芸大に通う豊洲ママのblog♡♡♡

カテゴリ: 書評

最近話題のあの人、キングコング、略してキンコンの西野さんが自分の出版物を無料公開しているそうで、早速みにいってみた。『えんとつ村のプペル』、既に商業ラインに乗っているものを無料公開とは如何なものかと物議まで醸し出しているという。こういうのを炎上とかバズるというが、私は今回の件は「バズッた」の方だと思う。炎上炎上というとまるで地獄変のようにぼうぼうと業火で焼かれるイメージでいうか違うのではないか。例えば読まれたくないこと、悪い事でアクセスが集まるととこれにあたる。でもこの件は、損する人が誰もいないという点では炎上ではない。

なぜこの記事の追記で書くかというと。私が今回した措置、ブログをクローズするというのはこれと反対の事をしているのかなと思ったから。私のブログ、最近特に注目を浴び、以前にも増してあちらこちらからも問い合わせをいただくし、少し前『あさいち』でパクっただけじゃ悪いと思ったのかNHKが取材してくれたくらい。でも前にも書いたようにアンケートだのフリー形式だので色々書かせておいて送ったらなしのつぶて。もう本当にがっかりしてブログをクローズした。なので西野さんの件も私なりの意見、もしかしてまた変わるかもしれないというか変わるだろうからこそ今の考えを書いておこうと思った。

まず、『えんとつ村のプペル』文句なく非常に良い作品、心を打つし色々考えさせるものもあり、ひとりでも多くの子どもに読んでもらいたいと私でも思う。そういう意味では出来の良すぎる作品ともいえる。

まず絵がいい。キンコン西野さんが描かれたそうだが、私がかねがね言っている「出来る人はどこで何をしてもできる」という見本のような人だと思う。クラウドファンディングでも成功し、私は見にいけなかったけど個展もそれで無料にし、絵本を発売したらヒットした。そして販売したものまで無料公開したというとで、他人の事は興味ない私が興味もったくらいなので本当にバズっているのだと思う。

まさに賛否両論色々だが、こういう時代でもあるし、何をやってもいいと私は思う。別に著作権やそれにまつわる法に抵触するわけでもない、本人が大盤振る舞いしているだけなのでありがたく享受すればいいのだと思う。もうすく節分だけれど、キンコン西野さんがいつもより多めに豆を撒いてくれたと。そういうこったと。

それなら絵本作りに関わった他のスタッフはどうなのとか、出版社的にはとか言う人がいるけれど。「それ、あなたに何の迷惑が?」となるのでは。それに「有名人がそうしたらそういう流れになるから皆が迷惑」というのも「流れに乗らなきゃいいだけじゃない」と思う。そしてスタッフたちの入るべき収入が消えて迷惑という理論、私はアホかと、馬鹿かと言いたい。

そういう話題の作品に携われたという名誉はもうずーっといい意味でその人についてまわるだろう。「あのプペルのスタッフだった」というだけで「おお、あの!じゃあもう何もかもお願いします」となり、どーんと報酬もはずまれる訳で、誰も何も損しない。損する人がいるとしたら、「プペル理論」が理解できずにギャーギャーと批判して馬鹿を露呈しているブロガーたちだけだと思う。出版社だって結局は損するどころか大大大ヒットになり、西野さまさまのはず。それにネットで読んでいいと思えばリアルで手元にも置きたいと思うのはあたりまえの流れ。

はーもう凡人からバカのラインにいる人達はこんなこともわからない上に否定するような記事を書いて「自分はアホです」と言っているようなものではないだろうか。

もしかして次の芥川賞は『えんとつ村のプペル』になるんじゃないでしょうか?こんな大胆な発想するのって私くらいやろ?これ読んだ誰かが真似して自分の考えみたいにまた書き出すからみててごらんよ。今ぐぐってみたけど誰もそんな事言う人いなかった。

だって又吉直樹さんが『火花』で芥川賞をとり出版業界はちょっと息を吹き返した。ならば次に西野亮廣さんが芥川賞とっても不思議でもなにもあるまい。今年のノーベル文学賞は、ボブディランだったんだぜ。そのお蔭で「ボブディランは歌手やろ」という不屈の名言まで飛び出した。絵本が芥川賞とって何が悪い?そのくらいやらないと芥川賞の存続も危ぶまれるのではないか。そしてその次の次の次くらは森生ゆり子が芥川賞で、「森生ゆり子は主婦やろ」と誰か言ってくれるのを期待したい。

そういう訳でキンコン西野さんは絵も上手い文章も上手、偉大なる戦略家でもあり喋らせたら一流という、うらやまけしからん人という結論になった。時の運が味方してくれただけというのもあるだろう。それを色々言う人は単純に彼が妬まし、もしくは世の中一方方向でしか物事をみられない気の毒な人。 私が羨ましくてたまらずいじめる事でしか自分をアピールできない豊洲のボスママと同じ括り。

