芸大に通う豊洲ママのblog♡♡♡

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先回の記事、「みんなありがとう」なんて綺麗にまとめすぎだと思うけれど、ああでも書いておかないと締まらない気もするし終わらないでしょう、正直色々思い出すとふつふつするものはまだあるけれどまあいいんじゃないでしょうか。最後の最後まで「お礼言う気もない」なんてやっぱり大人気ないし美しくない。こんな風に思えるのも京都に出掛けたおかげだわ、色々巡ってすっかり邪気が払われた感じ。 それから辻先生からの助言の影響もかなりあると思う「立つ鳥跡を濁さず」掻き回し過ぎて今更かもしれないけれど、日本の様式美に寄り添い倣うのも大切、京都の芸大を卒業しますからね。

それにしても思うのは、あの大学全体が総大人気ない人達の集まりで、生徒も先生達も事務局も会った人全員変な人達だった。あの中でも普通を保てた私なので〆る時はちゃんとしたいと思う。みんなは私が変だと思ってるでしょう、でも私からしたら豊洲も大学も周りがおかしいのよ。本当に特に大学は特に変な人達の魔窟だった。それはそうかもね、だって私の通った大学は芸大だもの。芸術家は変であることがスタンダード、普通でいてはいいモノは創れない生み出せない場所。

講演会で千住博先生が、「自分の卒業した東京藝大は変な人達の巣窟」と言ってみえて、それらを詳細にまとめた本があるけれど涙無くして読めないし、完読を断念してしまったとも言われていた。変な人達エリートの東京藝大には負けるけれど、京都造形もそれに近いところもあったと思う。

だいたい先生が生徒に「会いたくない」なんて言う?そして「謝りたくない」なんて意地を張ってそのままやめてしまうとか(多分)「一緒に脱出しましょう」と私も書いたけれど本当に驚いた。はあーなんか逆にこっちが負けたって思ったけれど、他にも私の想像にも及ばない何かがあったのでは、そしてぶっちぎるように辞めてしまうとか凄過ぎてドラマみたい。。。

私もこれら他、直接的なトラブルにも巻き込まれ大変だった。日和ってしまったし、でも最後はぼっちビューティ三銃士に戻れたからいい、これからも我が道を歩きましょう。今更だけどおばあちゃんが「あなたは外に働きに出ちゃダメ」って言った意味もよくわかった。私なんにもしてないのにどうして?困るわ。女ポケモン森生ゆり子は誰にもゲットできませんからね!

もし他の大学やコースだったらこんな風にならなかったのかとも思うけど、同じような事は起こったような気もするし、それならこの京都造形芸術大学文芸コースで良かったのかも、貴重な体験もし、小説のネタが出来、勉強になりブログがまた書けた。

改めてすすめてくれた朋輩に感謝、色々とサポートしてくれてるのわかってた。あなたは気高く美しいわ、いつか太宰の墓参りに行きましょうね、ってここでも太宰。うーむ…
   
それにしても卒業できて本当に良かった。卒業式行くか行かないかで悩んだりして私はいい人過ぎる。結局最後までなんだかんだ大学や先生を慮り人が良すぎるしお礼まで言うなんてやっぱりネ申、なのかなあ。結局あの大学色々常軌を逸脱してたのは芸大だからか、そういう意味では私にはぴったりの大学だったかも。あの中では私もなんか頭おかしかったんだと思うけど卒業して時間経過したらなんかさっぱりしちゃった。縁が切れたのは安井金比羅宮のおかげかも、いつかお礼参りに行きます。また呼んでください。一体何をあんなに悩んでいたのか。

でも渦中は勉強の方はこんなだから全然身が入らなくて単位危険水位まできちゃって危なかったし、卒業を断念しようとも思った。綱渡り状態な日々をなんだかんだ過ごしてでもこうしてゴールできたというの、やっぱりすごいと思う。ブログに綴ったおかげで客観視出来て様々な問題も解決したし、しかも同じように弱っていた学友達も私見て立ち直ったみたいだし良かった。でも先生たちにちょっとdisられたくらいでペチャンコになっちゃう学友達、私含めて人がいいにも程があるわよ。大人なんだからなんかあったらその場で言えばいい。なかなか判断は難しいし、先生には意見言いにくいですけどね。頑張りましょう。

そして色々赤裸々に綴ってパクられて一番人がいいバカは私。自分は何も得していない損ばかりで恥もかいて色々色々懲り懲りゴリラよ。

そういう訳で長きに渡りご愛顧頂きました「キャナリーゼゆり子の豊洲日記」シリーズ、この記事を最後に終了とさせて頂きます。

時もタイミングよく年度末、以前も卒業したらやめると告知していたし、でもやはり続けようとも考えたりしたけど、「大学を卒業」という切りのいいところで終了する。このまま続けるにしても芸大も卒業した訳でタイトル的にもおかしいし、でも「芸大を卒業したママのblog」では、「アァン?」という感じになりそう。それにもうママ友の話も書くことがなくなり、今回のブログも途中で大学の話しばかりになって卒業もしてしまった。違うシリーズをとも思ったけれど、ブログって別で書き出すとリンク貼ってもなかなか気づいてもらえないし、「ブログ読んでます」という方たちと色々お話したけれど、今書いているのじゃなくて古いものだったり、芸大シリーズを教えると驚かれたり、他にもありますよとかそいういう色々があったので新シリーズはしない。

それならイケダハヤト師みたいにブログタイトルを変えてこのまま続けたらいいとも思うけれど、このタイトルにはとても愛着があり「芸大に通うママ」という現在形のままにしておきたい。私は自分の書くものや作品が大好きで、ブログもそうだし過去に書いた小説も、時間が出来ると何度も何度も読みかえしたりしている。こんな事書いてるとか、えっ、何書いてるの私!恥ずかし過ぎるでしょとか自分で書いたものなのに新しい発見があったり。あの人が自分の書いたもの全削除しちゃって驚いたのは、彼は自己愛が足りないからみんなにイケズしたのかなとも思った。

だいたい私誰かを羨ましいと思ったことない。確かに聖子ちゃんくらいはじけてる女性をみると羨ましいし、マナラは稼いでいていいなちょっと頂戴と思うし、美人従妹のあゆちゃんくらい成功しているのをみると、一体彼女らと私の何が違うのなんて思ったりはする。でも妬んだり僻んだりはしない、だってそんな事しても仕方なくない?私は私で十分だわと思う。 
   
あゆちゃんは綺麗なだけじゃなく心根も優しく老若男女ファンが多い。彼女は人に好かれるのが上手、私は苦手でむしろ好かれたら損と思っていたところもあり、何故なら大学だって先生に好かれたばかりにこういう事態になり、一体私が何したのって感じ。でも彼女なら上手く対応しただろうな、そのあたりが私と彼女の違いなのかなとも思う。でも今後いい作品を書いていきたいと思ったらタイマンばかり張っている訳にもいかないし、ファンはひとり残らず大切にする。それがきっといい運を運んでくれるのだと思う。「私を嫌いな人は私も嫌い」から「私を好きな人は私も大好き」って。       

それからブログにこれから何か書き続けるとしたらこども食堂の今後やイベントの話になると思うけれど、そちらは専用ブログもあるし新しい食堂の方はそれぞれの方に全面的にお任せすることになりそうなので私が色々書くのは憚られる。 今年「一年の計は元旦にあり」で、豊洲にあとふたつこども食堂をと書いたけれど、今私の考えていることが実現すれば、三店舗どころかもっとたくさん豊洲に誕生することになる。それどころか他の街でもそうなる可能性もある筈で、でも私ひとりがあくせくという事もない。これも新年度になり行政や企業が落ち着いたら声かけしてみたい。

香山リカさんの講演会の告知もこちらでしたいとも思ったけれど、こども食堂のブログ周知だけで十分だと思う。小さな子どもを抱えたお母さんの多い豊洲、逆に人が集まり過ぎて困りはしないかと心配しているくらい。タイトルは「なぜ今こども食堂なのか」だけど、ママ友ハラスメントやイジメの構造についてもお話してもらうつもりでいる。興味あるしみんな聞きたいでしょう。

