芸大に通う豊洲ママのblog♡♡♡

カテゴリ: 家族

なぜ急に大塚家具に行ったのか、それはこっちが教えて欲しいくらい。一昨日一日家にいる日にしてごそごそ片付けたり掃除したり、もうーあっちもこっちも私が掃除しないと掃除する人が誰もいないので、あっと言う間に汚宅になってしまう。ムカムカしながら掃除、後ベッドに寝転んでスマホ、思いなおして起きてブログやメールの返事を書く、また起きてゴミ捨て、などということを繰り返していた。するとなんだろう、Twitterでヤドンを追い混むのも飽きて、まれにゃんが「怒らせてはいけないたった1%の人を怒らせた」なんてTweetしていて、ああ私またやっちゃった、第二の元世界銀行を生みだしてしまうところだったと気がついた。

※いい加減反省せねば(;O;)

落ち着いてタイムラインを眺めていると、大塚家具の広告だったかTweetだったかで、リユース部門を始めますというのがあり、興味を持った。そして大塚家具のアカウントを見にいくと2月10日がオープンとあった。夕方孫正義さんの講演を聞きに行くつもりだったので出かけるついでにみにいってみようと思い立つ。サイトとか色々チェックしていると、例の御家騒動のニュースなども目に入り、そっちも読んでみた。今の社長の久美子さん、色々大変だったのだなとわかった。実の父親に訴えられ、母親にまで法廷で非難されたとある。私も法廷経験者でその時はどうでもいいような民事事件だったので、行っても1分で終わったり、閉廷後裁判官に延々と和解をそそのかされたりと漫画やドラマでみるようなものでは全然なかった。でも久美子さんの場合は証人喚問まであったよう。よっぽどだと思った。

裁判なんて本当に茶番。終わってみるとわかるけど、その時は眠れないくらい心配だし怒りも悲しみも色々な感情でわけわかめになる。特に私は夫に「もう手も口も出さないで」と喧嘩した上での闘争だったので弁護士はついていたけどひとりで戦っていた。この頃から夫と不仲になり、もう敵だと認識するようになった。夫なんていざとなれば敵、そして敵になったらずーっと敵なまま、今でもそう。この2月からしばらくは土日働き平日休みというシフトに勝手に変えたおかげで私が土日でかけられない。ちょうど私が卒業確定したタイミングというのは夫は絶対考えてない、ただの偶然だがよくしたものだと感心する。でもお陰でジャストタイミングで「孫正義育英財団」の基調講演会に堂々と出かけられた。神様の采配だとまた思った。

ということで、久美子さんが色々気になったので大塚家具へ様子見にいくことにした。久しぶりすぎる大塚家具。結婚準備で参考までにと訪れた大塚家具で例の営業の人がついたものだから、なんとなく買わないといけない雰囲気になり大型家具をいくつも買ってしまった。ヤコブソンのパチのランプシェードとかずっと使っていて、早く本物に変えたいと思いながらイライラと過ごした。なんていうか、その場の雰囲気で買ったのであまり気に行っていないし、おまけに高額なのでチェンジもままならないという、なので大塚家具にはあまりいいイメージはなかった。

それが社長交代でぴったり営業がつくスタイルはなくなったという。すっきりした運営方針の大塚家具、興味もあった。

大塚家具は本部が有明にあり、豊洲からはゆりかもめで国際展示場という駅で降りて改札を抜ければ、そのまま大塚家具の入っているビルの入り口。入口が相変わらずちょっとわかり辛い。案内をみつけてみると、3階が受付、5階がリユースのコーナーになっている。そのまま5階にいってみた。




最後にお茶したラウンジの隣にあるキッズルーム


色々な家具がある。


イサムノグチのテーブル、うちにもかつてあった。リユースなら3万ちょっと、
プロパーだと6万ちょっと、かなりお得なのがわかる。


色々みる。これもユーズド


どんどんみる。


広くて泣きそうになる。


プーさんのラグ、欲しい!


大型家具が多い。

相変わらず本当に広い、この広いフロアが3,4,5階とあるので全部みてまわったらへとへとになった。お目当てのベンチチェストはなかった。でも小さな座面の面白い椅子があったので要検討、こういう小さな家具が私は好き。

可愛い💕

最近はカラーボッカーになってしまったので、棚などは目が滑る。ソファも欲しいけど、場所塞ぎだからと夫の実家に引き取ってもらったばかり。確かこれも新婚時代にフクラで買ったもの。いいお値段だったものは我が家からどんどん消えているのに気が付く。最近何か欲しいとなると、IKEAにばかり行っている。IKEAは家具だけじゃなく、インテリアや食器、雑貨など何もかもが揃うしレストラン、スモーの森、イートインで50円のアイスクリーム、最近は食材販売も充実している。朝行って夕方まで遊んでしまうなんてこともザラ、しかも駐車場は無料。IKEAが日本に来て、大塚家具だけじゃなく日本の家具メーカーはめっちゃ苦戦しだしたというのは素人の私でもわかる。
               


一枚板というの?たくさんあった


ウィリアムモリス


疲れたからお茶して帰ろう
   

雪のせいかお客さん少なかった


振り返ればキッズルーム


オープンスペース的な


ダストボックスとトレイ

   
玄関横のスペースにも展示が。夜は仕舞うのだろうか。

昨日ざっくり読んだニュースなどと今回の視察で思ったのは、このままでは赤字は続くのではないかと思った。まず第一に特徴がなくなってしまった大塚家具、ただの売り場面積が広いだけの家具店になっている。私が結婚する時にみにきた時と製品は何も変わっていない、もしかして先代が仕入れたものそのままなのではないだろうか。だとすると追い出された筈の先代がめっちゃ得したことになる。世の中トレンドが目まぐるしく変わる、家具もそうだと思う。だとしたら、匠パパは久美子さんに古いものを押し付け、今の時代にマッチしたものを買いなおせたということにならないだろうか。今回みて回ったもので一番目を引いたのはソファとテーブル、このソファが昔ながらの皮のもこもこと私は呼んでいるが、今こういうデザインのものを欲しがる若い人はいないと思う。座面がフラットなものが今は主流、もこもこソファはニトリの製品と間違えられそうで買うのは躊躇してしまう。    
   
あと、昔は大は小を兼ねるということで大きい広いはもてはされたけど、今はミニマムや断捨離がキーワード、なるべくコンパクトに暮らそうという層が増え、家具はどんどん必要ないものにすらなりつつある。私も以前記事かSNSに書いたが、白いカラーボックスを愛用している有様で、娘も真似をしてカラーボックスを使い出した。これは極端な例だが、今大塚家具で販売されている家具が時代や有明をはじめとした湾岸に建つマンションの住民に受け入れられるかというのは難しい問題だと思う。例えばIKEAなんかだと、狭すぎる2LDKをショップ内にこしらえ、狭い空間でいかに家具や雑貨を配置して楽しく暮らすかという提案や、同じように狭い子ども部屋、キッチンをどうするかなどインテリアデザインが消費者を「狭いながらも」と安心させ夢を見せる。それが「今」やこれから家庭を築く層に受けているんだと思う。大塚家具はその逆をいっている。

それから「匠大塚」が好調なのは、先代の人脈だけなのではないかと思う。そんなんであの売り上げがと思うなかれ、高級路線のものはポット出の一般人はあまり手を出さない、セレブはセレブ同士助け合うもので、様々な雲の上の人脈が決起すればあのくらいは優に販売できるだろう。社員も何人かあちらに行ったというのは、昔の大塚家具のやり方で顧客を持っていた従業員が向こうについたのではないか。お得意さま係というのは三越さんでも未だにかなりの人数がいて、そいいう係のついた顧客というのはいるいらないではない、お買い物というレジャーを楽しむ。そういう買い物ごっこを楽しむなら、誰かついていないとつまらないみるだけということになるだろう。

だからといって今有明にある大塚家具がそれをやったらどうなるか。ある程度はもしかして数字があがるかもしれないが、あまり期待できない何より「もう接客販売しない」と言った手前信用を失うかもしれないし、それを嫌う私のような層からは二度と訪れてもらえないかもしれない。

ならば何もすることはないかというと、そうでもない。私ならという前提だけど、色々やってみたいことがある。

まず、今の3フロアを2フロアにする。3フロアもあると全部みるのに時間がかかりしかも疲れる。だったら必要なところだけみればいいと思われるかもしれないけれど、家具なんてめったに買うものじゃないからショップに行ったら隅から隅までみたいもの。それでも欲しいものがなかったという敗北感は気持ちのいいものではない。出来れば楽にさっと見渡せて、すごく素敵なものがあったけどどうしよう、ちょっと高いけど買いたい、でももうちょっとよく考えたいという想いが残るのが一番いい。それには全館内をセンスのいい空気やイメージで包み込む必要がある。大塚家具は昔から思うけどその辺りざっくりしすぎのような気がする。

やはり家具は今やファニチャーだし今の若い人からしたら装飾品でもあると思う。こんな部屋に住みたいとか、お洒落さを真似したいというのは女性なら雑誌やテレビでみるたびに思うと思う。でもIKEAやニトリがいいとは私は思わない。IKEAの家具はすぐ壊れるし、ガタがきて寿命が非常に短い。十年保証とうたっているけど、それまでにユーザーは飽きて買い換えるだろうという目論見があると思う。現にIKEAで買った大型家具を移動させようと夫と一緒に押したら、あっという間に全損した。本当にメキメキ音をったてて我ながら崩れたので、夫も私も打ち身と怪我をした。どこかに写真があったはず。もー今思えば訴えれば良かった。それに比べると大塚家具で買ったものは12年経過しているがどこもガタがきていない。これは大塚家具がいかに信用を大切にしているかということになるだろう。

※すみません、またちょっと用事が出来たので続きはまた。

ここまで書いて、あっちもみていないのにいい加減なことは書けないと思ったので別記事に続きを書いた。匠パパは親として人でなしだけれど経営に関しては本当のプロ、このパパの影から脱却し、「大塚家具」ではなく「久美子ファクトリー」をオープンするような気概がないと経営立て直しは難しいと感じた。
   
結局久美子さんご本人には会えなかったけれど、側近の方がわざわざ喫茶スペースまで私を訪ねて下さり驚き挙動ってしまった。色々お話出来て満足、どうもありがとうございました。今は大変な時期だけれど、頑張って欲しいとますます思った。

   
追記:リメイク、リユース事業やるならこういうのもやって欲しいです。今のままだとまた苦戦すると思います。

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大胆に「ここにしかない」もの、女性社長ならではのアイテムを揃えるといいのでは!広告塔にするなら伊勢谷さんより今話題の蜷川有紀さんがいいと思います。家具を決めるのは家庭内においては結局女性ですからね。


恥ずかしい記事を書いた後はもっと恥ずかしいものかすごくいいい記事でリカバーするのが最近のブームになっていて、卒論が終わったらといってよくもまあこれだけ色々書けるものだと我ながら感心する。私はそもそもブログに書くことがなくて困った事がないし逆に色々溢れてしまい書かずにはいられないようなところがある。これもひとえに私に熱心にブログをすすめてくれたWさんの言う通りにブログを始めたお蔭だろう。お陰で卒論にも書きたいものがあふれてしまい七転八倒さんざん書いて悩んで今回のものになった。彼女とは同じ年度の三年生編入で、彼女は私と違い二年じゃなくもっとのんびり卒業するつもりだったと最初は言っていて、でも私が「早く卒業して次のステージに行こう」という言葉に賛同してくれて彼女も二年で卒業することになったよう。時々彼女のブログをみにいくと「さっさと卒業したい」とか「あの授業お金払う価値あるの?」なんて堂々と書いてあり、やっぱり私と友達になれるのは彼女しかいなかったと思う。彼女と最後に会ったのは懇親会の前の授業で一緒に、一緒になったのか?違う、彼女は「ストーリーとシナリオ」に出席し私は同じスケジュールの「文化史特論」を受けたのだった。

最終日に外苑キャンパスのロビーで一緒になり、煩悩も葛藤もなにもない笑顔で話し握手をして別れた。彼女は懇親会も卒業式も行かないとキッパリ言っていて最後まで清々しい人やわと感じた。彼女はひとり社長として大成しており、私のようにもったないからじゃない行くのが無駄と思っているようだった。結局彼女は大学帰りの飲み会お茶会それからイベントには一度も出席しなかった。冷たいと思う人もいるかもしれない私も一時は思ったけれど、今はとても彼女らしいと思うしそういう人がいたって全然かまわないと思う。だって私もそうじゃない。私は豊洲のママ友界を否定したのは自分が出されてしまったからで、そういう集まりは正直嫌いじゃないし上手くいっていたら大学にも入学しなかった。でもやっぱりひとりで色々出来た日々、さみしいと思うこともあったけれど私らしく生きた時代だろう。色々なもので人の運命は決まると思うし、その人がやりたいようになんでもやればいい。私たちはお互いの言葉で違う運命になり、たぶんそれぞれにとてもいい結果をもたらしたと思う。これぞ学友だろう。私は「結局大学では友達ができなかったけど」と書いたけれど、こうやって切磋琢磨しあった間柄の人もいたわけで友達が出来たと言ったていいだろう。

誰かとつるみたがらない彼女が一回だけ興味を持ってくれたのが太宰治のお墓参りの話しで、今度行くことがあったら誘ってねと言ってくれて、私は言われてから結局一度も行っていないのだけれどまた太宰が私を三鷹に誘ったのだと怖くなった。そしてまたそう感じることがあり三鷹に行かなくていいように師匠のところに行くのをやめて茗荷谷に新たな学び舎もみつけた。でもやはり太宰の影はいつまでもつきまとっているのだと感じることがあるのは私が自意識過剰なのは言うまでもないが、運命ってやっぱり決まっているのかなあなんて思った。「私はまだ死ぬつもりがないのですみません」と太宰の墓前に祈ってから夢枕に立たなくなった太宰治。正直彼がこんなに人気なのがわたしにはイマイチよくわからない。なんか書くものが破壊力が大きすぎて意味不明だし、同じ時代のものだったら芥川龍之介や森鴎外などの方がよほどしっくりくる。

特に私は森茉莉とはもう友達だし、友達のお父さんなので応援したいわけで、太宰治のために買ったお饅頭を気が変わってその斜め前の森鴎外の墓に供えた。森鴎外の墓はでっかくて五基くらい森家の墓だった。なのに太宰の墓は多分太宰が無くなった時のままなのだろう、普通のものがぽつんと建っているだけだった。多分先日亡くなった娘などは色々思うところあり、あまり父親の墓に近寄らなかったのではないだろうか、そして立派なものに建て替えるなんてことも思わなかった訳だと思う。というのも先日従妹の家に行ったらちょうどお盆で墓参りに行くところだった。私もおばあちゃんに久しぶりに挨拶したいと同行したら、これがまあびっくりするくらい立派なものに代わっていて度肝を抜いた。彼女もひとり女社長で成功していて一家を養っているが、本当にすごいと思った。成功して車とか家とかじゃない、こうした先祖の供養にも大枚を出せるというのが本当の成功と幸せなのではないだろうか。

とまあそういう訳で、太宰家というか正確には津島家の墓は些末だったけれどその上横周りにはものすごい大量のお供え物があった。もうぎゅうぎゅうなんてもんじゃないてんこ盛りだった。森鴎外の墓はほとんどなかった。なのでそちらにお供えをした。きっと森茉莉も喜んでいるだろう。今度はいつ行くだろう、出来ればもう行きたくないような気がする。それでなくとも墓場は苦手。でも今度行くときはまず彼女を誘ってみようと思うたぶん断られると思うけれど、「今度行くときは誘って」と言われて私は「うん、いいよ」と返事した。学友の約束は守らねばなるまい。それはどうでもいい世間話ではない、ちゃんとした約束だと思うからだ。言葉にしたものは責任をとらなければならない。たぶん自分たちはそう思っていないと思っても、言霊として浮遊したものはもう目に見える契約が取り交わされたのと同じことだと思う。

例えば可愛いねと言われて育てば可愛く育つし、馬鹿バカと言って育てれば馬鹿になってしまう。そう思うと私は馬鹿とも言われたが「書いたものはきっとお金になる」と父に言われた気もするし、うちのママンやおばあちゃんは私を見るとすっぴんのボサボサでも「あなたはきれいね」と言ってくれるのでそうなったというのはやっぱり図々しいだろうなあもうおばちゃんだからというのは今ちょっと風邪でテンション下がっててパワーダウンしているからだろうか。やっぱり人間一番大切なのは健康だと思う。N先生はいつも健康そうだけれど、秘訣はなんだろう。お風邪など召されていないだろうか。というかそんなにN先生N先生と書いて大丈夫なのかと心配する人がいるかもしれないけれどノープロブレム。だってもう会わない宣言したので会うことはないんですよ、だったらももう「叱られる」ことはない訳で、しかも卒業してしまったら怒って呼び出すことももうできない。私って本当に頭がいい。

それで彼女との約束の話に戻るけれど、私は彼女には幸せになってほしいと思っている。だって一緒に学んだ学友だし影響しあったもの同士、私は彼女のおかげで幸せになったので彼女も幸せになってほしい。彼女はいまもう十分幸せだと思うが、もっと違うステージがあると思う。それはやっぱり結婚とか子育てとかそういう部分。彼女は養子をもらったらいいのにと思う。今世の中には日本でも生まれても誰にも愛されない命がある。そうした救済策として里子や養子縁組があるわけなのだが、もっと日本に浸透していい仕組みだと思う。海外のセレブなんかだとアンジェリーナジョリーはじめ有名セレブたちは養子をもらい、育て、幸せに暮らしている。日本にも富裕層と貧困層があり、私がとりくんでいる「こども食堂」は「こどもの貧困を救済」するものとなっているが、こどもになる前に貧困に直面し育てられないと施設に預けられる赤ちゃんたち。そうした育成歴があってもいい里親に恵まれると本当に素敵な大人に育つ。自分が子供を産んだから言えるのだが、血がつながっているかどうかってそんなに重要なことだろうか。私は自分が子供を産む前は、姪っ子がかわいくてたまらなかった。それだって血がつながっていると言われればそうだけれど、それも違う気がする。自分を慕ってくれる小さな命がただただかわいかったということなのではないかと思う。

子どもを育てる、その前に結婚、少なくとも旦那、もっと端的に言えば種がいるという考え方を捨てて、そこにある命を育んでみたらどうかと思う。余裕のある富裕層のリッチピープルに、犬や猫とかペットもいいけれど、養子をもらうという選択がもっとブームにならないかとも思う。一時の流行で飽きたらすぐにぽいという人もいるかもしれない、でもそれだって新たな社会問題としてみんなで考えればいいし、そうした活動もある。最初から何もなく施設で育って施設から住み込みの働き口に行くというより可能性が広がると思う。私はもう今手いっぱいで来年ほかにやらないといけないことが結構出てきてこれには着手できないけれど、誰かが言い出してやってくれないかと期待する。ひとりで十分、楽しいし友達もいっぱいいるしいざとなったら高級老人施設に入るというのはそれはそれでいいと思うけれど、そこにあしげく通ってくれるかわいい存在がいるといないのとでは違う味わいもあると思う。あーでもうちの子どもたちは私の時は来てくれるかどうか怪しいがまあいい元気なら。

あとはこれを一度書きたいと思っていたのは私の心理学の師匠の師匠の存在が大きい。師匠の師匠は北欧のなんとか大学の偉い先生をしているそうだが養子が三人もいるのだそう。そうして方々で授業や講演をたのまれるとファーストクラスではなくエコノミーでくるのだそうだ。そうしてお金を浮かせて養子を育てているのだという。普通自分が楽する方にお金を使う人が大半だろう。でも師匠の師匠は違うという。人を育てることくらい幸せなものはないのだそうだ。そして師匠は子どもを養子に育てないかわりに師匠の師匠の生徒達を無料で家にホームステイさせたりするのだそうだ。他にも色々聞いて、わたしはすっかり感心してしまった。一体これらの何が素晴らしいのか上手く言えないでいたが、宇沢さんの提唱する経済学の存在を知り、これですよこれと思うようになった。早速正月おばあちゃんちに行く時に夫に話したら、やっぱり奴は知っていて色々教えてくれる。夫の後輩に宇沢ゼミの出身者がいて、あの人もう東京に戻ってきたよなどと話が流れたけれど、さすが私の夫だわと思った。そこからいつも私があちらこちらから「旦那さんに相談したい」とか私が勝手に「夫に言えば解決するわよ」などと言ってそれはたいがいその通り上手くいくけれど、これってプロに無料で頼んでそれっきりというヤツじゃない?私と友達だからってただで夫を使っていいと思う方がおかしいとか私が言い出して夫がそんなもんだよなんて言って、もう今度夫に頼りたいという人が現れたら一回20万円は取る!だって破産して弁護士が管財人になったら20万円最低でも払うことになるでしょう?破産を免れて20万出すのか破産して20万とられるかっていったら前の方がいいに決まってるじゃない。なのにみんな「ありがとう」とメールで終わって普通家にお礼に来るべき事例じゃないの?頭にきたのでそれぞれの年賀状に「夫に頼んだ件出世払いなので忘れないで」とそれぞれに書いておいた。他にも「今年の年賀状は戻ってこないといいけれど」とかもある。なので年々友達が減る訳よ。でもそれでも残ってくれた人達が今の友達な訳で、感謝せねばなるまい。  

なんか結局私がケチみたいな話になったが、それとこれとは違う。プロにただで何か頼みたい人が多すぎると思う。私はまだプロじゃないというかライターはプロだけれど自分の名前を出さずに書く方がいいお金がもらえる感じでまあいいですけれどもそのうち٩(๑❛ᴗ❛๑)۶

言霊について書こうと思ったらまた違うものになった。タイトルをどうしようか考えてみたい。こんなにいろいろ書くのは寝ると背中がぎしぎしと痛くて寝ていられない、起きてスマホをいじるのにも飽き、こうしてパソコンンに向かって手を預けて動かしているとちょうどいい角度になり背中も痛くない。これ一体なんだろう、本当にただの風邪なのだろうか。もう少し様子をみて治らないようなら近所の内科にいってみようか。やっぱり豊洲は便利だな。


annjeri-najoriy


参考記事:アンジェリーナジョリーが養子を迎える理由とは?http://topicks.jp/20549



新年あけましておめでとうございます🎍 

今年は私だけ夫の実家で新年を迎えました。夫の実家の味を習いたいのと、年末年始のお手伝い。

お雑煮は鰹出汁に大根人参牛蒡の千切り、小松菜、鷄腿肉、椎茸、八つ頭、柚ちょっぴり。おばあちゃん、お餅は一個でいいって言ったのに💦色々食べ過ぎて苦しい…  #お正月 #お雑煮 

そしてこの春、やっと大学を卒業します。その後何をしようか考え中、でもその時の色々なテーマは、いつも目の前にふわっと現れます。自分では予測不能な感じ。

「過去と他人は変えられないが、未来と自分は変えられる」

というのは間違い、

「未来と自分は変えられないが、過去と他人は変えられる」

こんな私に、今年はどんなご縁があるでしょうか。自分的にはまずはお母さん業を頑張りたい、昨年は大学の課題や卒論で家族に、特に子ども達に色々迷惑かけたしね。

でも、だからこそ子ども達、逞しく育ったのかなあと思います。

今年の我が家は大きな変化がありそう。どんな時も清く正しく美しく、尽力したいと思います。

本年もよろしくお願い致します

2017年元日

今日は何も予定の無い一日。子ども達は年末年始のスキーの支度をしだし、スノーブーツが小さいだのゴーグルがキツイだの色々言い出した。それなら一緒に買いに行こうと出かけたが、躾のなってない我が家のお猿どもが車の中で騒ぎ出しイートインでタワーソフトクリーム食べたいついでにチャーシューメンもポテトもと欲張り出す。もう明日明後日くらいにららぽーとのZEBIOで買う事にしてお腹を空かせたまま最終目的地へ向かった。

今日の目的は神田の味仙。ここは名古屋人の故郷の味「台湾ラーメン」が食べられる。夏にオープンしてから行きたくて行きたくてたまらなかったお店。そして夫は辛いものが苦手だが、一度食べさせてあげたいと思っていた。帰省した時にヨコイ、寿がきや、櫃まぶし、味噌煮込みうどん、手羽先などなどは食べたが味仙はなかなかタイミングが合わなかった。

味仙といえば私はいつも藤ヶ丘店を利用していた。でも今池本店がやはり一番美味しい気がする。神田はどうだろう。久しぶり過ぎる味仙、とても楽しみにお邪魔した。


夫は大盛りのアメリカン 

私は普通の台湾ラーメン


息子はチャーシューメン、これは辛くない


娘は餃子が気に行ったそう。コチュジャンが入ってぴりりと辛い、息子は食べられなかった、一個食べた後


ちょっと普通のものと違う酢豚。ノンケチャップで酢と醤油と唐辛子だけ?なのかな。少し食べた後。


定番の青菜炒め。多分空芯菜と思われる。味仙の大人気メニュー

普通の台湾ラーメンは辛くて辛くてギブアップしそうだった。夫のスープを飲ませてもらうととても美味しい。今度からアメリカンにしようと思った。アメリカンは辛さがややマイルド、でも夫は大汗をかいていた。

食べ終わってお腹がいっぱいになって思った。美味しいけれど私が思っていた台湾ラーメンじゃないような。でも台湾ラーメンといえば味仙だけれど、私が独身時代よく食べたのはもう少し小さなカフェオレボウルくらいの大きさで飲んだ締めにちょうどいいサイズのものが好きだったのではないか。それにこんなに辛くなかった。そこは青菜炒めはもちろんあったけれど、シジミを漬けたものやピータン豆腐などあり、中国茶を喫する時の小さな急須みたいなのに暖かい紹興酒が入っていたり、一緒に角砂糖をどうぞとマダムが言ってくれたあそこ。あそこはどこだったのだろう。名古屋のプリンセス通りだったか広小路の夜来香だっただろうか。もっと違う名前だったか。どうしよう、全然思い出せない。

でも味仙はちゃんと名古屋の味で美味しかった。ちなみに本場台湾ではこの台湾ラーメンはないそう。名古屋発祥のラーメンなのです。 


台湾ラーメン塩味?そんなのあるんだ!

ここは東京の人にはあまりオススメしない、でももし行くならアメリカン普通サイズに青菜炒めをどうぞ。それから味が濃いと思ったら味のついていないスープをくれるので足して下さいね。

この記事にはウォルトディズニー最新作スターウォーズ、ローグ・ワンのネタバレが出てくるので真っ新な気持ちで見たい方はご注意。しかし、ある意味私のブログを読んでから行くというのもありだとも思う。私はいつもどこかに行く時、予備知識なく出かけることが多い。わざとではなく色々あり忙しくしている間にあっという間にその時がきてしまうというのがほとんどで、もう卒業間近なので言えるが大学の授業もほぼ予習はしなかった。何々を読んできて下さいとシラバスに書いてあったり、これこれこういう作品について学ぶとあってもそれらを読まずに参加することになってしまった。なので授業はいつも未知との遭遇的発見ばかりでだから集中出来たし楽しかったのではないか。何か準備をして出かけるとしたら読書会くらいかなあ、でも読書会も始まる1時間前に読んでショックでがーんとなって気分が悪くなり、そのまま出席してわけわかめになってその後先生に呼び出されてガッツリ色々叱られたという経験もあり、やはり真っ新のまま対峙すると言うのは大切というか、その方が私の場合は何事も上手くいくのではないかと思った。

そんな風に予備知識ゼロで観たせいか内容がよくわからずはっきり言って「全然おもんない」かった。スターウォーズのスピンオフのせいか、最初にテーマソングとあのロゴが出て来ず、宇宙映像からすらーっと始まり「ちょっと!あれがないとスターウォーズじゃないじゃない!」という出だし、結局違和感を最後まで抱えた映画鑑賞となった。そもそも字幕付きの映画を選んでしまったものだから、お猿ちゃんは読めない漢字が多いせいか、ストーリーについていけなかったのか途中で寝てしまった。吹き替えじゃない!間違えたー!!と家族の方をチラとみたが、誰も文句を言いたそうな人はおらずほっとした。なんかまたヒロインが主人公で、エピソード7と同じような始まり方と女優さんで、なんていうか悪い意味の既視感だらけ。あの剣の達人は日本を代表する映画「座頭市」のパくりでしょう。ダースベイダーが登場するところも仰々しすぎて小林幸子が登場するかと思った。いくらなんでもやり過ぎだし、中国のパクリはダメでディズニーだと許すというのはもうやめる時期にきたのではないか、ジャングル大帝がライオンキングのパクリだと皆が知っているのに未だに何も言わないのは手塚治虫が亡くなったせいだけではないと思う。これでは生徒のプライベートなステイタスをみて態度を決める京都造形芸術大学通信教育学部文学コースのあの先生と同じじゃないのと思った。

そもそも観ているうちに、誰が敵か味方がわからなくなり、私がヒロインだったら間違えて味方撃っちゃうかもとか、パイロットのヘッドフォンにコードがついてるのってちょっと近未来映画におかしくない?もうコードレスじゃない?とか、そもそもこういう映画にありがちな少数精鋭がすごい数の多勢に打ち勝つというのはありえないとか、あの織田信長ですら明智の多勢に負けて本能寺に消えたし日本人としてはちょっと受け入れられないとか、色々考えだしたら疲れてしまいもう出たくなった。でも今日は車で来たのでコートもなし、歩いて帰るのは寒いし面倒だしと最後まで観ることにしたが、ラストもよくわからなかったのでネタバレもなにもない。


なんか貰えた。シート?

帰りの車で家族とああでもないこうでもないと話すと、夫と娘ちゃんは面白かったと言い、娘は敵と味方がちゃんとわかったと言っていたし、ヘッドフォンのコードの件も、未来に行けばいくほと傍受の危険性が増し、逆にコードのものが増えるのではとも言っていた。「主人公死んじゃったねえ」というが私は全然気が付かなかった。「男の人とイチャイチャしてエンドだったじゃない?」と言えば、「最後に惑星が吹っ飛ぶ前で、最後に愛を確かめ合うたびにくっついていた」などとこれは夫から解説された。本当に最後の最後にレイア姫がチラッと出てきたが、エピソード7からすっごく若返っている!「ねえ、すごくない?整形したのかな」などと言えば今度は娘が、「ママ違うよ昔の映像を使ったんじゃない」と言う。R2D2と3POも出てきたそうだが私は全然わからなかった。ともかく何もかも私の中では辻褄が合わない納得のいかないものだった。

「もう年末スターウォーズはやめてクラックコンサートにします」と宣言したらブーイングが出たということは、私以外の家族は年末スターウォーズ続けたいと思っている模様。そもそも私はディズニーランドが好きではない。スターウォーズをディズニーが買収したと聞いた時は嫌な予感がしたが、やはり当たってしまった。ディズニーといえばディズニーランド。あそこでミッキーマウスが「ようこそ、みんな」などと手を振れば、こうやってみんなを騙くらかしてお金を巻き上げて、子ども相手のホストネズミだわと思ったりする。ゲートの周りにショップをぎゅっとたくさん作り、行きと帰りにもお金を巻き上げるように仕組まれ、園内のあちらこちらにもポップコーンだの玩具だの屋台や出店が山盛りで、子ども達はいちいち強請る。夜遅い花火を見上げる頃には財布はからっぽになっていて、もうパチンコなどのギャンブルと一緒じゃないだろうか。今日こそ今日こそと夢をみてパチンカスどもは軍資金を握りしめ朝から行列をつくる。それはディズニーランドに夢をみにくる兵共(つわものども)と同じなのではないだろうか。日本にもカジノが出来るそうだが、結局お金を吸い上げられて疲弊するのは同じような「ハマる」人々、夢の後には何も残らない。本当にどれも勿体ないお金の使い方のような気がする。

そういう文句をべらべら話していたら、娘が言った。「去年もママは同じようにディズニー嫌いって怒ってた」という。そうだったかなあ、もう覚えてないよ。「ともかくママのスターウォーズはジョージルーカスの息がかかってる1、2、3、4、5、6までしかスターウォーズと認めない!」といえばまた娘が、「でもママ、エピソード7の最後ルークが出て来て終わって、もう!どうしてこんな終わり方するの!次見ない訳にはいかないじゃないって怒ってたよ」という。はっ!そうだった。あの最後の最後にルークが出て来て、何よどうしたのディスニーはこうやって引っ張ってリピーターを増やす阿漕な会社だと思ったのだけは思い出した。ジョージルーカスがなぜディズニーに「もうこれでお終い」と宣言したスターウォーズを売却したのか本当の理由はわからない。ディズニーの手に渡った途端、ジョージルーカスが撮影現場から追い出されたとも聞いた。もうスターウォーズはスターウォーズであってスターウォーズではないのかもしれない。新しい事やものにすぐに親和出来ないのは老いの兆候なのだと最近聞いた。先日作ったメガネの度を強くしたら手元が見えにくくてびっくりした。そして今日のスターウォーズ。面白くなかったというより、自分がついていけなかっただけじゃないかなとも思ってがっかりしてしまった。でも字幕が読めたり色々解説してくれたりして、娘がちょっと賢くなった気がしてこれはなんとなく辻褄が合い喜ばしい出来事だと思った。おしまい。

追記:こんな記事があった。やはり予習は必要かもね!

『スターウォーズ』シリーズのスピンオフ作品『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』の公開が2016年12月16日に迫っています。メイン作品である『エピソード3』と『エピソード4』の間の物語が描かれる注目作。そんな『ローグワン』の知っておくべき30のことを紹介します。http://ciatr.jp/topics/110733

昨日までの3日間のスクーリングが終わり、その合間にも色々があり今日はちょっとくたっとしている。でも卒論の締切があと一ヶ月に迫り、スクーリングのレポート、課題、テスト、仕事の締切は明日まで、子ども食堂の準備や各機関への周知、お礼などなどする事はてんこ盛りで、「11月になったら余裕できるから連絡する」などとあちらこちらに言っていた自分を叱りたい。でも12月14日過ぎれば今度こそ時間が出来、あれもこれもそれも全部大丈夫だと思うのでよろしくお願いします。

最近ブログ書く時間がなくなってしてしまった。スクーリングに参加している方々にも「ブログ相変わらずすごいね、いつ書くの」などと褒めて頂いたが、ブログを書いていた時はブログだけ書いていたから出来たのだ。だいたい朝から書いて、半日くらい校閲し修正加筆、なので本当にやらないといけない方は「なんとかやっている」状態で全然思うように出来なかった。

ブログ書く前は大学の勉強もしっかりやっていて、一年で41単位とれた。我ながらすごい。それがブログを書き出してから全然勉強が疎かになり、あの事件もありでモチベーションがガックリ無くなってしまい、今年はやっと21単位(そのうち8単位は未修得)で卒業要件62単位ギリギリ。ブログを書いていなければ大学でも様々な騒動に巻き込まれることもなかったし、成績優秀で表彰も得られたかもしれない。その前にもっと単位がとれただろう。

でもやっぱりブログは書いて良かったとも思う。でも悪かったとも感じる。トータルすると自分的には損をしていると思うけれど、こども食堂という活動に繋がったり「私もそう」と実際に声をかけてく゚ださる方もみえて、なんにもなしで知らん顔して暮らすよりは自分らしく生きられたように思う。これから一ヶ月の間、こども食堂のブログは更新するけれど、こちらはしばらくまたお休みになると思う。

毎日毎日色々なことがあり、じっくり書きたいけれど時間がないのが本当に残念。過ぎてしまって思い出しながら書くというのは性に合わないので多分もうこのままだけれど、FBやTwitter、インスタグラムの方ではざくざくやりたい。でもSNSの特性の中で、私はやっぱり事件や出来事を一覧で観られるblogやインスタが好きなのだと思う。TwitterやFacebookって情報が流れて下の方にいってしまう、それはなんとなく勿体ない気がするのだ。ということで今からまた最後の追い込みで色々やりたい。

と、意気込んでいるところにおめでたいニュースが。我らが小池百合子さんのフィクサー音喜多駿さんと三次由梨香さんにお子さんが誕生したと記事が流れてきた。昨日TOYOSUマラソンで挨拶されると聞いていたのに、他の方の記事をみると三次さんがみえないのでもしやと思ったらまさかの。今朝早く可愛い女の子が産まれたそう、おめでとうございます。タイムラインが祝福のメッセージでいっぱいになっていた。今日は68年に一度のスーパームーンの日、そんな日にご出産なんて由梨香さんらしいなと思った。本当におめでとうございます。ゆっくり休んでまたみんなを明るく照らしてください。

そして偶然今日はうちの息子の誕生日でもある。8歳になる彼は、私のせいで物心ついた頃から様々なものに巻き込まれ大変な目に遭ったが、今はそんな気配すら感じられない程逞しく成長してくれた。それもこれも私ではなく、やっぱり周りの暖かい目や救いの手のお蔭だったと思う。人間関係で傷ついた者は、人間関係でしかそれを癒せないという心理学的学説があるが、本当にそうだと思う。本当にありがとうございました。私も大学なんかもう嫌い!とか言うけれど、やっぱりこっちの大学に入学して学友に恵まれたのは良かったと思うし、傷を癒せたように思う。

話変わって私は大学の卒業式には出席しない。しないのではなく参加出来ないのだ。この夏にもう一日も大学に通わず通信科目だけで卒業すると決めて、その通りにしていた。理由は、Oが原因でトラブルが起こり、もう大学に行きたくなんかないと思い詰めたのだ。実際にそのO私がそうなることを見越して策を立てたのだと思う。(Oは新任の講師、私は先生とは呼びたくない、先生じゃないから)

組織のハラスメントを防止しなくてはならない理由は正にここにあり、学びや勤労意欲などのモチベーションがあっという間に消えてしまうからだ。自分がそうなって本当にわかった。もう一ミリも大学の勉強などしたくない、出来ればもうこのままやめたいとも思った。京都造形芸術大学通学なんかに編入した自分を呪った。学友達は心配して何があったのかと聞いてくれたり、聞いてこないけれど察して慮ってくれている空気はひしひしと感じた。なので学友達にも申し訳なく、余計大学を遠ざけていたのだ。

実は私も、僕もと、大学が嫌になりやめたい休学しようかと言う学生が、文芸コースには割といる。「私だけじゃないんだ」というメッセージがあちらこちらから届いた。神様はいるというのかいないというのか、そのあたりからのものではないだろうか。

また通信と通学の単位を数え間違えて、まだまだせっせとキャンパスに通わないといけない事態となった。そんなあたりから学友ともまた交流出来て話してほっとし、少し立ち直った。そこから様々なTODOが流れ込み、悩む暇がなくなったのも良かったかもしれない。やっぱり人に傷つけられた私は、人により癒されて立ち直れたのだ。

そんなこんなで事務局の方のご支援により単位もなんとかなりそう。だが卒業要件と卒業式の要件は違う。京都造形芸術大学通学の卒業は3月末と4月末があり、卒業式は3月末。4月末に卒業要件が整うものは卒業式に出られない。来週滋賀と京都を周る授業があり、これに出席すれば卒業式には出られるが、私はこの授業をキャンセルした。忙しくなったのもあるし、指を三針も縫うけがをしたというのを理由にしたが、本当の理由はちょっと違うところにある。二年前武蔵美で編入するための単位のために頑張っていた私なら行っただろう。

でも今の私、どうしても京都というか、関ケ原を超えて向こう側に行く気にならない。大学本部のある京都に行きたくないのは前提だか、ひとりで旅行する気持にならないというのもある。そんな風に未知の土地を訪ねるならひとりじゃなくて誰かといきたい。そして今は心身ともに消耗して弱っているところ、夫の背中にくっつくか子どもを抱えて暖かい寝床でうつらうつらして体力を温存したい。ただの怠慢ではない「今はそんな気持にとてもなれない」のだ。

その授業の代わりに、翌年1月の「日本美術史」の授業を受けることにした。琳派、狩野派、伊藤若冲。武蔵美から始まり足掛け8年の長い美大生活で、すっかり日本美術が好きになった。

昨日は私が大学嫌いになったきっかけとなったOの授業は出席を拒否られ、追加募集のあった同じ日程の、歴史学のコースの授業を受けることになった。コース外の授業はあまり気がすすまなかったが、結果的には受けてよかった!本当に素晴らしい講義だった。

論文を書くためには何をどうしたらいいのか、各分野の第一人者の先生がオムニバス形式で講義された。 先生たちは古典芸能を調査するために鼓などの古典芸能を自らも学ぶとか、古文書(こもんじょ)を探して発見した時の喜び。それらを実際に拝見したり、先生達がどんなに苦労をして調査分析しているか、でもそれらが本当に楽しくて仕方ないというのもよくわかった。京都の大学ならではだろうか、歴史遺産コースが人気の理由もわる。なんていうか、浪漫に満ち溢れている。



この授業は三年次から受けられるとシラバスに書いてあるが、入学したての一年生から受けるべき授業ではないだろうか。自分の学ぶジャンルの未来や到達点についてイメージしやすい。また、学生の論文というと先行資料をまとめるものが多いが、こうしたもう一歩踏み込んだアプローチの仕方で、新知見(しんちけん:全く新しい発見)が得られるかもしれないというロマンは、学びモチベーションを高みに誘うだろう。私ももし、武蔵美でも京都造形でも初年度にこういった授業を受けていたら、卒業制作は全く違うものになったと思うし、もしかして違うジャンルに進んだかもしれない。

それに、何かひとつの事に興味が湧くと、徹底的に調べないと気が済まない粘着質な私のこの性格は、こうした研究分野にもしかして向いていたかもしれない。私って本当にしつこいから。 今、卒業制作をギリギリになり四苦八苦しているが、作品を何度も一から書き直しているせいで、研究がすすまないといった類ではない。もしもう一度大学生が出来るなら、今度は「研究論文」を書いてみたいと思った。 

と、話が逸れたが本当に意義のある素晴らしい授業だった。科目名は「文化史特論」。歴史遺産コースの必修だそうで、定員オーバーで受けられない場合もあるが、是非受けることをお勧めします。

という事で、次回大学生活最後の授業は東京で、外苑キャンパスで授業を受けることにした。そもそも私は「東京のキャンパスだけで卒業出来るから」という前提でここに入学したのだ。卒業式だって最初から出席するつもりはなく、卒業証書だって事務所にさらっと取に行く感じで全然かまわないと思っていた。

でも卒業式に出たいと考えだしたのも、学友が楽しみにしている人が多く、それなら私もと思い出したのだ。でも今は大学に対する感情や想いは「みんな」とは全然違うものになっている。それでもみんな違ってみんないいと分かつことなく仲良くしてくれて、感謝せねばなるまい。 卒業式に出席出来ないのは残念だけれど、みんなと縁が切れる訳ではない。自分がアサインしていない文芸コースの授業でも、私が行くとなんだかんだ学友達が代わる代わる話しかけて構ってくれて嬉しかった。

女子達が群れ群れてお喋りしてるのはまさに女子大生という感じ。年齢は関係ない、みんな女子に戻って学び群れてお喋りして姦しい。あとちょっとでこうした雰囲気とお別れかと思うと、寂しく感じられた。今日で文芸コースのみんなとは、実質お別れの日なのだから。 そのせいもあり、休憩時間は何度も教室をのぞきに行ってしまった。       

さて、私が武蔵美に入学して初めて書いたレポートは「日本美術史」だったというのを最近思い出した。なぜなら最後に書くだろう課題は、京都造形芸術大学の「日本美術史」になりそうだからだ。なんというか、面白い偶然だなと思う。それにしても、通信生とは思えないくらいなんか色々あった、でももうあとちょっとだねえ!

徒然に書いていたらこんな時間になってしまった。今日は幸い出かける用事がないので夕飯は冷蔵庫にあるもので工夫して一日篭らなくては。全部終わったら映画みて展覧会にいって買い物にいって美味しいものを食べに行きたい。そう思いながら年をとっていくのだろうか。

最近いつの間にか息子の背が伸びた気がしていた。ぎゅっと抱っこすると頭が私の鼻のあたりまでくるのだ。この前まであごのずっと下だったのに。そうか、もう8歳かあ。あれから8年も経ったのか。息子が生まれた今日を思い出す。娘は誰に教えられるでもなく「ハッピィバースディツーユー」とずうっと生まれたばかりの息子に向かって歌っていた。私と夫ははっとして、そうだ、今日はゼロ歳の誕生日なんだと思ったものだった。娘をうんと褒めたいい思い出。

うちで食べたパティスリーSAKURAのケーキ

おばあちゃんちで食べたケーキ

大学卒業したら今度は何しようと考えて、美術史だの版画だの大学院だの心理学だのパートだの色々思うところはあるが、まずはお母さんを一年くらいはちゃんとやろうと思った。

息子の誕生日と気付いて慌てて作った。


昨日月曜日は小学校運動会の代休だった。特に予定も入れず、映画でも観に行って秋の準備など一緒に買い物をしたり豊洲スウィーツを楽しもうと目論んでいたが、映画は娘が行きたくないと断られた。それならせめてと豊洲ビバホームに出掛けてついでにランチをしたが、プロシュートに目をつけた娘に散在させられ、サイゼリアランチ二人で3,000円という豪遊をしてしまった。まあ私がワインデカンタとグラスビールを頼んだせいもあるんですけれどもね。ワンコインランチにドリンクバーで1,220円で済むところがまさかの。

娘はサイゼリアに来たのは初めてらしく、「ふうん、なんか面白いね」などとご機嫌だった。多分次は夫を誘い最初からプロシュートダブルを頼むだろう、連れて行ってよかったのか悪かったのか。これもママ友付き合いをしていない弊害なんだと思った。普通お母さん同士でサイゼリアに来ると、そんなに高いもの珍しいメニューなど頼まない。だいたい同じ相場の値段のものを頼み、子どもはキッズメニュープラスフリードリンクでジュースを楽しむという事になっている。昼からアルコール飲んでるママさん達もいるけどね。 ともかくそういうファミレスにきた時のセオリーを知らずに娘は育った、まあ今更仕方ない。

食事をしながら色々話す。子どもが学校の話をするので私も流れで大学の友達とサイゼリアに行って楽しかった話などをすると羨ましがっていた。飲み文化を否定する人もいるけれど、やっぱり飲みながらだど色々ぶっちゃけられて楽しいとか、最近は大学行きたくなくて困るけど単位取らないと卒業できないから我慢して行ってるなどとここでも娘にぶっちゃける。「授業料払ったら何がなんでも卒業しないと損じゃない?」と、将来娘が大学嫌になって中退したいなどと言いだしたら思い出してもらって「あのママだって我慢してたくらいだから」と卒業を目指して貰えるようにと少々熱心に話した。

先生とか親とか尊敬出来て好きになれればそれは幸運だと思うけれど、ある程度大人にならないと選べないもの(子どもの担任の先生のことではないです)だし仮に将来そういうことがあっても気にしなくてもよい。ママだって大学に大嫌いな先生がいるけど仕方ないと思ってるとか、一番大事なのは一心不乱に勉強することなど。無事に学業に専念するとか卒業するとか休まずに行くということが大切などと、最近友達に諭された内容をまるっとそのまま伝えてみる。娘は聞いているのかいないのか、プロシュートお代わりなどと神を冒涜するような事をほざくが、飲んで気が大きくなった私は「まあいいか」と追加してやった。「だから太るんだよ」とピリッとスパイスも効かせてやりつつ。食べる前に色々な買い物を済ませておいて良かった。でなければ娘の言いなりにあれこれ買ってしまったかもしれない。



その後帰って私は疲れて昼寝をしてしまい、娘は多分買ってやったばかりの毛糸でマフラーを作っただろう、寝てたので知らん。クリスマスにおじいちゃんおばあちゃんに贈るのだと張り切って毛糸を選んでいた。ちょっと寝て夕方起きて夕飯の支度をした。

秋刀魚の塩焼き、サツマイモご飯、きのこ汁、入り豆腐、キャベツと胡瓜の塩もみという、安定の和食。facebookでみかけた秋刀魚に切込みを入れて焼くと身がはがれやすくて食べ易いというやつを試してみた。いい感じだった。帰ってきた夫は娘が勉強していないのでまたギャーギャー怒り出した。「なんで勉強させないんだ」と私にまでとばっちりが来て嫌な感じ。サイゼで飲んだなんて知れたら余計にdisられるだろう。内密にしなければ。

ということでワープして今やっとひとり。専業主婦になってから土日祝日が本当に苦手になった。自分が用事があり大学や勉強会などに行く日はいいが、そうでない時は家族と、特に夫と一つ屋根の下にいなければならない。私が家にいるとなると最近はずーっと文句を言っている、もしくは他の家族を大声で怒鳴りつけている。うるさいのでなるべく離れた場所にいると、よく聞こえるように更に大きな声で放言し出すので本当にたまらない。私が何もしないというのは定番の罵詈雑言になっており、たままたコンサートで帰宅時に不在などという日があれば「もう君がいなくてもみんな大丈夫だから出て行ってくれればいいのに」とか「あの時の喧嘩でこれを投げて壊したから弁償してください」とか「全く家のこと何にもしなくて昼間何やってるんだ」と、私が作った手作りの食事をもくもくと食べながらそれはないんじゃないの。こんな風に同じ文句を毎回毎回ループさせてずらずらと並べてならが更にコピペされながらバージョンアップしている。

でもこれら「何もしていない」というのは本当だが実はそうではない。何もしないのは、もう夫や家族の前で何もしたくないからしないのだ。例えば新婚時代は夫の前で甲斐甲斐しく働くのが嫌ではなかった。もともと家事は嫌いでない。料理はもちろんだが、後片付けをして食器やシンクがピカピカになると嬉しいし、洗濯物がパーンと陽に晒されているのをみると気分がいい。床はチリひとつなくつるっと輝き、あちらこちらの棚は綺麗に整頓され、何もかもが整列してそこにある。時にはケーキを焼いて美味しいお茶と共にふるまい、最近の世界情勢や経済のトレンドなどについて語り合う。小さく囁くように流れるのは厳選された名盤のクラシック。そんな時もありましたね、今は片鱗もありません。子どもが産まれたせいもあるし、歳月が人を変えたというのもあるし、色々あり過ぎて余裕がなくなったともいえる。

ともかく家族の前で働くのが私は嫌なのだ。私があくせくしていても誰も手伝わないし、当然のように散らかし続けるちびっ子とデブ夫。「お母さんがやるのが当然」という空気、よそではどうなっているのだろうと時々思ったりする。私以外の家族がのうのうと散らかし続け、私はそれを片づけ続けるって何か罰ゲームか自分が奴隷になったように感じるのだ。なのでもう絶対奴らがいる時は私は働かない。いない時に何もかもする。うちの実家は家事は母の仕事だった、父は本当になんにもしない人で、今でもそうだと思われる。夫の実家もそう、でも今は義父は色々手伝っているよう。ともかく家の中の事は何もかもお母さんがやるという大前提、私は一切受け入れられなくなっている。

先日運動会があり、私は24、25と大学の授業があり参観できなかった。それだけならまだしも、委員会で仕事があり担当が出来なくなった。なので夫に頼んだ。夫は大袈裟に子ども達に「これこれママの代わりにこういう仕事をする」と吹聴していた。でも今年の委員会は娘の学年で担当している。むしろいつも私が夫の代役をしていて、たまたま今回は夫が従事出来たという事になるのではないか。しかし私はそんな意地悪な事は言わない。子どもが意地悪を覚えると気の毒だからだ。

さらに夫は当日の弁当まで作る気満々で、「ママのお弁当がいい人~!パパのお弁当がいい人~!!」などと子ども達に向けて採決などしだし、そう言われてどっちでもいいと言う人はいない、張り切って作りたいという意志を子ども達は尊重していた。私は私でお弁当についてメニューを考えていたのだが、作ってくれるというなら異論はない。なのでほっておいたら当日思った通り早起きをして嬉々として夫は弁当を作っていた。出汁巻き卵を作るからと前の晩から出汁をとる気合いの入れよう。大学に行くから私にも詰めてよというと、「ええー信じられない、普通自分で作るよね」などと憎たらしい事を言いながらニコニコと私の分も詰めていた。話しかけて貰えてかまってもらい、しかも弁当を所望したので嬉しくてたまらないのだろう。私は夫の中ではつれない片思いの相手なのかもしれない。なんだかんだ「かまうな」と言われるので構わない振りをしているが、私が気になって気になって仕方ないのだ。ご近所で私の噂話ばかりするボスママ軍団とそのしもべ達と一緒なのではないかと感じる。 


苦しゅうない

そんなこんな準備していると教育委員会から「今日の運動会は中止」とメールがきて夫はがっかりしていた。「明日も作らないと、ま、いいか」などとそこはかとなく嬉しそうだった。明日もお弁当が作れる!と思ったに違いない。夫は料理が好きで好きでたまらなくなってしまったのだ。材料を吟味し、自分の好きな食材で好きな料理を好きな味つけで作る。こんなに楽しい事ってあるだろうか。私も料理だけは大好きで、料理しているとストレスも消える。夫も同じ楽しみをみつけたようだ。なので夫が作る弁当は美味しい。自分も美味しいと思うが「美味しかった」と言ってもらえる喜び、楽しみ。私が料理を好きになったのも、妹たちが美味しい美味しいと私の料理を食べてくれたからだった。実家の母は洋風の料理が苦手で、カタカナメニューはほとんど私が今も母が愛読している『暮らしの手帖』で読んで作ったものだった。特にグラタンが大うけで「お姉ちゃんのグラタンは世界一美味しい」なんて言われてしょっちゅう作ったものだった。

そのまま大人になり、ひとり暮らしをしている時も基本は自炊だった。あるものでささっと美味しいものが出来ると、私って天才だとか、家族が出来たらもっと美味しいものを食べさせようと楽しんで作っていた。いつまでも結婚しないので独身主義者と思われていたようだが、私にしてみれば「いつか結婚して家族が増えて忙しくなり自分の時間など無くなるに違いない。なので今のうちにせいぜいゆっくりと一人の時間を楽しんでいるのだ」と考えていて、自分に結婚しない人生とか、生涯独身などある筈がないと一ミリも疑わずに暮らしていた。果たして現在その通りになったが、結婚した時に何も出来なかった夫が甲斐甲斐しいママみたいになるとは思わなかった。これは嬉しい誤算でもあり、うっとうしい現実でもある。

だいたい「夫が弁当を作った」というと驚かれるが、それがそもそも男尊女卑の根源なのではないだろうか。確かに受けるだろうなとFacebookやインスタにアップしたりして関心を誘うが、これも「珍しいだろう」という自分のそういう考えも根底にあるからだろう。女は家の仕事をする生き物、男は外でマンモスを狩る性なのだと。芥川賞を受賞した『コンビニ人間』にも同じフレーズが出て来て、人は考えることは皆同じなのだと思ったりした。

でも私だって色々やってるよ!専業主婦だからイチイチやった事を言わないだけで、今日は朝から冷蔵庫の中を掃除した。棚を外し洗剤で綺麗にして、チルド室のボックスも外して丸洗い。うちの冷蔵庫は大型なので大変だった。しかもソースや何かの食品がべとべとに貼りついていたりしてこすってもとれない。やっと終われば更にキッチンの壁や棚の開き戸が汚れているのが気になり出す、それが終われば今度は床が、洗面所がと切りがない。腕がいたくなってきたところで今日はもう止めようとブログを書いている。この後だって食材調達にいったり洗濯物を干したり、夫が干してくれたものを干しなおしたり。厭味じゃなくて夫は適当に干すのでしわになったり洗濯物同士がくっついて乾かなかったりすることがある。トイレなんて数日何もしないと匂うわトイレットペーパーの屑や芯が散らかり放題で場末のご不浄みたいになる。そういうのを人知れず黙ってもくもくと綺麗にしている存在、お母さん以外の家族は「家のことは全部小人さんがいつの間にかやってくれている」くらいに思っているのではと疑念ばかりだ。

逆に夫は何かする時は自分を大絶賛しながらする。「僕って偉いよなあ」「こんなお父さんいる?」「ほらっこんな事までやった」などなど。私のいない時に何かやると後で必ず「これこれこんな事をしてあげた」と申告される。昔はいちいち「ありがとう」とか「助かる」などと言っていたが、もう最近は言われると「ねえ、それ私の仕事なの?」とイライラしてしまう。私は見えないところでやってる。家族がいない昼間、あっちを綺麗にしこっちを片づけ、ゴミを集めて大物を洗濯する。それでも余った時間で課題やったりブログを書いたり時々はランチやイベントに出掛けているといえばその通りなのだが、家庭の中で女の立場は理不尽過ぎるように思えて仕方ない時がある。働いているお母さんなどはどうしているだろうかとか考えると、なるほど専業主婦でのうのうとしているように見える私など顔をみただけでムカついて挨拶無視されても仕方ないかなと思ったりもする。つい最近「こんなブログ書いてるから子どもに友達が出来ない」などと非難されたが、私がブログを書いているのは昨日今日の話ではなく、私ではなく言った方に何かがあり八つ当たられたのだと思われ。もし本当に心配しているのなら私に寄り添うとか子どもを慮るとかするはず。私も子どももいきなりガン無視されるとは一体。ここでも私が羨ましいのだと思えばなんとなく納得。本当に色々大変そう。

そんなこんなで女って面倒くさいしわけわかめで損な生き物だとつくづく思う。考えてみれば近所に男の子の友達ばかりでつるんで遊んでいた時代が一番人間関係シンプルだったような気がする。あの頃女の子の友達もいたが、お人形ごっこが面倒でいつも避けていた。もしあの時熱心にお人形ごっことかおままごととかしていたら、私の人格もももう少しスムーズなものに形成されたのではないかと思ったりする。私はどちらかというと、お母さんよりお父さんがしたい。家でずっと大人しくするより外の世界でバリバリ仕事をして疲れて家には寝に帰るだけ。家にはしっかりした奥さんがいて子どもの教育など何もかも奥さん任せ。時々は色々相談されるが、まあ子どもの意志を尊重してあげようなどと尤もらしいことを言うがその実よくわからないがまあ悪いようにはならないだろうという安心感。いいですね、お父さん。私がお金を稼げるようになったら夫を主夫にしてあげたいと思う。そうすれば我が家は何もかもスムーズで辻褄が合うのではないだろうか。

とはいえ、次に生まれてくるとしたらやっぱり男より女に生まれたいと思う。男って大変で気の毒で可哀そうな生き物だ。カマキリの雄なんて交尾が済んだ瞬間牝に食べられてしまうのだ。それがカマキリの雄の幸せといえば自分が貴重な蛋白源になれる喜びだろうけれども、なんだか残酷な運命だなと思ってしまう。女は愛し合ったばかりの男を情け容赦なくバリバリと頭から食べてしまえる側という弱肉強食の世界で強いポジション。それになんだかんだやっぱり女装は楽しいし、娘を色々可愛くしたりするのも嬉しい。もし私が男でこれらをしていたらだたの変態になってしまう。意識は男側にあり色々考えたりするが、思考回路と性は女で女性を楽しめるということは良かったと思える。複雑に子細に考えるのは得意ではないが、自分の心の襞を読み解くと様々に納得できて良かった。 

今日は更に仕事終わらせて御飯作ってから塾の付き添い、お母さんやりたくないといいつつやるしかない。でもだんだん自分の分担は少なくなってきた、娘がちょっとやってくれるようになったのだ😍嬉しい💖ありがとう🎉こういう時は普通に大絶賛する。


【今回のまとめ】
・私だって家事はちゃんとやってる!
・次に生まれ変わるならまた女がいい。
・あなた方がバ◯でブ◯で不幸なのは私のせいではない八つ当たらないで。



シルバーウイークだったのではないだろうか。いや、いつってこの三連休。三連休から今週末25日までの事をそう言うのだとさっき気が付いた。昨年は5連休だったので"THEシルバーウイーク!" という感じで納得だったが今年はピンとこなかった。でもゴールデンウイークだって飛び石のお休みでもそういうし、まあシルバーウイークということでいいんじゃないでしょうか私が言うまでもないのですけれども。

昨年は連休だったので、娘を連れだし帰省した。夫が連休は勉強させると言い張るので黙って連れていこうと思っていたが、娘が喜んで計画を夫に暴露してしまった。夫は怒り狂ったが最終的には娘と二人で出かけられることになり、ついでに叔父も誘って途中の浜松まで一緒に旅をした。浜松は叔父が新婚時代を過ごした土地で、思った通りに懐かしがって喜んでいた。もちろん青春18切符などではない新幹線の旅、そして浜松で一泊。夜はホテルフレンチ、私は美味しいワイン、娘はフォアグラに狂喜。リッチな旅は娘が「浜松にもう一泊したい」という我儘で二泊し、帰省したらしたで地元で友達にかわるがわる可愛がられ、娘も命の洗濯になったと思う。時々「また行きたいね」とか「フォアグラはどこで食べられるの?」なんて聞いてきたりする。そうだ、お肉屋さんですき焼きなどもご馳走になったのだった。本当に色々とお世話になりご馳走になり、ありがとうございました。シルバーウイークだがゴールデンな連休だったなーとシミジミ思い出す。

そして今年のシルバーウイーク。初日朝は早よから秘密の場所に連れていって貰う。秘密でもなんでもなく、お目当の蟹はいなかったが満足。


満潮でないと蟹は上がってこない模様

そしてその後小学校の委員会の委員会があり、「絶対忘れちゃダメ」と緊張していたせいか無事参加することが出来、良かった。本当に良かった!もう絶対忘れないと改めて誓った。

その後「ホンク!」の千秋楽の日からずっと取りに行っていない息子の自転車を取りに豊洲シビックセンターへ。なぜこんなに放置しっぱなしだったかというと、自転車の鍵を無くしたからだった。そのうち出てくるだろうと思って探したりしていたが全然出てこない、諦めて鍵を壊して(外す)もらうことにしてビバホームに電話してみた。もしかしてあんな簡単な構造の鍵くらい売っているかと思いきや、販売はしていないそう。ま、そうかもね。仕方ないので豊洲シビックセンターに行き、駐輪場の方やセンターの係の方何人かに叱られながらセンターを後にする。こういう鍵をかけたままの自転車を移動させる時は、自転車の保証書がないと話がややこしくなるのを知った。持って出かけてよかった、でなければあらぬ疑いをかけられるところであった。thank youビバホーム!