それに有名人が何かしたからってそれをそのまま真似しないといけないという事はないし、むしろそういう時に逆の事をしてみるというのもありだと思う。人と同じことしても面白くないじゃない。それにキンコン西野さんは既にたくさん稼いで余裕もある。私は主婦、だからといってなめてパクるやつらを呪っている。私のブログは自分からどうぞと公開しているけれど、無料で無断でパクッていいなんて一言も言っていないので間違えないで欲しい。

とういうかさあ、結局私も天才なんだと思う。なので私のやることなすこと「人と違う」というだけで誰もわからなくて非難囂々だったけれど、最近やっと時代が私に追いついてきたように感じる。一部のボスママおよびその周りの不愉快な仲間達以外は「そうだったのか」とか、「そういう意味でブログ書いていたの」「小説読ませてください」「卒業制作きっと芥川賞ですね」とか言われるようになった。そしてNHKから正式に取材が今ここって感じ。色々あったが豊洲を牛耳るボスママにいじめられ、豊洲というちっぽけな水槽の中で村八分的にイジメられた経験まで肥やしにした私は偉大だと言っていいと思う。

【結論】『えんとつ村プペル』に文句言う人は世の中わかってないアホ。一生底辺で糸が降りてくるのを待ち続けるがよい。

さて今日は以上。これから昨日の豊洲こども食堂の収支決算してブログ書かないといけないのでこのくらいにする。

そうだ、昨日久しぶりに通帳記帳したら「トクメイキボウ」という名義で一万円も振り込まれていた!どこのどなた様が存じませんが、本当にありがとうございました。これで今月から赤字が解消しました。いい事はみんなで真似しましょう。「豊洲こども食堂」ゆうちょ銀行 記号10100番号89349801 口座名「トヨスコドモショクドウ」にご支援をお願いします。お振込み頂いた資金は豊洲こども食堂およびそれに関するイベントにも使わせていただきます。全ての収支は公開させていただきます。いつもありがとうございます。

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私はこの絵が一番好き。


※久しぶりに読み返してみた
   

「なぜ宿題をしないといけないのか」「早寝早起きはなぜ大切なのか」なかなかバッと子どもを説得させられる回答は難しいのではないか。そもそもそんな質問をされたことが今までない。質問をされてもいないのに、「なぜなら~」なとど教える→叱る→無理に机に連れて行く→子どもが泣く→余計に叱る→修羅場、この繰り返しだった。これは「ママ担当」と言われている息子だけじゃない、娘は太古の昔からずっとそう。娘は学校の宿題すらしていかないことが多々あった。確か小学校三年生の頃だったと思う。それ以前はすごくよくやっていたし、その後四年生からは反抗的ながらもやっていくようになった。この頃思春期の入り口だったのか、娘の中で何があったのかはいまだにわからない。でも相変わらず夫から暴言を吐かれながらやっている。一体怒鳴りつけられながらニコニコさくさくと勉強する馬鹿がどこにいるのか知りたいくらい、当然のように娘は絶対やろうとしない。それを倣うのか息子もあんまり勉強には積極的ではない、宿題も学校の用意もなかなか。 でもまあそんなに悩んでいないというか、男の子ってこんなものよねとか、きっといつかやるようになるわと平たく考えていた。   
   
我が家は夫がいつの間にか実権を握るようになった。家計も家のことも子ども達の教育方針も何もかもだ。最初は覇権争いをしていたが、争うのが馬鹿らしくなり私は降りた。争うと本当に修羅場になる。もう争う姿を子どもに見せるのもどうかといい加減気付いて「なんにもしない人」と呼ばれるようになった。何にもしないのではない、夫に口を出さなくなっただけ。それにそんなに自信満々なのは何かすごい信念や根拠があるのだろう。私自分の子どもといえどそんな風にしたくない。自分がされたら嫌だろうなというただ単に自分の感情的なものだが、夫は親にそうされた嬉しいそうだ。ちなみに夫は両親からそれほど「勉強しろ」と言われなかったそうだ。なのでいまだに勉強が好きなんじゃないだろうか、なのに「もっとやれと言われていたら」などと勘違いしている。私は全く理解不能だ。夫婦、家族なら協力してやればいいと思われるかもしれないが、そういう訳で夫は私のやる事成す事お気にめさないらしく、特に子どもの教育については水と油のように考えが違い、交じりあって乳化する気配は全くない。極端な話、夫はまず「勉強」勉強さえすれば成績さえよければなんでもしていいし、何もかもお座なりでいいという考え。違うと反論されるかもしれないが、今までの夫をみているとそうとしか思えない。

反して私はやっぱり基本は早寝早起き、宿題をする、友達と遊ぶなど、人が人として健全に営むことがまずありきで、その上での勉強だと思っている。それが出来なければいくら勉強が出来たって人としてどうなのという考え。でも夫が娘を教育し出して約5年、あまりにも強気で一ミリもブレなく言い続けるものだから私も毒されていたように思う。しかも「親はなくても子は育つ」とか「子どもはいつか気が付いて自分でやる」とか、楽観的希望をミックスさせ、宿題やりたくないならやりたくなるまで待てばいいとか、遅くまでパパやお姉ちゃんと起きていて朝眠くてご飯が食べられないのも自分で気が付いてサイクルを治せばいいのだと。そのうち、そのうち、自分で気が付けば。 ちなみに昨日息子は学校で熱が出たという。夜12時過ぎまで起きていれば睡眠不足で体の調子が悪くなるんだよと教えた。   
   
