芸大に通う豊洲ママのblog♡♡♡

カテゴリ: 文学文芸

 私のブログをアップしたものから順番に読んでるみなさん、過去の記事もどんどんバージョンアップして長編になっているからまた読んでね。特に「」なんて昨日も今日も半日かけて校正して追記して思い出すこと全部書こうとどんどんどんどん書いたらまた長くなりあれもこれも全部書いた。満足。

でもそろそろこれで完成でいいかなと思えて来て、次にこの記事を書く。明日はまた一日なんやかやある日で書くなら今日しかない。夫が在宅でリビングジョナサンかなと思ったけど、今の気分はなんか違う。先日最近仲良くなった方とジョナサン行ったけど、ちょっとジョナサンに対する私の温度のようなものが違っていて、リビングジョナサンじゃなくて普通のファミレスに感じた。私には珍しく定食じゃなくカルボナーラ食べたというかご馳走になり、美味しかったですありがとうございました。またいつでも声かけてください!ということで「京都造形芸術大学通信教育部卒業式シリーズ」貴船の写真貼ったら結構な量になり、「お参り」と「美味しいもの」と分けて書くことにした。

ホテルを出て三条の駅から貴船を目指す。途中京阪電車「出待柳」という駅で叡山線に乗り換えた。もうこれ登山電車といっていいかも。乗っている人達全員が登山ルックというか、スニーカーを履いた人ばかり。私は貴船の後そのまま卒業式行く予定でレースのワンピースにヒールのあるパンプスといういで立ちで、せめてヒールのない方のミュールにするべきだったと軽く後悔した。でもまあ昔から貴族が避暑にきたところだし、昔いつも来る時もそうい格好だったじゃないと思いなおす。なんだかんだ貴船までは電車で約30分くらい。



どうやってまわろうかイラストマップを広げる。これも東京駅八重洲口にある「京都館」で頂いたもの。本当にすごい便利だから京都行く前には是非どうぞ。

卒業式の前後どこかで貴船と思いついた時は、もう一泊しないと絶対無理と思っていたけれど、こうして電車に揺られていると、卒業式の前に寄ろうと思った私GJと感じた。今思えば丁度いいスケジュール的なボリュームだったように思う。でも一日中貴船というのもいいし、宿泊もしたかったななんて。貴船で一泊というのももちろん考えた。色々検索したけれど、マッチングするものがなかったのよ。それはそう、貴船の宿はおひとりさまはNGらしい。

なんでやのん、結構おひとりさま女子が多い京の奥座敷、おひとりさまパッケージがあってもいじゃないと思ったけれど来てみてなんとなくそうかという感じ。こういうちょっと奥まった訳ありげな逸話の杜、ひとりで祈念しにくる女性は、あっけらかんと貴船を楽しみに来るだけではないだろう、ここも情念を燃やし誰かたったひとりを思い詰め結ばれたいとかよりを戻したいとかそういう気配をひしひしと感じてしまった。また「よく見てるわね」と言われるかもしれないけれど、文芸コース卒業するくらいだからこのくらいは。ひとりで来ている女性は見られるというかちゃんと女らしい女性ばかり、二人とかグループの女性というのはもうどうしたって男性に縁がなさそうな良く言えばサッパリした民人ばかり。貴船に来たのだってただの観光かピクニックだろう、そうじゃない女性は私と同じようなスタイルでヒールの人もいたりちゃんと女装している人が多い。それでもカップルとかママと息子とかご夫婦とか色々。ちょっと大きな息子を連れたお母さんには、余程上手に子育てしたんだろうなんて羨ましく感じ、うちのお猿ちゃんに貴船行こうと誘ったら今現在も断られると思う。「俺、京都なんか行きたくない」って。寂しい。

とまた話が逸れたが、ひとりで思い詰めている女性を泊まらせるのはなんかあったら、という事なんじゃないかなあと。多分これも京都駅から「六道珍皇寺」に送ってくれたタクシーの方の言う通り、紹介があればひとりでも泊まれるという事なのかもですね。でももう私も一人で泊まりたいなんてことはきっとないと思うから無問題。それにしても本当にひとりでお参りに来た女性が多かった。なんかわかるわ!私もかつては祈念めぐりしたもの。京都にまでわざわざ祈念しに来たことはなかったけど、東京で縁結びならやっぱり「東京大神宮」がおすすめ。ここにお参りしたら夫が現れたって感じで、せっかく神様が連れて来てくれた夫なのにdisったり喧嘩したり、授かった子ども達も邪見にしたりして本当私ってダメだなあ。もう少し優しくしようと心に誓った。と言っても顔見るとまた喧嘩しちゃうんですけれども。


「貴船口」の駅から急な階段で下のバス停に。バスはすぐ出発した。
       
 
  バス降りて少し歩いたところ。赤い橋が京都っぽい。この右側の川が川床をする貴船川。 貴船川は全長約3kmという短い川で、叡電「貴船口駅」の近くで鞍馬川と合流している。京都の奥座敷と呼ばれ、川床料理などで有名な料理旅館が並ぶ。まだまだずっと先の方。でも貴船口からバスに乗ってきたので助かった。これも寒竹先生のブログに書いてあり、「体力温存のためにバスで乗らなければ」と決めていたので良かった。後に貴船神社のあたりでぼっちの女性と少し話した時も「バスから歩いている人が見えて、気の毒に思った」なんて言っていて、貴船口から貴船までは徒歩だと30分バスだと5分160円とここにも書いておこう。バスの道すがらは何にもないただの道路で、バスに乗らないとくたびれ儲けになってしまう。            
      
 

バスから歩いてすぐに鞍馬方面の道に入る門がある。なんだか山伏の関所みたい。義経が天狗に剣術を習ったという場所があると地図にあり、そこだけ観にいってみたいと思ったが、電車の中でTwitterのフォロワーさんから気軽に行くのは無理みたいに教えてもらい、そうだなあ、ヒールじゃダメだなあと断念。でも教えてもらって本当に良かった。行っていたら多分卒業式間に合わなかったのでは。      

ほどなく貴船神社に到着。この鳥居をみた時は本当に大感激!来たわ私、神様仏さま貴船の神様のお導きよと神妙な気持ちになり、失礼な事のないようにと気持ちを引き締めた。

ちなみに貴船神社は単体ではなく社殿は本宮・結社(中宮)・奥宮の3箇所に分かれて建っている。まずはざっとお浚い。出典はwikipwdia

貴船口から上がって来て最初に到着するのが本宮、高龗神を祭神とする。本殿・拝殿は2007年に改築されたばかりである。社務所等は本宮境内にある。

その次が結社(ゆいのやしろ)、本宮と奥宮の中間、本宮から上流側300メートルの場所にある。その立地から中宮(なかみや)とも呼ばれている。

奥宮は本宮の上流側700メートルの場所にあり、以前はここが本宮だった。闇龗神(くらおかみのかみ)を祭神とするが、高龗神(たかおかみのかみ)と同じ神さま。

 
鳥居のところで一礼してからくぐる人が多く、私も真似してお辞儀してから入った。来たーあ!やっぱり素敵。この赤い灯籠がさーっと石の階段添いに並んでいるのを何度も何度もネットでみたし、ここの豪雪っぽい雪景色を貴船神社のfbウォールで流れてきたのをみた途端、今書いている小説が閃いた。なんだかすごく縁を感じて心が震えた。とうとう来た!わなわなし過ぎて写真がおろそかになり、ここの写真この一枚しかない。平安神宮左橘右桜の分、もっとこっちを一生懸命撮るべきだった。でもそういうものかもしれない、心のシャッターを切っている時はなかなかスマホまで気が回らない。そんな心を静めるために石段をややゆっくり上る。



貴船神社の鳥居の前の店。ここに牡丹鍋セットがあったので、「まだ牡丹鍋やってる!」と喜んでパ写。どこもなかったらここまで戻って食べようと思ったけれど、あちらこちらでまたやっていた。      



石段を登り切ったところにある御神木、桂の樹。大きくてがっしりして天高くそびえていた。貴船にはこうした巨木がたくさんあった。     

本殿にお参り。
寒いだろうけどこういう時に訪れたいですね。3月はやはり無理だそう。「京都の雪はすぐ消えてしまいますのでね」だそう、誰かに聞いた。写真は貴船神社のFacebook より。もう今すぐにでもまた行きたい、貴船は何かいい気が流れていた。やっぱり今度は泊まりたいし、神社しかない貴船だけどお参りした後は鞍馬方面にトレッキングしたり温泉に入ったりも楽しいかも、ね。



貴船神社は絵馬発祥の地と先生のブログに書いてあった。このもみじ絵馬、春はピンクで夏は緑、冬の今は白い雪模様。秋は多分赤なんじゃないでしょうか。ちょっと迷ったけれど、せっかくなのでもみじ絵馬を奉納した。迷ったのは正直何を書いたらいいかわからなかったから。私の願いって何だろう、それはもちろん家庭円満とか厄除けとか悪霊退散などだけれど、そういう一般的なものじゃなく私自身の願い、ということでここにも「芥川賞ください」と書いておいた。貴船までなんとなく一緒に歩いた女性も偶然ここで絵馬を書いていて、なんて行き先一緒だから会って当然だけれど、独身の彼女の願いは多分ひとつ。彼女の願いも叶いますようにとお節介にも思った。そして、この絵馬冬だから白なんだけど春には~と教えてあげたら喜んでいた。知らないということはさては遠方から来たんだね?と思った言わなかったけど。      



さて、絵馬を奉納しお参りも済ませて貴船といえば「水占い」


願いは「望むがまま」ですってよ奥さん!ここはいきなり大吉、本当よ。ここは、「大凶」が本当に存在するが、神社側では「大凶が出たと言っても、その後の人生決定 された訳ではないので、あくまでも『参考程度』に留めて欲しい」だそう。そう言われると余計なんだか怖いですね。
   


境内、この右上が本殿とその前に御朱印やお土産お守りなど販売する社務所がある。あちらこちら不躾にパシャパシャすると思われているけれど、神様やお寺の本堂は撮らないことにしている。神様の顔なのに勝手に撮るなんて、自分だっていきなり写真とられたら嫌。だったら撮っていいか聞いてから撮ればいいと思うかもしれないけれど、本当にいいかどうかなんてわからない。なので真正面からは撮らないようにしている。

社務所では貴船神社のFacebookでみた「貴船神社ラムネ」を買った。もちろん子どもへのお土産ではない。せんとくんと一緒に飾ってある。私が貴船に来られたのは、facebook で貴船神社のページをいつもお参りしていたせいかもしれない、貴船に行きたいなあって。多分願いが通じたんだと思う。ひとりで卒業式行くなんてはじめは思っていなくて、行くならボスママとかモアイと一緒に混ぜてもらうか、誰か一緒に行くつもりだった。でもこうして考えると「ひとり」じゃなかったら貴船に来るなんて叶わなかったのではないか、「ひとり」だから出来ることってこれからもあるし、いつも誰かと一緒といのは自分の場合は視野狭くなるだろうと思った。いつも一緒の誰か、まあ大人だからいつもいつもって訳じゃないだろうけど、私が最初にくっついていた人もあっという間に霧散したおかげで文芸コース全員とお話する機会があった。そのお蔭で発表会懇親会ボスママは嫌だったけどそれ以外の人達とは普通に話せたし何もなかった。ただ「誰かをターゲットにしてイジメたる」という空気、「みんなで仲良くしましょっ!」というオーラに似ていてそれが強ければ強いほど楽しい雰囲気も増す、それにみんな乗っていて私は蚊帳の外っぽくて嫌だなあと思った。なので私が卒業制作発表会懇親会卒業式分科会でこんなに心細い気持ちで参加していたなんて他の学友達が知ったら、言ってくれたらよかったのになんて思うのではないか。でもそういう時ってやっぱり言えないものだなとも思ったし、言ってどうなるというものでもなかったようにも思う。そう言う時はもう運命として受け入れるしかないとか、自分さえ我慢すればいいなんて思ってしまった。誰しもそうなのじゃないだろうか。おおえかの時もそうだった。私さえ我慢すればいいと思っていて、でもこの場合は我慢することが次々出てきてタイムラグもあり期間が長かったので爆発してしまった。明智光秀も一回や二回なら笑って済ませられたけれど、多分何度もあり自分だけじゃない周りにも影響があったりしてやったると思ったのだろうと推測。このボスママもあと一ヶ月くらい時間があったらきっと泣かせていたと思う。いつもこの人がいう口癖に「ふざけんなよ」というものがあるが、多分私が先に言っていた。でももう卒業したしね、でも人生長いから何があるかわからないわよ。
      
 

古来より、晴れを願うときには白馬が、を願うときには黒馬が奉納されたが、実際の に代わって木の板に描いた馬が奉納されたこともあり、このことから絵馬が発祥したとも言われる。これも wiki こういうのちゃんと予習してから行けば良かった。大学の授業と同じく相変わらずわけわかめな日々を過ごしながらいきなり旅に出たようなものだった。本当に自分でも京都にいたのが信じられない気がした。でもこれはこれで後から色々調べたりしてちゃんと吸収出来ている。ブログは人生の復習のようなものか。 あの学友はブログにネタがない時はどうするか、なんて書いているけれど、私全くそんな日なかった。あれも書きたいこれもどれもそれもしかも書いていると長編になりネタではなく時間がなくなり困った。多分彼女より私の方が強欲で悩みが多いからだろう。生きにくさを感じたり不確かな人生を歩いているように感じ煩悩や葛藤が結婚して子どもを産んで次のDNAへと静かに命の炎を渡さないといけないのに、未だ己の内で燃えている火が消えないといったところかどうなんだろう、自分の事は実はよくわからない。

 

昔何度かお邪魔した「ひろや」さんの灯籠。本当はここで牡丹鍋を食べたかったけれど、冬は宿泊も食事の営業もしないそうでがっかり。小説の登場人物達もここに泊まる設定にしていたのに。でも冬にきてみてわかった。貴船は貴族たちが夏に避暑にきていたところ。多分冬は昔も今もあまり人が来ないのだろう。ひろやさんは建物のかなり大きな料理旅館で、冬の維持費が嵩むのではないかと思った。残念ですが仕方ないですね。
      
 
大きくて素敵な旅館、そうそうここだったと懐かしくなる。



門構えもいいでしょう。 玄関もツヤツヤの広い板張で素敵なの。「冬の牡丹鍋」を来るたびにすすめてくれた女将はお元気かしら。 貴船はここしか来たことない。春のお座敷も夏の川床も全部「ひろや」さんだった。     


センチメンタルジャーニー終わり。どんどん歩いた。 




途中の小さな橋からどこかの料理旅館を写した。古き良き時代の文豪が窓から顔を覗かせそうな雰囲気。侘び寂びた感じがいいですね。貴船の旅館はこうして川に沿って建っているものと、道を挟んで山側に建っているものがある。さきほどのひろやさんは川側、ざっくり色々拝見した感じでは、川側の建物は冬はメンテが大変そうだと感じた。川側は特に寒いですからね。この日も陽が指さないところはかなり寒かった。ダウンだともう暑いかなと思ったけれどとんでもない。毛皮の襟巻もちょうど良かった。そして京都は夏暑いけれど、冬は寒かったと思い出した。何年も遠く離れているとそんな事も忘れてしまう。会わないうちによそよそしくなる人がいるように、土地もそういうものだろうと思った。久しぶりに訪れた貴船は、私の記憶の中のものとはすっかり様子が変わっていた。いつも来る季節とは違うせいもあるだろう、でもなんだか初めて来たように京都全体がよそよそしく感じたような。うーん、そんな事もないわね、大学が嫌だっただけで。いつも来る時は料理が目的だった。どんな美味しいものを食べようとか、お土産何を買おうとか、清水寺を向こうに降りたところの茶屋で湯豆腐食べようとか都路里の抹茶パフェとかよーじやは鉄板、柴漬けもおたべも八つ橋も、ちょっと探せば何処にでもあるのに京都で買うのがいいのよなんて、浮き浮きした気持ちで大概お天気も気候もよく、そして誰かがいつも一緒だったなと今ひとりなのをちょっと寂しく感じた。

でも考えてみれば初めてひとりで来てみて、あれやこれやじっくり観て考えることが出来る一人旅って悪くないと思ったし、あまり食べることに興味がなくなってきたということは、それだけ自分も年をとったのか。さきほどのもみじ絵馬「健康第一」にするべきだったかなー


次は奥宮。


ここは平たんな参道。ゆるゆると進むことが出来るけど、砂利道でヒールが傷まないか心配だった。


奥宮に到着。そんなに距離はない。 


image
雪がまだ残っていた。雪の貴船に来たと言えるわね。


この奥が社。手前は舞台だった、舞を奉納するらしい。
 
 

奥宮。右手の岩山は船が小石に覆われたものとされる。wiki情報→「創建の年代は不詳であるが、社伝では反正天皇 の時代の創建としている。社伝によれば、神武天皇 である玉依姫命 が、黄色 に乗って淀川 鴨川 ・貴船川を遡って当地に上陸し、水神を祭ったのに始まると伝えている。社名の由来は「黄船」によるものとし、奥宮 境内 にある「御船型石」が、玉依姫命が乗ってきた船が小 に覆われたものと伝える。「 の産まれる根源」が転じて「気生根(きふね)」になったともいう」だそうです。


和泉式部の歌碑。これもwikiろう、そうコピペ。なんか文句ある?

和泉式部が貴船神社に参拝したときの歌が後拾遺和歌集に収録されている。「男(夫の藤原保昌)に忘れられている頃、貴船神社に参拝し、御手洗川にが飛んでいるのを見て詠んだ短歌」として、


ものおもへば 沢の蛍も わが身より あくがれいづる たまかとぞみる

(意訳:恋しさに悩んでいたら、沢に飛ぶ蛍も私の体から抜け出した魂ではないかと見える)










冷たくなってしまった夫とまた仲良くなるために祈念のため貴船にきて、巫女さんにおそそをさらけ出すよう言われるけど拒否、その様子をみていた夫がその態度に感じいってよりが戻ったと書いてある。色恋の呪術ってセオリー通りにしなくても大丈夫ってことなのでは。要は本人の気合い、そんな風に感じました。


歌碑説明。

また川沿いを歩く。なだらかな坂でヒールでも大丈夫。

右手に結社入り口。坂の上側から撮影。

階段を上がるとすぐ結社、「けっしゃ」ではなく「ゆいのやしろ」と読む。wiki→「結社(ゆいのやしろ)は、本宮と奥宮の中間、本宮から上流側300メートルの場所にある。その立地から中宮(なかみや)とも呼ばれている


美人なぼっちさん。えっ?私も?いえいえそんな、恐れ入ります^ ^

さあ全部お参り出来たわ!そろそろお昼にしましょう。来る道すがらメニューを確かめてきたけど、牡丹鍋はけっこうあちらこちらでまだやってた。何処で食べようか考えながら来た道を戻りまた歩いた。

今回の京都旅行で気が付いたのは、私は谷崎潤一郎が好きだということ。「好きな作家は?」と聞かれるといつも困る。その作家が本当に好きなのかどうかなんて、正直わからない。その作家が好きというなら、その方の書いたものは全部好きかと言うとそうでもない。例えば村上春樹だって好きだけれど作品全部好きかというと彼のファンタジーっぽい作品はあまり好んで読まないけれどエッセイとかルポルタージュとか河合隼夫小澤征爾の対談集なんかは人選の趣味がいいと感心するし、逆に彼へのインタビュー集なんかは秀逸で読み込むまではいかないけれどいつも手元に置いておきたいと思わせる何かがある。じゃあ村上春樹は好きな作家でいいわね。あとは林真理子さんは鉄板、桐野夏生、辻仁成、川上未映子、山本文緒、窪美澄、えーとそれから。

でもちょっと前、特に昭和初期からそれ以前あたりの文豪となると私の中では「文芸」ではなく「歴史」ととらえる傾向があるので好きも嫌いもない感じ。だって教科書に載っている人ばっかりじゃない。楽しむより「学ぶ」とか「覚える」ものだと認識しているせいかもしれない。国語の教科書に切手の大きさくらいに載っている著者の写真なんかは、全員メイクしてコラージュしたせいか、今更こんな風に大学でまた学ぶというのも申し訳ないような。太宰治はベディちゃんのような髪型が意外に似合ったなんて覚えている。

そんな訳で「太宰が好き」とか「寺山修二サイコウ」などと言われてもピンと来なかった。というか、ほとんど全員同じ立ち位置でこちらを見ているという感じ。近寄ってきて話しかけてくる訳でもない、遠くにいってしまって見えなくなることもない。唯一太宰治が夢枕に立った時は焦ったけれど、わざわざお墓にお参りして「すみませんけど困りますから」と言いにいってから来なくなったのでほっとした。でもまた身近なところで太宰の熱狂的なファンという方が登場し、桜桃祭にいつか行きましょうなんて話が盛り上がり、太宰、一体どこまで私が好きなのと思ったりした。

申し訳ないけどその頃の作家で好きな人いない代わりに苦手三大作家というのが私の中にあって、「太宰治」「三島由紀夫」「村上龍」がその御三家。最後の方は現代作家だけど、同じ昭和の時代ということで入れていいことにする。この方々気持ち悪い作品ばっかりでしょう?亡くなった方たちはちょっと訳アリっぽくて怖いし、出来れば読みたくないという作品ばかり。太宰治なんてメソメソくよくよ死にたい死にたいってあのね、あなたお酒飲みすぎなのよ。すっぱりやめてちょっとその辺ランニングでもしたらいい汗かいてスッキリしたのになんて思ってしまう。

三島由紀夫は『金閣寺』くらいしか知らなかったけど、大学の授業で様々な話を聞いた時は、「いやーこんな授業受けてたら死にたくなる」と、気分が悪くなり途中で30分ぐらい抜けさせてもらったくらい。盛夏っていうのも気持ちが下向いた原因だったかもしれない。

村上龍は『コインロッカーベイビーズ』赤ちゃんをそんなところに。それもそういう事件が実際にあって題材にしたらしくて余計に怖くなってしまった。私の現在の閉所恐怖症はこの作品のトラウマといっても過言ではない。昔村上龍はファンサイトの掲示板で喧嘩になり、それをネタに彼は一作品書いた。その時の色々もまだくすぶっていて余計に苦手なのかも。これ、どこかに書いたなと思ったら、NewsPicksのコメントで詳しく書いた。あそこにはブログ以上に細々と書いたからバンされてほっとした。もう誰にも読まれたくないので二度と私のアカウントを復活させないでください。 

でもあの時、最後は村上龍が折れてくれて騒動が収まったし、なんだいい人じゃないと思った。なのに苦手三代作家なんて言ったりして私ったら。でも彼の書いた『恋はいつも未知なもの』は大大大好きで、100回は読んだしCDいっぱい買ってあの本の目次通りにジャズ聴きまくったし、幻のバーを探してあちらこちらjazz bar に行ったりした。あの頃この本読み込んだせいでジャズが好きで好きで、私が某名古屋の今は消滅したコンビニの会社退職する時は憧れの上司が私がジャズ好きって何故か知っていてくれて、jazz in loveryにみんなと連れていってくれたのよ!そうしたらまたタイミングよくその頃大ファンだったKeiko lee の日でbeautiful love かかって私嬉しくて泣いちゃった。村上龍さんあなたのおかげで素晴らしい青春のメモリーが!ありがとう龍さん!いつか一緒にワイン飲みましょうね。

またいらん事を書き足してしまったが、続き。今回京都に来ることになり、ネットを色々ほじっていて寒竹先生のブログにいきついた。HPがあるのは知っていたけれど、私って基本的に自分にしか興味がない人だから人のHPやblogってほとんどみない。2ch など掲示板なんかも好きじゃない。でも京都に行くなら神社仏閣と思っていて、先生が『神様に会いに行く』という連載をされているのを知り、読んでみたら面白かった。丁度私が行きたいと思っていた平安神宮も紹介されている!やった!その前に京都のフライングカフェでも訪れたようで京都造形芸術大学通信文芸コースのFacebookや 大学のHPでも記事になっていた。これを読んだから余計に行ってみたいと思ったのよ、もう行くしかない!!