「どうしてママがこんな目に」「君がちゃんと鍵仕舞っておいてくれれば」と私が言えば「ママが自分のバッグに確かにしまった」などと返される。そうだったかなあ、よく覚えてないよ。などとブツクサ言いながら豊洲ビバホームへ。順番に対応しますからということで、破錠してもらうのに時間がかかる模様。その間買い物でもしたかったのだが息子が「久しぶりに "がすてなーに" に行きたい」という。ええー('Д')なんで急に、すごい面倒。しかも行くなら私が自転車の後ろに乗せて行かなくてはならない。もう重いのに!ぐいぐい漕ぐが倒れそうになりながら、がすてなーにへ、そこからお久しぶりの豊洲公園に移動。ああ~すっごく懐かしい豊洲公園。一体どれだけのドラマを生み出してくれたんだろうという聖地、ここに立てば勝手に様々な事件が起きてブログネタに困った事は一度もなかったくらい。なんだか色々思い出しイライラもしたが、息子の遊ぶ姿をみられてほのぼの出来て楽しかった。息子は砂場、ぶらんこなど遊具で遊び、全然知らない子ども達といつの間にか楽しそうに遊んでいた。この人はもうどこに行っても大丈夫なんだろうなと感心。その後自転車を無事受け取り防犯登録も済ませて帰ってきた。


がすてなーに屋上

次の日は初台にある東京オペラシティ「金子三勇士デビュー五周年記念五大ソナタに挑む!」コンサートへ。オペラシティでのコンサートにお邪魔するのは初めてで、威風堂々たる舞台に胸がときめく。こんな本格的なコンサートに普通は子どもなど入れないとこだが、金子三勇士さんが「三勇士シート」なるものをこしらえて下さり、おまけに子ども500円付き添いの親も500円という破格で素晴らしい座席があったのだ。「子ども達にも本物のクラシックを」という粋な計らい、演奏もさることながらMCも素晴らしく、感謝のスピーチでは込み上げるものを抑えきれず涙を拭うシーンも。わあああああ!三勇士さん!素晴らしいステージをありがとうございました。本当に感動。

その後豊洲から参戦されたご家族と軽く食事をしたが、なんとそのお店で三勇士さんに遭遇( ゚Д゚)びっくりした。個室の方で大勢の方といらしたところをみると打ち上げのよう。ちゃっかり子ども達と一緒に写真を撮らせていただく。子ども達が握手をしようとするので「ピアニストの手に触っちゃだめ!」と叱りつつお礼をのべると三勇士さんは爽やかな笑顔で手をあげてくれる。もう本物の貴公子!ブラボー!はあ~もう素敵すぎる!その場で深呼吸をいっぱいしてしまった。



三連休最後の日は、早朝から娘を教育虐待で怒鳴りつける夫の声で始まった。もう本当にうるさくてたまらない。「なんでやらないんだ」「もう受験やめろ」といういつものセリフの間にちょっと書けないような罵詈雑言を浴びせだした。娘の悲鳴と応戦もプラスされ、リビングダイニングはいつもの如く地獄絵図と化す。止めると夫と洩れなく喧嘩になるのでもうほっておく。娘も「ママは関係ない」などとついでに私の悪口を言い出したりとこちらに八つ当たりするので勝手にすればいいと静観。でも本当に気の毒この上ない。間違いなく頭も性格もどんどん悪くなり、勉強も嫌いになるのがわからないのだろうか。息子はといえば、「パパとカブト虫のシートを取り換えたい」という一心で嵐が過ぎるのを別の部屋でじっと待っている。気の毒なので外に連れ出そうとするが「パパとカブト虫のお~」と抵抗する。それでも「じゃあささっと、ちょっとだけ、ねっ」などと言って連れ出しIKEAに椅子を買いに出かけた。

着けばもうIKEAも半端ない混みよう。この辺りもマンションがどんどん出来たものだから、ららぽーと豊洲と同じ状態、レストランなんて前にも進めない騒ぎ。小さな子供連れが多いのも同じだナーなどと感心しながら息子と軽くランチ。息子はお腹空いていたのか「ハンバーグとミートボール」などと欲張ったことを言う。昨日コンサート行く前に豊洲サイゼリアで色々注文したもののほとんど残して私が食べた屈辱を思い出し「絶対嘘そんなに食べられない」とノーを突きつける。自分も食べようとミートボール12個プレートとキッズカレー、私はサラダとソーセージ。果たして息子は丁度よいボリュームだったようでほぼ完食、デザートはもういらないと言いながら、1階の軽食コーナーで50円ソフトを食べて満足そうだった。あの小さなソフトクリームはコンビニでも販売してくれないだろうか、ちょっと食べたい時にちょうどいいサイズだと思う。

食べた後はお目当ての椅子を倉庫のコーナーから入って探す。ディスプレイのフロアから入ると延々と歩くことになるし切りがない。もう買いたいものやどこに何があるか頭に入っているのでいきなり倉庫フロアで十分。棚から椅子をカートに乗せた息子は、「俺自分ひとりで作ってみる」というので「じゃあお願いね」などといい感じ。帰りの車の中で人生の理不尽、将来の夢などについて語りながら帰宅。夫と娘は機嫌が治ったのか何か折り合いがついたのか平常に戻っていて、息子の椅子作りをご機嫌で手伝っていた。もう本当に面倒くさい人達。私は私の世界があるからいいけれど、息子はまだ小さいから色々苦労かけてしまう。正直連れて出たいという願望はあるが、息子はパパが好きなのだ。早く見限ってくれないかなと祈る。

そして今朝。息子は泣きながら支度をしてご飯を食べ登校していった。先週までは学校の支度がしていないと「お腹痛い」とか「休みたい」などとぐずっていたが、今日はそれら一言も言わずに出かけていった。私が手伝えば秒速で終わるのだが手を出さずに知らん顔していたら、ちゃんと自分であれこれやった模様。きちんと平ぺったく畳めずに丸くなった体操服の袋など見ると、可愛くてへにょへにょになってしまう。ランドセルの中身は大丈夫だろうかとか、宿題出来ているんだろうかとか色々気になってしまう。でも我慢。

そのうちなんでも自分で上手く準備出来るようになり、私の手どころか助言も何も必要なくなる日がもうすぐ来るだろう。そうなったら嬉しいけれどやっぱり寂しい。でも子育ての最終目的は心身ともに経済的にもだが自立させる事、誰かの手を泣きながら待つような人になられては困るのだ特に息子は。夫のようにあれもこれもどれも全部親が構っていたらいい事などひとつもない。その前にいい大学とかいい会社に勤めるとか、そういうのって人間の幸せには何にも関係ないとママは思うよ。子ども達早く大きくなってくれないかな、明日いきなり二十歳くらいになってくれたらいいのに。自立こそが自由の象徴だよ。頑張れ。

そして今週末は子ども達の小学校の運動会。私は24、25と大学。シルバーウイークとは一体なんなのか。でも夏休みよりは涼しいだけマシといえる。そうだ24日はお弁当作らなくては。唐揚げ、タコウインナ、ブロッコリー、卵焼き、デザートに巨砲、水筒に麦茶。今年は4人分作る。「大学なんか行きたくない!でも単位のために我慢!わあああ〜」と言いながら家を出よう。ママだって我慢して頑張ってるよと思ってくれないだろうか。

春休みに帰省した際に「青春18切符」を利用したところ、色々楽しい出来事があったのでこの夏もこれで旅行をすることにした。何度も言って恐縮だが、私は正月とお盆は帰省しない事にしている。帰省ラッシュで混むし寒いし暑いし何かメリットがあるとは思えない。それに実家はもうお盆の行事は何もしていない、行っても東京と変わらぬ日常が待っているだけ、ならば気候のいい春か秋にゆっくり行楽代わりに行きたいと思っている。これを何度説明しても理解不能なご近所さんがいて、盆正月に顔をあわせると「どうして帰省しないの?」「お父さんが待ってるわよお」などとイチイチ言うので本当に嫌だった。だがこの方はあのボスママと同じ小学校に子どもを通わせた途端、私を無視しだしたのでムッとしたがホッともした。これだけはあのボスママさんにお礼を言いたいくらい言いませんけれども。

今思い出したが、他にもこういうお節介を延々と言い続けるママ友がいて、この人は我が家のそんなに多くもない年収を知ってしまったばかりに「帰省しないダメ親」呼ばわりとセットでネチネチと顔を見る度に「いいわね旦那さんお給料よくて」と交互に言われて神経が衰弱した日々も思い出した。まだ娘がゼロ歳の時で、この先のママ友ライフが見透かせるような出来事だった。子どもが同じ学年だからといって、なんでこんな顔見れば厭味ばかりで人の家にばかり来たがる人と「なぜ仲良しごっこをしないといけないの!」と悩んでいたことも思い出した。この人も全然違う小学校なので今は全然接点がない。なんというか、学区分けとか越境とか色々あり、うまい具合に散り散りバラバラになってくれて、豊洲に住んでいて本当に良かったと思った。

さてこの夏休み、このブログをずっと読んでくれている方々なら「高知へ行くのね」と思ったのではないか。私もずっと虎視眈々と狙っていたし、息子をその気にさせるべく「高知は海水浴できるよ」「川遊びが楽しいらしいよ」などとずっと誘っていたのだが、ちらっとその気になりはするがすぐに「やっぱ俺いいわ」などと言う。逆に何が嫌なのか知りたいくらい。SASUKEの森本くんがいないというだけだろうと思うが、そんなに好きなのかと驚く。そして今年の夏はSASUKEを録画し忘れるという失態も重なり、高知行は暗礁に乗り上げた。そんなところに「ホンクロス」。これはミュージカルホンクの稽古から本番までが色々思い出がありすぎ、終わった途端にどっと気が抜けてしまったという意味。打ち上げをして喋り倒しただけではなかなか元に戻れなかった。

それでもせっかくの夏休み、「今年は家族旅行なし」宣言をした夫はほっておいて、息子だけでもどこかに連れていこうと考えていた。高知がダメなら北海道?わーお、いいじゃない行きたい北海道。それとももう少し近く東北花巻に宮沢賢治所縁の地を訪ねるとかどうだろう。いいじゃない!花巻には武蔵美時代の学友もいて、一度いらっしゃいと言ってくれている。湯治場もあるそうで、そこで温泉に出たり入ったり宮沢賢治、というのは息子は楽しくないだろう。ならば一体。

と悶々としているうちに閃いたのが、長野だった。私は長野が大好き。小説家になり書いた作品がドラマや映画化されて稼げるようになったら、長野にセカンドハウスが欲しいと思っているくらい。出来れば軽井沢、ビルゲイツさんちのお隣などと夢は大きすぎても邪魔にはならない。でも今はもう少し静かで大らかな場所がいいと思っている。そうよ、長野よ、距離的にも季節的にもいい感じ。長野は昼間、東京と同じく気温は高いのだが、体感温度はぐっと低いはず。善光寺でホンク成功のお礼参りと新たな野望祈願、それから最近具合があまりよくないという叔父のお見舞いにも。新幹線だと1時間足らずなのだが、青春18切符だとどのくらいかかるだろう。それにもう色々でくたくたで、聖地で心を落ち着かせたいとも思った。

例の如く例によって「何処どこに何時いつまでに」という申告も何もせずに「明日朝5時に出るから」とだけ告げて息子と就寝。だがこれもいつもの如く、息子だけ連れていってもらえるという娘の嫉妬と何も教えて貰えない不満を抱えた夫の嫌がらせで、夜中までドタバタドタバタ大騒ぎ&夫の「勉強しろ」の怒声。息子までも興奮して寝られず、やっと静かになったのは夜中の1時過ぎだった。そこから4時半に起き出し出発。眠くてぐずっている息子を連れて豊洲駅へ。地下鉄を降りたところでAM5時32分。予定では5時33分に乗るつもりだったのだが、まあ地下鉄はたくさんあるしと次のに乗った。有楽町駅下車で山の手線に乗り換え東京駅へ。

ちなみに夫に申告しないのは、色々気が変わってスケジュール変更したり行き先を変えたりすると夫にdisられるからで、旅行ぐらい自由にしたいのだ。もう少し息子が大きくなったら、それこそ北海道のなんとか岬とか、周遊とか色々してみたい。それよりいつまで一緒に付き合ってくれるだろうか。日頃の行いをちゃんとしないと、などと思う。

そんな息子がお腹空いたというので、東京駅の駅弁のお店「祭」に立ち寄る。ここは日本全国の人気駅弁が揃っている大きな駅弁専門店で、よくテレビでも紹介されている。壁一面のお弁当のディスプレイは、眺めているだけでも楽しい。それにしても朝早いというのにレジは長蛇の列、しかも息子は富山の「ますの寿司」が食べたいという。うーんこの丸い大きな容器を抱えて、しかもお寿司を中央線で食べるのは無理だろう。


※ディスプレィもGOOD!東京駅にお越しの際は是非♡


駅弁自体「前のぺしゃーんとした列車」以外で食べるのは無理と気付く。駅弁を諦めて中央線で終点「高尾駅」まで約1時間移動。MAXお腹が空いたと愚図った息子は、高尾駅にあるベーカリーのイートインで「甘口カレーパン」をふたつも食べていた。この「お腹が空いたのに何も食べるものがない」という状況は、青春18切符の醍醐味ではないか。今の食べものが溢れている時代に、貴重な体験だ。私は隣の店ドトールで珈琲とミニサンドのパックを買って電車に乗り込む。高尾過ぎたら小淵沢までJR中央本線、東京を離れれば列車内ものどかで対面席や、小さく囲ってある二人用の席などがある。ちょっぴり虫養いするにはいい感じ。息子はお腹がいっぱいになりタイミングよく寝てしまった。私は外の景色や息子の寝顔を見ながらコーヒーを楽しむ、ああ最高。

ここまで交通費計算。
地下鉄:豊洲ー有楽町200円
JR:有楽町ー小諸4,750円
しなの鉄道:小諸ー上田400円
ここの4,750円が青春18切符なので、11,550円÷5=2,310円で済んだことになる。だが小学生の息子はそもそも半額な訳で2,375円。65円しか得していないことに。でも「青春18切符は一日下車し放題どこでも行ける夢の切符」と言ってあるので高尾下車出来たからよしとしよう。あまりお得感はないが、青春18切符を使ったという事に意味があり、しかも「お金使わないでよもう今月銀行から下ろさないで」と煩い夫にもいい示しになる。ほら、ちゃんと節約してますよという。嫌な夫婦関係だわ。

その青春18切符を有楽町駅で買おうとしたら、息子が「ねえママ、あのう、前のぺちゃーんとしたやつなんかには乗らないの?」と聞いてきた。「前のぺちゃーんとしたやつ」というのは、新幹線のことなのですね。息子は遠慮しいしい新幹線でさあっと行けば早いし楽しいし「俺嬉しい」と言いたかったのでしょう。それをこんな風にもじもじと比喩しながら申告するなんて、なんて可愛いの もう~胸がギュッとしてしまった。ちなみに新幹線だと上田駅までは自由席で6,150円。そこから考えると3,840円お得なことになるが、時間は役5倍かかることを考えるとTime is Money的にはどうなの。やはり青春18切符使うなら高知に行くべきだったのでは、という考えがまた頭を過ってしまった。

 

「姨捨(おばすて)」駅から。日本三大車窓のひとつだそうです

そんなこんなで高尾から甲府到着。ここから小淵沢、そこからJR小海線で小諸、しなの鉄道で上田着。なんだかんだ7時間半もかかってしまった。駅には従妹が迎えに来てくれていた。聞けばちょうど息子さんも東京から帰省する日で、時間も2時だったとそう。全く打ち合わせもしていないのに偶然に驚いた。折しも信州上田駅は『真田丸』ブームで沸いており、どこを見ても六文銭一色。真田の街なんだわと嬉しくなったが今年は大河観ていないせいでイマイチぴんと来なかった。くーっこんな事ならちゃんと観ておけばよかったが、夫とDVDを共有しているせいで、もう観たのかとかまだ観てないのに消さないでとか色々言われるのが嫌で観なかったのだ。

 
六文銭は真田の印。かっこいい!

息子さんと共に車に乗せてもらい、親戚の家へ。これも偶然なのだが、今日お墓参りに行く日で同行させて貰うことに。お盆にお墓参りが出来て満足。従妹の家は大きなカラオケルームまである大邸宅で、息子は図々しくもカラオケで歌い息子さんのドラムセットを叩いたりでご満悦。もうひとりの従妹家族も一緒に夕飯を食べしばしお喋り。よそのお宅なので写真や詳しく書くのは避けるが「田舎だから建った」などと謙遜するが、可愛らしくゴージャスな従妹にピッタリの素敵なお屋敷。玄関は吹き抜けで大きくて豪華なシャンデリアが二つも煌めいているし、なんていうか、もう家とか邸宅というより「城」なのでは♡

私はこの従妹が大好き♡♡いつも綺麗で可愛らしく、その日は白いレースのワンピースを着ていたが、流れる落ちる栗毛と漆黒の瞳に相まってお人形さんのよう。どこから見ても嫋やかでいつも笑顔で声も可愛いくて最高に美人なお姉さん。なのにバリバリのキャリアウーマンで子ども達をバーンと養っているという松田聖子ちゃんなのであった。従妹は濱崎あゆみが好きみたいだけれど。趣味も女らしいフラワーアレンジメントとジェルネイル、趣味というかこちらもプロで、あちらこちらで講師として引く手あまた。でもこちらは本業が忙しくてなかなか出来ないのだそう。 さっすが♡♡ せんべろ.netの好きな私と大違い。彼女はお酒が飲めない。これもまたいい感じ。

彼女をみるといつもいつも思う。「私、外も中もこのままじゃいけないわ」と。もうおっさんは卒業して、私も丸ごと綺麗なお姉さん目指したい!なので帰って速攻白いレースのスカートを買ってみた。GUで黒を買ってホンクの受付や会場案内で重宝したのだが、白もやっぱり。何処に着て行こうじゃなく、日常的にこういう服を着ないとダメなのだとわかった。従兄は私たちを駅に迎えに来て墓参りをし、息子のカラオケに付き合うだけの日でもフル装備だった。起きたら女性らしく装う、それが女性なのだと感じた。どこかに出掛ける時だけ女装する私と大違い。もっと人生色々考えようとも思った。 

翌朝は叔母さんの美味しい朝ごはん。従姉妹の家は私の母の実家にあたり、小学校の頃夏休みといえば図々しくも毎年一週間くらいお邪魔していた。従妹たちと私たち姉妹、山へ川へあちらこちら連れて行ってもらい、時には自然の蛍を見にいったり。大きな空とどこまで行っても自然ばかりという風景は、大人になってもずっと目に焼き付いているくらい幸せな風景。幼い私たちは何も疑問にも思わずそれらを享受していた。本当に贅沢な時間だった。自分の実家ではないのでそんなにしょっちゅうお邪魔するという訳にはいかないが、従妹は「いつでも来てね」と声をかけてくれる。


何もつけなくても味の濃い美味っしい野菜。野菜ってこうでないととシミジミ思う。

話を戻して叔母の朝ごはん。味噌も梅も自家製で、本当に何もかも驚く程美味しい。特に梅は小粒でカリカリしていて、よく「カリカリ梅」などと売っているのを買ったりするが、この叔母の着けた梅に適うものに出会ったことがないくらい美味しい。今回も無理を言ってちょっと分けてもらってきたがまだしまってある。出したら娘があっという間に全部食べてしまうだろう。そのくらい美味しいので、小分けにしてちらっちらっと出すことにしている。そしてついに漬け方の秘密を聞いてきたので来年小梅の時期になったら自分でもやってみようと思う。今年挑戦してみたのだが、やっぱりゆるゆるに身が崩れてしまってがっかりしていたのだ。来年こそ!

息子は息子で叔父が畑に出掛けるのについていき、色々な収穫を楽しんだ模様。ちょっと遅めだがブルーベリーがまだなっていたと喜んでいた。食用ほおずきなども食べて満足そう。叔父の畑は季節の野菜、くだものの他、自家用のかりん、くるみ、りんご、栗の木など、他にも水田などあり、自然のめぐみがぎっしり詰まっている。身体の具合がよくないといいつつ、叔父は毎日ここに様子をみに通うのだそう。農業が好きというより、もう体に染み付いているのだと思う。私が独身の頃はこの畑の横にある山に連れて行ってもらって、栗茸というのを取りにいった。薄茶色の傘の大きなしめじという感じのキノコで、ちょっと干してから炊き込みご飯にすると美味しいのだと言って、ご馳走してくれたっけ。あーなんという素晴らしい楽しい思い出。「イノシシが来て食べちゃうんだ」というのでみると、あちらこちらに大きな穴が空いていたっけ。そういえば今回は近所に熊がでたなんて情報も入ったりした。自然と共生するというのは魅力的だが、大変なことなのだなと感じた。


 

この奥の山で栗茸が採れた

朝ごはんを頂いてお礼を述べて一路善光寺へ。これも偶然なのだが、長野駅で友達を拾うという従妹の息子さんに車で送って貰った。待ち合わせの時間もピッタリで、またまた偶然に驚く。こういうのって誰かが繋げてくれるのだろうと思う、それは多分私たちの祖父母なのではないだろうか。折しもお盆の季節。感謝しつつ、従妹の息子さんと別れて友達と待ち合わせ。今度は3人で善光寺を目指す。

待ち合わせたところでお気に入りのビュッフェランチのお店に。「一粒万平」という信州の自然が山盛りのお店で、聞けばきのこの栽培をしている会社のアンテナショップなのだそう。お腹がいっぱいといいつつ、山盛りの野菜やきのこ料理、特に舞茸などの天婦羅が美味し過ぎていつもの如く食べ過ぎてしまった。食べた後はコーヒーとデザートでほっこり。この日のデザートにはとトマトのゼリーという摩訶不思議なものがあった。食べてみれば納得、トマトのゼリー、これがレモン風味になっていて全然野菜臭くない、というかちゃんとデザートで美味しい。










デザートを食べているとまた出来立ての天婦羅が|д゚)ということでややエンドレス的に食べ過ぎてしまった。でも前に来た時は信州そばが必ずあったように思うのだが気のせいだろうか。でもまあお蕎麦は夜にでも食べればよいと店を後にした。大人1,350円子ども650円。大満足。 


時季外れのツバメが!かわいい😍



参道にはこんな趣きのある旅館も


という訳でお腹も満たされたところで、落ち着いて善光寺まで歩く。でもどうして急に善光寺なのだろうと考えて、色々理由はあるがやっぱり何か呼ばれたのかなと感じた。私の人生の岐路にはいつも善光寺参りがあった。最初は仕事の出張で長野駅周辺の企業にLANの設定をしに来たのが始まりだった。そこで「善光寺お参りしてくるといいよ」と聞いて、ふらっと立ち寄ったのが最初だった。その頃こうしたLANやマシンの設定などの仕事などはあったが、私の希望する職種にはなかなか就けなくて悩んでいた。藁にもすがる想いで祈念したところ、なんと翌日には願いが叶ってしまった。「何をお願いしたの?」とクライアントに聞かれたので「これこれこんな仕事に就きたいと願掛けした」というと、「ああ、あるよ。やってみる?」と。もうびっくりした。その仕事は願ったりかなったりというか、希望をぐーんと飛び越えたような環境もポジションも十分過ぎるもので、その後のMicrosoftへの布石にもなった。

「善光寺すごい」 そこから私の善光寺詣では始まった。今あちらこちらでパワースポットだのなんだの神社仏閣参りが大流行りだが、善光寺の右に出るところはないんじゃないだろうか。そこから結婚、出産、特に出産は二人目がなかなか出来ずに悩んだり、といっても半年くらいだが、一回流産してしまった時にも二人目祈願に来たりした。そしたらまあ可愛い玉のような男の子が。あまり可愛いので玉夫と名づけようかとチラッと思ったくらい。その後も家族で3回くらいは来たと思う。「ボスママが私の前から消えますように」というのも当然願掛けしたと思うがこの辺りはよく覚えていない。そうだ、前も独身の別の友達を誘って友達プラスうちの家族で善光寺に来たのだった。御開帳の時、息子が生まれたばかりでお礼参りだったなとか、あの時一日中おんぶしても楽勝だったのに今は1分おんぶするだけで腰にくるとか色々発見もあった。息子、づくづく大きくなったなあ。




山門

 
小さく写っているが巨大で堂々たる本堂。武田信玄との八幡原の戦いでは上杉謙信の本陣になった聖地。

今回は祈念したいことが多すぎて、前以てメモにみっしり書いてみた。ホンク成功のお礼から、娘も参加できますようにとか、夫の教育虐待がなくなりますようにとか、もっと広いマンションに越したいとか、芥川賞とれますようにとか、まれにゃんが運営に勝ちますようにとか、従妹の悩みが解消しますようにとか、私の美と健康、家内安全、えーとそれから色々。拝観料500円、子どもは50円を支払い、大きな畳のお座敷に座ってメモを読み上げた。

その後は「お戒檀巡り」へ。真っ暗な中で極楽に繋がっているという錠前を探す階段から仏さまの真下に進んでいく、「おかいだんめぐり」と読む。これが本当に真っ暗で、怖いの怖くないの。息子は「俺怖くないもんね」と言いながら、ひとりで二回もチャレンジしていた。前に来た時は私と一緒でも怖がって行かなかったのに。大きくなったなあ(endress

お戒壇巡りとは?HPの説明を転載。

「内々陣の奥、右側を進むとお戒壇巡りの入口があります。お戒壇巡りとは、瑠璃壇床下の真っ暗な回廊を巡り、中程に懸かる「極楽の錠前」に触れることで、錠前の真上におられる秘仏の御本尊様と結縁を果たし、往生の際にお迎えに来ていただけるという約束をいただく道場です。入口には、タイ国王より贈られた仏舎利(お釈迦様の御遺骨)とお釈迦様の像が御安置されています。」 


慈悲深いお釈迦さまのお導きにより、暗い回廊を彷徨い極楽浄土を願う。いったことある人は知っていると思うが、真っ暗って本当に真っ暗。上も下も右も左もわからない暗闇で、混んでいて前に進めない時は軽くパニックになってしまう。閉所恐怖症の私は友達と息子両方に手を繋いでもらって必死で前に進む。もしかして死ぬ時ってこんな感じかなとか、逆に忘れてしまっているが生まれる時にこんな感じなのかなと。生きる時も死ぬ時も、たったひとりで暗闇を彷徨わなければならないのかもしれない。気が付けば現世、そしてあの世だったということなのではないだろうか。うん、多分そう。

無事に出たところで御朱印を頂くための机があり、お坊さん二人が雑談していた。声をかけると近くにある火鉢の由来や役割など教えて下さり、ふむふむと聞きながら記帳していただく。以前は「大勧進」でお願いしたが、今回は本堂で「びんずるさま」のありがたいご利益のある御朱印をいただき非常に満足。

翌朝も早くから「お朝事」というのに参加。これは日の出1時間前から宿坊のお坊さんたちも参加する朝の読経。本堂の前で待つと、あちらこちらから鮮やかな袈裟のお坊さんたちがわらわらと集まって来て目にも楽しい。そして本堂の中に入り、読経を聞きながら昨日祈念したことプラスまだまだ沸いてくるお願い事をブツブツつぶやきながら頭を垂れていると、不思議なことがおこった。煩悩と葛藤との戦いで頭がいっぱいだったのだが、たんたんと延々と続く読経の合唱を聞いているうちに、頭の中でひとつ、またひとつと、色々な想いや願いがひとつひとつ消えていく。ふっと消えたかと思うとまたひとつ風のように消えてしまう。

一体なんだろうと思ってじっとしていると、だんだん頭の中がからっぽになっていく。最後にふたつだけ残り、それがくるくると回っている。それは子ども達の顔だった。笑っているのか泣いているのかわからない。ふたつの顔がくるくるくるくると読経に合わせて回っているだけ、不思議とも変とも思わずただただ眺めていた。そして読経が「カーン」という鐘の音と共に終わり、気が付けば周りの人々はいつの間にかいなくなっていた。頭の中でくるくるしていた映像も終わっていて、一体なんだったのかと考えてみた。それは言われるまでもなく、子どものことをもっとよく考えなさいというお釈迦さまからのメッセージなのでは。深川のお父さんに言われた事が、ずっと尾を引いているのかもしれない。お父さんに言われなければ、今頃子どもを差し置いて、ミュージカルのワークショップに参加していたんじゃないだろうか。原点に戻ってまずは課題をやろうと思った。南無南無。

ホテルに再び戻り、早速帰り支度。青春18切符の旅は移動に時間ばかりとられる。早め早めにしないと、何かあった時にまたタイムロスになりかねない。でも生憎雨の予報。早めに松本に寄ろうと言うことになった。松本は友達の好きなミナホルペネンのショップなどもあるし、城好きな私は松本城あたりを散策すればよい。

松本駅に到着。列車を降りるとものすごい日差し。台風や暴風雨はどこへやら、雲一つない晴天。聞けば松本城はここから徒歩20分。その手前にオサレなファブリックや雑貨を扱うブティックがあるという。駅でもらったパンフレットで周遊バスがあると知る。赤い水玉の可愛い草間彌生バス、これに乗って駅から20分かけて松本城まで行ってぐるっと帰ってくるという。これで松本城にいってもいいし、途中下車してショップに行ってもいいし、そのままぐるっと帰ってきてもいい。料金は200円。協議の末、友達は徒歩でブティックへ、私と息子は周遊バスで松本城をみてぐるっと周ってきた。いつものセリフ「俺、城なんかみたくない」と言っていたが、バスが楽だったせいか喜んでいた。よかった。友達もどこまで行ったのか、約1時間くらいしてまた駅に戻ってきて一緒にお蕎麦を食べた。

さて次の電車と思ったら、なんと行ったばかりで次はまた約1時間後。すごい、東京ではありえないタイムテーブル。駅ビルのテナントなどと冷やかしたり、私はお土産などを買い込む。改札で「中津川行きがあり、塩尻で乗り換えれば東京に行ける」というのでホームに行くと、そこにいる駅員さんが「それなら次の小淵沢行に乗れば同じこと」などという。ホームが違うので移動しようとすると、友達がこれで帰るというので見送る。後にメールで「お母さんが心配になった」とあり、「また東京にも来てね」と返事した。

友達を送り出して、一緒に奈良に行った事を思い出した。数年前ボスママ達からのハラスメントがピークで鬱になり死にそうな時、同じく悩みを抱えていた彼女ともうひとりの友達と女ばかり三人で奈良の脳天神社というところに鬱封じにいった。何故奈良に?どこでそんなところを知ったのというのはまた別の機会にするとして、「私なんてひとりぼっち」と鬱鬱としていた気持ちはこの旅行であっという間に霧散してしまった。心配してくれて、一緒に旅をしてくれる友達がいると気が付いたし、祈念したご利益もあったのだと思う。東京から遥か遠い奈良への旅は、本当に心癒された楽しいひと時だった。



色々思い出しているうちに高尾駅、そこから三鷹まで来てお手洗い下車。三鷹、そうだ、息子のあれこれでキャンセルしてしまった約束をもうひとつ思い出す。先生が怒っていませんように(:_;)ブルーになりつつ帰途についた。

三鷹からはもう本当に東京色だと感じた。ずっと普通列車に乗っていると、行きの下りはだんだん東京色が薄くなり、帰りの上りは濃くなっていく。例えば人のスピードとか、乗っている人の種類だとか。三鷹を出てすぐ列車が揺れて近くの人に体が触れてしまった。汗がべたっとして気持ち悪いよう!するとその初老の男性は「ちっ、触んな」と苦々し気にこちらを睨んできた。なんなのそれこちらのセリフよと思いつつ、こちらがよろけたので「すみません」と謝って席に座った。

座って息子がお菓子を食べていると、目の前の初老くらいの今度は女性が、「まったく」とブツブツ言いながら息子を凝視している。うわっ怖い!と思いつつお菓子を仕舞わせる。ふう、やれやれ。そして今度は市ヶ谷で地下鉄に乗ったら息子がいない。扉が閉まりそうで焦って息子を呼ぶと、近くに立っていたオタクっぽいこれは、うーん、青年?が「シェーッ!」と叫んだ。えっ?何、何??驚いてみると、ちらっとこちらを見ながら違う車両に行ってしまった。一体なんだったのだろう。息子はといえば開いていた近くの扉から飛び乗ったようで、何食わぬ顔でいつの間にか近くに来ていた。忍者?それはともかく、東京はなんていうか世知辛い。世知辛い色が東京色なのだ。 逆に東京から離れれば離れる程、そういう色が消えていくように思う。鈍行に乗っていると、だんだん、だんだんというのがよくわかる気がする。

豊洲駅を降りると雨がパラパラしていたが、傘もささずにそのまま家まで歩いた。色々あったけど、いい旅だった。息子は覚えていてくれるだろうか。そしていつまで一緒に旅をしてくれるだろう。来年の夏は娘の受験で家の中は更に大荒れに荒れると思われ、ミュージカルに参加予定がないのでかなり余裕があるだろう。もっと早めに色々プランを練らねば、何か息子が喜ぶような。そして気温が高くて暑くて虫がたくさんいて日に焼ける高知は論外、イケダハヤトさんのブログやTwitterをみるうちに気が付いたのだ。高知は温暖、ということは暑いのでしょうね、それから虫対策の記事でえええっと思い、イケハヤさんがすっごく日焼している画像でおおおっと怯んでしまった。来年一年高地で暮らしたいという気持ちは、息子が断るまでもなく私も消えてしまった。気持ちがフラットになったところで一から色々また考えてみたいと思う。

帰ってお財布を確認すると、3万円持って出て残金は8,515円だった。パスモやnanakoを使ったことを考えて、だいたいトントンだったと思う。お土産代が約7,000円だったので、これを引けば25,000円くらいだったのではないか。お土産代は旅費や諸経費ではなく交際費なので計上からは外して計算。やはりなんだかんだ青春18切符の旅はお得!やっぱり善光寺のお釈迦さまが呼んでくれたのだと感じた。でも夏の青春18切符は正直しんどかった。これからは春限定で使う事にしたい。息子、付き合ってくれてありがとう。今度は前のシュッとした乗り物、新幹線って言えばいいのに可愛い奴、これに乗ってどこかに行こうね。 息子とべったりくっついて鈍行でお喋りしたり食べたり笑ったり、これが一番楽しかったかな。息子は畑の収穫が一番楽しかったそう。今度は栗茸取に私が山に連れて行って貰あげたい、でも熊や猪は怖いな。

それより息子、宿題全然終わっていない。どうしようね?笑

息子が参加していた劇団の「みんなのミュージカル、ホンク!」4日間8公演が一昨日終わった。当日の夜、息子は興奮してかなり夜中まで起きていて、ベッドの上をジャンプしたりウロウロしたりでなかなか寝付けなかったよう。「なんかムズムズする」とずっと言っていて、なんだろうと思ったらスポットライトと拍手の喝采に衝撃を受けたよう。息子をじっと観察していると舞台から見えただろう色々がこちらにも伝わってくるように感じた。

舞台の最後の回、千秋楽は満員御礼ぎっしりの人人人。おまけに最後はA班B班一緒に舞台で挨拶をするという演出のため、客席の後ろにチケットを買えなかった父兄達までひしめき、豊洲シビックセンター大ホールには何度もお邪魔したことはあるが、こんなに人であふれかえっているのを見たのは初めてで、親の私も大興奮。もちろん舞台も素晴らしく仕上がっていて、特に千秋楽は全員が神懸かったかのようにそれぞれが役に乗り移っていいて鳥肌が立ってしまった程。

毎週日曜日まる一日、公演の前一週間は毎日集中稽古。朝9時に出て夜は10時過ぎに帰るという日々。夜10時というのは豊洲シビックセンターが閉る時間、もしこれが劇団の稽古場だったらノンストップでやっていたかも。上演日近くになるとさすがに倒れる人達も続出し、うちの息子も熱が出て滅多にしない早引けをしたりで、出演者の大人も子どももそして父兄も全員が体力勝負という日々。よく頑張れたと今更ながら感心してしまった。

終わった翌日はもう体が痺れたようにぐったりしてしまい、それでも溜まった家事など、特に全然掃除していなかったのでまずはここから。疲れているけれど頭は冴えさえでまだ興奮したままのような、それでいて「終わったんだ」という喪失感両方がカオスとなり様々なものが胸を去来している。

もう本当に本当に楽しかった。息子も最後の方はノリノリで稽古に行っていたし、私も暇さえあれば豊洲シビックセンターに通いつめたりして、身も心もこの興行に捧げまくったといっても過言ではない。特に集客については、あまり深く考えずにあちらこちらを押しまくった。お蔭でチケットもたくさん捌けて連日お客様をお迎え出来、子ども関係者以外にも私の知り合いや学友まで来て下さり、本当に感謝感激だった。正直息子がミュージカルに出たとして、一体誰を呼んでいいのやらと心配だった。特にチケット販売が始まる直前はどうしようと憂鬱だったのだ。でも蓋をあけてみればあの方この方みんな来て下さり、おまけにお花やお菓子などの差し入れもたくさん。本当に本当にありがとうございました。

千秋楽の舞台があまりにも素晴らし過ぎて、今ちょっと言葉が上手く出なくなっています。特に子ども達が「どこかの子役なのでは」などと言われるくらいに歌も演技もダンスも上達していて驚くというより軽くショックを受けた状態なのだと思う。特に主役の子、もう将来大スターになるのではないだろうか。この子がNHKの朝の連続ドラマに出た年に私が芥川賞とれば紅白の審査員席に並んで座らせて貰おうなんて言っていたけれど、私の方がもっともっと頑張らないとこの夢は叶わないだろう。

すっかりミュージカルファンになってしまった私は、連日劇中の歌を歌ってダンス、アイーダやホンク、それからキャットの真似をして喜んでいる、もうミュージカル最高。次は私も出てみたいなんて思ってしまった。でも公演が終わった次の日、お休みしている筈のライター業の方で是非にというお声がかかり、一部再開することになっってしまった。かなりいい条件で、このチャンスを逃したらダメだろうというようなもので、卒論と並行して執筆することになりそう。そうだ、卒論、課題も全然できていないし、出したいと思っていた公募の作品、それから学友達と共同で同人誌を出すことにもなっていて、ミュージカルをやっている場合ではないと気付いた。

それにこんな素晴らしい体験、私がひとり占めするのではなく、是非娘にもやらせてあげたい。夫は「来年?ミュージカル?受験直前じゃないか、キチガイかお前は!!」と暴言を吐くが、冗談じゃない。キチガイじみたゲエームゥ♪とキャットさん歌っていましたね。私もうキャットさん大好きになってしまって、内野さんがキャットに変身して帽子を被っている時だけラブラブにゃんにゃんと付きまとい、衣装脱いだら「あ。。。お疲れさまでした」みたいな。なんていうか、アニメキャラに萌えるオタクのような気持ちなのだと思う。もうあのキャットさんに会えないかと思うと余計に寂しくて悲しくて。わああああん(;O;)また来年も観たいよ。

今日は西小学校のプールで息子と泳いだのだが、あっそうだ、魚だ!とばかりにずっと「おおおお、おおおおお~♪」ってずーっと歌いながら泳いでいて息子に叱られ、「スワン!」と謝るものだからまた叱られ、「一緒に泳ぎましょう~にゃーん」と言えば「きもい!」とまた叱られ、なんだかずっとホンク公演がまだ頭の中でぐるぐるしているんですよね。映像まで順番に浮かんで、終わるとまたコッケコー!ってアヒルのお父さんが起きてバタバタしだし、また上演endress。もう脳裏に焼き付いてしまったみたいです。私の脳みそってどうなっているのだろう。

すみません、色々な気持ちや思い出がぐるぐるしていて上手く言葉に出来ない状態で、でもやはりお世話になった皆さまにご挨拶を早くしなければと書いてみました。この記事は落ち着いたらまた書き直します。本当に来ていただいた皆さま、記事にして下さりシェアしていいねして下さった皆さま、息子を可愛がって下さった皆さま、本当に本当にありがとうございました。小さな端役でしたが、息子も私も大満足。もう永遠に二人の思い出になると思います。本当に本当にありがとうございました。

それから、うちの夫には絶対にお礼を言わないで下さいね。しょうもない人で言葉をそのまま真に受けて「招待ありがとうってお礼言われたけど、まさか全額うちもちで招待したんじゃないだろうな!」と怒っていました。そんな訳ないじゃない、皆さまチケット買ってお花を持ってきて下さったのに失礼な人だわ。本当に申し訳ありません。最後の打ち上げの時に「娘が視力が弱くなって舞台が見えないっていうから俺もよく見てなかった」と言い放つ〇違いです。どうぞホンク公演の関係者の方は、うちの夫を無視してください。よろしくお願いします。

と、私が浸っている間に、次の「みんなのミュージカルホンク!」は2017年度版が稼働しだしました。是非この感動を皆さまに体験して頂きたいと思います。江東区民でなくても大丈夫、ただし10月からの毎週日曜日の稽古と8月11、12日の公演、その前一週間の集中稽古に休まずに参加出来る方に限ります。私も卒論とライターの仕事が来なかったら絶対やったのに(T_T)本当に厳しくて楽しくていい雰囲気の群れなんです。ボスママがいない代わりに芝居馬鹿(スワン!)のお父さん、鈴木先生がとりまとめてくれます。もう本当にエネルギッシュで素敵な先生。川島なお美さんもこの先生の指導のミュージカル公演の最中に亡くなった訳ですが、最後にピュア―マリーの興行に参加出来て、幸せだったろうなと思いました。

私も愚痴ってdisブログだったのに、幸せだのありがとうだの、いつの間にか路線変更されてしまった。あの先生達もちゃんと観に来て下さいました。本当にありがとうございました。
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昨日の午後、息子が稽古場で珍しく愚図っていた。いつもは私が見学に行っても知らん顔、近寄ると「早く帰りなよ」などというのだが、纏わりついてあれこれかまえという。一体なんだろうと思ったら、夕べから微熱が続いているのを思い出した。先生に「ママは今スタッフなんだから」と注意されたが、それでもなんだかんだ言う。おでこに手を置くと、やや熱い。うわっ、もうすぐ本番なのにダメじゃないと、すぐさま早退させることにした。丁度息子のシーンは終わっていて、先生もいいという。そうだよね、もうずっと稽古稽古でちょっと休ませないと。

豊洲シビックセンターを出て「ねえ、脱出成功だね、ららぽーとでアイス食べない?」と誘うが真っ直ぐ帰るという。全くこういう真面目なところは私に似たのねと、家に戻りマンションの売店でホームランバーを買う。奮発して5本も買った。熱のある時はアイスクリームが一番。 誰も褒めてくれないので私が褒めるが、息子はワークショップからずっと皆勤賞で、1日も休んだことがない。そうだ、ワークショップの初日に大勢の父兄をみて「もうやだ帰る!」と帰ってしまった。でもそこから翌週からは参加して約一年間雨の日も風の日も。偉いじゃない息子

ということで、いつもは平日休み関わらず朝7時くらいには叩き起こすのだが、今日は寝たいだけ寝せることにしたところ、まだ寝ている。あまりいつまでも寝かせておくと夜寝ないのでそろそろ起こす。熱も下がったようで一安心。 今日の出番は12:30から、久しぶりにのんびりしている。

最近息子のミュージカルの事ばかり考えているせいか、色々な予定を忘れてすっぽかしてしまう。小学校の役、山本一郎さんイベント、保護司カレー会、その他もあった。すっこーんと抜け落ちたように忘れてしまい、鳥越さんを笑えないわと思う。特に最後の保護司カレー会はすごく楽しみにしていて、絶対行きたいとあちらこちらのカレンダー、手帳にまで書いておいたのに。「今日何時からですか?」と電話したら「昨日だったよ」という。本当に馬鹿かと、アホかと。大学の提出物大丈夫だろうか。必修授業で残っているものはないだろうか。大丈夫だと思っているけれど大丈夫じゃないものがあったら大変。これが終わったらどーっと巻き返すことにする。 

さて、我が家は今年はノーイベント。どこに行く用事もない。夫が今年は夏のイベントなし宣言をしたのだ。夫の家庭は舅が猛烈サラリーマンだったという理由で家族旅行の思い出はあまりないのだそう。なので家族のお出掛けには割と無頓着で、子どもの勉強に役立つようなイベントにだけは嬉々として付き添っていく。でも正直言って今家族四人で何処かに出掛けるというのもおっくうな私は大助かり。「今から家族でハワイ行こう」なんて言われたら間違いなく留守番したい。それよりも青春18切符で高知に行きたいと思う。途中高松に寄ってうどん食べたり、大阪下車でたこ焼き食べたり。食べてばかりだな。大阪では串揚げも食べたいなあうんうん、やっぱりいいじゃない。でも肝心の息子が「SASUKE森本君不在の高知になんか行きたくない」と言い出し、それでも桂浜にだけでも行ってみたい私は未だ諦めきれず息子を宥め中。 あー森本くん、何故大阪に!

そもそも来年一年高地の小学校に通ってもいいと言ったのは息子なのに。でも、子どもってこんなもの。私なんて今でも色々気が変わったりするし、毎年ブームが変わったりするので子どもを叱れない。というか、それでいいのだと思う。私のマイブーム、去年は間違いなく大学だった。学友との学び場、近くて近代的な校舎、様々なイベント。すごく楽しかったけれど、色々あってもうあまり行きたくなくなっている。今年は断然息子の参加するミュージカル。私もだんだん嵌ってきて、公開練習日が今頃になり楽しみになってきた。やっぱり衣装がつくと雰囲気が全然違うのです。もう最高の作品に仕上がっていると思う。あー早く観たい!プロの方々も最高にかっこよく、近くでみられて最高♡

去年の5月頃からワークショップに参加させたのだが、息子も自分も一体何をしているか全然わからなかった。でもともかく私は日曜日大学があるので息子を預かって貰っているような感じだった。でも今完成間際の今頃になって、素晴らしい作品に関わっているのだと感激。息子も熱心に練習に通うようになり、私もこの素晴らしい作品をひとりでも多くの人にみて貰いたいとあちらこちらに紹介している。でもチラシ配り過ぎて、もう無くなってしまったらしい。今からご興味ある方はもうチラシありませんのでwebの情報をご確認ください。

このミュージカル、息子の後は今度は娘がやりたいと言い出した。あの娘は小さな頃から演じるのが好きで、多分参加すれば大喜びで通うだろう。毎日学校と家と塾の三角形をぐるぐるぐるぐるしているような生活、息が詰まるだろうと思うわけで、あのサピックス教の夫がうんと言うかどうかが問題なのだがどうなるだろう。なんか上手い事言って通えるようにしてあげたいと思う。もう本当に夫は教育パパゴンで困る。あんなのが父親だったら私ならグレルか死にたくなると思う。私が言うと色々ばばーんと返ってきて、男のくせに細かいことまでいちいち覚えていて本当に腹が立つ。これもう夫嫌病というのではないだろうか。時々夫〇ネと思うもん。

ともかくそろそろ息子を起こそう。


息子が可愛がっているベタ。去年のクリスマスイベントで貰ってきた。

(あの記事とこちらの一部はLINE上場祝いにdeleteしました。S山さん頑張って!2016.07.15)

ブログ、NewsPicks、ライターの仕事を卒論のためにいったんお休みとしたが、ちょっと余裕が出来るとまた違うものを色々詰め込みたくなるのはもう性分なのだと思う。新しく始めたのはswiminginstagram、それから facebook もともとSNSは全部休眠口座のような状態だったけれどリスタートしてみた。インスタとフェイスブックは外国人の友達用に復活。ちゃんと利用目的があるので、「 おばさんたちはインスタグラムに来ないで」とイジメないでね。

facebook は京都造形だけでなく武蔵美の学友とも色々連絡を取るので。それからミュージカルの出演者の方々とも。もちろんそうでない方も友達申請Welcome なので是非。でも私と繫がると一緒にイジメられるかもしれませんよ~なんて。あと、LINEもやってやってと方々から言われているがこれはごめんなさい。もう色々あり過ぎて私的には縁起の悪いアプリなので使いたくない。バビロンに一円たりとも課金したくないという理由もある。もう悪の権化、LINEなんて使うのやめましょうよ!

という訳でinstagram はいいですね。センテンスの必要ないビジュアルの世界、文章だと制御不能なリーサルウェポンになりがちな私にはピッタリかも。英語がイマイチでも、画像で外国人の友達にメッセージが送れるし。平和平和。 
それから今学友達の間で写真がブームになっていて、私も一眼レフ欲しいななんて思いだした。やっぱりいいカメラで撮ると画質が全然違う。私は経済的にも時間も余裕がないのでまたいつか、せめてiPhoneを新しくしようかと目論んでいますが、秋頃まで待とうか6を買おうかううむ。

さてこれから今日もスイミングにいく。持久力が付くからと勧められたものの、久しぶりの水泳。泳げるのかな、どうなの?と心配だったのにこれがすっごく楽しい。泳ぎもなんだか上手になってませんか私。結婚する前に荒川区に住んでいたので、本人がまだ「自分はそんな人じゃない」と断ったので北島康介記念プールと名付けそこなったあの水泳場で、半年くらいスイミング教室に通っていたことがある。あれ以来なのに。

いきなり4クラス続けてとって、最後のバタフライクラスで足がつってしまいリタイア。でもバタフライもそんなに難しくなかった。自分でいうのもなんなのだが運動神経だけは自信があった。でも水泳は水が怖いので苦手だったのに、昨日は自分が人魚にでもなったように感じてしまった。気持ちいいー♡

ふと見ると、自分達のレーンの一番遠いところでベビースイミングをやっている。これ、ついこの前自分も参加していた。

まだ赤ちゃんだった娘や息子を連れて、せっせと通っていたあの頃を懐かしく思い出す。スイミングのコーチたちが私を覚えていてくれて、お子さん元気ですか?もう小学校5年生と2年生なんですよ、えー本当に?その節は。なんてお話したりして。

「向こう側からこちら側を羨ましくみていました自由でいいなって。でも今日はもうこちら側にいるなんて信じられません」

と言うと、コーチたちが「お疲れさま、ひとりを楽しんで下さいね」なんて。ああもうこんなに遠くまで来てしまったんだな、もうあそこには戻れないと思うと、なんだか寂しくて胸がぎゅっとしてしまった。

悩み多きあの頃、一体私は何を悩んで心配していたのだろう。

仲間外れになること?
子どもがイジメられること?
豊洲の人達から村八分されること?