まあそのうち自分で気付くだろう、いつかちゃんとやってくれるだろう。そんな私の甘い考えに警鐘を鳴らす人物が現れた。その名も高濱正伸先生!息子が通っている「花まる学習会」のCEO。「それは違います」といきなりメッセージを下さったのだ。まれにゃんからのファーストコンタクトくらいびっくりした。


事の起こりは昨日の夕方、昼までとある会のイベントのチラシを配布してあるいていた。豊洲内のことだし、件数もそんなに多くないが何しろすごく暑かったせいで家に帰ってちょっと横になっていた。横になるとスマホをいじりだす私は昨日もFacebookを眺めてイイネしたりしていた。そこに高濱先生の記事をシェアした方がいて記事が流れてきた。書かれた記事を読んでいるとこんな言葉があった。

高濱「子供がやっていることを邪魔しない。口出ししないことです。ほっとけばいいんです。今の子供たちは「やらされ人間」が多すぎる。これは、これからの時代に成功する人間の反対にある。ほっとけば勝手に遊ぶし、その中でリーダーシップが育つのです」

私はこれを、「やっぱり子どもはほっておけば大きくなるんだわ。宿題やらないのだって子どもの責任、親が口出しすべきじゃない」アドラー心理学的子育てでいえば、実はこの通りになる。もう息子は7歳、手を出す時期は終わった、自主性を尊重すべきとでもいうのか。正直「いつまで俺はママの言いなりにならなきゃいけなんだ!」と常々言うようになり、だったら自分でやってみなさいよ、「こっちこそいつまで君の面倒をみたらいいのよ」とやり返すことも多々あった。なのでやはりそうだ、いいんだと。そして何気なくその流れてきたよそ様がシェアした記事に何気なくコメントをした。今思えば自分で記事をシェアしてコメントをつければよかったと思った。まさか高濱先生がコメント下さるなんて。



先生によると、やっぱり私の子育ての方が正しいということになるのではないか。そもそも高濱先生を知ったのは、本が発売されてすぐ夫が買ってきて私にも読めと言ったものではなかっただろうか。私は嬉しくなり著作を二冊並べて「もっとしっかり再読します」とコメントした。



なんだか子育てのモヤモヤがぱあーっと晴れた気がした。もちろんアドラー心理学は学んでいて体系的に理屈はわかるのだが、どう行動したらいいかわからない場合がある。でもこうやって具体的に書いてあるとするっとわかるものだなと感じた。しかもこんな風に直接メッセージを頂くと、ずしんと染み込むものだと驚く。もう垢バンされたので見ていないが、私がBANされる少し前に高濱先生がPROピッカーとしてNewsPicks に登場した。なるほど教育者として素晴らしいコメントばかり、でもなんていうかスル―ッと流れ落ちてしまう。多分「自分に向けられたコメントではない」せいかと思った。以前から思っていたが、ちょっと有名な人とか人気のあるPicker さんがコメントを書くと「秀逸」だの「さすが」だのこぞって持ち上げるが、読んで何かあなたたちにいいことあるのと聞きたかった。なんか群れ群れてイイネイイネ秀逸ぅ~だの言っているが、相変わらずNewsPicksに貼りついて時間を泥棒されている。仕事は?家事育児は?勉強は?なんていうか、高濱先生が本の中で言っている「ゲームには要注意」というのと同じなのではないだろうか。

また話が飛んだが、そう言う訳で「自分に向けられて発信されたメッセージ」はとても心に響いた。これから私はこの本を読みこみ子育てをするだろう。私は気に行った本があると、それを繰り返し繰り返ししつこい程読みこむたち。改めて本を読み、なぜこんなに花まる学習会や高濱正伸先生の人気が高いのかわかる気がした。巷に溢れる子育て本、どれもこれも確かに言っていることは一理ある。でも自分の子どもに当て嵌めたり先を予測させるものは割と少ないように思う。disる訳ではないが、東大やハーバードに姉弟全員入れましたとかいうお母さんの本も何冊が読んだが、その先は大概医者か弁護士。もちろん素晴らしい仕事だしそれらの仕事に子ども達が就きたいと願ってそうなるならいいが、これ親の夢だよなあなんて感じてしまったりする。

「メシを食える大人に」という花まる学習塾のスローガン、やっとなんとなくピンと来たように思う。飯の種は多分自分が選んだ好きなことじゃないとダメなのだ。時間を忘れる程夢中になれること、そんなものが仕事になり人々の役に立ちそれでお金を稼ぐ。その前に「規範」が大事だと先生はいう。この中で特に挨拶、私はこれを読んで反省した。