それにきちんとした媒体で宣伝広告打つ段取りもあり、ここに書かなくても集客は多分困らない。今は人が「集まるか」より「集まりすぎたらどうするか」という懸念があり、予約制にした方がいいのか先着順でカウントするか悩み中。それに香山リカ先生講演の舞台裏なんて書く訳にはいかないし、終わるのにいタイミングだとここでも思う。

ブログってすごいなと改めて思う。書いておけばその通りになるし、不明瞭なこともクリアになる。色々わかって良かった。

そもそもブログ書き出した理由は小説のための下準備だった。 少子化の時代に子どもやその親でひしめく豊洲という街、キャナリーゼという人種や私が小説を書こうと思った理由などをまずは説明し、その上で小説を読んでもらえばより理解してもらえるだろうと目論んだのが発端だった。でも卒業制作終わって思うのは、これらも小説の中で完結させるべきだったということ。読んで説明的なものが多いとしらけるけれど、わかるようにさり気なく物語を組み立てるべきで、それら大学で学んだ今の私なら出来ると思う。著名で読み継がれるような作品などは評論家が解説するし、作家自身はインタビューがあればそれに答えている、そんな感じで最初から小説だけ書けばよかったとも途中何度かは思った。 それが何故このようなものになったのか。なんでもまずやってみることって大切ということなのかもしれない。

版画は逆で、エッチングを手彩色という技法、どうやったら上手くいくのかずっと頭の中だけで悩んで武蔵美にいったけれど、誰も教えてくれなかった。でも「先生教えて」じゃなく自分で色々やってみれば良かったのだ。これは千住博先生の講演で強く思った。千住先生だって様々に悩み試行錯誤しあの名画が生まれたそうで、そんな風にまずやってみれば良かったのだ。その上でトライアンドエラーを繰り返す、そんなものが大切なんだろう。作家のべルゴットは気付いたところでこと切れたけれど、生きていればなんでも出来る。でもこの版画にまつわる小さな疑問から武蔵美に入学し京都造形に繋がりそして、と思うと人生は様々なもので織り成されるドラマという意味で、なんとも感慨深い。
   
豊洲もそうで、約10年住んでママ達みんなすっかりおばさんになった。若作りして遠目だとなんだけど、近寄って話すとそんなあって感じ。新しいマンションに遊びに行くと若くて綺麗な赤ちゃん連れのお母さんたちばかりで、私たちの時代は終わったなんて感じる。でも新世代キャナリーゼたちもかつての私たちと同じようにママ友やそれらの人間関係で疲弊するはず、だったら教えてあげないと。大切なのはアンパンマンの言う通り愛と勇気よ!ママ友なんて幻を追い求めても後に何も残らない、確かなものは目の前にいる子ども家族ですからね!奥さん、お気を確かに。しっかり目を見開いてこのシリーズを隅から隅まで読んでちょうだい。

そのうち小説が紙の本になり、私はママ友研究家とか、ママハラスメント第一人者とか言われて講演したり桐野夏生さんや林真理子さんと対談したり。 なんて日が早く来るといいなと思うんですけれども。 ノリノリで書いていますけど、予定や何かいい知らせがあったとか全然ないですから。ただの暇な専業主婦の妄想です、よろしくお願いします。 

それでもこれが終わりではなく始まりだと思っている。でもともかくSNSはお休みすることにした。

桐野夏生さんはそもそも何もされていないし、林真理子さんは最近やめられてしまった。SNSはやっぱり余計なエネルギーを消費するし、その分は小説を書く方に注力するべきというのは散々言われていたし自分でももうわかっている、そろそろ本当に移行しないと。私はちょっとだけとか、ほどほどにというのが出来ない。やる時は倒れるまで全力を尽くしてしまう、そちらに注力しないと決めるなら一切ノータッチにするしかない。昨日今日とブログ書いてるけど、なんか取り憑かれたように書いてて我ながらクレイジー、私は何もかもが病的なのだと思う、そう、芸大卒だから。こういのって多分治らない、中毒になりやすい気質なんだろう。なので今度はSNSじゃなく小説書く中毒になればいいのではないだろうか。小説というのは何を書いても許される、あんなことやこんな事、何もかも「フィクション」に変容させれば新しい世界が出来る。

それについてこんな文章を書いた。提出はしたけれど採点も評ももらえないそうでつまらない。書いて出して評価もらえたのは大学だからね、でももう終わってしまった。寂しいのでここに公開してみたい。

講座名:文章講座、物語の始め方・育て方
課題(テーマ):講座の受講を通じて学んだこと、得られたことについて800字程度でまとめる
提出締切日:2017年3月22日水曜日必着

本文:この講座を受講して不思議に思い、そして後に納得したのは、「(小説の)主人公は作者に嘘をつく」ということ。以前とある演劇を鑑賞し、その中でも登場人物が「役者は上手に嘘を演じる、作者は上手く嘘を描く」(この場合の作者が漫画家だったので「書く」ではなく「描く」だったと推測する)というセリフがあり、それならば小説家は「上手く嘘を書く」ことになるだろうと思った。ところが今度はその中の主人公までもが「嘘を言う」という。小説の書き手である作者とは、物語の中でもしそれが三人称なら「神の視線」を持つと大学で学んだ。その神をも欺くともいえる言葉に愕然とした。

だいたい人という生き物は嘘をつく動物である。人間以外の言葉を持たない生物たちは、嘘をつかないしそもそもそういう概念がないと思い当たる。と、いうことは、言葉を持ったばかりにおこる人同士のしがらみ。良くも悪くもと言っていいのかどうか、人と生まれたからには誰しも嘘をついた事があるだろう。言いたくない事があれば黙っていればいいのに、わざわざ嘘をついてまで何かを主張する。これはもう人間の「サガ」なのだと感じる。小説を書く、それだけでもう「嘘をつく」という前提だ。

改めて考えると、優れた小説家は皆上手に嘘をつく。ありもしない世界に架空の人物を置いて、そしてさもたった今みてきたばかりという風に作品の中で嘘を語らせる。最近読んだ『マチネの終わりに』などはプロローグに「それぞれの人物を知っている」などと尤もらしい事まで書いてあり、「ここまで嘘をついていいものかどうか」とすら思った。

答えはイエスだろう。なぜならそれが「小説」だからだ。何もかも「小説」に変貌させた途端、嘘はまことになる。『マチネの終わりに』の序章は、作家が生み出したリアル。事実ではないが嘘でもない。なんという素敵で野蛮なシステムだろう、人間の発明したものの中で、もっとも有意義で気高い赦しなのではないだろうか。

それなら私も大嘘つきになってやろう。いくら嘘をついても書いても咎められない、それが上手くいけばいくほど賞賛されるとは、小説家とは不思議な職業だ。向いているのかそうでないのかわからないが、ともかく当代きっての嘘つきになりたい。

私の書く小説の登場人物たちは嘘が上手だろうか、下手だろうか。彼らが嘘をつくのは仕方ない、でも私は騙されない。いずれにせよそこに出てくる者者たちは、魅力的な人物ばかりだと信じたい。
(完) ※一部加筆修正

というか、なんでも発表したい人なんだと自分で感心する。ねえ、恥ずかしくないの?なんて。同じく2,000文字の短編小説も書いたけど、これはここには載せない。歌人笹先生が、「作品はプールしておいて。急に注目されて「何か作品を」と言われても困らないように」って。なので色々書いたものはもうアップしないことにした。ごめんなさいネ。(ここに載せなかったおかげで雑誌に載せてもらえました)

さてまた話を戻す。SNSをお休みする、それは時代に逆行しているようにも思うかもしれないけれど新しい試みともいえる。上手くいかないかもしれないし、情報が得られなくて損した気持になるかもしれないけれど。

今度そういうのをするとしたらどこかの編集者とかそういう人がついてくれて、仕事としてやりたい。門崎先生が「いい編集者に巡り会って」と言ってくれたやつ、これは本当に実現して欲しい夢。出来ればずっと寒竹先生と門崎先生に面倒みてもらいたい、そうしたらいい作品がいくつもいくつも書けるのに。先生達がそういうのを請け負うサービスやってくれないかなあとすら思う。「もう大丈夫、書けますから」なんて言われたけれど、やっぱりひとりでというのは心もとない。でも自分で考えて様々にチャレンジしてみたい。