ぜーんぶその通りになりました笑。でもこんな子どもやママが山盛りの豊洲で何もない訳がない。私だけじゃない、みんなみんな色々あった筈。先日もこのブログを読んだというママが話しかけてくれて、自分の体験を色々話してくれて「応援しています」なんて言われてびっくりした。うんうん、そうだよね。やっぱり私、色々あったけれどブログ書き続けて良かったかも。まずはブログを勧めてくれたあの学友に感謝。でもあの人は私が色々心配して助言するのに私の言うことをちっともきかない。でもそのうちわかってくれるだろう私いい人だもの。

それよりも私生きてる、子ども達も夫も健康で鍵のついた雨風凌げる家があって毎日ご飯が食べられて友達もたくさん出来て毎日が楽しい。なんだかあの頃と、世界が違ってみえるのだ。

あの頃の私に会えたら、「全部思い通りになるわよ、いい事も悪い事も」って教えてあげようかな。小さな赤ちゃんを連れたお母さん達にも教えてあげたい。ママ友なんてすぐに消えてしまう幻想、そんなものが何を言ってもしてきても無視していいから。大切なのは家族、それから何か好きなことみつけて続けてねって。人生はチョコレートボックス、何が出てくるかわからないから面白いのよ、何も心配しないで、と。

群れてつるんで自分の色を消して日和って、何かいいことあるの?ランチ代、お茶代、イベント代、交際費、高額な幼児教育費、きっと将来の家計を圧迫しますようちのように。もうあの時のお金全部残しておいたら今頃。それに群れずにひとりになってみてと言いたい。そうすれば子どもの顔も周りの景色もよく見えるのに。ずっと不細工なママ友の顔みていて楽しいですか。寂しさは埋められないでしょう。

それにはどうしたらいいか。今小説に書いているので完成したらそれを読んで下さい。といってもまだ解決策は私もよくわからないし、どんな結末になるか決まっていませんが。 

さあまたブログを書いてしまった。内部圧が減って卒論に着手できないかも。でも私のことなのでさあっと何かが降りてくれば、寝食忘れて書いてしまうと思う。いつもそうだから。それまでゆっくり待ちましょう。

これからプールに行って、小学校に寄って、今日の夜は冷し中華にしようか。息子はハムと胡瓜で醤油ベース、娘はハムと卵が好き醤油ダレで。私はレタスを千切りにしたものをゴマダレで食べるのが好き、夫は全乗せでゴマダレと、色々好みが違うが私は全部その通りに作る。少しの手間家族が喜ぶならそのくらいは厭わない。でもなかなかこういうのって誰もわかってくれないし当然だと思われているよう。そのうち自分達が親になったら私の偉大さがわかるはず。

「ママばっかり好きなことしてずるい」とは、よくみてるなと思うが気にしない。あなたも好きな事すればいいのにといつも思う。SAPIXなんて行きたくないでしょう。プールやピアノの方が楽しいのに。楽しい事をたくさんしないと心の袋が大きく広がらないし、小さな袋にぎゅうぎゅう詰め込むから苦しいのではないだろうか。

反して息子は毎日学校から帰ってくると、ランドセルを放り出し宿題も何もせずまた家を飛び出して遊びにいってしまう、そして日が暮れるまで帰ってこない。こちらは理想通りで非常に満足。

とはいえ、男の子と女の子は違うので一概には言えない。女の子はちょっと引き籠りっぽいくらいの方が可愛い気がする。娘は手芸が好きで、いつも何か細々作ったり、ヘアアレンジの研究に余念がない。「娘ちゃんいつも可愛い髪型で」なんて言われるが、娘が自分でやるというとビックリされる。私が構わないから自分で工夫しているのだと思う。我ながらいいお母さんだわ。愛情のある無関心というやつが出来ているのではないだろうか。

昔、息子が生まれた喜捨に善光寺詣でをした。私は何かあると善光寺に祈願に行く。するとそれはいつも叶う。仕事、恋、結婚、出産、そして「強くて優しいお母さんになりたい」と。最後のはまだまだ精進あるのみだが、ゆるゆるとお母さん業を続けていればいつか叶う気がする。お母さんになるって素晴らしいことだとつくづく思う。「子どもなんて産まなければ良かった」と方々で喚き続け、これからも言うと思うがちょっと心境が変わった。子どもを産んで良かったと本当に思う。子ども達は大切な宝物、ママに幸せをありがとう。特に娘というのは、一生の友達なのだそう。これからも仲良くしてくださいね。

と、いうことで今度こそプールに行ってきます。

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バディスポーツ幼児園の園長先生や先生達が大勢で息子のミュージカルを観に来てくださるそうです。本当にありがとうございます。未だ心の整理がなかなかつかないのですが、折に触れブログの方も軌道修正していきます。今後とも子ども達をよろしくお願い致します。

豊洲や京都造形大学、そして地球上の日本語が読める皆さんこんにちは。いつもブログを読んで下さりありがとうございます。最近の記事を読んで、豊洲だけでない自分の通っている大学でも暴れまわっていると思われているでしょう。ですがそれは意図的でない何故かこうなってしまうという事態、私をよく知る方々ならお分かり頂けると思います。私は掻き回そうと思って掻き回しているのではない、いつの間にか掻き回してしまっているのです。本当にいつもいつも後悔します、なぜこうなったのだろうと。でもどうやったら掻き回さずにいられるのかがわからないのです。

私は話してみればどこにでもいる普通のお母さん、いつもぼっちでふらっと現れたかと思うといつの間にかいない。それは私が忍者なのではない、用事が済んだらさっさと帰るためです。 本当に邪気も何もない、健常で素直な私。何故私が豊洲で不名誉な立場として有名になってしまったのか、それは私のせいではないあの辺りのボスママ軍団とその流派にある一門どものせいなのです。が、大学でもそうでした。私を排除したい人というのはどこにでもいて、それはいつも嫉妬とか八つ当たりというわけわかめな理由。

好き勝手に妄想してニヤニヤしているのを、ほやほやっと幸せそうにしているオーラだと勘違いして勝手に気に障っている人もいるだろう。そんなくだらない邪心の存在を、結婚して子どもを産んで初めて知った。でも大学の方はいい、私個人の事だしあの先生の誤解さえ解ければノープロブレム。うーむ、大丈夫だろうか。このあたりは努力したい。

それにしても田中慎弥とうちの夫の男らしい事といったら。私がこんなにブログで好き勝手いじっても何も文句言わないのはすごいと思う。全く動じず普段通りのペースで生活していて、多分私のブログなんて女子どもの手習い、あれこれ口を出すと男が廃るくらい思ってそう。

私の目は本当に何もかもが見えてしまうと我ながら感心する。特に人を見る目というのは、一体全体どうしてこうなったというくらい精巧に出来ていると思う。見誤ったことってあるだろうか。最初のインスピレーションは全く私を裏切らない。それはやはり両親の育て方のお蔭なのではないか。 

私の父と母の教育方針ときたら時代錯誤もいいところで、女に学歴はいらないなるべく早くいい旦那をつかまえて速やかに子どもをたくさん産めというもの。それ以外は女は料理と茶華道を習い、家事に精通し男の後ろを三歩下がって歩けというようなものばかり。「妻を娶らば才長けて」という事をしょっちゅう言っていた。

当然門限もあるし、勉強以外のことは本当によく叱られていた。靴を揃えてとかお客さまには三つ指ついてとか最初のお茶はぬるめにとか礼儀作法とか。あれ、それでどうしてこうなっているんだろう。よくわからないが、ともかく自分で考えるということだけは覚えた。多分こういうよく言えば古風、悪く言えば時代錯誤な人達に自分の人生は任せられないと思ったのではないか。そうだそうだ、そうでした。なので自分で色々考えるようになった。

そういう目で選んだ夫は、やはり間違いなかったといえるだろう。夫以外の人と結婚していたら、多分ブログが原因で離婚していたと思う。それほど破壊力のあるものだと今回の件でやっとわかったように思う。なのに田中慎弥と夫は微動だにせず、本当にすごいなと思ったりする。もうひとり、書かれても黙秘している人がいる。そう、あの先生だ。でもあの先生はもう一人ではない訳で、そちらに色々影響が出るのでもう書かない事にする。先生、今までありがとうございました。本当にこの先生には足を向けて寝られないというか、やっぱり私は人を見る目があるというか。N先生の偉大さも、私は一目みてわかった。今回の N先生は私の邪気にグラグラしてしまわれた訳だか、もう今後はないだろうと思われる。そもそも先生を傷つけようと思う生徒など存在しない。先生はがっしりと師弟愛を享受だけして欲しいと思う。

でもその眼が一点見誤ったのは、夫がこんなに大人気ない人だとは思わなかった。大人気ないのは私だけで十分。家の中は子どもだらけになっている。そして夫と結婚したら普通に何不自由ない生活が出来ると思っていたのに、なんとなくその辺りは当てが外れたなと思っている。何不自由ないというのは今の生活で本当に十分とは思っているが、色々あるとあれこれ考えてしまうこともある。それは夫のせいではない、やはり子ども二人バディに入れてしまったというのもあるし、そもそもこんなに子どもにお金がかかるとは思っていなかった。

今小さな赤ちゃんを抱えて大変な若いお母さん達に言いたい、今の苦労も大変だけれど、近い未来お金が大変になってくるからちゃんと色々考えてと言ってあげたい。私が当事者の時もよく先輩ママに言われ続けてきた言葉だが、やはり自分がそうなってみないとピンと来ない。でも今渦中にいるのに、まだ事態がわかっていないのかもしれない。そのうち宝くじが当たるかもとか、夫がいきなり孫さんか北尾さんにスカウトされてNO.2になり高額な報奨が約束されるとか、勝手な夢をみてほんわかしている。

苦労が身につかないというより、苦労に慣れているのかもしれない。最近の村八分も我ながらすごいと思うが、一人暮らしではすごい貧乏も体験した。家賃が払えず追い出されそうになったり、ストッキングはたった一足を毎晩洗手洗いして履いていたとか、ディナーに招待されて古着屋で買った500円のドレスで出かけたとか、節約のため自炊お弁当の日々とか、裏の公園で食べられそうな野草を探したりとか、なんだかすごくそういうのが楽しくて面白かったのだ。雨風凌げる鍵のかけられる家があれば十分だと思っていて、今でも本音はそのあたりにある。

そうだ、今度卒業制作の面接授業にあの500円のドレスを着て行こうか。ドレスと言っても普通のワンピースともいえる。でも生地がツルツルしたサテンで形も綺麗、これにボレロと小さくてキラキラしたパーティーバッグを合わせればどこにでも行けると思う。大学には普段着のカーディガンを合わせればカジュアルがプラスされてよい。うーん、いいじゃない♡久しぶりにというかいつもだけれど、早めに行ってお弁当を食べたり、学友の誰かと話をしたり、書き物をしたり本を読んだりしたい。売店も新しくなっているので見に行きたい。

そんな幸せな毎日を過ごしている筈の私。今朝、夫に小澤征爾のコンサートに連れて行けと言ってすっごく叱られた。夫には叱られてもなんとも感じない。喜怒哀楽何もなくただふーんという感じ。「うちにそんな余裕があると思っているの?僕が毎月どれだけ苦労して決算していると思っているの」我が家の家計管理は最初は夫だった。でもある時会計を見せてもらうと、無駄が多すぎで眩暈がした。そこから私が管理するようになり、貯蓄がぐんぐん増えていった。夫はいい奥さんを貰ったと喜び、私も嬉しかった。

でも子どもが産まれてから、正確に言うと子ども達がバディに行きだしたあたりから一変してしまった。お金がどんどん飛んでいき、ママ友ストレスから家事育児がうまく回らなくなった。そのせいかどうか、夫は娘に執着し、彼女にどんどん大金をつぎ込むようになった。それは私にとって自由になったように感じて嬉しい気持ちもあったが、娘でも夫が私以外の女にお金を使うということは受け入れられなかったのではないか。学費や必要なものではない、どうでもいいものばかり。その辺りが娘と私の不仲の原因ではないかと思い当たったのが、今日の小澤征爾コンサート事件だ。

夫はそんなお金はないという。確かにお金はない、でも全くない訳ではない。小澤征爾コンサートに夫婦で行く金額は、この夏の家族旅行が一回消えるくらいの金額だ。そもそも夫はこの夏は旅行に行かない宣言をしている。それは娘を勉強漬けにするためで、経済的な理由はそれほどでもないように思う。なのに小澤征爾にNOをつきつけた。それは私に使うお金はないと言うのも同然なのではないか。

昔はこうではなかった。何か欲しいなと眺めたり言ったりすると、すくさま「欲しかったら買えば、100万も200万もするものじゃなし」などと言ってくれたのだ。私はもちろん言葉遊びがしたかっただけで、ただの物欲でジュエリーやドレスなど買ったりしない。倹約節約こそが健康と美しさのための嗜みだと思っている。私には500円の素敵なドレスがあるし、着物もたくさんある。

でも小澤征爾は別。小澤征爾のコンサートに勝る宝石がこの世にあるだろうか。私はそれ程クラシックに対して深い造詣がある訳でもない。でもやはり小澤征爾だけは別物だと思うのだ。私たちは去年結婚10周年を迎えた。記念に何か買おうかと思っていたが、ちょっと無理して欲しくもないダイヤを買うよりもっと家族の象徴のようなお金の使い方をしたいと考えていた。 

そうそう、結婚記念日がちょうど大学のスクーリングの日だったので、帰りに家族を呼び寄せて隣のパークでバーべキューを食べた。今年は何もないので息子が食べたいと言っていた豊洲の焼き肉屋に行こうと思う。話が逸れたが、結婚の周年記念に小澤征爾コンサートというのは本当に何もかも素晴らしい選択ではないだろうか。サントリーホールのコンサートは正装がドレスコードらしい。500円ドレスや若い人達がぴらぴらと友人の結婚式で着るようなものではダメで、洋装ならイヴニングドレスと本気ジュエリーが必要だろう。

私は着物で行きたい。日本人の正装といえばやはり着物。ちょっと着てみたい着物があり、久しぶりに装ってみたいのだ。姑に言ってイヴニングドレスその他を借りてもいいかもしれない。あの人は本物のお嬢様だったので、隠し部屋の桐たんすの中にそういうものがたくさんありそう。でも色々言うと欲しそうに思われても嫌だし、やはり着物で行くことにする。着慣れないドレスより、やはり自分の着物は落ち着く。それになんだかんだ色々失敗もするが、私は着物が好きなのだ。

夫と喧嘩した時に私は言った。「結婚という仕切りがなかったら、もうとっくに誰かに小澤征爾連れていってもらうのに」半分冗談だが半分本気だった。もうかなり年喰ってはいるが、女ポケモンとしてまだなんとかなる気がする。女ポケモンとはなんとかフレンドでも恋人でも愛人でもない、ただ連れ歩いて見せびらかすだけのアイテム的女。夫とのスタートだって女ポケモンから始まり、友達になり恋人になり夫婦になった。女ポケモン、自立の象徴でもあり決して悪い立場ではないと思う。しかしながら結婚してしまうと、これはあっという間に非難の対象になる。

夫が言った。「うん、いいじゃない。そうしなよ」と。売り言葉に買い言葉ではない、本当に心から言ったのだと思う。傍からみたら夫に蔑ろにされている気の毒な奥さんと思われるかもしれない。でも私はまたしても自由を手にしたように感じ、ちょっと嬉しかった。

なので、どなたか私を小澤征爾のコンサートに連れて行ってください。よろしくお願いします。と、以前の私なら書くが、そういうので妙な噂をされて村八分になったし、見ず知らずの方に期待を持たせてはいけないと思うのでやめておく。特にこんな豊洲みたいなピラッピラな街に住んで「キャナリーマン」などとパパトモ作ったりするエセレブが勘違いしてコメントよこすといけないし。そういう訳で結婚して生活が続いている現状、やはり「女ポケモン」は卒業せねばなるまい。なので夫にお願いしておこう。「いつか連れて行ってね、あ・な・た♡」


【今日の小確幸】

なんか可愛い奥さんぽくていい感じかも。

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※ただのイメージ画像。ジュエリーにはもうあまり興味がない。

私には夢がたくさんある。小さなものから大きなもの、実現不可能だと思うもの頑張れば出来そうなもの。でも「実現不可能」というのは自分が思っているだけで、小さなきっかけで叶うこともあるかもしれないとも思う。でも一時はどんな小さな夢や希望も決して口にしないと戒めていた時期がある。そう、毎度毎度でいい加減自分もうんざりする話題になるが、ママ友とかボスママの嫌がらせ、お前の願いなど決して叶わないようにしてやるという決起の存在に、口を閉ざされてしまったのだ。

もうこのお母さん達の繋がりというもの、誰かに何かいい事があると、さっと妬みの対象になる。私など本当に異端者と言っていいくらい、こういう事に無頓着だった。いい事があれば行って共に喜び、悲しむママがいれば自分だけじゃない怖がらなくていいと励まし、そういうものが健全なコミュニティだと思っていた。だが建て前と本音というのはこういう事なのかと膝を打ちたいくらいに違った。

また、ここ豊洲のコミュニティというもの、嫌というほどピラミッド型ヒエラルキーががっつり構築されているところで、一番上が誰かその次が誰かとまあ一目瞭然となっている。なので一番上のものが希望や願望を言うのは許され、言えばたちまち叶うことになっている。そして二番目の層にいる者もややおずおずと発言に気を付けながらトップに進言すると、採択されたりされなかったりだがまあ叶う。しかしその下あたりのものが何か発言したりすると、さあっと無視されることになっている。そもそもその序列は誰が決めたのか、なんの事はない自己申告により決められたものだ。そんな不確かな夢の後の兵予備軍に夢を語るなど噴飯ものだと思うようになった。

でも叶ったものならいくら書いてもいいだろう。だがそれはそれで妬みというこれまたどうしようもない愚劣なものを引き起こす。なので温度低めで書きたい。そしてさらっと書く。

娘がノーベル賞受賞者の白川教授の実験教室に参加した。3時間半みっちりとした授業は、スケルトンの教室で行われたので私も授業を拝聴出来た。白川教授は小さな躰にすごいエネルギーを蓄えていた。最初に教室にはスーツ姿でさらっといらした時は、普通のでもやはりきりりとした只者ではない雰囲気、でも教室の中で白衣に着替えた瞬間、私の脳内で小澤征爾ががばっと両手を振り上げた。なんだなんだと思っていると、大音響のチャイコフスキーピアノ協奏曲第1番opが奏でられた。私の脳内でそれらはいつまでも鳴り響き続けた。ぎゃー!白川先生!カッコイイです!! 

背筋がすらっと伸びTHE プロフェッサーという佇まい、すごいオーラを感じてしまった。白川教授は各班に分かれた生徒達を様々に気遣い注意したりしながら、存分に実験を楽しんでみえた。エネルギッシュに語る様は知性の塊そのもので、こうやってずっと夢中な毎日を過ごされ結果を出し続けてみえたのだろう。同時に生徒たちの信頼をがっつり熊手のように集めてこられたのだ。もう本物の「先生」なのだと感じた。ただのイベントではない、重厚な授業だった。そこに自分の娘が参加出来て、しかも彼女は集中して存分にそれを楽しんでいた。我が娘ながら本当に誇らしいと感じた。 


※白川教授は撮影NGなのでASIMOを

娘は実験が本当に楽しかったらしく、終わった後は晴れ晴れと、そしてさっさと教室を後にしようとする。私は慌ててしまった。実験は実験で素晴らしいものだったが、「白川教授の授業」というこの世の理系人全ての羨望の機会、しかも白川教授といえば「伝導プラスチック」という一体全体世界中のラッキーが集まったのではないかというくらいの内容、この栄耀に巡り会えた奇跡にに対してあまりにも無頓着ではないか。もっとがっしりと実感しなくては勿体ない。

私は白川教授に挨拶をしてくるようにと、娘を教室に押し戻した。娘は私への反抗でやや不満げだったが、何か思うところがあったのだろう。みっしりと書き込んだ授業のノートを持って行き、何やら質問をしていた。これをまあ白川教授は丁寧にみて下さり説明して下さったのだ。夫や私も大感激だったが娘も疑問が解けて満足そうだった。あー神様仏さま白川先生!大感謝です。 

夫はそんな私をみて「ママは野生動物みたいだね。今日はシークレットで一切みえないと思っていた、いつも来ないくせにこんな」などとブツブツ言っていた。私はその通り、科学未来館は飽きてもう行かなくなっている。でも今日は白川英樹教授に会いたくて来たのだ。夫は1ミリも見えないなどというが、私は何がなんでもノーベル賞オーラを体験したいと馳せ参じた。勘を信じて来て良かった。大感激だった。

その後にまたハッピーな出来事があった。私の地元から友達家族が遊びに来てくれて、総勢9人で屋形船を楽しんだ。屋形船、夫は乗ったことがあるが、私は一度もない。当然子ども達も未経験で、乗せてやりたいと常々思っていたのだ。そのチャンスが図らずも訪れ、本当に良かったと思った。水の街豊洲で屋形船に乗った事がないというのは悲しいではないか。子どもの頃に大勢でわいわいと屋形船に乗ったという思い出は、いつまでも子ども達の心に勇気づけられるものとして残るだろう。 


※屋形船からお台場方面

二時間たっぷりもんじゃを焼き、食べ、そしていつもの通り飲みまくった。すっごく楽しくて私たちはご機嫌だった。船に乗船している客は総勢40名ほどだそう。その全員がもりもり食べ飲み笑い楽しんでいた。接客担当の方々も皆フレンドリーで何も文句のつけようがない、ハッピーな時間だった。本当に楽しくて美味しかった。

屋形船までは新木場からシャトルバスに乗るのだが、帰りも新木場までシャトル。私は往きのバスの中で外国人を発見した。私は息子と写真を撮ろうと策を練った。多分行きの素面より、ご機嫌になっているだろう帰りに持ち掛けてみようと考えたが大成功だった。私もハッピー相手もハッピー、ハッピー同士は結託して、息子と娘を英語の嵐でおもいきり構った。かまったついでに写真を撮り、宿題がまたしても完了した。お礼に私は息子の英語クラスで習った英語の歌を振り付きで歌ったら、大うけで喜んでもらえた。

娘は「ママはどこで英語を習ったの?」などと感心したように言い出す。ビバ英語右脳教室。といっても私の英語は中学あたりで止まったままだ。でもこうしたコミュニケーションくらいには役立つものとなっている。

そんなこんなでハッピーやラッキーがぎっしりの楽しい一日だった。夫と隣同士でもんじゃをつついていると目の前の友達が言った。「いい旦那さんじゃないの」と。私は白川教授と屋形船というWラッキーな嬉しさについ口を滑らせてしまった。「うんそうだよ、こんないい旦那いないと思う。でもそれを言ったりブログに書いたりすると嫉妬されて私も子どももイジメられるの。なのでわざと色々問題がありそうに書いているだけ。そうしておけば豊洲の人達っていうのは安心するんだわ」人の不幸をみないと幸せになれない人っているんだよねえ、豊洲のボスママがそうなので、みんなそう。

それを聞いて夫がぱっと笑顔になった。「本当?」というので「本当だよ」というと、本当に嬉しそうだった。あーあ、こんなに色々あっても私を手放さないというのは、本当に私に惚れているんだなあ気の毒な人。でもそのお蔭で私はやりたいように自由に生きていられるのだ。何不自由ないと言っていいだろう。この世の幸せを全部集めたかのような私、ボスママ軍団に嫉妬でイジメ抜かれて当然かもなんてまた思った。

人生はチョコレートボックス、何が飛び出すかわからないので楽しいし素晴らしいのだ。


【昨日の小確幸】

もう「小」をとっぱらいたいくらい確かな幸せばかりを感じた。


※押葉にしてみた


白川教授の実験教室の後、四つ葉のクローバーを大量に発見した。すごい吉祥なのではないだろうか。ノーベル賞パワーはすごいと思った。

追記:たくさん見つけた中に、五つ葉のクローバーがあった。これ、とても珍しくて以前ニュースになっているみたい。

英国 女の子が珍しい五つ葉のクローバーを発見
10歳の少女が珍しい「五つ葉のクローバー」を発見したと27日、英紙が報じた。現れる確率は2万分の1で、六つ葉と七つ葉が現れる可能性もあるという。四つ葉は幸運をもたらし、五つ葉は富をもたらすと言われている。

自分がお母さんなのに「お母さんがいない」と焦る夢をみた。でもこういう夢をみるのは私だけではないみたいで、自分も経験があるというママ友さんも何人かいた。何故こんな夢をみたかというと、夫と娘の諍いを夢ううつで聞いていたせい。彼らはSAPIX病がピークに差し掛かり、命の心配をしなくてはならない事態になっているよう。

こういう時にお母さんが止めるべきなのだが、もう別々の船に乗っている娘に手が届かなくなっている。家庭はお母さんがしっかりしないと船が沈没する。家庭の羅針盤はまず食べる事、生活すること。夫が土日食事を作ってくれるというのはありがたいが不満もある。

以上、まとめ。
以下、長い方今日は眠い。

「こんな夢をみた」で始まる夏目漱石の「夢十夜」という小説があるが、この小説は夏目漱石の夢なのか現実に創造して書いたものなのかどちらだろう。「こんな夢をみた」で始まるのは最初の数編で、途中からはそのセリフなしでいきなり物語が始まるのも唐突な感じ、それがまた夢なのか現実なのかという疑問が泡のように浮き出て、奇妙な印象にもなっている。

そんな事を朝ふと考えたのは、多分夕べみた夢のせいなのは間違いない。夕べは一晩中夢を見続けていたように思う。色々な人が次から次へと出てきて色々な事を言っていた。本当はこうやって夢について色々書き留めたりしてはいけないそうなのだが、どうしても書いてみたいと思った。

それはこんな夢。リビングで私の父が妹を怒り続けていた。なぜ勉強しないんだ、どうしてやる気を出さないんだ、もうすぐ受験なんだぞわかっているのかと延々と。妹は怒鳴られ続けるのに限界がきたのかか細い悲鳴を上げ出した。ひぃーっという声がそのうちわーっという大声になり、すると父までがヒートアップして怒鳴りだした。そのうちお互いを罵倒し合う喧嘩のような状態になり、父が妹に手を上げ出した。「痛い、痛い」と大声で泣く妹。止めにいってあげれば良いが、頭と体が痺れたようになって私は起きられなかった。

同時に、一体母は知らん顔で何をしているのだろうと思った。母が止めてあげればいいのに。早寝の母はもう寝てしまったに違いない。それで時々眠りの浅くなった時に声を聞いているが、もう彼女もばっちりが来るのに嫌気が挿しているのだろう。でも母はどこで眠っているのだろう、我が家は3LDK、和室だろうか、それとも夫と娘の部屋?この家に母の部屋は存在しない。お母さんがいない。お母さん、どこに行ったの?私、お母さんがいないと困るよ。

と、思ったところで眼が覚めた。そしてしばらく「お母さんがいない」と考えていて、ああこの家のお母さんは私なのだとやっと思い出した。夫と私と子ども二人、私はもうお母さんなのだから、お母さんという仕事をしなくてはならないのだ。夕べ父と妹が諍っていたと思っていたのは、夫と娘だったのだろう。

一度「火鍋で大噴火」のブログを読んだのか、あの頃やや勉強熱は下がり、SAPIX病気もよくなったかにみえた。でもしばらくするとまた元の通り。夕べのような夫と娘の対立で、去年か一昨日児童相談所が来たのを思い出した。そろそろ夏になり窓を開けてやったらまた来るかもしれない。その前に警察や児童相談所に先に相談にいってみようかと思う。ああいう所は事故もしくは事件性がないと本当に動いてくれないところなので、いっても仕方ないかもしれないが気休めにはなる。

気の毒な娘、こんな風に夫と顔を突き合わせると野獣を檻に入れて戦わせているような惨状になるが、また違う場合もある。夫から昼間家の電話の方にcallがくる。すると娘は嬉しそうにさっと出て、「ううん、大丈夫よ。うん、うん」などといつまでもやっている。なんていいうか、一姫二太郎の悲劇というのか、馬鹿な夫婦なのは間違いないだろう。そして大元の原因は私なのだろうと自覚している。もう夫の決めた家族のルールに従うのが嫌になったのだ。夫という人種が家族の在り方やルール、子育ての方針にしゃしゃり出ると、その家族はたいがい崩壊するものだと思う。夫は一家の大黒柱だが、羅針盤になってはいけないのではないか。うちの家族はお互いが方向を決めたくて諍っているうちに、決裂して別々の船に乗ってしまったように感じる。私は快適だが、夫は不満そうだし子育て的にはよくないだろう。

これらに拍車をかけたのが、近所付き合いのトラブルあれこれだろう。そこからバディまで続き、私は精神が破綻するほどの大ダメージを受けた。その頃からもう神様も誰も、夫も信用しなくなった。そして誰かの作ったルールを守るなんて、馬鹿馬鹿しいと思ったのだ。それは国家権力や国の法律ではなく、ボスママと呼ばれる人達が勝手に作ったものだ。目に見えるものもあるし、見えない暗黙的なものもあった。本当に嫌だと思った。

そんな事を考えているうちに、夕べ夢に登場した色々な人を思い出した。そのひとりにウォーレンバフェットがいた。彼は一代にして財を築きあげたファンドスター。その彼が「もう誰かのためにファンドを創るのはやめた。もう誰のアドバイスもいらない、好きなようにHFの割合を決めてファンドを創る」と宣言していた。それから鬼平犯科帳を書いた池波正太郎も「あんな鬼平本当は違う、僕は僕が書きたい鬼平を書く」と清々しく話していた。あんなに自由闊達に成功したと思われる彼らも、見えないルールに縛られて嫌だと思った事があるのだろうか。多分あったに違いない。成功したからそれらが無くなったのだろうか、でもそこからまた色々あったのだろう。

「この家にはお母さんがいない」と気が付いて焦るというやつ、今日が初めてではなく時々そういう事がある。不思議に思ってママ友達に話したりすると、自分もあるという人がいて驚いた。母としての自覚が足りないのはその通りだが、一体どうやって気持ちを固めたら良いのか検討もつかない。でも毎日家にいて子どもの帰りを待ち、帰ってきたらあれこれ世話を焼いて夕食を作って食べさせる。テレビみていいかと言われれば、ロボットのように「ご飯の時はだめ」と同じセリフを飽きもせず毎日毎日続けている。これはお母さんの仕事ではないのだろうか、もっと大事な仕事があるとしたらなんだろう。

最近朝眠くて5時6時まで眠った後もぼーっとしたりしている。もしかして血圧が低くなったのだろうか。後で測りに行こう。聖路加の人間ドックの先生のアドバイス通り、あの頃血圧計を買った。手首に巻くだけのタイプで、姑にもプレゼントしたらとても喜ばれた。姑は毎日血圧を測りグラフにしているのだ。さすがゴッドマザー。姑は私のように「お母さんがいない」という夢を見たことがあるだろうか。今度会ったら聞いてみよう。


【昨日の小確幸】

コンサートのお誘いがあったこと。息子のお蔭でクラシック三昧なのが嬉しい。あの人は本当に社交的で人付き合いが上手い。誰に似たんだろう本当に。

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※最近息子とはまっているピアニスト金子三勇士さん。「三勇士シート」があり、親子で1,000円で観賞できる。子どもにもも本物の芸術をという素晴らしい試み。チケットまだあるかな

昨日は豊洲小学校の「夢スポ」というイベントにいってきた。もちろん子ども達だけのスポーツ協議会だが、私は郊外委員会の役と、プラスボランティアということでお邪魔した。天気は曇りで暑くなく寒くなく雨も降らずで本当に良かった。だが、朝3時から仕事をしたりNewsPicksチェック、お弁当作り、自分の支度、家事などドタバタしていたら、気が付かないうちに消耗してしまったようでくたくたになってしまった。夢スポもう止めたらと思った。

夕方一息つこうと清澄白河のブルーボトルコーヒーへ行ったりしたが、帰って風呂に入りベッドに入ったが寝付けず、朝起きたら全身がどんより時々手足が痺れてまずいなと思った。半年に一度くらいこういう事がある。慌てず騒がず豊洲駅すぐの「元気の泉」に駆け込んで、マッサージと鍼を打ってもらった。帰って更に足裏マッサージ機でもみもみ。子ども達が帰ってくる頃には元に戻り、久しぶりにパンを焼いたりして過ごす。今日は何も差し迫ったものがないので一日のんびりした。

以上、まとめ。
以下、そんなに長くない。

まとめに書いてあることで以上終わりなのだが、朝娘が「夢スポなんて行きたくない」とメソメソしていた。バディのせいでスポーツイベントが大嫌いになった私は、「あなただけじゃない、私だって行きたくない。そもそも行きたい人なんて誰もいないと思うよ」と教えてあげると、なんとなく気持ちが落ち着いたのかバタバタと支度をして飛び出していった。ここで、「学校の行事は決まりだから行くこと」なんて言うと逆効果だったのだろう。素で答えただけなのだが、なんだか上手く勇気付けられたようで良かった。

それにしても「夢スポ」。夢がスポっと抜け落ちてしまう音なのでは、いやいやここは「夢のスポーツフェスタ」なのではないかとつまらない事を考えてしまった。それは置いておいて、そもそもみんなどう思っているのだろう。楽しいのだろうか、それとも。などといつもの好奇心で、あちらこちらの人に聞いてみた。すると、「もう無くなればいいのに」「面倒」「豊洲小だけあるのはおかしい「そもそも昔校庭が使えなかった時の臨時のイベントだったのに、いつまでやっているんだろうと思う」などと、びっくりどっきりの返事があちらこちらから返ってきたので驚いた。


※昼食後広場で遊ぶ子ども達、楽しそう

娘の時からなので、もう5回参加というか見学に行っているが、私は一度も楽しかったことがない。すごく暑い時もあり、本当に死にそうになって観戦していた。昨年など屋根のない大きなトラックだけの夢の島競技場の方で開催されて、せっかくバディと縁が切れたのにまたこんなところで、などとぶつくさ思ったりした。今年は屋根のある方だったので良かったが、役のない父兄は屋根のない方で観戦せねばならず、先生に屋根は生徒の席とマイクで注意されていた。

しかも帰りは地下鉄の駅も列車内も小学生達で溢れ、一般客に迷惑だろうし先生達が誘導も大変そうだった。また余計な事を書いてと思われるかもしれないが、地下鉄の扉が閉まるぎりぎりに乗り降りする子どももいて、何か事故があったら怖いと思った。狭いけれど運動会も出来る校庭もあるし、やるならそちらでやって欲しいという人もいた。確かにそうかも。 しかも雨なら中止で予備日はなし。いかにどうでもいいイベントなのかという事ではないか。


※全車両子どもでいっぱい

もう「夢スポ」やめて、「算数オリンピック大会」でもやったらどうだろう。教室でも体育館でも涼しい場所で。もう余計なスポーツイベントなんかやめて、勉強に繋がるイベントを全校あげてやって欲しい。カズみたいなのは特別、スポーツなんかでは将来ご飯は食べられないと思う。

そもそも豊洲小学校って豊洲にあるが目立たない存在だと思う。生徒が多いので注目を浴びたりするが、豊洲北小学校には負けるのでそちらがニュースになったりする。目立てばいいという訳ではないが、以前の越中島のように越境したいと思われるような学校を目指すのはどうだろう。折角「豊洲」というブランドの学校なので、何か特色をつけた方がいいのではないだろうか。公立小学校といえども、もっとイノベーションを巻き起こして欲しい。

例えば千代田区の「九段小学校」などは全校あげて囲碁をやっていて、「小中学校囲碁大海」で何度も入賞したりしている。もう伝統になっているようで授業でも取り上げられるそう。私は時々みる堀さんのブログで知った。こんな風に学力が向上するような何かを夢スポの代わりにやってくれないだろうか。「算数オリンピック」というのは強ち冗談ではなく、学校全体で取り組めば数学力が向上するのでいいこと尽くめだと思う。

こういうのはどうしたら実現するか。以前、金髪先生に色々アドバイスを頂いたので、ちょっとやってみようかなと思ったりする。また余計なタスクを抱えてしまうかもしれないが、なんとかなるのではないか。ちょっと体調が戻ってきたのでまた楽観視してしまった。「元気の泉」のおかげで元気になった。また調子悪くなったら行こう。でも運動も何かしようと思った。もう体ががちがちになってしまっていたそう。反省。


【今日の小確幸】

鍼が気持ち良かった。

私は縁起を担ぐのが結構好きで、富丘八幡宮でわらなど拾うと嬉しくて飾ったりしている。それを友達にもプレゼントしたらとても喜ばれ、家族分に分けてお守りにするなどと言ってくれた。こういうセンスが同じ人というのは、たいがい何を話しても気が合って楽しい。縁起を担ぐというのは迷信だけではない、目に見えぬものもの達へのメッセージなのだ。侮ってはならないと思う。

夫がAmazonでまたしょうもないものを買っていた。こういうものを買って家に入れるというセンスが信じられない。しかも一式購入していて許せないと思った。普通、家人の誰かが嫌がるものは買ったり置いたりしないのが家庭のルールではないかと思う。でもこれ多分、半分は私への嫌がらせだと思う。でも夫と娘にはピッタリだと思う。夫は娘をダークサイドに落としたくてたまらないように見える。もう二人して勝手に落ちればいいが、息子だけは阻止せねば。

以上、まとめ。
以下、通常バージョン。

昨日は課題と納品した記事の訂正ふたつやったのでちょっと忙しかった。でもこの「何かで忙しい」ということは、精神衛生上とてもよいと感じた。人間は暇だと碌な事を考えない。昨日は朝から調子が悪かったので気分もブルーだったが、朝食を完抜きしたら昼頃からちょっと良くなってきた。私は朝食を食べると体も心も調子が悪くなるタイプ。いつからだったかよく覚えてないが、独身最後の頃チームリーダーとそんな話をした覚えがあるので多分ずっと以前からそういうタイプなのだろう。朝食べないんですと言うと、自分も気をつけているなどとかえってきた。結構そういう人は多いように思う。


朝食べると頭がぼーっとして体の力が入らないような状態になる。そして気持ちも。これが昼まで食べずに空腹の状態だと、頭も体もきりきり回るのだ。このあたり血糖値のなにかの関係だと思うが、未だ原因が見つからないまま。人間ドッグや何かの診察の際に医師に色々聞いたりするが、どうもしっくりくる回答が得られないままだ。でも自分の身体は自分が一番よくわかるのではないか。朝食べない方が調子がよいなら食べなければよいのだろう。空腹でもないのに無理に何か食べればそれはそのまま脂肪になってしまう。それは避けたいと思う。


※塾が終わるまでぶらぶらしている


また前置きが長くなってしまったが、昨日またAmazonから荷物が届いた。久しぶりに見る大きな段ボール。もう箱を見るだけで何が入っているのか透視できるようになってしまった。自分宛でない荷物は勝手に開けたりはしない、それは家族のというより人としてのルール。私は自分のものを勝手にいじくられるのが大嫌いなので人にも同じように対応するだけなのだが。子ども達にも本当にしつこく教えているが、勝手に色々が突っ込んである棚などごそごそされてよく切れる。それはさておきAmazon の段ボール。夫宛だが帰ってきた娘が勝手に開封していた。自分の頼んだものと確信しているのだろう。娘が出かけた後に見ると、なんとダースベイダーのお面が入っていた。


※シュコーッシュー(怖)



※1円でもいらない!

こういうものをねだられてハイハイと買ってしまう夫のセンスのなさに、怒りを通り越して哀れに思ってしまった。普通子どもが欲しがったら、ダークサイドはダメだと言うものではないだろうか。ただのおもちゃと侮るなかれ、こういうものがリアルな現実へと繫がっていくものだと思う。100歩譲って娘は夫担当なので勝手にすればいいが、息子がダークサイドにいってしまったら困る。私は迷わずごみ袋に入れて下のゴミ捨て場に持って行って捨てた。息子がどこに隠しただの、出しておかないとお姉ちゃんに叱られると騒ぎ出した。泣きだした息子に「こういう縁起の悪いものは絶対所持しちゃだめ。冗談が本当になったら困る。君だけはダークサイドに行かないで欲しい」とこんこんと言って聞かせ、息子の目の前で夫に電話して夫を叱り「捨てたから」と告げた。 


息子は何か思うところがあったのか急に泣き止み、私の捨てた荷物の中にジェダイのマントがあったというのでそれだけ拾いに行き、マスクは新品で勿体ないと思ってキッズルームに寄付しにいった。遊びたければキッズルームに行くがよい、ただし家に入れるのは禁止。夫は本当に馬鹿バカしいものばかり買う。Amazon の明細によると今回買ったダークサイドグッズは3つ。マスクとマントとライトセーバーだ。子ども達は「スターウォーズごっこ」を動画にするのに凝っていて、ダークサイドものも欲しいと思ったのだろう。でもこれ、誰が装着して演じるのって話。娘は自分がレイア姫をやりたがり、敵キャラは息子の役になる筈だ。

冗談じゃない!

ダークサイドのおもちゃを持てばダークサイドになるなんて、子どもの遊びくらいで何を言っているというかもしれないが、こういう事こそ大事なのだと思う。子どもが集まって遊ぶと何々ごっこが始まるが、人気なのはヒーローだろう。バイキンマンの役をやりたがる子どもがいるだろうか。子ども心でも感覚的にダークはNGだとわかっているのだ。親もそう躾けるだろう。子どもが将来ダークサイドに落ちるのを望む親など誰もいない。それなのに夫は。こういうのって、どう説明したらいいだろう。こういうのはもう育った環境というか、それぞれのセンスというのか、いい悪いではない感覚的なものだと思う。

縁起を担ぐというもの、私のような一般人ばかりではなく、セレブもやっていたりする。プライベートだけでなくビジネスでも。例えば台湾のホンハイは、シャープととの買収契約を締結する日を風水で決定したのは有名な話。

”一代で鴻海を世界最大のEMSに成長させた郭氏の経営手腕は、剛腕かつ即断即決で知られる。その決断の根拠の一つとなっているのは、AIの判定でもビックデータ分析でもない。縁起や風水なのだ。”
出典『日経ビジネスNO.1840』「凄い意思決定3"神に聞く"」より

郭氏は目に見えない物者を味方につけることで、頭角を現せたのだと思う。ビッグデータなど凡人思想の塊、斬新な意思決定にはかえって邪魔になる事もあるだろう。他にも今月号の『日経ビジネス』にはこういう目に見えない力を利用する経営者の記事が並んでいて興味深い。ちょっとやりすぎでは、なんて私が思うようなものもある。

まとめと話が前後してしまうが、以前富岡八幡宮に参拝に行った時に、わらを拾ったことがある。賽銭箱の前あたりにはらりと落ちていたのだ。多分しめ縄にぶら下がっているふさふさの飾りの部分が落ちたのだろう。「あっ、わらしべが落ちている」と思って拾い、ありがたく頂戴することにした。わらしべ長者になれるだろうかなとど考えて嬉しくなった。こういうものを喜びそうな人はと考えて、すぐ友達の顔が浮かんだ。友達にもプレゼントしようと、それからちょくちょく夕方に富岡八幡宮を参拝したりした。

私はこうやってゲンや縁起を担ぐくせに、正月の初詣はここ数年行っていない。行かなくなったきっかけはあの裁判があった年からだと思う。あんな悪い奴がのさばるこんな世の中、神様なんて絶対いないからだと考えたのだ。それまでにもママ友との付き合いで、どうしてこんな酷いことをする人達がなんでもないような顔で生きているのか、などとも思っていて、この辺りでも同じように感じていた。結婚して子どもを産んでから無神論者になったともいえる。今でもそう思っている節はあるが、縁起やゲン担ぎというのは話は別。こうした目に見えない何かからのメッセージというのは大切にしたいし、清く正しく美しいもので気持ちを落ち着かせるという行為は、人として幸せに生きるエッセンスになる。

そんなこんなで拾ったわらしべを友達にプレゼントしたところ、本当に喜んでくれて私も嬉しくなった。家のどこかに飾っておいてと言うと、家族の人数分にカットしてお守りにするという。自分にない発想に驚いたが、すごくいいアイデアだと思った。親戚からの形見分けで貰った着物の端切れでお守り袋を作るなどという。私は先日二束三文で叔母の着物を処分してしまった事を後悔した。そうか、こういう使い方もあるのか。でももう処分してしまったものは仕方ない。幸い娘が赤ちゃんの頃に着ていたベビーウェアの端切れが少し残っている、これで自分も作ってみようか子どもに持たせようかと思ったりした。

初詣に行かない富岡八幡宮に最近ちょくちょく行くようになったのは、急に信心深くなったせいではなく息子のお蔭。息子はこの神社の隣にある塾が気に行って通うようになり、私は毎週付き添いで一緒に行く。待つ間にカフェでパソコンをいじくる事もあるが、最近は急を要する課題や仕事がないのであたりをぶらぶらしたりすることもある。そこで見つけたのがこの「わらしべ」だ。なんだか縁起がいいわあと思った。そもそも息子が私にとっては縁起のいい人で、彼と一緒に行動すると運のいいことがよくある。その都度「本当にあなたは運のいい人ねえ」と言うと、嬉しそうにニッコリ笑う様が可愛らしい。そういうものが滲み出ているのだろうか、息子はどこに行っても可愛がられる。 なんていうか、生まれ持っている何かなのだと思う。 息子をいじめた奴らに天罰が下るのは時間の問題かもしれない。

なので縁起の悪そうなものは、息子に絶対近づけたくない。たとえそれがおもちゃでも。というか、色々書いたが要は「アナキンのように可愛い息子がダースベイダーにならないように」ダースベイダーものは遠ざけたいだけなのだが。スティーブジョブスが言っていた通り、「時間は限られている。心と直感に従う勇気をもつことが大切」なので捨てました。ジェダイの神よ、息子を守り給え。フォースと共にあらんことを。
May the Force be with you


【昨日の小確幸】

課題が予定通りすすんだこと。

このGWについて色々考えてみたあれこれ。今年は夫の実家以外遠出もイベントもなにもなし。そもそも私が何か考えないと新しいイベントは期待できないが、今年は何も提案する気力がなかった。それは経済的圧迫と今の家族の在り方が原因。さすがに何もなくてはつまらないだろうと、ラフォルジュルネ行を提案したが、娘が最後まで行きたくないと言い張り計画は流れた。

娘の反抗は仕方ないとして、経済感覚の方が心配。夫は何も問題意識がなく怖いと思う。娘は息子の買ってもらうものまで自分のものにしないと気が済まない。物欲が強すぎるのはそのまま愛情不足の裏返しだろう。もうこれ以上子ども達にものを買い与えないで欲しいが、ジジババ叔父の楽しみかと思うと無下にもできないので困った。人はモノでは幸せになれない。どうしていいかわからないまま子どもの日が終わった。

以上、まとめ。
以下、長い方。

今年のGWは何事もなく過ぎている。何事もないというのはトラブルではなくイベントという意味だ。我が家は私が計画を立てないと何処にも行かない家族、好きなように出来ていいじゃないと言われるが、最近何か提案すると「面倒」などと言われるようになってしまったお金もないし。それでも昨年は新潟のベルナティオへ行ったし近場でバーベキューなど毎年何処かしらへは行っていたが、今年は何も計画しなかった。夫が勝手に科学未来館、科学技術館に連れて行くかと思ったら家にずっと引き籠っていた。

豊洲公園にぶらっと遊びに行くようなアイデアもなさそうで、多分子どもの頃からずっとこうだったのだと思う。仕方ないので昨日に引き続き、ラフォルジュルネに行こうと誘うが行きたくないと言う。朝から家が散らかり放題で怒って掃除をした2時間後、また同じように散らかされ、またしても賽の河原地獄に落ちた。いったい全体ゴールデンウィークというのは誰が名付けたのか。私にとって、ちっともゴールデンじゃなかった。結局昨日はずっと家にいて何処にも出かけなかったので、私だけ近所の本屋をうろついたりショップを冷やかしたりして頭を冷やした。

※大手町のグリーン、アマン東京の庭

帰ってくると夫と娘が何やらもめている。「勝手に買うな」と娘が叱られているのを聞いていると、ネットショップで勝手に何か買おうとして咎められているらしい。夫は毎日Amazonで何かを買う。私も子ども達の衣類や食品もネットで買ったりする。娘が覚えたとして仕方ないかもしれないが、ポチっとすればなんでも手に入ると思っている節があり問題だと思う。経済的バランス感覚がややおかしいと思う。おまけに勝手に買うなと叱ったばかりの娘と、赤のライトセーバーを購入する相談をしていた。

 
※息子のライトセーバーオビワンケノービバージョン。

子どもの日のプレゼントとして息子が叔父に買って貰ったブルーのライトセーバーを、娘が羨ましがり自分はグリーンを買って貰ったのだ。そもそも小学二年生の男の子が欲しがるものを自分も欲しがるというあたりで窘めるべきなのだが、彼女は誕生日プレゼントの他に、子どもの日のプレゼント、そして弟と同じものが欲しいと駄々をこね買ってもらい、そしてやはり赤のライトセーバーも欲しいなどと言い出した。これを夫は快諾していたのだ。お金がなくて困っているのではなかったの?といえば、二人顔をくっつけてこそこそ何か話しながらこちらを見てニヤニヤしている。もう一体何が起こっているのか理解不能になってきた。夫は娘をどうしたいのだろう。このままでは本当にあの結婚詐欺師のような大人になってしまうと思う。

そもそも私は子ども達に玩具を買ったことがない。ほっておいてもジジババ叔父夫が大量に買って寄越すので、私までが買い与える必要はないと思っている。羨ましいと言われることもあるが、私は現代においてはモノが無い生活の方が余程いいと思う。「欲しい」と思ってたちどころに願いが叶い続けたら、人は破たんすると思う。願いを叶えてくれる人がいなくなれば、そういう誰かを探し続けるだろう。自分でという気持ちは欠片もなくなるのだ。恐ろしい事だと思わない夫が恐ろしいとすら思う。

夕べあのプールバスのお母さん達と話をしようと声をかけるが、何度話しかけてもさあっと逃げられてしまう夢をみた。それは夢だけではない現実なのだが、声をかけた後何を話していいかわからなくなった。娘は結局プールをやめてしまった。プールをやめさせたのは夫、私は反対したが、「勉強しないといけないから」などという理由で夫が許可したのだ。でも本当は違う、娘は水泳に燃えていた。プールバスや人間関係が嫌でやめたのだ。いつも「勉強」という隠れ蓑で色々なものを覆って暮らしているが大丈夫なのだろうか。娘も夫ももっとストレートに色々言えばいいのにと思う。無理やりにでも曜日を変えてあげれば良かったと思った。

娘はちっとも勉強なんかしていないし、好きではない。中学を卒業したら本当に舞子修行に出したらいいと思っている。外の世界で経済やその他、生きるために必要な心根を学べばいい。もう私たち家族では制御不能なのではないか。夫は自分がかりで大学院まで出すと言っているが噴飯ものだ。娘が本当に勉強が好きで大学院に行きたいという夢があるならもちろん何もかも差出し応援したいと思がでもそうじゃない、それらは全部夫の夢で、私たち家族は無理やりそれにつき合わされているだけなのだ。息子はどうなるのだ。

昨日、生活費を下ろそうとコンビニのATMに行くと、引き落とし可能残高が7万円だけだった。これを下ろして1カ月やりくりしないといけない。とはいえ、食料品、日用品はカードで買うことにしているし、現金が必要な集金やカードが使えない近所のお店用に準備するだけなので足りるだろう。それに私はもう欲しいものは何もない。大学にも通っているし、他に今欲しいものといえば新しいiPhoneだろうか。今の筐体ではiOSのバージョンについていけなくなりフリーズが頻発するようになった。でも今回のSEはどう考えても見送るべきで、秋にリリースされるものをみて検討しようと思う。

他人と暮らすということ、本当に色々大変だと思う。それより深刻なのは、母親である私になんの相談もなく高価なおもちゃが子ども達にバンバン買い与えられている現実に、正直もう本当に嫌になってしまった。こういうイベント時だけでない、常に夫が買い与えるものも溢れている。例えばドローンはもう3台くらい買ったようだし精巧で巨大なロボットも3~4台、ポーチの中に置くしかなく玄関のドアが開けにくくなっただけのフリッカーという巨大キックボードも2台。


※これは小さい方

 
※これは大小2台。邪魔すぎるいらない!


※こんなのが数台ある

娘が私の真似をして買った大人用ルイガノ、などなどそれら全部いつの間にか家にあった。こんな感じでお金の出入りも経済状況も全くわからない現状だが、ともかくあと一年は大学に通わねばならないのでここにいるしかない。

そんな訳で身も心も全くゴールデンでないGWが進行中。今日の金曜を挟んであと土日があるが、もう何も考えない。


【昨日の小確幸】

紙飛行機の本をみつけたこと。勿体ないから買わない、ネットで調べて息子と作ってみよう。


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グノシーの『クレヨンしんちゃん』を読んでいたら、マンガを描いてみたくなったので描いてみた。やっぱり描くのは息子になった。可愛い、満足♡

グノシーはしょうもないニュースばかりだが、マンガの連載が無料で読めるのでついみてしまう。『のだめカンタービレ』が最後の巻を残して連載終了した時は怒ったし、多田かおるの『いたずらなキス』が作者が亡くなり連載中止になった時はショックだった。でも主人公が丁度妊娠した?という感じで終了となり、それはそれでそこでハッピーエンドとして受け止めればいいのだとも思った。

しばらく遠ざかっていたが、最近『鈴木先生』が始まったのでまた読んでいる。これは一回読了したものだか、読み返しても色々な発見があり興味深い。次は河合遥の『夏雪ランデブー』か、『関根くんの恋』、それか『ガラスの仮面』とか『オルフェウスの窓』なども読みたい。あーもうマンガ大好き。

でもこんなに好きなマンガだが、娘の妊娠中から息子がバディに入園するまでご無沙汰だった。育児というのは大変で、2人目はもっとなんともならなかった。またマンガを読むようになったのは、それだけ気持ちに余裕が出てきた証拠ではないか。

でも最近アプレシオに行っていない。アプレシオ友達がいなくなったせいもあるが、そもそも時間がなくなってしまった。などと言いながら自宅でマンガを描いていたら一緒ではないか。もう仕事はギリギリにならないと出来ないので諦めて、これから花を買いに行く。

娘がおばあちゃんにあげたいと頑張っていた、ケイトウの花のケーキをプレゼントしてあげたい。最近娘は洒落にならないようないたずらをする。夫の教育虐待と私の放置と、どちらが責任が重いだろう。まあなるようになるだろう。色々バネにするくらい強くなっておくれ。

なんてごそごそしていると、委員会の連絡がメールできた。家庭教育学級の役になったのでお願いとのこと。家庭教育学級は以前すくすくの友達が色々やっていて、いつか機会があったらやりたいと思っていたのだ。嬉しい!頑張ります!と返信した。嬉しいけど一人で突っ走らないように気をつけたい。でも香山リカさんにまた子育て支援のお話をして貰いたい。

香山リカさん、最初は低血圧ぽくてぶっきらぼうだったけれど、講演になるとガラッと変わりテキパキと素晴らしいお話をされていた。しかも時間ピッタリに。帰り駅の途中までお見送りした時に「私、普通の専業主婦で、香山さんみたいな方とこんな風に仕事ができて、一生の思い出になります」と言ったら、ハッと振り向いて、にこーっと笑ってくれたっけ。

今度は小学校でなんて、どうだろう。私を覚えていて下さるだろうか。でも年賀状は交換していて、あああの時の、なーんて話になったらいいな。

なんかまた書き過ぎた気もするけれど、とりあえず公開してみよう。これから息子のミュージカルのチラシを配付しがてら花を買いに行く。ついでにワインも買いたいけれど今日は控えようか。先日血圧を測ったら200を超えてしまった。一体どうしたんだろう。そうだ、近所のあの先生に相談に行ってみよう。豊洲はやっぱり便利だな。


【今日の小確幸】

久しぶりにマンガが描けて楽しかった。子どもにも見せよう

我が家はゴミで揉めることがある。誰が集めるか捨てにいくか。そんなの黙って専業主婦がやればいいという意見が99.9%だと思うが私はそうは思わない。ゴミは一体何故でるのか、その後誰かどうするのか。最終的にはきちんと消えてくれるものなのか。誰もが考えればゴミ問題は無くなりはしないが、解決の道にすすむと思う。その第一歩が家庭だと思っている。そのせいで朝はまた子ども達とリアル鬼ごっこで大騒ぎをしてしまった。ベランダから眺めていた人達にもいい訳をしたいので書いてみたい。

以上、まとめ。
以下、長い方。

今朝、子ども達は朝4時頃から起き出し元気いっぱいだった。姑すなわち奴らのおばあちゃんの家に行くというので張り切って起きたのだ。息子におにぎりを握ったが、おばあちゃんの家で食べるからと手をつけない。まだ4、5時間はあるからといっても食べなかった。でもそれはそれでいいと思う。お腹がぺこぺこ状態で行けば、姑は大喜びだろう。今日のお握りは鮭の粕漬けにゴマとあさつきを混ぜ込んだもの。夫はそれをお茶漬けにして食べ、お握りも2~3個食べた。太った夫に食べさせるつもりはないのだが、一番食べるのはやはりこの人。世の中ままならないと悲しくなりそして怒れることばかりだと思う。

二度寝した息子が起き出し、支度をして玄関に行く。ひとりで何も出来ないくせに「しつこいババア」などと憎たらしい顔でいうので叩いてしまった。息子は嬉し過ぎると憎まれ口を叩くくせがあるのでそれかもしれないが、支度の世話をして貰っている身でそれはないと思う。子どもだからか何歳だとか関係ない。それにもう7歳だ。いいこと悪い事は感覚的にわかる筈。それなのに。帽子をかぶせて携帯を持たせ、「下に降りる時は何か持って降りて」というと、さあっと逃げるようにエレベーターに乗っていってしまった。

持って降りる何かは、今日の場合は姑用にと用意したお土産や色々、息子の水筒やミュージカルのパンフ、ゴミ箱から集めてまとめたごみ袋、段ボール箱など。ひとりが全部持っていかなくても、空いている手があるなら持って降りればいいと思う。息子はたまにやってくれるが娘は頑としてやらない。言われてやるのが嫌というより、ただの反抗だろう。でも今日は珍しく娘は持って降りた。私の目の前で反抗したら、おばあちゃんの家に行くのが遅くなると踏んだのだろう。息子はそのまま行ってしまった。私は追いかけた。

息子を捕まえて「君はママと午後便で行ってもらう」と言って家に連れていこうとすると、夫が娘を連れて車を寄せてきた。車の中もゴミだらけだった。夫と娘はいつもふたりで車で何処かにいく。私はもう子ども達がふたり乗る時は一緒に乗らない宣言をしているので、子ども達だけ、もしくは娘だけの時にゴミを盛大に散らかすのだ。私への反抗なのは言うまでもない。ゴミ箱まで割れて、そこからもゴミがはみ出していた。娘を車から降ろし、それも片付けさせる。息子が泣きながら「降りる時は手ぶらで降りません」というのでやっと送りだした。ちょっと甘かったかなと思ったりもしたが、姑が待っているので仕方ない。


※「宇宙の木」という多肉植物を買ってみた。宇宙というより海底では。後ろは短くなった鉛筆用の鉛筆立て。「こども芸術の村」ワークショップでも作ってみようかな。

私は常々家でも言っている。「ゴミは誰の責任か」と。ゴミは出した人の責任。それをゴミ箱がいっぱいだからとそれを片づけずに更に積み上げるような真似はしないでゴミ箱がいっぱいだったらゴミ袋にまとめる、そして他のゴミ箱のゴミも集めるくらいして欲しい。ママは無料の奴隷じゃない家族なんだと。だったら家事を少しでも手伝ってと。家事というのは死ぬまで終わらない苦役、誰だってやりたくないし、時には離婚の原因にもなる。有馬稲子は家事の苦しみが原因で離婚しているらしいし、うちは不仲の原因のひとつになっている。離婚原因の「性格の不一致」なんていうのは家事分担の不一致なのではないだろうか。キラキラブログに家事が楽しいと書く人達は、ブログを読んで素敵と褒めて貰える承認欲求が得られるから楽しめるのだ。私は嫌だし出来るならやりたくない。でも誰もしないし専業主婦だから仕方なくやっている。誰だってそうだろう。

そしてゴミ袋につめたゴミを下に持っていってゴミは終わりじゃない、仕分けし、それぞれにまとめそれをまた持って行く先がありリサイクルしたり燃やして処分したり埋め立てたりするのだと。江東区はプラスチックなどのゴミを21年3月から「燃やすごみ」に変更した。それまでは「燃やさないゴミ」だった筈で、多分人口が膨れ上がりそれに伴いゴミが増え、処分しきれなくなったのだろう。なので燃やすことにしたということなのではないか。

人口が膨れ上がっても、ゴミについて人々が様々な配慮をすれば燃やさなくても済んだかもしれない。プラスチックは燃やすと有毒ガスが発生し、それはそのまま江東区の空気になっている。私がここに越してきて喘息になったのも、喘息の子ども達が多いのもそういうのも理由のひとつだと思う。ゴミは自分達が責任を持って扱う、資源ごみはそのように、プラスチックは洗って仕分ける、燃えるゴミだって何故そんなに発生するかということを考える。なのでまずプラスチックのおもちゃをやたらに買わないようにしたらどうか。うちはハッピーセットは全面禁止にしている。貰った次の日はプラスチックのゴミになっているからだ。

以前、持ってきたおもちゃをポイント化して違うおもちゃと交換というイベントに行ったことがあるが、ガラクタおもちゃの山のほとんどはハッピーセットのおもちゃだった。こんなことを続ける企業が存続していいものかと思っていたらその通りになり、マクドナルドは業績が落ちて瀕死状態になっている。もういっそハッピーセットなどやめて、ただのポイント制にしたらいいと思う。ポイントが集まったら時々もらう無料券のように、ポテトS券とかシェイクの券と交換すればいい。ゴミも減るしマクドナルド商品を食べてもらう機会が増えていいのではないか。

そういえば私は以前、えこっくる江東の学習会に参加したことがある。一年間限定で様々なゴミ問題について識者を呼んで講義をして貰ったりして勉強するのだ。エココロジー生活で有名なティオ・エクベルさんや武蔵野大学の教授の方などのお話は本当にカルチャーショックだった。ティオ・エクベルさんの北欧がエコロジー大国になった経緯に涙したり、武蔵野大学の教授には書いたものをめっちゃ褒められて恥ずかしかった。エコマラソンというコンクールがあり、そこで私のレポートは大賞をとった。表彰状をくれるというのでのこのこ出かけたら、表彰式にテレビ局がきていてびっくりした。事務所みたいなところで「はいこれ」みたいに渡されると思っていたらこんな公開処刑のような式典、そしてそのままパネルディスカッションということでパネラーの席に座らされ、色々話を振られてオドオドしてしまった。いきなりに弱い私は虚どって変な人になってしまったのだ。テレビをみたという人が結構いて、死にたいと思った。

そのえこっくる江東だが、学習会の後はその年度の参加者がグループになり、様々な活動をすることになっている。私は表彰されたせいかエコリーダーなどという役に祭り上げられ、多分そうなるだろうなと思った通りそのサークルは空中分解した。揉めて嫌になり行かなくなってしまったのだ。えこっくる江東の、特にみどりのカーテン運動の主なメンバーは年金を貰う年齢層ばかり。そんなところに私が参加することになったものだから、おじいさん達は喜びおばあさん達は不貞腐れて意地悪をしだした。まあ私も最初から空気を読んできっぱりと辞退すべきだったのだが、そこは第二というか第三というか、最後の青春を謳歌する場でもあったのだろう。変な意味ではなく仲良く同級生のように集う場所だったのだと思う。そこに二回りくらい若い私が参加したらどうなるか。しかも私のようなぷりぷりのプリティーちゃん。

そういう意味もあり、大学の勉強もあるしで辞めて良かった。区役所のみどりのカーテンを作るということで手伝いに駆り出されたことがあった。「お子さんもどうぞどうぞ」というので娘を連れて行ったら、最後の最後に「こんなところに子どもを連れてくるなんて常識を疑う」と言われてブチ切れた。でも今考えれば子どもじゃない、若い私が目障りだったのだろう。いつまで経っても女は女なんだなと感心してしまう出来事だった。それにしても私の子ども達は、いつもいつも私のせいで誰かに八つ当たられて本当に気の毒だと思う。そのうちいい事があると思うので、腐らずに頑張って欲しい。

それは置いておいて、その学習会で様々なゴミの現実を知って驚いた。ゴミだけでなく残食についての問題、ゴミは処分するのにも地球のエネルギーを使う必要があり、それがあと数十年で枯れて無くなってしまうという現実。多分、小学校などでは勉強会などして子どもに教えていると思うが、家に戻ればうちは知らないといった風に、がつがつゴミを捨てて無駄に電気や水を使い散らかしているのだろう。夫など大量にコピー用紙を使い散らかし、そのままゴミ袋に詰め込んでいる。そんなゴミでゴミ箱が溢れ、それをみている子ども達は同じように真っ白な紙を使い散らかす。