谷崎潤一郎という作家、大学に入る前は正直この人も苦手だった。何よりまずテストに出そうなイメージ「この作家の作品を三つ書け」なんて問題があったら、川端康成と間違えて『雪国』って書くわあ、だって『細雪』と『雪国』字面が極似じゃない?ええと谷崎潤一郎谷崎潤一郎、吉行淳之介とも間違えないようにしないとーなんて思ったり。あとはちょっとエロスというか、ちょっといっちゃってる愛憎劇がなんか苦手というか、拒否したくなるようなねちっこい倒錯的なものは自分の記憶に残したくないと思ったりしていた。

でもよくよく考えたら、谷崎潤一郎の作品は私ほとんど読んでた。とはいえ作者が谷崎潤一郎って気が付いていなかったかも。『痴人の愛』『卍』『吉野葛』『春琴抄』そしてなんといっても『細雪』、これ、京都行くまで真剣に川端康成か谷崎潤一郎か大学で習ったはずなのに混同していた。『細雪』大好き。以前ブログで着物の事を書いた時にも『細雪』の着物の話を書いている。書く時誰が作者だったかネットでいちいち調べたわ♡

読んだのはまだ私が娘っ子の頃だったと思う。自分も三姉妹なので女ばかりの楽しみしがらみ困ることなんかちょっとよく似ているなあなんて思ったような覚えがある。「もう着ない」宣言をした着物、着ないけど好きでよくもまあこんなにという程持っていたくらい。物語の中で着物の話が出るとぱっと気持ちが弾むのがわかる。

そんな『細雪』の聖地は多分船場だろうけど、京都に物語の舞台になった場所があるなんて知らなかった。しかも京都のフライングカフェだとう?行きたくてもいけないじゃない、だから東京にいて京都の大学っていうのは困るのよなどと思っていたけれど、今回卒業式に行くことになり「じゃあ自分も行けばいいじゃない」と。こういう楽しみ思いつかなかったら卒業式なんて行こうと思わなかった、多分。はーイヤ、もーダメ、ぶっちしようかなあなんて愚図愚図考えた。

バスを降りて5分くらい歩いた。正門に到着。



本殿、左右の樹に注目。左が橘で右が桜、ああーだからお雛様の飾りもそうなんだと納得。大発見をしたように思えて嬉しくて興奮してニコニコしてしまった。いつもどっちが桜で橘か、もう何十年も愛でたり飾ったりしているので感覚的に間違えはしないけど、お雛様と言えば京都、そしてここ平安神宮が元なんじゃないかと思った。本当にそうかどうかわからないけど、もうしっかり覚えたし「平安神宮もそうなのよ」と来年お雛様を飾ったら娘に教えてあげよう。

 
近くで撮った。   
   

桜はまだ固い蕾だった。それよりもっと他に写すものがあったでしょうと思うというくらい、右桜に左橘の写真ばっかり撮って、よほど嬉しかったのだろうと他人事のように今は感じる。   

 
さあ、いよいよ『細雪』ごっこの始まりよ!

keidaizu2014
平安神宮境内図

枯れ木ばかりでちょっとガッカリ。その代わりにガラ空きだった。おばさんのグループとか大勢の団体客とかいないからこれはこれで良かったかもしれない。


これかあ!ブログの写真の通りじゃないと嬉しくなった。もちろん渡った。思ったより石と石の間隔が狭くて渡りやすい感じ。



 
   
   
青空文庫になかったので無料のkindleをダウンロードしてスクショ。(旅行行く前はなかったのに今みたらあった!すさまじい勢いてアップされている。作品数がほんの数日で6→21になってる。青空文庫の耕作員って何人くらいいるんだろう?)谷崎潤一郎は亡くなってから今年で50年なので、パブリックドメインの仲間入りを果たして無料で公開されている。今後は彼のほとんどの作品が公開されるかと思うと少し切ない。自分が亡くなってたったの50年で無料になってしまうなんて、諸行無常だ。かといって、よい文学作品をいつでもどこでも読めるというのは「教育」という意味では喜ばしいことである。私もこれからたくさん作品を書くつもりなので、長生きしないとなーなんて思った。



「栖鳳池の東の茶屋で茶を飲んだり」と出てくる茶屋。みたらし団子かおでんが食べたかったのに無かったのでお茶も飲まなかった。でも今ここに座ってお茶くらい飲んでこれば良かったのにと大後悔している。私の馬鹿ー 何しに行ったのよ  とにかく時間がないと焦っていたせいか。



桜は咲いていないけど梅が綺麗だった。いいお天気。



『細雪』の姉妹たちがこの橋の上から鯉に餌をやった「泰平閣(橋殿)」   




さあ、いよいよ鯉に餌やるぞーと思ったらどこにもお麩の販売がない。



ごめんよ、お麩売ってると思ったらなかったんだよ、家にいっぱいあるから持っていけば良かった。今度は絶対。 
 

Tweetしておくと、後で何時くらいに行ったのかがわかって便利。この時13:03かあ。そろそろ大学に移動しなくてはと思った頃ね。実際この後御朱印をいただき御御籤を引いて、それが「末吉」だったので無かったことにしてもう一回引いたら今度は「大吉」だったので、気をよくして絵馬も奉納した。おみくじを何度も引くなんてって思う人がいるかもしれないけど、ひとり一回なんてどこにも書いてないし、大吉が出るまで引くっていうポリシーの人がいてもいいと思う。神社だって儲かって嬉しいに決まってる。しかし最初に引いた「末吉」のおみくじですっごく気になることが書いてあり、一体どういう意味なんだとひっかかってずっとずっと考えてしまった。その答えは旅の最後にわかることになる。

ともかく今度から好きな作家はと聞かれたら「谷崎潤一郎」と答えたい。でもこれはこれ人々のいらぬ誤解を招くことになりそうな気がする。好きなものは好きでいいという気持ちもあるけれど、以前のレポートのこともあるし、今書いている小説の内容的にも「やっぱりそういうの好きなんだ」と思われたら困る気がする。要検討。

文学フリマというイベントがある。

『文学フリマ』とは?

「文学フリマ」とは文学作品の展示即売会です。

評論家・まんが原作者として知られる大塚英志さんが『群像』誌2002年6月号(講談社)掲載のエッセイ「不良債権としての『文学』」で行った呼びかけを発端として生まれたイベントです。

既成の文壇や文芸誌の枠にとらわれず〈文学〉を発表できる「場」を提供すること、作り手や読者が直接コミュニケートできる「場」をつくることを目的とし、プロ・アマといった垣根も取り払って、すべての人が〈文学〉の担い手となることができるイベントとして構想されました。詳しくはサイトへ。


京都造形芸術大学通信教育部文芸コース、主に2016年度卒業生有志他多年度性12名が集まり作品集を作って販売した。私もブログで書いている通り一作品掲載して頂いた。当日は朝から終了時刻までシフトを組んで販売したが、私が販売するころにはほとんど売れてしまいあっという間に完売してしまった。

文芸フリマ

大学に入学する前はこんなイベントに参加するとは思ってもいなかったし、締切の頃は卒論もライターの仕事もあれもこれも抱えていて大変だったけれどなんとか提出することができた。

イベント会場を割と早めにみんなで退場し、そこから打ち上げのために居酒屋に行った。途中からjunjunパイセンも合流し、飲み放題のビールを飲みすぎ食べ物はちょっぴりなので酔っ払ってしまった。どうも京都造形芸術大学通信というのは飲み会に食べ物があまりないということになると思った。そしていつも酔っ払う。あの時もこの時もそうだった。ちょっと気を付けようとまた思った。

というわけで前振りはどうでもいい、ただ単に作品をアップしてみたかっただけ。これはもうねえ、明日か明後日提出しないといけないのに何もかけてなくて、今まで書いたものの中から出そうかと思ったけれど、課題で出したものは読んだ先生達が「課題出してる」と思うだろうし、課題以外で書いたものは一度ネットにアップしたものばかり。卒業制作で書きかけたものは文字数がオーバーしそう。ということで、ブログ的エッセイなら書けるだろうと踏んで書いてみたもの。これを書いたちょっと前に大学の授業で「俳句と連句」という授業でなぜか短歌の大家、笹公人先生がゲスト講師でいらして授業を受けた。これがまあ本当に面白くてエキサイティングで私は笹先生の世界観にすっかりやられてしまった。その熱が冷めやらぬまま綴った短歌的エッセイ、ちょっとだけ俳句も入っているけれど、私の中では俳句も短歌もそう違いがないというか文字数と季語があるかないかの違いくらいか。実家の近所に永井洋子さんという夭折された歌人がいて、それもなんとなく頭にありお名前を出さずに思い出として書いてみた。永井洋子さん、ちょっと近づき難い雰囲気のインテリジェンスな女性だったけれど、大人になってから彼女の書いた作品集やエッセイなど読むと、才能はともかく中は私とほとんど変わらないような悩みや喜びに満ちていて、もうちょっと長生きして下さったら訪ねていきたかったなあなんて思った。酸いも甘いも噛み分けた今の私なら、洋子さんの想いを受け止め、彼女もまた私の苦しみ悲しみ一緒に凌駕して下さったのにと勝手に感じている。何より私たち同窓生で同郷だ。世代なんてそんな小さなくくり、全然関係ない。朝早くから井戸端会議が盛んだったとか、畑の作物は勝手にとっていいルール今ならありえないとか、色々色々お話したかったなと思う。思えば遠くに来てしまったものだと思う。でもこれは私が思い願った未来、彼女はそういうものが何も見えなくなってしまったのではないか。そんなの気のせいなのに、もっと素敵な未来があったのに。実家のママンは洋子さんの話をするとすごく嬉しそうに、そしてちょっと寂しそうに色々話してくれる。彼女の書籍、ほとんど今販売されていないけれど、ママンは全部持っていた。「持っていきなさい」と言ってくれて、私の手元に全部ある。私が作家を目指していることも、大学に通っていることもママンには内緒にしている。きっと喜んでくれるだろうけれど、大学に行けるほど色々な意味で余裕があるなんてあまり思って欲しくないような。ママンにはいつも私を心配していて欲しいなんて思う。

という訳で、文芸フリマに掲載された作品をこちらにもアップしてみる。後から「本、欲しかった」と言って下さった皆様、ありがとうございました。そのうち別の作品で紙の本になるうように頑張ります。いつもありがとうございます。



短歌俳句エッセイ的な何か
タイトル『わっぱの中に短歌と俳句』


「ママ、宿題でタンカー作ってって、先生が」
  いつもは玄関にランドセルを放り投げ、Uターンでまた外に出て行ってしまう息子。珍しくランドセルを背負ったまま近くに来た。何? タンカー? 工作か何か作るの? 巨大クジラのような船を思い浮かべ、イメージに押しつぶされそうになり怖くなる。
  私は大きなものが苦手。閉所恐怖症という病気があるそうだが、私みたいなのはなんていうのだろう。そのせいか食器洗い洗剤も大容量のものが得だとわかっていても、小さい方を買ってしまう。化粧水もシャンプーなどもそう、不経済的な病だ。
 話を戻そう。息子、どういうことだろう。
「タンカーってお船のやつ?」
 すると小さな頭をぶるんぶるんと振り、
「ポンジュース」
 ええ? タンカーがポンジュース? 一体何を言っているのだろうこのお猿ちゃんは。
「ジュースなの? 船なの?」
  困惑する私の顔を見て、今度は地団太を踏み出す。
「だからあ、学校の宿題がタンカーで、今僕が飲みたいのがポンジュース」
 ああ、そういう事。脱力しつつ冷蔵庫からジュースを取り出しグラスに注ぐ。
「はい。あ、手を洗ってうがいしてからね」
 グラスを掴もうとする手がピタッと止まる。どうしてもダメなの? という顔でチラッとこちらを見る。むむっ、「今日だけいいでしょ」の目線。でも子育てに"今日は特別"は禁物。眉をきゅっと寄せて、今度は私がゆっくりと首を振った。それをみた息子は、外人がよくやる、手を水平にして肩をちょっと持ち上げるジェスチャーをして洗面所に吸い込まれていった。
  いつの間にこんな大人びた仕草を覚えたのか。いやいや違う、多分テレビの『クレヨンしんちゃん』だろう、あれはなって欲しくないオトナコドモの例だと思っている。なのに、子ども達は大好きで、見せないようにしているのに勝手に録画してこっそり見てしまう。初めてそれを知った時は、もうこんな事が出来るなんてと怒を通り越して感心してしまった。つい先日までほかほかの肉まんみたいに、身じろぎも寝返りも出来ない赤子だったのに。そんな訳はないが、一瞬のワープでここまで大きくなった気がした。
 
 いつの間にこんなに大きくなったのだろう つい昨日まで赤子だったのに
 
  まりにもベタなものが出来てしまい、反省。もっと捻って赤子や喜びを他の何かで表現しなければ。出来れば少し難しい漢字を使うといい感じなのではないだろうか。ダジャレではない。でも考えすぎると空回りして出来ない、ぱっとひらめいたインスピレーションで作りたいものだ。
 
  私は最近、「短歌や俳句」を作るのにはまっている。通信生として通っている大学で短歌と俳句の授業があり、あまりにも自由すぎるエキサイティングな講義にすっかり惚れこんでしまった。「短歌、俳句」のワビサビの世界にもっともそぐわない、「ゾンビ先生」について下句を考えたり、オカルトやSFな世界感を表現したり、いい意味でイメージを裏切られた。こういった異質なものとリベラルな文学との取り合わせの妙は、私の琴線をかき鳴らし、すっかり詠むことが楽しくなってしまった。
  一句、もしくは一首ひねる時の自分の俳号は「星夜」にした。実家の祖父が陶芸家で、「玉峰」という作家名だったので「峰」だけ拝借して最初は違う名前「百峰」だったがそこから様々に変えてみてしっくりきたのが「星夜」だった。私は飽きっぽい。この名前は中性的な感じでいかにも詠み人というイメージで非常に満足。そういえば祖父は陶芸をしていたせいか俳句をよくひねっていた。

 短歌と聞いて、ふと、ご近所に住んでいた歌人を思い出した。年もうんと上だったし、近寄りがたいオーラで挨拶するのがせいぜいだったが、今頃気になり母に聞くと既に亡くなったという。ご存命だったら、挨拶に行きたかったのにと思った。新作の本に「サインしてください」なんて、ちょっと厚かましい言葉を東京からの手土産と共に。
 
 夭折の歌人を想い詩詠う故郷は 近くにあれど遠くなりけり

 
  両親それぞれの話では、歌人の亡くなり方の認識に食い違いがある。どちらの説が本当なのか、不可解な状況というのはもしかしたら言いにくいコトの方だったのかもしれない。実家の親達は歌人の両親とは親交があったけれど、どちらも先に鬼籍に入られた。歌人はご両親がなくなってひとりになられ、都市に単身引っ越してしまわれたそう。きっと私と同じでご近所のお節介やしがらみを、ちょっと暑苦しいと感じてさっぱりしかったのではないか。そのせいでうちの両親も様子がわからなかったということなのだろう。
  本当のところどうだったかは私などにわかる筈もないが、歌人と私が故郷に置いてきたものは同じものだったと思う。そのありがたみに気付くのは、それが掌中から消えた時というのはなんと切ない真実なのか。それらはひとりで暮らしていた歌人の胸にしみじみと染み入っただろう。ひとりが侘しいと泣いたかもしれない。人は自分がひとりぼっちだと感じればそのまま孤独に繋がってしまう。
歌人は早くに頭角を現し、当時の現代女性歌人として世に出ていた。決して周りに誰もいない訳ではなかった筈だ。私も周りに人がたくさんいて、結婚して、新しい家族がいるし友達もいる。なのに、どうしょうもなく「ひとり」だと感じる時がある。そんなぽっかり開いた穴に、落ちてしまわれたのかもしれない。
  つい最近の「角川短歌」という雑誌に「特別企画」として歌人の高校生時代の作品が載っていたそうで、今でも人気のある歌人だと知る。著書『太陽の朝餐』に、「何ゆえに人は生き、何ゆえに人は死ぬのか」という文言から始まる書付もみられる。自分はこれを書いた歌人と同じ年頃に何をしていたか考えてみた。
  友達と待ち合わせて学校に行き、部活は剣道と美術部どちらも適当にやり、時々部室でお茶を飲み、帰りに友達と何か食べ、夕飯もしっかり食べてテレビを観て寝る。そんな毎日で、何かを深く考える事なんてあっただろうか。

  いやまて、そうだ、私も生や死について色々考えていたし、答えの出ない問答を延々と頭の中でループさせていた。世代や頭の出来は違えど、同じところを歌人も私も通ってきた。もう少し早くこれら思いついたなら、大学の卒業制作に研究論文として書いたかもしれない。こういう時だけせっせと帰省し、両親に在りし日の歌人やその周りについて聞いたかもしれない。でもこういうのも縁だ、慌てなくともそんな事を書く機会が訪れるやもしれぬ、来ぬかもしれない。
  などとあれこれ考えてみても、もう歌人がいないという事実は変えようもなく残念で仕方がない。彼女と人生について対話してみたかった。生きるということはどういう事なのだろうか、しみじみと考えてしまった。
 
 嬉しい時も哀しい時も忘れずに 「歯磨きお風呂もう終わったかな?」

 
  これは息子の購読していた「チャレンジ一年生」の入学準備号についていた「しまじろう目覚まし時計」が夜になるとつぶやくセリフを詠んでみたもの。しまじろうが繰り返し言うくらいだから、寝る前の歯磨きとお風呂は生きて行く上で一番大切なことなのだろう。でなければ「漢字と算数ドリルやったかな?」と鳴るのではないだろうか。
それとも勉強の方こそやるのは当たり前で、言うまでもないからセリフに採用しないと言いたいのだろうか。
  ふと思い出したが、故郷を後にする時姪っ子に言い残したのもこのセリフだった。
 
 嬉しい時も悲しい時もお風呂と歯磨き忘れずに
 
  ギリギリ極限状態になったとして、お風呂と歯磨きが出来てさえいれば明日を信じて生きていけるという一句。季語がないのでスローガンだろうか。ともかくどこに行っても暮らしても、寂しい気持ちはただの感傷だと嗤い飛ばしながら生きて欲しいと願う。
 そう思うとやはり「短歌と俳句」は常に私の身近にあった。思い出したが特に母は折に触れ言葉をひねっていた。多分今でも季節の移ろいを句にしているのではないだろうか。私が子どもの頃俳句をどこかに投稿して、採用されると喜んでいた。母はいつも本を読んでいて、影響されたのか本を読むのが私も好きだ。短歌や俳句にはまりだしたのも、同じことなのかもしれない。
  とはいえ若い頃の私はちっともそれらに関心が向かず、のんべんだらりと暮らしていた。学生時代は折々に短歌も俳句も作った覚えがあるが、内容を全然覚えていない。全く興味のもてない、つまらないものと映っていたのだろうか。なのに今はとても興味深い。大学で授業を受けてみて、脈々と伝えられる日本文学というよりロックな塊に感じた。そんなロック魂で作ったのはこちら。
 
 いつの間に懐メロになったのラルクアンシエル ハイドの歌声赤子に消されて
 
 大好きだったL’Arc〜en〜Cielも聞いていられない程、子どもを産んだら自分の時間がなくなってしまったという一首。聞こえるのは赤子の泣き声ばかりで、ハイドのハの字も消えたという意味。
  でも「今」を切り取るのがこの世界の暗黙のルールらしく、ちょっと過去なので、どうなのだろう。でも閃いたのだからまあいいか。その後続けて浮かんだ一首がこちら。
 
 趣味の友急にモーゼの海満ちる 電波少年知らぬと聞いて
 
  これは趣味のオフ会で会った人と話していて、世代の違いに驚いた時の一首。年齢がずいぶん違うだろうなと思ってはいたけれど、ここまで違うとはと思わなかった。電波少年の話をしたら知らないと言われて驚愕した。『電波少年』ってつい最近の若者文化的象徴だと思っていたのに、それを知らない世代だったなんて。ジェネレーションギャップにも程があると感心してしまった。自分が年をとったと再認識したというか、いつのまにか長生きしたという驚きもある。「驚き」って短歌にするとピッタリくると気付いた。これから何かびっくりすることがあったら、すかさず一句ではなく、一首詠むことにしよう。
※豆知識:短歌は一首二首と言い、俳句は一句二句と数える。
 
 パフェ食えば鐘が鳴るなり釈迦三尊像  詩歌の師匠はいい匂いがした
 
  これはすっかり心の師匠となった先生の作品をリスペクトして作ったもの。「釈迦三尊像」は語呂がいいので使ってみた。「シャカサンゾンゾウ」という言葉が「チェケラ」的ラップ音に乗せたら面白そうだと考えた。ちなみに先生の作品に採用されていた言葉は「誕生釈迦像」だった。「いい匂い」というのは実際に香った訳ではなく、遠くからでもわかる芸能人オーラというか、美形の人だけがもつ際立ちというか、実際のものではなくイメージとして詠んだだけ。
  だが先生はちょっと引いていたように感じた。私ってどうしてこう「禁句」みたいな言葉をつるんと選んでしまうのか。学友達は面白いとか才能を感じると褒めてくれるが、こういう踏み絵的性質は一般の人には受け入れられない風味を醸し出すように思う。これも「匂い」だろう。出来れば消したいと思っていたが、この分野で伸ばせるならなんとかマッチさせたてみたい。でも世の中そう甘くはない、それより普通の幸せよウエルカムだ。私は今はお母さんなのだし。
  あっ、これももう、五七五になっている。せっかくなので後の七七をつけて短歌にしてみた。さきほどの「俳句プラス下句七七をつけて短歌に」というやつだ。
 