作家になりたい、強靭にも、健康で美しく、それからやっぱりお金持ちになりたいし、そこから孫正義さんのように基金を作ってみたい。未来を生きる子ども達が安心して暮らし勉強が出来るように、イジメを撲滅するためとかそういうの。本当に豊洲でも大学でも大変だった。子育てどころじゃなくなるし、勉強だってできなくなった。大人の私がそうだから、多感な子ども達はもっとそうだろう。守ってあげたいと思う。

いじめをしている人が自覚ないなんて大嘘、全部全部わかってやっている。これを読んで身に覚えのある人は今日からやめましょう。自分の子どもがやってると気付いてスルーの人もやめさせましょう。その決心はまわりまわって幸せを運んでくれるし逆もまた然りのはずだから。といってもあの人達こそもう病気だから治らないわ笑、期待していません。

さあ今日は3月31日、大学の学生証も今日までだし大学サイトのアカウントも使えなくなる。大学でかかった費用引き落とし一覧をダウンロードしないといけないのに、パソコンを「リフレッシュ」したらブックマークもcookeyも消えてしまった。この山盛りの書類の中からアカウント情報探さないといけないのか、でも今日しか出来ないのでやっておこう。と、思ったら既に私の情報消えていた、二年度めは一体学費いくらかかったのだろう。単位は全部で65 取れていた、よく頑張りました。

そして今日は終わりの日、でも明日からは始まりの日でもある。恩讐の彼方に見えたのは、やっぱり愛だった。私を愛してくれてありがとう、私も世界に愛をばら撒くわ。でも一番は子ども達に、私が卒業したらホッとしたのか素直に甘えてくるようになった。もっと愛情そそいであげなくては、「愛情足りない!」と言っていたし。でもそうやって素直に言えるなんて偉いなあ、お母さんの育て方が素晴らしいのだわと思った。 
   
という事で、それでは皆さま 永らくのご愛顧ありがとうございました。次は芥川賞授賞式の中継でお目にかかりましょう。

キャナリーゼの森生ゆり子は永遠に不滅でーす\(^o^)/



豊洲は今日もいいお天気。

(完)

追記: N先生、おめでとうございます。私も負けませんよ。


いつもは同じところに全部詰め込むように書いてしまうが、大切な事はちゃんとひとつの記事にして書かなくては人に読んで貰えない。いつも書くものは読んでくれても読まれなくても書いてしまったので勿体ないからアップするけれど出来れば読んで欲しくないというものもある。そうして読んで欲しくないものばかりランキングにあがってきて本当にこのブログを読んでくれている人達は一体全体私を晒し上げるのが本当に好きな人達ばかりだと感じる。このブログは誰かを吊し上げているのではない自分が晒されてめちゃめちゃになるものだろう。

私は一昨日2日の夜に急に風邪をひいて寝込んだが、悪いことではなかった。とてもいい初夢を見たし、すごくいい事を思いついた。そのいい事を思いつく前に具合が悪いのもあったし、このまま自分は死ぬんじゃないかという想いもあり、そして「N先生は私たち特に私が色々いじるから嫌になり、もうフランスに帰っちゃうのでは」という妄想にとりつかれていた。先生に会わない宣言をしたのは自分の意志だからいい、でも物理的に遠くにいってしまい二度と会えなくなるというのとは意味が違うと思う。私は例のパニック障害からどうも閉所が苦手になり、具合の悪い時は地下鉄とかバスも怖く感じる時がある。空に浮かぶ鉄の塊が空を飛び、その中に長時間幽閉されるというのは拷問に等しいとも感じる。うーん、どうだろう、もうほとんど治ったのでいいと思うがやっぱりちょっとヤダ。じゃあ船は?船なんてもっと怖いわ!『タイタニック』観たやろ。 なので私は海外には多分行けない。

ということで、N先生はフランスに帰りたいと思っているのではないか。日本に帰ってきたとみんなは思っているかもしれないけれど、先生からしてみたら日本に「来た」という感情なのではないかと思い当たった。前の記事で「先生は青春時代から壮年期までをフランスで過ごし」と書いたけれど、生まれは日本でも生きたのはフランスだ。先生の授業を様々に受けた記憶を呼び起こしてみて、それはより一層確信になった。

「先生はフランスに帰りたいと思っている」

というのは多分私が先生の何かをキャッチしたのだと思う。私も先生を好きだとわかったのはつい先日の懇親会の惨事からだけれど、フランスの諺というか例えで、恋に落ちる瞬間というか一目惚れというのは「雷に撃たれる」という通り、なんか落ちてしまったとか、実はそれまでもずっと私と先生は繋がっていたのだと思う。ただ通信生とその教師というだけでない、何か目に見えない運命のようなものがあったのではないかしらん。先生と私は授業以外で親しくしたこともないし授業以外で話したのは一年目で卒業制作のテーマを変えたいと相談した時、それから地獄変で叱られた時、廊下でちらっと話した時この時はニコニコだったけれど1分くらいかなあ、それから今年の懇親会、たったこれだけ。でもなんだろう、だからこそ色々見えるものがあり、これは多分シックスセンスだと思う。五感はひとつが欠損すると他の機能が驚異的に向上することがあるそうで、一切の接触がなくなりそれでも私を慮って様々に考えてくれている先生の想いは五感を超えて私に届いたのだと思う。でもこんな事書いて本当はフランスから恋人を連れて来て毎日ラブラブで東京観光なんてしたりしていたり、フランスに行く時につれていった日本人の恋人と現地で結婚していて子どももいてもう孫までいるとかそいうのだったら全然お門違いだと思うけれど、学友達の噂が本当だとしたら先生はもう日本が嫌だと思っているはずだ。

先生は人望がありそれは先生を傷つけようとか利用しようとかいう人はおおえかくらいで多くの人々は先生の暖かい眼差しや人柄に吸い寄せられる友愛ばかりだと思う。でも当の先生はどうだろう。長年暮らしたフランスを離れ、いきなり日本なんかに来て心許せる本当の友達が出来ただろうか、先生の慰めになるような素敵なものに出会えただろうか。[N先生」と呼ばれて「はい」とか「何でしょう」と答えるより、「RYOJI」と呼ばれたら「oui(ウィ)」と返事をする世界の方がしっくりくるのにと感じてはいないだろうか。だいたい日本社会の懐の狭さに辟易して外に出る人が多いのが現実で、サンタバーバラ校のノーベル賞の方とかすごくいい例だと思う。先生はスクエアでシステマチックにみえるけれど、本当は誰よりも自由を愛し大空に飛ぶ鳥のように生きたい人なのだと思う。でなければ若くしてフランスにいったりしないと思う。あの『 フィガロ発パリ毎日便: ——ちょっとセレブなパリ暮らし 』の一ページを読むとそれがよくわかる。N先生はパリでもやっぱりN先生らしかったんだとか、あのまんまの先生だから日本でも同じで私に怒って突撃してきたのだとか思う。

そういう考えに行きついて、先生はフランスにもうすぐ帰ってしまう。そうしたら今度こそ先生には会えなくなってしまうけれど先生の幸せのためなら喜ばないといけないとか色々考えていたら悲しくなってしまいワーワー声をあげて泣いてしまった。でも泣き疲れてうつらうつらしながら考えたらいい事を思いついた。これで「先生がフランスに帰っちゃったのはあなたのせい」と諸先輩方に叱られることもない、先生もハッピー大学もハッピー先輩方、、、はどうだろう、私も微妙だがまあ致し方ない幸せの着地点だと思う。

それは何かというと、京都造形芸術大学はフランスのパリ大学と提携すればいいのではないか。そうしたら今青山に外苑キャンパスがあるように、フランスにも「ソルボンヌキャンパス」を作ればいいと思う。現に今でも京都造形芸術大学は東北工科大学と提携してイベントをしたり一部の授業は同じだったり藝術学舎の授業をコラボしたりしている。そういうのをフランスのパリ大学ともやればいいと思う。フランスのパリ大学は芸術学もかなりの比率で扱っており、これが医科大学とか理科系だったら無理だけれど、大学の中身としても絡みやすい。

