわらわらと温泉だの観光だのすると思うが、私は絶対したくない。いつもひとり、もしくはwith家族の誰かを引き連れて。だいたい家族揃ってどっか行くのも私は苦手。二人ならいいけど四人になると色々な思惑が渦を巻きマウンティングが始まる。もう懲り懲りゴリラよ。

あらまあ丁度いい時間。三越行く時間がなくなっちゃったけど明日また行きましょう。ではそろそろ出かけることにする。   

大学の帰りに三越に寄った。素敵なものはたくさんあったが、私が欲しいものはなかった。
       
そういえば偉い先生達が「SNSに顔写真あげない方がいい」と心配していた。しかも本人の写真じゃないと思っていたようで、同じ顔がきたと驚いたそう。もしかして私に惚れちゃった?身の破滅だからやめておいた方がいいわよ!

さきほど家に持ち帰った卒業研究の要約原稿が完成し、大学のqestionのメールアドレスに送信した。でもこれプリントアウトしたものを、昨日の口頭試問の時に渡されたアンケートと共に郵送もしないといけない。その前に普通は要約原稿はここまでくるとほとんど修正の必要はないのでそのまま面接授業が終わり、ありがとうございましたと主担任、担任の先生達に礼を述べ退室し、あとは卒業式を待つだけという流れが普通。もし修正があったとしても、校正のための部屋が用意されており、そこでちゃちゃっと直して「要約提出箱」というものに渡された封筒に入れてポストインして完了。でも私は昨日は口頭試問の後に色々用事が出来、その後すぐ大学の偉い先生達と面談があったので原稿修正が出来なかった。修正はがっつりやる必要があり、手で修正もむつかしいボリュームで、家でパソコンでやろうと考えた。で、朝からまたNSNで色々書き込み、やっと手も頭もほぐれたところで卒業研究の要約を書き直し、作品概要の文字数を減らし、どういうバランスがいいか四苦八苦してようやく要約が出来た。

この日の大学はまたいつもの如く色々と忙しい一日になった。

最近外苑キャンパスに行けば丸一日拘束され、更に事件が色々起こるような気がする。一日拘束されるのは、私は通信生だから毎日学校に行く訳ではなく、大学に行くとなると色々なアポや面談希望、誰かに会えば情報収集に余念がなく、一日があっというまにぎゅうぎゅうになる。最近は1月13日から15日の「日本美術論」この時も授業以外でも色々あった。「フライングカフェ申し込み事件」とか「フェノロサは天心のフォロワー新知見発表事件」「有名人とご飯行く件聞かれて知らないオババに嫌がらせされた事件」「挨拶したのにおおえかに無視された後目もあわせてもらえずガン無視された事件」などなど。

まーでも最近の「懇親会フィガロ仮面VSN先生事件」とか「ストーリーとシナリオ感想聞いてまわった事件」とか、なんか事件つければいいと思われそうだけれど、私にとっては日々の出来事特に大学で起こる様々な事象は全部事件で、それぞれに名前をつけて脳内コレクションをしている。そしてはみ出た部分をブログに書くことをライフワークにしているが、これが生業になるともっといいのだがなかなか世間が変わってくれない。私は自分を変えるのがイヤだしきっとできない。だとしたら世の中が変わってくれるのをじっと待てばいいと思う。結局それが一番のような気がする。

という訳で昨日の事を時系列で備忘録的に書いてみた。日記みたいと思われるかもしれないが、その通りこれ私の日記だから。一番最初のブログが「キャナリーゼゆり子の豊洲日記」でしたねーえーもう懐かしいですね。今クローズしているけど(※思い切ってまた公開しました)読むと本当に懐かしさで胸がドキドキする。もう最近はムカムカしたりカーッとなったりしない。それもこれも大学がそうなっているのでもうママ友や幼児園の憂鬱は思い出に変わったように思う。そう言う意味でも大学に入ってやはり良かったと思う。

昨日は12時くらいに家を出た。「ママ、今日も大学?」とお猿ちゃんが聞いてくれて、なんとなく寂しそうで色々世話を焼く。すると娘が息子にちょっかいを出して泣かせだす、きっと自分もかまって欲しいのだろう。でもあまり時間がないのでそのまま飛び出す。豊洲から市ヶ谷、JRに乗り換えて二駅目の信濃町駅、もう四谷で間違えて降りたりしない。でも慣れたところでもう卒業、世の中そんなものよねと大学に向かう。

駅すぐのデイリーヤマザキでおやつのパンと淹れたて珈琲をマイボトルにつめ、ついでに店内のポストに「日本美術論」のスクーリングレポートを投函。やった\(^o^)/これで大学にだす課題、単位に必要なものは全て出せた。もうこれで単位数足りたのでここで打ち止めにする。本当はもっとやりたい科目があるのだが、他にとりかかりたいことがたくさんあり、自分のやりたいようにやらせてあげようと思う。

今までの書き方からすると、今回も面談の他に呼び出されてなんか叱られたんだろうイイ気味と思うかもしれないが、冗談じゃない、私は怒られるようなことを何もしていない。色々ブログに書いたことは認めるが、でもある意味致し方なかったと思っている。やっぱり今回も大学は刑法など説明に折り込み私を揺さぶろうとするが、ブログを修正しろとか削除とかヤメロとかは言わない。やっぱり色々思うところはあるが、社会的に意味があると思ってくれているよう。今後書く時は「セレブデブ」と「馬鹿」などは控えるようにとは言われのでそうする。私は注意されて突っ走るような躾の悪い女ではない。清楚でつつましく、夫の後を三歩下がったらそのままどこかに行ってしまう女。

まあそんな訳で昨日も口頭試問だけではなくその後にもぎゅうぎゅうとスケジュールが組み込まれた。

肝心の口頭試問、直接対面が初となる主担任の先生とお会い出来て感無量だった。「やっと会えたね」って喉まで出かかったけれど、なんだかこの大学の空気がそれを許さないというか何というか。そうだ、「最後の最後までweb 授業だったらコナン訴えてやる!」と事務局に怒りのメールを送ったら、即東京に来てもらえることになり拍子抜けした。最初から私も「不満です」と言えばよかったのに色々遠慮していたのがやはり良くなかったとも思う。「私手のひら芸大に入った覚えありませんから」と言えたのが11月ごろ、もうね、春辺りに大学と喧嘩になっても言えばよかった。私は中途半端に我慢するたちで、いったん堪えるものだから内部圧が強くなり最後にバーン!と爆発してしまう。「小出し」とか「空気を抜く」というのが全くできない。

そういう訳で主担任、副担任の先生二人と私とで最後の面接授業が始まった。

ここでひとつ書いておきたいのが、私たち2016年卒業生たちは、最終面談は論文研究にかかわった、卒業制作に関係する先生達全員の前で何か質問されるのだと勘違いしていた。なので誰かと話すたびに、大勢の先生達の前だと緊張するかもなんて話ていたくらい。でもいつだったかそうだ、主担任の先生にイレギュラーで学習相談をお願いした時に、事務の方がwebのセッティングをしに部屋にきた。主担任の先生は京都の先生なのでこの日もweb 面談だった。まあでもこれはこちらが急にお願いしたのでいいのだが、その時に事務局の人に色々聞いたら、「最終も主担任副担任の先生だけだよ」と教えてくれた。

なんですってええええ!と思って会う学友に話したり、fbに書いたりした。そんな訳で大学はそういう情報もっと出してよと思った。先生達は毎年だから手慣れて訳がわかっているけれど、私たち生徒は何もかも初めてのことだらけ。子どもを初めて産んでお母さんになるのと似ていると思った。なので私はブログに細々と色々書いている。きっと読んで色々解決したことがたくさんあるんじゃないだろうか。そうだ、最近「武蔵美と京都造形の違い」という記事がずっとトップに君臨しているが、みな違いがわからずにここに辿りつくのかもしれない。今は「警察は役立たず、もう二度とくるな」がトップを奪った。あれ、本当にすごいアクセスで一体何が面白いんだろうと思う。何か役に立つのだろうか。そのうち続き書くから待ってて。もう本当に色々忙しくてさあー

口頭試問は主担任の先生のリードで始まった。この授業での受け答えも成績に関係するから頑張って、でも緊張しなくていいなどと言われる。ちょっとドキドキしたが、普通に考えてることを赤裸々に話せばいいだろうとそうした。主担任の先生からは、良かったポイントを3つくらい上げられ、その後苦労したことは何かとか、工夫した点、あとはずーっと手放しという表現がピッタリなほど褒められっぱなしだった。それまで卒業制作の授業はダメだしばかりで添削の方に「ここはいい」とかちらっとあっただけ、この日はこのままでいいとか完成度が高いとか、先生も大喜びのようにみえた。

でも先生からしたら自分が指導した生徒がいい作品が出来れば評価も上がる訳で、私も「誰も担当をしたがらない」という噂の中で主担任を引き受けてくれた先生に恩返しするつもりでも頑張ったところがある。winwin 的ないい着地点に作品をもっていけてよかった、完成した時は本当に歓声が出てしまったくらい。

なぜこの作品を書こうと思いましたか?という質問には次のようなことを答えた。

私は大人になって、しかも子どもを産んでからヘビーなイジメに遭った。こどもの頃だったら堪えられなかったと思うが、大人だったので我慢できたし辛いながらも観察することができた。世の中イジメはだめとかなくそうとみんなが言うけどイジメがなくならないのは何故だろう、しかも子どもにイジメはダメと教える立場のお母さん達が全員でやっている。とても不思議に感じたので小説に書いてみようと思った。

そんな感じだったと思う。そうしたら主担任の先生が、その言葉を要約に入れてみてはと言っていただき、提出済みのものを修正追加することになった。先生があらかじめ原稿に赤を入れてくれていたものを受け取り、これはパソコンでやらないと出来ないなと持ちかえることにした。

副担任の先生も、FBのバナー事件でおおえかとバトルしたせいで先生を前日ぶった切ってしまったばかりだったが、なんの拘りもなく授業がすすみ、なんかあのあたりの先生達と違って肝の据わった方なんだなと思った。副担任の先生も今日は褒めて下さる以外、ダメ出しはなんにもなかった。ここはどうやって思いついたのとか、最終原稿でガラッと変わったのは何かあったのかとか、本物の文芸編集者は本当に厳しいので頑張って下さいとか、デビューの決まった人に言うようなことを言われていて、ああ私もしかしてそういう流れに乗っているのかも、なんて勘違いして思い上がってしまった。最後の晩餐はご馳走が出るというのと同じで、最後なので褒めるという事なのかなと思ったが、自分でもよく出来ていると思うことばかりピンポイントで褒めて頂けたので本当にそうなんだろうと思った。

それから要約、というのは卒業制作を載せる冊子に出す原稿のことで、これをちょっと変えたらどうかとまた提案があり、多分他の先生だったら「要約なんてもういいか」と思うところ、最後の最後まできっちりみて下さる方にあたって私は本当に運がいいとまた思った。私は運だけじゃない、顔も頭も性格もいいということはそろそろほとんどの方がわかってくれはじめたと思うが、この先生に巡り会えたのは元はといえばおおえかが私にした意地悪が発端、そう思うとここだけは感謝しなくてはならない。人生とか運って、どうなるかなんて最後までわからないものだとまた思った。もしあの時不貞腐れた気持ちになり大学を飛び出したりしていたら、こういう未来は来なかっただろう。そう思うとどんなに辛い時でも腐らず自分のやるべきことをキチンとするというのは大切ということだろう。人生万事塞翁が馬、どん底の豊洲ママハラライフもこんないい作品、って自分で言っちゃいますよおーだって面白いんだもん。そのうち世に出ますようにと祈念。

そういえばおおえか、4~5人の主担任やっているみたいだけれど、ちゃんとコピペじゃなくひとりひとりに対応出来ているんだろうか、でももれなく副担任はN先生だから、大学病院でいえば研修医に治験されるようなものじゃないだろうか。一年目の終わりごろはN先生と一瞬直接話す機会があり、担任して欲しいとお願いしたことがある。その時はやぶさかでない風味だったのでもし何事もなく過ぎていればそうなっただろう。でも結果的には今の先生達が担当して下さったおかげで切磋琢磨ものすごく勉強になったし書く力も相当あがったと思う。それにN先生だったら一緒におおえかも担当になっただろう。うーん、本当にどんな運命のいたずらなんだろうとまた思った。

おおえかが担当になった生徒達は依怙贔屓されている人達、何かあっても意見が言いにくいのじゃないだろうかと心配になった。私、当たらなくて本当に良かった。もし主担任だったら耳障りのいい話や、検討違いの厳しい指導というのに翻弄されていたかもしれない。

私を受け持って下さった主担任の先生は、私が初めての担当だそう。最初に返ってきた卒制の添削に「私は小説家なのでアドバイスがきっちりできます」と書いてあり、多分自分の作品や才能に自信がある方なんだろうと思った。添削を読んでもそう思ったし、数回の面接授業でもそれは感じた。そういうブレない自信のある情熱を持った熱血先生は厳しくて優しく理想の先生だったように思う。こんな大学の文芸コースには勿体無い!

副担任の先生のアドバイスも最初の頃はよくわからなかったが、最後の最後の仕上げの頃に、ああそういう意味だったんだ、じゃあこうしたらいいんだとそのようにしたら素晴らしい作品が出来た。何度も言うけれど、先生の言うことアドバイスは全部採用した。書けと言われれば10万字書き、それを読んでもらって6万字くらいにしてみようと言われればそうした。その時はえー!マジですか?と悶々としたが、全て意味があることだった。口頭試問でもそれは先生達と双方認識を新たにし、良かったよかったとそれぞれが幸せな気持ちで最後の授業を終えられたと思う。本当に色々あったけれど、終わりよければ全てよし。この大学に入学して良かったと思った。 

そこから次の約束でロビーで待つOさんと話し、その後「偉そう先生」と「住職先生」あとは「すっごく偉そうだったけど最近日が消えたように大人しくなった事務局の女の人」と面談があった。この話は別に書いた。 まるっと一日大忙しだった。   
   
さあ、レポートも課題も全部終わったし、あとは後は大学からの成績表と卒業式の案内を待つだけ。私はB認定だから卒業証書はもらえないが行ってみるつもり。正直全然行きたいと思わない、でも行く多分。それから「練歌と俳句」の授業が75点だったのはおかしいともう一度疑義書を顔採用の先生に出す。私はフェアな採点だったら68点だろうが86点だろうがその通りだと受け入れる、あれはああでこれはこうでなんて後から成績に文句言うのは筋違いだから。特に文芸の課題は文章鍛錬もある。先生の採点を読者の感想だと考えれば、満足のいくものが書けなかったと反省し次に生かすだけ。でもあれは本当に「ないわ」と思う。エモーショナルなものは学問の場にそぐわないし持ち込むべきではない。先生といっても好き嫌いはあるだろう、でもあの採点はそういうものを超えた「報復」的なものがあった。なので疑義書を出したのだ。

あとは卒業制作の要約をプリントアウトして卒業のお祝の会出るかでないかのアンケート用紙と一緒に出す、それから2月のフライングカフェに行くのと3月の藝術学舎「小説を書く」という2日間の授業に出るのと、卒業式前日の卒業制作発表会と懇親会、もしかしてその後の二次会、そして卒業式。私は卒業証書貰えないけどみんながコースごとで貰う時までずっといるつもり。だって最後までみないとあの後どうなっただろうと考え続けるのが嫌だし、その後絶対学友達集まって私の悪口大会するだろうから監視してやる!

これだけではなんなので、卒業式の次の日から連休だからゆっくり京都観光をしようとも思う。もちろんぼっち。一緒に京都まわりたい人なんて誰もいないわよっ!世間のしがらみを断ち切りひとりで思う存分あちらこちらぐるぐるみてまわりたい。名古屋に住んでいた時はあっという間だった京都、もう東京に住んでいる今は全然縁がなくなってしまった。しかも今は全京都と敵対している状態、冬彦どうしているだろう。あの人あの時絶対大学にちくったよね、だって学長が急に私への温度が低くなったもの。そして顔採用に流れたと。そして私に75点、冗談じゃないわよ!断固抗議する。成績や単位が確定するのが私の場合2月末だそう。それまで頑張りたいと思う。

あとは大覚寺の千住博大先生の襖絵を是非みたい。3月26日までの公開で卒業式の後の連休なんてすごく混むだろう。でも私お得意の朝いちばんで行くというやつで行けば大丈夫、こういう時旅のお供がいると、「ごめんね、私どうしてもみたくて朝早く眠いでしょう」なんて言わないといけないけれど、ひとりなら自由自在。女性も高齢になるとわらわらと温泉だの観光だのすると思うが、私は絶対したくない。いつもひとり、もしくはwith家族の誰かを引き連れて。だいたい家族揃ってどっか行くのも私は苦手。二人ならいいけど四人になると色々な思惑が渦を巻きマウンティングが始まる。もう懲り懲りゴリラよ。    


信濃町駅の花屋さんは春の花がいっぱいだった。もうすぐ春で卒業なんだと思ったら寂しくなった。

       
そういえば偉い先生達が「SNSに顔写真あげない方がいい」と心配していた。しかも本人の写真じゃないと思っていたようで、同じ顔がきたと驚いたそう。もしかして私に惚れちゃった?身の破滅だからやめておいた方がいいわよ!


またしても驚きの噂を聞いたので追記:コース主任のN先生、「卒業を祝う会」は自ら「日程的に難しい」と言って欠席するのだそう。一体どんな理由があるのか、これ職務放棄じゃない?もしかしてもう大学から出る覚悟が出来たのか。理事長にお手紙書いたので回答を待ちたい。

一番印象に残った質問にこう回答した。




あなたのアモーレは元気ですよ〜♡     
   
息子ちゃん大喜び


やっとライターの方が片付いたのでブログを書いている。ブログとライター、どちらも文章を書くのだけれど、当然ながらライターの方がうんと気力も体力も気も使う。言葉ひとつも色々様々に変えてみて、一番しっくりくるものを採用、セオリーの通りに言葉が流れるか、ひっかかるところはないか気を付けて文章を組み立てる。大学のレポートを書くのに似ているかもしれないが、大学はお金をこちらが払って採点してもらうもの、ライターはそれで報酬をいただくものなのでやはりこちらの方が大変ではある。でもどちらも「終わった」という開放感、最近ではやはり卒業制作が終わった時一番感激しましたね。いつまでも推敲したかったが、期限があるのでえいやっと送ってみた。完成を楽しみにしてくれている方に何部かコピーしてお渡ししてみた。もしこれで芥川賞とったら初稿をゲットしたということになるのではないか。なんてね。

大学でも最優秀賞が選ばれ金一封、中身は一万円らしいけど、これは全然期待していない。これだけSNSで大学を非難している現状、くれたら京都造形芸術大学すごい見直すけど、残念ながらそんな大学ではない。京都にある大学らしく、閉鎖的で伝統的なものしか受け入れないという校風、しかも学長は神で、その下の先生達は貴族、事務局は官民、通学生は民人(たみびと)、私たち通信生は紙という結論に至った。紙というのは「集金袋」という意味で、お金を徴収する手段、いれものでしかないのだ。なので事務局は偉そうに犬を蹴散らすかのような態度で私たちに接する。懇親会で会場が開く前にロビーで立っていたら、そんなところに立ってると人が通れないという事務局の人がいた。えっと思って道をあけるとN先生が私たちに挨拶もなく、前を素通りして知らん顔で事務室に消えた。ほら、私たち通信生って紙だから、人が通る時はさあっと風に吹かれるように飛ばされる訳です。大学生活って一時が万事全部こんな風だった。

例外もあり、あのおおえかは依怙贔屓がひどく、贔屓している生徒とは授業中でもキャッキャと話ていた。多分学生気分でお喋りしていたつもりなのだろう。いつもいつもそうだった。そうじゃない人には真面目な変な顔で、ああそうですかみたいな。おおえかより年齢の高い人ってほとんどだけど、そういう生徒達は「ちょっと失礼な態度」と認識していた。私は『地獄変』からいつかおおえかを倒しに出ようとずっとコツコツ証拠を集めてまわった。そうしたら出るわ出るわ色々な醜聞が。そして紙の中に貴族がいて、その御方に謀反を起こした。そこまで先生って偉そうにしていいんだ、自分が気に入らない人を徹底的に憂さ晴らし的に叩くというやりかた。証拠をつかんだ私はおおえかのSNSをほじくりだした。というかずっと以前から認識していたが野放しにしていた。全てスクショをとったのでいつか公開したい。このSNSの大量のデータをみると、本当にいつまでも学生気分でダラダラしていて、でも大学の先生になったナイスな俺、というのが透けてみえる。 



よくこんなん大学は採用したなと感心するが、多分大学って外資系企業と同じでチームごとの採用なのだと思う。マイクロソフトも外資証券もそうだった。チームで人が欲しいとなると、チームの中の人が人を連れてくる。で、そのチームのボスがうんと言えば即戦力となる。まあ正式な採用となれば社長やceoの版がいるけどそんなの面接だって茶話会みたいな感じで終わるわけ。そう考えると外資ってやりたい放題で、かつての上司が「外人っていうのは好き勝手して困ると本国に逃げちゃうから、色々気を付けてね」と言ってくれて、あの上司は本当に私を親身に思ってくれた数少ない人。あの時もちょっと事件があって色々ご迷惑をおかけしたけしました。あのあとバンビと後に付き合うことになり、でも結婚はやめて別の人と結婚しました。その人はバンビの学校の先輩だったというすごい偶然で、あーこれは私の履歴書で赤裸々に書きたいけれど、うちの夫も私の履歴書に書くのが夢とかいってるので先に書かれたら嫌だな仕方ないか。でも私本当にバンビじゃなくて夫と結婚して良かった♡今とても幸せに暮らしています♡♡そんな訳でおおえかは多分クルーソー先生かN先生の推薦だけで採用されたのだろう。いい生徒は演じられてもいい先生は演技力不足。◯ネ!

という訳で、私たち通信生は紙(集金袋)だという残念な概念がわかった。でもこれをみて、大学関係者全員が納得するのではないか。またしつこく言うが武蔵美もそいういう噂はいくつかあった。通学生は通信生に教室を使って欲しくないと思っているとか、あの先生はや〇まんだとか、色々色々。でも今回のようにこんなにダイレクトな事件や確証をみたのは初めてで、逆に本当に驚いてしまったくらい。最近なんだか大学がゴタゴタしてきたと聞くが、通信教育部の文芸コースが台風の目になっているように感じる。私からみて色々問題があると思うので、大学側からみたらもっとよく見渡せると思う。一刻も早い救済策をと願う。
そしてまた名言が飛び出した訳で、Twitterは金言を生みだすドラえもん的不思議ボックスだと感じた。

そして大学の事務局って偏差値は高いが頭のいい人があまりいないのではないかと思った。というのはN先生のことで大学に何度も呼び出しされ、そこで質問したいことはメールにまとめて送って下さいと言ってくれた先生がいた。でも私こんな風なので全然出せずにいて、先日「日本美術論」の授業の時に事務局の人にまだ出せてないが出した方がいいかと聞くと、多分待ってみえると思うので出してと言われた。で、「先生って(苗字)先生でしたよね、下のお名前なんでしたっけ」と聞くと、その方は目が泳ぎ、「えええと、(苗字)先生だけで大丈夫ですから。(苗字)先生ひとりしかいませんからね」と言う。もう私に隠し事がいっぱいあるのがこれだけでまるわかりじゃない?先生の名前なんて経歴ごと京都造形芸術大学のホームページに書いてあるから調べようと思えばわかる。なのに教えられないという態度、もうまた怪しい!この人達絶対信用しちゃだめと決意を新たにした。

私大学の関係者を全員信用していない。今は学友達もそう。だっておおえかとかN先生に担当してもらっている人達からしたら私は敵じゃん?私の見方したら豊洲でボスママにつかないと自分がイジメられるのと同じで、こちらの味方は出来ないししない。ただでさえ以前は先生達のみこもよく、何かと目立ってほめられていた私を面白く思っていない人達もいたはず。なので今度の京都で行われる卒業式前の懇親会、豊洲で村八分になった時のように参加者全員が私を空気扱いして無視するかもしれない。でも逆にだったら行ってみようかと思った。地獄を何度もみているのでもう怖くもなんともないわけ。でもそれではなんなので助っ人をお願いしてみた。でもどーせ決まりがどうとかで却下されるのよ。あっそうだ、せっかくなので主担任の先生と副担任の先生の間の席にしてもうらおう。お話したいことがたくさんあるから♡

という訳でまだまだまだまだ色々あるわけで、どうして私の周りにはこういう事件や濃いキャラが集まってくるのだろう。モブキャラの中にも主役を張りたい人達がいるはずで、そういう人達との最後のバトルもあらほましい。なんというエキサイティングでワンダホ、アメージングな学生生活だったのだろうか。普通に入学してたんたんと学び、そして卒業するはずだった。なのに。

なのであの方にこの大学に入学してはどうかとおススメしてみた。ものすごいパワーを持った方なので、文芸コース今度こそ吹っ飛ぶんじゃないだろうか。私は全然そんなじゃないのでチラッと掻き回すだけで終わった。でも良かった♡

それから(苗字)先生にこれからメールを出そうと思うけれど、一番気になっているのは学長に出した手紙、コナンが握りつぶしたのかそれとも読んだのに返信くれていないのか。もし前者ならコナンくびになって当然だし、後者なら一学生の進言を無視した至らぬ御屋形様ということでチェンジが必要になる。 ここにお手紙全文を掲載してみたいと思う。

と、思ったけどやめた。恥ずかしいー私ちゃんとまともなこと書いてる。ともかくこの手紙がどこにいったのか、追及して頂きたいと思う。それからあの80名定員で27名しか生徒が集まらなかったのに「定員オーバー」という理由は一体なんだったのか。「追加募集されなかったから申し込み不可」という理由は通用しない。なぜなら同時期に開催された「西洋美術史」は、本当に定員オーバーだったが、卒業年で来年受けられないからとお願いしたら事務局コナンからオーケーが出た。この違いは一体なんなのか。

あと他にもN先生にピンチを知らせようと何度も「教員相談」というのを申し込みしたが、全部シャットアウトされた。それ、当のN先生がご存知なのかも知りたい。もし本人が拒絶しているなら大問題だし、事務局がN先生に知らせていなかったとしたらこれもコナンがチェンジの必要がある。でもあの懇親会のN先生VSフィガロ仮面で思ったのは、先生は全然知らされていなかったのではないか、私が先生を無視して好き勝手やっていると思われていたのだろうと思った。何れにせよこれは大問題だと思う。学費を滞りなく払って授業態度も問題なく、二年で卒業という真面目な生徒の士気をそぐようなことをしたという事にならないか。まあ「私たち人じゃなく紙(集金袋)だから」と思えば納得だが、それでも紙には紙の言い分がある。

N先生は授業の中で、京都に本部のある大学だからこそヘイト的な表現は気を付けなくてはならないと言ってみえた。なのに人を区別どころか差別していることに他ならないのではないだろうか。

こうしてブログを書いていて、文章が以前よりまとまって読みやすいものに変容したように感じる。それは他でもないN先生のお蔭でもある。なのにこうして先生を窮地に追いやるような真似をしている自分は礼儀知らずで恥知らず、恩知らずだと思う。でも先生が全然反省していない懇親会の態度、しかも先生としての尊厳を忘れてしまうよな失態。大好きで尊敬していたからこそショックでもあった。なのでフライングカフェ、出来れば先生が遠慮してください。日本美術は先生管轄外でしょう?外苑の文芸コースというとN先生かおおえかしかおらず、他の先生達は外部から授業の時だけちらっと来るだけの方ばかりで、この二人が実権を握り運営している。もっと京都の先生をこっちに投入するかまともな先生を採用してください。もう色々遠慮しながら大学に通い、私は私で本当に大変だった。

今の文芸だとセレブデブも先生やりたいそうだけれど私は大反対。あんな風に偉そうな事いって自分の立場が悪くなると私をブロックするような人は先生なんて全然無理。まだナースコスのIさんの方が色々問題あるけどまだいい。だったら私のライターの師匠が適任かと、お金かかるけど頑張って欲しい。そしたら大学で先生やってくれたらいいのに。※通信の大学院出たら先生って冗談じゃありませんよ!この人もっとも先生になってはいけない人でした。おおえかの手下で奴の代わりに私に嫌がらせするようになったもう敵!

調子のいい人からちょちょっとおだてられるとそれがそのままその人の評価になる京都造形芸術大学文化、でもまあ世の中そんなものかもしれませんね。あの学長と顔採用の女の先生観てると特に思う。「世の中ね顔かお金かなのよ」(回文)二宮さん元気かなあ。おおえかは竹中さんの笑顔を思い出すと書いてある。みんな騙されたんだろう。私は誰もだましてないけどハートは奪っちゃったかな。あの小説もどこかに出してみよう。

京都造形芸術大学通信教育部FB

これ、京都造形芸術大学通信教育部のFacebookの背景。なぜこの図書館の写真をはるの?なんか関係あるの?自分とこの図書館の写真貼ればいいのにスタイリッシュさをパクりたい見栄張り大学。一体なんのために。著作権侵害も甚だしい。中の人はもしかしておおえかなのでは、多分そう。


ほらね。


返事はまだない。

追記:門崎先生が撮影したのかーどうも失礼しました。でもページのタイトルバックに貼り付けたのはおおえかに違いない。あっちにぺこぺここっちにペコペコそして私たちには偉そう。それが京都造形芸術大学通信教育部文芸外苑のスタンダード。門崎先生の名前出したら私がビビると思うなよ!それにおおえかものすごい勢いで私のSNSチェックしてるのね、どうもごくろーさまストーカーさん藁

もっと言うと門崎先生ならちゃんと返信か回答があります。こうやって強い人の背中に逃げ込んでドヤ顔するのは大江しかいない。あんたいつまで居座る気?さっさと出ていかないと焼き払うわよ!

こんな事してる。おおえかはわからないつもりでやっているんだろう。いつも何もかもまるわかりなのに、恥ずかしくないのかな・・・



2017.01.23追記

今度こそ京都造形芸術大学が馬鹿大学だと証明されました。あの馬鹿が大学のFBで内部テロ起こしたので晒したい。別記事にもするのでお待ちください。


昨日事務局に文句を言った内容を書いてみたい。私は一昨日13日から今日の15日まで大学で授業を受けている。そして案の定「アレ」が起こった。あれとは「先生、もう休憩時間です」というやつ。先生は「あ、すみません。じゃあ今から十分間休憩にします」これが授業の度に毎回毎回毎回毎回あった。去年編入して今年卒業だけれど授業のたびにずーっとそうだった。そうじゃなかったことは一度もなかった。なかったのは歴史遺産コースの「文化史特論」だけだった。歴史遺産コースは何故かチャイムを持ち込むことになっており、時間になるとチャイムが鳴るので授業の終了がわかる。

京都造形芸術大学はチャイムがないので先生達は授業が終わるタイミングに気が付かない。そして生徒は時計がみえるので「もう終わりなのに」とハラハラすることになる。ずーっとそうだった、ずーっと。これ、先生の責任?ただの事務局の怠慢だと思う。

私は13日第一日目は先生に「もう終わりです」と言った。でも昨日14日は言わなかった。毎回毎回私がいうのって変じゃない、それにせっかく好きな科目なのに先生に嫌われたら嫌だと思った。すると別の方が「先生、もう時間過ぎています」という。先生はまた慌てて「すみません、今から休憩にします」と言われた。私はそのまま事務局に行き、文句を言った。「チャイムを鳴らして下さい」と。生徒に遅刻厳禁とか単位やらないとか言う割に、自分達はなんなのよ。もう一度言う、私たち生徒の前にカスタマーでもあるから。偉そうに聞こえるかもしれないけれど、あなたたちの方が本当に偉そう。

人が話していると高飛車に割り込んで来るし、指図命令してくる。これ、京都の事務局のカラーをそのまま写しているんだと思う。武蔵美は絶対こんな冷やかな空気なかった。京都のぶぶ漬けたべていきんしゃいみたいな温度、なんでしょうね。今受けている日本美術論のワークショップで、東京と京都の温度が違うから、それぞれの常識がそれぞれで通用しないことがあると言った人がいたけれど本当にそう、武蔵美と京都造形って全然違う。そして京都の大学なのに東京にキャンパスがあるもんだから学内がカオスっているんじゃないだろうか。

生徒は一番位が低い民人、おれら官民でトップは貴族だから好き放題していい。みたいな空気。なんか違うんじゃない?ここは東京だし、今は平成だし、民主主義の国にもう生まれ変わった訳。つい昨日天保の大火がーみたいなネジゆるんだこと言ってるからダメなのよ。そういえばセレブデブもそう、京都人じゃなくても京都の水で洗うと全員イケズになる。先生は貴族生徒は民人、それがザ京都造形芸術大学、なのではないだろうか。今までのあれこれを思い出してもそうだとしか思えない。

だいたい京都造形芸術大学外苑キャンパスは、生徒によくみえるようにという配慮なのか先生の後ろに時計がある。先生は話していると時間がわからなくなる。それは当然、先生が時計を気にしてチラチラみながら話すことってないんじゃないだろうか。一年目は文芸コースの授業ばかり受けていたが、やはり同じことばかりが起こった。N先生はついにスマホのタイマーをセットしていたが、なかなかタイミングよく鳴らないので四苦八苦されていたのを思い出す。「あれ、おかしいですね。どうしたんだろう」などと。みんなでクスクス笑って楽しかった。

でもこれ、学校にチャイムがあればいい話なのではないの?なので事務局にそう言ったら、チャイムはないとぬかす。そこで歴史遺産コースはチャイムを持ち込むので~という話があり、だったら全コースにチャイムを用意したらいいと意見した。すると、外苑キャンパスはないが、京都の本校にはあるにはあるが、通学生の時間割で鳴るので通信生の方はチャイム無視してくださいとアナウンスしているという回答まであった。これ、なんか通信生に対して失礼な感じすると思った。「だったら切っておけば?」

雷とかなんかの自然災害ならともかく、チャイムって人間が作ったものだ。だったら人がコントロールできないというのは大学の、もっといえば事務局の、更にいうと事務局コナンの怠慢じゃないの?あんなのが事務局長なんかやってるもんだからN先生と私がややこやしい事になっている。私無実だから、何もしていないから!コスはしたけど。でもこの「事務局のせいで先生とコンタクトできないから余計ややこやしくなった」というのは、現代のスマホ社会ネットワーク時代にとても興味深いと思ったのでストーリーを思いつき小説を書いている。現代版ロミオとジュリエット。

そこに先生好きとか書いているけれど、小説を書いていてやはり違和感があった。やっぱり違うかもしれない。誰かとジェットコースターに一緒に乗ると、その相手を好きになってしまうことがあるそう。心理学でいうこところの吊り橋理論とか錯誤帰属がこれにあたる。スリルでドキドキしているのか好きでドキドキしているのか、人間の脳は判断が出来ないのだそうだ。あの「あなたのその態度が私を傷つけるのがわからないんですか」という爆発するような怒りとセリフにびっくりしてすごくドキドキした。なので好きと勘違いしているのだと気付いた。そして「 何もしないという愛」が爆生したけれど、あれはあれでその時の気持ちというか思い出なのでそのままにする。

話が逸れたが、なのでチャイムをちゃんと鳴らすようにして欲しい。

このチャイムが鳴らないおかげで私は酷い目にあったことがある。そう、あの「連句と俳句」の授業、全然授業が終わらないので私は一句詠んだ。

「先生へ時間になったら終わってネ、私朝ごはん食べてないから」

これを先生が読んだ時、ちょうど授業の終了時間だったと後に学友のひとりが教えてくれたけれど、これ本当にお腹が空き過ぎてぐうぐう鳴ってしまい、困って詠んだのだ。なのに先生からはふざけすぎやろと授業の評価は75点だった。これ、絶対あの顔採用の女の先生が気を悪くしたんだと思った。他にもこの先生には、板書の文字が小さすぎてみえにくいとか、声がぼそぼそして小さいので聞こえないとか色々意見した。特に板書、全然みえないので他の学友も「事務局に言おうか」なんて言っていた。でも私は本人に直接言ったほうがよかろうと思って言ったらムッとしてにらまれてしまった。しかもチャイムが鳴らないものだからいちいち教えてあげたので余計に恨まれたのかもしれない。そして75点。