 名はいらぬ普通の幸せウエルカム 私は今はお母さんなのだし
 
  うん、出来た!「今は私は」だと「は」が繰り返されるがこれはこれでよしとする。これ、本当にそうだ。芥川賞とか直木賞とかノーベル文学賞とか神仏に祈念したりするけれど、せっかく母親になったのだから子ども達を幸せにするのがまず大切な仕事。なのに、大学にイベントにお付き合いに、今度はこども食堂とか自分の家をまず掃除しなさいよと。わかってる。
  それにしても「普通のお母さん」ってどんなのをいうのだろう。私を起点にしてくれたら色々納得できるのに、お前は違うと周りが言っている気がする。被害妄想だろうか。
  それと、これも「名はいらぬ普通の幸せウエルカム」だけで俳句になりそう。季語を入れなくては。ならば「ウエルカム」を「藤の花」に変えたらどうか。藤の花言葉は「歓迎」だそう。
日本の花鳥風月、季節のうつろいを季語をモティーフにしてぎゅっとコンパクトに閉じ込めたのが「俳句」。そんな風に一瞬の風景を切り取るのが「俳句」なら、それに美しく補足説明の下句を貼り付けたのが「短歌」でいいのではないかと。
「短歌から七七を取り除いて、季語を添えれば俳句になるんじゃない?」
  一緒に短歌と俳句の授業を受けた学友が、発見して教えてくれた。大発見ではないだろうか。この方は俳号もすごく良かった。才能を感じる。
※「短歌引く下句足す季語イコール俳句」「俳句足す下句引く季語イコール短歌」

  本当にそうだ。すごい事を思いつくなあと、学友の感性に納得してしまった。斬新な発見やアイデアがあちらこちらから飛び出していた。
 
 名はいらぬ普通の幸せ藤の花
 
  どうだろう、ちょっとこじつけっぽいけれど、なんとかいけるのではないか。「短歌と俳句の法則」すごい。それにしても、どんな先生に巡り合うかで、その教科が好きになったりそうでなくなったりの不思議。人生は阿弥陀くじだとも感じた。
 
 誰に遭う阿弥陀くじ哉人生は 好きになったり嫌いになったり
 
 また一首出来た。なんでも短歌に出来ると感心。
 そして次の句は、時を戻せるならデリートしてしまいたい黒歴史的作品。
 
 先生へ時間になったら終わってネ  私朝ごはん食べてないから
 
 今思えば「ふざけすぎやろ?」という一句だが、作った時は真剣だったし上手く五七五七七に納まり喜び勇んで提出した。詠んだ時の先生の困惑の声がリフレインする。作った背景は、一時間目から授業が始まるのに寝坊してしまった。朝食抜きで家を出たが、私はもともと朝ごはんは食べない。午前中は胃がからっぽの方が頭がよく回る気がするし、炭水化物を食べるとぼーっとして何も出来なくなるからそうしている。
  でもその日は静かな教室でお腹がぐうぐう鳴ってしまい、恥ずかしいので早くお昼にならないかと焦っていた。なのに授業が終わる時間に先生が気付かず、それならと一首詠んでみた。先生もわかってくれて、生徒もにっこりノープロブレム。よかった。
 それにしても、どうして大学にはチャイムがないのだろう。キーンコーンカーンコーン、起立、礼って、大学でもやればいいのに。 それよりこんな作品を初対面の先生にぶつけるなんて、どうなの私。子ども達にはこういうのは遺伝して欲しくない。こういうのって「学習」ではないとつくづく思う。もともと持っている要素とかDNAとか「そういう風に出来ている」とでもいうのか。人間の性質は十歳くらいで完成すると心理学の師匠も言っていた。こういう私はどんな要素でどういう課程で完成したのだろうか。未完成で自分もまだ子どものような気がする時もある。未だ色々上手くいかないのは、そのせいだろうか。
 
 「ママ? タンカーって何?」
 息子の声でふと我に返る。息子がオレンジジュースを飲み干す一瞬の間に、「短歌と俳句」の授業の思い出や様々な記憶が走馬灯のように頭の中を駆け巡り、バーエンディングストーリーを創作してしまった。徒然というのは楽しい。
息子が怒り出す。
「だからあ、言葉を区切って並べるやつ?」
 言葉を並べるタンカー? ああ、もしかしなくても、「短歌」? 
  息子がランドセルから連絡帳を引っ張り出し、私に見せる。今日の給食はカレーだったのだろうか、連絡帳を開くとちょっといい匂いがした。今日の夕飯にカレーは避けようと思った。続けては嫌だろうし、給食で出るカレーほど美味しいカレーがあるだろうか。大量に作るカレーは美味しい。
  それは置いておいて、連絡帳を拝読。
(今日のしゅくだい、タンカーたんか一首)
  やはり短歌か、納得。息子の担任の先生は、生徒が連絡帳に書いたものを毎日チェックして下さる。そうしてこんな風に間違った文字を線で消して、正しい語句を横に書き足すのだ。小学校の先生が激務だと問題になっているが、こういう小さなものの積み重ねもあるのだろう。
 そうだ、息子が一年生だった去年は、夏休みの宿題で何か作ったのだった。あれは短歌だったか俳句だったか。確か「季語を入れる」とあったので俳句だったはず。短歌には季語は必要がない。これも先日の授業で知ったことのひとつ。こうして考えると、短歌と俳句って私のような一般の人からしたら、ただ文字数の違いだけのように思われるが、それだけではない様々なセオリーがあるのだとわかる。それにしても「季語があるかないか」ってかなり大きな違いじゃないだろうか。
※短歌に季語はない俳句にはある
 
 さっそく息子に短歌を作らせてみる。五七五は出来ても、下の句がなかなか出来ない様子。苦心して色々書き散らかしている。見れば全部食べ物が書いてあり笑ってしまった。昨年作った俳句も、
 
 アイスはね、あまくてつめたいおいしいね
 
  ちゃんとアイスという季語を使っているしリズムもいい。息子、天才。
 短歌だけではない、大学の授業では俳句もいくつも作った。「吟行」といって、外苑の校舎を出て、近くの公園を散策しながらあれこれイマジネーションを広げて創作をする。先生の案内で訪れてみて、大学の近くにこんな由緒のある公園があるなんてと驚いた。作家の吉田修一の小説『静かな爆弾』に出てくる「御観兵榎(ごかんぺいえのき)」と「ベンチともいえない冷たい岩」がそこにあった。
  明治神宮に繋がるこの辺り一帯は、都心とは思えないような広い贅沢な土地がある。この公園もそうだが、ひっそりという言い回しがピッタリの風情で私たち以外誰もいない。かと、思えば突然家族連れに出会ったり。開門が九時、閉門は十六時。私たちの学舎は近くにあるが、その中で朝から晩まで授業を受けているせいでわからなかった。
  大きな木々の間をゆっくりと歩く。見れば大木に似合う巨大な蜘蛛の巣が陽の光を受けてきらきらと輝いていた。それを支えにまたいくつかの巣がかけられ、マンションみたいだねと誰かが言う。それを聞いてブルーになる。マンションでのご近所付き合いを思い出してしまった。
  それでもそれらに全く繋がりのない学友に話を聞いてもらえたり、気持ちの襞をわかってもらえてスッキリしたり。大学に通っていて良かったと思ったことのひとつ。しがらみのない私だけの世界がここにある。そんな風に気を取り直して作ったのが次の句たち。
 
 青々とだんだん赤く初紅葉
 
 初紅葉さらさら冷たい外苑の風
 
 どんぐりをコロコロ降らす秋の風
 
 過ぎゆきて戻りつ拾う松ぼっくり
 
 落ち葉踏み顔を上げると白い雲
 
 キラキラと天に伸びたる蜘蛛の糸
 
 門番の箒にじゃれる木の実たち(「特選」作品)

 
「吟行」の後は教室に戻り、改めて作品を創り「句会」で披露し合った。最後の句はとても評判がよかった。講評の「点盛り」で学友が何人も点をいれてくれて、この授業の最高得点だった。先生から「特選」にも選んでもらえた。
  この句は公園を訪れた時どんぐりがいくつも落ちているのを目にし、子ども達に見せたら喜ぶだろうな、じゃれて遊ぶだろうというイメージを重ねて詠んだ。なんとなくさっと閃いた言葉の醸し出す妙というのか、うんうんと捻ったものより高得点という不思議。なんでもそうかもしれない。句を詠んでいるうちに、憂鬱な気持ちもいつしか消えてしまった。

 
 肝心の息子、私が夕飯の下ごしらえをしている間静かに短歌を作っているかと思いきや、ノートを開いてその上に突っ伏している。眠ってしまったらしい。子どもは寝ている時が一番可愛い。起きていると餓鬼だが、寝ていると天使だ。
  そういえば、最近娘の寝顔をみたのはいつだろうか。寝室が別なせいで、彼女の寝顔をみる機会はぐっと減った気がする。私は娘に注目したり考えたりするのは、あまり良くない知らせの時ばかり。そのせいか娘に対峙する時の私は、大概ぷりぷりと怒ってばかりだ。夕べ珍しく「ママ、今日一緒に寝て」と娘が来た。
  昨日は大学の授業の後、帰りに息子の携帯電話修理に店舗に寄ったら二時間も待たされた。そこから、ああでもないこうでもないとやっていたので帰りがとても遅くなってしまった。宿題もあるし色々書くものが溜まっていて焦っていて、おまけに作品集の提出物も遅れていた。そんな焦っている時に彼女が来たものだから、無下に断ってしまった。
  今思えばいつも反抗的な娘がそんな事を言うなんて、よほど何かあったのかもしれない。なんだかんだ、息子、息子、と書いているが、面白いネタがたくさんあるので書きやすいだけ、娘への気持もしっかり溢れているのを感じる。時々それが過多になり、苦しくなってしまう。なので、心配だけれど気にならないふり、あまり考えると心配が増えてしまうように思うから。
  最近ぴこぴこと顔を出すようになった白髪だって、気にして触ったり抜いたりすると増えるという。「抜いたら禿るわよ」と美容師が言っていた。どうしたらいいのだ。そんな風に考えあぐねているうちに、いつか心も頭も真っ白になるのだろうか。その時は娘が私と同じ悩みで、うんうんと唸っているかもしれない。夕べはやはり一緒に寝てやれば良かった。
 
  寝顔見て心安らぐ母の幸せ 早く終われよ永遠に続けと
 
  考えれば考える程、色々なものが折り重なり、心配ばかりをしてしまう毎日。早く子育てが終わらないかという気持ちと、ずっと今のままでいたい複雑な母心。 子ども達、特に娘の悩みにはいつまでも寄り添ってあげられるようにと、長く生きたいと思うようになった。子どもが産まれた途端に、生への執着も生まれたように感じる。
 
  それよりも息子の短歌、彼の好きなモティーフは食べるものばかり。見れば書き散らかした文字の中に、「わっぱ」の文字がある。「わっぱ」とは、曲げわっぱの弁当箱のことだろう。手に持った時になじむようにちょっとくぼんだ形のわっぱの弁当箱が彼は大好き。洗って食器棚に仕舞っておくと、いつの間にか出してきて色々なものを入れて遊んだりしている。
「食べるものを入れるハコだから遊んじゃだめ」
 今日もいつの間にか彼の机の上にある。時々石を入れてカラコロ鳴らしたりするので、「わっぱが痛むじゃない」と怒ったりするが、いい音がするなあと密かに感心したり。
  わっぱが好きなのは息子だけではない。私が昔から好きで、遥か昔買ったものをずっと使っている。もうウン十年経ているが、どこも綻びずかえっていい色になってきた。最近娘に買った真新しいまん丸の形のわっぱとは、やはり一目で年季が違うのがわかる。
  娘もわっぱがすっかり気に入り、お弁当がいるとなるとこれに詰めてと言ってくる。娘のものもいつしかいい色になり、自分で色々詰めてどこかに運ぶのだろうか。下の段に手作りの菓子など入れて、上の段に手紙など忍ばせたり。私がよくやるので、娘もそうするだろう。
  それぞれのわっぱの中に、子ども達はこれから何を詰めるだろう。食べることは生きる事、美味しく食べて幸せになって欲しい。たくさんの優しさを、人生に彩りよく詰められるようにと願うばかりだ。
 
 きみにかかればわっぱもおもちゃ カタカタ鳴らす中に石ころ
 
 赤いタコ笑いたるわっぱ弁当 彼の笑顔を誘いたまらん
 
 弁当にふりかけ絶対かけないで  ぼくは真白きご飯が好き
 
 あかきいろ緑と黒いパラパラと バランスばっちり愛情少し
 
 ママ今日はふたつおにぎり握ってよ 僕はこれからアメリカに行く

 
  色々出来た。息子が起きたら見せてあげよう。「アメリカに行く」は、息子が三歳の頃に突然言い出し驚いた思い出。桃太郎のきびだんご的発想だったのだろうか。
  そろそろ娘も帰ってくる頃だ。彼女は無邪気な息子と違い、まだ小学生なのに驚く程様々なものを肩に乗せているように感じる。女子たる娘は学校で、家で、あちらこちらのコミュニティで、色々大変な日々なのだろう。苦しみも哀しみも、いつかしみじみと思い出に変えて欲しい。その前に今少しでも重荷が軽くなるように、ほっと出来るように、娘の好物を作って待ちたい。
 
  蓋あけて湯気立ちのぼる茶碗蒸し  娘の笑顔がゆれてほころぶ
 
  娘に披露したらなんと言うだろうか。何でも私の真似をする娘は、きっとすぐさま一首二首と捻り出すだろう。今度一緒に詠みあってみようか、「連歌」も楽しいかもしれない。
 
 娘と詰める季節の色どり徒然に わっぱの中に短歌と俳句

 
 (完)

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そんな訳で色々ドタバタしているうちのひとつに「文芸フリマ」で出品する作品集作りというものがあった。そしてつい先日完成し、11月23日に「文芸フリマ」というイベントで販売するばかりに調ったのでお知らせ。ちなみに私は締切ギリギリに書いて送っただけで、取りまとめやデザイン担当の方が徹夜しながら制作したもの。本当にありがとうございました。

そしてこの短編集を当日販売するだけではなく、事前予約で受け付け販売もします。限定100冊で値段は一冊500円、通販の場合はプラス送料200円。

※通販ご希望の方は、kyoutobu@gmail.com までお申し込みをお願いします。

私は現地にて16時から17時に対面販売していますので、色々と直接話してみたいという方は是非お越しください。

※文芸フリマって何?→ http://bunfree.net/?%CA%B8%B3%D8%A5%D5%A5%EA%A5%DE%A4%C8%A4%CF

※文芸フリマ東京会場期日など詳細→ http://bunfree.net/?tokyo_bun23#l0

※作品について→ 書籍タイトル『外苑弁当』A5サイズ全148ページ 

なぜ『外苑弁当』なのか、それは京都造形芸術大学の東京校が、神宮外苑にあり、外苑キャンパスと呼ばれているから。

お弁当の具材をテーマに、みんなが一品ならぬ、一作品を作り寄せ集めた作品集だからなのですよ。素晴らしいアイデア みんなで考えました

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「読み終わった後、おなか一杯になった気分になるのは何故?珠玉の十二編、是非ご賞味ください」

「文芸コースの有志で一冊の本を作りました。弁当具材をテーマにした短編集、その名も『外苑弁当』です。それを「第二十三回文学フリマ東京」で販売します。みなさん来てくださいね。詳しく知りたい方はお気軽にお問い合わせください」

私はその締切の頃また色々でアップアップしていて、学友達に色々迷惑をかけてしまった。本当に色々すみませんでした。そんな中で締切ギリギリになり書いた作品は約一万字。「いちから小説は無理だけれど、ブログ(エッセイ)なら書けるだろう」と書いてみたら、やっぱり書けたという感じだった。なかなか納得のいい出来。

ちょうどその頃、大学の「連句と俳句」という授業で、ゲスト講師の笹先生の授業を受けた。もう、なんていうかパンチの効いたスペシャルロックな作品群と授業にすっかり心酔してしまった。その気持ちのまま短歌や俳句を作りまくり、その流れて綴った短歌と俳句エッセイ。授業の中の匿名で作品を評価し合う「句会」では先生や学友が特選をつけてくれたものだから、私ってもしかしてこっちも向いているかもなどと己惚れた気持ちのまま書いてみた。

短歌や俳句なんて全く縁のないところで暮らしてきたが、実はいつも身近にあったという物語でもある。内容についてはここでは秘密。是非冊子をお買い求めください。

現在予約がどんどん入ってきているそうで、当日販売するものが無くなってしまうのではという心配が出てきたくらい。是非お早めにお申し込みください。
  
   




完成版

「東京国際ブックフェア」に行ってきた。このフェスタもう23回目だそう。こんなフェスがあるなんて今まで全然知らなかった。それもその筈、今年は「読者のためのフェス」に変わったそうで、それまでは書店や販売店のための展示会だったそう。事前登録し入場料1,200円は無料。広い広い東京ビックサイトで迷いながら、あちらちらの書店のブースを楽しむという趣向になっている。

しかし今日のお目当ては本ではない、「林真理子基調講演」。ご近所のママ友さんが教えてくれ申し込み、せっかくなのでとご一緒させて頂く。Facebookに流した記事をみて学友も申し込み、向こうで待ち合わせて一緒に講演を楽しんだ。なるべく前の方で見たいと豊洲を朝8時に出発、スゴイ気合の入れようと思わるかもしれないが、久々の生林真理子。もっと早く行っても良かったのだが、やはり子どもの手前というかまた子どもをほったからしてと思われると嫌なので8時がギリギリ許容の時間だろうか。ご近所さんなので自宅マンション近くで待ち合わせて出発。あいにくの雨だが気分はピクニック。着いて速攻並んで整理券をゲット。そのまま秋篠宮さまがテープカットにいらっしゃるというので違うコーナーに移動。真ん中に報道カメラマンの方々が陣取ってみえたが、そのすぐ横の位置をゲット。今かいまかと紀古さまを待ち構える。

秋篠宮夫妻が登場するとすごいフラッシュ!紀子さま綺麗✨小さくてバランスの良いスタイル、顔が小さっ!洋装したお雛様みたい。一番前を陣取ったものだから、私が手を振ると笑顔で応えてくれる。しっかりアイコンタクト😍嬉しい💖 

近くでお目にかかれました✨

紀子さまが退場するとダッシュで公園会場へ。整理券のおかげでかなり前の席に座る。林真理子さんのお話本当に面白くて興味深い。作家は儲からないとか、自分のお墓を予約して代表作として『不機嫌な果実』と刻まれたとか、いつも次こそ本物の代表作を書くと思って書いているなどなど、身の回りの出来事を面白可笑しくお話され、いつもあちらこちらで書かれるエッセイのよう。一時間たっぷり、サービス精神が旺盛でバラエティに富んだ内容があれもこれもと展開され最後まで楽しい講演だった。平野啓一郎の『マチネの祈り』がすごく面白かったそうで、私も読んでみようと思った。Twitterでもかなり話題になっていて、興味があったのだ。林真理子さん肝いりなら是非読みたい。毎日新聞で連載もされているようで、学友が「毎朝新聞読むのが本当に楽しみ」と喜んでいた。いいな、うちも日経新聞なんてやめて毎日新聞とりたい。

講演が終わった後は食事してフェアの会場へ。たくさん書店や出版社が出展しているが、ほとんどのブースが物販やワークショップ系だったかな。ちらっと一通り眺めてフェス会場を後にした。

福音館書店が出店していたので私は社員のTGYさんがいらっしゃらないかと期待した。そう、あの『エルマーとりゅう』の二人称問題について何か進展がなかったか聞きたいと思った。でも福音館書店のコーナーには社員らしき方は誰もみえなかった。残念。『エルマーとりゅうは』私の心の宿題になっている。先日武蔵美の方の学友が、福音館書店上の朝日画廊というところでジクレーをやってもらえると言っていたが、行くついでにエルマーの話が出来ないものかと割と不可能な事をちらっと思った。TGYさん、もっと頑張って調べてくれないかなあ。福音館書店の社長にお手紙出してみようかしら。

ブログにいきなり書評を書きだして、今度は何を始めたのかと思われるだろうか。私は飽きっぽい、なのでいつまで続くのかわからないが、読んだ本についてレビューしてみたいと思った。きっかけはこの本を読んだからだった。小泉今日子が書評を書いていて、かなりのレベルで面白いと読んだのは雑誌『anan』の書評コーナーだったと思う。『書評集』を書評というのも変な感じだが、自分がこういうものを書くきっかけとなったものだから記事にしてみたい。想像をいい感じに裏切ってくれて、読み応えのある面白い読み物だった。

もくじを見ると、2005年から順に7冊から多い年はいちにいさん、16編の作品が並ぶ。自分も好きな作品、読んだものから読んでみたいもの、全くタイトルも作家の名前も知らないものなど。終わりの「特別インタビュー」という読みもののなかで、「読書委員十年間を振り返り」とあり、10年続いた連載だと知る。「長い」とは思わず、「もっと続ければ良かったのに」と思ってしまった。黒柳徹子の「徹子の部屋」だって、テレビ局の偉い人の思惑で終わってしまったけれどタモリの「笑っていいとも」だってあんなに長く続いていたじゃない。だったら小泉今日子だって、などと勝手な事を思った。

「書評」を書くにはまず本を読まねばならない。小泉今日子がこんなに本を読むとは、しかもきちんと評をして丁寧な文章を書くことに失礼ながら少々驚いたりした。ひとつの書評を読み終えると「これ、読んでみたい」と思わせる確かな優しさがある。たんたんと書いてあるが、確かに優しい。厳しいところは何も見えない。でも優しくあり続けるためには自分に厳しい何かを課していたのではないだろうかと思わせる。それは1年2年なら出来るかもしれないが、10年間というのはとても厳しいだろう。優しくあり続けることが辛くて止めたのかなとチラと思った。そんな事はあるまい、ただの新聞社の思惑だけだろう。でもそんな風に思ってしまうほど、優しいさが滲んでいて、それが少々私には辛く感じてしまった。

「はじめに」で「本を読んでいる人には話しかけにくいだろうと本を読むようになった」とある。「忙しかった十代は人と話すのがおっくうだった」とも。小泉今日子ってそういえばアイドルだったなと思い出した。しかも一世を風靡する程の人気だった。いつも笑顔で元気いっぱいの、そうだ「キョンキョン」!そんなアイドルを演じ続けるのは、確かにおっくうで辛い事もたくさんあっただろうなと想像した。そんな彼女が素でいられるのは読書している時だけだったのではないだろうか。

本を読む、それは主人公に自分がすり替わることでもある。誰もが羨む人生を送っているアイドルが、ありのままの自分を求めて本を読み、自分ではない人格を楽しむなんて。でも果たしてそうだろうか。もっと高尚な何かがあったのではないだろうか。いやいや、最初は隠れ蓑でもだんだん本当に読書が好きになったに違いない。そして「書評」も、最初の頃より最後のページに進むにつれて上手くなっている。「これでいいのかなあ」と恐々としたものが「さあー好きに書くわよ」と伸び伸びし出したというのか。

私もブログを書きだした頃、千文字書くとすごく長文を書いたように感じ、そしてこれでいいのか、公開して大丈夫だろうかと固くなっていた。それは今でも日々思うのだけれど。