そしてその「ソルボンヌキャンパス」の長にN先生がなってくれたらいいと思う。そもそもノーベル文学賞作品の訳者という栄誉を持つN先生を文芸コースの主任だけにしておくのは勿体ないのではないだろうか。せっかくフィガロの編集長(なのかな)が「フランスで随一」と褒めた先生のフランス語の能力をもっと評価するべきだと思う。そうすれば京都造形芸術大学のカラーもまた新しいものに彩られ、新しい風が学内に吹くのではないか。そもそもN先生は日本語よりフランス語の方が最早母国語なのだと思う。生まれは鎌倉でも中身はフランス人、そんな先生だからこそ私もすごく色々学べたし色々事件があり大学の懇親会ではフィガロ仮面も誕生した。 
 

幸い京都造形芸術大学はお金持ちが集まる大学だけありお金はいっぱいある訳で、なので学長が。。。えーとなんでもないです。通信教育学部の生徒もお金がもったいないから卒業式に行けないでもそれは単位認定が4月にずれ込むせいという私みたいな人もいるが、ともかくほとんどの生徒は京都の旅費くらい朝飯前な富裕層が多いわけで、フランスパリにもうひとつ校舎作るくらいの財力はあり、しかもフランスが故郷で知り合いもコネもたくさんあるしかもしかも日本語も出来る逸材がいれば全然夢ではないと思う。多分N先生が学長をする学び舎を作るといえばフランスパリでは、「BRAVO!RYOJI」と言ってくれる人ばかりだろう。そういう人達に囲まれそこで先生の好みの建物をつくり、人を集め、存分にフランス語で授業をすればいいし、そこで日本文学を学んだ生徒から日本大好きというムーブメントが起こるだろう。京都造形芸術大学の生徒、特に通学生はお金持ちが多分多いからフランス留学をしたいという生徒が絶対に現れ、それで大学はまたひと稼ぎしてそれを資本にまた何かやればいいし、そのうちN先生のラボなんてのを日本の外苑キャンパスとかでやればいいし、講演会なんかもいいじゃなーい千住博先生の時みたいに聴衆がつめかけるという事態になると思う。
もう日本の狭苦しい陰湿な風土の世界から先生を解放してあげなくては。

大学はもっとちゃんと人をみて色々コマを進めるようにやらないと今までのままなんて絶対大学の未来はないしそのうち潰れるかもよ。だいたい大学全入学時代になり生徒が集まらなくて消えてしまう大学だってあるくらいなのに、漫画コースもこども大学コースも結構だれけれどもう手づまりもいいとこじゃないでしょうか。そこに「ソルボンヌキャンパス」学長は日本人N先生、絶対日仏の懸け橋になるし大学にすごくいい色がつく。

これ多分佐々木俊尚さんと景山知明さんのトークイベントが汐留の「日仏文化会館」で開催されたのでなんとなく頭に「日仏」という文字があり、この時は「先生まだ怒っているかなあ」と心配しただけだったのだが見よこの展開。私の頭の中は無駄なものと妄想で溢れかえっていると思われがちだがそうではない事もある。天才となんとかは紙一重というが、多分見る人がみれば天才、そうじゃない愚鈍な凡人がみれば馬鹿ということになるのだと思う。うーん、最近ちょっと飛ばしすぎやろと思うがまあ後で読んで自分が恥をかけばいいと思うし何か思うところあれば路線変更はちゃんとするだろうと思うので今はこのまま飛ばせる時は飛ばす。

そいういう訳で京都造形芸術大学はフランスに分校を作るべき。そうすればN先生は日本の大学の在籍しながらフランスで生活できることになるし、時々は京都や外苑キャンパスでフランス文学の授業をしたりイベントに参加したりすればいい。多分N先生は日本の様々なしがらみで戻って来られたように思う。でもフランスと日本をいったりきたりする理由がちゃんと出来れば、日本でもフランスでも双方でそれぞれの手当てもできるようになる。それに外苑キャンパスで通信生として学ぶ人達のうち何人かはソルボンヌキャンパスの授業を受けたがるだろう。スクーリングのついでにパリ観光も出来て、「絶対行きたい」といってそれを目当てに入学する人も増えるのではないか。

こうやって書いておくと新N先生が誕生したように実現するのではと期待したい。科学の進歩は妄想家の戯言が発端ということがよくある。新N先生だって文芸フリマの打ち上げに私が誘い本当に来てくれたので学友達がびっくりしていたのだが、その時に私が「先生になってください」と言ったら周りも本人もビックリでも周りもそうだそうだとか言い出し、あのナースコスiさんが「そういう話は大学からないの?」なんて聞いたりして新N先生は「ないですね」なんて即答していたのでその頃はまだ何もなかったのだと思う。でも私たちの想いやあの時の言霊が大学の心を動かし、新N先生が誕生したのではないか本当はどうだろう。通信ではなく通学生の先生というのが少々残念だけれど、きっと大学は新N先生を大切に思っているのだと思う。だったらもっと現N先生も大切にして下さい。

その以前に何故この大学には授業に「フランス語」がないの?英語と外国語1、2だけじゃなくN先生が担当する「フランス語」の授業もあっていいんじゃない?先生がフランス語を話すのを聞いてみたいしみんなも嬉しいに決まってる。もしN先生がフランス語を教えてくれるなんてことになったら私は『のだめカンタービレ』の「のだめ」以上にフランス語を早く取得する自信がある。のだめは確か大好きなアニメ『プリごろ太』のフランス語訳で修得した。私もN先生のフランス語の授業であっという間に周りがびっくりするくらいフランス語が上手くなるだろう。そういえば独身の時に同じマンションで仲良くなった人もフランス人の恋人がいてフランス語を習っていたと言っていた。よく一緒に合コンにいったりして男性陣から絶大な人気だったけれど、多分今も誰とも結婚せずフランス人の彼と超遠距離恋愛をしているのではないだろうか。人は自分は絶対に変えられない、多分彼女もそうなのだろう。そして私も、先生も。

今後ともよろしくお願いいたします。

800px-Chapelle_Sainte-Ursule_de_la_Sorbonne,_Paris_5th_003

これはネットでぐぐった「非営利目的で使用が許可されている画像」でもこれパリなのだろうか。多分そう。それからN先生のフランス語の授業は私もう卒業するから受けれられないので あそこで是非またやって欲しいです。

最近この「ヨカタ」という表記を文章の後ろにつけるのが好きだ。SNSではどこでも大概こういう表記をする。「よかった」というのとか「良かった」というのとも違う「ヨカッタ」じゃなんだか間抜けではないでしょうか。それを短くきゅっとコンパクトに「ヨカタ」と書くと、ああ、ちらっと良かったんだな、でもいいことだけじゃなく何かいろいろあったけれど、イイことにだけ目を向けている健気なキャナリーゼという雰囲気が出ると思う。 私は最近こういう風に、日本語の風紀や風俗についての説明を細々と書いている。それはひとえにあの先生のため、「プルースト厨」という比喩を「あの人は先生を馬鹿にしているんですよ」と告げ口したおおえかの言葉に私の先生愛を疑ったN先生。でも違うんです「厨」というのはネットスラングですが、「こんなに夢中になって可愛い人」という愛撫の意味もあるんです、胸にぎゅっと頭を抱いていいこいいこみたいな。N先生は青春時代から壮年期をフランスで過ごされ、日本語の風紀にまるでうとい。ネガティヴ2chネラーのおおえかにかかればまるっきり違う日本語をレクチャーされてしまう訳で、だから二人を離せと大学に忠告していたのに事務局が無視するのでこのような大惨事になった。