それを拾ってカットしメモ用紙にすれば「ママはケチ」などと嗤う。まーどういう躾をしてるのか親の顔がみたいと思った。資源には限りがあり、経済が発達すればする程消えていくもの。それで原発など作って人類の叡智を詰め込んだ傑作みたいに言っていたが結果はこの有様。もう自然や地球に謝って、元の生活に戻せばいいのだと思う。でももう今更昔の生活になど戻れないだろう。せめてゴミ問題くらいちゃんとひとりひとりが考えたらいいのではないか。食べ物も食べきれないほど作って残すのはダメだと思う。

よそはどうでもいい。自分の子どもはちゃんと考えてくれる人になって欲しい。まずはあの夫からのような気がする。ディスポーザーのように何でも飲み込むが、それは体に蓄積されて堆肥の塊となり膨らんでいる。その肥料はありとあらゆる病気の栄養となっている。成人病予備軍どころか3つくらい危険信号だ。私の高血圧もこういうところが発端かもしれない。色々気を付けたい。

そういう訳で朝からまた大騒ぎをしてしまった。子ども達はちゃんと「持って降りる人」になってくれるだろうか。ゴミを自己責任と考えてくれる人になるだろうか。といいつつまずは自分からなのかもしれない。最近あまり出来ていない気がする。やろうと思う。


【今日の小確幸】

誰もいないのでこれから二度寝しよう。朝から走って疲れた。

今日は娘の誕生日。丁度連休の合間のぽっかりとした平日、なんとなく娘らしい日に生まれたものだと思う。でも娘は自然分娩で生まれたのではなく、期日指定の帝王切開で生まれたので、誕生日は彼女の意思ではない。私は妊娠したものの、自分が出産の痛みに耐えられそうもないとわかっていたので、無痛分娩か帝王切開がいいと考えていたのだ。 

痛いなら産みたくないというか、某女優が「卵で産みたい」と言った意味がわかると思った。そこへ丁度よく逆子になり、これなら帝王切開でもいいかもなどと主治医が言うのですぐさま帝王切開でとお願いしたのだ。本当にあの時ほどほっとしたことはない。世の中には自然分娩に拘る産科医というものがいて、それは大抵男性なのだ。女性の出産というもの、時には母子ともに危険も伴う場合がある。妊婦が希望したならさっさと帝王切開にしてくれればいいのにと思う。

我が家の家系は体が小さい、なので子宮も産道もそうなのだろう。私の敬愛する叔母と妹がものすごく苦しんで第一子を出産している。叔母はふたりめを諦め、妹は無痛分娩の病院を探して右往左往しているうちに生まれてしまった。二人目はあっけなく生まれたそう。そういうものかもしれないな、もう一人産んでおけばよかったなどと叔父が叔母亡き後言っていて、どこかで若い叔母に会ったなら教えてあげたいと思った。

そんなこんなで帝王切開で娘は生まれた訳なのだが、手術中は麻酔が効いてふわふわとした感じの中で大勢の医師や看護師がわらわらしていた。総勢20人くらいはいたのではないか。そんな大勢の中で娘は生まれ、「おめでとうございます」と100回は言われただろう。ミスチルのカップラーメンのCMだったか、「あいら~びゅううう」と桜井さんが歌っていた。担当医が「なんか音楽かけてあげるよ何がいい」などと親切に言ってくれたのだが、いい曲が思いつかず「先生の好きなやつでいいです。リラックスして頑張ってください」などと偉そうに言ったのでその曲になった。でも今でもあの曲を聴くと、娘が生まれた日のことを思い出す。


※なかなか可愛い

はあい生まれましたよーと担当医が言って、その後娘が「ごぼっ」と何かを吐き出す音、そこからおギャーおギャーと元気いっぱい泣き出した。怪獣のように元気な声で驚いたが、麻酔が効いていてとろーんとしていた。生まれた娘はカンガルーケアというのか、少し私の横に寝かせられた。自分から生まれた命というより、何かが来たっとうい感じ。暖かくてほわほわして、一体全体どこの星から来たんですかと思った。自分が母親になったなどという実感は全然なかった。これはもしかして私の気質とういより、出産の違いではないかなと今思う。自然分娩で産むと「産んだー!!!」という気持になり、母性がびゅうびゅう出るらしい。でも帝王切開だとそうなりにくいとNHKの何処かの番組でやっていたのだ。

でも娘を沐浴させる時たまたま分娩室の中だったので、カーテンの向こうが分娩中の妊婦だったということがあった。「ぎゃああああ、ごおおおお、ぐわあああああ」という獰猛な雄たけびを聞いて、帝王切開で産んで良かったと思った。絶対私では堪えられなかったと思う。でもそれは命のためでもあったので納得している。私も家系なのか生まれつき産道が細いようで、主治医が自然分娩は危険かもと言っていた。別の担当医は好きにしていいなんて言っていたが、なんか無責任だなあと思った。多分自然に産んでいたら、母子ともにダメだったかもしれない。江戸時代なら仁に麻酔なしでお腹切られていたかも。現代に生まれてよかったと思った。

今日はまだ家ですることがあるので、久しぶりにヨーカドーのネットスーパーを利用した。このネットスーパーというもの、娘が赤ちゃんの時代に始まったサービスで、便利な世の中になったものだわと思った。それから色々なところがネットスーパーをやっているが、私はもう手慣れたというせいもありヨーカドーしか使わない。ヨーカドーのネットスーパーのこの辺りの担当責任者は、あの頃からずっと同じ人というのもすごいと思う。この人がまあすんばらしい対応をしてくれる人で、注文した米が在庫切れだとそれよりツーランクくらいいいお米を「すみません」と持ってこさせる。卵もそうだった。他にもそういう事例が何度かあり、ピンチをチャンスに変える好例だと思った。

現に私はすっかり気を良くしてヨーカドーしか使わなくなってしまった。最近は生協も注文するので利用頻度は減ったが、「最強セブン伝説」というのは、こういう小さなサービスを、こつこつしているせいなのかもと思った。

以前コンビニコーヒ―を大学や企業にもというのは、実際に各コンビニにお手紙を出した。アイスのSはホットのエスプレッソになりますよと。セブンとローソンとファミマに送った。サークルケイはファミマに吸収されるのでそれどころではないと思って遠慮したのだ。しかも経営戦略室に知りあいがいるのでちょっと恥ずかしかったのだ。そこでの対応はやはり一番セブンが返信も早かったし対応も良かった。今実験段階で色々なところでテストしているなどと、ちゃんと誰かが意思を持って寄越した返事だった。他のコンビニは「貴重なご意見として~」というもので、ちょっとがっかりした。でもまあこういう色々言う人はいる筈で、たまたま目をつける人に発見されなかったのかもしれない。

ということで、今日の晩御飯は娘のリクエストで鉄板焼にした。アメリカ産牛肉をたくさん買ったので、届いたら玉葱の擦りおろしを和えておく。こうすると肉がやわらかくなって美味しい。プルコギにしてもいいかも。それからラム肉を買ったので、これは最初に焼いて食べる。全部ラムにしてもよかったかもしれない。これは手に入らないが娘は鹿肉も好きで、北海道旅行で美味しい美味しいと3人前くらい食べていた。また北海道も行きたい。青春18切符で今行けるのだろうか。もう絶対新幹線には乗りたくない。だって勿体無いじゃない。

とある先生は新幹線の移動がたいくつで、もう新幹線に乗りたくないなどと言ってみえたがなんと勿体ない。移動の時間は空想の世界で遊んだり、本を読めばいいのではないか。学年主任のN先生は乗り物の移動の時はたいがいプルーストの『失われた時を求めて』を読むと言ってらした。超のつくほど大作で、まだ全部を理解できていないなどと嬉しそうだった。それからフランス語に堪能な先生は、時々フランス語のオーディオブックでも『失われた時を求めて』を聴くそう。学友と素敵ねえーなどど話した。そんな風な楽しみがあれば、移動も楽しいだろうなと思う。 文学部の先生というのは、他大学もこういう素敵な先生なのだろうか。もっと色々叱られてみたい。

私も真似して移動中にと色々本を持ち出すが、結局あれこれ気になってスマホを眺めてしまったりする。今電車の中はスマホを見る人で溢れている。みんな寂しいのかなあ。以前、アドラーの師匠にそう言ったら「みんな寂しいからスマホをみるんですよ、誰かと繫がっているという実感が希薄なのでしょう」と言った。それを息子に言ったら、私がスマホをみると「ママ寂しいの?」と聞くようになった。いかんいかん、子どもの前でスマホは禁止。本を読まなくては。でも今スマホで本も読めるし、買った電子書籍も結構ある。どーしたものかなと思う。

明日おばあちゃんの家に行くので今日はケーキなし。でも小さいのを作ろうかな。さて、仕事でもしよう。


【昨日の小確幸】

今朝〆切の仕事が間に合った。でも課題が全然出来ない。 

おやつにスパイダーホットケーキ。蜘蛛の巣みたいでしょう(^^)v


一昨日のランチ塩サバ茶漬、大ヒットでお代わりの嵐だった



今朝は息子が参加しているミュージカルレッスンの見学に行ってきた。一緒にダンスシューズを買った子ども達のサイズ調整などもあり、ゆっくり見学は出来なかったがいつも通り迫力のレッスンだった。何から説明していいかわからないのでおいおいすることにして、正式なパンフレットが出来たので告知したい。

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日時:8月4、5、6、7日、4日連続公演
会場:豊洲シビックセンターホール(5F)
料金:全席指定4,800円
主催企画制作:ピュアーマリー
共催運営:公益財団法人江東区文化コミュニティ財団江東区豊洲文化センター
〒135-0061
東京都江東区と素2-2-18豊洲シビックセンター内
お問合せ:豊洲文化センターTEL03-3536-5061

息子の顔出しは初めてなのでドキドキするが、これなら問題ないだろう。そして息子は「A公演」に出演しますのでチケットのお求めはまずAから、いやいやそんなB公演も是非よろしくお願いします。チケット前売りは5月10日から。


【今日の小確幸】

やっと告知出来た、よかった。


【『ホンク!』について詳細お知らせサイト】

ピュアーマリー公式 http://puremarry.com/ 
ピュアーマリーfacebook https://www.facebook.com/Mousetrap2013
豊洲文化センター 
情報発信応援ブログ http://honk2016.blog.jp/

自分の強みを知る「グッドポイント診断」というのをやってみた。「ストレングスファインダー」は有料かつ時間がかかるので、我らが尊師イケダハヤトお薦めの「グッドポイント診断」にした。その結果について思うのは、人間だれしも褒められると嬉しいし、子どもはもっとそう。でも褒めるばかりではない、本当に良いポイントを褒めてあげたいと思った。

そこからいつもの昔話。とある宗教団体の尊師がその人の天職診断をするというのでお邪魔したことがある。でも頭を叩かれただけで転職は教えてくれなかった。教えて貰うには大金を払ってセミナーにいく必要があるという。ありがたくも二度と誘われなかったが、診断を受けた人達はどうなっただろう。子どもをこうした魔の手から守るにはやはり家庭や学校の教育しかないと思う。

以上、まとめ。
以下、長い方。

以前から気になっていた「グッドポイント診断」というのをやってみた。イケダハヤトの「まだ東京で消耗してるの?」で紹介されており、尚且つ無料なのでいつかやりたいと思っていた。こんな風に紹介されている。

「これ面白いのでやってみました。リクナビネクスト に会員登録すると利用できる機能。
あなたの5つの強み」


自分の強みをサクッと診断


強み診断の分野では「ストレングスファインダー」が有名ですが、こちらは有料かつ、割と時間がかかるんですよね。一回しか使えないコードが同封されているので、新品を買わないとダメですよ。中古買うと大後悔します。」

ということなのだが、リクナビネクストに登録する必要があり面倒でなかなか出来ないでいた。でも夕べは息子がエルマー数ページでサクッと寝てしまい、一瞬の余裕でやってみた。30分で完了と書いてあったが一瞬のインスピレーションで回答したせいか約10分ほどで終了。あまり考えないのは私の悪いくせだが、時短という意味ではよいこともある。でも一昨日のキッザニアではこれで大変な目に何度もあった。こちらはまたの機会に書くとして「グッドポイント診断」の結果を貼りたい。

「グッドポイント診断結果

受検日:2016/04/28


柔軟性
あなたは、好奇心旺盛で興味の範囲が広く、ものごとを柔軟にとらえることができます。また、突発的なできごとに対して臨機応変に対応することも得意です。何に対しても「もっとよいやり方があるはずだ」と考え、様々なアレンジを繰り返していくため、あなたの取り組みはどんどん進化していきます。あなたにとって、ひとつのやり方しか考えないことは悪なのです。 結果を出し続けていることが知れ渡るにつれて、周囲の人は改善したいことがある場合、あなたの視点やアイディアを求めるようになります。


自立

あなたは、何事も自力でやっていこうとする心構えを持っており、常に主体的に行動することができます。また、対立を恐れず、どんな相手に対しても臆せず自分の意見を伝えることができます。自身の軸がしっかりとしており、周囲の意見や状況に簡単に左右されることがありません。
主体的に行動できる人は限られます。解決のために費やせる時間が限られたり、困難な課題に直面するなど難易度が高いほど、あなたの力が必要とされ、周囲から頼りにされることでしょう。


決断力

あなたは、非常に思い切りよく決断を下すことができます。長時間考え込んでも良い結論にはつながらないと考えており、そのときに自身が最適だと考える明確な結論をスピーディに導き出すことを心がけています。周囲の人から、「よく考えたうえでの結論なのか」と確認されることもあるでしょう。それは、あなたが周りと比べて短時間で大胆な決断を下していることを示しています。決断力を周囲に認められたとしても、あなたが現状に満足して止まってしまうことはありません。知識の吸収やデータの活用などを積極的に行い、決断力をパワーアップさせることでしょう。


挑戦心

あなたは理想を追い求めます。常に自身で高い目標を設定し、その目標を達成することにやりがいを感じます。簡単に達成できるような目標や、挑戦しがいのない目標にはあまり興味がありません。成長したいと強く願うあなたは、人から見れば高すぎると思われるレベルの目標に挑戦し、成果を出してこそ達成感や喜びが得られるのです。どんな場所でも、まず最初にあなたの出した「成果」が注目されるでしょう。その後、徐々に成果の裏にある挑戦する「姿勢」や目標達成に向けた「努力」に対しても、賞賛や支持の声が贈られるようになります。


独創性

「人と同じではつまらない」あなたはいつもそう考えています。あなたはオリジナリティにこだわりをもち、仕事でもプライベートでも自身が納得できるかを重視します。あなたは、常識にとらわれず広い分野から情報を収集し、興味がある題材が見つかると自分だったらどうするか必ず考えるなど、自身の独創性をより高める努力をし続けます。周囲の人はあなたのユニークな発想に魅力を感じ、次にあなたが創り出すものを楽しみに待っています。」


他者の例がイケハヤ氏しかサンプルがないのでデータをお借りして書きだす。それによると彼は「決断力」、「独走性」、「自己信頼」、「俊敏性」、「柔軟性」が5つの強みだそう。確かにそうかも、あのスピード感とか神がかった発想などピッタリではないか。

自分の結果については当たっているというか、「自分が理想とする自分」について他者から評価を得たという結果になったと思う。そういう傾向はあると思うが、そうだとは言えないしただの賛辞だと思う。でも良い点を指摘されいい気分にはなるので、落ち込んでいる人などやるといいのではないか。

誰しも自分のいいところ悪いところ或る程度は把握していて、悪いところばかり責められると小さく悴んで自分の長所がみえなくなってしまう。だがこうやって賛美されるとたちまち元気になり勇気がわく。大人だけでない子どもはもっとそう。なので褒める育児が大切なんだと思う。でも褒めるばかりじゃない、個人のいいところをちゃんと見つけて褒める。なんてもかんでも褒めるとただの天狗になるのはこれも大人も同じ。

このグッドポイントはリクナビなので大人用だけれど、子どもにもやらせてみるといいかもしれない。クエスチョンは簡単なので小学生高学年ならわかるはず。それより小学校や中学校などで採用したらどうだろう。ついでに合う仕事をリクナビで診断してもらえば将来の指針にもなるかもしれない。例えばエンジニアがぴったりと言われば、「確かに僕は理系でプログラミングとか数字が好き」などと思い当たるかもしれない。

そういえば派遣の第一歩としてNTTDATAでグループセクレタリーを3か月だけしたことがある。その時グループ内の天才エンジニアみたいな人が辞めることになり上司が困っていた。本人に理由を聞くと保父さんになりたいという。何故かというと、宗教団体の尊師みたいな人が「あなたの天職は保父」などと言ったそう。そんなことで転職するんだとびっくりした。興味を持った私は早速そこに連れていってもらった。私も自分の天職が知りたいと思ったのだ。

そこには本当に大勢の迷える子羊達が群れ群れしていて、尊師の出番を今か今かとお行儀よく正座で待ち構えていた。そこで尊師登場、私にはただのホームレスすれすれのおじさんにしかみえない。適当な話をだらだらとした後は、なんとか注入ということでひとりひとりの頭を叩きだした。みんな叩かれた後は感激極まりないといった風に拝むポーズをしている。だんだん私の番が迫ってきた。なんかいいことあるのかしらと思ったら、ただ痛いだけだった。

その後尊師が引っ込んだ後は周りが群れ群れと私の周りに集まり勧誘しだした。なんでもセミナーがあり、それで上級に行くとすごくいいことがあるという。数十万円というものばかりのパンフレットを貰ったが、「あの人に天職といわれた仕事が合わなかったらどうする」という質問に誰も答えてくれなかった。他にも色々突っ込んだりして、だんだん群れ群れは散り散りになった。今思えばよくポアされなかったと思うがその頃は色々に寛容だったのか。それから二度と誘われなかったが、あのエンジニアはどうしているだろうか。私の頭を叩いたおじさんはバチが当たって逮捕された。 組織の名前は忘れたが、あの犯罪史上に残るようなあっちじゃない小さい方の団体だった。

そういう訳で、自分のグッドポイントをみつけ、自分に合うしかも楽しくて夢中になれてお金がきちんと稼げて自立できる仕事をみつける手伝いというのは、学校の中でも取入れて欲しいと思った。学校で勉強するのは将来食べていける人を育てることなのではないか。そして良い伴侶を得て幸せになること。家事も育児も分担され、決して外に八つ当たりの的をみつけてイジメをしたりしない。子どもはそういう人に育って欲しいと思う。などと理想論ばかり並べているが、果たして子育てが上手く行っているかどうかは全くわからない。でも色々思うところがあり書いてみるただそれだけ。


【今日の小確幸】

息子がQBハウスに行ったがヘルメットヘアにならなかった。よかった。

※NTTDATA本社ビルのテラス。夏にここでビールを飲むと最高

 



先日太字にした部分について考えてみた。色々書いているうちにスルリと出た言葉だが、真相を突いた言葉のように思った。高知行きは最初はちらっと考え「こうなったらいいな」という妄想だったが、どんどん追い風が吹いてきて「もう行くしかない」という信念に変わっている。イケダハヤトだけでない、リアルな助言者なども現れて、「もう豊洲のママ友戦争なんか嫌だ!高知に逃げたい疎開する!!」という決意になった。

息子は夏休みに高知に行けば、多分あっという間にとりこになると思う。高知は坂本龍馬の故郷、乙女姉ちゃんを高知に置いて、龍馬は江戸や様々な場所で武勇伝を残した。彼は織田信長のように志半場で討たれたが、その高い志は後世に残る勇気あるものだ。私は父の本棚にある司馬遼太郎の『龍馬がいく』で彼を知った。読んで龍馬よりお龍に強い印象が残った。あの人と私はとてもよく似ている。そんな女が惚れた龍馬の故郷「高知」しょっちゅう桂浜に行き、龍馬の話をしよう。息子もきっと大きな志を持ってくれると思う。娘もひとりで色々考えて欲しい。

以上、まとめ
以下、長い方

「もうこの家は夫と娘の家なのだ」と書いて、自分で驚いた。このブログは長くて読みにくいとか区切ってなどと言われるが、それらは私にとってどうでもよく、心がけとしてその時の自分の気持ちをそのまま書くのが大事だと思っている。後で読み返した時、あの時こんな風に思っていたのだなとか、こんな事されていたのかとムカムカムカムカこのぉ!ということもあるが、読み返した時に臨場感のある回顧が出来ていい。何より子ども達が大人になってもし私がいなくなっていた時も「ママはこんな事を考えていたのか」「こんな事があったの?」とか、何より心の襞を探るように色々言ったり色々うっとうしかったのは、自分達を慈しんでくれていたのかとわかってもらえるのではないか。

それより「何もかも書いて!ひどい!今すぐ全削除してやるパスワードはどこ」などと遺品をごそごそされる確立の方が高いが、それも仕方ないと思っている。それにしても私たちは「住まわせて貰っている」立場なのだと思った。わかりやすく言えばそれぞれ子連れて再婚した夫婦のよになってきた。あ、普通に結婚して子どもを二人生まれた家庭ですうちは、例えですよ例え。もうこういう言いまわしというか書きまわしをするとまたあの辺りにへーんな噂を流されますからね。例えですよ例え。わかった?ブス共。 ブスブスなんなのと言われそうだが、意地の悪い人というのは本当に変な顔をしている。鏡の前だと一番いい顔をするからそんなに酷くないと思うかもしれないが素はヒドイよ治せ。

で、最初は四人でうまくやっていたが、だんだん地が出て再婚相手とうまくいかなくなり、その娘ともそりが合わなくなってきたという感じ。何かにつけて「無駄使いするな」だの「もうお金ないよ」とか、息子の習い事を「なんでそんなのやる必要があるの」などとチラチラ言うようになった。喧嘩をすると「出て行け」などと娘共々言う。私は出て行きたいし離婚してもいいと思っているが、思うのは子ども達のこと。今は珍しくないといいつつやはりそうなったら娘も息子も傷つくだろう。

なので離婚はしない、でも一度別々に住みたいとはずっと思っていた。なので高知に行くのはママ友戦争に疲れたというのが大きな大きなおおっきな理由だがこういう理由もちらっとある。でも離れて暮らすのなら豊洲内でも出来る。そういう風に離婚しながらも同じマンションで住み行き来しているご夫婦もある。それは母親が仕事を持っているから出来るのであって、私のようななんの取り柄もない専業主婦ならそういう自立支援施設にお世話にならないといけないだろう。だがそうすると子どもがやはり色々覚えていて大人になり暗い思い出として色々考えるだろう。第一離婚した家庭の子どもは離婚しやすい。それは大人がイジメをみせたらいじめを覚えるのと同じだ。なので不倫もそうだし法に抵触することはダメというより、子どもに真似されたくないことは絶対にやってはいけないのだ。

法は建前上的ルールもあるが、民主主義の国日本国民が全員で決めたもの、それを犯すと罪に問われるのは当然なのだ。日本に住むなら日本のルールに従うのだ。それを無視して好き勝手なことをすれば治安が保てない。平和が壊れるということで、いちいち小さな交通違反に罰金をとられ頭にくることもあるが、自分たちが決めたことなので違反したら従うのは致し方ない。乙武もゲスも大らかなのはいいが、不倫はやはりNG。誰が傷つくとか家庭がどうとかいう前に、日本のルールでダメということになっているからダメなのだ。ただそれだけだと思う。刑事も民事もあまり関係ないと思うよ私の経験則からいえば。稀に刑事で負けて民事で勝つとか逆の場合とかはあるが、裁くのは同じ人間。間違いもあれば神対応もある。そういう訳でイジメも法律を創ったらどうかと思う。いじめは犯罪とか言っても法律がないのでは説得力がないのではないか。誰か作ってよ。

話をもとに戻して疎開の話、私がいなくなれば都合のいいのは私をイジメたボスママ軍団とその取り巻きだけではない。娘のためにもなる。我が家は広さは今の豊洲事情から考えても割と広いし、リビングは子どもの秘密基地用に買ったダブルのロフトベッドを置いてもピアノがあってもまだ余裕がある。その余裕で子どもが縄跳びの練習をしているくらいだ下の人ごめんなさい。でもドアのついている部屋は2つだけで、夫と娘、私と息子とそれぞれ使っている。もちろん広い方があっちが使う。勉強や実験道具で溢れて床には様々なものが「置いて」ある。足の踏み場もない。そして娘はもうこんな部屋いやだと自分が散らかしながら言うようになった。私たちが出て行けばこの部屋を娘の部屋にしてあげられる。

よく子どもに自室はよくないという意見があるが、私は高学年になったら与えてあげるべきだと思う。部屋数が少ないようなら同性なら一室でカーテンなどで仕切ってもそうした方がいい。子どもは自分の空間を持つと勇気がわくのだと思う。そこにゲームやスマホ、パソコンなどの電子機器を置くのが問題なのだ。そんなものでは創造力はつかない。勝手に流れてくる情報や娯楽に心を奪われたら、小さな心は忽ち毒されてもう戻れないと思う。そうではない、本や手芸セットやレゴなど創造力が伸びるものなら好き勝手に自分達で詰め込ませればいい。空間は小さくてもいいのだ、その中で時々自分や周りについてじっくり考えてみる。小さな子どもにそんなの無駄と思われるかもしれないが、私には色々思い当たることがある。私が子どもの頃実家は大家族で、自分の部屋とかひとりになれる時間がなかった。でも家は広かったので倉庫や納屋、誰も来ない小さな部屋などでごそごそしていた。そこでは空想の世界を広げ、本を読みいたずら書きなどをして自分の夢を描いた。

そういうものが大人になって今役にたっている気がする。そういうのがないまま大きくなった大人は、自分で夢を描くのが苦手なのではないだろうか。夢といっても大人になってから宇宙飛行士とか、そいう稀有なものではなく、小説家になりたいとかロッカーになるとか日曜画家でいいから個展をやりたいとか、子どもや生活だけのためだけでなく、何かあると人生は楽しいのにと思う。 それがころころ変わる自分にすごくコンプレックスがあったのだけれど、京都造形芸術大学の学長が「夢はどんどん変わっていい」と言っていたのを聞いて、「ああ、いいんだ」と嬉しくなった。ちょっと前は版画家、今は小説家だが、他にも豊洲に「豊洲こども芸術の村」開村するとか、その先には「豊洲こども芸術大学」を開校するとか、それから昨日閃いたのだが、「豊洲こども芸術の村」の後は村長をあの人に譲って私は高知で「高知こども芸術の村」を開村したらどうかと思いついた。

一年限定で何が出来るかと思われるかもしれないが、高知の歴史や文化を楽しめるようなホームワークやイベントをする。そして京都造形芸術大学の子どもを育てるにはお母さんも一緒に教育するというアカデミックポリシーを広めて一緒に楽しむのだ。そうすえば子どももすぐ友達が出来るし、というか、あの人はどこに行っても人気者で人がすぐ集まってくる。バディの時は私がイジメられたから一緒にいじめられたが、そこから出れば何も心配はないのだ。でも小学生のうちは友達は多い方が楽しい。私も小学生の頃は特定の友達なんていなかったし作る気もなかったが、大勢の友達に囲まれて本当に楽しかった。毎日毎日誰かと夜暗くなるまで遊び、日が沈みかけると本当にがっかりしたものだ。そういう生活を息子にも体験させてあげたい。「高知こどもの村」というのは高地にただ行くだけじゃない、疎開だけではない、ちゃんとした意義や目標があって行くということで、色々な辻褄が合うと思う。

そのためには「豊洲こども芸術の村」を成功させないと、その前に卒業しないと、ならば課題を早くやりなさい、次の卒論提出は7月13日で、その日は締切じゃないよ必着だよということになる。やらなくては。もうっ、ほんとに。色々あってもうわけわかめになっている。

そして高知に行ったら桂浜で叔父と叔母のランデブーを偲び、息子と坂本龍馬やお龍、そして乙女姉ちゃんの話などしたい。乙女姉ちゃんの話で自分の姉を思い出し、喧嘩してもいいからまた一緒に暮らしたいとかもうちょっかいかけて怒らせませんとか思って反省したり。蟹をたくさんとって唐揚げにして蛋白源にしたり、山で筍や山菜をとり、食べる。そういう原始的な生活をすれば魂が安らぐと思う。

あんなに元気いっぱいで友達と遊んでなんにも心配いらないと人は言う。でも生まれて一番最初に他者との繋がりを意識し、安心を求めて得られなかったという時代があったということ、結構深刻に考えないといけないと思う。そういう時期にあの子はあそこで酷い目にあった。何ごともなく過ぎたとは思っていない。毎日毎日行かなければならない場所で、父兄は誰も挨拶してくれない声もかけてくれない目も合わさず無視して通りすぎる、園生活はそういう父兄の子ども達から「まだ辞めないのか」とか「もう遊ばないよ」とか「あっちいって」などと厳しい仕打ちが待っている。「もう、俺バディ辞めます」というのも無理はないのだ。彼は何も言わないけれど、きっと色々に疲弊して傷ついている筈だ。このまま大人になったらどうなるか、いつか爆発してしまうかもしれない。

本当に私も反省だが、一番反省して欲しいのはあの資生堂の広告塔の「育休」だ。以下あの人を「育休」と呼ぶ。育休ははただ単に私がうざいかうっとうしいのか羨ましいのか私をバス亭で仲間外れにしようとして、いつもと同じようにムーブメントを作った。宣伝広告に夫婦ともに長けている育休はは、あっという間にバス停繋がりから、バディからも、その後は街全体からも私や家族を村八分にした。いつもいつも誰かひとりをスケープゴートにすることで結束をし、育休はそこで君臨し皆をコントロールした。

「私のいう事を聞かないと、あの人みたいなめに逢わせますからね」

それはいつも成功したが、でもひとつだけ育休が間違えたのが相手だったのだろう。私は絶対に引っ越さなかった。バディだって息子が言わなければ普通になんでもないふりをして卒園させるつもりだった。結果的に私は気持ちの上だけだが復活したし、育休はもう誰かをイジメて村八分にすることでストレス発散できなくなった。私が真実を書いたことで有名になったのでもう出来ないだろう。やったら「あ、またやってる」と思われるだろうし、もう窘める人もいるだろう。なのでもう会社でも社会でもいい人をずっと続けなければならない。なのであの人のためにも私が赤裸々にブログに書いたことは良かったのだ。

客観的に自分をみて、格好悪い自分を反省したらいい。本当にダサいと思うし周りは私以前からとっくにそう思ってる。でもあなた資生堂だから化粧品サンプルやキッザニアの半額チケットが欲しいからみんないい顔する。何よりくっついていれば誰からも子どもがいじめられない。本当はあなたなんか誰も信用していないし、好きじゃないと思う。便利だからくっついているのだと思う。

また話が育休に及んでしまったが、ともかく育休はこれだけの事を仕出かしたのだから、反省しろといいたい。でも私は許さない。許したらあの人はまたやる、私が執念深いのではない、あんな拷問のような仕打ちを受けるのは私で終わらせたいと思っている。このまま続いたらきっと娘の代の豊洲でもハラスメントはなくならない。娘は豊洲が好きでずっと住みたいと言っていた。娘の代は古き良き金髪先生のような大人がたくさんいる世界でないといけない。誰かが困っていても自分に関係なさそうなら素知らぬふりをするような大人は死刑にしなければ。

あのららぽーと豊洲の対応は、「大企業病」だと夫が言っていた。あまりに大きくなった組織は責任の所在がわかららなくなり、誰に権限があるのかどこで発案したらいいのかわからなくなっているのだそうだ。でも私は「豊洲病」だとも思った。誰かが酷い目にあっていても、自分には関係ない巻き込まないで。それ、酷くない?もう全国各地で募金ムーブメントが巻き起こっているので、もしかしたらセンターポートにもう募金箱があるかもしれない。でも言われてやるよりすぐ思いついてやるくらいでないとダメなのではないか。それは企業でも人でもそう。それだけならまだしも 息子の大好きな「元楽」まで追い出して頭おかしいんじゃないだろうか。募金は大きな組織の病魔のわかりやすい例だと思う。

ついでに言うと、夫の会社組織はもっと大きい。なので夫のような本質がわかる人に気が付かないのだろう。上や下となあなあとヒヨル社員達が上に行きポジションを得るのだろう。もうそんなところ辞めてしまえ、あなたを買ってくれる組織は外にあるからというが、子ども達の生活の責任があるからと今のような状態に甘んじている。私は北尾さんか孫さん、と言うと系列が同じだが、風雲児が興した組織に行くと開花すると思う。もうほんっとに古い体質というのはしょうもないなと思う事が多い。

私は最初そういうとろこに勤めたが飛び出してしまった。でもそのお勤めの履歴のお蔭で社会から、そして姑の信用も得られて今があるわけで、悪いことばかりではなかった。そろそろ夫も飛び出して好きなように仕事をして欲しいと思う。お金どうこうより今のままでは本当に勿体ないと思う。それには私が稼がないとだめなのかなあと思ったり。でも貧乏するのは悪いことばかりではないよ。お金がないとお金を大切にする、物だってなかなか買えないから大事にする。教育費というが、塾に行って偏差値が上がるかもしれないがどうなの。それぞれの幸せを見つけられたらそれでいいのにと思う。とはいえこうやって専業主婦でおまけに大学にいって、そこから高知に行きたいという夢だって夫のお金がなかったら出来ない訳で、夫にはやはり感謝したい。でも高知は自力でというのも、それはそうかもしれない。やはり家のお金で好き勝手というのは世間的にも嗤われそうだし、あのボスママ軍団とその取り巻きが檻から出てきて「ほーらね、やっぱり」などと囃し立てそう。ムカムカムカムカ。

そうだ、育休の旦那にかけあって、「疎開ママの村創りin高知」というドキュメンタリーを作ってもらおうか。フジテレビならお金あるでしょう。生活費ちょうだい。というのはいいアイデアなので今後考えたいが、旦那もそんな妻を適当に褒めたりするからつけあがってしまって育休の旦那も反省。とっとと引っ越しすれば済んだものを豊洲は子どもの教育にはいいとかいって引っ越さなかったうちの夫も反省。

そいいう訳でそろそろ自分が坂本龍馬のお龍に似ているという話に移動。もう、あの人にはすごくシンパシーを感じるのだ。器量よしと言いたいのかと言われればそうですとしか返せないが、それだけではなく「結婚しても家はいらない船が欲しい」だの、怒鳴り込んで妹を遊郭から連れ出したとか、仕事が決まらずふらふらしたとか、乙女姉さんとそりが合わずに帰されたとか、寺田屋で裸で階段を駆け上がったとか、最後はアル中今風に言えばアルコール依存症で死ぬとか、なんていうか破天荒な感じが一緒かな、なあなんて思う。正直嫌だったこの性格もお龍さんに似ていると思えばなんか得したように思えるし、お龍に比べればまだましというか大人しい方ではと安心できる。

一番は「家はいらない船が欲しい」と龍馬に言った件、私も同じようにずっと思っていた。同じところにいるのは飽き飽き。ずっと同じところに住み続けなければならないなら、家なんかいらないといつも思っている。叔父だってそう、賃貸にしておけばいいのに、あの人はマンションを買った。なのでぶつぶつ言いながらも住み続けないといけない。叔父は家についてもいつもラッキーな人で、それは叔母がそういう運を持っていたのだろう。yoko が死んでから住んだ家のなんと寂しいこと。いいマンションで広いし多分いい値で売れるだろう。でももう嫌だと思っているはずだ。引っ越しどうなったかな。そんな事情も垣間見たりして、豊洲のママ友が引っ越していってしまったりで、もう誰もが好きなところに好きなように住めばいいのではないかと思う。

なので「もうここは私の家ではないのかもしれない」と書いてしまった時は「女三界に家はないのだわ」などとシックな気持ちになったが、ちょっと考えて逆転して勇気100倍になった。逆に考えればもういなくても良い理由にもなるのではないか。高知に行ってもどこに行ってもいいということではないか。また変な思い込み、だからママは困ると思われるかもしれないし、周りからも色々言われると思う。

娘はどうするのかと早速聞かれてしまった。でも娘は娘で私が高知高地言うので色々真剣に考えだしたと思う。ママはパパと違って言ったら必ずやるだろう、そしたら私はあちらこちらに反抗している場合ではない。いざとなったら誰かに助けて貰わないといけないし、ママがいないと健康管理は自分でしないといけない。近所の無視する人達にも無視しかえすのではない、挨拶し続けなくてはならない。震災の避難所で物資を貰えないのは困る。意地の悪い人達に反抗すれば、そのくらいの仕打ちは軽くされるだろう。だってここはあのボスママ軍団が蔓延る豊洲だもの。受検勉強だって八つ当たりの相手がいないのでパパに叱られてストレス満載の今じゃダメとか、その前に受験って必要なの?とかママのいうように舞子か手芸家の方がいいんじゃないかとか。

ひとりになると色々考えると思うし、ひとりにさせるのが遅すぎたくらいだ。なので今私が「専業主婦なのに自室?本当に?どうして?」などとママ友の顰蹙を買いながら占拠している自室を、娘に使ってもらおうと思う。すごく狭いがここに入るとほっとする、私withお猿の空間。彼は大きなリビングではなく半畳にも満たないスペースでレゴを組み立てるのが大好きで、広さは関係ない自分の空間だと思っているからだろう。小さなベッドひとつでいっぱいになる私たちの部屋は、去年までは豪華で重厚なダブルベッドが全部占拠していた。でももういらないとヤフオクで二束三文で売り払った。夫は激怒したが、私は売ったお金で無印良品の脚付きマットレスを買った。

これがまあ安いのでスカスカで涼しいわベッドカバーは掛けやすいわで大満足。有名ブランドの何十万もするベッドはカバーを変えてくれる婆やがいてくれるような生活になったらまた買おう。あれはあれでなかなか良かった。 でももういらない、ベッドボードは風邪を通さないので暑いしもうあんな大きなベッドのカバーを変えるのは絶対嫌!嫌イヤいってやらないでいれば娘がみて「ベッドはカバーを変えなくていい」などと教育してしまうかもしれない。それよりしょっちゅうカバーを変える私をみて、「カバーを代えやすいベッドがいいんだ」と覚えてくれた方がいいではないか。みよ、この素晴らしい教育。

高知行きは疎開も大きな理由でもあるが、「豊洲こども芸術の村」の次は「高知こども芸術の村」を創りに行くという目的も挙げる。そのために豊洲の村も成功させ、大学を卒業する。もう自分の家はいらない船は買えないので高知で車を買う。でも東京とのアクセスは基本青春18切符に限定。

龍馬の史跡巡りをして文章にまとめ、小説を書く。この最後の坂本龍馬の小説というの、ずっと書いてみたかったのだ。なので高知で書く。司馬遼太郎の小説は参考にするが本家取りではなくオリジナル。ひとつアイデアがあるがここには書かない。自分の閃きやアイデアはブログに書いては勿体ないと言ってくれたのは大江先生。

先生と言えば昨日金髪先生が「金髪先生って書いてあったねえ」と嬉しそうに話しかけて下さった。私が書いたブログをこんな風に面白がってくれたのは、この人が初めてかもしれない。委員会の抽選の時も「ドキドキしますね、でも役やってくださいよ」などと構ってくれて嬉しかった。金髪先生が私の肩をポンと叩いた時に他の人に役が当たった。私はびっくりした。役をやりたくないというか、やる時間は多分ないだろう。でも子ども一人一役の掟で、子ども2人の私は最後の年になるからと委員会に立候補した、でも役をやっている余裕はないので当たりたくなかったのだ。このあたりの役や委員会の仕組みは差し障りのない程度にまたの機会に書くとして、金髪先生にどつかれたから運が向いたように思った。本当にほっとした。

拝啓、豊洲の心優しきママ友さま達へ、

来年私は豊洲小学校にいませんが、やらなくてはいけない役は二人分終わらせていきますので、どうぞ残った娘をよろしくお願いします。娘は私に似て頭もよくてセンスもよく、そしてとてもいい子です。誰かがイジメられていたら自分の後を考えず庇い自分がイジメられてもその子を恨まないイジメない。こんないい子は豊洲では娘だけです。仲良くしてあげて下さい、優しく声をかけてあげてください。挨拶をしてちょっとだけでも声をかけてあげて下さい。

私がいないと食事や留守番など不安で防犯上もよくないと思うが、なあに、そうなったらあの人が飛んで来るから大丈夫。もしかしてその間住むことになるかもしれない。そう、孫命のあの人。あの人には迷惑を掛けるというより、生きる希望が湧いていいのではないだろうか。まだまだ私がいないとダメなのだわと思えば寿命も延びるだろう。色々心配かけて大変な思いもさせているが、振り返った時に私に感謝するのではないか。「もうあなた達結婚したら」なんて言わなきゃよかった、と思っているかもしれないが、いつか感謝に変わるだろう。ババア、よろしくね。


【今日の小確幸】

無理やりだが辻褄が合った。よかった。 

※筍は前日に糠で茹でてそのまま冷ます。上から三等分して、そのまま、味噌汁、一番硬い部分は刻んで今夜筍御飯にする

※小さなタッパーで糠漬けをしている。いい感じになった糠床


※今朝一番人気だった「ほぼカニ」カネテツはネーミングのセンスがすごいそして本物の蟹より美味しいかも。

はあー今日も10,000字以上書いてしまった反省。

息子が小学校3年生の間一年高知で暮らそうと思う。理由は息子の疎開と娘の受験対策。でも息子はどう思っているんだろう。聞くたびに違うことを言う。どちらが本当の気持ちなのか。迷いがあるのか。青春18切符を使う自信がついたので夏休みに一度高知に行ってみよう。

そんな話し織り交ぜPTA会長と色々お話しをした。先生達でなく父兄が組織を作りハラスメント諸問題に対応する仕組みを作ったらどうか、私の抱えている憂鬱など色々。話せて良かった。会長は怖くなかった。 


以上、まとめ終わり。
以下、長いバージョン。

「高知に一年間暮らそうと思うんです」というと、「いいですね、僕はそういう考え好きですよ」とPTA会長は言った。叔父に引っ越しをすすめたホテルランチの後、そのまま小学校に行き話を聞いて貰った。内容はざっくり言うと、PTAの委員会の中に「イジメ撲滅委員会」を発起して欲しいというお願いで、私はPTA総会で役員交代新役員発表の時にそれをぶつけるつもりでいた。「以上ですが、意義はありませんでしょうか」という締めで、挙手して「異議あり」というつもりだった。何この目立ちたがりと思われるかもしれない、でもこういう新役員交代の時に何かを新しく発足するのは理に適っているように勝手に思ったのだ。それにあの人がきっと役員に立候補しただろう。なんとなくだがそう思った。ならば新役員のあの人に「イジメ撲滅委員会」をやって貰えばよいと勝手に考えたのだ。意地悪な気持ちではない、弁護士なら法相談や仕組みについての知識はあり過ぎる訳で、そういう教育を子ども達にしつつ、問題が発生さたら対応して貰えばよい。 


そもそも自身がそういう話を何度か担任や校長に相談していて、自分達だけじゃない多分あちあこちらのそういう相談を受けている筈で、先生達はたまったもんではないだろうと思った。先生達が忙しく時間がないというのは、社会問題的常識になっている。何故時間がなくなるかといえば、総学力向上などと自分勝手に色々決める政治家のせいもあるが、こうしたイジメ解決のために時間がとられるというのも問題のひとつだろう。多分こういう問題は先生達の手に負えないと思う。イジメ発生から現状を正しく把握出来るのは、当事者とその周りの人達。そう、いつもママ友ネットワークで噂をしているお母さん達だ。それならそのネットワークを使って父兄が問題解決をすれば一番いいのではないか。学校の中のイジメを無くしてもそれらはまた現れる、何故なら学校の外でお母さん達が子どもに教えているからだ。口に出さなくてもやっているのを見れば子どもは勝手に覚える。それがずっと続いて今の豊洲や日本があるのではないか。だったらそれはPTAにそうした組織を作ればいいのではないかと思ったのだ。

そこで挙手する文面を色々考えたのだ。 でもここに掲載するのはやめよう。読むことでそれに引き摺られてしまう人もいるかもしれないし、PTA会長が「わかりました、ちょっと考えてみましょう」と言って下さったのでもうお任せすればいいのだと思う。今年で退任されるそうだが、豊洲から離れる訳ではない。イジメやハラスメントは豊洲小学校だけの問題ではない、地域掛かりで考えていかなければならないだろう。私が考えた文章はいつもの如く結構長くて、今読んでも本質が見えない。でもこれを例えば要約し挙手して読み上げる。場内がその後どんな空気に包まれるかわからないが、後にジワジワと効いてきて「そうかも」「いいかも」「じゃあやってみる?」なんて流れを期待したのだ。でもどうだろう、やっぱり突然過ぎてちょっと変かもしれない。そう思って相談できる人を探していたのだ。相談というより、「「イジメ撲滅委員会」を発足し次の代に任せます」と言える力のある人に発表して貰えば即解決すると思っていた。

「いやいやそんなのは無理ですよ、それに言って後はお願いってのも変でしょう」そういうものはちょっとづつ周りの空気を温め、皆の賛同を得て初めて実現するという。ボスが声をあげればちょっと無理そうでも何でもその通りになる、ママ友界の世界のようなもので世の中作られていると思っていた。少なくとも豊洲は。あそこでもここでもバディでもそうだった。でも違うという、ちょっとどころかだいぶ面食らった。周りの理解を得て、初めて着手するのだという。「でないとおかしいでしょう」という言葉を聞いて、それはそうだ私がおかしい世界にいたんだと思った。そして私が変なんじゃない、ママ友の世界がおかしいのだと。 

他にも私の悩んでいた話をふんふんと聞いて、「それは周りが敵ばっかりに感じで辛かったでしょう」と言って下さった。ストレートな物言いに、何か温かいものを感じて話して良かったと思った。 そんな訳で長々と話し気が付けば3時間くらい経っていた。でもここの詳しい話は割愛、いつか何処で話して欲しいと思うからだ。人には様々なドラマがあるのだと思った。中でもいじめを受けた時の話は圧巻で、それから会長職を続けてきた想い日常お子さんのこと。なんとなく思っていたイメージと違い内心驚いた。ともかくなんでもかんでも意のままにするあのボスママ軍団とは違ったのだ。そして怖い人ではなかった。

途中で息子から電話が入り、いったんは切って話を続けたが、やはり気になり時計をみるととんでもない時間。慌てて帰ると熱を出していた。薄着だったので風邪をひいたのだろう。 涙をふいてやり蒸しタオルであちらこちら拭いてパジャマに着替えさせ、ひえぴたを貼る。アイスノンで寝かせたり水分補給をすると、お腹が空いてラーメンが食べたいという。小さなマグに少し作ってやると、美味しいお代わりといって、3杯も食べた。その頃には熱も下がり、ニコニコとお猿のジョージをみていた。子どもは寂しかったり不安だったりでもすぐ熱を出す。ひとりでベッドにもぐりこみ、ママ遅いなどうしたんだろうと不安だったのだろう。一人っ子や鍵っ子は寂しいだろうなと想像したりした。 


うちの実家は貧乏暇なしな自営業で姉妹もいて、小さな頃は上の世代も一緒に住んでいた。学校から帰ると賑やか過ぎる家族がいて、たまにはひとりになりたいとずっと思っていた。なのでひとり暮らしを始めた時は本当に嬉しかった。ひとり暮らしは寂しかったが、ひとりで考えるという事を覚えた。それは自由でいられるということより貴重な体験だった。でも子どもの頃はやっぱり寂しいよねと思う。でも子どもの頃からひとりで考える力をつけたなら、きっとその後の人生なんとでもなっていくものだと思う。

子ども達にも出来れば学校の勉強だけじゃない、そういう力をつけて欲しいと思う。でもそれは親がお膳立てするものでもない、然るべき時がきたらそうやって考えて欲しいと、自分の力で困難や悩みを解決して欲しいと思う。 そんな訳で私の妄想や目論見はスライドしてPTAや学校にお任せすることになりそう。というより元々自分でなんとか出来るとは思っていなかったので、「すぐに」というオプションがなくなっただけでいつか叶うと思う。それはもしかして違う形になるかもしれないが、それでいいのだと思う。

そして安心して高知について悩んでみたいと思う。行くのか行かないのか、行ったほうがいいのかこのまま豊洲でいいのか。でも答えは多分息子がまた決めてくれると思う。あの時も、辞めさせようかこのまま卒園させようかとても悩んでいた。周りに色々相談したりもしたが、どんな答えを貰ったか覚えていない。ただ息子があの園長のところに自分から行き、「俺、もう辞めます」とはっきり言った時に辞めさせようと決めたのだ。その直前までぐるぐる悩んで答えが出ないでいた。高知も息子に託そうと思う。

「私なら子どもにどうしたいのか聞きますよ」とあの時弁護士の先生も言っていた。親が決めるんじゃない、子どもの心に添って決めればいいのだと思う。いつもそうだったではないか。私が決めたことは「俺、そんなのやりたくない」ときっぱりと決別し、自分で決めたことはきちんとやっていた。途中で「やっぱりもういい」という事もあったが、「夢は何度でも変わっていい、子どもに夢を持てもてというのはおかしい」という学長の声が聞こえて、これでいいのかなあなんて思う。いい出会いに恵まれてなんだかいい感じになってきた。あの頃の悩んでくしゅっと丸まっている私に教えてあげたいと思う。「もうちょっとだから、ちゃんといい時もくるから頑張って」と。

それにしても世の中みな繫がっているんだなと思った。会長に相談すること、実は一年くらい前からとある人に勧められていたのだ。「あの人に相談するといいよ」と。でも私はなんだか怖いなとか、ボスママと同じでいいように扱われると思っていた。その方は以前もブログに書いた「幼児をもつ親の教室」のコーディネーターの方で、私は教室が終わってからも区役所に行くたびになんだかんだ寄っていっては色々な話をした。喧嘩をしたこともあるが、いつの間にかうやむやになりまた元に戻った。向こうが大人なんだと思う。そうしてああすればいいとかこうすればいいなどとアイデアをくれたり、昔からブログを読んでくれて「ママ友ゼロなんて大丈夫なの?」などと心配してくれたりした。

明日PTA総会があるが、挙手して発言する必要がなくなりホッとしている。最近度胸のある人と勘違いされている節があるが、私は本当に気が小さくて人前で話すのは苦手だし説得力もない。いつも小判鮫だのしもべママだの悪口を言っているが、自分がそういうタイプだから余計そういうものを見てイライラするのだろう。いつも他力本願でいつも誰かの手を待っている。そういうところもボスママの勘に触ったのかなと思った。それにしてもボスママって一体なんなのか、もうよくわからないがそういう人がいるのは本当で、なんとかならないものかと今でも思う。


そして高知の話。今までの事なども色々考えると、来年娘の受験の年一年間は家族関係がもっとぐちゃぐちゃになると思う。夫も娘もストレスMAXで、今よりもっと私や息子に当たり散らすだろうし邪見にするだろう。夫や娘は私が夫のお金をあてにせず行くならいいという。要は自分達が豊なら家族だろうがなんだろうが困っていても関係ないということだ。違う学費が必要なんだと夫はいうが、そもそも私が高知に行きたいと考えなくてはならない事態が起こっていることに気が付いていない。こんなに節約型人間の私を邪見にするくらい家族は倒壊しかけているし、息子は豊洲に疲弊している。息子だけじゃない家族全員、もっと言えば私たち家族だけではない、多くの豊洲住民もそう思っている筈だ。こんな世界嫌だなと。

あの何度もくる地震のように、私たちはなんだかんだと揺すぶられ続けた。そのせいで大切なものが壊れかけている。私の疎開は噂になるだろうから、ボスママもそうでないママもその意味をよく考えればいいと思う。誰かをイジメて豊洲から幼児園から追いやって、何かいいことがあったのか。これからどうしたらいいのか。私はこの機会に傷ついている息子を伸び伸びさせてやりたいし、一年じゃ足りないかもしれないが癒してあげたい。夫や娘も離れて暮らしてみて、家族の在り方をもう一度考えたらいい。私も考えたい。青春18切符を使う自信がついたので、これで夏休みに一度高知に行ってみようと思う。でも夏休みの予定が既に入っているせいで、二週間弱くらいしか時間がなさそう。それでも何もしないよりは判断材料になるだろう。これには息子も賛成していた。何もかも息子に決めさせようと思う。私は彼の希望通り、環境だけ整えてあげたい。


【昨日の小確幸】

小説も書かなくてはと思い出した。 卒論も!卒業できないと高知に行けない。

※でも下準備も必要なのですよ

コンビニでもストレスマネジメントや、対人関係についての悩み解決の本をよく目にするようになった。『嫌われる勇気』などか受けるところをみると、悩んでいる人が大勢いるのだろう。私ももちろん散々悩んでたくさん本を読んだ。そのおかげで文章を書く力が多少向上したかもしれない。本を読まないと本は書けない。おかげで悩み解決本のノウハウも学べた気がする。悩んだからこれら得られた訳で、何もかもが悪い事ばかりではなかった。本だけでなく、人との繋がりも沢山できた。この辺りは本当によかったと思う。

優雅にホテルランチしながら「キャナリーゼの恋愛指南」をしている相手は今日は叔父。叔父は地元名古屋からひとり暮らしを案じる息子に関東に連れてこられた。そこが文化溢れる豊かな街ならいいが、そうではなかった。土地も人も全く見ず知らずの街で、叔父は孤独に疲弊していた。

見かねた私が叔父や従兄の双方の意見を伝えたところ、引っ越しが叶いそうになった。そこは従兄の家からは遠くなるが、うちからは同じくらいの距離。きっと叔父はまた元気になるだろう。そして私は安心して高知に行ける。その頃にはもう叔父は私の訪問など必要ないくらいに充実しているだろう。叔父が元気になって私も嬉しい。  安倍は馬鹿。

以上まとめ終わり。

根気のある人は次から長くなるいつものブログを読めばいい。このアイデアはPTA会長こと金髪先生から伝授されたもの。最初に短く要約を書いて、長い文章は後ろに書く。こうすれば何が書いてあるか読みやすいし、何が言いたいか伝わりやすいという。なっるほどぉ~と感心した私は早速そうすることにした。そしてあだ名を「PTA会長」から「金髪先生」にした。教員免許がなくても教えてくれる人は先生だと思っている。金髪先生からブログ以外に様々なものを教えられた。その話は次にして、今日は叔父の話。

ここから長い方はじまり。

「ティーセットはヘレンドくらいのものをきっちり銀器まで揃えないとダメだよ、白鳥の砂糖壺は必ず。ウエッジウッドやノリタケなんてダメだめ、それからチマチマ自分で紅茶を煎れるなんてのもダメで専門店の人を呼んでやってもらう。それから呼ぶ時はひとりだけ呼んじゃだめ、仲良しさんとかグループの人達を一緒に呼ぶ、最初はね」などというお節介から、「美人は警戒心が強いし誘われ慣れているから滅多なことじゃ誘いになんて乗らないよ、向こうがよ向こうから話しかけてきたら話す。こちらからべたべたするとあっという間に嫌われるよ、あの人は賢いから出さないけど何よこの田舎侍なんて思われちゃうよ、嫌でしょう」などという恋愛指南から、「有馬稲子は賢いから、賢い人が住み続けているのには何か訳がある筈よ。きっと素晴らしいコミュニティと街の色があるんだわ。土地というのは性格があって、叔父さんと今住んでいるところと性格の不一致というやつが起きているのよ。悪い結婚は人をダメにするじゃない、住む場所も一緒なの」などという現実的な解析から、「土地の性格というのはなかなか直らないのよ、出光美術館から左手に霞が関が見えるんだけど、いつも霞がかかっているのよ。だから霞が関なのね。検察庁とか弁護士会館なんていうビルがぼんぼん建っても変わらないのはすごいよねもう性格なんだわ、変わらないんだわ」という勝手だけれど多分合ってる見解から、「そこで「あらこれ素敵」と有馬稲子が言う訳よ、そうしたら「良かったらお持ちください」って軽く言うんだよ。さらっとその辺に銘品を置いたり飾ったりするとチラッと見ちゃうわけ。で、女はそういうのが好きだから忽ち心奪われる訳よ、そういうものに心奪われ続けると叔父さんにも心奪われると。ほんとだって、そういうもんなんだって」などという私の妄想から、「昨日日本橋三越でカメオの実演やってて本当に綺麗で可愛くて心奪われちゃった、小さいのから大きいのまでほんっと素敵で全部欲しいと思ったくらい。有馬稲子にプレゼントするならこういうものじゃなくっちゃ。安いのは勿論ダメだけど、高すぎるものもダサいよ。ささやかに高価な感じ、このセンスが難しいんだなあ」などという妄想すぎる妄想などべらべらべらべらとずっと私が話し続けていた。

こういう時叔父は聞きたい時は黙って聞いている。聞きたくない時は「もうごじゃごじゃとヤカマシイ」と話を遮る。昨日の話はずっと聞いていて、間に思い出したようにいつものyoko の話をしたりする。耳障りの良い話題だったようだ。私が来年高知に行くから叔父さんのところに行けなくなるなどと言うと、「そういえばyoko は桂浜をすごく喜んでいたなあ。何にもない海岸なのに素敵だとか言って大喜びだった」とニコニコしていた。これでもう決まった、引っ越しする叔父の決意が固まったと思った。もうここまで言うからには多分大丈夫、なので聞いた。「ねえいつ引っ越す?年度末だと引っ越し屋探すの大変だけれど今なら大丈夫。暑くなると大変だよ。それにあの辺りも豊洲みたいにバンバンマンションが建つようになったから、中古でも住みたい人がいるかもね、きっとすぐ売れるよよかったねえ」などというと、Rにでもやるから売らなくていいなどという。Rというのは叔父の孫息子で、もう一人叔父の生前贈与などを足して自力でマンションを買った孫娘もいる。はあーセレブというのは持ってるもんだなと感心した。

その叔父に色々恩恵を受けている孫や嫁はちっとも叔父の家に来ない訳だ。本当なら周りに家族が住んでいるならワイワイと楽しく行き来すればいいのにと思う。従兄が最近はリハビリのために週一くらいのペースできているようだが、他は何やっとんじゃと思ったりしていた。でもそれぞれ日常に忙しく、余裕のある時間などそんなにないだろう。私は叔母のファンということで叔父に叔母の話を聞きだすという意味でも、美味しいものを食べたいということで、はたまたママ友ゼロでランチの相手がいないので慰みのために叔父のところに来ていた。叔父の面倒をみるといいつつ、自分の私利私欲といってもいい。だが最近、特に京都造形芸術大学に入学してからは、締切に追われるようになり時間が無くなってしまった。仕事をしている人からしたらなんでもない時間節約術がなかなかうまく行かない。叔父の家に行く頻度がぐんと減り、一ヶ月もご無沙汰しているうちに叔父は大怪我をしてしまった。もうあのままあそこには置いておけないと思うようになった。 でも私は姪でお金もない。何かいい方法はないかとずっと考えていた。