ああそうだ、授業の最後5時間目にレポートを書く時間があり、書いたら帰っていいというので一番最初に書けた私は教室を後にした。その時に「出来れば授業が終わる最後までいて欲しいけれど、急ぐなら止めない」とかなんとか言われたが、だったらすみませんがお猿ちゃんが待っていますのでと教室を後にした。その時も「てめー察しろよ、授業ちゃんと最後までいないと私が事務局に怒られるやろ」という怖い視線を投げかけてきた。そうして欲しいならちゃんと言えばいいのに。私別に無理に帰ったわけじゃないでしょう。なのに75点。

レポートがまずかったんじゃないと思うかもしれないけれど、こういうブログ調ではなくきっちりと答案用紙や普通のレポートのように書きましたよ。単位や報酬のかかっているものはきっちり書く、当たり前でしょう?なのに75点。学友達に言うと、「あれ?特選だったし点数も良かったのにね。私85点だったよ」と言われた。

特選とは。

授業の最後、レポートを書く前に「句会」なるものをした。これは短冊に匿名で俳句を書き、集め、順番に読んで皆で点数をつけていく。更に特にいいものを先生が選び、入選とか特選とかを選んでいく。もちろん特選が一番いい、私はそれだった。匿名じゃなかったら先生は私の作品を選ばなかったように思う。学友達も私の作品に点をたくさん入れてくれて、最後に「この作品を作った人はだれですか」と司会に言われて私が手を挙げたら全員が驚いていた。先生はぐぬぬという顔。そんなこんなで75点というのはおかしいやろと、大学に再評価調査票を出してみたら、ご本人の先生から「最後のレポートでこの点をつけた」とかえってきた。それもっとおかしいやろ、そもそもあのレポートが75点というのもそうだけれど、授業全体で成績をつけるものではないの?それに採点した本人がまた再考して再評価を下すシステムがおかしい。点数の付け方がそもそもおかしいと思う。

俳句の先生をもうひとり増やしましょう。それはあのゾンビ先生がいいと思います。あの先生は私が色々言っても全然ぶれないし、ご飯食べに行こうとか言わないし結社に誘ってきたりしない。私が学友とそれからタイタンの太田社長を誘いたいので呼んで欲しいと言ってもなかなか空きがないらしく未だ実現せず。そんな風に無心で依怙贔屓もしないしいつもフラット。大正大学の先生らしいけれど、顔採用の女の先生とチェンジして欲しい。もしくはゾンビ先生を監査役にしてもらえないでしょうか。顔採用の女の先生は、私ずっといると思っていたけど実は昨年あたりから急に京都造形に先生として採用されたらしい。初大学の先生デビューみたいだけどおおえかと一緒で誰が引っ張ってきたんだろう。ともかく新しい先生で成功したのは私の主担任の先生だけだと思う。別に自分の担任の先生だから気を使って言ってる訳じゃないのはブログ読んでる人ならわかるやろ。何度も言うけど私の主担任の先生にストーリーとシナリオ担当してもらうべき。

顔採用の女の先生だけじゃない、自分の感情で採点したり生徒への対応を変える先生というのが京都造形芸術大学通信教育部文芸コースには多い。特に「文芸コース」って、芸術大学としては別物(絵を描かない学部)なので、大学とは一線を画すと思われるのかやりたい放題な先生が多い気がする。なので大学やめたいとか休学したいという生徒が後をたたないのだ。

とある人にこういう話をしたら、「まあ大学の先生っていうのは浮世離れしている人が多いから」と言われ、本当にそうだと膝を打ちたくなった。私の事を常識知らずとかなんだとか言うけれど、自分達はどうなのよ。そうだ、事務局に「フライングカフェに申し込みたいけどN先生が行くから参加しにくい」と言ったら、「明治記念館なんてすぐそこだからひとりで行ったら」と言われ、「日本美術史の先生と一緒に観に行きたいんです」と言ったら、「あなたとN先生が顔を合わせる所を想像すると怖い(からやめて)」とも言われた。どーして生徒の私が遠慮しないといけないのよ。私をみて自分が保てないと思うならN先生が遠慮するべき。私行きたいのでN先生は来ないで。懇親会の件、事務局ですっごく噂になってるって外苑のボスが言っていましたよお~、あれは先生としての態度ではないわねとも言っていました私もそう思います反省してくださいマジで。

私こんなところでよくやってきたなと、あとちょっとで卒業だけれど本当に自分で自分を褒めたい。

ちなみにこの顔採用の女の先生、藝術学舎の方で「学長と行く俳句の旅」という授業?イベント?よくわからないけれど二泊三日で行くそうだけれど(あっ!今日みたらアシの牛蒡先生がひとり増えてる!よく旦那さん何も言いませんね、うちなら怒られるわこんな組み合わせで二泊三日なんて)こういう強い人によしよししてもらっているから「私は女王」なんて思うんじゃないかと感じる。例えがちょっとあれで申し訳ないけれど、中小企業なんかで社長の愛人している事務員が自分がボスのような顔をしてやりたい放題というのにちょっと似ているなと思った。これに参加する人は一定数いると思うけれど、それなら「千住博とウォーターフォールのビックバンを探して」という企画の方が人気あるんじゃないだろうか。千住博先生とあの滝をみにいくという二泊三日の旅。これなら多分十万円でも参加者は抽選になるのでは私も行きます先生!こういう人気の人を使わずナマズ先生と顔採用の女の先生の旅行を企画するゆるふわ大学、ぼけっとしていてもお金が集まる大学はいいなと羨ましくなる。 

そういう訳でコナンさん、そんなお金があるならちゃんとチャイムが鳴るようにして下さい。それか先生の正面の壁、私たちの後ろにも同じように時計つけたら?京都造形芸術大学ってこういうところは本当にケチ。懇親会の食べ物と飲物なんて10分で終わった。こんなことなら日高屋でラーメン食べてから参加すれば良かったとまた思った。娘にパーティーに行く時はちょっとお腹に何か入れてからいくものよ、でないとお腹空いてがっついたりしたらみっともないでしょうとつい先日言ったばかりそういいえば。自分が一番出来ていないのは事務局と一緒かもしれない。

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今年は紅白出ませんでしたね。私ピコ太郎しかみてないけど。

ただの備忘録的記録です。やっぱり日本美術史は面白い!昨日今日で一番印象に残ったのが、岡倉天心、この人本当に人に好かれる人で、帝国大学政経学の教授だったフェノロサを日本美術贔屓にしちゃうわ、大金持ちの孫娘と結婚させてもらって日本美術の貢献のためにお金をバンバン使わせて貰ったり、最後は原三渓にもお金出して貰うように。多分天心は何もしなくても周りが勝手に手を出してしまう、そう、L'Arc〜en〜Cielアンシエルのhydeさんみたいに同業者をも虜にしちゃう人だったのではないかと思ったわけです。

また、「歴史学は時の流れ、芸術学は色彩に注目する方が多くて印象的です」と先生が言われて、ああ、確かにそう。私ともうひとり文芸コースの学友がいたけれど、私たちは「人の心の動き」が気になった。もの書きだからでしょうか。そういえば小説って「人間関係」の塊だもの。私が人の心の動きがわかりすぎて逆に嫌だと思うことがあり、心理学なんか勉強しなければ良かったと思うことがあるけれど、これもしかして文芸コースだから、なのかなとチラと感じました。だとしたらちゃんと色々吸収できていることになり、非常に満足。

でもまた余計な一言たけど、N先生のことはサッパリわからない。激怒したりニコニコしたり、先生の態度は私を傷つける。お互い様だ。

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フェノロサ、天心、原山三渓の年表をまとめてみた。おおーう、原山渓なんて買いちゃったじゃない、全くMSIMEは「原三渓」くらい一発変換してください。ちなみに一番下の「天」の文字は「三」の間違い。上から順に、フェノロサ、天心、原三渓の年代表。フェノロサは1880年に天心が卒業論文で書いた『美学論』を読んだ二年後1882年に「美術真説」という講演をしている。政経の先生なのに。晩年はボストン美術館東洋部の主査になるが、ここになんと天心も何度も行ったり来たりしている。原三渓は、1899年に天心と出会った記録がある。そこから膨大な資産を天心というか日本美術に注ぎ込み貢献している。それからこれはwiki情報だけれどこんなのがあった。

「1888年(明治21年)、明治を代表する文部官僚で男爵の九鬼隆一は岡倉のパトロンであったが、その妊娠中の妻 波津子 と恋に落ちる。波津子は隆一と別居し、のち離縁する。離縁後に生まれた子が、有名な哲学者九鬼周造である。彼は、子供の頃訪ねてくる天心を父親と考えたこともあったと記している。」

天心もてたんだ。でもきっと勝手に相手が好き好きになっちゃって困るタイプじゃないのだろうか私のように。天心が亡くなったのは1931年50歳没。ファンたちからしたら夭折といっていいのではないか。日本美術界がどれだけ嘆き悲しんだか。私も天心に会ってみたいと思った。

そこで天心ってL'Arc〜en〜Cielのhydeさんみたいじゃないと言ったら年配の人からは「わからない」と言われ、だったら孫正義さんあたりが生まれ変わりなのではと言ったら「そうか」と納得された。そこから「天才が生まれると時代が変わる」という名言がグループワークで同じ班の方から飛び出し、本当にそうだと感心してしまった。

逸話[編集]wikipwdiaより

  • 1903年(明治36年)、天心はアメリカのボストン美術館からの招聘を受け、 横山大観 菱田春草らの弟子を伴って渡米した。羽織・袴で一行が街の中を闊歩していた際に1人の若いアメリカ人から冷やかし半分の声をかけられた。「おまえたちは何ニーズ? チャイニーズ? ジャパニーズ? それともジャワニーズ?」。そう言われた天心は「我々は日本の紳士だ、あんたこそ何キーか? ヤンキーか? ドンキーか? モンキーか?」と流暢な英語で言い返した。
<原文>
"What sort of nese are you people? Are you Chinese, or Japanese, or Javanese?"
"We are Japanese gentlemen. But what kind of key are you? Are you a Yankee, or a donkey, or a monkey?" [19]
  • 天心の残したメモの中に「第一・四十歳にて九鬼内閣の文部大臣となる、第二・五十にして貨殖に志す、第三・五十五にして寂す」と将来設計を記したものがあり、当時文部官僚だった九鬼隆一との蜜月が偲ばれる。 [20]

  • 当初は天心を引き立てた上司である文部官僚の九鬼隆一男爵の妻・ 波津子 九鬼周造の母)との接近について彼の更迭との関連も噂され、一部で好奇の対象となった。( 美術学校騒動
  • 天心は、1892年5月東京専門学校(後の早稲田大学)に特別科外講師(東洋美術史)として参加しており、そこで大隈重信と知り合い、 日本美術院 の後援者となってもらった。

美術学校騒動ってそんな事があったのか。

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関東大震災は1923年、原三渓は震災後の横浜の復興に尽力。三渓園を市民に無料公開。この辺り妄想だけれど、原三渓の人柄もあると思うけれど、天心の影響もあったような気がする。

三渓園。「yokohama sankeien garden」とあるけどおかしくない?「sankei garden」なのではないだろうかまあどっちでもいいけど。いつか行ってみたい。いい感じ!帰りに中華街かなあ♡

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ねえ山ピーさん、あの人樹木希林に似てない?だけどそれだとまんまなので「此処コアラ」と命名した。なんの事がわからないって?いーのいーの学友だけにわかれば。これ読んでお腹よじれる程笑ってると思う。

私には先生がたくさんいる。それから師匠も。先生も師匠も同じだと思う方がいるかもしれないが、私も違いがよくわからない。先生にはいい先生も悪い先生もいるが、師匠というのは自分がこの人は先生だと決めた人がそうなのではないか。ここでいう先生とは「いい先生」に限定する。悪い先生は私にとっては先生ですらない、そう呼ぶにも値しないと思うからだ。

でもこちらが先生と呼びかければ応えてくれる、何かあればすぐ助けてくれる、そして生徒が困っていたらさり気なくヘルプしてくれるもので、それはとても不思議なありがたい存在。今まで私が困っていて先生や師匠が知らん顔したことがあるだろうか。いやない。いたとしたらそれは先生でも師匠でもないからだ。

というのをいつかブログに書いた事がある。今回もそういえるのではないか。私が今抱えている深海の巨大生物的大問題、これは本当に悩んで悩んで自分が『もののけの姫』の祟り神の大きな猪のようになっているようにも思える。パソコン、スマホでSNSを開けば別の話題を書こうと思うと手が勝手にあの人この方への恨み節を書いてしまう。「愛憎劇に巻き込まれて迷惑」と書くが、嫌なら無視すればいいのに相手をするのは私になんらかの情が湧いているからだと思う。それら多くを占めている感情は、「可哀そう」「お気の毒」という色が濃い。でもその状態はご本人が好んで浸かっているのだから、遠くから私がやいやいいうのはお角違いだろう。

思えばあの時、もっと私がしっかりすれば良かったのだ。いくら恩義のある先生だからといって、やっていい事と悪い事がある。私は生徒だが先生の所属物でも好きにしてい存在でもない。ましてや個人的な感情をぶちまけるというのは如何なものか。でもここでもっと問題なのは、私が嫌じゃなかった事だ。正直嬉しかった、だから事態は捻れてややこやしくなっている。

大学はこれらを「守秘義務」という言葉を使って私の口を封じようとしたが、それも間違いではないのか。私に守秘してもらわないと困るのは大学や先生達で、守秘して欲しいと私にお願いをするものだろう。偉そうでもなんでもない、本当にその通りなのでよく考えて欲しい。

人は「先生」と呼ばれると自分が高みに上がったような気持になり、つい人の上に立ったように思うものだというのもこの大学に入学して知ったひとつ。そして、それでもなお生徒を慮れるというのが「良い先生」で、まんま上からものを見るように偉そうにしてしまうという愚かな人もいる。生徒を自分の付属物のように好き勝手する、それはもう先生以前の問題だと思う。

そんな風に私も情に流されず、もっと大人としての対応をすれば良かったのに、ブログに面白おかしい読み物のように、先生私も慕って居ます誤解です、というものを書いた。それを読んで先生は納得して喜んだだろう。だがそんな必要はなかったのだ。豊洲のボスママ達もそう、私が「元キャナリーゼゆり子の豊洲にいたとき日記」を書いた頃に反省して改心すればよかったのに、そうしないもんだからぶった切った。

大学でも同じことが起こった。同じようにぶった切ればいいが、豊洲のママ友戦争と違うのは、恩情があるからだ。これは非常に困る。私が斬りたいのはたったひとり、それを斬る為にはあの先生や大学を一緒に斬ることになる。やるかやらないか、私はひとつの賭けに出ようとした。親友に相談し、その人が「自分ならこうする」という案を採択しよう考えた。やってもやらなくても私は将来後悔するだろう。だったら運命風任せで、誰かの言葉にすがってもいいと思った。でもやはりそんなのは迷惑だと気付いた。それはその人に責任が発生することにはならないだろうか。あの人が言ったからそうしたのにと。

代わりに近々ランチする予定の友達に相談してみた。相談したいと思っていたところにタイミングよく電話が入り、これこれこうで困っているがあなたならどうするか、と。その人は私を良く知ってくれているしブログも読んでいるので「ああ、そうだったの」みたいな感じで納得してくれて、「どうしても納得できないことってあるよね。やるだけやったらいいと思う、でないと後悔する。でも子どもがいるんだから、事件に巻き込まれないように。窮鼠猫を噛む」と言われた。

私は人の言うことはきかないが、本当に私のためを思ってくれている言葉を嗅ぎ分ける能力はある。なのでナースコスのIさんの言葉も納得できたし、今回もそうだし、よく喧嘩はしたけれどあの弁護士の先生の言葉も訓えも私に染み込んでいる。今回の件で相談したり話したりして「私のことを慮」ってくれたのはこの三人だけだ。あとは自分の保身、身分的役割、職務、そんなところから最も穏便に、大学の不利益にならないようにというものだけだったと思う。でもそれはそれでいいと思う。組織の機関というものはそうあるべきだから。

そして、もうそろそろブログにギャーギャー書き散らかすのは終わりにしないといけないとも思う。何故ならこんな事に時間をとられていては、他の事ができなくなるからだ。今は様々な組織はお休みで、そちらの仕事も出来ないからいい。でもこの連休が終わったらまたやらないことが山盛りある。そうしたものへの悪い影響は極力ないように留意し、新たな活動新しい作品も書きたいと思う。大学にいる間に様々に書きかけては途中の長編小説がふたつ、ノンフィクション小説がひとつ、暮に書いた一万字小説は3万字程度にして何処に出してみたい。

こんな風に気持ちが切り替わったのは、この先生の言葉がある。



そしてその先にリンクが貼ってある言葉を読んで、私は驚いた。これ、多分私へのメッセージでもあると感じたからだ。私の辻先生ラブは昨日今日始まったものではない。辻先生もずっと以前から私の存在はご存知だったはずで、もしかしたら私が抱えて困っているものも当事者か誰かに聞いて知っているかもしれない。

その上で様々に私を、そして辻先生もかつてはいらした組織を心配してメッセージを書いてくれたわけです。ありがたいことです、本当にそう思います。でも大学側に対しても書いてみて欲しいと願うのは欲張りでしょうか。生徒がそうならないように、そういう感情と共に去らずに済むように采配するのも先生の仕事、大人なんだから言われなくてもわかれというなら、だったらそういう態度が必要だと思う。

それ以前に、人と人が争う時、どちらか一方が悪いというのはほとんどないとわかっています。イジメとか嫌がらせというのは、その人が妬ましいという気持ちから発生することも熟知しているつもり、なのでそれら一切無視して、自分の幸運をただただ感謝する機会にしたらいいとも思う。でもそうしていたら、私の子どもや大切な学友達まで狼藉する馬鹿がいて、それを叩くのは私は致し方なかったとも思う。喧嘩したり無視しあったりというのも何度もあったが、一緒の学び舎で学んだ人達は私の大事な学友で、その人達が酷い目に遭うのは我慢できなかった。 

でも辻先生がここまで言って下さるなら、私は「我慢」します。そして大人になります。あの人達は本当に大人になりきれない大人もどき先生もどき、そういう人達をまともに相手にする自分は同じレベルなのだとわかっています。大人には大人のやり方があり、私は裁判も経験しており、この問題をどう転がしたら相手にダメージも与えられるかお金になるかもよくわかっている。そして私は勝ったとしてもちっとも嬉しくないと思う。「お金目当てだった」などと的外れな悪評をまた拡散され、新たな争いが起こるだけだろう。

なので私はもう一度学長に手紙を書いて出す。それが届いたか届かなかったかは「コナン」に監視させる。自分が監視する役割になればあの人は握りつぶす事も出来ず、それは今度は必ず届き返事がくるだろう。その返事についてはどんなものでもかまわない。謝って欲しい訳でもないし、労わりが欲しい訳でもない、非難の言葉でもかまわないと思っている。ただ、それがその人の本心であって欲しいと願う。私がコンビニ大学ロボット先生達の集団と非難した京都造形芸術大学のトップが「そうじゃなかった」と思えるなら、私は何もかもに感謝と共に大学を卒業出来る気がするのだ。 

一生徒が偉そうにと思うなら思えばいい、雲の上にいて、蜘蛛の糸をつたって昇ってくる者者を眺めるような気持ちでいるならいつまでもそう思えばいい。でもあなた達の乗っている雲は、私たち学生という「カスタマー」が造り上げたものでもあるということを忘れないで欲しい。

私たちは高校を卒業したばかりのティーンではない。人生の酸いも甘いも噛み分けた大人ばかりだ。「目上の人」たちもたくさんいる。そうした人達に敬意も示せず「俺の生徒だから」と馴れ馴れしく扱い偉そうにする。非常に不愉快と思っている通信学生もたくさんいるようです。私はこの一年間憤怒と共になるべくたくさんの生徒からこれらインタビューしてきました。プラス数々の問題発生。私の件は氷山の一角だ。

「人間として大事なことは、そこを離れるときに、揉めないことですね。相手を汚さないこと。
この世界に唾を吐きかけないことです。簡単そうですけど、意外と難しい。
なぜなら、自分は常に正しいと誰もが思うわけです。相手の立場なんか何も考えないで。」

辻先生から本当に難しい課題を頂きました。でも本当にそうです。今回の件では大学も私も学友達も、誰もが「自分は正しい」と思っているから起こったことでしょう。

「 敵なんかいないんですよ。
もしいたとしてもそれはたいした敵じゃないです。」

わかっているんです、私のような一生徒を妬んで先生を使って嫌がらせをしてくるような人、相手にしなければ良かったんです。でも、N先生が本当にお気の毒に思ったんです。先生は日本でお寂しい、なので同じように寂しい気の毒な境遇の部下と共鳴してしまった。だってあの人友達が誰もいないみたいで。Twitter、note、togetterをみるとそれがよくわかる(私も人のことは言えない笑)

朱に交われば赤くなるというとおり、N先生は部下のハラスメントを抑止できなくなってしまった。止めたらまた一人になると思ったから。N先生、ひとりって寂しいですか、結構楽しいですよと言えるのは私には家族がいるからなのかもしれない。私の身体が五体くらいあったら一体派遣させるのに。私は楽しくてcuteで寂しくなる暇なんてなくなります、代わりに噛んで振り回されて夫のようになります。あらじゃあ幸せじゃない。それから友達は選ばないと、あなたの人生に黒い染みが出来てしまうことになりますよ。もうそうなりかけたでしょう、あなたの悪い友達のせいです。

「急がないことがまずは一つの得策ですな。
もし、不満があっても結論だけを追い求めないこと。結論とは無理やりに結んだ論でしかないのですから。
そのような決着はよろしくないわけです。答えなんか、そもそも、ないのかもしれませんよ。」

大学を卒業するまでに決着したいと思っていました。本当に無理やり答えを出そうと考えていました。でも先生の言う通り正しい答えなんてないのでしょう。急がないこと、それから多分「許す」ことが必要なのでしょう。でも今は無理です。でもそのうち誰かが現れるとか時間が解決してくれるのかもしれない。待ってみることにします。

それから私だけじゃない今大学にいる今回様々に問題を起こした先生達も反省してください。これも偉そうと思うなら、もうあなた達は先生の資格はありません。静かに大学を出ていって下さい。この学び舎はあなた達が好き勝手していい場所ではありません、私たち生徒達のものでもあります。ともかくまずはブログに何もかもをぶちまけるのはやめることにしました。この点は約束します。代わりに大学側はきちんと対応してください。

以上です。

懇親会の日の学舎、悲しいほどお天気でした。

私は辻仁成先生に教えて貰えると期待してこの大学に入学した。直接は叶わなかったが、最後の最後、私のピンチに手を差し伸べてくれたという奇跡。やっぱりこの大学に入学して良かったです。辻先生は、やっぱり私の師匠だった。 先生、私の最新作読んでみて下さい。 私もフランス行ってみたいなあ。ソルボンヌキャンパスが出来たら辻先生はまた先生になって下さるだろうか。

暮(2016.12.10)にあった京都造形芸術大学通信教育学部外苑キャンパスでの懇親会の前に、千住博先生の講演会があった。私は元々千住博先生はそれほどファンでもなかったし、村上隆とごっちゃになり京都造形大の先生紹介のところにある上村博先生が千住博先生だと勘違いすることもあったくらい。でも外苑キャンパスの二階に飾ってあるウォーターフォールは本当にいい絵で、この絵を描いた人がもともとは学長をしていたということはちゃんとわかっていた。私の人の名前を覚えられないという才能はここでも開花していたがでも今はもうしっかり覚えた。

千住博先生、私は素晴らしい先生のいる学び舎で学んだ事、文芸コースで色々酷い目にあったり遭わせたりした愛憎劇を差し引いてもたっぷりおつりがくるくらい良かったと思えました。そもそも京都造形芸術大学の先生達というのは端正な方が多い。研究熱心だし自分の道を一心不乱に歩いてこられ、それを生徒に惜しみなく開示するという方ばかり。でも最初に洗礼を受けたのがおおえかだったので、大学の先生ってなんの取り柄もない人でも誰でもなれるんだ、でも他の大学は違うのに京都造形芸術大学って本当にぬるい学校だわ、などと侮っていた。

なので千住博先生の講演も聞きにいくつもりはなかった。そもそも私は懇親会すら出るつもりもなかったのだ。もう大学なんかに行きたくないし、先生達の顔だって見たくもない。私を暗い穴倉に閉じ込めるような真似をして、それをつまみに懇親会と言う名目の宴を勝手にすればいいじゃないという気持ちだった。なのに当日私は大学から呼び出しを受けた。違う日にしてくれといったが、呼び出す先生の都合でこの日しかないという。じゃあ懇親会に出る人達と会わない配慮をしてくれと言い、それはどうにか通り二階に部屋を作るからそこにいきなりいっていいと言われた。私は大学の人々が千住博講演会だ懇親会だという楽しい催しに浮かれている中、こっそりと人知れず呼び出されそしてまたこそこそと帰る予定だったのだ。

それがなぜフィガロ仮面なのか。それにはこういう理由があった。

私の朋輩Wさんと大学のロビーで握手して別れ、懇親会でナースコスをしたおっさんI さんと駅まで歩いた。私はI さんに相談したいことがあった。今の私の現状がどう見えるのか、どうしたらいいのか一緒に考えてもらおうと思った。Iさんは2015年度入学の三年生編入生で私と同じ。この年度のムードメーカーで、色々disるがこいう点においては感謝しているし、人柄も信頼していた。ただ時々信じられないエロを投げかけてくることがあり、その点だけはちょっとなんともならない深い溝があるが、その他は本当にいい学友。しかも変にこまっしゃくれたり偉そうに訓示を垂れたり指図したりしない、いつも自分を低いところにわざわざ置いて人を寄せやすくする。そうしてだまくらかしてねーちゃんをパクッという策でもあると思うのだが、まあ私は着かず離れず距離を詰められたら先生にいいつけるという感じ。彼は本当に先生からも学友からも愛され、何かする時は必ず最初に旗を振ってくれて、おかげで学生生活は実り多き楽しいものになった。他の年度生の方に聞くと、そんなに楽しい事はなかったと聞いたりして、Iさんと同じ時代にこの大学に在籍できたというのは私は本当に運が良かったと思っている。

そしていつもは私はJRの方の信濃町から乗るのだが、この日は青山方面にいった。丁度銀杏並木が綺麗すぎる時期で人が大勢道に沿って流れている。並木通りのこじゃれたレストランは超満員で、なんかいい日にここに来たと思った。この通りがこんなに銀杏が綺麗だなんて全然知らなかった。ちょうど朝駅から大学に来る道すがら、「有名な銀杏並木はどこですか」とおばさん二人連れに聞かれた。地方からわざわざ観にきたそうだ。授業にまで十分時間のある私はスマホで「外苑 銀杏並木」とググった。だが銀杏が綺麗だとか降車駅の情報とか、見ごろはいつというものばかりで、肝心の場所が書いていない。四苦八苦してやっとみつけて教えると、嬉しそうにニコニコと立ち去っていった。なので丁度いいから自分もみてみようと青山に向かったら、あんれまあ本当に見事な銀杏。卒業する前に見られて良かったねえとIさんと言い合った。

で、ちょっと話があるんだけど時間くれない?と私が言うと、もう「綺麗な薔薇には棘がある」と言う通りにに嬲ろうと近寄ったものの散々刺されて瀕死状態のIさんは喜ぶどころか「な、な、なんだよう。怖いよ!いいからなんかあんならここで言えよ」とガクブルしだした。私は内心笑いながらも「まあまあ」と言いながら駅地下のライオンに誘った。その奥の店に今日ランチしに来たばかりだと言いながらライオンでビールを飲む。ぷあーうめーと言ったのは私。Iさんはまだ緊張しており、「なんだよう」とか「怖いよ」とブツブツ言っていて、おつまみもいらないなどと言う。はあーちょっとイジメすぎちゃったかなと反省しつつ、大学と私の関係とか距離感とか温度について、いち学友としてどう見えるのか、そして私はどうしたらいいのかと聞いてみた。

すると何かまた叱られると思っていたのだろうか誤解が解けたのか色々ぶっちゃけてくれて、「まああの人があんたの書いたものをどう評価しようが向こうの勝手なんだよ、だってあんただって好きに書いてんだろ」と言う。私はなーるほどーとびっくりした。そう、私は人がどう思おうが自分の書きたいように書くと決めてやってきたはずだ。なのにそれを悪く思う、というか書いたものでなく私に対して嫉妬して嫌がらせをしてくるというのだって向こうの勝手、そしてまたそれをニラニラと思うのも私の勝手。何もかもその人の自由な采配に委ねていい部分だ。私はまたIさんを見直し、というかこういう部分は彼はちゃんとしており、それはずっと私は評価してきた。今日もいい話が聞けて満足。ちょっと諸問題あるが、こういう人が先生になってくれたら生徒は学びの炎をじゃかすか燃やすかもしれないと思った。

それから彼はこうもいった。懇親会はコスプレで行く。去年のサンタよりもっと上行くやつ。彼の信条はなんでも楽しむことにあるという。先生、あそこにもコスで行くそうですよ。叱らないであげて下さいね。ということで、私はこれを聞いてまた「そうかーそうだよネ」と嬉しくなった。こっそり大学に行き、隠れるように話をしてまた人知れず帰る。なんて私には似合わない。だって私は何も悪い事をしていないんだよ。なぜそんな事をするかというと、これもN先生のためだった。N先生が私に顔を合わせずらいだろう、もう卒業だし静かに去ろうなんて思っていた。でもちょっと待って?ここまで私がする筋合いないんじゃないの、悪いのは向こうなのに!私を呼び着けたとある人もそう言っていた。もう遠慮しない!懇親会の日にわざわざ私を呼ぶ大学が悪いんやー!私もコスでいったる、私にとっての最後の大学のイベント、めいっぱい楽しんだル!!!!

ということでフィガロ仮面が誕生し、そしてN先生は喜ぶどころか激怒し、「あなたのそういう態度が私を傷つけるのがわからないんですか」という名セリフとあの名シーンが生まれた。全然そんなつもりはなかったし、あんなに先生が取り乱すとは全くの想定外。でも飲んだり食べたりで忙しい人達は気が付いていなかったみたいで、全員が全員注目していたという訳ではないよう。後からそれをリサーチしてくれた人がいて、知らない人もいるみたいだよと教えてくれた。でもびっくりして目をまん丸にしている人、驚きうつむいてしまった人などが目に入り、私はあんなコスで居たたまれなかった。

でもまあ「どう受け取るかはその人の勝手だろ?」という、今日はナースコスをしているIさんの言葉が脳内に響き「まあそうだよネ」と思った。そして「びっくりしたけど素敵だったあー映画のワンシーンみたい」と後に何度も何度も脳内再生されることになった。ということは何もかもIさんのせいとも言える。私は人のいうことはきかないが、面白そうだとすぐ真似をしたがる。うちの夫が娘に教育虐待をして児相や警察がくるが、「勉強しろ!」ということをきかせるのではなく、勉強ってこんなに面白いんだよーと見せてやればすぐ真似して勉強しだすのに。娘や息子は多分大学に行くのを楽しみにしていると思う。だって私が大学に行くというとキャッキャと出かけるからだ。大学は後の一年は苦しくて辛くて死にたくなったが、最初の一年は本当に楽しかった。でも今は開き直り楽しむようにしている。喜怒哀楽悲喜交々こんな面白い人間ドラマがあるだろうか、あの時とは別の意味で卒業したくなくなってしまったくらい。 いつかこれも小説に書いてみたいと思う。

そういう訳で懇親会と呼び出されたついでに千住博先生の講演を聞くことにした。有名人だし無料だし、卒業したら「あの千住博さんが学長だった大学」と誰かが必ず聞くだろう。その時に「うん、講演聞いたよ」と言いたい。なのでせっかくだからとまた一番前の席を陣取った。本当にすぐ目の前、はもう取られていたのでやや右横。でもここ丁度壇上の脇に千住博先生が立って話すことになり、また真正面といっていいポジション。私は大学の授業もいつも一番前の席で受講していた。一番前は学習態度とかスマホいじったりするとみられるという懸念があるが、代わりにがっしりとライブ感が味わえる。後ろの席なんてせっかくなのにもったいないじゃない!