そういう訳で今日は娘ちゃんは悪名高きSAPIXの冬期講習、息子は何も用事がないので朝からDSをやっている。怒って取り上げて色々手伝わせようと思ったら児童館へ逃げて行ってしまった。まあいいかあ、あの人は猿だものね、織田信長が子どもの頃「うつけ」と呼ばれていたらしいけれど、あの人将来織田信長になるのではないかしらん。なぜなら私、息子がお腹にいるときに織田信長の夢をみたんですよ。お殿様の寝室で私が寝ていて、その横に織田信長、そして私の横に添い寝して「良き子を産んでくれ」と言ったんです。私は「ああ、私は織田信長の子どもを産むんだわ」と思った夢。本当なんですって、妄想じゃないんですって。なので私は息子に常々言い聞かせている。部下を持ったら絶対にいじめたりしちゃダメ、威張ってもだめ。でも同等に扱うのではない御屋形様として家臣を慈しみ育てみんなが幸せになるような世界を目指さないと。でないと あの禿に責められて殺されちゃうわよと。いじめられた人っていうのは虐めた人を殺したくなるほど恨んで恨んで恨みぬくわけよ。そう、ママのようにねえ~~~きゃーっ怖い!というのはまあ置いておいて、そういう訳で「豊洲をいじめゼロの街に」というスローガンを掲げて始めた豊洲こども食堂。次なるリーダーの育成が私の仕事だと気づき、豊洲こども食堂のブログに色々書いた。「あのう書類はどうなりましたか?」とずっと言われていて書いてないけれど「もう出来上がっていて届けるだけ!」と言っていたけれど結局社協にお邪魔してカウンターで書類を書いてちょっと恥ずかしかったけれど、「 ブログみましたよ」と感心していただけて良かった。書類ができていないのなんてどうでもいい頑張ってという空気が生まれていたヨカタ。お土産に玄米30キロもいただいてしまって、「豊洲こども食堂」の宣伝広報活動に使うことで了承をいただく。さっそくBUDDYスポーツ幼児園に行き、「食品ロスリボーンセンター」でいただいた五目御飯50人分ひとパックというのと一緒に20キロほどおいてきた。それがね、都合のいいことに園長先生はスキーキャンプで不在だったのですよ。くくく。なので勝手に置いてきた。バディの先生たちというのは、安い給料で激務、いつもお腹がペコペコで娘に言わせると、「いつもお昼はコンビニのおにぎりとか食べてた」と言う。じゃあもう消費に困ったときはバディに寄付したら喜ばれるじゃないのと思った。現に前に豊洲バディに大きな缶入りクッキーを差し入れした時も、先生たちは喜んで早速あけて食べて下さった。この時も丁度園長が不在の時でね。くくく。あー私って本当に運がいい。いたらなんだかんだ本部に確認をとってからとかいろいろ言われて受け取ってもらえなかったかもしれない。また更に運のいいことに、事務の人が辞めて新しい人に代わっていて、一緒に受け取ってくれた先生までもが新しい人で私の顔も名前も知らないという。くくく、もう食べちゃったでしょう。おいしかったでしょう。さあこれでバディは私の思うがまま。そのうち「豊洲、豊洲北、豊洲西こども食堂三か所オープン記念イベント香山リカさん講演会「今なぜこども食堂なのか」という催し物を豊洲シビックセンターで開催するときはもぎりやお土産係でお手伝いをお願いしたいのでよろしくお願いします。 

※ちょっと用事が出来たので続きはまた。

2016.12.28続き


夕べ色々書いていると窓から何やら声が聞こえた。カンカンという音も。私は子ども達を呼びつけダッシュで外に出た。子ども達に「火の用心」を見せたかったのだ。拍子木を打って「火のー用ー心」と声をあげて周って下さるのは豊洲町内会のみなさん。小雨の中を傘なしで突撃してきた私たちに驚かれながらも子ども達に拍子木を打たせてくれる。お邪魔してはとワンクールずつやらせて頂いて自分は我慢して礼を述べて帰ってきた。風呂に入っていた夫はまた「せっかく勉強していたのにまた邪魔をして」とガミガミ言い出すあーうるさ。風呂に入ってなければ行かせてもらえなかったかもしれない。くくく。

そう言う訳で中断したが、この日は娘ちゃんとららぽーと豊洲に行きぜビオで娘ちゃんのスノボウェアやら帽子やらスパッツなどの小物を買った。前のブログで書いた通り私の京都行きの費用でいいやつを買えた。いつもならヨーカドーの吊るしてある安いセットなど買うのだが、ちゃんとした大人用のSサイズで揃えたものだからドキドキして具合が悪くなった。私は貧乏性なのか高いものを買うのが苦手。なのに独身時代は歴代の彼にブルガリやロレックスなどプレゼントされて喜んでいたので人は変われば変わるものだと思う。今は夫が私に高いものを買おうとすると激怒するMOTTAINAIじゃないって。ワインだって誕生日だからとちょっといいのを買ってきたのまで怒っただってMOTTAINAIじゃない。そういうのは大勢での集まりとか栄子先生のオープニングパーティとかに持って行きたい。幸せはみんなでシェアしたいじゃないの私って本当にいい人で性格だけじゃない運も頭も顔もいいのだが、世間がなかなかわかってくれない。まあ自分がわかっていればいいのだとってこれもだんだん定型文化してきたのでそろそろやめよう。

そういえば先日近所の方と話していて「ブログ?へえそうなんですか」なんて言ってたのに会話が盛り上がってきて最後の方に「本当はずっと読んでいて更新が滞っているとすごくがっかりで何度もチェックしにいっちゃう」というまさかのカミングアウト。ギャーうれしいこんな近くに私のファンが!と勝手に喜んだ。なので書いた分はもう途中でもバンバンアップしようと思った。途中で中断というのは本当に様々な理由があり、火の用心見学ツアーから書いている途中で他のSNSが気になるとかメッセージが飛んできて色々話し足り相談しているうちにブログを忘れて寝てしまうとかで、そういえば家族のことで中断って息子がお腹痛いって言い出した一回だけかもしれない。これも「なにもしない愛」のおかげだと思う。

娘は本当に大きくなり、そしてママが大好きなんだと二人で出かけるといつも思う。家族の中にいるとそれぞれの愛情を推しはかり自分の立場を想いママの愛情が分散されていることに憤る。そして私に構って欲しいものだから信じられないような悪戯をしたり弟をイジメたりする。でも外でふたりきりだとそういう異分子がないせいか、素直に甘え学校のあれこれを話してくれたりする。なんと学校が楽しくて休みが嫌だと言っていた。本当!?ママの前だからって虚勢はってない?だってあなた私のせいでぼっちなのではというと違うという。それが誰なのか聞いても全然名前が覚えられないし最近は弟の友達とかとごっちゃになり話しかけられてもモジモジしているので「弟君の方の」とかちゃんと言ってくれる人が多くなり助かっている。こういうの病気だと思うが今の時代は個性だと考える風潮もあり、本当にいい世の中になったと思う。

で、ユニクロに行って自分の夏用のブラウスが超スペシャル価格になっているのを買い、「いいものをたくさんみたからこんな雑多なザ庶民をだまくらかしてお金を巻き上げるブラックユニクロでもいい買い物がママは出来るわけ。ほらこれは綿100%でしょうそれに白だしシンプルだからなんにでも合うし大切にお洗濯すれば永久に着られるのよ」などと娘に偉そうに言いながら他に夫にもちょっといいスキーのアンダーを買う。行と帰りの車の中ではクルミドコーヒーの影山さんの話をする。お金のためじゃない人のための経済学という概念を知り、学歴史上主義の夫へどう対抗したらいいのかわからなかったのだが、この「人間のための経済学」という新自由主義や市場原理主義と対極の考え方、これ私本当にびっくりしてまるで自分がヘレンケラーのようだと感じた。サリバン先生が根気強く野生の猿のようなヘレンを躾け、ノーベル賞までとってしまう貴婦人に仕立て上げた功績は本当にすばらしい。映画でみたヘレンがぐちゃぐちゃの格好で水を手にすくって「うぉーーたあああー」と叫ぶシーン、あれですよ、あのシーンのヘレンのようだと私は思った。サリバン先生はもちろん景山さん。サリバンと言うより現代の坂本龍馬ではないだろうか。新選組に切られないようにちゃんと用心してくださいね!そうなると私の夫は西郷隆盛、うちの娘は乙女ねえちゃんそして私は寺田屋の女将かなあってなんでうちの家族が影山さんのフィクサーになるの。それにあなたはお龍さんじゃないのって?いやいやいやいや私そこまで図々しくありませんから。でもあのお龍さんて人調べれば調べる程私にそっくりで、アル中気味なところとか素っ頓狂な感じとかヤクザとタイマン張るところとかなんかちょっと痛い感じも、そうそう結婚した時に家はいらない船が欲しいというところも同じで、私が夫と結婚したのは転勤が多いだろうあちらこちら行けるだろうもしかして海外にも住めるかもしれないという見込みもあった。なのにずーっと東京でしかも豊洲みたいなピカピカ軽薄な情緒もなにもない街に子どもという重しでくくりつけられてしまい、本当に死にそうになったりした。もう嫌だ本当に死にたいと何度も思ったし、死ぬもんか生き延びてやる豊洲が死ねばいいなんて思った。でも豊洲のミュージカルや英語クラスや豊洲商友会の方々と繋がりが出来て、豊洲にもこんな世界があったんだと驚いた。そこからだんだん立ち直って大学で先生達との出会いから色々考えるようになり豊洲こども食堂を実現することが出来て今ここみたいな。まだまだこれからぶっちぎりの変貌があります!なんてどうなるかなんて私もまだわかりませんけれども。