毎度毎度同じ事ばかり書いて恐縮だが、私は息子が赤ちゃんの時代にこの地区の最高指導者的ボスママに目をつけられ徹底的にいじめられた。その流れで小さなグループの中で孤立し、それは拡大し豊洲地域のお母さん達全員から無視されるという事態になった。顔をみればさっと目線を外され、井戸端の輪の近くにいけばチラチラとみられ、もちろん挨拶などもってのほかみたいな空気の中で長年過ごしてきた。もちろんママ友に関係ないご近所の方などは普通に挨拶してくれるが、子どものいる人は全滅だった。そんな中で「もう挨拶しなくていい、どうせ無視されるから」などと同じマンションのエレベーターで会ったりしても挨拶しなかった。向こうもしないからこれはこれで都会に住む者達の礼儀なのかもしれない。でももう10年近く顔つき合わせているのにお互い無視っておかしいと常々思っていた。子ども達も心得たもので知らん顔している。先日娘と同じクラスだった赤ちゃんの時から知っている男の子に挨拶したら、怖い顔でガン無視された。親がなんか言っているのか勝手に倣っているのか。余計なお世話だがよくないなあーと思った。

そんな訳でやっぱり規範(早寝早起き、挨拶、宿題をする、遅刻をしない他)って大切なんだとわかった。夫もブログを読んでいると思うのでわざわざ言わないが、読んで何か気が付いてくれたらいいのにと思う。

高濱先生にお礼のコメントを書いているうちに息子を塾に送っていく時間になった。いつものごとく探して引っ張って行こうと思ったら、なんと今日に限ってちゃんと帰ってきた。しかも「行きたくない」とか「もうやめたい」などと愚図らず、さっさとスクールバッグを持って「ママ、行こうか」などと言っている。ど、ど、どうしたんだろう。高濱先生の念が息子に通じたんだろうか、何か不思議なものを感じた。高濱先生は私にじゃなく、息子にメッセージを送ってくれたのではないか。息子にはこういう不思議なことが時々ある。それとも私と以心伝心で、私が気付いたから息子に通じたのか。息子の通う花まるは門前仲町にあり、私が車で送迎している。一時豊洲でも開校して貰おうと場所探しに四苦八苦したことがある。花まるの先生からも場所があったら教えて下さいなどと言われて奮闘したが結局良さそうなところはみつからなかった。どうしてもというならあると思うが、家賃が高すぎるのだろう。そう思うと四谷大塚とかSAPIXって払っている学費は家賃の割合も高いだろうなと思った。

話を戻して「規範」の話を車の中で偉そうに早速レクチャーした。学校から帰ってくると玄関にランドセルを放り投げて遊びに行く息子、わんぱくでたくましくて私的には大満足で、息子が元気なら宿題や勉強なんてと思う私がいる。それに少なくとも学校には元気に毎日通ってくれている、でもでもなどと。そんな気持ちは花まる先生が直々にコメント下さり、なんだかちょっと気持ちが軽くなった。そうだ、英語でだって宿題はstudyではなくdo ではないか。やらなきゃいけないものだと思う。

そう考えて夕べパソコンに向かったら、自分の宿題スクーリングレポートはあっさり終わり、あんなに愚図愚図していた卒業制作もさくっと着手できた。しかもテーマは同じで中身はがらっと変わった。12万字の小説を半分にするのはやはり不可能だと思う。『失われた時を求めて』の日本語縮約版だって全然違うもののように思う。12万字で書いたひとつひとつのセンテンス、何を削除していいのかわかならない。だったら違う物語として書けばいいのではないかと。これも先生のアドバイスにあったがなかなか気が進まないでいた。でもやり出したらスムーズに流れだした。卒業制作の提出は10月7日~13日必着、今日が5日なのであと最大でも約一週間しかない。今1万字程書けた。 大丈夫かなあと心配だが、学友の「あなた書くの早いから大丈夫よ」という言葉が浮かぶ。そう、私は書くのが早い。このブログ記事だって今日は何文字だろう。約1時間で書けた、しかも苦も無く。「好き」なのかなあ書くことが。でも気分が乗らないと全然書けないからそこは困ったところ。

また話が飛んだが、そんな風に高濱ビームを浴びた息子は珍しく塾で(やる気を)褒められていた。迎えに行くと嬉しそうに私のところにきて、色々な話をし出す。そうだ、冬のスキーキャンプに行かせてみようかと欲張ると、スキーはもうやりたくないスノボがいいとぬかす。高濱先生、是非スノボツアーも企画してください。 豊洲北小学校では高濱先生の講演会があったそう、豊洲小学校でもやって欲しいが私は花まる学習会で企画する講演会にいってみようか。国際ブックフェアでも講演会があったが、私は大学の授業があり行けなかった。うーむ、是非いってみたい、お話を直接聞いてみたいとすっかりファンになってしまった。こう考えるとあのタイミングでNewsPicks抜けて良かったかもしれない。私はどうもあそこにコメントする人達を信用できないというか、自己顕示欲をこんな風に昇華しなければやってられない気の毒な人達などと偉そうに思ってしまう。なのでもしかして先生のコメントに対してもそういう理由で失礼なコメントをしたりしてしまったかもしれない。そういう訳もあり、NewsPicksにログインしなくなる生活というのは寂しくなるかなとか、後悔するだろうかと想像したりしたが、一ミリもそう感じないので逆に不思議に思う。オフについても色々Tweetで情報が流れてくると行ってみたいなとちらと思うが、結局私はネットのオフ会には行く気はないのだ。面倒だし変なしがらみが出来ると困るし、そもそももう人間関係のキャパは私的には十分で、これ以上増えたら日常生活に支障が出そうなくらい毎日忙しい。オフといえば私はNewsPicks最初のオフも行かなかったくらい。ま、あの時はそんなに忙しくもなかったけれど。インテグラル佐山さんとかまだNPじゃない上田さんとかすららとかあのハーフの女性とか豪華メンバーが集結していた。そんな訳でネットからリアルには飛び出せないネット弁慶の私だが、それでいいと思っている。特にNewsPicksは別名男子校。そんなところのオフ会に出掛ける一般女性Pickerの気が知れない。またそういう何も取り柄のなさそうな賑やかしだけで存在するような人達は私を攻撃することで注目を浴びる能無し。一緒にされたくなくてそれもあり早く抜けたいと思っていたのだ。願いが叶って非常に満足。私のリアルは豊洲にある。