叔父に誰か友達が出来ればいいと思った。今さら男同士の友情と言うのは難しい、ならば憧れて会うだけで、もっといえば見かけるだけで「可愛いなあ、綺麗だなあ」と元気もりもり勇気100倍になるような人が近くに見つかればいいと思った。これはノーベル賞のSくんも言っていて、昔の友達とか好きだった人の存在が老いを溌剌とした楽しいものにすると。Sくんの研究の分野というのが、説明を受けたけれどよくわからなかったが、抗加齢というかそういう国立のなんとかという機関で実際に治験というか治療というか診療をしながら研究をしていると言っていた。webで調べれば出てくると思うが面倒なのでいい。そういう訳で叔父を元気にするには美人だ、それもそんじょそこらの美人ではなく本物の高級な、でもフレンドリーで頭のいい美人でないとダメだと思った。そんな人は有馬稲子くらいしかいない。私はあの『私の履歴書』を読んで、衝撃を受けた。こんなすごい人が女優だなんてしかもまだ綺麗、いつか美容談義したいなんて思っていた。それで叔父の孤独とSくんの話と有馬稲子がリンクしだしたのだ。なので叔父がそこに入居すればいいと思うようになった。     

私は思いついたらすぐやらないと気が済まない。なので従兄にアポをとり、各施設から資料を取り寄せた。まずは聖路加レジデンスのパンフレットで度肝を抜いて、そこから有馬稲子のマンションの数字を見せれば首を縦にふるだろうといじましい作戦を立てていた。そして私の女装をぶつければ上手くいかない筈がないと。だがそれはOSを10にするかそのままかという答えと同じで、各自の事情や思惑があり、それは経済的な事では全くなかった。従兄はそういう事も考えていたが、そいういう話はホームに姥捨てならぬ爺捨てのようにとられたら困るので言えなかった、でもそれを父が希望するなら僕はなんでもいいと思っているなどとハートウォーミングなことをいう、叔父は叔父でもうお迎えを待つだけだからここでいい、楽しいことなんてもうあるはずない、何よりyokoがもういないのだからなどとイジケて「ここでいい」と思っていたらしい。双方の話をまとめる私は、それぞれの考えや行き違いと訂正しながら私の妄想も織り交ぜぶつけたのだ。

「あのネコがそんな事を書いたのか、はあー偉いやっちゃな」と、『私の履歴書』の話を言うと感心していた。そこからどんどん私の話に引き込まれ、気が付けば「あのマンションはRにやるか。あいつもいつまでもママにくっつくていて結婚もしないで」などと、前のようなイキイキとした叔父に戻っていた。昨日の話だが、ランチをしたのは池袋にあるメトロポリタンホテルのフレンチの名店「エスト」だった。上京してきたばかりの叔父は、田舎都市と馬鹿にしながらも新天地を満喫すべく張り切っていた。「フレンチでも食べるか」などとカトラリーがいちいち変わるコースを食べに連れて行ってくれたりした。ワインが飲みたいというと、グラスで飲めるものの種類が少ないと言えば、「ボトルで頼んだらどうだ、残したっていいじゃないか」などと言う。ランチでそんな事を言われたことがない私は嬉しくてずっと覚えている。考えたらもうあれから3年も経っていた。そんな叔父がどんどん干からびていくのを見るのは哀しかったが、みよこの復活劇。


※デザートの後の小菓子は好きなだけ、でももうお腹いっぱい

今日は叔父の送迎までした。「もう足元がおぼつかないから電車に乗りたくない」というので家まで迎えにいったのだ、そして飲んだので心配で送っていった。迎えのついでに叔母の遺影に「おばさん、そういう事なのでよろしく。ヤキモチ焼かないでね」とお参りした、そしてあの時のような叔父を取り戻してと「エスト」に行った。この為に行った訳ではなく、たまたま「久しぶりに連れて行ってよ」とおねだりをしていたのだ。ほんのたまにだが持ち出している私は、叔父と対等だと思っている。これがいつも奢ってもらってばかりや何か買って貰ったり、おこずかいだったり借金があったりならこういう話は出来ないし。たまにはあそこに連れていけと堂々と言えるのも対等だと思えるせい。とは言っても私が持ち出すのは叔父の100分の1くらいだろう。それでも何も出さないよりはうんといいと思う。それにお金やその金額の問題ではないのだ。要はキモチということではないか図々しいけれども。


※お気に入りのレストラン

そんな私の目論見は今回はうまくいったよう。でもこの先また様々な問題が出てきて実現しなくなるかもしれないし、私が高知へ行けなくなるかもしれない。でもやはり「いつか」とか「こうしたい」「やりたい」という気持ちが人を元気にするのだと思う。ネコこと有馬稲子と叔父は仲良くなれるだろうか。それにしても咄嗟に「ネコ」なんて出てくるところをみると叔父もなんだかんだ言いながらファンだったのでは。

私は叔父にこうも言った。「もう酸いも甘いも知り尽くした年齢になったら、恋愛だの結婚だのごちゃごちゃしちゃダメだよ。恋人じゃなくてトモダチ、それも親友になればいいのよ。よく怪しい男女が「私たち友達ですから」なんていうでしょう。あれ絶対怪しい感じで厭らしいよね。ちゃんと友達なら「親友ですから」とか言えばいいのに。だからほんとに親友になれたらそこで満足しなさいね、それが大人の恋心というやつだよ」などと言うと、「まったくお前ってやつはまあ」などといつも通りぶつくさ言いながら、本当に嬉しそうに笑っていた。いい笑顔だなあ、見たのはいつ以来だろうと私も嬉しくなった。そうやっていつまでも私の方をみて笑っているので、レストランの店員が写真をとるのに困っていた。結局レストランが色紙に入れてくれた誕生日記念の写真は、叔父が私をニコニコみているというものになった。まあこれも記念ということでいいか。誕生日は叔父も私も全然違う日だが、私の誕生日会をしていないので昨日やってもらった。叔父の新しい人生、新しく生まれ変わったということでもいい誕生日会になった。食事は本当に美味しかった。フォアグラはやっぱり美味しいし、赤ワインが合うんだなあ。

昨日の朝娘が「学校休む!」と怒っていたので「あら、丁度いいわ。叔父さんとフレンチ食べに行くけど、行く?」と聞くと、即座に行きたいと言った。「パパに聞いてみて」という声を夫が聞いていて、「行ってもいいけど君班長だろう。責任はいいのか」などとさらっというと、娘は黙って学校の支度を始めた。「つまらない人ねえ、フレンチ食べたくないの」と言う声を無視して玄関を出ていった。娘は叔父と私で3人旅をしたことがある。老舗ホテルのフレンチレストランでフォアグラを食べ、その美味しさが忘れられず時々どこで食べられるのか、売っているのかと聞くことがある。aoki に行けばあるだろうし、娘命の夫に言えば週一で食べられるだろう。でも言わない。そういうものは大人になってから、そして自分が努力をしてから。第一子どもがフォアグラなんて体に悪いし神への冒涜だ。でもこういうことならそっと許す。なのにそれを振り切って学校に行くなんて、すごいというか馬鹿正直というのかなんだろう損な人。

ワゴンサービスで好きなだけ食べられるスウィーツの山はここにもあった。娘がみたら狂喜するだろうな、そうだ今度は娘を連れてきてやろう。ライターのお金もそのくらい貯まっただろう。そういう話をしながらアルコール抜きで食事をするのだ。レストランはアルコールを飲まないと決めればそんなに高くない。 「小学生のマナー教室というけれど、来て食べて店員さんとお喋りすればいいんですよね」というと、スラリとした店員さんが「是非いらしてください」などと和かに言う。こういうホスピタリティに溢れた言葉遣いというのは、ネットやテレビでなぞる事は出来ても本質は見えない。やはりリアルに体感するのが一番わかるのだと思う。よし、叔父が横浜に行ったら今度はホテルニューグランドで娘共々フレンチをご馳走になろう。叔父は娘に会うとデレデレしている。男は若い女が好きなんだなと思った。あのオーセンティックバーでyoko の話を聞いてやる。でもその頃は友達がたくさん出来て私などもう呼んで貰えないかもしれない。それでもいじゃないかと思う。

今日はまた素敵なレストランに連れてきて貰って美味しいものを食べ、様々に蘊蓄を語りいいとこの奥様ごっこをした。でもこうやって模倣を続けていればいつかはそうなるかもしれない。栗田貫一はそうやっていつの間にか本当のルパンの声優になった。なので人々に慕われ仲良しのママ友山盛りで、本当の友達もたくさん、いつも人に囲まれてお金も愛も仕事も思いのまま。子ども達はすくすくと真っ直ぐに育ち、それぞれの夢も叶えた。私はいつまでも若くて美しくて、ちやほやしてくれる編集者を軽くいなして同窓会に出掛ける。今日は私の別荘でパーティーをする。近くに住むビルゲイツや孫正義もちらっと顔を出してくれて、さすがママなどと息子が感心する、というイメージでフリを続ければ実現する日が来るかも。

実現して富と名声を手に入れた私は、軽井沢の別荘の他に高知に村をひとつ作った。それは「ママ友戦争で傷ついたママ達の村」そこでは一般的なママ友会合やランチお茶は禁止、それぞれが安心して助け合う心豊かなコミュニティで、傷が癒えるまでいつまでいてもいい。男は子ども以外は入村禁止、男にはわからない傷があり、男がいては傷は癒えない。私も私もそうというママで溢れて、始めは一軒の家だったのだが、二軒三軒と増えて本当に村のようになってしまった。私は村長だったがイケダハヤトの奥さんに託し、そしてまた今は違う人がやっているという。私は初代村長として時々訪れては自分の体験を話したり、一緒に畑を耕したりする。そのムーブメントが全国に広がり、ついにママハラスメントは終焉を迎えた。ママがイジメをしなくなれば子どもだってやらない。悪い見本がなければ子ども達だって悪いことはしないのだ。何もかものハラスメントは消えて、世界は平和になった。これが本当の世界制服なわけ。うーん、この夢もいいわね。

他には児童相談所をもっと増やし、虐待で傷ついた子ども達をもっとケアする仕組みを作るという夢。愛され守られて生きるはずが親に虐待を受けるということ、子どもにとって本当に地獄のような日々だと思う。そうした子ども達が安心して豊かに生活できるように、例えば塾にいったり習い事をしたり、そういう先生達を派遣する仕組みを作ればいいと思う。何か夢中になれることがあれば、人間は傷が癒えたり立ち直ったりするものだと思う。でもそれにはお金がかかる訳よ。でも一番そういうものが必要な子ども達に税金がいかないなんて、ちょっとダメだなあ。それに学力向上というけれど、だったら小学校中学校の時限をもうひとつづつ増やせばいいと思う。そこの授業は先生ではない、塾とか音楽教室の講師などが勉強や楽器を教える。そう、学校と塾をくっつけるのだ。そうすれば経済格差による学力格差はかなり減るだろう。勉強したくてもお金がない子ども達だって塾のノウハウが学べれば、高校大学進学率もあがるし成績もあがる。お金のない子どもに勉強の大切さを教えるだけではない、道の歩き方もちゃんと用意する。経済に関係なく誰もが勉強を必死にするようになるだろう。それが日本の総一億なんとかというものではないか。なのに安倍は、だから安倍はダメなのだとついでに悪口。

そうだよ安倍、あんたが勝手にいじくり回した法案のせいで息子が戦場に行くことになったりしたら、あんた許さないよ。嫁も勝手な事ばっかりしてるんじゃないよ、しっかり旦那を教育し直せ。勝手な事していい専業主婦は私だけだから。安倍の馬鹿!「安倍の馬鹿って本人に言えたら尊敬してやる」と娘が言っていた。小学生は無邪気だわあ。でも本当に会ったら言おう。「あなたは本当に頭の悪い馬鹿ですね早く治しなさい」と。子どもの尊敬を勝ち取るなんて楽勝。そうだ、昨日届いたマンションのパンフレットを叔父に届けなければ。でもブログなんて書いている場合ではないやらなきゃいけないことが山盛りもう今日こそ全部片付ける、本当に。


【今日の小確幸】

最初に短くまとめられて満足。

多分このまま日本橋になると思うが今日は豊洲を飛び出しランチに行く、相手は男性で昔私の憧れだった人だ。とは言ってもお忍びでイチャイチャするためではない、私が話があるから何処かで時間を作ってくれとお願いしたのだ。彼は日本橋のちょっといい、でもランチはリーズナブルに食べられる店を指定してきた。もしかしたら大手町のアマンあたりに案内して貰えるかも、急に「やはり本社から近いこちらにして」などと連絡が入るかと思ったが結局なかった。今も待っているが多分変更はないだろうなあ。彼は世界を股にかける商社マン、ロンドン、ニューヨーク、ブラジルなどにいつもどこかに行っているホンモノのキラリーマン、キラリーマンとはキラキラした経歴とスキルを持つサラリーマンのことで、夫と喧嘩すると「なによこのピラリーマン」と怒っていうリーマンとは対極にある。ピラリーマンとは平たいポジションにいるぱっとしないサラリーマン。でも夫だって大企業の中でハムスターのようにくるくる滑車を回しているのでただのピラリーマンではない。まあそんな事はどうでもいいが、ちょっと銀座でランチして「たまには豊洲を脱出しないとね」などとママ友と話してボスママに対して溜飲を下げた気になっている私とはスケールが違うのだ。この彼の母が私の敬愛する叔母で、もう亡くなったが存命中は本当にエレガントで嫋やかで、もしかして意味が一緒だろうか。とにかく私も実家の母も会う度に「綺麗ねえ」「エレガントだわねえ」「皇室みたい」などと美智子妃に会えたようにきゃっきゃしていた。でも叔父の仕事が東京だったせいで、実家にいた私は滅多に会えなかった。
でも病気をして叔父と叔母が地元に戻ってきたころ今度は私が上京した。叔父も退職後のどこかの取締役も退任し、叔母の介護をしていた。それでも娘を産んだ頃はまだ元気で、見せに帰省すると、「可愛いわ、良かったわね」などと言って貰え、叔母に褒められたわあ子ども産んで良かったなどと無邪気に思ったりした。その時叔母はこうも言った。「もう一人産みなさい、どうしても」と。私はもうひとりで十分だろうと思っていた。産んでみて育児がこんなに大変だとは思わなかった。さっさと育ててそれから早く自分の好きなことをしたいと思っていた。なので、「もうひとりでいいよ、叔母さんだって息子ひとりじゃない」と返すと、「だめよ、どうしてももうひとり産んでおきなさい」などと、もう一枚スカーフを買えとすすめる気の強い店員のようなことを言う。私はもじもじして、叔母の真意がわからず困った。だが今ならよくわかる。私の人生を豊かなものにするために、嫌われてもいい言っておくわ、そして言うことを聞かなかったらただじゃおかないと思ったのだろう。

でも息子を産んで電話をしたら、「そうなの」それから誰も産後の面倒をみてくれないと愚痴ったら「お気の毒ねえ」と他人事のように言った。叔母はパーキンソン病に罹患しており、多分もう病状がかなりすすんでいたのだと思う。その一年後に亡くなってしまった。でもその頃は「適当に人の人生変えないで」などとぷりぷりしていたが、今になって思えば叔母は自分ももう一人くらい子どもを産んでおけばよかったと思っていたに違いない。それで私にも同じ後悔をしないようにと言ってくれたのではないだろうか。現に私は今はもうしぶしぶ産んだ息子に夢中になっている。もう彼のいない人生など考えられない。娘の時も色々あったバディスポーツ幼児園、娘がイジメられたり仲間外れになった事もあるが、「まあ女の子ってそうやって強くなるのよ」などと鷹揚にしていられたが、息子の時は全然違った。「このお!息子をいじめる奴は絶対に許さない、絶対に‼︎」と内心、気炎をぼうぼうと上げていた。それであちらのボスママこちらのボスママと、こちらは何もしていないといいつつやはり心の中ではタイマン張っていたのだと思う。それでブログにも色々書いた。それらを快く思わないボスママ達にスクラムを組まれ、そして上手いこと私を村八分にするムーブメントを作り、息子にまで魔の手を伸ばしたのだ。くそう、書いているだけでわなわなわなわなと手が震えて血圧が多分150はいっているかもしれない。そういう訳で「息子」というと尋常ではいられないのだ。産まなかったらこれら苦労は何もない訳で、産まなければよかった叔母の口車に乗せられたばかりにとは何度も思ったが、それでも顔を見るとへにょへにょとなってしまう。彼が「俺、もうバディやめます」と言えば、「殿!その通りにございます。こんな小童やっつけてしまいましょう」などとブログに書いたり、ダークサイドの帝国に退園届をコピーしろと突撃したりする。「よく行けたわねえ」などと 

※夫が激怒しだしたので続きはやつが会社に行ってから。面倒だがご飯を作る。

やれやれ全員行った。今8:05。今日も娘はチャイムを53分に鳴らした。それは「学校で貰った紙をみたら、50分集合55分出発と書いてあったのよ。私が正しいの」と正論を説いた。みたら確かにそうだったが、弟を置いていくというのは如何なものか。それにしても学校の先生達というのは生徒をちゃんと見ているものだと感心する。娘は去年までは集団登校をガン無視して遅い時間にひとりで行っていた。早く行ってとか集団行動の大切さ、慣れておかないと当然のように溶け込む癖をつけておかないとママみたいになるわよと何を言っても叩いてもだめだった。なのに班長になった途端に時間をキリキリと守り、来るのが遅いとピンポンピンポンチャイムを鳴らす。多分先生達は娘の気質を私より理解して、娘をリーダーにしたのだろう。そうすれば張り切って団をまとめあげて学校に来るだろうと思ったのではないか。それは見事にばっちり決まって、1分1秒を気にして朝の支度をする。弟は弟で昨日置いて行かれたからと大好きな朝のココアを途中で切り上げ、遅れてはならぬと急いで出て言った。娘の戦略に乗るものかと、「息子ちゃん、いい?集団登校はまだ学校に慣れない一年生のためにあるの、あなたはもう二年生だから大丈夫。忘れ物をしたら集団を気にせず戻ってらっしゃい。傘を忘れたら取にくるの。集団も大事だけれど、まずは自分だよ。足軽が先に行っちゃっても気にしないで奴らは小童。殿には殿の人生があるから。そうやって生きて下さい。殿、ご無事で」などと送りだしたら傘を取りに戻ってきた。もう一度「殿、ご武運を祈ります」と送ってやった。


※この人にはいつも振り回されっぱなし。何をしているのでしょう。

それにしても男って本当に単純でちょろいと今日も思った。息子ではない今度は夫のこと。多分お腹が空いてMAXだったのだろう、娘を「漢字やれよ」「やれえっ!」と罵倒し、その火の手がだんだんこちらにも来た。「ご飯くらい作れよお母さんのくせに」と大声で怒鳴っている。はあ、もうこのお馬鹿ちゃんはどうしようもないわね、ちょっと一発かましてやるかと息子をおんぶしてダイニングに行く。息子はいつも朝はママ電車で部屋をでる。「ママ電車、ママ電車が発車しまーす。最終電車です、お乗り忘れのないよう願いまーす。トゥルルルルルルルルルルル」と言えば、眠っていた猿ががばっと背中に来る、そのままダイニングの椅子まで運べば彼の朝が来るのだ。もう何年やってるかと思えば、バディの初日からだったと思う。いつまで出来るだろう、彼がもういいと言う日が来るかもしれないし、私が腰にきて出来なくなるかもしれない。そうやって息子を椅子に座らせてぷりぷりとしている夫に近づく。「今日はもう卵掛けご飯でいい」などと冷蔵庫の前で怒っているので、「チャーハン作るけど、いる?」と聞くと、ぽっと頬を赤らめ「いいの?」などと言う。ふん、ちょろい奴と思いつつ、「いいに決まってるじゃない、座ってて」といえばもうガラッと人格まで代わり、子ども達にもニコニコと映画を観に行こうなどと穏やかに話し出す。娘に怒った漢字も「学校から帰ってやるんだよ?自分のためだからね」などと言う。そして子どもも夫もドタバタと出ていた。はあやれやれ、もうちょっと静かな生活がしたいものだと思う。決して楽しい事ばかりではないし、もううんざりすることの方がうんとうんとうんと多い。一人暮らしというより、息子とちょっとだけ暮らしてみたい。森鴎外の娘、森茉莉は、成人した息子類となんらかの事情により一時期一緒に住んでいたそうだ。「彼女と息子の蜜月な訳ですね」と、どの先生だか忘れてしまったが説明していて、わかるわ森茉莉もうあんた友達よとぱあああと胸が躍った。あれを私もやってみたい。だから、高知。なのだ。私の世界の中心は息子なのだと思う。そのちょっと隣ぎりぎりにいて中心に片足を無理やり突っ込んでいるのが娘、遥か彼方に点にしか見えないのが夫、その周辺を賑わしているのが愉快な仲間たち、そしてちょっと離れた所の籠というか檻にぎゅうぎゅうに詰められて「ごめんなさい」とか「もうしません」などと泣き叫んでいるのがボスママ軍団とその取り巻き達。というのが私の世界なのだ。なので世界征服などと言っている奴らがちゃんちゃらおかしいと思う。こうして自分の希望や夢をきちんと把握して世界を構築すればすぐ征服など叶う。それは上手くいかないことが多いけれど、好きな色に塗り、重ね、そこで伸び伸びすればいい、というのは多分誰もわかってくれない私の世界観だろう。でもいい、自分が楽しければ。

そういう訳であと数時間したら日本橋に行くのだ。大手町のアマンはまた次に連れて行って貰おう。多分今日の話で叔父が違うところに引っ越すことになるかもしれない。そのための資料は半分出来ている。従兄がなんというか、どういう対応をするかは全くわからない。以前ちらと話した時は、「一応色々考えているけれど、どこもいっぱいで」などと言っていた。その理由も色々な方の話を聞いて理解した、順番なんて待っている場合ではないのだ。それにもうあまり時間もない。わかってくれるだろうか、それとも日和って終わりだろうか。私が熱心に説得すると彼はもう二度と連絡しないなんてことになるかもしれない、でもそれは避けたいと思う。せっかく叔父の縁でまた繋がりが出来たのに、それを断ち切るような事はしたくない。関東に住んでいる親戚は結構いるが、普段はあまり関わらずに生きている。でもそれは誰がどうという訳でもなく、もしくっついてワーワーやっていたらトラブルが起こり絶縁みたいなものになるかもしれない。なのでこれで丁度いいのだ。でも従兄は別、私の憧れの叔母の息子だし、お世話になっている叔父の一粒種、ピカピカに大切にされて育った従兄もエレガントで何よりエリートでちょっと素敵な感じ。私の安ワインを夜飲むなら開けて寝かせなくてはなどとサラッと言ったり、L'Arc〜en〜CielのNY公演の時はNY勤務で「駐在の奥さん達が騒いでいたなあそういえば」などと言って私を喜ばせる。こんな格好いい人手放したくない。彼は勿論奥さんがいるし、イチャイチャするとかそういうのではないが、時々はちらっとランチをしたりして昔話などをしたりしたい。従兄達の中にはすごいイケメンのMくんというのがいて、幼い頃私はどっちと結婚しようかなどと考えてTくんに決めた。Tくんは東京の人、結婚すれば私も東京の人になれるとその頃から他力本願的思考で色々考えていたなそういえば。Mくんは働き盛りの年齢の頃逝ってしまった。そしてTくんは生き残り、叔父のなんだかんだで時々話ができるようになった。これも叔母の采配なのではないかと思う。「もうひとり産みなさい絶対」と言ったことを生前は忘れたが、あの世で生気を取り戻し「私が言ったせいで子どもを産んで、色々大変で気の毒させたわ」などと思ってくれたのかもしれない。なので叔父を名古屋から関東に連れてきてくれたのではないか、そして今再び叔父のピンチに私を出動させたいのではないだろうか。名古屋には叔父の世話をなにかと焼く従妹がいて、純金などとスラングで呼ばれる大学をトップで卒業した才媛で人の面倒見もいいのだが、彼女とも色々話したりしているうちに叔母が自分の亡き後私の近くに寄越したのも成程と思った。私は叔父に何も期待していない。会いたいから会うだけだ。大学の学費が無くてどうしよう、退学してしまおうかと思った時は借りようかとチラッと考えたが、やっぱりと思いなおし一年くらいパートで稼いで再入学しようと思った。すると私名義の全く心当たりのない外貨貯金が出来て驚いた。これももしかしたら叔母からのプレゼントじゃないかと思う。だって外貨預金はしたが、積み立てはした覚えがない。ひとり暮らしでお金に困ったこともあるので、知っていたら使っていた筈だ。ひとり暮らしの私の貧乏ぶりは大したもので、「もう誰かと結婚しなさいよ、貰ってくれる人探しなさい」などとマイクロソフトの同僚に何度も言われていた。彼女は遊びに来てくれて、部屋になにもないのに驚いたのだろう。でも私は全然平気だったし、貧乏を辛いと思わなかった。その話はまたどこかで書くとして、今日は出かけるのでブログはこれまで。といいつつ、家にじっとしていた事なんて課題締切とライターの仕事、他にもなんかあったと思うけれど、あの頃くらいじゃないだろうか。なので私がほわんと歩いていると思っても中はそうじゃない、いつも何かに焦って移動しているのだ。だからお茶だのランチだのに気軽に誘わないで欲しい。前以て誘って貰うのはウエルカムだし時々ママ友ランチをするが楽しい。でもあのバディの時のように、送った帰りにお茶に誘われ、また帰る途中でまた違うグループからランチに誘われ、やれやれと思って今度こそ家にと思えばまた違う人から相談があるとカフェに誘われ、などと一日に何件も誘われて一日が終わるというのはもう出来ないと思うのでよろしくお願いします。あの頃は武蔵美の課題に追われ、コース変更するかしないかで悩み頭の中はパンパンで忙しくてたまらなかったのだ。でも誰にも言わなかったので、暇な自称専業主婦に思われていたんだろう今もそうだけど。

色々懐かしいわね。さて女装するか。


【今日の小確幸】

朝女優になれたこと。男なんてチョロイ。

(5,599字)

曜日感覚がおかしいと思ったら、3月のカレンダーをみていた。早速一枚めくり、4月にした。もう4月、桜は散りかけて道をピンクの絨毯で覆っている。一体全体時間というものは何だろう、川のように常に流れている。でも水が枯れたら流れはなくなる訳で、時間も流れなくなったりすることがあるのだろうか。個人的にはいつか「死」が訪れるわけで、枯れて時間がなくなったといえるかもしれない。でも誰かが死んでも時は流れる。本当に不思議だと思うのだが、こういう事を考えるのは私だけなのだろうか。久しぶりの同窓会でSくんは「人と違う何か」と表現してくれたけれども、Oくんは「独特の世界観があった」とややdisり気味に嘲笑した私の感性、このブログもそうだがどうも人に受けない種類のものらしい。真面目に考えれば考えるほど、あさっての方向に行ってしまう。

ノーベル賞の記事を書いて翌日、夫の元気がなかった。書くだけでなく、「結婚間違えた」「Sくんと結婚すればよかった」などと娘にまでワーワー言っているので傷ついたのかもしれない。なので今日はまた違う事を書いてみようと思う。そもそも私は誰と結婚したかったのか。ラクルのhydeは小さくて才能に溢れているが、結婚はちょっとしたくないと思う。などと小学生のような夢想は恥ずかしいので、その頃の思い出話をなぞってみようと思う。色々昔のことを思い出す。刺激の少ない専業主婦は、小さな出来事をいつまでもいつまでも反芻したりするものだ。それは多分、暇だからだろう。何十年振りかに会う同級生に会いそわそわしてしまうなんて、ドラマか柴門ふみの漫画くらいだと思っていたが、本当にあるんだなと思った。

でもだからといって何がどうなる訳でもない。それぞれの日常にまた戻っていくだけ。幸い私は小説書きなので、ネタにしたり妄想して文章を書く。それだけでもう怪しからんという人達がいるかもしれないが、考えるのは自由だと思う。それを書いてアップするのはまた別の話と言われるかもしれないが、私にとっては延長線上にあるものだ。でもそれを見て夫の元気がなくなるのは気の毒だと思う。なのでちょっと汚名返上的記事を書きたい。小学校から私の好みは一貫していたと書いた。それは本当だけれど、実在の人物ではない。私はずっと、ドラえもんと結婚したいと思っていたのだ。

小学校の頃、同級生の女子とこんな話をした。同級生の3大社長の息子、SくんともうひとりのSくん、それからYくん、結婚するなら誰としたいかと。小学生でももう「玉の輿」という概念があったのに驚く。それは多分、シンデレラとかのディズニーのお姫様的願望と同じだったと思う。王子様と結婚すればお姫様になれると。同級生がなんと答えたか、自分が何を話したのかは覚えていない。でも「私、3大社長の息子よりドラえもんと結婚したい」とは思っても言わなかったし、言えなかった。その頃から浮くと仲間外れになりやすいと何かで学んでいたのだろう。一般的な普通の小学生として生きるために、色々気を使っていたように思う。

でも今もそう思っている。ドラえもんと結婚したら、楽しいだろうし何より便利だ。ドラえもんと結婚することはそんなに難しいことではないと思う。テレビのドラえもんはのびたくんの友達なので無理だが、ドラえもんは猫型ロボットなので未来に行けば量産されている。そのうちの一体を買ってこればいい。まずはのびたくんと仲良くなり、タイムマシンで少し未来に行く、そこでロトの当たり番号をいくつか控え、元に戻って2~3回買えばお金の問題は解決する。籍を入れるのは難しいかもしれないが、一緒に暮らすだけならすぐ出来る。マイドラえもんは私の願いをなんでも叶えてくれるだろうし、出来ないことなど何もないのではないか。

ボスママに嫌われたら「ニクメナイン」を出して貰えばいいし、タケコプターは上空が寒いから嫌だといえば、何か違うものを出してくれる筈だ。小説家をやめて会計士になりたいなどと言えば、「記憶パン」を毎日食べようなどと出してくれるかもしれない。家事や育児もポケットから出す様々なもので全部やってくれると思う。いつ出かけても何時に帰って来ても、「しょうがないなあ」と言うだけで問題視しない。私はドラえもんの庇護の元、好きな小説や時々絵を描いて楽しく暮らす。子どもにご飯を食べさせてくれて、「あれ持った?」などと世話を焼き、学校に送り出してくれる。時々は本格的な美味しいものを作ってくれて、「ワイン買っておいたよ」などと気の利くことを言う。ドラえもんはやっぱり最高である。

そう考えると、私はそういうドラえもん的男性と結婚して暮らしているのではないだろうか。タイムマシンは出してくれないが、それ以外はほぼ叶えてくれる。カレンダーに長い線を引き、「実家」と書くだけでなんの説明もなく出かけても、朝起きて何も手当せずそのまま大学に行ってしまっても、飲み会で羽目を外して午前様になってしまっても、ぶつぶつ言うが、基本は仕方ないなと思ってくれるようだ。逆なら私はブチ切れると思う。自分の仕事が好きで毎日毎日きちんきちんと会社に行く。ワイシャツはクリーニングに自分で持って行くし、ゴルフ以外は贅沢をしない、そのゴルフも教育費が嵩んできたのでやめてしまった。子どもが一番だと細々細々と面倒をみて、ちょっと構い過ぎだと思うが世の中の母親的仕事も請け負ってくれる。家事もいつの間にか夫がほとんどやってくれるようになった。私は自分勝手に自分の好きなことを優先している。大学だって勉強というより趣味だろう。

夫に今から東大にいって医者になればいと言ったが、それならその間誰が生活費を稼ぐのか。一馬力の我が家は夫が仕事をしなくなったらすぐさま露頭に迷うだろう。そんな簡単な事も見ないふりをして、Sくんと比べたりして夫をdisる。こんな奥さんなのに、文句も言わず坦々と生活をしている。何があっても生活スタイルを変えないのは強いからだと思う。何かよくわからないけれど、自分の信念があり、それに向かって時や川の流れのようにゆっくり進んでいる。何処に行きたいのか知らないけれど、多分いつかそこに行き着くのだと思う。私はその船にいつの間にかちゃっかり乗り込み、舵をとり四苦八苦している夫を眺めてぼんやりしているようなものだ。私は本当にドラえもんと結婚出来たということなのだと思う。

もう欲しいものは何もないが、年齢のせいだけではなく結婚する前、した後に夫に色々買って貰ったせいもあるだろう。今はほとんどファストファッションだが、好きなものを好きなように買い、最近は断っているが記念日には大きな薔薇の花束、美味しいワイン、自転車を盗られれば同じようなのをすぐ買いなさいという。私がTwitterに悪戯して人事部に呼び出しを受けた時も、最初は怒っていたが仕方ないと笑い、散髪に失敗してハゲを作ってしまってもそのまま会社に行く。実家の親には丁寧に礼を尽くしてくれるし、何より私に尽くし倒してくれる。新婚の時一年間は私が尽くしたが、子どもを産んでからは全くしなくなった。部屋を勝手に分けて籠っても文句はいうが今でもそのままだ。何より自由と生活の保障がある。

夫と結婚していなかったら、私はどうなっていただろう。仕事に行き詰まり、生活に困り、とっくに実家に戻っていたかもしれない。東京にいたとしても今のような暮らしは出来なかっただろう。色々な仕事をしたが、もう一度やりたいと強く思う仕事はひとつもない。やれば食べていけるかもしれないくらいのものだ。要するにどこの職場でも何も役にたたかなったし、今と同じようにかき混ぜ係のようなものだっただろう。自分勝手な仕事をするので、煙たがられたりポジションが消えたりしたこともあった。

今仕事をしていないのは、子どもが小さいせいもあるが、自分が社会や会社の役に立つとは思えないせいもあり、スキルも学歴も若くもない自分を使ってくれるところがあるのだろうか、そういう場所に再び戻った時の処遇などを考えると二の足を踏んでしまう。そういう目に遭わずに済むのも夫の庇護があるからで、スウェーデンには行けないが、いつか宮中晩さん会には連れて行ってくれるかもしれない。結婚する時に努力すると言ってくれたのだ。そんな夢物語に付き合ってくれたのは夫だけだった。前世が河童だからきゅうりが好きだとか、実家で飼っているウサギの話を延々としても嫌な顔はしなかった。そんな人は夫だけだっただろう。あの頃から、今も、これからもずっと一緒にいるのはリアルドラえもんの夫なのだろう。

そもそも私たちの仲がしっくりいかなくなったのは、あの裁判の時からだ。お金で解決しろという夫に、私は反発したのだ。そして夫に何も話さないと言って勝手に裁判をした。1年の後終わったが、結果も何も話さなかった。近所の集まりか何かで「下の子が中学に入ったら離婚する。先に裏切ったのは夫」などと言って、いらぬ誤解を招いたりもした。夫の裏切りは裁判をさせないと言ったことで、愛人を作ったり借金を抱えていたなどというものでは全くないのだ。君は被疑者なのだから早くお金を払って解決しろと激しく怒った。夫に怒鳴られたのは初めてで、驚いて泣いてしまった。それだって妻を司法の蹂躙から守るための説得だったのだと今はわかる。そこから私は夫に何も相談しなくなり、夫が結婚前に言った「夫婦でも別々の存在であるべき」という形になったのだ。そうなって得をしたのは結局は私だけだった。

そうだ、私がお金をすごく稼ぐようになったら、夫を大学に通わせてあげよう。堀さんのところでMBAをとらせてあげるのもいいかもしれない。夫は勉強が大好き、きっと喜んで通うだろう。勉強するのには時間とお金がかかる。お腹の大きな私が大学に行きたいと言い出した時、迷っている私の背中を押してくれたのは夫だった。卒業出来ないかもしれないというと、でも学べば自分に必ず何かが残るから、やるだけやってみたらいいと言ってくれたのだ。それに甘えて何年も大学生を続けている。編入した大学からは思わぬ資産が出てきて自分で払っているが、それまでは夫のお金だった。夫のお金だとも思わず、水道を捻るとジャージャー出てくる水のように思っていた。それが枯れかけた今も、変わらず大学に通っている。あーもう私って本当になんていうんだろう、叔父がいつも私の顔を見る度に「お前は本当にいい身分だな」というので心外だと思っていたが、本当にそうなのだろう。私は本当に結婚したかった人と結婚したのだと気付いた。よかった。 


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※写真は今日は「ぱくたそ」、色々な画像があって感心する


【今日の小確幸】

今日は土曜日だと思っていたら水曜日だった。郵便局が開いている、卒業制作を出しに行こう。もう課題は絶対ポストインしない。

4/5〜4/11日必着の卒業制作第一回目分
こども芸術村申請
ライター仕事4/10締め切
4/10保護者会
Nさんと版画展
Tさんと山本容子展
Mさんとららぽランチ&映画
T課題始める
叔父の件で従兄弟とランチ
叔父の家に顔出しに
5/某日ゲストルーム予約
作品展の作品とりに小学校へ
息子の衣装サイズFAXチケット注文
息子のげんきっず&花まる書類提出 
4/17配役発表保護者出席

今月中の締切や予定を書きだしてみた。書いておかないと必ず取りこぼしが出てしまう。手帳やカレンダーに書けばいいのだが、書くのを忘れたり見落としたりがある。ブログに書いておけば何故かちゃんと出来る。ブログって不思議だなと本当に思う。今日は春休み最終日、あと一日で子ども地獄から解放される。昨日は天気も悪く、子どもはふたりとも何処にも出かけずへとへとになった。旅の荷物も洗濯するものは出したがまだそのまま。今日もきっとイライラするだけで何も出来ないだろう。何処かに遊びにいきたいが、夫が「娘は勉強があるから連れていくな」と怒るだろう。

娘にSくんとOくんを見せたかった。ママの好きだった人達はこんなに立派になったと。昨日あれこれと話すが途中で必ず喧嘩になる。「ノーベル賞だって、そんな世の中甘くない」などというので怒ったのだ。娘は現実的過ぎて嫌になることがある。かと思えばまたキチンとカレーを少し残して食事を終えたり。もう怒らない、もうひっかからないと思うがつい怒ってしまう。アドラー的対処方法としては、この場合は知らん顔をして朗らかな顔を見せなくてはと頭ではわかるがやっぱりできない。

今日は卒業制作の最終チェックが残っている、いよいよ今日から受付なので出して来ようと思う。今日出せば明日京都に着くはず。もし切手不足やなんらかの事情で戻ってきても再提出が間に合う。昨年度ひとつ戻って来て最終提出に間に合わなかったものがあったのだ。あれが間に合えば単位は全部で43単位とれたはず。あと「コラージュをデッサン」が合格点なら45単位とれていた。あの採点はないとまた思い出してイラッとする。そしてブログを書いていなければ50単位くらいはいったのではないかと思う。そもそもそのあたりが目標だった。あと21単位とれば卒業できる、本年度は量より質を重視したいと思う。

さて、しくしくメソメソ列車の中で泣いたと書いたが、その前に名古屋駅できしめんを食べた。階段の下で発車のベルが鳴っているので慌てて駆けあがったら、ドアが閉まる寸前の豊橋行に間に合いそうだった。でも私は乗らなかった。何故ならしきめんの小さなお店があり、食べたいと思ったのだ。息子は早く帰りたいようで、乗ろう、乗ろうよと地団太を踏んでいた。「きしめん食べるから次にする」というと、怒って突撃してきた。小さな手で繰り出されるパンチは意外に痛くて、痛い痛いと店の中に逃げ込むとついてきて「俺、きしめんなんて大嫌い」と大声でわめく。うるさいから外に出てよと負い出し、きしめんを食べる。息子が静かに入ってきたので水の紙コップに分けてやると、全部食べてしまった。「美味しいでしょう」というと「おいしくない」という。可愛い奴め。

次の停車は豊橋。豊橋でも事件があった。駅のホームで帰省土産を買っていないことに気が付く。ママ友ゼロと言いながらも、あちらこちらから旅や帰省のお土産をいただくが、いつもそのままになっている。こういう時にお返しをせねばと気が付き、ホームに息子を残してコンコースにかけあがる。電車がくるのにあと10分ある。荷物みておいてと息子に声をかけたら何か言っているが、そのまま買い物をする。ところが良さそうなものが何もない。大きな菓子折りなど荷物になるから持てない。やっぱりさっき名古屋城で買った金鯱鼈甲あめをもっと買ってくればよかったと後悔した。

ふと見ると大餡巻の出店があった。懐かしいわあと早速買うことにする。電車で食べる分ふたつと、家で食べる分3つと分けてもらう。そうだ、これをみんなのお土産にしようと、あと5つ入りの箱を2つ下さいというが、おばさんが「えーと待って、最初は抹茶とカスタード、それから」などともたもたしている。なんていうか、田舎スピードというのかゆっくりゆっくり計算をしていた。私が素早く計算して申告するが、レジを打つ手ももどかしい感じ。そんなところで時間切れになってしまった。もう5つ入りはいいですとホームに戻る。列車が出るタイミングに駆け込むと、息子も素早くトランクを持って列車に飛び乗る。椅子に座ると息子が大きな声で泣きだした。そこで私ははっとした。こんな全く知らない駅でひとりぼっち、携帯を鳴らしてもママは出ない、そんなところに電車が来た、乗ってまつのかホームで待つのか、それより列車が出てしまうとハラハラしたに違いない。ごめん、ごめんと抱っこして頭を撫でた。本当にごめんよ。

怒って泣きながら抹茶大餡巻を食べて、息子は眠ってしまった。そこで私は落ち着いてSくんのことを色々考えたりしていた。だって暇なんだもん。暇になると人間は碌なことを考えないというのは本当だと思った。次の停車は浜松。息子はそわそわしだした。行に鰻を食べて、浜松は鰻が名物だといったので食べたいそうだ。でも店ではなく弁当でいいという。乗り換えが5分しかなく、コンコースに買いにはいけない。次の電車に乗れないがいいかと聞くと、いいという。な、なんなの。私のきしめんに怒ったのは、浜松で鰻を食べるつもりだったようだ。きしめんをしっかり食べた私はもう鰻は食べられない。息子に鰻弁当を買い、お土産も無事に買えた。やれやれだった。

浜松を出れば次は熱海だが、ここで様々な人間模様をみた。新幹線では絶対見られない光景に、感動すら覚えた。最初は歯の無いホームレスっぽい人が話しかけてきて、坊やいくつだとか何処にいくのかとか、ちょっと行っちゃってる感じの笑顔でなんだかんだ私たちを構いだした。いつも社交的な息子も押し黙り、私も二言三言話して無視してしまった。すごいわ東海道本線と思いながら、そっと車両を移動した。

今度は座った席の目の前にすごい巨漢がいた。大きなリュックが小さくみえるくらいどっかーんとした体躯、手にはスーパーの袋を3つ下げている。それは全部ビールやハイチュウのロング缶だった。それを一本、また一本と飲みだした。一体なんぼん飲むのかと思った。だいたいだが10本くらい飲んだのではないだろうか。堂々と飲めばいいのに、ぐっと飲んではスーパーの袋に隠し、ちらちら辺りを伺いながらまたぐぐっと飲む。目の前が私のせいか、飲む時は私をジロジロ見ながら飲む、でも私がみると恥ずかしそうに缶を隠す。一体なんのためにここで、家かホームで飲めばいいじゃないと思った。すごいな東海道本線。そして間もなく熱海という頃には、真っ赤な顔になった巨漢がふらふらと別の車両に移っていった。何処にいったのか、熱海では見かけなかった。

熱海からは東京駅までの旅。熱海で何か美味しいものを食べたかったが、乗り換えが3分しかなくお腹もいっぱいだったのでそのまま乗り換える。ボックス席がふたつ空いていたのでそこに座ると、偶然18切符で日帰り旅行をしている親子と乗り合わせた。富士山が見えなかったというので、昨日だったら良かったとか、私達は行にみたとか話が弾んだ。息子よりひとつ上の女の子は、クラス変えが怖いと言っていた。嫌な子に当たったら一年が台無しのような事をいう。今の小学生は豊洲じゃなくどこでもそうなのかと思った。私は小学生の時も、中学の時もずっとそんな心配した事がなかった。あの頃の私の悩みはただひとつ、給食が食べられないことだった。全部食べるという鉄の掟があったはず、体の小さな私はいつも食パンを残してランドセルや学生鞄に隠した。本当に給食が嫌でノイローゼになりそうだったのだ。中二の時にY子ちゃんがイジメたとT恵に申告したが、そんなの給食や豊洲のいじめに比べたらどうという事もない。Y子は私がN子やT恵と仲良くし出したら、急にペコペコしだした。その頃は何が起きたのかわからなかったが、多分私を独り占めしたかったのに言う事を聞かないのでイジメた、でも権力には負けたという事なのではないか。毎日遊ぼうとか家にしょっちゅう電話してきてベタベタしたり、イラストを描いて可愛いお人形を今度はお姫さまなどと勝手に発注するので嫌だったのだ。誰誰ちゃんと遊んじゃダメとか、遊んだら死んでもらうとか、今なら大問題になりそうな事を言っていた。なので余計に嫌ったのだが、その空気を察して裏切者などと思ったのではないか。しばらくして力のある友達と私が仲良くしだしたので、諦めて逆にペコペコしだしたのだろう。うーん、大人になるとなんでもわかるようになる、素晴らしい。大人になってよかった。ちなみにY子ちゃんは偏差値の低い高校を卒業してすぐ、ヤンキーと結婚したと聞いた。一度帰省なのか家の前でばったり会ったら、ものすごいおばさんになっていた。パンチパーマというか、ちびまる子ちゃんのお母さんヘアというのか、それにスーパーで買ったような煮だした色の洋服。50代くらいに見えてびっくりした。すぐに声にしてしまうのは私の悪い癖なのだが、「うわっ!おばさんになったね」と素で驚くと、「失礼しちゃう!」とカンカンに怒ってそのまま家に入っていった。普通は最初に「久しぶり」とか、「元気だった?」とか言うものだと反省した。でもまだ20歳そこそこだった筈だ、今頃どんな風になっただろう。話を戻して東海道本線の話。私は女の子に娘の話をした。娘も仲のいい子と離れてしまい、一年間詰まらなかったと言っていたというと、自分だけじゃないとわかったせいかほっとした顔になった。大人になってもそういうのあるよ、クラスなら一年我慢すればいいけれど、マンションを買ったところでイジメられたら最悪だよとか、嫌で引っ越す人がいるくらいだなどと暗い未来を暗示するような事をいってしまった。でも女の子は嬉しそうにそれは怖いとか、いい時もあるなどと言ってくれた。途中で親子は下車し、息子とふたりきりになった。

あと何駅だとかお姉ちゃんに早く会いたいとか、新幹線と並ぶと「俺、新幹線でぴゅーっと行ってびゅーっと帰りたかった」などと言いだした。青春18切符は一日乗り放題下車し放題の期間限定の夢の切符と教えたが、なんだか違うと思ったのかもしれない。あと何回騙されて一緒に乗ってくれるだろうか。色々旅の思い出を話していると東京駅についた。本当は新橋で乗り換えて有楽町線で豊洲に帰ればいいのだが、東京駅から豊洲までは都営バスも出ている。息子にどちらがいいかと聞くと、早い方がいいというので地下鉄で帰ってきた。でも名古屋から東京まで制覇したと書きたかったので、東京駅まで行き、山の手線で一駅戻って有楽町駅まできた。新橋からゆりかもめで豊洲までとも考えたが、息子が乗らないという。最初の頃は喜んで乗ったが、もう乗りあきたのだろう。贅沢な人だと思った。

駅につくとお姉ちゃんに早く会いたいからと、ひとりで走っていこうとする。また放置していると近所の人に思われたくなくて、一緒に帰るがいつの間にかいなくなった。息子は学校の友達たちから、透明人間と呼ばれているらしい。いたと思うといないとか、いないと思うといつの間にかいるのだそう。「あの人忍者だから、私がそうだから」などと答えると、「えーうそだー」などと言いつつ興味津々に色々聞いてくる。子どもって面白いなと思う。きっといつまでも覚えていて、あの子のお母さんは忍者だったなどと思い出したりするのだろうか。

そういえば息子は間もなく2年生になる。今好きな女の子がいて、一生懸命にアピールをしているがどうなっているのか。学校公開でみにいくと、その女の子が後ろから息子に抱きついて甘えていた。すごい息子、何したらそうなった?私とSくんもなんだかんだ大人になっても繋がりがある、こんな小さな頃のことも色々覚えていたりする。息子達もそうなるだろうか。それにしても最近の子ども達というのは、私とSくんなんて手も繋いだこともなかった。飲み会の帰りにOくんがハグしてくれたがただの酔っ払いだったようで、TちゃんやKくんともハグハグしていたそうだ。Oくんが会社の若い子にして、セクハラで訴えられないようにと祈った。

そして昨日はそれをネタにブログまで書いてしまった。書いてアップした後に、やっぱり削除しようかそれともパスワードでロックして限定公開にしようかと悩みながら寝たせいか、中村先生がブログの記事をいちいち採点してくださる夢をみた。いつもの輝くような笑顔で「これは86点、いいですね」などと言っていた。ノーベル賞の記事は何点だったか忘れてしまった。そこまで読めなかったのではないだろうか。

なんだかんだ膨大な量の記事を書いている。いつも書いた後に後悔して削除しようと思ったりするが、結局全部そのままになっている。あの人もこの人も全部読んだだろう。そして今度は中学の同級生たちも。相かわらずと思ったのか、驚いて引いたのかそれは全くわからない。ハゲと書いてて怒っているだろうか。でもハゲもSくんだからノーベル賞のSくんと混同してしまうのだ。

ハゲハゲと書いているが、お坊さんのような風格があり、選挙のポスターになったら目立っていいと思う。そうなったら私も一週間くらいは鶯嬢して応援したいと思う。大きなダルマに目玉を入れて万歳三唱、そして食べたり飲んだり歓談というやつ、一度やってみたかったのだ。 偉いハゲがもっと偉いハゲになるのだと思うと感慨深い。みんな偉くなっていく、東京の地から応援しているから頑張って。私も頑張らなくては。

家に帰ると娘が飛びついてきた。疲れていたので邪見にしてしまう。夫がご飯食べるかと聞くのでいらないというと、子ども達に食べさせて世話を焼いていた。地元では実母に甘え、東京では豊洲ママに甘え、娘が甘えてくると「今日はもうママ閉店しました」などと言って邪見にする。これではボスママ達に虐められたりも当然かもしれない。ブログを書いた後ワインを飲んだら眠くなったので、歯だけ磨いて寝た。

初めての青春18切符の旅は本当に楽しかった。来年の春もまたこの切符で帰省したい。その前に3月中旬に京都で卒業式がある。京都にいって、帰りに地元に寄ればいいだろう。実家で母に着物を着つけて貰うのは時間が足りないだろうか。卒業式は何時からなのだろう。今度は息子も娘も置いていく。時々「ママ出てってよ」などと偉そうに言うのでちょっと長めにプチ家出をするつもりだが、もう私がいなくても困らないだろう。児相対策はなんとか考えよう。

もう同窓会に行かないと書いたが、行くに決まっている。卒業証書をみんなに見せて褒めてもらいたいのだ。卒業制作も読んで欲しいと思っているので、それがSくんと私のラブストーリーでは具合が悪い気がする。やはり、あちらにすることにする。N、O先生がブログを時々読んでくれているようで、「一体どれを書くつもり」などと思われている気がする。それは届いてからのお楽しみ。多分、思っているのと全然違うと思う。春から全く新しいものを書いたのだ。これで芥川賞とれるといいな。


【今日の小確幸】

娘がマックのモーニングマフィンが塩辛くて食べられないという。味覚が正常でよかった。私も食べられなかった。よかった。

※結局名古屋城にいった。息子は思った通りのセリフで怒っていた

※本丸御殿の虎、一休さんはいなかった

※河村市長、募金しましたよ(^^)

※満開、見惚れてしまった

※ちらちら花びらが降っています

※この日がベストディでしたね

名古屋城の桜が私を待っていてくれたように思った。「また来てね、待っているから」とでも言うように、花びらがちらちらと降り始めていた。今日戻ろうと思わなけれは見られなかっただろう。本当に寸分の狂いもない満開。今まで見てきた中で、一番綺麗な桜だと思った。本当に美しいと思った。ありがとう。



ノーベル賞の記事を削除したので穴埋め的代わりの記事を書きたい。書けと言われればいくらでも書ける、多分ここ豊洲に住む限りはネタが尽きないだろうと思う。人間関係では苦労してきて何ひとついい事は無かったが、代わりにこうして書くものには困らない。学友達は「美味しいと思いなさいよ」と言っていた、確かにそうかもしれない。以前はそうではなかった。いつ終わるとも知れぬママ友地獄で鬼どもにつつかれて右往左往していた。でももう終わった。今も色々あるし、時々は忍者になりあちらこちらウロウロする事もあるが、もう小学校に入ったのだから自分で解決して欲しいと思う。それに「もう行かない、行きたくない」と言う訳ではない、それは多分命の危険がないと思っているのだろう。生きて学校から帰って来てくれればそれでいいと思う。

そういう訳で、以前「豊洲死ね!」と書いたがここから引っ越す予定は今のところない。私が嫌だという人がいたら、多分たくさんいると思うがあなたたちが引っ越しなさいと言いたい。今はこんな体たらくだが、そのうち「キャナリーゼ作家」ということでどこかからデビュー、文壇に新しい風を、それには豊洲に住み続けないと意味がない。元キャナリーゼというのはラノベだけでいい。でもリフォームか近場のマンションでいいものがあったら引っ越ししたいとはいつも思ってる。正月に妹が着物をみに来てくれた時に、家の中をみてびっくりしていた。娘と夫の部屋のドアはボロボロだし、和室の障子はびりびり、私と息子の部屋の入口には「おにのへや」と書いてある。それに斜線をして「てんしのへや」と書き直してある。前は娘が後のは息子が書いたのだ。そして娘と夫の部屋には「ばかのへや」などと書いてある。これは私が仕返しに書いた。

もうリフォームするならこういう問題が無くなった状態でないとダメだと思う。キレイにしても綺麗にしてもまた荒れてしまうだろう。家は家族の鏡というのは本当だと思った。同じマンションなのに、キラキラママの家はいつもどこもピカピカなのだ。特に床、定期的にメンテナンスしているキラキラママのマンションは光輝いているが、勿体ないからと何もしていない、水拭きはダメという床をごしごし拭いた家の床はささくれている。もうやる時は一気に床も壁も何もかもと思っている。


※古い公団は解体が始まった


今日は2016.04.09。ライターの締切が一日伸びたせいで、しかもまた私以外は科学技術館にいってくれたので清々と過ごしている。新聞を読もうとコーヒーを淹れる。何々、五輪エンブレム?こういうのは小学校か中学校の児童に書かせて採択した方が盛り上がると思うのに馬鹿な大人たち、プロといっても前のような事は必ずまたある。それに比べて子どもの純真なこと。きっとすごい才能を発見できるのに。

そもそもあの「豊洲シビックセンター」の名称募集の時もそうだった。私は豊洲に出来る公的施設なら普通に「豊洲シビックセンター」という名称でいいと思った。その前は「豊洲文化センター」という名前だった。でも新しく出来るビルは、区の中心的役割も担うはずで、「シビックセンター」という名称が相応しいと思ったのだ。現に文京区は「文京区シビックセンター」となっている。なのでそう投稿したのだが、採用された案を出した人に貰えるという賞金だったか賞品だったかはもらえなかった。

どんな名称になったかとしばらくして区報をみると、「豊洲シビックセンターに決まりましたが、応募者多数のため賞はなし」とあった。そんなのあり?多数なら抽選でもいいじゃない、でもきっと「豊洲シビックセンター」と書いたのは私だけだっだ、なので「多数」などと書いて言い訳をしたりして。

本当にそうだったのかもと今でも思う。「森生ゆり子」が考えたものを褒めたくないと思われた気がした。その頃から私の書くブログや小説は、街の偉い方々から問題視されていたのだと思う。キラキラ豊洲のイメージをつけたい、そうしておいてお金儲けをしたい人々たちから嫌われたのだ。なので案は採用したいが賞はあげられないということなのではないか。案を出した時のメールがどこかにあったはず、見つけたら貼ってみたいと思う。

余計な話は置いておいて、マンションの話。新聞を読んでチラシもみてみる。あまり熱心にみると欲しいものが出ると思ってさっと斜め見するが、マンションのチラシは結構真剣にみる。今までたくさんの物件をみてきたが、自分の家含め、気に入るものがなかなかかなった。でも今日みつけた物件は、一目見て気に言ってしまった。

間取りは4LDK、4LDKの間取りはなかなか出ない。我が家ももともとは4LDKだったので仕切り直せばいいのだか、そこを誰の部屋にしようか悩むと思う。リビングすぐ隣の部屋、私は絶対自分の部屋にしたくない。多分夫が朝早くから遅くまでテレビをみたり娘をしごいたり、うるさいと思う。それに和室がひとへやあるが、ここは窓がないので閉めると真っ暗な部屋になる。今は夫と娘が一緒に寝ていて、真っ暗になる部屋というのは睡眠にはいいが、自室となるとどうだろう。それに和室を洋室に変えなければならない。子ども達が幼い頃はハイハイしたりおむつを変えたりと便利だったがもういらない。

などなど色々事情も変わり、理想もずれてきた。それに今の家、私が自分の部屋が欲しいせいで、4人家族で4つ部屋が欲しいのだ。夫婦に子ども2人というなら、普通は3LDKで十分だと思う。夫婦の部屋プラス子ども部屋2つ、同性なら広めの2LDKでもいいかもしれない。そういうマンションデベロッパーの思惑なのか、家庭のあり方の常識なのか、このあたりは3LDKのマンションばかりである。多分日本全国そうなのだろう。

でも今日みつけた間取りのマンションは、私の理想にピッタリ。玄関入ってすぐは私の部屋、小さなバルコニーもあるのでここで小さな椅子とテーブルを出しワインを飲んで夜景をみると楽しいかもしれない。友達が来たら一緒に飲んでもいいだろう。その隣は息子の部屋、すぐ隣で何をしているかわかる距離というのはいいかもしれない。彼女なんか連れてきたら、コップを逆さにして壁に貼り付きたいと思う。そのまた隣は夫の部屋。普通はここが娘の部屋になると思うが、ここは娘にはよくない。女の子は西向きの部屋に住んではだめという風水を私は信じているのだ。なのでここは夫、リビングに面した小さな部屋を少し広げて娘の部屋にすればいいと思う。そう思ってマジックで線を引いてみた。

今は4.5畳とあるが、線を引いて広げたことにより5.5畳くらいになったのではないか。幸いクローゼットも大きいし、年頃になれば衣装も増えると思う。丁度ピッタリではないか。窓がないが、普段はドアは開けておいてもらう。彼氏なんて連れてきて籠ったら怒ると思う。娘はそういうところ、気を付けて育てなければならないと思っている。今日も洗面所の鏡の前でいつまでもいつまでも髪をとかしつけているので、「お洒落しても誰もみないよ~」などと私の母が言っていたようにちょっと意地悪を言った。