そして今日書きたいのはこれだけではない。実はこの日、私は息子を連れて全マンションのポストにチラシを入れた。こども食堂関係じゃない、こども食堂にはもうあまり人来なくていいくらいに思っていて、ポスティングするなら豊洲四丁目都営住宅だと思っているけれどこれ年内に出来なかったなあ。代わりに食品ロスリボーンセンターさまよりの物資で「豊洲こども食堂気前がいい」という認識のお蔭で良い方向に認知されたように感じるのでもうチラシは来年でいいだろう。そうだ今日は菅谷精米店さんにのしもちを受け取りにいかなくては。こうした地元で古くからやっているお店と言うのは本当に美味しいものがあると思う。のしもちが美味しいと教えてくれたのはこども食堂にボランティアに来て下さった方で、私もパルシステムの前はヨーカドーのネットスーパーか菅谷精米店でお米を買っていた。本当に美味しいし宅配もして下さる(かもしれない)ので是非どうぞ。また話が飛ぶが私はこういうお店に資本や物資の提供はお願いしないなぜなら(そんなの言うまでもないので割愛)

それでポスティングしたものはちょっと頼まれたというか「そんなの私がやるわ」と申し出たもの(ちょっとチラシ足りなかったよ)なのだが私は気が付いたことがあった。ポスティングしていると表からなので内容はわからないが、ポストに入っているものの量はわかる。ちょっと多めだとチラシが入りにくいし、すっからかんだとストンと入る。そこに一件ぎゅうぎゅうに郵便物が詰まってチラシ一枚の隙間もない家があった。私はそこに入れるは諦めてもう疲れたとゴネル息子を『最後までやるっていうのは意義があるんだよ、ホンクだって最後までやったからあの千秋楽があった」と諭すとそれもそうだと思ったのか最後まで手伝ってくれてああでもないこうでもないとここでも影山さんの話しなどし、

※疲れた、消えるといけないので一回「更新する」ボタンを押す

どんどんどんどんポスティングをしているが、どうもあのパンパンの郵便受けが気になった。そして終わった後に息子と防犯センターに行った。これこれこういう理由で今日は全マンションにポスティングをしたが、一件だけパンパンで入らない家があった、何か事故か事件かもしれないので様子をみて欲しいと。去年の夏ごろ自転車盗難事件でバトルった防犯センターの責任者の方ともすっかり仲良くなりこういうお願いもスムーズに出来るのは、やっぱり日和るだけじゃなく本音でぶつかり合うのって時には大切だと思った。年末の挨拶をして家に帰って娘にもこういう事があり、そう言う風にお互い干渉しないけれど気にし合うというのがご近所付き合いでは大切で、こういう時に直接ピンポンして聞きにいくのはダメだと教える。どうよこの教育、夫のいう事を子ども達は全然きかないが、私のいう事はよくきくようになった。夫が話し出すとみんな無視するけれど私が話すとじーっと聞いている。もうクルミドコーヒーの影山さんは道で会えばわかるし色々質問攻めにするだろう。その時はどうぞよろしくお願いします私はちゃんと遠慮しますので。ポスティングしていると色々な発見があるなあと感心してしまった。ああこの人この部屋なんだとか、ぐぬぬよくも娘ちゃんをいじめて仲間外れにしたなとか、この方には子どもをよく預かって頂いてお元気でいらっしゃるかしらとか思えば悟るのが上手い息子が「ねえ、Aさん最近会ってないね」などと言う!ビックリ!やっぱり私と息子ちゃんは一心同体運命共同体なのだわと嬉しくなった。ねえ、森茉莉、あんた幸せな人生だったわね、私も幸せよ!

追記: 

豊洲で「こども食堂」「ぼっちママ」と子どものセーフティネットに
2016年12月26日
http://koto.keizai.biz/phone/headline.php?id=513

江東経済新聞社に取材して頂きました。わかりやすくまとめて下さり、ありがとうございました。

とても励みになります!今度は是非食べにいらして下さい。

 

夕べはとても楽しいクリスマスを過ごした。夫の実家でパーティをした。おじいちゃんおばあちゃん叔父さんと私たち夫婦と子ども達ふたり。子ども達は夫の実家が大好きで、今度はいつ行けるだろうと虎視眈々と楽しみにしている。「虎視眈々と楽しみに」というのは日本語としておかしいが、意味合いとしてはこの場合正しい。正確には「(今度は何を買ってもらおうか)虎視眈々と(ママの目を盗まないと買うと怒られるので)楽しみにしている」と言うことになる。私はこういう時、いつも数時間遅れて行くようにしている。別に一緒に行ってもいいのだが、姑にしたら私は嫁でもあり、私不在で息子である夫や孫を誰にも遠慮なくべろんべろんと舐めるように可愛がる時間も欲しいのではないかと思うから。案の定子ども達はメロンだプリンだと我儘を言い、クリスマスプレゼントに電気のおもちゃを大量に買ってもらっていた。私は「電気のおもちゃ」も好きではなくて、子ども達に何かプレゼントする時は木とか紙のものをプレゼントする。カードだとか本だとか絵とかそういうもの。反して「電気のおもちゃ」というのは電気がないと遊べないもの。例えばDSとかなんとかマシンとかぎゃーすか五月蠅いスターウォーズのライトセーバーなどがこれにあたる。でも私がいないとジジババ叔父は子ども達のリクエスト通りそうかそうかと買い与えられる。「そんなに食べて太るわよ」と叱られずにあれもこれも夫に食べさせることができる。そういう訳もあり色々やることもあるしでいつも遅れていく。

 
他にスープやお寿司なぜかお赤飯ケーキにおつまみにワインなどなど。ふうーまた食べ過ぎたー
          
でも昨日はもっと早く行けば良かったと後悔した。おばあちゃんが具合が悪かったらしく、手伝ってあげれば良かったと思ったからだ。来年は私が色々食事を準備して持って行き、素敵な紙皿などでパーティーメニューをこしらえようと思う。以前は豊洲に呼んで泊まってもらってパーティをしていたが、もうしんどいからどこかに泊まるのは大変だという。日帰りだともっと大変だそうで、色々悩ましい。食器を出したり片付けたり洗いものや掃除なども負担になっていると感じた。高齢になるということはゆるやかに被災しているのと同じ事だと思う。緊急事態として紙皿紙ナプキンプラスチックのカトラリーを年に数回使うことは悪いことではないと思う。毎年お正月は姑がお節などこしらえ私たちはお邪魔することになっている。もう31日泊まり込みで私だけ手伝いに行こうかと思うが逆に負担になりはしないか悩む。それより「自分の家をちゃんとしなさい」と言われそう。おまけに私以外がスキー旅行に行き、私は妹と東京観光していることがバレたらそれはそれでまた舅姑の悩みの種になりそう。いつも心配させているのでもうさせない方がいいだろうと思う。夕べのパーティは楽しかった。ジジババが子ども達が考えたショーをすごく喜んでいて、いい子に育ったママのおかげよありがとうと涙ぐんでいた。おばあちゃんは本当に涙もろくなった。来年もまた一緒にパーティが出来ることを祈念したい。豊洲は死んでいいがおじいちゃんおばあちゃんには長生きして貰いたいと願う。