 
※男の子版の方がAmazonカスタマーレビューが多いのは、男の子で悩むお母さんが多いのだろうか
出版社: 実務教育出版 
   発売日: 2012/5/29


※女の子版もある。私は娘の方が悩みが多い。
出版社: 実務教育出版
発売日: 2013/9/19


※これもポチってみた、夫に読ませよう

ブログにいきなり書評を書きだして、今度は何を始めたのかと思われるだろうか。私は飽きっぽい、なのでいつまで続くのかわからないが、読んだ本についてレビューしてみたいと思った。きっかけはこの本を読んだからだった。小泉今日子が書評を書いていて、かなりのレベルで面白いと読んだのは雑誌『anan』の書評コーナーだったと思う。『書評集』を書評というのも変な感じだが、自分がこういうものを書くきっかけとなったものだから記事にしてみたい。想像をいい感じに裏切ってくれて、読み応えのある面白い読み物だった。

もくじを見ると、2005年から順に7冊から多い年はいちにいさん、16編の作品が並ぶ。自分も好きな作品、読んだものから読んでみたいもの、全くタイトルも作家の名前も知らないものなど。終わりの「特別インタビュー」という読みもののなかで、「読書委員十年間を振り返り」とあり、10年続いた連載だと知る。「長い」とは思わず、「もっと続ければ良かったのに」と思ってしまった。黒柳徹子の「徹子の部屋」だって、テレビ局の偉い人の思惑で終わってしまったけれどタモリの「笑っていいとも」だってあんなに長く続いていたじゃない。だったら小泉今日子だって、などと勝手な事を思った。

「書評」を書くにはまず本を読まねばならない。小泉今日子がこんなに本を読むとは、しかもきちんと評をして丁寧な文章を書くことに失礼ながら少々驚いたりした。ひとつの書評を読み終えると「これ、読んでみたい」と思わせる確かな優しさがある。たんたんと書いてあるが、確かに優しい。厳しいところは何も見えない。でも優しくあり続けるためには自分に厳しい何かを課していたのではないだろうかと思わせる。それは1年2年なら出来るかもしれないが、10年間というのはとても厳しいだろう。優しくあり続けることが辛くて止めたのかなとチラと思った。そんな事はあるまい、ただの新聞社の思惑だけだろう。でもそんな風に思ってしまうほど、優しいさが滲んでいて、それが少々私には辛く感じてしまった。

「はじめに」で「本を読んでいる人には話しかけにくいだろうと本を読むようになった」とある。「忙しかった十代は人と話すのがおっくうだった」とも。小泉今日子ってそういえばアイドルだったなと思い出した。しかも一世を風靡する程の人気だった。いつも笑顔で元気いっぱいの、そうだ「キョンキョン」!そんなアイドルを演じ続けるのは、確かにおっくうで辛い事もたくさんあっただろうなと想像した。そんな彼女が素でいられるのは読書している時だけだったのではないだろうか。

本を読む、それは主人公に自分がすり替わることでもある。誰もが羨む人生を送っているアイドルが、ありのままの自分を求めて本を読み、自分ではない人格を楽しむなんて。でも果たしてそうだろうか。もっと高尚な何かがあったのではないだろうか。いやいや、最初は隠れ蓑でもだんだん本当に読書が好きになったに違いない。そして「書評」も、最初の頃より最後のページに進むにつれて上手くなっている。「これでいいのかなあ」と恐々としたものが「さあー好きに書くわよ」と伸び伸びし出したというのか。

私もブログを書きだした頃、千文字書くとすごく長文を書いたように感じ、そしてこれでいいのか、公開して大丈夫だろうかと固くなっていた。それは今でも日々思うのだけれど。