千住博先生が登場し、お話を始めた。写真や外苑キャンパス内でたまにすれ違うのとは違う、生千住博。有名人とか偉大な人というのはどうやってああいうオーラを出すのだろう。オーラ屋さんがいて、だんだん有名になったり偉業をなしとげると、三越の外商さんのようにこそっとやってきて、「そろそろこちらなんていかがでしょうか」とアタッシュケースみたいな鞄からオーラを取り出しながら色々すすめてくるのではないかしら。そして「おおーこれは見事な」とか、「これはダマスカス産でなかなかこれだけのものは」なんて言いながら買うものではないだろうか。それはいいものは高い、でも似合わない人には絶対売らないというのがオーラ屋のポリシー。それをやぶって間違って売りつけるとその人に災いがもたらされてしまう。なので注意深く日々営業のターゲットを絞り、尚且ついいオーラを仕入れるために世界中を旅する。

そういうオーラが千住博先生にはあった。私は武蔵美に入る前に京都造形芸術大学通信のパンフを取り寄せたことがある。その時の学長は千住博先生だったはずだ。版画コースがなかったので武蔵美を選んびそれはそれでよかったし、その後京都造形に編入するとは思わなんだので人生何があるかわからないとも感じた。そして卒業の年に千住博先生の講演を聞くことになるとは。これも本当に偶然のたまもの運命としか言いようがない。この日大学に来るつもりもなかったどころか、懇親会のあるこの日だから近寄りたくないとまで思っていたのだから。 なぜなら懇親会にはN先生がくるとわかっていたから。自分じゃない、先生のために遠慮しようと考えたのだ。

講演の話。千住博先生はペットボトルのキャップを右手に持ち私たちに見せた。左手にマイクを持ち、「今私たちの住んでいる地球がこの大きさだったら、太陽はどのあたりだと思いますか?」というのがスピーチの始まりだった。こんなに遠い距離にあるのに太陽は地球を照らすという話から、プロジェクターで代表的な絵、特に浮世絵の話をされていた。専門が日本画なので日本の絵に造詣(ぞうけい)が深いのは当たり前だが、版画も日本画のひとつなのだと思った。浮世絵だから日本画でしょうと思うかもしれないが、あれは版画であって描いた絵ではない刷ったものだ。だが壮大な宇宙からしたらどうでもいい、そもそも「絵」だって人間か描いたものか自然が描いたものかなんて宇宙どころか地球からしてもそんな概念で縛られたりはしない。このボトルキャップのような小さな上にひしめいている生きとし生けるけものたち、人間という私たち、寄り添って労わり合い生きようというメッセージように感じ、様々な言葉を拝聴した。

最後にまた質問コーナーがあった。私はどうしても聞きたいことがあり、もしかして失礼かもしれないけれど、今聞かないともうチャンスはないだろう。私は今は文芸コースだけれど、もともとは絵描きだ。すごい!という絵を見ると普通の人はただただ感心するか、描いた人のプロフィールが気になるだろう。誰が描いたのか、どんな賞をとったのか、どこの出(大学など)なのか。私はまず「どうやって描いたか」が一番気になる。というより他はどうでもいいタイプ。でもたいがいいい絵を描く人はちゃんと学び賞もとり世間からもしっかり認知されている。もちろんウォーターフォールも知っていたし上村博も知っていた。でもこの絵をどうやって描いたのか知りたいと思っていたら、デッサンの授業の時の先生が「あれは絵の具を上からたらすんだよ」と教えてくれた。へえーそうなんだ、でも何故そんな事を思いついたんだろうというのが私の持ち続けてきた疑問だった。なので聞いてみた。

こういう質問をする時は躊躇してはいけない。自信なさそうに手をあげたりそういう顔をすると、場合によってはどうでもいい事を聞いてきたと捉えられるかもしれない。なので「どうしても知りたいんです」という態度で手をあげると案の定司会の先生が指してくれた。私は聞いた。

「私は二階の絵をみるたびに京都造形芸術大学に入学して良かったといつも思います。この絵を描く方法を思いついた経緯が知りたいです。あのウォーターフォールが誕生したビッグバンはどんな風でしたか」と。丁度宇宙の話を先生がされたので、あの絵の誕生を宇宙の誕生ビッグバンにかけたのだ。先生は笑顔になり、色々と話してくれた。でも場合によってはすごく失礼、というのは、こういうのって企業秘密的に教えられないという作家は非常に多いのだ。私が長年悩んでいたエッチングに彩色という技法、武蔵美まで行ったけれど誰も教えてくれなかった。武蔵美の版画の先生は他の人のやり方に興味がない先生が多かったのか、質問しても質問の意味がよくわからないようだった。でも今思えば頭の中でごちゃごちゃ考えるより千住博先生のように実際に色々やってみればよかったのだ。

千住博先生は先ほどの講演よりもすごく熱心に話し出した。話したくてたまらなかったというように。絵の素材を求めて深い杜に入り、そこで滝に出会ったそうだ。それを眺めているうちに天啓ともいえる何がが閃き、滝を描こうと思いつく。そこで先生は滝から流れるその一瞬を切り取ろうと、滝に合わせて立ったり座ったり、ちょうどスクワットのように何度も何度も目線を上下させたのだそうだ。実際に「こうやってね、こうね、だんだん疲れてくるけれどそれどころじゃなくてね」などと、その当時の状況を身振り手振りで懸命に再現していらした。

私のすぐ目の前なのでその先生の迫力にあっけにとられてしまった。その次に「滝だけじゃない、僕は崖の絵を描いた時はこうやって崖を魚拓みたいに紙にうつしとって」といって、手元のプリントか何かの紙を司会の先生にちょっと失礼と言いながら、肩に紙を押し付けて「こうね、こうやって写し取ったらちゃんと崖がとれててね」と言い終わらないうちにこれでは伝わらないともったのか、「こう、ほらね、こうやって」と何度も何度も司会の先生に紙を押し付けていた。目を見開き何もかもを教えるんだという気迫に溢れていて、私はもう最高に感動してしまった。

みっしりと超満員の学生たち、すごく遠い地方からわざわざ千住博先生の講演を聞きにきた方もいらして、全員が感動の嵐に包まれただろう。これが人にものを教える態度なのだと感じた。いい先生を演じるのではない、自分の立場なんて全然関係ない、自分の知っていること情熱を「教えたい!伝えたい!!」という熱量。この講演を聞いた瞬間から、私の中で画家千住博は千住博先生になった。京都造形芸術大学に入学して本当に良かった。心から思った。私の後に質問した人は感激のあまりわけわかめになっていて、でも気持ちはよくわかった。「千住博先生が学長だと思って入学したのに!」という恨み節まで飛び出し、千住博先生は唖然としていた。ああ、でも私が質問した内容、ウォーターフォール誕生の瞬間ビッグバン、先生の口からお話が聞けて、そして京都造形芸術大学にまた尊敬する先生が誕生したということは私的には大きな出来事だった。もうこれで大学の悪口は言えなくなったことになる。

コンビニ大学ロボット先生を創りだしていたのは全て事務局の差し金だった。大学の先生なんて冷たい感情を持たないalでも出来ると書いたけれど、すごい熱量で講演し質問に答えてくれる先生や、「あなたの態度が」と怜悧な日本語で燃えて突撃してくる先生、こんな熱血な先生がたくさんいる大学だった。卒業まえにそれがわかって本当に良かったと感じた。この日大学に来なければ全く誤解したまま卒業してしまうところだった。それもこれも自分が行動したせいと言われるかもしれない、でも目に見えない力がまた発動したともいえる。運命というやつ。何度も言うけれど、私は本当にこの日大学に来る予定はなかったし、出来ればこの日だからこそ近寄りたくないと決めていた。

私と千住博先生を遭わせてくれた目に見えぬ何かに大感謝したい。

と、いう記事を書こうと思ってまだ書いていないのに気が付いたのは、辻仁成先生Tweetが流れて来て、



design stories」のサイトがあるのに今更気が付く。そこに創刊記念として千住博先生×辻仁成先生の対談が記事になっていた。私は早速読みこみ、そうだ私の感動も熱がさめやらぬうちに早く書かなくてはとまた家のこともせずにこれを書いている。「千住博先生が学長だと思ったから入学したのに」と絶叫していたあの学生同様、私も辻先生が教授をしていたので京都造形芸術大学を選んだのもある。日本大学の国文学とどっちにしようかすごく悩んだ。小説の書き方をより学べるのはKUADだと思ったのもそうだけれど、辻仁成さんが先生ならこちらでしょうと来たのに、なのに私が入学したタイミングで退任されてしまった。

確かに辻仁成先生は通学生の先生で、通信教育の先生はしないかもしれない。でも去年まで通学生担当だった先生は、N先生が長年口説いて通信の授業やイベントにも参加されるようになったと聞いた。N先生GJ。なのでもしかして辻先生が未だに京都造形芸術大学の先生だったら、もしかして私の副担任とか少なくとも講演が聞けたかもしれない。私は入学してからずっとそれを期待していたがとうとう叶わなかった。そうしたらあのわけわかめになった方のように、「辻先生が教授だと思って入学したのに辞められてしまって!」と私が質問コーナーで発狂していただろう」

N先生が口説いて通信生の授業にと迎えた門崎先生は私の副担任をして下さっている。ちょっと怖いけれど先生的なスタンダードな威厳的怖さで、N先生のように取り乱したりおおえかのように策を練って人を陥れるようなことはないだろう。こういう先生らしい先生が外苑キャンパス文芸コースには不足しているのではないか。私ははこういう先生がコース主任には適任だと思う。この先生だったらこんな事態には絶対なっていなかったし、私は大目玉をくらうけれど私的感情で制裁などされなかっただろう。N先生は翻訳家だから職人的才能はあるけどマネジメントは苦手そう、人が良すぎて人を見る目もないと思う。門崎先生は私の副担任を引き受けてくれた、N先生がなんと言って私を引き継いだのかだいたいわかるし、それでも引き受けたということは私を疑わなかったということではないだろうか。

N先生、「冷静と情熱のあいだ」には何があるのでしょうね。私は愛だと思います。N先生、もっとしっかりしてください、何事も自分の目で見て確かめるようにしてください。他人を通して見た何かは本物ではありません。


senjutuji
辻先生、サイトの写真勝手に使いました。すみません。

話を戻してこのお二人が私の先生なんです、すごいでしょう。あー京都造形芸術大学に入学して本当に良かった。ミーハーな気持ちではなく本当に素晴らしい先生達。辻先生は私のフォロワーもして下さっている、Twitterしていて本当によかった。

でも千住博先生は対談の中で、ネットの世界が中心になってきた現状に警鐘を鳴らしてみえる。これは私も本当に同感で、どうしたら子ども達にそれがただの道具だとわかってもらえるのか悩んでいる。ネットは人の心も創造力も友愛も全てのみ込みブラックホールに送り込んでいる。でも取り込まれなければ便利なツールだ。これも冷静と情熱のあいだを行ったり来たりして考えないといけない大切な取り組み。いいアイデアはあるにはあるのでそのうち実行してみるつもり。ちょっと長期戦になるのでこの話はいずれまた。   

いつもは同じところに全部詰め込むように書いてしまうが、大切な事はちゃんとひとつの記事にして書かなくては人に読んで貰えない。いつも書くものは読んでくれても読まれなくても書いてしまったので勿体ないからアップするけれど出来れば読んで欲しくないというものもある。そうして読んで欲しくないものばかりランキングにあがってきて本当にこのブログを読んでくれている人達は一体全体私を晒し上げるのが本当に好きな人達ばかりだと感じる。このブログは誰かを吊し上げているのではない自分が晒されてめちゃめちゃになるものだろう。

私は一昨日2日の夜に急に風邪をひいて寝込んだが、悪いことではなかった。とてもいい初夢を見たし、すごくいい事を思いついた。そのいい事を思いつく前に具合が悪いのもあったし、このまま自分は死ぬんじゃないかという想いもあり、そして「N先生は私たち特に私が色々いじるから嫌になり、もうフランスに帰っちゃうのでは」という妄想にとりつかれていた。先生に会わない宣言をしたのは自分の意志だからいい、でも物理的に遠くにいってしまい二度と会えなくなるというのとは意味が違うと思う。私は例のパニック障害からどうも閉所が苦手になり、具合の悪い時は地下鉄とかバスも怖く感じる時がある。空に浮かぶ鉄の塊が空を飛び、その中に長時間幽閉されるというのは拷問に等しいとも感じる。うーん、どうだろう、もうほとんど治ったのでいいと思うがやっぱりちょっとヤダ。じゃあ船は?船なんてもっと怖いわ!『タイタニック』観たやろ。 なので私は海外には多分行けない。

ということで、N先生はフランスに帰りたいと思っているのではないか。日本に帰ってきたとみんなは思っているかもしれないけれど、先生からしてみたら日本に「来た」という感情なのではないかと思い当たった。前の記事で「先生は青春時代から壮年期までをフランスで過ごし」と書いたけれど、生まれは日本でも生きたのはフランスだ。先生の授業を様々に受けた記憶を呼び起こしてみて、それはより一層確信になった。

「先生はフランスに帰りたいと思っている」

というのは多分私が先生の何かをキャッチしたのだと思う。私も先生を好きだとわかったのはつい先日の懇親会の惨事からだけれど、フランスの諺というか例えで、恋に落ちる瞬間というか一目惚れというのは「雷に撃たれる」という通り、なんか落ちてしまったとか、実はそれまでもずっと私と先生は繋がっていたのだと思う。ただ通信生とその教師というだけでない、何か目に見えない運命のようなものがあったのではないかしらん。先生と私は授業以外で親しくしたこともないし授業以外で話したのは一年目で卒業制作のテーマを変えたいと相談した時、それから地獄変で叱られた時、廊下でちらっと話した時この時はニコニコだったけれど1分くらいかなあ、それから今年の懇親会、たったこれだけ。でもなんだろう、だからこそ色々見えるものがあり、これは多分シックスセンスだと思う。五感はひとつが欠損すると他の機能が驚異的に向上することがあるそうで、一切の接触がなくなりそれでも私を慮って様々に考えてくれている先生の想いは五感を超えて私に届いたのだと思う。でもこんな事書いて本当はフランスから恋人を連れて来て毎日ラブラブで東京観光なんてしたりしていたり、フランスに行く時につれていった日本人の恋人と現地で結婚していて子どももいてもう孫までいるとかそいうのだったら全然お門違いだと思うけれど、学友達の噂が本当だとしたら先生はもう日本が嫌だと思っているはずだ。

先生は人望がありそれは先生を傷つけようとか利用しようとかいう人はおおえかくらいで多くの人々は先生の暖かい眼差しや人柄に吸い寄せられる友愛ばかりだと思う。でも当の先生はどうだろう。長年暮らしたフランスを離れ、いきなり日本なんかに来て心許せる本当の友達が出来ただろうか、先生の慰めになるような素敵なものに出会えただろうか。[N先生」と呼ばれて「はい」とか「何でしょう」と答えるより、「RYOJI」と呼ばれたら「oui(ウィ)」と返事をする世界の方がしっくりくるのにと感じてはいないだろうか。だいたい日本社会の懐の狭さに辟易して外に出る人が多いのが現実で、サンタバーバラ校のノーベル賞の方とかすごくいい例だと思う。先生はスクエアでシステマチックにみえるけれど、本当は誰よりも自由を愛し大空に飛ぶ鳥のように生きたい人なのだと思う。でなければ若くしてフランスにいったりしないと思う。あの『 フィガロ発パリ毎日便: ——ちょっとセレブなパリ暮らし 』の一ページを読むとそれがよくわかる。N先生はパリでもやっぱりN先生らしかったんだとか、あのまんまの先生だから日本でも同じで私に怒って突撃してきたのだとか思う。

そういう考えに行きついて、先生はフランスにもうすぐ帰ってしまう。そうしたら今度こそ先生には会えなくなってしまうけれど先生の幸せのためなら喜ばないといけないとか色々考えていたら悲しくなってしまいワーワー声をあげて泣いてしまった。でも泣き疲れてうつらうつらしながら考えたらいい事を思いついた。これで「先生がフランスに帰っちゃったのはあなたのせい」と諸先輩方に叱られることもない、先生もハッピー大学もハッピー先輩方、、、はどうだろう、私も微妙だがまあ致し方ない幸せの着地点だと思う。

それは何かというと、京都造形芸術大学はフランスのパリ大学と提携すればいいのではないか。そうしたら今青山に外苑キャンパスがあるように、フランスにも「ソルボンヌキャンパス」を作ればいいと思う。現に今でも京都造形芸術大学は東北工科大学と提携してイベントをしたり一部の授業は同じだったり藝術学舎の授業をコラボしたりしている。そういうのをフランスのパリ大学ともやればいいと思う。フランスのパリ大学は芸術学もかなりの比率で扱っており、これが医科大学とか理科系だったら無理だけれど、大学の中身としても絡みやすい。

そしてその「ソルボンヌキャンパス」の長にN先生がなってくれたらいいと思う。そもそもノーベル文学賞作品の訳者という栄誉を持つN先生を文芸コースの主任だけにしておくのは勿体ないのではないだろうか。せっかくフィガロの編集長(なのかな)が「フランスで随一」と褒めた先生のフランス語の能力をもっと評価するべきだと思う。そうすれば京都造形芸術大学のカラーもまた新しいものに彩られ、新しい風が学内に吹くのではないか。そもそもN先生は日本語よりフランス語の方が最早母国語なのだと思う。生まれは鎌倉でも中身はフランス人、そんな先生だからこそ私もすごく色々学べたし色々事件があり大学の懇親会ではフィガロ仮面も誕生した。 
 

幸い京都造形芸術大学はお金持ちが集まる大学だけありお金はいっぱいある訳で、なので学長が。。。えーとなんでもないです。通信教育学部の生徒もお金がもったいないから卒業式に行けないでもそれは単位認定が4月にずれ込むせいという私みたいな人もいるが、ともかくほとんどの生徒は京都の旅費くらい朝飯前な富裕層が多いわけで、フランスパリにもうひとつ校舎作るくらいの財力はあり、しかもフランスが故郷で知り合いもコネもたくさんあるしかもしかも日本語も出来る逸材がいれば全然夢ではないと思う。多分N先生が学長をする学び舎を作るといえばフランスパリでは、「BRAVO!RYOJI」と言ってくれる人ばかりだろう。そういう人達に囲まれそこで先生の好みの建物をつくり、人を集め、存分にフランス語で授業をすればいいし、そこで日本文学を学んだ生徒から日本大好きというムーブメントが起こるだろう。京都造形芸術大学の生徒、特に通学生はお金持ちが多分多いからフランス留学をしたいという生徒が絶対に現れ、それで大学はまたひと稼ぎしてそれを資本にまた何かやればいいし、そのうちN先生のラボなんてのを日本の外苑キャンパスとかでやればいいし、講演会なんかもいいじゃなーい千住博先生の時みたいに聴衆がつめかけるという事態になると思う。
もう日本の狭苦しい陰湿な風土の世界から先生を解放してあげなくては。

大学はもっとちゃんと人をみて色々コマを進めるようにやらないと今までのままなんて絶対大学の未来はないしそのうち潰れるかもよ。だいたい大学全入学時代になり生徒が集まらなくて消えてしまう大学だってあるくらいなのに、漫画コースもこども大学コースも結構だれけれどもう手づまりもいいとこじゃないでしょうか。そこに「ソルボンヌキャンパス」学長は日本人N先生、絶対日仏の懸け橋になるし大学にすごくいい色がつく。

これ多分佐々木俊尚さんと景山知明さんのトークイベントが汐留の「日仏文化会館」で開催されたのでなんとなく頭に「日仏」という文字があり、この時は「先生まだ怒っているかなあ」と心配しただけだったのだが見よこの展開。私の頭の中は無駄なものと妄想で溢れかえっていると思われがちだがそうではない事もある。天才となんとかは紙一重というが、多分見る人がみれば天才、そうじゃない愚鈍な凡人がみれば馬鹿ということになるのだと思う。うーん、最近ちょっと飛ばしすぎやろと思うがまあ後で読んで自分が恥をかけばいいと思うし何か思うところあれば路線変更はちゃんとするだろうと思うので今はこのまま飛ばせる時は飛ばす。

そいういう訳で京都造形芸術大学はフランスに分校を作るべき。そうすればN先生は日本の大学の在籍しながらフランスで生活できることになるし、時々は京都や外苑キャンパスでフランス文学の授業をしたりイベントに参加したりすればいい。多分N先生は日本の様々なしがらみで戻って来られたように思う。でもフランスと日本をいったりきたりする理由がちゃんと出来れば、日本でもフランスでも双方でそれぞれの手当てもできるようになる。それに外苑キャンパスで通信生として学ぶ人達のうち何人かはソルボンヌキャンパスの授業を受けたがるだろう。スクーリングのついでにパリ観光も出来て、「絶対行きたい」といってそれを目当てに入学する人も増えるのではないか。

こうやって書いておくと新N先生が誕生したように実現するのではと期待したい。科学の進歩は妄想家の戯言が発端ということがよくある。新N先生だって文芸フリマの打ち上げに私が誘い本当に来てくれたので学友達がびっくりしていたのだが、その時に私が「先生になってください」と言ったら周りも本人もビックリでも周りもそうだそうだとか言い出し、あのナースコスiさんが「そういう話は大学からないの?」なんて聞いたりして新N先生は「ないですね」なんて即答していたのでその頃はまだ何もなかったのだと思う。でも私たちの想いやあの時の言霊が大学の心を動かし、新N先生が誕生したのではないか本当はどうだろう。通信ではなく通学生の先生というのが少々残念だけれど、きっと大学は新N先生を大切に思っているのだと思う。だったらもっと現N先生も大切にして下さい。

その以前に何故この大学には授業に「フランス語」がないの?英語と外国語1、2だけじゃなくN先生が担当する「フランス語」の授業もあっていいんじゃない?先生がフランス語を話すのを聞いてみたいしみんなも嬉しいに決まってる。もしN先生がフランス語を教えてくれるなんてことになったら私は『のだめカンタービレ』の「のだめ」以上にフランス語を早く取得する自信がある。のだめは確か大好きなアニメ『プリごろ太』のフランス語訳で修得した。私もN先生のフランス語の授業であっという間に周りがびっくりするくらいフランス語が上手くなるだろう。そういえば独身の時に同じマンションで仲良くなった人もフランス人の恋人がいてフランス語を習っていたと言っていた。よく一緒に合コンにいったりして男性陣から絶大な人気だったけれど、多分今も誰とも結婚せずフランス人の彼と超遠距離恋愛をしているのではないだろうか。人は自分は絶対に変えられない、多分彼女もそうなのだろう。そして私も、先生も。

今後ともよろしくお願いいたします。

800px-Chapelle_Sainte-Ursule_de_la_Sorbonne,_Paris_5th_003

これはネットでぐぐった「非営利目的で使用が許可されている画像」でもこれパリなのだろうか。多分そう。それからN先生のフランス語の授業は私もう卒業するから受けれられないので あそこで是非またやって欲しいです。

昨日12月14日水曜日は卒業制作研究の締切日。もう泣いても笑っても怒っても完成しても出来ていなくても、出さないと卒業できないので提出した。結果から言うと、自分でも納得のいいものが出来て非常に満足。

京都造形芸術大学は提出物がたいがい締切日「必着」になっているので、前日の15時のヤマトが京都に翌日配送できる締切の時間ギリギリにだした。マンションのフロントの方に「ヤマトさん着たら教えてください」と電話をし、そうしたら15時の30分も前にヤマトさん到着。まだ準備できていないもうダメと思ったら、また後で来てくれるということで家に取りに来て下さったぐすん。いつもありがとうございます。そして宅配で京都へ。わーやった!終わったあという興奮に包まれ、なんだか体が浮いているようなすごい多幸感!嬉しくて嬉しくてそのまま倒れそうな感じだった。

これが武蔵野美術大学だと当日の消印まで有効なので、ギリギリの時は24時間やっている晴海郵便局まで夜遅く出しに行ったり、大学が都内なので窓口に提出しに行ったりしたものだった。そこへいくと京都の大学はそんな事は出来ない。せっかく青山に外苑キャンパスがあるのでそこの窓口でも提出できたらいいのに。そうだ、武蔵美へは車で行ったこともある。スクーリングに作った作品を授業が終わった後にとりに行った。作品が大きくて重すぎて、持って電車に乗る自信がなく。そういう時は結構あり、何回かは夫に迎えに来て貰ったりしたが、その日はスケジュールが合わずに自分でとりにいった。だが車は道が渋滞して、行きも帰りもうんともすんとも動かない。甲州街道にへとへとになり、こんな事ならガラガラで運ぶか、えいやっとヤマトさんにお願いすれば良かったと後悔したものだった。

なにを運んだかというと、大き目のモザイク作品。コンクリートを枠に流し込み、そこにハンマーで砕いた石を並べて絵を作る。よくタイルなどで銭湯の絵や市役所区役所の玄関の壁に作品がある。あれは本当に重くて女性ひとりで運ぶのは大変。それはそう、だってコンクリートと石の塊なのだもの。これは子ども達の小学校PTAの次回の作品展で出してみようかと思うが、運ぶのも大変で落とすと割れて粉々になるかもしれない。

武蔵美の授業でモザイクを教わった先生達とまだ親交があり、お願いすれば修正して貰えるかもしれないし教えて貰えるかもしれないが、多分、「新しいの作ろう!」と言われると思う。やっぱり出すのはやめようかな。先生達は本当にダイナミックにたくさん作品を創ってみえて、先生の前に作家だから当然だからだが、見習いたいといつも思う。また来年の先生達のグループ展にはお邪魔したい!オープニングパーティに車で来た栄子先生は一緒にお酒が飲めず、「次は車置いてくる!」なんて言ってらして、あー嬉しいまたワイン差し入れしようなんて。夫のクローゼットの奥に仕舞ってあったワインを差し入れしちゃった。高価な貴腐ワインは美味しいけれど私は甘いアルコールが苦手、先生ならお好きなのではと思いついて持っていったら、大好きだそうでそのワインの価値もちゃんと知ってらしてさすがだわ先生、先生の先生にまでお礼を言われて喜んで頂けて持っていって良かったー!と嬉しかった。

また話が逸れたが、京都造形芸術大学通信教育学部の卒業制作。私は文芸コースだが、他の学部も多分一斉に卒制は締切だと思う。瓜生山のキャンパスは宅配や郵便物で大変な事になっているのではないか。文芸コースは封筒に入った分厚い書類が卒業制作だが、ファイン系特に油絵日本画は100号の絵を二枚、これは武蔵美もそうだったと思う。私がファイン系から文学系に大学を編入してコース変更したのは、卒業制作の事を考えたからだった。100号の絵なんて描く場所がない。通学生ならコースの教室に詰めて制作したり、なかなかすすまないから徹夜で大学に泊まり込むとか色々出来ると思うが、私は通信生。何をするにも自宅でするしかない。自室を作ってみたが、ファイン系の何かはやっぱり出来ないだろう。なので武蔵美で卒業するのは諦めて、コースを変更するために大学も変わった。

「大学の勉強をするから」家族の中で私だけが自室を持っていると言うと驚かれる。普通は子どもが先でしょうと。まあそうですよね。自室は物置と間違えそうなくらい本当に狭い5.5畳(確か)に、簡易ベッドと小さなテーブル、その隣にお茶や軽食を置くサイドテーブル代わりの丸椅子(パソコンとお茶を置くスペースを分けないとパソコンに液体をこぼしたら困るからそうしている私って頭いい)、白いカラーボックスを積み上げた本棚、細々色々なものを入れるキャビネ。ベッドに座りテーブルに向かい小さなノートパソコンでせっせと課題やレポート、卒業制作をやった。ベッドの上に資料を広げ、夜眠くなるとそれをダーッと床に落として寝る、朝になると拾ってまたやるという、嫋やかな美しきキャナリーゼという私のイメージから一番遠い事をしたりした。時々です時々。

ダイニングでやればいいと思うかもしれないが、それだと色々なものが目に入って全然集中できない。でも部屋にいても家のことが気になり集中できない時もあった。本当に集中しようと思うと自室でも無理で、外に出るしかなかった。そしてジョナサンに逃避。そして卒業制作が終わって見渡せば、部屋がすごい汚部屋になっていて驚く。びっくりしたので写真をとってみた。私は部屋が散らかっているのが我慢できないタチ。家を散らかすなと家族で喧嘩になるのはいつも部屋のこと。家の中どこもかしこもピカピカで自分の好きな配置にものがないと嫌だし、ダイニングなどは全部同じ椅子なのが我慢できなくなり、全部違う色と種類のものにした。今はやっとカフェっぽい感じになり非情に満足。そしてチリひとつ落ちていようものなら「もういやーっ!」とすぐブチ切れて掃除してしまうくらい。それがまあこんな中でよくやれたと感心を通り越して呆れてしてしまう。部屋が汚れだしたなんて全然気が付かなかった、しかも間に合わせのようなインテリア!ガク いつからこうだったんだろう。狭い部屋はこまめに掃除や整理整頓しないとすぐに色々で山盛りになる。まだしまい切れていない夏物のワンピースなども見つけて、秋になり冬近くなっても子ども達がいつまでも半袖を着ていて慌てたことを思い出す。  ていうか、昨日まで夏でしたよね?いう感じ。でも息子はちゃんと新しいダウンを着ているし、娘ちゃんも私のお下がりのキルティングジャケットで雪ん子のようになっていて、子ども達が逞しいのか私が実は優秀でちゃんといつの間にか家がまわっているのかどっちだろうと思った。
    
 
汚い!こんな写真アップして、先生にまた叱られちゃうわよ!

などと言うと、ずーっと卒業制作をしていたかと言うとそうでもなく、一日が24時間とすると、7時間睡眠、2時間家事、2時間はSNS(書くほうじゃない読んだりイイネとか)、1時間くらいは卒業制作や課題、あとの残りは卒業制作についてずーっともんもんと悩んでいた。悩む時間でさっさとパソコンに向かえばいいのだがなかなかそういう気もちになれず、合間にライターの仕事や文学フリマの作品作り、単位が足りないと授業に出まくりスクーリングレポートを書いたり他にも初めてしまったタスクなどあり小学校では委員会あり運動会には行けなかったりで目茶目茶な日々だった。そこから急に降りて来て卒制やりだしたのが締切一ヶ月前くらい、そしてわーっとやって先生にみて貰ってOKが出て、校正、校閲、体裁を整えたりで完成したのが二日前。そこからは読んでも読んでも誤字脱字が出て来て、言い回しや構成がいいか悩みだしたりで時間がいくらあっても足りないと思った。最後の一週間は、ほぼ毎日豊洲ジョナサンへいった。

朝は日が昇る前に入店して書く、モーニングを食べてまた書く、お昼になればランチを食べ、夜はママ友が読んでくれるというので来て貰って広いテーブルに移動して色々チェックしてもらった。今日はここまでかなあとハッピーアワーでビールを一杯づつ飲んで夕飯の支度しないとねとお互い岐路についたという感じで、12時間ジョナサンという日もあった。まあこれは一日だけで、ジョナサンの後図書館とか、いきなり図書館でゆりかもめのセブンで珈琲とサンドイッチを豊洲シビックセンターのテラスで済ませたりと色々あった。家だとどーしても書けない私の苦肉の策だった。家にいると家事が気になってきになってハッと気づくと晩ご飯の下ごしらえとか掃除したりしてしまう。「もう家を出てするしかない」というのがよくわかった。他にマクドナルド豊洲店というバージョンもある。ここはほとんどの席にコンセントがついていて、しかもwifi 完備というノマド的に最高の環境だが、椅子が固いのとwifiがあるとネットに繋げてSNSしてしまうという罠もある。そこへいくと椅子にクッションがありネットが繋がらないジョナサンは卒制には最高の環境、私はここを「リビングジョナサン」と名付けた。

こういう「街を我が家に」という考え方は佐々木俊尚さんもトークイベントで話していらして、アフロ記者で有名な稲垣えみ子さんも 、家に冷蔵庫もないシンプルでミニマムな生活をされていらっしゃるが、カフェ代は別と家計の何割かを家の外でくつろぐ費用に充てていると雑誌かネットのインタビューで読んだことがある。私も卒業制作以前も課題やレポート、ライター仕事をする時昔から結構そうしていた。自分専用の書斎と寝室のある家が欲しいなんて思ったこともあるが、カフェで十分だなとか家には寝に帰るだけでいいかとか、じゃあお母さんは誰がやるのよとか色々考えた。ともかくリビングジョナサン作戦のおかげで無事終わったということになる。そもそも私はファミレスが好きじゃなかった。システマチックなサービスと食事、どの店に行っても同じ外観内装サービス。こんな寂しいところで食事はしたくないと考えていた。でもこうして何度か利用してみて考えが変わった。食事はそこそこ美味しいし、いらない事は聞かれないし、いつも同じ音楽がかかって人の出入りもいいバッグミュージックになる。システマチックなホスピタリティが逆に居心地が良かった。

しかもジョナサンって私のラッキースポットかもと思うようになった。卒制がうまくいったのもあるし、すごい昔ママ友と行ったことが一度あるが、その人は今も昔も私に対して全然態度が変わらなかった唯一の人だし、まれにゃんとの豊洲オフもジョナサンだったし、以前息子がミュージカルに出演した時二部担当で遅い時間に終わり、観に来て下さった方たちと子ども達連れて食事にいったのもジョナサン。この時は習い事のグループの方たちが大勢で来て下さり、気の置けない雰囲気で子ども達は大喜びという楽しい場だった。楽し過ぎて時間を忘れ、すごく遅い時間になり慌てて皆で帰ろうと階段を降りて行くと、ミュージカルの先生達が別のレストランから出てみえるところだった。少し立ち話をして別れたが、大勢に囲まれ差し入れや花を持ちきれないほど抱えていた私をみて先生達は、「ブログにぼっちぼっちと書いているけれどリア充じゃないの」と思って下さったと思う。すごいタイミング!リア充に間違えられてラッキー!いい事ばかりビバジョナサン!そうだ、芥川賞受賞の知らせを待つのは豊洲ジョナサンにしよう。着るものは豊洲小学校PTAバザーで10円で買ったもの。最初は500円だったのが半額になり最終セールで10円になった。これもすごいラッキーだった。これは既にキッザニア東京で行われたセレブの大人パーティにも着て行ったし、フィガロ仮面コスでも着たすごく重宝するワンピース。いいじゃないいいじゃない。ジョナサンの思い出や未来予想図はいいものばかりな気がする。
       
でも卒制が終わったのでもうしばらく行く用事がない。ジョナサンの店員さんたち、最近あの人急に来なくなったなあーなんて思っているのかな。今度行く時はどんな時だろう。芥川賞の次の作品を書いていて、プレッシャーに潰れそうになり逃避でまたジョナサンという時だろうか。そうなると私はもう有名人になってしまってイチイチちらちら見られたりサインを求められて仕事にならないとまた別なところを探したりするのかなあなんて思った。

そして夜は「卒制終わったら絶対行く!」と決めていた、佐々木俊尚さんの新刊発売イベント。佐々木さんと景山知明さんがトークイベントをするのでそれに行った。この話は色々すごい発見がありいい話ばかりだったので別に記事でちゃんと書きたい。このイベントは色々運命的なものに導かれ、と私が勝手に思っているだけだけれど、佐々木俊尚さんご本人にお招きいただき、しかもトークイベント前に偶然景山知明さんにお会いして、「佐々木さんのお誘いでトークイベントに行きます」などと挨拶をする機会があったりと、「もう行くしかない」という気持ちで出かけた。この日も実はまだ卒制をやっていて、読みなおしたり手直ししたりで昨日送ったのに15時ギリギリでまた大学に向けて発送したりしていた。卒制のレジュメをみると、最終締め切りとは書いてあるがそこで終わりではなく、次の最終面接授業で先生が校正するのでその場で自分で直してまた提出するのだという。だったらまだ自分でも色々見直したいと考えた。でもこれも終わった。と、そんなこんなで出かけたトークイベントは、学び多き有意義なものだった。時間を一時間間違えすごく早く着いてしまい、最前列ですぐ目の前が佐々木さんと景山さんという席に座ることができた。近すぎてなんだか三人で話をしているような、図々しい錯覚におちいってしまった。次号続きを待て(*´▽`*)

ということで、私は大学生活が終わるので、そろそろ娘ちゃんに部屋を明け渡そうと思う。もう小学校五年生だものね、自分の部屋が欲しいよね。「芸大に通う豊洲ママのblog」も大学が終わったらブログはおしまいにする予定。もうブログじゃなく作品を書かないとダメだと思った。先日主担任の先生に、「作家になってください」と言っていただけてすっごく嬉しかった。そう言われたからには頑張りたい。私は本当に素直ないい生徒だと思う。なのにあの先生は私を叱ってばかり。確かに以前ブログで「もっともっと叱って下さい」と書いたけれど。はっ、という事はあの先生も生徒のリクエストに応えてくれるいい先生という事なのかもしれない。ならば、「N先生、これからは私を褒めてうんと可愛がってください

と、また話しが逸れたが、主担任の先生の話に戻すと、K先生はいつも親切で優しいけれど作品に対する評価はすごくシビアでダメ出しも勿論あり、毎回卒制を提出するたびにものすごくたくさん宿題があった。私はその時は「こんなに面白いアイデアが山盛り」とホクホクしていたが、先生からしたら「こんなに色々言って大丈夫だろうか」と心配されていらたしい。副担任の先生から言われたあれこれも含めまるっと全部採用したら、もう本当に面白い作品が書けてしまった。二転三転ぐるっと方向を変えたり文字数を七転八倒あれこれ変えたり。そうだ、書くものもあれがいいこれがいいと変えまくったけれど、K先生が主担任になったらピタリと決まった。本当に私にぴったりの先生が担当になり伴走して下さったと思う。そういう話をすると学友の中には「私は外れだった」と、すごくがっかりしている人もいて、私は本当に運だけはいいと感心してしまった。他にも性格も頭も顔もいいのだがなかなか世間がわかってくれない。自分で知っていればまあいいか。でも卒業して先生達がいなくなったらこんな素晴らしい作品が果たして自分だけで書けるのだろうか今から心配でもある。そういう訳でまた色々話が脱線したが、今から豊洲NTTDATAで開かれるゴスペルコンサートに行く。わーもうこんな時間。それではSee you:-9

この日は朝から晩まで色々なことがありすぎて、何を書いていいのかいけないのかよくわからない。でもまた私は様々に掻き回してしまったように思う。

今年はお二人の先生の講義。

ちなみに昨年はこんな和やかな感じだった。それが今年は…ううう(;_;)


文学フリマというイベントがある。

『文学フリマ』とは?