それから、「でもだいぶ見られるようになったかもね、前髪を切ったのがよかったかも。あなたみたいなお多福は顔を髪の毛で覆って小さく見せるといいんだよ。でもあまり美人に生まれなくて良かったね。美人に生まれると親も子も勘違いして芸能界にいれたりするでしょう、最初はちょっと人気が出るかもしれないけれど、年を取るとあっという間に仕事が無くなって裸にならないといけなくなったりするのよ。そうすると2、3回はまた仕事があるけれど、もう脱いだら終わりなのよね。そうなったらひどいよ、脱いだ女の人なんてもう誰も相手にしないしお嫁に貰ってくれないし仕事もなんにもなくなるの。子どもの頃はちょっと不細工か普通くらいが一番いいのよ、そこから綺麗になりたいとか勉強しかないとか思って努力すれば大人になってきっといい事があるよ。美人に生まれなくて、パパの血をひいて良かったね」というと、「普通はさあ、お母さんなら可愛くなったねとかいうもんじゃない」とむっとしていた。

確かにそうかもしれないけれど、可愛い可愛いだけではダメだと思う。そういうのは父親かジジババがしつこいくらい言うからいいのだ。母親はしっかり世の中の現実を教えなければ。私もそんな事を言われた覚えがある。でもママ友の現実は教えて貰えなかった。多分、そういう概念が無かった時代だっだのだろう。

話を戻して間取りの話。なのでこのマンションはとてもいいと思う。西向きの窓たちも小さくささやかについているだけで、多分西日はそんなにひどくないような気がする。リビングダイニングの窓も、西側だけいつも遮光カーテンをひいておけばいいだろう。夜になって開け放てば、光の大都会。というか東雲のタワマンたちから丸見えだが、それらもいい風景になるのではないか。昔うちからでも見えた、お台場の観覧車やレインボーブリッジもみえるかもしれない。気持ちがすごく盛り上がったが、問題はお金のこと。

私は以前、岸辺シローの「シローマンション」というブログの熱心なファンだった。岸辺シローはもう体調が思わしくなく、具合が悪いどうのこうのとつぶやきとも取れる愚痴を読み、心配ばかりしていた。そのシローが回顧で「破産したのは無理して豪邸を建てたせい、家を買う時は絶対勢いで買ってはいけない。今の身の丈に合うか、ちゃんとお金が払えるのか考えないといけない」という事をことあるごとに書いていた。私はその頃、今のマンションを打っぱらって、緑多い木場公園あたりに引っ越したいと思っていた。

木場公園は江東区で一番自然の多い巨大公園で、小さな池にはざりがにもいるし大きなカエルもめだかも鯉もいる。木登りだって出来るし、桑の実など食べられる実がなる木まである。木場公園までは豊洲でバス一本だが、自転車で行くとなると交通量の多い道を走らねばならず、子どもを放し飼いにはできない。そこに住めば勝手に行って勝手に遊んで、勝手に帰ってくるだろう。すごくいいところだと思う。でもちゃんとお金のことは考えないといけないと思っていた。もし買い替えたせいでローンが重くなったリしたら、シローのように何もかも手放さなくてはならなくなるかもしれない。慎重にと考え出すと何もできなくなる。

そういう訳でなんだかんだでずっとここに暮らしている。もう死ぬまでこのマンションかと思うと、少しブルーになってしまう気もする。人間関係どうこうはもう何処にいっても同じだと思うのでそれが理由ではない、私は飽きっぽい。もうこの家や間取りに飽きたのだ。でも豊洲には変な人とか危険な人はいないと思う。意地悪な人は多いが、安全な街といえるだろう。なのでこの中でいい物件があれば住み替えたいのだ。実際豊洲の中で引っ越しをした人も何人もいる。それは大概学区を変えない配慮で行われるようだ。私も学区は絶対変えたくない。多分今の小学校にいれば、子ども達色々あるだろうが無事卒業してくれるだろう。友達も少ないかもしれないが、そんなにひどい事にはならないと思う。

そんなこんな色々言っているが、今日みつけたこのマンション、是非住んでみたいと思う。間取りも様々な理想からもピッタリなのではないだろうか。でもお金がないのでちょっと無理。それに夫は、娘が中学生になったらと言っていた。娘が私立にいくならそういうのは無理だろう。でもだからと先に住宅にお金を使ってしまっては、子どもの教育費に響くと思う。医者になりたいと言った夫を経済学部に入れて家を建て替えた姑のようなことはしない方がいいと思うのだ。でも姑も良かれと思ってそうしたのだろう。舅は経済学部の強みを生かして割と大成したのだ。多分夫に合っていると思ったに違いない。

そんなこんなで、お金が何処かから降ってこないかと思っている。ひねればジャージャー水のようにお金が出てくる蛇口はないものか。『はちみつとクローバー』に出てくる森田先輩は、永遠に世界中の小学生から5円づつ巻き上げる仕組みを考えたいと言っていた。私も昔からそう思っていたが何も思いつかないでいる。何かないだろうか、いきなり私のラノベがドラマ化か映画化されないだろうか。あのラノベ、様々な問題提起や未来予想を書いて、だんだん現実になりつつある。我ながら面白いと思うがそう思うのは私だけなのだろうか。

夫に画像をメールで送ってみた。着信拒否はこちらからは送れるようで、ワイン買ってきてと送ればちゃんと買ってきてくれる。マンションの画像をみて、「お金がないから無理です」と返ってくると思うが私には届かない。夢が現実になるおまじないでもやってみようか。理想のマンションに住めるというおまじないが何かあった筈。ちょっと前は子ども達を九段小学校に入れたくて、物件をみつけておまじないをしようと思ったがやめた。息子が豊洲小学校から出たくないと言ったのだ。でも今回は同じ学区内、自分の部屋も貰えるというなら喜ぶのではないか。みんな自分だけの部屋が欲しいのだ。子どもは籠るから自室を与えない方がいいというのは間違っていると思う。自分だけの空間で、静かに想像力を養う時間は必要なのだと思う。あのおまじない、早速やってみようと思う。


【今日の小確幸】

土曜日なのに家族がいない、幸せ♡

昨夜ふと目覚めると、私の背中に母がいて私のお腹に手を回していた。私は息子を背中から抱っこして、ポカポカだった。ポカポカとぽかぽかに挟まれてまたすぐ眠ってしまったが、DNAというのか命の脈絡とした繋がりを感じて不思議な気持ちになった。母もお母さん、私もお母さん、この小さな息子もいつかは親になるのだろうか。ずーっと気の遠くなるような太古からの命の連鎖を想像し、自分がひとつのパーツになった気がした。DNAからしたら私の思惑なぞどうでもよくただの乗り物だろう。そう思うと命を繋いだだけで役目は果たした筈なのに、その後も塾だピアノだサッカーだバディだと右往左往している母親というものが滑稽に思えた。とはいえ私も豊洲に戻れば滑稽な母に戻るのだろう。より良い伴侶を得るために、偏差値をあげねばならないと思うのか。学歴や家柄より、丈夫で朗らかで子ども好きな人が番いに来て欲しいと思う。

さて、今日は実家に帰省し初めて用事のない一日、花見を兼ねて墓参りでも行こうかと思った。夜は夜で用事があり、思えば実家で暮らしている時も、いつも出かけていてあまり家にいなかったような気がする。時々は叱られたが割と野放図だったような。高校受験の時だけ少しの間勉強しろ勉強しろと強制された事があり、言われて勉強するのが嫌で家出したことがある。修学旅行で行った三保の松原の旅館に一泊した。叱らないから帰ってこいと言われ帰ったが、すっごく叱られ校長先生にはdisられ、大人は嘘つきだと思ったが勉強しろと強制はされなくなった。内申書がどうだったか知らないが、無事第一志望には受かった。担任の先生が翌年どこかに転任になり、飛ばされたのではと心配したが、後に校長先生になったと聞いてホッとしたりした。そう思うとやはり私の血を引く家の子どもたちは、勉強を強制するのはダメなのではないか。夫は席取りのためにもう息子をサピックスに入塾させるという。新二年生の席はもうないのでキャンセル待ちの後入塾テストを受けるのだという。私は大反対だが夫は勝手にしてしまうだろう。でもこれも豊洲に住む宿命のような気もする。もちろんそうじゃない人も多いと思うがそういう人もたくさんいる訳で、ゲームをさせない買わないという家庭、というより私の教育方針と同一視していいものか迷ったりする。ブレのないのが夫だけで、頑固そうに見えるが人の意見に左右されやすい私は流されるままなところがある。仕方ない、なるようになるだろう。それに夫は息子にはそれほど熱心にはなれないようで、娘には悪いが隠れ蓑になって夫の魔の手から守ってもらおう。娘は今の状況を受け入れて生きるという。私なら家出するというと、ママは田舎の出身だから勉強とか受験の大切さがわからない、などという。確かにそうかも、キリギリスだものと思う。まあ時々遊びに連れ出したり一緒に料理手芸したり、息抜きさせてやろう。夫はママは悪い友達だから遊ばないでというが、ずっと篭って勉強する小学生なんていたとしたら頭おかしい。娘は机に座り、勉強するふりをしてお絵描きしたり好きな本をみたり、ひとりだと勉強なぞ全くしない。私にそっくりで安心する。医者や官僚より、舞妓か手芸家にでもなったらいいのにと思う。お多福顔の娘は舞妓になれば人気が出るだろうし、手芸家は好きなことなら一生出来るだろう。

それにしても実家の御飯は美味しい。究極のソウルフードは母親の作る食事だろう。私ももうちょっと朝ごはん頑張って作ろうと思った。夕べの残りのシチューなぞ食べた覚えがない。いつも炊き立ての御飯にお味噌汁、唐揚げ海老フライ、漬け物お浸し季節のお惣菜、いただきものだという名物や珍味などなどが朝から並ぶ。それらがない時など一度もなかった。母は偉大だと改めて思った。息子は父と散歩がてら鳩とパンとジュースで朝食を済ませたそう。色々反省した。

※つくしが卵とじになった。

アオサのりはもう右横にあるだけに。最後は醤油をつけて御飯に乗せて食べた。もっとたくさんとってこれば良かった。とれる場所は、ここには書かない。ネットに書くとあっというまに取られてなくなってしまうから。土筆も筍も沢蟹もみんなそう。猪の群れに荒されるように、みんな滅茶苦茶になるに決まっている。育つ暇なく荒されれば枯野になるしかない。

育つ、育てるといえば、母は野菜や花を育てるのがプロ級に上手い。枯かけた苗なども元の片鱗がわからなくなるくらい育つ、育ち過ぎて木になってしまうものもある。そういう人のことを「緑の手を持つ人」と言うそうで、母の緑の手にかかれば元気のない植物はあっという間にイキイキしだす。昔は鬼の形相で怒られたりしたが、今はいつも穏やかにニコニコして、私の話をうんうんと聞いている。一体いつからこんな風になったのだろう。家にはいつもあちらこちらからの差し入れがある。息子は近所の方からお姉ちゃんの分もとおこずかいを貰っていた。だから家の前を通る人には、誰にでもちゃんと挨拶をしてといつものように母が言う。ああ、これかあと思った。いつも誰にでも顔をみたら笑顔で挨拶をして。若いママが私に言っていたのだ。豊洲では挨拶しても返事は返ってこない、私はいつまでもいつまでも挨拶を続けて損をしたと思っている。あそこは自分が得になる人にしか挨拶をしないコミュニティだ。そうでない人にはへの字口で何も見えないかのように通り過ぎる。豊洲はほぼ全員が地方出身者ばかりで、盆休み正月はマンションの駐車場がからっぽになる。一体全体どんな土地出身なのだろうと思ったりした。地元に帰ってもそうなのだろうか、多分親には私と同じように言われているのではないだろうか。色々な意味で微妙な気持ちになった私は母の言葉を聞こえないふりをした。自分が都会の人になった気持ちになった。都会の人は聞こえないふりも上手い。おこずかいをくれたのは一体誰だろうと思っていたが、息子が覚えていて母に何やら申告したそう。一体誰なのよ。息子はどこにいっても逞しく生きるだろうと思った。

※小さく干からびていたローズマリー、育ち過ぎだろう


【今日の小確幸】

土筆の卵とじが美味しかった。

注意:今日は姑が家にいます。娘ネグレストで児相に通報しないで下さい。…と思ったら、電話したらまた夫がいた。そんなだから出世しないのよ。

息子は朝早くから父と近くの河原へ魚と鳩にパンをやると出かけていった。私は母とのんびりとあれこれ作りながら料理談義。昨日とってきた土筆とアオサを味見したりした。土筆の下処理は、袴をとり沸騰したお湯に重曹を小さじ1入れて火をとめ、そこに洗わずに入れてそのまま冷ます。お味噌汁の具にしたり佃煮にしたり卵とじなどに。私はそのまま食べた。土筆を洗わないなんて知らなかった。茹でてもダメなんだそう。

※海の近くの原っぱに


※働き者の手

アオサは私の担当。よく洗い、生なら天婦羅や酢の物、お味噌汁の具に。保存はキッチンペーパーで水分をとりレンジを何回もかけて乾燥させる。海のアオサは山育ちの母は食べ方を知らなかった。

※全部アオサ

※海は食料庫

※もっととってくれば良かった

帰ってきた息子はずっと父にまとわりつき、プランターのあれこれに水をやったり収穫したり。

※エンドウをとる息子。豆棚がなぎ倒されてメチャメチャに

さあ、今日はどこに行こうかな\(^o^)/
Where do you want to go today? 


【今日の小確幸】

近所の人に貰ったきのこが美味しかった。母の兄に教えて貰った食べ方を母に教えたら、美味しいと喜んでいた。

※ほとんど食べてしまった。

注意:今日まで夫が休みで家にいます。娘のネグレストで児相に通報しないで下さい。


楽しんでるよー(^_^)v







刈谷ハイウエイオアシスすごい。一般道から来られるのが益々すごい。

電源なくなりそうなので今日はこれで終わり。これから南知多のまるは食堂にいく。

【今日の小確幸】


※えびせんべいの里、試食じゃない食べ放題。どれも美味しい

注意:夫が休みで家にいます。ネグレストで児相に通報しないで下さい。

昨日からの予定だったが、雨だし娘が熱を出すわで今日に変更。予定通り5時丁度くらいに息子と家を出た。これから実家に帰省するのだ。今までは子どもが小さかったので新幹線だったが、今日は青春18切符で帰ることにした。息子が生まれた時に、大きくなったらリュックで日本国内を回りたい、しかも青春18切符でとずっと思っていた。まだ小さいかもしれないが、もう大きくなったともいえるだろう。熱海から沼津まで来て、この後静岡で乗り換え浜松にいく。最終目的地は名古屋だが、青春18切符は途中下車も可能で、息子に砂丘を見せたいと思ったのだ。 

熱海で買った鯵の押し寿司を車内食べる。さすが東海道本線、車内で食べられそうな座席がちゃんとある。先頭車両の一番前に、ドアを挟んでふた席だけぽつんとある席、そこで朝食。朝起きて何も食べずこれしかないせいか、息子もすごくよく食べた。旅のお弁当というより「食料」といえるだろう。もうしばらく何も食べられないと言ったせいか、2/3は息子が食べた。珍しい鯵の押し寿司、うん、美味しい。でも次は違うのを食べたい。

運転手が交代して、運転席のカーテンが開いた。息子は狂喜してガラスにへばりついていた。電車が好きなんだなあ、男の子なんだなあとニコニコしてしまった。

※富士山もゆっくり鑑賞出来る

※熱心に見ている息子

※うん!ふつうに美味しい

朝は、楽しみで楽しみでパッと目が覚め電車に乗ってもあれこれと話す私に対し、息子は眠いのかぼおっとしていたが熱海あたりから逆転。私はお腹が満たされぼうっとしてしまい、息子が調子が出てきて騒ぎだした。

ゲームか何か持ってくれば良かったかと一瞬思ったが、それでは青春18切符の意味がない。あれこれ相手をしていると気が済んだのか、今度は眠ってしまった。私も終点浜松までしばしの休息。やれやれ。途中でリュックを背負った子どもの集団が乗り込んできて、息子の帽子を忘れたのに気がついた。「先生」と呼ばれる人がいるのは何か子ども会か。今は10:29天竜川駅。色んな名前の駅があるものだと感心する。

浜松到着。中田島砂丘に向かうバス停に移動するが、たった今バスが出たばかりのよう。ガッカリしていると息子がお腹空いたなどという。前に浜松に来た時に食べた鰻の名店が目の前、すぐに砂丘に行きたいと怒る息子をなだめ、店に行く。2人で櫃まぶし茶漬けを頼みシェア。相変わらず美味しかった。また戻るとバスがいったばかりだという。また息子に叱られ、ベンチに座る。

※店に着くとニコニコになった息子

※息子はそのまま私はいきなりお茶漬けで

電源がなくなりそうなのでまずはここまで。今日は暑くなってしまった。帽子は忘れたが日焼け止めはもってきた。よかった。

2016.04.29続き

鰻はちょうど名古屋と東京、中間の味だった。名古屋の鰻というのは炭火でバリっと焼いている。なので刻んで櫃まぶしにして丁度いいのだが、東京のは蒸してから焼くせいか、ふわっとしている。最初東京で鰻を食べた時「これ、好きじゃない」などと思ったが、美味しい名店で食べてからは東京の鰻が大好きになった。いつもというか、年に一度くらいだがお邪魔するのは「尾花」というお店で、東京の鰻ランキングでトップになるお店。私はたまたまこの店の近くに住んでいて、夫とのデートでよく訪れた思い出の店でもある。最近は値上がりしたのと我が家のお財布事情双方の理由で年に一度くらいになってしまったが、ここ以外のお店では食べたくないと思うくらいの名店。店の佇まいや店内の江戸情緒といい、このままずっと続けて欲しいお店。もしキンピカのビルに建て替えるなんて知ったら店にデモに行きたい、と思うのは私だけではない筈。

と、話が逸れたが、浜松の鰻は本当に美味しい。鰻の大好きな息子も満足そうで「美味しかったでしょう」と威張ってしまった。その後はバスに乗り、「中田島砂丘前」で下車。目の前に大きな石の看板があり、このすぐ後ろが砂丘だとわかる。というか、昨年のシルバーウイークにも名古屋の途中で浜松で下車し、同じ店て鰻を食べて砂丘にいった。そうだ、浜松グランドホテルに二泊したのだった。これは叔父と私と娘の三人旅。叔父の新婚時代は浜松がスタートで、帰省ついでに一緒に行かないかと誘ったのだ。この時は今回と全く逆のリッチな旅で、息子と娘は本当に何もかもが正反対だとまた思った。このリッチな旅についてもいつか書きたい。娘がフォアグラを食べて未だに美味しかったもう一度と言い続けることになったフレンチの名店の話も書きたい。思い出深いものがこの時もたくさんあった。

さて砂丘に到着。息子は元気いっぱいわーっと大喜びで走っていってしまった。

※待って!

私は焦って走るが砂に足をとられなかなか前に進めない。海にさらわれたらどうしようと泣きそうになり進んだ。やっと到着すると、息子が海岸で遊んでいた。

※来た方を振り返る

大きな棒を拾って勇ましく海に立ち向かっている、と思うと波を怖がり戻ってきたり。ちゃんと遊んでいるのでほっとした。私は近くで貝や石など広い、自分の影や風景を写真にとったりして遊んでた。

※スマホでパ写☆

はあ、海っていいわね、豊洲の海なんて工業地帯だったせいか、なんか愛想もそっけもないぽかんとした海だけれど、こうやって自然のままの海というのは風情も情緒もあっていいわなどと独り言ちる。


※箸置き用の石、何を描こうかな


※ふたりとも靴がボロボロになった

※波と格闘中

するといつの間にか息子が隣に来てべそをかいている。聞くとズボンが濡れてびしょびしょになったと困っていた。あらあら元気いっぱいというけれどやっぱり都会のもやしっこ。海水に塗れたくらいで泣いちゃって可愛いわあ。でもそんなことだろうと着替えは一式持ってきている。靴は遊んでいる間ここで乾かせばいだろう。「着替えあるから大丈夫よ」というと、目がきらっと光った。また元気いっぱい波と戯れだした。ふふふ、可愛いわ。命も一緒に洗濯しちゃいなさい、なんて思った。

私は細長い石を拾うのに夢中になった。来る途中、細長い石にペイントし花や植物の絵を描いて露店で販売しているのをみかけたので、自分でも作ってみようと思ったのだ。そうか、ここで拾った石なんだ、私も東京で売ろうかなあ石はただだしボロいわなどと熱心に選んでいた。息子が気になりふと見るといなくなっている。どこにもいない、私はどきんとした。心臓が凍り付くような気持ちになり周りを見渡すがやはりいない。どうしようと思った瞬間、息子が拾って遊んでいた棒が横たわっていてしかも二本に増えていた。よくみるともう一本は息子だった。もうびしょびしょになっていいと思ったのか、濡れた砂浜に横たわって波と勝負していたらしい。


※体を洗濯しろなんて言っていない

じっとこらえて波が来るギリギリまで我慢、波が来たらばっと起き上がって逃げるという遊びを延々としていた。頭を抱えてわああああああ!と叫びそうになったが、まあ濡れちゃったし、着替えもあるしと好きにさせることにした。何度も何度も波をかぶり満足したのか息子が帰ってきた。寒いというので着替えさせようとするとここでは恥ずかしいという。もーっあなたのちんちんなんて誰も見ないわよ!と悪態をつきながら松林の中に連れていく。

以前娘と来た時に、「今度来た時に荷物があったら隠そう」と思っていたスポットを探すと果たしてそのままあった。そこで息子を着替えさせ隠した荷物を引っ張り出す。場所は内緒。息子は驚いて、どうしてこんなところがあるのか、荷物置き場なのかと聞くので「日本全国忍者の会の会員はここを使っていいことになっている」というと納得していた。

※私も根性試しをしてビショビショに

着替えてバスに乗りまた浜松駅から名古屋を目指す。途中岡崎に停車し、愛知環状線の乗り換えだと気が付いてそちらに乗ることにした。愛知環状線は青春18切符では乗れないが、ここで乗り換えると直通で帰れるのだ。

岡崎で何か美味しいものはないかと息子と店を冷やかし、お菓子を買って鉄道に乗る。帰りは岡崎城に寄ってもいいな、などと考えながら、息子と面白い話を交互にしながら列車に揺られる。私が思いついた一発ギャグが受けたようで、息子はお腹を抱えてずっと笑っていた。ちょっと静かにしないとまずいかなと「ちょっと、ご迷惑よ」と急に母親ヅラして注意したり。環状鉄道にこんなにずっと乗ったのは初めてで、色々な駅の情緒を楽しめた。どの駅名も全部懐かしい。鈍行の旅って本当に楽しい。ゆっくり進むから駅も景色も楽しめる。色々考え事をしたり目の前の息子をかまったり全然退屈しない。


※可愛い奴め

※こんな作品も

息子は石で石に文字を書いて遊んでいた。発想の面白さに驚き、めっちゃ褒めた。息子は天才だと思った。小1のテストで0点なんてなかなかとれないよ。やはりゲーム置いてきて良かったと思った。

しばらく字や絵を描いていたが飽きたのか地図を見せろというので一緒にみて、Googleマップで自分たちが線路をゆっくり移動するのを確認したり、こんなにきたんだねとか、ここには何があるとか、色々話した。本当に便利な世の中になったものだ。特にスマートフォンは悪の権化のように思っていたが、こういう時は本当に役に立つ。乗り換え、マップ、街の情報、写真も撮れるしメールも音楽も。この小さな薄い板で全部できるなんてすごいよすごい。バッテリー一回分がチャージできる小さな充電器を持って行きやや最後不足になりそうだったが十分だった。

駅から家までも当然徒歩。娘の時はタクシーを使ったっけ。息子は自分が担当で育てているという認識なので、こういう時も贅沢はさせない。「疲れたよ」と愚痴りだしたので、「名古屋では疲れたを「えらい」っていうの。偉いのえらいじゃなくて、えらい。ママのお友達に言うと褒められるよ」というと、面白がって「もうえらい」と言い出す。そこからさらに「えらいでかん」というのは「もう本当に疲れた」という意味だとか、「もう怒った」というのは「まーかん」という、などと名古屋弁講座をしながら歩いた。

帰り道をちょっと遠回りして、大好きだった焼き肉屋に立ち寄った。両親も誘えば良かったとチラと思い反省。お肉は昔ながらの美味しいカルビとシロコロ、変わっていなくて嬉しかった。息子もたくさん食べてくれた。

満足して実家に帰ると母がびっくりしていた。「来たの」などと驚いた顔、でもすぐ息子に気が付いて笑顔になった。私が連絡もなく帰省するのには理由がある。それは妹からの助言、ママは帰る帰るって前以て言われるのが好きじゃないらしいよ、支度しなくちゃとか何を食べさせようかと考えてへとへとになるんだって。来るなら黙ってさっさと来て欲しいと言っていたそうでそうしたのだ。焼き肉を食べてきたのでお風呂を頂いてさっさと寝た。息子も蒲団に横になるとすぐに寝てしまった。ママンも相かわらずの早寝。挨拶もお喋りもそこそこに、いつも帰る家のように眠った。疲れたけれど本当に楽しい列車の旅だった。


【今日の小確幸】

※美味しかった

注意:夫が休みで家にいます、児相に通報しないで下さい。

昨日は家事を何もしなかった。した事と言えば自分のコーヒーを淹れて飲み、カップを洗ったくらいか。そんなだら子は、「家の中にタスカジさんがいるのはいいなあ」デレデレはしないがそんな風に思った。仕事が休みの夫は、朝も子ども達にご飯を食べさせ、「あれ持った?帰ったらドリルやって」と甲斐甲斐しく世話をやき送り出してくれる。食器を洗い洗濯物を畳み、新聞を縛っていた。私はブログ書きの後、息子の関係書類を書いたりり本を整理したり、まあどうでもいい自分のやりたい事をしていた。昼近くなり夫が買い物と図書館に行くと言うので外で何か食べようと言うと、いかないなどと言う。たまにはいいじゃないと自転車で出かけた。


※公団の植え込み。解体工事が始まった

昨日夫は何も変わっていないと書いたが、結婚した時から考えると別人のようだ。昔はこんなではなかった、少なくとも家事は全部私がやっていた。夫は本当に何もしない、出来ない人だった。買い物から帰ると子どものように包装紙を散らかし買ったものは放置、時間があればゴルフ練習、休みはゴルフ、パソコンの前にいつまでも座りお茶や珈琲を淹れてもらい、仕事だって社畜のように会社に早朝出て深夜に帰ってきた。私は一緒に早く起き帰るまで待ち、遅い夕飯を食べたりした。姑のように夫の面倒をみて尽くし倒していたのだ。ちなみに私の母も同じ家族のために滅私奉公タイプ、母をみていて女は結婚すると損だと思ったのだろうか、いつまでも結婚する気にはなれなかった。それでも結婚したいと思ったのは何故だろう。結婚してからの10年の歳月は私も変えた。というより、お互いの地が出たという事ではないだろうか。

もともと夫は働き者で、私はナマケモノだ。夫は蟻で私はキリギリス、最後の最後は住む家も食べるものもなく、恥ずかし気もなく蟻に頼る昆虫は、物語の後はどうなっただろう。蟻の巣に入り込んだからには最後は食べられてしまったのだろうか。それとも私のようにいつまでも居座り続けたのか。以前鬱になった時に、鬱チェックというものをした事がある。それにこんな項目があった。「あなたの仕事をいつの間にか誰かがしている」これは例えば主婦が鬱で家事や育児が出来なくなり、代わりに誰かがやるようになったかどうかとか、会社なら自分の担当の仕事を誰かがやるようになっていたとか、そういう事らしい。思えば近所の人間関係やバス停で色々あった時は相当悩んでいて、色々な事が回らなくなった。夫はその頃から食器を洗ってくれるようになった。そこから料理、洗濯、育児もなんだかんだするようになり、近頃は掃除、というよりダイニングまわりだけは散らかさないようになった。掃除は未だに苦手のようだが、もう私がいなくなっても困らないだろう。

私は息子を産んだ時にひとつの決心をした。実家も姑も丁度病気をしていて当てにならない、自分が全部やるとなるとヘタレでナマケモノの私は耐えられないだろう。この人を鍛えて家のことをやって貰おう。そうしたら息子も結婚した時に家事育児をする人になるはずだ、息子の教育にもなると。男だから何もしないという時代は終わったのだ。

夫を鍛えるのは想像以上に時間がかかったが、予想以上に上手くいった。大学に通い始めた時に、何もかも手をつけず玄関を出たりした事もよかったかもしれない。遅刻や欠席で単位を落とす訳にはいかない、第一に授業料が勿体無いし、学校となるとキリギリスは蟻に変身する。好きなことだからだと思うが、我ながら大したものだし呆れたものだとも思う。最初の頃は家の中の事や、何を食べたらいいとか不安そうな夫から細々と電話やメールがきた。適当に食べてというと、何が適当なものなのかわからないという。そんなところから今ここ。

料理も美味しいし、あとサラダなど野菜をもう一品つけるようになればと思うが、色々言えばキリがない。豊洲のキャナリーマンの中では一番の、と言うより唯一無二のイクメンだろう。夫はパパ友なぞ妙なものは作らないし、変に群れて時間を潰すくらいならその分子どもに時間を使いたいという。好きなゴルフも子ども達が自立するまで止めると言って本当にやらなくなってしまった。この辺りも凄いなと思うが私は真似できない。もうそういう風に育ってしまったのだろう。姑がそういうタイプで、家族のために身を粉にして働く人だ。この人の息子ならよく働くだろうと結婚したが間違っていなかった。良き家庭人どころかママみたいになってる。もういつ私に何かあっても逞しく生きていくだろう。息子が高学年になれば一人で留守番も出来るだろう。そうなったら本当に私は必要なくなる。楽しみなような、不安なような。

夫とランチに出かけたのは、豊洲フォレシアビル。たまには違うところにと思うが、どうもしっくりくるのか最近はランチというとここに来てしまう。今日は「青ゆず寅」という和食の店に入った。夫が限定10食のブリ大根定食を食べたいと言ったからだ。これが書いてある看板をみた時から、夫はこれが食べたいと言うだろうと思ったら果たしてそうだった。夫は限定に弱い。夫婦は以心伝心とか阿吽とかいうが、長い時間一緒にいれば嫌でもこうなる。私は刺身定食を頼み、案庵とどっちが美味しいだろうなんて話しながら待った。白木のカウンターに白い調理服に帽子の板前が大勢並んで、全員熱心に調っている。こういう店は美味しいよなんて言っていると定食が運ばれてきた。お運びの説明で、私の定食の刺身に飛び魚があると知る。「食べたね」と言うと、いつもは鈍い夫から「食べたね」と返ってきた。新婚旅行で屋久島に行った時に、名物のようであちらこちらで飛び魚料理を食べた。思い出して言ったのだが、すぐわかったよう。夫の頭の中にも海岸の海亀や、夜にみた天の河がもくもくと現れていただろう。子どもが生まれたら一緒にまた来たいなんて話したような気がする。あれから10年経ってしまったなんてまた思った。

※夫のブリ大根定食

※刺身は6種類も。ごはんお代わりした。

朝から家事を全部やってもらったのもあり、飛び魚で色々思い出し、珍しく優しい気持ちになった。昼にこんな豪華な食事が出来るのも夫のおかげだろう。なんの取り柄もない私と結婚してくれて、相変わらず食べさせてくれる。思いつきで毎日過ごしているような奥さんだし、家事育児が満足だとは言えない。大学だの叔父をみにいくだの学校のイベントだ付き合いだのと土日は半分くらいはいない。こんな贅沢な私、ボスママ軍団に目をつけられてイジメられるのも当然かもしれない。女は群れると嫉妬や残虐性が増幅する生き物だ。それでなくとも私は誰かを羨ましいと思わない、自分以外の人になりたいと思ったことも。性格もあるだろうがそれは結婚してから特にそうなった。だからあのボスママに目をつけられたのかもしれない。それ以前はそうではなかった。これらは今目の前でしょんぼりとブリを突く人がくれたものばかりだ。

「ありがとうね」と自然に声が出た。「何が?」言われなれていないせいか夫が虚どった。「こんな風に美味しいもの食べられて、あなたのおかげだね」夫はびっくりした顔をしていた。「何を急に」などと。「あなたと結婚出来たのは上出来だと思う、良かったよ」夫はしばらくブリを食べながら黙っていたが、急に思い出したように、娘が中学生になったらリフォームかマンションを買い替えようなどと言い出した。新しい家になってもよろしくという意味なのだろうか。突然なによと思ったが聞く事にする。リフォームが高くつくようなら、今のマンションを売って郊外の広い物件を買えばいい、今なら差益も出るなどと。

豊洲が嫌であんなにそうしようと訴えた時は絶対だめなどと言っていたのに、どうしたのだろう。今は逆に私がそんな気持ちはなくなっていた。嫌なことも多いが危険は少ない。子どもの遊び場も結構あるし、安全だし、子どもを育てるにはいい街だと思う。子どもがごちゃごちゃと大勢いるのも、小さな頃からこれだけストレスを感じて育てば逆に強くなるかもしれない。そしてこんな便利な場所が他にあるだろうか。それにまた一から人間関係を築くなんて、もう無理だし面倒だと思う。悪い人もいるが誰が悪いか知っているので注意して過ごせばよい。人は悪い顔を隠して生きている、それが分かるのに10年かかった。また10年をそんな事に使いたくない。それに引っ越ししたら私がキャナリーゼでなくなってしまう、物語が終わってしまうではないか。私はもうここで最後を見届けたいのだ。

「リフォームするとしたらその間どこに住むの?」と聞くと、「えっ、どうして」などという。工事の時はリフォームしない部屋に家具も荷物も入れればいいなどと言う。じゃあ私たちは何処で寝るのかと聞くと、ああそうかと。まだまだ私がいないとやはりだめなのかと、いつもはウンザリするが、今日はちょっと安心した。

店を出た後はコンビニに向かう。ブレンドSをアイスコーヒーSのボタンで買って渡すと驚いていたが、濃くて美味しいかったのか「これすごいね」と喜んでいた。「コンビニコーヒーって、売り上げすごいらしいよ」と言えば知ってるという。日経よく読む夫は日経ビジネスも愛読している。私もどちらかというと、こういう話しの方が好きだ。あの社長に変わってから業績が落ちたとか、海外進出は今はダメだろうとか、コンビニコーヒーは子会社化すればもっと伸びるだのアレコレ。結婚する前はこんな話しばかりしていたので話すのが楽しかったが、今は子どもの事ばかりで対立する事が多い。あの頃の夫は「結婚したら夫婦は別々であるべき」なんて面白い事を言う、しかも「子どもは苦手だからどっちでもいい」などと。なので気に入って結婚したが、蓋を開けたらそんなことは言っていられなくなった。子どもも生まれ息が詰まりそうになった。「自由がない」と飲み会で泣いたあの人の気持ちは痛いほどわかった。私だけでない、みんなそう思った頃があったのだ。でもあの旦那はないと思うヨ

濃いコーヒーが好きな夫は、一瞬で飲み干したようでカップはすぐ空になった。私のコーヒーを半分カップにいれてあげて、木のベンチに座る。「ね、乙武くんのニュースみた?」と言えば「すごいよね、なんか…」などと話を合わせてゲスな事を言う。夫は誰かやその場の空気にスルリと馴染んでしまうカメレオンのような人、顔も似ているかも。医者になりたかったというだけあり、頭も悪くない。何故こんな人が出世しないのか不思議、やはり私のせいなのだろうかと珍しく殊勝な気持ちになる。それとも東大じゃないせいか。こういう打てば響くような反応の仕方は息子がそっくりだ。また以心伝心なのか私の考えを見透かすように、「娘は君にそっくりで困るよ、塾の先生も昨日…」などと話し出す。やはり塾の話し、しかもまた娘の愚痴から私に文句を何か言いたいのだろう。慌ててコーヒーを飲み干し、「買い物行くんでしょ、私はららぽーとに用事があるから」じゃあ!とさっさとららぽーとに向かう。が、しっかり食べたせいか眠くなり家に戻った。

誰もいない家でしばしうたた寝。人知れず野に咲く小さな花のように、夫の影になり支えて生きようと思っていた。その小さな花はいつの間にか実を落とし、太々しく根を張り巡らせている。子どもを産んだ女はみんなそう、ほんと図々しい人ばかり。自分の事は棚にあげてそう思った。

「全くお前はいい身分だな」と叔父の声が聞こえたような気がした。


【昨日の小確幸】

ブリ大根が美味しかった。家でも作ってみよう。

福山雅治が最近付き合いが悪くなり下ネタも封印しているそう、おもしろくなくなったともっぱらの噂なのだとか。口癖が「うちのハニーが」で帰宅時はお土産を欠かさないかえるコール終わったコール今日のご飯何コール。いいではないかと思った。私は福山雅治はそれほど知らないの。お兄ちゃんというあだ名があるそうで、何か役をやったせいとか、永遠の独身が吹石一恵と結婚したとかニュースで見るくらいだ。でもこのニュースを知り好感度があがった。結婚して変わるのは当然、それも良い方にならいいではないか。西島秀俊もそうだし、吉川晃司もそう、江口洋介など結婚しで株を上げた元祖ではないか、こちらがお兄ちゃんだったか。ドラマの事はよくわからない。そしてまた話がここに来る訳だか、もしうちの息子がこうなったら母親としてほっと胸をなで下ろすだろう。早く可愛い赤ちゃんを、一日も早くと下衆な事をつい思ってしまう。こういうのはマタハラの一種らしく、発言も気を付けたほうがいいのが今の世の中。でも子どもって可愛いですよ。女の子が生まれたりしたらもっと人格が変貌すると思ううちの夫のように。そんなニュースもみてみたいものだと思った。そう言えば元世界銀行のあの人に嫁はきたのだろうか。

次に乙武洋匡。もう、なんというか、色々検索してしまった時にみたイラストやあだ名秀逸過ぎて胸アツ。普通、障害者の方を揶揄するのはタブーなのだが、こういう事が明るみに出てしまっては奴らは容赦しないだろう。そしてならばという空気も出て、今までのようなままではいられますまい。それにしても、なんていうか、本当にすごい人だと思う。本当なんだろうかとつい思ってしまう。5人彼女がいたというが、ヘルパーの間違いじゃないだろうか。でも写真も出ているし、本人も認めているしそうなのだろう。もう或る種軽々と色々な意味で「タブーを超えた」方だと思う。この方に世間はいつもびっくりさせられてきた。一番最初に世間に名を知らしめた、「五体不満足」も驚いたが、そのあっけらかんとした様子にもっと驚いた。私映画も観にいきましたよ娘と。すごく良かった。私は特段ファンという訳ではないが、さかなクンカテゴリのみんなのアイドルだと思っていた。なのに。すごいなあ。法的にはアウトだけれど、うん、なんていうか、なんて言ったらいいの?DNAの強さにおいては地球上で必要な人だと思う。生きて!

その流れで、さかなクンの話。さかなクン、私は大好き。テレビチャンピオンの第一回魚選手権の時からのファン。うちの妹はテレビをみて感激してさなかくんにファンレターを送った。返事がすぐきて、丁寧な字とたくさんのさかなのイラストが描いてあった。何度か交換したらしいが、いつの間にかなくなっていたよう。妹に結婚したらなんて言っていたが、そんな気はなさそうだった。でも今思えば、お互いのためにもっと押すべきだったかなあなんて思う。もちろんさかなクンはそんなの知らなかっただろう。でもでも。あちらこちらで講演されているようで、友達も芝浦工大のに行ったなどという。私も講演いきたかった。でも芝公園のさんま祭りのゲストでいらした時に会えた、あのまんまだった。明るくていい人。勝手に近くに寄って行った子ども達にも、今日はきてくれてありがとう、なんてシールまでもらった。結構美男子だと思うのに、魚は置いておいて自分を繁殖させて欲しいと思う。是非豊洲小学校で講演やってください。殖えて!

あと、ちらっとニュースに載っていたが、瀬戸内寂聴の『花芯』という作品が映画化されるという話。瀬戸内寂聴はこの作品を発表した時に、エロ作家などと噂され、それに反発したので5年間文壇から無視され干されたのだそう。「子宮」という言葉がよく出ていたのもあるし、登場人物が奔放すぎて「子宮でものを考える」なんていう表現も理由のひとつ、でもこれがあったから60年間書くことに執着できたと言う。私もそうなるだろうか。この頃はブログがなくてもそんな事で干されたり叩かれたりしたんだと驚いた。ネットのない時代、新聞や週刊誌、作家からの書評などだろうか。『色懺悔』とかタイトルだけで内容を想像してしまうが、この方も色々あったようで今のさっぱりとした様相からは何もみえてこない。最近は体の調子が悪く、ほうぼうで心配の声があがっている。いつまでもお元気で、もうひと花咲かせてください。

最後は、今日からユニクロでリバティのコラボ製品発売というマイニュース。ちらっとサイトをみてきたけれど、今のところ欲しいのはUVパーカくらいかなあ。ストンとした綿かリネンのワンピースが欲しい。リバティといえばなんか春夏と言うイメージ、だからこの時期に発売なのだろう。折りたたみ傘とかも欲しいな。「リバティロンドンワンピース、1,990円」なんて、テロリとした素材感どうせこれ化繊でしょうと思ったらやっぱり!68% レーヨン(モダール®),27% 綿,5% ポリウレタンとある。リバティは化繊にプリントなんかしたらダメなのよ。でもポーチ可愛いカメラケースにいいかも。ケースは綿、これは化繊の方がよくない?5月下旬にもまた違うデザインがいろいろ出るらしいから、次回を待つ。レゴシリーズのTシャツも出たみたいだし、息子と見に行こうか。

昨日はブログ2記事、ライターの仕事、記事再々提出、それから今まで採点された課題を見直し書き直したりして、一日パソコンで書き書きしていた。朝の8時くらいから夜の8時くらいまでずっと。普通にお勤めしている方からしたら毎日の業務量かもしれないが、専業主婦時々ライラ―の身の上としては非常に消耗した。夜も身体は疲れているのに頭は冴えている状態、あの記事を閲覧禁止にすべきかどうかうんうん悩んでいて余計に眠れなかった。でも朝起きたらいつもの如く、まあ仕方ないと思えてきた。恥は一時の恥、書いたら一生の恥。

また名言が飛び出したところで今日の書き仕事は終了。今日はもう書かない、ららぽーとに行くよ。家にずっといるのは好きじゃない、外に出ると気持ちがすかっとする。最近はげんきっずに行ってくれなくなった息子と豊洲内をあちらこちら、くらげのようにふわふわウロつくのも楽しい。図書館とかビバとかいつもの場所だが、もうすぐこんな風についてきてくれなくなるなあなんて。今日のコーディネート決まってるね、なんて褒めると満更でもない顔になる。ぐっ…(かわいい♡)また息子の話になってしまった。

そして今日は休みとかで夫がまた家にいる。子ども達は学校なので家に夫とふたり。うん、いやです。でもひとつ屋根の下に共存すること、これも私の仕事と思うことにする。そういいつつ、朝から夫はせっせと家事をやってくれている。タスカジさんみたいだ。ランチはまた何処か美味しいところに連れて行ってあげようか。でも連れて行くと、よくこんな店知ってるね、いつもいつも来ているんでしょうなどと言う。ママ友ゼロだからランチなんかしないよと言っても信じていないよう。そしてランチ時の話題は娘とSAPIXの話しばかりになるだろう、スマホの充電しっかりしておこう。私はどうもこういう話に興味がない。ついでに美味しいコンビニコーヒーの淹れ方も伝授しようと思う。やり方は簡単、ブレンドSを頼んでアイスSのボタンを押す。氷で解ける前の濃いコーヒーが飲めるのだ。夫はエスプレッソが大好き、きっと喜ぶと思う。あなたのハニーは賢いでしょう、よかったね。

※これ、リッチシリーズ中一番美味しいんじゃない?


【昨日の小確幸】

テスト記事がうまく書けた気がする。きっと大丈夫。

「児童相談所、警察、教育委員会に報告がいったってよ!」夫が会社から帰って来るなりにやにやしながら言い放った。私は、「で?」と一応返事をした。嫌がらせには反応しない、そう決めているがつい返事をしてしまう。私は本当に人がいいと思った。報告がいったのは本当かもしれないが、だからといってどうなる訳でもないということをもう知っている。何かの場合、例えば私が何か罪を犯してニュースになれば、あの時あんな事があったと面白可笑しくネットに書き込まれたりするかもしれないが、普通に生活している分には何も起こらない。通報ではなく報告だからだ。うちは一時期結構児童相談所に世話になったことがある。夫の罵声でどこかから通報が行き、その時は家に何度も相談員が来て、夫や私と話したり、子どもを連れて向こうに行ったりした。

自分の事を何度も言うのは嫌なのだが、私が家でドラッグでトリップした時に警察が…うん、言いたくないけどちょっと多めに来たことがあり、それから後1ヶ月に1回女性の刑事から、「最近はどうですか」と電話があった。1回2回くらいは真面目に最近の出来事などを話したが、3回目からはちょっとうんざりし出し、4回目くらいにははっきりdisった。「こんな事して何か意味あるんですか?私本当に忙しいのでもう電話してこないでくれませんか迷惑なんです。あなたは私の身を案じてじゃない任務ですよね?マニュアルにある通り1ヶ月に1回とか逆に失礼。それに警察って何にもしてくれないし出来ないじゃない。うちに来て洗濯ものでも畳んでくれた方が余程嬉しいんですけど」と。ここまで書いていて、向精神薬を飲んでいたことを申告するのを忘れていたことに今気付いた。言ったら警察ももうちょっと真剣に色々やってくれただろうし、もしかしてバディにも事情聴取にいってくれたかもしれない。「いじめがあったというのは本当ですか」などと。でもまあ後の祭り、というかその頃は薬のせいとは全く気が付かなかった。それにバディに知れたら「クスリをやってた」などとまた妙な噂が広がったに違いない絶対あそこは怒。医師の処方だが薬はクスリ。でも本当にそう、ああいう薬は絶対飲まない方がいいと思う。子ども達にもあれからよくよくそういうものには手を出さないでと言い聞かせた。 

話を戻して警察の話、そしてかかってくる警察の番号を着信拒否にした。他の番号からかかってくるかと思ったがそれからもう音沙汰もなくなった。着信拒否されたら任務完了、とでもマニュアルに書いてあるのかもしれない。それか、別の用事、ネットストーカーだのリアルストーカーだのパスワード流出だの鳩だの自転車泥棒だので何度も同じ警察署に足を運んだ。その時に色々な刑事と話をしたが、その時に話しの流れでブログの話をしたのであの女刑事も読んでくれたのかもしれない。色々と納得してくれたのかも。あと、パスワード流出の相談をした刑事にこういうブログって逮捕されますかと聞くと、逮捕されないけど大きな会社の法務部から手紙が来ちゃうかもなどと言われた。そしてブログには地名を出さないとか、特定されるような事は書かないとか初歩的なアドバイスを色々と頂いた。誰が読んでいるかわからないっていうのは怖いですよ、とも。自転車泥棒と鳩の時は、豊洲交番の警察官が二人連れできてくれたし。妙な捉え方をされると困る言い回しになるが、こんな風に警察には色々お世話になっているのだ。 でもあの時以来、眼鏡のおまわりさんは私が交番前を通りかかると、あからさまに目をそらす。豊洲菌かなあ、なんて。治して!

深川署の刑事さん達には、ブログの話からママハラの話を聞いて貰ったりもした。そういう人いますよね、署内にも?うん、でも敵対しないんですよ僕、仕事がしにくくなるから。私もです、でも何故かイジメられて。なんて。息子が虐められて幼稚園を途中退園したという話しに驚いたのか、そこからどうしたらよかったか、などとアドバイスを頂いた。娘が何度も酷い暴力を受けたが、相手は絶対認めず謝らなかったなどというと、そういう時は警察に来てくださいと言われた。それはいくらなんでもと言うと、暴力は学校じゃない警察の管轄なので、遠慮しなくていい、逮捕とか書類送検じゃなく行って話すことだけでも抑止力になるからと。なるほど~学校じゃなく警察が来たらそれは驚いてやめるかもしれないと思った、これからそうしよう。でもその男の子は私が会う度に「もう蹴ったり叩いたりしていないでしょうね!」と優しく話しかけるせいか、うちの子にはしなくなったよう。娘だけじゃなく息子も頭を叩かれたと泣いてきたことがある。知ってる?一回や二回じゃないよ?奥さんが飲み会から帰ってこないだのなんだのうだうだ電話やメールする前に子ども見てろ。

教育委員会にもというのは、夫が付け足したのかもしれない。夫は多分子どもの頃はいじめられっこだったのではないか。権力のあるものが大好きで、子どもの頃は「校長先生に言ってやる」などと虚勢を張ったのではないか。教育委員会に報告がいっても書類がどこかに紛れるくらいの扱いだろう。知り合いもいるので見たら「あーやってるな」くらいに思うかもしれない。今度会ったら聞いてみようか。なのでどこかに報告がいったとしても何も起こらない事を私は知っている。逆にいえば何にも起こらない、何も変わらないのだ。夫はあんなに色々なところからガツガツ言われても諭されても姑に言われても変わらず朝から晩まで大声を張り上げている。私は変わった。何度も言うがもう誰がなんと言おうと医師の処方だろうと金輪際ああいう薬は飲まないと決めた。飲まないと死ぬと言われたら死ぬ方がマシと答える。平常な心が戻り、大学の学業に力を入れ出した。今ここ以上前振り終わり。

以上のような報告がもし何処かからいった可能性があるとしたら、どこからいったのか。それは子どもの通う小学校からである。私はまたやらかしてしまったのだ。昨日10時頃、家のチャイムが鳴った。出ると娘の担任の先生と副校長が立ている。私は青ざめ、すぐにピンときた。夫が何か偉そうなことを小学校に電話で言ったのだろう。帰って来て聞けば、「学校として学校に行きたがっている子どもが困っているのでそのように行動してください」と言ったそう。ものは言いようだなと思った。これは先生に対する脅し、はっきり言ってモンスターペアレンツなる行為だ。自分の事情や感情で先生達に対して脅し、何かのアクションを求める。でもそれは私がやらかした結果であって、自分も深く反省せねばなるまい。私が娘を学校に行かせなかったのだ。

昨日の朝食はご飯と夕べの残りのシチューだった。息子が四角いお肉が食べたいというので、それも焼いて出した。息子はシチューと肉をおかずにご飯を食べて学校に出掛けた。夫も「ちゃんとプリントやって、いいか?今度やってなかったらもうサピックスやめさす」などと何万回言ったかわからない脅しを娘に吐き出しながら玄関を出て行った。残った娘。娘はいつもギリギリにならないと学校に行かない。私も幼稚園バスの時は同じようにバスの時間ギリギリにならないと降りていけなかったので気持はわかる。学校があまり楽しくないのだろう。もちろんママ友に言われるまでもなくブログのせいもあるが、それは言わずに「早く、早く」とせっついて支度をさせる。夫がいなくなると娘はのんびりとし出し、ねえママなどと甘えだす。いつもの朝の筈だった。

ダイニングを片付けようと見ると、娘の茶碗にご飯もシチューも半分残っている。いつもいつも、娘は私のご飯だと半分残す。「お腹いっぱい」「ママのご飯はまずいから」などと色々言うが、隠れてお菓子を食べたりするのを私は知っていた。みに行くとロッテのチョコパイがひとくち齧られて放置されていた。私は娘を叱ってチョコパイを取り上げ、床に叩きつけた。今日はもう許さない絶対、私は娘に言った。いつもいつも半分残すのはどうしてよ、もったいないじゃないお腹空いてないと言いながらこんな風にお菓子を食べて。別腹というのはわかるけど朝食だけ半分残すのは私に気にして欲しいからではないか、もう十分気にしているからもうこういうのはやめろ、朝も自分で食べられる分だけよそって食べてというと、息子はどうなのかと言ってくるので、息子はまだ小さいから熱い鍋などひっくり返されたら危ないし背が届かない台は危ないから高学年になったら、話を戻して今までもずっと言ってきたけど今日という今日は食べてなどと、すったもんだしていたのだ。遅刻するというので学校に電話をして遅刻しますからと伝えた。ついでにチョコパイを拾って食べた勿体無いから。

そのうち娘が夫に何度か電話をしだした。ママが学校いかせてくれないなどと。娘はいつもこういう言い方をする。確かにそうだがそうではない。あとひと口か二口のご飯とシチューを食べないという反抗をしてそのまま逃げるつもりなのだ。もう娘と私のパワーゲームになっていたのだろう。そのうち娘の担任から電話がかかってきた。夫が学校に電話したのだとすぐわかった。娘が夫との電話で「まだ来てない」などと話していたのでだれか来るだろう、児相か警察かと思っていたら先生だとは。先生には謝り、食事させたらすぐに行かせますと言った。こんな事で先生を使うなどと本当に申し訳ないと思った。娘は先生にも何事が訴えていたが、いつも先生を困らせている身でこんな時ばかり甘えてどうなのよとdisる。食べる食べないなどと揉めていると、今度は先生が来てしまった。しかも副校長と共に。「どうだ」と言わんばかりの夫の顔が浮かんで消えた。

家に上がって貰い正直に事情を説明するが、自分が馬鹿親だと申告している自覚はあり恐縮してしまった。娘が朝ごはんを必ず半分残すこと、勿体ないから止めさせたいが自分でやらず夫に盛り付けさせている。大盛りでも小盛りでも必ず半分残すのは私へのメッセージで、わかっているから必要ないやめてと言い合っていたなどと弁解した。先生はふむふむという感じで、ご飯にシチューを乗せてざざっと食べたら一瞬ですよねなどと言ってくれるが娘は食べない。帰ったら食べるよねと言われてそうするなどと言うが、そんな約束守られたことがないのだ。だが先生達がここに来たのは、反抗してご飯を食べない娘を窘めにきた訳ではななく、食事を理由に子どもを学校に行かせないという母親を諌めて子どもを連れにきたのだ。もう先生が来たからには娘を渡さねばならない。先生達に頭を下げて娘を送り出した。 

※記事に関係ないけど当たりが出た!シール3枚集めなくでもスプーンが貰える。

こう書くと、ご飯を残さないで食べろと躾をするように思われるかもしれないが、私は逆に「お腹がいっぱいになったらすぐ箸を置きなさい」と常々言っている。ご飯を残さず食べるというのは、過剰なカロリーまで摂取するという意味でもある。残さず食べ続けた結果、満腹中枢が麻痺して食べ過ぎるようになり、肥満になる。肥満は成人病の大きな原因でありその医療費と共に社会問題にもなっている。食事を適正量食べる習慣をつけていれば、それらは免れる筈だ。昔は学校給食もそうで、出されたものは絶対に食べるという指導だった。食パン3枚に小さなマーガリン、副菜はひじきの煮つけ、などとめちゃめちゃなメニューも手伝って、食べることが苦しくてよく泣いていた。なので無理には絶対に食べさせたくない、でも食事を手段にするというのはダメだと思った。お菓子を食べる余裕があるなら、残ったものから食べなさいと言ったのだ。でも先生達まで動員してしまうというのはもっとダメ、やり方が間違ったと思った。先生も朝じゃなくて夜指導したらどうですかなどと言う。御尤もで反省した。

帰ってきた娘は、ラップをしておいたご飯とシチューを鼻をつまみながら緑虫でも飲みこむような顔で食べていた。「はい、食べたよっ。もうママのシチューは二度と食べない」と言った。昼に同じシチューを食べたが、確かに今回のは美味しくないと思った。安いからと買った〇レアおばさんのシチューの素だからだ。シチューの素はハウスの顆粒のあれが一番美味しい、でもあれはやや高いので時々安いのを買うが、子どもはよくわかるのだと思った。特に私のシチューやカレーは、よかれと思って大根や香味野菜を入れたりする。それもすぐわかって食べ残したりする。自分のせいだがこういう理由で残すという意味、ちゃんと考えて欲しいとも思う。世界には食事も出来ずに飢えて死ぬ子どもが大勢いる、難民キャンプなど暖かいシチューが出たら〇レアだろうがなんだろうが奪い合いになるだろう。つい先日といってももう二年前だが、UHNCRの難民の日イベントで色々話したではないか、また行かねばならないのか。その前にどう教えたらいいのだろう。

ともかく今回は私が馬鹿母ということで事件は終わった。夫の馬鹿さ加減も披露され、もうどうしようもない夫婦、そして子どもが虐められても仕方ないなんて言われてしまうかもしれない。でも私、家の中の諍いは外に露呈しても私は構わないと思っている。嫌ならそうなってもいいように行動し気を付けるだけだ。「まだ息子、バディやめないの?」などと口も回らないような小さな女の子が息子に言ったのはそういう事。外で言われたくない事は子どもの前では言わないようにしなければ、子どもはなんでも言うなと思った。家の中というのは密閉された場所で、誰かが水槽の中の魚になりやすいのだと思う。そうなるのは声をあげられない一番小さな魚で、幼児虐待などの事件としてニュースになったりする。警察や児相が来た時もどんどん全部公になればいいと思った。私の子どもへの暴力夫の罵声DV、娘と息子は親がいると喧嘩になり、たいがい弟が泣かされて私が怒って終結する。どこも子どもが小さいうちはそんなもんよなどとよく言われるが、私は良くないと思う。なので一番小さな息子を庇うが、ママは弟ばかり可愛がるという。だんだんこんな風になったのは、息子が生まれた年からだ。ママを息子に取られたと思っているのは娘ばかりではないだろう。丁度あのボスママがバス停の学年グループに混ざりだし、色々やられて心が病み、そのストレスは娘に向けてしまった。叩いたり怒ったり、夫だけではない私も問題のある母親なのだ。色々悩んでみずべの館長によく相談したりした、その縁で坂本先生を紹介され、無料で相談するうちにセミナーに通うようになった。誤解のないように言うが、坂本先生は生徒を募るためではなく、子どもの未来のために良い母親を育てようと尽力している先生で、その先生の先生はお金が溜まると養子をひとり、ふたりと増やしていたそうだ。その子ども達はとても良い大人になったそう、そういう先生達の累々とした流れを感じ、私も何かしなくては、その前に自分の子どもだろうなとど思ったりする。そういう訳で、息子が生まれボスママと接点が出来た2008年が何か運命的な年だったのだと思う。そこから全てが回りだしたのだ。もうどうしようもないのか、何か出来るのか変われるのか子ども達のために。夫も自分がダメな親だということ、少しでも自覚してくれたらと思うが全く自覚はない。私はある。

あのボスママが載っている東洋経済オンラインだが、私はそれ抜きで以前から結構チェックしている。特にミセス・パンプキンの書く子育てについての記事は必ず目を通している。「ママ友などいらない」という記事では勇気つけられ、「少年Aの母親について」の記事は思い当たる部分に反省もした。ママ友などいらないと書いてあるが、少年Aの母親は、少年の異変に気付かずそれを忠告する人もいなかったとある。忠告する人がいても耳を貸さなかったとも。表面だけ仲良しごっこをするママ友はいらないが、耳の痛いことを言ってくれるママ友の話はちゃんと聞けということなのか、だがそんな人はなかなかいないのではないか。ママ友はいるの?いらないの?どっち?他には佐々木正巳の本、『子どもへのまなざし』1,2,3巻に必ず出てくるのが、「愛情のある無関心」という言葉。子どもの接し方として、本当に大切だと思うがなかなかできない。息子がしょぼんと帰ってくると、「どうしたの、誰かに虐められたの?あの子?この子?バディの子?」などと矢継ぎ早に聞くのではなく、いつも通りに接し自分で解決するのをじっと見守るのが正しいのだ。それが本来の親の在り方なのだと読んだ。頭ではわかるがこれもなかなか。坂本州子先生の本『6歳まではたっぷり愛して、7歳からは見守って』も、何度も読み込み頭では理解できたが実践できたかできなかったか。そのうち下の息子まで7歳になってしまった。もう見守るしかない時代になったのだ。 オロオロしている間に10年経ってしまった。