この書評集、書評にちらっと出てくる作品まで一番後ろに牽引用に一覧になっている。みると太宰治の『人間失格』がある。また太宰かあと思いながら該当のページをめくると、白岩玄の『野ブタ。をプロデュース』の書評の中に「これを読むと太宰の『人間失格』を思い出す」と書いてあるだけだった。「二十代のころ大好きだった小説」とある。太宰治が褒めてあるものを読むのが苦手な私はここだけは納得し難しと見えない付箋を貼った。でももしかして本当は小泉今日子も私と同じ感想ではあるのだけれど、太宰治やその周りの人々を慮って「好きだった」と書いたのかもしれない。「好きだった」というからには今はそうでもないのかもしれない。私も優しい言葉を探して紡いでみようか、なんて殊勝にも思った。キョンキョンすげえ。

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著者:小泉今日子
単行本: 252ページ
出版社: 中央公論新社 (2015/10/23)
発売日: 2015/10/23


副題が「自分史上最高の美人になる方法」とある。この本とのファーストコンタクトは、有楽町マルイのスターバックスTSUTAYAだった。平積みにしてあったこの本に目が釘付けになり、まさに二度見してしまった。美しいブルーと可愛らしいものでデコレーションされた装丁、それから帯に書いてある副題というかキャッチコピーの秀逸さ。帯の女性に全然見覚えはない、でもついつい手にとってしまった。何もかもが私の好みにピッタリで素通りできなかった一冊と言える。



作者は今やすっかり有名になってしまわれたビューティーコンサルタント神崎恵さん。この本が発売されたのが2013年1月とある。もう3年も前になるのかとシミジミ、ううん、そろそろ4年になるだろう。この4年間に私自身も色々あったなとまたシミジミ。違う、シミジミする本ではない、気持ちまでうるちゅるんと浮き立つジューシィな美容本だ。今ではすっかり神崎恵ファンになってしまった私の「読む美容液」ともなっている。なんとなく疲れたナーと思う時もパラパラ、何もかも嫌だもうーなどと気持ちがささくれてもパラパラ。この本をパラパラすると心がじゅわんと潤う。 


神崎恵さん、かなりハイスピードで同じような本を何冊も出版されているが、この本が神崎さんの出世作というか最高傑作だと思う。外見だけでない内容も美人のエッセンスがぎゅっと詰め込まれたトキメキキラメキBOX☆あちらこちらに挿る写真もloveryでcuteでどこから読んでも神崎ワールドがさく裂している。見てよし読んでよし愛でてよしの世にも美しき愛眼BOOK。あまりに好き過ぎて3冊買ってしまった。

一冊は保存版、もう一冊は読みこむ用。でも読みこむ用をAmazonのマーケットプレイスで買ったらなんと帯がついていない!この本帯がついていないと台無しというか、価値が半減すると思う。もう一度言うが「自分史上最高の美人になる」というキャッチコピーと神崎さんの横顔、これがあるかないかで全然違う本になってしまう。もちろん内容は全く変わらないのだがプラシーボとでもいうのか、ともかく帯のついていないものが届いてしまいがっかりしていたところ、豊洲ビバホームのくまざわ書店で見かけたのでちゃんと帯のついているものをもう一冊買った。この頃この本は増刷されておらず、Amazonでも販売されていなかったので見かけた時は嬉しくてつい。そして3冊のうち一冊は今は娘の本棚にある。もうこんな本に興味があるなんて、幼気なお多福ちゃんが二度見される美人になるだろうか。

そういう訳で今は廉価な文庫版も販売されているが、この本は必ず帯のついたソフトカバーのものを購入して欲しい。私が二度見される美人になったかどうかは置いておいて「女装する」という意識や装う時の意識はかなり向上したように思う。お化粧するのが楽しいというのか、洋服も結構ラブリーなものに挑戦するようになった気がする。時々「あ、境界線超えたかも」と、自分の年齢を思い出してハッとすることもあるが、まあ次から気を付けようとか、娘がいるので「これ可愛いでしょう」などとお下がりしたりできるので無問題。


帯がついている方が良くない?

などなど新刊やネットニュースをチェックしたりしていたところ、最近ご結婚されて赤ちゃんが生まれたそうで驚いた。こんなお忙しい身で結婚出産??しかももともとお子さんがお二人!!美容家として乗っているところに出産とは本当にびっくり。更に驚くことに益々綺麗になられてご主人ともラブラブで育児をすごく楽しんでみえてお仕事も一層バリバリされているのでびっくりに超をつけたくなる。神崎さんはじめ世の中の一流と言われる方々をみていると、神様が特別に一日36時間くらい与えているのではと思ってしまう。そんな事はない、彼女達だって時間は私と同じだけしかないはず。なのになのに。

神崎恵さん大好き。好き過ぎて彼女のアイテムをこっそり買ったりしている。高価なそれら、なかなか専業主婦の身で所持することは困難だが時々奇跡が起こってあっさり掌中にしたりできるミラクル。例えばmade in FranceのSANTI。可愛い欲しいとずっと思い詰めていたら、なんととあるファミリーセールですごくお買い得になっているのをみつけてしまった。こんなところにSANTI?と驚いたが、もっと驚いたのはSANTIを誰も知らないのかお買い得バッグなどと一緒に廉価で商品の山に埋もれていた。慌てて掘り起こして3つ全部買った。