この書評集、書評にちらっと出てくる作品まで一番後ろに牽引用に一覧になっている。みると太宰治の『人間失格』がある。また太宰かあと思いながら該当のページをめくると、白岩玄の『野ブタ。をプロデュース』の書評の中に「これを読むと太宰の『人間失格』を思い出す」と書いてあるだけだった。「二十代のころ大好きだった小説」とある。太宰治が褒めてあるものを読むのが苦手な私はここだけは納得し難しと見えない付箋を貼った。でももしかして本当は小泉今日子も私と同じ感想ではあるのだけれど、太宰治やその周りの人々を慮って「好きだった」と書いたのかもしれない。「好きだった」というからには今はそうでもないのかもしれない。私も優しい言葉を探して紡いでみようか、なんて殊勝にも思った。キョンキョンすげえ。

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著者:小泉今日子
単行本: 252ページ
出版社: 中央公論新社 (2015/10/23)
発売日: 2015/10/23


『地獄変』ショックはすっかり良くなったように思う。なんだかんだ鍛えられたせいかもしれないと思った。もうこれ以上の地獄はないだろうという体験もリアルでしたし、アドラー心理学をカウンセリング技法として勉強してきたおかげもあると思った。そのうちこれらについても書いてみたい。それと、近頃日中は暑いが朝晩は冷え込みが激しい。冷たい夜気が熱い焔のイメージを冷やしてくれたようにも思う。家の中で私の部屋が一番温度が低い、というかそうなるように様々に工夫している。私は暑いのが大嫌い。名古屋から東京に来る決心をしたのも、亜熱帯から抜け出したいという思いもあった。名古屋の雨季、夏季、本当に暑くてむしむしして死にたくなる。なので夏は行きたくない。

そういう訳なのでお誘いありがとうございます、またよろしくお願いします。ということで夜は真冬以外は窓を開けて寝ることにしている。そうすると風邪をひくとわかっているのだが、どうしても開けてしまう。多分、閉所恐怖症が全快していないのだろう。窓を閉めると部屋は閉ざされた空間になる、開けていれば世界に繋がっていると安心できるのだ。この病気いつからといえば、以前のパニック障害の罹患から併発たものだ。もともとそういう気はあったが、これ程はっきりと怖いと感じるようになるとは思わなかった。寒くても暑くても、窓は開けていたい。

自分の病気をうっかり忘れ、ディスニーシーの「海底二万マイル」に乗ってしまったことがある。あの時はパニックどころではない、恐怖の余り死ぬかと思った。あの狭い空間に家族だけでないどこかのカップルも乗船しており、悲鳴も上げられないし挙動不審さも露呈できない。隣の夫にしがみつき必死に耐えた。夫が異変に気が付きぎゅっと抱きしめてくれて、夫の心臓音を聞くうちに治まってきた。

子ども達やカップルからしたら、イチャイチャしているように見えたかもしれない。 夫がいなかったら絶叫していたかもしれない。普段は喧嘩ばかりだが、やはり夫は私にとっての心の港なのかもしれない。昔母がよく言っていたが、「ママはあなた達の港だから辛い時哀しい時はいつでもママのところにいらっしゃい」と言っていたが、東京にも港が出来たということなのか。困った時だけいつも夫に甘え、なんだかちゃっかりしている自分に呆れる。

こうやって海底二万マイル事件やその他、色々人生に於いて怖かった思い出をあれこれ考えた。『地獄変』どころではない事も色々あった。そもそもあの物語の読みどころは、健気な猿ではない。存在すら曖昧な主人公による、様々な登場人物のサガ、業の深さ、愚かさ。それこそ喜怒哀楽というものは表裏一体で、人の心こそが地獄変だと芥川龍之介は書きたかったのだろう。そもそも芥川龍之介の書くものは、全て同じところに通じる気がする。それに気が付いた彼は小説が書けなくなったのではないか。それに絶望して自分の命を絶ったのではないだろうか。

などと考えているうちに、『地獄変』と同じ文庫に入っている『藪の中』も読んでみようと思った。もしショッキングでまた影響されてしまうようなら、今度は逆に芥川龍之介祭りをしてみようかと思った。大学の文芸に編入したのも、本を沢山読みたい、様々な作家について理解を深めたいという理由もあった。全ての作品を読み込むくらいはしなければなるまい。 


※私が読んだのは講談社文庫

『薮の中』はグッサリこなかったが、代わりに永遠の永遠に終わらない宿題を出された中学生にでもなったような、モヤモヤした気持ちになった。文庫本の裏表紙に「今も物語の真相が議論され続ける」とある。真相は一体なんなのか。全てに一致しているのは、盗人は女を奪ったことと、男は死んだ、事件の場所は薮の中という事。逆に解せないのが、男を誰が殺したのかという真実が何処にあるのか。盗人、女はまだしも、殺された男までもが黄泉の国から自分が自分を殺したと独白している。そしてそこでラスト。

これを読んだ者達は狐につままれたように感じるだろう。私も最初はそう読んだが、色々考えて私なりの辻褄が合い面白いと感じてしまった。人は如何に自分の都合のいいように人生という物語を取り繕うか、という見本市のような読み物だと思った。

いつもいつも同じ例えで申し訳ないが、私がボスママの企画したランチ会に行かなかったとする。私の独白はこうだ。

「あの人は私にだけランチ会開催のチラシをくれなかったのでございます。ええ、いつもそうでした。バス亭全員プロフィールが載ったものも、何もかもがいつもいつもそうでした。そうしてわたくしが気落ちしまして行かないでいますと、来なかったのはあなたたけだとなじるのです。おまけにさも親切そうに、私だけが入っていないランチ会の写真を送ってよこそうとするのです。こんな事が日常茶飯事ですので、私はとうとう赤子に与える乳が出なくなってしまいました。息子がどれだけひもじかったかと思うと、己の至らなさに憤怒する日々でございます。もう関わっていては親子ともども死に絶えてしまうと考え、彼女を断絶しました。それがまた彼女の被虐の心の灯火に油を注ぐことになり、小さな火は地獄変の焔となり私たち親子を焼き尽くしたのでございます。その後ランチ会がなくなったのは、私の謀反だという噂が出ましたが、わたくしめにはとんと見当のつかないことばかりでございます」

しかし、相手のボスママからしたらこうだろう。

「あの者はいつも私の気に障る存在でした。いつもふらっと来たかと思うとあくる日は遠く離れた場所でぼんやりとしていたり。こうした私を据えた組織に従事する者たちは、わたくしの元へは皆が一心不乱に寄り集まり、一塊の土のようにぎゅっと固まっていなければならないのです。なのにあの端女は。先日もわたくしがわざわざ作ったランチ会のチラシを配っていると、さも興味がなさそうに視線をあててきます。なので私は彼女を無視し、チラシは渡しませんでした。その後会の写真を彼女に送ってあげようと考えました。新しいメンバーの顔と名前を知らせるという意味でもあります。わざわざメールしてやったのに、彼女はいらないといいました。彼女は私ではない、グループのランチ会を否定したのだと思います。なので私は皆に「あの人がやりたくないと言うのでもうバス停ランチ会は致しません」と周知したのでございます。その後私はすぐに職場復帰を果たしましたので、その後の彼女やグループがどうなったのかは知る由もございません」

ここでは「ランチ会で集合写真をとった」「チラシは私には配られなかった」「(ボスママ主催の)ランチ会はなくなった」という事実は共通しているが、その他の出来事や私情などは全く別のものとして存在している。私からしたら勝手に仲間外れにしておいてその時の写真を送るってもういい加減にして。今まで何回そんな事をしてきたのよ、功名すぎるいじめに神経がすり減っておっぱいまで出なくなってあの時の息子の飢餓を想像するとこれこそ地獄だわ。などと思っている。

だが相手からしたら、なによこんな事くらいで怒ってばかみたい、チラチラ構って憂さ晴らし程度で済ませてあげたけれど、今度こそ本当に地獄に突き落としてあげるからみてらっしゃいという事だったのではないか。

人間白州のもとに晒されても、いやだからこそ本当の事など言わないのだろう。

私は本物の裁判も経験したが、裁判所にかかればどちらが嘘を言っているのかあっという間にわかると思っていた。うそ発見器など白黒はっきりさせるためにありとあらゆるツールを駆使して貰うのだと、閻魔大王に上申するような気持ちでいたのだ。でも嘘発見器は実用性がないという扱いで使われず、裁判官はいつまでもいつまでも和解和解といってちっとも判決は出されず、裁判は一年かかった。

『藪の中』の物語もそうなのではないだろうかと訝しんでいる。それぞれがそれぞれに語っているのは、各人の嘘というか願望なのではないか。ちなみに、真相がわからないままの事を『藪の中』というのは、この小説が語源だそう。

「わけわかめ」の代名詞と言われる私の考える『藪の中』の真相。芥川龍之介は『藪の中』の小説を書く時に迷っていたのだと思う。様々な妄想からストーリーを組み立て考え、どうしたらどの案を採用したら面白くなるだろうと。登場人物を設定したり語らせたりしていたところ、全ての人物が脳内で勝手な事を言い出した。支離滅裂に言い分が違い困っていたが、ある考えが浮かぶ。もう自分もよくわからないが、登場人物の言葉をそのまま書き起こしてみようと。そしてこの作品が生まれたのだと思う。

登場人物達が勝手に物語を作ってしまったのではないか。登場人物達が「誰かを殺めた」という、自分に都合の悪い証言をした意味をアドラー心理学的に考えてみた。それはその方がそれぞれの三人に都合がいいからだ。現実の世界では殺人事件の証言などすれば、人として生きるためには全く不利になる。だが小説の世界ではそうではない。物語の中で「私が殺しました」と言えば、その物語の中では主人公になれるのだ。『藪の中』では主人公が誰なのかそれこそ藪の中、わからない設定になっている。「劇団芥川龍之介」の興行する『藪の中』という演目で、三人が主人公のポジションを奪い合い、自分がそうだと覇権争いをしているのではなだろうか。

これらの説を読んで、芥川龍之介や作品への冒涜などと息巻く者が現れるかもしれない。でもこの説が本当じゃないなんて誰がわかるのだろう。彼はもう亡くなってしまったし、真実を知る者はこの世にいないとされる。この説が事実かどうかは何もかも『藪の中』だろう。私の『地獄変』的もやもやした霧は、晴れてはいないがどこかに隠れてしまった。『藪の中』『霧の中』『闇の中』物事がはっきりとしない事を表す例えたちだが、私は『藪の中』が一番侮れないと思う。霧も闇もいつか消えるが藪はいつもそこにあり、迷える者達を誘い込み喰い散らかす。こちらの話の方が怖いかもしれないと思った。


【今日の小確幸】

すっごくいいことがあった。明日のブログで書きたい♡

人は何処から生まれて、どこに逝くのか。色々考えてしまう出来事があった。そして、何のために命を全うする必要があるのか。生きたいだけ生き、行きたくなったら自由に逝けばいいのではないか。何もかも自由とは、そういう事ではないだろうか。そんな風に思った。

そんな考えを生み出した原因のひとつは、昨日読書会で読んだ『地獄変』のせいだった。あまりに凄過ぎて胸が詰まってしまった。人はなんと業が深くて愚かな生き物なのか、反して畜生と虐められた猿の健気さに心を貫かれてしまったのだ。

ふたつ目があの敬愛する先生に叱られてしまった事。 以前このブログに「もっと叱られたい」と書いたが、図らずも願いが叶った形になった。インテリジェンスな先生からキリキリと吐かれる叱咤は、私の骨の髄までも痺れさせた。苦悩とは深ければ深いほど、甘美な感情でもあると知った。

喜怒哀楽、人間の感情は表裏一体。恥ずかし気もなくのたうち回る私の人生、自分の感情がわからなくなった。嬉しいのか、怒りなのか、哀しいのか、愛なのか。卒業制作とは一体なんなのか。宮沢賢治の『アメニモマケズ』の真実のように、木偶の坊な自分を曝けだせはいいのか。

自分が面倒臭い人だという事は自覚している。方向転換しても、多分またすぐ元に戻るだろう。私は私で形状記憶された物体。それが敬愛する先生の迷惑になるなら、一度壊して新しくする必要があるのではないだろうか。それにはどうしたらいいだろうか。『地獄変』の猿は幸せな生涯だったと思う。例え地獄の業火に焼かれたとしても。

先日太字にした部分について考えてみた。色々書いているうちにスルリと出た言葉だが、真相を突いた言葉のように思った。高知行きは最初はちらっと考え「こうなったらいいな」という妄想だったが、どんどん追い風が吹いてきて「もう行くしかない」という信念に変わっている。イケダハヤトだけでない、リアルな助言者なども現れて、「もう豊洲のママ友戦争なんか嫌だ!高知に逃げたい疎開する!!」という決意になった。

息子は夏休みに高知に行けば、多分あっという間にとりこになると思う。高知は坂本龍馬の故郷、乙女姉ちゃんを高知に置いて、龍馬は江戸や様々な場所で武勇伝を残した。彼は織田信長のように志半場で討たれたが、その高い志は後世に残る勇気あるものだ。私は父の本棚にある司馬遼太郎の『龍馬がいく』で彼を知った。読んで龍馬よりお龍に強い印象が残った。あの人と私はとてもよく似ている。そんな女が惚れた龍馬の故郷「高知」しょっちゅう桂浜に行き、龍馬の話をしよう。息子もきっと大きな志を持ってくれると思う。娘もひとりで色々考えて欲しい。

以上、まとめ
以下、長い方

「もうこの家は夫と娘の家なのだ」と書いて、自分で驚いた。このブログは長くて読みにくいとか区切ってなどと言われるが、それらは私にとってどうでもよく、心がけとしてその時の自分の気持ちをそのまま書くのが大事だと思っている。後で読み返した時、あの時こんな風に思っていたのだなとか、こんな事されていたのかとムカムカムカムカこのぉ!ということもあるが、読み返した時に臨場感のある回顧が出来ていい。何より子ども達が大人になってもし私がいなくなっていた時も「ママはこんな事を考えていたのか」「こんな事があったの?」とか、何より心の襞を探るように色々言ったり色々うっとうしかったのは、自分達を慈しんでくれていたのかとわかってもらえるのではないか。

それより「何もかも書いて!ひどい!今すぐ全削除してやるパスワードはどこ」などと遺品をごそごそされる確立の方が高いが、それも仕方ないと思っている。それにしても私たちは「住まわせて貰っている」立場なのだと思った。わかりやすく言えばそれぞれ子連れて再婚した夫婦のよになってきた。あ、普通に結婚して子どもを二人生まれた家庭ですうちは、例えですよ例え。もうこういう言いまわしというか書きまわしをするとまたあの辺りにへーんな噂を流されますからね。例えですよ例え。わかった?ブス共。 ブスブスなんなのと言われそうだが、意地の悪い人というのは本当に変な顔をしている。鏡の前だと一番いい顔をするからそんなに酷くないと思うかもしれないが素はヒドイよ治せ。

で、最初は四人でうまくやっていたが、だんだん地が出て再婚相手とうまくいかなくなり、その娘ともそりが合わなくなってきたという感じ。何かにつけて「無駄使いするな」だの「もうお金ないよ」とか、息子の習い事を「なんでそんなのやる必要があるの」などとチラチラ言うようになった。喧嘩をすると「出て行け」などと娘共々言う。私は出て行きたいし離婚してもいいと思っているが、思うのは子ども達のこと。今は珍しくないといいつつやはりそうなったら娘も息子も傷つくだろう。

なので離婚はしない、でも一度別々に住みたいとはずっと思っていた。なので高知に行くのはママ友戦争に疲れたというのが大きな大きなおおっきな理由だがこういう理由もちらっとある。でも離れて暮らすのなら豊洲内でも出来る。そういう風に離婚しながらも同じマンションで住み行き来しているご夫婦もある。それは母親が仕事を持っているから出来るのであって、私のようななんの取り柄もない専業主婦ならそういう自立支援施設にお世話にならないといけないだろう。だがそうすると子どもがやはり色々覚えていて大人になり暗い思い出として色々考えるだろう。第一離婚した家庭の子どもは離婚しやすい。それは大人がイジメをみせたらいじめを覚えるのと同じだ。なので不倫もそうだし法に抵触することはダメというより、子どもに真似されたくないことは絶対にやってはいけないのだ。

法は建前上的ルールもあるが、民主主義の国日本国民が全員で決めたもの、それを犯すと罪に問われるのは当然なのだ。日本に住むなら日本のルールに従うのだ。それを無視して好き勝手なことをすれば治安が保てない。平和が壊れるということで、いちいち小さな交通違反に罰金をとられ頭にくることもあるが、自分たちが決めたことなので違反したら従うのは致し方ない。乙武もゲスも大らかなのはいいが、不倫はやはりNG。誰が傷つくとか家庭がどうとかいう前に、日本のルールでダメということになっているからダメなのだ。ただそれだけだと思う。刑事も民事もあまり関係ないと思うよ私の経験則からいえば。稀に刑事で負けて民事で勝つとか逆の場合とかはあるが、裁くのは同じ人間。間違いもあれば神対応もある。そういう訳でイジメも法律を創ったらどうかと思う。いじめは犯罪とか言っても法律がないのでは説得力がないのではないか。誰か作ってよ。

話をもとに戻して疎開の話、私がいなくなれば都合のいいのは私をイジメたボスママ軍団とその取り巻きだけではない。娘のためにもなる。我が家は広さは今の豊洲事情から考えても割と広いし、リビングは子どもの秘密基地用に買ったダブルのロフトベッドを置いてもピアノがあってもまだ余裕がある。その余裕で子どもが縄跳びの練習をしているくらいだ下の人ごめんなさい。でもドアのついている部屋は2つだけで、夫と娘、私と息子とそれぞれ使っている。もちろん広い方があっちが使う。勉強や実験道具で溢れて床には様々なものが「置いて」ある。足の踏み場もない。そして娘はもうこんな部屋いやだと自分が散らかしながら言うようになった。私たちが出て行けばこの部屋を娘の部屋にしてあげられる。

よく子どもに自室はよくないという意見があるが、私は高学年になったら与えてあげるべきだと思う。部屋数が少ないようなら同性なら一室でカーテンなどで仕切ってもそうした方がいい。子どもは自分の空間を持つと勇気がわくのだと思う。そこにゲームやスマホ、パソコンなどの電子機器を置くのが問題なのだ。そんなものでは創造力はつかない。勝手に流れてくる情報や娯楽に心を奪われたら、小さな心は忽ち毒されてもう戻れないと思う。そうではない、本や手芸セットやレゴなど創造力が伸びるものなら好き勝手に自分達で詰め込ませればいい。空間は小さくてもいいのだ、その中で時々自分や周りについてじっくり考えてみる。小さな子どもにそんなの無駄と思われるかもしれないが、私には色々思い当たることがある。私が子どもの頃実家は大家族で、自分の部屋とかひとりになれる時間がなかった。でも家は広かったので倉庫や納屋、誰も来ない小さな部屋などでごそごそしていた。そこでは空想の世界を広げ、本を読みいたずら書きなどをして自分の夢を描いた。

そういうものが大人になって今役にたっている気がする。そういうのがないまま大きくなった大人は、自分で夢を描くのが苦手なのではないだろうか。夢といっても大人になってから宇宙飛行士とか、そいう稀有なものではなく、小説家になりたいとかロッカーになるとか日曜画家でいいから個展をやりたいとか、子どもや生活だけのためだけでなく、何かあると人生は楽しいのにと思う。 それがころころ変わる自分にすごくコンプレックスがあったのだけれど、京都造形芸術大学の学長が「夢はどんどん変わっていい」と言っていたのを聞いて、「ああ、いいんだ」と嬉しくなった。ちょっと前は版画家、今は小説家だが、他にも豊洲に「豊洲こども芸術の村」開村するとか、その先には「豊洲こども芸術大学」を開校するとか、それから昨日閃いたのだが、「豊洲こども芸術の村」の後は村長をあの人に譲って私は高知で「高知こども芸術の村」を開村したらどうかと思いついた。

一年限定で何が出来るかと思われるかもしれないが、高知の歴史や文化を楽しめるようなホームワークやイベントをする。そして京都造形芸術大学の子どもを育てるにはお母さんも一緒に教育するというアカデミックポリシーを広めて一緒に楽しむのだ。そうすえば子どももすぐ友達が出来るし、というか、あの人はどこに行っても人気者で人がすぐ集まってくる。バディの時は私がイジメられたから一緒にいじめられたが、そこから出れば何も心配はないのだ。でも小学生のうちは友達は多い方が楽しい。私も小学生の頃は特定の友達なんていなかったし作る気もなかったが、大勢の友達に囲まれて本当に楽しかった。毎日毎日誰かと夜暗くなるまで遊び、日が沈みかけると本当にがっかりしたものだ。そういう生活を息子にも体験させてあげたい。「高知こどもの村」というのは高地にただ行くだけじゃない、疎開だけではない、ちゃんとした意義や目標があって行くということで、色々な辻褄が合うと思う。

そのためには「豊洲こども芸術の村」を成功させないと、その前に卒業しないと、ならば課題を早くやりなさい、次の卒論提出は7月13日で、その日は締切じゃないよ必着だよということになる。やらなくては。もうっ、ほんとに。色々あってもうわけわかめになっている。

そして高知に行ったら桂浜で叔父と叔母のランデブーを偲び、息子と坂本龍馬やお龍、そして乙女姉ちゃんの話などしたい。乙女姉ちゃんの話で自分の姉を思い出し、喧嘩してもいいからまた一緒に暮らしたいとかもうちょっかいかけて怒らせませんとか思って反省したり。蟹をたくさんとって唐揚げにして蛋白源にしたり、山で筍や山菜をとり、食べる。そういう原始的な生活をすれば魂が安らぐと思う。

あんなに元気いっぱいで友達と遊んでなんにも心配いらないと人は言う。でも生まれて一番最初に他者との繋がりを意識し、安心を求めて得られなかったという時代があったということ、結構深刻に考えないといけないと思う。そういう時期にあの子はあそこで酷い目にあった。何ごともなく過ぎたとは思っていない。毎日毎日行かなければならない場所で、父兄は誰も挨拶してくれない声もかけてくれない目も合わさず無視して通りすぎる、園生活はそういう父兄の子ども達から「まだ辞めないのか」とか「もう遊ばないよ」とか「あっちいって」などと厳しい仕打ちが待っている。「もう、俺バディ辞めます」というのも無理はないのだ。彼は何も言わないけれど、きっと色々に疲弊して傷ついている筈だ。このまま大人になったらどうなるか、いつか爆発してしまうかもしれない。

本当に私も反省だが、一番反省して欲しいのはあの資生堂の広告塔の「育休」だ。以下あの人を「育休」と呼ぶ。育休ははただ単に私がうざいかうっとうしいのか羨ましいのか私をバス亭で仲間外れにしようとして、いつもと同じようにムーブメントを作った。宣伝広告に夫婦ともに長けている育休はは、あっという間にバス停繋がりから、バディからも、その後は街全体からも私や家族を村八分にした。いつもいつも誰かひとりをスケープゴートにすることで結束をし、育休はそこで君臨し皆をコントロールした。