私は結構勉強家だと思うが、それらを実践できたかと言われると自信がない。成功したのは結婚したことくらいか。結婚しようと決めた私は、恋愛や結婚するためになどというハウツー本を大量に読んだ。そしてこれという本を何度も何度も読み、婚活をした。そのお蔭で何人かにプロポーズされたりして、成果出てるなと思ったりした。旦那さんになる人のお母さんへの接し方、などという本も読みその通りにしたお蔭か、姑まで「あなた達結婚したら」などと言った。舅だけは騙されてくれなかったのか、「あんな美人がお前となんか結婚する訳ない、騙されているんじゃないか」と言ったそうだ。気難しくて苦手な人なのだが、このセリフだけはちょっと嬉しかった。それにやはり社会経験が豊富だと人を見る目が出来るものだ。

そんな訳でまたやらかしてしまった。そして書いてしまった。ブログを書くことは小説書きの練習だけではない、書いてアップすることで自分を客観的に見る練習にもなっている。それに書こうと思ったことは正しく伝えなければと、慎弥や桐野夏生さんや先生達の言葉もコツコツとメモをとる癖がついて良かった。もう今度こそバッシングが出ると思うし、やっぱりなどと思われたり、こんな事になっていたの?と驚かれたり、そのせいでまた子ども達に迷惑がかかるだろう。でもそれをすることにより、何かが少しでもいい方向にならないかとも思う。私はただの馬鹿じゃない、正真正銘の馬鹿なのだと思う。つける薬はないし、治す薬もない、あっても薬は飲みたくない。飲むくらいなら死んだ方がましだと思っている。でも先生達に迷惑をかけてしまったのは本意ではない。この辺りは本当に気を付けようと思った。申し訳ありませんでした。


【昨日の小確幸】

「精霊の守り人」が想像以上に面白かった。さすが上橋菜穂子と大森寿美男。

※これを書いた後、私の中のアドラー先生にどうしたら良かったのか聞いたところ、「見てみぬふりをして学校に行かせること、これからは子どもの話をよく聞いてよく会話する。自分が反省する、子どもは悪くない」とかえってきた。頭ではわかっているんですよ先生!私は多分優秀な生徒、だけど実践ができない。『アドラー的子育てのススメ』なんて本でも書こうかしら。

昨日は叔父の家にいってきた。一日空いていたので一日中お邪魔して、そこで仕事をしたり書き物をしたりするつもりだった。誰かが家にいるというのは嬉しいのではないか。午前早めに行くと、果たしてそこはかとなく嬉しそうな叔父が迎えてくれた。「どうもならん」というパソコンをあれこれカスタマイズ、デスクトップのショートカットを削除して好みの写真に変更。いちいちログイン画面が出て嫌だというので、ログイン以外は全てパスワード設定を「なし」にする。それだけで使い易くなったと喜んでおり、ついでにメール設定もしておいた。OSの起動が遅いのでいらないプログラムを削除しようかと思ったがとりあえずこのままに。スタートアップpgmを削ってやればよかったと思ったが次の宿題にしよう。

叔父の新しいパソコンは東芝dynabook。東芝!もう言わなくてもわかるだろうが、だからダメなのだ。いらないソフトが山盛り。なので私はいつもASUSパソコンを買う。そういうものが全くない訳じゃないが、一番少ないと思うしとにかく安い。私がこき使っているノートパソコンは約3万円だ。とてもスムーズで使い易い。パソコンをいじくりだした叔父がExcel のメニューがいちいち消えるというので、ざっと見て虫ピンの絵のコマンドをクリックしてみる、常時表示されてよかった。視覚的になんとかなるが、もうほんとにいちいち手さぐりで「何か」しないと出来ないようになっている。教えるついでにここをクリックしてメール読んでねとアイコンを指すと、それはいらないという。メールは面倒なのだそうだ。ならばパソコンで何をするかというと、数計の問題を作るのだ。さすが元大蔵省、現役を退いても数字に触れていたいのだと思った。だったらこんな立派なパソコンいらなかった、買い替えさせて悪かったと思った。

最初の出だしはまずまず、というか叔父は中々に気難しいところがあるので困ることがある。午後になり、いつも使っているアイコンが消えたと言い出す。何かと思えばDVDドライブのアイコンがタスクバーから消えてしまったそう。私がいらないだろうと削除してしまったがそれのよう。復旧させようと色々試すができない。Windowsの復旧プログラムがどこかにある筈だが、自分のじゃないのでやっていいか迷う。またこれが消えたとか言われたら困る。そもそもwindows10ではタスクバーはプログラムしか登録できない筈、「ピンでとめる」メニューが出てこない。あれこれ調べていると、こんな情報があった。もうわかりにくい。出来るなら最初からメニューにしておけばいいのに。

「自分で調べる」ということが、叔父はもう出来ないのだろうと色々やっているが、実はそうではないのではないかと思った。何が足りないかというと、気合いなのではないか。現役の頃は自分で何もかもやっていたし、自分の人生をいかによりよくするかという情熱もあっただろう。何よりyokoのためにという気概もあった筈だ。だが現役も終盤になると、そういう細々としたことは全部秘書がやってくれて、家ではyokoがつくしてくれる。それがもうずっと叔父の中にあるのではないか。年齢は関係ないのだ、自分でやればいい、楽しいのにと思う。

というのも、こんな記事をみつけたから。すごい人がいるもんだと思った。一部抜粋。

96歳男性卒業 11年がかりで単位取得

「 高松市国分寺町の平田繁実さん(96)が19日、京都造形芸術大(京都市左京区)を卒業した。大好きな陶芸の道を究めようと、85歳の2005年に通信教育部に入学。自宅でのリポート作成や計約200日間の通学などをこなし、11年がかりで単位を全て取得した。卒業証書を受け取った平田さんは「感激した。支えてくれた人たちや元気に生きられたことに感謝している」と笑顔で話した。

 同大学は、世界最高齢の学士号取得になる可能性があるとみており、平田さんは近く、ギネスブックに申請する。卒業証書を手渡した尾池和夫学長は「人生の大先輩に私たちも大きな勇気を与えられた」と祝福した。」

記事には12年前に奥さんを亡くしたと書いてある。普通なら私の叔父のように、ひとりになり、傷心し落ち込み、体もままならなくなり残った火を灯すように暮らすだろう。だがこの96歳の平田さんは違ったのだ。大学に入学し学ぶことで自分を奮起させ、紆余曲折あっただろうが無事卒業の日を迎えたのだ。素晴らしいと思った。学びたい気持ちに年齢は関係ない、専業主婦が大学で勉強したっていいではないか。学ぶことは確実に知識が得られるだけではない、確実に心も癒してくれた。平田さんも私も立ち直れたのは大学の勉強があったからで、なかったらずぶずぶと暗くうすら寒い洞穴にはまりこんで、二度と出てこられなかっただろう。

卒業証書を手渡したのは尾池和夫学長。私が以前、「こども芸術大学」のイベントを兼ねた講演で、真正面に座ってしまい緊張してしまった方だ。その時も学長は同じようなことを言っていた。「心を育てる学問は芸術、美術しかないんです」と。その通りなのではないか。例えばスポーツは心を育てるというのはちょっと違うと思う。一緒にスポーツをする仲間を得てスポーツマンシップを発揮することで心が育つかもしないが、そうでない場合が多いと思う。穿った見方をすれば、スポーツは心ではない脳や競争心を育てるもののように思う。なので中学受験率の高い豊洲ではスポーツが盛んなのだろう。だが美術芸術は自分と向き合うこと、基本ひとりでやらなければならないので、心が育ち強くなるのだと思う。癒されるという事は、人生で一番必要なことじゃないだろうか。

私もこれに倣い、豊洲の子ども達のために「こども芸術大学豊洲キャンパス」を開校させたいと思っている。今資金の関係でごそごそしていて、こちらも忙しい。そんなに大規模ではなく、最初は小さくていいと思っている。だんだん広がれそれはそれでいいと思うし、やってみることがまず大事なのではないか。などと言っていると、このブログでもあれをやりたいこれをやりたいと言ってそのままではないかと思われるかもしれないがそうではない。コンビニコーヒーだってそれぞれの商品企画室にちゃんと手紙を書いたし、返信もあった。多くは「検討します」というものだったが、そのうちキャンパスやオフィスにコンビニコーヒーが登場するかもしれない。現にテストをしているという回答もあった。そんな感じでコツコツと。

話を戻して叔父の家の話し。パソコンは調子よくなった筈なのに、やはり使いにくいとぶつぶつ言っている。私が新しいのを買うように言ったので買ったがやはり使いにくいだの、こんなメール設定いらないメニューがわからないなど。わざわざ家まで来て色々やっている自分が馬鹿みたいではないか。なので叔父の前で頭を抱えて、「相手は年寄り、寂しい年寄りだ。怒っちゃダメ、我慢我慢」と言ってみせた。笑ってその場は治まったが、夕暮れ時になりまた気難しい事を言い出した。そろそろ夕飯を作ろうかと声をかけながらキッチンに立つと、お前が帰った後は色々なものの場所か変わってわからなくなる。あちこちごそごそするな、などと言うではないか。


※買い物に行く時にみつけた蒲公英

これは叔父の家で食事の支度をしたり、掃除をするようになってから。それまでは、叔父が脱臼して手が不自由になる前はいつも外で会って外で食事をしていた。体がしんどいから外食したくないというようになり、せめて家で美味しいものをと私が料理するようになったのだ。作ると喜ぶが、キッチンに立つと色々言う。きちっとあれこれは仕舞ってあるが、もう大方いいものは処分してしまったようで何もないくらい。それでもそんな事を言う。おまけに昼間一緒に買った食材についても「俺はいらないのに勝手にカゴに色々入れる」などと言う。いつもと違うドレッシングとルッコラ、ステーキを焼こうと肉を買ったので西洋わさびも買った。それが気に入らないようだった。こんなものいらなかったのにとずっと言っている。私もイライラしてきた。

「もうそんな事いうなら買った分お金返す」というと、「金なんかいらん、品物は持って帰れ」などという。一体全体何がそんなに気に入らないのか。お正月の頃からこういう傾向が出てきたように思う。今日はなんだろう、肉ではなく魚が良かったのか、ドレッシングはストックがあるので叔父はいつものでいいではないか、最近お弁当ばかりでそれ程何かに拘る訳はない。ご飯を炊こうと残っている米を洗ったら結構な量があり、「こんなに食べられない」というので、冷凍しておけばいいと言ったら「食べないそんなの」などという。夜の分だけ炊こうと少なくしてセットすると、もう米のごはんはいらないなどと。もうわけわかめになった。

「もうね、私はyokoでもなければ秘書でもない、ダスキンのレディメイドでもないのよ。そんな事言われても困るよ、じゃあもう自分で料理して食べたら。もう帰る」と言うと、「ああもう帰れ帰れ」などという。荷物をまとめて挨拶もせずに玄関を出た。エレベーターに乗ろうと待っていると、ややあって叔父が段ボールを持って「ゴミ捨てに行く」などとついてきた。段ボールゴミは明日、などと朝言っていたのを思い出した。ということは、心配で追いかけてきたのか。あの叔父がそんなことをするなんて。

反省しているつもりなのかもしれないと思った。それでなくとももう明日をも知れない身、今日このまま帰ったら次に会うのは葬式の遺影という事もありえる。それは避けたいと思った。まだ怒りは静まらないが、今回だけ特別と思い、「やっぱりお肉食べていく。いいお肉買ったもんね」と言って叔父の家に戻った。「焼いてくれるか」というので、「焼いて、あ・げ・る」というと、へへっと笑っていた。もう、いい気なもんだと思った。肉は焼き方も上手くいって、最高に美味しかったが、コルク抜きがなく、持って行ったワインが飲めなかった。こんな美味しいステーキにワインがないなんて!怒ってしまった罰だろうか神様などやはりいるのかいないのかこんな時ばかりなんかしないで!と、真剣に悔しかった。ホースラディッシュはやはりあると美味しかった。


「また来るから」と別れて電車に乗った。叔父は私にではなく、自分に苛立っていたのではないかと思った。東京にきた頃は自由にどこにでも行けた。旅行だって食事だってクラシックのコンサートだって。その折々にyokoの思い出話をしながら様々な蘊蓄を語り、私に人生を教えてやるなどと思っていたはずだ。それが今や立場が逆転し、パソコンもそうだが食事の支度をしてもらい、ごみの心配をされたりする。腕が故障したので朝のウォーキングもしなくなってしまった。そのせいか足もだんだん不自由になってしまった。

「上手に死ぬことを考えないといけないわ」と言っていた姑の言葉が蘇る。どうしたら上手に死ねるかと考え、何も手立てが浮かばすイライラしているのかもしれない。人はなかなか死ねないということを、散々みてきて知っているからだろう。だんだん、だんだん、緑が枯れ木になるようにゆっくりと死が近づく。その日からは逃げられない、かといって早く来てくれるものでもない。今日は手が、その次は足が、口も目も最後には耳も聞こえなくなり無になるのだ。その日をただじっと一人で待つというのはどんな気持ちなのだろう。

やはり一緒にステーキを食べてきてよかった。開けられなかったワインはそのまま置いてきた。みる度、いつかまたここで飲むつもりだなあいつめ、などと思ってくれたらいいと思った。来なかった従兄もみて、ああ来てくれたんだと思えばいい。従兄弟は正月にワインをみて、「夜飲むなら今開けて寝かせたほうがいいんじゃない」と言うので、「そんないいワインじゃないから」と皆で笑った。そういえばあの時はどうやって開栓したのだっけ。私も色々なものがはっきり覚えていられなくなったように思う。それより毎日誰かについて介護する人というのは本当に大変だと思った。このあたりは全てロボットがやってくれる時代がくればいいと思った。そうだ、麻宮先生が褒めてくれたあの小説、どこかに出してみようか。

もうすっかり叔父の事を忘れて色々考えていたが、ふとまた叔父を思い出す。今度行ったら大学入学をすすめてみようか。となると自分が大学生だということも言わなくてはならない。多分、「そんなしゃら臭いことやれない」というだろう。私に対しては、「本当にお前はいい身分だな」などと言うだろう。勉強すれば寂しくなくなるのに、まだ元気になると思うのに。どうやって説得しようか。有馬稲子のいるホームより、まずはこちらをすすめてみようと思った。


【昨日の小確幸】

いいお肉は本当に美味しかった。

※料理の写真を撮ると叔父が嫌がる

大宮にヘアカットに行ったついでに叔父の家に寄った。ランチをしようと約束をしていたが、風邪で具合が悪く出かけられないと言う。夫と娘は出かけてしまい、残った息子を連れて行ったので、ふたりで簡単に昼を済ませることにする。息子は新幹線のお寿司がいいと言う。叔父の家の近くにあるが、残り少ない人生、寿司は美味しいものを食べたいと叔父はそこで食べるのを嫌がる。息子とふたりで行けて丁度良かったかもしれない。あれこれサクッと食べて満足。

ちなみにあの先生が気に入っていた寿司屋はド派手な看板の中華の店になり、その後まぐろ問屋西川の立ち飲みの店になった。まぐろ問屋西川は家の裏にも販売専門の店があるがとても美味しい柵が買える。ちなみに寿司屋は親父が頑固すぎて客足が遠のいたという噂を聞いたことがある。なんて書くと、私の知らない夫を知っているとでもいうのかと「内子」に勘ぐられても困るが一緒に出かけたことは一度もない。事務所で珈琲を淹れてくれたことはあるが、あの時は色々大変で何も気にならなかった。でも今思い出すと、事件や裁判だけでないその他の細々とした無駄話しなども思い出す不思議。
 
※春だなあ

※春のばくだん小鉢

話しを戻して叔父の家に行くと、ダイニングに座りテレビもつけずぼんやりしていた。「大丈夫?」と声をかけると、目をショボショボさせて、「もう訳がわからなくなった」と言う。背中をさすると、叔父の孤独がじんわりと伝わってくるようだった。独居というのは本当に寂しいのだと思う。思うが私は姪で、時々こうやって顔を見にくるくらいしか出来ない。従兄弟はブラジルに出張中だった。叔父の家でワイン飲もうと誘ったが、しばらく戻れないという。この連休にざっくばらんと色々言うつもりでいたが、部外者は何も言わない方がいいだろうか。彼も色々考えているだろう、心配だけれど仕方ないのか。

手早くうどんなどを作るが、ほとんど残してしまう。あまり食欲もないというので、そういう時は何も食べない方がいい、空腹だとサーチュイン遺伝子が体を回復するなどと励ます。夜は湯豆腐を食べてと支度しておいたが、食べてくれただろうか。こざっぱりした格好だったので出かけるつもりでいたのかもしれない。

奥さんを亡くして早5年目、ひとりは心配だからと呼び寄せられたが、結局はいつもひとりじゃないかと言うようになったが、最近はもうその愚痴すらも出ないようだった。男が残ると可哀想というが、その通りだと思う。あちらこちら掃除していると息子がか床暖房のカーペットで寝てしまった。慌てて起こして叔父の家を出た。

次に姑の家に向かう。どんな采配なのか、叔父の家と姑の家が近い、というか、鉄道一本で行けることに気がついたた。今日は息子もいるので、顔を見せに行くことにした。急に思いついて行くとわかるせいか、息子はちゃんと連絡したのか、急に行っていいのかと心配している。何この気配り。おばあちゃんはあなたの顔がみたくてたまらないから喜ぶよと言ってもピンと来てなさそう。

ちなみに私の中ではあそこは舅姑の家であって、夫の実家ではない。子ども達のおばあちゃんの家で、私たちは付き添いのような気がする。夫が野放図に伸び伸びしていると、遠慮しなさいよなんて思うが余計なお世話だろう。息子は可愛いに決まっている。私が図々しいのた。

果たして姑は突然の幸運に狂喜していた。血圧を測っていたところで数値が高いと嘆いていたが、息子の登場に興奮したせいに違いない。息子も興味津々測って貰っていた。息子は上が80、若いな。私が測って貰うと、何度やっても空気を送る管がばーんと外れてしまう。やはり血圧が高すぎだと結論付けられ、塩分を控えてなどという。あなた達の息子が味付けの濃いものが好きだから私の血圧が上がったと反論。喧々囂々と夕食をいただく。泊まっていくかと言われ、もうこのまま寝たい気持ちを振り切り帰ってきた。明日は朝が早いのだ。

血圧を測りながら姑がまたせっせと話し出す。もう体のどこもかしこもポンコツで、そろそろ上手に死ぬことを考えないといけないわと。叔父のことも考えて、そうかもなんて思った。叔父に私は「ちゃんとした死に方をしないとダメだよ」なんて言ったことがある。お風呂で寝たまま亡くなるとか、残る家族が後悔するような、もっと頻繁に見に行けば良かったなんて思われるのは、ダメだよ。なんて。元気な頃の叔父は黙って笑っていたが、どうしろと言うのだと思っただろう。私も後から、なんか違うなあと感じた。

ともかく有馬稲子さんのような美人がいるホームに入居させてあげたいと思った。従兄弟は探しているとか、順番がなかなかこないなどと言う。もっと強く言うべきかなとか、いやいや身内に任せるべきとか迷う。今目の前にいる人は、つい最近まで溌剌とお洒落して食事に連れていってくれた叔父ではなくなってしまった。いつかの私の誕生日にはランチでホテルのフルコースを食べた。ワイン飲みたいというと、美味しいのをボトルで頼みなさい、残したっていいじゃないかと言う。なんだか格好いい。奥さんの教育の賜物だと思い、叔母に感謝して飲んだ。あんな日はもう来ないかもしれない、仕方ないのかもしれない。

忙しい忙しいと言っているが、もっとコンパクトにぎゅっと用事を足せば余裕もできるような気がしする。でも息子が授業が終わると真っ直ぐ帰ってきてしまうようになった。いっそ息子を連れて午後から見にいくとか、何かいい方法はないだろうか。その前に私が顔を出す回数が増えたとして、多少はいいが根本的な解決にはならないのではないか、だれかひとりでも寄り添ってくれる人がいないとダメな気がする。

私も叔父が上京した頃は孤独を抱えていて、お互いの寂しさがシンクロしているように感じていた。なので会えばほっとして色々な話しをした。親戚や私の両親が若かった時の話し、聞いていたのと認識していたのと違う、なんて事もあり、話は尽きず楽しかった。そんな話しをするうちに、叔父の小学校の頃の話しになった。担任だった先生からイジメを受けた事があるという。その頃の話しをする時は、本当に哀しそうな険しい顔になった。こんなに順風満帆の人生でも、あんなに時間が経っているのに、人は虐められた記憶を消せないのだろうかと思った。私もそうなるだろうか。

叔父の家、舅姑の家は年寄りだらけ。でも舅姑の家にはサラリーマンの義兄がいる。義兄が私の叔父の家に暮らせば丁度いいのに、なんてトランプのカードのように配り直したい気持ちになった。舅姑はまだ子どもや誰かがいなくてもそれ程困らないだろう。

義兄は今日は出かけており、帰ってきていきなり、息子にいくらを買ってきて貰いたかったのに電話に出ない、すぐ出なさいなどと叱られていた。いい大人が子どものように頭ごなしに言われている。いつもこんな感じで気の毒に思う、いっそ他人と暮らした方が幸せなのじゃないだろうか。私は勿論かばったが、息子は電話はすぐでるなんて舅についていからかっていた。息子もついでに叱った。世の中ままならないことばかり。

車じゃないから持てない、いらないと言っても持たされたお土産を持ち、ヨロヨロしながら帰途につく。「来たい時に来て、でも電話してね」と姑が言う。マナーとかどうこうではなく、息子にいくらを食べさせられなかったのが悔しかったのだろう。私が近くのスーパーに買いに行く言うと、「デパートか懇意にしている魚屋」のしかダメだそう。義理兄は電話に出ず、魚屋は入院中。セレブババアは息子に「今度こそいくらを、きっとね」などと最後まで愚図愚図言っていた。そんな息子はいくらいくらと言われて食べたくなったのか、コンビニでいくらお握りを買えと言う。食べて満足したのか、地下鉄に乗った途端にポカポカになってしまった。起きたらオンブオンブというだろう。今日は世界一周をしたような気持ち、足が疲れた、帰って早くお風呂に入りたい。それからおばあちゃん、息子はもうそんなにいくら好きじゃないよ。私が食べさせ過ぎたみたい。


【今日の小確幸】

姑が喜んでくれて良かった。

少しは考えていたが、こんなつもりはなかった。いつも私は小さなきっかけを妄信し、それに従ってしまうとろこがある。それは時には大炎上し、業火で自身や家族を焼いてしまうこともある。また逆に結果的によかったと思えたこともあった。でもどちらなのかはしばらく経ってみないとわからないことばかりだ。あした、あさって、そして数年後にそれがどういう結果になるか、自分がどう思うのか。その時はわからない事が多い。昨日もそんなことがあった。呑気そうに「たんす屋創業祭」に出掛けたが、頭の中にちらり、ちらりとあの事が浮かんでは消えた。そう、娘の今や唯一の習い事の日、それに行くためには巡回バスを利用している。いつもバスは私の憂鬱を運んでくるが、持って行ってくれたことは一度もない。都営バスもそうだ。人間ドックにいくためにバスに乗れば、わけのわからないところに着いて、タクシーで戻る必要があったり。それなら最初からタクシーで行けばよかった、などと出来もしないことを思ったり。 小説『働かない蟻』は、最初は『幼稚園バスの憂鬱』というタイトルだった。それではなんなので変えたのだが、パッとしないななんて今でも思っている。大月都先生の書いた、ライティング入門※1にも、「小説はタイトルと出だしが全て」と書いてある。他にも小説を書くのに重要なことはたくさん書いてあるが、私はこの言葉が刺さった。そのうちまた考えようと思う。 ※1『芸術大学でまなぶ文芸創作入門―クリエイティブ・ライティング/クリエイティブ・リーディング』 2015/3/23 大辻 都(著)ブイツーソリューション(出版)

そういう訳でまた前置きが長くなったが、たんす屋大創業祭から戻り、もっていった着物を畳みなおしていると息子が帰ってきた。「ねえ今日Gくん連れてきていいって言ったよね」とモジモジしている。というか、もう連れてきちゃったんだろう、そんな事を言った覚えはないが、「うん、言ったよ」と友達を迎え入れる。どうせバスまでの30分程度、一緒に宿題をさせておやつを食べたら一丁あがり、そこから一緒にプールに行くのだ。その日は息子も一時間早くバスに乗りそこに行く。

いつもは「ちゃんと真っ直ぐ帰ってきて」と放つのだが、「ママもいく」と一緒に出掛けた。お菓子買え、アイス食べたいと騒ぐ子ども達を無視してバス停に向かう。そこからバスに乗り、着いたところでいったん降りた。このバスはまた別のエリアを巡回し戻って来る。このバスは巡回バスなので、また元のところに戻るのだ。そして次は娘「達」が乗る。この「達」というのは友達なのかどうなのか、先週のこともあり気になったのだ。

バスはするすると豊洲に到着した。降りる群れが消えた後、大勢が乗ってきた。ゆりかもめの長いエスカレーターに隠れて乗る前の人々がみえない。何も確認できないまま、それらは乗り込んできた。わたしは一番後ろの席で、変装して乗り込んでいたのだ。そう、忍者は時に変装も必要。あまり大袈裟ではない、普段着ないパーカーとマスクにサングラス、そしてピンでとめて普段は絶対出さないおでこを出した。バスに乗っている人達は、私が誰かわからないようで、ちらっと目線をあてたあと、またそれぞれ忙しく座席に座った。

娘が一番後ろの席にきた。通路を挟んですぐ隣でドキドキしたが、私と気づいていないよう。先日帰りに一緒だった女の子と一緒に座る。可愛らしくて大人しく、性格も良さそうな感じで、もしかして本当に友達になり、それで豊洲小の同級生と分かつことになっているのだろうかと思ったが、後にロッカーで聞けば違う小学校の二学年下だという。『3月のライオン』の7巻で、ちほちゃんが入所する施設の園長が言っていた。「いじめられて傷ついた子は、まずは植物、それから動物、そこから人間の赤ちゃんやお年寄りと中良くなるの。そしてだんだん自分に近い年齢の人達と仲良くなることで復活する」とかなんとか。そういうのではないかと思った。縦割りという言葉があるが、この場合はそういうものではないだろう。私はこの大人しく可愛らしい小学生に感謝して、いいことがあるように念を送った。ありがとう寄り添ってくれて。この子にブログに書いたことがばれませんようにとも祈った。

そして私の考えではここで変装をとり、「みたわよ、やっぱり仲間外れじゃない。先生にいってやる」みたいなことをいってやると考えてはいたが、もう少し様子をみることにした。娘の数列前には、ずらっとあの四人が固まっていた。ひとりボス子が遅れたようで乗車時は、「運転手さん、ちょっと待って。今着ますから、ああ来た来た早く早く」「あー間に合った」「おそーいもお」「うきゃきゃきゃきゃー」などとお祭りのような騒ぎだった。娘は一番後ろの席で、大人しそうな相棒と黙ってじっとしていた。もう既に「仲間外れ」にされている証拠だと思った。普通は笑うとか、それでなくともそちらをみるなどするだろう。何も起きていないかのように、じっと、ただじっと。

とりあえず一番前の席に行き、現場の写真をとろうと思った。もちろんSNSにアップして晒すためではない。そんな事をしたら逮捕されるかあの夫婦から分厚い封筒が内容証明か書留で送られてくるだろう。何かあった時のための証拠のつもりだった。席をただ移動するだけのふりをして前の席に行く、すると近所の人が3人乗っていた。後ろをむいて話していた人はすぐ私と気が付いたようで、変な恰好をしている私を怪訝そうにみて、それでも会釈をした。まずい、バレた。作戦失敗だ。バスの中の写真をとっていることがバレたら、それはそれでまたいらぬ噂のもとになるだろう。散々もう噂になっている身だが、それは避けたいと思った。ブログに文章を書くのと、写真を載せると疑われることはまた別。それにそういうコソコソしていることがわかれば、このブログすらコソコソブログになってしまうだろう。私はなんでもない風を装い、大人しくバスにゆられ話だけ聞き耳をたてていた。が、騒いで気が済んだのか、みんな大人しいもので誰ももう話さなかった。 というか、騒ぐことは出来るが、話すことなんかないんじゃないのあなた達。友達じゃないからではいのと思った。私は友達と会うと、ずっと話している。くっつき虫のべタ子をしていた時も、同じような話しを延々とした。友達ってそういうものじゃないのだろうか。支配する者と支配されるものは、話しはしないんじゃないのだろうか。なので静かなのではないか。一瞬だけ騒いで仲良しアピールは出来るが、深い話しなど、自分のことなど話したくないのではないか。

子ども達から大人まで全員が降りた後に私も降りた。また乗りますのでと運転手に声をかけ、建物に入った。娘の同級生たちは急いでいってしまったのだろう、娘ともうひとりの子は、ゆっくりゆっくり玄関に向かっている。あーもうどうしようもない。いつから?きっといつからではない、最初からこうだったのだ。バーチが来たのが1月だったと思う。なので、1、2、3、三ヶ月。どうしてこんな事気が付かなかったのよ!一緒になったと聞いた時にピンとこなければ、何が私の勘は当たるだの鋭いだの、よく言うわ!と自分で自分を責めた。そして事務所に行き、曜日変更を取り消してもらった。娘がもう変えなくていいと言ったのだ。なので余計心配になり、変装までしてバスに乗り込んだ。そうしたらやっぱりの、想像していた通りの世界がそこにあった。小さな水槽のようなバスの中で、じっと身を潜める娘。もう胸がはち切れそうだった。


※なぜそんなに離れて行動するのよ 


手続きを終えて、私はその場でまた電話をかけた。今は遠く離れてしまったあの弁護士に。事件を小説にすると決めてから残っている資料があればお願いしますと言うと、トランクルームにある大昔の書類を探すといってくれたがなかなか送ってこなかった。何度か催促したり、出さなくなった年賀状を書いてそこにもお願いしますなどとコメントを書いた。数か月してやっと届いたのは間もなくバレンタインという頃だった。もしかしてお礼にチョコレートが欲しいのだろうか、なのでこの時期に送ってきたのだろうか。だとしたら送ってあげた方がいいけれど、豪華なものだと変だろう。だが小さなチョコだけという訳にはと、大き目の箱のお菓子と一緒に小さなチョコの箱を送った。そうしたら、弁護士の名前の後ろに「内」と書いてある葉書が届いた。丁寧にお礼が書かれてあるが、「もう私というものがいるので妙なもの送ってこないで」という意味だろうか。心外だった。もちろんホワイトディも何もなし。Wさん大人のバレンタインなんてこんなもんですよ。ましてや手作りのおからマフィンなんて、ただの茶飲み菓子と思われて終わりだから。

その話をボス子ママが学校の行事で隣に座ったのでチラと話しかけた。「あの先生結婚したんですってね」と。するとああ、みたいな顔になり、「その話は」と言い終わらないかのうちに、心のシャッターをガラガラガッシャーンと閉められてしまった。それから一切無視だった。そうだった、この人はもうあっち側の人間だった。その前に親も親なら子も子だわと助けて貰った恩も忘れて胸で毒づいたが、ここ豊洲にはそういう人が溢れている。バディ菌じゃなく、豊洲菌なのかもしれない。

この人も知り合った頃はこんなじゃなかった。人当たりもよく困っていると言えば親身になってくれて、そうして一般の民事事件は担当しないのでとこの弁護士を紹介してくれたのだ。弁護士には様々な立場や専門分野があるとこの時に知った。切れ長の目元が涼し気なこの人は、あのボスママと仲良くなり出した頃から冷ややかな目をするようになった。多分、あちらこちらからも色々聞いたのだろう。ボスに逆らう変な人、確かにこの裁判だって数万払えば済んだものをわざわざ法廷にまで持ち出すというのはやはり。などと思ったのかもしれない。そして今ここ。

私はこの人を介して昔お世話になった弁護士とやりとりしているうちに、ひとつの案が生じた。この人の所属している弁護士会は、人権擁護の活動をする会が多い。今はどうか知らないが、あの弁護士を紹介してくれた時にも言っていたし、あの先生も同じ会に所属していると言っていた。実際私が電話した先生はあちらこちらでそういう活動をしており、時々ネット記事で読んだりする。でも先生と同じ「子どもの人権を守る会」に所属している弁護士の子どもがこのザマ、この団体に今私が抱えている問題をぶつけてみようかと思ったのだ。そうすれば様々な問題が目の前に晒され、客観的に問題もみて考えてもらえるかもしれない。京都造形大学の文芸コースで先生達が何度も言っていた。小説を書くには自分や作品を客観的にみるtいうことが一番大事だと。確かに自分はみえないが、人のことはよくわかる。そういう意味で、この人もそうしてみればいいのだ。私がそうしてみようかと。

というのは、今言えることで、電話をするまでは思いつかなかった。ただ、そういところに所属して人権人権と言ってる割に、自分の近くの子どもが自分の子どもにいじめられているのは知らん顔とは、なんとお粗末なとただ思っていただけ。人権派活動としてのサンプルになり名声にもなるだろう対岸の子ども達は助けるが、すぐ近くの子どもはどうでもいいのか、何も得にならないお金にならないとでも思っているのだろうと不貞腐れた考えがあった。もし何か話し合いにでもなったら、これをぶつけてみようと思っていた。「今、子どもを守る会の活動に参加されているようですが~」と。でも今はどうなのだろう。なのでこの先生に電話で聞いてみたのだ。午前中にかけた時は、「いやー今はもうわかりませんね、音沙汰もあまりないですから」などと言っているが、「うそ!つい最近Facebook の友達のところにあの人が登録されたばかりじゃない」と思ったがいわなかった。そうですかとお礼を言って切ったが、やはりもう少し粘ればよかったと後悔iしていた。

子ども達の実態をまた確かめることが出来た。だが、こんな事しても証拠にはならない。だってあの子達、最初は大騒ぎだったが、その後は静かに座りお菓子を食べ、行儀よくバスを降りて行った。どうしよう、どうしたらいい。そしてまた電話をかけたのだ。弁護士会にまだやっているか聞いてくれとか本人にさり気なく聞いてとお願いすると、なんでそんなスパイみたいなことを僕がしないといけないのかと言う。確かにそうだがそうではない、何故聞くのか聞かれたら、私から相談されて聞いてくれと頼まれたと言ってくれていい、そうしたら話の糸口になるから、先生言ってみてよというと「それはお断りします」といわれてしまった。先生は本当に知らないようだった。そこから他にも弁護士会はあり、そういう活動をしているからそちらで相談しろとか、そういうイジメがあった時の弁護士の役割、相談して出来る事、など色々と話してくれる。学校も知ってるというと、ええっと驚いていた。今の子どもは先生だけでない校長先生も怖がらないと言うと、なんて言ったっけ?先生ならどうするかと聞くと、まずは子どもがどうしたいのか聞きますよ私ならと言った。そうなのだ、勝手に曜日を変えて子どもを守ったつもりになっていたが、怖くて逃げたいのは私だったのではないか。子どもは余計なことはしないでと怒った。でも私はもう嫌だと思った。どうしたら、どうしたらと思ううちにまたバスの日を迎えたのだ。最初は「今度はなんなん?」という感じだったが、子どものイジメの話だというと、真剣よりになった。色々思うところはあるが、やはり本当の人権擁護派のいい先生だと思った。なんていうか、そういう風にもう育ってしまったという感じ。いい意味で親が親なら子も子、なのだ。

そんなに長い時間ではないが、話しの中に様々なヒントがたくさんあった。「弁護士と直接喧嘩するのは怖いから」という言うと、「そんなの関係ないと思いますよ」と呆れて言った。え?そうなの?関係ないの?だってこの豊洲の大人たちというのは全員そう思っていますよ、弁護士だけでない、医者や社長や有力者の子どもとは揉めないで、喧嘩しないで、仲良くなりなさいと。何かあった時に助けてもらえなくなるし、そういう人達は大概有力者同士で繫がっている。そういう人達と揉めるということは、村八分のような状態になるということを意味する私のように。でも先生は違うという、そうなのだろうか、そうなのだろうかと考えがぐるぐるした。もう聞くことがなくなったと思っているところに来客があったようで、お礼を述べて電話を切った。

弁護士会に何食わぬ顔で相談するより、もしかして直接言ったほうがいいのではないかと短絡的に思った。しかも親ではない子どもに。叱るのでない怒るのでないイジメをしないでと真摯に頭を下げてお願いするのだ。親同士が話し合ったとして菓子折りのひとつで終わり、その後は何も変わらない。その前に親は絶対謝らないし、自分の子どもが正しいと言うだろう。今までもずっとそうだった。ある時はバディの男の子にいつも集団で揶揄され、それを学校に言うとその親からそれぞれメールが届いた。「申し訳ありません」と書いてあるが、同じような文面、そして同時に送信されたような時刻。親同士でどうするか相談し、まずはメールじゃない?と言うような感じで送られてきたのだろう。私でもそうするかもしれないが、された方からしたら余計に失礼なという感情が沸いた。

その後このうちの一人の方と話したが、もうその話はしなかった。でも「もういい」と思えた。こちらの問いかけに真摯に答えてくれたからだ。そもそもこの親の子どもはそういう子ではなかった。娘とも普通に仲良くしていた。集団という目に見えない鎖に操られたのではないか。

もう一方は父親に道端で会って呼び止めたが、「話し合いに行く気はない」とガンとして何もかも否定してきた。仕事が忙しく話合いの時間が持てないというのはうそだった。子ども達と呑気そうにコンビニから出てきたところにばったり会い、私が話しかけた。その後このお母さんの方も道で会ってもこちらをガン無視。バディで同じクラスだった時、お母さんだけの飲み会の二次会、三次会で何度もこのご主人から電話が入ると、「もう結婚なんてするんじゃなかった。こんな生活もう嫌。私に自由はない!」とずーっとギャーギャー泣いていたけれど、この夫婦ならそうだろうなと思った。 その場に居合わせた誰かがもう帰ったらと言うが帰らない。慰めたりなだめたりで全員がヘトヘトになった。

私ばかり飲んで暴れて醜態を晒したと噂するが、結構こんな風にみんな色々やらかしてる。自分が噂になりたくないから、私のあの話しばかり持ち出しているのではないか。 例のテキーラ全員分頼んで会計が跳ね上がり事件、頼んだのは私じゃない、酔って調子付いたギャルママが「全員分」と注文したのだ。なのにいつの間にか私のせいに。 

なんか色々思い出すが話を戻す。「こそこそスパイのような」という先生の言葉にかちんときた。でも確かにそうだ、変装してバスに乗り込み、証拠をつかみたいと思っていた。そもそも先生が言っていたのではないか、「裁判は証拠が全て」と。正式なものではなくとも、いつもいつもそうだった。いじめた、イジメられた「証拠がない」と、いつも逃げられた。証拠は私ややられた子ども達だと言い張っても無駄なのだ。それに、「そんなつもりはなかった」と謝られたらいい方だと思うが、裏にまわればすぐ舌を出しているのを知っている。あのお母さん検事も「裁判なんてするもんじゃない、負けた方はほらこれが欲しかったんだろうとお金を投げてよこすような世界だよ」と言って私を窘めた。そうなのだ。もうもう、色々真実を知れば知る程絶望しかないような世界。

電話を切って私は更衣室に向かった。怖がっているのは娘ではない私。私が怖い相手を、怖がっている気持に終止符を打たないとだめだ。怖いから、イジメられるから曜日を変えて逃げ回っているのは正しいかもしれないがカッコ悪いと思った。更衣室では娘といつもの同級生四人のうち一人はお休みで三人だった。お休みの一人は本当に大人しい子で、娘に直接嫌がらせはしない。多分、母親か誰かに仲良くしなさいと言われたか、人の弱さで多勢についたのだろう。多、対、個という図式で今日も着替えていた。多をみに行くと、ぎょっとした顔をしていた。またいる!などと思ったのか。私は娘に聞いた。「言っちゃっていい?」娘はもう帰ってだのやめてよ~などと言うが、強く否定していない。言って欲しいが言ってといえば自分が悪者になる、ママが勝手にという図式を作りたいのだな越後屋めと思った。「ちょっといいですか」と私は三人に声をかけた。

何をいうかあまり考えていなかったが、弁護士と電話で話したような内容を三人に向けて話した。あなた達は何もしていないというが、私たちにとってはこれはイジメでイジメは犯罪だということ。まずはしもべ子達に向けて、くっついていないとイジメられると思っているならそれは卑怯な考えで、誰かを仲間はずれにすることで自分の身を守るというのは絶対にしてはいけないということ、筆箱にいたずらされて嫌じゃなかったのかその気持ちはどうなっているのかバディは仲間という意味であの一緒に過ごした四年間はなんだったのかこれはバディに対する裏切りではないのか。それからボス子には、あなたのご両親は弁護士で、弁護士というのは弱い人困っている人を助けるのが仕事なのにその子どもであるあなたが何をしているのかと。弱い人を集めてボスをするならイジメじゃなくて虐められている人を助けるボスになったらどうだ。今はあなたじゃない、あたなのお父さんお母さんと仲良くなりたいお母さんたちがたくさんいて、そのお蔭であなたに人が集まる。みんなが持ってくるお菓子はあなたにじゃない、あなたを通じてお母さんに持ってきているのだ、うちの子をそして何かあったらよろしくという意味。そんな世界じゃなくあなたが好きであなたと友達になりたい人と世界をつくりなさい、それが本当の幸せだと、今の意地悪な気持ちのまま大人になんかならないで、もう豊洲のお母さん達というのは大人だから治らない、あなた達はまだ子供だからまだ十分間に合う、悪い大人の真似をしないでいい子になってよ、私にまでニヤニヤチラチラコソコソしないで怖いじゃない大人の私でも怖いんだから小学生ならもっと怖いのよ、誰からそんな事教えられたのあなた達のママなら悪いことだから真似しちゃダメなどと。

そしていつか渡そうと思っていたさかなクンの言葉をプリントアウトしたものをそれぞれに渡した。体操座りでぶすっとしながらそれを受け取り、ボス子が口を開いた。「じゃあ娘からこっちに来てくれるように言ってもらえますか」と。目がいつもの意地悪なチラ目ではなく、ちゃんと真っ直ぐな目で私をみたので驚いた。きっとすぐは無理だがいい方向に風が吹くかもしれない、この子はいい大人になるだろうと期待していい気がした。そしてやはりすんごい頭のいい子だと思った。顔もきりりとして頭の切れる顔をしていて、その辺の子どもたちとは全然違う。大人しいしもべ子達との会話は物足りなくてつまらないだろうと思った、だからバスの中で会話がなかったのだろう。謝らなかったのは自分だけが悪いのではないと判断したのだろう。それはこちらも認める。あまり関わるなとか、もめるなとか、しもべになるなとか言って娘に遠ざけようとすることを言ったのはこちらだ。でもその前にそう言わざるを得ないことをしたのはそちららだ。でもその前に色々あった、その前にも、その前は、などと堂々巡りになるのでもう控えるが、最初は小さなきっかけだったのだろう。

課題で何度も同じ誤表記をすると指摘する先生に私は言った。「でも小説家になったらそういうのは優秀な編集者がいて、直してくれるのではないですか」と。ぶっちゃけ過ぎかもしれないが、本心だ。すると先生は、「その前にそういうミスを嫌う人が選者の場合、選考から洩れるよ」と言った。そんな簡単なことでも言われないとわからないものだ。私にとっては目から鱗だった。なので合評会の作品を提出する時はしっかり誤字脱字、誤表記を見直し提出したのだ。結果は吉とでて、選んで貰い紙の本になった。先生のいうことはちゃんと聞くものだとこの時も思ったぶっちゃけるのも時には大事だと。 

話を戻してロッカールームの話し。あんな風に言ってよかったのか悪かったのか。なんか必死になっちゃって噂通り変なお母さんそんなだから子どもが虐められるのよ手まで震えちゃって私たちが怖いんじゃないの馬鹿みたいダサ、ぺこぺこ米搗きバッタのようにぺこぺこぺこぺこイジメないでとかぺこぺこぺこぺこキモ、なんて。もしかしてそんな風に思っていたかもしれない。それに誰も謝らなかった。それは私があの時と違って「謝ってください」といわなかったせいもあるだろう。その時謝ってもらったとして、なんにもならないということを私は学んでいた。気の遠くなるような様々な出来事があり、そしてまた同じようなシーンの中に私はいた。あの時もこの弁護士と色々話した覚えがある。前は息子の世界、今度は娘の世界を、私はまた壊すようなことになったのだろうか。何もかもあの弁護士のせいだと思った。先生の言葉には不思議な力があるように思う。あの時もこの時も、先生に自覚はないと思うが私は励まされ、落ち込み、時には諍い、あの裁判の時もそうだった。おかげで最後まで戦い抜けたという気持ちがいつまでもいつまでも残っているのだろう。でももうこれからは自分で考えて行動しよう。

その夜、来なかった子どものお母さんにメールをした。最近はとんとご無沙汰だが、BUDDYの頃は一緒に出掛けたりイベントをしたりした。この人は隣のマンションのボスのようなポジションにあるが、珍しくいいボスだ。多分この豊洲では稀有な存在だとおもう。だが私が事情をメールすると、「もっと時間が欲しかった、もうあと少しで仲良くなれたのに」などと返って来て私をがっかりさせた。時間って、もう十分じゃない?バディの4年と小学校の4年一緒に過ごしてきた仲間ではないの?昨日今日転校してきた子どもじゃないんだから。そして、「あなたにはがっかりした」と書いた。朝起きて、「夜は手紙やメールを書くものではない、朝読み返してから出す」という鉄の掟を思い、大大大後悔した。おまけにブログに書いてあるから読んでとURLもつけた。もう知っているとは思ったが、みて見ぬふりをして読むのと書いた者から読めといわれて読むのとはわけが違うだろう。

今日は朝からアクセスが多く、ドキドキしている。あのロッカーの演説で子ども達にこうも言った。今日私が言ったこと、お母さんに報告してください。そしてそれを拡散するのではなく、自分の気持ちを確かめ、何か言いたいことがあったら直接私に言うようにって伝えてください。あなた達のお母さんは噂をすることで大事なことをうやむやにして生きてきた人達、今回はそれやらないでって。お母さん達はみんなメールアドレスも電話番号も知っているし、家もわかっている。直接お願いします。と。でもメールも電話もなにもない。多分、これからどうしようと四人のお母さん達のLINEのグループか何かで喧々囂々やっている筈だ。そしてあちらこちらのママ友ネットワークで拡散され、それぞれのボスにも報告がいっているだろう。今回は私にどうやって仕返しをするか、痛めつけるか、村八分はもうしているし子ども達もこれ以上ないほどイジメてやっている、いっそ今度は吊し上げようか、なんて相談でもしているのだろうか。

もっと色々あるがこの話はここまでにする。これ以上書くと夫によく似たあのお父さんのファームから分厚い書類が届くことになるかもしれない。先生はそんなの関係ないと言ったが、まだ子ども周りとか、新興住宅地のコミュニティの力関係がよくわからないのだと思う。私も地元なら名士や偉くなった同級生の友達というだけで、名前を出せばまわりは一目置いてくれるかもしれない。子どもも守られるかもしれない。何かあればすぐはせ参じてくれるかもしれない。少なくとも味方にはなってくれるだろう。

しかしここは東京の豊洲。そんな人はひとりもいない。私だけではない誰もが地方から来た田舎者ばかりだ。それが証拠に盆や正月は帰省のために街はからっぽになる。そんなところで新しい防壁が欲しいと思うのは無理もないだろう。 

子ども達はみていると思う。私たちが思っている以上によくよく。そしてそうすればイジメられないんだ、イジメられないためにはイジメ側につけと、ママがしているように、こうやって生きればいいんだと、学ばせていいのだろうか。

先ほど合評会に行けないという学友にメールをした。「ブログのせいでそろそろ吊し上げられるかもしれない。でもそうなったらそこから大きな花火を打ちあげてやる」と。怖い気持ちを隠す負け惜しみに書いて思った。それも悪くないかもと。命まで取られることはあるまい。でももし私や家族が不審死することがあったら、どうぞあの辺りとかこの辺りとか疑って欲しい。でもそれすらももみ消されるかもしれない。その前にボス子だとかしもべ子とか埴輪とか色々あだ名をつけて、それを怒られるかも。色々考えていたら怖くなったので今日はこれまで。いつもお騒がせして申し訳ありません。 とりあえず謝っておけとは思っていない本心でそう思う。 またこんなに書いて大大大反省本当に。


【今日の小確幸】

ダメ出しされた仕事の記事を書きなおしたら、我ながらいいものが書けた。色々言って貰えるのは嬉しいことだと思う。まるで作家と編集者のようではないか。いい作家にはいい編集者がつくものだと聞いた。いつもご指摘ありがとうございます。頑張ります。

【メール訂正】

「何度も変装してバスに乗り」というのは間違い、正しくは「何度も心配して、(だから変装して)バスに乗り」、です。変装してバスに乗ったのはこの日だけ。勢いでメールを出すのはだめだな。どんな文章も校正、修正を重ねるべきそれがプロ。どうもすみません。ていうか、送ったメール拡散しないで訴えるよ!?

夫の実家でテレビを観ていた。正確には私はテレビの前で新聞を読んでいた。夫の実家は毎日新聞、日経新聞をいつも読んでいる目からすると、カラフルで字面も大き目で楽しい読み物が多い。行くと必ず新聞を読む。何か手伝うこともあるが、「いいから座っていなさい。なんなら隣の和室でお昼寝なさい。ママは疲れているんでしょう、ここに来たらゆっくり休んで、全部肩の荷物を下ろして。そうそう、頂いたお菓子があるのよ、お茶煎れましょうか?珈琲?だったらお義父さんにお願いしましょうね、お父さーん!お父さーん!」と姑は騒々しい。時々だから面白がっていられるが、一緒に暮らしたらうるさいだろうなと思う。夫にそっくりだ。

新聞をみていると急に姑が言った。「こんなおんな死ねばいいのに」と苦々し気にテレビをにらみつけている。どうしたんだろうとテレビをみると、幼児虐待で子どもが亡くなったニュースだった。どの事件だか覚えていないほど、日常茶飯事となったニュースではないだろうか。どうも実の母親による事件だったようだ。姑は憤懣やるかたないという体で小さな体に怒りを漲らせていた。裁判員裁判にでもなって姑が担当したならば、「即刻死刑!」と言うだろう。

こんな姑にいじめで息子を幼児園を辞めさせたとバレた時には泣かれてしまった。それはそうだろう、脚の悪い姑があの夢の島競技場のトラックまで歩いてきたのだ。駐車場から運動会トラックまでかなり距離があり、段差や階段も多い。まだ暗い朝早く起きて弁当を作り、おやつや飲物など大量に抱え、会長への手土産を持参し、えっちらおっちらと。私と夫は、「手土産なんてやめて」と言ったが、「こういう時にご挨拶しなければ」と言ってきかなかった。そんな事までしたのにと、思ったのだろう。

めそめそさめざめと泣いた後、私をきっと睨みつけて姑が言った。「誰か相談する人はいなかったの?」と。「だーれもいなかった。一人もね」と答えると、何か思うところあったのか、「そう」と言ってその話は終わった。あんなに園児が、園長はじめ先生たちが、その父兄が山盛りのコミュニティで誰にも相談できなかったということ、非常事態だったと思ったのか思わなかったのか。その話は二度とされなかった。私は理由を聞かれなかったことにほっとした。聞かれてもその時の私にだって、何が起こっていたのかわからなかったので説明のしようがなかったのだ。

姑はこうも聞いた。「息子がお腹にいた時に、あなたお酒飲まなかったでしょうね」と。息子は落ち着きがない、あちらこちら元気いっぱいに駆け回り、色々な事に興味津々、好奇心の塊のような子どもだ。それを私が妊娠中に飲酒したせいで、発達障害の疑い、素行不良で退園されられたのだと一瞬思ったのではないか。それには夫が珍しく私をかばった。妊娠、授乳中は一切アルコールを断っていたと。そうなのだ、私は妊娠の少し前から授乳が終わるまで、子どもが二人だから延べ約4年間はお酒を一滴も飲まなかった。

息子の授乳期間にママ友の飲み会とやらに何度か行ったが、そこでも飲まなかった。授乳中だからというと、その頃はまだお酒の缶や瓶に、「妊娠、授乳中の飲酒は~」などと書かれておらず、妊婦や授乳中の飲酒もいまほどではなく寛大な空気もあった。「大丈夫だよ一杯くらい」などと言われたが、私はガンとして飲まなかった。娘が胎児の頃からアルコールと胎内の因果関係について調べまくっていたので、そういう話をしつつ固辞すると一瞬場がしらけた。それでも絶対飲まなかった。飲むのは一時、でも子どもの人生は自分が死んでからも続くのだ。多分、ネットのない時代だったら飲んでいたかもしれない。そういうIT系の仕事をしていて、本当に良かったと思った。恐ろしい事例や症例ばかりが出てきて、自分の子どもがそうなったら、なとど震え上がった。アルコールは胎内の子どもの脳を直撃し、様々な障害の原因になる。先日観た『サイダーハウスルール』の医師もそう断言していた。 あんな古い時代からそう気付いていた人々もたくさんいたようだ。妊婦さんはお酒を飲まないで。お乳からもアルコールが出ますよ。

自分でも姑に話すと納得してくれたよう。息子がどんな風だったか、私への風当たりなどをついでに話した。姑はよろめきながら、「わかった」と言った。ごめんねおばーちゃん。この時ばかりは息子を途中でやめさせたことを後悔した。

前の記事で、娘と夫がこそこそ内緒話しで私をチラッとみる嫌がらせ、姑に似た夫か、娘が誰かにされたせいで覚えて私にしていると書いた。だがその後、あの姑がそんな事するだろうかと考えてみた。確かにザーマス系で、何かあるとくどくどと小言をいったりするが、そういう意地の悪い事はしない、どちらかといえばストレートで正義感の強いタイプ。そういう事をする人を軽蔑するような人だと思う。夫は姑から倣ったわけではない、だとすると?