「文学フリマ」とは文学作品の展示即売会です。

評論家・まんが原作者として知られる大塚英志さんが『群像』誌2002年6月号(講談社)掲載のエッセイ「不良債権としての『文学』」で行った呼びかけを発端として生まれたイベントです。

既成の文壇や文芸誌の枠にとらわれず〈文学〉を発表できる「場」を提供すること、作り手や読者が直接コミュニケートできる「場」をつくることを目的とし、プロ・アマといった垣根も取り払って、すべての人が〈文学〉の担い手となることができるイベントとして構想されました。詳しくはサイトへ。


京都造形芸術大学通信教育部文芸コース、主に2016年度卒業生有志他多年度性12名が集まり作品集を作って販売した。私もブログで書いている通り一作品掲載して頂いた。当日は朝から終了時刻までシフトを組んで販売したが、私が販売するころにはほとんど売れてしまいあっという間に完売してしまった。

文芸フリマ

大学に入学する前はこんなイベントに参加するとは思ってもいなかったし、締切の頃は卒論もライターの仕事もあれもこれも抱えていて大変だったけれどなんとか提出することができた。

イベント会場を割と早めにみんなで退場し、そこから打ち上げのために居酒屋に行った。途中からjunjunパイセンも合流し、飲み放題のビールを飲みすぎ食べ物はちょっぴりなので酔っ払ってしまった。どうも京都造形芸術大学通信というのは飲み会に食べ物があまりないということになると思った。そしていつも酔っ払う。あの時もこの時もそうだった。ちょっと気を付けようとまた思った。

というわけで前振りはどうでもいい、ただ単に作品をアップしてみたかっただけ。これはもうねえ、明日か明後日提出しないといけないのに何もかけてなくて、今まで書いたものの中から出そうかと思ったけれど、課題で出したものは読んだ先生達が「課題出してる」と思うだろうし、課題以外で書いたものは一度ネットにアップしたものばかり。卒業制作で書きかけたものは文字数がオーバーしそう。ということで、ブログ的エッセイなら書けるだろうと踏んで書いてみたもの。これを書いたちょっと前に大学の授業で「俳句と連句」という授業でなぜか短歌の大家、笹公人先生がゲスト講師でいらして授業を受けた。これがまあ本当に面白くてエキサイティングで私は笹先生の世界観にすっかりやられてしまった。その熱が冷めやらぬまま綴った短歌的エッセイ、ちょっとだけ俳句も入っているけれど、私の中では俳句も短歌もそう違いがないというか文字数と季語があるかないかの違いくらいか。実家の近所に永井洋子さんという夭折された歌人がいて、それもなんとなく頭にありお名前を出さずに思い出として書いてみた。永井洋子さん、ちょっと近づき難い雰囲気のインテリジェンスな女性だったけれど、大人になってから彼女の書いた作品集やエッセイなど読むと、才能はともかく中は私とほとんど変わらないような悩みや喜びに満ちていて、もうちょっと長生きして下さったら訪ねていきたかったなあなんて思った。酸いも甘いも噛み分けた今の私なら、洋子さんの想いを受け止め、彼女もまた私の苦しみ悲しみ一緒に凌駕して下さったのにと勝手に感じている。何より私たち同窓生で同郷だ。世代なんてそんな小さなくくり、全然関係ない。朝早くから井戸端会議が盛んだったとか、畑の作物は勝手にとっていいルール今ならありえないとか、色々色々お話したかったなと思う。思えば遠くに来てしまったものだと思う。でもこれは私が思い願った未来、彼女はそういうものが何も見えなくなってしまったのではないか。そんなの気のせいなのに、もっと素敵な未来があったのに。実家のママンは洋子さんの話をするとすごく嬉しそうに、そしてちょっと寂しそうに色々話してくれる。彼女の書籍、ほとんど今販売されていないけれど、ママンは全部持っていた。「持っていきなさい」と言ってくれて、私の手元に全部ある。私が作家を目指していることも、大学に通っていることもママンには内緒にしている。きっと喜んでくれるだろうけれど、大学に行けるほど色々な意味で余裕があるなんてあまり思って欲しくないような。ママンにはいつも私を心配していて欲しいなんて思う。

という訳で、文芸フリマに掲載された作品をこちらにもアップしてみる。後から「本、欲しかった」と言って下さった皆様、ありがとうございました。そのうち別の作品で紙の本になるうように頑張ります。いつもありがとうございます。



短歌俳句エッセイ的な何か
タイトル『わっぱの中に短歌と俳句』


「ママ、宿題でタンカー作ってって、先生が」
  いつもは玄関にランドセルを放り投げ、Uターンでまた外に出て行ってしまう息子。珍しくランドセルを背負ったまま近くに来た。何? タンカー? 工作か何か作るの? 巨大クジラのような船を思い浮かべ、イメージに押しつぶされそうになり怖くなる。
  私は大きなものが苦手。閉所恐怖症という病気があるそうだが、私みたいなのはなんていうのだろう。そのせいか食器洗い洗剤も大容量のものが得だとわかっていても、小さい方を買ってしまう。化粧水もシャンプーなどもそう、不経済的な病だ。
 話を戻そう。息子、どういうことだろう。
「タンカーってお船のやつ?」
 すると小さな頭をぶるんぶるんと振り、
「ポンジュース」
 ええ? タンカーがポンジュース? 一体何を言っているのだろうこのお猿ちゃんは。
「ジュースなの? 船なの?」
  困惑する私の顔を見て、今度は地団太を踏み出す。
「だからあ、学校の宿題がタンカーで、今僕が飲みたいのがポンジュース」
 ああ、そういう事。脱力しつつ冷蔵庫からジュースを取り出しグラスに注ぐ。
「はい。あ、手を洗ってうがいしてからね」
 グラスを掴もうとする手がピタッと止まる。どうしてもダメなの? という顔でチラッとこちらを見る。むむっ、「今日だけいいでしょ」の目線。でも子育てに"今日は特別"は禁物。眉をきゅっと寄せて、今度は私がゆっくりと首を振った。それをみた息子は、外人がよくやる、手を水平にして肩をちょっと持ち上げるジェスチャーをして洗面所に吸い込まれていった。
  いつの間にこんな大人びた仕草を覚えたのか。いやいや違う、多分テレビの『クレヨンしんちゃん』だろう、あれはなって欲しくないオトナコドモの例だと思っている。なのに、子ども達は大好きで、見せないようにしているのに勝手に録画してこっそり見てしまう。初めてそれを知った時は、もうこんな事が出来るなんてと怒を通り越して感心してしまった。つい先日までほかほかの肉まんみたいに、身じろぎも寝返りも出来ない赤子だったのに。そんな訳はないが、一瞬のワープでここまで大きくなった気がした。
 
 いつの間にこんなに大きくなったのだろう つい昨日まで赤子だったのに
 
  まりにもベタなものが出来てしまい、反省。もっと捻って赤子や喜びを他の何かで表現しなければ。出来れば少し難しい漢字を使うといい感じなのではないだろうか。ダジャレではない。でも考えすぎると空回りして出来ない、ぱっとひらめいたインスピレーションで作りたいものだ。
 
  私は最近、「短歌や俳句」を作るのにはまっている。通信生として通っている大学で短歌と俳句の授業があり、あまりにも自由すぎるエキサイティングな講義にすっかり惚れこんでしまった。「短歌、俳句」のワビサビの世界にもっともそぐわない、「ゾンビ先生」について下句を考えたり、オカルトやSFな世界感を表現したり、いい意味でイメージを裏切られた。こういった異質なものとリベラルな文学との取り合わせの妙は、私の琴線をかき鳴らし、すっかり詠むことが楽しくなってしまった。
  一句、もしくは一首ひねる時の自分の俳号は「星夜」にした。実家の祖父が陶芸家で、「玉峰」という作家名だったので「峰」だけ拝借して最初は違う名前「百峰」だったがそこから様々に変えてみてしっくりきたのが「星夜」だった。私は飽きっぽい。この名前は中性的な感じでいかにも詠み人というイメージで非常に満足。そういえば祖父は陶芸をしていたせいか俳句をよくひねっていた。

 短歌と聞いて、ふと、ご近所に住んでいた歌人を思い出した。年もうんと上だったし、近寄りがたいオーラで挨拶するのがせいぜいだったが、今頃気になり母に聞くと既に亡くなったという。ご存命だったら、挨拶に行きたかったのにと思った。新作の本に「サインしてください」なんて、ちょっと厚かましい言葉を東京からの手土産と共に。
 
 夭折の歌人を想い詩詠う故郷は 近くにあれど遠くなりけり

 
  両親それぞれの話では、歌人の亡くなり方の認識に食い違いがある。どちらの説が本当なのか、不可解な状況というのはもしかしたら言いにくいコトの方だったのかもしれない。実家の親達は歌人の両親とは親交があったけれど、どちらも先に鬼籍に入られた。歌人はご両親がなくなってひとりになられ、都市に単身引っ越してしまわれたそう。きっと私と同じでご近所のお節介やしがらみを、ちょっと暑苦しいと感じてさっぱりしかったのではないか。そのせいでうちの両親も様子がわからなかったということなのだろう。
  本当のところどうだったかは私などにわかる筈もないが、歌人と私が故郷に置いてきたものは同じものだったと思う。そのありがたみに気付くのは、それが掌中から消えた時というのはなんと切ない真実なのか。それらはひとりで暮らしていた歌人の胸にしみじみと染み入っただろう。ひとりが侘しいと泣いたかもしれない。人は自分がひとりぼっちだと感じればそのまま孤独に繋がってしまう。
歌人は早くに頭角を現し、当時の現代女性歌人として世に出ていた。決して周りに誰もいない訳ではなかった筈だ。私も周りに人がたくさんいて、結婚して、新しい家族がいるし友達もいる。なのに、どうしょうもなく「ひとり」だと感じる時がある。そんなぽっかり開いた穴に、落ちてしまわれたのかもしれない。
  つい最近の「角川短歌」という雑誌に「特別企画」として歌人の高校生時代の作品が載っていたそうで、今でも人気のある歌人だと知る。著書『太陽の朝餐』に、「何ゆえに人は生き、何ゆえに人は死ぬのか」という文言から始まる書付もみられる。自分はこれを書いた歌人と同じ年頃に何をしていたか考えてみた。
  友達と待ち合わせて学校に行き、部活は剣道と美術部どちらも適当にやり、時々部室でお茶を飲み、帰りに友達と何か食べ、夕飯もしっかり食べてテレビを観て寝る。そんな毎日で、何かを深く考える事なんてあっただろうか。

  いやまて、そうだ、私も生や死について色々考えていたし、答えの出ない問答を延々と頭の中でループさせていた。世代や頭の出来は違えど、同じところを歌人も私も通ってきた。もう少し早くこれら思いついたなら、大学の卒業制作に研究論文として書いたかもしれない。こういう時だけせっせと帰省し、両親に在りし日の歌人やその周りについて聞いたかもしれない。でもこういうのも縁だ、慌てなくともそんな事を書く機会が訪れるやもしれぬ、来ぬかもしれない。
  などとあれこれ考えてみても、もう歌人がいないという事実は変えようもなく残念で仕方がない。彼女と人生について対話してみたかった。生きるということはどういう事なのだろうか、しみじみと考えてしまった。
 
 嬉しい時も哀しい時も忘れずに 「歯磨きお風呂もう終わったかな?」

 
  これは息子の購読していた「チャレンジ一年生」の入学準備号についていた「しまじろう目覚まし時計」が夜になるとつぶやくセリフを詠んでみたもの。しまじろうが繰り返し言うくらいだから、寝る前の歯磨きとお風呂は生きて行く上で一番大切なことなのだろう。でなければ「漢字と算数ドリルやったかな?」と鳴るのではないだろうか。
それとも勉強の方こそやるのは当たり前で、言うまでもないからセリフに採用しないと言いたいのだろうか。
  ふと思い出したが、故郷を後にする時姪っ子に言い残したのもこのセリフだった。
 
 嬉しい時も悲しい時もお風呂と歯磨き忘れずに
 
  ギリギリ極限状態になったとして、お風呂と歯磨きが出来てさえいれば明日を信じて生きていけるという一句。季語がないのでスローガンだろうか。ともかくどこに行っても暮らしても、寂しい気持ちはただの感傷だと嗤い飛ばしながら生きて欲しいと願う。
 そう思うとやはり「短歌と俳句」は常に私の身近にあった。思い出したが特に母は折に触れ言葉をひねっていた。多分今でも季節の移ろいを句にしているのではないだろうか。私が子どもの頃俳句をどこかに投稿して、採用されると喜んでいた。母はいつも本を読んでいて、影響されたのか本を読むのが私も好きだ。短歌や俳句にはまりだしたのも、同じことなのかもしれない。
  とはいえ若い頃の私はちっともそれらに関心が向かず、のんべんだらりと暮らしていた。学生時代は折々に短歌も俳句も作った覚えがあるが、内容を全然覚えていない。全く興味のもてない、つまらないものと映っていたのだろうか。なのに今はとても興味深い。大学で授業を受けてみて、脈々と伝えられる日本文学というよりロックな塊に感じた。そんなロック魂で作ったのはこちら。
 
 いつの間に懐メロになったのラルクアンシエル ハイドの歌声赤子に消されて
 
 大好きだったL’Arc〜en〜Cielも聞いていられない程、子どもを産んだら自分の時間がなくなってしまったという一首。聞こえるのは赤子の泣き声ばかりで、ハイドのハの字も消えたという意味。
  でも「今」を切り取るのがこの世界の暗黙のルールらしく、ちょっと過去なので、どうなのだろう。でも閃いたのだからまあいいか。その後続けて浮かんだ一首がこちら。
 
 趣味の友急にモーゼの海満ちる 電波少年知らぬと聞いて
 
  これは趣味のオフ会で会った人と話していて、世代の違いに驚いた時の一首。年齢がずいぶん違うだろうなと思ってはいたけれど、ここまで違うとはと思わなかった。電波少年の話をしたら知らないと言われて驚愕した。『電波少年』ってつい最近の若者文化的象徴だと思っていたのに、それを知らない世代だったなんて。ジェネレーションギャップにも程があると感心してしまった。自分が年をとったと再認識したというか、いつのまにか長生きしたという驚きもある。「驚き」って短歌にするとピッタリくると気付いた。これから何かびっくりすることがあったら、すかさず一句ではなく、一首詠むことにしよう。
※豆知識:短歌は一首二首と言い、俳句は一句二句と数える。
 
 パフェ食えば鐘が鳴るなり釈迦三尊像  詩歌の師匠はいい匂いがした
 
  これはすっかり心の師匠となった先生の作品をリスペクトして作ったもの。「釈迦三尊像」は語呂がいいので使ってみた。「シャカサンゾンゾウ」という言葉が「チェケラ」的ラップ音に乗せたら面白そうだと考えた。ちなみに先生の作品に採用されていた言葉は「誕生釈迦像」だった。「いい匂い」というのは実際に香った訳ではなく、遠くからでもわかる芸能人オーラというか、美形の人だけがもつ際立ちというか、実際のものではなくイメージとして詠んだだけ。
  だが先生はちょっと引いていたように感じた。私ってどうしてこう「禁句」みたいな言葉をつるんと選んでしまうのか。学友達は面白いとか才能を感じると褒めてくれるが、こういう踏み絵的性質は一般の人には受け入れられない風味を醸し出すように思う。これも「匂い」だろう。出来れば消したいと思っていたが、この分野で伸ばせるならなんとかマッチさせたてみたい。でも世の中そう甘くはない、それより普通の幸せよウエルカムだ。私は今はお母さんなのだし。
  あっ、これももう、五七五になっている。せっかくなので後の七七をつけて短歌にしてみた。さきほどの「俳句プラス下句七七をつけて短歌に」というやつだ。
 
 名はいらぬ普通の幸せウエルカム 私は今はお母さんなのだし
 
  うん、出来た!「今は私は」だと「は」が繰り返されるがこれはこれでよしとする。これ、本当にそうだ。芥川賞とか直木賞とかノーベル文学賞とか神仏に祈念したりするけれど、せっかく母親になったのだから子ども達を幸せにするのがまず大切な仕事。なのに、大学にイベントにお付き合いに、今度はこども食堂とか自分の家をまず掃除しなさいよと。わかってる。
  それにしても「普通のお母さん」ってどんなのをいうのだろう。私を起点にしてくれたら色々納得できるのに、お前は違うと周りが言っている気がする。被害妄想だろうか。
  それと、これも「名はいらぬ普通の幸せウエルカム」だけで俳句になりそう。季語を入れなくては。ならば「ウエルカム」を「藤の花」に変えたらどうか。藤の花言葉は「歓迎」だそう。
日本の花鳥風月、季節のうつろいを季語をモティーフにしてぎゅっとコンパクトに閉じ込めたのが「俳句」。そんな風に一瞬の風景を切り取るのが「俳句」なら、それに美しく補足説明の下句を貼り付けたのが「短歌」でいいのではないかと。
「短歌から七七を取り除いて、季語を添えれば俳句になるんじゃない?」
  一緒に短歌と俳句の授業を受けた学友が、発見して教えてくれた。大発見ではないだろうか。この方は俳号もすごく良かった。才能を感じる。
※「短歌引く下句足す季語イコール俳句」「俳句足す下句引く季語イコール短歌」

  本当にそうだ。すごい事を思いつくなあと、学友の感性に納得してしまった。斬新な発見やアイデアがあちらこちらから飛び出していた。
 
 名はいらぬ普通の幸せ藤の花
 
  どうだろう、ちょっとこじつけっぽいけれど、なんとかいけるのではないか。「短歌と俳句の法則」すごい。それにしても、どんな先生に巡り合うかで、その教科が好きになったりそうでなくなったりの不思議。人生は阿弥陀くじだとも感じた。
 
 誰に遭う阿弥陀くじ哉人生は 好きになったり嫌いになったり
 
 また一首出来た。なんでも短歌に出来ると感心。
 そして次の句は、時を戻せるならデリートしてしまいたい黒歴史的作品。
 
 先生へ時間になったら終わってネ  私朝ごはん食べてないから
 
 今思えば「ふざけすぎやろ?」という一句だが、作った時は真剣だったし上手く五七五七七に納まり喜び勇んで提出した。詠んだ時の先生の困惑の声がリフレインする。作った背景は、一時間目から授業が始まるのに寝坊してしまった。朝食抜きで家を出たが、私はもともと朝ごはんは食べない。午前中は胃がからっぽの方が頭がよく回る気がするし、炭水化物を食べるとぼーっとして何も出来なくなるからそうしている。
  でもその日は静かな教室でお腹がぐうぐう鳴ってしまい、恥ずかしいので早くお昼にならないかと焦っていた。なのに授業が終わる時間に先生が気付かず、それならと一首詠んでみた。先生もわかってくれて、生徒もにっこりノープロブレム。よかった。
 それにしても、どうして大学にはチャイムがないのだろう。キーンコーンカーンコーン、起立、礼って、大学でもやればいいのに。 それよりこんな作品を初対面の先生にぶつけるなんて、どうなの私。子ども達にはこういうのは遺伝して欲しくない。こういうのって「学習」ではないとつくづく思う。もともと持っている要素とかDNAとか「そういう風に出来ている」とでもいうのか。人間の性質は十歳くらいで完成すると心理学の師匠も言っていた。こういう私はどんな要素でどういう課程で完成したのだろうか。未完成で自分もまだ子どものような気がする時もある。未だ色々上手くいかないのは、そのせいだろうか。
 
 「ママ? タンカーって何?」
 息子の声でふと我に返る。息子がオレンジジュースを飲み干す一瞬の間に、「短歌と俳句」の授業の思い出や様々な記憶が走馬灯のように頭の中を駆け巡り、バーエンディングストーリーを創作してしまった。徒然というのは楽しい。
息子が怒り出す。
「だからあ、言葉を区切って並べるやつ?」
 言葉を並べるタンカー? ああ、もしかしなくても、「短歌」? 
  息子がランドセルから連絡帳を引っ張り出し、私に見せる。今日の給食はカレーだったのだろうか、連絡帳を開くとちょっといい匂いがした。今日の夕飯にカレーは避けようと思った。続けては嫌だろうし、給食で出るカレーほど美味しいカレーがあるだろうか。大量に作るカレーは美味しい。
  それは置いておいて、連絡帳を拝読。
(今日のしゅくだい、タンカーたんか一首)
  やはり短歌か、納得。息子の担任の先生は、生徒が連絡帳に書いたものを毎日チェックして下さる。そうしてこんな風に間違った文字を線で消して、正しい語句を横に書き足すのだ。小学校の先生が激務だと問題になっているが、こういう小さなものの積み重ねもあるのだろう。
 そうだ、息子が一年生だった去年は、夏休みの宿題で何か作ったのだった。あれは短歌だったか俳句だったか。確か「季語を入れる」とあったので俳句だったはず。短歌には季語は必要がない。これも先日の授業で知ったことのひとつ。こうして考えると、短歌と俳句って私のような一般の人からしたら、ただ文字数の違いだけのように思われるが、それだけではない様々なセオリーがあるのだとわかる。それにしても「季語があるかないか」ってかなり大きな違いじゃないだろうか。
※短歌に季語はない俳句にはある
 
 さっそく息子に短歌を作らせてみる。五七五は出来ても、下の句がなかなか出来ない様子。苦心して色々書き散らかしている。見れば全部食べ物が書いてあり笑ってしまった。昨年作った俳句も、
 
 アイスはね、あまくてつめたいおいしいね
 
  ちゃんとアイスという季語を使っているしリズムもいい。息子、天才。
 短歌だけではない、大学の授業では俳句もいくつも作った。「吟行」といって、外苑の校舎を出て、近くの公園を散策しながらあれこれイマジネーションを広げて創作をする。先生の案内で訪れてみて、大学の近くにこんな由緒のある公園があるなんてと驚いた。作家の吉田修一の小説『静かな爆弾』に出てくる「御観兵榎(ごかんぺいえのき)」と「ベンチともいえない冷たい岩」がそこにあった。
  明治神宮に繋がるこの辺り一帯は、都心とは思えないような広い贅沢な土地がある。この公園もそうだが、ひっそりという言い回しがピッタリの風情で私たち以外誰もいない。かと、思えば突然家族連れに出会ったり。開門が九時、閉門は十六時。私たちの学舎は近くにあるが、その中で朝から晩まで授業を受けているせいでわからなかった。
  大きな木々の間をゆっくりと歩く。見れば大木に似合う巨大な蜘蛛の巣が陽の光を受けてきらきらと輝いていた。それを支えにまたいくつかの巣がかけられ、マンションみたいだねと誰かが言う。それを聞いてブルーになる。マンションでのご近所付き合いを思い出してしまった。
  それでもそれらに全く繋がりのない学友に話を聞いてもらえたり、気持ちの襞をわかってもらえてスッキリしたり。大学に通っていて良かったと思ったことのひとつ。しがらみのない私だけの世界がここにある。そんな風に気を取り直して作ったのが次の句たち。
 
 青々とだんだん赤く初紅葉
 
 初紅葉さらさら冷たい外苑の風
 
 どんぐりをコロコロ降らす秋の風
 
 過ぎゆきて戻りつ拾う松ぼっくり
 
 落ち葉踏み顔を上げると白い雲
 
 キラキラと天に伸びたる蜘蛛の糸
 
 門番の箒にじゃれる木の実たち(「特選」作品)

 
「吟行」の後は教室に戻り、改めて作品を創り「句会」で披露し合った。最後の句はとても評判がよかった。講評の「点盛り」で学友が何人も点をいれてくれて、この授業の最高得点だった。先生から「特選」にも選んでもらえた。
  この句は公園を訪れた時どんぐりがいくつも落ちているのを目にし、子ども達に見せたら喜ぶだろうな、じゃれて遊ぶだろうというイメージを重ねて詠んだ。なんとなくさっと閃いた言葉の醸し出す妙というのか、うんうんと捻ったものより高得点という不思議。なんでもそうかもしれない。句を詠んでいるうちに、憂鬱な気持ちもいつしか消えてしまった。

 
 肝心の息子、私が夕飯の下ごしらえをしている間静かに短歌を作っているかと思いきや、ノートを開いてその上に突っ伏している。眠ってしまったらしい。子どもは寝ている時が一番可愛い。起きていると餓鬼だが、寝ていると天使だ。
  そういえば、最近娘の寝顔をみたのはいつだろうか。寝室が別なせいで、彼女の寝顔をみる機会はぐっと減った気がする。私は娘に注目したり考えたりするのは、あまり良くない知らせの時ばかり。そのせいか娘に対峙する時の私は、大概ぷりぷりと怒ってばかりだ。夕べ珍しく「ママ、今日一緒に寝て」と娘が来た。
  昨日は大学の授業の後、帰りに息子の携帯電話修理に店舗に寄ったら二時間も待たされた。そこから、ああでもないこうでもないとやっていたので帰りがとても遅くなってしまった。宿題もあるし色々書くものが溜まっていて焦っていて、おまけに作品集の提出物も遅れていた。そんな焦っている時に彼女が来たものだから、無下に断ってしまった。
  今思えばいつも反抗的な娘がそんな事を言うなんて、よほど何かあったのかもしれない。なんだかんだ、息子、息子、と書いているが、面白いネタがたくさんあるので書きやすいだけ、娘への気持もしっかり溢れているのを感じる。時々それが過多になり、苦しくなってしまう。なので、心配だけれど気にならないふり、あまり考えると心配が増えてしまうように思うから。
  最近ぴこぴこと顔を出すようになった白髪だって、気にして触ったり抜いたりすると増えるという。「抜いたら禿るわよ」と美容師が言っていた。どうしたらいいのだ。そんな風に考えあぐねているうちに、いつか心も頭も真っ白になるのだろうか。その時は娘が私と同じ悩みで、うんうんと唸っているかもしれない。夕べはやはり一緒に寝てやれば良かった。
 
  寝顔見て心安らぐ母の幸せ 早く終われよ永遠に続けと
 
  考えれば考える程、色々なものが折り重なり、心配ばかりをしてしまう毎日。早く子育てが終わらないかという気持ちと、ずっと今のままでいたい複雑な母心。 子ども達、特に娘の悩みにはいつまでも寄り添ってあげられるようにと、長く生きたいと思うようになった。子どもが産まれた途端に、生への執着も生まれたように感じる。
 
  それよりも息子の短歌、彼の好きなモティーフは食べるものばかり。見れば書き散らかした文字の中に、「わっぱ」の文字がある。「わっぱ」とは、曲げわっぱの弁当箱のことだろう。手に持った時になじむようにちょっとくぼんだ形のわっぱの弁当箱が彼は大好き。洗って食器棚に仕舞っておくと、いつの間にか出してきて色々なものを入れて遊んだりしている。
「食べるものを入れるハコだから遊んじゃだめ」
 今日もいつの間にか彼の机の上にある。時々石を入れてカラコロ鳴らしたりするので、「わっぱが痛むじゃない」と怒ったりするが、いい音がするなあと密かに感心したり。
  わっぱが好きなのは息子だけではない。私が昔から好きで、遥か昔買ったものをずっと使っている。もうウン十年経ているが、どこも綻びずかえっていい色になってきた。最近娘に買った真新しいまん丸の形のわっぱとは、やはり一目で年季が違うのがわかる。
  娘もわっぱがすっかり気に入り、お弁当がいるとなるとこれに詰めてと言ってくる。娘のものもいつしかいい色になり、自分で色々詰めてどこかに運ぶのだろうか。下の段に手作りの菓子など入れて、上の段に手紙など忍ばせたり。私がよくやるので、娘もそうするだろう。
  それぞれのわっぱの中に、子ども達はこれから何を詰めるだろう。食べることは生きる事、美味しく食べて幸せになって欲しい。たくさんの優しさを、人生に彩りよく詰められるようにと願うばかりだ。
 
 きみにかかればわっぱもおもちゃ カタカタ鳴らす中に石ころ
 
 赤いタコ笑いたるわっぱ弁当 彼の笑顔を誘いたまらん
 
 弁当にふりかけ絶対かけないで  ぼくは真白きご飯が好き
 
 あかきいろ緑と黒いパラパラと バランスばっちり愛情少し
 
 ママ今日はふたつおにぎり握ってよ 僕はこれからアメリカに行く

 
  色々出来た。息子が起きたら見せてあげよう。「アメリカに行く」は、息子が三歳の頃に突然言い出し驚いた思い出。桃太郎のきびだんご的発想だったのだろうか。
  そろそろ娘も帰ってくる頃だ。彼女は無邪気な息子と違い、まだ小学生なのに驚く程様々なものを肩に乗せているように感じる。女子たる娘は学校で、家で、あちらこちらのコミュニティで、色々大変な日々なのだろう。苦しみも哀しみも、いつかしみじみと思い出に変えて欲しい。その前に今少しでも重荷が軽くなるように、ほっと出来るように、娘の好物を作って待ちたい。
 
  蓋あけて湯気立ちのぼる茶碗蒸し  娘の笑顔がゆれてほころぶ
 
  娘に披露したらなんと言うだろうか。何でも私の真似をする娘は、きっとすぐさま一首二首と捻り出すだろう。今度一緒に詠みあってみようか、「連歌」も楽しいかもしれない。
 
 娘と詰める季節の色どり徒然に わっぱの中に短歌と俳句

 
 (完)

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そんな訳で色々ドタバタしているうちのひとつに「文芸フリマ」で出品する作品集作りというものがあった。そしてつい先日完成し、11月23日に「文芸フリマ」というイベントで販売するばかりに調ったのでお知らせ。ちなみに私は締切ギリギリに書いて送っただけで、取りまとめやデザイン担当の方が徹夜しながら制作したもの。本当にありがとうございました。

そしてこの短編集を当日販売するだけではなく、事前予約で受け付け販売もします。限定100冊で値段は一冊500円、通販の場合はプラス送料200円。

※通販ご希望の方は、kyoutobu@gmail.com までお申し込みをお願いします。

私は現地にて16時から17時に対面販売していますので、色々と直接話してみたいという方は是非お越しください。

※文芸フリマって何?→ http://bunfree.net/?%CA%B8%B3%D8%A5%D5%A5%EA%A5%DE%A4%C8%A4%CF

※文芸フリマ東京会場期日など詳細→ http://bunfree.net/?tokyo_bun23#l0

※作品について→ 書籍タイトル『外苑弁当』A5サイズ全148ページ 

なぜ『外苑弁当』なのか、それは京都造形芸術大学の東京校が、神宮外苑にあり、外苑キャンパスと呼ばれているから。

お弁当の具材をテーマに、みんなが一品ならぬ、一作品を作り寄せ集めた作品集だからなのですよ。素晴らしいアイデア みんなで考えました

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「読み終わった後、おなか一杯になった気分になるのは何故?珠玉の十二編、是非ご賞味ください」

「文芸コースの有志で一冊の本を作りました。弁当具材をテーマにした短編集、その名も『外苑弁当』です。それを「第二十三回文学フリマ東京」で販売します。みなさん来てくださいね。詳しく知りたい方はお気軽にお問い合わせください」

私はその締切の頃また色々でアップアップしていて、学友達に色々迷惑をかけてしまった。本当に色々すみませんでした。そんな中で締切ギリギリになり書いた作品は約一万字。「いちから小説は無理だけれど、ブログ(エッセイ)なら書けるだろう」と書いてみたら、やっぱり書けたという感じだった。なかなか納得のいい出来。

ちょうどその頃、大学の「連句と俳句」という授業で、ゲスト講師の笹先生の授業を受けた。もう、なんていうかパンチの効いたスペシャルロックな作品群と授業にすっかり心酔してしまった。その気持ちのまま短歌や俳句を作りまくり、その流れて綴った短歌と俳句エッセイ。授業の中の匿名で作品を評価し合う「句会」では先生や学友が特選をつけてくれたものだから、私ってもしかしてこっちも向いているかもなどと己惚れた気持ちのまま書いてみた。

短歌や俳句なんて全く縁のないところで暮らしてきたが、実はいつも身近にあったという物語でもある。内容についてはここでは秘密。是非冊子をお買い求めください。

現在予約がどんどん入ってきているそうで、当日販売するものが無くなってしまうのではという心配が出てきたくらい。是非お早めにお申し込みください。
  
   




完成版

昨日の記事に細々と追加修正していたら、長文になってきたので分けてこちらに書くことにした。思いのままベラベラベラベラ書いてみて、私はもうこんなに今の大学が嫌いでイヤで行きたくないのだとわかりまずます何もやる気が出なくなった。馬鹿な自分にガッカリもしたが、逆に吐き出せてほっとしたしスッキリした部分もある。今まではなんでもないフリで知らん顔して過ごしてきた。もうそんなに授業を受ける予定もなかったし、必要ないと安心していた。なのでそっと静かに卒業すればいいのと思ったし、そうすれば波風立てずに何事もなかったようにときは過ぎる。でもそうは問屋が卸さないのは私には一体何が憑いているのだろうとまた思った。

もうやだと愚痴ると、周りは「あと半年じゃない」というが私にとっては「まだ半年もある」のだ。言うなれば今回も「溜めこみすぎて爆発した」のだと思う。思えば豊洲のママ友付き合いもそうだった。一体いつまでこんな茶番すればいいのよと思っていたところにヌードデッサン事件、あれはあれであれから本当に大変だった訳だが、もう無理して付き合いたくもない人と縁が切れたと思えば、子ども達にとっては大迷惑だが私的には良かったと思う。はじめてのママ友トラブルもそうだった。この時も爆発したが、爆発しないとわかって貰えなかったと思うとあれはあれで良かった。友達関係もそう、無理して付き合っているというか日和っていると、だんだんだんだん色々溜まって来て爆発する。沸点が低いのではない、逆に言いたいことを言えずに溜めこむ小心な人なのだ。これはもう人生の宿題のようなものになっていて、言いたい事はちゃんと言おう、もしそれで離れていくような人はそれだけの人なのだといつも思うがなかなか本当に言いたいことはサラッといえない大概「爆発」というテイになってしまう。 

そして「もう大学嫌い!」とはっきり書いてほっとした。これを読んだ意地悪なご近所さんとか「イイ気味」と思う人が少なくとも10人はると思うが、笑いたければ笑えばいいし、これだって何もない人よりも貴重な経験をしているといえる。「学校が嫌で行きたくない」という気持ちだって、経験しないと本当にわからないものだと思う。もう本当に嫌なんだなとか、私は大人だから堪えられるけれど、子どもだったら死にたくなるなとか、やっぱり大人子ども関係ないだろうとか。そもそも私は大人になってからハードなイジメも体験したし、登校拒否の心理も知った。なんと幸せな子ども時代だったのだろうと言ったらそうでもなかった気もするが、「学校に行く」とか「勉強をする」というのは最高の贅沢だと前に書いたしその通りだとも思うが、「学校に行かなければならない」という事が苦役という場合がある。      

もう本当に嫌で嫌で家でやらないといけない課題とか残っているテキスト課題とか、今年はたくさん勉強しようと張り切って取り寄せたテキストももう見たくない。 なんでもかんでも文句ばっかり言ってこの人はお目出度すぎる、大学どころか普通の一般主婦は家計を助けるためにパートで働いてるんだよと言われればその通りで、現状に感謝しつつも嫌なものは嫌でしかない。何か起爆剤になるかもとか、武蔵美の時はどうだったのか確かめにいってみたが、懐かしくて楽しかった思い出に圧倒され余計に悲しくなってしまった。武蔵美って何かがはみ出して強烈な個性の人が多くてタジタジと後ずさりしたり、染まりたくないと拒否反応を感じたりした事も少なからず何度もあったが間違いなく人間味溢れるフラットな学びの場だった。「先生に敬意を示せ」なんて強要されたことなど一度もないし、逆に先生達が生徒を尊重してくれていたと思う。武蔵美はもう私の母校だと思った。

ちなみに武蔵美は通信を卒業しても、卒業証書に「通信学部」という文言は記載されない。それだけ通信教育部も通学生レベルと同等のレベルが求められるのだ。とはいっても通学生とはやっぱり違うけれども、本当にすごい人が通学生の中にも何人もいた。そういうスゴイ人達は強烈な個性を併せ持っている人が多く、色々武勇伝を聞いて「はーすごい、私なんてまだまだだわヨカッタ」などと思ったりもした。だがその厳しい学習環境が理由で卒業出来ずにリタイアする人も多いと思う。

なので「通信教育学部卒」といっても「ああ、通信なのね」と思えないし思わないで欲しいと思う。卒業出来た方々は本当にネ申だといっていい。授業や評価は本当に厳しく大変だったし、ファインの課題を家で出来る環境があったとしても私は卒業はとてもじゃないが出来ないだろうと感じつつあった。なので文系に編入というウルトラCは、確かに小説を書きたいという理由もあったが、その厳しい学習環境から逃げたかったというものもあったのかもしれない。なので「逃げた」バチが今あたっているのではないだろうか。通信大学だから何処でも一緒だろうとか、通学が便利なように近い方がいいとか、文系だといかにも勉強しているように見られるかもなんて、浅はかな考えを反省したい。今後子どもが中高大と学校に行く際は、ちゃんと考えて決めさせたいと改めて思った。

息子の幼稚園で失敗したのに、なんにも学んでいない私が馬鹿なのだ。あの時は後に入った保育園が良すぎて息子と「卒園したくないね」とか「ああーもうあと何日」などと言いあっていた。未就学児を預けるところなんてどこも同じと思っていたが、全然違って驚いた。集団とか組織のカラーによって向き不向きってあるんだなと感じたし、「どこでも一緒」とか「置かれた場所で咲きなさい」なんて、たまたま環境が合ったからそんな呑気な事言えるだけであって、そうでなくて苦しんでいる人に対して失礼な感じだ。そこが嫌ならやっぱり理由もあるはずで、現状で自分が出来ること、出来ない事、どうしてもダメなら積極的に違う世界を求めていいと思う。学校変わりたい、幼稚園保育園変わりたいと悩んでいるなら変わればいいと思うし、私は大学変わって大失敗だったが、これはこれでいい勉強になった。

それでも大人だし年間の学費払ってしまったし、残りの授業は受けて卒業だけはする。あと半年で中途退学したなんて子どもに知られたら教育に悪いし夫には間違いなくdisられるだろう。あと8単位、それから卒論制作の最終答弁、もう目をぎゅっと瞑って無になって時が過ぎるのを待てばいい。そうすれば時は流れるのだ。流れたものは取り返せないが、逆に言えば流れてしまって記憶の片隅にもひっかからないで消えて欲しい。そうしたらもう二度と信濃町駅では降りないし、明治神宮には参拝しない、ニコニコパークにも行かないし、森のバーベキュー誘われても絶対に行かない。でも生ラムは美味しかったなジンギスカンのビアガーデンってもう都内あそこしかないのよねしかしムムム。  

9月は登校拒否の子どもの自殺が多いそうだがなんかわかる!9月って夏休みが終わってしゅんとするところにが学校が始まる訳で、また集団に組み込まれて自由がなくなる毎日が始まるかと思うとそれはやっぱり嬉しくない上に、イジメられていた子が悲観するのも当然。おまけに学校って子どもにとっては「行かなくてはならない」場所で、そこが嫌というのは確かに死んだ方が楽と思っても致し方ないと思う。豊洲も子どもだけでなく先生が登校拒否でそのまま退職されてしまったという話も聞くくらいだし、本当に学校に行きたい楽しいという子どもが一体何人いるだろうとか、本当は死んでしまいたいくらい行きたくないという子どももいるな絶対とか、他人事ではなく色々考えてしまう。学校行きたくないなら行きたくないと言える環境も大切だなと思う。 
 
でも私は大人、そして学費はもう戻ってこない。通学生ではなく通信生だからあとちょっとの授業くらい我慢、ガマンするんだー わあああ〜でももう学校嫌だ〜行きたくない 嫌で嫌でたまらない〜 わああああああ


西国分寺駅はホームにかなり大きなミスタードーナツの店舗がある。どうして?一体なんのために。世の中不思議なことがまだまだたくさんあると思った。

文芸コースには全く関係ないが、せっかく芸大に通っているのだからとファイン系の授業を受けてみた。8/30,31,9/1の全三日間。娘は高学年、息子はまだまだ小さいとはいえ、数時間なら留守番大丈夫だろう。何よりお姉ちゃんがいるし。と結論付けて、大胆にも平日三日間というスクーリングに挑戦してみた。 

選択したのは「デッサン(静物)」。以前記事にも書いたが、「造形基礎演習2」の「コラージュをデッサン」というのが再提出になってしまい、もともとデッサンは苦手だったのだがブランクで腕が落ちたせいかもしれないと感じた。ならば採点をしたご本人の先生からデッサンを習ってみようと思い立った。総合教育科目になるので卒業要件には関係ないが、もう卒業に必要な単位は十分で、特に面接授業は必要ない。デッサンは静物の他に、ヌードクロッキー、樹木・草花と3つも予約した。

京都造形大学のデッサンの持参物(もちもの)は、鉛筆6H~6Bを全種類とある。

琳派が好き♡

それに鉛筆を削るカッターと消消しゴム&練り消し。クロッキー帖などは持参しなくてもよい(この入門の授業だけで次のステップ的授業では必要になる)、それにしてもこんなにたくさんの種類の鉛筆が必要なのだろうかという疑問は、授業を受けてすぐに判明。武蔵美で習ったか習わなかったか、武蔵美のデッサンでは数本の濃い目の鉛筆と木炭で描いていたが、今回の授業ではこれらの鉛筆を駆使してデッサンをする。

「濃い鉛筆で輪郭をとり薄い鉛筆で仕上げる」
「練り消しは細く尖らせて細部も消せる」
「ざらざらな方が画用紙の表」

などなど、ファイン系の大学生なら基本中の基本、でも私は知らなかったちょっとカルチャーショック的なノウハウを学んだ。多分あまりにも常識なので武蔵美ではレクチャーされなかったのか、それとも私が忘れているだけなのか。多分後者だと思うのだが動揺を隠しつつデッサン。「入門」と名の着く授業から受けて良かったと思った。初日は紫玉葱。

学友がめっちゃ褒めてくれた✨

二日目は卵と黒炭、三日目は球体とビー玉と卵、という毎日違うものを描くというものだった。毎日違うものを描くので飽きずに集中できたし、デッサンも苦痛ではなかった。しかも二日目の黒炭は先生がすごく褒めて下さり色々聞かれたので「昔武蔵美でデッサンしました」などとつい言ってしまった。なんだか恥ずかしいっ!