「私のいう事を聞かないと、あの人みたいなめに逢わせますからね」

それはいつも成功したが、でもひとつだけ育休が間違えたのが相手だったのだろう。私は絶対に引っ越さなかった。バディだって息子が言わなければ普通になんでもないふりをして卒園させるつもりだった。結果的に私は気持ちの上だけだが復活したし、育休はもう誰かをイジメて村八分にすることでストレス発散できなくなった。私が真実を書いたことで有名になったのでもう出来ないだろう。やったら「あ、またやってる」と思われるだろうし、もう窘める人もいるだろう。なのでもう会社でも社会でもいい人をずっと続けなければならない。なのであの人のためにも私が赤裸々にブログに書いたことは良かったのだ。

客観的に自分をみて、格好悪い自分を反省したらいい。本当にダサいと思うし周りは私以前からとっくにそう思ってる。でもあなた資生堂だから化粧品サンプルやキッザニアの半額チケットが欲しいからみんないい顔する。何よりくっついていれば誰からも子どもがいじめられない。本当はあなたなんか誰も信用していないし、好きじゃないと思う。便利だからくっついているのだと思う。

また話が育休に及んでしまったが、ともかく育休はこれだけの事を仕出かしたのだから、反省しろといいたい。でも私は許さない。許したらあの人はまたやる、私が執念深いのではない、あんな拷問のような仕打ちを受けるのは私で終わらせたいと思っている。このまま続いたらきっと娘の代の豊洲でもハラスメントはなくならない。娘は豊洲が好きでずっと住みたいと言っていた。娘の代は古き良き金髪先生のような大人がたくさんいる世界でないといけない。誰かが困っていても自分に関係なさそうなら素知らぬふりをするような大人は死刑にしなければ。

あのららぽーと豊洲の対応は、「大企業病」だと夫が言っていた。あまりに大きくなった組織は責任の所在がわかららなくなり、誰に権限があるのかどこで発案したらいいのかわからなくなっているのだそうだ。でも私は「豊洲病」だとも思った。誰かが酷い目にあっていても、自分には関係ない巻き込まないで。それ、酷くない?もう全国各地で募金ムーブメントが巻き起こっているので、もしかしたらセンターポートにもう募金箱があるかもしれない。でも言われてやるよりすぐ思いついてやるくらいでないとダメなのではないか。それは企業でも人でもそう。それだけならまだしも 息子の大好きな「元楽」まで追い出して頭おかしいんじゃないだろうか。募金は大きな組織の病魔のわかりやすい例だと思う。

ついでに言うと、夫の会社組織はもっと大きい。なので夫のような本質がわかる人に気が付かないのだろう。上や下となあなあとヒヨル社員達が上に行きポジションを得るのだろう。もうそんなところ辞めてしまえ、あなたを買ってくれる組織は外にあるからというが、子ども達の生活の責任があるからと今のような状態に甘んじている。私は北尾さんか孫さん、と言うと系列が同じだが、風雲児が興した組織に行くと開花すると思う。もうほんっとに古い体質というのはしょうもないなと思う事が多い。

私は最初そういうとろこに勤めたが飛び出してしまった。でもそのお勤めの履歴のお蔭で社会から、そして姑の信用も得られて今があるわけで、悪いことばかりではなかった。そろそろ夫も飛び出して好きなように仕事をして欲しいと思う。お金どうこうより今のままでは本当に勿体ないと思う。それには私が稼がないとだめなのかなあと思ったり。でも貧乏するのは悪いことばかりではないよ。お金がないとお金を大切にする、物だってなかなか買えないから大事にする。教育費というが、塾に行って偏差値が上がるかもしれないがどうなの。それぞれの幸せを見つけられたらそれでいいのにと思う。とはいえこうやって専業主婦でおまけに大学にいって、そこから高知に行きたいという夢だって夫のお金がなかったら出来ない訳で、夫にはやはり感謝したい。でも高知は自力でというのも、それはそうかもしれない。やはり家のお金で好き勝手というのは世間的にも嗤われそうだし、あのボスママ軍団とその取り巻きが檻から出てきて「ほーらね、やっぱり」などと囃し立てそう。ムカムカムカムカ。

そうだ、育休の旦那にかけあって、「疎開ママの村創りin高知」というドキュメンタリーを作ってもらおうか。フジテレビならお金あるでしょう。生活費ちょうだい。というのはいいアイデアなので今後考えたいが、旦那もそんな妻を適当に褒めたりするからつけあがってしまって育休の旦那も反省。とっとと引っ越しすれば済んだものを豊洲は子どもの教育にはいいとかいって引っ越さなかったうちの夫も反省。

そいいう訳でそろそろ自分が坂本龍馬のお龍に似ているという話に移動。もう、あの人にはすごくシンパシーを感じるのだ。器量よしと言いたいのかと言われればそうですとしか返せないが、それだけではなく「結婚しても家はいらない船が欲しい」だの、怒鳴り込んで妹を遊郭から連れ出したとか、仕事が決まらずふらふらしたとか、乙女姉さんとそりが合わずに帰されたとか、寺田屋で裸で階段を駆け上がったとか、最後はアル中今風に言えばアルコール依存症で死ぬとか、なんていうか破天荒な感じが一緒かな、なあなんて思う。正直嫌だったこの性格もお龍さんに似ていると思えばなんか得したように思えるし、お龍に比べればまだましというか大人しい方ではと安心できる。

一番は「家はいらない船が欲しい」と龍馬に言った件、私も同じようにずっと思っていた。同じところにいるのは飽き飽き。ずっと同じところに住み続けなければならないなら、家なんかいらないといつも思っている。叔父だってそう、賃貸にしておけばいいのに、あの人はマンションを買った。なのでぶつぶつ言いながらも住み続けないといけない。叔父は家についてもいつもラッキーな人で、それは叔母がそういう運を持っていたのだろう。yoko が死んでから住んだ家のなんと寂しいこと。いいマンションで広いし多分いい値で売れるだろう。でももう嫌だと思っているはずだ。引っ越しどうなったかな。そんな事情も垣間見たりして、豊洲のママ友が引っ越していってしまったりで、もう誰もが好きなところに好きなように住めばいいのではないかと思う。

なので「もうここは私の家ではないのかもしれない」と書いてしまった時は「女三界に家はないのだわ」などとシックな気持ちになったが、ちょっと考えて逆転して勇気100倍になった。逆に考えればもういなくても良い理由にもなるのではないか。高知に行ってもどこに行ってもいいということではないか。また変な思い込み、だからママは困ると思われるかもしれないし、周りからも色々言われると思う。

娘はどうするのかと早速聞かれてしまった。でも娘は娘で私が高知高地言うので色々真剣に考えだしたと思う。ママはパパと違って言ったら必ずやるだろう、そしたら私はあちらこちらに反抗している場合ではない。いざとなったら誰かに助けて貰わないといけないし、ママがいないと健康管理は自分でしないといけない。近所の無視する人達にも無視しかえすのではない、挨拶し続けなくてはならない。震災の避難所で物資を貰えないのは困る。意地の悪い人達に反抗すれば、そのくらいの仕打ちは軽くされるだろう。だってここはあのボスママ軍団が蔓延る豊洲だもの。受検勉強だって八つ当たりの相手がいないのでパパに叱られてストレス満載の今じゃダメとか、その前に受験って必要なの?とかママのいうように舞子か手芸家の方がいいんじゃないかとか。

ひとりになると色々考えると思うし、ひとりにさせるのが遅すぎたくらいだ。なので今私が「専業主婦なのに自室?本当に?どうして?」などとママ友の顰蹙を買いながら占拠している自室を、娘に使ってもらおうと思う。すごく狭いがここに入るとほっとする、私withお猿の空間。彼は大きなリビングではなく半畳にも満たないスペースでレゴを組み立てるのが大好きで、広さは関係ない自分の空間だと思っているからだろう。小さなベッドひとつでいっぱいになる私たちの部屋は、去年までは豪華で重厚なダブルベッドが全部占拠していた。でももういらないとヤフオクで二束三文で売り払った。夫は激怒したが、私は売ったお金で無印良品の脚付きマットレスを買った。

これがまあ安いのでスカスカで涼しいわベッドカバーは掛けやすいわで大満足。有名ブランドの何十万もするベッドはカバーを変えてくれる婆やがいてくれるような生活になったらまた買おう。あれはあれでなかなか良かった。 でももういらない、ベッドボードは風邪を通さないので暑いしもうあんな大きなベッドのカバーを変えるのは絶対嫌!嫌イヤいってやらないでいれば娘がみて「ベッドはカバーを変えなくていい」などと教育してしまうかもしれない。それよりしょっちゅうカバーを変える私をみて、「カバーを代えやすいベッドがいいんだ」と覚えてくれた方がいいではないか。みよ、この素晴らしい教育。

高知行きは疎開も大きな理由でもあるが、「豊洲こども芸術の村」の次は「高知こども芸術の村」を創りに行くという目的も挙げる。そのために豊洲の村も成功させ、大学を卒業する。もう自分の家はいらない船は買えないので高知で車を買う。でも東京とのアクセスは基本青春18切符に限定。

龍馬の史跡巡りをして文章にまとめ、小説を書く。この最後の坂本龍馬の小説というの、ずっと書いてみたかったのだ。なので高知で書く。司馬遼太郎の小説は参考にするが本家取りではなくオリジナル。ひとつアイデアがあるがここには書かない。自分の閃きやアイデアはブログに書いては勿体ないと言ってくれたのは大江先生。

先生と言えば昨日金髪先生が「金髪先生って書いてあったねえ」と嬉しそうに話しかけて下さった。私が書いたブログをこんな風に面白がってくれたのは、この人が初めてかもしれない。委員会の抽選の時も「ドキドキしますね、でも役やってくださいよ」などと構ってくれて嬉しかった。金髪先生が私の肩をポンと叩いた時に他の人に役が当たった。私はびっくりした。役をやりたくないというか、やる時間は多分ないだろう。でも子ども一人一役の掟で、子ども2人の私は最後の年になるからと委員会に立候補した、でも役をやっている余裕はないので当たりたくなかったのだ。このあたりの役や委員会の仕組みは差し障りのない程度にまたの機会に書くとして、金髪先生にどつかれたから運が向いたように思った。本当にほっとした。

拝啓、豊洲の心優しきママ友さま達へ、

来年私は豊洲小学校にいませんが、やらなくてはいけない役は二人分終わらせていきますので、どうぞ残った娘をよろしくお願いします。娘は私に似て頭もよくてセンスもよく、そしてとてもいい子です。誰かがイジメられていたら自分の後を考えず庇い自分がイジメられてもその子を恨まないイジメない。こんないい子は豊洲では娘だけです。仲良くしてあげて下さい、優しく声をかけてあげてください。挨拶をしてちょっとだけでも声をかけてあげて下さい。

私がいないと食事や留守番など不安で防犯上もよくないと思うが、なあに、そうなったらあの人が飛んで来るから大丈夫。もしかしてその間住むことになるかもしれない。そう、孫命のあの人。あの人には迷惑を掛けるというより、生きる希望が湧いていいのではないだろうか。まだまだ私がいないとダメなのだわと思えば寿命も延びるだろう。色々心配かけて大変な思いもさせているが、振り返った時に私に感謝するのではないか。「もうあなた達結婚したら」なんて言わなきゃよかった、と思っているかもしれないが、いつか感謝に変わるだろう。ババア、よろしくね。


【今日の小確幸】

無理やりだが辻褄が合った。よかった。 

※筍は前日に糠で茹でてそのまま冷ます。上から三等分して、そのまま、味噌汁、一番硬い部分は刻んで今夜筍御飯にする

※小さなタッパーで糠漬けをしている。いい感じになった糠床


※今朝一番人気だった「ほぼカニ」カネテツはネーミングのセンスがすごいそして本物の蟹より美味しいかも。

はあー今日も10,000字以上書いてしまった反省。

あの記事を読んだ友達から、「旦那さんと仲良くやってるのね」とメッセージ受信。夫は夫で何か安心してしまったのか、また部屋を散らかしだした。「野に咲く小さな花のように」というタイトルの記事は、私の中で削除したいが我慢という記事NO.1となった。誰も読まないで。

明日から帰省の予定なので書いておかないといけないもの、残った雑務などゴソゴソして相かわらず自分勝手に忙しいが、「エルマーとりゅう」二人称の意味シリーズに進展があったので記載しておきたい。英語が読めないからほったらかしと思われると心外、ちゃんと図書館でシリーズをあるだけ借りた。最初に借りられた2冊ともは、日本版でいう「エルマーシリーズ」第一段、「エルマーとぼうけん」だった。イラストが違うので別のものかと思いきや、全く同じ目次だった。それにはやはり「My Father sad 」「My Father...」と書いてあり、あくまでも「僕の父さん」とか「僕の父さんのりゅう」という英語が最後までずっと並んでいた。

そこで思い切って出版元に問い合わせをしてみた。ご存知子どもの友の「福音館書店」、銀座にも本屋があるのでこの社名を目にしたことも多いのではないか。児童文学のエキスパート的書店、日本版エルマーがここで生まれたというのも納得だ。出られた受付の方に説明すると、担当部署に繋いでもらえた。私の話をふむふむ聴いた後、「確かにそうですね、では何かそういう記述の資料がないか探してみます」と言ってくださり電話終了。

翌週になるかもという話だったが、1時間後くらいに電話があった。古い作品のせいか、役に立ちそうなそういうものは見つからなかったそう。訳者は亡くなっており、お子さんは海外にいらっしゃるということだけわかると。そこで、訳者と作者はそんなに交流がなかったのではないか、例えば村上春樹の作品とかなら別だが、その国の言葉に翻訳されたとして作者はよくわからないのではないか。でも多少は相談があったかもしれないし、訳者が子ども達に読みやすいように主人公の表記を訳者が変えたと推測できるのではないだろうか。などと私の想像を話すと、そうかもしれないと言って下さった。でもこれ、あくまでも私の想像、なので真相はまだわからないまま。

何故そんな事を聞くのかといわれ、自分は通信大学文学部に通うブロガーで、ブログに記事を書くにあたり、私の想像だけでなく何か明確なものが欲しいのだというと、ちょっと空気が変わった。また何か出てきたらお知らせしますと言われ、電話が切れた。もしかして何かわかるかもしれないし、わからないかもしれない。初版が1962年、訳者は亡くなっているが作者の方はご存命なのでメールをしてみるのもいいかもしれない。でも英語で出すとなると、それなりの方にチェックしてもらわないと真意が伝わるか怪しい、しかも世界中から手紙が届くと思われ読んですら貰えない可能性もあるだろう。最近、福音館書店から作者の方の新しい本が出版されたそうで、そのつてで聞いてみて頂けないものだろうか。色々要検討。

そうこうしているうちに、また別の英語版エルマーとりゅうシリーズが図書館の「準備できました」リストに入った。今度は「The DORAGONS of BLUELAND」という同じタイトルのものが2冊。表紙は全く違うものだが目次は同じだった。 

※ペーパーバック

早速開いてみると、第一作のエルマーとは違うところがあった。「My father 」という表記がなくなり、「Elmer」になってるではないか。わかりやすく説明するため、最後の3行だけ転記。

 "Me?" said Elmer, choking on a piece of toast. "Why, Father, you don't mean you really believe all that nonsense, do you?"

なんとここでのFather はエルマーのお父さん、それは日本版と一緒なのだが、エルマーが「僕のお父さんエルマーエレベータ」でなくなっており、ほんのすこし前にある「Mr. Elevator 」もエルマーのお父さんを表している。Doragon もMy Father's Doragonでなくなっている。三部作の一作目となんちゅう違いだろうか。二作目をみればまだら表記なのだろうか。エルマーの子どもが話しているうちに、最初は丁寧に「僕のお父さんエルマー」と話していたが、途中で息子が面倒になり「エルマーが」と話しだしたという設定なのだろうか。だとしたらあまりにもリアリティを追及しすぎているのではないだろうか。益々興味がわいてしまった。

これ、もしかして卒業研究の論文にしたら面白いものが書けるかもしれないと思った。福音館書店の社員の方も、そんな質問今までなかったと思うと言ってみえた。読んで「変だな」と思った人は星の数ほどいると思うが、実際に聞いてくるのは私くらいだったということか。このあたりの作者と訳者事情を聞いてみたいが、それぞれ個別の事情と言われるような気がする。でも『エルマーのぼうけん』だって、訳者と作者が色々書簡で情報交換しただろうし、電話もあった時代なので何か話をしたのではないだろうか。 

「私も本が出てからそう思った。日本語版は全部エルマーでいいわ」などとルース・スタイルス・ガネット (Ruth Stiles Gannett)  は訳者の渡辺茂男に答えたのではないだろうか。

他には、「エルマー、三人称」で検索をかけると色々書いてあるサイトがあった。ほとんどは誰かの想像だが、「一作目の人称が不評で二作目に三人称にしたのでは」とか、作者が女性で訳者が男性だから視点が違うものが出来たなど、色々な考え方があるのだと思った。

この「エルマーとりゅう」二人称の事情シリーズは不定期連載としたい。続きを待て。


【今日の小確幸】

息子がレッスン楽しそう。よかった。

「児相、警察、教育委員会」の記事を読まれたくないので誤魔化すためにも、もう一本記事を書く。今日は卒業式なのか娘と息子は学校がお休み、夫も合わせて休みを取ったようで科学未来館に出掛けていった。最近の科学未来館の混みようといったらない。娘と行き出した頃は駐車場もガラガラ、レストランも並ばないですぐに座れた、なのに今はもうどこもかしこも芋を洗うような賑わい。休みをとってわざわざ行くというのも致し方ないくらいなのだ。お正月に毛利さんが登場したらしく、息子は「僕ロボット工科学者になる」といって褒められたそう。どんな状況だったのか、私は妹とららぽーとにいたのでわからないがそんな事があったらしい。いいな、毛利さん。私も会いたかったが妹が面倒だと言ったのだ。まあ代わりに天皇家と会えたのでよかった。

それはさて置き、昨日の朝のNHKニュースで、「精霊の守り人」の特集ということで番組の紹介と綾瀬はるかのインタビューが放送されていた。番組のタイトルの前に、「放送90周年大河ファンタジー」とある。大河好きな私は反応して見入ってしまった。それによると、上橋菜穂子の作品を原作として、実写にするには難しいと言われていたシーンを表現し、綾瀬はるかは大立ち回りの稽古を苦労しながら頑張ったと言っている。見てみたい気がして夫に「これ撮った?」というと、「ないよ」とシラッと答える。いつもどうでもいいような民放のドラマばかり録画してこっそり観ているのを知っているので、「こういうのを撮らないでなによ変なドラマばかり観て」というと、リモコンをいじりだし録画一覧を表示して、「でへっ、ほんとは(撮って)あるよ」とニコニコしだした。はあーほんといちいちむかつくわあー\(^o^)/

そして早速昨日の晩観てみた。ありがとうNHK、さすがNHK、上橋菜穂子もさすがだが脚本の大森寿美男もいいタッグなのだろう。第一回が終わる時は心から哀しかった、早く続きが観たい!子ども達も食い入るように見入っていた。息子も意味がわかって面白いという。音読が苦手で漢字は滅茶苦茶だが、ちゃんと育っていると安心した。朝あんなに反抗した娘もいつの間にか私の座っている椅子にお尻を乗せ、くっついて観ている。もう大きくなって押されると私が椅子からはみ出しそうだ。 


※NHKサイトからコピペ

ネタバレになるので詳細は避けるが、二の王妃、美人しかも強くて優しいお母さん。あのシーンはもう本当に泣けてしまった。「生きるのです。それが母の願いです」そうなのよ、お母さんというのはみんなこう思っているのよ本当は。テストで100点とか足が速いとかサッカーが上手とかはオプションでどうでもいい。惨めでも虐められて泣いても弱虫でもあほでもなんでもいい、ただ、ただ生きてくれればそれでいいのよ。死んではだめなのよ、生きてね、お願いだから、わかった?というと、うんと頷き「静かにしてください」と言われた。でもわかってくれたような気がした。

吉川晃司がいつの間にかすっごくいい俳優さんになっていて驚く。太刀裁きもアクションもすごくてハリウッドからそのうち声がかかりそう、英語勉強しておくといいと思いますよ。娘にはこの人は昔アイドルでスマップどころじゃなかったなどと言ったりした。モニカ懐かしい。昔紅白で暴れて出入り禁止になったのはもう前世の記憶のようになっているのだろう。夫がいつからこんないい役貰えるようになったかというので結婚してからと答えたが間違っていないと思う。結婚することは信用を得られることでもあるからだ。なのに結婚して子どもまで産み、分譲マンションに住む私がここ豊洲ではプロニート以下の扱いなのはなぜだろうやはりブログかいやそれ以前からと色々思う。それから主人公の綾瀬はるかがすっごい大変身。こんな役も出来るんだと感心した。顔は真っ黒に汚れ、手づかみで肉を喰らい酒をあおる。でも何処と無くエレガントなのはご愛嬌か。それから朝の番組で言っていたアクションシーンの身のこなし、もうどれだけ努力したんだろうと、プロだからと言ってしまえばそれまでだが、それを超えたすごい情熱を感じた。そしてNHK、本当にいい仕事をすると思った。NHKというのは今でも葵の御紋的放送局で、フジテレビですが~というと「で?」という人もNHKですといえば、「ははあー」とひれ伏すだろう。少なくとも私はそうだ。番組もどれもためになり役に立ち、どれも子どもに見せても安心なものばかり。クローズアップ現代がなくなったのは本当に残念でならない。他になくなった方がいいような番組が続き、なぜクロ現が。そんな訳で我が家のテレビは早朝のNHKおはよう日本から始まり、夜のNHKニュースで終了。その間はテレビは基本観ない、みせない。勝手に観てるのは仕方ない、子どもだもん。でもテレビほど時間泥棒なものがあるだろうか、といっても今はスマホに変わったが、持たない子ども達にとってはそうだ。あまり制限はしたくないがバラエティやお笑い、特に誰かをdisりながら笑いをとるようなものはみせたくないと思っている。必要悪というがわざわざ見せなくても学校で覚えてくる、それはいいと思う。ジャーとかプリとかキュアとかお金のかかるものは特に観て欲しくないが、子ども達は大好きで今だに色々録画してみている。 

テレビ大好きっこの子ども達も嵌ってくれそうな『精霊の守り人』、そんな訳ですごく次回が楽しみだ。待ちきれないが原作を読むのは楽しみが減るので避けたい。上橋菜穂子、私は『鹿の王』で知ったが、日本にもすごい人がいるもんだと思った。ファンタジーというジャンルを大人ライズにした立役者ではないだろうか。大人も楽しめるファンタジーというのはなかなかに難しいものだと思う。ともするとアニメチックになってしまう。でもこの番組はリアルとファンタジーをぎりぎりのところで融合させて、歴史ものを見ているような錯覚に陥ってしまう。本当にこういう国が昔あって、そういう事があったのだと勘違いしそう。原作も何もかもすごい。大河ドラマも史実だなんだと拘っていないで、いっそこういう超大作を実写ドラマ化する方向にしたらどうかと思う。手詰まりで武田信玄や徳川家を何度もしたり、隠れた人にスポットをあてそこまでやらないともうネタがないのかと思われるよりいいのではないかと思う。今やってる真田の話も、申し訳ないが私の中では今更感があり食指が動かない。やはり私の中では風林火山が最高で、もうあれを超えるものはないのだと思う。