※ひとつは地元の大親友にプレゼントした

それから神崎さんがすっごく愛用しているcherのストール。特にヒョウ柄がお気に入りみたいであちらこちらの媒体に登場させている。肌触りが良さそうで「ひとつ持って出ると夏でも冬でも私をくるんで守ってくれる」などと書いてあり、いいなーと頭の片隅の「欲しいものリスト」に記憶していた。これもとあるリサイクルショップで発見!タグや状態を確認するとプライスカードに「新古品」と書いてある。なんというラッキー☆神崎さんを追っていると小さくても確かなラッキーがいくつも起こる気がする。 村上春樹的に言うと小確幸となる。 


肌触りもよくてピッタリ決まる感じがGOOD

本の内容については割愛。一度お手にとってみてください。それでもあえてひとつ紹介するならば「お肌の綺麗のためにはピーリングと保湿」をあげたい。理由を読んでみればなるほど納得、だたのキラキラ本ではなく根拠のしっかりした美への訓えの数々、これ全部出来たらなるほど絶対美人になるだろうなと感心してしまうものばかり。

私は美人が大好き。綺麗な女性に意地悪されたことって今まで経験したことがない。というのは逆に偏見かもしれないけれど、綺麗でい続けるためにはそれはそれで色々な障害がある訳で、一番はそうじゃない人からの「嫉妬」なんじゃないかと思う。綺麗にして出かければ、一体どこに行くのとか誰と会うのとかそれよりも「子どももいていい年して何色気ついているのよ」と思われるだろう。これは妄想ではなく実体験でそう考えざるを得ない事が結婚出産してからも色々あった。

「ママ友」や「ボスママ」を観察し続けて約10年。本当に綺麗な人はボスママにはならない、たいがい容姿に不自由しているボスママのすぐ近くにそっと存在する。やっぱり誰しも綺麗な人が好きなのだ。私がボスママ軍団にイジメられたのは美しさが足りなかったのだろうか、それともイジメをものともしない強い心を持っていなかったせいなのだろうか。多分両方。この本に出会ってから、髪と爪を伸ばそうと思いながら未だにどちらも叶っていないのが私の意思の弱さを物語ってはいないだろうか。ちょっとの努力で綺麗になれるし課題だってバリバリできるし小説も版画も色々出来るのに。そういえば美人従妹もいつの間にかスキルを身に着けバリバリと働き趣味もすぐにプロ級になってしまう。美人は一日にしてならず、そして働き者でなければ綺麗にはなれないと悟った。

それはともかく、化粧品や美容本に出てくる「うるん」とか「ちゅるん」とか「じゅわん」とか、そして「ほんのりと毒」「自分史上」なんて素敵で可愛いらしい言葉の数々は、神崎恵さんが使い出して世の中に溢れるようになった。考えたのも神崎さんだろう。この本のタイトルも秀逸過ぎるせいであちらこちらでパクられていて、如何に神崎さんの時代を読む目が確かなのかという証明にもなると思う。綺麗なだけじゃなく独創性もあり先進的でしかも基本はぎゅっと押さえているのがスゴイ、しかも美人で頭がよくてセンスもよくて最高。これからもますます目が離せない美の賢人。綺麗なお姉さんは好きですか?はい好きです。2017年の手帳は神崎手帳にしてしまおうかしらん。うるちゅわん♡

美のミューズ神崎恵さんのブログはこちら   


今更だがやっと読了。映画化ドラマ化もされ、話題の作品ということで気になってはいた。だがなかなかご縁がなかったというかなんというか。たまたま入ったBOOKオフで買い求めたところ、次の日図書館の予約で手元にまわってきた。そっくり同じ文庫本が手元に二冊。

読んで一言。乾くるみって天才なんじゃない?もちろんこの作品も二日に分けてだが一気に読んでしまった。最近全然本を読んでいないとか、読書力が無くなってしまったと嘆いていたが、手元に読みたい本があれば読んでしまえるものだと再認識した。

話を戻して乾くるみ、プロフィールを確認すると、大学の数学科を卒業したとある。数学といえば単純に「理系」といっていいだろう。理系の作家といえば、私の中では瀬名秀明が筆頭にきて、どぅるるるるーと何人か並んだ後に乾くるみということになるだろうか。タイトルが秀逸、もし違うものだったらここまでヒットしなかったのではないかと失礼な事もチラと思った。

それより何より理系作家の小説というのは、どうしてこうトリックを上手く仕掛けられるのだろう。「参りました」と言いたくなる。最初に読み切った時には何がどうなのか全然わからなかった。「あなたはもう一度最初から読みたくなる」というのがキャッチコピーらしいが、そんな風にも思えなかった。用心深くネタバレ的サイトを読みたいのを我慢して考えてみた。「ねえ、卓也」とある。美也子までもが名前を呼び間違えたのだと頭の中で物語をなぞる。でもどうも変。

ああでもないこうでもないと推論するうちに、驚愕の答えがみつかる。なんて、正直にいうとチラッとカスタマーレビュー読みました。えっ、まさか、だって。そうか、確かにあそこもここも矛盾だらけだ、でも読了した時は「違和感」を覚えなかった。「そういうもの」だと勘違いしたまま話に引き込まれてしまった不甲斐なさ。人間って本当に不確かな生き物だと思わずにはいられなかった。