私はクリスマスパーティの時に今後のこども食堂について思うところがあり、とある人にmessengerを送った。何もクリスマスにと思われるかもしれないが、思い出したらやっておかないとすぐ忘れてしまう。それは何かというと、こども食堂をあと二か所でやりたいと考えていて、その協力を要請したいとメッセージを送った。今ある「豊洲こども食堂」はだいたい軌道に乗れたといえる。今は赤字だけれど、来月から江東区から助成金が出るのでお金の問題は解決するだろう。多分4月くらいからは65歳以上も100円に出来るのではないか。でもいくら黒字になっても無料にはしない。もしかしてイベントなどやって、それは無料ということにするかもしれないが。人口の多い豊洲という土地柄、無料にするとイナゴの大群のように人が押し寄せめちゃめちゃになってしまう。ben&jerryのフリーコーンディはアイスクリームがひとカップ無料で貰えるというだけで、ものすごい長蛇の列だった。東京美術館の伊藤若冲の展覧会の行列といい勝負だったと思う。なので例え100円でもお金を受け取ることでそれを抑止できると考えている。そしてそろそろやり方もパターン化できてきたので、第二第三のリーダーをも育成したいと考えている。

私はこども食堂をやりたいやりたいとずっと言って来て最近やっと夢が叶った。次は「私がいなくても」運営していけるようにしたい。例えば私がいなくなっても別のリーダーがいればできる。私は「こども食堂」は誰かに来て食事をしてもらわなくてもお客がゼロでもかまなわいと考えている。「こども食堂」は店ではない概念だからだ。なぜそうした活動が活発になってきたのか、孤食や貧困とは縁のなさそうな小金持ちの街「豊洲」でこども食堂が開催されている理由、そういうものに街全体が注目してくれたらそれで成功したといっていいと思う。私が個人負担で始めたので偉いと褒めて頂いたりするが、すぐに黒字化するのを見込んで始めたので「身銭を切って」というものとも違う。例えそうなったとしても得るものはたくさんあり、「お金が全て」というところから一歩離れて考えると「お金のための経済」ではなく「人のための経済」がみえてくる。こういう考え方ずっとどう表現したらいいかわからなかったが、これもクルミドコーヒーのクリスマス会で影山さんがお話されていて、「ああ、これだ」と感じて嬉しくなった。その会に参加された方がfbで関連記事をピックして下さり、ますますそうだと感じた。

以前クローズアップ現代で放送された番組の書き起こし記事、ご興味のある方は是非ご一読を。
人間のための経済学 宇沢弘文 格差・貧困への処方箋
http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3574/1.html

「こども食堂」をやりたい」という方は結構豊洲の中にいると聞いている。ただしそういう方は「手伝い」ではなく「自分でやりたい」のだろうと思う。そういう人を発掘して、今のこども食堂とか違う食堂を作って店主になってもらう。豊洲は狭い街ではあるが、隅から隅までの距離的には結構あり、自転車ならお年寄りだと20分くらいはかかるのではないか。今の食堂に遠い方の豊洲から来て下さるお年寄りが多いのに気付き、そちらでもやったら近くて便利だろうと考えた。

そもそも私はこども食堂を開く際は、三店舗同時オープンを目論んでいた。豊洲には小学校が三校ある。それぞれの学校に近いところに「こども食堂」を作り、来てくれた子ども達に「みんなで仲良く」とか「弱者をなぜ労わらないといけないか」などと話をしながら食事してもらう。子どもが多いということはお母さんの数も多い。豊洲のお母さん達というのは単身家族ばかりで地縁のない人ばかりだ。そういうお母さん同士がぎゅっとくっついたり喧嘩したり誰かを仲間外れにすることで結束したりという事が延々と続いている。トラブル回避が「引っ越し」と考えている人のなんと多いこと。引っ越しはお金がかかる。それで「貧困」になる家庭もあるだろう。余計な出費をしないことも貧困対策の一つだと思う。そういう仲間外れになったりひとりになってしまって悩む親子を、引っ越しせずに救済したいというのも「豊洲のこども食堂」の目的で、だったら小学校ごとにシェルターは必要だろうと考える。

でもこども食堂の師匠にそう言ったら「まずは一か所でやって、上手くいったら次じゃない?」と今思えば誰でもそう考えそうな真っ当な答えが返ってきた。なのでまずは豊洲小学校の近くでこども食堂をはじめたのだ。でもだからと言ってよその地区の人が参加できないという意味ではない。利用者が便利なようにと考えたら、やはり家の近くにある方が行きやすいに決まっているというだけ。

そういう訳で4月に「豊洲北こども食堂」、その次は「豊洲西こども食堂」をオープンさせたい。もしかして逆になるかもしれないが、来年度中に出来ればいいというくらいのんびりしたものなので大丈夫だと思う。festina lente(フェスティナレンテ)これは「ゆっくりいそげ」という意味。先日クリスマス会でお邪魔したクルミドコーヒーの店主影山知明さんの提唱する経済の基本指針で、サインをいただいた本のタイトルでもある。影山さんは現在クルミドコーヒーの二号店をオープンさせるべく奮闘されていて、私もそろそろ二号店、三号店を作りたいと感化された。というより、最初に考えていた自分のアイデアを思い出したともいえる。本当に今の食堂が結構大変でいっぱいいっぱいなのでスラッと忘れてしまっていたのだ。festina lente ゆっくり急ぎたい、色々事情も変わって来て、少しイソが無いと間に合わなくなりそう。それから影山さんはカフェだけではなく、出版業他様々な事業をマルチタスク的に同時進行されていて、私も色々やりたいこともあるが、同時進行で頑張ってみようと思えた。

そういう訳で「豊洲こども食堂」「豊洲北こども食堂」「豊洲西こども食堂」に関わって、また、自分が初めてみたいという方がみえましたらご連絡ください。場所については目当てがあり、そちらをご紹介できると思います。豊洲こども食堂のノウハウを知りたいというだけで、自分が一からやりたいので口を出さないでという方も歓迎します。ただし、「ひとりを支える」というビジョンだけは指針として下さい。お願いしたいことはそれだけです。 
 
toyosu.kodomosokudou@gmail.com までご連絡ください。

また、「豊洲こども食堂」のブログの方に書きましたが、食品ロス・リボーンセンターさまより賞味期限の迫っている災害対策用食料が豊富にあるそうです。
こども食堂でなくとも地域の集まりやママ友のパーティ、食べ盛りの選手が多い野球、サッカーなどのスポーツ団体など、食べてみたい、たくさん差し入れが欲しいと言う方も是非どうぞ。こうしたものを備蓄するだけでなく「食べ慣れておく」という活動も災害時緊急時の備えになると思います。送料は基本的には無料で提供していただけるそうで、この物資を難民キャンプなどに配送していただける物流システムや企業をご存知の方がいらっしゃいましたらご連絡ください。 豊洲こども食堂は、「食品をロスしない仕組み作り」にもチャレンジしていきます。現在様々な食料品をいただきますが、基本的に次の回にはまわしません。いただいたものは全てその時開催しているこども食堂で消費しています。保存場所がないという理由の他、食の安全も考えてそうしています。余剰物資や食料は、スタッフや来店された方に持ち帰っていただく他、大量の食材などは開封をせず、豊洲内の団体に寄付をしています。食品提供についての詳細についてはこちらをご覧ください。 http://toyosukodomoshokudou.blog.jp/archives/10841816.html

災害時備蓄食料でカナッペを作ってみた。具材は夕べのパーティーの残りばかり。クリスマスに相応しい朝のご馳走になった。

それからもうひとつ素晴らしくいい事を思いついた。また長くなってしまったのでそれは次の記事に書きたい。今日は年末年始のスキー旅行の準備の買い物をしに出かける。掃除もしなくては。もう「大」掃除は諦めている。普通に綺麗にしておけば無問題。

いつも「豊洲こども食堂」に、ご理解とご支援をありがとうございます。
 
だんだん参加者が多くなり、ご支援お手伝い下さる方も増えてきました。本当にありがとうございます。

ただ、あまり賑やか過ぎてもお年寄りの方や、人間関係などで悩む方は来にくいでしょう。支援が必要な方に届かなくなってしまう懸念があります。特に悩みを抱えている方は、大概大人しく静かな方ばかり。賑やかしいのは苦手で、だからこそ人の群れに混ざりにくくて色々悩みがあるのではないでしょうか。