『精霊の守り人』次はどうなるんだろう、何処に行くんだろう。この人は敵か味方か。スターウォーズ熱はどこかにいってしまった。

基本的に私はドラマはみない。ドラマは所詮人の作った虚構を誰かが演じているだけ、リアルの方が余程面白いと昔から思っている。テレビを観るくらいなら小説を読みたいと思う。最初から最後まで全部わかるし、好きな時に好きなところでいつでもどこでも楽しめる。その前にテレビは嫌い、うちのテレビは大型でつけるとすごい熱気がくる。夏はそれだけでエアコンが必要なくらいで、しかも一方的にうるさいと思う。それならパソコンでネットサーフィンでもして必要な情報をさくっとみたりコラムを読んだりしたい。今は本当に面白いものを書く人が増えてきて、探すどころかジャッジに苦労するくらいだ。でもほんのたまにこうしたドラマに出合うと、早く早くと子どものような気持ちになってしまう。『流星ワゴン』も本当に面白かった。あんなこと、もしかしてあるかもなんて思ってしまった。もしかしてそういう自分に決別するためにテレビを遠ざけているのかもしれないと思った。テレビの前に座ってワインなんか飲みだすと、3時間が1分くらいに感じてしまう。もうね、そういう呑気に出来る、してもいい時代が終わったということなのかもしれない。いつもいつも違うドラマだが、同じようなものばかりの気がする。ママハラのドラマもいくつもあったそうだが、私は観ていない。だが「あなたを見ているよう」などと友達からメールがあちらこちらからきたりした。世の中本当に珍しいことなどあの震災くらいだろう。日常はいつも同じことの繰り返し、なので私たちは新しい刺激や浪漫を常に求めているのではないだろうか。久しぶりに良い番組に出会えてそんな風に思った。 リンクを貼って置く、連続4回。ええ、すぐ終わるの。つまらないなー上橋菜穂子シリーズとして『鹿の王』もやってくれないかな。 N・H・K♡


【今日の小確幸】

お休みの子ども達をどうしようかと考えていたので夫が休んでくれてよかった。子煩悩なのは間違いない。

先日叔父の家でパソコンの面倒をみていると、大きな文字のwordムック本が置いてあるのに気づく。これは電話でなんだかんだ言われ、色々説明するが理解できないようなのでAmazone からダイレクトに送った本だ。Amazone は送り主と送り先を指定できる。本をみれば一目瞭然、疑問はたちまち解決したようだ。何をしたかったかというと、漢字に振り仮名をつけたかったそうだ。今思えばこんな簡単な事ならもっとよく聞いて説明してあげれば良かったとも思うが、一度電話で解決したら今後ずっと電話サポートを求められる気がした。要は面倒に思ったのだ。送ったのは「いますぐ使えるかんたんWord 2013」というもの。文字も図も大きくて見やすくてわかりやすい。でも「もういらない」という。いちいち見て調べるのはどうもならん、などという。捨てられては勿体ないので引き取ってきた。

その下に、山本容子『京都遊び三十三景』があった。「あったの?」と聞いて、(返して)貰っていいかと聞くといいと言うのでこれも引き取ってきた。これは発売されてすぐ買った本。当時書籍発行と同時に山本容子さんの個展が開かれ、作品に感激もした。本があまりに素晴らしいので、叔母の仏前に供えたのだ。叔母はこういう綺麗なもの、可愛いものが大好きだった。仏花ばかり眺めていてもつまらないだろうと遺影の前に置いた。しばらくしたら返して貰おうと思っていたが、仏前辺りに見当たらなくなった。叔父にどうしたと聞くと「そんなもん知らん」という。ボケないでよと言いつつ、叔母がまだ読んで楽しんでいるような、あの世に持って行ってしまったように思った。

なのでひょっこり出てきたのは、叔母が「どうもありがとう、お返しするわ」と言っているように思えたのだ。返して貰ったので自宅に持ってきた。出版年をみると、2012年11月30日とある。惜しい、あと一日前だったら1129(いいにく)なのにと思ったがこれはまあいい。それより買って供えてもう3年半経っているのに驚いた。このブログで何度も書いているが、時間の流れ方が早すぎるのではないか。この本を買った時、確かあの友達と一緒に個展に出掛けた。京都に親戚がいるというその友達のレクチャーを聞きながら観る作品は、どれもリアルに感じて余計に素晴らしく感じられ、そのせいもあり山本容子は想像ではなくリアルを作品にした方がいいと思った。その前にも同じ友達と、これは銀座三越だったが「不思議の国のアリス」の様々なキャラクターや名シーンを作品にした個展があった。素晴らしい作品ばかりだったが、これはちょっと私のアンテナには引っかからなかった。だが京都を描いた書籍と同じタイトルの個展の作品群は、どれも目を見張るような情緒とディティールに溢れていて、「これこれ、山本容子はこれなのよ」などと友達と言い合った。場所は新宿伊勢丹でクリスマスコーナーにはたっぷりのツリーがひしめいている頃、もう3年半、年度で言えば4年も経ったのか。

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※すっごく繊細しかもポップ、みると一瞬で胸熱になる

 

※京都の様々細々したものや風景が美しい。

久しぶりに読む作品集は本当にいい。ただ「いい」としか言えない。普通こういう作品集などはハードなカバーの装丁が多いがこれはソフトカバー。ページもめくりやすいし、サイズも大きすぎなくていい。あまり大きいと、持ち歩いてさっと読むことが出来ない。美術芸術を気軽に楽しんで欲しいという山本容子の意志なのかもしれない。そういえば山本容子は、何処の団体にも所属していないのではなかったか。自分だけの世界を自由に描いている孤高の版画家、そういう意味でも私は彼女のファンなのだ。もちろん作品は当然ながら最高、日本が世界に誇る美術家だ。料理に文章に音楽に、様々に造詣が深い。

何故どこで山本容子を知ったのかもう忘れてしまったが、憧れて版画をやりたいと思った。山本容子ならエッチングということで始めたが、彫ることは出来てもなかなか「刷る」ことが出来なかった。刷るには専用のローラーマシンが必要なのだ。置くには場所もいる。今はがきサイズのローラー機が家にあるが、子ども達が悪戯しそうで怖くて一度も出したことがない。これは結婚してお腹に娘がいる時にヤフオクで落札したもの、確か一万円くらいだった。新品は買えば今は7万円、いい買い物をした。だが今どうなっているか、わからない。でもいつかと思って大切に仕舞ってある。買った後すぐ出産して忙しくなったせいもあり、段ボールを一度も開いていないのだ。大学を卒業したらまた版画をやりたいとブログに書いた。それは本当で、山本容子本をみていると、版画熱がむくむくと沸いてくる。彫りたい、刷りたい、そして手彩色したい。私はこれもずっと悩んでいて、エッチングでモノトーン作品は出来たが、どうやって色を付けるのかと悩んでいた。今ならわかる。刷ったものになんでもいいから筆で色を置いていけばいいのだ。でも線が消えないかとか、彩色に何をつかったらいいのかなどと愚図愚図思っていた。こんなちょっと考えればすぐわかりそうなことを知りたくて、カルチャーセンターや武蔵美に通い先生の智慧を求めた。版画のイロハはわかったが、手彩色までは出来なかったし先生達は教えてくれなかった。多分基本過ぎて疑問の意味がわからなかったのだろうと思う。それ以前に自分であれこれやってみればよかったのだ。机上論理でああでもない、こうでもないとやっていてもわからない事ってたくさんある。他にも今頃になって色々に気が付いたりする。もう自分では活かせないこともたくさんあるが、幸いなことに子ども達がいる。自分の子どもだけではない周りにうじゃうじゃと。そういう者達にも伝えればいいのだ。いいと思えばそうするだろうし、違うと思えば捨て置けばよい。そうして自分と同じように時を経た後、ああそういうことだったのかと思い出してもいいだろう。そして「色々大変だったけど楽しかった」と人生終えられたら、それでいいのではないだろうか。

それにしても今頃この本が出てきたのは何かすごく意味がある気がする。この本は京都の観光案内的役目もしてくれるもので、帯にはこう書いてある。「京都芸大時代から知りつくした街、美、食、技、大人のテーマパークを案内します」とある。「叔母さん、いいタイミングに返してくれてありがとう。今私、京都の芸大に通っているんだよ、そしてもうすぐ卒業式で京都に行くんだよ」この本の存在は本当にすっかり忘れていた。何か運命的なものを感じる。

まずは卒業、その前に課題、それより4月11日必着の卒制をやらねば。ブログをこのまま書いていると何か落としそうな気がする。どうしようと悩むが、悩む暇もないのが現状。そして色々やらかしてる。

そろそろ息子を起こそう。


【昨日の小確幸】

息子が「ママ優しいから好き」と言ってくれて、すっごく驚いた。なんだか責任を感じる。

2016年3月21日土曜日、京都造形大学文芸コースの合評会に出掛けた。午後からだったのでブログを書いてから出かけたせいか、また時間ギリギリになってしまった。行くといつも隣の席の方がいてその隣に座る、反対の隣は既にプロの方で、両側とも、そして私も採択されたので、選ばれた3人が並んで座る形になった。教室は211、輪になった机は満員となり、座れなかった方は机なしで後ろの席に座った。O先生が盛況だと喜んでいて、いつもはもっと少ないのかと思った。だいたい生徒は20名程だったか。最初に選考の基準などのお話があり、それぞれの作品についての講評が行われた。

私は4番目だった。先に色々辛口コメントを言うと自分もそうなるとわかっていたので発言は控えていたが、進行係のO先生が何度も振るのでつい色々言ってしまう。特にワインについて書いてある小説については、この料理にはこのワインは合わないのではないかとか、フルーツは普通食べやすくカットされて供されるなどいらんお世話的なコメントをしてしまった。

そして私の番。最初に自己紹介を少し、そして書いた経緯など話して講評が始まったが、それはいきなり先生のお叱りからスタートした。前の方の作品もヘイトスピーチ的な要素があると批判されていたが、私も御経を軽んじた表記で、ちゃんと意味を理解して文節を作るべきといわれた。いきなりのカウンターパンチに怯んだが、叩かれればそれが強ければ強いほど反発してしまう癖が出てしまった。これは違うのだと、そういう何も知らない人が聞くと訳がわからない筈で、意味が分かったところで区切れば逆に意味がなくなってしまう。でもやはりこれはダメだと先生がキリリと言った。

でもでもと言っていると、先ほどのクルーソー先生が私の主張の意味をわかってくれて、それはそうだとか、それなら「・・・」をつけたらとか助け船を出してくれた。今度は進行係のO先生が、「これ、最初にみた瞬間から最後がわかっちゃいましたよ。なんかおもんない!」とばっさり。な、なんだとお!その他生徒の方からは「饒舌すぎて残念」という感想だったり、「このフォントいいのですか先生」などと質問が出たり、先生からテーマについて、「これは夫との和解がテーマなのか」という質問があり、「いいえ、ただ息子が可愛いという作品」などと答えてずっこけられたので、「実は夫との和解が隠れたテーマなのです」と堂々と言っておいた。

もうなんでもどんと来いみたいな気持になった。他には、「意外性があり面白いけれど、かなり一面的で終わっている」「(話の先の)パターンがみえてしまう」とか、「死にゆくひとの問題提起をして欲しかった」とか、えーと他は。まとめると、設定が虚構すぎて読者は受け入れにくい、この虚構をどうやって読む人にのみこませるか考えてということだった。

他には誤字脱字、「話し」という表記は名詞の場合は「話」となり、「不用」ではない「不要」などと、よく見直したつもりだったがありましたよ。しかも「話」は、小学校から間違って覚えていた。私の認識では、「お」がつくと「し」が付かないと覚えていた。「お話(おはなし)」「話し(はなし)」というふうに。名詞と動詞の違いがあったとは知らなかった本当に。大学で小学校の間違いを指摘して貰えるとはびっくりである。どうもすみません。しかし、「おもんない」は「ぬるい」の次に心に刺さった。でもこれがなんかの賞になったりしたら、「でもやっぱりきらりと光っていた」とか言うのではないだろうか。辛口でお願いしますと事あるごとに言っていたせいかもしれないが、辛口ばかりの講評であった。クルーソー先生の助け舟だけが私を支えた。

会の最後に総評として「辛口だったかもしれない、傷ついたらごめんなさい。作品としての楽しさを味わいながら読めた。それぞれのスタイルや個性はとてもいい。次回も是非参加してください」だそう。クルーソー先生からは、「楽しく読んだ、アイデア、着想はいいが、完成度が低い。この原稿を是非ブラッシュアップして仕上げてください。ユニークでまさに十人十色だった」。もう宿敵になったO先生からは、「合評会という性質上、話のネタになりそうなものを選んだ。選ばれることよりも(合評会では)ちゃんと自分の意見を言えるということが大切、自分の発言は自分についての取り組み方を語るということだそう。 

私の感想としては、私と同様に夢でみたワンシーンを頼りにそこから小説を書いたという人が結構いたのに驚いた。安易な動機で、もっと現実から何か引き出して書いてみなければとか、もう息子禁止とO先生に言われた気がしたとか、でも十人十色とは確かにそうで、自分にはない発想、着眼点のものばかりで勉強になった。もっとブラッシュアップするにはどうしたらいいか、もうとにかく書いて誰かに読んでもらうことしかないだろうか。こうした機会には必ず参加した方がいいと思った。一年に一度だが、一年に二度あってもいいのではないか。

合評会が終わった後は、卒業生をお祝いする時間が少しあった。晴れ晴れとお祝いの言葉を受ける卒業生の皆さんが輝いてみえた。卒業おめでとうございます。来年はあそこに私もいるだろうか。そろそろブログをやめて課題をやらないとまずいなと思った。このブログを始めたのが10月31日、それまでに39単位とれていた。そこから3か月、ダブルブッキングなどでキャンセルしたりテストを受けられなかったものもあるが、それらを合わせても数単位しかとれていないことになる。間もなく卒業制作研究が本格的に始まるが、まだ提出するものが完成していない。課題もやらなければ、受けたい授業がまだたくさん残っている。まずいのではないだろうか。ブログは確実に私の足を引っ張っている。

涙目で駅に向かうと新幹線に乗るというプロの作家の方と一緒になった。まあまた頑張りましょうよと励まされ、気落ちしつつも知りたかったデビューの経緯などを聞いてみる。スクーリング単位がなかなかとれないなどと話しながら乗り込んだ電車で別れた。もう本当にメタメタだった。プロになったらこれが鬼編集者とか読者からとかネットでとか色々ある訳で、どうなるのだろうと思った。でも落ち込んだのは数時間で、豊洲駅に着く頃には気持ちが落ち着いていた。

あの天才の作品を読んだという方がみえて、私も読ませてとメールを送ると返信にファイルを添付してくれた。「自分は合評会に参加しなかったが、参加した文芸コースの人達と夜に落ち合ってお茶した」とある。来なかったね、みたいなメールに「私はおばさんカテゴリだから誘われなかった」と返したら、そうではなく、Bくん経由で召集がかかってなんちゃららということだった。そうだったのか納得。

お礼に自分も作品集のPDFファイルを送信。早速読んで感想を送ってくれてその素早さに驚く。そうだ、後でといっているからダメなのだ。私も頑張ってすぐ読んで返信した。ああでもない、こうでもないと読むより、さっと読んだインスピレーション的な感想が一番素の感想になるのではないか。二回読んだなら二回読んでその時はと書けばいい。天才は何もかも天才だと思った。

あれやこれや色々な意味で現実を突きつけられたようで、こんな事なら来なければよかったと余計に思ってしまった。当日は「もう作品は出さないし合評会も絶対に行かない!」と思ったが、翌日朝になればまた出すし行くと思った。その頃はもう卒業していて、卒業生として参加できるだろうか。

※市ヶ谷ホームからみえる釣堀


【昨日の小確幸】

色々と現実が見えてよかった。

こんな夢をみた。あのおとなしい子がこちらをじっと見ている。何も言わずにただただじっと。なんだろうと思って考えてはっとして目が覚めた。そして、ああそうだったと思い出した。悪い事をしたかもしれないとも思った。夢は色々な事を私に教えてくれる。未来も自分の気持ちも人の心も。やはり夢というのは人が寝ている間にみるエンターテイメントショーではないのだ。きっとどこかの世界と繫がっていて、その世界とチューニングしているのではないか。もしかしたらそれはあの世も含まれているのではないか、異次元というような所にも。

今、息子を習い事に送って練習風景を撮影してきた。朝練の時間だけレッスン復習用に撮影が可能で、今の今までずっと行かなかったが、とうとう来週役のオーディションという今になって撮ってきた。それまで大学がずっと忙しかったし、息子は来ないでビデオいらないという。他にもチケットが高すぎるのでなんとか安くなるように談判したり、そんな事を大学の合間に約3か月もやっていた。息子はちゃんとみなくてもちゃんとやる子、などと思っていたが、そうではなかった。足があがってないよだの、声が出てないなどチクチク言えば、もう帰ってなどという。

帰ってブログを書いているが、14時から合評会で大学に行く。大急ぎで早いお昼を食べたところだ。昨日姑にもらった高菜の塩漬けを巻いたおにぎり。「こうやって繊維のある部分は刻んで頂いて、葉はお味噌をつけてご飯に巻いてちょっと焼くの」などと言っていたのでその通りにする。味噌をつけると塩分過多になるのでそのまま巻いた。朝夫にも作ってあげたら嬉しそうに噛り付いていた。ママの味だとでも思ったのではないだろうか。どうやったらこんな美味しく出来るのかといつも思う。塩だけというが、私が同じにやっても味が違う。糠漬けもそうだ。手の先から何かが出て、それが美味しさの素なのではないだろうか。

※じゃがいもと玉ねぎの味噌汁

息子のミュージカル、最初の頃大人の出演者がいないのか「お母さんも是非」などと満更冗談でも無さそうにプロデューサーの方に何度か誘われたが、「ママがやるなら俺はやめる」と息子に言われたので参加しなかった。でもよかった、私がこんなシビアなこと続けられるわけがない。そんな事を思うが、目の前の参加者たちは全員がすごく楽しそう、アドリブに笑ったりつつき合ったり、大人も子どももいい感じだ。 

息子は伸び伸び楽しそう。バディの時は「大丈夫かなと思うくらい真面目に色々やってる」といわれていたが、イジメられないようにと必死で先生のいうことをこなしていたのだろう。今は先生は厳しいが、イジメっ子がいないので本来のうつけが出て伸び伸びし過ぎているような気もする。

昔、魯山人が鮎を生きて運ぶために、鮎の桶の中に猛魚を一匹入れて運んだそう。鮎は生き抜こうと必死になり、すごく新鮮な状態で運ばれたという。今は猛魚がいないので安心しきっている。英語の先生がいつもいう、「褒めて抱きしめる叱らない教える」というやつを徹底してみようか。ダメだしせずに、全部褒めてみようか。褒め褒めママスイッチを入れてみようと思った。

そんな訳で、あのプールバスの憂鬱は、色々思うところが出てきた。もちろん仲間はずれはよくないが、あの子たちもダメとわかってやっていたのだろう。子どもは本当に純粋で、いいことを見せれば教えればその通りに育つ。私の演説に真っ直ぐな目をみせてくれたあの子、「もう少し時間が欲しかった」という別な子のお母さんの言葉も、違う意味があったのではないか。夢に出てきたあの子がじっと黙って見ているので色々考えた。起きて、ああそうだったと思った。この子のお母さんに会ったら話しかけてみよう。そもそもこの子のお母さんはすれ違う時、変な顔で私を無視したりしなかった。

私はLINEはやっていないし、メールもしない。ここ豊洲のお母さん達とさんざんメールやLINEを楽し気に、親し気に大量に交換したが、結局何も残らなかった。文字数にしたら、多分天文学的数字になると思う。それほど毎日返信したり、書いてある内容に右往左往した。なんだかワインみたいだと思った。美味しくて楽しいが、栄養もなにもなく依存する心配もある。ほどほどに、ほどほどなら害はない。

そういえば、夢ではスマホやLINEが出てきたことは一度もない。あの世や異次元にはないもので、生きるために必要ないものんおだろう。持っていない人とは心が繋がっているので必要ないと思う。いつも担当してくれるヘアサロンの美容師は「スマホは人間が生み出した最悪の麻薬」と言った。そうかもしれない。みよこの依存度。夢をみてまた色々思った。夢って不っ思議だなあとも。今日出席する合評会の作品も、実は夢でみたのだ。それに様々なエピソードや場面を繋げて話を作った。前に提出したものも、あれもこれもそうだった。作家の人が「なんか降りてきて書いた」というのはこういう事だろうか。もう書けくなったとかいうのは、夢が乾固してみなくなったのか。それで書けなくなり、自死してしまう作家が何人かいたと授業で習った。そういうことなのか、違うのか、どうなのか。

2015年度に提出した課題の中で、「夢」について、以下のようなレポートを書いた。科目は「文芸Ⅲ-2テーマで読む文学」で、授業後のスクーリングレポートで書いた。点数はどうだったかとみると、68点とあった。私こんな点とったのだとビックリした。ともかく掲載してみよう。

文芸Ⅲー2「テーマで読む文学」
タイトル:『夢と現実』

こんな夢を見た。


私は夢の中で、ああ、今わたしは夢の世界にいるのだなと思った。なので、この世界の人々に、「今、あなた達がいるこの世界は、私が見ている夢の世界なのですよ」と説明した。夢の中の人たちは誰も驚かず、にやにや笑って、へえ、だの、うそだ、などと言った。どうにかして上手く話したいと思ったころで、目が覚めてしまった。


 どのテーマを選択しようかとテキストを眺め順番に検討しているうちに、昔みた夢を思い出した。何歳の時か忘れてしまったが、かなり幼い頃だったと記憶している。夜眠ると見る夢というものをとても不思議に思い、その世界と現実の世界はどう違うのか考えたのがきっかけで、こんな不思議な夢をみたのだろうか。今でも時々あの夢を思い出す。


 テーマは「夢と現実」とした。比較検討する作品は、夏目漱石の『夢十夜』と、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を選んだ。この二つの作品は、人間が持つ希望や願望という意味の「夢」ではなく、眠りについた時に見る「夢」の話であり、「夢と現実の境目」が曖昧だという共通点がある。


宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』は、貧しい家の少年ジョバンニが、ひとりで訪れた草原から銀河ステーションにたどり着き、カムパネラと共に銀河鉄道に乗る物語である。ジョバンニが草原でひとり訪れてそこで眠ってしまい、その際に見た夢の中でカムパネラと銀河を旅したのだ。話の終盤で、実はカムパネラは水に落ちて行方不明になっており、草原で目を覚ましたジョバンニはそれを知るというラストだ。となれば、ジョバンニとカムパネラの乗った鉄道は、この世とあの世を結ぶ境目を旅する列車だと解釈できる。宮沢賢治はどのようにして、このような物語を構築できたのだろう。