先生に褒められた✨

武蔵美の必修授業にはデッサンもあったようなかなったような。武蔵美のデッサンは静物とヌードをやったと思う。その他日本画やファイン系の時はまずデッサンから始まったので、デッサンも一通りやったとはいえる。武蔵美といえば木炭というか黒炭の大きな塊をデーンと真ん中に置いて周りを囲んで延々三日間とか、ヌードは一日目はクロッキーだが延々同じポーズの同じ人を描き続けるとか、デッサンとはそういうものだが、へとへとになりデッサンが苦手になってしまった。ヌードデッサンでは携帯の電源を入れられなかったばかりに その後のママ友戦争が勃発するきっかけとなる事件もあったりで余計そう思ったのかもしれない。

でも想像以上にKUADのデッサンは楽しかった。何より先生が楽しい方で良かった。熱心だけれどフランクに色々な話をしながら各生徒を周る。先生の手が入るとさあっと絵がイキイキしだすのはさすが。お昼や休憩は各自好きな時に、というのも良かった。一日目の午前中、ずっと体調が悪くて何度か退席してしまった。座学ならちょっと困ったと思う。

お昼を食べたら治ったので、そこからはせっせと描いた。なるほど、6Hなんていうとんでもない薄くて硬い鉛筆で仕上げるとすごく上手くみえるわとか、細かいところこうやって消すと上級者っぽいとか発見があった。全種類ではないが、ほとんどの薄さ、濃さの違いも筆圧もよくわかった。

そして当の先生は、「コラージュでデッサン」の採点をした先生ではなかった。ちょっと残念に思いつつ、最後の講評で受講した理由など自己紹介も兼ねて話すと「それ持ってくれば良かったのに」などと言って下さる。そしてそして、「あのシラバス、僕が書いたんだよ」と。驚いて「ええーー!!」と軽く叫んでしまった。シラバスの軽快にしてユーモアがあり、しかも的確な指導のテキストに誘われ、つい受けてしまったデッサン科目の数々。私は採点をした先生が書かれたものだとずっと思っていた。そうだったのか。なんだか感激してしまった。わかった時には授業は終わり、残念に思った。

それなら次のデッサンでまた同じ先生に当たるかもしれないと言われるかもしれないが、別に申し込んだデッサンの授業は諸事情ありキャンセルしてしまった。やっぱり平日の授業は色々支障がありすぎた。今回も三日間のうち、一日は子どもが四時間授業で早く帰ってきてしまう日があり、給食があったのでお昼は良かったが、私のいないうちに何かあったら困るなと気持ちがそわそわしてしまった。中日はお姉ちゃんが塾でいない日で、息子ひとりで大丈夫だろうかとか。まああの人は玄関にランドセルを置いて、とんぼ返りで遊びに行ってしまうのだかしかし。そして最終日9月1日は防災の日ということで、子どもの小学校で引き取り訓練があった。これは子ども達の避難訓練の後に親が引き取りに行くというもの。もちろん仕事や諸事情で行けない親もいるが、「大学の授業があるから」なんて人はいないだろう。でももう仕方ないので、「大学の授業があるので行けませんよろしくお願いします」と連絡帳に書いたが、一体全体。

それプラス、思いもかけない事実が判明した。卒業制作は通信課題だということ。サクッと書いているが、知ってからは丸一日悩んだ。私はずっと卒業制作は面接授業だと思っていたのだ。間違えた理由はふたつ、文芸コースのスクーリング日程のところに「卒業制作」と書いてあり、そこの単位のところに「-」が引いてあるのに気に留めもしなかった。スクーリング日程のところに書いてあるなら面接授業で単位修得できるだろうとスルーしてしまったのだ。もうひとつの理由は、武蔵野美術大学の卒業制作は面接授業で単位認定されると思い込んでいて、京都造形もそうだろうとそれをそのままずっと抱えてしまっていたのだ。全く一ミリも気が付かなかった、「違う」だなんて。※今調べたら 全部面接授業ではなかった。版画コースのカリキュラム懐かしー♡これから入学される方々、気をつけてください。

それを知ったのは先回の卒業制作の最後の面談授業の帰り。念のためにというか、面接の必修科目が1単位不足していて、次に受ける授業の一日目が子どもの運動会。運動会をパスは出来ないだろうと大学に相談しつつ、単位についても確認をお願いしていた。単位に問題があるなんて思わず、ただ「念のため」というだけだった。その返信に「卒業制作は通信科目です」と書いてあるのを読んだ時は軽く死んでしまった。それでも立ち直り、ギリギリに追加募集に間に合ったのでいくつか申し込んだ。またまたその後学友に会い運がいいのか悪いのかと突っ込まれて笑われてしまったが、笑って貰えてホッとしてしまった。そうだよね、おかしいよねこんなのーみたいな。ちょっと気が楽になって良かった。みんなありがとう(:_;)

なので他にもまだまだ授業を受けなければならない必要が出て来て、デッサンを受けている場合ではなくなってしまった。今から受けられる授業で幸いギリギリ単位はとれそうだが、もしひとつでも落とすともう一年ということになる。もうひとつ回避策があり、京都でも授業は開催されるのでそちらで受けられるものを受ければいいかもしれない。でも京都、ちょっと遠いなあ。学友達は結構京都で授業を受けていて、みんなガッツあるなと感心。私はもうそんな気力は正直どこにもない。もう早く卒業したいだけになってる。去年の今頃のブログを読むと、テンションの違いに我ながら可笑しくなってしまう。

それにしても、こんなギリギリに単位の確認をしてみようと思いついたのは、一体全体どういう風の吹きまわしだったのか。本当にただの気紛れ、もっと安心するための確認作業とでも言うのか。

スクーリングについては去年も結構あったが、今年になっても面接授業を申し込んではキャンセルしたりした。ある日はミュージカルの千秋楽を抜けられないとか、学校の役員会があるとかイベントにかかるとか、大切だけれどちょっと頑張れば行けそうな理由ばかりだった。数日のうちの半日や一日足りないと単位は得られない。そしたら受けても仕方ないと思ったが、今になって思えば単位が得られなくても受ければ良かったのかもしれないと思う。数字には残らなくても学んだ分自分の中には残る筈だ。一年目も同じような理由で行けなかった授業が結構あった。自分ではかなりな努力で40単位程とったつもりだが、今になって面接授業が全然足りていなかったということになり、何事も最後の最後まで詰めないと大変なことになるという神様の戒めだと思ったりした。

それからもうひとつ私を憂鬱にさせているのが、卒業制作を10万字から規定の3万字に短くすると書いたがこれもどうしたものか悩み中。これも面接授業の記事で書いた「ママ友戦争なんてありきたりなもの」などと自分で書いて読んだせいか、本当にそうなのかもと感じてしまった。でも先生達のアドバイス通り、やれるだけやてみよう。もう今はノリノリという気持ちではないが、その方がスッキリとした整合性のあるものに納まるかもしれない。「面白いもの」より「ちゃんとした」作品に仕上げよう。それはそれで卒業制作に相応しいではないか。ずっと大学の資料として残るのだ。そんな様々な理由も重なり、秋の訪れで外気の温度とともに、私のテンションも下がっているところ。これはこれで落ち着いていいのかなとも思う。昔鬱を患った友達が、「人間はちょっと鬱っぽいくらいの精神状態が健常」といっていたのをまた思い出す。

もう色々余計なことは考えず、まずは卒業だけを目指そう。一足先に卒業した気持で大学の外で色々やりたいという目論見は、こういう訳であっというまに霧散することになった。一緒にやればいいとも思ったが、こんな状態で不手際があり卒業出来なくなる事態になったら困るし、きっと方々に迷惑をかけるだろう。それにどういう訳か日程的にもみっちりスケジュールが重なってしまう。早速あちらこちらに連絡し、理由を話してキャンセルの連絡をした。はあ、本当に申し訳ないです。そしてまたせっせと大学に通わねば。ずずん・・・

それにしても、私は絵を描くと褒められ、文章を書くと非難される。大学を卒業したらまたファイン系作家に戻ろうかな。

今日は卒業制作の第二回目、そして最後の面接授業だった。卒業制作の進捗、内容について精査、色々アドバイスが頂けるというありがたい授業。直接先生たちと意見交換できるのはこれが最後、まずは絶対に遅れないようにと留意することにした。以前第一回目の時、時間ギリギリになり、その上いつも毎度毎度の交通網を、焦って勘違い乗り換えミスをして、市ヶ谷から四谷、そこからなんの冗談なのか逆戻りするという失態により、本当に本当にギリギリになってしまうという事態だった。この時は3分程遅刻ということになるだろうか。もう絶対に遅刻ダメと心に誓った。


余裕の市ヶ谷駅

今日はまたややギリギリになってしまったが、乗り換えノーミスで余裕で外苑キャンパスに到着。1Fに貼り出されている教室案内で場所を確認。行けばもう誰かが座っている。私の次の人、もう来ているんだ、すごいガッツだわと感心していると話しかけてくれる。「何時から?」「えーっと13:50から」「えっ?私もよ」

一体どういう事?持ってきたお知らせのプリントをみると、日付も時刻も間違っていない。二人でオロオロしていると、今度こそ私たちの次の人がいらして状況を説明、教室が違うことに気が付いて滑り込む。これ、本当にわざとじゃなくて、何故かなぜだかこうなってしまう。外苑キャンパスには「ボスママの神様」がいて、ボスママを否定する私に対して色々な意地悪をしているとしか思えない。ともかくそう言う訳で面接授業を無事終えて帰ってきた。

面談の内容につては割愛。私が「これでいいのかなあ」と悩んでいたところをザックリ削除刷る結果となった。でもやっぱりね、だって色々無理があるもの。逆に「これ、いいね」などと言われたら余計に迷ってカオスになっていたと思う。ほっとして教室を後にする。それにしても、本当にいい先生達に当たって良かった。特にK竹先生、本当にいい先生だなと嬉しくなってしまった。「お久しぶりですね」とか、「頑張ってくださいね」などという普通の言葉に心がこもってる!なんていうか、演じていない、素でいい先生という感じ。こんな世知辛い京都造形芸術大学通信教育学部文芸コースのオアシス、聖母マリア、別に何か特別に依怙贔屓して貰ったとかではないが、もう私くらいの年齢になると5分話せば人柄がわかる訳で。思えば東京のエッセイの授業が半日分都合が付かなくてキャンセルしたが、それなら思い切って京都まで寒竹先生の授業を受けに行けば良かったと思った。でもそのうち藝術学舎でまた先生の受け持ちで開催されるだろう。期待したい。

結局10万字書いて出したものの、自己採点は50点、このままだと12万字になりそうと思った卒業制作、6万字くらいにまとめましょう」という事になった。でも私はならばと、既定の3万2千字に納まるように書こうかなと思った。思えば卒業制作集で「フルホンヤ・ラストディズ」を読んでから、私も長編を目指そうと思いついたところからこのような事態になった。ブログもそうだが、文章は長ければいいというものではない。それは自分でもよくわかっている。だったらブログも短くまとめなさいよと言われるが、これはこれで別の意味合いもありこれでいいと思っている。でも「卒業制作」は、ずっと作品集に残るものだし、大学で何を習ったかという集大成でもある。ブログと同じように赤裸々に書き殴ったものではダメだろう。

コンパクトに簡潔に、しかも美しく。言うなれば、足るを知るというのか、利休の茶室のような心構えが求められるのではないか。千利休の茶室、詫び錆びというが、なんの変哲もない狭すぎる和室、なーんもない空間に所どころ、亭主の客人をもてなす心だけがみっしりと漂う空間。これ、これですよ。時の将軍が殺めてしまわないと気が済まないほどに熱狂した伝統美の魔術師が差し出す芸術、これでなくては。

ママ友戦争なんて使い古された慣用句みたいなテーマやめて、亭主利休、みたいなのにすれば良かったかしらん。そういえば最近全然お茶室に用事がなくなってしまったけれど、どこかに所属して初釜に参加してみようかしら。だったらやっぱり着物がいるわわねと全然関係ない事を考えてニマニマしている私のスマホに、今までの大学生活は一体なんだったのかというような驚愕の事実を乗せた一通のメールが届いた。もう「ホンクロス」も「もう卒業式なんて絶対行かない」だの、「お金勿体ないからギリギリの単位で卒業しよう」などという節約主婦の思惑も、何もかもが吹っ飛んだ。というより、ブラックホールに飲み込まれてしまったように感じた。

私って、結局こういう感じになってしまうのは、運命なの?それとも私がビョーキなの?それともボスママの神様の意地悪なの。本当に本当に本当にいい加減にして欲しいんですけど。

平成二十八年七月一日金曜日
もう七月!いつの間に!最近私の周りだけ時間の流れ方が絶対おかしい。ラルクの『
Driver’s Hight』のようにぶっ飛ばしているような感覚。生き急ぐような真似はしたくないのに、もう少しゆったりと時よ流れておくれ。

プールに行く。バタフライ 25m泳げた。冷ややかだったメンバーがなんとなく認めてくれたような空気に。先生も「練習したでしょう!いつ?」とびっくりしていた。私がびっくりよ。努力って成果に繋がるのだと思った。

卒対はちょっとしかできなかった。プロット練り直し。

※卒対約0 .5時間、本文 61,544字、成果報告 21,892字、日記 13,608字。

 

平成二十八年七月二日土曜日

今日で十万字完成予定だったが、懐かしい友達が急に連絡をくれて、会ってカフェでお喋りその後お気に入りの居酒屋へ。しっかり食べて飲んでカラオケに行く。割と早めに解散。彼女はちょっと田舎に越したらしい。でもとても幸せそうで何もかもが上手く行っている様子。本当によかった。そして飲むと何もできない。今日も成果ゼロ。

※卒対約0時間本文 61,544字、成果報告 21,892字、日記 13,608字。

 

平成二十八年七月三日日曜日

アドラー心理学の師匠のところに行く。卒制をみて貰うのと自身の悩み、それからカウンセラー養成のトレーニングに。最終ステップなので全6回。こちらもテストがあるので勉強せねば。アドラーの本全部図書館に寄付したので借りに行くと、ほとんど廃棄されたよう。また何冊か買わなければ。マーケットプレイスか BOOKOFFで売っているだろうか。電車の中でパソコンを開き細々と書く。こういう隙間時間にするというのはいいかも。 Wordで書くだけなのでネットはいらないし。太宰の入水した場所を通って師匠の教室に。近くに咲いた真っ白な紫陽花が印象的。太宰さん、私は恥の多い人生だけれど全然平気。それにまだ死にたくないのでよろしくお願いします。よかったら芥川賞ください。

※卒対約0.5時間、本文 61,768字、成果報告 21,892字、日記 15,786字。

 

平成二十八年七月四日月曜日

さあ月曜日だ。朝から夫が娘を大声で怒鳴る声で眼が覚める。正直に言うと夕べ夜の11時に怒鳴り声で起こされ、そこからうとうとし朝方寝たのだがまた起こされる。本当に頭に来る!こんな生活がもう5年程。実家のママンが盛ってうるさい野良猫によく水をかけていたのを思い出して夫に水をかけてみた。本当に本当に夫は五月蠅いし厭味もすごいし、余程会社で辛い目にあっているのだろうか。もう辞めたらいいのに。今日はネット繋がらないように近所のマックにスマホ持たずに書き書きしにいく。いいかも、思った通りに捗る。もうデザリングできないガラケーにしようかな。エピローグ、プロローグ全十章を全十二章にしてみた。その分成果報告書のプロットの文字が増えた。プロットを本文に貼り付け、肉付け作業。睡眠不足がたたって頭が回らない。辛。でも練っているとだんだんプロットも決まる。推敲って大事。

プールは今日は休館のためお休み。ああ、泳ぎたい。

※卒対約3時間本文完成 68,807字(あと 31,193字)成果報告 24,416字日記 16,285字。

 

平成二十八年七月五日火曜日

もう今日こそ全部完成させると意気込む。プールは完成するまでお休み。行きたかったら早く仕上げること。夜。娘「ご飯食べさせてもらってない」夫「児相に通報しろ」と言い合っている。ご飯は毎晩手作りでたっぷり作る。嫌がらせの小芝居にうんざり。ガツガツ食べた筈の夫に回し蹴り。この二人〇ネばいいといつも思う。娘は夫からの教育虐待、夫は職場で色々あるのだろう。八つ当たりされるのはいつも私か息子。芥川賞とったら息子を連れて家をでよう。ワクワク。

※卒対約3時間本文完成 80,865字(あと 19,135字)成果報告 24,416字日記 16,285字。

 

平成二十八年七月六日水曜日

一日何をしていたのか、全く思い出せない。夕方息子の友達が遊びにきて、おやつを食べさせたり宿題をやらせたり。それから習い事に一緒にでかけ、帰りが遅くなり、ご飯お風呂なんだかんだ。 NewsPicksという SNSサービスで暴れてしまった。沸点が低いのはプールに行けないせいかも。最近訳がわからない。早くプールでクールダウンしたい。そうだ、一日 NewsPicksをやっていたのだ。もうまれにゃんみたいに強制退去にしてくれたらいいのに。運営は私のこと丁度いい掻き混ぜ係と思ってそう。みんな日和っていて、私くらいハジケルのはサンタと忍者くらいだもの。依存性が高いなあ、ほとんど同じメンバーがずっとコメントしている。と、思うとわざわざ引退宣言をしてやめていく人も。こうでもしないと止められないのだろう。おそロシア。それから NPオフ会に参加メール出したがやはりやめた。 NPちょい悪オヤジの巣窟に行ったりしたら、私みたいな可愛い人妻ひどい目に遭いそう。ネットの人間関係はこれからもネットだけにしておこう。フットサルだBBQだと集まりたがるバディの父兄達を笑えなくなる。薄着のママが多くて目のやり場に困るわ。エッチだなあ!

※卒対約0時間本文 80,865字昨日と変わらず成果報告 24,416字日記 16,285字。

 

平成二十八年七月七日木曜日

今日は夕方小学校のパトロールの日、忘れないように行かなくては。ネットに繋がらないようにスマホを置いてマックにきた。ここは wifiがないので逆に助かる。もうネットって本当に依存する。最近インスタ、 FB NP Twitter、えーとそれから。もうわけわかめになってしまう。落ち着いてやれたせいか、かなり捗った。13日必着なら10日まで粘ろう。でも10万字じゃ終わらないと思う。後から彫刻のように削ろう。彫刻といえば麻宮先生の小説が面白い。仏像修復師のこともよくわかって勉強になるし、かなり好きなジャンルかも。さすが先生、そして京都ならではの作品。でも私京都はちょっと怖い。もののけがうようよしていそうで。プールは休み。今日は七夕。何かご馳走を作ろう。肉?

 夕方娘を誘って浴衣を買いに。ちょっといいのを買う。娘にすごく似合う、この柄私は着れないな。でもいいのがあって良かった。

※卒対約3時間本文 83,043字成果報告 24,967字日記 17,485字。間に合うのだろうか。

 

平成二十八年七月八日金曜日

今朝起きてスマホみたら、なんと、昨日忘れないようにと書いたパトロール忘れてしまった。すっぽかす形になってしまった。馬鹿かと、アホかと。一昨日は個人面談忘れて先生から連絡頂いてしまった。もう卒論も思ったように進まないし、プールに行きたくてイライラする。でも昨日私が書いたコメントがバズり、 NewsPicksで総合ランキング1位になっていた。やったザマあみろ運営。という訳でまた NPやってる、どうもネットに繋がると私はダメになる。もう電波の届かないところに行きたい。ということで今日もマックにきた。明日、明後日で完成。月曜日に速達で投函。というか、これもうヤマト運輸に宅配してもらったほうがいいボリュームなのでは。

それから文芸演習の例の課題がもどってきた。採点は N先生じゃなかった大学からも「特定の教師に評を求めるのはルール違反」みたいな紙がついていた。もう本当にがっかり。そんなルール知るか!

※卒対約3時間本文 102,088字、成果報告 25,312字、日記 17,953字。

 

平成二十八年七月十一日土曜日

 息子を連れて科学未来館へ。息子の希望ではなく、夫がアレンジした。案の定「俺いきたくない」と言い出し、その近くの「宗谷」に行く。息子のブームらしい。宗谷の元乗組員の方がみえて、あれこれ話してくれる。タロジロにも関わったそう。ずっと話していたかったが息子がじれだし後にする。今度は息子おいて来たい。その人も話したり無さそうだった、エネルギッシュなおじいさん。いいなこういう人。その後科学未来館でだらだらした後後からきた夫に息子を託し豊洲に戻る。結局1時間くらいしかできなかった。

※卒対約1時間本文 104,665字、成果報告 25,232字、日記 17,98字。

 

平成二十八年七月十一日日曜日

 息子をミュージカルに送っていくついでに当番表を出しにいく。なんか空気重くない?近くにいた父兄の方とあれこれ話していて判明。これはないでしょう!事務局に意見しにいく。最初は事務局についていた上司の人はだんだんわかったのか態度が変わる。そうでしょう!これダメでしょう!その足で「子ども支援スタートアップ」講座を受けに葛飾までいく。電車の乗り換えに戸惑い遅刻したが、すごく勉強になった。行ってよかった。卒対はまた1時間くらい。締切後は他の課題もやらねば。忙しいなあ。ネットに「この人は忙しいのか暇なのかよくわからない人」と書き込まれ、自分でもそう思う/ (^o^)

※卒対約1時間本文 106,768字、成果報告 25,312字、日記 18,465字。

 

平成二十八年七月十一日月曜日

 さあ、今日は出すぞー。すごいボリュームになりそうなので、やはり郵便ではなく宅配で出すことにする。郵便は料金は安くなると思うがわざわざ出かけなくてはならず、待ち時間も惜しい。その点ヤマトさんなら来てくれるし確実。でも心配なので、「締切過ぎると留年になります。必ず7月13日までに届けてください」と書いて貼っておこう。ここまでくると、配送事故だけが心配。学友達はみんな間に合ったのだろうか。研究論文ⅠからⅡの時にふたり減っていた。また減ることがないといいな。自分も落ちないように気をつけよう。完成に拘るより提出する方を優先。本日配送することにする。

※卒対約2時間本文 106,462字、成果報告 25,312字、日記 18,732字。



薬味は小葱と大葉と実山椒



櫃まぶし。鰻が足りなかったので、鳥そぼろを鰻のタレで炒めて乗せた。

と、いう訳で、卒業制作のためにブログをやめると宣言したが、代わりにWordで日記を書いていた。これは卒業制作の成果物と一緒に提出しようと思ったが、漫画学部があったりとゆるふわに見せているが結構頭の固い大学的にはngで、「こんなの成果物とは認めない」などと返却され、今年卒業できなくなる懸念があるので同封しなかった。

さて、書いたら公開しないと気が済まない作家根性に満ち満ちてきた私。ブログにペーストすればいいだけじゃないと閃いた。事務局のsさん、色々ありがとうございました。ゆり子は健気に咲いております。今後ともよろしくお願いいたします。ボスママみたいなお局がいるみたいですね。「N先生宛に書いた反省文」という課題が、全く違う先生の添削で返却してきたので気が付きました。

もしかしてN先生もすごく窮屈な思いをされているのかと心配になりました。N先生、私は今年、何がなんでも卒業します。一緒に今の大学飛び出しませんか。あまりにも小さな箱、N先生が大切にしているから壊さないでって、学友のみんなが言います。でも私思うのです。私みたいな自称専業主婦が壊せるような箱、消えてもいいじゃないですか。辻仁成先生もやめて清々しているでしょう。特別授業をお願いしました。「もうキャンパスに行かない」と言っていますが、辻先生の講義ならいきますよ。辻先生、どうぞよろしくお願い致します。

と、いう訳で、私の恥ずかしい日記を公開します。



『芸大に通うママの卒対日記』まずは7月11日まで

【構成】日付、本文、成果について。卒対時間、文字総計、追加文字数、内容



平成二十八年六月一日水曜日

 ブログを終了したので今日から卒業研究に注力する。ブログやめたからっていきなり卒論バリバリするようになるのだろうか。ブログの方、書きかけの記事もあり色々気になる。しかし赤裸々ブログもいい加減にしないとまたN先生に叱られるかもしれないのでやめてよかった。先生は私の破壊力をご存知ないので「続けてください」などと。きっと後悔されるだろう、例えば文芸コースが吹っ飛ぶとか。それはお気の毒なので自分で止めた。さあー卒論、頑張る。

とりあえず今日は単位が足りるか調べたり、大学にメールしたり。するとなんと、文芸コースで必修授業がひとつ残っていたのを発見。文芸Ⅰ―4小説の構造と技法。担当はあの人とあの人!まさか!びっくりした!神様はいつもやってくれるなと思った。向こうは私が来たらもっとびっくりするだろう。いつものように一番前の席を陣取って知らん顔で授業を受けてやる。何か厭味を言われたら「異議あり!」と挙手して反論しよう。香山リカ先生が「内申書がないから学生はもっと言いたいことを言って」と励ましてくれたし、言いたいことを言って卒業しようと思う。「躊躇」が一番よくないと桐野夏生先生も言っていた。いやいやいやいや、先生方本当その通りですよ。早速スクーリングを申し込んだ。他にもまだ受けていないものがあった。ブログに「もう大学に行かない」などと書いたが、やっぱりそういう訳にはいかないだろうなあ。

 色々考えていたら急に閃いたので、文芸演習Ⅱ―2の小説を書く。「ABC どれかひとつ採用して書く」とあるが、全部使って書いてしまった。書こうと思って書いたのではない、また手が勝手に。しかもこんなの。どうするの?出すの?出せるの?とりあえずこのまま寝かせることにする。

※卒対時間0、文字総計提出のまま、追加文字数0、内容なし。(代わりに課題の短編小説本文あらすじとか色々約10,000 字)



平成二十八年六月二日木曜日

 朝からお昼過ぎまで都立小石川中高の説明会。夫に頼まれて嫌々行ったのだが、説明を聞いて「なんて素敵な学校」と感激。子ども達この学校に入学してくれないかな。都立だから確か授業料は無料のはず。浮いた学費で私がまた大学行きたい。

 大学本部から、「助成金の申請は出すの?出さないの?」とメールがきた。締切が過ぎているのにどうしたんだろう。他にたくさん出す人がいると思うからそちらを採用すればいいのに。「豊洲子ども芸術の村」は助成金なしで自力でやることにした。なんかいちいちお金使うのにも申請が必要で面倒くさそう。営業にまわってがばっとどこかからお金貰って好きなようにやりたい。

 昨日書いた短編小説を読みなおし手直し。うん、恥ずかしさがちょっと弱くなった。リアルじゃないブログじゃない小説だったらいいかと思えてきた。それにしても私、一体どうしたんだろう。こういうところから最も遠い星で暮らしていた筈なのに、先生の怒りの視線に射 かれて開眼してしまったのだろうか。今更。困った。

※卒対時間0、文字総計提出のまま、追加文字数0、内容なし



平成二十八年六月三日金日日

 申請書を郵便で出してと大学からまたメールが来た。どうして?もういいのに。今日は学校公開で時間がないので速達ならなおさら出しに行けない。「メールで出します。夕方まで返事できない。だめならもういい」と書いて添付ファイルで送る。学校公開終わって帰ってきたら「今回のみ受け付ける」と返信がきていた。一体何があったの。

マイクロソフトの強みでセキュリティについて色々書いておいたのがよかったかもしれない。だいたい学生のファイルでウィルスに感染なんて、うーんあるかも。確かに添付ファイルを開かないというのはセキュリティ上大切な大前提。申請書のフォーマットがめちゃめちゃなので侮っていたが、出来る人がいるのかもしれない。そういうところではたった一人の監視でサーバーが守られていたりする。

 そんなこんなで今日も卒論は未着手。ブログ書かなくても色々書くことがある。一昨日書いて昨日今日と寝かせていた文芸演習Ⅱ―2をポストに投函。一日で書いて二日チェックというのはいいかも。やはり書いた二倍校正する時間は必要だと思った。でも直していると次々と気になり出し、切りがない。戻ってきたらまた修正追記するとして、もうパッと出してしまった。卒論は出来なかったが成果物が出来て満足。N 先生に採点をお願いと書いて出した。先生びっくりするかな、もう「ぬるい」なんて言わせない。

※卒対時間0、文字総計提出のまま、追加文字数0、内容なし



平成二十八年六月四日土曜日

 今日は家族全員が家にいて、イライラして何も出来なかった。逃避で夕方4時頃からワインを飲みだす。こういう事を続けると依存症になる。キッチンドランカーの人達の気持ちがわかるわ。家に人がいると本当に嫌。ひとり暮らしが懐かしい。

学友のあの人は専業主婦になりたい、私が羨ましいと言っていた。私はキャリアウーマンでひとりいい生活をしているあの人が羨ましい。結局ないものねだりなのかも。でも最近「あなたを見ていると結婚がいいものと思えない」などと言い出した。何言ってんの、結婚して専業主婦しかも大学生なんていいご身分に決まってるじゃない。でも最近ATM の調子が悪くなりお金があまり出てこなくなったのが不満といえば不満。でもそうしたら自分がプールして忘れていた外貨預金や色々が出てきて小金持ちになってしまった。一体全体私には何が憑いているのかと心配になる。悪いものだと思っていたが、そうでもないと最近思えてきた。ともかくもっとたくさんお金が出来たら隣のマンションを買いたい。朝はおはようとここに来て、夜夫が帰ってきたら「本日もご利用ありがとうございました。これでママを終了いたします」といって入れ違いにそちらに帰っていきたい。これも小説にしてみようか。バファリンの半分は優しさで出来ているそうだが、私の半分は妄想かなと思う。

※卒対時間0、文字総計提出のまま、追加文字数0、内容なし



平成二十八年六月五日日曜日

 今日は大学のテスト一時間目だけ。あと二分で試験開始というところに滑り込み、三十分経過のところで出てきた。答案用紙表いっぱいと裏少し書いて終了。一度も書き直しせず一気に書いて、直すところもなかった。ブログは確実に文章力をアップさせてくれたと思う。午後からは学習相談会があるそうだが、特に相談することも今ないので帰ってきた。

 帰りに息子のミュージカルの先生達に挨拶にいく。行くと先生達が嬉しそうに息子をかまっていた。あの人は本当にスターみたいな人だなと感心していると、本物のスターにランチを買って貰ったと聞いて慌てる。息子がいらないという小さな柿の葉寿司の小箱を差し入れに出すと、すごい大きなお菓子の箱が目に入りまた慌てる。そうだよね、差し入れは全員分用意しないとね。しかも息子のいらないと言ったこんなの。ステージママは私には無理だなと思った。

※卒対時間0、文字総計提出のまま、追加文字数0、内容なし



平成二十八年六月六日月曜日

 今日は学校公開。私はひとつの決意をしていた。娘をいじめる男子三人組の首謀者に、声明を発表してやると原稿まで書いていった。計画としては授業が終わった瞬間にゲリラ的に「みなさん!」と大声で注目を引きつつ発表するはずだった。でも休み時間は短いし、タイミングをはかっていたがいい時が来ない。給食の時間になったのでいったん帰宅したら、ご近所さんがきたりなんやかんやで五六時間目が終わった模様。でも出来なくて良かったかも。いくらいじめっこといえども傷つくだろうし、更なるトラウマになったら将来刺されるかもしれない。それに中村先生の「書かれた人の気持ちを考えなさい」という言葉が蘇った。ああ、ジーザス。

書いた内容は、「幼稚園で男の先生に殴る蹴るされたトラウマで、同じ出身のうちの娘を腹いせにいじめるんだろう、へたれ!」というもの。うーん、やっぱり父兄も来る学校公開でやらなくて良かった。下手したら公務執行妨害で逮捕もありえる。PTA 会長からも「ゲリラ的なのは上手くいかない」と言われたのも思い出し、みんなの前じゃなくどこかに呼び出して言うことにする。怒られたり顰蹙買ったりするだろうが、言わないとわからない馬鹿には言ったる。こんなことをしていたので当然卒対は出来なかった。

※卒対時間0、文字総計提出のまま、追加文字数0、内容なし



二○一六年六月七日火曜日

昨日は友達と深大寺に行った。ついでに友達が行きたがっていた神代植物公園にも。友達は深大寺と神代植物公園がすぐ隣ということを知らなかったよう、でも私の行きたい深大寺に先に付き合ってくれたのだ。なんつーいい人、友達も願いが叶って大喜びしていた。なんでもここは日本屈指のパワースポットらしい。いい「気」をたくさん受けたし蕎麦も美味しかったので、卒論頑張ろうと思った。

 肝心の卒論の方は、昨日やっと取り掛かることができた。先生達につい言ってしまった10万字が思った以上に負担になっていた。もう10万字に拘るのはやめよう。書けませんでしたじゃなく、「〇万字に治まりました」でいいじゃない。そして、やる気が降ってくるのをじっと待つ。ただじっと。これら自分では制御不能、プロの作家の方はどうされるのだろう。好きな時に好き勝手書けるのは、日本では村上春樹くらいだろう。

などと考えていたら、昨日朝の2時頃にそれはやってきた。あれこれ書いていたらあっという間に8時になる。気付けば子どもと夫はいつの間にか学校に会へと出掛けてしまった。こうなった時の私には、誰も何も期待しないようになったのか。嬉しいような寂しいような。そこで友達と朝の9時に待ち合わせたのを思い出し、慌てて自分も家を出る。

昨日は約5時間、文字数にして1万字。ブログと違って色々考えながらだとなかなか書けない。特に添削を書き起こすのに時間がかかった。これでは『失われた時を求めて』の耕作員は今年は無理かなと思った。青空文庫にプルーストがないので、自分が書き起こそうかと考えたのだ。まあ死ぬまでに出来ればいいかと思う。でも誰かやってよ!