「豊洲こども食堂」は、「子どもの貧困」「孤食」だけでなく、そういう人たちも支援したいと考えます。「子どもの居場所作り」「子どもの貧困」を支援するのは大前提ですが、大人も子どもも、イジメられて仲間はずれにされて傷ついている人達、そういう人たちのシェルターでもありたいと。


特にママ友イジメは訴えるところが何処にもありません。抗議すれば子どもがイジメられるので何も言えない、出来ないんです。悩みがあれば、ここに相談に来てください。一緒に考えましょう。



ボランティアやご支援は本当にありがたく感謝ばかりなのですが、それよりも「こども食堂」の意味や想いをきちんと考えて運営したいと思います。


確かにたくさん人が来てくれれば収益になり赤字も解消します。でも「豊洲こども食堂」は、行列のできる繁盛店である必要はないと考えています。むしろ人があまり来ない、リア充は来たがらないような地味な感じでいいと思っています。

今後は大人は、子どもかお年寄りの付き添いか、65歳以上の方を対象とします。支援目的や広報の方は対応しますので、事前にご連絡下さい。

また、何度も同じ事を言って恐縮なのですが、ママ友同士でつるんでの来店はご遠慮ください。意地悪な気持ちではなく、ひとりで参加してくれるお母さんの居心地が悪くなってしまうからです。「豊洲こども食堂」は、「こどもの貧困」「孤食」「ひとり」を支える場所でありたいです。

とはいえまだまだ全然赤字ですし、こんな風に書いたので参加者はガクンと減り、今後はますます運営も厳しくなると思います。なので引き続きご支援ご協力はお願いしたいと思います。

虫のいい話ばかりで申し訳ないのですが、どうぞご理解とご協力をお願いします。
 


豊洲をイジメゼロに、みんなが安心して住める街にしていきましょう 

豊洲で始めた「こども食堂」たくさんの方にお越しいただき、ご支援もいただき嬉しく思います。本当にありがとうございます。

色々な方が楽しみに、そして協力を惜しまないというお気持ちをひしひしと感じ、それに対してどう御恩を返せるか、どのよう体制が必要かを考えるようになりました。

一番に考えたのはまず、食堂で出す食事の「安心と安全」。食品の問題は様々な形でニュースになりますが、それはやはり社会的役割や使命が起点になっていると思いました。子どもが集まるこども食堂、安心して参加して貰うのにはどうしたらいいか、あちらこちらご支援下さる方々にも相談してみました。

それにより、次回こども食堂開催にあたり、次のようなルールを決めました。ざっくり始めた第一回目と比べて少し窮屈に感じるかもしれませんが、それ以外のところでは身近で間口の広い食堂ということには変わりありませんので、引き続きお気軽にお越しください。

こども食堂のblogにも書きましたので、そらもご参照ください。内容は同じです。    
    
※1  江東区保健所の指導により、運営にあたり「集団給食の届け出」が必要です。ご参加下さる方の住所氏名の記名をお願いしています。これは一回目と同じです。ご協力ありがとうございました。名簿碌をみてみなさん進んで書いて下さり、本当に助かりました。

※2 今回新たなものとして、食の安全のためにボランティアをして下さる方は、顔写真入りの身分証明書の提示をお願いすることにしました。複写等はせず、証明書と名簿の記録が同じか確認するだけです。食事をするだけの方は必要ありません。本当に申し訳ありませんが、よろしくお願いします。

※3 子ども達の安全のために、深川警察署および豊洲交番のご協力で、開催日に周辺パトロールをお願いできることになりました。特に食堂終了解散時の19時頃に強化して下さるそうで、帰り送って行きたいのですがまだまだ人手が足らず実現できないので本当に助かります。地域の防犯にも一役買えそうで嬉しく思います。

任務終わった警察署の方も私服で来て下さるかもしれないそうで、益々感謝です。


※4 地域の民生委員の方を江東区社会福祉協議会経由でお招きしました。地域の相談、民生委員って何?やってみたいという方がいらっしゃいましたら、この機会に是非ご相談下さい。民生委員の方は年々減少傾向にあるそうで、定年で辞められた後に新しく入ってこられる方がいないそうです。もっとこうした方が増えてくれるといいですね。年齢制限はないそうで、地域のために何かしたいというキャリア形成にとてもいい取り組みになると感じます。   


※5 「豊洲こども食堂」Facebookページをやめました。個人ページはわかるのですが、団体ページに移行した途端に仕組みが分かりづらくなり、情報発信がうまくいかなくなりました。調べたり教えてもらったりする時間が惜しいので、しばらくはブログとTwitterだけでやります。もしFacebookページの面倒をみてもいいという方がみえましたらお願いします。

次回開催に向けて既に上記以外でもご支援、協賛を頂いています。


ハウス食品株式会社様(カレールー)

いろどり館株式会社様(プリンターインク)

株式会社セカンドファクトリー様ドレッシング

・「みんなのミュージカル ホンク!」ピュアーマリー様(運営費)


この他にもご検討頂いている組合様、食材を整えて下さる豊洲たつみチェーンさま、いつもありがとうございます。みなさまのご支援とご厚意で運営出来ています。これからも豊洲の「ひとり」を支える取り組み、組織であり続けたいと考えます。 ありがとうございます。   
   


このぞうさんの滑り台が目印です。

とよすこどもロゴ

オープンのお知らせです。ブログも開設しています。


食堂名:豊洲こども食堂


開催場所の住所:東京都江東区豊洲4-5第百集会所


開催日時:10月27日木曜日 17時~19時(次回の開催についてはお問い合わせください)
     

連絡先:toyosu.kodomoshokudou@gmail.com


参加費:大人500 円(65歳以上300円)こども100円


その他:お手伝い下さる方を募集しています。差し入れも大歓迎です。


「今晩のご飯はボク1人なんだ」
「お母さんがお仕事の日はお弁当を買って食べるの」

そんなとき、こどもが1人でも入れるのが“こども食堂”です。
栄養満点の温かいごはんをつくって待っているのは、
近所のおじちゃん、おばちゃん、お姉さん、お兄さんたち。

そんな地域のこども食堂へ行きたい人、手伝いたい人を
結びつけるのが、私たち『こども食堂ネットワーク』です。
こども食堂ネットワークより

豊洲は小学校が三校もあり、子どもだらけの街といって過言はないでしょう。塾や子どものための施設なども充実し、「子育てがしやすい街」ということで東京都内でも人気のエリア、東京オリンピック招致も決定し、市場移転でますます注目のスポットです。

そんな大勢の人が豊洲ライフを楽しむ一方、孤食や貧困のために食事も満足に出来ない子どもがいる現状をご存知でしょうか。こども食堂は経済的な理由から、家で満足な食事を取れない子どもに暖かい食事を提供することを目的に始まりました。

豊洲地区に限っていえば、貧困で食事が食べられない子どもはほとんどいないと思われますが、ひとりで夜ご飯を食べる子ども、いじめを受けて誰にも相談できないお母さん同士がうまくいかなくなって困っている、などの不安と孤独を抱えている人は多いのではないでしょうか。私もかつては本当に悩んで死にたくなったものでした。

四方山話を色々しながら、ただ単にカレーが好きだから、こども食堂に興味がある、などなどどんな理由でも大丈夫。豊洲四丁目集会場、ぞうさん公園とみんなが呼んでいる公園の前の建物です。「こども食堂」と銘打っていますが、大人も是非参加して、食事を食べに来てください。みんなで食べると美味しいですよ。お待ちしています。

ただし、ママ友同士つるんでというのはご遠慮ください。ひとりで来るお母さんが来にくくなってしまいますので。ぼっちママ、大歓迎です。

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毎月色々な種類のカレーを作ります。写真はスパイス香るドライカレーです。第一回目がどんなカレーになるかはお楽しみに。

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お皿に盛りつけるとこんな感じです。

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大人用はお弁当箱での提供になる予定です。デザートや飲み物も別途おつけします(^^)/

※「こども食堂」って何?という方は、こちらをご覧ください。

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