 宮沢賢治の生まれた岩手県花巻市は、今でも人口の少ない自然豊かな場所である。更に賢治が存命の時代には、夜になると明かりが一切なくなり、漆黒の闇だったことが容易に推測できる。そんな中で見上げた星空は、怪しいまでに美しく輝いていたに違いない。また、賢治が尋常小学校の頃、同級生が川に流され亡くなる事件が起こったのも創作の原点だろう。賢治なりの、亡くなった同級生へのレクイエムではないか。
また、宮沢賢治が輪廻転生を含め宗教を信仰していたことも興味深い。『銀河鉄道の夜』における世界観は、死にゆく人々へのオマージュであり、輪廻の前提がなくては辻褄が合わない印象を受ける。作中、登場人物が語る台詞も宗教家としての賢治を垣間見ることができる。

「ほんたうの神様はもちろんたった一人です」
「けれどもほんたうのさいはひは一体なんだらう」


 作中でジョバンニの見た夢は、賢治の見た夢なのだ。対するカムパネラのモデルは様々な名前があがっているが、川に流された同級生や、賢治のよき理解者で同じく亡くなった妹トシ、その他花巻高校時代に親交のあった同級生、このうちの誰か特定の人物をモデルにしたのではないか。空を見上げ、亡き者達へ思いを馳せ、ジョバンニとカムパネラが生まれたのだろう。出来事や人物、目の前の自然などの現実が賢治の中で攪拌され、夢物語として発酵したものなのだ。



次に、夏目漱石の『夢十夜』について述べたい。


「こんな夢を見た」で始まる全十篇の夢物語だ。ただし、この文章で始まるのは第一、二、三、五章のみ。夏目漱石は、新聞社のお抱え作家だったそうだ。新聞に掲載されている自分の作品を読み、「こんな夢を見た」で始まる夢物語が滑稽に思えたのではないだろうか。摩訶不思議なお話を最初から夢ですと種明かししては、犯人を知りながら読む推理小説のようなものではないだろうか。タイトルも同じく、夢物語に「夢」というタイトルはつけない方がいいような気がするが、夏目漱石に進言すれば気を悪くするだろう。漱石は胃弱で神経衰弱だったそうで、私がいうまでもなく様々に悩んだのではないか。


 それらを鑑みても、十篇全て、少しだけ辻褄が合わなかったり突拍子のない展開だったりで、普通の小説としたら多くの赤が入りそうなストーリーだが、夢でなら成程見そうな展開だ。そのふわりとしたギリギリのバランス感覚は見事という他ない。まるで夏目漱石が実際に見た夢を、起きてすぐにノートに書き写したのかと思うばかりである。中には漱石が実際に見た夢に、インスピレーションを受けたものもあるのではないか。


 特に印象深いのは「第九夜」のラストだ。夢物語の筈が、夢の中でまた夢をみたという設定になっている。「こんな悲い話を、夢の中で母から聞た」とある。夢の中でみる夢は、一体どんなものだろう。またここで思うのは、「第十夜」と「第九夜」を入れ替えたら夢物語の不思議なイメージが強く残ったのではないか。「第十夜」のあっけらかんとしたラストが少々残念に思えた。これも夏目漱石は後に後悔の種になったのではないか。なんでも思い煩うイメージから想像した。


「夢」と「現実」の境界線は、どこにあるのだろう。宮沢賢治は夢の世界を冥途への道として描き、夏目漱石は異界として書いた。日本には古来から、夢見がいいだの悪いだの、誰それが夢枕に立った、などという言葉がある。夢とは一体何なのだろう。そういう私は時々正夢をみることがある。夢のお告げ、というものか。夢は、リアルにあの世とこの世の境目なのかもしれないと、ふと思った。


 私が夢の中でこれは夢なのだと説いた人たちは、突然私が消えて驚いただろうか、それとも何とも思わなかっただろうか。あの人たちはあの後どうなっただろう、まだあの世界にいるのだろうか。久しぶりにまた考えてしまった。(完)


【今日の小確幸】

夢のおかげで自分が色々間違った認識だったかもと気付いた。


 


 


 

『エルマーのぼうけん』に最初に出てきたエルマーの息子、翻訳前の原本では一体どうなっているのか。あの記事を書いた後、気になって図書館で借りてきた。子どもの英語クラスが豊洲シビックセンターなので、行くついでみ必ず図書館に立ち寄る。英語クラスの方々に出会ったりするが、豊洲のママ友の誰か、ではなく、子どもの付き添いの親だと認識できるせいか、「あっ、会っちゃった、えーと誰だっけ」ということはない。こういうところでは息子もイキイキしている。あまりに伸び伸びし過ぎるので、「誰かお母さんをみたらバディのママだと思うくらいで丁度いいよ君は」などと意地悪を言ってしまったごめん。こうして考えると、何かを一緒に学んだ者同士というのは学友になり、友達になりやすいのかと思った。私も大学の学友は会えば嬉しい。なのに、幼稚園とか小学校とか、ママ友グループというといざこざし出すのは何故なんだろう。私が捻くれているんですねハイハイどうもすみません。それはともかくみつかったのは2冊、しかも「カウンター扱い」となっているので、倉庫の奥にしまってあったものを探し出したようだった。早速その表記のところを読んでみた。

※英語版

※中身は同じだった。

(用事を思い出したので続きは後程)

ワイン、ワインと書いていたら、ワインが飲みたくなった。2本のうちの1本を開けて飲んだらすっごく美味しかった。慎弥の時のワインより。なので私は外で飲むのが好きではない。専業主婦一瞬ライターという身分で美味しいワインを飲もうと思ったら、買ってきて飲むのが一番。けれど高いワインなど買わない。だがこうして時々頂きもので美味しいワインが飲めたりする。一緒に飲もうかと書いたのも忘れてひとりで飲みだした。うん!すごく美味しい。フランス、ランドック地方のもの。葡萄の種類は書いていないが、ガメイ、もしくはマルベックだろう少し薬草にも似た風味がすごくいい。

しばらく合評会作品集と共に楽しんでいると、息子が絵本を読んで欲しいという。眠くなったんだな、寝たら続きでワインを飲もうと歯磨きさせて蒲団に入る。最近お気に入りの「エルマーとりゅう」シリーズの『エルマーのぼうけん』、3部作で続いており、『エルマーのぼうけん』『エルマーとりゅう』『エルマーと16匹のりゅう』の順に読む。読んでいると寝息に似た呼吸になってきた。赤ちゃんの時から一緒、もうすぐ寝るだろうと思ったら寝てしまった。しめしめ、起きて本とワインを~と思ったら朝になっていた。ぽかぽかには注意、でもよく眠れたのでよしとする。

ところで私はこの本を初めて読んだ時から違和感があった。最初の出だしの部分、

「ぼくのとうさんのエルマーが小さかったときのこと、あるつめたい雨の日に、うちのきんじょのまちかどで、としとったのらねこにあいました。」

そして「とうさん」としてのエルマーは、次のページで、

「「エルマー・エレベーター!」と、かあさんはぼくのとうさんのなまえをよんでいいました。」出典『エルマーとりゅう』訳者:渡辺茂男 発行:福音館書店 1963年7月15日初版発行(所持しているものは第116刷)

そして次のページから最後の『エルマーと16匹のりゅう』までずっと、「エルマーは」になっている。最初の語り掛けで、ああエルマーというのは男の子のお父さんで、その子どもが話す物語と思って読みだすと、あれ、あれ、一体いつもとに戻るのと思いながら最後の最後までもう子どもの語りが出てこない。

ネタバレになってしまうが、最後はこう終わる。

「エルマーはあわてて、たべかけのトーストをのみこみました。「まさか、おとうさん!おとうさんは、そんなばかばかしいはなしを、ほんきにしちゃいないんでしょう?(完)」出典『エルマーと16匹のりゅう』訳者:渡辺茂男 発行:福音館書店 1965年9月30日初版発行(所持しているものは第103刷)

最初はエルマーの息子が登場し物語を語りだす、最後はエルマーがその父親に何事かを訴える会話で終わる。なんだか妙な感じがするのではないだろうか。私はする。「そんな細かい話し、いまさらやめましょうよ」などと言うなら、文芸コース失格。物語には「人称」という概念があり、一人称は主人公の視点、二人称は別の人格が物語を語り、三人称は「神の視点をもつ語り手」というのか、その物語の世界を全部把握している者の視点で物語がすすむ。厳密にいうともっと枝分かれするものがあるのだが、だいたいこんな感じ。

これを当てはめると、「エルマーのぼうけん」シリーズは、最初の1冊2頁が「二人称」残り全部は「三人称」ということになる。「ぼくのおとうさんエルマー・エレベーター」とエルマーの息子を登場されることにより、物語がラストから冒頭にワープするという時間の流れをみせたいのだろうか。エルマーは冒険をしてりゅうと友達になり、そして別れ、その後粛々と時間を経て、結婚し子どもをもうけ、その子に自分の体験談を語った、そしてその男の子が話すストーリー。

だとしたら、ちょっと設定が込み入りすぎではないだろうか。

最初から、「エルマーというひとりの男の子が『かれき町』というところに住んでいました。この男の子はあるつめたい雨の日に、ねこにあいました。」じゃダメなの?何か意味があるの?原書はどうなっているのだろう。最初に発行されたのが1963年、誤訳とまではいわないけれど、そういう何か認識のズレのようなものがあったのではないだろうか。映画も日本語訳を読んでいると時々驚くような訳が書いてあったりするし、村上龍はジャズのタイトルの誤訳を村上春樹に突っ込まれて、というか、明らかにあの小説の誤訳のことだなというエッセイがあり、そういう意味で活字になっているからと、そのまま受け取れないようなことが時々ある。そういう種類のものではないだろうか。今日は息子の英語のレッスン日、ネイティブの先生にちらっと聞いてみようか。息子はこの英語教室が大好きで、「あまり早く来ないでね」と言われているにも関わらず、時々時間を無視して飛んでいってしまう。本当に申し訳ありません、なのに母親までこんな事を考えて。

自分で調べよう。聞くは一時の恥とはいうが、自分で調べられることはまず自分で。なんでもかんでもヘルプデスクのお姉さんに聞いていいのは社内だけ、それすらも限度がありあまりに同じような事を聞かれると参考資料を渡されるし直属の上司に報告がいく。家では疎ましがられ、近所付き合いなら線を引かれる。最近冷たくした覚えはないのに、叔父も色々聞きにくそうだ。三連休そちらに行く用事があるからお昼を食べよう、ついでにパソコンみてあげると振ると、ほっとしたようにあれこれ話し出す。色々困っていることがあるようだ。聞きにくいのだろうか、反省。

話を戻して「エルマーの冒険」シリーズ。英語版はどうなっているだろうとググると以下の通りのものを発見。

My Father's Dragon: The Bestselling Children Story (英語) ペーパーバック – 2010/8/23  

Elmer and the Dragon (My Father's Dragon) (英語) ペーパーバック – 1987/11/12 

The Dragons of Blueland (My Father's Dragon) (英語) ペーパーバック – 2007/3/13

と、上から順に日本語訳のものを表紙の絵を頼りに順に並べてみたが、このまま三部作でいいのだろうか。その前に全部のタイトルに「My Father's Dragon 」たと書いてある。もしかして物語全部のエルマーは、「エルマー」ではなく、「ぼくのとうさんエルマー」と表記しているのではないだろうか。

Amazonの紹介文は3冊全てに同じ記載がある。

「内容紹介 TOEICレベル 400点以上 
ぼくのとうさん、エルマーがまだ小さかったころ、いっぴきの年老いたのらねこに出会いました。その日は雨がふっていて、ねこはびしょぬれ。かわいそうに思って、うちに連れ帰り、おかあさんに内緒で、地下室でミルクをやっていたのです。ところが3週間がたったときに見つかってしまい、ねこは外にほうりだされてしまったのです。ねこを見つけたエルマーは、いっしょに公園に向かいます。エルマーは言いました。「ぼくは大きくなったら、ひこうきをもって、好きなところへとんでいくんだ」それからねこがぽつりぽつりと話し始めた、不思議な島の物語。それがぼうけんの始まりだったのです。 」

原書が読みたい、確認してみたい。百聞は一見に如かず、本を開けば「ああ、なるほど」となる気がする。この物語の最後はエルマーのお父さんではなく、エルマーの息子が再び登場し、「これで、ぼくのとうさん、エルマーのはなしはおわり。このものがたりが、ほんとうにあったことかって?りゅうとやくそくしたから、ひみつなんだって。(完)」という感じでないとしっくりこないと思う。京都造形大学の論文研究の授業で発表したら、多分先生からも生徒からも同様の指摘があると思うが如何だろうか。私、何か勘違いしてる?こんな事考えるのは私だけ??


※作者のママが描いた表紙も素敵


【昨日の小確幸】

昨日抜栓してしまい風味は抜けたかもしれないが、美味しいワインがまだ2/3残っている。もう一本は連休に叔父と従兄と飲もう。


東京国際文芸フェスティバル2016 アジアセッションに参加してきた。登壇者は次の4名。桐野夏生(日本)、ディナ・ザマン(マレーシア)、ジョアンナ・クルス(フィリピン)、プラープダー・ユン((タイ)モデレーター) 「日本、マレーシア、フィリピン、タイで執筆する作家が集い、犯罪やテロリズム、LGBTなど、それぞれの社会・文化背景のなかで"タブー"とされる事柄を描くことやその反響、また、文化的特徴や宗教が創作に与える影響について議論します。」( HPより

女性として人として、各作家がどんなタブーを乗り越えて活動を行ってきたか。それぞれの宗教や政治、文化などがどのような影響を受けたのか、今それぞれの国が抱えている問題などについて2時間白熱の講演だった。プラープダー・ユン((タイ)さんひとりが男性で、女性作家それぞに順次インタビューする形式で話はすすむ。ディナ・ザマン(マレーシア)さんは『I am MUSLIM』を書いた方で、発表後は嵐のような反響に生活をひっかきまわされる日々をおくったそう。ジョアンナ・クルス(フィリピン)さんはフィリピンで初めてレズビアンの小説を上梓された方。こちらは反響の低さにがっかりしたと言われていて、国や内容によりタブーは様々、世論の反応も全く違うもののようだ。

日本代表はタブーといえばこの方しかいないという、桐野夏生さん。一番前の席に座れたので、至近距離でご尊顔を拝めた。雑誌やweb記事ではふっくらとしてみえるが、実物は背も高くなくすらっとしている。i ラインのワンピースがぴたりと決まっていて、私の知っている年齢にはとても見えなかった。もう人間を辞められたので年をとらなくなったのだろうか、などと変な事を考えてしまった。桐野さんの作品は、そんな考えを彷彿とさせるようなものばかり。声は八代亜紀に似た甘いハスキーボイス。

同時通訳の素晴らしさに感動しつつ1時間30分の熱いセッションは終わった。話しの内容はそのうちメディアにアップされると思うので詳しくは割愛。2時間のうち最後の30分は参加者からの質疑応答だった。

私は桐野さんが話し始めた頃から自分がここにいる不思議さをうまく受け取れなくてそわそわしてしまった。もちろん身体はきちんと前を向き、せっせとメモをとるくらいだが、気持ちが波打ってきたのがわかった。話を聞きながらプロジェクターの明かりでテーマが壁に照らし出されている。みると、「社会のタブーに挑む女性作家たち」とあるではないか。なんなの今日は?と脳内で叫んだ。前以てよく調べたり参考資料を読んだりせず、生の桐野夏生がみえるというだけで参加したようなものだった。だが、すぐ目の前で彼女が語る言葉の数々は、私が誰かに聞きたかった知りたかったことばかりだ。 


※今日もメモった。よかったらどうぞ。

桐野夏生はタブーを乗り越えて作品を書き上げてきたという。『OUT』を書いた後にラジオ番組のゲストに呼ばれた時は、「人を殺してはいけないですよね」などと言われたそう、「そうですよ、と答えました」などと今だから涼しい顔で答えているが、当時は色々思い悩み「出版しなければよかった」などと思ったりしなかっただろうか。話しの中に「娘が」と出てきて、息子さんは知っていたが娘さんもいるよう。色々書いていた時には思春期だったのではないか、子どもはいじめられなかっただろうか、入試や就職、そして結婚する時にそれらが障害にならなかっただろうか。あの小説、この小説、正直読んで気分が悪くなった作品もあった。変な小説を書くお母さんの娘などと、私の娘のように言われなかっただろうか。

質疑応答から日本人の女性司会者に代わり、数名が質問。「そろそろお時間ですのであと1件か2件」と言われ、思わず挙手してしまった。マイクがまわされ、桐野夏生をすぐ目の前にして私は話し出した。ハピネスの舞台である豊洲に住んでいること、京都造形大学の文芸コースで学ぶ主婦だということ、卒業制作で書く作品について悩んでいること、SNSでママハラについて書いて発表したら子ども達が散々いじめられそれがまだ続いていること、そのせいで私立の幼稚園を途中でやめさせなくてはならない事態になり(ショッキングだったのか会場がざわめいた) 、書いてよかったのかこれからどうしたらいのか。そして、「桐野夏生さんもきっとそういう事があったと思います。お子さんのことはどう乗り越えられたのですか」とぶつけてみた。 

桐野さんは私の質問の途中から笑顔でうーん?という感じで首を傾げるように振り、「そういう事は気が付かなかっただけかもしれないけれど、特にありませんでしたね。あなたも思った通りに書けばいいじゃない、ブログとかに書くと叩かれると聞いたことがあります。あなたも小説を書けばいいじゃないですか」と言われた。私は即答で、「もう書いています」と答えた。「いいですね、書いてください。色々言われるかもしれませんが、あなた巨人になってください。巨人は叩かれないんですよ、そのうち子どもも巨人になりますから(大丈夫)」ディナ・ザマン(マレーシア)、ジョアンナ・クルス(フィリピン)のお二人も同時通訳で聴いて下さったのか、いい笑顔でうんうんと頷いて下さった。すごく嬉しかった。

現役の小さな子どもを育てる専業主婦、しかも家庭も育児も、何よりママ友付き合いは壊滅状態で、生活の土台的なものがうまく構築出来ているとは言い難い現状。ママハラに驚き好奇心をさく裂させた挙句、小説やブログにそれらをまとめて発表した。それらは大炎上し、子ども達に甚大な被害を与えた。娘は近所に友達が出来ず、息子は幼児園でのいじめが原因で中途退園。私自身もブログに反感を持つボスママ軍団に流された不倫の噂のせいで、近所の人たちから犯罪者をみるような目でみられた。地域の人々から、挨拶どころか気配を察して顔を背けられる日々だった。でもそんな目に遭っても私はブログを書いたことは後悔しなかった、逆に書かなかったら後悔していたのではないか。

私の後にもうひとり原発についての質問があり、セッションは終わった。桐野さんは、「国は違うんですけれど、みんなアジアっていう感じがする、女性としての悩みの根源が同じな気がするんです」と言われていた。確かにそう、アジアの女性はみんな男社会の添え物、もっといえば供え物のような扱いではないか。特に私のような専業主婦、夫がいなくなれば盾のない風前の灯、すぐ消えてしまうだろう。桐野さんは今新聞連載で、若い非正規雇用の女性についての連載をしているそう。常に社会弱者に焦点をあて作品を創る桐野さんらしいテーマだと思った。

そもそも私がママハラの小説を書こうと思い立ち準備している頃、桐野夏生著『ハピネス』が刊行された。豊洲のタワマンに住む主婦たちが登場人物だとしてママ友の間ですごく話題になった。くまざわ書店で平積みになっているものを買って読んだ。図書館で借りようと思ったが、予約件数の多さに借りるのは諦めたのだ。いっきに読んで思った。面白い、でも私の方がリアリティに溢れたものが書けるのではないかと。現役の主婦、しかもママハラに悩んでいる真っ最中、今をそのまま書けばいいのではないかと。

小説の補足説明でブログをはじめた。キャナリーゼやタワマン、豊洲のリアルを書いた。子どもが多すぎて施設はどこもパンク状態、塾や習い事はキャンセル待ちが当たり前。そんな子どもの人口密度が高いところには、当然のように保護者がいて、それぞれに社交を繰り広げている。うまくいっている時はいいが、いったんこじれると絶対復旧は不可能。昨日までの味方が今日の敵になるのだ。そして上手く立ち回らないと、たちまちコミュニティの中で村八分になる。恐ろしい世界だ。 

私が書いたブログや小説にも反響があった。遠くの読者からは共感が得られだが、近隣の住民からの多くは反感だった。桐野夏生がよくて、どうして私が書くとダメなの?と思った。実は今も思っている。リアル過ぎるのだろうか。事実は小説より奇なりという、奇なものは駄目なのだろうか。

桐野夏生のハピネスは、それぞれが平凡な日常に戻るかのようなエンドだった。私も一見すればそう見えるかもしれない。だがまだまだママハラの世界の住人だし、女ばかりではない男も加わりパパハラもあるのが現状だ。この界隈には驚くなかれ、「パパトモ」なるものが存在する。子どもの父親同士がトモダチになり、ベビーカーを押してららぽーとの歩道をそぞろ歩いたり、サッカー、飲み会、季節のイベント。そんなところには野心家も集まり名前や顔を売ったりしている。そのうちババトモ、ジジトモも発生するに違いない。ぎゅっとくっつき合うのが大好きな人々の街なのだ。 みんな自信がなくて寂しいのだろう。私もそうだからよくわかる。

「小説を書けばいいじゃない」
「巨人になってください」
「思う通りに書けばいいですよ」

そうは言っても私はすごくすごく小心な名もない専業主婦。はいそうですかとはとてもとても。いつも震えて眠っているくらいだ。一緒に会に参加した学友は、「自分が大胆な人だと自覚を持ったら」などという。あんな大勢の、しかも桐野夏生を目の前にして、普通の人はあんな事は言えないなどという。

でもあの時はなんだかこのチャンスを逃したら一生聞く機会などないと思った。幸運の女神の前髪が目の前にふわっとなびいたような気がしたのだ。勇気を振り絞って手を挙げたお蔭で、一瞬だが桐野夏生と会話ができた。しかも卒論の相談のような形になり、何を書こうか書いてもいいのかという悩みからやっと抜けられそうな気がした。

色々書きたいテーマがあり、それはやはり私にしたら大きなタブーを乗り越えなければならない。子どもがまたいじめられたらと心配なのだ。でも今までもブログやラノベについて色々な人に意見されたり叱られたりしたが、一瞬しょげるが次の日には気持ちが戻っていた。多分私は自分の思う通りにしか書けないのだろう。子ども達には今まで通り、心の中で謝ることになるかもしれない。

桐野さんの超えたタブーは、SEX描写と小さな女の子が殺される話しだったそうだ。それはそうだろう、小さな女の子を持つ母親としては大きなタブーだ。だがそれも乗り越えたという。私はこれを聞いてちょっと安心した。やはり何も考えず感じずにサクサク書いた訳ではないのだ。ちなみに昨日中村文則の講演を聞いてきた学友によると、「子どもが死ぬ話しは独身だから書けたが、今は(子どもがいるので)もう書けない」と言っていたそう。女性の方が強いということが証明されただろうか。 ※ご指摘があり追記。桐野夏生は 「強靭になってください」と言ったのでは?と。あと「独身の時に書いた子供が死ぬ話を、親になった今書いたら自分は気が狂うと思う」の発言は平野啓一郎だそう。(2016.03.07)