私たちの普段の生活にもそういう事がちょくちょくある。私のメインテーマである「ママ友」だってそう、「ボスママ」がいい人だなんて誰も思っていないのに「そうあるべき」という勘違いで粛々と日々を過ごす。そう思わないと生きていけないという生物の悲しいサガ。会社でも学校でもそれら「思い込まねばならない」ものは存在するだろう。それらに一体どれだけの人が気が付いているだろう、気が付かない振りをしているだけなのだろうか。

物語の時代がバブル時というのは何か理由があるのだろうか。作者の青春時代というのも関係しているのかもしれない。そうか「予約」!それに、愛とか恋とかが生活の中で濃かった時代なのだろう。「愛している」という言葉がこんなにも突き刺さるのは、確かに今の時代ではマッチしないのかもしれない。でも小説はともかく、映画やドラマは平成生まれが喜んで視聴したと思われる。これすらもミラクル。DVD借りてこようかな。時は流れて行く。


 
「原作とは異なるエンディング」ってなんだろう。

林真理子氏の『ビューティーキャンプ』読了。

この世に林真理子ほどスムーズな小説を書く作家がいるだろうか。一ページ目を開けばあっという間に最後のページにワープしてしまう。そのくらいスルスルと読めてしまう、面白い、楽しい、ワクワク。本を閉じれば「あーあ、終わっちゃった」という寂寥。

彼女のエッセイもそうだが、小説もそのほとんどがトレンディな題材を積み上げて出来ている。そんなに奇を衒うとか、驚くような奇跡は何も起こらない。時々そういう事件が物語の中に出てくると「なんだか小説っぽくて嘘くさい」などと感じられてしまうほど、日常的なところからほんの少し離れた世界という場所にある。少し背伸びをした少女のような気持ちで読みすすめられるのが林真理子の作品の魅力だろう。

今回読んだ『ビューティーキャンプ』も「ミスユニバースとかそういう所の物語、きっとああいう人が出て来てこんな感じで~」と思った通りの展開、でも、だからこそ読ませるセンテンスのひとつひとつにリアリティがある。そして、もしかして自分だってもっと綺麗になれるかもとか、自分に足りないのは野望なんじゃないかと上手く勘違いさせてくれる力があると思う。

思った通りの展開、でも最後はちょっっぴり「あっ」と驚かせてくれるのもいつもの通り。ママ友誰かが、「林真理子の小説が青春の教科書だった」と言ってみえて、なるほど私もその通りだった、上手い事をいうなと感心してしまった。その分ちょっぴり性格も悪くなったと思うが、これら女が生きていくための必要悪。ともかく女の心の襞を嬲るのが上手すぎる。

美人というのは単純に人生得するイキモノだと思われるが、女の嫉妬にもまみれないとならない悲運でもある。この物語に出てくる美女たちは、そうでない女性達にものすごく気を使いながら生きてきたという設定になっている。わかるような、わからないようなという中途半端な共感は、私が美女でない証拠になってしまう。いやいやいや何をおっしゃるウサギさん、私も女からの嫉妬で死にそうな目に遭ったではないか。それはなんと恐ろしく不可解で理不尽なものだったか。

今もそして美女が「幸せな美女」でいるためには賢くなくてはならない。知性ではない、生きるための知恵だ。そして知性は美の足元にも及ばないと本書は断言している。身もふたもないけれど、本当のところというか真理はそうなのかもしれない。 世の中は至極単純なもので出来ているのだろう。複雑に見えるのはそう思い込みたい者の願望なのだ。

林真理子さんも私も結婚して出産して小説を書いていて、美にもゴシップにも同じくらい興味津々。でもこんなにライフスタイルが違うのは、運とか野心とか才能とかそして"努力"が全然違うからだろう。わかってる、わかってるんだよ!いい年をして大学に通い、卒論をどうしようなんてじうじ悩む私なんて、彼女からみたら馬鹿みたいだろう。

人間が安定して生きるために、そしていい小説を書くためには「客観視」が必要だという。でももしかして私に必要なのは「林真理子目線」なのではないだろうか。彼女のフィルターを通せば、わたしみたいな普通の何処にでもいるような専業主婦ですらドラマチックな物語になりそう。うん、いいじゃない。今書いている卒論だって、林真理子さんに代筆をお願いしたら、とびきり面白いものになるだろう。そんなつもりで書いてみようか。

これからヒールの高いパンプスを日常的に履こう、髪も爪も伸ばしてツヤツヤにさせてみよう。だって私、たった今から「セルフビューティーキャンプ」に入隊したのだもの。背筋も伸ばしてキラリとした目線で、「私は美しいのよ、もっとよく見ていいわよ」女優にならなくては。勘違いほど楽しい事がこの世にあるだろうか。

 I’m beautyful♡ Thank you everyone!

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著者:林真理子
単行本: 236ページ
出版社: 幻冬舎 (2016/2/25)
発売日: 2016/2/25

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