 次の卒論提出までちょうど一ヶ月。10万字という文字数が重く圧し掛かる。あんな事言わなきゃよかったとまた後悔した。でもこれを超えたら作家になれるかも、頑張れ。

なんて、私はいつからこんな欲張りな野心家になったのだろう。今からこんなんじゃ都知事にでもなったら舛添さんみたいになりそう。気・を・付・け・ろ。橋下さんが都知事やってくれないかな。あの人にも一度叱られてみたい、なんかすごい事を言ってくれそう。舛添さんではなんにも感じない多分。都知事はテクニシャンでなくては。

※卒対時間:約5時間 文字数:8,672 字 内容:主にプロット作り



平成二十八年六月七日(水)

最近和暦をすぐに西暦になおせないのは自分の中から「時」というものが喪失してしまったからなのではないだろうか。もうここからは混沌とした時の中に存在するのだろう。一度死んだ私はもう死が怖くない。死んでからもなお何か理想を生み出す概念になりたい、なんて。今日は朝ちらっとしか卒論活動、略して卒活ができなかった。私の数少ない自由になれる朝、今朝は寝ている息子をいじり過ぎて泣かせてしまった。そしてまた日記へ。こういうブログ風というか、日記というか、こういうものを書きだすと楽しくてべらべらべらべら書いてしまう。

そういえば昨日課題の添削が戻ってきた。私はN先生宛にと一昨日出した文芸演習Ⅱ―2が未添削のままに、「こんなの採点できない!」と、すぐさま差し戻されたのかと思って青くなった。だが違った。開いてみたら一ヶ月前に出した成果物の採点だった。K先生が添削下さったよう。K先生が担任でラッキーと皆が言うし、もう一人の先生は私が希望していた。怪我の功名とはこういう事なのだろうか。私は本当に運だけはいい。でも頭も顔も性格もいいのだが、なかなか周りがわかってくれない。

それは置いておいて、第一回卒論の添削を読んでますますラッキーだと思った。でもやはりN先生のことがひっかかる。でももう言っても仕方ない。ただただ幸運だけに感謝したい。

娘がいい浴衣が欲しいと抜かしていた。もう本当にあの人は金食い虫で我が家の余裕は全てあのブラックホール娘が飲み込んでいる。むかつくので大人浴衣を三越あたりでばばーんと誂えてやる。ふん、どうだ夫。娘の出費というなら文句はあるまい。三越で浴衣なんて小澤征爾も真っ青だよ。もちろん私も着てやる。どうせあの娘は豊洲の夏祭りくらいしか着ることはあるまい。私は。どこに着ていくというのだ。やっぱり豊洲の夏祭しかない。一枚しかないから娘が着たら私は着られない。もういい。

夏祭りといえば京都には祇園祭があり、一度観にいったことがあるがただ暑かった。私の地方では稚児に装った子どもを「ぎょんさまよいよい」と節をつけて大人が囃し立てる習慣があった。あれは「祇園様宵宵」なのではないだろうか。「祇園さま」という概念が何故名古屋に、まあ近いからだろうけれども。覚えていたら何かの機会に母に聞いてみたい。それにしてもこういう文書を書きだすと、私はしつこい。ブログの情熱を卒活にと思ったのにダメじゃない。

そうだ、京都といえばそこに来月帰省するという友達に、豊田愛三堂の「月待雲」を頼んだが図々しくなかっただろうか。でもあのお香は京都にしかなく通販もしていないので行く人に頼むしかない。そうだ、私の版画が欲しいといっていたので、ちょっといい額に入れてお礼にプレゼントしよう。

この東京に無いお香、ずっと切らさずにいられた奇跡は我ながらすごいと思う。いつかはランチで京都懐石の店にいったら、そこの女将が一箱ぽんと下さった。バーニーズ銀座の上のなんとかという店。「この香りは月待雲ですね」と当てたら驚かれ、そこから話が弾んだ。そもそもこの香を買ったきっかけは、京都で置屋を改装したバーに連れてってもらい、そこで焚かれていたもの。芸子ママに聞くと「月待雲」だという。もう一目というか一嗅で気に言ってしまい、ずっとこればかり。私が死んだら辛気臭い線香ではなく、時々この香を焚いて欲しいものだ。

こう考えると京都と私は何か不思議な縁があるように思う。別れたい人、縁を結びたい人がいると祈念しにいちいち京都までいった。それらは全部叶っているのが恐ろしい。なるべく呪う方に使わないようにしなくては。人を呪わば穴二つとはよくいったもの、何かを呪う時は自分も落とされると思わなければ。逆に人を愛してもそうなのだろうか。なんだか深い。

※卒対時間:約30 分 文字数:1,255 字 内容:卒論日記のみ



平成二十八年六月八日水曜日

もう本当に自分はなんなのかと。ブログを止めたら今度は卒活日記。馬鹿かと、アホかと。日常のあれこれを書くのは禁止。卒対についてだけ書く!

本日は登場人物を作り込んでみようと思ったが、学校公開、息子の英語レッスン、イベント準備のあれこれをやっていたら一日オワタ\(^o^)

それと「豊洲を将棋の街に」という勝手に決めたプロジェクトにすごい協力者が現れた。こういうのこそを人脈というのだと感じた。私ママ友ゼロだし友達は少ないけどこういう繋がりって結構持ってるかも。

※卒対時間:約0.5時間 文字数:1,243 字 内容:あらすじ追加など



平成二十八年六月八日木曜日

 今日はご近所ママ友とファミリーセール。行ってる場合ではないのだが、せっかくのなので行くことにした。でもセールに行ってランチしてすぐ帰ってきた。卒対をせねば。

卒対の話。先生が添削に書かれたアドバイスをそのまま採用。だって本当に面白いんだもの、使わないと勿体ない。思えばこんな風に誰かをみたことが私はあるだろうか。あるけれど総じては、「この辺りのお母さん達全員怖いおばさん」だと思っていたので、同じカラーとトーンにしか見えなかった。特に群れていると個体として見られないというか。代わりにそういう人がひとりでいると、失礼なくらいじろじろみる。いつも集団からじろじろ見られるのでほんのお返し。私のことはみんなが本当に良く知っている、いつも見られていたのだろう。この界隈で私の名前を知らない人っていないのでは。なんだか芸能人みたい、でも嬉しくない。ふん、どうせ私はブラックスターよ。そのうちゴールデンにギッラギラ輝いて、目つぶししてやるから覚悟しなさい。

なんて、またネガキャンをしてしまった、反省。さて本題。キャラを立てると登場人物が次々に動いて話し出す。小説って面白いなと、つくづく思う。面倒だったけれど、登場人物についてがっしり書き込んでよかった。頭の中で色んな人が動いて話し出し、姦しい。今日はダブルK 先生に往復書簡的文章を書いてみた。

※卒対時間:約3時間 文字総計:34,604 字本日3,896 字追加 内容:登場人物キャラ設定、往復書簡、あらすじ見直し



平成二十八年六月十一日金曜日

今日は昨日と同じファミリーセールへ。友達二人を誘ったら、昨日と今日それぞれ行きたいというので二日とも行った。というか私が誘ったのだが二日も行く気はなく、どちらかが都合が悪いだろうと思ったら。昨日も今日もがっつり買い物をしてしまった。

 肝心の卒業制作。時間があったらチェックしようと原稿全部もって出かけたら、友達が30分も遅刻してきて、その間にプロットをいじったらいいものが生まれてしまった。すごい、遅刻してきてくれて本当にありがとう。でもリアルでは「いい女っつーのは遅刻厳禁」などと説教をしてしまった。ついでに「デートでもだよ、それから出された食事は全部食べる、財布は開かない」というか、私たち人妻なのにみたいな話もしてしまう。自覚が足りない。なのであんな噂がでるのかと反省。それに先回は私が遅刻したのに。ごめん。私の友達は全員性格がいい、でないと私みたいなのには付きあえないということなのか。お香と版画のトレードの話も喜んでいた。あの人は私が好きというより、ファンのような気持ちなのだろう。そういう人がいて時々驚く。私は嫌われるけど死ぬほど好かれたりする。中和されてほどほどにみんなが私を好きな世界が来ないだろうか。

最後にいつものPASS THE BATTON にいったらキリストフェアをやっていて、マリアが持っていたクロスのネックレスを買う。なんかびびびっときてしまった。マリアきたー!

今日は一文字も追加できていないが、整合性のとれた枠が出来て満足。こういう書き方苦手だったのだけれど、添削を読むとちゃんと考えてから書くという大切さが伝わってきたのでやってみた。うん、これなら芥川賞もらえそう。平和をもたらすということでノーベル平和賞、いやいややはり文学賞でしょう。なんだか村上春樹に悪いなと思った。

※卒対時間:約30分、文字総計:34,604 字、追加文字:本日0字、内容:プロット直し



平成二十八年六月十二日土曜日

 娘の付き添いで九段の科学技術館へ、午後からは学友達との合評会で明治大学リバティタワーへ。すごい綺麗なビル、食堂も広くていい感じ。私立大学ってお金あるなーと思った。学費も高いだろうなと。そんな事を考え学友達からもらった作品を添削した。が、待てども待てども誰もこない。場所が変更になったのかなんだろうと思ってメールを確認したら来週だった。馬鹿かと、アホかと\(^o^) /仕方ないのでしばらくBIG ISSUE など読んで大人しく帰った。そうだ、豊洲でビックイシューを販売してもらおう。こんなぴらっぴらの小金持ちの街、弱者を助けるという人間本来の営みが消えている。火を起こさねば。BIGISSUE を火種にしよう。

帰ると夫が「飲んでくるんじゃなかったの」というので、「今日はみんな用事あるみたいで」と誤魔化す。買ってきたレバーや砂肝でアヒージョを作ってワイン。家族は寿司を作って食べていた。

※卒対時間:約0分、文字総計:34,604 字、追加文字:本日0字、内容なし



平成二十八年六月十二日日曜日

 午前中息子のミュージカル稽古場へ。だいぶ佳境に入って来たようで大きな波を感じる。学校公開の時に頼まれたチケットを発注するとプロデューサーが喜んでいた。なんだかんだもう50枚くらい売ったのではないか。ミュージカルのブログ対策もあり、出演者を待ちながらそのままロビーでパソコン仕事、次々に稽古に来た方とブログについて打ち合わせ。ひとりひとりに説明や原稿を依頼するので時間がかかったが、すごく期待されているのを感じる、絶対いいものを書きたい。

 卒論はちゃんと出来た。学友W さんがすごい頑張っているとブログで読んでやっと着火。書いたのを見せろとしつこくメールして嫌がられる。

 プロット何度練り直してもなんか納得いかない。章の順序はまた考えてとにかく書いていこう。

 今日は結婚記念日。夫が美味しいワインを、娘が素敵なホールケーキを買ってきてくれた。嬉しい。

※卒対時間:約5時間、文字総計:46,377 字、追加文字:本日17,073 字、内容プロット練り直しおよび第二章追加。



平成二十八年六月十三日月曜日

朝起きたらスッポンポンで寝ていた。熱かったのだろうか。風邪をひいてしまったが頑張らねば。さあ書こうと思ったら、色々気になることが出来てあちらこちら電話をしてしまった。NPO レインボーリボン、ビックイシュー、子ども食堂、豊洲を将棋の街に、でもこれら全部同じ意味があるので一緒にやればいいかとも思う。

あとは広告ブログを3記事。こちらが本格的になってきて、結局わたしはブログが好きなのだなと思った。

カレーにレバーペース トをプラスしたら失敗、オイシクナイ。

※卒対時間:約0時間、文字総計:46,377 字、追加文字:本日0



平成二十八年六月十三日火曜日

 今日こそやる、他のファイルは開かない。早速最初から読み直すとなんだか違和感。内容はともかく二章が終わって約4万字ってどうなのだろう?一章一万字くらいにしないと全十章プラス、エピローグとプロローグ、一体どうなるの。でももしかして活動成果やら妄想やらで色々書きすぎたかと思ってファイルを分けてみたら、本文32,767 字。うん、いいじゃない。でも二章なら25,000 字に抑えたい。何か削ろう。

 Wさんのすすめで今日から水泳を始めた。あの人の助言はいつもいい方向に行く。相性なのだろうか。

※卒対時間:約3 時間、文字総計:削って本文のみ32,767 30,133 字、本文一部カット

成果報告18,479 字内容プロットを追加修正こちらが長くなってきた。もっともっとプロットを書いてみよう。



平成二十八年六月十五日水曜日

 なんか胸騒ぎがしてNewsPicks にログイン。まだ舛添叩きをしている。もう馬鹿と暇人は人をイジメることしか楽しみがないのだろう。ムカムカしたのでまたブログに書いた。舛添さんや東京愚民が読んでくれるといい。

さて、今日は11時からクロール教室。3回お試し3,240 円プラス2カ月こみこみ9,000 円というスポーツジムに行く。プールで泳ぎ持久力をつけるアイデアはいいかも。このジム今なら9,000 円に申し込むと3,240 円は戻って来るらしい。ビバ豊洲。ついでにミュージカルのポスターをあちらこちらに置きにいく。

 本題の卒業制作。今日はがっつりと文字を削る。蟻と若者のバーベキューシーン他。一章10,000 字と決めたらも削らないと。まてまて、もしかして先生達が「これいいシーン」と書くかも。まあ削るのは後からできる。やっぱり削るのは蟻の部分だけにしよう。

 英語の先生のお孫さんとインスタのアカウントを教え合う。外人の子どもってkawaii.

※卒対時間:約2時間、文字総計:本文30,133 字成果報告18,479



平成二十八年六月十六日木曜日

またブログを書いてしまった。でもいつも誰かをRetweet で批判してあほか。大きな会社の役員だからってなんか勘違いしてるんじゃない。そうだ、小説に出してみようか。大企業の若き役員、偉そうだが実はパパトモを作りたがり、人の顔色ばかり気にする日和りヘタレキャラ。どこで出そう。早速プロットを見直し。プロットが1万字近くなってきた。

先生のお孫さん用に英語のコメントでインスタにアップ。フェイスブックもリスタート。SNS は始めるとメッセがきたり返信なんかで時間とられる。もうこれでしばらくおしまい。

水泳は2時間クラスにイン。でも混んでいたので泳いだのは実質半分くらいの時間。頭と体はもっともっと泳ぎたいのだが、今日も足がつってしまい終了。

※卒対時間:約1時間、文字総計:本文32,133 字成果報告20,522 字、登場人物追加。



平成二十八年六月十七日金曜日

金曜日はなんとなく好きだ。翌日からの土日家族が全員揃ってカオスになり私が爆発するとしても。それより昨日今日は眠りが深かった。スイミング効果すごい。今日ももちろん行った。合計3時間スイミングクラスにイン。来ていたおっさん、もといおじさまとゴルフの会員権の値段が下がったとか、どこで練習するとか話す。私は女装は上手いがつくづく中身はおっさんなのだと感じた。昔育児が辛くて近所に屋台で焼き鳥を売るおっさんに、一日でいいからおっさんになりたいとぐちぐち言っていたのを思い出す。おっさんに変身して頭にネクタイ巻いて新橋に飲みに行きたい。面白そう、これも小説にしてみようか。

それよりも卒論。プールに行く前に着手したら第二章が完成。よかった。

※卒対時間:約1時間、文字総計:本文35,763 字成果報告21,736 字、プロット手直し、新しい登場人物のストーリー追加。二章完成。



平成二十八年六月十八日土曜日

 もうダメって言ったのにまたSNS をあちこち構ってしまう。特にNewsPicks 、もう病気なのだと思う。あの中の誰に叱られたら止められるだろう。やはりスカイマーク?

今日はプールなし。それから神保町へ。ビッグイシューも書いたいし、神保町でカレーも食べたい。今日は最高気温がかなり高そう。日傘忘れないように。

卒対は約1時間。先生からの修正を反映させていなかったのでそれをやった。

※卒対時間:約1時間、文字総計:本文35,763 字成果報告21,846 字、添削の修正反映。



平成二十八年六月十九日日曜日

 昨日は結局合評会へちらっと顔を出す。ほんの少しのつもりが最後までいて、飲みに行き、更に安定のはしご酒。飲むというとどうしてもこの四人になる。明日早いのに飲みに行ってしまった。上機嫌で飲んで帰りは23:12 だった。朝起きたら写真が残っていて、送って貰ったのだと知る。夫が機嫌が悪かったそうで息子が「パパはママが男を連れ込んだから機嫌が悪い」と言ったそう。家にあがってもらっただけなのに、なぜ?リビングでお茶しただけでしょう。「連れ込んだ」なんて、どこでそんなセリフを覚えたのか。「気持ち悪い事言わないで」と朝から激怒してしまった。女ポケモンでもない、私が奢ったのだ。

 今日は葛飾の「子ども食堂」イベントに参加、日本橋三越、豊洲シビックセンターとまわり、一日中誰かと話しまくって頭も体もフル回転。明日はプールに行ける、早く泳いでトーンダウンしたい。

 卒業制作はほんの少し。豊洲シビックセンターに向かう途中ですごくいいアイデアが浮かんだのに、メモしなかったので忘れてしまった。もうこれから絶対手帳持ち歩いてすぐに書く。

※卒対約0.5 時間、文字総計:本文36.213 字成果報告21,846 字添削の修正反映少し。



平成二十八年六月二十日月曜日

 今日は昼間家事をめいっぱい、とうい程ではないけれどやっつけて十六時から外苑前へ。早めに着いてしまったのでカフェでおやつ。武蔵美時代の先生のグループ展のオープニングパーティ。美味しいワインとお喋りで楽しい時間だった。帰ったらママがいないと大騒動になっていて、息子が泣いている。ちゃんと「ママは出かける」と言ったのに。でも自分のスマホを確認したら、家族全員を着信拒否していた。あーごめんごめん。だってあなた達ママママって煩いんだもの。

※卒対時間ゼロ。文字数そのまま。



平成二十八年六月二十一日

 ブログやめたのはいけれど、Twitter NewsPicks Instagram Facebook にイン!どれだけSNS が好きなのか、もう中毒間違いなし。これらがお金になればいいのに全然ならない。やはり小説を書くしかない。今日こそ頑張った。

 「子ども食堂」の後援のお願いで保健所にいってみたが断られる。公共施設を使うのは難しいのかな。児童相談所がもうちょっと近くにあればお願いするのに。またあの人に色々聞いてみよう。プール、イオン、豊洲シビックセンター、丸の内、富岡八幡宮。合間に家でドライカレーを作る。富岡八幡宮では息子が塾が終わる待ち時間で卒対。こんな隙間時間にすごいと感心した。でも文字数はそんなに増やせなかった。

※卒対約2時間、文字総計:本文34,664 字成果報告21,892 字。添削の修正反映。



平成二十八年六月二十二日水曜日

三菱東京本店で面白い商品を勧められる。ブラジル債を中心にしたファンドふたつ。今最高にダメダメなブラジル。リオでオリンピックのお金がないと非常事態宣言が出たそう。こういう変わった危なそうなもの大好き。1万円から買えるそうで、ちょっぴりのヘソクリを運用してみたいが大丈夫だろうか。様子見。それにしてもこんなお金ない私に、こんなに良くしてくれるのだろう。将来大金持ちになるオーラが出ているのだろうか。

それは置いておいて卒対のこと。私、勘違いしていた。卒業制作だから自分のペースでやると思ったが、先生達に十万字書くと宣言した。だったら書かないとダメでしょう。と100,000 36,559 65,441 。三章から十章プラス、エピローグ。とりあえずエピローグを書いてみよう。7月7日まであと15日。どうなの、出来るの。プール行ってる場合じゃないんじゃない? 夜のUHNCR のイベント行く予定だったけれどやめよう。昼間はアドラー心理学の師匠に会う。卒対の原稿をみて貰って色々アドバイスをもらう。

※卒対約3時間、本文34,664 字成果報告21,892 字、日記13,608 字。プロット追加。主人公がボスママに嫌われた理由、どこに挿入しようかまだ悩み中。



平成二十八年六月二十三日木曜日

英国EU 離脱が残留かのニュースを追い、NewsPicks にコメントを書いているうちに一日終わった。結果は私の予想通り離脱、やった!絶対こうくると思っていた。経済の保証より身の安全を重視した国民の選択。偉い人なんて自分は絶対戦争にいかないもんね。民意を読んだ私の勝利、といいつつノーポジだけれど。それにしてもどうしよう。NewsPicks 嫌いになりたい。何か辞められる策を考えよう。

※なんにも出来なかった。



平成二十八年六月二十四日金曜日

昨日に引き続き、離脱が決まった後の世界経済をニュースで追いNewsPicks にコメントを書く。その合間にプール、買い物家事など。ブログをやめた意味が全然なくなっている。もうネット依存なのだと思う。「承認欲求抱えてネットをうろうろしないでさっさとWord 開いておばさん!」と自分で自分に突っ込んだ。でもそういう事。承認欲求が得られないようにすればいいと気付く。でもこれ諸刃の剣だなあ。最初「諸刃の刃」と書いたがなんかだおかしい。予測変換でタイプしたら「諸刃の剣」と出た。Word って本当に便利。

※こんな事をしているのでまた何も出来なかった。



平成二十八年六月二十 日土曜日

今日も本当に忙しい日だった。午前中は夫と娘からあぶれた息子を連れてららぽーと豊洲に行く。映画を観に来たが、息子はひとりで見てみたいとポップコーンを抱えてスクリーンに消えた。ぼっちが好きなのか、私に似たのだと思う。落ち着きのないところもそっくり、でもまあ元気ならなんでもよい。私は併設されているプールに行って泳いだ。その後「車がないからイベントに遅れた」と厭味の連発メールを送ってくる夫と娘を迎えに九段へ。娘を塾へ他を家に落とし駐車場へ。ご近所さんが大きなピザを運んでいるのを見て、そのままスーパーに行く。やっぱりコストコフェアやっていたのでピザを買う。巨大ピザに家族は大喜び、でも食は進まなかったよう。やっぱり家で作った方が美味しい。

昨日に引き続き、離脱が決まった後の世界経済をニュースで追いNewsPicks にコメントを書いているうちに大炎上になってしまった。結果はほとんど全員が私を嫌ってミュートしだし、何か書いてもイイねボタンは押されなくなった。これでちょっと熱が落ち着くはず。

※当然何もできなかった。どうしよう。



平成二十八年六月二十六日日曜日

ほとんどのユーザーにミュート(ブロック)されているのでNewsPicks にやっと興味がなくなる。結局私も承認欲求でやっていたのか。でもあそこにいる人はみんなそう。それにしても仕事に支障はないのだろうか。初期の頃の何人かは消えていて、私と同じ悩みか会社に叱られてやめたのだろう。Pick にイイねは20 しかつかなかったが、ブログの方は10,000 アクセス。NewsPicks 胞がすごい。こんな事を面白がっていないでちゃんとやることやらねば。

午後からは息子のミュージカルの公開レッスン、その後懇親会。夫も娘も参加した。すごい人人人。このミュージカルにかける意気込みの強さ大きさを知る。もちろん私もそう、もう全員が一致団結したすごい決起の場となる。30秒スピーチの筈が全員喋る喋る。時間をかなり押して終了。こちらのブログの方も書かなくては。色々やることが増えてまたアップアップ。でもやると決めたら出来ることは全部やりたい。10万字も絶対。

※でも今日も何も書けなかった。



平成二十八年六月二十七日月曜日

 本当に大反省の一日、銀行に行って印鑑がいると言われ取りに行くが結局私の気が変わったせいで必要なくなる。午後からママ友のピラティスに行くがこれも日にちを間違えていた。夜のイベントは支度して出かけたらなんと一ヶ月間違えていた。本当に頭大丈夫だろうか。プールに行って頭を冷やす。今日は午後と夜の4時間くらい泳いだ。スイミングすごく楽しい。そもそも水が怖かったが、今はそうでもない。出産による変化だろうか。女装で出かけた妻がプールの後入浴してつるんつるんで帰ってきたせいか、夫が機嫌が悪い。心配ならずばっと聞けばいいのに。でもプールに通っていることは内緒。

※今日は何も出来なかった。



平成二十八年六月二十八日火曜日

PickしてもコメントしてもLikes が余りつかなくなった。こうなったらNewsPicks は全然面白くない。安心して卒論に注力できた。プールにも行った。卒論とプール、とてもいいセットだと思う。今日はいい調子今度こそブログはお休み。もう何度目?いい加減にしないと友達もいなくなりそう。課題もやらなくては。

補助金申請の件は不可だった。締切過ぎても出せ出せ言われ、頑張って書いて出したのに一体なんだったのか。でも大学からお金貰うと年内にやらないといけないし、組織に繋がるとルールに縛られるだろう。なのでもういいと思って申請出さなかったのに。でもこれで自分の好きなように出来る。

武蔵美の先生のグループ展にいく。すごく豪華な会場でドキドキしてしまう。オートロック?一般の人は入れないのか、すごい。

今日は卒対捗った。十万字まであと56,273 字。

※卒対約3時間、本文43,727 字成果報告21,892 字日記14,969 字。エピローグ完成。


平成二十八年六月二十九水曜日

今日は朝きちんとスケジュールを組む。昨日また予定を間違えてのこのこ出かけてしまった。もう絶対ないようにしたい。3つのカレンダーで確認。そのうちのひとつに「おまわりさん10-11時」とあった。自転車パンクさせられた被害届をもってきてくれるという。別のおまわりさんは「何してるんですか」と声をかけると「おまわり」とギャグってくれた。面白いじゃない。一昨年の騒動で連れて行かれたすぐ後は冷ややかだったのに、やっと私に慣れてくれたのか。

プールは2時間ほど。距離が泳げるようになってきた。最初は冷やかだったプールの方々、最近何かと話しかけてくれる。何かすると「すごい」「若い」「偉いわ」と褒めてくれる。怖かった任侠のようなおじさんも「見所のあるやつ」みたいに言っていた。努力する姿勢は認めてもらえるのだと感じた。本当に水泳楽しい、水が怖かったのが嘘みたい。

明日はまた別の先生との約束がある。時間に遅れないようにと今から緊張しておく、間違えるといけないから。

※卒対約3時間、本文57,761 字成果報告21,892 字日記15,672 字。十章が難航。起承転結の転の部分、濃く書きたいがうまくいかない。昨日から14,000 字も書いたのかと驚いた。


平成二十八年六月三十日木曜日

 習い事の先生達と私ともうひとりの生徒さんで「すきやばし次郎」で会食。セレブう。でも本店ではなく暖簾分けの豊洲店。先生達は嬉しそうだった、よかった美味しかった。帰りに家でお茶を飲んでいただく。娘を紹介しかったのになかなか帰ってこなかった。

 卒業制作は、約半分出来たというところか。今月中というのは無理だが、今週七月二日までに完成させよう。その後五日程で校正。この読み直したり足したり削ったり修正したりにもっと時間が欲しい。とはいえ、最終提出まではまだ半年以上もある。急ぐが焦らず。十章やっとできた、ほっとした。あとは、三から八章の六章書かねば。それから最後にまとめてアドラー的見解を記載する予定。

※卒対約3時間本文60,299 字、成果報告22,327 字日記15,672 字。

第二回卒業制作の提出期限が迫ってまいりました。

本来なら制作途中のものを提出し少しずつ仕上げるというスケジュール、このやり方で私的にいいのかどうか考えた。大学はそういうスケジュールということで倣うのが当然なのだが、この第二回目を提出した後は面談授業は1回のみ、その後提出→添削が1回、完成版を提出、文芸コースの教員たちによる口頭試問、質疑応答というスケジュールな訳で、先生達に直接指導して貰えるのはあと1回だけということになる。もちろんその後にも添削があるとはいえ、割と手探り感が大きいと感じた。そのため第二回目の提出で完成させたものを提出したいと全部書いている、しかも10万字目標。

と、ブログに書いたところ学友達も刺激を受けたようで、軽く5万字超えで大作を書いている方が増えてきた。私は今6万ちょっと。色々考えて章を追加したり構成を変えたので、一からプロットをやり直しているところ。まだそんなであと約10日しかないのに大丈夫かなと不安になってきたりもする。でも先生達に「やります」とお伝えしてあるので、やはりやらないとダメだと思う。これは「締切」に等しく、もしプロになって編集者に「できませんでした」などという事になったら雑誌に穴が開いてしまうことになる。などと、ぐるぐるぐるぐる言い訳や思惑、思考がループして、最近ブログにも同じようなことばかり書いてしまう。混乱、迷走中。ともかく13日必着なので11日までギリギリ頑張りたい。

もうそれまで何もかも封印!でもこういう時に限ってまた色々イベントやらお誘いがあり、そういうことなので13日過ぎるまで今しばし運転を停止中。これ過ぎたら次は10月13日必着、12月14日必着で卒論の締切は終了。さてどうなるやら。

それにしても卒業研究がこんなに大変だとは思わなかった。テーマを決めるのに二転三転と気持ちが揺れ、ボリュームをどうしようか悩み、内容についても様々に考え過ぎてへとへとになったところに10万字。まあこれは自分が宣言したものなので納得の煩悩と葛藤。でもこれらも面接授業で色々話すとさあっと考えがまとまるので、やはりリアルなコミュニケーションというのは大切なのだと痛感。そして先生ってすごいなと。

色々聞きたいことがあるので、今回は箇条書きにして提出してみようかとも思う。このボリュームで30分で網羅するされるというのは難しいと思われる。他の学友たちはどうするのだろうか。聞いてみよう。

今日はネット環境を遮断するために、スマホを持たずに近所のマックにいってみた。スマホがあるとついデザリングで繋いでネットサーフィンしてしまう。あれも買わなければこれも確認しておかなくては、あちらこちらに返信依頼お礼などとやっていると全く捗らない。でも今日はWordしか起動しかなったせいで、約5千字書けた。その他あちらこちら推敲し、修正訂正追加なども。いやー良かった。これからネット断捨離してパソコンを立ち上げることにしよう。

学友のみなさん、捗っていますか。「文芸2015」の冊子も作らないとね!お台場かどこかのブックマーケットで販売するそうなので、是非買ってください。その時はまた告知します。それより締切終わったら集まりたいですね。

などと無駄話しつつ、今日はすごい集中したのでへとへとになってしまった。プールは休館日でお休み。ブログも今日は短めで終わろう。

それからちょっと区切りでご報告。高地へ一年行くという目論見、息子が「どこにも行きたいくない豊洲がいいんだ」と言い出し、断念するかもしれない。私としては行きたいが、肝心の息子が行きたくないというなら私だけ行っても仕方ない。どうやら高知のSASUKE森本くんが就職のため大阪に行ってしまったので、高知に興味がなくなった模様;つД`)またタイミングの悪いことに森本くんは、今年のSASUKEにも出場しないという。なかなか思惑通りにいかない、ガッカリ中です。それ以外にもあれもこれもと色々考えていたものたち、フラットな状態になってしまい立ち上がりそうもない雰囲気に。

でもそういう時は必ずあるし、全ての人がなんでもスムーズにやってきたと思わない方がいいと。豊洲であっという間になんでも叶う人なんて、ママ友軍団のボスママくらいでしょう。私ボスママじゃないし。右往左往、時には獣道をとぼとぼ歩いたり、ということでこれからも一人でコツコツやっていきたいと思う。何度も言うがまずは13日まで全部中断。終わったらまたやりたい。特にこども食堂は月一でいいからオープンさせたいと考えていて、相変わらずまずは場所探し中、情報お待ちしています。

Aちゃん、Tさん、13日以降美味しいもの食べにいきましょう。学友のみなさまも是非。


さてそろそろ晩御飯。今日は冬瓜の冷たいお汁と軟骨唐揚げ、サラダ。忙しくてもご飯だけはちゃんと作るのは性分なのだと思う。作ろう。

 

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 写真は太宰治が身投げしたあたりの風景と近くにあるモニュメント、その傍らに咲いていた真っ白な紫陽花。この時期になるとこの辺りをうろつくことになるのは、何の因果なのか。

卒業制作をするにあたり、監修をお願いしているアドラー心理学の師匠の教室に行く途中にある。いつもは豊洲にいらした時にお会いしていたのだが、月に一回こちらにもお邪魔することになった。暑い真夏に太宰治は正直キツイが頑張って通うことになりそう。昨年は諸事情あり、墓参りにもいった。ついでと言ったら気を悪くされそうだが、今年も行こうかな。「まだ死ぬつもりはないので、誘わないでください」と。


「太宰を偲んで咲くのか真白き紫陽花」字余り

今日は一日雨らしい。予定していた豊洲小学校の自転車教室は中止だろう。私は郊外生活委員の役で午後からお手伝いすることになっていた。なので一日予定を入れずにいたので時間が空いてしまった。丁度よいのでこの余暇を利用して区切りのブログを書くことにする。もう今日はさらっと。でもいつもそう言ってべらべらべらべら書いてしまう。桐野夏生さんからも学友からも先生からも、その情熱で小説を書いてと口を揃えて言われてきた。

昨日大学で卒論担当の先生達とそんな話はしなかったが、もう少し時間があればブログの話しもしたかった。そして先生達も言うだろう、卒論に注力して下さいと。大学生活のメインイベントといえば、やはり卒業制作。村上隆は京都造形大の教授でもある千住博に首席の座を奪われ日本画家を諦めたそう。今あんなに同等といっていいくらに活躍されていても、やはり卒業時の痛恨は今でもあるのではないか。私も後悔のないように取り組みたい。

私の場合もライバルはたくさんいると思う。まずあのモチーフを書いているあの方。テーマについては先生達も食い入るように興味津々で、これは本当に羨ましいと思った。いくら頭を捻ってもリアルには負ける。テーマもいいが、作品の構成もよかった。それからあのマイブロ部の部長。最近メキメキと文章力があがってきているように思う。もう何か信念というものをがっしり抱えていて離さない人ともいえる。うさぎとカメの亀のように一歩一歩ゴールに向かって歩いていて、気が向いた時に走りすぐ休むうさぎな私とは全く正反対。いつか希望の地に辿り着くだろう。

他の方もあの論文研究からは一段も二段もアップしていると思われる。私が首席にあたる優秀賞を獲る確率はかなり低いだろう。私の場合はテーマが弱く、客観視するとありきたりのもの、「よくある話」だからだ。でも昨日の授業で先生たちからのフィードバックから様々に考え、構成や工夫によってはもっといい作品に出来るかもと思った。

ブログとは違う、リアルでもない、小説を書いていくということ。自分の自由意思で世界が描けるのだ。登場人物も好きに作っていいし、ストーリーも自分次第。小説の主人公は自分でもいいし、ボスママにしてもいいし、そのシモベを中心にしても面白いかもしれない。というのは冗談。そんな人の人生何が面白いものか。ともかくなんでもありな世界なのだと自覚できた。

テーマは「希望」にしてみようと考えた。でもこれは隠れテーマとしたい。最初に希望を出してしまうとラストがわかってしまって面白くないと思う。これは編集者の先生のアドバイスをそのまま採用してみた。恐々と最後まで読んだ人々に、自分のリアルに希望を見出して貰ったり勇気づけられたりできるようなものが書けないだろうか。

以前からこのブログで、アドラー心理学の勉強をしていたと書いた。途切れたり集中したり、約6年ほど関わっていると思う。それが最近のアドラー心理学ブーム。やっぱり私は目の付け所がいいと思った。以前なら心理学といえばユングとフロイトだが、ここにアドラーも加わり心理学三大巨頭といわれるようになった。なんだか日の目をみれずにいたさかなクンが、大学准教授にまで出世出来たように嬉しく思った。さかなクンもアルフレッドアドラーも大好き、辛い時も哀しい時もいつも私のそばにいて勇気付けてくれたのだ。なので第一回の卒制成果報告にも書いたが、アドラー心理学的なそういう小説を書きたいと思う。ハラハラドキドキ読み進むうちに、自然と読んだ人の悩みが消えて心が軽くなるような。
 