私もこれから色々書いていく作品の中で、SEXも暴力も殺人も不倫も醜い感情もありとあらゆるタブーを乗り越えていくことになるのかもしれない。「自分だと思われたら嫌だよね」と授業で隣だった学友は言っていた。私も全く同感だった。なので卒業制作の一番最初に提出したものを、全く別のものに書き換えた。それは主婦の不倫ものだった。最初はのって書いていたが、卒業制作の作品集に載ることを考えた時、やめようと思った。自分の体験談などと思われたらたまらないと思ったのだ。でも今はこれもいつか書きたいと思っている。書きかけて放置している小説の中の登場人物達が、じっと息をひそめてこちらを見ている。「一体いつになったら私たち自由になるの」とでも言っているかのようだ。

昨日の事はなんだか夢だったような気がする。朝起きてきた息子が、「ママがビールをたくさん飲んで大怪獣になった夢をみた」という。確かにビールをたくさん飲んだ。一杯180円だったので調子に乗って5杯くらい飲んだだろうか。夕べは帰ってきたら息子はベッドでちゃんと寝ていた。待ちくたびれて寝たのだろうか、可愛い奴め。もぐりこむとぽかぽかで、「一緒に巨人になろうね」とささやいて眠りについた。ご飯しっかり食べておくれ。

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※何もかもこの一冊から始まった。持って行ったのにサイン貰うの忘れた。

それにしても、桐野夏生に卒業制作についてアドバイスを貰った大学生というのは世界中探しても私だけではないだろうか。少なくとも京都造形大学では私だけのはず。卒業制作の作品概要にもそう書いてみようか。そういえば中村先生は『OUT』をフランス語に翻訳されたのだった。

それとすぐ隣が招待席だったのだが、そこに美青年が座り、こちらに時々笑顔を向けてくれる。知り合い?そんな訳ない、作家?文芸家?と、脳内文芸家作家フォルダの顔画像を検索するが何もヒットしない。でも顔に見覚えがある、誰だった誰だったと悩み六本木の雑踏で急に思い出した。「私の隣の人、五嶋龍だった。でも今ハーバードだよね確か」というと、学友は「今テレビ番組の司会してるよ」という。卒業して帰国したのだろうか。待ち時間たっぷりの間に何か話せばよかった。でもイケメンには要注意、やたらに仲良くなるとまた嫉妬されて噂になる。なんて勿体無い、主婦なんて、女なんてつまらない。タブーを越えられない自分が歯がゆかった。

【編集後記】

楽しかった(^^)

ワイン会で買った本におまけがついてきた。「先着6名様に~」とアナウンスされていたのはこれの事かと、翌日袋をあけて気が付いた。固く黒いしっかりした表紙、「本よむEDiT」「本好きのための読書ノート」とある。読書ノートの立派なやつのようだ。薄いフィルムに貼ってあるラベルとみると、値段は1,600円+税、「MARK'S inc.」とある。一瞬やってしまったかと思った。

早くしないと田中慎弥がバックオフィスに戻ってしまうのでは、その前にサインを!と、慌てて本を買った。そのどさくさに紛れて買ってしまったのだろうか。レシートを確認すると、ちゃんと『宰相A』の代金のみが印字されていた。よかった。ちなみに当日は二冊販売されていて、もう一冊は『燃える家』だった。 


「READING EDIT」に挟まれたミニパンフレットは、「TORAVERING EDIT」のものだった。本だけでなく旅版もあるらしい。書いてあるURLにアクセスすると、WWW.MARKSDIARY.JP/EDIT 色々あるようだ。マークスのMARKSは、Marks & Spencerだろう、イギリス人が好きそうな装丁だと思った。サイトには様々なEDITが並ぶ。EDITは編集という意味。本を、旅を、人生を、アイデアをエディットしながらクリエイトするというものらしい。確かに「書く」「描く」は想像力を構築しやすいと実体験で認識してきた、プラスこうしたBOOKタイプに記録を連ねることでまた新たな発見が得られるかもしれない。

本と一緒に出ていたときは誰かにあげようかと思ったが、自分で使ってみることにする。大学の最初の授業で「読書ノートをつけるといい」などと言われたことを思い出した。それならばとノートを一冊用意したが、どこかにいってしまった。当然記録も書いていない。だがこれがあればもしかして続けられるかもしれない。このブログに「書評」というカテゴリを作り、色々書く予定だったが日々の出来事ばかりでままならない状態だ。自分のプライバシーを切り売りするのが作家かもしれないが、こればかりではあまりにもお粗末かもしれない。

「そうだ、本を読もう」このコピーがふっと浮かんだがどうだろう。なかなかいいではないか。でも黒というのがちょっと残念。サイトでみるとカラフルなものもあるよう。そうだ、リバティの布を貼ろう。本の構成や雰囲気にマッチするのはやはり英国のファブリックだろう。なんだかこのノートへの期待がふくらみワクワクしてきた。私が死んだ後にぎっしり書いたものを発見した子ども達が興味を持って同じものを読んでくれるかもしれない。遺言状など全く必要ないくらいに財産のない私だが、こういうものなら残せる。しかもロマンチックでいい。 


※がっしりした装丁

田中慎弥は亡くなった父の遺物である様々な本を読むことで読書家になり、作家になったようだ。仮に父親が亡くなっていなければ、作家にならなかったかもしれない。父の残した本を読むことで、父親と対峙し、何度も何度も会話をしていたのだろう。

そう思うと、自分の本棚をちょっと整理したいと思った。育児書や子どもの心理学、「読むだけで思わず二度見される美人になれる」などの美活本、ファッションブック、叶姉妹やえみりちゃん、芸術美術の雑誌、小説は文庫ばかり。読書好きの本棚とは言えないのではないか。でもこのREADING EDITがあれば、図書館で読んだ本、処分してしまったものなども記録に残るわけだ。いいかも。  

記念すべき1ページ目は、『宰相A』について書くことにした。有名作家のトークイベント的ワイン会だが、色々な発見があった、おまけにお土産まで頂いて。夜遅いし、子どもも心配(特に息子の処遇)だった。「ほらやっぱりひとりで夜出かけるんじゃないの」なんて意地悪な噂を想像したりしてやめようかとも思ったし、夫も遅くなると言って出かけたので、もうダメかもと思ったら早く帰ってきた。

会も楽しくワインも美味しく話はとても面白かった。そしてこんな素敵な発見。生きていればいい事って必ずあるものだなと思った。  

そして今日はガクユウ達とアジアフォーラムに参加する。桐野夏生が登壇するのでまたどんな話が聞けるかとても楽しみだ。その前に近所の方と朝ごはんを食べに行く。色々打ち合わせたいことがあったので丁度よかった。春休みもその前後も予定がたくさんあり、いつの間に私の身の回りはこんなに賑やかになったのだろう。ママ友で思い悩んでいた頃の私に見せて、「夜明けのこない夜はないさ」と言ってあげたいと思った。聖子ちゃんは偉大だ。妹たちが、「聖子ちゃんをみるたびにお姉ちゃんを思い出す」なんて言っていたが、そのあたりはなんだかちょっと心外な気がする、私はあんなに奔放ではない。聖子ちゃんのスタイルはニューハーフに人気だそう。やはり「女装」ぽいのが受けているのだろう。そのあたりなら私も同じだと思った。


※ハピネスは借りずに買った


【編集後記】

いつも朝は元気いっぱいだが1日かけてだんだん疲労やモヤモヤが蓄積され荒んでくる。眠ることで毎日リセットされるのだろう、睡眠はやはり大切。

今日のすることメモ

小説の続きを書く
DVD返却
ガープの世界、ユリシーズ読む
バレンタインお返しお菓子6個
名刺作る
Sさんの会日程決め
着物整理→送る
夕飯はシチューとハンバーグと炒飯(息子リクエスト)
加湿器新しいの買う
ヴァセリンクリームポンプ探す

合評会の締め切りはもう今週末。作品ふたつのうちどちらを出そうか迷いながら書いているが、どちらも筆が進まない。頭の中ではもう完成しているが、細かいディテールを重ねてマチエールを創り上げようと苦心しているのだ。そういう作業はやはり苦手。たくさんの人に読まれるというプレッシャーが、余計な雑念となっている気がする。今回は見送ることも考えたが、最後まで粘ろうとも思う。また何かカンフル剤的出来事が降ってこないだろうか。

昨日の父兄会→面談は思った以上に話しがスムーズに運んだ。やはり出がけに急に晴れたのは何か天啓のようなものだったのかもしれない。このままツツツーと氷上を滑るように、いい地点に着地することを願う。が、多少のコントロールと努力も勿論必要。

しかしKさんのウルトラC的発想はすごい。大勢でああでもないこうでもないと話し合うより、誰かひとりの閃きが問題解決には必要だと思っていたがやはりそうだ。あと半年の間気を抜かず、協力しあって完走したい。

先ほど『ユリシーズ』を完読。といっても、『マンガで読破』シリーズ。本作品も読んでみたいと思った。『ガープの世界』も同じく先にDVDで観たら面白かったので文庫を読んでいるが、本はもっと面白い。また時間泥棒的アイテムをみつけてしまっただろうか。

図書館には『ガープの世界』の映画パンフレットもあり読んだ。ジョイスの『熊を放つ』が『熊の解放』と紹介されていて笑った。村上春樹が『熊を放つ』と訳して日本に紹介したのだろうか。熊の解放では確かになんだか奇妙だ。実はこれも借りてきたので、細切れの時間をみつけて早速読みたい。速読について興味が出てきた。あれはどうなんだろう。

それと、今日は月曜日。ダイニングやキッチンは片付いているだろうか。最近、というか、もうここ数年あの辺りは夫に占拠され、自分の居場所でなくなっている。キッチン、ダイニングは私の一番好きな場所の筈が今はそうではないように思える。

月曜日のキッチンは油にまみれて汚れ、洗った食器が隙間なく積み上げられ、ダイニングテーブルには娘の教材や夫の資料がテーブルが見えないほど広げられ、椅子の上にもあれこれが置いてあり、時にはこれらが雪崩れ落ちている。テーブルの下には食べカスやらゴミやら剥がした付箋などが散らばり張り付き…もう想像しただけで憂鬱。

一番広い部屋を夫と娘の勉強部屋にしているが、そちらにあるそれぞれの勉強机は同じように雑多な様々なものが積み上げられ、物置きというか夢の島状態。床も隙間なく物が落ちているというか、置いている?なんのつもりだろう、一歩も足を踏み入れたくない。たまに廊下にまでこれらが進出してくるのでモップで戻す。

彼らは毎夏にここで養蚕をしている。今年からはやらないと言っているが、「もう孵化しちゃったから育てないと」などとまたやり出す気がする。だいたい結婚した当時から痩せる痩せると言っているが1gも体重が減っていない。これを嘘つきと言わずしてなんというのか。有言不実行の権化。出来ないなら言わなければいいのに。何故か私が痩せてしまった。もうデブでもチビでもハゲてもいいから部屋を綺麗にして欲しい。

タスカジさんに日本人の方が増えているようだが、なんとなく当初のコンセプトと逆行していないだろうか。でも外国人に難色を示す方もまだまだ多いのかもしれない。

そういえば、うちのマンションのAirBnB問題はどうなっただろうか。最近外国人ツーリストをマンション内で見かけなくなった気がする。いいアイデアだと思うが、自分のマンションではやはり困るというのが本音。自治会がなんとかしてくれたのだろうか。良かった。

今月は半分過ぎてしまったが、サラダ強化月間にしたい。『北欧のオープンサンド』という本を借りたらサラダが食べたくなった。作り方が紹介されている真っ黒なライ麦パンも美味しそう。作ってみようか。その前に、まずはキッチン、ダイニングからリビングまわりを掃除せねば。

それが終わったら、今日こそ着物の整理をしたい。私に似合わないが一番高価という理由で所持し続けていたものを似合うひとに送る。そして何枚か残してあとは処分。前にも書いたが、この先着物を着る機会があるとは思えない。着物を着るセレモニーは、子どもの小学校入学式くらいだろう。それももう終わった。仕舞うスペースと煩悩で葛藤する時間がもったいない。

掃除をしてグッタリもう何もしたくない、となるだろうか。月曜日は憂鬱。

※映画のパンフレット


【編集後記】

なんだかいつにも増して愚痴っぽいのは体調が悪いのかも。昨日インフルエンザが治りかけの方と、2時間近くも狭い部屋でミーティングをしてしまった。知っていてマスクをしなかった。ビタミンを摂取しよう。




深川江戸資料館で、雅楽の公演があった。3年前から観客として参加していたが、今年はお誘い頂き、娘が舞台に立ち雅楽を舞った。娘の祖父母も観覧に参じ、大喜びだった。

※娘後ろ姿、花道を通り舞台に上がる

解説もあり、日本の古典としても色々勉強になった。詳細はまた後日書きたい。夜は娘のデビューをお祝いした。

※便乗してCAVA、フレッシュオリーブ


CAVAは"さかがみ"で買った。さかがみも美味しいものがいっぱいの信頼出来るお店。広告に偽りなし、ドライで美味すいー!夫婦で乾杯した。

最初に肉やら色々焼いて食べ、締めはもんじゃ。具は娘の好きなものばかりにした。和牛、豚、白菜、ネギ、ベビースターラーメン、イカ、エビ、切りイカ、干しエビ、チーズ、餅、舞茸など。

コーン、冷凍エビは却下されたので入れなかった。もんじゃの最後は卵を入れる。美味しいもんじゃの店があると連れて行って貰って覚えた。

※もんじゃの〆は卵

あの時も色々ボスママ軍団にいじめられて大変だった。元気出してと友達が連れて行ってくれた。もんじゃに卵を入れるたびに思い出す。何も言わなかったが、当時のブログを読んでくれていたみたいだ。心配してくれてありがとう。おかげさまでなんとかこうして生きている。


【編集後記】

今日は他にもお祝いごとがあり、合わせて祝った。わたし的にはあまり嬉しくないお祝いごと。それでも家族が揃って食卓を囲めることが祝いなのかもしれない。

3時29分起床。もう少し寝ていたかったが眼が覚めてしまった。体調は正直イマイチだが、大学に行けないほどではない。行って様子をみて、進級要件に関わりないようなら帰宅すればよいし、差し支えるようなら机に俯せてでも時間を消化しようと思う。 

いつも元気な私がこんな風だと皆が驚くだろうが、実は時々こうなることがある。誰でもそうだと思うが、特に冬は一度は必ず風邪をひいて熱を出す。幼い頃、扁桃腺が弱いと言われていたのでそのせいだろうかとも思う。いったん風邪をひくといつまでも咳が出て、しかも長引く。

思えば実家の母がそうで、よく冬は咳をしていた。だんだん似てきたように思う。病院に行けば大抵抗生物質などを出してもらえ、それを飲めば治るというのも知っているが、どうも薬は飲む気がしない。特に抗生物質は飲みたくない。飲むくらいなら辛いのを我慢する。 母もそう思っていたのかもしれない。

と、こんな風に書けるのは、ちょっと良くなったせいだろうか。今日はマスクをして教室の隅でじっとしていようと思う。退室するかもしれないと、先生にいうのを忘れないようにして。

退室といえば、今回の授業が本年度新しく出来た授業のせいか、始めましての方がとても多かった。
大学の、しかも通信の先生って大変だとつくづく思った。前にもちょっと意味合いは違うが怖い生徒さんがいて、先生はやはり注意しなかった。でも先生の真正面に座っていた私は、先生の表情からただならぬものを感じていた。とはいっても、この程度の変な人は武蔵美にはもっといた。文芸コースなのでこの程度で済んでいるような気もする。

通信は入学試験がないし、面接もない。どんな生徒が入ってくるか全くわからない訳で、直面してしまったら鉄の意志でスル―するしかない訳だ。

おおらかに見えるが実は神経の細かい私は、違和感がだんだん大きくなり余計に具合が悪くなった。今回は修行と思って何も言わないことにする。具合もイマイチだし、何か余計なダメージを受けたら困る。それに誰もそんなことは期待していない。一瞬の気分の悪さを我慢すれば、自分の関係ないこととして時は流れる。受け止めず、受け流すのだ。 後ろのWさんに似顔絵でも書いて回して笑っておけばよい。

さて、本題に戻ろう。文芸1-3は「神話」がメインテーマだった。世界各国の昔からある神話を様々な形で学び、最終時限はグループ学習として自分達で神話を創った。とても楽しかったが、一番印象に残ったのは、先生の、「人間は天国より地獄に興味があるんです」という一言。

確かにそうかもしれない。私もいつも暖かい空気がただよう平和な世界より、スリリングな地獄がどんなものか見たいと思うだろう。

出席カードにも書いたが、子どもの絵本で「地獄」というタイトルのものがある。


※想像を絶する怖さ

千葉県安房軍延命寺に伝わる地獄絵巻に、現代文を入れてストーリー仕立てになっている作品。絵もさることならが、この先一体どうなるかとどきどきしながら読み終えてしまう。

漫画家の東村アキ子さんがお子さんの教育のために購入して効果があったと書いて、一躍ベストセラーになった。対本として「極楽」というのもあるが、こちらはあまり販売数があがっていないように思う。

人間は平和ばかりでは楽しくないのかもしれない。平和は幸せだが、ぼやっとしてしまうのではないか。現に、姑は私が夫と結婚してから元気になった。あちらこちら具合が悪く、死にそうだといつも言っていたが、なんだかんだともう11年も長く生きた。

魯山人だかは鮎を生きたまま運ぶのに、他の種類の猛魚を入れて運んだときいたことがある。ストレスにより生命力を伸ばすという技法だそうだ。魚の種類は失念。思い出したらコメントとして追記したい。

スタンフォードのケリー・マクゴニガルは、ストレスと上手に付き合い自分のパワーにしろと本に書いてベストセラーだそうだ。

※ストレスと友達になりなさいだそう

人間が地獄に興味がある、というのも同じロジックのような気がする。ストレスをテンションと考えるとわかりやすいかもしれない。何度も言うが、京都造形大学には締切が多い。あれもこれも提出期限があり、過ぎてしまったら受理されない。課題もテスト申し込みも卒業制作着手申請は必ず出さなくてはと一番ストレスだった。年末年始あたりは一日に何回も思い出していたくらいだ。

お陰で単位も十分取得でき、提出物も滞りなく出せた。 だがストレスも程度問題で、一年間ギリギリと神経を使ってきたので、ここにきて体もダウンしてしまったような気がする。目標50単位取得と思ったが、もう現在41単位、あと足りない科目で2単位とって終わりでいい。気力は体力と直結しているとつくづく思った。来週一週間くらいはちょっと小休止したい。

それから、授業のおやつにしようと年末からあちらこちらで頂いたもののひとつを学校に持っていった。広げるとガトーフェスタハラダのラスクだった。一番大きい包みだったので持って行っただけだが、思わぬお菓子が登場してびっくりした。配ったら「こんなセレブなお菓子」と喜んでもらえてよかった。下さった方にも改めてお礼のメールをした。


※しばらくお菓子には困らない

今日、私はスクーリング2日目、息子は一日レッスン、夫と娘は科学未来館(多分)。家族がそれぞれ予定がばらばらという日が多くなったように思う。これぞ私の理想の家族の形だが、子ども達が勝手に予定を入れてきたりするようになると寂しくなるかもしれない。人は私も含めて本当に勝手な生き物だと思う。勝手な人が勝手なことを言ったからと、いちいち気にしないようにしようと改めて思った。

息子の弁当を作るついでに自分のも作ってみた。同じトーンにみえるが息子は肉入り、私は肉なし。ご飯も息子は白米で私は五穀多め、思いついて自作の乾燥パクチーと実山椒を乗せた。味のアクセントとして金山寺味噌も添えてみた。しっかり食べて早く風邪を治さなくては。


※俵型弁当箱は約15年近く使っている。会社員時代もこれでお弁当を持参していた


【編集後記】 

ブログを書いていたら体調がよくなった。というか、いつも朝はいいが夕方から夜にかけてダウンする。油断しないように今回のスクーリングは寄り道しないで帰るようにしよう。

残りの年賀状も書き終え、投函。本格始動は明日からの予定だが、ブログを書くついでに以前書いた作品を読み返していた。なんていうか、我ながら本当に面白いと思う。このシリーズのブログで書いた「資生堂ショック」タグの記事は、正真正銘私の気持ちを綴ったものだが、以前のものはそうではなかった。

いじめられて仲間外れにされるということ、辛くて苦しかったが客観性を持ってみれば、とても興味深い出来事だった。子どもを育てる聖母マリア的存在のお母さん、そのお母さん達の創る「ママ友」という組織。今まで誰かにイジメれたり仲間外れになるという経験がなかったので、こんなところで体験するとは思ってもみなかった。

「イジメはだめよ」「嫌ならやめてって自分で言おうね」「誰にも親切に」などと子どもに教える立場な訳だ。子どもに一番影響を与える人といっていい。だが、そのお母さん達がまさかまさか。そんなビックリどっきりな胸の内を、ちょっと冗談めかして小説に仕立ててみたのだ。

本当に世の中ってわからなし、だからこそ面白い。現実は小説より奇なり。大学の先生が「事実を羅列しただけでは小説にならない」といったが、小説より興味深いリアルではないだろうか。特に最近またしみじみと思っている。

ブログや小説の整理ついでに、私の一番の超大作をEPUBに書き出してみた。電子ブック形式なので、スマートフォンやパソコンで電子書籍のように読める。目次も自動でつくし、タイトルも表紙もファイル指定するだけ。さすがLINEグループのLivedoorブログ、サービスがてんこ盛りでしかも使いやすい。ここ以外に使いやすいブログサービスがあるだろうか。しかも去年くらいに有料サービスが全て無料化された。資本力のある組織というはすごいなと思う。

そんな訳で約1分で作ったファイルを公開するので、もしよろしければ読んで欲しい。これは悪意も何もない作品、もちろん登場人物も全てフィクション、安心して読んで頂けると思う。ファイルをスマホなどの端末に取り込めば、電波が弱いところでもwifiなしでも読める。もちろん無料。お節もいいけどカレーもねという古いCMがあったが、正月番組やネット検索、帰省ラッシュ中で疲れた方などにおすすめしたい。

と、色々なやりかたでファイルをアップしてみたが、うまく表示できない。「画像/ファイル」のメニューからファイルアップデートは完了するが、エラーが出てしまう。pdf形式に変換したり色々やったがダメで、なぜだろうと四苦八苦して疲れたのでまたにする。


toyosupark
※表紙はこの画像の予定

作品はこちら。『元キャナリーゼゆり子の豊洲にいた時日記』
http://blog.livedoor.jp/yurikomorio-100later/archives/1128359.html

【編集後記】

大学のスクーリングレポートの採点が届く。「黄色い壁のマチエール」について書いたが、68点だった。すごくすごくショック。今までの最低は論文研究Ⅱの70点だった。更に2点下回ってしまったことになる。ブログを書いてとても文章力があがった気がしたがそうでもないようだ。ブログに時間をとられて課題が流れ作業的になっているのかもしれない。新年の要検討案件。

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