私は娘に聞いた。ねえ、昨日ママにやった、ううん、以前も何度もやってたよね。あれ本当に不愉快なんだけど、もしかしてあなた誰かからされた?それで本人にやめてって言えないもんだから、ママに八つ当たりしているんじゃない?と。すると顔を赤くしてそうだと言う。やっぱり。特にボス子に会うとたいがいされると言う。会う度というのは大袈裟かもしれないが、そういう事が多々あるようだ。自分の小学生の時、そんな事あっただろうか。ああ、あった気がする。女子ってそういうものだろうか。でも私の友達はしなかったと思う。ねばっこい女子色の濃いグループというのは田舎にもあり、少数だが存在していた。嫌だな。

特にボス子は娘を敵視しており、学年女子のボス的存在になりつつあるという。多分、あっちでもこっちでも会う度にコソコソにやにや、ちらっとみてまたヒソヒソ。何故こんな事が言えるかというと、先日のプールでは娘の親である私にまでそんな事をしていた。普通は同級生の母親に会えば、会釈くらいはするのが心身ともに健常な子どもではないのだろうか。今は時代が違うのだろうか。こちらがじっと見つめ返すと、ボス子はすぐに知らん顔になり、絶対こちらをみようとしなかった。しもべ子の女の子はそんなボス子を不信がり、私とボス子を代わる代わる見て困った顔になった。それにしても「ボス子」だの「しもべ子」などと。ボスママ、しもべママと同じじゃないか。

娘はこのボス子に長年こういう事をされていて、覚えたのだろう。される度に悔しくて悲しくて、でもなんて文句を言っていいのか、どう表現したら先生や私に伝えればいいのかわからなかったのだろう。「嫌なことをされたら、やめてって言おうね」とは、幼児によく言う母親の鉄板的セリフだ。でも「やめて」って言ったら、「えー別に何も」などとニヤニヤして言われたら私でも心が折れる。実は私もここイジメの街豊洲で何度か経験したことがある。特にマンションの前の円陣のバス待ちママ友軍団、道を塞いで話をしていたと思うと、ちらっと一斉にこちらをみて、また何かヒソヒソチラチラ。感じが悪いったらない。見ないでよ!と思い無視して通り過ぎようと思うと、たまたまこちらに挨拶をしてくれる人が混ざっていたり。どーしたらいいのよほんとに。 

もう校長先生達に呼びかけたりはしないけれど、いじめってこういうものですよ。する方はたったひとりに対して延々とする。そのひとりは大概うまくグルーピングできないひとりでいることが多い人、もしくは集団でやんわりとボスからイジメのターゲットとして認定された人。それを決めるのはボスママかボス子ひとりだろう。そしてそれをみた周りは、自分や自分の子どもがターゲットになってはたまらないと思っていじめる側につく。くっついていれば、一緒にニヤニヤチラチラコソコソすればターゲットにならないと思って挙っていじめだすのだ。

逆にいじめられて困っていたとして、寄り添ってくれる誰かがいれば乗り越えられたりする。それは例えばさかなクンのように一緒に釣り針を垂れてくれる人だったり、3月のライオンのちほちゃんに寄り添った準主人公の女の子だったりする。 

いじめるターゲットも寄り添ってくれる友達も、どちらもたったひとりでいいのだろう。

何この名言。そんな訳で、娘がニヤニヤチラチラコソコソするのは、ボス子からのイジメで覚えたものだった。みよ、このいじめの連鎖。そして私がばばーんと受け止め解析しネットにアップ。読んだ人はふむふむほうほう、わかりきった事だが文章にするとリアルな事実として受け止められるのではないだろうか。そして経験者はこういうだろう。「私もされたことある」と。する側は一切無視「そんな覚えない」という。あーやだやだ。

姑は子どもを虐待する母親は死ねばいいと言い放った。私はその激しさに驚いた。いつも賑やかだけれどエレガントで出のいい姑とはすごいギャップを感じたのだ。紅茶をいただきましょうかと銀食器やブランドのティーカップをいそいそ静々と用意する姑の口から「死ねばいい」などと。でもだから私はこの人が嫌いではないのだと思った。嫁と姑は相容れない仲だと人は言う。私たちだっていざとなればワーワーと喧嘩したりするし、もう顔も見たくないとしばらく疎遠になったりする。でもそういう紆余曲折を経て今のような関係があるのは、子どもを虐して死なせるような女は、イジメをいじめと認めずしらっと「なんのこと?」などと恍ける女は、子どもが幼児園をやめたくなる程イジメてほくそ笑んでいるような女は、「死ねばいい」という同じ心で繋がっているのではないか。

そして将棋のあの漫画、なんていうタイトルだったか調べていたら、こんな情報が出てきた。

「3月のライオン アニメ化決定 2016年秋NHK総合テレビ 」
http://3lion-anime.com/

「羽海野チカ原作によるTVアニメ「3月のライオン」の続報が発表された。監督は新房昭之、アニメーション制作はシャフトと、「さよなら絶望先生」「魔法少女まどか☆マギカ」などを送り出してきた布陣が担当する。

放送は今秋からNHK総合テレビにてスタート。」

しかも映画もこの秋二部作で公開されるとな!観なくては、娘と。あなただけじゃない、こんな作品になるほど世間ではイジメは蔓延しているのだと。世界は広いのだと、教えなければ。 


※イジメはね、証拠が無いのが当たり前なんですよ。

このマンガは将棋ものだが、ものっすごいヘビーなイジメ問題が出てくる、第7巻だ。順主人公のひなたちゃんの通っている中学校に、高城めぐみ(たかぎ めぐみ)というイジメの首謀者的生徒がでてくる。この子がまあ、あのボス子にそっくりなのだ。こんな風に紹介されているので転載。wikiより

「ひなたのクラスの生徒でいじめの首謀者。モンスターペアレントの母親がいる。学校によるいじめ問題への介入後、表面上は態度を改めるが、まったく反省しなかったため、国分により指導を受ける」と、まあこんな感じでさらっと書いてあるが、このボス子に似たボス子が、ひなたちゃんの友達、大人しいちほちゃんという子を集団いじめで追い詰め、登校拒否にまでしてしまう。ちほちゃんは学校をやめて、不登校の子どもが集まる施設で生活をするようになる。そしてちほちゃんを庇ったひなたちゃんが、次のターゲットになってしまう。 


※こんな風に言える人、豊洲にはいません。

私は昔この漫画を読みながら、このボス子めと怒りを滾らせ、そして「ひなたちゃん、ちほちゃん負けないで。きっと作者はあなた達を見捨てないよ」と祈りながら読んだ。もうもう、本当にどうしてこんな事がこの世にあるのだろうと、あの頃の自分を重ねて悲しくなった。やっぱりそういうこと、イジメはたったひとりのモンスターの集団を操る構造で起こるのだ。あれもこれもそれも私も娘もみんなそう。たった一人の独裁者、そして追及すると「え?なんのこと?5年連続育休?それが何か?」とか「頭おかしいんじゃない」とか「 うちの子はそんな事言っていません」などとすっとぼける。

この漫画では、ホワイトナイト的先生が登場し、問題を解決に導いていく。こんな先生が豊洲に来てくれないかな。なんて言えば今の先生たちを非難することになりそうだが、そうではない。先生たちはいつも忙しく疲弊しているし、モンスターペアレンツが山盛りのこんな街で、ひとりの生徒について何かすれば、たちまち苦情や不満が噴出しそうだ。例えばヤンキー先生とか、乙武さんが赴任してきたとして、こうした問題は解決出来ないと思う。特にタレント議員、タレント先生は、強い父兄オカネモチと密着する。イジメなど「個人的なこと」として片付けられるだろう。でも、私は希望を持ちたい。

この漫画は是非、全国の校長先生、先生達に読んで欲しいと思う。放送される局はNHK、よかったフジテレビじゃなくて。漫画も読んで欲しいし、テレビアニメも観て欲しい、映画も是非。ひなたちゃん、ちほちゃん、ボス子に似ためぐみ(お前は敬称などいらん!)はどのように描かれるのか、とても興味深い。出来れば原作に忠実に、しかも丁寧に表現して欲しい。

娘の「ニヤニヤチラチラコソコソ」な私へのイジメは、「ママ、私いつもこんなことされてるよ、助けてよ、苦しいよ、悲しいよ」という娘からのメッセージだったのではないか。私もどうしたら止めてくれるかわからないので、とりあえず誰かにするのはやめようと言った。そんな顔は不細工だよと。本当に恐ろしいと思った。私もこのボス子にニヤニヤチラチラコソコソされた時は一瞬どっきりして心臓が凍った。いい大人が小学校四年生女子にされてそうなのだから、娘の恐怖はいかばかりか。私がなめられているせいだろうが、多勢に堂々とニヤニヤチラチラコソコソされたのだ。怖かった。娘がされているのは小学校という閉鎖された空間、しかも毎日行かなければならない場所なのだ。毎日ちゃんと学校に通っている娘を尊敬する。ここも小さな水槽なのだ。

あーもうどうにかしてくれん?なんでうちの子達をいじめるん?私が嫌いなら私に嫌がらせしたりなんか言えばいいのに子どもを使って子どもを虐めるなんて、本当に卑怯なやつら。子どもに私の事やその子どもの事を何て言ってるのだ。もう豊洲死ね!じゃなくてお前らが「死ねばいいのに」

と、私は思わなくても間違いなく姑はこの事実を知ったら言うだろう。あの婆あに呪われたら、怖いよ。 


3月のライオン

※真ん中のツインテールがひなたちゃん。頑張ったね、ありがとう。

でも私、時々子ども達を叱り過ぎて叩いてしまう。ごめん、おばあちゃん。


【今日の小確幸】

放送は2016年秋としかまだ情報がないけれど、先々の楽しみがひとつ増えた。
https://twitter.com/3lion_anime Twitterも要チェック☆

『エルマーのぼうけん』に最初に出てきたエルマーの息子、翻訳前の原本では一体どうなっているのか。あの記事を書いた後、気になって図書館で借りてきた。子どもの英語クラスが豊洲シビックセンターなので、行くついでみ必ず図書館に立ち寄る。英語クラスの方々に出会ったりするが、豊洲のママ友の誰か、ではなく、子どもの付き添いの親だと認識できるせいか、「あっ、会っちゃった、えーと誰だっけ」ということはない。こういうところでは息子もイキイキしている。あまりに伸び伸びし過ぎるので、「誰かお母さんをみたらバディのママだと思うくらいで丁度いいよ君は」などと意地悪を言ってしまったごめん。こうして考えると、何かを一緒に学んだ者同士というのは学友になり、友達になりやすいのかと思った。私も大学の学友は会えば嬉しい。なのに、幼稚園とか小学校とか、ママ友グループというといざこざし出すのは何故なんだろう。私が捻くれているんですねハイハイどうもすみません。それはともかくみつかったのは2冊、しかも「カウンター扱い」となっているので、倉庫の奥にしまってあったものを探し出したようだった。早速その表記のところを読んでみた。

※英語版

※中身は同じだった。

(用事を思い出したので続きは後程)

ワイン、ワインと書いていたら、ワインが飲みたくなった。2本のうちの1本を開けて飲んだらすっごく美味しかった。慎弥の時のワインより。なので私は外で飲むのが好きではない。専業主婦一瞬ライターという身分で美味しいワインを飲もうと思ったら、買ってきて飲むのが一番。けれど高いワインなど買わない。だがこうして時々頂きもので美味しいワインが飲めたりする。一緒に飲もうかと書いたのも忘れてひとりで飲みだした。うん!すごく美味しい。フランス、ランドック地方のもの。葡萄の種類は書いていないが、ガメイ、もしくはマルベックだろう少し薬草にも似た風味がすごくいい。

しばらく合評会作品集と共に楽しんでいると、息子が絵本を読んで欲しいという。眠くなったんだな、寝たら続きでワインを飲もうと歯磨きさせて蒲団に入る。最近お気に入りの「エルマーとりゅう」シリーズの『エルマーのぼうけん』、3部作で続いており、『エルマーのぼうけん』『エルマーとりゅう』『エルマーと16匹のりゅう』の順に読む。読んでいると寝息に似た呼吸になってきた。赤ちゃんの時から一緒、もうすぐ寝るだろうと思ったら寝てしまった。しめしめ、起きて本とワインを~と思ったら朝になっていた。ぽかぽかには注意、でもよく眠れたのでよしとする。

ところで私はこの本を初めて読んだ時から違和感があった。最初の出だしの部分、

「ぼくのとうさんのエルマーが小さかったときのこと、あるつめたい雨の日に、うちのきんじょのまちかどで、としとったのらねこにあいました。」

そして「とうさん」としてのエルマーは、次のページで、

「「エルマー・エレベーター!」と、かあさんはぼくのとうさんのなまえをよんでいいました。」出典『エルマーとりゅう』訳者:渡辺茂男 発行:福音館書店 1963年7月15日初版発行(所持しているものは第116刷)

そして次のページから最後の『エルマーと16匹のりゅう』までずっと、「エルマーは」になっている。最初の語り掛けで、ああエルマーというのは男の子のお父さんで、その子どもが話す物語と思って読みだすと、あれ、あれ、一体いつもとに戻るのと思いながら最後の最後までもう子どもの語りが出てこない。

ネタバレになってしまうが、最後はこう終わる。

「エルマーはあわてて、たべかけのトーストをのみこみました。「まさか、おとうさん!おとうさんは、そんなばかばかしいはなしを、ほんきにしちゃいないんでしょう?(完)」出典『エルマーと16匹のりゅう』訳者:渡辺茂男 発行:福音館書店 1965年9月30日初版発行(所持しているものは第103刷)

最初はエルマーの息子が登場し物語を語りだす、最後はエルマーがその父親に何事かを訴える会話で終わる。なんだか妙な感じがするのではないだろうか。私はする。「そんな細かい話し、いまさらやめましょうよ」などと言うなら、文芸コース失格。物語には「人称」という概念があり、一人称は主人公の視点、二人称は別の人格が物語を語り、三人称は「神の視点をもつ語り手」というのか、その物語の世界を全部把握している者の視点で物語がすすむ。厳密にいうともっと枝分かれするものがあるのだが、だいたいこんな感じ。

これを当てはめると、「エルマーのぼうけん」シリーズは、最初の1冊2頁が「二人称」残り全部は「三人称」ということになる。「ぼくのおとうさんエルマー・エレベーター」とエルマーの息子を登場されることにより、物語がラストから冒頭にワープするという時間の流れをみせたいのだろうか。エルマーは冒険をしてりゅうと友達になり、そして別れ、その後粛々と時間を経て、結婚し子どもをもうけ、その子に自分の体験談を語った、そしてその男の子が話すストーリー。

だとしたら、ちょっと設定が込み入りすぎではないだろうか。

最初から、「エルマーというひとりの男の子が『かれき町』というところに住んでいました。この男の子はあるつめたい雨の日に、ねこにあいました。」じゃダメなの?何か意味があるの?原書はどうなっているのだろう。最初に発行されたのが1963年、誤訳とまではいわないけれど、そういう何か認識のズレのようなものがあったのではないだろうか。映画も日本語訳を読んでいると時々驚くような訳が書いてあったりするし、村上龍はジャズのタイトルの誤訳を村上春樹に突っ込まれて、というか、明らかにあの小説の誤訳のことだなというエッセイがあり、そういう意味で活字になっているからと、そのまま受け取れないようなことが時々ある。そういう種類のものではないだろうか。今日は息子の英語のレッスン日、ネイティブの先生にちらっと聞いてみようか。息子はこの英語教室が大好きで、「あまり早く来ないでね」と言われているにも関わらず、時々時間を無視して飛んでいってしまう。本当に申し訳ありません、なのに母親までこんな事を考えて。

自分で調べよう。聞くは一時の恥とはいうが、自分で調べられることはまず自分で。なんでもかんでもヘルプデスクのお姉さんに聞いていいのは社内だけ、それすらも限度がありあまりに同じような事を聞かれると参考資料を渡されるし直属の上司に報告がいく。家では疎ましがられ、近所付き合いなら線を引かれる。最近冷たくした覚えはないのに、叔父も色々聞きにくそうだ。三連休そちらに行く用事があるからお昼を食べよう、ついでにパソコンみてあげると振ると、ほっとしたようにあれこれ話し出す。色々困っていることがあるようだ。聞きにくいのだろうか、反省。

話を戻して「エルマーの冒険」シリーズ。英語版はどうなっているだろうとググると以下の通りのものを発見。

My Father's Dragon: The Bestselling Children Story (英語) ペーパーバック – 2010/8/23  

Elmer and the Dragon (My Father's Dragon) (英語) ペーパーバック – 1987/11/12 

The Dragons of Blueland (My Father's Dragon) (英語) ペーパーバック – 2007/3/13

と、上から順に日本語訳のものを表紙の絵を頼りに順に並べてみたが、このまま三部作でいいのだろうか。その前に全部のタイトルに「My Father's Dragon 」たと書いてある。もしかして物語全部のエルマーは、「エルマー」ではなく、「ぼくのとうさんエルマー」と表記しているのではないだろうか。

Amazonの紹介文は3冊全てに同じ記載がある。

「内容紹介 TOEICレベル 400点以上 
ぼくのとうさん、エルマーがまだ小さかったころ、いっぴきの年老いたのらねこに出会いました。その日は雨がふっていて、ねこはびしょぬれ。かわいそうに思って、うちに連れ帰り、おかあさんに内緒で、地下室でミルクをやっていたのです。ところが3週間がたったときに見つかってしまい、ねこは外にほうりだされてしまったのです。ねこを見つけたエルマーは、いっしょに公園に向かいます。エルマーは言いました。「ぼくは大きくなったら、ひこうきをもって、好きなところへとんでいくんだ」それからねこがぽつりぽつりと話し始めた、不思議な島の物語。それがぼうけんの始まりだったのです。 」

原書が読みたい、確認してみたい。百聞は一見に如かず、本を開けば「ああ、なるほど」となる気がする。この物語の最後はエルマーのお父さんではなく、エルマーの息子が再び登場し、「これで、ぼくのとうさん、エルマーのはなしはおわり。このものがたりが、ほんとうにあったことかって?りゅうとやくそくしたから、ひみつなんだって。(完)」という感じでないとしっくりこないと思う。京都造形大学の論文研究の授業で発表したら、多分先生からも生徒からも同様の指摘があると思うが如何だろうか。私、何か勘違いしてる?こんな事考えるのは私だけ??


※作者のママが描いた表紙も素敵


【昨日の小確幸】

昨日抜栓してしまい風味は抜けたかもしれないが、美味しいワインがまだ2/3残っている。もう一本は連休に叔父と従兄と飲もう。


レシピという程でもないが、書いてアップ。料理が好きだといいながら、如何に簡単に美味しく作るかをいつも考えている。何もかも目分量なので味も決まらない。でも手作りはやはり美味しい。たまに出来合いや冷凍食品を買ったりするが、やはり美味しくない。正直ファミチキもわたし的には変な味だと思っているが、子どもや夫は喜んで食べている。ファミチキってあの味だよなあと思っていたが、やはりそうらしい。ということで、レシピを書いた。

料理の名前は、『ほぼファミチキ』。からあげ粉を大量に使うので塩分過剰かと思うが、子どもがたくさん食べてくれるのでよしとする。今は身体を大きくすることが最優先。特に息子は小さいので、たくさん食べて欲しい。これ好き!などと言われると嬉しくて、そればかり作ってしまう。しばらくすると「もう好きじゃない」などと言われて悲しくなる。今回のこれはほどほどに作ろうと思う。

※これにあの粉をたっぷりまぶす。写真はまぶす前。

今写真で気付いたが、チラシの裏ではなく表が中側になってる。その前にチラシなんか使わないとか、「不潔」とか「ズボラ」とか「躾が悪い」などと言われるのだろうか。でも肉は安心安全たつみチェーンのもの。出所の正しい美味しい肉だ。私はそちらの方がうんと気になるたち。人それぞれという事でよろしくお願いします。


【今日の小確幸】

今夜は女子会。楽しみ!

今日は手が止まらない、というか書きたいことがたくさんある。一番書きたいことはやはり震災のことだろう。復興とか放射能については、一般的な事しか知らないし情報源もない。「ただ一日も早い復興を祈る」と書いても使い古された慣用句のようになりそう、でもやはり祈らずにはいられない。そのくらい私たちにとっては前代未聞の大災害だった。神戸の地震の時にはもうこんな天災はないのではないかと勘違いしたが、それより遥かに巨大なものが来たのだ。作家の桐野夏生はフォーラムの講演で、その想像を全く超えた大惨事のに茫然とし、しばらくは何も書くことが出来なかったそうだ。

私は茫然自失の後、この大きな出来事で皆が命の大切さ、助け合い暮らす素晴らしさに目覚め、ママハラスメントやその他のハラスメントが無くなればいいなどと期待した。だが根ざしたそれらは一掃されるどころか、あっという間に元に戻った。まるで根が深い雑草のように、駆除したと思っても夏になるとまたしれっとあちらこちらで勢いを増す。こんな人間の尊厳を覆してしまうような大廈があっても、人というものは、ハラスメントというものは無くならないのだと思った。あんな自然豊かな母なる大地のような東北でなく、この豊洲が波に飲まれて壊滅してしまえばいいのにと思った。

そうは言っても子ども達は無事で育ってほしい。なので小学校は家に一番近いところにした。もうあの津波をみたらそう思わない親はいないのではないかと思っていたがそうではない人もいるようで、考え方は色々あるのだと思った。それよりも人災、人の悪意の波にさらわれないように日々気を付けなくてはならないことの方が優先順位としては高いだろう。私のように迂闊な母親は、日々子ども達を災害に遭わせてしまっているようなものだろう。それは延々と続いている。一体いつまで続くのだろうと時々思ったりする。

バディをやめたから終わりとか、小学校を卒業したら無くなるとか、そういうものではないと昨日しみじみと思ってしまった。多分、ここに住む限り、もう一生続くだろうと覚悟した方がいいのかもしれない。もしかして大ボス子ボスそのしもべたち、みんな何処かに引っ越してしまうことがあるかもしれない。新し小学校にみんなで入学しようと声をかけあい集めたように、どこかの新しマンションにみんなで住みましょうとか、そういうことがあるかもしれない。でも人が変わったくらいでは何も変わらない気がする。「あの人みんなでイジメていい人」などと、私のどこかに印でもつけられたように思うのだ。

そんな街、豊洲のあの時を書いてみようと思う。先日慎弥とワインの前に私を呼び止めたパパラッチは、実は「震災の時、あなたは何をしていましたか」というテレビ局の取材だった。普通の話題なら断ってワインに行ったが、内容が内容なので真摯に語ったのだ。なので遅刻した。あの日、あの時、あんな事が起こると思わなかった。


※この中に私がいます

あの日はいつものように子ども達を起こし、珍しいことと言えばバディに入園前の1歳の息子を近所にあるひまわりキッズガーデン豊洲の一時保育に預けたのだ。この保育園は就園前の幼児を一時保育という形で一日預かってくれる江東区の子育て支援制度が指定した施設でもある。子どもの多い豊洲の街で、一日に1人か2人という枠は予約時刻と同時に一瞬で埋まる。そんな難関を潜り抜けてとった枠に息子を預け、娘と一緒にバディスポーツ豊洲園に向かった。

娘は豊洲園ではないが、その年に出来た豊洲園で江東園の卒園式が行われ、年中の園児が卒園児を送るとして参加したのだ。卒園式の後、卒園対象者は謝恩会などがあるが、送る側はそこで終了する。クラスは違うが仲良くして頂いている近所の親子と、ららぽーとで映画を見せようと約束していた。そのままららぽーと豊洲に移動した。子ども達だけ映画館に送り出し、親はお茶だったか遅いランチだったがもう思い出せない。何か他愛もない話をしたのだろうと思う。映画終了の時刻になり、子ども達を迎えにいった。時間になり子ども達が出てきた。確かドラえもんをみせたのだと思う。笑顔で出てくる子ども達に何かおやつを食べさせようか、そんな話を映画館の前でしていたその瞬間。

最初はカタカタという感じで揺れが来た。あ、地震などと誰かが言って、子ども達を手元に引き寄せた。すると次の瞬間ぐわーっという感じで揺れがきた。もう「地震」などという概念も自分も吹っ飛んでしまった。

※用事ができたので中断。続きは後程。

 」の記事、9,000字近くも書いてしまった。書きたいことは書けたが、多分長すぎて訳がわからないと思うのでまとめ。

昨日行ったセール開場で去年諦めたリバティの傘が思わぬ値段になり買えて嬉しかった。浮かれて帰ってきたら子どもがプールに付き添えという。妙な胸騒ぎを感じつつ行くと、息子と娘がトラブルに巻き込まれていることを知った。息子は西小学校の子どもから覚えのないお金を返され、娘は豊洲小学校と北小学校、そしてそのうち2人はバディスポーツ幼児園出身の子どもの4人グループから、「ぎゅっと群れを作り仲良くすることで近くに存在するたったひとりの居心地を悪くさせる」といういじめを受けていた。

各小学校の校長、それからBUDDYスポーツ幼児園の会長、江東区長は今すぐこのように蔓延してるハラスメントについて対策を考えて欲しいと書いたらあのような長文になった。京都造形大学の学長は講演で、「まずお母さんを教育しないとダメなんです」と言った。バディスポーツ幼児園の会長が「お母さん達が仲良くしてください、そうすれば子どもが仲良くなるんです」という話は、私の中で対照的なものとしてセットになっている。



※昨日買ったもの。帽子もリバティ♡


※一目惚れしたコサージュと名刺入れ


でも私がこうして身の危険を冒してまで書いているブログ、全く役に立たなかったという敗北宣言でもある。その前にいつだって私は戦っていない。最初から白旗をあげているが、ただただ爆弾を投下されやられっぱなしで我が家は焦土と化している。復興に向けて日々暮らしているが、希望はあまりない。救いは私自身はさかなクンのあの記事のように好きなことに夢中になることで、嫌なことからパっと離れられるということだろうか。それでも昨日のように時々驚くようなことが色々ある。

「美味しいネタだと思いなさいよ」と学友は言った。確かにそうだがあまりにも辛(から)すぎて咽(むせ)て泣きそうだ。松ちゃんの山葵巻きのよう。小さいと侮ると酷い目に合う。まあピリリとした人生を神様にリクエストして、それが叶っていると思うことにしよう。卒業研究はもう誰がなんと言おうと、こちらの話にしようと思った。大学の先生達の呆れた顔が目に浮かぶが、もう私に慣れてくれただろうとも思う。何を持って行ってももう驚かないだろう。

「フルホンヤ・ラスト・ディズ」は約58,000字だった。卒業研究の文字数上限は32,000字だった筈だ。私はもっと書きたい。先生が認めれば大幅な増減も可能だと言われた。文字数でも作品の濃度でも卒業研究作品の金字塔を打ち立てようと心に決めた。それから京都造形大学の学長から、子ども芸術大学の学長をやりなさいと言われたのでこれもやる。

冗談かもしれないが私は本気にとった。これについてはまた後日書く。というか、整ったら学長充てに報告も兼ねて記事を書いて手紙を書きたい。やると言って出来なかったでは私が嫌なのだ。やると言ったらやる。村八分になって誰からも無視された時は、誰にも遠慮しなくていい立場になれたとポジティブに考えていたが本当にそう。仲良しごっこで日和っていたら、余計に不安な日々だっただろうし何もできなかったと思う。それにしても私は「バス」と相性が悪いのだろうか。幼児園、スイミング教室と、子どもをバスに乗せると色々ある。憂鬱。


【今日の小確幸】

最初にめっちゃイジメ抜いて今も色々裏でやっているだろう〇生堂のあの人に本当は感謝しなくてはならないだろう。今も小さくいじけてオーラゼロの私を、豊洲という街でこんなに有名人にしたのはあの人の手腕だ。さすが広告塔、情報操作に長けているだけあると感心しきり。厭味でなく本心。そんな人にこんなに目をかけて貰って幸せだと思おう。

ブログ始まって以来の長編になってしまったので 別記事 にまとめた。そちらを読んで興味があるならこちらをどうぞ。それから続編らしきもの書きましたので、こちらも宜しければ。

昨日買い物に行ったのはアパレル会社のファミリーセールだった。もうあまり買い物をしないといいながらも、ここは必ず誰かが行きたいと言ったり、一緒に行こうと誘われて一年に一度行くことになる場所だ。プロパー(定価)もそれほど高くなく、ファミリーセールとなれば70、80% OFF は当たり前で、一体何割引きになる?と計算しにくものまである。中には本当に破損があり、自分で修理するなんて感じのものもあるが、様々なものが山になっている様は壮観だし宝探しのように楽しい。

そこで私はすごいものを発見した。リバティ、リバティと言い続けているせいか、リバティの布でできた製品をみつけた。それは昨年別のママ友と行った時に、すごく欲しいけれどセールにしては高いと諦めた傘だった。傘は無くしやすい、しかもセールで4千円。高!そう断念したものが今年もまだあった。しかも色々な人の手により弄われたようで、一部ほつれがあった。ほつれくらい自分でかがればなんともない。近くにいる社員の方に説明して値引きを依頼した。するとさくっと千円にしてくれたのだ。昨年本当に涙をのんで諦めたものが今この手にある。全く同じものだろう。

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めったに使わずコレクションにする事にする


高嶺の花だと思っていた令嬢が、紆余曲折を経てお嫁にきてくれたようなものだ。感動の結末。帰ってすぐ自分で修理し、昨年一緒に行ったママ友に画像つきでメールで報告した。喜んでくれたが彼女は傘のことは忘れているようだった。久しぶりだからランチしようとかえってきた。彼女とは間が空いてしまったりするが、のんびりした付き合いが10年続いている。報告することは何もないと考えながら、息子が BUDDYを途中で退園したのを話していない事に気が付く。もうそんな振りかとびっくりし。 (訂正。昨年ランチした時報告済みだった2016.03.13)


さて、今日のメインはこれではない。その予定だったが違う記事を書かねばならなくなった。いつも誰かを disり、周りに察してもらう、そして世の中のママハラ他その他のハラスメントを是正するような気持ちでいtが、これらは自分の評価を下げるだけで全く意味がないと知った。私が何をしてもどう足掻いても、ボスママ達に、特にあの大ボスに謀反を起こしたものという烙印を押され、子どもたちまで同じように扱われる。それならもう私は白旗を掲げようと思う。と、いうより私は全く戦う気はなく、むしろ「私も子ども達のこともどうぞイジメないでください」というスタンスをずっと掲げていた筈だ。なのに白い旗に気が付かないふりをして爆弾の雨を降らせるのは、戦争協定違反ではないだろうか。

昨日セールで戦利品を抱えて浮き浮きと帰ってきた私に息子がおびえたように言う。「ママ今日プール一緒にいって」と。息子はいつも友達と待ち合わせて嬉しそうに行く。バスの時間を無視して勝手に早く行ってしまうくらいだ。玄関でもじもじしており、何か変だと思った。息子は何かあると言葉にしない代わりに顔や態度、様子に出る。言葉が早かった息子はものすごい口が達者なので語彙に困るというより、何かあって私にいうと告げ口になると思っているのだろう。彼の良心が口を噤 (つぐ)ませているのだ。あの時もこの時もそうだった。そういう時は彼を追及せず、そっと放ち現場に行くに限るのだ。昨日もそうした。

バスで行った息子を追って車で到着。そっとプールサイドに行き様子を伺うが楽しそうにしていた。先月くらいに娘の報告で、バディで息子に「 ねえ、まだバディやめないの? 」と年少の頃に因縁をつけられた女の子が母親軍団で連れ立って来ていたと聞いた。娘と同じ曜日に習いに来ているようなので、速攻娘の習う日を変えた。もしや息子と同じ曜日になり、息子にまた何事か言って因縁をつけているのだろうかと思ったのだ。だとしたら「同じ曜日は遠慮してください」と言うつもりだった。 BUDDYを辞めさせた後もまだ同じことをするつもりなのかとも。でもいなかった。

練習が終わり、息子が着替えて私にポチ袋を渡す。誰かから貰ったという。もみくちゃになり、明らかに古びた小さな袋には小銭が大量に入っていた。誰に貰ったかと聞くと誰かのママだという。お金を誰かに貸した覚えもないし、貰ういわれもない。「誰か」の名前も知らないので本人のところに連れていけというと、ロッカーで着替えている男の子に対面させられた。母親はついてきていないが、くれたのは母親のお金だという。お金は、「前にお菓子をあげて120円といったらくれたので、悪いからまとめて返す」というのだ。

確かに息子にはジュースを買うように200円くらいを毎回持たせていたことがあった。カツアゲとまでは言わないが、そういう事があったのだろうか。母親にお金の出所を不信がられて返してくるように言われたのだろうか。他でもお菓子の空のつつみが大量にあり、問い詰めると息子に買ってもらったと言ったそうで、返金しますと謝られたことがあった。勿論断ったが、そういう事例がまだ他にもあるかもしれない。まだまだ親がついていないとダメなのだなと思ったが、これも勉強なのだろうか。ついてきて欲しいと言ったのは、これらの報告のためなのだろうか。愚図った理由なのか。

帰ってプールの先生とお金をくれた子の様子を聞くため誰かにメールしようと思いながら帰ろうとすると、今度は娘が見学して欲しいという。息子のクラスの次に娘のレッスンが始まるのだ。早く帰って夕飯の支度やら色々やりたい事もあり、ちらっと見てさっさと帰ることにしてプール周りの見学用の椅子に座る。水着の娘がやってくるのを待つがなかなか来ない。どううしたのかと思ったところの娘の同級生たちが来た。なんと あのふたり ではないか。娘と同じ塾、娘にちょっかいを出すいじめっこといじめられっ子のしもべ。私が娘にいじめられていたら庇ってあげなさい、同じバディだったんでしょうと言い含めた女の子だ。

ふたりしてこちらをチラチラみるが眼があうと慌ててそらせてごにょごにょと何か言い、またチラチラとこちらをみる。まるでママ友軍団のようだ。まあ塾だのなんだの被ることはあるだろう、最近は親に挨拶しない子どもが増えたなどと一般論で片付けようと思ったが、何かがひっかかった。みていると娘とこの二人は違う班のようで、離れたところでレッスンを受けている。でも何かひっかかる。半分時間が過ぎたところで先に帰ると娘に言って、ロッカーの外で待ち伏せることにした。多分、私がいないと素がみえると思ったのだ。 あの時 あの時 もそうだった。なので今回もそうしたのだ。

まず着替えている様子をそっと見に行くと、娘の小学校の同級生4人が姦しくぎゅっと固まって着替えている。娘はかなり離れた場所のロッカーでひとりでいた。私に気が付かないのか、間もなく来るバスの時間が迫っているせいか焦っているようだった。そっとまたロッカーの外、入り口あたりのベンチに座って出てくるのを待つ。するとわーっという感じで楽しそうな4人が何か言い合いながら出てきた。ややあって娘がぽつんと出てきて私に気が付いたのかきょとんとしていた。娘の肩を抱いて、「車で帰ろう」というと、こっくりと頷いた。

バス待ち場の近くに車を移動していたので、同級生4人のすぐ近くを通り過ぎると全員が誰かのゲームかスマホをみているのか、ぐるっと円陣を組み下をみていた。そのうちのひとりが困った顔でこちらをみているが何も言わない。この4人のうちバディの卒園生は2人、ボスはあの〇業の娘。そう、あの大ボスの親友ママの子どもだ。この子は幼少の頃から一時保育で同じ保育園に預けると「一時保育の子」といって、保育園でも娘をいじめたそうだ。いつか母親にさり気なく忠告したことがあるが「ああそう」という感じで流された。私の話を大ボスから聞いていて無視を決め込んだのだろうか。それからも色々あったが一度も謝罪の言葉を聞いたことがない。謝ったら損害賠償請求という世界の住人だからかもしれないが、あまりにも酷いのではないだろうか。

それからバディの卒園生としての2人もそうだ。一緒に4年間も過ごした仲間ではなく、元バディの大ボスやボスママ軍団から嫌われている母親の娘として扱われている。バディの子ども達というのはいつもイジメるかイジメられるかボスのしもべになり、いじめられても何を言われても我慢するという構成になっている。女の子は特にそうだ。他の地区のことは知らないが、少なくともここ豊洲界隈はそうだ。そもそもこの地区のバディスポーツ幼児園というのは、父兄のグルーピングやマウンティングがひどく、ママ友界のカーストががっちりあり、それが小学校まで続く地区だ。子どもが真似をしているだけ、今日書いたことは氷山の一角、私の知らないところでもこうしたことが毎日のようにあるだろう。 幼稚園、保育園、幼児園から小学校だけではない、塾、こうしたプールなどの習い事などでも、やはり同じように「ぎゅっとスクラムを組み仲良くすることで誰かひとりの居心地を悪くさせる」ということがあちらこちらであるはずだ。

この、「ぎゅっと群れを作り仲良くすることで近くに存在するたったひとりの居心地を悪くさせる」 といういじめ方、豊洲界隈では非常に多いのだ。私も何度もみてきたし、自分も繰り返し繰り返しされてきた。( 私も経験があるとかなりな数のメールやメッセージが届いている。私はこんな経験、ここ豊洲で初めてした)。母親がするので子ども達がまるっと同じことをするというのはこういう事だろう。

プールを往復する小さなバスの中で、あの娘(こ)はお菓子をいつも持ってこないと娘が言う。なんのことかと思ったら、取り巻きが高価そうなお菓子をその娘に献上し、彼女たちは山盛りのおやつを食べながらプールに行くのだという。「大丈夫だった?」と聞くと、「私は家から持っていったのを自分で食べるから大丈夫」という。そうではなく、狭い小さなバスの中で自分以外の同級生たちが仲良くお菓子を食べワイワイしているところに離れてポツンとしていた娘(むすめ)の気持ちが大丈夫かと思って言ったのだ。

私は速攻でプールの事務所に行き、曜日変更手続きをした。シャクレバーチの娘たちが来たせいで変更し、また曜日変更。いじめられて逃げ回っているように見えるかもしれないが、その通りだから仕方ない。先生にも訳を説明した。でなけれがコロコロ気の変わる親子だと思われるだろう。私は子どもがいじめられているのを知って、見て見ぬふりをするような親にはなりたくない。どこまででも何度でも私は子どもを連れて逃げてまわるのだ。もう子ども周りのことは書かないことにしたが、やはり書く。そして今回は「察して」ではなく、きちっと相手に向けて書く。

あるお母さんが「匿名のつもりかもしれないが、みんなあなただって知っているよ」とわざわざ教えてくれたが、このブログを書いているのが私だと知らないでいるのはあなたくらだよと返事した。親切なその方は、ブログもラノベも今すぐやめなさい、子どもの事を考えてと言った。でも匿名で名前を伏せて気に入らない人々や出来事を書きなぐっているのではない、ハラスメントのリアルを書いているのだ。書かれた方は匿名なので「私じゃない」と無視を決め込んでいるのだろう。そう言いながら私ではなく子ども達を酷い目に遭わせることで、ハラスメントは山火事のように深遠してたのだ。終わっていなかったのだ。

背景 拝啓、豊洲小学校校長どの、学校の廊下にいじめ撲滅のためのポスターが掲示されていますが、全く意味がないようです。今一度子ども達に、特にあの〇業の娘周辺にきちんと指導して頂けないでしょうか。「いじめは良くないどころか犯罪です」と。司法を生業としている親の子どもがこの有様、もう言葉もありません。親同士の話合いが必要なら辞さないつもりです。でも相手は絶対に出てこないでしょう。

それから対岸の火事のように読んでいる豊洲北小学校の校長先生、あなたの学校の生徒にも4人のうちのひとりがいます。この子はいじめられっ子で娘がかばったら相手のボスについて娘を攻撃する側にまわりました。これはもう親の教育の賜物だと思いますが、学校で問題としてあつかってください。バディの卒園生は問題の多い子どもが多いと言われていますが、暴力だけでないこうしたハラスメントも理由のひとつです。

西小学校の先生も、豊洲の出来事として読んでください。バディの卒園生が集結した小学校、同じような事が絶対色々ある筈です。そして困っている人もたくさんいると思います。でも困っているとは絶対声をあげられない、声をあげたらイジメがエスカレートするからです。ぎゅっと固まって嵐が過ぎるのを待っているだけなのです。

最後にバディスポーツ幼児園の会長さま、多分このブログを読まれて非常に問題視されていると思いますが、問題なのはバディの父兄たちと彼らへのあなたの教育です。あなたは昔私たちに言いました。「お母さんたちが仲良くしてください、そうすれば子ども達も仲良くなれるんです」と。一部の馬鹿な親たちはそれをグルーピングだと勘違いして、そうしない者達を排除することで結束しています。その勘違いしたまま培われたスピリッツは、卒園した後も小学校で、習い事で、街の至るところで行われ、私たち家族だけでない迷惑してる人達がたくさんいます。どうぞ幼児園で子ども達だけでなく親もきちっと教育してください。母親から教育しないとダメなんです。

私は BUDDYスポーツ幼児園に縁があったこと、大金を投げ打って子ども達を通わせたこと、こう言っては申し訳ないですが非常に後悔しています。子ども達は多少運動が出来るようになったかもしれない、でも私たち家族は多分ここが地獄だろうと思うほどひどい目に合いました。なんだかんだ姉弟ふたりで約600万円もかけたお蔭で家の財政は苦しくなり、喧嘩たえません。それに見合う教育を受けられると思っていましたが、全くそんなことはありませんでした。そうやって途中でやめた人はうちだけじゃありません。いじめられて、居場所がなくなり辞めた人々ばかりでした。教育方針に納得できないようなら辞めてくださいと言われますが、そんなことではない酷いことが起きています。

一部の先生達は生徒を殴り蹴り、そのトラウマを持った男の子はうちの娘を殴り蹴りました。鬼のような形相で何度も何度も。親ではなく幼児園でのトラウマだと思われます。噂で何度も聞きましたし、娘からも無邪気に「女の子は叩かれたり蹴られたりしない」などと聞きました。それから先日テレビで放送された時に園を案内していた女の先生は、言葉もわからないほど小さな園児を廊下に立たせたり怒鳴ったり。これは私がこの目でみました。

「いちいち小さなこと」と T園長は言いましたが、私はそうは思いません。その小さなことの積み重ねが教育です。寄ってたかって誰かをいじめることで自分のポジションを確立するような事を教えては、見せてはいけないと思います。色々なところで良くないことを見聞きしました。園の評判が下がる前に是正をお願いします。少なくとも娘は卒園して良かったと言っています。

この豊洲という街は、悪い事する人を叱る人が誰もいません。人を集めて権力を握ったと勘違いする者たちが目に見えないルールを勝手に作りあげ、がんじがらめにしています。それらは大概ボス気取りの者達に都合のいいルールで従わない者は徹底的にいたぶられます。そうして豊洲を出ていった人達をたくさんみてきました。まわりは気の毒に思いながらも何もせず黙って笑顔で送り出します。

私はあなたの組織、 BUDDYスポーツ幼児園でボスママ軍団の指揮命令で私を無視する父兄全員から排除され、途中で息子を退園させました。父兄のいじめは子どもにも浸透し、大ボス配下のボス T蔵の子ども達から2015年の春頃からずっと「ねえ、まだバディやめないの」としつこく言われ、女の子の結束で息子をいじめ、それらは園児園児全体の楽しみになりました。なので私は息子をやめさせました。バディスポーツ幼児園はいじめの温床、ママハラスメントを園長が加勢する恐ろしい悪の帝国になっています。

今の江東区長もそう。デベロッパーなど様々を誘致し巨大な新しい街を作り上げた手腕は素直にすごいと思います。ただその中にいる者達、特に母親が窒息しそうになっているのを見過ごし、力のあるものばかりに優しいコミュニティになっているように思えてならないのです。豊洲という小さな水槽の中で生きるしかない私たち、こんなことが起こっています。個人的なもので各々が解決すべきもの、自治外は関係ないというのなら大間違いです。いますぐいじめを撲滅するために策を練り、予算を計上してください。

私はラノベの中で、ママハラが無くなる100年後の豊洲を書きました。それは私が物語のストーリーを面白くするために少々無理がある設定だったかもしれません。でもそんな設定が必要なほど、ママハラは大きな社会問題だと思いましたし今も思います。ママ友カーストの最上に君臨していると勘違いしている一部の父兄以外は、本当に嫌な世界だと思っています。私個人がブログを書くくらいではなんともなりません。オリンピックを誘致する程力のある自治体なら、ハラスメント撲滅くらい軽々と出来る筈です。

トップが観て見ぬふりというのは一切もうやめてください。私はこれからブログだけではなく、声をあげていこうと思います。子どもの世界に親は関係ないという方がいるかもしれませんが、今の世の中はもう古き良き訓えは通用しません。親が虐められれば子どももいじめられます。子どもがいじめられて揉めれば、弱い方の、声をあげられない側が徹底的にやられてしまうのです。

今回のプールの送迎のバスの出来事について、各小学校とスイミングスクールとバディスポーツ幼児園に警告します。そして報告という形で教育委員会と江東区長にも手紙を書きます。また全部無視されると思いますが、何度でも言うことにします。そして間もなく現在の PTAが解散し、新しい組織として人選がなされる筈。ここにこのあの人が選任されることがあれば、総会で異議を唱えます。いじめをする側が、子どもがそういう事をしていると知りながら見て見ぬふりをする親に役員をする資格はありません。もしそうならば、ですが断固抗議します。

私は以前から、 この話 が非常に今の自分にマッチしているような気がしてならならなかった。この魚の群れを統括しているボスが必ずいるだろうとも思う。同じ種類で個体の違いなどは目でわからないが、組織全体を操り群れを動かしているのだろうと。人間も同じ。ひとりが苛めで豊洲という街を、バディという組織を抜けるとまた誰かが同じようにターゲットにされるのだ。「私が」バディを抜けた後、今度はとあるボスママがターゲットになったと聞いたことがある。なのでスイミング教室がある大きな商業施設と連なった大型マンションに住みながら、わざわざ遠くのプールに子どもを通わせることにしたのだろうか。

※それはどうでもいいが、辰巳スイミングの月曜日のバーチさん、木曜日の方々、絶対他の曜日に来ないでくださいね。

ここにさかな君の書いたこのメッセージを貼り付けておきたい。私の言いたいことが全部網羅されているような気がする。各教育施設でこれを毎朝音読させたらどうだろう。イジメはなくならないが、いじめの構造を理解した子どもが自死や欝を患うのを防げるかもしれない。ここだけじゃないと思えばなんとかなるかもしれない。そんなところからは逃げればいいのだ。豊洲死ね!というのはこういうこと。もう一度いう。こんな豊洲死ねばいいのだ。オリンピックなんて失敗すればいし、招致撤回すればいい。築地の魚市場など来るな!そんなお金があったらハラスメント、特にママ友ボスママで困っている人達の相談窓口とか法務相談とかコミュニティ、シェルターにお金をかけるべき。派手に打ち上げるのが好きな幼児園に街が倣ってどうするのだ。こんな悪いボスによるボスのためのボスの街滅びればいいと思う。

いじめられている君へ

広い海へ出てみよう /東京海洋大客員助教授さかなクン

 中一のとき、吹奏楽部で一緒だった友人に、だれも口をきかなくなったときがありました。いばっていた先輩が 3年になってとたん、無視されてたこともありました。突然のことで、わけわかりませんでした。

 でも、さかなの世界と似ていました。たとえばメジナは海の中で仲良く群れて泳いでいます。せまい水槽に一緒に入れたら、 1匹を j仲間はずれにして攻撃し始めたのです。

けがしてかわいそうで、そのさかなを別の水槽に入れました。

すると、残ったメジナは別の 1匹をいじめ始めました。助け出しても、また次のいじめられっ子が出てきます。いじめっ子を水槽から出しても新たないじめっ子があらわれます。

 広い海の中ならこんなことはないのに、小さな世界に閉じこめると、なぜかいじめが始まるのです。同じ場所にすみ、同じエサを食べる、同じ種類同士です。

 中学時代のいじめも、小さな部活動でおきました。ぼくは、いじめる子たちに「なんで?」ときけませんでした。でも、仲間はずれにされた子と、よくさかなつりに行きました。

学校から離れて、海岸で一緒に糸をたれているだけで、その子はほっとした表情になっていました。話を聞いてあげたり、励ましたりできなかったけど、誰かが隣にいるだけで安心できたのかもしれません。

 ぼくは、変わりものですが、大自然のなか、さかなに夢中になっていたらいやなことも忘れます。大切な友達ができる時期、小さなカゴの中でだれかをいじめたり、悩んだりしても楽しい思い出は残りません。外には楽しいことがたくさんあるのにもったいないですよ。

広い空の下、広い海へ出てみましょう。(さかなクン)」


【昨日の小確幸】

子ども達が窮地に立たされているということが分かって本当によかった。これら全く知らずに呑気にしていた自分はなんだったのか。またあの人がメディアにでていると教えてくれた人がいた。まあこれが資生堂からの回答なのだろう。私ひとりが訴えても何も社会は変わらない。というか、正直社会より自分の身の回りがどうにかなれば後はどうでもいいとも思う。自分の子どもが一番可愛いのは誰も同じ。リバティの傘のように、まわりまわってストンと幸運が落ちてこないかなと呑気な気持ちもある。だからダメなのよとボスママ達の高笑いが聞こえる。もう一度言いたい。こんなイジメの街、

豊洲死ね! 


9,380字)

こんな夢をみた。ママ友での唯一の親友、S.Hさんが「今までありがとうね」と言いながら包みを渡してくれた。中をみると素敵な花柄のエプロン、「あなたのママに渡して」と言う。「えー私が使っちゃダメなの?」と、言いながら胸に当てると彼女は嬉しそうに笑った。私は笑顔を見ながら、彼女はお別れを言いに来たのだとわかった。「Sさん、さようなら、ありがとう。私、あなたのおかげで強くなれたよ」

そこでパッと目が覚めた。そして、もう会えないんだなと思ったら、寂しくて悲しくなってしまった。いつもいる隣のポカポカはいなかった。多分寝る前にみんなでゲームでもして和室で寝落ちしてしまったのだろう。余計に寂しくなってしまった。

S.Hさんがくれたエプロン、同じようなものを探して母にプレゼントしようか。そういえば間も無く母の日だ。母が何か信号でも送っているのだろうか。今年は何日かとカレンダーをみると、5/15だとあった。その前5/12,13は善光寺と書いてある。善光寺?そうだ、学友と行こうと話したのだった。そういえば戸隠の話もしたっけ。

夢を思い出してからスライドショーのように様々なものが脳内で上映された。朝から頭の中ではどうでもいい事がクルクル回っている。夢は色々な暗示をくれるし未来を教えてくれた。夢日記を書いた夏目漱石は胃の病で長年苦しみ、筒井康隆は悪夢をみるようになり書くのをやめたそう。物語が終わる時の夢落ちは愚行だと大学の先生は訓え、夢は諦めるのが大事と末為大は語り、中川淳一郎は、『夢、死ね!』と書き、京都造形の学長は子どもに無理やり持たせるなと説いた。最後のは名言だと思った。

不思議なもの、夢。人により捉え方や概念は様々だと思うが、私は夢は見続ければいつかは叶うし、叶わないとしてもみる事は素晴らしいと思う。持とうと思って持てるものではなく、夜みる夢と同じだと思う。無理やり持たせたり、ないと夢がないやつなどと揶揄されがちだが、なくても全然かまわない。いつの間にか見たり持ったりするもの、それが夢なのではないか。夜夢をみない人がいるそうだが、こちらは眠りが深いせいなどと羨ましがられたりする。変なの!

私は独身の頃、こんな夢をみた。夫が私の産んだ赤ちゃんを満面の笑みで抱っこしている。「私が育てるからちょうだい」と言うと、顔は相変わらず抱っこした赤ちゃんに向けたまま、「何言ってるんだよ」と言って返してくれない。その頃まだ夫と知りあったばかりで、友達どころかただの知り合いだった。変な夢をみちゃったわと思っていたら、数年後に現実になった。

娘を産んでしばらくしたある日、今度はこんな夢をみた。夫が小さな男の子になり、自宅のカーテンの陰でママ、ママと泣いている。私が近寄ると嗚咽が始まった。ああ、この子のママは私なのだと思って目が覚めた。そしてまた数年後、今度は息子が生まれた。悲しくなるほど夫にそっくりだった。

他にも色々な夢をみた。あれ?と思う印象的なものはなかなか脳が忘れてくれない、そして大概現実になった。それから夢想もそうだ。時間も余裕もたっぷりある独身の頃、一人暮らしのタワマンのベッドに寝そべると、「結婚して子どもが出来たら大変なこてになる。今のうちに休んでおきなさい」と、自分の声がする。その頃結婚する気は全然なかったし、相手もいなかった。これも結局は現実になってしまった。

またある時、自分の周りにふわふわと何かが漂っている夢をみた。しばらくは現実でも近くに何かがいる気がした。会社の昼休みに薬局にいくと、レジの横に妊活漢方の小冊子が置いてあった。何気なく持ち帰り眺めるうちに、もしかして赤ちゃんの魂なのかもと思った。その後すぐに姑になる人がそろそろ結婚したらと言い出し、結婚し子どもが生まれた。結婚した日と出産日をいうと、誰もが数えたくなるほどのスピードだったが出来ちゃった婚ではない。赤ちゃんの魂は空から私を眺めていて、待ちきれなくて降りてきたのだろうか。そんな気がした。

ある時はこんな夢、またある時はと折々に色々な夢のお告げがあったように思う。独身の頃、男性と付き合いが始まると大概結末の夢をみた。それらは破局ばかりで嫌な気持ちがした。娘が水に流された夢を何度かみた後は、流産してしまった。お腹の子が身代わりになってくれた気持ちがした。その後息子が生まれ、もう流されないでねとお願いした。

なんか書いていてオカルトちっくな不思議な現象だなと思う。娘まわりのママ友付き合いが始まった頃、なんだか虚構の中にいるような気がした。今は笑顔でいるけれど、全員とうまくいかなくなるような気がして仕方なかった。そんな筈ないみんな女じゃないお母さんだもの、悪い人なんていないと悪い予感を打ち消しながら10年経過してしまった。悪い人はやっぱりいるとやっとわかった。夢やお告げを侮った自分が悪いのだ。

そして今、子ども達は元気いっぱいこの家から飛び立ち、なかなか顔も見られない未来が見える気がする。それは嬉しいのだか、となるとこの家に永遠に暮らすことになるのか。老朽化したマンションに、夫と二人で。それは嫌だなと思いつつ、その頃は夫が家事を全部やってくれて私はあちらこちらと忙しくしているだろう。家なんて何処に住んでも一緒だとつくづく思う。ただ帰る場所というだけ。でも帰る家があり、待っていてくれる人がいるということは勇気や希望になる筈だ。災害で帰る家や家族を亡くした人々を思うと。間も無く3.11。

5年前のカウントダウンが聞こえるような気がする。その日はあの日の豊洲を書いておこう。多分、また大顰蹙を買うと思うが事実だから仕方ない。また大きな災害がくると人々が口々に言う。多分そうだろうと思うが、そういうのは夢にみない。でも以前よくみた津波の夢をさっぱりみなくなった。津波をみながら自分には関係ないと夢で考えていたが、原発などあり実は大ありだった。

桐野夏生は原発事故の小説を書く際に、手を尽くして色々調べだか、事実や情報が全く出てこなかったと言っていた。隠蔽を疑わざるを得ないと思ったそうだ。災害もそうだが、原発事故や放射能汚染について隠蔽されている事実があるならこれは人災だ。天災と同じくらい恐ろしい事ではないか。これらに関連するだろう夢をみたこともあるが、恐ろしいのでみなかった事にしている。またいつか小説に書いてみようか。

そういえば小学校の校庭でやってる末為大のかけっこ教室、ここで商売すること誰が許可したともっぱらの噂。各学校の校長先生かなあなんて。そうなんですか?息子は「やらない方がいいと虫が教えてくれた」と言って参加していない。費用が高額なので、やらないのは経済難の我が家的には大助かり。だが虫ってなんだろう。彼も色々な夢をみているのだろうか。


【今日の小確幸】

息子がこれから毎朝コーヒーを淹れてくれるという。彼の奥さんになる人は間違いなく幸せになるだろうな。


※金継ぎしたカップ。勿論自分でやった。

まずはおさらい。エンゲージリングは結婚を申し込む時に男性が女性にプレゼントするリング、マリッジリングは結婚した男女、または結婚式で交換するリング。ちなみにエタニニティリングはぐるっとダイヤが指輪の周りにあしらわれたリングで、半分ダイヤだとハーフエタニティという。今はこのハーフエタニティが欲しくて探しているところ。何故かというと、左手の薬指にはめたいのだ。

私の左手の薬指は、ここ数年ずっと指輪が不在だ。指が痩せて指輪がすり抜けて落ちることが多くなり、右手の薬指にはめているから。サイズを直すには2万円かかるらしく、もしかしてまた太るかもしれないと右手にしたまま。利き手である右手の指は左手より若干太いのだ。でも左手薬指に指輪が不在だといらぬ噂にならないだろうかと最近思い出した。でもわざわざサイズを直すのは気が進まない。指輪やアクセサリーは買ったままの状態が一番いいのだと思う。直すと石の位置や全体のバランスが変わるのが好きではない。私はそういう細かいところは非常に気になるのだ。多分、直したら気に入らなくなると思う。それに2万円というと、5キロのお米が10袋は買えてしまう。厳密に言うと約13〜4袋?たかが指輪に勿体ないではないか。

話は代わり、結婚する前のこと。私はエンゲージリングを買って貰わなかった。欲しいとも言わなかったし、どこか夜景の綺麗なところでぱかーん結婚してください、なんてこともなかった。気が付いたら結婚していたといった感じだった。でも結婚するなら結婚指輪がいるということで、今は無き紀尾井町のブルガリ本店で購入した。イベントというと、夫とよく買い物にきたのでここ以外考えられなかった。今でも覚えている、Kさんというやや愛想の悪い人が私たちの担当で、イベントの案内やこういう買い物の時は必ずついた。私が迷っているとイライラしだすのがわかるので、あまりここで買いたくなかったが、「本店」という響きに抗えず、ついつい出かけていた。

そんな結婚指輪、ある日ママwit子ども達の中で息子が言った。「ママはどうしてこっちの指にしてるの」他のお母さん達が左にしているのに、自分のママは何故右なのか気にしていたのだろうか。「ああ、指が細くなって抜けちゃうから、こっちにしてるの」すると周りのお母さん達が、「ああ、だからなの」と、納得されたように言う。もしかして気にされていたのだろうかとちょっと驚いた。やはり噂があちらこちらに回っていたのだろうかと改めて思った。


※娘のおもちゃの指輪と息子が作ってくれた指輪


女性も男性も、独身かどうかを未だに指輪で判断する風潮があると思う。していれば結婚しているし、なければ独身。うちの夫は律儀にずっとしているが、こういうタイプが主流だろうか、そうでない人も多いような気がする。私はとったり外したりが面倒なのでつけたままだが、なければないでかまわない。でもしていないと夫が目ざとくみつけて何かいうだろう。以前無くした時は、「どこに忘れてきた」などと言う。そのすぐ後、息子がベッドの下でみつけてくれたのでよかったが、そうでなければいつまでもいつまでも言っていたに違いない。もう一度同じものを買うのは我が家の経済的には難しく、「実家に買ってもらえ」とか、「叔父さんに出してもらえ」などと訳のわからない無理難題を言うかもしれない。

もういっそケースに入れて奥深くしまっておきたい気分だ。最近松屋銀座横のブルガリをのぞいたら、びっくりする程値上がりしていた。落とすくらいならしまっておきたい。ついでにロレックスをみると、私がプレゼントされた時の倍の値段になっていた。この時計は家の中でで無くしたが出てこない。もう二度と私の手には嵌められないと思う。でも代わりにかけがえのないものが手に入ったと思うことにしている。

昨日神様なんかにお礼を言わないと言ったのは他にも理由があり、私が真剣に何かを願掛けすると、身の回りの大切な品がひとつなくなるのだ。娘を授かりたいと、とある神社に願掛けに行った。そこで友達に作ってもらったビーズのバングルを落としてしまった。すごく凝ったデザイン、でもなんにでも合うシックな輝き、すごくいいビーズを使ったといってプレゼントしてくれたもの。気が付いてあちらこちら探したがどこにもなかった。ある時も、またある時もそんな事があり、ロレックスを紛失した時もそうだった。神様が持って行ってしまったように思った。

神様というのは欲しがりで嫉妬深い。こちらの願掛けに応える代わりに、何か持って行ってしまうのではないかと思う。でも「願いを叶えてやるからあれとこれをくれ」と直接言われたとしても、私はモノなら喜んで差し出すだろう。なので今となっては良かったのだが、当時は無くしてしまったことをくよくよし、いつまでもいつまでも探したものだ。そうだ、自転車。自転車と交換で何を得られただろうか。これについてはいまひとつピンとくるものが思い当たらないが、そのうち何かわかるかもしれない。

そう言いつつも、あの団地にある地蔵尊の前を通ると、いつも手を合わせずにはいられない。子どもが健やかに育ちますようにとか、楽しい日々を過ごせますように、幸せに長生きしますように、と。何かというと子どものことばかりで本当に馬鹿みたいだと時々思う。結婚したばかりの頃、家庭第一の母や姑のようにはなりたくないと思っていたが、同じように子どもの事ばかり思い煩っている自分がいる。どうしてこうなった。芸術と文学の事しか書かないと決めて新しく始めたブログも、結局子ども周りのことばかりだ。 

マリッジリングが奴隷の足枷のようにも思える時がある。当然向こうもそう思っているだろう。夫婦は鏡、一方だけ幸せor不幸ということはないと思う。結婚とはつくづく厄介なものでもある。独身を謳歌している友人や、セカンドシングルたちを羨ましいと思うこともあるが、今の自分の状況に感謝の気持もある。決められた枠を飛び越えろと人はいうが、その枠の中で自由にするのが大人なのだろう。青いことばかりも言っていられない。 それぞれに種類は違えど、幸せの分量は同じなのだと思う。

ちなみに当時、エンゲージリングをどうしようと言われて「いらない」と答えた。中途半端なダイヤを買うくらいなら何か他に使いたいと思ったし、遠慮がなくなるスイート10の頃にビッグなダイヤを買ってもいいと思ったのだ。でも結局ビッグなダイヤは欲しくなくなったし、代わりに大学の学費が予想以上にかかったので相殺ということになるだろうか。これはなかなかにいい判断をしたと思っている。大きなダイヤの指輪を眺めていても、私は幸せにはなれなかっただろう。とはいえ、している人を見れば一瞬羨ましいと思う。やはりダイヤは女性の幸せの象徴なのだ。

早く適当な指輪を買って、左手の薬指にはめておこう。新しい指輪が欲しいからでは決してない。


【編集後記】

色々見ていて、着物もそうだが指輪もトレンドがあると知った。いっそ指輪の代わりに血圧計を買おうかしらん。


※手首に巻くタイプ、いいかも。

我が家は餃子が大好き。夫も作るが、私のレシピの方が概ね好評。豚挽肉、キャベツ、ニラ、ネギ、もやし、生姜、ウェイパー、塩胡椒、片栗粉。それぞれ量は適当。肉に下味をつけてから野菜と混ぜ、餃子の皮で包み焼く。今日は75個作って完売。
いつも適当に作るので、レシピは書けない。野菜は多め肉は少なめ、ニラとキャベツはたっぷり片栗粉少々。美味しくて食べ過ぎてしまった。もう眠い。

※夫が包んだ

※私は形より味と安全第一


【編集後記】

レシピをだいたいでいいので書いてと言われたので、クックパッドにアップした。

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