そもそも私が以前より多少でも打たれ強くなったのは、アドラー心理学の考え方を学んだおかげかもしれない。人間にはトラウマは存在しない、人の行動には目的があるという考え。今回の大学での騒動も、それぞれの「目的」だけを考えてみたら原因や根底にあるものがすぐわかった。そもそもN先生が悩む原因など何も存在しなかったのだ。さも問題があるように讒言され信じてしまわれたのだろう。でもアドラーにかかれば問題解決は容易なもの。なのでこういう考え方を自然と学べるような作品を。うーん、でもどうやって構成を考えたらいいだろう。アドラーだと思って書いて違ったらどうしよう。

考えた私は、アドラー心理学の師匠に連絡をした。以前学友に「師匠とは弟子のピンチにはすぐ手を差し伸べてくれる人のことを言う」と言ったことがあるが、私の師匠も私という弟子のピンチにすぐ手を差し伸べてくれた。小説の中のアドラー心理学を監修して下さると快諾して下さったのだ。鬼に金棒だ。そのしばらく後今回の事件。もう余分にお金のかかる面接授業は一切出席しない代わりにと思いついて、勉強途中のままのカウンセラーの勉強もすることにした。せっかくカウンセラーになったらと言って下さったのに、私は途中で断念してしまった。お母さんのように慕う先生が新弟子ばかり可愛がるので、焼きもちを焼いたのだ。でも気を取り直して小説と共に再度取り組みたい。
 

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奥の樹木は、ひこばえが美しい桜の木

本年度わたしはもう面接授業には全部出ない。いくつかの授業は子どものイベントで1日欠席や早退する必要のあるものが多い。そういう時に昨年度は迷わず大学を選択したが、今年は家族の方にシフトしたい。プラス絶対出たくないというものもあるがここでの言明は避ける。そもそも授業を受けたり受けなかったりでは、今の状況では邪推されるかもしれない。「あの人はわざと授業を受けない」と思う人がいそう。あーもう面倒臭いのは嫌い、なのでもう全部きっぱり受けないことにした。もちろん大学発のイベント、卒業式も。

これは反抗ではない、そうせざるを得ない状況にしたのはあの人だ。あの人は若くして既に文芸コース全てのイベントを統括しており、更に今年から授業も受け持ち文芸コース外苑キャンパスの顔となりつつある。そういう人にNOを突きつけられてのこのこ大学に行けるだろうか。いや私ならしれっと行ける、でも先生がまた心を痛めることになったら私も悲しいのでもう大学には近づかない。ともかくこの状態はコミュニティから排除されたも同然だろう。何もかもあの人の思惑通りになったともいえる。あえて素直にそのストーリーに乗ろうと思う。

原因を作っておいて「反抗」のレッテルを貼るのは悪しき現代社会の縮図とも言える。 うちも娘が反抗的だと色々書くが、そうしているのは他ならない親の私達なのだ。因果は巡るのだと思った。でもアドラー心理学を知る以前と以降では、子育てでも色々に影響があり勇気づけられた。例えば以前は子ども達がママ友関係をうまくこなせない自分に似たら困るとか、可哀そうだと思っていた。でも今は私が目指すように、精神的に自立した大人になって欲しいと思うようになった。誰かに寄りかかりくっついていないと不安でたまらないといった概念を、きっぱりと捨て去れるようにと願う。

プラス経済的にも自立して欲しいが、娘に対しては人に適度に甘えることも覚えて欲しい。もし私が経済的に自立していたら、とっくに離婚していただろうと思う。最近離婚する人が多いのは、女性の経済的な自立が後押ししているというものもあるだろう。専業主婦という身の上は、保身という意味では私にとって良かったのかもしれない。家を飛び出したり実家に帰っていたら、破綻していただろう。アドラー以降変わったことがもうひとつあった。私はひとり暮らしを初めてから子どもを産んだすぐまで母を恨んでいた。長女のサガで甘えられない自分を呪い、かまってくれなかった母を非難していたのだ。

娘を出産した時は一週間か十日で帰ってしまい、息子の時は病気で入院していた。母がかまってくれなかったせいで、子育ても何もかもが上手くいかないのだと不貞腐れた気持ちがあった。本当にどうしようもない人だと自分で思う。だがアドラーの考え方でみてみればなんの事はない、母はただ単に忙しかったし心根は優しい人だ。わざと私を陥れようとしたことなど一度もない。いつも私を慮りいつもいつも心配していた。私のように自己実現などさっぱりと諦め、ただただ家族のために尽くしてくれていた。そんな事にも気が付かないで、私は何をしていたのだろう。

でもアドラー心理学を学んでいきなりこうなった訳ではない。最初の頃いつも師匠となる先生に、「私の悩みは本当に消えるのでしょうか」などと疑問をぶつけていた。すると師匠は「まあ勉強し続けていればわかりますよ」などとはぐらかす。そのうち先生ともぶつかり出し、嫉妬もあってアドラーを捨て飛び出してしまった。でも数年の時を経てのこのこと連絡をしてみれば、いつもの通りの先生がいた。また仲が取り持てたのは、太宰治のお蔭だった。太宰治の墓参りをしようと思い立ち場所を調べると、なんと先生の教室のすぐ隣。本当にびっくりした。

アドラーを学ぶために駅から教室を歩く、すぐ左に流れていた上水が太宰が身投げした川だと知っていたし、その場所に石碑があるのにも気づいてはいた。でも当時はなんの思い入れもなくただ傍観していた。なんだそうだったのか。同時に色々思い出し、先生の家に立ち寄ってみようと思い立つ。先生は喜んで迎え入れてくれて、お茶だの茶菓子だのかしましくもてなしてくれる。太宰治の墓が教室のすぐ隣だったというと、先生は知らないようでびっくりされていた。そういえば家の近くに石碑がありますね、とにっこりと言った。

その笑顔をみて、太宰治はもしかしてやはり私を気に入り憑りつき、本当に私を連れて行こうと思って夢枕に立ったのではないかと感じた。でもそう気が付いた時はもう全然怖くなかった。墓参りして「まだ死ねません」と言ったのをわかってくれたせいかもしれない。


大学編入後様々な物語を学ぶうちに、気持ちも考え方も変わった。何より熱中して勉強というよりは単位をとるため周りがあまり見えないという状況は、苦悩の多い豊洲ライフをベールで包んでくれた。忙しくなり反して気持ちが軽くなった。書くことで様々なものもよく見えるようになり、アドラーで物語の主人公達を救ってあげたいと思うようになる。その後のリアルは様々に書いてある通り。怒ったり笑ったり泣いたり楽しんだり、ありとあらゆる感情を文字に書き起こし、そこには素のまま剥き出しの私がいた。なんつー馬鹿で面白い人なんだろうと、自分で自分がおかしかった。

師匠の言った通り、私にはトラウマなど何もなかった。行動にはいつも「目的」がある。しかしそれらの私の目論見は、たいがい明後日の方向に飛んでいってしまう。でもまあそういう事もあると納得できるようになったと思う。それを教えてくれた師匠に巡り合ったのは、本当に人生の転機だった。それでも私はこれからも時々大噴火したり、火消しにやっきになったり色々あるだろう。机上論理だけではなかなか難しい。でも私にはプラス妄想癖という強みがある。自分の強みはこれだけ、でも誰にも負けないと思う。

話を戻して本年度のこと。面接授業を受けずに浮いたお金でアドラーを勉強したり、新しい版画の技法などを学びたいし余裕があれは多色木版もやりたい。ブログの代わりに青空文庫のボランティアもやってみたい。また時間がなくなるだろうか。これら全部大学以外で出来ることばかりだ。ならばもう大学には拘らず、一足先に外の世界に出ようと思う。あーこんな事なら区に頼まれていたパネリストの登壇受ければよかった。スクーリングがぶつかるからと断ってしまったのだ。

昨年度たくさん単位をとった私は、卒業研究の授業8単位の他は通信科目13単位を取得するだけで卒業できるはず。そのうち4単位は再提出とテストを受ければ単位取得できる。実質あと9単。web 授業airU だけで消化してもいいかもしれない。 もう目を大学以外に目を向けよう。

小さな水槽の中ではいつも問題が発生する、それは大きな海に出れば消えてしまうものばかりだ。険悪になっただろうあの人と、そういう狭いところでいがみ合うのは馬鹿らしいと思う。そもそも私は敵意なんて全く持っていなかった、それは私の学習態度をみれば一目瞭然ではないか。なのに先生達はあの裏切者の方を信じたのだ。傷は深かった。

あの人はここを出る訳にはいかないだろう、ならば私が出ればいいのだ。逃げたと思われても全然平気、私がそんなタマでないことは豊洲の人なら皆知っている。それでも狭い箱の中の丁々発止はなかなかにエキサイティングたと思うが、あのエレガントなN先生がまた様々に心配されるといけないのでそれは避けたい。先生の悩みはひとつでも少なくして差し上げたい。

でも昨年度は本当に濃くて楽しい大学生活だった。素敵なキラキラキャンパスライフはおしまい、本年度は卒業研究のためにどっしりと注力する。前出の先祖の物語を書く方は、わざわざ古本屋街で資料を探し、高価な本をたくさん買い求めたそうだ。赤く美しい薔薇が透けてみえる繊細な装丁本は、遠い過去から魂がその人を励ましに来たように感じた。私も見て触らせてもらったが、血で繋がった重厚な愛を感じてしまった。先生達も出来上がりを楽しみにしている作品だと思う。もちろん私も。私も頑張ろうと思う。

教室にいた学友全員の作品の完成が楽しみだ。 論文研究で一緒になった学友たち、もう二度と全員が同じ教室で学ぶことはないだろう。だが卒業制作作品集では名前を並べることになる。通信生同士といえどももうすっかり旧知の仲のように感じる。会えば嬉しいし、元気がなさそうだと心配になる。一緒に何かを学ぶと友達になれるのだと知った。ママ友グループのように上や下もない、さらっとしたフラットな友情だ。

私の作品が、論文研究で発表したものと全然違うと一体何人が気が付いてくれるだろうか。結局4作品提出して、本年度から全然違うものを書いて提出してしまった。そんな話を一同でする機会があるだろうか、ちょっと楽しみでもある。みんなの作品を早く読んでみたい。 私の作品をみて、テーマをあっちにすればと言われたりもする。あちらなら話題性は十分だし、テーマは大学の論文としても評価されるかもしれない。でもこれは私小説ではないノンフィクションとして書いてみることにした。

でもその前に参考資料として卒論に添付していいか聞いてみよう。K先生達は私がこういうものも書いているとご存知ないだろう。そしてもし「卒業制作は是非こちらで」と言われたら、そちらを提出すればよい。私はいつも書きたいことが嵐の中の藪のようにうねっているが、なかなか上手く形に出来ないでいる。それは邪念があるからではないだろうか。
 

ブログは楽しい、ずっと書いていたい。それは承認欲求的なものも多分にあると思う。豊洲で村八分になり誰とも話さない日々は、気楽といえば気楽だがやはり寂しいものだった。そしてその想いを小説にしようと思い立ち、補足資料としてブログを書き始めた。しかしいつもの通り明後日の方向に進んでしまい、こうして赤裸々暴露ブログと化している。良いとは思わないが、悪くないとも思う。

そういう訳でブログを書いていると、課題と卒制が出来ないので少しお休みしたい。基本は卒業するまで。ただし何かニュースがあったり告知したいことが出来たら書いたりするかもしれない。アドラー心理学の講義のまとめなどは書いていいかもしれない。

と、いうか、書いて読み返して思ったのだが、N先生は四半世紀フランスにいらした方だ。日本語の風俗的風刺言葉、ネットスラングの裏の裏などは得意ではないだろう。あっという間に消えてしまうようなユーキャンの日本語大賞などもご興味ないと思われる。あの赤ら大福が私の先生に間違った私の世界観、日本のリアルを伝えているのではないか。日本語はとても複雑で繊細なもの、数ミリの感覚の違いで全く違う世界になる。もしかして私のブログのことも、間違った通訳をしていたのではないだろうか。あの人が使い勝手のいい人材の振りをして、京都造形芸術大学通信教育学部文芸コースをN先生を操ることで我が物にしようとしている。大学はこの重大な事実を把握しているのだろうか。

もうあの人とN先生は引き離さないとダメだと思う。誤解なきように記すがN先生は端正な日本語を丁寧に扱い、外国文学だけではない日本文学にも精通され、文学を文芸に昇華する伝統工芸の職人のような方。非常に厳しいがウィットとユーモアに溢れる言葉の数々と怜悧な人格で、生徒先生双方から信頼も厚く私たちを魅了する。

でも2chやニコ生などで使うようないわゆるネットスラングなどはあまりご存知ではないだろう。 それを利用して私だけじゃない先生も貶めたのだ。あの人は確かにそういうのに詳しそうだ。でも私だってwindows3.1の時代からネットに繋がり世界を見続けてきた女、日本で最初に「炎上」を経験した人間でもある。2chは私についての書き込みを心配した上司から知った。書いてあることは全然普通に、大好き、しもべにしてくださいなどなど色々。私は傷つきもしない、ただ面白いと思った。私は感覚がおかしいのかもしれない。何か酷い事を書かれたとしても自身についてなら傷つかないだろう。ネット上の匿名の書き込みは誰かが勝手に作りあげた世界、実名リアルとは融合しないと思っている。タイマン張らないと納得がいかないマイルドヤンキー文化なのかもしれない。でも私はああ言うところには書かない、なので自分のブログに色々書くのだ。

私はネットスラングの現状はもうあまり詳しくないけれど、天上も下界も全部観てきて経験もしてきた。なのでどの角度からものをみればそうなるか、どんな温度なのかもだいたいわかる。その差異がどんなに怖いことかも。これらの現実を放置すれば、京都造形大学通信教育学部文芸コースは間違った概念で塗り固められた文学の温床となるのではないか。端正で儚いもので彩られた学びの場、私が受けた処分やこんな事実が露呈したら、大学は多分崩壊すると思う。

軸を早く確かで端麗なN先生に戻した方がいい。学びの場がニコ生大王のようなあの人の世界観に侵食され続けていい訳がない。こんな現状なので先生は私の心情を易々と疑ったのだ。実はこれが一番ショックだった。


あのニコ生大王 が怒ったのは「おもんない」の記事だろう。でもあの人が自分が言った言葉だ、言われた私は傷つきもせずむしろ面白いと思った。面白いと思って書いたのに怒るって一体なんなの。自分が怒るような事を何故あなたは私に言ったの。でもブログに書くということは、それだけ破壊力も大きいのだろう。今回の騒動で初めてわかった気がする。でも私だから怒ったのだ、他の生徒だったらコメントに書くか直接disり笑って終わりだったはず。うん、嫉妬ですね。N先生を好きなのは生徒たちだけではない。何か特進を期待して私を売ったのではないだろうか。妄想だけどアドラー心理学的には多分そう。

そんな訳でブログも今日でしばらくお休みにしたい。そして私はやはりうさぎ、お休み宣言が出来てちょっとホッとしている。そう言いつつ、せっかくこれだけ続けてきたものを中断するのは残念だしとても勇気がいった。健脚な亀に追い抜かれても仕方ない、でも私は短距離より長距離走の方が実は得意。またしばらくしたら走り出したくなると思う。ライバル達に追い越し抜かされ、でも自分のペースでなるべく長く走り続けたい。まずは現状、これだけ色々書いてしまったのだから、いいもの書かないと恥ずかしいだろう。まずは卒論だけは頑張らねば。学友達もギリギリの高みを目指して頑張って欲しい。

他が何もできないのは、それだけブログが好きだともいえる。でもそろそろ本当になんとかしないとダメだとは思っていたのだ。結局私のストッパーになってくれたのは、敬愛するN
 先生という事になった。非常に満足。先生からは続けて下さいと言われたが、本業に差し障るのならやはりシフトして下さいと言われるだろう。区切りをつけて下さり感謝しています。

それにしても次回卒論提出まで10万字書くなどと言ってしまった、大丈夫だろうか。10万字書けたら小説家になれると学友に言った作家の先生、「希望」がみたいと言った編集者の先生は、私の作品に納得して下さるだろうか。次の面談が楽しみなような、楽しみなような、楽しみなような。なんだ、楽しみしか出てこない。私はなんでもかんでもブログに書く人ではありません。弱きを助け悪を憎む、勧善懲悪は物語だけの世界ではない、リアルでもそうしたものを紡ぐべく奔走しているだけで、是非ご理解ください。諸先生方も最終口頭試問でお会いする日を楽しみにしています。色眼鏡で見た私ではない、きちんと作品について批評下さいますよう。

ということで、今まで長らくお読み下さりありがとうございました。ブログについてリアルに声を掛けて頂いて嬉しかったですし、様々なところからご支援頂きまして本当に感謝いたします。これらを励みに卒業制作に取り組みます。

これで『芸大に通う豊洲ママのblog』はいったんお休みします。次のシリーズ再開を楽しみにお待ち頂けましたら幸いです。豊洲、京都造形大学、そして武蔵野美術大学、資生堂、NewsPicks からもたくさんのアクセスありがとうございました。皆々さま、再びお目にかかる日までどうぞお元気で健やかにお過ごしください。 


  See you next stage. Thank you   :-)


【今日の小確幸】

やっと区切りが出来た、先生ありがとうございます。今度こそ頑張る!


(10,759


こちらのブログは引き続き書いていきますのでよろしくお願いします。「みんなのミュージカル、ホンク!」のブログを担当させて頂いています。チケット絶賛発売中、みんなで観に来て下さいね!

昨日は第一回卒業研究面接授業だった。私は数時間前から大学に到着し、色々準備したいと思っていた。新しくなった大学購買のガパオも気になるし、時間があればN先生にも色々話したいことがあった。そうだ、以前お弁当を置いて欲しいと大学事務局にメールを出したのだった。願いが叶って満足。それを食べながら頂いた添削をもう一度チェックしたり、受付に置いてあるパンフレットを眺めたり、コーヒーを飲んだり。久しぶりの大学を満喫するつもりでいた。

でもその目論見は本当に見事に崩れ去ってしまった。朝は息子のミュージカルの付き添いに行った。今日は練習公開日なので先生達に挨拶、色々打ち合わせ。

※今日はホールで本稽古

帰って小学校の委員のあれこれの準備、メール、あーあれもこれも今日やらないとなどなどやっていたら、12時になってしまった。 私の面談時間は13時から。でも一時間あれば行けると安心してごそごそしていたらまた時間が経過。慌てて豊洲駅に到着したのは12時25分、ちょっとドキドキしながら地下鉄に乗った。大学までどのくらいかかるの?と聞かれると、ドアツードアで30分と答えている。なので普通に行けば間に合う筈だ。

市ヶ谷で乗り換えるといつの間にか四谷まで来てしまった。えっ?どうして?と、慌てて降りる。そうして反対側に来た列車に飛び乗る。え、でも待って?信濃町って四谷の次じゃなかった?あまりにも焦っているので駅の順番が混乱してわからなくなってしまったのだ。迷宮に入り込み彷徨っているよう。どうしよう。Yahoo 乗り換えでチェックするとやっぱりそう。さっき四谷で降りたのが大間違い、そのまま次で降りればよかったのだ。

あーもう私何やってるの。信濃町で下車し、泣きそうになりながら降りて大学までダッシュ。黒のシックなワンピースとヒールのあるミュールが仇になり、うまく走れない。ニコニコパークに子どもを連れてきたお父さんお母さんがぎょっとした顔でみるが、もうかまっていられない。ミュールを脱いで裸足で走った。着いたら事務の方が「ああ良かった」と出迎えてくれて、ギリギリセーフ。

ブログのためにネタを作っているんでしょうと思われるかもしれないが、全然違う本当に大変だった。最近時間にルーズな自分を呪った。この前もその前もあの時も待ち合わせに遅れてしまった。慎弥のワインからちょっとそういう傾向にあるように思う。大学はパパラッチの言い訳は通用しない。もう本当に大反省。 まだ大丈夫と思って大丈夫だったことなどないではないか。「大丈夫」と思ったら「大丈夫じゃない」とコダマのように自分に答えようと思った。

階段をかけあがり汗だくで教室に入ると、輝く笑顔のN先生が出迎えてくれる。あっ、先生ー!と思ったものの、焦っているので何を言われているのかよくわからない。話しをしようと思ったら、「じゃあ、お願いします」と私を二人の先生に託して教室を出ていかれてしまった。

そして主担任と副担任の先生達と対面するが、テンパって喉が渇いて気持ちがついていけず、最初はわけわかめになってしまったがだんだん落ち着いてきた。

30分の面接授業はすごく濃く終わった。先生達が沈黙を許さないスピードと濃密さでアドバイスを繰り出される。30分はやっぱり物足りない。三年生の頃の論文研究でも持ち時間は30分だったが、これもやっぱり足りない気がした。通信生なのでこういう機会はなかなかなく、それでも短い時間であれもこれもすごい盛りだくさんにフィードバックをいただく。先生達が争うように色々発言して下さり、白熱教室のような様相。

特に私が考えていた、まず全部書いてしまいたいという気持もさらっと受けて下さり、書きたいことを書いていくと10万字くらいになりそうと言えば、それもいいという。ただし何でもかんでも書き殴ったりしたようなのはダメで、きちんと整合性のとれた作品にすることなどと注意を受けた。他の先生達だったら、規定とかルールを持ち出し色々逆のことを言われたかもしれない。でも先生はいいという。私はすごくやる気が出た。

もしかして先生は私がブログで「全部完成させたものを順次手を入れて完成させたい」と書いたのを読んで下さったのではないか。でも創作のスタイルは人様々で、少しずつ完成させたい人もいるだろうし、私みたいに全部書いた後に加筆修正したい人もいると思う。私は後者のタイプ。以前私は『元キャナリーゼゆり子の豊洲にいた時日記』という小説を書いた。その時約2カ月で10万字書いた、今回は次回締め切りまでは約1ヶ月、現在約2万字かけているのであと8万字。乗ると一時間で1万字ブログを書いている今の私なら出来そうな気がする。

でも何かやりながらでは無理だと思う。学友に1日何文字と決めて書いている人がいて、ちょっと真似たが1日しかできなかった。村上春樹も何時から何時が執筆の時間と決めているそう。私は多分、乗った時に時間を忘れてわーっと書くタイプ。いつもいつもそうだった。でもそれをやりだすと、他は何も出来ない。もうマルチタスクはとっくに諦めている。ブログもそうで、ブログのせいで課題も卒論も全然捗らない。ブログをお休みして集中すれば一週間、うーんやっぱり2週間?で書けるのではないか。そこからまた一週間で校正、加筆修正。こんなスケジュールでどうだろう。

次回はそうやって更にボリュームアップしたものをみて頂く同じ面接授業、その次はぽーんと飛んで1月下旬文芸コースの先生全員による口頭試問で卒業制作は終わる。N先生にも伴走して欲しいという私の願いは、言えば言うほど叶わないものになっているよう。それは以前の豊洲と同じく、お前の願いなど叶えるものかという存在が出来てしまったせい。なのでもう言わない。それにそのせいで二人の先生のうちどちらかが外れることになったら私はガッカリすると思う。もう絶対いいもの書こうと思った。

※5/21までの運勢。当たってる!新しいVOCEを早く買わねば

そんなぎゅっと濃い時間が終わり教室を出ると、またしてもN先生と遭遇。「作品とてもいいですね、本当に期待しています」などと、これ以上ない親しみの笑顔で言われ舞い上がりそうになる。わー先生嬉しい読んで下さったのですね。もっとお話したかったのに、先生は次の面談があり時間がないのでとさあっと教室に行かれてしまった。はあー切ない。今日は新しく書いたブログの記事をみて頂いたり、疑問に思っていることなど質問したかったのだがお忙しそう。大学のことを書くなら一度見せてと言われていたが、もうパッと公開してしまおう。ダメならまた叱られればいいこれもI 'm in Heaven。でも先生にいつもの輝くような笑顔が戻っていて、誤解はとけたのだと感じた。

帰りにまた事件が起きた。面接授業で色々書き込みをした原稿と、妄想など色々書き殴ったテキストがないのに気が付いた信濃駅。わー!!きっとさっき行ったトイレに置いてきたんだわ、あんなの誰かに読まれたら頭おかしいと思われるかも。焦ってまた駅から大学を目指す。でも大学は駅から徒歩5分くらい。あっという間に大学について、事務の方に忘れ物はなかったか聞くと、届いていないという。お手洗いに探しに行くがなかった。外苑キャンパスをウロウロし、半泣きになっていると学友がいてつい色々話し込んでしまった。そのうち事務局の方が「ありましたよ」と届けてくれて、あーよかった。

ついでに面接授業のために大学にきた他の学友たちと、添削されたテキストを交換して四方山話し。たまたまかもしれないが、全員が全員O先生とN先生が担任副担任だった。自分の担当の先生を言うと全員が驚き、しかもweb授業だというともっとびっくりしていた。これ、どうなのだろう。そうなった理由をブログに書くと、私じゃない大学が大変なことになるのではないだろうか。

受け取り方によっては、アカデミックハラスメントになるのでは。それをしたのはもちろんN先生ではない、O先生が先導したのだ。でも責任者としてN先生が問われるようなことがあってはならないし、そうなったら私は自分を許せない。そういうのがわかっていてあの人はやったのだ。あの人はN先生がいる限り、私が絶対何もどこにも訴えないと踏んだのだ。策士はいつも事実ではなく空気を読んで状況判断する。

なんだかんだ、大学まであのボスママみたいな敵を作ってしまった。以前「敵ながらあっぱれ」と冗談で書いたが、本気にされてしまったよう。書くということはリアルを引き寄せるのだとまた思ったが、こんなバカバカニュースを真に受けて、文句があるなら自分で言えばいいのに溜め込んでおいて一気にN先生にぶつけ、他の先生まで巻き込んで私を排除するムーブメントまで起こしたのだ。大した策士、あの育休5年のボスママのよう。あの人は策士で話が上手く、聞けば誰もかれもが信じてしまうし誘導してしまう。場の空気を読むのが上手く人の心を動かすのにも長けていて人気もある。でもその人気というのはN先生の持つ人望とはちょっと違う。

大学の場合を例としていえば、通信教育生はたいがい孤独だ。それを上手く使って人気取りをしているようにみえる。バス停でもそうだった。大学のボスママ的ポジションOは、若いので勢いがありいい兄貴的雰囲気を押し出し目眩ましする。でも学友の卒論の添削をみせてもらったが、全部同じような事が書いてありコピペかと思った。以前私も同じような事を言われたし、その時はさすがだと思ったがこうしてずらずらと並べられるとただのお家芸にみえる。私はそういうのは見えるが自分に何が起きたかわからず、ただただ翻弄されいつの間にかまた村八分になっていた。

それはまた、たったひとりの策士の意志、そしてちょっとしたきっかけと嫉妬が原因なのだと思う。 いわゆる豊洲最強のボスママと一緒なのだ。 私はもう10年ママ友ハラスメントに揉みくちゃにされ、地獄をみた女。もうなんでもわかるようになったのだと我ながら感心する。全てのハラスメントは原理は同じなのだ。

今日の面談授業で担任の先生が言った。「主人公がボスママに嫌われたきっかけを書いてみて」と。多分主人公というか、私はひとこと多いのだ。それで何を偉そうにと思われるのが最初なのではないか。でもひとこと多いのではない、真実を突くから疎まれるのだ。そして豊洲と同じで今回も味方はゼロ。どうしてこうなってしまうんでしょうかねえええ。私は書くことがたくさんあり、才能があるんじゃないと昨日も学友が言ってくれた。でも才能じゃない、勝手に色々が集まってくるだけなのだ。そうだ、これもブログではない小説にしてみようかしらん。


【今日の小確幸】

彼の方の輝くような笑顔を拝見できたこと。本当によかった。

卒業制作の第一回添削が戻ってきた。それをみて色々思ったことがあるので書いてみたい。それは同時に主担任と副担任の先生が誰なのかという告知でもある。その先生達からの添削は、全体の評価としてはA~DのうちB評価だった。あまり細かく書くとまた叱られそうなのでざっくり書くが、お二人の先生達からの添削はすごく丁寧でよくわかり、なんだか本物の編集者からのチェックが入ったように感じた。

尤もひとりの先生は本物の編集者だそうで、私の担当などして頂いていいのだろうかと恥ずかしくなった。主担任の先生もプロの作家の方、以前学友が藝術学舎で講義を受け、様々な実りあるアドバイスを受けたそうで羨ましく思っていたところにこのWラッキー、いいのだろうか。イニシャルトークでも大学関係者の方からしたら、誰なのかすぐわかると思う。嫉妬で豊洲から村八分になった私は、今度は大学でそうなるかもしれない。いや、学友たちからではないが、もう既にそうなっていると気付いた。 学友たちは奇跡的だと思うが、意地悪な人は誰もいない。

話を戻して添削の件、テーマは良い成績だが構成が今一つの評価なのは十分理解できる。ざっと書いてしまうと、もうそこから一歩も動きたくなくなるのが私の悪い癖かもしれない。もう一度再構築するのが面倒というより、この世界のまま書き残してしまいたい気持ちになるのだ。でもこうやって先生達の後押しがあると出来そうな気がする。この資料をもとに面接授業が5月29日にある。約30分という短い時間だが、活動成果や書く内容について様々に報告をし、更にフィードバックを受け取ることになると思う。

卒業制作は大まかな構想が出来ているので、ざあっと書いてそこに先生達からの色々チェックが入り、あっという間に完成するだろう、時間は十分だ。なのでその余裕で他の課題をたくさんやりたいなんて思っていたが、考えが甘かったと思った。というより、こんな風にしっかりがっしりアドバイスや修正、アイデアを頂けると思っていなかったので、嬉しさ反面少し焦っている。私に出来るのだろうかとぐらぐらしているというか。

でも決めているのは、先生からの助言は全部採用しようということ。先生からああしてみたら、こうしましょう、ちょっとそれはNGなどあれば、自分の拘りはある程度捨て先生の提案を受け入れたい。でないと大学に通う意味がなくなってしまう。というか、もともと大学に入る以前から私は自分の先生に対してはこういう姿勢でいるつもりだ。先生達のいうことは本当によくきく生徒だと思う。先生とは道を教えてくれる達人、その人の道標を外れたらすぐ路頭に迷うだろう。時々先生に歯向かっている人をみると、なんと勿体ないと思ってしまう。

なのになんだか京都造形大学の先生達というのは、私を反逆児のように思っている方が「多いそう」だが一体どういう事なのだろう。誰がそんな事を言っているのだろう。ブログに先生達や授業、イベントについてあれこれ書いていて、それがダメというならそうかもしれないが私はダメだなんて一度も聞いていない。なのに本人のいないところで勝手に私を評価するのはおかしいのではないか。というかはっきり言ってあの先生がそういう評価を私に対してつけて、それを他の先生達に印象付けるような事を言っているのではないか。あの先生とは敬愛するN先生ではない、あの先生だ。 

そういう誰かが評価した私の本人像はいつもひとり歩きをする。私がこのブログでずっと書いている「ボスママだけの評価がいつの間にか総意になる」というのと同じではないか。今回のK先生とK先生には最初にきちんと聞いてみたい、それから私の意見も聞いて欲しいと思う。多分このお二人は私に対して邪念はないだろう、添削を読んでそう思った。でももしそうなら人の噂ではなく「私」をみて、私の声を聞いて判断して欲しいと思うのだ。

添削して下さった先生達とは、直接お話したことは一度もない。なので先生たちがどんな方なのか私は知らない。でも例えば「すごく意地の悪いコメントをする」とか「適当なことを言う」などと誰かに言われたら、添削もそういう目でみたかもしれない。でも添削文は邪気も何もない「いいもの創りましょう」というメッセージだった。

本年度K先生の授業はあるが、京都なので私は受けられない。もうひとりの編集者のK先生は普段通学生の授業を受け持つ先生だそうで、私が受けられる授業はないのだ。もしかしたらこの先通信の方でも授業をしてくださるかもしれないが、その頃私は卒業していないだろう。

でも大学は大学で、まあ自分が色々やらかしているせいなのだが天国と地獄を乱高下するような事もあり、あと一年余分に在校することになったら身が持たないような気もする。儚く幼気な白百合が鬼百合になってしまったら元も子もない訳で、清く美しい私のまま卒業を目指したい。

担当教員はN先生ではなかった。願いは強すぎても叶わない事もあると知った。京都造形大学での「私の先生」といえば、まずこの方なのだ。とは言ってもこう思っているのは私だけではない、多分全員が担当になって欲しいと羨望しているだろう。なのでN先生はは主担当とか副担当というポジションには就かないで欲しいと思う。でないと学友同士、喜びと嫉妬双方の嵐で色々と不具合が出るかもしれない。そもそも文芸コース全体を統括する立場、卒業研究でもそういう風に全員の面談授業に立ち会うべきなのではないか。などと要は自分もみて欲しいというだけなのだが。

また余計な事を書いて叱られるかと思うとドキドキして胸が苦しくなってしまう。先生に叱られてしまったという地獄と叱って貰えたという天国を両方味わっているのだ。嬉しい苦しい悲しい幸せ、私の心をこんなに掻き乱すのはあの先生だけかもしれない。先生はある日突然深傷を負わされたと思っていらっしゃるようだが、先生も私に傷を負わせたのだ。ビリビリ痺れるような叱咤、苦悩と甘美な快楽。もっともっと、もっと強く叱られたい。これらもしかして、谷崎潤一郎が喜んで飛びつくような題材なのではないだろうか。

こんな幸運に与れたのは、イスカリオテのユダの存在のお蔭がある。ユダはお金のためだけにキリストを裏切ったのではない、彼はキリストを愛しすぎる余りにキリストを十字架にかけたのだ。彼はその後、後悔のあまり自死してしまう。それほど愛しているなら何故大切にしないのだろう。私なら傷つけるような真似はしない。あのキリストのように清らかな威厳で学徒に愛され続ける先生が、十字架にかけられたように苦悩したのはユダの私への嫉妬が原因なのではないか。

ああ、私のジーザス。私はあなたを裏切ってはいません。あなたを裏切ったのはイスカリオテのユダ、あの者はあなたが御車で炎に包まれたら肩にとまると言うでしょう、でも本当でしょうか。私は人間、あなたに火を放つ不届き者がいたとしたら、私は飛んで行って誰であろうとその者を切り捨てます。あなたを助けるためには命をも捧げましょう。私はあなたを澄んだ目で見ています、あなたもそうしてください。ユダから手渡された色眼鏡は真実が曇ってみえます、すぐにお捨て下さい。侮らないで、気を付けて、私の愛しい人よ。

さて、今日はこの辺で。ずっとブログの公開をしていないのに、昨日はアクセスが4桁になっている。これは何を意味するのだろうか。しかも他のシリーズも数字が伸びていて、どこかで話題になっていると思われる。ブログ解析をするとそういう色々がよくわかる。

大学の事務の方は「外部からのクレームは全くないです」と言って下さったのだが、そろそろあの辺りからなんか来そうな予感。でもそれは多分私にとっては福音にもなるのではないか。伝書鳩がオリーブの枝を咥えて飛んでくるようなものだ。そうなったらブログがもっともっと人々に読まれることになる。うーん、どうだろう。今色々忙しいので身の回りがごたごたするのはやはりちょっと困るかも。いい事ならwelcome なのだが。


【昨日の小確幸】

富岡八幡宮でわらしべを5本も拾った。四つ葉のクローバーといい、本当に何かいいことがある気がする。


※友達にもあげたい。

人は何処から生まれて、どこに逝くのか。色々考えてしまう出来事があった。そして、何のために命を全うする必要があるのか。生きたいだけ生き、行きたくなったら自由に逝けばいいのではないか。何もかも自由とは、そういう事ではないだろうか。そんな風に思った。

そんな考えを生み出した原因のひとつは、昨日読書会で読んだ『地獄変』のせいだった。あまりに凄過ぎて胸が詰まってしまった。人はなんと業が深くて愚かな生き物なのか、反して畜生と虐められた猿の健気さに心を貫かれてしまったのだ。

ふたつ目があの敬愛する先生に叱られてしまった事。 以前このブログに「もっと叱られたい」と書いたが、図らずも願いが叶った形になった。インテリジェンスな先生からキリキリと吐かれる叱咤は、私の骨の髄までも痺れさせた。苦悩とは深ければ深いほど、甘美な感情でもあると知った。

喜怒哀楽、人間の感情は表裏一体。恥ずかし気もなくのたうち回る私の人生、自分の感情がわからなくなった。嬉しいのか、怒りなのか、哀しいのか、愛なのか。卒業制作とは一体なんなのか。宮沢賢治の『アメニモマケズ』の真実のように、木偶の坊な自分を曝けだせはいいのか。

自分が面倒臭い人だという事は自覚している。方向転換しても、多分またすぐ元に戻るだろう。私は私で形状記憶された物体。それが敬愛する先生の迷惑になるなら、一度壊して新しくする必要があるのではないだろうか。それにはどうしたらいいだろうか。『地獄変』の猿は幸せな生涯だったと思う。例え地獄の業火に焼かれたとしても。

履修科目の選び方、進め方について会得したことを大サービスで書いてみたい。これを読めば効率よく単位が取れるはず。この勉強方法は武蔵美時代に学友とああでもないこうでもないと様々に議論して編み出した方法。といっても特別な手法というものでもないが、これを知っているのと知らないとでは、単位修得数にも影響が出るだろうと思う。

武蔵美では口コミの他、MIXIの書き込みなども貴重な情報だった。京都造形にもそういうサイトがあるといいと思うが、もしかしてあるのだろうか。面倒で探していないが見つけたらまた書いてみよう。ここ数日NewsPicksにアサインして時間泥棒されていたが、もう飽きてしまった。人数は増えたがGUIやPickerや諸問題は相かわらず。卒論の時間が出来てよかった。

以上、まとめ。
以下、ざっと書いた。

履修科目の選び方やテスト問題の傾向と対策、武蔵美では生徒同士の口コミ情報も大きなポイントだったが、何よりmixiの情報に勝るものはなかった。武蔵美は特に「単位試験修得のしおり」というものが無かったせいで、テスト問題の情報というのは進級にかかわる大問題で皆必死で情報を書き集めていた。私もあそこで何度かお世話になり、お礼にと自分も書き込んだりした。

大学側からしたらどういうスタンスだったのかわからないが、特にコミュニティがなくなることもなく、今も多分存続していると思う。ここを知っているか知らないかでかなり難易度が変わった。日本美術史などここを知らなかったら教科書全部暗記しなくてはならないところだったと思う。そう思うと知識としては簡素になってしまうかもしれないが。

京都造形ではどうだろう。3年次編入のせいか、あまりそういう話は聞いたことがない。「総合教育科目」を履修しなくて済むというのはなんと楽なのだろう。やはり私は3年次生で編入して正解だったかもしれない。おすすめ科目について学友とたまにやりとりすることはあるが、文芸コースのものを全部履修しようと思うと他コースをゆっくり勉強する暇はあまりない。なので聞いても参考にはなるが、まずは文芸コースのものと思ってしまう。

3年次編入でも単位だけでなく、気を付けねばならぬこともある。「学部共通専門科目」は卒業までに12単位獲得する必要があり、これを忘れると大変なこと、卒業できないということになるのだ。

それでも単位取得がプライオリティ的にも一番重要なのは言うまでもない。卒業要件で一番気になるのはまず短指数だ。そこで履修しやすく楽に単位をとる方法を考えた。これは何も袖の下とか誰かのものをコピペなどという邪悪なものではなく真っ当なものなので安心して頂きたい。

まずひとつめ。例えば、「学部共通専門教育科目」の例でいうと、同じ科目のものは一緒にやってしまうといいと思う。「造形基礎演習」は1と2があり、1はデッサン2はコラージュをデッサンとなっている。画用紙などの画材を1で揃えたら、ついでに2もやってしまった方が効率がいいし、手もスムーズに動くと思う。1、2やって一緒に出せば切手代も節約できるではないか。

他には「写真」という科目にも1と2がある。同じ科目を続けて履修するメリットは上記と同じ。

他におすすめな科目として、「日本美術史」がある。これを履修するとしたら、それに類したものは全部まとめてやるといい。「学部共通専門科目」では「日本美術史」があり、これは普通に履修するだけで4単位も取得できるお得科目。合わせてWSの「芸術史講義(日本)」各2単位の授業は1~4もあり、歴史は変わらないので同じ傾向の学習やテストなのだ。「学部共通専門科目」でも「日本美術論」2単位、「日本文化の源流」2単位など、これら一覧をざっとみるだけでも日本文化系が多いので、ひとつまたひとつと全部終わる頃は日本美術史博士になれそうだ。

こんな感じで効率良く履修するのがおすすめだと思う。今日世界史やって明日は日本史などとやっていると埒があかない。日本美術史をやるならガッツリ勉強して、次々と共通した科目を履修するのだ。これぞ王道。通信大学生も8年生にもなると色々思いつくものだと思う。

他には内容で気になる点をいくつか。芸術学科専門教育科目にある「日本美術概論」、これはスクーリング科目なのだが、京都と東京で全然授業の内容が違う。東京は外苑キャンパスで、京都は最終日に学外研修がある。この内容がまた素晴らしく、狩野派丸山応挙を学んだ後に午前午後各二寺院の見学があるのだ。京都の人が本当に羨ましい。

「仏教美術論」も京都と東京で内容が違う。京都は私の好きなガンダーラ美術と西インドの石窟寺院があるが東京はなし。でも東京は阿弥陀如来、薬師如来、千手観音を取り上げるようで、こちらも興味深い。どこでもドアと学校のルールが変わったら、1~2時間目は石窟を学び3~4は如来像の講義、最後は仏教の誕生、ガンダーラ美術とマトゥラー美術について学ぶとかやってみたい。

シラバスを読んでいると、あれもこれもと気持ちが焦り欲張ってしまう。でも卒業までの期限はあと1年しかない。しかも文芸コースを全部受けたいと思っているので、他の科目の授業を受ける余裕はもしかしてないかもしれない。でもひとつくらいは美辞術論の授業を受けてみたい。卒業してから『藝術学舎』で授業を受けるより、スクーリングの方が値段も安いので得なのだ。

他にも気が付いたことがあったらまた書いてみようと思う。


【今日の小確幸】

LINE BLOGの選考が通った。いいの?
※舅の薔薇でジャムを作った。

6月5日に本年度第一回目のテストがあり、そこで文芸演習Ⅱー3と陶芸史を受ける予定でいた。モチベーションをアップさせようと、「単位修得試験受験申込書」に2科目書いて投函。申し込み受付期間は一週間のみ、締切ギリギリに気が付いて出したのだ。そこから文芸演習Ⅱー3をやり、次に陶芸史の課題をやった。

陶芸は得意なジャンルだし、武蔵美時代も陶芸論、工芸論でレポートを書いてテストを受けたことがある。三回目なので楽勝だと思っていたら、まさかの苦戦。日本美術的陶芸ではなく、中国宋時代の窯業が課題になっていたせい。同じアジアといえども歴史も民族も全然違う訳で、ほんの数日でレポートが書けるほど甘くはなかった。陶芸史は置いておいて、文芸演習Ⅱー3のテスト勉強とライターの方の書き書きをする。

以上、まとめ。
以下、通常運転。

来月早々に2016年度第一回目のテストがある。実はすっかり忘れていたが、2016年度の大学の年間スケジュール表を眺めていて気が付いた。そこから慌てて試験の申し込みだけ澄ませ、課題を仕上げた。出来たのは文芸演習Ⅱー3エッセイ。テーマが2つあり、どちらかを選び文章を書いていく。出来不出来はともかく、こうした課題は結構好きで、word を開くとするすると書けてしまう。これもブログをずっと書いていたお蔭だろうと思う。書いて誤字脱字、一度声に出して読んでみてまた加筆修正。3,200字以内ということで、3,104字書いてみた。多分だが、こういう文字数指定というのは、ぎりぎりいっぱいの方がいのではないかと思う。

新聞や雑誌を読んでいると、紙面いっぱいに記事が書いてある。様々な枠の中にはみっしりと文字が並び、多分だがそれぞれに決められた文字数を担当者が埋めていくのだろう。もし32,000字枠に20,000字の記事などかけば、そこがスカスカになってしまう。指定の数字を埋めるということは、実は内容以上に大切なルールなのではないかと思う。そこから書いたものの出来不出来、面白いものを創るということが選ばれる基準になるのではないか。

また香山リカさんの話で恐縮なのだが、講演をお願いした時に「1時間でお願いします」と依頼したところ、彼女は本当にぴったり一時間話をした。私は司会や会場の見守り、逆席でグズる子ども達をなだめたりで忙しく内容はあまり聞けなかったが、話が終わり拍手が鳴ったのがピッタリの時間。一緒に企画した友達に「プロってすごいね」と話し合ったりした。数字というのは大切なのだなとここでも思った。文字数もだが日にちも時間もお金も数字、理系とまでは言うつもりはないが人が作ったわかりやすいルールだ。守ればいいことが沢山ある、頑張ろう。

とはいえ、一昨日からやっている「陶芸史」の勉強はちっとも捗らない。陶芸は得意なジャンルで、武蔵美でも「陶芸論」「工芸論」で両方とも織部や人間国宝などについてレポートをまとめたり、テストも受けた。なので「陶芸史」は楽勝だと思っていたらそうではなかった。分厚い教科書の中には日本美術的陶芸のページも多く割いてあるが、課題に指定されたのは、中国宋時代のもの。p21から31までの10ページにコンパクトにまとめてあるが、目がすべって全然頭に入ってこない。

これ、もしかして武蔵美で難攻不落といわれている「東洋美術史」のジャンルではないのと思ってしまったものだから余計に苦手意識が出てしまった。まさかこんなところでこんな課題に当たってしまうとは。友達に青磁の好きな人がいて、美術館で青磁をみると嬉しそうに観賞しているが、私は今一ぴんとこないということがあった。苦手だけれど、せっかくの機会なので勉強してみることにする。宋磁は青磁に代表されるように、日本にはない酸化コバルトなどで独特のブルーを磁器にまとわりつかせる作品。国が違えば歴史も民族も美意識も違ってくる訳で、このあたりから理解しないとレポートは書けないだろう。

なので10日の締切にレポートは間に合わない。ということでテストも受けられない。テストを受けるにはレポートをあらかじめ提出する必要がある。提出すればテストは受けられ内容や成績については問われないので、とりあえずでも書いて出そうかとも思ったが、それでは大学で勉強する意味がない。せっかく芸大に通っているのだから、文芸だけではなく美術についてもきちんと知識を得たいと思う。

などと言うのは楽だがやるのは大変。ブログや創作などはスラスラ書けるけれど、何かを学んで理解した上でレポートをまとめるというのは本当に苦手。でもこちらこそが「勉強」といえるだろう。私は勉強が苦手なのだ。なのに大学に入学したりして、単位がとれなくて苦労したりしている。「山本容子の作品のような版画をやりたい」というだけで入学した芸大。いったい全体版画はどこにいっってしまったのか。芸大とは一体なんなのか。

それよりも今はやることをやらねば。今日は月曜日で子ども達は2時頃帰ってくるだろう。おやつを用意したり、夕飯の支度や掃除などの時間を考えると、今からなら8時間くらいある。ビバ♡早起き。今日は久しぶりに早く目が覚めてしまった。昨日は朝やりあった以外は平和な一日だった。今日も平穏な1日でありますように。でもエレベーターホールあたりで「ママには内緒だぞ」などという夫の声が聞こえたので、また何かあるかもしれない。窓を開けておいたら聞こえてしまったのだ。私の耳が良いというより夫が油断しすぎるのだと思う。忍者を侮るな。

ところで昨日はUU624PV1356で、まあまあのアクセス。何か記事がヒットしたというより、NewsPicks にチラチラとコメントを入れているせいだと思う。会員数は今どのくらいだろうと調べたら、昨年末に100万人を突破したそう。本当に巨大サービスに育ってしまったものだと思う。せっかくなので以前のようには無理だが、これからも休み休みでもコメントを書いてみようと思った。そういえば昨日、NewsPicks の公式オフに申し込みをしてみた。定員50人ということで100万人中なら自称専業主婦はじかれてしまうだろう。でも当選すれば「やまもといちろう」さんの講演が聞ける。

私はやまもといちろうさんも大ファン。切込み隊長だった頃は知らないが、その片鱗がキラキラしているぐさっとした記事はいつも楽しみにしている。以前はTwitter でもよく絡んでいて、「死ね」とか「カジュアルに死ね」とリプが来るのを楽しみにドキドキしたりした。が、そういうのはbot に対してしかしないと気が付いて、色々ざっくばらんなようでもキチンと考えて発言しているのだわと感心してしまった。cakes の『赤い絨毯』も良かったし、『この国で子どもを育てるということ』や『読書でかしこく生きる』などの対談もよかった。もし当選したら子ども達はなんとかして絶対に行きたい。

※最近課題のために取り寄せた教科書


【今日の小確幸】

久しぶりに早く目が覚めた。

今日からまた課題と仕事と卒制をやる。最近なかなか捗らないまま来月は第一回目のテストがある。それには5月10日までに課題を提出する必要があり、教科書を読みこみレポートを書くタイプのものに着手するには無理がある。そもそも10日はライター業の締切日でもある。10日の仕事を別の日締切のものに変えて、今月の課題は今のスキルで片付くものをやることにした。

同時に卒業も3月から4月へと目標変更。京都造形大学の通信教育は、通学生と一緒に卒業するスケジュールの他に、4月に卒業認定を得るものがある。4月に延長すると、レポートの提出やテスト、それから単位認定されるスクーリング科目がぐっと増える。荘厳なる卒業式に出席したいし未練もあるが、授業や課題を多くこなす方に重点を置くことにした。それが自分の目標への近道になるのではないだろうかと考えた。また気持ちが変わるかもしれないが、その時はその時でまた考えよう。

以上、まとめ。
以下、今日は要点のみ。

GWの中日の今日は私にとってのGD(ゴールデンディ)、誰もいない家をあちらこちら片付けけたり教科書を広げて課題をする予定。10日締切の仕事もあるがこれは10日午前9時に「送信」すればいいので、先に大学の課題をやりたい。大学の課題は10日必着で、8日には郵便局から投函したいのだ。9日に速達という手もあるが、もし到着しなかったらまた色々ありそうで早めに出すことにする。となると今日明日くらいで出来そうな課題が望ましいと考えた。

文芸コースの科目には、ざっくり分けてふたつの種類の課題がある。ひとつは教科書を読みこみ何かについてレポートをまとめるもの。もうひとつは創作したものを書いていくもの。私はどちらかというと、後の方が得意だ。こちらなら2日もあれば出来ると思う。1日で書いてチェックまで終え、一晩寝かせて翌日また読み直して校正するのだ。その後ゆっくりライターの仕事をすればよい。こちらは書くものはもう決まっているので文章を組み立てるだけ。最初は四苦八苦したが、最近はだいぶ楽になってきた。

今週の目標の他に、最終目標である「卒業」についても考えてみた。「卒業に向けて」というお知らせを受け取ってから、3月18日の卒業式に向けた計画を立てていた。入念に単位数を数え、卒業式から逆算して計画したが、ちょっと考えが変わる出来事があった。ブログにコメントを頂いてから色々考えて、そもそも卒業式に参加することが自分に必要なのかと考えだしたのだ。それは行くのが大変だとか経済的な問題もあるが、3月の卒業式を見送ればその分1カ月余分に履修できるのだ。その方がいいのではないかと。



※備忘録代わりにアップ


「卒業に向けて」というお知らせにも書いてあったのだが、それまでに眼中になかったものがよく見えるようになった。1カ月余分に履修しなくても卒業は出来そうだが、それは勿体ないのではないか。そもそも入学した時は卒業式に出席するつもりはなかったのだ。それが何故卒業式に出席する気持になったのかといえば、学友達との話の中で「卒業式に出席してみたい」と思い出したのだ。卒業式に出席したいというムードがそこにはあり、感化されたのだろう。

でも本質的な事を考えれば、その交通費で余分にスクーリングに参加できるし藝術学舎にも行けそうだ。そちらの方が私的には現実的なものではないだろうか。また後で考えが変わるかもしれないがその時はその時、今現在はこちらにシフトしようと思う。今日は新しく届いた教科書を検めたり、資料を整理しようと思う。


【5月TODOリスト】

7日課題投函
10日記事3件納付&小学校イベント手伝い
15日読書会
21日来客&委員会出席
28、29卒制面接指導
卒業を3月から4月に変更
ライターの仕事も締切の違うものに変更
今月は小説ではなくルポルタージュを3万字書く(来週から週に1万字目標月末完成予定)
「こども芸術の村」プロジェクトは助成申請の結果待ち。


【今日の小確幸】

新しい計画を書いたら気持ちが落ち着いてきた。よかった。

卒業式を京都だけではなく東京外苑でもやって欲しいと記事にしたけれど、やはり訂正。卒業式は京都でするのが正解だし、東京外苑でするなら懇親会だけお願いというのが筋ではないかと思うに至った。それは京都の事務局の方からのメールを読んだというのもあるし、そもそも歴史ある大学の卒業式という一大イベントに一学生が茶々を入れて改革などしてはならないものだと気が付いた。なのであの記事はいったんクローズし反省材料にしたいと思う。

事務局の方のメールには、卒業式は来賓や各専門家のスケジュールの調整などの準備があり、本年度はもう変えられない、出来ることとしたら東京でも懇親会をするくらいかとあった。そうだ、別に東京で卒業式をする理由は何処にもない、卒業式に出席したいのならやはり本校に行くべきで、タクシーで1時間が嫌なら鉄道も通っているので最寄りで降りて歩くだけだ。青春18切符があるし、今日とはYMCAもあるしカプセルホテルだってあると思うがどうなのか。何より友達のお兄さんの経営する町家Cafe&宿という宿泊施設もあり行ってみたいしそんなに高くないと思う。

着物を着たいなら東京外苑の懇親会で着ていけばいい。そうだそうだと思って「ダメ元星人」を反省した。こちらはダメ元でも相手からしたら無茶振りをされる訳で相手にしたら迷惑なだけ。ダメ元星人はこちらがカスタマーの時だけ、しかもクレーマーにならないようにに注意しないといけないだろう。ジャパネットタカタのような企業なら神対応してくれると思うが、何度もすればリストアップされてしまう。なんか言うだけタダというのはエレガントからもっとも遠い行いで子どもに見せたくない。ということは良くないのだ。

ということで、京都の卒業式は多分行けないが東京での懇親会を期待したい。卒業生や在学生の方々と交流出来たら嬉しいと思う。そもそも読書会、合評会の後お茶したりするが、なかなかゆっくり話す機会はないに等しい。小説や執筆活動の話を色々聞いてみたい。先生達ともそもそも話す機会というのは授業以外ではほとんどない。先生と生徒というのは本来こういうもので、あまりざっくばらんというのは良くないこのスタイルが正解と思うがやはり寂しい。

このブログも大学関係の方も読んで頂いて顰蹙を買っていると思うので、今後は色々気を付けたいと思う。もう書いてしまった分は、豊洲発世界遺産として残したいと思う。あー恥ずかしい色々と。でもそうでないものもあり、後で読んでしみじみするものもあるので、良い記事もたくさんあると自負している。

そう言えば、先日自宅マンション近くの交差点で校長先生が朝立って生徒達に挨拶をしたり世話を焼いたりしていた。すごく真剣な顔つきで子ども達を見守る様子に胸を打たれた。多分、ここだけではないあちらこちらの交差点に立って子ども達を見守っているのだろう。 息子が朝学校に行く時も私は時々忍者になる。 ただのストーカーだと思われるかもしれないが、私の見えない時に息子がどうしているか、イジメる子はいないのか、楽しそうにしているかなどと心配な時がある。念のため言うがいつもそんな事をする程暇人ではない、時々、ほんの時たまだ。その「ほんの時たま」にそっと繁みから息子の様子を伺っていたら、校長先生がいらしてたまげた。私も頑張らなくては、あさっての方向にではなく真っ直ぐ明るい方へ。校長先生、私も頑張ります。

そういう訳で卒業式を東京でもという提案は、なかったことにしたいと思う。東京では懇親会だけでいい。それと、外苑校舎前の枯れ木をなんとかして下さいというのは早々にお願いしたいと思う。猛暑の夏をもう一度迎えたら、本当に枯れてしまうと思う。樹医さんとかはお願いすると高いのだろうか。「樹のために募金」をしたらどうだろう。でも今は熊本が先だろう。

そういえばキッザニアの出口のところに熊本募金の箱があった。いつからだろう、そもそも東北の時は募金のお礼がHPにあったではないか。もうあまり色々な事に口出ししてブログに書くのは控えようと思った。それでなくとも課題はさっぱり進んでいない。仕事は相変わらず締切ギリギリだし、小説書きとか用事も終わっていないものが山盛りで、この辺りをまずは。まずは自分周りを。

と言って本当にもういつもいつもいつも。今日も早速学校の委員会の会合を忘れてしまった。大大大反省したい。


【今日の小確幸】

いつも使っている激落ちくんふきんが見つかった。もう売ってないと思ったのに嬉しい、よかった。


※生協のレタスはぷりぷりしている。硬い外葉は捨てずに味噌汁の具にすると美味しい。先に卵を落として半熟くらいに煮えたら味噌を溶き入れ、最後に手で千切ったレタスを加える。あまりシナシナにならないうちに火を止めること。

※注意 これは2016.04.30に書いた記事4月28日分を穴埋めした。

気が早いが2016年度の卒業式のスケジュールが気になった。同時に課題提出はいつまで、スクーリングはいつまで出席可能なのか。最終試験日、その他airU などはどうなるのか再提出はもうないと思うがそれについては。確か昨年度の『雲母』には、卒業年度のかなりタイトなスケジュールが掲載されていた。履修スケジュールをアップしたついでにそれらについても衝撃の事実が判明したので掲載したい。

尚、これらは2016年度『学習ガイド』に掲載されているが、卒業式当日のタイムスケジュールについては記載がないので京都の事務局に問い合わせをした。他にも4年次生ならではの課題の締切など、気を付けないといけないことは山ほどあった。卒業を目指している人は一見の価値あり。卒業式は3月18日土曜日14時から16時、その後各コースで卒業証書授与式があり、謝恩会は各コースの采配となる。Iさん幹事お願いします。 ※後にはないけれど前日に卒業制作発表会と懇親会があるそう。京都のおばんざいが食べたい

以上、まとめ。
以下、長い話。

卒業式に着物を着て行こうと思い立ってから着物が気になって仕方なかった。最初はクリーム色に綺麗な葉や花が散っている小紋を着るつもりでいた。でもこれは買う時に着物だけ買ったせいで、合う帯がない。なにか適当なものとは思ったが、適当なものは全部二束三文で売り払ってしまった。かといって新しい帯を買うつもりもない。買う余裕もないし、いつか何かいいタイミングでさあっといい知恵が飛んでくるのを待っている。どこかでたまたまこれしかないというものが、例えば「たんす屋」みたいなところで見つかるかもしれないし、どこからか御下がりがくるかもしれない。

それより卒業式は訪問着で帯は二重太鼓がいいという意見が一般的なようで、小紋は諦めようと思っている。着物屋もいうし、学友でいつも着物を着ている人に聞いたところ、その方もそんな事を言っていた。「いっそ振り袖を着てもいいかもね」などとさらっと言われて、もしかして若く見られているのかなあ、指輪を左手薬指にしていないせいかなどと虚取る。

それは置いておいて、やはりフォーマルということになる。でも気に入っている訪問着は地味で、子ども達の卒業式にはいいかもしれないが、自分の卒業式となるともう少し華やかなものがいいと思う。子どもの卒業式にでる時は子どもの付き添いだから地味な着物、自分の卒業式の時は自分が主役だから華やかなものとようやく思い当たった。卒業式における主脇役などあまり考えなかったが、ここでも根っこを考えると自ずと答えが出た。ちょっと考えればわかりそうな事がわからない時が私にはある。とはいえ、多分皆そうなのだと思う。

いいアイデアを思いついた。自分の振り袖の袖を短くして、訪問着にすればいいのではないか。私は振り袖をまだ持っている。色々ざあっと処分する時に迷ったがこれは残しておいた。娘が着るかもしれないし、やはり思い出深い着物なので手元に置いておきたかった。 成人式の着物はその時だけでなく、後々までものすごく活躍してくれた。娘時代というのは檜舞台にあがる事が結構多い。結婚式だなんとかパーティだ新年ご挨拶だのと、100回というのは言い過ぎかもしれないが、本当によく着た。クリーニングに一度も出していないと思うが、出せばいつも新品同様の顔をしている。絹100%の着物という民族衣装は本当によく出来ていて大したものだと感心する。着物は今でこそクリーニング屋に持って行けば洗ってくれてパールトーン加工などというものを足してもでも数千円でやってくれる。昔は洗い張りといって、着物を全部解体して洗って干してまた縫い直していたそうで、そんなに洗うひとなんていなかったのではないか。

私の着物も付き合いでクリーニングに出したものもあるが、そうでないものの方が多い。振り袖の袖丈を短くして一度クリーニングに出そう、そして卒業式に着ていこうと思いついた。でも袖をカットしてしまうと振り袖でなくなってしまう、どうしようとまた迷う。でも振り袖ではもう流石に着ないだろう。娘は夫が新しいのを買ってもらうと思う。夫は娘にはお金を惜しまない。誰も弾かないアップライトピアノがそれを象徴している。もう黒くて重くて場所塞ぎで子ども達が弾くとただの騒音になっている。娘は3年間習ったが弾ける曲はそんなになく、途中で間違えるとがんがん八つ当たり的に鍵盤を叩いて終わり。躾が悪いと言われればその通りだけれど、もう処分したいもののひとつ。でもそうすると夫や娘が罵倒してくると思う。多分もうここは私の家ではない のだと思う。※書いて驚いたので太線にしてみた。誰の家なのと言われればここは夫と娘の家。これについては後日書いてみる。

着ていくものの話は置いておいて肝心な話。武蔵野美術大学は知らないが京都造形芸術大学通信教育課程の2016年度卒業式は3月18日土曜日だそうだ。2016年度学習ガイドに掲載があった。当日のスケジュールとしては、14時から卒業式典、約2時間の後16時ごろから各コース毎に分かれて卒業証書授与式が行われるそう。だいたい人数にもよるが文芸コースなら30分程度ではないかという話だった。となるとあの記事で96歳の方が学長から授与されていたのはニュース用の写真のためで、学長が自ら全員に渡すというものではないのかもしれない。ちょっとガッカリだが人数が多いなら仕方ないのかもしれない。もしかして成績優秀者のみ学長が授与してくれるものなのか。でも文芸コースなら中村先生から授与されるのか。だとしたらすごく嬉しい。中村先生というと、「ブログに出てくるあの先生?」と言われるようになった。でも私だけでなく、皆んな大好き中村先生なのだ。でもどうなのだろう、この辺りまた事務局に聞いてみたい。

私は本当になんだかんだと事務局に電話をかける。メールも出すがメールは返事を待つのがもどかしい。今知りたい事は「今すぐ」知りたい。電話というのはやはり便利なツールだと思う。最近友達ともなんだかんだ電話をする。メールだと行違ったりするし、読み間違いもある。メールのラリーになりわけわかめになり、結局何日集合だっけと以前のメールをスクロールしたりが面倒だ。昨日も「何時集合?」とメールが来て、ああ間違えているんだなと思ったので「今日じゃないよ」と返した。案の定間違えたと返信され、私も最近よくやると思った。 忙しい彼女に遠慮していた部分もあったが、もう今は同じくらいに同等だと思うので返事もすごく簡素。でもきちんと通じればいいし彼女はこのあたり全く気にしない人。この場合電話なんかしたら雑談で時間をとられるのでしない方が正解だ。ママ友なんかの場合だと色々面倒なことをするのがマナーの基本、ママ友達というのは時間泥棒でもある。

どうも私は御しやすいと思われがちで、なのであのボスママこのボスママ普通のママ友などにこうい目に遭わされる。そして私がちょっと酷評のような事をいうと、すごく驚いてさあっと村八分にする。じゃあ最初から来ないでよと思ったり。でもそれだと子どものためには良くない訳で、やはりやられっぱなしでニコニコしているくらいでないとダメだったのだと今更思う。そういうママが何人もいて、金八などに「あんただからダメなのよ、頭大丈夫?」などと嘲笑されていても何を言われてもニコニコしているので驚いた。「ねえ、こんな事言われて大丈夫なの?」などと言えば「うーん、大丈夫」とまた笑う。私は金八に「言い過ぎじゃない」というと、はあーという感じで嗤われたりした。きっと金八はこういう風に人に言い続け、彼女は言われ続けていたのだろう。ママ時代だけではない、どの時代でもそういうポジションを確立し生きてきたのだと思う。

こういうのはイジメではなく、伝統芸能的吉本芸なのかなとちらっと思ったりした。誰かを嗤って笑いをとるというやつ、一定の層からは支持されているものでテレビでもずっとやっている。私もドリフは大好きだったが、最近やりすぎちゃう?と思う。若いお母さん達がそうなのだろう、なので子どもがみて真似するのだ。テレビでもお母さんもやっている、なのでやっていいのだと。皆がそれをみて喜ぶのだと。でもやられた方はたまったものではないと思う。第一誰もギャラをくれない。私だってそう、いじめられてもブログを書いても誰からもそういうものはない訳で、そろそろなんとかしたいと思い出した。高知にいったら記事にして誰か買ってくれないか、それを生活費にしたいと書いたが、書いたら本当にそうしてみようと思い出した。まだ時間があるからこのあたりはまた考えたい。

肝心なことを今更だが書きたい。卒業年度は12月25日以降はスクーリング課題の単位が認められない。文芸コースはこれに該当する科目が2つある。ひとつは昨年度やったのでいいとして、もうひとつは履修しても単位は認められない。認めて欲しいならそういう制度もあり、ただし4月卒業ということになり、3月の卒業式には出られない。通信教育学部なのでわざわざ卒業式に行かなくてもいいと思うのだが、京都造形芸術大学通信教育学部、特に今の文芸コースの方々は、卒業式に出る気満々とういか、出て当然という空気がある。武蔵野美術大学は本校が東京にあるが、卒業式に出るとか出たという話はあまり聞かない。

それより卒業制作展の方が話題になりやすい。観に行ったかとか、行こうとか誘われたりした。でも卒業式に関しては、行くか行かないかすら話題にのぼらなかったと思う。たままたそういう学年度だったせいもあるかもしれないし、結束力のある日本画などだと絶対行って振り袖で星先生と記念写真を撮るんだなどという生徒もいるかもしれない。でもこれは多分だが、若い生徒ならではの話かもしれない。武蔵美は働きながら通学している生徒がすごく多かった。もちろん主婦もいたが、様々な事情で大学進学をあきらめたが、通信という道をみつけて門戸を叩いたというか、そういう人達が目立った。そういう人達は大概すごい作品を創り、「才能」を持っている人ないひとの差を見せつけていた。もう努力とかそういうものはあまり関係ないと思わざるを得ないというか。

ということで、まとめの他に「学生ガイド」の該当するページをアップしたい。今からこういうので認識しておかないと色々後で大変なことになりそう。卒業式の着物で悩んでいたが、これらまで知ることが出来てよかった。なんて親切な人と思われるかもしれないが、今はちょっとだけアクセス数を伸ばすために書いたりしているのでただ単にお人よしなだけではない。さあ、読みたまえ。そしてこれをクリックして下さい。ブログ村のIN、OUTという意味がようやくわかった。バナーをクリックして貰うとINポイントがたまってそれがそのままランキングになるらしい。なので読んだ方はこれから「ぽちっとお願いします」この意味もようやくわかった。色々勉強になる、よかった。


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※書き込みする前に写真とればよかった

改めて本年度の履修計画を立ててみた。以前のものは、単位数が足りているので卒業制作だけに注力しようという考えのものだった。残りの文芸コースで授業のあるものを優先する。だがそれならやはり取れる単位はとっておこうと考えなおした。特に通信課題のものもちゃんと取りたい。 

興味のない分野も、勉強しておけばいつか役だつはず。今までもそうだったからこれからもそうだろう。そうやって組みなおすと約40単位になった。通信大学の一年での履修限度はこのあたりかもしれない。他にも在学している間にやりたいことはやっておかなくてはと、創作研究助成金申請書を完成させた。長編小説も書く。

以上、まとめ。
以下、長い話。

改めて、2016年度 4 年次履修計画改訂版を書いてみた。 STの後の数字は 単位数、こんなの誰が見るかと思われるかもしれないが、武蔵美の時はブログを書いている生徒が結構いて参考にさせて貰っていた。この記事も読んで色々気付くことのある方もいるかもしれない。特に授業はなんでもかんでも単位をおとればいいものではなく、総合科目だの専門教育科目だのコース必修だの色々ある。私は総合科目は全く取る必要はないが、年間授業料で学べるので興味のあるものは履修している。

あと一年で卒業というのが恨めしいくらい色々あるが、卒業出来ないと高知に行けないし、その時の経済を圧迫すると思うので必ず卒業できるように気を付けたい。去年は専門教育科目が足りなかったら進級できないところだった。通信なんだからあまりこのあたり厳密にしない配慮も必要なのではないか。武蔵美の学友は1科目落として進級できなかったといっていた。それも自分のコース外の授業だ。そしてそのまま休学している。他人事ながら本当に気の毒に思う。また甘いものでも一緒に食べに行こう。それより京都造形芸術大学に誘ってみようか。それはまた考えるとして新しく考えた履修計画。


【文芸コース】
S1 文芸Ⅲ -1 エッセイ

S1文芸Ⅲ -3 現代小説の前線

S1文芸実践本を作る× 最終日出席できない

S1文芸Ⅲ -4 比較文学× 講演依頼あり

S2文芸Ⅱ -3 トラベル・ライティング×娘発表会あり

S2文芸Ⅱ -4 ストーリーとシナリオ

S2文芸Ⅱ -2 俳句と連句 (2)

T2文芸演習Ⅱ -2 小説を書く大江

T2文芸演習Ⅱ -3 エッセイ

T2文芸論Ⅱ -1 古典文学(和泉式部日記)

T2文芸論Ⅱ -2 批評推理入門(フロイト)

T2文芸論Ⅱ -3 文芸※批評『批評入門』申請して取り寄せる

T2文芸論Ⅱ -5 論文の読み方・書き方


【専門教育科目】あと
4 単不足

T4近現代美術もしくは日本美術史(素描2課題あり)

T2陶芸史

T2造形基礎演習Ⅱ(再提出)


【総合教育科目】※卒業要件に関係ないが余裕があればやりたい


T4
芸術への案内(Yさんお薦めライター記事の練習になりそう)


【卒業研究】


T8
レポート4回提出 4/11 7/13 10/13 12/14 必着

面接 5/2829 8/2728 、口頭試問 2017/1/2829


42 単位(×抜くと 38 単位)
×は予定がバッティングするので多分無理。

こんな風に考えているが、あと21単位取れれば卒業要件はクリアするので、専門教育科目の4単位に気を付ければいいだけ。でもあの造形基礎演習Ⅱ「コラージュでデッサン」は多分合格するだろうから、あと1科目受けるだけにしようか。他にも勉強したい科目がたくさんあって本当に迷う。それから京都造形大学は「藝術学舎」で受けた授業も単位認定してもらえる制度がある。こちらも楽しそうな授業が多くて困ってしまう。これは武蔵美にはなかったシステムで嬉しいものだと思う。元NHKの松平さんの源氏物語や、ろくでなしこさんの浮世絵(春画)の授業などがあった。今年はどうだろう。

久しぶりに多色木版画をやりたいがなかった。代わりにエッチングがある。こういう細い線のタッチが好きで、細密画とかボタニカルアートも大好き。好き好きいってないで自分でさっさと描きたいと思う。高知日記は4コマ漫画を載せるのもいいかもしれない。ブログカテゴリを以前のものは「子育て」にしているが、ランキングトップ10は皆手書きイラストや漫画ばかり。それなら漫画を載せればいいのかと思った。私は漫画も好きで、子どもの頃は漫画家になりたいと思っていた。友達は「もう漫画家になっていると思った」などと言う人もいて、人生色々考えすぎたのかなと思った。もうストレートに生きようと思う。

これからは毎日ブログの他に、文字数は指定しないが小説も書いていきたい。ブロ友がそういう記事をアップしていて私も真似することにする。ブロ友はブログの師匠という人がいて、その人に影響されて色々しているようだが、その人のブログはわたしにとっては難しくてわけわかめ。なので読んでいない。彼女が要約して書く内容を読んで理解している。一日1,000文字書いて長編小説を3作書けば作家になれると京都造形芸術大学の先生に言われたそうで、私も小説家になりたいから慌ててやってみるのだ。

一日1,000文字で何日で書きあがるのか。その前に長編小説の定義について私なりの見解。彼女は卒論を中編と定義し、その文字数より少なければ短編、多ければ長編としていて間違いではないと思うがこう考えたらどうだろう。さっかつなどで各新人賞、文学賞で「長編のみ」などと書いてあるので、そのあたりで文字数を考えたらどうかと思う。例えば卒業すぐの3月31日には以下のような募集のラインナップがある。

3月31日B-PRINCE文庫 新人大賞 227
(第3回)
42文字×32行にて短編(15枚